臼杵山 真言宗 天光寺

東京都西多摩郡檜原村にある天光寺では「企業研修」「社員研修」を行っております。「除霊」「お祓い」や「水子供養」「先祖供養」「護摩焚き(供養)」のご相談はもちろん、「ヒーリング」「体験修行」「滝行」「写経」「瞑想」といった半日体験修行ができます。

天光寺ブログ

天光寺ブログ

  • わたしは、いままでしてきたことでいくつか反省しなければいけないことがあります。

    学校で遊ぶ時間じゃない時に遊んでしまったことです。ほかにもふざけて友達と遊んでしまって先生の話を聞いていなかったりしてしまいました。次は先生の話をしっかり聞いて、まじめに話を聞きたいです。それと、遊ぶ時間の時以外はふざけないで「けじめ」をつけたいです。おこられないように、まじめに授業など先生の話を聞いてうけようと思いました。一学年あがっても、中学生、高校生、大学生になってもふざけないでしっかりと授業をうけたいです。

    先生など、年上の人が教えてくれたのにふざけてわるいなと思いました。次からは先生の話を聞いて遊ぶ時としゅうちゅうする時にしっかりわけようと思いました。

    しゅうちゅうする時にふざけたりしないように次からはしっかりしゅうちゅうしてまじめに話を聞こうと思いました。

    このお寺にきてまじめに話をきくことややる時にちゃんとやることを教わりました。

    めりはりをつけてこれからもしっかりしようと思いました。

    この度は貴重な二日間の修行が出来たことを大変有難く存じます。住職はじめ、初日修行の説明や滝行などのご指導を頂いた天光寺の皆様に御礼申し上げます。

    この二日間は心身のリフレッシュ・命の洗濯を意図として修行にうかがいましたが、修行を終える直前の住職の法話を拝聴し、自分の悩みを見抜かれて激を頂けたと感じました。リフレッシュ・命の洗濯はもちろん、激励頂けたことに厚く御礼申し上げます。

    修行の最後に拝聴した法話でうかがったことは自分で意識したり、実践できている事項がある一方、負の連鎖に陥ってしまう事項を自分の内包しておりました。

    一般的に思い変われば行動変わる、行動変われば結果が変わると言われています。意識の変用・体の変用はその一般的に言われている事の必要性を暗示されたようで繰り返すことが自分の思考・行動を変える道かと考えますが、自分に不足している、自分を愛する、舞台で演じる役者になることなどの意識をインプットしていきます。また自念障害について、自分の思考に存在しており、自問自答しながら法話で頂いたいいお言葉を自分のいいマインドセットに活かして行動の変化につなげていきます。

     

    子供の頃から言葉が思うように話せず、会話ができず対人恐怖症になっていました。大勢の人の前では話が出来ず、ごく親しい人としか会話ができないのです。人と関わることも出来ないので、仕事は個人で行っています。息子が自閉症傾向があり、保育園で他の母親との関りができずストレスから不眠になってしまいました。育児にも手がかかり、対人関係のストレスが重なり死にたくなっています。そのような状態に陥っている時に、金縛りにあったり、お風呂で人影を見たり、人が居ないはずの部屋で物音が聞こえたりします。

    霊的な奇妙な現象と自分の対人関係や息子のことに何か関係があるのかと思い、天光寺を訪ねました。

    お寺や静かなところは昔から好きだったので、天光寺の雰囲気は落ち着きました。最初に住職さんのカウンセリングを受けましたが、いろいろと思い当たることがあり納得する事ばかりでした。お祓いのお部屋は少し暗く怖い感じもしましたが、仏様のお顔を見ていると心が落ち着きました。お経をあげていただき静かな時を過ごせてしあわせなひと時を感じました。お祓いの動画で見たような激しい反応は何もありませんでしたが、お祓いの後に受けたヒーリングにとても癒されました。今まで抱えてきたものが込み上げてきて涙が止まらなくなり、暖かい光に包まれているのを感じられたのです。身体の力も抜けて軽くなりました。今までの自分から抜け出たような感じで、生きる力が与えられたように感じます。お寺の外に出て太陽の光を浴び、山々の木々、川の水に触れた時、生き返るような気持になりました。

    天光寺さんに来て本当に癒されました。次回は滝行にもチャレンジしたいと思いました。

    先日は大変お世話になりました。娘も日々自分を取り戻しつつあり回復しております。これも住職様そしてスタッフの皆様のおかげと一人一人に感謝しております。

    一か月が経ちましたので、お札を返却させて頂きます。私が勝手に思っていた事なのですが、このお札を「結界」と思い手放す事には不安がありましたが、〝前向きに〟〝強く〟なってもらう、そして、いただいた「心の持ち方」を読んで変わっていけたらと思います。本当に有難うございました。

    住職様、皆様お身体にはお気を付けて、これからもご活躍を心よりお祈り申し上げます。

    ※住職様が作ってくれたランチは本当に美味しかったです。

    高校生の娘のお祓いをお願いしました。何がきっかけかよく分からなかったのですが、今の家に引っ越してから不審なことが起こるようになりました。原因不明の高熱が二週間も続いたり、その後皮膚に全身湿疹が出ていくつもの病院で検査をし入院までしましたが原因が分からず。眠れないほどの痒みが続きました。またある時は、夢遊病者の様に夜に近くの公園まで出ていってベンチに座っていたり、急に家出をしたこともあります。あまりに不可解なことが度々起こるので、霊能者の方に見ていただいたところ、狐が4体憑いているというのです。そして家の近くにある神社が良くないと言われました。その方はお祓いは出来ないというのでどうしてよいか分からず、お祓いが出来る所を探していました。

    ネットで調べていたら天光寺さんに出会い、YouTubeの動画を見て驚きました。もしかしたらうちの娘も…と思い、直ぐに連絡させてもらいました。

    車でお寺に来ましたが駐車場に着いても車から降りようとせず、ようやく降りてもお寺の中に入ろうとしません。お寺の方々に支えられて何とか入ることが出来ました。後から説明を受けましたが、霊障がある場合嫌がって逃げようとするのだそうです。

    お祓いの部屋に通され、大音量のCDを聞いていると娘の身体がガタガタ揺れ始めました。そして唸るような声を出します。横で座っていても何が起こっているのか分からず、ただただ恐ろしく見つめるばかりでした。お経が始まると激しさは増すばかりです。これからどうなるんだろうと不安がよぎりましたが、お願いしたのだから信じるしかありませんでした。

    すべて終わり体の巡りも調整していただき、スッキリしたような感じを受けました。本人も体が軽くなったと言っています。お祓いの時間も長時間になってしまい、辺りも暗く疲れていたのでこのまま帰るのには心配がありました。ご厚意からその晩は急遽泊めていただくことになり、住職の手料理の夕食を味わうことも出来ました。お寺に泊まるのは初めてで、本当に貴重な体験をさせていただきました。

    本当に感謝しかありません。有難うございました。

    今回の一泊二日の修行を通して、今まで経験出来なかった経験をたくさん出来て、身も心も強くなったと思います。

    困難に立ち向かう力をつける。そして主人公になるには、負け人にならないために、日頃の行動や思考や言動が大事だというのが、修行を通して分かりました。

    まずは目の前の10回、その後は20回、30回というようにコツコツと目の前ことを達成していけるように頑張ります。

    何事においても負けてたまるか、の精神の重要性が大事で、特に滝行で、そういった精神を取り戻してくれました。AとBの人、同じ薬を使っても、病気だと思った人は、治りが悪いというのも面白かったです。病は気から、という言葉がありますが、実際にこの言葉は本当なんだとしり、今後は弱音や愚痴は言わないようにしようと思いました。口に出してしまうと、現実になってしまうので、ポジティブな積極的な言葉をたくさんはなすようにしていきます。ストレスは病気の始まり。ストレスをためないことを意識しています。

    自分自身を愛し、イライラした時、腹立ってしまう時、感情的になってしまう時、こういう時は一度「大きく深呼吸をする」というのを意識しています。自分をコントロールして、集中力のある人間になり、自分の悪い面は素直に反省して、謝ることをしていきます。失敗から気づきを得て、ピンチの時こそ、強い人間になれるようにしていきます。

    今回の修行、来て良かったです。

    2日間ありがとうございました!!

    私は今回の体験を通して色々な気づきを得た。

    まず料理洗濯について、私はあまり積極的に家の手伝いをしてこなかった。だから今回自分達で毎食の食器と衣服を洗い、その大変さと親のありがたさを改めて実感した。

    次に滝行について、水流をすべて受け止めようとすると体が持たないので、水を上手く受け流すことを意識すると体の負担が軽くなった。このことはスポーツや人間関係など直接の関係がないことについても応用が効くと感じた。その他の修行についても、例えば読経と発声練習、写経はあまりする機会がなく、またとても集中したので疲れもしたがそれ以上に充実感が勝りとても心地よかった。

    逆に一番大変だと思っていた六時起床は意外とすんなりできた。夏休みの期間中に乱れた生活リズムがこの宿泊をもって整うことを期待する。

    初めに書き忘れたが、掃除を自分の部屋だけで満足していて、家族共用の場所をあまりしてこなかったように思う。ゴミ出しを数年ぶりにした感じがしたので、これを機に家で手伝えることを発見していこうと思う。

    またこれらのことを気付かせて下さった天光寺の皆様に感謝したいと思った。

    天光寺にきてけい語が使えるようになった気がしました。

    滝に入ったあと頭がすっきりとしていて悪い心がなくなり心が洗われた気がします。

    そうじのとき、げたばこをそうじしてピカピカにしていい気持ちになりました。

    お百度まいりのとき足が冷えてつめたくてもがんばり、心がポカポカした気持ちになりました。滝に入った時、南無大師遍金剛をいっぱいとなえるときに背中がつめたくて心がすくみました。他のひとは写仏をがんばっていてすばらしいとおもいました。

    めいそうの時はしせいをくずさないように気をつました。お経をよむときに足をくずさないようにまじめにお経をとなえてがんばりました。

    天光寺にきてきそく正しい生活ができるようになりました。ひとりでふとんをたたむことができるようになり、ひとりで洗濯機を回すことができるようになりました。食後のあいさつと食前のあいさつをおぼえて言えるようになりよかったです。天光寺ですばらしいけいけんができたとおもいます。

    法話を拝聴し、易きに流されず困難な道・人生を歩むための勇気を頂きました。

    自分自身はご先祖様(過去)と未来と現在でつなぐことができる者であり、橋渡しを行うこと、点と点を線でつなげることを使命に日々精進して参りたいと思います。何事が起こっても常に行動し、弱った時は、天光寺での教えを思い出し、心を穏やかにして、再度立ち上がることができるよう努めたいと思います。自分の天命は何なのか、まだ明確なものは見え切れておりません。しかしながら、あせらず一歩ずつ行動を積み重ね、悔いなく誇れるものを創っていく所存です。自身の魂を磨くこと、そして、自分の行動、振る舞いが世のため人のため、未来のためになっているか、他の方々の魂を磨く機会につながっているかを考え歩んで参りたいと思います。仏教についても先生の法話を通してより興味が深まりました。

    下山後日々の生活に戻りますが、腹式呼吸・瞑想等、朝に取り入れ一日のはじまりを心穏やかにすることで礼節を保ちイライラしたり怒りの念を小さくできるようアンガーマネージメントを行っていく所存です。また仏教をはじめ多様な宗教・思想・哲学を学び教養ある人間を目指したいと思います。それらを通して行動を重ね、自身を進化させていくことでより心躍りワクワクする日々を過ごせるのではないかと思いました。まだまだ未熟者であり我欲に負けそうになったり、強い者に流されそうになることもこれから多々あるようにおもいます。そのような状況におちいった時の心持ち、対処方法を増やすことができたように思います。それでもなかなか上手くいかない時は、また天光寺を頼らせて頂くこともあるかと存じます。その際は何卒よろしくお願い申し上げます。

    一度の人生ですので、一つでも何か未来、人類、日本にとって良いことを創り上げ、自分・家族・世界を愛し、今後の人生を歩んでいこうと思える内容の法話でした。

    ありがとうございました。

    天光寺での法話および様々な行の経験を活かしより豊かな人生にしていくべく精進していく所存です。

     

    法話について、今まで難しい問題事などをマイナスな思考で考えていたが、話を聞いて何事にもプラス思考で考えて「自分には出来ない」「自分には無理」などとは考えないというのを知った。また、無意識でしている事には間違いはないということを聞いて改めて自分の事について考え直した。

    川行について、自分の今まで反省している事や感謝の気持ちを表せられなかったなどの悩みを、川につかって寒かったが入った後はその事を洗い流せて身体が軽くなった。

    お寺に来て変わった事は炊事や洗濯、料理やその他の家事十などを全て自分でやったことに対して家事とはこれほど大変なことだという実感を持ち、写経や写仏などをして自分自身の本来の姿を取り戻す事が出来て「ありがたい」と思う気持ちやその他にお百度参りで自分の悩みを百八回往復計二百十六回言うのは最初は無理だと思っていたが完走した時の「自分はやったんだ」と思った時の気持ちは本当に素晴らしいと思った。

    またこれから家でも自分の事はきちんと自分でやるをスローガンにメリハリをつけてやっていきたいです。

    この度は、家族三人で体験修行に参加させて頂き、誠にありがとうございました。

    私は現在も不眠で悩んでおりますが、今回の修行経験を通して、自らの意地の強さに気付くことができました。一年前から始めた空手も、自分を強くする良い学びとなっているのだと感じました。

    娘は、興味の幅が広い一方あきっぽく聞かんぼうな面もありますが、彼女なりにがんばっている姿が見られました。滝へ行く道中もめげることなく山を登り、滝も最後まで打たれることができたことは、人としてえらいと感じました。

    夫に関しては、「きちんと」「地道に」等普段していないことを経験してもらうことができ良かったと感じております。

    私個人としては、修行全般を通し厳しいものだとかんじた反面、やりとげたことが自分をみがく結果につながっているのだと、自身がつきました。

    思いが現実をつくるという教えを日々ふり返り、今後も困難に当たった際は考えの軸にして参ります。

    一泊二日でお世話になりました皆様、誠にありがとうございました。

    また機会がありましたらよろしくお願い致します。

    法話を通して「どんなあり方で生きていくか」を改めて考えさせられました。

    自分自身の芯・軸・信念を持つこと、絶対積極で過ごし、常に明るく前向きに笑顔でいること、舞台と役者を演じ、どんな場所でどんな人間として生きるかを、しっかり見極めます。他にもたくさんの教えがありましたが、全ては正直覚えきれてはいません。しかし、全ての教えは、自分次第だと感じています。自分の心が本気で想うこと、願うことが、目の前の現実に現れると思っています。全てあらゆる全て、自分自身でコントロールすることができます。

    私は、私の人生を最高に最幸なものにすることができます。

    私は、より良い自分を作るため、己を磨き、高め深めることができます。

    私は、自分自身を抱きしめ心から愛することができます。

    私は、心の底から仕事を楽しみ、世界に価値を届けることができます。

    私は、私の大好きな仲間と家族を愛することができます。

    私は、「自分よりも他の人を心から想う」ということの大切さを、正直理解し

    切れていません。しかし「他の人を心から想う」ということの本質を必ず理解し、そのために自分自身の命を使うことができるようになります。

    私は、今、最高に最幸な人生を歩んでいます。

    ありがとうございます。

    数年前に死別した者同士結婚しました。最初はマンションを借りたのですが、妙な物音がするので気になり引っ越しをしました。今度は新築の家を購入したのですが、再び夜になると物音が聞こえます。気のせいかと思いましたが、私だけでなく夫も聞こえるようです。

    ずっと続くので気持ちが落ち着かなくなり精神的にも参ってしまい、夜も眠れず、女の人の声も聞こえるようになりました。誰に相談してよいか分からず、「お祓い」を調べていたところ、HPで天光寺さんに出会いました。

    私は霊感など全くなく見えない世界を信じていませんでしたが、自分の身にこのような事が起こってくると、もしや…と思わざるを得ません。夫にも相談し、一緒に受けることにしました。

    最初にご住職に話を聞いて頂きましたが、家系的に複雑にいろいろと関わっている様でした。双方に配偶者がおりましたし、親戚には自殺者もいたようです。そういった因縁が影響しているようでした。お祓いのお部屋はうす暗く少し気味が悪い感じもしました。最初お経のようなCDを聞いたのですが夫は何ともありませんでしたが、私は手が震えていました。読経が進み、本格的なお祓いに入っていくと鐘や太鼓の音が入ってきました。何だかよく分からないうちに、意識が飛んでいく様な感覚があり、気が付くと座布団の上に横になっていました。どのくらいの時間がたっているのかもよくわかりませんでしたが、住職に背骨、腰など体を整えていただき起き上がってみると体が軽くなっているのを感じました。自分では気づいていなかったのですが、ずっと体に力が入り恐怖感からちじこまって心も頑なになっていたようでした。そんな私は、あることをきっかけに霊と波長を合わせてしまっていたようです。

    いまだにこの日のことはよく覚えていないのですが、その後は声も聞こえなくなり、夜も眠れるようになり穏やかな生活が続いています。

    天光寺さん、本当に有難うございました。

    体の左半身にいろいろな痛みが出ています。病院でCT・MRIを取って調べても何も出てこず、原因不明と言われました。幼い頃より母親との関係が悪く、いじめられたり、無理心中まがいのことをされたりもしました。私のことが気に入らない様なのです。親子関係に問題があるためか、私も子供に対して愛情を注ぐことができず、煩わしくそばに来ないで欲しいと思ってしまいます。今は母親とは距離を置いて暮らしていますが、近年立て続けに車の事故が重なり、母にも私にも悪いことが起こっています。そのような事情が関係しているのかもしれないと思い、お祓いをお願いしました。

    初めのカウンセリングではいろいろとお話させて頂きましたが、住職にはその時点でも私の背後に何か見えるのか大方分かるようでした。その後のお祓いへと進んでいくと、はっきりと前世の因縁や関りが関係しているようでした。来た時は足が痛くて寺院内の階段も辛かったのですが、身体の調整をして頂き足が軽くなっており引きずらなくてよくなりました。ヒーリングもして頂いたのですが、今まで抑えていた感情が込み上げてきて涙が止まらなくなりました。今までずっと我慢してきた怒り、悔しさ、寂しさ、悲しみ、いろいろな感情がごちゃ混ぜになった感覚で何とも説明しがたく、ただただ涙でした。

    終わった後はすっきりした気分です。まだまだ、しぶとく残っているものがありそうですが、今後はヒーリングの勉強をして修行していきたいと思います。

    ありがとうございました。

    修行を終了し、達成感と浄化された感じとですっきりしています。

    初めての修行体験で辛い時間もありましたが、その事に集中することや感謝することなどに改めて気づかされました。

    心身の浄化の目的で参加させて頂きましたが、今後の生活に役立つことを教わることが出来、貴重な経験になりました。

    これからは転職を控えていますが、前向きな心と積極的な心を忘れずに頑張っていこうという気持ちが強くなりました。

    自宅でも瞑想や腹式呼吸などを活用して時々浄化することを意識できればと思っています。

    2日間有難う御座いました。

    ぼくはいくつか反省したいことがあります。

    まず一つは友達関係で両親にめいわくをかけてしまった事を深く反省しております。

    二つ目は友達の傘をこわしてしまったことです。後になってこうかいしています。

    ぼくは思いました。こうかいをするんだったら、やらなければなと思いました。次からは人にめいわくや両親に心配させないように頑張ります。三つ目はうそをついてしまうことです。なぜ正直ではなくうそをついてしまうのか、そのためには素直でうそをつかない人間になります。そしてぼくはかぞえきれないほどの感謝をしております。まずは生んでくれた事を感謝しています。そして朝ご飯を作ってくれる事はあたりまえではないと思います。なのでとても感謝しております。そしてまだまだ感謝していることがあります。皿洗いもあたりまえではありません。なので今度からは自分で皿洗いをします。そして洗濯をしてもらうのも感謝しています。

    そしてこの寺にきて思ったことは、なにごとにもうそをつかず素直で正直にならなければいけないと思いました。寺にきてきになったことは、はらを立てるよりもゆるす方がいいという文章が気になりました。

    この寺にきて思ったのは人にめいわくをかけずにやさしくなりなさいと思いました。そしてうそをつかずに素直で正直になりなさいと思いました。人とはなかよくなりたいです。

    10代の頃から霊の囁きが聞こえています。初めは無視していましたが、このところ「自殺しなさい」「死んでください」など繰り返し言ってきます。絶え間なく言い続けられると、頭がおかしくなり、自分でも生きている価値がないのかと思うようになってきてしまいました。挙句に仕事も続けられなくなり、家に籠る毎日が続いています。どうしたらよいか分からず、ネットで見た天光寺さんを訪ねました。

    昔から霊の存在は分かっていたので怪しい感じはしませんでした。ただ一刻も早くこの状態から離れたい一心でした。少しうす暗いお寺の部屋も気になりませんでした。お祓いの部屋に案内され、静かに落ち着いていると霊の声は聞こえなくなりました。久しぶりに平穏な心で居られました。私が求めていたのはこの状態でした。今まで家族を優先して自分の事などする余裕もなく尽くしてきましたが、心からでなく自己犠牲の気持ちからでした。私の心は穏やかではなく、家族の言動にイライラしたり、怒ったり、嫌味を言ったり、不満を言いながら、やることはやっていた感じです。そんな私には価値などない、ということだったのでしょうか?霊の囁く言葉を改めて感じてみると、そんなふうにも思えます。そんな気持ちだったから遂には仕事さえできなくなり、家族のためどころか、迷惑をかける立場になってしまったのだと思いました。

    お祓いをして頂き霊が祓われたのか、終わった後はすっきり身が軽くなったのを感じました。その後、三カ月くらい経っていますが、今のところ以前のように聞こえてこなくなりました。まだ仕事にも復帰していないので、自然に触れ散歩をしたりのんびりと穏やかに過ごしています。もう少しリハビリをして休んでから、新たに動き出したいと考えています。今までの生き方を振り返り、新たな気づきを得て歩むことができそうです。本当によい出会いができ感謝しています。季節がよくなったので今度は滝行に参加して心を一層清めたいと思います。ありがとうございました。

    私は20代の時に突然片方の耳だけ二重に聞こえるようになりました。原因は分からなかったのですが、それ以降耳元で声が聞こえるようになりました。次第にその声を無視できなくなり心の中で会話してしまいました。すると余計に頻度が高くなってきました。

    半年前くらいから真言を唱え、他のお寺の護摩修行に参加したりもしています。すると一時は私の身から離れた感覚はあるのです。しかし、気を緩めると就寝時に離れ朝方再び戻ってきます。家の中で見張られているような感覚もあり、気持ち悪く気力が持たなくなってきました。妊娠中に実家にいた時にとり憑かれたようで、お腹の子どもにも影響している気がします。夫や子供への影響が大きく及ばないうちに何とか祓いたいと思いました。

    お寺は静かな山奥にありましたが、川の音も聞こえ開放的な気持ちの良い所でした。最初に住職から今までのことや家系のことなど聞かれ、カウンセリングのような感じでした。

    お寺の本堂なども案内されました。お祓いのお部屋は少し暗いのですが、仏様の微笑みが温かく私には心地よく感じました。仏様の前に座り合掌し、CDの音が始まるとあまり心地よい感じではなくなりました。お腹のあたりが重く、胸も締め付けられる感じがしました。その後お経が始まると、その感じは強くなるばかりでした。住職の声と共に霊が上に上がってくれた後、横たわり、住職が体を整えて下さいました。「口を大きく開けて中のものを出すように息を出しなさい」と言われましたが、声も思うように出ません。ようやく立ち上がり体を払って手足を動かしてみると軽くなっているのが分かりました。やはり何か憑いていたことが分かりました。母方系の先祖のようでした。安心したとともに、体の力が抜け涙があふれてきました。

    悩んだ末、今回思い切って申し込みをして本当によかったと思いました。その後声も聞こえず、夜も眠れるようになりました。本当に有難うございました。

     

    私が体験修行に参加した理由は「前に進むためのきっかけが欲しかったから」です。

    今年の初めに自分の中で大きな出来事を経験しました。当時はすごく落ち込んでなかなか相談することも出来ず、自分で乗り越えようとしているうちに気がついたら生活に支障をきたすようになっていました。体調が回復した後も気持ちの落ち込みが続いて、何をしても喜べない、楽しめない、ちょっとしたことでもイライラするといった状態でした。そんな自分をどんどん嫌いになっていき、他の人とのコミュニケーションも上手くいかず、更に自分に嫌気がさすといった悪循環に陥ってしまいました。何か自分を変えるためにヒントを探しているうちに天光寺の体験修行のホームページに辿り着きました。様々なことを体験させて頂きましたが、中でも印象に残っているのが、挨拶の作法の練習と法話のビデオです。挨拶で自分の名前を言ったときに、はっきりと伝えることができず聞き返されるということがありました。自分が伝えたと思っていても、相手に伝わっていなければ“つもり”になっているだけだと教えて頂きました。当たり前のことが今の私には出来ていなく、反省とともにこの先どんな場面でも大切にするべき言葉だと実感しました。法話のビデオでは、仏教の成り立ちなど、これまで聞いたことのないお話ばかりで感心深く、とても勉強になりました。「志向が人生をつくる」という言葉が深く印象に残っています。自分が発した言葉に影響されること、ネガティブな言葉はネガティブな気持ちを引き寄せると教えて頂き、まさに今の自分自身だと思いました。不満を抱えないために、今すぐに出来ることは感謝の気持ちを忘れないことであり、今の自分に欠けていることに気付かせていただきました。

    今回の体験で、天光寺の皆様には大変お世話になりました。たくさんの事を親切に教えて頂き、充実した時間となりました。自分を変えるためのきっかけを頂いたので、明日から頑張れそうです。ありがとうございました。

    法話を終えて、うまくいかないことに立ち向かう事清く正しくいることの話を聞いて自分が大切にしてきた事を信じようと思いました。自分が何のために生きているのか、自分の使命は未だわかりません。

    でも挑戦から逃げずに一つ一つやり遂げて行けば絶対に自分の信じた未来に変わるということがわかりました。今世の人生の中でうまくいく時間はそう多くはないけれど日々の生活の中で小さなことにも感謝して幸せを感じて生きていれば自分は自分が思っているよりもはるかに恵まれていて、もっと自分自身を大切にすることが出来ると思うし、今は見えないものが見えるようになると思いました。その為にももっともっとたくさんの経験をして感じるということを大切にします。成功と失敗をたくさんして失敗から学んで感謝して過ごします。

    また、人間関係において人を信じるとか信じないとか今まで沢山聞いてきていつも何故かすごく嫌な気分でいたけれど人を信じる信じないはその人が信じたい人の姿の事だから、私は私らしく自分の信じる自分の姿でいて、それでも周りにいてくれる人への感謝を忘れないようにいようと思います。

    今回の体験修行で、今までできなかった経験が出来たことはとても大切な財産になりました。お寺での生活には感謝がたくさんあって皆支えあっていることを強く実感しました。普段は何となく過ごしてしまっている日常だけれど少し丁寧に感謝して支えあうことでこんなにも充実感が得られたのは本当に天光寺の皆様のお陰です。世の中の厳しさを今まで沢山教えてもらってきたけれど、厳しいことを受け入れているだけでは駄目だということも知りました。厳しさの中の優しさや覚悟を感じながら自分がその中でどういう風にいたいのか、しっかり見極めていきます。2泊3日多くの経験を有難うございました。

    先月、友人たちと沖縄に行きました。帰ってきてから体調が思わしくなく、気のせいかとやり過ごしていましたが、頭が締め付けられるように痛く、ふらふらめまいも続きます。病院で検査もしてもらいましたが、何もありませんでした。私は子供のころから周囲に敏感なところがあり、人や場所のエネルギーを受けやすいと感じていました。今回も何故か帰ってきた直後だったのでおそらく土地から何かを受けたように感じていました。そんな事を言っても病院では信じてもらえないので、「お祓い」で検索し天光寺さんに出会いました。住職にお話ししてみると霊的に敏感な人はそういったエネルギーに同調しやすいとのことでした。

    お祓いが始まり、最初にCDを聞きました。初めに身体が圧倒されるような感覚があり、次第に合掌している手が小刻みに震えてきました。自分で抑えようとしても治まりませんでした。その後お経をあげてくださったのですが、この時も震える感覚がありました。その後ヒーリングをして頂きました。椅子に座り静かな音楽を聞いて合掌しているだけですが、身体を包まれて安心した空間にいるような温かい気持ちになり、涙が出てきました。

    何か憑き物が出ていったというよりは、抱えていたものが癒されたような感じがありました。私が抱えていた悲しみに、沖縄の悲しみが引き寄せられたのかもしれません。

    お祓いを受ける前は、憑りついた霊が暴れ出したり、叫びだしたりするのかと怖さもありましたが、私の場合は癒しを必要としていた感じです。その後は頭痛やめまいもなく、落ち着いて過ごせています。気持ちも以前より軽く、物事を前向きに考えられるようになりました。物事をぐるぐる考えすぎて前向きに進めないのは性格的なものと決めつけていましたが、そんな心の持ち方が良くない霊を引き寄せるのだそうです。これを機に、これからの生き方を変えていこうと思いました。

    天光寺さん、ありがとうございました。

    今回2泊3日の修行を通して様々なことを身につけ、学び、感じる事が出来ました。

    まずはじめに来て驚いたことは、自分のなまけた心、態度、考えです。想像以上に自分は今の環境に感謝が出来ていないと感じました。

    例えば、当たり前にスマートフォンが使えたり、好きな時間に好きな物を食べられたり、という「当たり前」と思っていた事全てです。私は10年以上前に東日本大震災で被災しました。当時、福島県浪江町に住んでいた私は地震、津波、原発事故の全てを被り、着の身着のままひたすら遠くへ避難をしました。この経験を通して「当たり前」の有難さを認識していたはずが、時が経つにつれてその認識が薄れていきました。最近は夜遅くまで起き、夕方に寝る生活が続いたり、一人暮しが故にご飯を抜いたりとひたすらなまけた生活を送っていました。そのため今回の修行は非常に辛いものでしたが、その反面普通の生活への有難さ、当たり前と思える有難さを非常に実感することが出来ました。もちろん人はすぐには変われない為修行中に不満や愚痴をこぼすこともありましたが、最終的には身も心もすっきりし、清々しい姿へ変わることが出来た為来て良かったと思います。

    法話ではチャンスを掴むことの大切さを学びました。今まで私は生徒会に立候補したり、ある企画でフランスへ行ったりと多くのチャンスを掴んできたつもりです。しかし最近は特にチャンスを掴めるような場面にそうぐうしたり立ち向かったりとしていません。その為今回の法話を通して社会人として新たな自分を切り開き、積極的にチャンスを掴みに行こうと思いました。すぐに大それたことは出来ないかもしれませんがコツコツと今回の修行の様に地道に努力を重ねていつか大きなチャンスを掴みたいです。

    以上を通して今回研修を組んでくださった社員の皆さん、修行のご指導をして下さった天光寺の皆さん、そして共に頑張った同期の皆には非常に感謝をいたします。この感謝を忘れずに今後は生活を見直し改善した上で新しい自分に成長していきたいです。改めて2泊3日、お世話になりました。有難う御座いました。

    2泊3日の研修を通して学んだことは2つ。「1歩目を踏み出す勇気」と「自分自身の在り方」です。

    法話を聴いている際、チャンスについての話がありました。そのチャンスをつかむまでに自分の中で色々な選択があり、後悔のないような選択をしていた。その話からその時自分の損得勘定に左右されず、まずは物事を行い、後々「あのときの選択が自分にとってチャンスだった。行動して正解だった」と思えるように日々出来る出来ないではなく、やる、行動するということを常に思っていようと思う。

    「自分自身の在り方」については法話の中でいくつか共感できる部分があった。話の中で分からないことを分かったふりをせずに素直に分からないと言い、教えていただくと聴いた時に、自分の中で自身の気持ちに正直でいるというのを常に思っているので自分の生き方に更に自信がついた。

    また常に自信を持ち続けるということに関しては研修を受けるまでは自身が常にあるかと気かれるとそうではなく、時に自身の行動を過度に振り返ってしまうこともあった。

    これからは法話で聴いたことを心にしまいつつ、業務を行っていきたい。

    これまでの人生の中で自分のやってきたことを否定して、何か新しいことを行うということは出来るだけ避けてしまっていた。

    しかしこの期間でそれは間違っており、恥などではなく、間違ったままにしておくというのが一番恥ということを知ることができ、とても感謝しております。

    今後悔しくても過去は変わることはないので、今から新しい景色を見れることを楽しみながら日々生活を送っていきたいと思う。

    最後に、この機会を設けてくださった会社の方々、様々なことを教えてくださった天光寺の方々、一緒に乗り越えてくれた同期のみんなに感謝したいです。

    ありがとうございました。

     

    1泊2日天光寺でしゅぎょうをして楽しかったです。わたしがここに来た理由は、うそをついたことやお母さんのお金を取ってしまったことややるべきことをやらなかったことで天光寺にしゅぎょうに行くことになりました。しゅぎょうをしているうちに私が今までやってしまったことが意味の無いことだとちゃんとわかりました。今までやったことをやらないようにするには意味のあることを考えて、行動すれば今までの考え方や行動を正しくすることができると思います。

    天光寺では、あらいものやせんたくやごはんのじゅんびは一人でやったり、みんなでやったりしているので家でも同じようなことをやりたいと思いました。天光寺でのしゅぎょうは自分の努力と勇気とがんばりをさらに引き出す、自分にとってとてもいいしゅぎょうでした。

    みじかいしゅぎょうきかんでしたが、心や体がスッキリしてしゅぎょうもがんばれた気がします。スッキリした気持ちを持ってお母さんに会いにいきたいと思いました。お母さんと1日はなれてとてもさみしかったので、お母さんと会えなくなるようなことはもうやりたくないです。

    おきょうは少しむずかしかったけど何回もとなえると少し覚えることができました。天光寺でしゅぎょうしている人や日帰りの人が仲良くしてくれてとても楽しかったです。ごはんもとてもおいしかったです。しゃきょうはむずかしくてうまくはできませんでした。たきのしゅぎょうは体がスッキリしたけどとてもこわかったです。お百度まいりは走るのがすこしつかれましたが楽しかったです。

    天光寺の人もいろいろおしえてくれてとてもやさしかったです。

     

    今回の修行体験からたくさんのことを学びました。

    まずは挨拶の大切さです。ただの挨拶ではなく、心を込めて言葉に出すこと。それによって自分自身にも相手にも誠実でいることが出来、気持ち良くすごせると思いました。

    次にお百度参りと滝行に行きました。滝行は想像していたよりもずっと怖かったです。水の冷たさ、勢い、音、すべてに体がびっくりしてしまって、呼吸が荒くなり、自分をうまくコントロールできない状態になりました。ですが水から出た後は、スッキリとして達成感がありました。頭の中のモヤモヤしたものもなくなって(浄化された)視界もクリアになりました。

    法話を聞いて思ったことはとにかく言葉の大切さです。思考が人生を作るのだから、消極的な言葉を使わず、前向きな言葉を心がけて自分の人生の主人公になりたいと思いました。

    今までの自分の人生を振り返ると、ネガティブな言葉にフォーカスを置いていたと思います。昔の記憶も悲しいこと、苦しかったことが多いです。それがトラウマとなり無意識に自分はこういう人間だとマイナスな方向に受け入れ自分自身に呪いをかけていたと思います。

    これから本当の意味で変わるために、この1泊2日教えて頂いたことを実行していきます。この1泊2日の中で一番楽しかったことは、朝早起きしてからのおそうじです。1階と2階をワイパーして階段のそうじ機がけ、ふとんにカバーをしました。感謝の気持ちを伝えられているみたいで気持ち良かったです。

     

    きっかけは自分がやせたいために家のお金を使い込んでしまったことでした。子供達から預かったお金もです。

    以前、息子が天光寺さんでお世話になったこともあり、そんなに反省しているなら滝にうたれて来なさい。と言われました。本人もここでの一泊が自分を変えるきっかけになったからです。

    ここに来る前に主人ともいろいろ話しました。まず私が自分の考えている事、感じている事を話さない。お金は大事だが大切に感じていないこと。その原因を話す中で、子供の頃の母の厳しさ、お金のことで両親が揉めている事が今でも思い出す事、いわゆるトラウマなのでしょうか。母の厳しさから逃れるために、話をせずに自分を殺す事が最良の対応でした。だから必要な事やどうでもいい事は話せても、自分の考えや内面的な事はおこられる、否定される、つぶされると思い話せませんでした。それでも十代後半から二十代は自分の事だけを考えて積極的に生活していたと思います。ただ結婚、出産など自分だけではなくなった頃から自分を閉ざしてしまったのかもしれません。家庭を持ったのだから。主人と話をしていて、あの頃ああ思った、あの時こうだったと今頃話をしました。なぜ今頃と言われましたが当時は全部そういう想いを殺すことがベストだと思っていました。

    法話の中で「自分を愛する事」とおっしゃってました。

    愛していませんでした。自分の心を大事にしていませんでした。息を整える事をしていなかったせいで大事な事が見えていませんでした。こうして冷静になれば、自分が何をして誰かを傷つけた事が少しずつ見えてきました。

    自分のコンプレックスがすべて原因です。やせたいと思ったのも、やせた知人を見てからのねたみやしっとだったと思います。もっと自分に素直になれていたらこんな失敗はなかったと思います。

    滝行をしても、お百度参りをしても、動くことに夢中で願掛けする余裕がありませんでした。

    ただ日常ではない時間と場所で冷静に考える時間をもらえた事に感謝しています。

    すぐに答えが出る物ではないのですが、自分が何をしなければいけないか少しわかったような気がします。

    今回のすべての経験を無駄にしないように前に進むのみと考えます。

    天光寺さんへ行くように勧めてくれた息子や家族、天光寺の皆さんに感謝します。

    ありがとうございました。

     

    今回修行にこさせていただきありがとうございました。
    感想を記載していきます。今回の法話では天光寺の特徴、即身仏の話が聞けました。そこから仏教の発祥の地がインドだというのを聞きました。今のインドには仏教が無いことを知り、仏教は日本でこの先も継承されていくべきだと感じます。私も小さい頃から葬式の場等で南無阿弥陀仏という言葉を聞いてきました。その言葉の意味は理解できていませんでしたが、今回は言葉を知り、南無大師遍照金剛という言葉も知ってこれから誰かを応援、自分を応援する時は南無大師返遍照金剛という言葉を心で唱えたいと思います。
    また自分には、心の持ち方の考えも響きました。常日頃、文句を言ってしまう事や不平不満を感じることもありました。ただそんな自分を受け入れつつ感謝や許すというポジティブな考え方は是非これからの人生でも続けていきます。そうする事で人生が豊かで幸せになれるだろうと信じます。
    空海が日本に戻って来て初めて建立した京都の東寺にも一度行ってみたいと思いました。私は父を中学生の時に亡くしています。その葬式のシーンで自分は真言宗だと知りました。ただ自分が真言宗だという事実をここに来るまで忘れてしまっていました。今回友人に誘ってもらってこちらに来させていただきましたが、真言宗のお寺で修行中のお経にききなじみがありました。そこで思い出したのです。このタイミングで真言宗のお寺に来させていただいたのも何か縁を感じます。なので今回学んだ心の持ち方と南無大師遍照金剛を胸にこれからも過ごしていきたいと思います。最後に天光寺を建立された住職の言葉がすごく響いたので記載したいと思います。「人生の主人公は自分」「輝くために生まれてきた」「人は皆目標目的を本当は持っている」住職の言葉は今を生きる人たち、特に日本人には必要なのだと感じました。私の主観もありますが今の日本には相手と比べる、相手の顔色を伺うという人が多くいると思っています。なので、人生の主人公は自分なので相手と比べず今日の自分から明日へ一歩一歩進んでいけたらと思います。

     

    ここでのせいかつはつらかった。一ばんつらかったのはたきぎょうです。なぜかと言うとたきぎょうはさいしょ足がいたくて、たきにはいるといきが2,3びょうできなくなりました。そしてたきをあびつづけたらあたまがいたくなりました。つぎはおてらの中です。中では朝にはみがきをするときにチョッキをわすれたり、せんたくものを夜ほさなかったりしました。かごをもっていかないでじめんにおいたりしました。なんかいも。おてらのひとに声がちいさいといわれました。夜ねるまえにどんどんあるいていたらおこられました。あと、かいだんもどんどんあるいていたらおこられました。ほかはおぼんをきれいにふかなかったりしました。ふとんをかたづけなかったりしました。トイレのドアをちゃんとしめなかったりかってにまどをあけたりしておこられました。おこられないようにきをつけようとおもいました。かってにやらないようにしようとおもいました。ママ、パパ、妹、いつもめいわくかけてごめんなさい。あとはないたりしてごめんなさい。せなかをぶってごめんなさい。つぎからはママ、パパ、妹にめいわくをかけないようにします。いつもこまらせてごめんなさい。

     

    引っ越し先の部屋に住みだしてから、ラップ音に悩まされています。絶対に見えない誰かがいる気配がして、飼い犬も吠えたりしていました。体調も悪く仕事へは行けないようになりました。
    ネットで調べていると、霊障についてとても詳しく書いていた天光寺さんが気になって思い切って相談する事にしました。相談の結果、お祓いをすすめられ、予約させて頂きました。気分も優れないために、早い目にお祓いをして頂きたくて、無理言って直近で空いている日を教えて頂き予約を取らせて頂きました。
    家族3人まで一緒にお祓いをして頂けるとの事で、父と同時に体調の優れない母も一緒に行くことにしました。
    お祓いが始まると、母の身体が揺れ始めていました。また自分自身もふわっとした感じで合掌している手が上に上がって動き出しました。母と自分は霊感があるようで、神の気を受けているとの事で、『神受』という儀式を受けた方が身体はもっと楽になるそうなのです。ご住職より説明あり、このような体質では、お祓いをして一旦良くなってもまた同じ繰り返しになるようです。考えてみると確かにそうだと思いました。母親は元々昔から、そういった不思議な現象が起きたり、身体が重くしんどい日が続いたりと経験してきており、神受をしてもらえれば母は楽になるのかと思い、家族で相談して神受をして頂く事に決めました。
    ご住職のご厚意で、母は神受けの時に使うという旗を手渡されました。すると、太鼓の音が響く中、いきなり母の身体が大きく跳ねだしました。非常にびっくりさせられました。
    この世にこういう知らない世界や力があることを知らされました。少しの時間でしたが、試しに受けたあと、母の顔つきが今までに見たことのないくらいになんだか曇りがとれたかのように良くなりました。これは効果が必ずあると私は確信しました。
    母や自分が霊障に左右されずにこれから安心して生きていける事を祈っています。今後ともよろしくお願い致します。

    私が天光寺にお世話になろうと考えた理由は一年前の理不尽な左遷について未だに気持ちを整理しきれていないからというものである。
    全く予期しないまま、明確な理由も告げられず、突然の内示となった際の衝撃や絶望、屈辱、困惑は今でも消え去っていない。また、当時の職場に対する不信感も引きずっている。
    そのような状態で一年間過ごし、何かにつけて「こんなはずではなかった。なぜ自分はこんなことをしているんだろう。」と考えていたが、十月に転機が訪れるはずと信じていた。にもかかわらず、現状が変わらないことが分かり、これからは日々、無駄に過ごすことなく毎日「今日は充実していた」と思えるようになろうと考えて前途の通りこちらにお邪魔した次第である。
    今の職場の同僚は皆実直に仕事に取り組んでおり、活気もあって全く不満はないし忙しく働けている。また、要は常に前向きの思考であり一年前の時点でも「今のままの職場だったら鬱になっていただろうから、転勤出来てよかった。悪い上司に当たっただろうし、どの職場でどの仕事をしていてもあなたの価値は変わらない。今の職場が充実しているのなら最高ではないか。」などと励ましてくれている。
    私自身としても少しずつ執着が少なくなってきているように感じるが、本当にそれでいいのかと自問する自分もいる。法話のDVDを拝聴して自念障害というお話が出てきたが、正に自分に当てはまる内容ではないかと思った。
    せっかく少しずつ時間や環境のおかげで心が中和されてきているのに、無理矢理元に戻そうとしているのではないか。多分性格的なものだと思っていたし、妻からも呆れられて「早く寺に行ってこい。」と言われていたが…
    そのような中、滝行に参加させて頂き前日の雨の影響で水量が増しているという小天狗の滝へ入っていった。想像以上の冷たさと衝撃で途中離脱したくなったが、お寺の方の「せっかくここまで来たのだから、止めるのはもったいない。」との言葉を思い出し、何とか最後まで入りきった。御宝号を唱えながらも心の中では「やってやる。やってやる。」と自分に言い聞かせていたが、これも法話の中の「負けてたまるか。」「やってやる。」と付合しており、こちらでお世話になった甲斐があったのではないかと得心している。
    また「人が自分を認めない心配よりも、自分が人を認めない心配をしろ。」というのもまさにその通りである。
    自分でも心の持ち方次第であるということは十分理解しているし、そうすべきであるとも分かっているが、足を引っ張ろうとする自分もいる。どなたかにはっきりとさとして頂きたかったのかもしれない。
    法話で教えて頂いた「積極的になれ。」「舞台を演じる役者になれ。」「光り輝く存在で生まれたのだから、光り輝く存在で戻らなければならない。」という言葉を指針に少しずつ気の持ちようを変えていきたい。

     

    法話の感想は困難に立ち向かう力、がまんする力などが大切と言っていた。今現状そういうのをさけてしまっているから家に帰っても困難に立ち向かったりがまんする力をきたえようと思います。そして将来の夢が広がるように勉強したり努力がとても大事という所は家に帰ってもおおちゃくを絶対せずに一生けんめい勉強にとりくもうと思いました。それからこの建物を建てた理由などこのお寺についてよくわかりました。おしゃかさまの話からどんどん話を広げていっていておもしろかったです。マンダラとは何なのか最初何もわからなかったけれどそれがわかって、仏教のはっしょう地がどこかあいまいで知らなかったけれどインドと教わりました。日本人の祖先は猿だと決めつけていたのに本当はアイヌ人だと知りました。ここで過ごして思ったことは、ぼくは家でもねっころがったりしてぐーたらしていました。しっかりキチキチした生活をすると体が思うように動かなくつらかったです。しかし先生が少しずつ教えてくれて、来る前よりはだらけるクセがなくなったと思います。それでも少し大変な時薬を飲みわすれたり勉強がやれなかった時もあるので、薬は飲める時や覚えているうちに飲んでしまい、勉強はやれる時にやり終わらせるようにしようと思いました。それから先生や年上のお兄さんを呼び捨てで呼んだり、そうじの時はしゃべり言葉で話してしまいました。それを来ていた大人にそうだんしたら、大人になったときけい語をつかえないとはずかしいから少しずつみにつけたほうがいいと言っていました。だから家でも少しづつけい語を覚えてしつれいのないようにしようと思いました。
    家に帰って気を付けることは、勉強に集中すること。薬を飲める時に飲むということ。これをきをつけます。そして大人になったらけい語などいろいろつかえる大人になりたいです。

    たき行は寒いよりも痛かったです。どんなかんじだったかは、かたいボールがぶつかってくるかんじでした。たきに入る前は足がかたくて動かなかったり寒かったです。たきに入ったらすわったりしなきゃいけなかったからじごくでした。おひゃくどまいりでは、足が動かなくなるまで走りました。みんなにあわせて走らなくちゃいけなかったのがいがいとむずかしかったです。でもそのおかげで「南無大師遍照金剛」は覚えられました。そして夕方ぐらいに3人で般若心経を1時間読みました。そしてれんしゅうしたから般若心経を半分覚えられました。リズムもけっこう覚えられました。早起きもできなかったけれど早起きが出来るようになったし、せんたくきもつかえるようになりました。あとしょっきあらいもできるようになったし、文をよむこともできるようになったし、そうじもできるようになったしいろいろできるようになりました。

     

    空海様のお話を聞いて改めてすごい人であることが分かりました。どの場に行っても学問でも一位、中国のお寺でもその寺を継ぐ人と一目で人に認めてもらう事が出来る人、そのようなオーラがある人なのかと思いました。
    また、人は生まれて一番に守護してくれるのは「ビッグバン」とのこと。宇宙の誕生から、今の人間、自然全てが繋がっている事、それが曼荼羅である事、全てが繋がっているので安心にもなり、何かの良い悪い自分がした作用が回りまわって自分にも影響してくると思うと全てをなるべく丁寧にしていくことが大切なのかと改めて感じました。
    あとは意思強くポジティブに考えることで今も将来も現実になることで、日々良い思考で自分を満たしていたいと思いました。
    他にも「朝」というので、人が生まれる「十月十日」が字の中に含まれているなど漢字の意味にも宇宙の本質が入り全ては宇宙の法則の中で日本の文化も生まれてきたのだと思いました。
    宇宙の本質の理解、感じる事・・・
    自然と一体になる時間を増やしつつ、その中で安心を増やして強い意志を持ち、何か徳を一日一つでも得ていけると良いなとしみじみ思うことが出来た時間でした。このVTRの後に、直接住職からもお話を聞いて「徳」は家族とかの血筋により元々の生まれた環境により量は違うのかもしれませんが、普通の家族に生まれた私ですが、少しでも家族全体の徳が上がり、増すように行動と言動に気を付けて日々過ごしていきたいと思います。
    三日間の寺での生活、学び、寺の方々に感謝含めて有難うございました。

     

    先週から急に体調が悪くなり、吐き気やめまい、幻聴に悩まされていました。病院で検査するも特に問題はなく、精神科受診を勧められてしまいました。このような体調不良は初めてで納得がいかず、自身でも色々と調べていたところ、霊障かもしれないと思い、こちらの天光寺さんに辿り着きました。問い合せをしてみたところ、霊が取り憑いているかもしれないし、邪気であるかもしれないとの事で、お祓いをしてもらう事を決意しました。電車とバスを乗り継いでようやく天光寺さんへ到着し、インターホンを鳴らすと急に身体のバランスを崩してしまい、玄関前で転んでしまいました。お寺の方が助けて下さり、無事に中へ入る事ができました。自身についている悪霊が嫌がっているとの事でした。ご住職に改めて相談をして説明を受けました。そして大日如来様のいる本堂へ案内されました。目を瞑って合掌すると身体がふうっと後ろへ倒れる不思議な感じでした。次にお祓い部屋へ案内して頂き、座って待っていました。身体がだるく、めまいもありました。呪文のようなものが流れ始め、身体も強く揺れ始めました。また次に、ご住職のお経の間、身体が苦しくなり吐き気に襲われました。自分の身体から嫌がりながら何かが抜け出していくような感覚がありました。とても怖くてしんどかったのですが、無事に悪霊が祓われたのを聞いてとても安心しました。そしてヒーリングというもので、アフターケアをして頂けました。視界がスッキリと綺麗に見えるような感覚でした。今まで霊媒体質であることに気付かずに生きてきましたが、今思えば不思議な体験もあったなと思います。もうあのような苦しみは二度と体験したくないです。帰りに書物を頂きましたが、とても良い事が色々と書かれていました。自身の考え方などを改めて、アドバイス頂いたことにしっかり取りくんでいきたいと思います。ありがとうございました。また時々訪れたいと思います。

    都会から離れて、電波もとどかない山の中での生活は色々と我慢することが多く、普段の生活がどれだけ自由であるかを感じましたし、自分がどれだけガマンが出来ない頭になっているかも思い知らされました。新しい体験をもとめて、今回修行に参加しましたが、けっして楽しいことではありませんでした。自分がどう思うのか、どんなものがキライなのか、好きなのか、ガマンできるのかなど「自分自身」を少しだけでも考え、思うことが出来たように思います。また自分の思考や言葉が自分自身に影響される、運勢を悪くするなど自分自身の内心面を知ることが修行の一つなんだと感じました。
    滝行や走ることや登ることなど体力的な面は自然の中で肌で感じることができリラックスすることができました。しかし繰り返していくうちに新鮮味がなくなり楽しめなくなることがあります。また終わりが分からないこともガマンがつづかない要因の一つだと感じました。あきやすく集中力がつづかない。気がちって眠くなってしまいます。
    何の為に修行をしなければならないのか、色々なかんがえがあると思いました。二日の中ではあまりきびしく、時間にそって、細かくすることもありませんでした。いそぐ必要もありませんでした。
    自分を本当に変えるには自分に合った方法が必要とのことでした。自分を知り、良くない習慣に気づく事、外と中へのアンテナを磨き受けとめることが出来るよう今後に生かしたいです。

    天光寺の体験修行へ来てまず感じたのは日頃の両親への感謝でした。いつも両親がやってくれている洗たく、洗い物、掃除などの家事の大変さを知りました。この中でも特にトイレ掃除と洗い物が大変でした。トイレ掃除は寒い中かがんで便器を拭くのが一番大変でした。洗い物は油汚れを落とすのが大変でした。またなべなどの大きな物を洗うことがあるうえ、かがまなければいけないので腰も肩も痛くなりました。いつも両親は仕事もやりながらこんなに大変なこともやってくれていることを知って深く驚くと共にとても感謝しました。
    また滝行に行ってとてもスッキリしました。行く前まではとても怖かったし、お百度参りも山登りも大変でした。しかし滝にはいると、よこしまな暗い気持ちが消えていきとてもスッキリしました。息がしづらくとても大変でしたが周りの人の力強い応援のおかげでなんとか耐えることができました。滝行はとても貴重な良い体験になったと思います。
    滝行から帰った後、めいそうと読経と写経をやりました。めいそうはとてもリラックスできてさらにスッキリしました。読経は途中までとても大変だったけど一度波を超えると心地よくなってきて一時間でしたがとても短く感じました。写経はとても大変でした。普段から習字は習っているのですが、習字とはまた違い一文字一文字集中して写していくと般若心経がみについていく感じがしてとても有難い経験をできたと思います。
    料理は先生の手作りでした。いつも肉や魚を食べているので三食とも精進料理を食べるのは少し辛かったですがどれも工夫されていておいしかったです。夜にはフルーツも食べることができてとても嬉しかったです。
    次に法話を見ました。はじめて聞く話ばかりでとても為になりました。私が一番心に響いたのは「マイナスな言葉は口に出すと残ってしまう」ということです。私は思ったことをすぐ口に出してしまうので、マイナスなこともよく言ってしまいます。また、心が体に影響を及ぼすということも知ったので、これからは心をできるだけポジティブにするように心がけたいと思いました。他にも私は生きる上で大切なことを五つ学びました。心を強く持つこと、チャンスを活かすこと、積極的に行動すること、がまんすること、努力することです。当たり前だと思うことも一つ一つ気を付けて意識してやることが重要だと思うので、法話で学んだことも日常的にできるように心がけていきたいと思います。
    最後に、私は天光寺へ来る前に校則を破ってスマホを出したり、補導されたり、ルールをたくさん破ってしまいました。しかし天光寺へ来て体験修行や家事、法話のビデオを通してここまで育てて、家事や仕事をやって来てくれた親への感謝と申し訳なさをとても感じました。
    三泊四日という短い期間ではありましたがたくさんの学びと気づきを得ることができました。冬休みになって生活習慣が乱れがちだったので帰ったら六時起床、十時就寝を続けていきたいと思います。また、勉強や宿題を頑張り、手が空いたらすこしでも親を手伝おうと思います。いきなり全部始めるのは難しいかもしれませんが少しずつでも行動や態度を改善できるようにがんばりたいです。

    昔から家庭内での問題が多く、両親の親も離婚をしている事などから複雑家系でした。両親も喧嘩が絶えず家の中はいつも居心地の悪い環境で、友達や他の家族がいつも羨ましく感じました。自分自身は必ず幸せな家庭を築きたい気持ちが大きくて過ごして来ました。そして無事に結婚し、二人の子供にも恵まれました。しかし、旦那とはやはり上手くいかずに離婚することとなりました。子供を育てる為に仕事も両立して懸命に頑張ってきましたが、今回、娘が引きこもりになってしまい、変な事を言ったり暴れたり、こちらのいう事に全く耳を傾けてくれる事なく心配の絶えない日々を送っていました。
    息子もまた事故に遭って入院するなど、不幸が重なり自身も限界がきていました。そんな矢先、職場の先輩からお祓いを勧められました。その先輩も数年前に家庭不和で悩まされ相談した結果、先祖供養をされたとの事で事態は安定したというのです。
    紹介されたのが『天光寺』さんでした。まずは電話で相談をさせて頂きました。先祖の中で自殺者がいる事を言い当てられたので驚きました。早い目にきちんと供養した方が良いとの事で、お祓いの予約を取らせてもらいました。
    お祓いの当日、息子と嫌がる娘を何とか連れ出しお寺に向かいました。娘はお寺の前でとても拒んでしまいましたが、お寺の方が優しくサポートして下さり中へ入る事ができました。
    ご住職とのお話では、娘は霊媒体質が強いようでした。そしてご住職のお祓いが始まると、娘に変化が現れました。初めのCDが流れ出して、娘は後ろへ倒れてしまいました。そしてご住職がお経をあげ始めると、娘は苦しむように泣き叫び、嘔吐もして、息子と二人で唖然としてしまいました。明らかに悪い物が憑りついてしまっていたのが分かりました。
    先祖供養に加え、名前は忘れてしまいましたが、自殺の人の為の供養も一緒に行っていただきました。お祓いが終わり、娘は疲れてしまっていましたが、『スッキリした感じはある。気持ち悪くなくなった。』と少し安心した様子でした。
    娘への憑りつきがきつかったようで、まだ完全ではないとの事で、相談して今後娘が安定できるようにしていきたいです。よろしくお願い致します。

    まずこの度は貴重な経験をさせて頂きありがとうございました。日常生活の中では中々出来ないこと、触れることのできない環境に身を置くことができ、あっという間に時間が過ぎていきました。
    今回この体験修行に申し込んだ理由は、自分自身を見つめ直し、自己成長につなげていきたいと思ったのがきっかけでした。挨拶などの作法からはじまり、お百度参り、滝行、写経、仏経、めい想、法話、般若心経を唱え続けると一通りの体験をさせて頂いた中でとくに印象に残っているのは滝行と法話の二点です。滝行では水(自然)と争うのではなく受け入れて一体となることで呼吸のしづらさから解放され、逆にパワーをもらえているような感覚になりました。法話では自分自身が物語の主役。より良い舞台で活躍していけるかは努力と知恵をセットで活用していく必要があるという言葉が心に響きました。

    大切なこと4つの「困難に立ち向かう」「がまんする」「本来あるべき姿」「人間力」の中で「人間力」が一番大切だと思いました。人と接する時にコミュニケーション能力が一番大事だと思ったからです。二つ目は「生老病死」の中に「生」と「死」という真逆の漢字が入っていて人生は奥が深いなと思いました。
    三つめは、人間は無意識にやっていることが多いと知り驚きました。四つ目はチョッキは空海と一緒に修行をしていると知って驚きました。五つ目は仏様は連携プレイであると知り驚きました。先生の説明がとても分かりやすかったです。六つ目は日本には日本の文化がありその内の一つである仏教は様々な種類があり、発祥の地がインドだということです。七つ目は昔のお寺は相談や修行だったのに今ではおそう式などが多いところです。なぜそうなったのか不思議です。八つ目は真言宗というのは言霊という意味だったことです。九つ目は今インドには仏教があまりないことです。
    先生の話を聞いて、四つの大切なことを守り積極的に生きていこうと思いました。天光寺で学んだことはメリハリ(けじめ)をつけることと協力しあうことです。メリハリをつけることはやるべきことを特に集中して出来ると思ったからです。協力し合うことは人とのコミュニケーション能力があがるし、早く色々進めることができると思ったからです。これからはできるだけ人に優しく接して行きたいと思いました。ありがとうございました。

    私は一昨日、不登校改善のためお寺に訪れました。
    不登校の経緯を説明します。中学二年生の十月頃、コロナに感染しその一カ月後の十一月頃にコロナ後遺症となりました。二カ月ほど症状のため学校を休み、一月の新年から通うはずだったのですが、精神的な病気(うつ病、社交性不安障害)となり、また学校を休みました。
    振り返ってみると学校で特別嫌なことがあったわけでもなく、正直何故自分はここまで学校に行かなかったのか不思議でした。
    ここにきてなんとなく自分のことが分かってきたような気がします。
    中学二年で休むまで、勉強や部活を妙なやる気で頑張っていました。中学でとれたテストの点も大したことないのにほこりに思っていて、部活も下手くそでしたが仲が良い友達が沢山いて、先生にも朝練の積み重ねが認められていたことがうれしく、それもまたほこらしかったのだと思います。そういう小さい事の積み重ねの自信のようなものが崩れるのが嫌だったのだと気づくことが出来ました。プライドが高かったのだと気づき、自分自身をもう一度振り返る事が出来たと思います。
    高校は通信制ですが試験に受かることが出来たので、また週に5回学校に通い始める事になります。不安もありますが、また不登校になることがないようしっかりとどうするべきか考えていかなければなりません。
    直すべきだと思うことは見たり聞いたりしたことを悪い方に解決したり、嫌なことばかり考えたり、思い込み(自分で考えたこと)を客観視せずに本当のことだと思い込んだりしてしまうところだと思います。もっとあるのかもしれないですが3つは考え方の悪い所なので、どうにかここで改善していくことができれば良いなと思っています。
    家でダラダラと過ごしていたら気付くことが出来なかったと思うので、ここに来て良かったです。
    二日と半日しか過ごせていませんが、滝にあたったり、めいそうや写仏など色々な事が出来て新鮮で一日一日がとても長く感じます。朝のそうじやご飯の準備など忙しいですが辛いとか帰りたいとは思うことはなく、楽しく生活することが出来ています。そうじの大変さや早朝にそうじする気持ち良さも感じる事が出来て良かったです。これからも頑張っていきたいと思います。

    日々の忙しさ、家庭でのこと、仕事でのこと。
    めまぐるしい毎日で時間に追われていました。
    私には子どもが三人おります。子ども達の教育資金や貯金を勝手に使ってしまった主人。
    長女が大学入学した年に脳出血で倒れ半身まひの身体になりました。
    私は大学入学と同時にパートをはじめ、今は職場のリーダーになりましたが、ねたみやしっとの目にも悩まされるようになりました。身体はもちろん心も疲れてしまい、もっと強い自分になるためにこちらで修行しようと思いました。
    滝行に入る前、礼儀作法、呼吸法、瞑想を教わりましたが一つ一つに意味がありとても落ち着きました。滝行は思ったより滝に行くまでが険しくびっくりしました。滝に打たれた時は本当に無になりました。
    お経はずっと発声しているのもつらく、お腹から声を出すのが大変でした。ふだんなにげなくすごしていますが一つ一つをしっかりこなすのは修行が足りないのかもと感じました。
    自分を見つめる良い機会でした。ありがとうございました。
    もっといろいろ伝えたいことがありますがうまく文章に出来ずすみません。

    身体の調子が悪く、精神的にもおかしい感じがしていました。誰かに髪の毛をつかまれ引っ張られるような感じがしたり、頭を挟まれ、圧力をかけられる感じもします。肩や背中はビリビリ痺れを感じます。心療内科を勧められ受診したのですが、気のせいだと相手にされませんでした。日常生活が脅かされつつあり、どこに相談してよいか分からず悩んでいたところ、天光寺さんを紹介されました。たまたま昔の友人と会う機会があり話していたところ、その友人が滝行をしたお寺でお祓いをしているというのです。それが天光寺さんでした。「お祓い」というのはピンときませんでしたが、助けてもらいたい気持ちしかなく、何かの縁と思いお願いすることにしました。最初は金額的にもどうなのか見当もつきませんでしたが、説明もきちんとされていたのでやってもらう事にしました。
    山奥の静かな所で空気が澄んでいました。建物に入り寺院内を案内されると仏像や曼荼羅が並んでいて迫力を感じました。お祓いの部屋は少し怖い感じがし、緊張しました。
    最初に大音量のCDを聴きましたが、突然手がブルブル震え始めました。止まらないのでどうしてよいかわかりませんでしたが、なるがままに任せていました。お経を唱える段階に入るとますますおかしな感じです。唸るような声が勝手に出始めました。「貴方誰だ?」と住職から声を掛けられるのですが、唸る声が激しくなるばかりです。そして何か憑りついている霊を天に昇り成仏するように導いてくれたようです。終わった後、身体を整えてくれ、体の通りが良くなった気がしました。とても軽くなったように感じました。
    私は今まで霊など全く関係なく生きてきたのですが、実は憑きやすいタイプの人間で、今回こういう見えない世界があることを身を持って体験しました。
    思い返すとこだわりが強く神経質なところがあり、そういった性格、気質も関係している様なのです。頂いた資料を読んで、気持ちを新たにして生きていこうと思いました。
    次回、ぜひ滝行も体験したいと思いました。本当にありがとうございました。

    私は親に甘えすぎていたり、学校に行かなかったことが原因で天光寺に来た。
    ここに来てからは親と離れて過ごすようになり、ほとんどの事を自分や仲間と共にやっていくことが多くなった。
    ここで過ごしてみて親の大切さやありがたさなどを多く知ることが出来ました。
    天光寺に来てからは辛いことが多くあった。だがその分ここで学べたことや考えさせられることも多くあった。
    例えば、滝行に行くまでの道や滝行の最中などは辛かったが車に帰った時の達成感は多くあった。
    その他にも、ここに宿泊に来ていた方に辛い時は楽しいことが待っていると思うようにしているという話をしてもらい、辛い時を乗り越えていく方法を教えてもらいました。三日間過ごして、辛い時や仲間と協力して何かやる時、一人で過ごすとき、仲間と楽しく過ごしている時など様々な時を過ごしてきたが辛い時は逃げてしまうことがあった。他の方と話した時やこの寺で過ごしたことを通じてこれからは逃げずに立ち向かっていきたいと考えられるようになれた。残りの滞在日は辛い時でも逃げ出さずに立ち向かっていき、親に甘えていたころの自分を一から見直していき、ここで学んだ、自分で物事をする力や辛い時にも逃げ出さないで立ち向かっていく力、そして仲間の大切さなどを生かしていきながら過ごしていくことを大切にしていきたい。
    そして最後は自立していて、自分の力で物事に立ち向かうことが出来るようになり、辛い時や学校などからも逃げずに立ち向かうことが出来るような自分になって親と会い、学校にもちゃんと登校出来るようになり、もうここに来ることがないように自立し、ここでの体験を生かして真面目に生きていくことが出来るように努力していきたい。

    私は天光寺に生活習慣を改善するためと感情をコントロールするために来ました。
    二週間天光寺で修行してみて、人間として成長できたと感じています。以前は出来なかった朝一人で起きることや夜早く寝ることが出来るようになり、生活習慣を改善することが出来ました。また、瞑想を毎日行ったことでマイナスな気持ちや雑念を吐き出すことができ感情をコントロールできるようになってきました。家に帰った後もイライラした時や、心が晴れない時に瞑想をして自分をコントロールしていきたいと思います。
    天光寺には毎日国籍を問わず多くの人が修行しに来ており、色々な人と関わることが出来てとても楽しく貴重な経験をすることが出来ました。
    法話の中で先生が話していた、積極的な心を持ち生きる、努力と知恵を使え、何事も今の心に始まるという言葉が心に残り、私もそんな生き方のできる人間になりたいと思いました。
    これからは人を傷つける言葉や悲しみなどの消極的な言葉は使わずに勇気や喜びを与えられる言葉を使っていきたいと思っています。また下を向かないようにして前を向いて頑張っていきたいと思います。
    食事の前と後に必ず食前の言葉と食後の言葉を唱えるという決まりがありその言葉を毎日唱えることで食事の大切さや食べ物に対する感謝をより深く知ることが出来ました。これからも感謝の気持ちを持って毎食を大切にしていきたいです。
    天光寺で学んだことを頭に入れ、これからの生活に生かしていきたいと思います。また学んだことをしっかり復習して、その先の新しい収穫や新しい物を発見していけるように継続していきたいと思います。天光寺に修行に来たことで悪いものがとれスッキリした気分になることが出来ました。以前の自分とは違った自分になれた気がしています。親への感謝の気持ちを忘れずにこれからも努力し、立派な人間になれるよう頑張っていきたいです。また天光寺で働いている人達への感謝も忘れずに生活していきたいと思います。

     

    今回二回目の体験修行でした。前回と同じくお百度参りと滝行、経行、写経をさせていただきました。流れが分かっていたので前回より心にゆとりをもって取りくむことが出来ました。滝行は前回より水は冷たかったですが、入ってしまうと体が温かくなり、自然との一体感がとても気持ち良かったです。経行も何度も読みこむと必ずよみまちがえる所があり意識して読むことでスムーズに読めるようになったのがうれしかったです。最後の言葉の響きが好きです。写経は前回よりもすみを濃くすることで見やすくなった感じがしました。
    お寺での生活は、あいさつ、そうじ、早寝、早起きと一つ一つに意味を考えながら過ごせる時間がとても幸せだと感じました。普段の生活で当たり前に食べているお肉やお魚も一日食べないだけで食べられるありがたみを感じる事が出来ました。
    法話では‘’人生の主人公‘’は自分でイメージしていくことが大切であり、そのための仏教の教えをヒントにしていけたら魂がみがかれていくと思います。
    人生一度きりなので、自分らしく生きていけるように一日一日を生きていることに感謝して過ごしていきます。

    私が動くことで解決できればいくらでもがんばれます。しかし私がどうあがいても解決できず悪い方向に流れていってしまうものが私の周りにはたくさんあります。
    昨日この体験に参加する前日の夜、夫から離婚だと言われました。だからこの体験に参加するのをやめようと思いました。とてもじゃないが何時間も電車を乗り継いで来られるような心境ではありませんでした。しかし、この体験は次男の希望で申し込みしたものだったので私は親の責務として参加しました。大げさに聞こえますが私は日々、この次男より中学校へ行くよう促した事を責められており、本人も中学校へ行った事により精神的に不安定になる事が多く、最近心療内科へ通院し始めました。その為、夏休みにどこか行きたい所を聞いたところ滝行をやりたいとの事でした。
    本人が自分の中でリセットしたいといという気持ちだと言ってきたので、これは絶対連れて来なくてはと思いました。
    実際滝行をしてみて本人の感想を聞いた所、体が軽く暖かくなったと笑顔を見せてくれたので連れてきて良かったと心から思いました。
    次男は人とのコミュニケーションがうまく交わせない為、一泊二日の体験の中でお寺の方々とのやり取りがぎこちない感じではありましたが、厳しい規律、規則正しい生活、あいさつの大切さ、それを体験できた事は私にも次男にも貴重な体験だったと思っております。
    最後の法話のビデオですが、会社を経営し、従業員を使っている立場の私には非常に有意義なもので、今後の人生に役立たせて頂きたいと思います。

    私は、私生活の乱れや将来の自分の為になるようにと思いこのお寺に修行に来ました。去年もこの時期に修行に来て自分が変わったので行くと決めたのも1つの理由です。私生活の乱れとして朝起きれなかったり、計画通りに行えなかったりと様々なことが挙げられます。
    お寺に来た時は次にやることが分かっているから辛いという思いで沢山でしたが、お百度参りや滝行をした時にこんなに辛かったんだなと思い返す機会にもなりました。滝行のときは正直もうやめてしまいたいとずっと思っていましたが、これをたえれば自分は変われる!と思ってやり切りました。その結果心が強くなって身体がスッキリして辛いからやって良かったという気持ちになりました。
    滝行が終わり洗濯ものや洗い物、普段自分でやらないことがとても大変だということが分かり、特に朝のそうじは身にもって感じました。そうじ機やトイレそうじなどこれを全て母が行ってくれているのでありがたみと手伝ってあげようという気持ちがわいてきました。また親元を離れての修行なのでとてもつらかったです。
    この2泊3日の修行を無事に終えることができたら、私は自分のために動ける人になりたいです。このお寺で学んだことを生かし普段の生活に役立てていこうと思います。そして私が最も大切だと思うことはこの気持ちを絶対に忘れないことです。人間だから忘れることはあると思うけれどお寺でもらったクリアファイルの紙を読み返して必ず思い出したいです。去年は半年程この気持ちを忘れなかったから、何事にもチャレンジし成功することが多かったのを覚えています。なので今回も失敗を恐れず何事にもチャレンジして結果を残していきたいです。特に学校の成績表はやってきたことが現れるものなので頑張っていきたいです。学校だけではなく家でも何か手伝えることがあるのなら手伝い、家族の役にも立っていきたいです。また家族とのコミュニケーションを大切にその日学校で起こったことなどを話し、家族との仲も深めていきたいと思います。
    まだお寺での修行は終わっていませんが気をゆるめず明日には滝行がひかえていると思うので、自分をもっと変えていくために一生懸命頑張っていこうと思います。

    除霊お祓いをして頂きありがとうございました。
    家計的に霊感が強く、私も子供も昔から霊が見えたり、声が聞こえたりしていました。
    私の親もそういう体質でそれが普通だったのであまり気にしていませんでしたが、
    昨年中古物件に引っ越しをしてからひどくなり、子供も眠れず時々おかしなことを言うようになったので、今回天光寺さんにお願いをしました。
    以前にも、知り合いの紹介で除霊ができるという方にお願いをしたことがあったのですが、
    あまり効果がなかった為、きちんとお寺でしてもらおうと天光寺さんにたどり着きました。
    事前のお電話でもしっかり話を聞いてくださり、料金も事前に詳しく教えてくださったので、とても安心しました。
    家族で除霊お祓いをしてもらい、その後ヒーリングもしていただき、子供も重かった肩や頭がすごく軽くなったと言っていました。
    私も体が軽くなり、視界がくっきりしたように感じました。
    その後、霊はたまに見えたりしますが、以前のように気にならなくなりました。
    ヒーリングのみでもやっていただけるとの事でしたので、家族で定期的に通いたいと思います。ありがとうございました。

    修行体験、法話を通じ多くの気付きや学びを頂きました。法話の中で一番心に残っているのが「無意識はごみ箱である」のお話でした。我々が生きていくのに必要となる行動、活動の多くは無意識にて行っているものの、この無意識の中に悪い感情などを溜め込んでしまう。これが結果として体に悪い影響を及ぼす事を改めて認識させられた次第です。日々の社会人の生活の中、仕事をしているとプレッシャーやストレスを多く受け、それを溜め込んでいます。時間や仕事の成功に対するプレッシャー、日々の業務が想定通りに進まない事に対するイライラから来るストレス。これらを溜め込む事が身体に悪い影響を与えつつ、何もせず心をすり減らしていた事を感じています。だからこそ重要であるのが「人間力」であり「積極的な心」である事を理解致しました。「人間力」はやり遂げる力、成し遂げる力であると理解しました。困難に向き合った際、苦しいと感じた際、これくらいで良いかと妥協点を探そうとする。自分の生活の中での思考を思い返すと、そのような考え方がクセになっていると思います。「積極的な心」に対しては自らチャレンジする意識を極力持ち行動する事を心がけているものの、「人間力」が足りていない事を実感致しました。また「悟りとは如実に自分を知る事」とのお話を頂き、先ずは今の自分を知ることが一歩目となると考えております。我々は過去、現在、未来をつなぐ中で生きており、前世などを考えると「自分を知る」事はたやすいことではないと思っています。また、顕在意識や潜在意識、その先に続く大いなる意識体と理解することで悟りが見えてくるのだと思いますが、顕在意識のなかで見えている「自分」を認識する事、その後潜在意識の自分を知っていくことが次につながる事であると思います。
    また体験修行においては所作から学ばせて頂き、日々の所作をいかに意識せず動作としてしか行っていなかったかを改めて気づかされました。日々の所作を意識していくことを心がけます。滝行においては自分の思考であるマイナスのイメージから入る事に気づかされました。水が冷たかったらどうしよう。上手くできなかったらどうしようなど。その後自然に対して反抗しようと体を強張らせるなど身を任せられていない事も実感しています。体験、勉強させて頂いた事を今後日々の生活の中で活かしてまいります。

    「発した言葉が言霊になる」と言っていたことが最も印象に残りました。日頃、愚痴やなき言を口にしてしまう事が多い自覚があります。口に出すことで言霊になり、自分の耳に入る。ネガティブな情報をより強く自分に与えてしまうことになります。今後はネガティブな言葉を減らす事を心がけます。そして辛い時、困難に立ち向かわなければならない時、前向きな言葉を発することで乗り越えていきたいと思います。
    次に印象に残ったことは「人生の主役になるか、負け犬になるか」という言葉です。それは自分自身を大切にする事だと解釈しました。しかしそれは決して欲望のままに好き勝手に生きるという意味ではありません。「どうせ自分なんか」という自分を粗末にする考えをしないことだと思います。私自身「どうせ自分なんか」「自分はこのレベル」と思ってしまうことがあります。そのような考えを改め、積極的な姿勢で人間力向上につとめることが、自分を大切にすることだと思います。私自身のオンリーワンを探求し自分の価値を高めるために今後も努力していきたいと思います。

    去年、沖縄の旅行から帰って来てから、身体の不調が続き、事故にも2回遭い入院もしました。退院はできたものの、やはり調子は思わしくなく、ラップ音や幻聴といった症状に悩まされ苦しんでいました。時々波の音が聞こえ、旅行先で訪れたあの岬を思い出しました。きっとそこから霊を連れて帰ってきてしまったのだと感じました。
    このままでは駄目になってしまうと思い、ネットで色々と調べた結果、天光寺さんを見つけました。名古屋からでしたので、お祓いの日に宿泊もお願いしてみたところ、通常の宿泊料金はかかるとの説明を受け、快く了承して頂けました。 安心して向かうことが出来ました。
    皆さんの体験談を読み、想像はしていましたが、立派でとても癒されるお寺でした。少し早く着いてしまいましたが、優しく出迎えて下さいました。
    住職様もとても気さくでお優しい方でした。住職様の手からは、温かい気のようなものが出ていました。
    お祓い部屋に案内され、座って合掌をしました。すると、流れてくるCDを聴いてしばらくすると合掌している手が揺れ動き、とても辛い気持ちになってきました。
    住職様のお経に変わり、私の中から現れたのは2体の不成仏霊だったようです。成仏したいと私に取り憑いたようでした。
    今まで霊などと無関係に生きてきた私がどうしてこんな目に?と不思議に思い、住職様に相談してみたところ、途中で霊感が強くなったり、体質が変化する事もあるとの事です。そして霊が頼って来てしまったようです。でも無事に除霊を受け、霊が成仏できるのであれば、それで本当に良かったと思います。
    住職様より霊に取り憑かれないように方法もアドバイスして頂き、これからは外へ行く時は気を付けたいと思います。
    住職様の手作りの食事を頂き、野菜がたくさん使われていて、とても美味しくて感動しました。そして翌日に滝行に参加させて頂きました。心身共にスッキリして帰る事ができました。ありがとうございました。

    この度は除霊をして頂き、本当にありがとうございました。信じられないくらい身体が楽になりました。しかし、先生の仰られた通り、自身で勉強をしないと同じ事を繰り返すという事を理解しました。
    もっと早くに相談させて頂いていれば、あんなにまで苦しむ事はなかったと後悔しています。
    私の親も霊感のある人でしたので、幼い頃からそういう力や世界は信じておりました。この世には成仏されていない霊がたくさん居て、そんな気配を感じながら生きてきましたが、実際に自身に憑依されると本当につらいです。自身の精神を左右され、危険な状況にさらされます。精神病院へも通いましたが、統合失調症と診断されてしまったりなど散々でした。
    主人の知人の紹介で天光寺さんを紹介して頂いて、本当に助かりました。
    先生のお力を目の当たりにして、また私自身が先生から出る「力」を受けて不思議な体験をさせて頂きました。
    邪気もたくさん溜まっていたようで、除霊後のヒーリングをして頂いてから頭がスッキリと、視界もスッキリ爽快な感じです。
    これから密教ヒーリングを習って、自身の体質と向き合い、健全に生きていけるように頑張っていきます。よろしくお願い致します。

    私はこの法話を通しての会話で沢山の事を学ぶ事が出来ました。
    まず最初に話していたことについてですが、このお寺に来て基本の所作を教えて頂きましたが、ただ行うだけじゃなくて一つ一つの行動に意味があることが分かりました。例えばめいそうなどをするときに行う左手が下で右手が上で円を描くようにするという動作には、お母さんのお腹の中にいる赤ちゃんを示していることが分かったし、他にも意味があることを知りました。そして空海のお話のときは南無大師遍照金剛の部分が名前だと知ることができた。そして空海はとてもすごい方というのを知ることができました。また人間の四つの苦しみは逃げられずとてもつらいということも分かりました。死や老い、病気などは必ず誰しもが経験することなので、今安心して生きていることがすごいんだなと考えるきっかけにもなりました。そして我々は何人なのか。自分では日本人と思っていたけれど本当にそうなのか。考えれば考えるほど知りたいことが出てきました。
    私が一番心に残ったことは「無意識」という言葉です。普段自分で呼吸をしているのも酸素をすったり全て無意識に行っていて、無意識って本当に正しいんだなと思いました。私も無意識(当たり前)のように思って勉強などをしたいなと感じました。
    また「努力」と「知恵」を使うということです。この二つが積み重なって色々な事ができているんだなと感じました。
    そして最後の誓いの言葉です。心に残ったものは「ピンチの時にこそ強くなれる人」という言葉と「自分を信頼できる人」という二つの言葉です。まず「ピンチの時にこそ強くなれる人」というのはまさに今自分ができてないことで、これは毎日の積み重ねだなと思いました。普段から一生懸命行動してればいざという時に力をはっきすることができると思います。なので部活や勉強を日々コツコツと頑張ろうと思います。そして「自分を信頼できる人」という言葉は自分を信頼しないと何事もやっていけないと思ったからです。最初からあきらめていたら何もできないからものすごく大切なことというのが分かりました。
    この法和を通して、私は最後の誓いの言葉を守り自分からも周りの人からも信頼されるような人間になりたいと思いました。

    私はこの法話を見て良い生き方をする事の大切さを学びました。
    私が興味を持った所は四つあります。
    一つ目は、仏様が来てくれるという話がとても興味を持ちました。私は今まで仏様は一人だと思っていたのですが、写仏などをしてたくさんの仏様がいらっしゃる事を知り、その仏様方がしっかり私達を見てくださっていると思うと、良い行いをして得を積むべきだなと感じました。そしてそれぞれの仏様がどんな役職を持っているのかなど、仏様への興味もわきました。
    二つ目は、最後の誓いの言葉です。誓いの言葉の量がすごく多くておどろきましたが、すべての誓いの言葉がとても意味がこもっていて自分の心にひびきました。その中でも私の心に残ったのは「これが私だと思える何か」を持つという言葉です。その何かは何かでしかないけれど、きっと自分を元気づけてくれるすばらしい物だと思うし、ポジティブに生きるための物でもある気がしていて、私もその何かを見つけてみたいと思いました。
    三つめは無意識の重要さの話です。私も実際に無意識にネガティブな思考を自分の中にため込んでしまった事がありました。この話を聞いて、無意識に入れてしまった物はその時には気づけなくて辛いけれど、今の様にのちに気づいて取り除き、自分を救う事が大切だなと実感しました。
    四つ目はこの場面見た事あるななどの感覚は前世の記憶だという話です。私は見た事あるなと感じる事が多く、前世の記憶と聞いてとてもおどろきました。人に前世がある事が不思議ですごく興味がわく話でした。
    この法話を通して自分の思いと話をかさねて、これからやってみようとか調べてみたいなと思う事がたくさんあってとても良い機会だなと思いました。

    この度はありがとうございました。私が体験修行に参加した理由は、日常で感じているモヤモヤやあせり、イライラなどのネガティブな感情と向き合い、落ち着いた気持ちを取り戻すためでした。日々会社員として働いていると、周りの人がどう思っているかや「使えない人」と思われているのではないかと心配してしまい、自分の気持ちを内にかくすようになってしまいました。常にネガティブな心の中にいるようで苦しかったです。
    今回体験修行に参加して自分の軸のようなものを少し取り戻した気がします。自分の中で一番効果があったと感じたのは滝行です。山に登るときは目的に向かってまだ終着点が見えずとも歩くことの大切さと、周りについていきながらも無理をせずに時々休みながら自分のペースを保つことの大切さを思い出しました。(道中の山の景色もきれいでいやされました。人生においても目的への道中を楽しみながら生きるのが必要)
    滝行に関しては、見ているだけよりも何十倍も冷たく辛かったです。滝に入っている間はこごえてしまい、「ここから出たい」としか考えられませんでした。瞑想をしている時はたくさんの雑念が浮かんでしまったので、本当に心の中が“今”に集中できたのはかなり久しぶり(もしかしたら初めて)かもしれません。そのおかげで出来た後は頭の中がスッキリしました。モヤモヤも晴れた気持ちです。今回だけではまだ雑念が浮かんでしまうので、時々心を無に出来る時間を日常でもつくりたいと思っています。瞑想もしてみます。
    ありがとうございました。

    お寺に到着した時は何をするのか正直よく分からなかったです。
    先生方のご指導のおかげで一日規律正しい生活を送ることが出来ました。子供達と食事、掃除、修行する機会があり、その際に歳や職業、生まれなどに捕らわれず、共同生活の中ではみんな一人一人、一つの労働力あるということを実感しました。滝行でも自然の前では一人の人間としてみんな同じなのだと感じました。また、日頃忘れてしまっている何事に対しても謙虚に前向きに取り組むことの大切さを思い出せました。あいさつや食事の片付けなど小さなことに対しても、そのような姿勢で取り組むことで自身の人生の軸もぶれずに生活していけるのかなと思いました。
    一日という短い時間でしたが忙しい日々で忘れてしまったこと、自分と向き合う時間、有限の時間である人生をどう過ごすのかという基本の心の持ちかたを学べました。
    この経験を修行体験という思い出にするのではなく、日々の生活の中で少しずつ取り入れていきたいと思います。呼吸を整える事や瞑想など、数分でも自分の心が整理できない時や仕事の合間など意識して取り入れていきたいと思いました。
    短い間でしたがあいさつから修行のお手伝いまで色々とサポートして頂きありがとうございました。

    天光寺さんのホームページでお祓いの感想分を読んでいると、自分に似たようなケースがあり、また除霊のYouTubeを見させていただいて、お願いしようと決断致しました。
    今まで3カ所ほど他のところでお祓いをして見て頂きましたが全く良くならず、改善されないまま苦痛な日々を過ごしてきました。
    私には2体の霊がついており、ずっと攻撃をされて眠れずに、日常生活がまともに送る事ができない状況となり、希死念慮が出てきていました。
    電話で住職様とお話をして、「すぐにお祓いを受けた方が良い状況ですよ、危ないですからね。」と言われ、涙がこみ上げてきました。翌日になんとか時間を空けて下さり、すぐに予約をする事ができました。
    YouTubeで見ていた通り、お祓いの部屋へ移動し、「暁天」というCDが流れはじめました。すると、不思議な事に合掌した両手が勝手に揺れ始め、また咳がたくさん出てきました。やはり私には霊が憑いているのが分かりました。どうにかその霊たちが、成仏される事を願いながら、次の段階へ進み、住職様の読み上げるお経の中、吐き気と共に身体が揺れはじめ、操作されているかのように、合掌した手が上へ上へと昇っていくような感じでした。住職様が太鼓を鳴らし、半分意識のある感覚で、私の身体は後ろに倒れ、最後にお腹を押されて悪いものが吐き出た感覚でした。
    無事に成仏されたようで、私の身体は久しぶりに軽くなりました。その後気になっていたヒーリングというものを受け、精神がとても癒されました。「生きている感覚を取り戻す」といった感じです。
    あの時住職様に電話できてなければ、あのまま私は自ら命を落としていたかもしれません。
    また、お祓いの後住職様から大切な事を教えて頂きました。感謝の気持ちでいっぱいです。
    この度は、救っていただいて本当にありがとうございました。

    私はなかなか自立できない息子の将来を心配しつつもずっと突き放せずにいました。
    でもここに来て数日間を皆さんと過ごさせていただくうちに自分がとても弱く心配性なのだと気付きました。ここで感じた事は、私自身にとってもとても貴重なものでした。そして息子にも家に引きこもっていた十数年分を、今まで経験できなかった大切なことを学んでほしい。そのためにも思い切って息子を外に出そう。中途半端な気持ちではなく本人が自分の人生を積極的に生きる(自立する)まで家には戻らせないくらいの覚悟を決めよう。そう自分自身にも言い聞かせ、私も前向きに頑張ります。4日間本当に有難う御座いました。

    2週間ありがとうございました。自分はいままで悪いことを沢山してきました。「うそをつく」「人にやらせる」「人に甘える」「約束を守らない」「人を手伝わない」といろいろやってきました。ここで学んだことは「甘えない」「人を手伝う」「時間内に終わらせる」「使ったものはもとの所へ戻す」とあたりまえのことです。ですが自分はあたりまえのことができていませんでした。何事にもせっきょく的に取り組まずに、さぼっていたり、やりたくないから言い訳を付けてやらなかったりと仕事をまじめに取り組みませんでした。ですがこの2週間修行を受けて感じたことはいままでの自分の行動はいけないことだったんだと思えるようになりました。いままでの自分はうそをつくことや人にやらせることがあたりまえで「これぐらいは大丈夫」と考える人でした。でもいまの自分は自分からせっきょくてきに行動してみようと思えるようになりました。「わからない」ことは「わからない」と聞くことの大事さをここで学びました。ぼーっと立っていて指示を待つより「わからない」と声を出して指示を自分から聞くほうがいろんな人のいけんを聞くということをここで学び行いました。
    自分からすすんで行動をして、少ししかられることもありましたが、反省をして次やるときはしかられるのではなくてほめられえるようにすることを常に考えるようにしました。いままではしかられて、いじをはって「ごめんなさい」が言えずに最初に言い訳が入っていました。言い訳ではなくやったことは反省をしてまず最初は「ごめんなさい」といえるようにすることが大切でした。いままでのたいどを見直していきます。

    以前より寺泊、宿坊体験には今日意味があったが、この度は天光寺さんにて体験できたことに感謝致します。
    基本的な所作・作法から始まり、お百度参り、般若心経の経読、滝行、写経と修行致しました。今年私は30になりますが経読を除いては初めてであり、また一つ新しい世界を見ることが出来たと感じております。
    私自身は“一応”仏教徒ではありますが、それを意識するのは定期法事や葬式、仏壇の前で手を合わせる瞬間くらいで限定的なのが正直なところです。今回の修行では自分が仏教徒であることを再認識できたように思います。
    「百八の悩みが人間にはある」とよく言いますし今回もその話を聞きましたが、私も私生活では人間関係、仕事でも悩みを多くかかえております。20代では気にならなかったことが、30代になって一度露呈したように思いますが、人生行き詰ったときや上手くいかない時こそ今回のように静かに自分と対峙する
    時間を持つことが大事だと学びましたし、これからはそのような時間を持つことを心がけたいと思いました。

    天光寺様、この度は年末のお忙しい中、貴重な経験をさせて頂きまして有難うございました。
    私は2019年に今の会社に入社してから、様々な企業様やお客様との交流、そして国内外への数多くの旅行をする中で、学生時代では感じる事のなかった世の中の厳しさや理不尽さ、一方で面白さを沢山経験してまいりました。特に海外においては日本がいかにめぐまれた国であるかを痛感するとともに、厳しい環境でも明るく前向きに生きて仕事をする外国人のたくましさに感動することが多々ありました。そういった経験をするうちに、もっと自分が知らないことを知りたい、もっと今まで経験したことのないことに挑戦してみたいと思うようになり、今回人生で一度はやってみたかった“お寺の修行”に参加させて頂くことに致しました。実際に修行を体験させて頂いた素直な感想は”想像よりも厳しかった“というものでした。参加当初はある意味一つの人生経験としてしか考えておりませんでしたが、一つ一つの行いにきちんと意味があり、かつ自らを内省する貴重な機会でした。単純に”滝に打たれる“だけでなく、まずは自然と一体になり身をあずけ、そして厳しさの中で自らを省みることが人生を豊かにすることにつながっているのだと身にしみて感じる事が出来ました。また、今回体験させていただいた三礼、お百度参り、滝行、読経、写経、朝の清掃で共通するのは”繰り返し“の動作だと感じました。繰り返しの動作というのは一見決められた動きをただひたすら続けるだけにも見えますが、手を抜くか、努力をするかを決められる分、自分を試すことができる行為なのだと実感致しました。法話でもございましたが考える前にまずやってみる、そして心が折れそうになってもとりあえずやれるだけやってみる。そんな精神は今思えば小学校のころに当たり前のように教えられてきたことですが、大人になった今改めてその大切さ(まさに人間力)を思い出すことが出来ました。
    改めて、この度はこのような貴重な経験をさせていただき誠にありがとうございました。
    下山し、普段の生活に戻ってもこの2日間での気づきを忘れることなく肝に銘じ、そして周囲にも還元する努力をおこたることなく続けていきたいと思います。

    今回の修行を通して、前の自分より強くなれたと思う。今まで辛い事から逃げてばかりで楽な道を選んできたけど、今回の修行はどれも辛くてキツくてしんどかったけど乗りこえられた時の達成感は凄く良くて気持ち良かった。これから先、ちょっとやそっとの事ではあの修行よりはましか!ぐらいでやっていけそうな気がする。年齢も境遇もバラバラのみんなで集まって色々な事を経験できて凄くいい思い出になりました。この修行を通して過去の自分を見つめ直す機会が多く、改めて前より精神的にも肉体的にも強くなって帰る事ができて良かったです。色々パニックになった時には、ここで学んだ呼吸法を思い出してリラックスして落ち着きたいです。楽しい時を過ごすよりも辛い時を一緒に乗り越えられた時の方が絆が深まったと思う。一緒じゃなかったら乗り越えられなかったし、この修行に誘ってくれた彼には感謝しかないです。

    昔から誰か身近な人が亡くなる前に、音が聞こえたり、霊が見えたりと、知らせのような感じの経験がありました。また車の運転中に手を引っ張られたような感覚があり、ビックリしてブレーキを踏んでスピードをゆるめると、その先で横から急にダンプが飛び出してきて、私がそのまま走行していると、ダンプに激突されて死んでいたかもしれないと、いつも誰かが守って下さっているように思えます。
    去年の夏頃、主人がたまたま受診した歯科で舌癌が見つかり、紹介状を書いて頂いてすぐに手術を受けました。早期発見により、無事に切除し、他へ転移もなく、定期的に検査を受けながら今は無事に過ごしています。
    また、自分自身はたまたま受診した眼科で緑内障の初期だと診断されました。亡くなった父親が夢に出てきて「お前は緑内障の系があるから気を付けろ」と数カ月前に言われたのを思い出し、不思議な体験をしました。
    何かといつも救われる思いで、仏様、ご先祖様にはいつも感謝の気持ちが大きいです。
    ある日から毎晩、枕元に誰かがやってくるようになり、何をされるでもなかったですが、あまり良い気がしなかった為、一度お祓いをしてもらおうと決意し、以前滝行でもお世話になったことのある天光寺さんでお願いしようと相談をさせて頂きました。滝行でお伺いさせて頂いた時も、不思議なパワーを感じさせられていました。
    ご住職に、色々と説明を受け、お祓いのお部屋に移動しました。特に身体に異変も感じず、仏様に囲まれたお部屋でホッとした心境でした。
    まず、CDを聴いて、その後ご住職のお経が始まりました。私には成仏できずにさまよっている浮遊霊がついてきていたようでした。体質的にどうしても霊に頼られたりと多いようで、今後の対処方についてもご住職に相談させて頂きました。「積極的な心を持ち、恐れない、気にしない、同情しないようにいつも心掛けることを大事にして下さい」と教えて頂きました。また最後に施術して頂いたヒーリングがとても気持ち良く、空を飛んでいるような感覚に導かれました。感じ方は人それぞれだそうですが、とても心地よく、終わった後、視界が明るくなりすっきりとしました。これからは、滝行やヒーリングで時々伺いたいと思います。宜しくお願い致します。

    天光寺に来てから行ったことや感じたこと、法話を聞いての感想を書いていこうと思います。
    法話をお聞きして、最初の「負けてたまるか。腐ってもタイ」というお言葉が非常に心に残っています。滝行やお百度参りをしてみて、最初はきつくてくじけそうになりました。しかし頑張って我慢してこれだけ出来たのだからもうちょっと頑張ろう。そうしてどんどん自分の心も身体も鍛えることが出来ました。これは修行にかかわらず日常生活でもいえることだと思います。自分の限界を決めてしまっているのは自分で「もうちょっと、もう少し頑張ろう」と一歩ずつ進んでいけば必ず目標を達成することができるしどんな自分にもなることができるんだということを気づかせてくださいました。
    他にも仏教の成り立ちや民族とは空海がどのように伝えたのかなど学校では学ぶことができない詳しい歴史の話をわかりやすいお言葉で教えてもらうことが出来て、非常に勉強になりました。
    途中にあった積極的に生きるか消極的に生きるかで運も人生も大きく変わってくるということは本当にそうで、マイナス思考で生きている間はマイナスな事ばかり起こるし、逆にポジティブなマインドで目の前に現れたチャンスを逃さないように生きていきたいと感じました。
    寺での経験は自分にとってとても有意義なものとなりました。お百度参りや滝行で寒さなど自然の厳しい一面を知りながらも自然と一体になる楽しさ、気持ち良さを実感することが出来ました。また、日頃から健康的な一日三食の食事や早寝早起きなどの整った生活習慣を送ることで心身共に健康的になることが出来、この二週間は全く体調不良になることがありませんでした。そして自分を見つめ直す時間も作ることが出来、自分の良い部分も悪い部分も改めて思い起こすことが出来たので自分にとって良い経験になったし、人生においてこれほどの期間お寺で修行するということは中々できることではないし、今後もそうあることでは無いと思うので、貴重な体験をしたなと心に刻みたいと思います。そしてご住職をはじめ、他のお寺の皆様のお言葉を思い出しながら今後の人生を再び歩み始めようと思います。改めまして貴重な二週間をありがとうございました。自然に触れ、自分を省みる大切な時間を過ごすことができました。

    22歳の娘がいるのですが、高校生くらいから鬱状態がひどくなり、通院していました。徐々に悪化し、希死念慮がでて来た為医師の勧めもあり入院もしました。多少は良くなりましたが、基本的にはあまり変わっていないように思え、病院でも治療しきれず、親としてもこれからの娘の生活に不安がありました。時々ではありますが、人が変わったような行動、態度もします。もしかしたら本人以外の「何か違う力」が、彼女の人生を狂わせているのかもしれないとさえ考え、周りの人に相談をしたところ、除霊をしてもらっては?と言われ探した結果こちらの天光寺さんに行きつきました。妻とも、出来ることはとりあえずなんでもやろうと話し、娘を連れて行くことにしました。
    メールで予約をとったところ、すぐにお電話をしてくださり一通り電話で話を聞いて下さり、精神病と霊障は紙一重ということ。連れてくる際に中に入ってる霊が嫌がり暴れたりする場合もあるということで、どうなるか不安でしたが、お願いすることにしました。
    娘に話したところ、最初は嫌がりましたがどうにか行くことができました。が、お寺に入る際急に具合が悪くなり少し震えていました。
    なんとか除霊浄化してもらい、最後にヒーリングをしていただきました。ヒーリングの最中娘は終始泣いており、本人も相当つらかったんだなと思うと妻も私も涙が自然とでてきました。
    終わった後はみんな何かが取れたようなすっきりした感じがあり、娘も落ち着き少し笑顔が見れました。
    その後は、以前よりは笑顔が増え不可解な行動もなくなりました。まだ通院はしておりますが、一番の変化は、娘が自分から変わりたい、と、言動行動がポジティブになったことです。
    それにより私達親もネガティブ思考だったことに気がつき、原因は自分達にもあったように思えました。
    これからは出来る限りみんなが前向きに生きていけるよう意識したいと思います。
    このように気づけたのはご住職のおかげです。行って良かったです。ありがとうございました。

    小さい頃から肩や頭に霊が見えたり、人の感情をもらってしまい、疲れやすく、親にも言えず悩んでいました。最近の出来事ですが、仕事や人間関係でとても疲れて眠りにつこうとしていた時、突然誰かが自分の中に入り込んで発狂したり、笑ったりしてコントロールできない状態になりました。霊が見える事は度々あっても、こんなことは初めてでした。今までは気にしないようにしてきましたが、お祓いを考えるようになり、HPで検索しました。天光寺さんのHPのお祓い動画を見つけ、何度も何度も見ました。動画を見ていると涙が止まらず号泣してしまいました。こうして天光寺さんに導かれるようにして来ました。

    お寺に来て住職の方に見て頂くと、やはり私は霊媒体質のようです。住職が書かれた自動書記の掛け軸やお札の前に立つと、ふぅ~っと倒れてしまいました。

    お祓いが始まると、身体が揺れ始めます。自分の意識は朧気でよく覚えていないのですが、隣にいた妹が後で話してくれました。実は母も霊媒体質だったらしく、身体が少し震えていたそうです。子供の頃一人で悩まず母に打ち明けていれば良かったとも思いました。霊媒体質は遺伝するらしいです。お祓いを受けて何かが抜けた様で、身体がスッと楽になりました。もとより霊的な影響を受けやすいので、このままだと何度も強い霊に乗っ取られてしまうようです。そのためには、霊的世界の事を学び、自分を守るすべを身につけ、自分を磨く必要がある。住職の話を聞いていて自分では納得することばかりで、幼少期からの出来事を顧みた時、なるほどと思いました。そして自分の使命やこれからの生き方を考えさせられる機会となりました。これからも学びを深め、修行して強い精神と肉体を鍛えていきたいと思います。どうぞ宜しくお願い致します。

    2週間ありがとうございました。自分はいままで悪いことを沢山してきました。「うそをつく」「人にやらせる」「人に甘える」「約束を守らない」「人を手伝わない」といろいろやってきました。ここで学んだことは「甘えない」「人を手伝う」「時間内に終わらせる」「使ったものはもとの所へ戻す」とあたりまえのことです。ですが自分はあたりまえのことができていませんでした。何事にもせっきょく的に取り組まずに、さぼっていたり、やりたくないから言い訳を付けてやらなかったりと仕事をまじめに取り組みませんでした。ですがこの2週間修行を受けて感じたことはいままでの自分の行動はいけないことだったんだと思えるようになりました。いままでの自分はうそをつくことや人にやらせることがあたりまえで「これぐらいは大丈夫」と考える人でした。でもいまの自分は自分からせっきょくてきに行動してみようと思えるようになりました。「わからない」ことは「わからない」と聞くことの大事さをここで学びました。ぼーっと立っていて指示を待つより「わからない」と声を出して指示を自分から聞くほうがいろんな人のいけんを聞くということをここで学び行いました。

    自分からすすんで行動をして、少ししかられることもありましたが、反省をして次やるときはしかられるのではなくてほめられえるようにすることを常に考えるようにしました。いままではしかられて、いじをはって「ごめんなさい」が言えずに最初に言い訳が入っていました。言い訳ではなくやったことは反省をしてまず最初は「ごめんなさい」といえるようにすることが大切でした。いままでのたいどを見直していきます。

     

    以前より寺泊、宿坊体験には今日意味があったが、この度は天光寺さんにて体験できたことに感謝致します。

    基本的な所作・作法から始まり、お百度参り、般若心経の経読、滝行、写経と修行致しました。今年私は30になりますが経読を除いては初めてであり、また一つ新しい世界を見ることが出来たと感じております。

    私自身は“一応”仏教徒ではありますが、それを意識するのは定期法事や葬式、仏壇の前で手を合わせる瞬間くらいで限定的なのが正直なところです。今回の修行では自分が仏教徒であることを再認識できたように思います。

    「百八の悩みが人間にはある」とよく言いますし今回もその話を聞きましたが、私も私生活では人間関係、仕事でも悩みを多くかかえております。20代では気にならなかったことが、30代になって一度露呈したように思いますが、人生行き詰ったときや上手くいかない時こそ今回のように静かに自分と対峙する

    時間を持つことが大事だと学びましたし、これからはそのような時間を持つことを心がけたいと思いました。

     

    天光寺様、この度は年末のお忙しい中、貴重な経験をさせて頂きまして有難うございました。

    私は2019年に今の会社に入社してから、様々な企業様やお客様との交流、そして国内外への数多くの旅行をする中で、学生時代では感じる事のなかった世の中の厳しさや理不尽さ、一方で面白さを沢山経験してまいりました。特に海外においては日本がいかにめぐまれた国であるかを痛感するとともに、厳しい環境でも明るく前向きに生きて仕事をする外国人のたくましさに感動することが多々ありました。そういった経験をするうちに、もっと自分が知らないことを知りたい、もっと今まで経験したことのないことに挑戦してみたいと思うようになり、今回人生で一度はやってみたかった“お寺の修行”に参加させて頂くことに致しました。実際に修行を体験させて頂いた素直な感想は”想像よりも厳しかった“というものでした。参加当初はある意味一つの人生経験としてしか考えておりませんでしたが、一つ一つの行いにきちんと意味があり、かつ自らを内省する貴重な機会でした。単純に”滝に打たれる“だけでなく、まずは自然と一体になり身をあずけ、そして厳しさの中で自らを省みることが人生を豊かにすることにつながっているのだと身にしみて感じる事が出来ました。また、今回体験させていただいた三礼、お百度参り、滝行、読経、写経、朝の清掃で共通するのは”繰り返し“の動作だと感じました。繰り返しの動作というのは一見決められた動きをただひたすら続けるだけにも見えますが、手を抜くか、努力をするかを決められる分、自分を試すことができる行為なのだと実感致しました。法話でもございましたが考える前にまずやってみる、そして心が折れそうになってもとりあえずやれるだけやってみる。そんな精神は今思えば小学校のころに当たり前のように教えられてきたことですが、大人になった今改めてその大切さ(まさに人間力)を思い出すことが出来ました。

    改めて、この度はこのような貴重な経験をさせていただき誠にありがとうございました。

    下山し、普段の生活に戻ってもこの2日間での気づきを忘れることなく肝に銘じ、そして周囲にも還元する努力をおこたることなく続けていきたいと思います。

    数年前に若くして癌が見つかりましたが幸いにして完治しました。ところが、その後も慢性的に身体のだるさ、肩こり、頭痛、不眠、悪夢を見るなどが続いています。心療内科にも通院していますが、改善しません。もともとは静かで穏やかなのんびりタイプだったのですが、最近はすぐにいらいらし癇癪を起こして物を投げるなど、自分でも恐ろしくなります。もしかしたら悪い霊でもついているのかと心配になり、除霊をお願いしたいと思った次第です。
    最初に住職様が話を聞いてくれ、その後本堂など見せてくれました。「宝物殿」と書かれた部屋に入ると何ともいえない安らぎを覚えずっとそこに居たい感覚でした。お祓いの部屋は全く雰囲気が違いました。初めて聞くCDは何とも表現しがたく、その後は合掌しひたすらお経を聞いていました。終わった後はヒーリングをして下さいました。このヒーリングの最中にわけもなく涙が流れてきました。自分でもよく理解できませんでした。温かいエネルギーに包まれるような感じが、寂しさを癒してくれるようでした。
    全て終わった後で住職ともう一度話をしました。病気、その他の現象は霊的なことだけではなく心の問題があるそうです。霊はそこに寄ってくるそうです。癌になったのはどういうことか。その後も不調に悩まされるのはどういうことか。根っこにある心の持ち方はどうなのか、反省・感謝・懺悔を日々行うことを強く言われました。自分が憐れな存在で誰かに何かしてもらうことばかり考え、孤独を感じていたように思います。とても癒されました。これからは心の持ち方を変えていきたいと思いました。

    私が法話で一番心にきたのは「くさっても逃げない」という先生の言葉です。私は今までの人生でたくさん逃げてきました。逃げてることは分かってたし、逃げてしまった事実が嫌で更に逃げてました。反省文でも書いた通り弱かったからだと思います。私の中で逃げないということはすごくハ―ドルが高いです。でも自分は絶対に逃げない!と思っていれば逃げずに立ち向かえるのかなと思いました。なぜなら法話で先生が「口に出したことが真実となる」と言っていたからです。きのうも先生が同じ事を話してくれました。言われてみたらここに来た直後の日記はポジティブなこともあったけどネガティブな言葉が多かったです。でも日にちがたつにつれてポジティブな言葉がつまっていました。言われてみるまでぜんぜん気がつかなかっただけでここにいる間に変わっていったんだと思います。それもあって心が落ち着いた気もします。ここを出てふだんの生活に戻ったら今まで逃げてきたことがたくさんあるので帰りたくないなとも思っています。だからこそ逆に帰ることが逃げないことなのかと思いました。帰ったら、ここでできるようになったきちんとした生活リズムをくずさないようにしながら自分ともっと向き合って、親とも向き合って今後のことを決めます。そして学校にも行けたらうれしいです。私にとって学校は個性をつぶされて自分だけ疎外感がある場所でした。でも思いこみしだいで見え方は変わってくることに気がつきました。自分がここは怖い、仲間はずれと思ってるだけで考えてみたら友達もいるしいい場所です。だから一から学校の見方を変えてみてみようと思います。それでも多分こどく感は消えません。それに関しては強くなるしかないと思います。「だれかにすがってみじめになるよりこどくの方がいい」と仏教ではいいます。これはすごく強くてむずかしいことだけど、そう思い込みを作れるように努力します。あと、ここで味わった家族がいないことのさみしさを忘れず、自分が辛い時でも家族にはあたらないように心がけます。そして今までよりもっといつもお世話になっているお母さんの手伝いをして助けようと思います。ここで学んだこと、強くなれたことを忘れず、元の生活に戻っても今までとはちがう心で生活します。

    僕は天光寺に来て、たくさんのことを行い、学びました。天光寺では朝6時に起きて夜は8~10時の間に寝ました。寝る時間は家だと大体一緒だけど起きる時間が早かったです。いつもより早く起きるとその日が気持ちよく感じました。なので、家でもなるべく早起きしていきたいです。そして、6時くらいに起きると布団の片付けをして掃除をしました。僕は1階の床とトイレを掃除しました。掃除をすると部屋がきれいになり少し、気持ちもすっきりしました。毎日の掃除もすごく大切だと思いました。

    滝行は、お寺と来た人達と一緒にやりました。きつかったけど他の人も声を出してくれて少し楽になり、助け合いもすごく大切だと思いました。終わった後はすごくすっきりしました。お百度参りは全部で3回やり、1,2回目は5人くらいでやり、最終日は1人でやりました。個人でやる行ですが、やはり1人でやるのはとても違うと感じました。食前の言葉は言わないと思いますが「いただきます」を言うときには食前の言葉の意味も込めて言おうと思いました。ごはんの準備や洗濯はいつもお母さんがしてくれているので、あまりしていませんでした。家族は7人なので毎日朝、昼、夜のご飯の準備や7人分の服や布団、タオルなどを洗濯しているのでとても大変だろうなと改めて思いました。天光寺ではたくさんの人に出会いました。来た人の話をお寺にいたたくさんの人に聞きました。聞いた話では、小学4年生くらいで仲がとてもよかった友達が急に話を聞いてくれなくなり、中学生位までずっと家にいて、リボン結びやクイックルワイパーを使った掃除、食器洗いなどもできなかった人がいることなどを聞きました。その他にも、様々な人の話を聞き、いろんな人がいるなと心から思いました。毎日やった瞑想では、これからの新しい自分を吸って、今まで自分の中にあった良くないことや悪い考え方などを吐くという意味があると言っていました。それを意識して瞑想をすると終わった後にとてもすっきりしました。瞑想はどこでもできるので家で空いた時間や寝る前などにやってみても良いなと思いました。天光寺では、心の持ち方を学びました。何事にも悪いほうばかりにとらえないということです。例えば治る病気も、この病気はずっと治らないと思っていると治らなかったり、何かの試合などでも勝てないだろうと最初から思っていると本当に負けてしまうことです。なので今後何かの壁にぶつかってもプラス思考で考えていきたいです。天光寺では挨拶や返事、姿勢の大切さも学びました。毎日気持ちの良い挨拶をするだけで気持ちよくなれると思いました。返事はする場面がたくさんあるのでそれをきちんとするだけでしっかりとしている人に見えたり、した人もされた人も気持ちが良くなると思いました。姿勢だけでその人がどのような人かが分かるので姿勢もとても大切だと思いました。天光寺で学んだことを生かし、今後は挨拶や返事、姿勢や声の大きさ、心の持ち方に気を付けて、起こることに向かっていきたいです。

    5年くらい前から家の中で話し声が聞こえるようになりました。スマホの電源も入れていないのに起動していることもありました。そのうち消してあるテレビから男性の声も聞こえてきました。次第にひどくなり、夜だけでなく日中も複数の人の会話が聞こえたり、音楽が鳴り出し、頭も耳もおかしくなり落ち着いて過ごすことができなくなりました。魔除けにお清め塩を用いたり、パワーストーンも置いてみましたが改善の様子が見られません。このままでは精神がおかしくなり命の危険もありそうで、病院に行くかお祓いをしてもらうかの選択をしないとダメだと思いました。病院に行くと幻聴で済まされてしまうと思い、お祓いをしてもらえるところを探しました。
    天光寺さんのHPを見ると動画がリアルだったので説得力がありました。もう迷ってはいられないと思いすぐに申し込みをしました。料金が心配でしたが、日々生きるのも大変な状態だったのでお金のことなど言っていられません。
    最初はカウンセリングのような感じで、今までの経緯を話しました。お祓いの部屋に通されると少し暗くて気味悪く感じました。最初に聞いたCDの音は耐えがたく思わず耳をふさいでしまいました。私の中で鳴り響いている音と喧嘩が始まるようでした。お経の声も聞いているのが辛かったです。体の中がしびれるような感じでした。その後はさらに辛くなりました。今度は太鼓や銅鑼の音です。しびれが時折ひどく電気が走るようにも思えました。お祓い中は耳が苦しかったのですが、その後のヒーリングではスッキリしたような清らかな気持ちになれました。すべて終わった後で、生き方についてのお話を伺いました。霊障と精神病は紙一重と言われ、病院に行っていたら今頃は入院で薬漬けだったかもしれません。また霊的なものと電気機器は非常に関係していると言われ納得がいきました。さらに思い込みやネガティブな感情は霊を引き寄せてしまうそうです。
    今まで凝り固まった考えで周りを聞き入れなかった自分を反省しました。助けて下さって本当にありがたいです。

    今回の体験修行を通して人間として成長した気がした。
    食事の前に「食前の言葉」、後に「食後の言葉」を唱えることで当たり前であった食事のありがたさを感じることが出来た。片付けが終わった後にも終了したことを伝える言葉を言ったことで、行動のメリハリがついて良かった。
    滝行では精神力を高めることが出来た。滝のそばまで歩いて行き、滝を目の前にした時は
    簡単に耐えられるのではないかと感じた。しかし実際に滝に入ってみると、水の勢いが強く押しつぶれそうだった。水に負けないようにと最初は戦っていたが、心を落ち着かせることを意識したら少しだけ苦しさがなくなった。滝から出てみると、心がすっきりしたような感覚だった。これは普段の生活の中では味わったことのない感覚でもあった。
    写経は筆の扱いの難しさと感情の調節を学んだ。筆を持つのは中学生ぶりということもあり、基本的な「とめ、はね、はらい」でさえ苦戦した。感情が乱れると字も乱れ始めた。できる限り平常心で集中して写経するようにした。写しているにもかかわらず、見本とは異なる作品になってしまったため練習が必要だと感じた。
    今回の体験修行で一番好きだったものが瞑想だった。目をつむり呼吸に意識を向けることで心が落ち着き、リラックスすることが出来た。これからは朝に一度やり、心を落ち着かせてから学校に行きたいと思う。

    現在の家に引っ越してきた頃からの出来事です。それまで快活で元気だった息子が不登校になり始めました。前向きに何かを目指してやろうとする気持ちはあるようですが、集中力がなく、すぐにやる気がなくなってしまいます。イラつく気持ちも抑えられず暴言を吐くようになりました。今は完全に引きこもり状態になってしまいました。最初は学校環境や友人関係が原因かと思いましたが、特にそのようなことは思い当たらず、最近家を訪ねて来た方が、家の空気が重く嫌な感じがするということから、霊視をしてもらう事にしました。その方によるとたくさんの霊が家にいて、目の前にある病院と息子の部屋の位置関係によるというのです。引っ越すわけにもいかず、気味が悪くなりお祓いをしてもらえるところをネットで探しました。天光寺さんはお寺という安心感があり、またお祓いのリアルな画像もYouTubeにあったので間違いはないと思いました。電話で問い合わせたところ、霊の世界のことや料金についても分かりやすく教えて頂きました。
    早速予約を入れ、息子を連れて行くことにしました。引きこもりの為外に連れ出すのは至難の業でしたが、息子自身もこのままではよくない、変わりたいと思ったのだと思います。
    最初にヒアリングを受け、その後お払いの部屋に通されました。住職の声が入ったCDを聞かせられると、息子の身体が震え始めました。隣にいた私は見たこともない現象に何なんだろうと驚きただただ見つめるばかりでした。お祓いのお経が始まり、法具なのか音が鳴り出すと苦しそうに前に倒れたり後ろにのけぞったりします。お経がすべて終了すると、今度は身体の流れを調整してくれました。もともと身体もがちがちで血流も悪そうでしたが、気の流れが悪く体のあちこちが詰まっていたようです。
    来た時は顔色も悪くうつむいていましたが、少し体の重さが取れた様で、血色がよくなり体が熱いと言っていました。
    ただ、このままの状態で元の生活に戻ると再び霊の影響を受けやすいので、一週間ほど体験修行をさせてもらうことにしました。心の持ち方や自分を変えていく方法など、この機会に学んでもらえるとありがたいと思ったからです。長年の生活のリズムは一時は良くても習慣化されないと継続が難しいのも事実です。息子も感じるところがあったようで、今後も定期的に滝行や宿泊の体験修行で頑張っていきたいと言っております。
    この様な機会を得ることができ、本当に有難うございました。

    お寺はお墓参りの時か観光ぐらいでしか訪れたことがなく、キリスト教のプロテスタニト教会に通ったことはあるのですが、考え方があまり肌に合わなかったのでより日本人に身近な仏教に触れてみる機会が欲しいと思っていたところ友人が誘ってくれたので、今回天光寺に滞在させていただきました。
    滝行や写経にも興味があって、実際やってみていい経験になったし楽しかったのですが、何度も繰り返したりお休みなしで六時に起きて、、、という生活をするのは本当にしんどいだろうなと思いました。
    仏教徒の方も身近にはいないので、滞在中お寺の方と接する中で、仏門に入っている方と私のようにあまり詳しくない私ではお経や仏様に対する気持ちや見え方といったものが結構違ってくるんだろうなと思いました。滝行の時に山や川に唱える言葉もあまりピンと来なかったので、いろんなところに仏様や神様がいるという考えがあることを知ってはいたものの、実際に唱えてみて初めて実感しました。
    初日に護摩焚きを見る事ができたのも貴重な経験だったのでとっても良かったです。
    法話のビデオも面白かったです。(でもできれば修行の最初の方に見て仏教やお寺のことを知ってから行をしたかったです、、、)
    滝行ですが、元々川や海に入るのが好きで、山の空気も好きなので少し楽しみでありつつ、水がとても冷たいと聞いて少し怖くもありつつ、いざ入ってみると確かに水は冷たく、滝に入ると水の勢いと冷たさで御宝号を唱えるのが想像よりもずっと大変で驚きました。考える事もままならないくらいの水にもまれることはもちろん初めてだったので、終わった後はすっきりして気持ち良かったものの、何度もできるものではないな、、、と思いました。
    普段たくさん触れているインターネットや好きなものを好きなように食べることができないのはとっても不便で常に修行の生活を送ることはできないけれど数日だけでもそういう生活を送り、仏教を少しだけでも知ることができてとてもいい経験になりました。ありがとうございました。

    法話のビデオを聞いて、「人が自分を認めないより、自分が人を認めない方が心配」という言葉に強く惹かれました。実際学校でもそのようなことがたまにあるからです。
    だけど自分に自信がなくなるから、いかに自信が持てるかが大事なってくると思いました。そして何かあったらすぐに報連相をすることが大事で、それが出来ていないと人生の負け組なることもあるからです。つまり人生の負け組、勝ち組、主人公のどれになるかは自分で決めることになるから、今のうちにがんばることが大事だということを学びました。
    次に修行です。まず滝行は最初は呼吸の仕方がわからなかったけど、二回目三回目は慣れて呼吸がしやすくなりました。
    もう一つがお百度参りです。はじめてでとても疲れました。
    ほかにも寺院内で一時間お経を読んだり、洗濯したり、ごはんをつくったり、お経を写したり、とても大変だったけどいつもやり終わるとスッキリしました。
    このような経験を生かして家では積極的にあいさつしたり、洗濯ものをほしたり、食器を片づけて洗ったりと自分でできることはできるだけ自分でやる事によって少しでも負けた日をなくそうと思います。あと、何事をするにも時間を決めることが大切だと思いました。今までだらだらゲームやテレビ、遊びを自由にやってしまっていたところもあるからそこは直していきたいと思いました。
    最後に感謝です。野球や学校に行くのにもお金をはらっているので親に感謝しないといけないと改めて思いました。

    今回は自分のメンタルを鍛える為に調べて修行に参加しました。
    目標は「なるべくキツイ修行を乗りこえる」でした。また一人ではなく彼女と一緒に体験することも自分の中で一つの大きなポイントでもありました。楽しいことを共に経験することも良いですが辛いことを共に乗りこえた方が二人の絆が深まると考えたからです。滝行、三禮、お百度参りとすべて厳しいもので二度としたくはないですが、一生の思い出に残る経験が出来ました。また精進料理を食べてたり、都会から離れたことで普段の生活がいかに充実していたかを感じました。これからはどんな些細なことも幸せと感じ成長につなげていける人間になるのが目標です。人生は長い修行!!

    この二日間は、初めて知ることも沢山あり、久しぶりに大きな声が出せたり、色々な修行や経験ができて、美味しいと聞いていたお食事もいただくことができ、涙が流れるほど「うれしい」がいっぱいの、幸せに満ち満ちた奇跡のような時間でした。念願か叶って参加でき、実現して、夢のようでした。どうもありがとうございました。
    法話にもあったように、宇宙とつながった仏様がいつでも必要な時に現れてくださる、というのが印象的でした。
    特に滝行は、水が心から好きだと感じうれしかったです。勢いのある滝の中に入った時は、衝撃的な感動がありました。壮大な自然の中で畏敬の念を抱きながら、自然を大事に共存していくことの大事さをずっと感じていました。夜、窓から見た森林の真っ暗なおごそかさも印象的でした。空気も清らかで広々として、愛情と思いやりとよきものに溢れていて、安らげる空間でした。
    一生に残る貴重な体験をさせていただいて、本当にありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願い致します。

    一泊二日の企業研修でした。当初はお寺の研修ということで礼儀作法やマナー中心の研修になると想定していましたが、蓋を開けてみると肉体的にも負荷の高いもの(滝行等)も多く、肉体的にも精神的にも良い学びの機会を得ることができました。
    滝行に臨むにあたって、南無大師遍照金剛を唱えることは印象的であり、当初はなぜ唱えるのかがやや懐疑的であったが、いざ滝行になると唱えずにはいられないというより、唱えることで滝行中の雑念や恐れなどを打ち払って滝行に取り組むことができて良かった。
    滝行以外にも各所で作法や礼儀に払っており驚いた。一般的にはあらゆる局面で挨拶や決まった礼節などがあることは億劫に感じるかもしれない。しかし同じ言葉を絶えず繰り返すことは脳にインプットされ、刷り込まれていく。やがて条件反射的に、適切な場面で適切な言葉や作法がアウトプットされるようになるだろう。なぜこのことを取り上げたかというと、この考え方は会社や組織にも応用の効く考えだと思ったからだ。一般的に会社や組織において働くメンバーの能力やスキルセットがほとんど同じであるいうことはあまり考えられない。多くの場合、そこに従事するメンバーの年次や経歴などから能力やスキルセットには差が生じてしまう。とはいえ、会社組織で事業に取り組む際には、なるべく全員の能力
    やスキルセットを盛り上げたいと考えるはずだ。会社組織やチームのスタンダード、価値観を底上げするには、この念仏的思考は非常に有効だと考えられる。毎日幾度となく同じシーンで同じ言葉や作法を説かれる。それは身体に染み込まれ、いつしか考えるより先に身体が動くようになる。仕事においてもチーム内のベストプラクティスや良い考え方を適切なシーンで繰り返すことで、チーム全体のアップデートなどが実現できるだろう。
    このように今回の研修では、仕事への転用のヒントも見つけることができ良かった。

    天光寺での修行を終えて・・・
    まず私が何故ここに来たか?この先どう生きていこうか?など、自分の人生、過去現在未来と自分自身と向き合う為に、今回修行を受けさせて頂きました。二泊三日ではたりないけども、二日目にして特に滝行が一番私の精神や病をいやしてくれた気がします。山にのぼって自然を感じ、仲間の応援のおかげで滝行も二回クリアできました。お百度参りも初めての体験で、ハダシでコンクリートの上を走り、誰かを想い願い走り続ける。弱い自分や甘え、病いなど自分自身の身を持って体感する事が出来、これまで聞こえずらくなっていた耳や出ずらくなっていた心までもが、しだいに良くなっていった事がおどろきでした。普段の生活では体験できない事や、集団生活、教えなどを体感していくうちに、色々なものが消化されていき、すべて浄化せれていくのが分かりました。お経や書道などもして精神とういつされて、ことだまや言葉の大切さも教えて頂きました。思考のイメージやめいそうの大切さ、心の持ち方など自分自身と向き合う為に必要な自分の中心と向き合い整える事の重要さを実感しました。一日目二日目と次第に目に見えるものや感じ方など視野がすごく広がっていってたくさんの気づきと学びを得た修行体験でした。
    私はまた強く前を向いて生きていこうと思えましたし、ここで出会った仲間や修行の教えを頂いたおかげで、また新しい自分にも出会えそうです。これからは前向きに物事を考え自分の道を進んでいきます。また壁にぶち当たった時や教えを頂きたいとき、天光寺に戻ってきます。救って頂き有難うございました。ここでの修行や教えを心にきざんでこれからの人生に役立てていこうと思います。皆様もどうかお元気で。有難うございました。

    子供の頃から周りの人が見えていない人が見えたり、声が聞こえたりなどで不思議な経験をしていました。祖母も霊感の強い人だったようです。
    先日、母と電話をしている時、『誰かいるの?』と言われて、私の後ろで男性の声が聞こえるというのです。母も時々霊感のある人です。男性の声と言われて、一人で居るのにビックリしました。夜中、寝ているとその男性らしき霊が時々枕元に立ち、何かを話そうとしてきますが、何を言っているのか分からず。何か悪さをされるわけではないですが、何かを訴えてきている気がして、気になって仕方がありませんでした。母に相談すると、お祓いを受けた方が良いと勧められて、お祓いをしてもらえるところを探していて天光寺さんに辿り着きました。まず相談をさせて頂けるようだったので相談の電話をさせて頂きました。ご住職との電話でも、私の後ろで男性の声が聞こえたようで、不成仏霊が憑いているとの事でお祓いを勧められました。早速予約を取らせて頂きました。
    お祓い当日、身体が重く、体調が優れませんでしたが天光寺さんまで無事に辿り着く事ができました。ご住職はとても気さくで優しい方でした。
    うちの家系は母方が代々霊感が強いようで、霊障を受けやすいとの事でした。成仏できない霊が成仏したいが為に私に頼ってきているようでした。
    お祓い部屋に入ると涙がボロボロと流れてきました。ご住職が前に座り、合掌してCDのお経を聴いていると、私も実際にお祓いのYouTubeで見ていたように手が揺れ始め、悲しくて、ずっと涙が止まらない状況でした。
    次にご住職がお経をあげて下さり、また身体・手が揺れ始め、苦しい感じがありましたが、合掌した手が上へ上へと挙がって、憑いたものが私の身体から抜けていく感じが分かりました。終わった後にヒーリングというものを施術して頂き、何とも言えない心地の良い空間に包まれた感じで、身体が楽になりました。
    今回の霊障は軽いものでしたが、今後身に危険を及ぼす霊障を受ける可能性もあるとの事で、今日施術して頂いた密教ヒーリングを学び、自身の身体の調整ができるようになろうと決意致しました!!ご住職の『気』の力も見せて頂きましたが、自身の身体も気の力で動いて大変驚きました。
    この度は、お祓いに続いて色々とアドバイスも頂き、不安から解放されました。本当に有難うございました。

    ぼくはこの天光寺に来て学んだことが何個もあります。まず僧侶のかたに「この天光寺につれて来たお母さんやお父さんをうらんじゃだめだよ。なぜかというと、ぜったいいい経験になるから。」と聞いてうらんでいた気持ちが消えました。自分でもかならずいい経験になるよな。と思ったからです。また「友達をきずつけたり苦しませないようにするウソはいいけど、正直に言わないウソはやめよう。」と言われました。「人がいない所でウソやずるをするのはやめなさい。せっかく来ているんだからちゃんと修行しなきゃ。親をうらぎりたくないでしょ。」とも言われ、そうだな、うらぎりたくないな。と思いました。なので➀ウソをつかない➁メリハリをつける➂ウソをつくような悪いことをしない。ということを心がけようと思いました。ぼくは人がいない所でもウソをついてしまいます。2日目の朝のそうじがまだ少し終わってないのに終わりましたとウソをついてしまいました。3日目は大変だな、つらいな。と思いましたががまんしてそうじをしました。終わると終わったぁ。と心がスッキリとしました。あとは滝行です。ぼくは2回いきました。2回目できがついたことははっきり「南無大師遍金剛」と何回か言うと体がスッキリしました。自分では悪しきものが滝に流されてでていったのかなと思いました。なのでウソはつかないようにします。
    自分で思ったことはウソをつかないでまじめにやったら1時間くらいで終わるのに、ウソをつきもう1回やり直しになったら2時間ぐらいプラスになるのになんでぼくは時間がかかる方をわざわざやっているんだろう。と思いました。それにウソをつけば自分にもウソをつくしウソをつかれた方も傷つくのに。と思いました。でもウソをつかず正直に言えば絶対心のモヤモヤも消えるし、相手はこの人は正直に言うんだな。信用できるな。と思ってもらえるなと思いました。ウソをつくほど人が自分に信用できる気持ちがなくなるなと思いました。自分が信用されないのはいやです。たとえば、自分じゃないのに「何をこわした。」と言われるのはすごくいやなので、これから直せばきっとよくなると思います。僧侶のかたに「子どものうちに気づけばいいんだよ。だから直しな。」と言われました。自分は今この修行に行けていてありがたいなと思いました。ビデオを見た時住職さんが「つらくても負けないぞという気持ちがあったら負けないから。」と言っていました。ぼくはウソ以外でもきちんとしようと思います。たとえば物をとったりいじめたり不登校だったり。これからつらいつらいということがあっても、住職さんが言っていた「負けないぞ」という気持ちを持ちながら生活しようと思います。
    お母さんやお父さんは「チャンスをムダにしないで。」と言ってくれました。上にあがれるチャンスなのでムダにしないで生活しようと思います。いろんな人に注意され助けてもらったのでそれをムダにしないようにうらぎらないようにがんばります。家に帰ったからと気をゆるめずにがんばります。
    お母さんお父さんをうらぎらないよう、天光寺の人たちをうらぎらないように正直に悪いことをせずに生活します。

    自分はこの天光寺に来て色々な事をみにつけました。その色々とは、どのような事があったのかというのをせつめいします。自分は天光寺に来てまずした事はゆうごはんのじゅんびのてつだいです。ふだんあまり自分の家のごはんのじゅんびをする事はないんですけど、天光寺でそのごはんのじゅんびのてつだいをしていると自分の家でもちゃんとそういうてつだいをしなきゃなって思いました。そしてふとんをしいてねました。この時に自分は早く家でもねなきゃなと思いながらねました。その次の日には朝早くおきて寺のそうじをしました。自分はげたばこのぞうきんがけをしました。そうじをおえて片づけると気もちがよくなるなと感じました。そのあと昼ごはんのよういをして食べて自分でお皿をあらいました。自分の家ではあまりお皿をあらった事がなかったんで自分の中でこれからはこまめに家でもあらうようにしたいと思います。そしてめいそうの時間を三十分あたりの時間やりました。心も体もすごくやすらぐような感じでした。おきょうは一時間あたりの時間唱えました。般若心経というおきょうをれんぞくでとなえました。唱えれば唱えるほどなんだか心がおちつくようになってきました。一番つらかった滝行では、おひゃくどまいりというのを長くやりました。走ったあと止まって南無大師遍照金剛と3回唱えてれいをするのをやりました。そのあとへやにはいり少しきゅうけいをして車で滝まで行きました。山を高く登り滝に着きました。滝に入る前になむさんおうだいしん、なむりゅうおうだいしんと3回唱えてあたまとかたと顔に水をかけてさいごにあたまから水をかぶせたら南無大師遍照金剛と唱え続けてせなかをつけたり座ったりして終えました。その滝行では自分のいままでの悪行をはんせいしながら入りました。例えばウソをついたり学校に行かなかった事について深くはんせいしながら入りました。出たあとはなむさんおうだいしんありがとうございます、なむりゅうおうだいしんありがとうございます、みなさんおうえんありがとうございます。を言いました。そのあと今までのあやまりとこの天光寺で何をやったのか何をふまえてはんせいしたのかをかきました。その時に自分はなんでこんな事をしてしまったのかというのを考えたりお母さんにどういう気持ちではんせいすればいいのかを考えながら書きました。
    そして天光寺の人たちにはとてもおせわになりました。とてもやさしく色んな事を教えてくれました。若い僧侶のかたは初めて天光寺に来たときにすごくていねいにせっしてくれた人です。他の人もすごくていねいにせっしてくれたり、やさしく分からない事を教えてくれてとてもいい人たちでした。この天光寺に来てさまざまな体験をしました。滝行やめいそう、お経や色んな事のてつだいをしましました。とくに心に残っていることは滝行です。滝行では色んな願い事や悪い事をした事をはんせいしました。自分は天光寺に来て一番こわかったのは滝行でした。自分の中で滝行はとてもきつくて苦しい物だとそうぞうしていたのでとてもドキドキしていました。だけど入って出た時はとてもスッキリしました。この五日間おこられたり色んなことがあったけどとても楽しかったしいい経験になりました。ありがとうございました。

    私は、すこし難しい事を言っていて分からない事もあったけど、先生と皆で読んだ心の持ち方に似た物を聞いて、でも全部はできないけど、すこしはいしきして出きそうと思ったから、いしきして普段の生活にいかしたいです。先生が、あきらめちゃいけないって言っていたので、自分もあきらめずに学校に週四行けるようになります。そしてここで、一週間つらい事もあったけど、すこしは人間的にしょうじんできたと思ったので、ここでの修行した事は忘れずに生活でもいかしていけたらいいと思いました。そしてここでの生活で、家ぞくのありがたみ、あたたかみが良く分かり、お母さんたちに感謝の言葉を言いたいです。そしてここでおせわになったお寺の人もにも感謝の言葉を言いたいです。ここでたき行やおきょうなどもできてよかったとも思います。ここは色々な人がくるのですこし自分はひとみしりしちゃったけどすこしはこくふくできてよかったです。

    この度天光寺の一泊二日の修行体験を受けさせて頂いて普段の生活では経験できないことが体験できないことが体験できたように思います。
    お百度参り・滝行・お経と実際に体験して本当に厳しいものだと、修行とはこういうものなんだと、ほんの一部かもしれませんが感じることができました。
    様々な情報が溢れる現代の世の中で普通に生きていると思い生活してきましたが、自分が生きる事についてどれだけ無関心に、どうでも良いような事を気にして生きてきたのか気付かされたように思います。
    日々の生活や仕事の中で人間関係によるストレスを感じる事もあり、はらを立てたりにくんだり余計な感情を長い間持ち続け、人と比べて自分には何もない劣った人間だと自信を無くして投げ出したり諦めてしまう事が多くあり負の感情が常に存在している状態になりますが、これから先どのような生き方をしていくのか自分を信じてなりたい自分に近づける様に強い信念を持って日々の生活を送って行きたいと思います。
    一泊二日の修行体験の間に思いがけず様々な理由で中長期に渡り修行を行っている若い方々とご一緒させて頂きました。
    若い方と接する機会も中々無いことなのですが、年齢差に関係なく接して頂いた事で若い方々の素直さに触れる事ができ、とても素直な気持ちにさせて頂いたと実感しております。
    この機会を頂いた天光寺の皆様ならびに修行をご一緒させて頂いた皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。
    天光寺様の益々のご発展をお祈り申し上げます。

    はじめにまずこの様な形で天光寺の皆様にお世話になっております事を心よりお礼申し上げます。突然の事でありながら受け入れて下さった事感謝致します。
    法話を拝聴致しまして、改めて先生の博学と説得力のあるお言葉に深く感動致しました。一時間半という法話の全てをここでひとつひとつ感想の言葉を述べるのには限りがありますので心に響いた点をいくつか取り上げたいと思います。漢字がわからずひらがなの使用が多くなります事、お許し下さい。
    ひとつ目は守護霊は宇宙のビッグバンであるという事。スピリチュアルの世界では「守護霊」はハイヤーセルフなどと呼ばれたり致します。私が初めて先生にお会いした時、先生の覚醒時の体験を聞かせて頂き大変おどろきました。先生ご自身の生き方また宇宙との深いつながりそのものが守護霊となったのだと改めて感じました。
    ふたつ目には空海に関する事です。空海に関するエピソードは亡き祖母やいろいろな本、テレビなどから見聞きしておりましたが、先生の法話から空海は渡来人であるという言葉を聞きいままでなぞであった部分のパズルのピースがぴたりとあてはまりました。複数の言語を理解し短期間でサンスクリット語を理解できました事はまさに超人という言葉がぴったりでした。恵果和尚の「来ることがわかっていた」という言葉が何か胸に深く響くものがございました。今回、「体は高野、心は東寺」という言葉も初めて知りました。
    三つ目に仏教はユングやフロイトに影響を与えたという言葉、そして仏教がさまざまな宗派に分かれている事は本来あるべき姿ではないとの言葉に「その通りだ」と賛同の気持ちが生まれました。
    四つ目に前世の記憶です。私、初めて先生にお会いした折、前世の記憶について語りましたが覚えておられるでしょうか?私の頭の中に語りかけてくる霊能者達は私の前世の記憶を変えてくれました。
    五つ目にテキストを全員で読むシーンがありました。その中で「信義を守る」が心に残りました。
    私はいまこの戦いに勝たねばならないと思います。そのために夫と必死に頑張っております。

    本日はご住職様のありがたいビデオを拝聴させて頂きありがとうございました。
    ご住職様のご指導が素晴らしく見習える部分は真似をさせて頂き、自分を守りつつ偽善者ではない真の心で接していきたいなと思いました。お釈迦様や仏教の理解はまだ全く出来ませんが会社経営の方々がこの天光寺にいらっしゃってたことにも驚きでした。
    実は私の父も松下電器、松下幸之助会長の秘書をやっておりました。その父の躾も現代の私からすれば行きすぎかなと思うところが多々ありましたが、自分自身、父からの辛い躾も今となっては自然に行動に移せることも出来ているのかなと思いました。今では負の自分の方が強いです。
    天光寺様で教わった教訓を思い出しながらこれからの人生を明るく生きていこうという所存でございます。
    一泊ではありましたが皆と協力して助け合っていくことを少しは学べたかなと思っております。

    私は、今回体験しゅ業をして自分の考え方が変わりました。以前の私は「滝行なんて寒いだけ。」という考えで簡単なものだと思っていたけれど実際やってみると息ができなくなったり頭がいたくなったりなどとてもきびしいしゅ業でした。滝行をおこなうまでの道のりもつらくとくに下りが大変でした。お百度参りでは、はだしでコンクリートの上を走り、冬ということもあり足の感覚がなくなりかけました。終わったときには達成感がありとても気持ちよかったです。
    お寺での生活では夜22時しゅうしんで朝6時きしょうで自分の生活と一緒でしたが、朝からそうじをやったりこれだけ自分の生活とちがってしんせんな体験をすることができました。

    2週間ここに居て感じたことは、当たり前にあることに対して感謝することです。一番感謝をできていなかったのが一番支えてくれている家族に対してです。生まれてからずっと側にいるからいて当たり前のそんざいになっていて支えられていることにも気づかず自分の為に言ってくれたことに対しても反抗ばかりしちゃってたし、今思えばすごくひねくれた考えをしていて家族も他人も変わらないしみんないなくなってもいいと思ったことまでありました。だけど実際にはなれると、すごくさみしかったし毎日家族は何してるかなと考えてしまうくらいでした。
    普段ストレスになっていた兄弟の声も何回も呼ぶ両親の声も何も聞こえなくて逆にしんどくて両親が普段言っていた日常に感謝しなさいの意味がすごくよく分かりました。
    あんなに何回も言ってくれたのに受け入れることなく自分勝手な考え方をしていた自分や悪いところをみとめずひねくれた発言ばかりしていた自分と向き合って日常が当たり前じゃないことをしっかり認識することができた2週間になりました。家にかえってもここで感じたことや学んだことを忘れずに生活していきます。

    昔から運も悪く、最近も良くないこと続きで悩んで悩んで天光寺さんに相談しました。
    霊的なものか分からないけど、お祓いは受けた方が良さそうだったので、予約させて頂きました。
    頭や肩も重く、毎日とても億劫な気持ちでしたが、電車とバスを乗り継いで天光寺へ向かいました。久しぶりに緑に囲まれた山の中へ来て、自然の空気を吸うことができました。
    緊張の中、申込や家系図など書いていると、住職さんが優しく声をかけて下さいました。
    次元のお話などの説明を受け、次にお祓いのお部屋に案内して頂きました。
    目を瞑り合掌をして『暁天』というCDを聴きました。私の身体に変化はなく、霊的なものではなかったようですが、たくさん悪い邪気を引き寄せて、メンタルも低下しているようで、邪気祓いをして頂きました。
    私の身体は揺れたりなどはしませんでしたが、手を合わせ、ただただ身体が良くなるようにお祈りしていました。今まで辛かった事などを思い出し、なぜか涙もたくさん出ました。
    続けて、ヒーリングというものをして頂きました。住職さんの手からはとても不思議な温かいパワーのようなものを感じ、空を飛んでいるような心地の良い空間を体験しました。
    施術の後、視界がとても明るくなり、心がとてもすっきりとしました。
    本堂に案内して頂いて、大日如来様、空海様、不動明王様にお参りをさせて頂きました。とても広くで立派なお寺でした。
    最後に書類をたくさん頂きました。心の持ち方など、生きていく上でとても良い事が書かれていました。参考にさせて頂きます。
    久しぶりに『生きている』という心地がしました。今度は滝行にチャレンジさせて頂くお約束をして帰ってきました。楽しみです。
    今の気持ちが崩れないように、目標を持ってこれからの時間を大事に生きていこうと思います。定期的に体験修行に参加して、自身を見つめ直していきたいです。

    2泊3日の体験修行を通して感じた事は修行は、この3日間で終了ではないと言うことです。 多くの事を体験させていただきましたが全てをするうえで一番大切な事は、自分自身がどのように取り組むかが一番大切だと感じました。
    特に実感したのは写経をした時です。初めは早くやろうという気持ちで行っていました。途中で見返した時に自分の字のきたなさに驚きました。一字一字丁寧に気持ちを込めて写経をしたら、その後の達成感、気持ちの良さは格別のものでした。物事を取り組むうで、どの様に取り組み、どの様に感じたいか、また、自分が出来る事を自分が出来る事を探し積極的に行動するか今後、日常生活を送るうえで気を付けて行動していきたいとおもいます。
    また、テレビでの報道が有ったので修行にくるのが少し不安でしたが、報道で有った様な事は一切なく、3日間の体験修行を有意義に過ごすことができました。
    この事は住職先生以下スタッフの皆様の指導のおかげです。
    ありがとうございました。

    ある時、霊感のある知人から生霊が憑いていると言われてからやはり身体の調子が思わしくなく、体調不良にずっと悩まされていました。今回、お祓いでとても有名な天光寺さんでお祓いを受けました。やはり生霊が憑いていたようで、今お付き合いしている方の前の彼女の生霊のようでした。
    この世に生霊というものが事実存在する事にびっくりしましたし、今後も気を付けなければならないと思いました。今お付き合いしている方と一緒に訪問しましたが、以前の彼女の方の執着が強かったとの事でした。
    お祓いの間、まず呪文のようなCDを聴いて途中から自分の意識も半分あったような状況で、とても苦しかったのを覚えています。そのあとにお経が始まってさらに辛かったのを覚えています。
    お祓いをして頂いた後、とても身体が楽になりましたが、今後の不安もあり、身を守るために霊符を購入させて頂く事となりました。また住職からご厚意で護摩木も頂き、書かせて頂きました。
    目に見えなくてこの世に存在するもの。今回目の当たりにされました。また住職のお力を身に感じ、びっくりさせられました。
    今も信じられませんが、身体もとても楽になりましたし、少し遠いですが、訪れて本当に良かったです。ありがとうございました。
    滝行もおすすめされましたので、今度、挑戦させて頂こうと思います!!

    今回は企業研修という縁で、こちらで修行をさせていただきました。この三日間は初めてのことばかりで、気を抜くことが大切だと言われつつも、完全に抜くことは出来ませんでした。過去の経験上、普通の道から一度外れたことがあるため、他の人よりも劣っていると感じている部分が多くありました。
    今回三日間を通して、幸せになるための生き方のヒントを教えて頂き、苦しかった中にたくさんの幸せを見つけることができました。
    一つ目は「運動」です。私が一番苦手としていることであり、最小限にしてきた部分でした。お百度参りや滝行、三禮など体力の無い私にとっては苦しみしかありませんでした。しかし、「運を動かす」と聞いた瞬間、そうだったのかと勿体ない事をしていたのだと気づきました。行動する事がまさに大切なのだという事、その為にしなければならないのが運動。社会に出る前に自分から運を遠ざけていた事に気付いたため、今後も運動することは大切にしていきたいです。
    二つ目は「仲間」です。友人付き合い等苦手ではないのですが、時に言いたいことを言えない、信じたいけどどこまで信じれば良いのか、五年程悩んできました。しかし、今回の苦しい修行には必ず仲間の支えがあり、ここまで応援をしてもらっているのに信じきれていなかった自分に腹が立ちました。何より、私自身がみんなに信頼してもらえる人間になりたいという意志があったのにも関わらず、真逆の考え方をしていたのだと気付きました。自分が苦しい時に支えて応援してくれているみんなに対して感謝と信頼を忘れる事なく行動できる人間に変わりたいです。
    三つ目は「一人も欠けてはならない」です。今回同期からあと二人来る予定でしたが、各々都合があるとの事で全員揃いませんでした。目的を達成することは勿論大切です。しかし一期生として、みんなで会社をつくっていくんだという時に一人でも欠けてしまうと、こんなにも気になって今後どのようにサポートをしていくべきなのか頭から離れませんでした。みんなでやる事の意味を知るいい機会になりました。
    この会社では全員の考え方は違えど目標を達成することにこだわっています。誰一人として自分が必要ではないと思われないように周りは見るように心がけようと思います。
    一日一日苦しい思いをしていましたが、結果としてやりきった達成感と発見をたくさん見つけることができた三日間でした。ありがとうございました。

    この度はお祓いをして助けて頂き、大変感謝致します。
    私はここ最近、立て続けに2回事故に遭い、それもいつも慣れた道での交通事故でした。あまりにも不運続きでだんだんと不安になってきたところ、金縛りにもあうようになり、不眠続きで、また自宅の電気が勝手に付いたり消えたり不可解な現象が起きるようになりました。お祓いをしてもらえるところを探していると、あるところからお祓いと先祖供養で3百万円かかることを伝えられ、絶望的になっていました。すると友人が調べてきてくれた「天光寺」というお寺に友人が問い合わせてくれました。料金は最大で15万円かかると言われましたが、15万円以上かかることはないとの事で、予約をさせて頂きました。
    友人が一緒に来てくれ、私と妻と二人お祓いを受ける事になりました。家族であれば同じ金額で3人まで見て頂けるという事でした。
    はじめに応接室で相談し、住職から説明を受けました。その後にお祓いのお部屋に案内されて移動しました。とても立派なお部屋で、空気もまた変わった感じがしました。
    お祓いを受けている間、とても悲しく、つらく涙が出てきました。合掌している手がだんだんと上へ上へと挙がったのを覚えています。どうやら私についていた不成仏霊が私の身体から抜けて成仏されたようです。今思い返すと、事故に遭った通りは、今までも事故が多く亡くなられた方もいるので、もしかしたら、そこで亡くなられた方が成仏されずにいたのかもしれません。
    今回は不思議な体験をしましたが、本当に身体も楽になり、心配していた妻も友人もホッとした様子でした。救われました。
    住職からも、霊を寄せつけない方法など教えて頂きました。最後に書類も頂きました。自分に欠けている事がたくさん書いてありました。これを機に、人生を振り返り、考え方など意識をして、今度はまた体験修行に参加させて頂こうと思います。よろしくお願い致します。

    一泊二日という限られた時間ではありましたが、貴重な時間を過ごさせていただけました。同時に、ふだんの生活がいかに恵まれた環境であるかということも行をとおして体感することができました。
    もともと、暗く内向的かつ人と話をするのが苦手でしたが、写経や滝行により、余計な事を考えず、何かに没入するという時間をすごせ、むき出しの自分の姿を垣間見ることができ、久しぶりに生き生きとした感覚を感じることができたと思います。
    人生は、山あり谷ありと思いますので、またどこかで立ち止まったり落ち込んでしまうようなことがあった際には、改めて行に戻ってきたいと思います。
    9月からの新しい仕事も、しっかりとこなせるよう頑張ります。本当に素晴らしい時間と機会をありがとうございました。

    はじめは滝に打たれて五感六感を研ぎ澄ます事が目的で来たけれど一泊二日の内容は盛りだくさん。お百度参りやお経を読んだり写経をしたり瞑想や腹式呼吸の発声練習など初体験をたくさんできました。

    楽しみにしていた時は思った以上に勢いが強くまだまだ自然と一体になるまで体感出来ずひたすら頑張った時間になりました。周りは大好きな自然や緑でいっぱいなのにそこを楽しむ余裕は無くて勢い強さに耐えるのに精一杯普段の生活でも何か頑張ってつらい時まわりにあるステキなものを見過ごしているのかもという気づきがありました。我慢して踏ん張ることも大切だけどその時にだけ見たり感じたり出来る事も見逃さないようにしていきたいです。

    お百度参りが百回きちんとした訳ではないけど一番お気に入りでした。滝では何かを願う余裕はなかったけどお百度参りでは大好きなペットを想って走りました。一番集中できて優しいほっこりした気持ちになれました。意外と朝のそうじの時間も仏様の水を替える時に丁寧な気持ちでしたり、家や仕事場もお手洗いは一つなのでたくさんあるトイレ掃除が学生以来で楽しすぎました。今に集中する体験を一泊二日で数多く体験できてしっかり集中して楽しめたものもあるし、お経とか眠たくなってしまうのもあったけどとにかく新しい発見をいっぱい出来て嬉しかったです。もっと自然や緑を全身で感じながら滝に打たれるようになりたいのでまた来たいです。

    二日間ありがとうございました。端的に感想を申し上げると「とても清々しい気持ちになることが出来た」という気持ちです。

    日常生活では常に「何か」を考えたり、頭の中にあったりすることがほとんどです。そんな中、この二日間は目の前の事だけに真摯に向き合い、丁寧に対心する生活でした。今まで不要に使われていた自分の心や頭を浄化することができた二日間だったと思います。初めての体験ばかりで、新しい自分に出会うことができ、とても前向きな気分です。

    また住込みの修行僧見習いの方にお声がけいただき、「感じやすい人かもしれない」と言っていただけたのはありがたかったです。自分は人よりも周りの感情や思考に影響されることが多い感覚があったのでとても納得できました。

    積極的な心を持つこと、自分の心や頭をシンプルにすること、物事に丁寧に向き合うことこの三つを大事にしようと思います。

    二日間、大変お忙しい中対応いただいたことを深く感謝します。修行僧見習いの方々、先生本当にありがとうございました。

    滝行の辛さ、怖さと住職さんが実演してくださった“氣”がこの二日間で強く印象に残りました。ただ滝へ行き、水に打たれ、自然と一体になるのではなく、修行前に滝と山の神様への挨拶・感謝をすることや入水中に南無大師遍照金剛と唱えるのは空海の教えを授かろうとする意図があると教えて頂き、作法一つ一つの意味や神様を敬う姿勢など興味深く感じました。

    入水前はおじけずいてしまい、おけの水を頭から浴びた時に呼吸が乱れてしまい、パニックに陥ってしまった時はどうなることかと思いました。入水中は痛い、苦しい、冷たいの感覚しかなく、それ以外何も考える余裕がなく、必死に南無大師遍照金剛と唱えていました。正直なところ、水に頭を打たれた時、頭痛に耐えきれずに前に逃げてしまい頑張り切れなかった部分があり後悔を少ししています。終了後には達成感と不思議な全身に走った温かみを感じましたが、もう少し逃げずに向き合っていたらまた違う感覚が得られたんだろうなと思うと同時にまた滝行に挑戦しようと決意しました。

    住職さんが自ら“氣”を見せて下さった時は、失礼を承知の上で書きますが、全く信用出来ませんでした。といいますのも自分自身そういった類のものを目の前で見るのも初めてで、周りに霊感がある人もおらず、新しいものを受け入れることが出来なかったんだと思います。後に住込み修行僧の方々に、本当に身体が自分の意志とは関係なく動いたという話を聞き、見た事の無い世界を見せて頂いた気分で感動しました。

    これはこの体験修行全体を通して感じた事でもあります。目にする仏像や写真の一つ一つ、それらに敬意を払う仏法や所作、それらを行っている方々とお話して、自分が今まで持っていなかった新しい世界の見方を学びました。仏教や宗教自体を身をもって体感するのが初めてな自分には今日聞いたお話全て丸のみにして信じきるのは抵抗がありますが、自分が見ている世界を見る別な視点、そして世の中の力全般(人間力、対人力など)をこれらを通して学ぶことが出来る一つの考えのようなものだと今の段階では解釈しています。自分が知らない世界、理解できない世界があると肌で感じられただけでも来て良かったと実感しています。

    また一つ、この二日間を通して自分が受けた恩恵として、とても集中することが出来たということがあります。スマホから離れたというのも大きいかもしれませんが、写経や般若心経一時間唱えた時など時間があっという間に過ぎ、普段集中力が途切れ途切れになってしまう分、自分でびっくりしました。スマホ生活で失われていたものが少しだけ取り戻せたような気がします。集中できたことに加えて、心が浄化された感覚もこの滞在中にありました。自然に囲まれた静寂の中、瞑想や滝行をして心が軽くなった気がします。心が疲れた事もここへ来た理由の一つだったので、そういった意味でこの恩恵を受けられて良かったです。

    住職さんが法話の中でおっしゃっていた自分が舞台と主役になれというお話から特に学ぶものがありました。舞台、役者になるために人脈の大切さ、人脈を得るためには他人への礼儀作法の大切さを説かれていましたが、自分にはまだしっかりとした礼儀や利他的な行動が出来ていないので住職さんのお話は自分への戒めとなりました。自分の事ばかりに目が向き、意識も内向的になりがちなのですが、自念障害のお話を聞いた際、やはり攻めないといけないなと感じました。

    二日間はかなり短く、もっと居ればもっと得られるものもあるだろうという実感があるのでもう少し居たかったという思いもあります。貴重な体験をさせて頂き感謝しています。お世話になった方々に感謝しています。ありがとうございました。

    私が研修の中で、最も印象に残ったのは、「しっかりとした挨拶」でした。それによって「チャンスを掴めるか」によって「舞台で役者を演じる」ことができます。これらの言葉は全てご住職が仰っていたことです。人脈があることによってチャンスが生まれる。いつどこに潜んでいるのか分かりません。だからこそ、誰に対しても丁寧な挨拶で振る舞うことを教わりました。

    特に「頭を下げる時と上げる時の速さを一定にする」ことが大切だと感じました。なぜなら、それができている人がとても少ないからです。それだけで好印象を与えることができます。よく考えれば当たり前のことですが、大体の人ができていないことなのです。だからこそ、当たり前のことを当たり前にするということがこの世の中で大切だと改めて痛感した研修でした。

    また、言われたことをきちんと行うということを強く意識した研修でもありました。これは、当たり前のことです。しかし、自分を含め周りの人も同じことを言われてしまう場面が多かったです。言われたことに対して、ただ返事をするのではなく、責任を持った返事を途中から意識しました。そうすると、自然に声は大きくなり、はっきりしていることに気づきました。いくら表面では意識しているといっても、そういった細かい部分に人間性が出るものだと思いました。今までなんとなくやっていたことが、自分にとってどれだけ大きな意味を持っているのか改めて知れた研修でした。

    まとめると、凡事徹底によって、人生が好転すると感じた研修でした。誰よりも当たり前のことに対して百パーセント以上で取り組む。たったそれだけで、特別な人間になれると強く感じました。だから目の前にある物事に対して、今に対して真剣に向き合うこと。今から徹底して行動します。例えば、きびきびとした行動、ちょっとした移動など、ふだんよくある状況です。しかし、そこで機敏な行動をするだけで、私生活は一変します。だらだらとしていれば、全てがだらだらしてしまいます。こういったさりげない行動が大切だと感じています。今思えば、一日目の研修で言われていたことが分かります。この気づきによって、自分は今以上により成長できます。この文を書き終わる今から凡事徹底された人間を目指し、精進してまいります。このような貴重な経験をさせて頂きありがとうございました。結果で恩返しします。

    以前からずっと鬱病を患っていました。最近は特にひどくパニック状態に陥ることがあり車の運転もできなくなってしまいました。次第にアルコール依存になりつつあります。娘は同性愛であることが分かり家出をしてしまいました。病院に頼りたくないが頼らざるを得ず、薬は増え、誰に相談したらよいのか、何が悪いのか、今の自分をどうすることもできず、彷徨っていた時に天光寺さんのホームページに出会いました。見えない霊の仕業かどうか分からないものの、藁をもすがる思いでお祓い・除霊をして頂きました。

    最初に現在の状況などカウンセリングをして頂き、霊的な世界やこの世の仕組みのお話を住職から伺いました。お話は一度では到底理解できない深い内容で、次にお祓いのお部屋へ通されました。少し暗く怖い印象でしたし、最初に聞いたCDも生まれて初めての何とも表現しがたいものだったので緊張してしまいました。聞いているうちに合掌していた手が勝手にブルブル震えだし、自分に何が起こっているのかよくわかりませんでした。その後本格的なお経が始まりました。太鼓や鈴の音などが鳴り出すと身体が反応し、うずくまってしまう自分がいました。途中住職に「お祖母さん、お祖母さんだね?」と呼びかけられたのを記憶しています。どうやら祖母が私を案じて降りて来たらしいのです。幼い頃からお祖母さん子だったので、色々なことが思い出され泣き出してしまいました。続けて受けたヒーリング中もずっと涙が止まらず、心に抑えてきた感情が溢れ出しているように感じました。自分一人で戦ってきたと思っていましたが、見えないところで見守ってくれている存在や、心の闇に付け込んで寄ってくる存在もいることが分かりました。

    今まで自分を大事にせず否定ばかりしてきました。そして苦しいことや災いを周りのせいにし、感謝の気持ちをなくしていることに気付きました。こうした心がよからぬ霊を引き寄せてしまうのだそうです。最後に住職から生き方の指南を教わり、心の持ち方や、自分を変えるためのアドバイスを頂きました。これからはもっと積極的に生きるようにしたいと思いました。まずは滝に打たれて心を鍛えていこうと思います。

    これからもご指導をよろしくお願い致します。ありがとうございました。

    一泊二日の修行体験を通じての感想

    直近の半年ほどの間、私自身の中にちょっとした変化が生じました。昨秋の健康診断で肝機能障害がかなり進行している事が発覚し、一念発起して食事管理や運動に真剣に取り組む事に決めたのですが、その甲斐あって二月には肝機能を示す数値も正常となり、ダイエットのお陰で体も思いのほか軽くなりました。

    そんな折、たまたま天光寺様の修行体験の存在を知り、自身のこれまでの人生を見つめ直し、これからの人生をより良く生きる為の契機となればと、本体験修行に申し込ませて頂いた次第です。以前の私であれば消極的で新しい事に挑む気持ちに欠くこともあって修行体験に申し込むようなことは無かったかもしれませんがこのような一歩を踏み出せたことに少々オーバーかもしれませんが、何か運命的なものを感じております。

    さて、一泊二日の修行体験ですが、恐らく一生涯忘れられない経験となったと思います。挨拶の作法のご指導から始まり、言葉に出して感謝の念を伝える大切さ、日ごろの生活の中のひとつひとつの事柄に対する感謝の思いを持つことの大事さに改めて触れられた思いでした。

    お食事はこちらへ参る前に私が想像していた所謂「お寺で頂く精進料理」とは異なり、とても美味しくて素材の味がよく味わえるものでどれも美味しく頂けました。出来るだけ自然そのままの物を摂る事が身体にとって最も良いのだという事をダイエット実践の中で学んでいただけにその「食」の理想形を肌身感じられた思いで感動すら覚えました。

    お百度参りと滝行は、今回の修行体験の中で私が申し込み時から最も期待していたいわばメインイベントのように思っていた行の体験でしたが、その期待を裏切らない素晴らしい体験となりました。お百度参りでは、その日初めて知り合った者4名が、最初は今一つそろっていなかった「南無大師遍照金剛」を唱えるタイミングが回を重ねる毎にぴったりと合うようになり皆さんと通じ合えたかのようになっていったのはある種驚きでした。

    滝行ではまず水の勢いというか威力のようなものに圧倒されたものの次第に少し水に打たれる事の心地よさのようなものを覚えていったように思えます。自然のパワーを目一杯頂けている思いは大変貴重な体験となりました。又、行を終えた後に他の参加者の皆さんに拍手に迎えてもらえた事が、とても嬉しかったです。

    般若心経を一時間唱えた事、何よりも一時間といういつもなら長く感じる時間があっという間に経ってしまったように感じられ、とても驚きました。更にその同じ般若心経の写経と、大日如来の写仏が続いたのもとても良い体験でした。写経はこれまでにも何度か経験していますが、写仏は初めてでしたので、こちらも有難い体験をさせて頂きました。

    翌朝の仏様のお水替えや、掃除等、お寺での修行ならではといった感じで良かったです。瞑想体験も今回が初めてでした。自宅でも出来そうですので、生活の中に是非取り入れていきたいと思います。

    法話の一時間半、大変興味深いお話で時間があっという間に過ぎてしまいました。生活の知恵としてすぐにでも活かせそうなお話が多く、とても為になりました。

    今回の一泊二日の貴重な体験とても満足いくものとなりました機会があれば是非又参りたいと思います。

    昔から霊障に悩まされており、色々なところでみてもらったり、お祓いを受けたりしてきましたが、一向に良くならずしんどい毎日を送ってきました。

    ある日、とても強い悪い何かに憑りつかれたのがわかりました。今までで一番強く感じるものでした。毎日自分の身体の中で攻撃をしてきて、だんだんと日常生活ができないくらいまで精神的にもやられてしまい、そんな時ずっと前から気になっていた天光寺というお寺へ行こうと決心し、とりあえずホームページから問い合わせをしました。すると翌日に電話を下さり相談する事ができました。そして予約を取らせて頂き、伺いました。

    お寺の玄関に入るとパワーを感じ、また住職にお会いすると住職からのパワーが凄くて圧倒されてしまいました。住職が私の身体に触れずに手をかざすと、私の身体がふうっと後ろに押されるような、押し倒されるような強いパワーを感じました。また、仏様のお部屋に入ると、身体がしんどくなり、立っていられなくなりました。住職からは『あなたは神気なんですよ』と言われました。漢字の通り、神からの気を受けているようで、今まで気付かずに過ごしてきてしまい、悪い物が憑いてしまったようです。

    お祓い部屋で除霊をして頂き、とてもしんどかったですが、住職が旗のようなものを持ってこられ、私の手に渡し、太鼓が鳴ると、私の身体は勝手に旗を振りながら踊るように跳ねだしました。その後とても身体が楽になりました。住職が『あなたは神気だから、きちんと神受けをすると、もっと楽になりますよ』と言われ、両親にも相談をして考えようと思います。今まで色んな所で見てもらいましたが、住職の力は本物で今までにない不思議なパワーを感じさせて頂きました。今でも信じられないくらいです。身体も楽になり待ちに待ったという感じでした。お導きだと感じさせられました。

    住職からのアドバイスで、これからは身体の調子を見ながら少しずつ勉強をして、お経も学んでいきたいと思います。希望が持てました!!ありがとうございました!!

    3か月前に引っ越してきてから、不幸続きで悩んでいました。事故に遭う、頭痛が止まない、金縛り合いぐっすり眠れずに睡眠不足から精神科に通い出し、精神薬を飲むようになってしまった。幻聴や幻覚なのか、不可解な音や人の声、人の気配を感じるようになり、しんどい日々が続くようになりました。そんな時、職場の友人から、お祓いを勧められ、『ここに相談するといいよ』とメールをくれ、天光寺を紹介されました。迷う事なく電話をかけてみると、優しく状況を聞いてくれ、直近で予約の空いているところを教えて下さり、予約を取らせて頂きました。

    お祓い当日、緊張の中お寺に向かいました。山の中をけっこう走って到着しました。母親が運転してついてきてくれたので一緒に話を聞きました。私は霊媒体質のようで、今回たちの悪い悪霊が憑りついてしまったようで、不運が続きしんどい状況となっていたようでした。

    お祓いのお部屋に移動しました。目を瞑って合掌し、CDが流れてきました。ここで、霊障であると身体が揺れると聞いていました。しばらくすると、合掌している手が揺れ始めるのを感じました。少し苦しい感じがあり、不思議な感覚でした。

    次に住職がお経を読む横で座り、合掌して目を瞑りました。だんだんと身体が揺れて苦しさが増してきました。嘔吐もしてしまったようで、バケツも用意して下さっていました。とにかくしんどい思いをしました。最後に住職がお腹を押して、悪い物を出してくれました。疲れましたが身体が軽くスッキリしたのを体感しました。自分の体質では、憑りつかれやすいとの事で、これから勉強をして自身の調子を図れるようにしていかないと、同じ事の繰り返しになると言われました。

    母親も驚いた様子でした。母親の話によると、父親も霊感の強い人だったと初めて聞かされました。今思うと、今までおかしな出来事があった事を思い出し、話がつながりました。まずヒーリングの勉強をして、身体の調子を整えていけるように、頑張らせて頂きたいと思います。天光寺に辿り着けて本当に助けられました。ありがとうございます。

    近頃自分の本当にやりたいことや好きな事が分からず無気力で目標の明確でない日々を過ごしていました。インターネットでたまたま滝行の存在を知り、天光寺を知りました。直観で「すぐにやりたい」と思い、十分に自分と向き合えるように二泊三日での修行体験を申し込みました。結果的に、とても良い決断だったと思います。自分が今後どのような人生を歩みたいのか、そのために今何をやればいいのかが見えてきました。その大きなきっかけとなったのは滝行と写経、お寺での日常生活だったと思います。

    滝行では、自分の恐怖心と向き合うことができました。修行中の三日とも滝行に参加しましたが、一回目と二回目では全く違う感覚になりました。一回目は、滝行の大変さが分かっていなかったため、ドキドキワクワクという感じでした。実際に滝に入る順番が来ると「怖い」という気持ちになり、無我夢中で耐えたという感じでした。それに対して二回目の時は滝に向かう時に緊張や怖さがあり、滝に入っている時は少し心地よさを感じました。滝と一体になっている自分を見ることができた気がします。この一回目と二回目の変化を感じた時に、私は今、人生において二回目の滝に入る前のようなタイミングなのだと思いました。本当はやりたいことが分かっているのに、怖くて見ないようにしていたのだと分かり、すごくスッキリしました。また、滝行の後に一時間ひたすらお経を唱える時間がありました。集中していたり、少し気が散ったり波がありましたが、頭がぼうっとして何をしているのか分からないような不思議な感覚になりました。その感覚でいる時に今後の理想の自分像が少し見えたり、やりたいことが浮かんだりして、楽しい気持ちになることもありました。ひたすらお経を読むことでよけいな事を考えにくくなるため、素直な自分の気持ちが分かるのかなと思います。

    天光寺の宿泊中は、食事の用意や朝のそうじなどのお手伝いもさせていただきました。日常の事一つ一つを丁寧に行う事の大切さを感じ、自宅での生活にもいかそうと思いました。

    数年前から嫌なことが続いていました。トラブルに巻き込まれたり、いじめにあったり、入院したり、高校も転校せざるをえなくなったり。ただただ運が悪いだけだと思っていましたが、毎年が厄年の様に悪く、周囲からも不運のレベルではない、何か憑いているのではと言われるまでになり、もしかしたらと気になりました。
    私自身は霊を見たこともなく、近年なくなった身近な人もいないので原因がわかりませんでした。ホームページからYouTubeを拝見し驚き、思い切って電話してみました。電話での説明で思いがけず心当たりのあることを言い当てられドキッとしました。これ以上不運が続くのは辛いのですぐに予約を入れました。
    東京の山奥にこんなにも自然が残っているのかと驚く場所でしたが、その空気と川の流れに癒される感じがしました。最初に今までのことを話し、家系のことなど聞かれました。あまり親戚、祖父母とも疎遠なので普段意識もせず名前の漢字もよく覚えていませんでした。
    次にお祓いの部屋に通され少し怖い感じがしました。住職の声が入っているというCDを聞いたのですが、初めて聞く不思議な言葉に何とも言えない感覚を覚えました。その後仏様の近くに手を合わせて座りお祓いが始まりました。お寺のお経なのですが、密教というのは独特な感じがしました。身体がこわばり胸のあたりが苦しくなる感じがしました。お祓いが終わると身体を調整してくれました。力を抜いて口を開けるように言われるのですが、できません。経絡のツボを刺激され声にもならないほど痛いのですが、押してもらった後は身体が楽になり、息を吐き出せるようになりました。
    後で思うと、自分の中の感情を押し殺して周囲に言えず我慢を強いてきたんだと気づきました。もともと考え方がマイナスの方にばかり囚われがちなことも影響しているようです。「心の持ち方」や「思考が人生を作る」など生き方の教えをいただき、物事を前向きにとらえるように意識していきたいと思いました。人生の若いうちに出会えたことは、本当に良かったと思います。これからの人生をもっと積極的に歩んでいきたいと思いました。今度は滝行にも参加してみようと思います。

    天光寺でお祓いをして頂きました。とても楽になりました。長い期間苦しみ、それが霊障であったとは知らずに、もっと早くに来ていれば良かったと後悔です。
    鬱病とパニック障害を患い苦しい毎日を送ってきました。時々入院も繰り返し、家族にも心配をかけてきました。幻聴や幻覚もあり、精神科のきつい薬も飲んで過ごしてきました。これから医師に相談し、薬も減らしていけるような気がします。
    私の体質的に住職からは『神受け』をした方が良いと言われましたが、まずはお寺に通いながらヒーリングを勉強させていただくことになりました。
    住職から出る力『気』というものが不思議でなりませんでした。私の身体は、住職から出る気で動いてしまいます。YouTubeでも見ていましたが、自分もそのようになるとは思いもせずただただびっくりでした。
    お寺には、他にも私と同じような体質の方がいて、その方はもっと敏感とのことで、住職からの気で吹き飛んでいました。
    この世には不思議な世界がありました。
    私に憑いていた狐もまだ完全には取れていないとの事で、これからは住職のアドバイスも頂きながら安定して過ごせるようにしていきたいです。
    これを読んでいる皆様も、私と同じような方もいらっしゃったら、なかなか信じ難い世界だと思いますが、原因不明な症状などで悩んでいる方は一度相談してみて下さい。
    精神病と霊障は紙一重とは本当でした。これからは自分を大事に生きていこうと思います。

    今回の体験修行を通して一番の成果は普段の喧騒から離れ、色々な修行をする中で気持ちが落ち着けたことだと思います。
    最近は仕事がうまくいってない事もあり、仕事をこなすことも苦痛であり、ただ慌ただしく一日が過ぎていくこともあり、こちらに来て修行体験をする事により、普段ドタバタしている時間にのんびりした時間を過ごせている事で自分の中の焦っていた時間の間隔が落ち着いてきたように思います。この天光寺の所在地が山や川に囲まれた自然の中にあることもあり、澄んだ空気も自分の中の気持ちを落ち着かせてくれており、良かったと思います。
    今回の修行の中でお百度参りと滝行を行いましたが、滝行の方は滝に打たれてすぐに頭痛が全体を包み、続けることが出来なくなってしまいましたが、最初に川の水に入っただけでも冷たく引き締まる感じがしましたので再度挑戦してみたいと思いましたので、体調を整え、機会があれば完遂してみたいと思います。また、お百度参りは唱えて、走るという作業の繰り返しでしかないと思っていましたが、実際行ってみるとやり終わった際に疲れたという感想は当然ながらそれとは別の違った感情も沸き上がり不思議な気持ちでした。
    また今回の修行において、これからも取り入れていきたいと思ったのが瞑想と写経・写仏です。写経・写仏は自分の性に合っている事もあると思いますが、黙々とそれに集中して作業を行う事で、他の余計な心配事や嫌な事を思い出す隙間がなくなり、気分が落ち込むことが無く、作業終了後も無心でやり遂げた感が大いに感じられたので、続けてみようと思いました。
    また瞑想は、普段の忙しい生活の中で、自分自身の落ち着きを取り戻す上で、活用していきたいと思います。実際に行う事により不安や焦りといった物が少しでも和らいで、自分自身が落ち着けたと思いますので、失敗や焦りがある時などに瞑想を行っていき、落ち着きを持って生活していきたいと思います。
    今回の体験修行を通して、自分自身が少し落ち着きを無くしていたのを実感できたし、瞑想などによる自分自身を落ち着かせる方法も知れ、とても有意義な体験であったと思います。
    また最後に修行の感想とは少し違いますが、食事が想像していたよりもおいしく、食に苦労することなく生活が出来ました。ありがとうございました。

    昔から自分自身、神経質な性格でとても疲れる事もあり過ごしてきました。年齢を重ねるにつれ体調に異変を感じ、整体に通ったりしながら身体の怠さ、肩の重み、頭痛などの症状と戦ってきました。ある時、友人が亡くなり、お通夜とお葬式に出席し、その後から身体が重く、無意識に涙が出たり悲しい気持ちに襲われ、何をするのも億劫になる日が続きました。友人を思う気持ちからだと思い込んでいました。
    ある日の夜、突然家の中でラップ音というものを初めて体験し、その日から人の気配も感じるようになりました。寝ていると、人の声らしきものも聞こえるようになり、だんだんと怖くなって、ゆっくりと睡眠もとれなくなりインターネットでお祓いしてもらえるところを探していたら、天光寺というお寺に魅力を感じてすぐに電話をしました。相談は無料で、状況を聞いて頂けてとても救われました。また電話越しにやはり私の後ろから女性の声も聞こえると言われて自分が感じていたものを確信しました。
    お祓いの予約をとらせて頂き、電車とバスを乗り継いで辿り着きました。
    まずは応接室で、状況の確認と、霊現象の説明を受けました。そしてお祓いのお部屋へ移動して、お祓いが始まりました。まず目を瞑り合掌してCDのお経が流れてきて、しばらくすると合掌している手が勝手に動き出しました。住職から、やはり女性の霊が憑いていると言われました。
    次に住職がお経を読むところの横に座って、また目を瞑り合掌をしました。住職のお経が始まると、悲しくてしんどい、とてもつらい感じが出てきて、また身体が揺れ始め、合掌している両手が上へ上へと上がり始めました。その辺りから少し記憶がありませんが、とても気持ちが悪くしんどかったです。
    お祓いが終わると脱力感と安堵感で、立ってみると身体がとても軽くなったのが分かりました。私に憑りついていた女性の霊が私の身体から出ていったようです。住職からは、私は霊媒体質で今後も憑りつかれやすいとの事で勉強をした方が良いと言われました。
    ヒーリングというものをして頂きましたが、とても温かくパワーを感じるものでした。体の中の悪いものを全部吐き出し、血の巡りが良くなったような感覚です。
    今まで思いもしなかった事が、自分の身に降り注いで驚きですが、自分と向き合って、これから楽に過ごせるように、勉強をしていこうと思います。
    お導きいただきありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。

    私は、2つの課題を持ってここへ来ました。一つは集中力の改善。もう一つは怒りの感情のコントロールです。結論から言うと、今この感想文を書いている二日目では、自身が変化したのかどうかは分かりません。これから日常に戻り、果たして自分は変わったのかを見たいと思います。
    最も印象に残っているのは滝行です。八月の晴天の日にも関らず、思ったよりも水は冷たく、滝の勢いも強かったため、最初は「絶対に無理だ」と思いました。そして、滝の下に入り「もうでようか」と思った時、「いやあと少しだけ」とこらえ、すると少しずつ水の痛みや冷たさを感じなくなっていました。肩や眉間の力が抜け、滝の一部になれたような感覚になり、体感時間で二十秒程度たったころ、先生から終了の声がかかり、時間を聞いたところ、ちゃんと二分間たったと聞き、あっという間の感覚でした。
    挑戦する前、そして挑戦した直後が最も恐く、その後は慣れて負担を感じなくなる。水に抵抗するより水と一体になる。これらは何事にも言える事なのかなと思いました。あの時の「ゾーン」のような感覚。不動心を持ち、穏やかで大きい人は常にああいう感覚なのかなと。私の怒りの感情のコントロールのヒントになる気がします。
    滝行以降も瞑想に写経と一つの事に集中するワークを行い、スマートフォンを24時間触らないで過ごしました。これで自分が変わっていたなら、帰宅後もできる範囲で天光寺でおこなったことを続けたいと思います。
    除霊とヒーリングについては、見せては頂いたのですが、私に全く霊感的なものがなく、体感することができず、残念でした。
    食事は、先生が毎食用意してくれたものが台所にあり、自分達で配膳します。どれも非常に美味しかったです。
    天光寺のみなさま、誠にありがとうございました。

    今回、自身の会社から企業研修として行ってみないかと声をかけていただき、当初は良い経験にはなるだろうと思い、今回参加させていただきました。来てみると実際は、良い経験という話ではなく、より自分自身を高めることができた二日間でした。私は自身の勤める会社では、良く時間にだらしないと評価されています。確かにそういう部分は自分でも嫌いで、逆に悩みのひとつでもありました。
    実施はその悩みも小さなものであることにも気がつくことができましたし、その小さな悩みも解決できそうな気がしました。
    私は、自分自身にとても甘く、そんな自分も好きではなかったのですが、時には自分にも甘く、ただ、やれる時にはしっかりやりましょうという意味もよく分かりました。とても心が楽になりました。
    私が今回の企業研修で最も好きで楽しく、辛かったのは、滝行でした。テレビや動画サイトで見ているよりもはるかに過酷で、最初、水に触れた時には本当にビビりましたが、そこで耐えることによって得られたものは大きかったです。
    理由はよくわかっていませんが、とてもスッキリし、本当に何か悪いものが取れた気がしました。
    結果的には辛い内容もありましたが、とても良い経験になったことはもちろん、今後の自分の動きに変化をさせていただけるものをいただくことができました。今までの自分の良くない点や変えるべき点と見つめ直すことができました。
    本当にありがとうございました。

    毎日体が重くて悩んでおり、日々疲れていました。精神科に通ったり、病院にも通いましたが原因不明と言われて、もしかしたら霊にとりつかれているんじゃないかと思い天光寺様に相談しました。天光寺様にお祓いをしてもらったところ、霊はとりついてなかったみたいですが、悪い物を引き寄せてしまう、霊媒体質だったようで、ヒーリングの施術を受けたところ、幼少の頃から体が重かったのが嘘のように軽くなり、みえてる世界も変わった気がしました。今まで体が重くだるいような感じがしたのはただ自分の心や体が弱いのではなく、霊媒体質のせいだったとわかった時は心も救われたような気がしました。なんで私はこんなに怠け癖があるんだろう。辛いことから逃げてしまうんだろうと長年悩んできましたけど、天光寺様のおかげで、これから先は前向きに人生を歩んでいけそうです。
    ありがとうございました。

    毎日体が重くて悩んでおり、日々疲れていました。精神科に通ったり、病院にも通いましたが原因不明と言われて、もしかしたら霊にとりつかれているんじゃないかと思い天光寺様に相談しました。天光寺様にお祓いをしてもらったところ、霊はとりついてなかったみたいですが、悪い物を引き寄せてしまう、霊媒体質だったようで、ヒーリングの施術を受けたところ、幼少の頃から体が重かったのが嘘のように軽くなり、みえてる世界も変わった気がしました。今まで体が重くだるいような感じがしたのはただ自分の心や体が弱いのではなく、霊媒体質のせいだったとわかった時は心も救われたような気がしました。なんで私はこんなに怠け癖があるんだろう。辛いことから逃げてしまうんだろうと長年悩んできましたけど、天光寺様のおかげで、これから先は前向きに人生を歩んでいけそうです。
    ありがとうございました。

    俳優の原田龍二さんが、YouTubeチャンネル『ニンゲンTV』の撮影で、天光寺へお越しになられました!!番組の企画で滝行を体験されていました!!
    とても優しい原田さんでした😊これからもご活躍を応援しております!!
    ご来山ありがとうございました。

    何年も鬱病を患っており、仕事も続かず家庭も悪化し様々な不運に巻き込まれてきました。
    全ての事が病気のせいだと思っており、薬もどんどん増え多少良くなったりまた元に戻ったりをくり返し、一向に治る気配がなく諦めかけていました。
    色々な治療法を試しましたが効果はなく、自分はもうこういう運命なんだと思っていましたが、家族から除霊を勧められ探した所、天光寺さんにたどり着きました。
    問い合わせたところ、ご住職が丁寧にお話を聞いてくださり料金も良心的だったのでお願いすることにしました。家からは少し距離があり、体調的に行けるか不安でしたが、当日は家族に付き添ってもらいたどり着く事ができました。
    東京とは思えないほど自然豊かな場所にあり、下にはきれいな川も流れておりとても気持ちがよく、それだけでまず体が少しすっきりするような感じがしました。
    中に入り、またご住職が詳しくお話を聞いて下さり、付き添った家族にも丁寧にお話ししてくださったのでとても安心したのを覚えています。
    その後、仏様がたくさんいらっしゃるお部屋で、除霊をしてもらいました。
    私は霊感などはないですが、どんどん体が軽くなっていくのがわかりました。
    ヒーリングをしてもらった時はなぜか涙がとまらず、ずっとこんな自分はダメだと自分で自分を責めていたんだということに気が付けました。
    これからはそんな自分も認めながらすこしづつ進んでいきたいと思います。
    こんな考えが出てきたのも天光寺さんのおかげです。
    ありがとうございました。

    天光寺で生活した三日間は学んだことがたくさんあり、とても刺激的な日々でした。
    最初、天光寺に行く前に厳しそうであまり良い気持ちではありませんでした。お寺ということもあり、かたく、暗そうで怖いイメージがあったので不安だらけでした。一日目はお経を唱えたり、滝行をしました。人生初の滝行はこの三日間の中で一番印象が強かったです。自分が想像してたよりとても大変でした。いきなり滝に入るのではなく、体に塩と酒を付けたり、お百度参りをしたりなど時間をかけて行うものだと知りました。とくにお百度参りは、自分は10分間走ったけど昔の人達はその何倍も走ったと聞き、とても過酷なことなんだと感じました。色々な準備を終えて滝行をしたのですが、水に足をつけただけで凍りそうなくらい冷たく、想像以上に滝の強さが強くて物凄く辛かったです。半分くらい奥に入った時に頭が痛くなってしまい、そこで終わりになってしまったのですが、体がスッキリしてやってよかったなと達成感がありました。いつも自分は怖かったり、少しでも出来ないと思ったらびびって諦めてしまっていたのですが、滝行をしたことで自分の考え方が変わり、どんなことも諦めず挑戦することが大切だと学びました。
    二日目、三日目は朝お寺の掃除をして写仏をしました。天光寺はとても広く、たくさんの仏様がいて家や学校でやる掃除とは違ってものすごく大変でした。自分は主に仏様の水替えをしました。三階全ての水を変えるので大変でしたが普段生活しててもすることないとても貴重な体験をさせていただいて良かったです。自分が想像していたお寺より天光寺はびっくりするくらいキレイで、毎日朝早くに起きて、細かく丁寧に掃除をしているお寺の人達の努力が今のきれいな天光寺が出来ているんだなと思いました。部屋を毎日掃除してきれいに保つことは大切だと知ったので、これから私は毎日少しでもそうじをしたいと思います。写仏では、仏様を遠くからしか見た事なく、細かい部分を知らなかったのですが書いているとこんな模様してるんだとか近くで見ると全然別のようなものに見えたりと色々な発見があって楽しかったです。
    こうして天光寺で過ごした三日間は、とても濃く、あっという間で刺激的な三日間になりました。毎日やった瞑想も、やったらとてもスッキリするのでこれからも続けていきたいなと思います。
    また野菜中心の健康的な食事もとてもおいしく、自分の食生活を見直そうと思いました。そしてお寺の方達とお話していた時間はとても楽しかったです。普段聞けないことを聞けたり、明るく優しい方だったので自分も緊張しないで楽しく過ごすことが出来ました。すごく貴重な体験が出来、来て良かったなと心の底から思いました。天光寺で学んだことをこれからの生活にも活かしていきたいと思います。

    今回、会社員として日々の生活を惰性で過ごしていると感じ、自分の内側から活力が湧き出てくることと、食生活においても不摂生から血液検査の数値が悪いので、自分を厳しく律することのきっかけとなることを希望して、体験修行に参加させていただきました。
    基本的な挨拶の作法においては、初心に戻れた感があった事、一泊二日を通じて継続することの難しさと大切さの両面を学ばせていただきました。
    お百度参りは、床の熱さで足の裏を軽くやけどをして水ぶくれが出来てしまいましたが、家族の健康を願いながらお祈りをしている間は、気にならないくらいに集中でき、終了した際にも達成感を得ることが出来ました。
    滝行につきましては、前評判通りで、達成感、充実感、心身の悪い者を流し出してくださった感がありました。また、自分自身に活力を得ることを祈りましたが、まだそこまでの実感は得れてないと思っております。
    滝行から戻ってからの般若心経を一時間唱えるのは、最初は心が折れそうになりましたが、進むにつれて心が軽くなっていく感じがあり、非常に有意義なお時間を頂いたと思いました。
    瞑想も、呼吸法から教えて頂き、ストレスから解放される感覚がありましたので、今後の実生活においても、取り入れて、朝と晩に続けて行こうと思います。食事につきましても、精進料理という事で、味が薄いイメージを抱いておりましたが、とてもしっかりした味で美味しく頂くことができましたし、日ごろの生活からは想像が出来ない程、胃腸の状態が良くなった実感がございます。また携帯も見れない状態が強制的に作り出され、いかにいつも携帯を見ていたか思い知ることが出来ました。
    お百度参りの草むしりもさせていただく機会を得て、自分自身を見つめ直す場となりました。今回出会った同じ修行の方々やお寺の皆さまの思いやりにも触れることが出来、普通の旅行では得られない時を過ごさせて頂き、感謝しております。
    今回は誠にありがとうございました。

    2年前の秋ぐらいから家の中で話し声が聞こえ始めました。また、携帯も触ってもいないのに電源が入ったりしていましたが特に何も対処はしていませんでした。今年の冬ごろ、テレビから女の人の声が聞こえてきました。また、時期は、はっきりは分かりませんが、真夜中に誰かが耳を両手でふさぐ夢を見て起きました。夜中の2時まわって大音量で音楽が聞こえて起きました。それ以来耳に音楽が流れたり、男の人の声が複数、時々女の人の声がするようになりました。
    警察の方に来ていただいたこともありましたが、結局聞こえませんでした。自分で塩を持ち歩いたり、体にかけたり色々しましたが、効果がありませんでした。そのような状況で早く対処をしないと自分の命が危ないと思いまして、除霊、浄霊をお願いしたいと思い天光寺さんに伺いました。
    最初は相談内容をご住職に相談し、霊視をしていただきました。来た時はとても緊張していましたが、話を聞いて頂くうちに落ち着く事が出来ました。次に確認作業という段階でご住職の声が入った音声を聞くと私の手が勝手に震えだし、とても怖くなりました。霊障が無い人はそんな風に動かないと言われて、私は霊の影響を受けているのだと実感しました。その後、ご住職にお経を読んでいただきお祓いをしていただきました。
    初めてのお祓いだったので、とても緊張しましたが終わった後はとてもすっきりしていることに気付きました。肩が軽くなり、頭の中の靄が晴れたような気分になりました。
    お祓いが終わった後には、これから悪霊や邪気に憑かれないようにするための心構えなどを教えて頂きました。お祓いのあともしっかりとケアをしていただけたので、とても感謝しています。もし私の周りで同じように苦しんでいる友人がいたら、天光寺さんを勧めようと思います。今回は本当にありがとうございました

    二日間、貴重な体験が出来て身が引き締まりました。今まで名前を聞いたことがある程度の知識でしたが、空海、真言宗に触れ教えを頂くことができたことが自分にとって、学びとなりました。この学びを常に念頭に置き仕事に家庭に向き合っていきたいです。
    私の中の変化がいくつかありましたので記していきます。
    一つ目は、色々考え過ぎていた自分を客観的に捉えることが出来る機会となったことです。般若心経や瞑想などを通して、悪いものを吐き出して軽やかになったと感じます。それは身体というよりかは頭です。思考がクリアになり、あれこれ考えていたんだなということを気づかされました。
    二つ目は真心を持って何かに打ち込んだり、誰かと接していたかという事を改めて考えさせられました。接客業をやっている手前、所作だけつくろって心がともなっていなかったと日々を内省することとなりました。仏様に向かう態度、礼節を教わり、対人関係に通ずる部分を大きく感じました。これを「初心」と定め、社会の一員として再スタートしたいと思えました。
    最後三つ目は、自分を認める事の大切さです。認めるというよりかは受け入れるでしょうか。この修行で他者の幸せを祈ることを行いましたが、私自身がどうなっていきたいかということを滝行などを通して考え、祈りました。この機会は貴重でした。普段出来ない体験を通して自分は自分としてどうありたいのか、どうなっていきたいのかを真剣に考えました。まだ答えは出ませんがその一歩として今の自分を知る。受け入れるという事が今まで以上に出来たのではないかと思います。
    これからまた会社に、家庭に身を投じていくわけですが、礼節のある態度を取り、自分を認め、相手に対して感謝の気持ちを忘れないようにしていきたいです。そして気持ちが出来事を作り出す、つまりまずは気持ちの持ち様が大切であると信じ、前向きな気持ちでいろいろな事にトライしていきたいと思えました。良い意味であれこれ考え過ぎずに、自分が出来ることを謙虚な気持ちで励んでいきたいと考えます。

    私は障害者福祉の会社を7年前に友人3人で設立し私は組織上専務をしております。社長と私の事をよく思ってない社員がおり、陰で良く問題を起こしたりと、日々その社員の事で社長と打ち合わせをしますが必ず口論となってしまい、必ず社長は体調を崩します。
    私の知人が会社に来訪されたとき、社長と私になんか同じ生霊が付いているようだと言われ、私は理解できなかったのですが、一度、天光寺に伺って除霊・お祓いしたほうが良いのではと勧められました。
    社長と相談し、2人で伺わせて頂きました。
    住職は丁寧にお話を聞いてくださり、お祓い部屋という所に案内され、状態を見ていただきました。
    お経を読んでいただいている最中は、私は特に変化は無かったのですが、社長は途中から少し苦しそうにしていました。
    ですが、すべて終わった後はとてもすっきりとしたようで、お寺に来る前と表情が全然ちがいました。
    私もとても気分が良くなり、その後住職が心の持ち方などのお話をしてくださり、勉強にもなりましたし、私自身気づかされる事がたくさんありました。
    社長の方も少し考え方がかわったようで、やはり何か悪い物に取りつかれていると、考え方も悪いほうにいってしまうんだなとわかりました。
    そして私と社長がすっきりし、考えが変わったことで、その社員とのトラブルもだいぶ減りました。
    社長と一緒に行ったことが良かったと思います。
    天光寺さんは滝行など体験修行もやられていると言う事なので、そちらにも是非行かせていただきたいと思います。
    有難うございました。

    今回の研修を終えて、改めて自分自身の人生の主役は私であり、そのためには物事に積極的に取り組む必要性を再認識しました。

    今回、人生で初めて滝行や瞑想、お百度参り、写経を経験する中で、これまでの社会人人生や私生活を振り返り、数々の反省が頭の中を巡りました。また、食事の配膳や就寝の準備をする中で、チームワークの大切さや仲間の手助けを何度も受け、有難さを実感しました。特に滝行の際は、滝までの道中でも助けてもらい、冷たい滝に打たれている最中でも、声援を送ってもらい、くじけそうな気持ちを支えてくれました。またお百度参りでは、二人一組で走り、「南無大師遍照金剛」と唱えるのですが、独りで走っていたのでは、絶対に心が折れていたと思います。やはり、チームワークや仲間の存在がとても大きいと実感しました。

    日常生活の中ですと、自身が未熟なため、感謝を忘れがちになり、「物事がスムーズに進んで当たり前」と思ってしまう傾向がある私ですが、感謝の気持ちを忘れないようにしようと思います。また、ご住職のお言葉にあった、「心と身体は一体であること」「利害と関係なく行動すること。利害で行動すれば怨念が生まれる」、「ここ一番という時に必ず結果を出すことを信じて行動し、自分自身を信じる強い気持ちを持つ人間になる」、「そのためには自分自身をコントロール出来る人間になることも必要」という言葉が強く印象に残りました。今後の人生に活かしていきたいと思います。

    最後になりましたが、この二日間お世話になりました。天光寺の皆さま、研修を企画くださった統経部の皆さま、有難うございました。

    私は、小さいころから霊感が強く、今年に入ってからは自分に何かがついていると分かるようになりました。今回、今年に入ってから4回目になります。前の3回は、自分で女性だと分かったのですが、今回は今までとはまるで別物でした。理由は分かりませんがそう感じました。霊感があるのはどうすることもできませんが、なぜ私なのか、これまでも不幸なことが多かったと感じていました。今回は、なんとかしなければいけないと思ったので、ネット検索で探し回り、天光寺さんにたどりつきました。幸い、すぐに予約をすることができ、翌日、お祓いをしていただきました。住職さんの霊視の後、除霊をしていただきましたが、私には、動物の霊がついていたようで、住職が私の口から何かを引っ張り出したのを感じました。除霊が終わって、家の中に貼る霊符を書いていただきました。

    帰りの車の中でも、これまでと全然違い、頭の中がとてもスッキリして、軽い感じでした。帰り際には、また何かあったらいつでも連絡してくださいと親身に言っていただき、とても安心できました。本当にありがとうございました。

    息子は大学を卒業後就職しても長続きしない。じめや他人に指摘されやすく最初は我慢しているが、あまり理不尽なことを言われる時は反論するようになった。新しいことにチャレンジしようとするとなぜか阻止される。(護身術を習おうとする当日に重度な捻挫をしてできなくなるとか、某国家資格取得のために申請するも取得申請番号が届かないとか、本日もお約束時間の四時間以上前に家を出たが事故渋滞に巻き込まれ30分以上お待たせしてしまったとか)是非住職様に視て頂こうと来院しました。

    応接室に通され諸々の説明を受け、家系図を作成して待機していると住職様がおいでになり面談が始まる。息子から子供の頃からいじめにあっていたと初めて聞いて申し訳無かったと思いました。住職様が息子に『ここに立ちなさい』と促し、両手のひらを上に向かせ、そっと手をかざすと息子は後ろに倒れそうになった状況を目の当たりにして愕然としました。お祓いと除霊の為にお部屋に移動、ドアを開けた瞬間『オーッ』という感覚をおぼえました。二人で並んで座り住職様のお経が始まりました。しばらくして息子を見るとまえかがみになっていました。私は特別変わったことは無いように思いました。次はヒーリングになります。その前に住職様が息子を立たせ、手のひらに添えると、応接室の反応より大きく後ろに倒れそうになりいきなり泣き出しました。女性僧侶によるヒーリングが始まりました。息子は椅子に座り、胸の前で合掌しています。その横に私は座りました。優しい音楽が流れています。しばらくするとまた息子が泣き出しました。すると私もなぜか涙があふれてきました。それはだんだん大きくなり鳴咽へと変わっていきました。不思議な出来事でした。次は私もヒーリングして頂きました。座っていると後ろに引かれる感覚でした。女性僧侶が優しく足首、膝、腰、手、肩、お腹に触れると、とても暖かい感じを受けました。女性僧侶は私に『神や仏に何かあるのでは?』と問いかけました。『はい、私が幼い時からおふくろは身体が弱く、近所の方に連れられて寺院に行ったことがある』と言いました。住職様も『お父さんもつらかったね』と言ってくれたのです。事前に伝えたこともないことで、驚きました。私はお寺に行って、お地蔵様、仏像、マリアさんがイエスを抱いている絵画、協会の椅子に座っているだけなのに涙があふれてくるのです。ひと通り終わり帰る際にご本尊さまにごあいさつに行きました。偶然にも住職様が他の方とお話中でしたが、息子を2メートル程離れた所に立たせました。住職様が息子に何かを送ると後ろにさがりだし倒れそうになりました。私も他の方も驚きました。ご本尊様にお線香をあげ、感謝して帰って来ました。

    今朝、起きたらいつもは身体が重く感じるのに、とても軽く感じました。特に肩から重荷が降りたという感じでした。息子に聞くと「今朝のめざめはいつになくスッキリして、悪夢も見なかった」と言っていました。そして「目つきが変わってない?自分で思うんだけど」と。

    時間が経てばどんどん幼少の頃のことが思い出されます。私は幼いころから母に連れられて、真言宗の信者であろう祖母の家に月に1度10数人の方が集まってお経を読んでいる横に座っていたこと。私には姉(死産)が居たことなど。今はとても穏やかな優しい気持ちです。

    本当に感謝いたします。ありがとうございました。

     

    一泊二日の修行を経て、自分の心が大きく変わりました。お百度参りでは何度も走り、「南無大師遍照金剛」と言うたびに強くなっている気がしました。そこで一つ大事な事にも気づきました。

    お百度参りの終盤に一緒に来ている体験修行の方が「あと少し!がんばろう。」と声をかけてくれました。その言葉に救われました。応援されるということはすごく嬉しくがんばれる動力になります。滝行では、山登りの時点できつく、ここに来たことを後悔しました。そしてやっとついた滝では、順番も早く、心が出来ないまま、滝行に挑みました。水浴びの段階では、まだ余裕でしたが滝に入っていくと、正直な感想では早く出たい。手を前に出すか迷いました。しかし滝行に入る前に、同行した体験修行の方に言われた言葉を思い出しました。「なりたい自分を思い浮かべて」という言葉です。私は小さいころから全てお母さんにやってもらい、学生時代も友だちに頼りっぱなしで一人で何も出来ませんでした。他にもダンサーを目指して頑張っていた時も、何度もオーディションに落ち、周りの友だちが合格して輝いている友だちを見て私には何もできないと自信を無くし諦めてしまいました。また、去年の教員採用試験では、大阪府の試験に落ちてしまい、倍率の低い他の地域の教員に逃げてしまいました。私の人生は、諦めて、逃げて苦よりも楽をとっていた人生だと気づきました。だからこそ、滝行では逃げず諦めないようにしよう。そう意気込んで挑んでいたことを思い出しました。また、私は強くなりたい。その思いから滝行で最後まで頑張ることが出来ました。終わった後は、達成感でいっぱいいっぱいでした。私の頑張っている姿を見て体験修行の方は「泣きそうになった。がんばったね」と声をかけてくれました。着替えの場所に向かう際も「おつかれさま。」と沢山の人が声をかけてくれました。応援は本当に大きな力にもなり、独りじゃないんだなと思うことが出来ました。また滝行が終わった後は、心も体も軽くなり楽になりました。通ってきた道も一緒なはずなのに、怖かった岩場も軽やかに下山することができました。心も変われば体も変わるということがわかりました。この言葉は忘れないようにしたいです。夜の般若心経では、一日疲れていたのか無の感情になりすぎてしまい、美味しそうなご飯が浮かび上がってきました。すごい不思議な感覚でした。写経もずっとやってみたかったのですることが出来、夢が叶いました。

    この一泊二日の修行でさまざまな経験ができたと同時に新しい自分に出会い、もっと自分が好きになりました。ネガティブな自分を滝行で流すことも出来、明日からはポジティブで人を応援し、応援してもらえるように精進してまいります。この恵まれている環境に感謝し命ある限り人の為、自分のために頑張り、一つでも多くの夢を実現できるよう努力していきたいです。私は幸せです。二日間お世話になりました。ありがとうございました。

    私はなぜここに来たのか、よくぼうげん言ったりするからと思いました。家でも学校でも友達の前でも「しね」「キモイ」など色んなことを言っていて自分でもダメと思っていたのに、一日に何回も言っていました。学校でも問題児で、先生の前ではっきょうしたり、たくさんの問題をおこしてしまいました。友達にウザイ態度とったり、けんか売るようにしゃべったり、かげ口、ぐちなど言っていました。学校で先生の話を聞かないでやる事がわからなかったり、勉強も理解していなかったです。宿題などてい出ぶつを出していなかったりしていました。今考えるととてもダメダメなせいかくでした。そしてお寺にきました。他人、初めて会った方の前では、声が小さくて、とてもひとみしりです。声が小さすぎておこられました。しゃべることも少なく、うなずくことくらいしかしていません。わからない事などを年上の人にぜんぜん聞いていなくて間違えだらけでした。お寺で、そうじ少しサボリぎみな時もありました。これらのことをお寺で全て直したいです。5年生、3年生、1年生、とてもやさしかったです。私も変われたならなって思ってます。今日は3日目でした。次からめいわくかけず、一週間しゅぎょうが終わったら親にがんばったねなどすごいねなど言われるように、感謝とはんせいの気持ちを持ってすごしていきたいです。注意されることも一回でもへらしていけるようにがんばります。

    ここ3年程の期間で家族に病や事故が立て続けに起きており、今回除霊お祓いをして頂く運びとなりました。父が亡くなったのをきっかけに、私は通勤中に車の事故に合い、頸椎、腰椎損傷し後遺症も残っており、また妻が突然体調不良となり、病院で検査を行うと脳腫瘍が見つかり手術を受けたものの、後に悪性リンパ腫と診断され現在も通院し治療を続けています。また息子もバイクで事故を起こし、足を骨折し、大学生の娘も今は鬱病と診断され、現在休学中です。このような状況であまりにも不運続きで不安が大きくなり、知り合いに相談したところ、お祓いをすすめられました。あるところにお願いしようとしたところ、先祖供養が必要で200万円かかると言われました。びっくりしてしまい、また知り合いに相談すると「天光寺というお寺で除霊してもらった人がいて、良くなった人がいる。」と教えてくれたのです。ホームぺージを拝見させて頂き、お祓いの感想文や動画を見させていただきました。同じような悩みの方も、他にいるのだと霊障というものを納得させられました。早速電話をかけて相談させて頂きました。親身に話を聞いて下さって安心しました。そして金額も最高で15万円で、それ以上はかからないとの説明で救われる思いでした。

    予約日となり、妻と息子と一緒に来ました。申込書や家系図を書きました。来れなかった娘の衣類も持ってきたので預けました。長年お参りできていないお墓もあるのでその相談もさせて頂きました。ご住職が、妻が霊媒体質であることが分かったようで本堂まで連れて行かれ、大きい掛け軸のような立派な神字というものの前で妻が合掌すると、身体が後方へ押される感じでした。

    お祓い部屋へ移動し、ご住職の霊視が始まりました。やはり妻にとり憑いて色々と悪さをしているとのことでした。妻はお祓い中、身体が震え苦しそうでした。途中で嘔吐してしまい、これで悪いものが出て行ったように感じました。また先祖の念もあるようで、しっかりと供養をして頂き、今後のアドバイスも下さいました。

    最後、丁寧にヒーリングというもので体の調子を整えて頂き、妻は見るからに表情が軽くなり、すっきりしたと話していました。本当に助けられました。ありがとうございました。また妻の調子を見ながら、次は家族全員で訪れたいと思います。護摩を書かせていただいたので、護摩焚きも参加してみようと思います。

    私は天光寺に落ち込みやすい自分を変えたいと思い参りました。きっかけが家族のすすめだったこともあり、最初は四日間修行についていけるか不安な気持ちがありました。しかし修行を終え、来る前の自分と比べると、少し自身が持てるようになっていました。

    以前の私は、自分を甘やかしていたのだと、滝行を通して気が付きました。初めて滝行に参加させていただた日、始めに滝行された方を見て、とても私にはできないと思いました。水の勢いに負けず、ハキハキと「南無大師遍照金剛」とおっしゃっているのを見て、私にもできるのか不安になったからです。いざ入水すると、経験したことのない冷たさと、まわりの人に見られている緊張で、呼吸が上手くできませんでした。滝に打たれると、呼吸は荒く動悸は激しくなり、過呼吸で手がしびれるまで泣いていた日々を思い出しました。滝行を中断したい、もう辛いことはしたくない、と一度滝から出ようと身体を前に出すと、押し戻されました。今思い返すと、あの時逃げていたら私は泣きじゃくっていた時から一歩もすすめずにいたと思います。滝から出た時、私はまだ水が冷たかった、息がうまくできなかった等、目の前のことしか見えていませんでした。しかし、一緒に滝行に参加された方が晴れやかな顔で「スッキリしたね!」と声をかけてくれたのです。「思考が人生をつくる」という言葉がふと浮かび、自分自身でふさぎ込んでしまう原因をつくっていたんだと気づきました。

    二回目の滝行、トップバッターはもちろん緊張しました。それでも昨日のことを思い出し、自身を鼓舞すると、とても落ち着いて滝行にいどむことができました。「良かった」とおほめの言葉もいただけて、前向きに残りの時間を過ごすことができました。天光寺を訪れたときの不安は消え、今は明るい気持ちで帰ることができます。「思考が人生をつくる」この言葉を常に意識し、落ち込んでしまった時は腹式呼吸、瞑想を行い、昨日よりも少し成長した自分を考えながら生活していこうと思います。

    大変お世話になりました。ぜひまた滝行だけでも参加させていただけたらと思います。ありがとうございました。

    自分の身体が、普通の人とは違うと気づいたのはつい最近の事でした。身体が重く、やる気も起こらず、仕事も休むようになってしまい、病院へ行って鬱病と診断されました。そんな時、妻が自分の今までの生活で不思議に感じていたこともあったようで、もしかしたらと思ったらしく色々と調べてくれて、同じような人の事が書いてあると『天光寺』のホームページを見て自分に「一回見てもらった方がいいんじゃないか」と言ってきたのです。自分も何か良くわからないけど、とりあえず身体が楽になるのであればなんでも試してみたい気持ちがありました。

    相談の申し込みをすると、お寺から電話を頂けるとのことで待っていました。当日すぐに電話を頂け、お祓いの担当の方が親身に話を聞いて下さいました。やはり色々と影響を受けて鬱病の状態になっているようで、難しい話でしたが、今となっては理解ができてきました。空いてる日を伺い、直近の予約を入れさせて頂きました。

    身体もしんどい上に暑くて大変でしたがバスに乗って妻と二人でお寺に辿り着きました。中に入ると何故かしんどく、応接間に通されたので少し休ませてもらいました。妻が申込を書いて待っていると、住職さんが来て状況を説明すると「あなたちょっとこっちに来なさい」と言われ案内されたお部屋に入ると、仏様がたくさん置いてあるお部屋で、立っていられなくなり、とてつもなく苦しくなりました。住職さんの話によると霊媒体質のようで、今まで自分が気付いていなかったようです。そして自分に悪いものが憑いてしまっているとの事でした。お祓いのお部屋に通され、辛くて仕方ない状況でお祓いが始まりました。目を瞑り合掌し、流れてくる音楽を聴いていると、身体が踊り出すように揺れ始めあまり記憶がありませんが悲しくて辛くて苦しくて仕方ないような感じでした。鐘の音、お経はところどころで覚えています。気付いたら先生がお腹を押して何かが口から吐き出された感覚でした。気分は久しぶりにスッキリとした感じです。視界も明るくなり、身体が軽くなりました。

    自分は神気神霊というもので、神受けという儀式を受けた方が良いと言われました。どうしても体質的なもので、次から次へと憑いてしまうそうです。うまく自分でコントロールできる力を付けていかないと、また同じ事の繰り返しのようです。

    住職さんの手から出る力が凄くて衝撃的でした。磁場、次元といった難しい話に聞こえますが、よく考えるとだんだんと理解できてきました。自分のように霊媒体質な方は是非、一度相談する事をおすすめします。自分も今後の調子を見て、上手く生きていけるように住職さんに今後も相談していきたいと思います。

    ぼくはここ五日間反省しにきていました。毎日、朝はやくおきてそうじをしてご飯の準備をして、さんらいをして、お昼ごはんの準備をして、ぎょうぎにきがえてお百度参りをして、たき行にいって、はん若心ぎょうのれんしゅうをして、晩ごはんの準備をして、ふとんをしいておふろにいってと、はじめてきたひとかは「めんどくさいしたいへんだな」とおもっていたけど、五日目(かえる日)になってからはちゃんとやったことについて反省してきたかいがあったな、これから、お金をとったりせずわからないことはちゃんときかなきゃな」と思い心がすっきりしました。これからは、やっていいこと、わるいことをちゃんと覚えていきたいとおもいます。

    たき行では、はじめてはいったときはすごく水がつめたくかんじ泣きながらはいっていたけど四日目、五日目はみんなのおうえんで水があまりつめたくかんじなく、さいしょからさいごまではいることができました。

    お百度参りでは、はじめての日は、よゆうとおもっていたけれど昼ごはんをたべたあとだからおなかのあたりが痛くなっていました。五日目は食後でもあまりおなかが痛くならずにさいごまでできました。

    朝ごはん、昼ごはん、晩ごはんの準備ではサラダづくりをたんとうして、さいしょはうまく作れず、おしえてもらったことをいしきしてうまく作れるようになりました。

    般若心経の練習では、さいしょのほうは、あまりできなかったけど、絶対におぼえるというきもちでやったらはんぶんおぼえていることができた。

    まず最初に、三日間大変お世話になりました。ネット検索すれば天光寺のことは出てくるものの、実際の生活は想像も付かず、親切なお寺の方々や先に修行で来ていた人達に色々と教えてもらいながら無事過ごすことができました。次に滝行で自分を変えたくて来たにも関わらず、頭が割れてしまいそうな痛みに耐えられず、結局滝に入れなかったことを本当にくやしく思っています。気持ちで乗り越えられると思っていたのですが、いざ滝に打たれると頭が本当に中から吹っ飛んでしまいそうなのにどうしても続けることができませんでした。私の人間力、忍耐力の不足であり、いつかまた挑戦したいと思っています。毎日規則正しい生活をし、瞑想や読経をすることは、大変な癒しでした。昨今頭を悩ませていたことを一旦完全に頭から出すことができ、再度同じ悩みに向き合うこととはなりますが、今度は積極的な言葉で自分の答えを作っていけると思います。

    休暇をもらって行に参加させて頂きました。職場の上司からは、今の状況になった原因や理由を考えて、仕事の取り組み方を根本変える方法や思考に至らないまま職場に戻ってほしくないと言われていました。私自身は、体は元気なんだから、早く戻らないといけない、仕事につまずいて思い悩むことなんて誰にでもあることだ、と思ってしまっていました。この思考のまま仕事に戻っても、同じようことが起こるだろうと、今は感じます。

    先生が御講和の中で仰っていたことや書物にあるお教えは、当たり前のようだけどなかなか実践できていない、普通のことだけど常に意識するのは難しい、でも大切なことばかりです。現代社会、また日常生活においてつい忘れがちな、人として重要な基礎的なことを十分に実施できるよう、日々謙虚な気持ちで生きていきたいと思います。

    お寺に来て、色々な御縁を感じることもできました。因果あってお会いできた方々だと思います。またどこかでお会いできることを楽しみにしております。ありがとうございました。

    私は、ある事がきっかけで精神的に落ち込み、自分の人生に迷い、この先については不安ばかり抱き、憂鬱な日々を送っていました。そんな自分を変えたいと思い、天光寺の修行体験をさせて頂きました。天光寺では様々な行をさせて頂きましたが、一番私に変化をもたらしてくれたのは滝行です。一回目の滝行ではスッキリとした気分になれました。二回目の滝行では、エネルギーに満ち溢れる感覚になりました。三回目では、とても穏やかな気持ちになりました。滝行では、自然の滝のエネルギーを頂く事と、「南無大師遍照金剛」を唱えながら、自分の願いや決意の思いを込めながら行いました。そこで自念が自分の心に変化をもたらしてくれたのではないかと感じました。「思考が人生を作る」という書物を読みましたが本当にその通りであり、これから自分で前向きに楽しく人生を歩もうと思えば出来る、何事も自分次第であると身を持って実感しました。また、お寺の修行僧の方が『あたり前の事があたり前ではない』という言葉がとても印象的で、自分の今の生活、今の仕事、今の健康な身体があたり前の事ではないと考えると、あたり前の事にすごくありがたみを感じました。これからは、その日々に感謝して生活していこうと思いました。また、お寺の方々にもたくさん声をかけて頂き、励ましてくれてとっても元気付けられました。これからも人生大変な事はあると思いますが寺での生活で学んだ事を思い出して困難を乗り切っていきたいと思います。また自分自身を愛し幸せに暮らしていこうと思います。五日間本当にありがとうございました。

    ご法話拝聴させて頂きありがとうございました。身体が疲弊しすぎていて掃除をしていても、立てない、立っていられないくらいへにゃへにゃで、この疲労の根本をずっと考え悩んでいるのですが、分からなくて困っていました。この三日間の内も、疲労・疲弊は止まらなく、修行する体力・気力さえないんだと、病院のベッドが自分には似合っているな。。。というのが今の心境です。朝が一番だるく、床から起き上がれない程の気だるさと共に一日が始まっています。自分でも気合を入れ、手を合わせてから起床するのですが、気持ち良く起きることが出来ません。ですが、あきらめない、ちょっとやそっとのことでくじけない、負けない、どんなだるさも慢性的な疲弊も、くじけず、あきらめず、立ち向かい、勝つことが出来たら良いなと思いました。私は勝ち負けというのが嫌いだったのですが、自分に負けることをいとわなかった結果が今だなと思うので、「勝つ」という「気合い」のそのまた上にある結果、visionを大切にしたいと思います。私にはもう仏心は残っていない、生きているうちに成仏はできない、汚れた心、もうあの当時の純粋な愛をもった自分には戻れない、自分は愛の表現ができない、とやさぐれてはいけない。愛がある!!愛を表現できる、体から愛がにじみでている人間になりたいから、やっぱり打ち勝っていきたいなと思います。今回ここに来た理由として小さい時に不登校・対人恐怖がありさらに幼少期は、自家中毒という、この世間のプレッシャーに、機能停止の自分がいました。その時の自分にできることとして自分が神の子であるというあたたかな気合いと、寺での時間が必要だったであろう。と思い体験修行に来ました。規律正しい生活ですが、言霊と、愛にあふれた時間でした。一人一人が、自分の仏心・仏性をみがく為にいるという高い目標を持っているというその場の一人でいられることにとても安全で、ありがたい場所どと思いました。普段の生活ではなかなかそこまで高い目標をもって生きている人にはあえませんが、率先して、高い目標をもって生きていきたいです。自分の気合いは、文章の中だけで、実際問題そううまくいかないと思います。ですが、今回の宿泊を通して、得られたことがあると思うので、生かしていきたいです。元気な姿で戻ってこれたらいいなと思っています。天光寺を造られました先生、ありがとうございました。一月の寒空の下の修行のお話びっくりしました。先生は強すぎます。数々の事業のお話も尊敬です。頭が良いのも。私も自分ができる努力をします。皆様ありがとうございました。

    令和五年五月一日・二日で天光寺に研修に行かせていただきました。天光寺は、JR武蔵五日市駅からバスで四十分くらいの、東京都西多摩にありました。私の家から天光寺まで、合計で二時間ほどかかるので、天光寺に到着するまでも一苦労でした。まず到着したら申込用紙を書き、次に会社・社長・社員などの祈願を行いまいした。初めてするものだったのですごく新鮮で不思議な気持ちになりました。祈願中、ずっと正座だったのがすごくつらかったです。次は挨拶の所作を行いました。挨拶では、会社名・名前・出身地を大きな声で練習し,とても楽しかったです。次に、食事をし、お百度参りをしました。「御宝号」を大きな声で唱えながら二十メートル程のお百石を百八往復してお参りしました。お百度参りはすごく楽しかったです。次は滝行に行きました。ずっと緊張していた行事だったので怖かったのですが、みんなで車に乗って向かい、山登りをして少し緊張がほぐれました。それからいよいよ滝に入ると、冷たすぎて声が出なくなりました。しかし、気合いが入って良い経験になったかなと思います。それから写経をし、一日目が終わりました。二日目になり、すごくつらかったのが三禮です。「おん・さらば・たたぎゃた・はなまんな・のうきゃろみ」を三百八回繰り返しました。終わった後、筋肉痛で歩きにくくなりました。この二日間、今まで経験できなかったことを体験させて頂き、ありがとうございました。社会人頑張ります。

    ぼくは、お母さんがはたらいてためた五十万円をとりゲームセンターにいたりたくさんおかしをかったり友達にわたしてお母さんががんばってはたらいてためたおかねをたくさんつかって、おやくそくも守らずお母さんにかなしい思いをさせてしまいました。

    お母さんががんばっていもうとと自分のおせわをしていておしごともがんばっていたけど、ぼくはかいたいものがあったからそのお金をみつけてとってしまいました。そして今ここにきてお金をとってしまったことについて反省をしています。

    ここでは、たき行をしたり、はんにゃしんぎょうの練習、お百度参りなど色々なことをして反省しています。そして、しばらく反省してかえるというときには、心をいれかえます。そして、ここを出てもこうゆうことがあったことを忘れずにして、もう二度とこうゆうことをしないで、お母さんにかなしい思いをさせず、たのしく暮らしていきたいです。

    天光寺にきて二週間がたち寺の生活が今日で終わります。最初に寺に来た時、朝は早い、滝はつらい、さんらいをやって足がいたくなったりして最初はもう帰りたいとずっと思っていました。「母はどうしてこんなところにつれてきたの」と毎日言って、すごくつらかったです。ですが、寺の人と話しているうちに「どうしてここにつれてこられたの?」と考えました。よく考えてみると自分が学校に行っていれば寺には来なかったのではと考えました。今まで母はいろんな方法でぼくを学校に行かせようとしていました。ですが、どれをやってもぼくは学校には行きませんでした。それでさいしゅうしゅだんとして寺にいれたのではと考えました。そして3日目くらいから声をどんどんだせるようになってきました。声をだすとすごくスッキリして気持ちがいいです。たきはくびがいたくなったり水は冷たいですがすごく終わったあとは達成感がすごくものすごいいいけいけんになったと思います。さんらいはすごく足がいたくなりますが、たきのうようにすごく達成感があり自分の成長を感じました。ほかにもあさのげたばこそうじ、山に行ってそうじをしたりしました。山は通路にじゃまな石をなげたりどろをかきあつめたり、通路ふさぐ草をとったりしてました。草のトゲが手にささったり服に虫がついてたりしてすごくたいへんでしたが、周りの人がけいけんしていないことができて、ぼくはすごくとくした気分でした。そのうち寺の生活にもなれていき1日1日が大変でしたがすごく楽しかったです。寺の生活をしていると学校に行っていなかった自分がすごくはずかしいとおもいました。寺の生活より学校のほうがらく、学校よゆうなのでは?と思ったのです。学校に行って友達におきょうなど聞かせてビックリさせたいとか思い、はやく学校に行きたい!という考えにかわっていったのです。こんなに学校に行きたくないと思っていたのに行きたいと思わせてくれたりさまざまなけいけんをさせてくれた寺の人とこの天光寺にいれてくれた母にかんしゃしたいです。ありがとうございます。そして天光寺のみなさん本当に2週間おせわになりました。ありがとうございました。

    今回、宿泊体験をして、まず前向きに、前よりもなれた気がします。前は、明日からどうしよ、どういう作戦でいこう・・・。と考えていたのですが、今はもう流れに身をまかせてしまおう。と思いました。そして、思考が人生を作るという言葉を聞き、私が一番悩んでいた友人関係ですごくそれが大切だなと思いました。自分が悲しんでいる言葉、ネガティブな言葉、他人を悪くする言葉、全て私は友達に言っていました。だからこそみんな離れていってしまうし、自分が何をされてもその人達を相手にしてしまったらもう負けです。そういう時は一度しっかり冷静になって発する言葉など頭で考えてから発しないとな。と学びました。自分の言った言葉で自分が影響される。これ本当にその通りです。何をされても自分が反応しなければいいのに、いつも反応してしまいます。そして私は他人の事を悪く言って態度に出してしまい、ハブられてしまう。というケースも多いです。相手が私の事を言い、反応してしまい、言ってしまうというのもあります。絶対に大切なのは自分の口から相手の事を悪く言わない、ネガティブ発言しない、それがすごく大切で大事な事だと学ぶ事ができました。そして滝に入った事によってまだ一回なんですけど、忍耐力がついたかなと思います。正直私はなんでも逃げてしまうくせがあります。同じ事を何度も繰り返し、してしまうくせもあります。(同じまちがい)そういう事をこくふくしたくて、今回宿泊体験をしに来ました。滝に入っている最中や入る前の水を頭にかけた時、本当に冷たすぎて、もうこれからどうしよう。滝に入るの怖いなと思いました。そしていざ入るとすごく冷たくて、体はぶるぶるふるえるし、今でもその時の冷たさを覚えています。ずっともう出たいと考えていましたが、途中から深く深呼吸をして、でもここで出たら、また学校でも負けてしまう。ずっと弱い自分だ。と思いずっと深呼吸をしながらたえていました。すると、もう終わりが見えていき、ぶじ最後までしっかりと滝に入る事ができました。滝から出たしゅんかん、達成感や心がすごくスッキリして入って良かったなと心から思いました。ですが、私が入った時間は約一分間、先生とお話をしている時、乃木坂はマイナス5度なのに1人5分間入ったなど中学一年生の女の子が15分間入ったと聞き、しょうげきてきでした。1分間ですごくキツイのに、そんなにもこのみんなは入っていて頭から血とかでないのかな?ケガをしていないのかな?とずっと考えてしまいました。1分間入れた事に満足しないで次は何分、次は何分となるべく伸ばしていきたいなと思いました。本当に今回色々な事を学べて、本当に良かったです。ありがとうございました。また来る時があると思うのでその時はよろしくお願いします。

    前職の研修が人生で一番きついと思っていましたが、今回の研修が一番辛かったです。終わった時の達成感はありました。あいさつで大きな声を出すと相手に良い印象を持たれるので、今回もう一度あいさつ練習で己紹介の練習ができたので、これからの仕事につなげて行きたいと思いました。研修の中で一番恐れていた滝修行は、とてもすっきりしてもう一回やりたいと思いました。頑張れた理由は、周りの人も声を出して下さり、一人ではなく皆でと思ったら頑張れました。お百度参りも皆で声を出して走ったので、辛くても頑張ることができました。写経も中学生ぶりの習字だったので、意外で難しく丁寧にならなかったのが、少し悔しいです。ご飯も野菜しか使っていないのに、すごく美味しかったです。いつも肉がメインですが、野菜だけで色んな料理が作れること、身体にとても良いことなので、食生活も気を付けていこうと思いました。

    いつもスマホばっかりの生活ですが、スマホと離れてみて体が休まりました。また深い眠りにつくことができたので、たまにはスマホから離れてみます。朝早く起きることで、朝からの掃除がとても気持ち良く、他のお客様の為にもキレイにしたいと思い、色んな場所を掃除しました。正直、一番研修の中で辛かったのは、三禮です。何度も諦めたく、逃げだそうと思いましたが、皆が頑張っている姿に自分も負けてられないと思い、最後までやりとげることができました。先生もあきらめない心をもつこととおっしゃっていたので頑張りました。今では、全身筋肉痛と膝の下がとても赤く腫れていますが、これも今回の研修で出来た傷だと思い、前向きに頑張って行きたいと思います。正座を普段しないので、とても痛かったですが、乗り切るとができました。このような経験ができ、とても良かったです。皆で一緒にやることができて良い思い出になりました。

    きのうおかあさんときました。さいしょは作法をしました。長い時間正ざをしてたので足がいたくなりました。つぎには、お百どまいりを外でしました。走る前は、足がいたいかもしれないから走りたくなかったけど走ってみました。走るところがあたたかくて走ってみるといがいと楽しかったです。いたくもありませんでした。その次は、たき行です。さいしょは車で少し山を登りました。と中で止まってたきまであるきました。ついたらすごいいきおいでながれていました。自分のばんになってすごくこわくなって、でも入ってみたらといわれてたきにちかづきました。おくにはいけなくて前でふるえながらあびてました。いきなり頭がいたくなりました。すぐひきあげられました。頭がどんどんいたくなってテントの中できがえました。きがえおわってもまだいたかったです。もう入りたくないと思いました。

    少し前から妻が寝つきが悪く、金縛りに何度もあったり寝ている時に誰か人の気配を感じる、誰かが耳元でずっと何かを言ってくるなど訴えており、睡眠があまりとれず困っていました。最初は疲れやストレスだろうと話していましたが、だんだんと感情のコントロールができなくなり、家具等を壊したり暴れたりするようになってしまいこれはおかしいと思い病院に連れて行き、睡眠薬と安定剤をもらいました。最初は薬も効いていたようですが、だんだんとまた症状が出てくるようになり、お祓い・除霊をやってくれるところを探しました。と言うのも、私は少し霊感があり、ある夜中に妻のうめき声で目が覚めた時、妻の体の上に大きな黒いモヤみたいなものが見えたからです。なのでこれはなにか霊的な仕業だと思い、どこか除霊・お祓いが出来るところを探していたところ、たまたま知り合いに天光寺さんで除霊を受けた方がおり、その方のお話を聞き、天光寺さんに電話させて頂きました。

    電話では担当の方が詳しく話を聞いてくださり、すぐに予約を取りました。東京の山奥という事でどんなところか少し不安でしたが、行ってみるととても気持ちのいい場所にあり、来ただけでもなにかスッキリするような所でした。中に入るとまた空気が違いました。ご住職に詳しく話を聞いてもらい、その後いろんな仏像があるお祓いの部屋に案内されたのですが、そこもまた一段と空気が違い、妻はそこに入っただけで泣き出してしまいました。本人はあまり覚えてないようですが、お経のような音声を聞いてる間も、その後のご住職に除霊して頂いてる間も、ずっと苦しそうに泣いていました。こんな風になるとは思っていなかったのでびっくりしました。その後別の方にヒーリングをしていただき、終わったあとの妻の表情はすっきりしていました。

    料金も、最初の電話の段階で最高でもいくらかかるか金額を提示していただき、高額な所もある中、良心的なお値段で安心しました。妻も今夜はぐっすり眠れているようです。天光寺さんを選んでよかったと思います。この度はありがとうございました。

    二日間、母子共にお世話になりありがとうございました。今回は、娘の不登校に悩み、私自身も精神的に落ちてしまっているとき「とにかく何か動かなければおかしくなりそう」と感じ、気が付いたら天光寺さんのホームページに辿り着いていました。娘だけを行かせたい気持ちが大きかったのですが、自身もマイナスな気持ちをスッキリさせたく一緒に来ました。お寺の担当の方が「お母さんとお子さんは別で考えます。」という最初の何気ない一言が印象に残っていて(うまく言葉にできないのですが…)娘を客観的に見ることができたような気がします。家では甘ったれて手伝いもせず、勉強もせず、学校も行かず・・・でもこの二日間、こちらでのルールを守りながら、滝行、写経など取り組んでいた娘を見て、奥に秘めてる力あるんだなと嬉しくなりました。(もう諦めていたので)もっと厳しくしてもらったらどうなるんだろう・・・と知りたい気持ちもありましたのでまたお世話になるかもしれません。宜しくお願い致します。

    私自身も、お百度参り、滝行、瞑想などの修行はもちろんですが、職員の方の話や一緒に体験をした方との話から沢山得られたものがありました。「プラス思考」「積極的に」「ポジティブ」「楽観的に」とにかくこれからはこれを意識して生きていきたいです。

    ここで二日間過ごすことができて良かったです。本当にありがとうございました。

    数年前より、お百度参りと滝行に興味を持ち、自分の誕生日に滝行を邪気やお清めをし、クリーンな身体で迎えたいと思って今回志願いたしました。実際やってみると、行を行うではなく全てが飛んでしまって自分自身がテンパってしまい、正しく行を行うことすら出来ない自分がいて情けなかったです。一日泊まっての中で、本当の意味で自分と向き合う行はとても難しいことだと思いました。だから修行されてる方達が何年もかけてされてる中の意味も分かる気がしました。

    先生もビデオも、不思議に思っていた事、私の好きなブッダの教えや空海の話が聞けて良かったです。普段生活をしているといろんな出来事に流されてめまぐるしく生活してますが、自分と向き合い、自分を強くし、人のせいにはせずに今まで自分が思っていた心のもち方の答え合わせが出来ました。私にとって全てが為になる事ばかりで、自分自身また息詰まった時は時々参加したいと思ってます。ありがとうございました。

     

    先月、旅行先で何故か急に滝行とワードが思いつき滝行に行ってみようと、サイトで探し、こちらのお寺、天光寺さんに出会う事ができました。滝行は知っていましたが、絶対イヤだと思っていましたので、まさか今回行う事になるとは私自身びっくりです。滝行だけではなくお百度参り、写経なども行えるので一泊でお世話になりました。滝行は、水圧がすごく、冷たかったですが、終わった後は体がすっきりし清められました。呼吸法やめいそう、写経など、どれも無になれるので心が落ち着きとても良かったです。また機会あれば天光寺さんで行を学ばせていただきたいと思います。

    ご住職をはじめ、スタッフの皆様お世話になりました。ありがとうございました。

    ぼくは、この一週間をえて色々なこと気づきました。その中でも心のもち方の大切さに気づきました。当たり前かもしれませんがネガティブよりポジティブの方がいいです。人はネガティブになるのはふつうだと思います。ですがぼくはポジティブなことしか考えないように心がけようと思います。なぜかというと、ネガティブはいいことをひとつも起こさないからです。頭の中がネガティブばっかだと、うつとか心をだめにしちゃうからです。だからぼくはポジティブでいられるようにしようと思います。あとぼくは、だれにも負けない心を持つようにします。この先ずっとある壁を乗りこえるためです。生活習慣もこれからはしっかりしていこうと思います。理由は心ももみだれて結局ネガティブ思考になると思ったからです。これからはポジティブをいじできるように生活をしっかりしていこうと思います。

    今まで転職続きでしたが、正社員として採用してくれた会社でこれからという時に倒産し、不運が重なっています。私は体調を崩し、精神病院の入退院を繰り返し、息子は発達障害があり、娘は不登校でした。長年連れ添った夫とは離婚することになり、身近な知人から癌を告げられ、父も余命宣告を受けました。次から次へといろいろありすぎて不安を感じていました。友人からもやつれてきたと言われ、疲れ果ててきましたので何かの解決になればと切実な思いで電話をしてみました。お話を伺うと、霊障と精神の病は紙一重と言われ、神経質な性格も関係し、よくよく見てみないと分からないとの事でした。以前は精神病院に頼るしかないと思い込んでいたのですが、薬が増えてしまい、事あるごとに繰り返すばかりだったのでもう病院は嫌でした。他に頼るところもなくお願いするしかないと思っていたので、思い切ってお願いすることにしました。

    お寺は東京のはずれの山奥にあり、自然環境のとても良い所でした。新緑の季節もあって、久々に心が洗われるような気持ちになりました。このような静かな所でほっとしたい気分でした。人生に疲れている自分を感じました。お寺の中のいくつかの部屋を案内され、その一つの部屋に入った途端、優しい空気に包まれ涙が出てしまい、驚きました。お祓いの部屋はやや暗く怖い感じもしました。実際にお経のようなCDとお祓いが始まると、何故かわからず手が震え始めてしまいました。その後ヒーリングをしていただきましたが、今まで味わったことのない温かい気持ちに包まれ、胸が苦しくなり、涙があふれてきました。今まで感じないようにしてきたことがあふれてきた感じでした。苦しさ、悲しみ、もどかしさや、怒りなどいろいろです。終わった後は、肩や背中が楽になりました。住職に気の流れも整えていただきました。

    説明によると、霊障もあるが元々考え込んでしまう性格が、より霊的に悪いものを引き寄せてしまうらしいのです。思い返せば確かに今まで物事を悪い方に考えてしまいがちでした。もっと楽観的に考えるようにと思っていたのですが、癖みたいなもので治りませんでした。住職に意識しないと治らないとアドバイスをいただき、これからの人生後半を明るく生きるために心がけたいと思います。ありがとうございました。

    一度で良いから滝行をやってみたいという軽い気持ちで今回滝行をやらせて頂いたのですが、実際にやってみると滝に入ってすぐに息の仕方がわからなくなり恐怖を感じました。滝行に行く前に「入ってすぐに苦しくなったりする事もあるし、頭が痛くなる事もある、だけど入って少したら辛くなくなるかもしれないからすぐにあきらめて滝から出るのはもったいない」という話を聞いていたので何とかふんばる事ができました。自然の恐さをこんなに身近に感じたことは今までになく、あきらめずにやりとげられた事の嬉しさ、滝行が終わった後の体のすっきりした感じや清々しさ、様々な事を自分の肌で感じる事ができました。

    めい想も聞いた事はあったのですが、実際にやった事はなく、きれいな空気を吸っているイメージで、吐く時は過去のあやまちや反省を思いながら吐くのを続けていると、終わったあとに体の芯が温かくなってきて気持ちも落ち着き、滝行の時の様な清々しさも感じられました。呼吸一つ意識するだけでこんなに気分が変わるものなんだなぁと思いました。これは普段でもできるので、少しの時間を見つけてこれからも自分の心身の為にめい想をやっていきたいと思います。その他にも、法話など貴重なお話をたくさん聞けました。中でも心に残っているのが「消極的に生きるのと積極的に生きるのでは、運も人生も変わる」「努力と知恵を使って、人脈を大切に、人に感謝して生きる」「発する言葉がことだまとして残ったり耳に響いたりするから、プラスの事を発する。発言で気持ちが変わり、考え方が変わると行動が変わり、行動が変わると人生が変わる」「人に認めてもらえない事を不安に思うのではなく、相手を認められない事を不安に思え」です。仕事をしていく中や、日々日常を生きていく中で、教えて頂いた言葉を大切にしていければ今よりももっと人生を豊かに、清々しく、強く生きていけると思いました。

    他にもみなさんとても優しく接して頂き、とても楽しかったです。食事も、いつもは白いごはんにおかず一品だったので、ここでたくさんのおいしいおかずやスープを頂き、心身ともに健康になった気がします。ここに来なければ体験できなかった事、感じられなかった事がたくさんありました。これからも、自分が興味を持った事ややりたいと思える事に積極的に取り組み、何か問題が起きた時も、消極的になるのではなくどうしたら良いのかプラスになる為に積極的に生きたいと思います。とても貴重な体験、ありがとうございました。

    私は生まれつきの霊媒体質で、普通の生活が出来にくい状況です。いろいろな霊が見えてしまうので、実際の人なのか亡くなった人が目の前にいるのか、識別できないこともあります。耳元で声も聞こえます。時に悪魔の囁きとしか思えないこともあり、心正しく生きていくのにエネルギーを消耗します。そんな日常の中どうにか生活してきましたが、以前の職場で周囲から完全に阻害され、パワハラとモラハラを受け精神を病んでしまい、うつ病で働けなくなりました。私自身の対人関係の処し方に問題があるのかと悩み対処してきましたが、職場を離れている今も頭の中に彼らの念が渦まき、縛りつけられている感じです。時折心拍数も上がり動悸で苦しくなります。霊的、宗教的な事に惹かれるため、「生霊」について検索していて天光寺様のサイトに辿り着きました。HPを見ていると光を感じ、ここしかないと思いました。電話で問い合わせると、丁寧に説明してくれました。私の信じている世界観と重なり、見えない次元の影響についてのことを教えていただきました。

    お寺に行くと受付をし、その後お祓いの部屋に通されて住職の声のCDを聞きました。次第に身体が震え始め、真っ直ぐに座っているのが辛くなって頭が前に倒れてきました。そして、時折意識が遠のき、何も考えられない状態になるのを感じました。次に仏様の近くに座りお祓いのお経が始まりました。その間も苦しい状態が続きました。私がすべて悪い存在で罰を受けているような苦しさです。その後はヒーリングをしていただきました。先程の苦しさから解放され、安らかな空間に漂い意識がなくなっていくような感じでした。死んだらこのような世界に行くのかなとも思いました。よくわからない光の柱のようなものが見え、自分がその中にいると力が与えられたような感じです。自分は大丈夫だという感覚が少し持てたような気がします。

    一通り終えて思うことは、自分は何かしなければならないと感じたことです。うつ病で何もせずにいてはいけない。うまく言えませんが何か使命のようなものがあると感じたのです。何から始めればよいのかわかりませんが、家に籠っているのではなく、少しずつでもお寺に通い学びを深めていこうと思いました。天光寺様に出会えてよかったです。

    天光寺にて研修を行いました。一日目はまず般若心経を繰り返し音読しました。初めて見る漢字も使われていましたが、それぞれに意味が込められていることを知りました。次にお百度参りを行いました。神様に向けて御宝号を唱え走り続けることは余計な事を考えず、無心になることができました。自然豊かな場所で声を上げて走ることは普段しないため、貴重な経験になりました。続けて滝行を行いました。冷たい滝の中で御宝号を唱えることは体力をかなり使いますが、大変なときも強い意志を持って行動することを学びました。一日目の最後に写経を行いました。写経を筆で行うことで集中力が身に付きました。

    天光寺では精進料理を食べました。野菜を中心に構成されており、品数も多く食事をすることができました。寮で自炊をするときはおかずが少ないので、これから増やしていきたいと思いました。また必要以上の糖分や脂質が含まれていないので睡眠の質が向上し疲れにくい体になったことを感じました。

    二日目は、朝起きてから清掃を行いました。普段は夜や休日の昼に清掃をするので、朝に行うと心が落ち着く感覚がありました。次に腹式呼吸を使った声出しを行いました。普段に声を出すよりも響きやすく、相手に伝わるので続けようと思いました。また落ち着きたい時も腹式呼吸を行うことで数分でリラックスすることができ、就寝もすぐに睡眠に入ることができました。次に三禮を行いました。三十分以上正座や立つといった動作を続けなければならず、体力を使いながら丁寧に所作を行うことが必要でした。このことから自分がどんなに大変な状況でもやるべき事を最後まで行う忍耐力を学びました。

    今日の研修では特に困難な事や成功をするための強い精神、心の在り方を学びました。会社の業務だけでなく、日常生活にも生かせる事があったので今日から生活に取り入れていきたいと考えています。

    先日見てもらった占い師にお祓いを勧められました。生霊や先祖、家系の因縁霊が憑いているというのです。考えてみると、親戚同士で仲が悪く行き来がなく、祖父母との関わりも薄くかわいがってもらった記憶がありません。親の躾が厳しく、恋愛関係も厳しくされうるさく関わってくるので恋人ができたことがありません。これは生霊が邪魔をしていると占い師に言われました。家系の人間関係については幼少期から疑問やわだかまりがあり、ずっと心がスッキリしません。一切の縁を切ってしまえばよいのかもしれませんが、そこまで割り切れません。家系には障害を持っている人も多い感じです。輪廻転生やカルマ、過去世などのことを調べるうちに、霊的なことや、特別な意味があるのかもしれないと感じてきました。体調にも影響が出ています。足が急に重くなりもつれて転びそうになったり、睡魔が襲い仕事に支障が出ています。そんなことが続いているので、この際スッキリ払って人生をリセットしたいと思いました。

    見てもらった占い師に聞くと、お祓いはよくわからないが天光寺というお寺があると言われました。ホームページを見ると、滝行が人気でYou Tuberも多く訪れていて、また不登校、引きこもりの相談や企業研修も行っているようで、人生をリセットするには向いているような気がしました。一方お祓いの動画は驚くものがあり、自分もこうだったらどうしようという不安もありましたが、それだけに説得力もありました。

    思い切って連絡してみると、担当の方が詳しく説明してくれました。特に気になっていたのは料金の事でしたが、私には高額でしたが明確だったので、あとはやるしかないという自分自身の決断でした。お寺に来てまず相談内容を話すと、先祖、家系の事を説明してくれました。思った通り家系の悪い想念は子孫に影響するそうです。その後お祓いの部屋へ案内されました。最初に呪文のような声のCDを聞きました。胸のあたりが苦しくなるのを感じました。その後お経が始まり本格的なお祓いに入っていったようです。その後口から息を吐き、背中、腰など身体を整えていただき気の流れを整えていただきました。力を入れないよう言われるのですが、無意識にこわばってしまいました。それでも整えていただいた後は身体、特に足が軽くなり楽になりました。最後にヒーリングをしていただきました。行っていただいている途中から、なぜか急に涙が溢れ出し、込み上げてくるものがありました。自分では気づいていなかったのですが抑えていたものが出てきたかのようです。嗚咽が込み上げてきて、止めどもなく涙が出て顔がぐしゃぐしゃになってしまいました。記憶が薄かった祖母のことが何故か思い出され、悲しんでいる気持ちが伝わってきたのです。理解できない不思議な出来事でした。

    次回は滝行に参加し、さらにいっそう浄化したいと思いました。天光寺さんに出会えてよかったです。ありがとうございました。

    今回初めて行に入らせて頂きました。不安もありましたが周りの方の優しいお声を頂き安心して過ごすことができました。作法、呼吸の仕方で心が落ち着き、今の自分に戻る時間を多く頂きました。

    初めての写経でしたがこんなにも集中して書に一字一字に集中し雑念が払えている感覚もありました。

    滝行では、想像を超える水の勢いと力に圧倒されました。終わった後の爽快感は何とも言えない清々しさと気持ち良さを体感しました。

    法話にて積極的な行動、言葉、思考の持ち方を学び、これからの生活・生き方に加えていかねばと思いました。

    最後まで成し遂げる

    困難に立ち向かい

    あきらめない気持ち

    私は人生の主人公、負け犬にはなりたくありませんので、この経験を糧として明日も幸せに、健やかに生きていきます。

    大変お世話になりありがとうございました。

    元々小さい頃から霊感体質で、霊が見えたり、声が聞こえたり、身近な親戚で誰かがなくなる前に、影を見たりという体験をしておりました。特別何か悪さをされたりなどはなく、金縛りに時々あうくらいでした。子供たちも社会人となり、夫婦でゆっくりと過ごそうと思っていた矢先、父親が亡くなってしまい、その頃から体調を崩しがちとなりました。頭が重く、身体のあらゆるところの痛みがでるようになり、通院もして色々と検査も受けましたが、特に悪い所もなくストレスが原因だと済まされてしまいました。だんだんと症状が重くなり、起きるのもしんどくて食事もあまり摂りたくなく、家事もなかなかできなくなり、主人も子供たちにも大変心配をかけてしまいました。

    ある日、子供がネットで色々と調べてくれて「天光寺というお寺がよく見てくれるみたいだから、行って見てもらおう」と考えてくれました。自分でもホームページを見てみると、納得させられる内容でした。電話を入れて予約を取ることができ、主人と娘と一緒に伺うことになりました。

    お寺の中はとても神聖な空気感で、とても清潔感があり心が落ち着く感じでした。申し込み用紙などを書いて、初めに住職先生からお話、説明があり、それからお祓いをするお部屋へ移動しました。とても緊張しましたが、霊視が始まると悲しい気持ちが溢れ出すような感覚で、涙が止まらなくなりました。とても強い悪霊が憑いていたようで、私に攻撃をして、救いを求めて憑いてしまわれたようでした。先生のお経が始まり、とても苦しい感じがしたのを覚えています。私に憑いていた悪霊は、無事に浄霊していただき、安心しました。お祓い除霊が終わった後に、ヒーリングをやっていただき、とても不思議な温かい気を感じ、身体がとても楽になりました。

    私の後にも、またお祓いのお客様が来られたようで、先生はお忙しそうでした。そんな中で私の予約を早い目に取って下さったので、感謝の気持ちが大きいです。家が少し遠いのですが、主人と一緒に時々訪れようと思います。ヒーリングを受けて、身体の調子を整える事が大事だそうです。主人も娘も安心してくれて、私も自分自身安心しました。

    この度はありがとうございました。また今後ともよろしくお願い申し上げます。

    一泊二日の講習でしたが非常に内容の濃いものでした。

    初日、般若心経の復唱から始まりたどたどしくも言葉の意味を探りながら妻が毎朝、般若心経を唱えているのを思い出し今後、時間の許す限り妻と一緒に復唱したいと思いました。妻への感謝の念とともに。

    午後からは、滝行に向かい、道中の険しさから身の危険を感じながら天狗滝に着いた時には灌漑深いものがありました。滝はまもなく六月というのに肌を刺す様な冷たさでした。体の中のけだるさが一気に抜けて爽快感だけが残り大変充実しました。

    お百度参りでは自分が最年長だった為、皆について行くのが精一杯でした。これも人生初のお百度参りだった為、貴重な体験をさせていただきました。

    夕方本堂にて住職と一対一で「いらっしゃいませ、ようこそお越し下さいました」「有難うございました。お気を付けてお帰り下さいませ」これを大声で一時間復唱する。接客業の経験のない私にはこの一時間がとても長い時間に感じました。汗だくで終わりました。

    夕食後、写経の時間に入りこれも人生初体験の作業となり紙一枚写経するのに就寝直前まで時間を要しました。約二時間作業となりました。

    夜十時就寝、朝六時起床後、約二時間の掃除開始、一階二階の拭き掃除を行い、八時より朝食をとる。その後約二時間の説法ビデオを拝聴し講習終了。人生折返し地点でこの様な貴重な体験をさせてくださった天光寺様と㈱●●●様には感謝致します。

    一泊二日、お寺で修行をさせていただいて、これまでの生活や学んだことを振り返るきっかけになりました。

    今年の四月から、社会人になり小学校の先生をしていますが、この一学期は、何事も初めてで、やりがいを感じながらも本当に苦しかったのが本音です。夏休みに入り、仕事に余裕ができると「子ども達の為に何ができたのか」担任としての反省点は多く、改善するという向上心を修行を通してさらに与えてもらいました。礼儀の大切さも、分かっているつもりでも、大切さを丁寧に教えていただくと、大切さの意味を理解し自ら取り組もうという気にもなりました。子どもに対しても「あいさつをしなさい」と言うだけでなく、なぜ大切なのかを伝えながら、自主的に行動する子どもを育てたいと思います。

    滝行では、仲間の頑張りを見て、頑張ろうという前向きな気持ちになれたり、応援されることでこれまで以上の自分の力を出せたり中高生時代の部活動がなつかしくなりました。また、それぞれの想いや考え、悩みを持った方が、何かを変えようとして参加しているのだなと思い、自分だけではなく他の人もいろいろなことを抱えて生きているんだなと、心強くなりました。現代社会にはおいても、孤独を感じている人が増えているように感じます。

    学級をもつ私にとって、クラスに一人でもそのような思いをする子どもがいないように、中高生時代での部活動や滝行をしたからこそ子どもに伝えられることもあると思います。今回の修行で感じたことを、そのままにせず、次は教育現場の子ども達に伝えていきたいと思います。

    講話でもおっしゃっていたように、ポジティブ思考、向上心はとても大切だと思います。私自身も大切にしている生き方です。生まれつきそのような思考ですが「ことだま」本当にあるなと思えました。「できる」と思い続ければ、何でもできるし、そのように思える自分は、普通だけど最強なんだなぁと自信がつきました。本当に、周りの友達や上司には恵まれており、孤独とおもうどころか、やっていること目指していることが違えど、高め合える存在で感謝の気持ちでいっぱいです。その感謝も気持ちだけでなく、言葉や行動でさらに相手に伝えていきたいと思います。この修行を通して、自分を振り返るきっかけになっただけでなく、初めての経験をしたことによる新しい考え、感情、自分にも出会うことができたと思います。

    一泊二日という短い時間でしたが、ありがとうございました。

     

    最近、新築一戸建を購入しました。長年の夢であり、実家にも近く非常に良い物件だと満足しており、引っ越しを楽しみにしておりました。ところが先日中学の同窓会で、ある友人からその土地について嫌なことを聞かされました。何十年も前のことだが、その土地の庭の大きな木で首吊り自殺があったというのです!そして私が購入する前に旧家に住んでいた方は土地を売り払ったらしく、現在に至っているようです。不動産屋さんに問い合わせても詳しいことは分からないと言われてしまいました。私自身は霊障のようなことはよく分からないのですが、今回のことを教えてくれた友人が非常に心配して、一刻も早く引っ越し前にお祓いを受けるべきだと勧めてくれました。どこにお祓いをお願いすべきか一緒に調べてくれ、天光寺さんに辿り着きました。地鎮祭などの神社のお祓いしか知らず、土地の事なので来ていただかないといけないかと思っていましたが、電話で相談すると家の写真と土地の土を持参するように言われ、そのようなことが出来るのかと驚きました。

    お祓いの当日は友人も付き添ってくれ、無知の私としては心強かったです。最初に不思議な声のCDを聴きました。その後お経が始まり、銅鑼や太鼓の音が激しくなり、音に驚きました。私は特に何もなかったのですが、隣にいた友人の身体が揺れていたらしく、何なんだろうと不思議に思いました。友人自身も自分の反応に驚いていたようです。後から説明を受けましたが、友人は霊的なものを感じやすい霊媒体質というものらしいです。そして土地の霊障、エネルギーは住む人に大きく影響を与えるらしく、過去にも会社の倉庫のお祓いや、社員寮のお祓いなどもなさっているようでした。個人宅でも、誰もいないところで物音がしたり、電気やテレビが勝手についたり、パソコンにトラブルが生じたりするそうです。もっと酷いと住んでいる人の身体に関わり、頭痛、耳鳴り、精神不安定などその他深刻になると日常生活に支障が出てしまうそうなのです。それを聞いて、ぞっとしました。早くお祓いを受けて本当に良かったと思いました。心配して勧めてくれた友人に感謝です。その友人も“これは凄い”としきりに納得し、今度は付き添いではなく自分が申し込むと言っていました。

    晴れやかな気持ちになって引っ越しを無事に終え、快適に過ごしています。ありがとうございました。

    私がこの修行で学んだことは素直になることです。滝行や三礼をやったことで大きな声を出すことや水に打たれて限界まで我まんすることを学びました。滝行や写仏では我まんすることや書いている時は休けいするとき以外はしゃべらないことを学びました。私は脇見恐怖しょう、対人恐怖しょうになったのでここに来ました。辛くて家族に会いたいと思った時もありました。写仏をやっている時も手元より他人のことが気になってしまい、イライラしてて辛かったです。でも先生に少しは我まんしなさいと言われ、その気になりました。やっぱり辛くて先生に悩みを打ち明けたり、写仏の時に他の人が前の机で勉強してもらい、自分は後の机で勉強したりしました。色んな先生にアドバイスをもらいました。人がイライラしたりしていても何も悪いことなんてしてないだから気にせずにいなさい、強くなりなさいと言われました。両親や誰にも言えないことが多くて、ここに来る前も人の目ばっかり気になって嫌われちゃわないかなってことばっか気にして、写仏の時もずっと他人のことを意識しちゃって治るのかなって思っちゃってしまったこともありました。やっぱ他人がイライラしているのを見ると嫌われたのかなって思っちゃって自分はどこに行っても嫌われちゃうのかなって一時期は誰も住んでない山奥で一人ひっそりと暮らそうかな自分にとってもいいし相手にとっても私がいない方がいいのかなって思った事もあります。やっぱり人の気持ちが分からないからどうしたらいいんだろうって考えて行動に表してもイラつかせちゃって、この人に好かれたい嫌われたくないって気持ちが大きいから、どう頑張ったらいいのか分からないこともあったけど、そういう人とは相性が合わないから相性が合う人だけと仲良くすればいいって言われて合わせようとする方が間違ってるんだって気付くことができました。最初はこの苦しみなんて誰も分かってくれないって思ってたけど色んな人の話を聞くと分かってくれる人もいるんだなって思いました。他の人と一緒にいると違うことを考えちゃったり自傷行為に走ってしまったりすることがあるので自分が我まんしちゃったり素直に辛いって言えなかったりするので、そういう所も含めて素直になりたいし、やっぱ誰かに嫌われるより愛されたいから愛されるようになりたいです。

    私には幼稚園に通う娘がいます。ある時幼稚園の遠足に行った時に撮った写真が気持ち悪かったので相談しました。私は霊が見えるなど霊感が強いわけではありませんので、その時は特に変わったこともなかったように思いましたが、写真を見て驚きました。娘の体の脇に子供の手のような影が写っていたのです。白くぼやけていましたが、明らかに他の子供のものとは思えず、位置からして娘の手でもありません。最初はそのまま放っておこうと思いましたが、ちょうどその頃からおねしょをするようになったり、幼稚園でもお漏らしをしてしまいます。また服を着る時に着心地が悪く感じ出し、服を着るのを嫌がり出しました。そんなことから登園を渋るようになってきたのです。何か関係があるかも…と気になり出しました。こういった事に今まで関心もなかったので、お祓いといえば神社かお寺だと思い、インターネットで検索して見つけた天光寺というお寺に問い合わせしてみました。電話でお話しすると丁寧に教えて下さり、私の娘のように写真に写り込んだ場合なども対応してくれるそうでした。できれば娘を連れてきた方が良いとも言われ、長時間耐えられるか、お寺に迷惑が掛からないかなど心配がありましたが、今後何か大事になってもいけないので、頑張って連れていくことにしました。

    お寺では修行のお坊さんたちも優しい感じだったので、娘も怖がることなく静かにしていられました。お祓いのお経や、太鼓が始まると少し怖かったようで顔を私の膝に伏せていました。それよりも驚いたのは、私の方が手が震えてきたのです。止めようと思っても勝手に動いてしまいます。最後にはヒーリングをしてもらいました。私の肩が軽くなり、背中や腰が楽になりました。娘の事ばかり気になっていたのですが、実は水子の影響だったようです。娘が生まれる前に授かった子がいたのですが、流産してしまったのです。その子の悲しみや寂しさが娘に影響を与えて、私に構ってもらいたかったようなのです。今の生活のことしか頭になく、昔のことですっかり気に留めてもいなかったのでハッとさせられました。どのような事情であれ、この世に生まれることが出来なかった魂が安心して天に上ることが出来るようお祈りしなさいと、住職に言われました。お祓いのお部屋の水子地蔵にもお線香をあげ、お祈りさせていただきました。

    早い時期に天光寺に来ることが出来、本当に良かったです。私自身気づきがありましたし、娘もそれ以来元のような明るさを取り戻し元気に登園しています。これからも忘れることなく、折に触れお祈りしようと思います。ありがとうございました。

    体験修行をさせて頂き有難うございました。日々の生活、仕事のあり方など見直す良い機会となりました。特に挨拶は重要だと感じました。気持ちを込めて挨拶をしようと心掛けます。そして、何も分からなく、体験感覚で臨みましたが、感謝の気持ちを持つ事の重要さを感じました。他の修行者、先生の方々から色々と教え、励ましを頂き、感謝の気持ちを強くもつべきだと思います。この修行を生かし今後の人生を歩んでいきます。ありがとうございました。

    この度、息子のお祓いをして頂きました。息子は遊び仲間と時々心霊スポットへ出かけたりしていました。心配はしていましたが、ある頃から息子の顔つきや言動がおかしいなと感じるようになり、息子は自分の部屋からあまり出てこなくなってしまいました。バイトも辞めてしまい、引きこもりの生活が始まりました。話しかけても暴言を吐き、だんだんと暴力も振るうようになってきて、明るくて優しかった息子が別人のようでした。色々と調べて、精神的な病気も疑い精神科の先生にも相談しに行きましたが、本人を連れていくのが難しく、どうしようもありませんでした。しかし、何度思い起こしても、ある心霊スポットへ行った後のタイミングでだんだんと息子が変化してしまったので、呪われてしまったのではないかという考えが強くなり、インターネットで調べていくうちに、早くお祓いをしてもらわなければという気持ちで焦ってしまいました。

    そこで一番印象が強く感じた「天光寺」という東京の秘境にあるというお寺に、お願いしようと問い合わせをしてみました。電話で詳しくお話を聞いて下さり、息子を連れていくのがどうしても困難だとお伝えすると、息子が普段身に付けているものを一緒に持って来て下さいと言って下さり、主人と一緒に天光寺へ行く予定になりました。

    お祓い当日、ダメ元で息子を誘ってみるとタイミングが良かったのか、お祓いに行くことを決心してくれたのです。自分自身のどこかで良くなりたいという気持ちがあったのでしょうか、奇跡的な感じがしました。息子は下を向いて話かけても黙ったままで、暴れ出さないか心配でしたが、無事に天光寺まで辿りつくことが出来ました。お寺に入り、申込書や家系図を書いて、ご住職が話を聞いて紙に色々書いて説明して下さり、その後お祓いをするお部屋に通されました。ご住職が息子の前に座り、呪文のようなものが流れはじめました。息子はすぐに反応がきていたようで、身体が揺れ始めていました。ご住職がお経をあげて、お祓いが本格的となり、息子は狂うように暴れだしました。最後に息子の身体から悪いものが抜けていくのが私にも分かりました。息子が訪れた心霊スポットで、淋しい、苦しい霊が救いを求めて浮遊しており、息子にとり憑いてしまい、苦しめていたそうです。遊び半分で心霊スポットのようなところへは行ってはいけないと言われました。

    お祓いが終わった息子は、ヒーリングというものを受けて、久しぶりにすっきりと軽くなったようで、疲れた顔から笑顔がこぼれていました。戦いが終わったかのように、私も主人もホッとして胸をなでおろしました。元の優しい息子に戻して下さり、感謝の気持ちでいっぱいです。ホームページにも書かれていましたが、精神疾患と霊障との違いは本当に見分けがつかないもので、原因はそこにありました。信じて本当に良かったです。ありがとうございました。

    私は先生の法話を見て思ったことが三つあります。

    一つ目は、積極的に生きることの大切さ重要性を改めて再確認させて頂きました。無意識の中や自分自身の言動を思い返すと自分自身の消極的な発言や思考でもこれはだめだなと思って動けない場合がものすごく多かったです。積極的に生きるには消極的な言動や思考をしたらそれを無くして勝ってやるなどの積極的な思考や言動をしていけたらなと思いました。どんなに絶望的な状況でも、これは無理だと思わず積極的に努力と知恵を振り絞って、粘り強く生きていこうと思いました。

    二つ目は、分かったふりをしてしまうことはだめで直していかなければいけないと再確認させて頂きました。普段の仕事で分からないのに分かった風に仕事をして失敗したりしていました。何でそんな事をしてしまったかと言うと分からないことがだめで人に聞くのが恥ずかしいと思っていたからです。

    三つ目が、思考が人生を作ると聞いて、本当にその通りだなと思いました。思考を変えて行くには日々の行動やほんのささいな事でも気をつけていきたいと思いました。

    法話を聞いて特に印象に残っていることは、新しく生まれ変わった人間になるために、積極的に行動するということです。自分の中で悩んでいた何事も上手くいかないというものを根本からくつがえされたような感覚でした。そもそもネガティブな結果ももたらし、さらに悪化していくと法話で学びました。新しい出会いや人脈を見つける為にも、色々な所に行って、感じて、学んでいける人間になりたいです。その出会いによって今まで負けてばかりいた人生がガラリと変化したらいいなと思っています。また人脈を作るために、感謝や礼儀が大切だということも学べました。名刺の裏に感謝など、ちょっとした気遣いで、信頼ができるものだと知れました。気遣いで良いなと思われるような人になりたいです。この二つは私が今までできていなかったものばかりです。これらを積極的に行い、新しくポジティブな人になっていきたいです。

    天光寺でお祓いしてもらいました。関西からなので遠くて悩みましたがお願いして本当に良かったと思います。20代後半からうつ病を患い、精神科へ通い、毎日薬を飲んでしんどい日々でした。幻覚や幻聴といったものにも悩まされ、何度も自殺も考えたり、毎日がつらくて仕方なかったです。自分の幻聴幻覚がただ物ではないと嫁が怖くなってきたみたいで色々と調べてくれました。天光寺のホームページを見つけて、「これは霊障じゃないか」と言い出したのです。そんなことがあるのかと疑いましたが、実際自分に聴こえてくる声や時々現れる人など、いつも同じ悲しい顔をした女性でした。自分では精神の病気で変な声や人が見えてしまうようになってしまっていると思っていましたが、精神の病気と違って、本当に憑依されてしまっていたなんてびっくりしました。住職も見た瞬間に分かったようでした。お祓いをしてもらっている間はお経や太鼓の音で苦しくて身体の中から何かが動き出して勝手に手足が動いてじっとしておれず、途中から記憶がありませんでした。終わった後は、身体の重みが消えてスッキリと視界も鮮明といった感じで、楽になりました。憑依体質らしく、どうしても今後も気を付けていかないと駄目みたいですが、とりあえず安心しました。ずっとずっとしんどい思いをして悩んでたので、もっと早くに気付いてお祓いしてもらえば良かったなと思います。これからまた仕事を頑張ってやっていこうと勇気を頂きました。そして色々と調べて付いてきてくれた嫁にも感謝です。遠くてなかなか来れないので、数珠と天現霊符というものを住職に描いてもらい購入しました。万が一これからまたしんどくて悩んだとしても、天光寺でみてもらえると思うと安心ですし、まず住職に相談しようと思いました。初めはとてもオーラが出ていて怖く思いましたが、気さくで話しやすい良い先生でした。本当にありがとうございました。

    日本にしか見られない仏教があることと、密教の力によって国を守る体制を築き上げることが出来る。それには、人生経験、又即身物の作法が必要であり、いつまでも光る存在に成り続けて行く構えであります。

    天光寺へ企業研修として行くことになり、とてもつらいと聞いていたので心構えをしていましたが、想像の何倍もつらく大変でした。五月一日の午前十一時に到着し、挨拶の所作を練習しました。正座を全く行ってこなかったので、とてもつらいスタートとなりました。そして昼食を頂き、着替えたのち、お百度参りを行いました。弘法大師像の前で約二十メートル程のお百度石を御宝号と呼ばれる、南大師遍照金剛を大声で唱えながら走りました。その後、滝行へ子天狗の滝に移動しました。滝行は少し楽しみにしていた行程でありましたが、私の順番が回ってきて足を水ぎわにつけた瞬間に飛びそうなくらいおどろきました。次に山と滝に挨拶をした後、体に水を胴・肩・顔・頭という順にかけて、いざ滝に入ったとき呼吸が思うようにできずに混乱しました。御宝号を唱えながら滝に打たれ、途中止めてもかまいませんと言われましたが、やると自分の意思伝えて、最後までやりきることができました。ここで自分を変えるという不安だらけの経験を本当の意味で知れたと感じました。また二日目の清掃の時間でぞうきんがけを久しぶりにやりました。その後の朝食は特別おいしく感じられました。そして三礼という神様に送る挨拶を行いましたが、これが一番大変でつらかったです。なぜならば、百八回を三セット行い、御宝号と同じ様に唱えながら行ったために体とのどが痛くなりましたが、すっきりとした解放感が感じられました。

    瞑想のときは精神を穏やかに心を落ち着かせる事を目的としてましたが、体制を正しくするのが大変で意外と難しく感じました。瞑想も始めて行いましたが、気分が水面のように静かで穏やかになった気がしました。この企業研修を通して、自分自身を変えることは自分を愛して理解する事を怠らずに、頑張ることだと学びました。そして今回、自分自身をいつもとは異なる環境や行動で考える目標を持っていたので、とても有意義な時間だったと思います。これからはもっと自分のことを改めて考え直し、習慣を見直して頑張っていこうと思います。

    二か月前に引っ越しした家での出来事です。子供が大きくなってきて、住んでいたアパートが狭くなってきた為、広い戸建ての家を中古物件で購入しました。念願の戸建てに引っ越しして、広々と快適な生活を送るはずでした。

    異変に気付きだしたのは、引っ越して間もなくです。寝ている時に、物音や足音が聞こえ、身体が動かなくなり、悪夢にうなされるようになりました。ただ身体が疲れているせいだと思うようにしましたが、ある日、息子も影を見たり、誰もいるはずのない部屋から人の気配がして話し声が聞こえたということを聞かされた時、この家の怪奇現象だということを確信しました。何も起こらない時は起こらないけれど、週に1~2回の頻度で現れている感じでした。だんだんと、息子の方が色々と感じ取るようになってきて、もうこの家には住みたくないと言われました。そんな時、夫が突然倒れてしまい救急車で運ばれました。脳梗塞です。緊急手術で一命は取り留めましたが、入院とリハビリを要するようになりました。あれだけ健康に気を使っていた夫が倒れてしまうなんて。。。この家に引っ越してきてから不運な事続きで、きっと夫の脳梗塞の原因もこの家に何かがあると確信しました。

    家のお祓いをしてもらいたく、ネットで検索していると天光寺というお寺を見つけ、ホームページをのぞいてみると、たくさんのお祓いや除霊をされているみたいだったので、思わず電話をかけてみました。するとちょうど担当の先生がおられお話を聞いてくださりました。相談すると、家の中の写真と夫の写真を撮って来てくださいと言われ、予約をしました。

    息子と二人、一緒にお祓いしてもらえるとの事で、息子と一緒に訪問しました。写真も見てもらいました。家にはやはり自縛霊が何体かいるようです。私にではなく、息子に憑いてしまっているようで、息子を中心にお祓い除霊をしてもらう事になりました。息子は途中、泣き、怒り、暴れて意識が飛んでしまったようで、見ている私はとても不安になりましたが、先生がきちんと対応して下さり、すぐに目も覚まして、立ちあがることもできていました。自縛霊は先生のお力によりいなくなったようで、とても安心しました。

    夫の病気の回復と、家に自縛霊を引き寄せない為に、お札を購入させて頂きました。また先生より、護摩焚きをすすめられたので今月参加させていただく事にしました。

     

    法話をきいて、これから「どのように人と、そして自分と関わりを持っていくべきなのか」の道すじがはっきりしたように感じました。この法話で印象に残っているのが、人生の主人公か負け犬どっちになりたいのかという言葉でした。法話の始めと終わりで2回この問いがでてきたのですが、一回目に聞いたときに私はどちらでも構わないと思いました。「負け犬」という響きは良くない言葉でも人生何をしても失敗ばっかりだった私にとっては、負け犬の人生でたとえそれが辛くともそこには学びがあってそれが糧となり「人間力」の底上げにつながっているという思いがあったからです。しかし、先生の話を聞いていると、この法話での「負け犬」とは、ネガティブを口にし、消極的に生きる人のことでした。それとは真逆の生き方をしたいともがいている私は「主人公」になりたいのだと気づくことができました。何があっても負けないぞという強い心をもち、ネガティブは口にせず、何事にも積極的な姿勢で生きていこうと思えました。最近は人との関わりもほとんどせずに生きていたので、積極的に関わりを持ちたいと思いました。

    今回、会社の企業研修で天光寺での修行体験をさせてもらって、最初にイメージしていたものと実際に体験してみて思ったことの違いが大きい物が意外にも多くて驚いたので、その事を感想文に書かせていただきます。

    まず一つ目は、お寺そのものに対するイメージです。お寺では電子機器の使用が禁じられていたので、事前のイメージでは本当に電気と呼べるものはほとんどなくて、風呂と電球はいくつかある程度なのかと考えていましたが、蛍光灯や洗濯機、シャワーやテレビなど一通り現代的な設備が多くあって安心しました。また精進料理は煮物の味がうすいようなものに、ご飯といった簡素な物を考えていましたが、味付けも豊富で特にマヨネーズで味付けされたサラダうや二日目のお昼に食べたカレーが美味しくて本当に「肉や魚の入っていないだけの普通の料理」で食べやすく作られていたのも印象的でした。

    二つ目に修行の内容についてですが、これは会社で事前に先輩に聞いた話によるイメージでは滝行がつらいと言われていたため、滝行はかなり身構えていましたが、実際に滝に当てられた時間そのものはそれほど長くなくて、そこを踏ん張れば良かったので気合を入れて挑むことが出来ました。それ以上に個人的に辛かったのは二日目の午前中にやった三禮で、「おん さらばたたぎゃた はんなまんな のうきゃろみ」と唱えながらやる一連の動作を三回でワンセット、それを煩悩の数である百八回セットで行うといった内容で普段トレーニングやスポーツなどをほとんどやっていない私にとってはかなり辛く過酷な内容で途中から意識がもうろうとしてしまい、過呼吸になるかとすら思った程なので、個人的にはかなり辛かったです。

    三つ目に、最後に見たビデオの内容についてですが、最初はお寺や宗教についての内容が大半をしめるものなのかと考えていましたが、報連相やあいさつについて等、とても研修といったニュアンスのものが多く存在したのでとてもためになったと思いました。

    私は昔から霊的なものが見え不思議な力を持っていると思っています。そのためヒーリングを人のために施してきました。しかし、最近今までの感覚と違う人の声が聞こえてきて、自分の思考を妨げてくる状態になりました。絶えず話してくるので頭の中をかき乱されます。そのうち皮膚感覚もおかしくなってきました。急に寒気を感じたり、アレルギーのような湿疹も出てきました。電磁波の影響も強く、スマホの通話や電車に乗るのも辛くなってきました。こうなってくると何もできない状態で家に籠り、自分の食事すら作るのが難しくなってきます。心も落ち着かず、誰かに来てもらわないと不安でたまらなくなるのです。今までヒーラーとしての自信もあったのですが、こうなってしまうと自己嫌悪も激しくなり生きているのも苦しくなります。

    そんな中天光寺のホームページを見つけ申し込みました。以前からお寺の除霊には関心がありました。自分のプライドもあったので、他のヒーラーにはお願いしたくない気持ちもありました。お寺に来てみると、強い氣を感じました。最初に住職にお話を聞いてもらうまでは大丈夫でしたが、お祓いの部屋に通され不思議な声のCDが始まるとだんだん苦しくなってきました。さらにお経やお祓い・除霊が始まると自分でも何だかよくわからなかったのですが、胸が苦しくなり悲しみが込み上げてきました。そうかと思うと怒りの感情も出てきて、自分を叩くなど攻撃したい気持ちも込み上げてきたのです。後から聞くと床を叩いていたようです。呼吸も荒くなり、「力を抜いて身を任せて」と言われましたが、身体も力が入っていました。その後、身体を整え氣を入れて下さいました。頭と首の流れが滞っているようです。

    住職のお話では、元々感じやすく霊的に敏感なのに、悪い氣を防御することを知らず、他者のヒーリングをするうちに邪気をもらい受けていたようです。また自分が繋がっていた霊的存在が宇宙の根本とずれていたかもしれません。なまじっか色々なお客様と接し、知識もあったので自惚れが強かったようにも感じます。住職に言われたことをまだ完全には受け入れられない面もありますが、本来の自分にかえり、もっと素直に謙虚になることが大事だと気づかされました。

    浄霊をしていただき、何かが抜けてすっきりと軽くなり身体の流れが良くなった感じです。帰宅してから量ると体重も軽くなっていて驚きました。

    このような体験は今までになく、本当に助けていただきました。ありがとうございました。

    こちらで修行させて頂くきっかけは、FX取引で客観的に気持ちに左右されず売買を行えるように精神を鍛える事でした。修行を重ねる行くうえで自分勝手な取引をしてしまったことを改めて感じさせられました。家庭を支える事が大事でそれを忘れて負けたことで頭に血がのぼり、さらに負けが重なり。。。
    そんな自分をこの場に送り出してくれた家族にはとても感謝しています。この気持ちを忘れず、まずはFXの前に家族への感謝と恩返しをしていこうと思います。3月に退社した焦りもあったと思いますので、ゆっくりと家族を大切にした上でFXとは向き合って取り組んでいくことにします。
    高尾先生はじめ皆様にはこの場を与えて下さり、本当にありがとうございました。

    23年ぶりの一人旅、二泊三日で天光寺様へお世話になりました。
    大日如来様と不動明王様
    滝行・ヒーリングにひかれて・・・
    最初、お寺に入り、大日如来様・不動明王様の仏像様の前に座った時、肩・背中がジワジワと不思議なエネルギーを感じました。良い意味でお力を頂いたとポジティブに思っていてお百度参りと滝行も二回ずつ経験させて頂きましたが、あっという間に時が過ぎ、滝行は冷たかったけど、必死に願い事を唱えているうちに、激しい滝にもなんとか、耐える事ができ、思い出に残るように写真・動画も撮って頂き、感謝の気持ちいっぱいです。おかげ様で、一人旅でも充実し、良い経験・思い出ができました。
    食事もおいしく、規則正しい生活・睡眠もたっぷりとれ、携帯見て寝れなくなるという事もなかったです。(笑)普段から規則正しい生活を心がけ、ポジティブな気持ちで、前向きに何事にも取り組んで行きたいと思います。いろいろ経験させて頂きありがとうございました。

    幼少期から見えない世界に興味がありました。既存の宗教や原始宗教みたいなものから、スピリチュアルな精神世界のことまでいろいろなものに惹かれました。そんなことから世界を旅しているうちに、ある占い師のような人と出会いました。それからというもの身辺に変なことが起こり始めたのです。家の中で気のせいとは言えない大きな物音がしたり、物が壊れていたり、パソコンやテレビが勝手に動いてしまうなど。いろいろな怪奇現象が続くため、初めは気にしていませんでしたが、飼っていた猫が突然死んだり、だんだん恐ろしくなり不眠が続くようになりました。そのうちに声が聞こえるようになってきたのです。幻聴、妄想かと思い、心療内科を受診することも考えました。精神的に参る一方で仕事にも影響が出始めました。精神科の受診は薬漬けになってしまうのではという心配と、回復できないのではという不安から、二の足を踏んでいました。しかし最近は自分でもコントロールができないほど精神に異常をきたしており、気が付くと夜中ふらふら歩いたり、線路わきに立っていたりすることもありました。とうとうどうしてよいか分からず、以前からネットで気になっていた天光寺というお寺に電話をすることにしました。

    電話ではカウンセリング、状況確認、除霊、浄霊などの段階を追って鑑ていただけることを聞き、料金も明確で安心しました。

    もともと宗教、特に密教には興味があったので、お寺の中の仏様や仏画にはとても惹かれるものがありました。お祓いの部屋に通されその雰囲気に気迫を感じました。最初にお経のようなCDを聞きました。自分でも不思議でしたが手が勝手に震えだしました。その後のお祓いに入ると足も震えだし、自分の意志ではコントロールできませんでした。身に起こっていることがよく理解できませんでしたが、住職のお話を聞くと、やはり外国で出会った占い師のような人の霊が憑いていたようです。同じ状況にあっても、霊の影響を受け易い人と受けない人がいるとも言われました。見えないもの好きの興味半分から、パワースポットや心霊スポットもよく行ったこともありました。安易な考えでこれも良くなかったかもしれません。また、悪いことが続くとどうしてもネガティブ思考になり、気力もなくなってきます。こうした心のあり方が悪循環を起こし、ますます悪いものを引き寄せていくそうです。納得のいくお話で、体が軽くなったのはもちろん、生き方や自分のありようについて考えさせられました。今までのように占いに頼ったりフラフラした生き方だとまた同じようなことを引き寄せてしまうそうです。せっかく憑き物を払ってもらったので、今度は滝行に挑戦して身を清めていきたいと思いました。

    本当にありがとうございました。

    僕は、天光寺に生活習慣が悪いことや自分の感情をコントロールできないことなど来ました。僕は天光寺に来たくないと思っていたけれど、来てみて気付いたことがあります。それは、感謝をする事です。僕は天光寺で掃除や洗濯、皿洗い・片付けなどをしてきました。どれも親がやるのが普通だと思っていたけれど、親がいない今、自分がやらなければいけなくなった今、親がやっている大変さに気付かされたと思います。親がやるからいいではなく、自分がやらなくてはいけない、親がやってくれたら感謝をしなければいけないことが分かりました。僕はこれから自分のことは自分でするようにしようと思います。

    僕は天光寺に来て、生活習慣は良くなったと思います。でもまだ自分の感情をコントロールすることはできていません。僕は自分の思い通りにならなければ物にあたってしまいます。自分の感情をコントロールできないことが僕の弱点であり、僕はそこを直さなくてはなりません。僕はまだ自分の感情のコントロールの仕方を見つけれていません。僕は残りの二日で自分の感情のコントロール仕方を見つけようと思っています。

     

    昔からずっと同じ夢を見て、うなされて途中で目が覚めます。はっきりとは見えず、誰かに追いかけられているような感じの怖い夢です。いつも同じところで目が覚め、時々金縛りにも遭います。社会人になり、仕事も忙しい中で、悪夢を見る回数が増え、なかなか眠れない日も多く、頭痛や吐き気などの症状も出はじめ身体がだんだんときつくなってきました。ただの体調不良なのか、それとも悪夢が関係しているのか、とても気になりました。両親は子供の頃に離婚して、母が私を一人で育ててくれました。なので心配はかけたくはありませんでした。結婚予定の彼女がそばに居てくれた為、彼女の知人を辿ってある霊媒師の人に相談することができました。先祖供養はちゃんとしているか?このまま放っておくと良くないと言われ、浄霊、先祖供養をきちんとするように言われました。ネットでそれなりにきちんとやってくれそうなところを彼女と一緒に探しました。ホームページには詳しく色々と記載されていて、先祖供養もしてくれるそうなので申込のメールに相談内容を書いて送ってみると、わりと早くに電話を頂けて、予約の確定をしました。電話でも色々と話を聞いてもらえて、説明をして下さり、少し心が救われる思いでした。彼女に付いてきてもらっても大丈夫とのことで予約を入れさせてもらいました。

    電車とバスを乗り継ぎ、辿り着きました。自然に囲まれた大きなお寺でした。外にも中にもたくさんのお地蔵様や仏像が置かれていました。なぜか安心した気持ちでいられました。彼女が見守ってくれている中、浄霊が始まりました。とても迫力のある音が鳴り響き、何かが抜けた不思議な感覚がありました。長いような短いような不思議な時間でした。

    やはり先祖供養をきちんとしなければならないようで、天光寺さんにお願いすることにしました。父方の先祖のようで、ずっと自分に知らせていたようです。また、しばらくの間、こちらで修行をさせてもらうこととなりました。しっかりと安定した自分を取り戻し、彼女と結婚し、災いのない幸せな家庭を作りたいです。そして母には心配かけずにこれからも親孝行にしていきたい。本当にこういう世界があるのだとびっくりさせられました。

    まだあの悪夢を見そうな感じがあって怖いですが、修行をさせてもらってこの不安な気持ちや恐怖心を取り除き、自分自身を見つめ直し、先生に言われた心の持ち方を学んで、しっかりとした自分に成長できたらいいなと思います。こちらに辿り着けて、本当に良かったです。よろしくお願い致します。

    積極的に生きる、これこそが今の自分に足りていない能力、行動である。積極的な行動こそが運や結果を呼び起こすものにも関わらず、消極的な言葉や弱音を吐いてしまい、それが言霊となり悪循環を起こす。自分はそのサイクルから脱却しなくてはならない。そのためには何は必要なのか、何から始めたらよいか。まずは自分をほめる事、今日の自分は自信を失い、何事もネガティブ思考に陥っている。しかし自分が学んできたことは少しからず身に付いている訳であり、まずその事を認識しなくてはならない。自分が学んだことは大したことがない、と考えることは顕尊であっても、心の底では自信を持って言えることが重要である。過去の努力を単に過去のものとするのではなく、そこで学んだものをもう一度思い返すことで自己の成長を改めて認識し、ほめる。その事で不要な悪循環を断ち切ることができるのではないかと考えます。この状況に陥っている原因は「自念傷害」であり、正に心が正常に機能していない。このビデオを見ることで自分が自念傷害にあることに気づかされ、心を強く持たなければならないことを自覚致しました。また無意識の中でマイナス思考に陥りやすいのも自念傷害が原因とも考えらます。もしネガティブな思考に陥った場合は、得てして過去を悔やむことがほとんどなので、未来を見つめて考え方を切り替えたいと思う。これからの自分を見つめ、努力と知恵を使って、今からでもオンリーワンになれるよう、舞台と役者をこなすことを目指し、前向きに生きていくことを決意致しました。

    私は昔から霊が見える方で、今までに何度も霊が見えたり、声が聴こえたりしています。『怖い』というよりはいつも『不思議』な感覚です。病院勤めで、職場では必ず毎日のように、女の子が付いてきたり、しまいには実在の人なのか霊なのかごちゃごちゃで訳がわからなくなり、話しかけもしてしまったりしています。自分には憑りついたりなどの現象は今のところなく、身の回りでの気になる気配や音で悩まされている状態です。本題は、一か月程前から、妻の体調が悪くなり、ただの体調不良ではなく明らかに憑依している様子で、危険を感じました。原因不明の頭痛や倦怠感、感情の起伏が激しく、鬱症状のような状態の時も続くようになりました。自分でできる事は色々と試しましたが、なかなか良くはならず、妻に女性の霊が憑りついてしまっているのが分かりました。自分の力ではどうする事もできないのでネットで調べていると、お祓いのユーチューブの動画を見て一番衝撃を受けた東京都にある天光寺というお寺でした。東京都にそんな所があるのか?疑いましたが、東京とは思えない山奥にありました。

    まずホームページから相談申込をすると、すぐに電話を頂けて、スムーズに応対してもらえました。うちからは遠いのと、高額なお布施もかかるので悩みつつもありましたが、親身に話を聞いて下さり、説明を聞いて決心がつき、妻のお祓いをお願いする事にしました。

    案内された通りに車を走らせ、道なりに山道を行くと大きな建物が見えてきてホッとしました。寺院の中は静粛で凛とした空気感でした。住職さんを見た瞬間にとても強い力を感じました。とても緊張しました。ユーチューブで見たお祓い部屋の方へ案内され、緊張がさらに高まりました。妻もしんどそうでしたが、良くなりたいという一心でした。

    お祓いが始まると、妻はたくさん涙を流し始め身体が中から動いている感じで、だんだんときつくなり苦しそうでした。やはり女性の霊が悪さをしているようで、私が連れてきてしまった霊が妻に憑りついてしまっていたそうです。住職さんがお経をあげて太鼓の音が鳴り響くと、妻はもっと身体が揺れ始め、住職さんが前に座り鐘を鳴らし、「肌身から離れよ」と言いながら最後、妻からなにやら白い影がスッと上がっていくのが見えました。最後に調子を整えていただき、無事に終わりました。

    妻の表情や体の動きは本当に良くなり、お祓いの力をこの目で見て、感じさせていただきました。住職さんは気さくな方でとても話しやすく、凄いパワーの持ち主です。私の体質・仕事柄からも、また今後も同じ事も起きかねないので、アドバイスも頂き、私自身もヒーリングか霊能養成講座など考えてみようかなという気持ちになっております。

    これをどなたか読んで頂けるのか、悩んでいる方は多くおられるかと思いますが、自分や家族の身にふりかかっている不可解な事があれば、守れるのは自分です。迷われずに相談することをお勧めします。自分がこういう体質なので、信じるものが大きいです。

    自分は天光寺で思った事は、色々な想いを持った人が入ってきたり、出たりと繰り返していると思いました。そこで自分が直さないといけないと思ったのは、言葉遣いや、行動を気を付けようと思いました。それと、空気とかもちゃんと読もうと思いました。次に滝行について書こうと思います。自分は滝行に3回行きました。1回目の時は初めてやったしわくわくと暑いし余裕やろーと思ってたけど、いざ滝に入ってみたら、気温とか全然関係なくて普通に冷たくて、痛い思いをしました。2回目は、1回目の時よりも気合を入れて挑戦しました。1回目よりも頑張れました。3回目は、自分の中では一番いいと思いました。なぜなら、分からんけどすっきりした気持ちになれたし、虹も見れて最高な気持ちでした。次にめい想です。今の自分はきれいな場所をイメージしても、すぐにカラオケの中に行ってしまうので、もっともっと頑張ろうと思いました。次にお経です。最初に比べたら今はめっちゃ覚えて読めてるし、今は一回も間違わないで般若心経を読みたいです。後、観音経偈とかも覚えたいです。次に外で手伝った事について書きます。自分は外で手伝いに行きました。最初にした事は、川の向こう側にある丸太を上まで運ぶ事でした。めっちゃ重かったけど自分はめっちゃ楽しかったし、久しぶりに運動を出来てうれしかったです。次にやったのは、草刈り機で草を刈った事です。自分は草刈り機を使うのが初めてでめっちゃどきどきしました。自分が使ったのは鉄のやつで、もう一人の修行の子はワイヤーのやつを使いました。鉄のやつはあまり石などはとんできたりしなかったけど、もう一人の子が使っていたワイヤーのほうはめっちゃ石が飛んでいて足が痛そうでした。次にしたのは固まる砂というやつです。植木のところで空いている穴を埋めるようにと指示をされたから、初めてやったけど頑張ってやりました。

    ここ数年、家族が事故にあったり、病気をしたり、飼っているペットが急死したりと不運続きで、自分自身も体調不良から仕事をやむ終えず退職することとなりました。現在、精神不安定で通院しています。住んでいるこの家に問題があるのか、先祖供養がちゃんとできていないのかなど、ずっとずっと悩まされ、評判良いも占いもいくつか通いましたが、言われることはバラバラで何を信じて良いのか分からないようになり、そのうちにも災難に襲われるので毎日が怖くて仕方ありませんでした。

    頼るものは毎日ネット検索で、除霊やお祓い、霊能者など本当に効果のあるところにお願いしたい気持ちでいっぱいでした。そんな中で、とても色々な事を詳しく書かれている「天光寺」というお寺のホームページをみつけ、感想文なども読ませていただき、自分と同じような悩みを持っている方がおり、除霊お祓いをしてもらい良くなったそうで、申込フォームから相談内容を送ってみました。すぐにメールの返信を頂き、担当の方から連絡下さるとの事でドキドキしながら待っていました。電話を下さり、現在の状況をお伝えすると、先祖供養がちゃんとできていないかもしれない事や他色々な原因も考えられるとの事で除霊お祓いの予約をとり見ていただく事にしました。

    祖父母の親のお墓が遠方で、皆なかなかお参りができずにいたのが気がかりで、お祓いに行く前に、お参りにいく事にしました。訪れたお墓は、草木で墓石が見えない程の状態にありました。主人と共に、半日かけてお墓の掃除を行いました。

    除霊お祓いの日が来ました。ご住職が出てこられ、家系図などを見て説明をうけました。また住職さまが紙に書いて、次元の説明を受けました。その後、階段を降りてお祓い部屋へ案内されました。お経が流れ始め、しばらくすると寂しさや怒りが心の底から込み上げてくるような感じに見舞われ、泣き叫ぶ自分が居ました。身体が勝手に動き、もがき苦しむ感じでした。後ろで誰かが身体を支えてくれていましたが、意識が遠のきました。ご先祖様がきちんと供養されておらず念を受けていたのと、父母の間にかつて授かっていた水子の霊がついていたようです。後日、先祖供養と水子供養をしていただく事となりました。最後にヒーリングを行って頂き、久しぶりに心地よい感覚に恵まれました。ずっと重かった頭と身体がスッと取れた感じがしました。

    ご住職に相談した結果、私は体質的にも憑きやすいとの事で、家からは遠いですが、心と身体のバランスを上手く保てるように、時々ヒーリングを受けに天光寺へ通おうと前向きに検討しています。

    この文章を書いているまさに今、とても頭がすっきりしています。こちらへ来てから短い時間の出来事、経験が、今後の私にとっての大きな力になってくれるような気がしています。

    ~めい想~

    とても好きな時間でした。正直眠くなってしまうのかと思っておりましたが、その逆で頭がすっきりとし、集中力が増したような不思議な気持ちになりました。先月まで勤めていた職場での約九年間のせわしない生活、逆に今の時間がありすぎてだらけてしまった生活、どちらも良くないと今になってわかります。バランスも取り、心にゆとりをもち、かつメリハリのある人生を送るためにも、めい想は今後も私生活に取り入れようと思います。

    ~写経~

    自分の体(手)を使って仕事以外の何かに集中するのは、とても久しぶりでした。完成した時の心の満たされ具合は大変すばらしいものでした。こういう何かに追われず、焦らず、集中する何かを趣味にしたいと思います。

    ~お百度参り・滝行~

    お百度参りはやっているうちに「無」になっていくイメージで、体も温かくなりました。滝行はとても寒かったです。やっている時は正直手も震え「無」にはなれなかったです。しかし、背中をつけ、腰をつけ、後半に行くにつれ、心地よくなっていき、上がったときには最高な気持ち良さを感じることができました。

    他も早寝早起き、お掃除など、少したるんでいた自分にとても良い刺激になりました。この一泊二日での経験は、自分の見方、生き方、とにかく「自分」を考え直し、一歩二歩先に進むきっかけになってくれたように思えます。また天光寺の皆様と、合間合間たくさんお話をさせていただいた事も、大変私にとって貴重で心に残るひと時となりました。二日間本当にありがとうございました。また必ず、次は前向きな心でここに来ようと思います。

    私は昔から霊感が強く、金縛りにあったり、家の中で不審な物音や声が聞こえたり、人影が見えたりすることが度々ありました。最近はパソコンが壊れたり、スマホの調子が悪くなったり電子機器系にもトラブルが生じています。何度も霊能者や、ヒーラーに見ていただき少しは変化があるものの、今も3体の未成仏霊がいると言われました。その一人は幼児で戦争で親を亡くしその悲しみを癒せないでいるというのです。身体に直接悪さをするわけではないのですが、気味が悪く神経も参ってしまい、いい加減疲れてきましたので、何とかならないかといつもいろいろな除霊の方法を探してきました。ようやく、天光寺のホームページを見つけました。世の中いろいろな方がお祓いをしてくれますが、目に見えないので感じるしかなくホームページだけでは判断がつきにくいのが現状です。しかし天光寺さんのホームページには実際のお祓いの動画が掲載されており、驚くばかりでした。私以上に大変な方がたくさんあり、私もこんなことが起こるのかと半信半疑でしたが、これ以上の事が出来るところはないと感じ、お願いすることにしました。

    事前の電話でのご相談で、家土地にも霊が憑いている様でしたので、出張していただくことも考えました。しかし出張の場合は料金が高額になるのでお寺に来た方がよいとの事で写真を持参することになりました。不安になりながらもお寺に着いてみると、大きな建物でお堂がいくつもありました。仏像や曼荼羅、迫力ある文字が書かれた掛け軸などくらくらする感じがありました。霊的現象の写真もありました。実際にお祓いのお部屋に案内され、空気が違うのを感じました。お経が始まると体の中に刺激を感じ、ピリピリ痛いような感じでした。その後さらに続くと、体を支えるのが辛く座っていられなくなりました。意識がふわっとしてそのあたりのことはよく覚えていません。誰かが支えてくれたように思います。

    お祓いが終わると、住職が体を整えて、溜まっていた邪気を流してくれました。立って足を上げたり、歩くように言われそのようにしてみると背骨のあたりから腰にかけて血流が良くなって軽い感じがしました。抜けていった感じです。整体とは違った感覚で体験しないと分からないですが、確かに抜けた感覚なのです。今までのヒーラーさんのやることとは違って、密教寺院ならではの古くからある伝統的なお経やお祓いだけでなく、不思議な神語や気を降ろしてくる住職のパワーが感じられました。もともと霊的なものを感じやすいタイプなので、住職の手から出る気にも反応し、何もせずに立っていてもスーッと後ろに倒れそうになりました。これは何なんだろうと、興味がわきました。また気質的にも神経質なところがあり、人が気にしないことが気になります。そういった過敏な性格も邪気を引き寄せるそうで、家に霊を呼び寄せてしまったのかもしれません。それから三次元の世界と霊界などの次元の関わりや人間のエネルギー体の話もして下さいました。ますます興味がわき、霊に影響を受けないように自分を強化するため、密教ヒーリングを学んでいきたいと思いました。これからもよろしくお願いいたします。

     

    修行に来て二日がたちました。一日目はなぜこんなところに連れてこられたのかも分からずサインしました。初めは六日くらいならすぐに終わると思っていました。一日なんてすぐに終わると思っていました。

    ご飯を食べ終わって滝行に行きました。滝行はマンガで見たことあるし、どちらかというとわくわくしていました。注意のときに「頭が痛くなったり、気持ち悪くなったりしたらすぐに引き上げます」と言われたときも大丈夫だろうと思っていました。入ったときに思ったのは「冷たい」でした。足が冷たさに負けて痛みに変わったときに、もう無理だと思いました。そこで引き上げました。とても痛くて滝まで行っていたら、たぶん気絶するんじゃないかと思うくらい痛かったです。その後、男の子と男性が最後までやっていてこわかったです。なんでできるのか意味がわからないし、そもそも滝にうたれて平気そうに見えるのが一番こわかったです。私に「もう一度やる?」と聞かれたので勇気を出してもう一度チャレンジする事にしました。足の痛みは一度やったので平気でしたが、滝に入ってから声を出すのがつらかったです。さらに、だんだん頭が痛み始めてつらかったです。外に出て、着替えて下山する途中で、一緒にやっていた人が「よくがんばったね」と言われてうれしかったです。たぶんやっていない人に言われても、なぐさめ程度にしかならないけど、一緒にやっていたからこそうれしかったと思いました。泣きたかったですが泣くと余計に頭が痛くなるのでがまんしました。降りていく車の中でお母さんをうらみました。なぜこんな場所にしたのかふざけないでほしいと心から思いました。帰ってきて住職さんに「頭が痛くなってしまったみたいで」と先生が言うとみてくれました。見てもらった時はとても楽になりましたが、一時的なものだったのかすぐに元通りになってしまいました。滝行をした人にはあたたかい汁物が出るのですが、熱くてしばらくほったらかしにしてました。その後飲むととてもおいしくてびっくりしてしまいました。

    頭が痛くてうずくまっていました。その時にもお母さんに対してとても怒っていましたが、同時に寺に入ってしまったなら仕方がない。明日が最終日だったらどんなにいいだろうかと思い、何度も考えながら痛みが引くのを待っていましたがやはり無理でした。地道に最終日を待つしかないんだなと思うとため息がでてきました。先生に聞いて電話して帰ろうとも思いましたが住職に「だめだ。」と言われて終わりでした。

    先生方が帰られてから私はとても寒かったので先にお風呂に入らせてもらうことにしました。シャワーしかなかったですが、十分温まることができました。洗濯をかけて、ご飯を食べて、寝床につきました。そして一日の反省をしました。なぜサインをしてしまったのか、滝行をなぜ軽いものだと思ったかなどたくさんありました。ふと明日は親せきの家にとまる事を思い出すと、いつも泊まったときに寝ている部屋と似ているなと思いました。笑い声や車の走る音、エアコンの位置などがよく似ていました。泣きそうになってしまいました。

    朝になってすっきり目を開けることができて、自分でもびっくりしました。朝の掃除でくつ箱をふいていましたが量が多くてなかなか終わることができませんでした。くつ箱をきれいにふきながら、自分の悪いところもこんなふうにふけば落ちるのだろうかと思いながら終わらせました。その後にめいそうをしました。腹式呼吸をしながら静かにしているととても落ち着くことができて日常にこういう時間を作ったほうがいいよなと思いました。次に声をつけてやりましたが、こっちもとてもすっきりしたので声を出すのはいいよなと思いました。先生方が来たのであいさつをしに行って、最後に十三仏真言をとなえました。途中で住職さんに「背すじが悪いよ」と背をなおされてしまいました。次は注意されないように背を伸ばしていようと思い、心がけながらやりました。ご飯を食べ終わった後に写仏をやりました。筆でやるのは初めてなのでドキドキしましたが、やってみると意外と簡単ですらすら書くことができました。乾くと紙がちぢんでしまうので早めに書いていましたが、乾くのが早くてずれてしまったり、下にしいた絵よりも下手になってしまったりしましたが、自分でうまくかけたのではないかと思いました。

    こうしてふり返ってみると色々なんでこんなことを考えたのか意味の分からないこともありましたが自分はやはりバカだなと思いました。早くなおしていればここで反省文を書く必要もなかったんだろうなと思いました。家に帰ったらなおそうと思いました。

    娘(23歳)がもう2~3年程調子が悪く不安定で家に引きこもっていました。家で「死にたい」と暴れたり、自傷行為もあり、私たち家族も毎日不安の日々。精神科では鬱病・統合失調症と診断されており、薬もきつく、私たちが留守の間にオーバードラッグしてしまい救急車で運ばれたりと、入退院の繰り返しでした。ひどい時はガラス窓を割ってしまう程の暴れようで、夫も私も、兄弟も疲れが限界にきていました。精神科での薬で娘が眠っている間が、ホッとできる時間でした。

    今の時代、スマホで色々と検索して調べる事ができ良かったと思います。色々と調べていると、ここのお寺のホームページに書かれていた文面が自分たち家族の現状況にピタリとはまったのです。そして一番気になった除霊/お祓いのYouTube動画です。いくつか動画を見させてもらい、お祓いを受けて苦しみ暴れている方の様子を見た途端「娘みたい」と思ってしまいました。これは「娘は精神病ではなく、何かが憑りついているのかも?」と深く考えるようになりました。そうすると、今までの娘の行動もそれらしき行動が見受けられていました。今まで考えたこともなく、お祓いなど無縁だと思っていました。勇気を出して、天光寺のホームページの問い合わせのところから申込しました。タイミングが良かったのか、あまり待たずに連絡を頂けて、住職さんに相談することができました。「早い目に連れてきなさい」と言って頂けて、予定よりも早く予約を入れて下さいました。最後までの除霊で15万円かかるそうで、大金で一瞬悩みましたが、これで娘は良くなると信じようと思いました。

    嫌がる娘をなんとか説得して、向かう事ができました。緊張していましたが皆さんとても優しく対応して頂きました。注意事項等しっかりと書かれており、目を通しました。お祓いのお部屋まで移動し、娘は嫌がる感じがだんだんと現れてきて、住職さんがしっかりとサポートして下さいました。念仏のような呪文のようなものが流れ始め、娘は徐々に体が大きく動き出しました。住職さんが「悪霊が憑いている」とおっしゃられ、仏様の近くへ移動し本格的な除霊に入りました。娘は暴れて「やめろー」と大きな声で泣き叫び、周りに僧侶の方もサポートして下さいました。悪霊が出て行ったのか娘は気が抜けたように寝てしまいました。ほかの方も書いてあったように最後にお腹を押して、吐き出すような感じで除霊が終わりました。娘が目を覚ますと、顔つきが明らかに変わり、顔を見ただけで安堵しました。家族全員が不思議な感覚で涙が溢れました。

    娘が「私の中の誰かがずっと操っていた感じ」と話していました。体も頭も軽くなったそうです。住職さんからアドバイスも受けて、今後の過ごし方について考えていこうと思います。本当にありがとうございました。

    今までを振り返ると、消極的に生きていたように思える。実際、日々の中でたびたび「もうだめだ」や「もう無理だ」と言ってしまっていることが多い。しかし、滝行や瞑想をしている最中はそのようなことを思うことはなく、「負けてたまるか」や「弱い自分出ていけ」といった積極的なことを無意識に考えることができていた。これは積極的に生きることの大切さを体験を通して学ぶことができたと同時に、そういった人生を送るための最初の一歩をふみ出せたように思える。この歩みを続けていくためにも、積極的に生きることの大切さを忘れずに、消極的になりそうになった時も今回の体験や乗り越えられないことは神様は与えないという言葉を思い出し、人生の主人公になれるよう精進していく。

     

    私が天光寺に来たきっかけは、大学受験に失敗して負け犬である自分から、自らの心と向き合って、本当に変わりたいと思ったからです。私は、この五泊六日の体験修行を通じて様々な経験お話をして自分が変わるきっかけを掴めたと思いました。

    私が特に強く感じたのは邪気を払うことが日々の生活や結果につながってくるということです。私はここにくるまで、日々の生活を整えるだけで、幸運が巡ってくるとは到底思っていなかったです。しかし、体験修行で、毎朝の掃除時の換気、整理整頓、お徹底し、悪い物を吐き出すイメージで瞑想などから邪気を払い、悪運を寄せつけないようにすることが大事だとわかりました。そうした生活を続け、五日目に行われた二度目の滝行では、陽の光が滝を照らし虹がかかって神様が下りてこられたような神々しさの中で行をすることができました。滝の水の冷たさ、強さに苦しみながらも、自然の美しさを感じる事ができ、一生忘れられないような爽快感を得ました。また、生活習慣・食生活を整えることで、健康に過ごし、そしてどこまで自分はやり切れるかなどの自分の限界を知りました。特に天光寺では毎食、米・汁・サラダに加えて野菜中心のおかず四品が出されます。バランスが整えられながらもとてもおいしく頂き、お腹の通りも抜群に良くなりました。そして体験修行では、先生以外にも色々な事情を持って天光寺にこられた大人の方とお話をしました。自分が見習わなければいけない部分や勉強になる事、自分は恵まれた環境で育ててくれたんだなと気づく事など、本当に多くの事を学び、貴重な経験になりました。

    最後に、結局、自分を変えるには、ガチで変えようと思わないとできないということも分かりました。体験修行での法話やパンフレットから「本当に変わりたいなら、自分自身を愛し、如実に心と向き合い、今までの自分を否定し、悪い習慣から脱却しなさい」と教わりました。それから私は、体験修行で作業をする中で、自らの心と向き合って、これまでの過去を振り返り、反省・感謝・懺悔をしながら、自分を知ろうと探りました。分からないことがあれば先生聞き、これから先の自分はどうあるべきかを考え、自分が変わるきっかけがつかめたと思います。この体験修行で得た経験・お話を通してこれからの自分のレベルアップにつながれば良いなと思います。

    この度天光寺のご住職に、主人・息子と共に除霊・お祓いをしていただきました。

    異変に気付いたのは息子が2歳の頃。誰もいないのに、いつも「誰かいるの?」と思うほど、息子が一人で何もないところを見て笑ったり泣いたり。そのうちに見えない誰かと話をするようになってきました。死んだ私のおじいちゃんでも来ているのかな?と思いつつも私は不思議で怖かったです。それから2年ほど経って、家の中の物が勝手に動いたり、誰もいない部屋から物音が聞こえたり、テレビの電源が勝手に付いたり、息子は「おじちゃんがいるよ」と言うようになりました。同時に主人は身体の調子を崩す日が多くなり、常に不調を訴え、夜も金縛りにあってうなされていることが多くなりました。そして気力が低下してしまい、休職することになりました。主人の表情が、以前とは違い、これがうつ病というものなのでしょうか。精神科へ通院することにしましたが、処方された薬を飲んでも改善される様子はなく、症状は悪くなる一方で、外へは全く出ない、お風呂にも入らない、食事もなかなか食べられなくなり入院をした方がいいんじゃないかと悩みました。

    そんな時、相談していた知り合いが霊感のある人をうちに連れてきてくれて、家に入ってもらうと「なんかいるね。絶対にちゃんとみてもらった方がいい。これはだんだんとひどくなるかもしれない。」と言われ、天光寺という除霊やお祓いをしてくれるお寺を紹介してくれました。その方も霊障で悩まされ、天光寺で除霊してもらってから良くなったというのです。

    早速天光寺へ連絡し、除霊お祓いの予約を無理言って早く取らせて頂きました。お祓いにかかる費用は最大で15万円とのことで、家族3人一緒に見ていただけるようになり安心しました。主人を納得させるのに苦労しましたが、なんとか家族のこれからの幸せのために話をすると頭を縦に振ってくれました。

    除霊お祓い当日、私が運転をして行くことになりました。久しぶりに外へ出た主人はとても辛そうでした。車の中の空気も重く感じました。寺院の中はとても広く、とても清潔感があり、神聖な空気でした。主人の顔を見るなりご住職は「安心なさい。早くとってあげるから。」と言ってくださいました。色々と説明を受け、主人の除霊お祓いを中心にしていただくこととなりました。

    お祓い部屋へ移動し、私と息子は横で見守る形で、除霊お祓いが始まりました。息子は何が始まるのか怖かったのでしょう。私の身体に顔を伏せていました。呪文のようなものが流れてきて、ご住職は主人の前に座り、ずっと何かを待つように主人を観察していました。すると主人は合わせた両手を上下に強く動かし、苦しい顔をして泣き始めました。私も主人に憑き物がいるのを確信しました。次に仏様の前に移動して、ご住職がお経をあげて鐘を鳴らし、太鼓の音と共に本格的な感じになっていきました。主人は急に倒れてしまいとても心配しましたが、来る前にYouTubeで見させてもらったものそのものでした。ご住職が主人のお腹を押して、憑き物を吐き出させて下さいました。主人は嘔吐しそうな感じでしたが、目がすっきりと開き、重みが取れて楽になったと言っていました。

    主人には霊界へ行けない男性の浮遊霊が憑いていたそうで、主人や家に災いを招いていたそうです。やはり息子が見た「おじさん」はその方だったのでしょうか。このような不思議な出来事が自分たち家族にふりかかるとは思ってもいませんでした。主人に憑いていた霊を取っていただいたご住職には、本当に感謝申し上げます。

    今回、私は、自分の犯した罪を償いたいと思い、天光寺の修行を体験させて頂きました。私が犯した罪は親族を騙して大金を盗んだこと、友人のパソコンを借りて壊してしまったこと、友人が探してた財布を黙って所持したこと、親族や学校の先生方との約束を破ったこと、家族に多大な迷惑をかけてしまったことです。学校の先生方には、学校で私は多数の問題行動を起こしてきましたが毎回チャンスを頂いたのにもかかわらず、私は罪を犯し続けてきました。大人の言う事を軽く捕らえて生活を送ってきた結果、学校を退学になってしまいました。バレーボールの特待生で入ったのにもかかわらず、バレーボールをやる以前に日常生活の悪さで退学になりました。最後、学校に挨拶に行った際に、私の担任や部活の顧問に「大人の言う事を素直に聞く謙虚さが足りない」と言われました。

    三泊四日、短いようで長い日でした。瞑想は腹式呼吸を習い、清らかな空気を吸い、自分がやってきた事と一緒に空気を吐いて悪い思い出を吐きました。お経では、姿勢を維持しながら唱えるのは忍耐力との戦いでした。私は忍耐力がないので普段生活でもすぐ諦めてしまいます。ですが、そんな自分から変わりたかったので、お経の時間は、姿勢の事で注意されましたがやりきるという強い気持ちをもって取り組みました。お百度参りは、自分がやってきた事を仏様に対して何度も謝りました。滝行では、滝に打たれながら自分の頭の中や中心にある欲求を吐いて欲を消しました。修行はとても辛いです。ですが、全部の修行が終わった後はとてもスッキリしますし、もう二度と同じ過ちは辿りたくないと本気で思います。

    このような体験をするチャンスくれた両親や天光寺に今はとても感謝しています。天光寺の先生方は皆さん同じ事を言って下さいました。「やってしまった事は本当だけど、ここに来て償い、今後の未来も同じ過ちはしないように変われ、自分を変える事が出来るのは、先生達じゃない、自分自身だけだぞ」これを聞いてその言葉の重みを感じました。両親や学校の先生方にも何度も言って頂いた言葉でした。天光寺の修行を通して今まで私が言われていた言葉、言った言葉をどれだけ軽く捕らえ、言っていたのかがよく分かりました。二度と同じ過ちを辿りたくありません。今後は学校で校則を守り、提出物の期限を守り、新しい学校生活を送りたいです。日常生活では、時間を守り行動しだらしのない生活をやめようと思います。そして、嘘を付かず、大人の言った言葉を素直に聞く謙虚さを持ちつつ、自分の考えを持って生活を送っていこうと思いました。天光寺の皆さんには大変お世話になりました。ありがとうございました。そして両親には私の為に何度も頭を下げたり、泣いたりして下さいました。本当に申し訳ございませんでした。

    今日で天光寺に来て10日がたちました。今の自分は正直めちゃくちゃしんどいです。自分は4月1日に来ました。初日は覚える事とか色々あってしんどかったです。しかも、けっこういろんな人たちが来ていてびっくりしました。とくに驚いたのは、幽霊につかれている人や、なにかしら悩みをかかえている人たちがたくさんやってくる事です。しかも住職さんが元々企業をしていて、とても顔が広いし、店とかもたくさんもっている事にとても驚きました。それと、写経をするのにたくさん時間つかったし、めっちゃへたくそやなーと思いました。次に2日目について書いていきたいと思います。2日目は、朝6時に起きたけど、1日目の疲れがとれなくて、とてもしんどかったし、とても眠かったです。掃除のやり方を覚えないといけなくて、苦労しました。けど、トイレ掃除が終わった時は、とてもすっきりした気分でした。その後にお百度参りに行って、久しぶりに運動をしたなーと思いました。けど、昼ごはんを食べ終わったあとの写経の時間の時に足をずっと曲げているので、膝がめっちゃ痛かったです。3日目は、作業でいえばほとんど変わらなかったけど、疲れはまったくとれていなくて、さらに疲れました。これは、今も変わらないけど、修行やと思って日々頑張っています。次に滝行について書こうと思います。正直最初の自分は滝行なんか楽勝やーと思っていたけど、いざ滝行をしてみて分かった事は、全然楽勝じゃないし、息もしずらいし、寒いから、自分の考えは甘かったと思いました。けれど2回目をした時は、しっかり息も出来たし、最初の時とは違う考えで行ったので、最初よりは良かったと思いました。次に般若心経について書こうと思います。自分は般若心経の事は、知っていました。けれど、覚えるのはとても大変でした。今も間違う事もあるけれど、最初の時に比べてみれば、すごく覚えているし、よくなったんじゃないかと思いました。今は観音経偈を覚えようと思っているんですが、とても長いから覚えれるか不安です。次にごはんのことについて書こうと思います。天光寺に来てから、時間や食事はとても良い生活リズムを送っていると思います。今までやったら、好きな時間に好きな物を食べていたけど、ここは決まっています。そして、主に野菜が多いです。自分は肉よりも野菜が好きなので、とてもうれしかったです。でも、たまに肉も食べたいとも思いました。けど食生活をしっかりしていてて、健康的な毎日なので、自分はこういう生活もありだと思いました。それと驚いたのは、住職さんが気を皆にぶつけた時に倒れこんだ人がいてて、とてもすごいと思いました。それと、今の自分と前の自分とで比べてみた時、やっぱり大阪には帰りたいけれど、一回大阪から離れてこういう規則正しい生活もいいと思いました。

    22歳の息子のことで相談しました。もとは成績優秀、性格も穏やかで申し分なかったのですが、大学を休学し引きこもり状態になってしまいました。このところは、気分のムラがひどく、家族全員に対し罵り怒鳴る始末。物を壊すなどの破壊行為もあり、止めようとした主人と取っ組み合いになり警察のお世話にもなりました。ここ最近は感情の浮き沈みが激しく、狐憑きかと思われるほどです。思い返してみると、親と縁を切ったり、近年行っていた神社巡りをやめてしまったことが関係していたのかもしれません。遡ると主人の祖母も息子と同じような感じの人らしく、思い通りにならないとイラつき、物を投げたり、叫んだりしていたようです。そんなことから、一度お祓いした方がよいと知人から天光寺さんを勧められました。

    当日お寺に行くと、中の仏像や曼荼羅はどれも立派で迫力がありました。息子は入るのを嫌がっておりましたが、お寺の方のサポートで何とか中に入ることが出来ました。最初に話を聞いて頂き、家系の影響が大きいことを言われました。早速お祓いの部屋に案内され、不思議な言葉のCDが始まりました。後で神語と伺いました。音量も大きく、横にいた息子は聞いているのが辛いようで耳をふさぎ、身体をゆすり始めました。拳を握りしめた様な仕草をし、狐のようにも見え恐ろしくなりました。

    次は本格的なお経に入り太鼓や銅鑼の音が大きくなりました。息子の身体はさらに激しく揺れ、支えてもらわないと座っていられなくなり始めたのです。そして倒れてしまい、身体の邪気を取り除くべく胸の上部やお腹を押してもらい、大きく口を開けて吐く息と共に悪いものを出してもらいました。一連の流れを終えると、立って歩くように言われました。本人は起こっていることがよくわからず、ぼーっとして少しふらついていましたが、目つきが明らかに変わって穏やかになり、身体が軽くなったと言っています。表情が以前の息子に戻ったようで私も安心しました。

    長いことどうしてよいか分からず、相談するところもなく、毎日が地獄の様に感じていたのですが、ようやくほっとできました。うすうすは感じていましたが、見えない世界の恐ろしさを感じています。ずっと引きこもり状態が続いていたこともあり、引き続きお寺での修行をさせていただくことにしました。やっと安心して相談できるところが見つかり、本当に助かりました。本来の穏やかな息子に戻り、修行で心を入れ替えさらに強い精神力が鍛えられればと期待が持てるようになりました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

    『今回の研修を通して』

    最初はどういう研修か、何をするかは聞いておらずすごく楽しみにして研修の日を待っていました。

    天光寺に着いて、自己紹介シートに決意を書きました。チーム長になり、プレッシャーが今まで以上になるので、それに対応できる精神力、自分自身の能力を上げることを目標に頑張りました。最初は慣れず、正座をするにも膝や足首など足全般がマヒしている状態でしたが、少し体制を変える形にはなりましたがしっかりと正座をキープ、次に滝行に行きました。一番簡単だと思ったが上から落ちてくる水にビビり目の前で呼吸ができなくなる程。それでも水に入り2分間、かなり体中マヒする中でも最後までやり抜けました。

    今回の研修は心技体をきたえる事ができ、自分自身成長したと実感してます。私の場合、苦手な事や嫌な事に後ろ向きですが、先生のお力も借りつつ、しっかりチャレンジできたことに感動しております。先生以外の方々も良い方で非常に良い環境で自分を追い込むことができた。

    これからに活かしていく事は、部下が4人ほどできるので仕事で自分の案件以外に悩めることや部下の案件で上手くいかない時が来ると思う。その時、ここでの経験を思い出し、良い方向にチームを思って言ったり、タフさを見せていきたい。またここでの経験を部下に伝える事で、より良い集団に変化していくので、積極的にコミュニケーションをとりたい。

    3年ほど前に引っ越ししたアパートでだんだんと不可解な出来事が起こり始め、ずっと悩まされていました。明らかに感じる気配、黒い影、足音。深夜2時頃になると、耳元で女の人の吐息が聞こえ、金縛りに何度もあっていました。塩を盛ったり、お札を置いたり自分でできることは色々と試してみましたが、事はだんだんとひどくなる一方で、遂には自分の身体の不調をきたすようになりました。頭痛、倦怠感、幻聴幻覚の症状、仕事も休みがちとなり、精神科へ通院するようになりました。精神科では統合失調症と診断されてしまいました。もう自分の人生がなんだかよくわからない状態に陥り、誰にも会いたくない、消えてしまいたい、死にたい、という思いがだんだんと強くなってきました。そんな時に友達が必死で調べてくれて「天光寺というお寺がお祓いをしていて、病気も良くなった人がいっぱいいるみたいだよ!一度相談してみようよ!」と心配して言ってくれました。友達が横に付き添ってくれて思い切って連絡をしてみました。お祓いの担当の方に相談内容を聞いてもらうと、危険な状態なので早い目にお祓いを受けた方がいいと言われました。近日で空いている日に早速予約を入れさせてもらい、友達と一緒に伺いました。

    山の奥まで車で走り、大きくて立派な建物が見えてきました。私は一人で歩くのもすぐ疲れてしまう状態だったので、友達が一緒に居てくれて助かりました。相談の内容を記入して誓約書などもきちんとあり、重要事項を読んで待っていました。どんな感じのことをするのかYouTubeでも拝見はしていましたが、いざ自分がしてもらうと思うとドキドキでした。お祓いをして下さるのは天光寺の住職さんでした。とても優しい方でした。住職さんに自宅の部屋の写真を持ってくるように言われていたので見ていただきました。もう今まで我慢していた暮らしから早く解放されたいと、すがる思いでいっぱいでした。

    お祓いのお部屋に案内され、友達が見守ってくれている中、お祓いが始まりました。住職さんが前に座られ、お経のCDが流れ始めました。だんだんと身体が苦しくなってきて勝手に身体が動き出し悲しくなってきました。次に住職さんのお経を読む横に座り、お経と鐘の音、太鼓の音が重なり、そのあたりから自分の記憶が曖昧で、もがき苦しんだような感じで倒れてしまったようです。お祓いが終わったあと、身体の軽さと頭のすっきりとした感じが忘れられません。私には自殺された女性の霊がついていたそうです。身体がこんなに軽く感じたのが久しぶりです。住職さんに今後の生活についてもアドバイスもいただきました。

    天光寺を探してきてくれた友達に感謝、お祓いをして助けて下さった住職さんに感謝です。病は気からではなく、霊からでした。本当にありがとうございました。

     

    『今回の研修を通して学んだこと』

    メンタルが弱くなるため、良い時悪い時も自分がぶれないことを目標として修行に入りました。

    流れとして、まずは礼儀、作法、声出し、お百度参り、滝行、三礼、般若心経、写経、瞑想、法話、ひとつ終わるたびに感想を伝えます。感想は必ずポジティブな言葉で終わることが大切でネガティブな言葉は使用禁止でした。

    礼儀、作法、声出しについては、人脈を広げるためには印象が大切になるので天光寺では声の大きさや姿勢を意識しなくてはなりません。仕事でも第一印象を大切にはしているのですが、姿勢をここまで意識したことがなかったので今後は仕事でも取り入れます。お百度参り、滝行に関しては忍耐が必要になるものです。走って百回お参りし、滝行は想像していた以上にハードでしたが、終わった後にはやりきった気持ちと達成感がありました。特に先生が近くで応援をしていただいたため、気持ちを前向きに保つことができました。これからチームを持つことになりますので何かあった際に後輩に声をかけるなど助け合う気持ちで取り組みます。

    般若心経、瞑想に関しては、自分の気持ちと向き合うことが大切で心をリラックスする効果があります。こちらも何かリセットしたいときなどに、5分の瞑想でも良いので行うと切り替えることができます。

    天光寺で修行して大切だと思ったことは思考が人生を良い方に変化させるということです。ポジティブになりマイナスな言葉を使えば思考がマイナスになります。1泊2日を通してポジティブな思考をつくることができたのでこの経験を通して仕事でも良い面をとらえて良い時悪い時でもぶれないよう仕事に取り組みます。

    数年前よりうつ病を患い、カウンセリングを受けたり、精神薬を飲んでも一向に改善せず。不眠症であり、睡眠は睡眠導入剤により約6時間、薬によって眠れている状況でした。誰にも会いたくない日々、毎日生きている心地がせず、ある時から『死ね、お前なんか死んでしまえ』と聞こえるようになり、気付いたら死に方をずっと考えるようになっていました。お酒で薬を多量に飲んでオーバードラッグで救急車で運ばれ精神科へ入院となりました。入院中、入院部屋の天井を見つめ、なぜ私の人生はこんなにつらいものなのか、みんなのように笑って笑顔で過ごせないのか。。。私が何か悪いことでもしたのか。。。?考えるほどつらくなりました。退院してからも薬を多量に飲みたくなったりと死にたい気持ちからなかなか解放されず、またあの声が聞こえてくるのが怖くて、お祓いをネットで検索していると「天光寺」というお寺で、お祓い除霊をしてもらえるとの事で問い合わせてみました。お寺から電話を下さり、住職様に相談する事ができました。状況をお伝えすると、すぐお祓いを受けた方が良いとの事で、一番早くに空いている時間に予約を入れて下さいました。

    お祓い・除霊の当日、心身ともにしんどい状況でしたが、お寺に入るとなぜか安心した気持ちになりました。住職様はとても優しい感じの方でした。お祓い部屋へ案内され、お祓いが始まり、お経が始まると身体がもがき苦しむ感じとなり、合掌していた手も勝手に動き出しました。お経と太鼓の音が鳴り響くと、悲しい思いが体内から沸き上がって、途中から意識が飛んでいました。最後に住職さまがお腹を押して下さり、出て行ったようです。どうやら自縛霊がついていた様で、どこからか連れて帰ってきてしまっていたようです。

    その後ヒーリングというものをして下さいました。とても久しぶりに心が楽に感じる事ができ、身体がこんなに軽かったのかと不思議な感覚に陥りました。身体の不調で悩んでいたのが嘘のようで、天光寺に辿り着き、住職様にお祓いして頂けて良かったです。不思議な体験でしたが、もっと早くに気づいていればと思いました。

    ぼくは不登校でいつも学校をさぼって毎日自分の寝たいときに寝て起きたいときに起きてやりたいことだけやって親に暴言はいての生活をくり返して、親から天光寺に修行に行けと言われました。最初は寺の修行なんて一、二週間たえたら帰れるんだからよゆうだととか思っていたけど、自分でそうじをやって、自分で皿洗って、せんたくやって、ふとんもしいて、自分で直してとやっていくうちに親は毎日自分のだけじゃなく家族の分までやってくれてたってことを考えると、そんなの親がやってあたりまえと思っていた自分が本当になさけないなと思いました。ぼくはあまりあいさつや返事をするのが得意ではなかったから、あいさつをされても小さい声で言ったり、あいさつをされても返さなかったりすることが多かったけど、あいさつの練習や発生をやっていくうちにしっかりあいさつや返事ができるようになりました。そこで自分はどうせできないからとか思ってやろうともしてないのにできないとか決めつけてたんだなと気づきました。お百度参りや滝行は本当にきつかったけど、やったあとはさっぱりしてきついことをのりこえれたたっせい感みたいなものがありました。お経は一時間くらいやってお客様へのあいさつも一時間くらいやって、写仏もやって、集中力が全然なくて学校では授業がはじまって10分後くらいには寝てたりしてたけど本当に集中も上がって写仏なども集中して止まらずできるようになりました。ぼくは、ふってんがわからないと周りに言われていて、そういうのも最初はやっぱりちょっとしたことで、きれそうになったりしていたけど、いまそういうのでもしっかり流せるようになってきてやっぱりまず自分で変えようという気持ちが大事なんだなと思いました。そして天光寺にきて時間の大切さを知ることができました。自分は周りと比べてけっこうルーズということにここにきて気付くことができました。修行はよていが朝や昼はとくに多いので何事もてきぱきすばやくやることが大事だと思いました。ぼくはここで人を頼る大切さも知ることができました。ふだんぼくは自分で何でも解決しようとしてて人に全然頼ってなかったけどここで話を聞いて人に頼ることをできるようになりました。

    ここでぼくは自分の悪いところを見つけてそれを直すという力をつけることができました。この先ぼくは、しっかりここで学んだことをいかして自分のこととプラスで周りの人を手伝ってしっかり学校に行って、親には感謝しようと思います。

    この度、天光寺さんで私の母のお祓いをしていただきました。

    私の母は、昔から私たちには見えない霊が見えたりなどの経験をしていました。私は幼い頃から母の経験した霊現象の話を聞いたりしていました。

    母は昔から身体の調子が良い時と悪い時の差が激しく心配する事が多かったです。洗い物をしていて急に意識消失してしまったり、普段から怒った顔の印象の方が強かったりと、子供心に顔色を伺いながら過ごしてきました。私が大人になるにつれ、両親二人ともの家系がとても複雑にある事をだんだんと理解し、先祖供養というものを気にするようになりました。一番記憶に残っているのが、私が中学生の頃、寝ている母の枕元に父方の祖父が現れ「面倒見よ!」と寝ている母に馬乗りになり、母の頬を両手で捻ったというのです。その後すぐに、今まで訪れたことのなかった祖父のお墓参りへ家族で出かけたのを覚えています。また母方の祖父が亡くなった時も、祖父が成仏できずに母を頼り、何度も母の前に現れ、挙句、母の身体に入り込んだりと大変な時期もありました。うちの家系は両家系とも代々、夫婦・兄弟・親子と親族内で縁が切れてしまう事が多く、両親も不仲で喧嘩が絶えず、安定している時期はほとんどなかったと記憶しています。私自身も離婚を経験し、うつ病も患い、自殺を考えた事も何度もありました。考えると、母と同じだと。母は昔私の目の前で包丁を持って自分を刺そうとした事がありました。

    こんな状況がこの先、子供たちにふりかかっていくと思うと心配でなりません。そう悩んでいた時に天光寺さんのホームページを見つけ、相談させて頂きました。ご住職と相談させて頂いた結果、母はやはりご先祖様の念を受けている可能性が高いとのことで、お祓いして頂く事となりました。

    東京都秘境の地、檜原村という山の奥地に、大きくて立派な天光寺というお寺を見つけました。緊張してインターホンを押すと、僧侶の方が優しく出迎えて下さいました。応接室に案内され、鑑定申込書や家系図を記入するとご住職がいらして説明を受けました。その後、除霊・お祓いのお部屋に案内され、母と共にお部屋に入ると空気感が変わるのを感じました。母は中央に座りました。CDが流れ始め、母は目を瞑り合掌し、しばらくすると身体が揺れ始めました。「うぅ~うぅ~」と悲しそうな呻き声を出しながら涙がボロボロと流れ落ちる母。やはりご先祖の念を受け、また悪霊も憑りついている状態との事でした。お祓いは最後まで進み、ご住職のお経と太鼓が始まり、母は激しく揺れて泣きわめき座っておられずに後ろへ倒れてしまいました。見ている自分も涙がボロボロと流れ落ちました。ずっと苦しめられていたのだと、過去を振り返りました。

    お祓いが終わった後、母は疲れた様子ですが、表情が全くと変わり、こんなに優しい顔をしていたのだと驚きました。ずっとずっと何者かが憑依し、母を苦しめていたのだと思いました。

    今回こちらに修行をお願いした理由が、ここ数か月何をしても身に入らず、常にマイナスな事を考えてしまう、自身の気持ちをコントロールできずイライラし人にあたりちらしてしまう、などがありました。自分でわかっているのに自分自身が分からない、一度心の中をリセットしたい、という気持ちで参りました。

    最初の呼吸や瞑想をした時に頭の中が無になり、イライラが消えたのを感じました。イライラやマイナスな気持ちは私自身がよびこみ、そしてさらに増ふくさせていたのだと思います。

    その後の滝行・般若心経の読経は本当につらい時間でした。やりきった後の達成感と意志が弱い自分に打ち勝てた事が本当にうれしかったです。

    法話の中で先生が「自分の発言が体や人生に影響する」とおっしゃられていました。

    ここ最近の私はマイナスな発言、自分を強く見せようという欲にとりつかれていた気がします。

    本当に強く大きい人間とは、人と比べず、戦わず、自分と向き合い、自分自身の体と心に耳を傾け、目を向け、自分自身に負けない、それが人間力だと思いました。

    これからは、逃げずに明確な目標、素直に物事を受け入れ、すべてが自分の人生に必要であると考え、困難や問題に立ち向かっていきたいと思っています。

    数年前までの自分は、自己肯定感が低く、他人を喜ばせる事が自分にとって幸せだと思っていました。しかし、結局それは自分軸ではなく他人軸で物事をとらえており、本当の自分の幸せではないという事に気づきました。そのため自分自身が幸せと感じる事は何か。生涯を通じてどのように生きたいのか色々見つめ直すため、今までの自分の生活にはなかった事に挑戦していきたいと思い今回こちらの修行体験に参加させていただきました。

    こちらにお伺いする前、「思考のすごい力」という意思が人にもたらす影響について書かれている書籍を読んだことがありました。その本には、思考は細胞を形成し、遺伝的病にも打ち勝つ可能性があるという事。思考は行動に影響を与え、自分の未来を作るということなど普段意識していなかった事に気づかされた内容でした。

    こちらの印刷物の「思考が人生を作る」というお言葉の数々がまさに自分が知りたかった心理で感動致しました。

    また、滝行、挨拶の作法、健康的な食事内容、規則正しい生活、朝からのお掃除等、普段の現代社会では気付く事が出来ない事を様々と学びました。特に食事においては現代の食品添加物の増加や輸入食品の安全性など私自身最近は特に気になっておりましたので、素材の味を五感で味わう事ができ大変感動致しました。貴重なお料理をありがとうございました。

    今回もっとも刺激を受けたのは滝行です。元から自然が好きで特に川が好きな私は時々一人で川を求めて山に入る事もありました。滝を見ることはあっても入る事はなかなかないので今回はかなり緊張していどみました。滝の音、水の温度、周辺の空気、風などその中で自分が癒されるのを感じました。水の冷たさよりも滝のいきおいの方に驚きました。自分が最近まで考えていた悩みも滝の迫力の前では小さい事だと再確認しました。

    今回、様々な体験を通じ、修行だけでなく様々な人の思考、価値観に触れとても勉強になり刺激のある数日間を過ごす事ができました。また日常生活の多忙な中では見過ごしてしまう自分の弱い心と向き合う事ができました。

    色々と指導、お世話をして下さった方々、また一緒に貴重な時間を過ごした宿泊、日帰りの方には本当に感謝します。作り立てのキムチも初めて食べおいしかったです。色々とありがとうございました。

     

    『天光寺に二日滞在して得られた事』

    0.「行」の過程で変化する心の在り様について

    初日、到着して間もなく所作の指導を受ける。なじみの薄い数珠や、頭の下げ方を主とする礼儀を学ぶ。昼食後はお百度参りから始まった。「南大師遍照金剛」を唱えながらの運動の行。その後は体験したことのない水温下での滝行。寺に戻ってからは呼吸と写経。これらすべての「行」が自分とっては初めての経験であり、すべてにおいてこれらの「行」を通じて何が得られるのか全くわからない中で、おもむろに「行」を始める必要があった。そこで自分の中に生じた心の変容は四つのステップに因数分解することができた。

    1.「言われた通り」にやる

    正座は痛い。言葉もわからない。コンクリートの上を走るのはしんどい。滝は冷たく、激しい痛みを伴い命の危機すらも感じる。一時間の般若心経の声出しでは意識が幾度となく遠のき、写経では手が動かなくなった。すべての「目的のわからない」行の第一印象は苦痛以外の何物でもなく、故に淡々と言われたことをこなすしかない。せめてもの救いは、すべては「唱える」という反復作業を主軸に成り立っていることだった。今何回やったのか、あとこれぐらいやれば〇〇回を達成できる。こういった小さな目標を立てやすいのは気を大いに紛らわせることができた。

    2.「長く続けられるように」自分なりに適応する

    小さなゴールだけでは気持ちを維持できない事に気付きはじめる。そこで今度は、辞めることができないことを受け入れ、長く続けられるように「行」の所作、心の持ち用で変えることにした。例えば滝行は、水の冷たさに耐えようとするのではなく、一度自分の体温が水温と同化するイメージにした。すると不思議と冷たさと痛みがスッと和らぎ「もう少し」長く居られるかもしれないという希望が見えてきた。般若心経では「発声」、写経では「筆の持ち方」、すべてに適応する呼吸法、すべてを自分なりに改善した。

    3.心に余裕が生じ、自分と向き合う

    行の反復に良い意味で意識を使わなくなると、自分の身体が拡張された感覚になり、自分の姿を第三者の目でフカンすることができるようになった。すると自分の中で溜まっているストレスや将来やるべき事への優先順位がついてくるような気がしてくる。圧倒されるような自然や、苦痛を前にした時、自分がこれまで抱えてきた困難が大したことのないものに思えてくる。この「行」の経験は天光寺でしか得られないものであったが、今後も日常的に意識して行ってみたいと思う。

    誠にありがとうございました。

    天光寺に来て七日目になりました。

    僕は天光寺で色々思うことがありました。

    一日目は「いやだ」「きつい」「帰りたい」と思っていました。二日目も同じように思っていました。でも三日目には僕は「自分を変えに来たんだ」と思うようになっていました。僕は生活習慣が悪いことや、自分の感情をコントロールできないことで来ました。僕はここに来て学んだ事がありました。それは、感謝をすることが大切だということです。僕はここに来る前は洗濯や掃除、皿洗い、片付けなど親がやることだと思っていたけれど、ここに来てからは自分で全部やらないといけないことに気付きました。自分でやりだしてから、大変だなと思うことがよくあり、親はいつも大変だなと思っているんだなと思うと感謝をしないといけないなと思いました。

    僕はここに来てから五日目で帰れる予定だったけれど、二日延長されて泣いたけれど気持ちが落ち着いてからなぜ延長されたのか考えた時に、まだ自分は自分の感情をコントロールできないでいることに気付きました。二日間自分の感情をコントロールする方法を探していたら、深呼吸することが自分にとって一番合っていると思いました。

    僕はここに来て変われたと思います。生活習慣も良くなったし、自分の感情もコントロールする方法も見つけることができました。僕にはまだ弱い所もあるかもしれないけどここで修行したことを忘れずに過ごしていきたいと思いました。

    僕は天光寺で色々なことをしました。

    まずは滝行です。最初の日は雨で水量が増えてとても痛かったけれど終わった後はすっきりしました。二回目の日は雨は降っていなかったけれど気温が低くくて寒かったです。三回目は青空で外も暖かくて一回目や二回目よりは気持ち良かったです。

    次に写経です。長い般若心経を筆で書くのは大変でした。

    次に写仏です。写して絵をかくのが好きだったので楽しかったです。

    次に掃除です。朝起きてから身支度をして始めるので疲れるけれど親がいつも思っていることを感じることができたので良かったです。

    次に皿洗いとか片付けです。めんどくさいと思っていたけれど、だんだん自分が使ったものだから最後までやろうと思えてきて、慣れたのでできる事が増えて良かったです。

    僕はここで修行をして自分の弱さを見つけて改善する力をつけることができました。いつも掃除とか洗濯は自分でやっていなかったから一日目や二日目は慣れなかったけどだんだんやっていくうちに普通にできるようになりました。

    滝行は一回目はきつかったけど、二回目三回目は慣れてきてさっぱりした感じがするようになりました。一日二日目は「きつかったなぁ」ぐらいだったけど、だんだん日がたっていくうちに自分のダメだった事とか考えてしっかり改善できるようになりました。あいさつの練習をやってしっかりあいさつもできるようになりました。最初は全然声も出せてなかったけど、しっかり大きい声が出せるようになりました。自分は集中力がなかったから、お経とかあいさつの練習とかが苦手だったけど、しっかり集中力もあがって今はできるようになりました。ずっとここで、掃除、洗濯、布団畳み、食器洗いなどやっていくうちに、親はいつもこれを家族分やってくれてたと考えると、親に感謝しないどころか暴言を吐いていた自分が情けなく感じました。だから今度からはしっかり感謝して手伝えるようになろうと思いました。

    ここで僕は我慢する事と、きつくても頑張って乗りこえる事と、時間の大切さを知ることができました。ここに来て、この先僕はしっかり学校に行って、自分に甘えずしっかり親に感謝して、困っていたりしたら助けようと思いました。

    去年、母と家で食事をしている時に、突然、頭が母を殺そうという思いに取り憑かれました。とてもそんなことは普段考えつかない発想なので、とても困惑しました。それ以来、フォークとナイフを見ただけでそういう連想をしたりするようになりました。なぜこのようになってしまうのか、霊に憑かれてしまったのではないかと思いました。というのも、自宅のマンションの屋上に、靴が揃っておいてありました。自殺です。他にも、父は霊感が強く、お墓参りをしていて、幽霊に気づいてしまうほどでした。気づくと幽霊に憑かれやすいと聞いたことがあります。父が去年のお盆の時に悪い霊を連れて帰ったのかもしれません。去年のお盆の後から、自宅の居間の隅の雰囲気が重苦しく感じていました。寝ているときに金縛りにあうようになったのもその頃からでした。先週、精神科に行き、薬をもらいましたが、霊的な原因の場合は薬を飲んでも治らないと祖母から聞いたのをきっかけに、専門家に一度見てもらおうと思いました。このまま治らず、ずっと薬漬けになるのは避けたかったのです。もし私に霊が憑いていて何かを訴えたがっているのでしたら早く助けてあげなきゃいけないと思いました。祖母からお寺で見てもらって憑いていたら成仏させてあげたらどうかと言われ、都内で除霊をやっているところを探して天光寺にたどり着きました。

    天光寺では、住職さんが相談にのってくれて、30分位はこれまでのこと、悩んでいる事、もしかしたら霊かもしれないことを説明しました。やはり除霊をした方がよいということになりました。正座をして手を合わせながら、今まで聞いたことのない呪文だか歌だか分からない音楽を聴きました。とても大きな音だったので頭に響きましたが、それを聴いている間は、とっても頭がもとの正常な状態に戻っていくような気がしました。とても力強い声で、波長が高い音だと思いました。あとで、結局CDを購入させてもらいました。

    その後は場所を移動して、厳かな感じの大きな仏壇の前に座らされ、また手を合わせるように言われました。いよいよ、除霊に入るのかと思うと怖くて泣きそうでした。そこでは、住職さんが隣でお経を読んでくれました。お経の言葉の中には、普通の日本語の文章で、聞いていて意味の分かる言葉もありました。このお経で私に憑いている霊に成仏してくださいと、心の中でずっと祈っていました。なかなか出て行かなかったのかどうか分かりませんが、そのうち住職さんが目の前に来て、太鼓のようなものを叩き始めました。いよいよ除霊が本格的になってきたので、もう私は、ずっと手を合わせて目をつぶっているしかありませんでした。最後は、私のお腹や背中を押して残った霊を追い出していたようです。

    最後はとてもすっきりして終えました。憑き物が落ちた感じとはこのことかと思いました。

    除霊を終えた後、普段の生活の仕方やものの考え方で注意すべきことを教えてもらいました。1カ月経ちますが、もう金縛りや、人を殺そうと言うような思いが浮かぶことはありませんでした。薬ともおさらばすることができ、本当に有難うございました。

    私は今回、法話で学んだこと、行を通して感じたことについて今の私がどう思っているか書きます。

    法話で感じたこと、学んだことは、六つあります。

    一つ目は、行着を着て行をやる意味です。今までは何も考えずに行着を着て行をやってきました。法話で住職さんのお話を聞いた時、「行着を着る事で、空海様のもとで修行をしている意味になる」という事を学びました。今後は、その事を意識して行を取り組みたいと思います。

    二つ目は、瞑想をする際にする手の型の意味です。この五泊六日間、意識せずにただ手を組んで瞑想してきました。お話を聞いて「母親のお腹の中をイメージしている」と言われました。何も知らずにただ行をやるのではなく意味などを理解して取り組みたいと思いました。

    三つ目は、空海様についてです。空海様がどんなふうに生まれてどのように育ったのかを知る事ができました。空海様が一番最初に建てた寺である東寺は小学校一年生の旅行で行ったことがあります。小さいころなので、全部覚えているわけではありませんが、行ったことは覚えています。今後機会があったら行ってみたいと思いました。理由は、小さい頃に行った時と、今の年齢で行った時の見方がかなり変わると思ったからです。住職さんのお話も聞いてかなり興味は湧きました。今後、アルバイトをしてお金を貯めて、京都と奈良で寺巡りをしたいです。

    四つ目は、仏教の歴史についてです。私は、幼稚園と高校が仏教に関係ある場所でした。幼稚園では朝、開経偈を唱えました。高校では、月曜日の一時間目に瞑想という時間があり、そこで紫部声願を歌っていました。それぐらい仏教には関わる学校だったのに仏教の歴史や仏様の生涯については何も教えてくれませんでした。住職さんのお話で、仏教の深さ、日本人の歴史について感銘を受けましたし、ずっと気になっていた仏教についても知る事ができてスッキリしました。

    五つ目は、住職さんの経験話についてです。法話のお話の時に言っていた「人脈」について私は興味を持ちました。私は人と関わり協力して、物事を達成する事が大好きです。理由は、私の小学校は寮生活で、クラスはたった二つでした。そこに一~六年生の子供達で色々な事について学んでいました。一年生の時に色々な寺をクラスで見に行った際に東寺に行きました。この学校には上下関係というものはありませんでした。なので学年関係なく親しかったので、クラスで目標を決めてクラス全員で楽しく達成する事ができました。一~六年生の間に知り合った人達ちは今でも連絡を取るくらい仲が良いです。「人脈」の大切さを住職さんがお話になられていてとても共感しました。

    六つ目は、積極的な姿勢についてです。住職さんのお話では、何度も何度もその言葉が出てきました。なので私は住職さんが一番伝えたい事なんだと解釈をしてお話を聞いていました。私は私生活でもそうですが、好きな事には積極的に参加しますが、苦手な事からは逃げる癖があります。苦手な事にも積極的に取り組もうとする勇気が欲しいです。住職さんの法話を聞いてせっかく天光寺で学ぶチャンスを頂けたのでこのチャンスを活かしたいと思いました。

    次は行を通して感じたり、学んだ事です。色々な行を体験しましたし、天光寺でお掃除や布団の畳み方、洋服の洗濯、ゴミ出し、他にも色々とやり方を学びました。

    まずは滝行です。私はこの五泊六日間の間に滝行を2回経験しています。最初に経験したのは、天光寺に来て二日目の日に行きました。その時は今まで経験もした事がなかったので、とても軽い気持ちで行ったのですが、体が水に当たり始めると「南無大師遍照金剛」と言ううので精一杯でした。滝行が終わった後は、とても気持ちが良かったです。二回目は、自分の中で「水に負けないようにする」と考えてとにかく大きな声で「南無大師遍照金剛」と叫びました。二回目は水に負けず意識を保ってやりきることが出来ました。ですが、私は一つ勘違いしていることがありました。その事に気付いたのは、住職さんが法話で言ってたお言葉でした。「滝行は水と一体になる」この言葉を聞いて滝行のイメージが変わりました。今後は自然と一体になることを意識して取り組もうと思います。

    次にお百度参りです。お百度参りは、滝行の前にやる短いやつを二回と百八回やるやつを二回やってきました。法話を見ていてあのコンクリートの床を作るだけでセメントをものすごい量を使ったと住職さんがいおっしゃっていました。私は、小学校一年生の時に学校の校舎よりも十二センチ高い塔を作る際に柱を固定するために下にセメントを流して固めました。その時クラスの皆でやって丸二日以上かかってしまいました。なのにあのセメントの量を「人が運んでひいた」とおっしゃっていました。私は凄く驚きました。多くの人数の人が汗水を流して作った所で修行をさせていただいているんだなと思いました。お百度参りは、とてもきつくて大変です。何が大変なのか、私がやってしまった問題行動を「南大師遍照金剛」と唱えながら吐き捨てようと意識しながら、百八回数えて走ることがとても大変できついです。

    次に天光寺での生活習慣についてです。天光寺の生活と家での生活を比べると、朝起きる時間は一緒ですが、それ以外例えば、掃除、洗濯、洗濯畳み、食事の準備、食器の片づけなど、今思えば全部できるようになったと思っています。ここを出たら学校に通いつつ、家で母の手伝いを積極的にして今までの私のせいで迷惑をかけた分、楽させてあげたいなと思いましたし、今までやってもらていたことが当たり前じゃないんだなと思い、両親に感謝をするようになりました。ここで学んでいると、色々な事で歳が近い子供たちが来ます。中には、反省をしなければならないのに反省している風貌がない人もいます。ここにいる期間が延長になったおかげで私も私自身、最初の三泊四日はただ過ごしていただけだと思いました。延長になって改めて自分を見つめなおしています。今思えば反省していなかったんだと思います。この期間で学んだ事を、ここを出ても続けてもう二度と同じ過ちをしないためにも両親に感謝して今後の生活を送って行こうと思いました。

    私は、七泊八日間で、普段やってもらって当たり前と思う事が、ここでは私がやらないと誰もやってくれません。家族が注意してくれているのに聞かず自分自身が思うように動いていたらこのような結果になってしまいました。両親にはとても感謝しています。もし延長がなかったら私は気付く事が出来ませんでした。天光寺に行かせてくださりありがとうございました。今後は、私が出来る範囲は自分でこなし、もう二度と同じ過ちはしません。ありがとうございました。そして迷惑かけてしまい、申し訳ございませんでした。

    天光寺での一泊二日の体験をしてみて、修行をしてみたいと思った理由は、滝行をしてみたいという理由でしたが、修行を通して修行の大変さや瞑想などを行うことで心が落ち着くことを知りました。

    滝行は初めて行いましたが、行っている最中は息がしづらく、頭も痛く、辛いものだと思いましたが、終わった後は体から嫌な感情がとれたように感じ、すっきりとした気分になりました。

    お百度参りでは唱えて走りを繰り返し、最初は楽でしたが、どんどん辛く感じてきました。これを百回も行うのを考えると、お百度参りはとても大変だと感じ、終わった後は走ったのも久々で、大きい声を出すのもあまりないので凄く気持ちよく感じることができました。

    般若心経を一時間唱えるのは、声を出すのが途中から辛くなってきたり、足がしびれてしまったりと、一時間がとても長く感じましたが、唱えている間は余計な事をあまり考える時間がなく、終わった後は心が落ち着いたような体が軽くなったような感じがしました。

    写経では般若心経を写しましたが、筆で文字を書くのは中学生ぶりでしたが、文字を書くことは心が落ち着くような気がし、丁寧に書いてみようと思いました。

    二日目では掃除から始まり、掃除は家であまりすることがなく学校でするくらいでしたが、掃除をすると、部屋がきれいになるだけではなく、心まできれいになっていくように思いました。

    瞑想では腹式呼吸で鼻から息を吸い、口で息を吐くとすごく心地が良く、心が凄く落ち着きました。

    法話では積極的な心を持つことが大事だと知りました。消極的な発言は控えるようにし、前向きな言葉を発するようにしようと思いました。また、舞台と役者を演じる事や努力と知恵を大事にすることが大切だという事を知り、今後は活用していこうと思いました。

    我慢をする事と困難に立ち向かう事が大切だと知り、あまり我慢をする事が得意ではなかったのですが、少しでも意識するようにしたいと思います。

    一泊二日、お世話になりました。ありがとうございました。

    一泊二日でこちら天光寺に来ました。滝修行をやりたくて申し込みました。理由は心機一転したかったかたです。4月から大学2年となります。大学は講義が難しいです。辛い思いなどに耐える精神力を鍛えたく申し込みました。実際やってみるととても辛いです。冷たい水を顔にかぶった時、なぜ私はこんな事をやらなければいけないのかという思いになりました。滝の中になると、実際に声を出さなければ大変でした。寒いし水で何も見えないし、戸惑ってしまいました。しかし、やりとげると達成感が生まれました。やってみないと、自分が向いているかどうか分からないからです。体験して良かったです。自然の力はすごいですね。滝は自然の中で流れていくので自然を壊さないようにしようを思いました。

    写経をしました。とても字が小さく細筆で書くのはとても難しかったです。小・中・高と書道はやりましたが、漢字が多く、小さな文字を沢山書くことは初めてでした。書いてみると集中力がしっかりしていたのか早く終わることができました。

    寝るとき、仏様の近くで寝ることは緊張しました。しっかりと眠ることができて、朝六時には起きられました。規則正しい生活はとても良いことですね。朝起きて挨拶をして、掃除をすると、とてもいい朝が始まりました。インターネットを使う日々でしたが、ここに来て良かったです。ネットなしでも過ごせるという事を改めて知ることができました。

    瞑想も初めてしました。腹式呼吸をして、無の状態になりリラックスできて心がすっきりしました。できる機会がありましたら、やろうと思います。

    法話聞きましたが、生老病死という事を初めて知りました。四苦の苦しみから逃れる事は不可能です。しっかりと生きていくには仕方がないので、もしそのことになりましたら、立ち向かって頑張ります。

    精進料理を初めて食べました。肉なしと聞いていましたが、とても美味しかったです。毎食完食できました。作って下さりありがとうございました。

    一泊二日と修行しました。とても為になる日々でした。ありがとうございました。

     

    私は10年間以上何故か苦しく、生きづらい人生を生きてきました。しかし、何故こんなに苦しいのかずっと分からず、もうこれが当たり前なんだと思っていました。そしてついに限界が訪れました。何の前触れもなく不安感に襲われ、もちろん体調面においても眠れない、食べられない、動けないといった症状が出始めました。私の生活は一変し、一気に崩れていきます。本当に今までの人生の中で味わったことのない苦痛に耐えられず、毎日泣いてばかりの寝たきりの生活を送っていました。そんな私を見て家族もどうしてよいかわからず、精神病院をいくつも周り、薬も処方され、飲んでいましたが一向に善くなる気配がありません。それどころか追い打ちをかけるように悪化していきました。パニックを起こし、暴れ、しまいには過呼吸のような状態になり、精神病院に入院したこともあります。その時にはもう生きているという実感失われ、気力もなくなり、「生きていたくない」そう思っていました。

    ついには自分で自分の首を絞め命を絶とうとしましたが、やはり心の何処かでは「死にたくない」「あきらめたくない」「生きたい」と思っていたのでしょう。死ぬことはできませんでした。今となっては本当に死ななくてよかったと思います。父がそんな私を見かねて他に何か手段はないかと必死に探し始め、ようやく見つけたのが天光寺さんでした。

    最初こそ怪しいと思っていましたが、ホームページを見てみると年間約5000人もの方が修行に訪れる有名なお寺だと知りました。また、除霊や浄霊も行っているということで、もしかしたら、、、と思い、すぐに見てもらうことになりました。行ってみたところ、初めはあまりお寺という感じがありませんでしたが、中に入ってみて何か言葉にできないパワーを感じ圧倒されました。まず、ご住職に話を聞いて頂き、お祓いを受けることになりました。お祓いを受けるお部屋に案内され、入ってみてさらに圧倒されたのを覚えています。そこには、大日如来様を含め数多くの仏様が並んでおりました。そしてついにお祓いが始まり、ご住職がお経を唱え始めると同時に、私の身体が震え始め、まるで中の者が苦しんでいるような感覚に襲われ、更にずっとため込んでいた堰(せき)を切ったかのように涙があふれ止まらなくなりました。自分でも何があんなに悲しかったのか全く分かりません。ご住職によると、両親の間にかつて存在していた水子様のようでした。ずっと生まれたかった、生きたかった、寂しかったんだという強い想いがあったのだと思います。お祓いが終わると、心の中にずっとあった何かが明らかに軽くなっているのが分かりました。

    その日を境にみるみる調子が良くなり始めました。ご住職がおっしゃるには、私は霊体を引き付けてしまいやすい体質だということでした。すぐに神受けという儀式も行ったほうが良いということで、家族で相談して受けることになりました。神受けとは神様の力を身体に入れるというもので、これは本当にやらせていただいてよかったです。それからの日々はどんどん前向きになっていき、今までできなかったことも少しずつですができるようになり、笑顔も増えていきました。全くなかった食欲も少しずつ戻り、今では一人分きちんと食べられるまでに回復しました。まだまだ完全ではないので精神面、体調面の波は多々ありますが、少しずつ元気になってきている自身に私も嬉しさを日々感じております。何より家族が心から喜んでくれていました。このお寺に出会えていなかったら私は間違いなくもうこの世には居ないでしょう。それ程、いやそれ以上に私は助けていただきました。周りの方も本当に優しく、ボロボロの私を親身に包んでくださり、今思い返しても思わず涙が溢れます。これから私は、ヒーリングというものも学び、今まで苦しかった分、自身も幸せに生き、その強さや幸せを周りの方々に与えていけるような人間になりたいと心から思っております。この天光寺さんで出会えたご住職様やその周りの方、すべてに心から感謝申し上げます。そしてこれからも長くお世話になります。

    私のように何をしても上向かない、もうどうして良いか分からない、そんな方が居りましたら是非天光寺さんをおすすめ致します。どうか命だけは捨てずに。

    きっと今まで想像もつかなかった新たな人生が待っています。

    10年ほど前から不思議なことが起こるようになりました。悪夢を見て眠れなくなったり、頭の中で声が聞こえたり、映像が浮かぶようになりました。それだけでなく勝手に体が動いたり、言葉が出たり、自分ではない何かが入っている感覚がありました。「死ね」「殺す」や悪口、昔の思い出したくないことなどを言ってきます。妄想だと言われ精神科に通って薬を飲んでいますが治りません。その声はどんどんエスカレートして、誰かと会話していても勝手に話し出し、自分で考えることもできず心で思っていることも分からなくなってきました。子供が2人いますが育児もできない状態です。

    思えば今までの人生も辛いことが多くありました。父親が早く亡くなり、親の愛情も感じておらず、姉は精神を病んでいます。ほかにも泥棒に入られたり、ストーカーにあったり、声のことで相談したら霊能者に騙され多額の金額を払うことになりました。

    こんな状況で生きているのは本当に辛く、生きている意味も分からなくなり「死ね」と言われると本当に自殺したくなり追い詰められていました。

    それでもどうにかしてもらいたいと必死で探し、天光寺さんのHPに行きつきました。お祓いの映像を見ると恐ろしくなり、自分もこんな感じなのかと心配になりましたが、感想文を読んでいるとここまで来たらお願いしてみるしかないと覚悟を決めました。

    イメージしていたお寺とは違いましたが恐ろしい感じはありませんでした。ただお祓いの部屋は入るのに勇気がいるほどの異様な強さを感じました。最初に聞いたCDは迫力がすごくしばらくすると体が揺れ始めてしまいました。自分の意思とは関係なく、中にいるものが反応しているようでした。その後お祓いのお経が始まると、座っているのが辛くなり横になってうずくまり、呻くような声が出てきて胸が苦しくなりました。今まで気づいていませんでしたが、自分の中にため込んでいた憎しみや寂しさ、恨みなどが込み上げてきたような感じです。お祓いの後は横になり、体の邪気を取ってもらいました。背骨、腰などを整えてもらい気の通りをよくするのだそうです。体も固く流れが滞っているらしいです。最後にヒーリングをしていただきました。安らかな気持ちになり、胸が少し楽になったように感じました。人の手のぬくもりを感じ、温かさが伝わってきました。今までの人生でこのような優しさに包まれたことはなかったかもしれません。

    全体的に体も軽くなり、すっきりした印象です。住職のお言葉で気持ちも前向きに生きる力が出てきました。少しずつでも心の持ち方を改め、あまり神経過敏にならないようにしたいと思いました。

    この度思い切ってお祓いを受けて本当に良かったです。ありがとうございました。

    私ではなく妻のことで相談しました。数年前から複数の人の声が聞こえると言い出しました。最近特にひどくなり実際の人なのか妄想なのかが分からなくなっています。またその影響で不眠が続きいつも気力がなく、頭痛も続いていました。その上、電磁波過敏症なのか携帯電話や電子レンジもビリビリするらしく攻撃されていると言います。本人が辛いのは分かりますが、一緒に生活している私までおかしくなりそうです。精神科に連れて行きましたが、薬が増えるだけで本人の気力は失せて朦朧としている状態になってきました。このままでは精神的に死んでしまうと思い、どこかに助けてもらいたいとすがる思いで探してみました。インターネットの「除霊お祓い」でみましたが、そういう世界を信じていない私には怪しい感じがしてどこを選んでよいか迷いました。お寺なら大丈夫だろうと天光寺さんにしました。私の家は真言宗ではなかったので、お堂に入ったときにやや薄く暗く密教という感じがしました。

    部屋に通され最初に住職の声のCDを聴きました。その響きは独特な強い力が感じられ圧倒されました。隣にいた妻は少し怯えているようでした。そのうち体も震えだしうめくような声が聞こえてきました。明らかに妻の声ではない男の声でした。CDが終わると今度はお経です。般若心経は私にもわかりましたが、その他は真言宗の真言のようです。お祓いがさらに進むと、激しい音も加わり、妻はうずくまって今度は泣き出しました。目の前で起こっていることが何なのか信じられませんでしたが、ただただそれを見ているしかありませんでした。

    その後にヒーリングをしてくださいました。椅子に座っている妻は何かが抜けた様で、だらんと両手を脇にして力が抜けた様子でした。少し解放されて安心した表情になっていました。今までいろいろなものを避け、頑なになっていたことが幻覚や妄想に結び付いたのかもしれません。終わった後の住職のお話しでは、霊の影響を受けやすい体質だそうです。神経質な性格も影響し、電磁波は霊的なものとも共鳴しやすいそうです。人は意識で変化すると言われました。私も学ぶところが多くありました。

    妻も薬の影響が残っているものの表情が明るくなってきてほっとしています。

    ありがとうございました。

    今まで特に何事もなく過ごしていたのですが、昨年夏ごろから急に怒り出したり、暴力的になったり、感情が安定しない自分自身に戸惑っています。理性ではわかっているのですが、両親や友達の些細な言葉に過敏に反応してしまい、怒り、イライラが爆発し物に当たったりします。精神科の受診も考えましたが、薬の副作用等が怖いので漢方を試してみましたが効果を感じられませんでした。今のところ職場ではどうにかコントロールできていますが、このままではエスカレートしそうで怖くなりました。霊的な影響もあるのかと思い悩み、ネットで検索し天光寺除霊を見つけました。動画など見て霊の影響の凄さを感じました。HPから問い合わせをするとすぐにお寺よりお電話をいただきました。丁寧に状況を聞いてくれ、料金についてもわかりやすかったです。バイトの私には正直高い金額でしたが、このまま不安な状況から抜け出せないと思うとお願いするしかないと思い申し込みしました。

    当日は不安だったのですが周りに知られたくなく一人で行きました。最初に住職とお話しし、その後お祓いの部屋に入り、合掌してお経のようなCDを聞きました。次第に胸のあたりが苦しくなり頭痛がしてきました。その後本格的なお経が続き、さらに太鼓などの音が鳴るともっと頭が痛くなりました。やはり何か憑いているようでそれが苦しんでいるような感覚がありました。その後身体からその憑き物を出してくれていた様です。頭と胸のあたりのモヤモヤがすっきりした感じがしました。

    その後は別のお坊さんがヒーリングをしてくれました。優しい音楽はすっきりした私の頭と心にすーっと入ってくる様でした。身体のつぼでしょうか、手を当ててくださると温かくなっていくのを感じました。自然と穏やかな気持ちになり心が落ち着くのを感じ、本来の自分に戻れた感覚がありました。

    すべて終わった後でもう一度住職とお話ししました。いつだったか立ち寄った神社にお参りした時に、邪霊のようなものが憑いていたことが分かりました。その頃は仕事や人間関係もうまくいっておらず、不満を我慢して、心の中は悪い思いで一杯でした。そのような状態は霊にとっては格好の餌になるようです。

    「心の持ち方」のご指導を頂き、生活の在り方や日々の習慣を見直すきっかけとなり大切なことを教えていただきました。ありがとうございました。

     

    長いこと病気を患っていて、そして家庭も不運が続いていました。心の病で、10年以上、心療内科に通って投薬を受けていたこともあります。肝臓病も患っています。最近は摂食障害にで体がボロボロになっていました。家庭はというと、1人の娘に恵まれましたが、夫が交通事故で突然亡くなり、娘は家出を繰り返していました。娘は地元の暴走族の人とつきあっていて、たまに家の前に沢山のバイクで男の人たちが待っていたことがありました。私の方がと言うと、親戚とも付き合いがなくなり、私の兄や弟との連絡もとれなくなりました。たまに、他人から考えられないような罵声を浴びせられることもありました。不思議なことに、道を歩いてるときや、職場でそのようなことが起きていました。そのせいで転職を繰り返してしまっていました。

    夫が交通事故で亡くなった後、友人に誘われ、とある宗教団体に入信しました。そこでは多額の献金を説得され、2000万円を献金しましたが、何も改善しなかったので、返してもらいたいと要求しましたが、それを機に、友人との音信が途絶えました。私の母は、その間、幻聴で精神病院に入院しました。このように私の人生は小説のようにおかしく、これは家の因縁なのか、霊障なのかと、悩んでも分からないことを延々と悩み始めていました。もしかすると、私は発達障害なのかもしれません。または前世で多くの人に迷惑をかけてしまったのかもしれないとも思っていました。そこで、霊障を扱っているお寺に相談しようと思って天光寺に電話しました。電話でいきさつを話して、3日後に行くことになりました。

    除霊で、お坊さんがお経を唱えている最中、何故か自然に泣けてきてしまいました。後から聞いたところ、中に入っている霊が苦しみを理解をしてもらいたくて、私に悪さをしていて、その霊が泣いているのだということでした。除霊の最中、ずっと泣いていましたが、除霊が終わった後、椅子に座り、密教ヒーリングを受けると、悲しいのが収まって気持ちが落ち着いてきました。流れている音楽がとてもやさしい音楽だったこともあると思います。ヒーラーの方もやさしい感じの方でした。ヒーリングでは、頭、足、お腹と全身に手をかざして宇宙エネルギーを注いでくれました。私は、ヒーリングという名のものではありませんが、以前、手かざしについて勉強したことがあったので、すぐに似たものだと分かりました。上の方からエネルギーが流れてくる感じを受けました。ヒーリングが終わると体の皮膚がピリピリとしびれました。悪い気が体内から出てきて体の周りについていたのだと思います。ヒーラーが、終わった後、自身の腕を払っていたので多分そうなのだと思いました。全てが終わると、お坊さんがもう大丈夫と声をかけて下さいました。悪い霊がまた来たりしないように、黄色い布に呪文が書いてあるものを頂きました。部屋に貼るようにとのことでした。

    2時間以上、かなり長い間除霊とヒーリングをしてもらいましたので元はとれたと思います。やはりお寺を選んで正解でした。次は、写経に興味があるので、体験修行で訪れたいと思っています。

    幼少期から両親の口論が絶えず別居となり、中学生の時母が癌で死別しました。姉は家庭の問題に悩み新興宗教に入信し、私も誘われ多額の献金をする羽目になりました。その後追い打ちをかけるかのように、今度は会社の関係で別の新興宗教のようなネットワークビジネスにも巻き込まれました。状況を改善しようと頑張れば頑張るほど、家庭は崩壊してきました。妻は精神疾患を患い、子供たちも学校を中退し家で昼夜逆転の生活を繰り返すようになりました。苦難の連続で人生がうまくいかず疲れ果ててしまいました。なぜこんな苦しみを味わう人生なのかその意味を問いたくて、天光寺を訪ねました。

    初めに担当の住職様とお話ししました。家系図も書きました。父方母方など家系による影響も大きいようです。話している中で、いつも他者のせいにしている被害者意識が強い自分に気づかされました。お祓いの部屋は少し暗く感じ怖い気がしました。合掌をしてお経を聞いていると手が勝手に震えてきました。その後太鼓と銅鑼の音が激しくなってくると、身体も揺れ始め胸のあたりが苦しくなってきました。後ろに倒れそうになりながらも我慢していると、力を抜くように言われ後ろに倒れ身体を支えてくださいました。何か悪いものを出してくれた様でした。その後うつ伏せ、あおむけと横たわり、背骨を中心に体の骨格筋肉を調整してくれている様でした。片足ずつ上げたり、立って歩くように言われその様にしてみると、身体が軽くなっているのを感じました。普段から身構えて知らぬ間に体に力が入っていた様です。

    最後にヒーリングをしてもらいました。最初にイメージを思い浮かべ、音楽を聴いていると固く閉じこもっていた自分が解放されていく感じがしました。目を閉じて合掌している間、身体の各部位に手を当ててくださり、そこが温かくなるのを感じました。周りは敵だと思っていたので、人からやさしく手を当ててもらった感覚は、何ともありがたく心が温まりました。自分の弱さを包んでくれる感じもしました。

    今回のお祓いを通して、今までの生き方を考えさせられました。自分ばかりが不幸で、その原因を周囲のせいにしてはいつも身構えていたのですが、住職様から「思考が人生をつくる」と言われました。マイナスのことばかり考え周りを恨んでいた自分を変えていこうと思いました。ありがたい体験をさせていただき本当に感謝しています。

    私は、パニック障害を10年ほど患っていました。昨年の10月後半から徐々に症状が悪化していき、1月中旬から体調がどんどん悪くなっていきました。具体的には、かなりの頻度で人を殺したり、自殺をする夢をみてしまい、頭からずっと離れません。また、死や自殺の文字がすぐに頭に浮かび、頭の中で死にたいとずっと叫んでいるような感覚で、精神的にかなり追い込まれてしまっていました。気持ちの沈みも激しく、自分をコントロールできないような感覚に陥っていました。天光寺さんのYouTubeの動画やHPに乗っている感想文の中に、症状が似ている方がいて、霊的な面でも見てもらいたいと思いご相談させていただきました。

    最初の住職さんとのお話の中で、精神病と霊障は紙一重だと教えて頂きました。毎日の生活の中で溜まるストレスや疲れ、無意識に覚えていた過去の辛かった事が原因で心が疲れて症状に出てしまうようです。また、自分の思い込みが原因でさらに悪化してしまうともおっしゃられておりました。それだけではなく、邪気や悪い霊などによって悪い方向へと進んでしまうというのも珍しくないと教えて頂きました。

    お祓い部屋へ入ると、少し空気が変わったような不思議な空間でした。特殊な音声を聞いている間は、体がどんどん温かくなり安心するような感覚でした。人によっては倒れたりしてしまうようで驚きました。お経が読み進められていく中で、体の重みが段々と軽くなっていくような感覚でした。手を合わせて目を閉じているとやはりまだどこかで死にたいという感覚が出てきてしまいました。しかし、今までは出てくる感覚に頭の中がいっぱいになってしまいましたが、少し軽くなったようにも思いました。お経と太鼓が終わった後に、住職さんに体のバランスを整えていただきました。かなり無意識に体に力が入っていたようで、筋肉がすごく硬いと言われました。調節が終わるとすごく体が軽くなりました。

    最後にヒーリングというものをしていただきました。音楽と共に行っていく中で、突然ここに相談に来るまでの辛かった事や苦しい思いをしたことがあふれてしまい、自然と涙が出てきました。しかし、徐々に重かった頭が軽くなり、また体が温かくなりました。人のやさしさとぬくもりに包まれているようですごく癒されました。

    すべての工程が終わり、心身共にすっきりしました。お話によると原因は、私の強い思い込みと体にたまった邪気によって症状が出てしまっていたようです。その後、住職さんから心の持ち方という文章もいただいました。少し目を通していると人生を前向きに生きていくために必要な言葉が多く書いてありました。

    この度は、お祓いをしていただきありがとうございました。住職さんにかけていただいた言葉、頂いた文章を大切にして、もう二度とマイナスな考えで自分自身を苦しめることがないように自分なりに頑張っていこうと思います。大変お世話になりました。

    元夫は些細なことで感情的になり私に当たり散らすことが多く、継続的に殴る蹴るなどのDVを受けていました。ある時ふとしたことで夫が不倫していることが分かりました。精神的肉体的な辛さから離婚したまではよかったのですが、無気力で生きる力が出ず、経済的不安も重なり追い詰められ死ぬことばかり考えてしまいます。今までも人づきあいが苦手で、親戚や兄弟ともうまく関われず連絡を絶っており頼れる人もいません。転職してはパワハラにあい、関わりの浅い人からもいきなり罵倒されたりすることがありました。身体的には摂食障害、常に寒く震えが止まらなくなる、涙が出ない、汗が出ないなどの症状があり、精神科で治療を行っていますが効果が見られず、このままでは働くこともできません。何か霊的なものが憑いているのか知りたくて、ネットで調べ天光寺を訪ねました。

    初めにお寺の住職とお話をし、今までの辛いことなどを聞いていただきました。その後、仏像が並んでいるお部屋に案内されました。少し暗くて恐ろしい感じもしました。お祓いが始まりお経の声や音も少し怖い感じで、本格的なお祓いが始まると手が震えるような感覚がありました。一通り終わると身体のバランスを整えてくれ、整体のような感じもしました。背中を押され声、息を出すように言われましたがなかなか発することができません。しかし、立ち上がって歩いてみると楽になり、体が温かく感じられました。今まで常に寒気があったのにです! 邪気を出すことで体の気の流れがよくなるそうです。その後、CDの音楽を聴きながらヒーリングをしてもらうと、今まで感情を抑えて生きてきたことに気づきました。涙は出ませんが胸が苦しく熱くなりました。終わった後の住職からのお話によると、酷い霊障というわけではないが霊に惑わされやすく、心にマイナスの感情を抱え持つことで霊が入り込んでしまう様です。帰りに自分を変える、心の問題を解決するためのご指導をいただきました。

    今後自分を立て直すためにヒーリングを勉強していきたいと思います。

    17歳の息子のことで相談しました。以前より不登校が続いていましたが、日常生活にも支障をきたしていました。気分転換にと山に登ると脇道から奥に入って行方が分からなくなったり、常にイライラが続き、たわいもないことで誰にでも大声で怒鳴りつけたりするので、事件やトラブルに巻き込まれるのではないかと、不安でなりませんでした。車に乗ると人格が変わり別人の様になってしまい、恐ろしくもなりました。精神科にも連れて行きましたが、薬を出されるだけで何の手立てにもならず、どうしてよいか悩む日々が続きました。このままでは将来どうなるのか心配でたまらなくなり、藁をもつかむ思いでした。

    何か見えないものに憑りつかれているのではないかと思い、インターネットで除霊お祓いを検索したところ天光寺を見つけました。霊媒師や占い師なども多い中、何を基準に選べばよいか迷いましたが、お寺ということで安心できそうだったので問い合わせてみることにしました。お電話ではどのような流れでお祓いをしていくのか段階を追って説明していただき、料金についても説明が明確だったので、思い切ってお願いすることにしました。

    当日最初に通された部屋で現在の状況についてお話をし、カウンセリングのようなものをしていただきました。その後お祓いのお部屋に通されると、合掌して座りお経とも違う不思議なCDが流れ、それを聞いていると、息子の体が揺れ始めました。隣にいる私が気になってそわそわしてしてきましたが、若いお坊さんが脇で見守ってくれていました。次第に太鼓の音や銅鑼の様なものが激しく鳴り響き、息子は一層激しく揺れ始めました。お坊さんが「離れろ離れろ」と繰り返し唱えていたのが印象に残っています。一通り終わると横になり体を調整してくれました。息子はされるがままになっていましたが、起きて立ち上がるとすっきりした様子で、それまで猫背で曲がっていた背中がシャキンとしているような感じがしました。最後に別のお坊さんがヒーリングをしてくださいました。穏やかな曲が流れあたたかい気が流れているようで、傍らにいた私も癒されるような感じでした。終わった後は息子も柔らかい表情になっていました。お寺では滝行や企業研修も行っているようで、次に来る時は息子も挑戦できたらと思っています。本当にありがとうございました。

    私は、10年間、引きこもりをしています。10年前に離婚をしてからです。それから数年は、何もやる気が起きなくて、テレビや携帯ゲーム、お菓子やコーラばかり食べて時間を過ごしていました。私が小学生のときに、両親は離婚し、母方についていきました。母は再婚しました。私は離婚をした後に、おじさんの養子に行くことになりました。姓が2回も変わるのはどうかと思うのです。姓名判断をやりましたが、だんだん画数が悪くなっています。それから、離婚して半年後から、幻聴が聞こえ始めて、精神科に通っていました。夜は、現実とは異なる音や声が聞こえて、誰かに見られている感じがしていますので、睡眠薬を飲んでいるのですが、だんだんと多く飲まないと寝れないようになり、規定量上限に達してしまっていて、これ以上飲めない、でも寝れない日が続いていました。頭が働かず、全然仕事ができません。食欲もだんだんなくなり、30キロも痩せてしまい、別人です。神社でお祓いをしましたが、全然効果がなかったので、何か霊的な問題が起きているのではないかと思って、除霊専門でやっている天光寺に行くことにしました。大分県から東京の檜原村までは長距離でしたが、全国から相談に来るお寺ですし、一生に1度きりのことですから、それほど苦ではありませんでした。近くのホテルに前泊して、翌朝、天光寺に行きました。

    最初にカウンセリングのようなことをしてもらった後、浄化・浄霊として、お経のようなものをCDで聴きました。その間、座っているのですが、除霊の担当のお坊さんが私の様子を観察していました。そのCDを聴いている間、胸の辺りが苦しくなっていました。なにか私の中から声が出てきたのですが、私のようで私のようでない声でした。そのまま本格的な除霊が始まりました。お経が始まってしばらくすると、胸の辺りがもっと苦しくなっていきました。そしてまた同じようなうめき声が出てきてしまいました。一体誰がこんな声を出すのか、自分以外の誰かであるとその時分かりました。かなり苦しかったのですがずっと我慢していました。お坊さんが、何かが上がっていくように何回も同じことを唱えていましたので、私に悪い霊がついていたことがそこで分かりました。除霊が終わった前と後で、体の感じに変化はありませんでしたが、お坊さんが大丈夫だと言ってくれたので安心しました。私の場合、もっと生活を規則正しく、体にいいものを食べることから始める必要があると注意されました。天光寺の体験修行は、掃除で体も動かすし、滝行や精進料理など、体によいということですので、今度は泊まりで行きます。最後に、特別に大きな霊符を頂きました。これを部屋の気になる所に貼るとよいということでした。それをベッドの傍に貼るとなぜか安心して寝ることができ、へんな音もあまり気にならなくなりました。有難うございました。

    僕が反省している点は、学校に行くべきなのに、学校に行かず家にいることです。

    家ではリビングに顔を出すべきなのに、自分の部屋で布団に寝そべりながら遊び、親に「体調は大丈夫か」と言われても何も言わず部屋で横たわって心配させて、「洗濯物畳んで」と言われても、「嫌だ」と言い迷惑をかけ、親に心配と迷惑をかけていることです。

    僕が感謝している点は、皿を洗えと言われても洗わず、洗濯を畳んでと言われても何もせず、リビングにすら顔を出さない自分の面倒を見てくれる親です。夜は帰って疲れているのにご飯を作ってくれて、食べ終わったら洗濯を畳んでくれて何かあったら対応してくれることをもの凄く感謝しています。

    僕が懺悔する点は、まず親の言うことをしっかりと聞くことです。自主的に洗濯や皿は洗わないので言われたら必ずやります。次にリビングにはしっかり顔を出すことです。部屋にいる時間よりもリビングにいる時間の方が長くなるようにします。

    最後に学校は毎日通うようにすることです。親の心配や迷惑になるような事を辞めて、自分の為にも学校に行くようにします。

    僕が決意することは、親に言われたことはしっかりやり、勉強もしっかりやり、最終的には学校に行くようになります。

    先月、会社で3人の同僚と22時頃まで残業をしていました。1人がお手洗いに席を立った時、右端のお誕生日席の方に人の気配を感じました。私たち3人以外にはいないのに、なんだろうと思って視線を移すと、白いもやのようなものがその席のそばで佇んでいたのです。首筋がぞっとしました。私の後ろの島にいるもう一人の同僚に声を掛けるため振り向くとその同僚もその方向を見ていました。今なんかいるよね?と言うと、その同僚はいるよ。無視した方がいいよと言ってくれました。後で聞いた話だと、2年前くらいからそのお誕生日席の方に出ることがあるということでした。どうも、そのお誕生日席に座っている役員に恨みをもって退職した人がいて、その人は音信不通なのだそうです。役員の人は悪い人ではないのですが、その人を仕事で追い込んで辞めさせたらしいという噂でした。

    翌日、私が親しくしている社長にこのことを話すと、やっぱりそうか、あまり気になるようならお寺さんにお祓いをしてもらおうと思っていたところなんだ、と打ち明けられました。私は半年前に入社したばかりで、夜遅くに残業したのはその時が初めてでした。

    私の島のお誕生日席なので、もう残業はしたくないと思って、数日後、社長にお願いしますと頼んだところ、どこかいいお寺はないか?ということになりました。ネットでお祓いや除霊で検索して調べたところ、東京都の檜原村に除霊を専門にやっていて、ビルや会社に赴いてやっているとホームページに書いてあった天光寺を社長に見せたところ、社長がお寺に電話をしてくれて、オフィスの除霊をしてくれることになりました。オフィスに来てもらう前に、社長と私でお寺に行き、住職に直接相談をして除霊の日程が決まりました。

    私としては、私だけでなく、他の人も安心して仕事ができるようになればいいなと思っていました。休みの日に除霊に来ることになり、社長やその役員含め、私や、幽霊を見たという人が立ち会うことになりました。その役員には、相当邪気が溜まっていると住職は言っていました。オフィスで祭壇が組み立てられ、お供え物等が用意され、蝋燭を灯してお経があげられました。どこかで聞いたことのあるお経があげられはじめると、霊感が強いと言われている先輩の体に異変が起き始めました。気持ち悪くなってふらふらしはじめてしまったのです。住職曰く、その先輩は敏感で、中に入っているものがお経に反応したのだということでした。それだけ凄い能力をもった人なら逆に安心だと思いました。一通りお経をあげ終わり、その先輩にも何か呪文のようなものを唱えてくれました。数日前、やはり22時頃まで残業をしたのですが、何も出ることはありませんでした。私の同僚はよく残業をするのですが、それ以来見ていないと言っています。早くにお寺に依頼してよかったです。それを聞き入れてくれた社長にも感謝です。その役員の人も、それ以来、少し人が変わって、物腰が柔らかくなりました。本当はもう少し住職には厳しくその役員に言ってもらいたかったですが、それは除霊とは関係ないことですからね。。会社でこんなことにあって、除霊など受けるなど夢にも思っていませんでしたが、今ではいい経験ができたと思っています。どうも有難うございました。

    私は都内の一流大学を卒業して、一流の電機メーカーに就職しました。しかし、部長との相性が悪くて5年で退職し、次の会社は携帯電話会社に就職、そこでは所属したチーム内で嫌な目に遭い、1年で退職、次の会社、その次の会社でも、仕事内容が合わなかったり、上司と喧嘩したりして数年で退職してしまいました。45才になって、もう8社目でした。入社してしばらくは人間関係も仕事も順調なのですが、数年経つとどちらかがコケてしまうのでした。なぜ、こんなに上手くいかないのか、職場の生霊の影響なのか、中途挫折の因縁なのか、それとも前世で何かしでかした祟りなのではないかと思い、姓名判断の本や、高島易の本、四柱推命の本、その他スピリチュアル系の本等を読んで、この悪運というか、霊障?はたまた悪因縁?の解決のヒントを探していました。1年近く本を読んで思惟、試しに実践してみましたが、今勤めている会社も辞めそうだったので、自分には見えない世界に原因があるのなら、一度その道の専門家に鑑定してもらおうと思って天光寺に行きました。まずは電話で相談すると、一度お寺に来てくださいと言われました。霊視・浄化・浄霊・除霊と進む内容についても説明を受けたので、少々値段は張りますが、数万円で済む他の除霊師に頼んで何も解決にならないよりは、ちゃんとした専門の施設で一度に解決した方がよかろうと判断し、天光寺を選びました。

    その結果は正解でした。天光寺に行くと、応接間に通され、申込用紙や家系図を書きました。その後、年配の僧侶が入って来て(後から住職だと分かりました)、30分位、私の悩み・経緯を聞いてくれました(その間も霊視されていたようでした)。応接間の隣の部屋には、沢山の仏像が安置されていて、そこに案内されました。そこの空気感ははんぱなかったです。ぴんと張った空気を感じました。あのような部屋は初めて見ました。この部屋に入ると、霊障の症状がひどい人は、泣き出してしまったり、そもそも部屋の入口で立ち止まってしまうそうです。私は、難なく入ることができたので、そこまでひどくはないのだろうと知り、少し安堵しました。次に一つ下の階にある広い畳部屋に通されました。そこでは、お地蔵様、観音様、不動明王様、大日如来様の仏像が安置されていました。真言宗は、大日如来様がご本尊と聞いていたのですが、その通りでした。ここの大日如来様は穏やかで優しい顔をしていました。その大日如来様の前に座り浄化・浄霊を受けました。自分が浄化・浄霊されている感覚は全然なかったのが残念でした。そのまま、除霊に移行し、住職とその弟子がお経と太鼓を叩き始めると、体に振動が響き、最初はびっくりして体がびくっと動いてしまいました。前に、天光寺のホームページで見た除霊の動画のように泣いたり動いたりはしませんでしたが、お経を聴いていると、頭上の方にかすかに何か霊みたいな、そうでないようなものを感じました。少しそれがうごめいた後、上の方に逃げていくのを感じました。除霊が終わり、住職から、もう大丈夫と言われ、これまでの緊張感が一気にほどけ、力が抜けてしまいました。また何かあったら来なさいとも言ってもらえたので、とても心強かったです。どういう霊が憑いていたのかは言ってくれませんでしたが、言うと気にしてしまうからだと暗黙のうちに分かりました。気にしてしまうと、その霊をまた呼んでしまう可能性が高くなる、ということです。ここに来て、霊的なものの仕組みを垣間見ることができました。興味深くもあり、しかし恐ろしい世界だと思いました。とにかく、全国からこの天光寺に除霊に来る理由が行ってみて分かりました。最初から良いところを選べた自分は不幸中の幸いでした。

    今日で五日目の体験修行ですが本当につらい五日間でした。最初は軽い気持ちで少し頑張れば今までの自分から何か変わるんじゃないかと思ってこのお寺に来ました。しかし実際に来て一日目からもう何も変わらなくていいから逃げたい、帰りたいと思いました。辛いです。私は今まで怒られないようにうまくかわして生きてきたため注意されることもあまりなかったです。そんな自分を変えたいとも少しだけ思っていました。

    新しい環境では、今までの自分の生活とは違うため注意されることも多いです。私はそれがかなり辛かったです。普通の人よりも何倍もメンタルが弱いので少しの注意でも、その人と話せなくなるし恐怖と不安で涙が出てしまいます。ここに来てからも人と話すたびにしんどくなって何回もトイレや更衣室で泣きました。今まで人目が怖くてすごく濃いメイクをしていたし洋服にも力を入れていたので常にすっぴん、ダサいジャージの恰好なところも自分の自信を無くします。大人の人たちに「暗い」とか初対面で「いじめられたの?」と言われると私ってそんな風に見られているんだと悲しくなりました。誰よりも自分の容姿が嫌いだし下に見られないようにメイクもたくさん研究したので辛いです。もちろん滝も辛いし怖いけど人と関わるのよりも我慢してれば必ず終わるのでましです。よく人から言われたことを重く受け止めるなと言われたりしますが私にはそんなことできないのでうらやましいです。でも私もそんな風になりたいです。考えそうになった時、他のことを考えようとしても全然できません。ですが心の弱さも今となっては大切なことだと思います。変わりたいけど変わらなくてもそれが私で良いと思っています。

    泣かずに寝れた日はないくらい辛い日々ですが、うれしいこともあります。それはお寺の方が一生懸命向き合って話してくださることです。昨日も私が泣いていた時、お寺の方が励ましてくださったし気分転換に焚火にも連れて行っていただきました。また、私が調理場の靴をそろえた時に凄く褒めてくださってちゃんと見ててくれる人はいるんだなと思いました。お寺の方がいなかったら私は絶対にどうにかしてこのお寺から、自分から逃げていたと思います。ありがとうございます。辛い辛いと言っていますが自分の直さなければならないこともたくさんあって、辛いときに人のせいにしてしまったり、自分に甘かったり、いつも一歩引いてしまったり、考え過ぎてなかなか行動に移せなかったり、すぐ泣いたり、、、本当にたくさんあります。

    至らないところばかりでたくさん迷惑をかけてしまっていると思いますが最終日まで頑張ります。

    依存症で困っていました。高校生のときに、自律神経失調症になり、心療内科に通うようになりました。その時を境に、対人恐怖が始まり、さらには、なんだか自分が自分でないような性欲を感じるようになりました。親は、脳の病気だろうと言っていたのですが、僕は、性欲を解消したいと思っている悪霊が憑依したのだと思っていました。自分が弱っているときにそういうのにかかりやすいと本で読んだことがありました。それからは、社会人になってからもギャンブルや風俗にはまってしまいました。親の勧めもあり、依存症専門の入院施設に1年位お世話になり、心が落ち着いたので、大丈夫だと思って退院したのですが、半年くらいして、堰を切ったようにやり始めてしまいました。最近は、霊から話しかけられたこともあり、このままではいけないと思い、何でも話せそうな、駆け込み寺をやっているお寺を探している中、天光寺を見つけました。

    相談してみると、やはり依存症は霊障の場合がよくあるそうで、早速行くことにしました。頭の中で特定の女性について性的な妄想をしてしまうことも話すと、お寺に除霊に来たある女性の相談者の話をしてくれました。遠回しに、そのようなことはしない方が良いと諭してくれたようでした。除霊では、すごく体に響くお経を聞いて、不動明王の真言で私の体を清めてくれました。色々なお経を聞き、中には心に刺さるお経がありました。最後の方では、私にやはり悪霊がまとわりついていたようで、そういう悪霊退治用のお経を聞きながらすごい激しい太鼓の音とともにずっと目を閉じて仏様の前で手を合わせていました。一体、どんな悪霊がついているのだろうかとドキドキしていました。最後は、別のお坊さんが私に密教ヒーリングというものをやってくれました。30分位、椅子に座って、目を閉じているだけです。足や腕のつぼを刺激されたときはいた気持ちよかったです。ヒーリングでは、よい気を注入してくれたのですが、私は鈍感なので何も感じませんでした。除霊を担当してくれたお坊さんは、あなたは邪気が沢山溜まっているので、塩と酒をお風呂に入れて入った方がよいと勧められました。確かに、ギャンブルや風俗だけでなく、仕事でもいろいろと戦ったりして、大変な思いをしていたので、殺気みたいなものがたまっていたのだと思いました。

    家に帰って早速、スーパーで海の塩と、米だけで作ったお酒の大きな紙パックを買ってお風呂に入れて入ったところ、ものすごく体が温まり、皮膚も塩で浄化された感じがして、あれから定期的にやっています。また、ギャンブルや風俗に行きたい気は前より薄くなりました。完全には無くなっていないのですが、寺でもらった生活の仕方のような紙に書いてあったことを実行していると、あまりそういう気がおきないのです。薬だけに頼っていてはいけなくて、普段の生活の仕方から変えていかないといけないことに気づけたのでありがたかったです。

    僕は天光寺に来て、たくさんのことを行い、学びました。天光寺では朝6時に起きて夜は8~10時の間に寝ました。寝る時間は家だと大体一緒だけど起きる時間が早かったです。いつもより早く起きるとその日が気持ちよく感じました。なので、家でもなるべく早起きしていきたいです。そして、6時くらいに起きると布団の片付けをして掃除をしました。僕は1階の床とトイレを掃除しました。掃除をすると部屋がきれいになり少し、気持ちもすっきりしました。毎日の掃除もすごく大切だと思いました。

    滝行は、お寺に来た人達と一緒にやりました。きつかったけど他の人も声を出してくれて少し楽になり、助け合いもすごく大切だと思いました。終わった後はすごくすっきりしました。お百度参りは全部で3回やり、1,2回目は5人くらいでやり、最終日は1人でやりました。個人でやる行ですが、やはり1人でやるのはとても違うと感じました。食前の言葉は言わないと思いますが「いただきます」を言うときには食前の言葉の意味も込めて言おうと思いました。ごはんの準備や洗濯はいつもお母さんがしてくれているので、あまりしていませんでした。家族は7人なので毎日朝、昼、夜のご飯の準備や7人分の服や布団、タオルなどを洗濯しているのでとても大変だろうなと改めて思いました。

    天光寺ではたくさんの人に出会いました。来た人の話をお寺にいたたくさんの人に聞きました。聞いた話では、小学4年生くらいで仲がとてもよかった友達が急に話を聞いてくれなくなり、中学生位までずっと家にいて、リボン結びやクイックルワイパーを使った掃除、食器洗いなどもできなかった人がいることなどを聞きました。その他にも、様々な人の話を聞き、いろんな人がいるなと心から思いました。

    毎日やった瞑想では、これからの新しい自分を吸って、今まで自分の中にあった良くないことや悪い考え方などを吐くという意味があると言っていました。それを意識して瞑想をすると終わった後にとてもすっきりしました。瞑想はどこでもできるので家で空いた時間や寝る前などにやってみても良いなと思いました。

    天光寺では、心の持ち方を学びました。何事にも悪いほうばかりにとらえないということです。例えば治る病気も、この病気はずっと治らないと思っていると治らなかったり、何かの試合などでも勝てないだろうと最初から思っていると本当に負けてしまうことです。なので今後何かの壁にぶつかってもプラス思考で考えていきたいです。天光寺では挨拶や返事、姿勢の大切さも学びました。毎日気持ちの良い挨拶をするだけで気持ちよくなれると思いました。返事はする場面がたくさんあるのでそれをきちんとするだけでしっかりとしている人に見えたり、した人もされた人も気持ちが良くなると思いました。姿勢だけでその人がどのような人かが分かるので姿勢もとても大切だと思いました。天光寺で学んだことを生かし、今後は挨拶や返事、姿勢や声の大きさ、心の持ち方に気を付けて、起こることに向かっていきたいです。

    私は今回初めて、一泊二日で修行を行いました。正直来る前は滝行などをやってみたいという気持ちもありつつ、心のどこかで不安な気持ちもありました。ですが、実際にこの二日間で体験したことはそのほとんどが人生でやった事のないものばかりで、なおかつ、その一つ一つが自分と向き合う、雑念などを取り払い、前向きに何かを取り組むための修行のように感じ、本当に有意義な時間でした。

    具体的にはこの二日間で、瞑想、書経、お経を唱える、お百度参り、滝行、寺全体の掃除、そして先生からの教えを学ぶなどを行いました。実際にこれらの事を体験し、自分が何か困難なことや苦しい事があった時にも背中を押してもらい、前向きになれるものであったと思います。また、先生からの教えで特に印象深かった部分として①人生を積極的に取り組むか否かで運を左右する。②人間力とは困難に立ち向かう力のこと。③マイナスの事を考えたり発言などはせず縁(人脈)を大切にする。の三点です。実際に今を生きている中で決して今の状況に不満を抱いている訳ではありませんが、今回修行の目的でもあった「今の自分を磨き、人間として成長したい」という目的を果たすための今後の考え方を学べたように思います。

    実際にこれまで24年生きてきた中でも、自分が何かに積極的に取り組み行動した時、また困難な事に挑戦した時に、大きな成長が出来たと思い、今後も自分自身の人生をより良いものとできるように、仕事面では独立開業等でより自分らしく生き生きとしていきたいと思いました。また、仕事面にも関連することでもあり、今後関わる人との人間関係に恵まれるかどうかに関係しますが、自分の発言や姿勢など他の人から見ても素敵だなと思われるような、良い縁に恵まれるような人間にこれからも成長し続けたいと思います。

    長くなりましたが、二日間で学びを得た事は非常に大きかったです。本当にお世話になりました。ありがとうございました。

    1年前に、父が急死しました。コロナ下でしたので、お経もあげられず、火葬されてしまいまして、それ以来、私を含めた子供に霊障がでるようになりました。父の体が悪かった箇所が痛くなったり、静かにしていると左肩の方に気配を感じたりしました。私の姉は霊感が強く、はっきりと、これは父だと分かっているようでした。父があの世でもかなり苦しんでいて、私たち子供に助けを求めているようでしたので、普通のお寺ではなく、除霊やお祓いを専門にやっていて、先祖供養もやっている天光寺を頼りました。

    父に早く成仏して欲しいと相談すると、位牌を用意してくれて、祭壇の前で先祖供養をしてくれました。住職のお経を聴いていると私たちまで心が落ち着きました。天光寺での供養が終わり、自宅での供養の仕方、どのような心持ちで供養したらよいかも教えてくれたので、家に帰って早速やりましたところ、その日から、霊障と感じていたことが私にも姉にも起きなくなりました。供養というのがこんなにもすぐに効果が表れるのだと驚くとともに、住職の霊能は本物なのだと思いました。一番大事なのは、私たちがしっかりして、父に安心してもらうことですから、これからは毎日仏壇に手を合わせながら、父に安心してもらえるよう、頑張っている姿を見せていきたいと思います。父に成仏してもらえて本当によかったです。有難うございました。

    私は保育士をしており、来年4月から新しい保育園に移る予定でおり、50才になったのをきっかけに、霊視してもらって何か問題があれば、除霊してもらってから新しい職場に移ろうと思って天光寺に行きました。

    私が子供の時の家庭事情はすさまじく、私と兄は母から虐待を受けており、兄からは、性的ないたずらをされました。出入りしていたベビーシッターからも性的虐待を受けていました。父は、大学病院の医者をしており、近所では、お金持ちのお医者さん一家という目で見られていましたが、実際の家庭の中はすさんでいました。父は仕事が忙しく、子供のときにあまり遊んでもらった記憶がありません。私が18歳になった年に、父は突然死しました。その後もずっと母の暴力は続いたので、私は大学を卒業して社会人になると同時に家を出ました。兄と母には、悪魔が取り憑いているように見えました。二人のお陰で、精神科にずっと通い、いまでも抗うつ剤を飲んでいます。私の家は虐待や暴力にまみれていましたが、本当に悪霊のせいだったのか?父が突然死して、不審だったのか、検死されました。そんな可哀そうな父がちゃんと成仏できているのか? 中学生のとき、腕をひっぱられたり、首を絞められたりという霊障を寝ている間に体験しましたが、その時の原因は何だったのか?そういった疑問を転職前に解決しておきたかったのです。

    母にも何か憑いているんじゃないかと思っていたので、渋々の母を一緒に連れて行きました。最初の段階で、私と母は、座りながら合わせていた手が自動的に動き始めてしまいました。私は小刻みに動くだけでしたが、母は、体全体が揺れて倒れ込みそうになりました。苦しそうにもがいていましたので、私はそれを見て、やっぱり悪魔か幽霊が取り憑いているのだろうと思いました。その後、二人で仏像の前に座り、除霊が行われました。除霊っぽいお経が唱えられ始めると、母はうめき声を上げました。私は問題なかったのですが、(後から、あなたは神気持ちだと言われましたが)母には悪霊が憑いているので、本格的な除霊が始まりました。まさか母がここまでひどい反応を示すとは思っていなかったので、とても驚きました。この世のものとは思えないような嗚咽や絶叫がありましたので。除霊の担当のお坊さんが、悪霊が出るようにと、母に言葉を浴びせ始めました。母と言うよりは、中に入っている悪霊に向かってです。母を横にして、お腹や胸を上から押したり、深呼吸して一気に口から息を吐き出させたりしていましたが、一向に悪霊が出てくるような気配はありませんでした。最後に、黄色い大きな紙に、お坊さんが赤い墨汁で呪文のようなものを描いてくれました。それは霊符というものだそうです。それを母に向けて、母はその霊符の後をついてお寺の外に出ました。そこでは、霊符を燃やしながら悪霊が出るように悪霊にずっと話かけていました。霊符が燃え尽きると、母は大分楽になったようでした。それまでの格闘で大分へとへとになっていましたが。邪気がまだ大分残っていると言われました。天光寺で講座を開いているヒーラー養成講座に通うとよい、それで自分に良い気をいれることができるようになるので、と言われました。このお寺は、除霊について本当に詳しいお寺なのだなと思いました。それから、先祖供養は別途やった方がよいと言われましたので、その時はどうぞ宜しくお願いします。

    私は足腰の重さと痛みに悩まされていました。

    何年にもわたり、整形外科や整骨院に通いましたが、改善されず、年のせいだと思っていました。

    でも、最近、孫が生まれ、二階建ての家で、孫が二階に寝るので、常に暗視カメラの赤外線で、夜、寝ている孫の様子を見る様になりました。すると、オーブのようなものが写るようになり、また、ある日、バチっと音がして照明が明るくなりました。その10秒後に、バチっと同じ音がして、元の照明の明るさに戻りました。それ以外に、娘が見ていましたら、私が孫の部屋近くのお風呂に入る時に、オーブが現れたと言っております。偶然なのか霊の仕業なのか分からず、天光寺さんに相談させていただきました。

    お祓いの前に住職様とお話をして、なぜ体が痛くなったのか、オーブが映ってしまうのかなどの理由を説明していただきました。霊道や疲れやストレスなどが溜まり体のバランスを崩すという理由が多いと言っておりました。

    お祓いの最初は住職様の声が入った特殊なCDを聞きました。聞いているうちに体が温かくなりました。それと同時に両足に電気が流れているよな、しびれているような感覚がありました。しびれがやっととれたと思ったら体が浮いているような不思議な感覚がありました。CDが終わり住職様に感想を聞かれ、感じたことを伝えると体にたまった悪い物がすこしずつ抜けている証拠だと言っておりました。お経が始まるとさらに体が熱くなり、お腹がぐっと押されているような感覚でした。足が痛く正座ができなかったため座椅子を貸していただいていたのですが力が抜けて何度も椅子からずれ落ちてしまいました。お経とともに太鼓と鐘が鳴っているときは、全身を押され、動かされているような感覚がありました。音が止み、住職様が体についていた邪気を取ってくださったと同時に足腰の痛みがなくなり、自分で痛みなく立つことができるようになっていた時は驚いてしまいました。その後、背中を押してバランスを整えるマッサージをしていただき、さらに体が軽くなりうれしかったです。最後にしていただいた癒す効果のある施術は、全身を優しく包まれているような優しさを感じました。今までの体の痛み、悩みや考え込み過ぎていたこと、それによって人に対して感情が過剰に出てしまっていたことがありましたが、これからは冷静にそして人にやさしく接することが出そうです。住職様に教えて頂いたとおり変に気にし過ぎないようにしていこと思います。

    この度は、お祓いしていただきありがとう御座いました。また何か御座いましたら宜しくお願い致します。

    僕がここに来た理由は、学校に行かなくて家でも何もしない自分を、学校に行き、家に手伝いなどをしっかりするような人に変わる為に来ました。

    一日目は、お百度参りをしました。床は冷たいし外は寒いのでとても苦しかったです。お百度参りのあとは滝行に行きました。水は冷たく、滝に当たると痛く、外の声はほとんど聞こえませんでした。でもほかに来ていた人たちが大きな声で応援してくれて、滝行を終わらせてくれました。滝行の後に親に会いたくて泣きました。親に感謝をあまりしてなかった自分が感謝して、少し成長できたかなと思いました。

    二日目は、滝場の落ち葉拾いをしました。「サンダルで石を踏むと痛いので端に寄せましょう。」と言われ、帰るときに石を端に寄せました。他人への気遣いも大切だと思いました。お寺の周りの落ち葉も拾いました。久々にかがんで腰が痛かったですが、毎日仕事をしている親の方が大変だとわかり、また親に感謝することができました。

    最初の二日間でしたが、自分よりも頑張ってくれている親がいるので、もっと感謝しなきゃいけないと気付くことができました。親にずっと頼らず、「何かしたほうがいいですか。」と自分で考えてやれるようなことはしっかり自分で決断できるような決断力のある人になれるように努力します。そして自分の悪い面を素直に反省し、謝ることができないので、できるようになります。

    1年以上付き合っている彼女は、水商売をしています。仕事柄、朝まで色々な男性と接するのでかなり不規則な生活をしています。ここのところ、寝ても疲れがとれず、起き上がれないほど首こり肩こり片頭痛で苦しんでいました。おかしなほど疲れていました。今は、千葉に住んでいるのですが、以前は北海道に住んでいて、その時にパニック障害で病院に通っていた経験があります。彼女の体調不良は、私個人的には、おそらく、水商売で色々な男性から悪いものをもらってしまっているからなのでは?と思っていました。整体やマッサージに行かせても治らず、ヨガにも通うように行ったのですが、私はそういうのは嫌いだし続かないからと言って行きませんでした。そのうち、悪夢でうなされ始めてきたので、一緒に寝ている私まで怖くなってきました。寝ている間に、彼女の声とは思えないようなうなり声をあげたからです。まるで獣だか、映画に出てくる悪魔のような声でした。

    お寺なら色々打ち明けても安心だと思い、東京で駆け込み寺をやっている天光寺に行くことにしました。彼女には檜原村の観光がてらお寺に行って御朱印をもらおうと言って連れて行きました。緑と渓流がきれいな土地でした。お寺は、駅から大分離れていましたが、周りには民家等はなく、プライバシーが確保されていましたので安心できました。当日、予約なしで行ってしまいごめんなさい。たまたま、時間に空きがあったようで、お坊さんに彼女を見せたところ、お祓いした方がいいと勧められましたので、すぐにやってもらいたいと頼みました。案の定、お祓いの部屋に移ると、彼女が挙動不審になりました。目の焦点というか、どこを見ているのかよく分からず、顔と頭が少し揺れていました。もしかしたらこれはうなり声を上げたあの悪魔に憑依されているのではないかと思いました。祭壇に置いてある木の仏像を見ると彼女はまたあのうなり声をあげました。あぁ、と思いました。この時、彼女のことを別の目で見てしまったことを今では恥ずかしく思います。除霊の最中、彼女は腕や足をバタバタして押さえるのが大変でした。弟子のお坊さんらしき人が押さえていたのですが、1人では足りず、私も手伝いました。除霊が終わって住職に聞くと、彼女がアメリカに旅行に行ったときにもらってきたキリスト教で言う悪魔が憑いていたそうです。除霊の最中、住職が憑いている魔物の名前を聞き出そうとしていました。

    除霊は慣れた様子でしたので、ここは間違いないと思います。終わった後、沢山のアドバイスをもらい、有難うございました。また彼女がおかしくなった時は宜しくお願いします。

    最近、みぞおちの辺りに違和感を感じ、内視鏡検査までしましたが異常が見つかりませんでした。寝ていると誰かに触られている感じがするので気持ち悪くなり、霊能力が有る人に見てもらったところ、今住んでいる家は、凶相の家であるだけでなく、場所も悪くて、霊が通る通り道になっていると言われました。私自身に霊が憑いているとも言われました。そのうち、家ではポルダーガイスト現象やラップ音が始まり、誰も何も動かしていないのに、物が落ちたり、音がバキッと鳴るようになりました。霊能者の人に言われてからなので、神経質になりすぎて余計気になるようになってしまったからだと最初は思っていましたが、録音機で録音したところ、やはり音がちゃんとはいっていたので、霊的な問題だと確信して、もう一度その霊能者の所に行きました。家に来てもらって除霊をしてもらいましたが、音は止まらず、違和感もなくなりませんでした。その霊能者は個人で開業しているような所でしたので、やっぱりこれでは無理だと思い、教会やお寺を検討しました。その中で、大分都心から離れているものの、おなじ東京都にある天光寺に相談することにしました。最初の霊能者に大分お金を払っていたので、まずは電話をしてみることにしました。すると、ちょうど除霊の担当の人と話をすることができ、相談・悩みを話しました。他の人の霊障の症例や、なんでそういうことになるのか等、色々説明して頂くことができました。他の霊能者にかかったことも話ましたが、特に宗派や宗教に関係なく除霊をしているとのこと、他の所で駄目だった人がよく来ることを話されていました。それでも私は疑い深くなっていたので、天光寺の体験修行を受けることにしました。滝行はとても辛い行でした。滝行をした後、気持ち悪くなってしまい、天光寺の除霊の担当のお坊さんに見てもらったところすぐに治りました。滝で私の中の異物が出ようとしたのかもしれません。他にも多くの滝行の体験修行者の人が居ました。ここなら大丈夫だと思い、数日後、除霊を申し込みました。

    家の写真を撮ってくるように言われたので何枚か撮ってもっていき、霊視をしてもらいました。写真はお焚き上げしてもらうことにし、私自身の除霊をしてもらうことにしました。除霊はずっと座ってお経を聞いた後、太鼓やドラのような物を叩きながらどこかで聞いたことのある呪文を唱えてもらいました。その後、お腹や首元を押してくれたり、深く息を吐き出したりしました。最後に、ヒーリングをしてもらいました。ヒーリングが終わると、みぞおちの違和感が和らいでいました。家を除霊してもらったわけではないので、家に帰るのが不安だと言うと、黄色い大きな護符を頂けました。これを家の気になる部屋に貼ってくださいとのことでした。出張除霊となると、相当高額になるので、私には支払えないので護符をもらえてよかったです。それを貼ってから、音は鳴るものの、あまり気にならなくなりました。除霊を受けて大分気分が落ち着いたのもあると思います。

    様子を見てまたおかしくなったら来てくださいとのことで、今感想文を書いている段階では特段大丈夫で、本当に天光寺に行って良かったと思います。

    心の持ちようが大切だと思うことが身に染みてわかる二週間でした。

    また、SNSやテレビがないからこそ自分や他の人と向き合うことができました。

    自分と向き合うのはすごく難しく辛かったけど、そのおかげで直さなくてはいけないところや改善するための方法、分析がたくさんできました。これからもこれらを続けなければならないと思いました。

    私は、自分を変えることが目標でした。「変える」というのは私の弱みであるメンタルが弱いところを直すということです。この二週間で他の人が気付くほどに変われたとは思いませんでしたが、自分の中では少しずつ頑張れています。これからたくさんの人と出会うと思うけれど自分なりに頑張っていきたいです。

     

    私は白血病でもないのに、5年前から髪の毛が抜け始め、布団の枕カバーに沢山ついたり、ドライヤーで髪の毛を乾かしてるときに、ボロボロと抜けて、床一面が抜け毛だらけになっていました。髪の毛の抜ける本数が日に日に多くなっていき、天光寺に来る直前には、頭皮が髪の毛の間から見える状態にまでなってしまいました。皮脂の分泌が多いので、それのケアはちゃんとしていました。食生活も気を付けていましたので、何が原因なのだろうと思ってクリニックに行っていましたが、薬を飲んでも一向によくなりませんでした。

    ご先祖様の因縁とか、何かを知らせようとしているのか、それとも誰かに恨まれているのかなどと思いはめぐるのですが、あれこれ考えていても堂々巡りで正解は分かりません。そこで霊能者に見てもらうと思って、ネットで探しました。霊能者を選ぶときに思ったのが、何かのせいだと分かるだけでは何にも解決しないので、それを解決できるところを探しました。ちゃんとした宗教をやっているところで、真言宗で除霊を本格的にやっていそうな天光寺にすることにしました。ここでは、除霊だけではなく、歩けなかった老婆が歩けるようになった動画があり、肉体的な問題も得意なのかなと思ったからです。

    実際に会って相談内容を話したところ、仕事や彼氏のことで色々気にしすぎている、神経質でこだわりが強いのではないか?と指摘されました。除霊はやったほうがよいと勧められたので除霊を受けました。話している感じでは、どうも髪の毛が抜けるのは悪い霊とかの仕業ではないようでしたが、歩けなかった老婆の動画や、天光寺でやっている密教ヒーリングで体調不良が治ることを読んでいたので。最初にCDに録音されているお経のような歌を聴きました。何を言っているのかさっぱり分かりませんでしたが、随分と頭の中に響く音で、聴いているのが辛かったです。次にお坊さんがお経を唱えてくれました。私は祭壇の前に座って手を合わせて聴いているだけなのですが、その間、私の頭の後ろの方から何かがヒューッと離れていくのを感じました。最後に密教ヒーリングをしてもらったのですが、これの最中はもっと凄くて、頭だけでなく、腕やお腹、肩の中に、何か重たいぶよぶよしたものがあったのが、足の方に流れて行くのを感じました。ぶよぶよしたものは、感じるまではそこにあるとは気づいていませんでしたが、動くと気づきました。特に、頭の中に、シャボン玉位の大小さまざまな丸い球状のぶよぶよが入っていて、それが全部はっきりと頭の外に出ていくのを感じたことです。なんでこんなものが入っていたのだろうと思うと、人からもらった恨みとかが体内に残っていたのかもしれません。普段運動もしないので、そういうのがずっと折り重なるようにたまっていたのかもしれません。やはり天光寺にしてよかったと思いました。除霊は2時間くらいかけてやってもらうことができました。15万円は高いですが、ここまで丁寧にやってくれるなら、何回も通うのではなく、1回で確実に済むのならよいと思います。時間があれば密教ヒーリングを教えてもらいたいと思っています。

    二か月ほど前から度々体が震えたり、気を失ってしまったりしており病院へ行っても原因が分からなかったため、天光寺さんに相談させていただきました。

    来る途中は何もなかったのですが、お寺に近づくと体が震えだしお寺の方に手伝っていただきながら入りました。ご住職様とお話をした後、仏さまのいらっしゃる部屋に連れて行っていただくとさらに体が震えてしまい、ひとりでは立つこともできなくなってしまいました。

    お祓いが始まり、お経が始まると自然と涙が出てきて震えも止まりませんでした。途中から急に体の震えが激しくなり自分では動かしていなくても勝手に動いてしまうという印象でした。しかしだんだん治まっていくと今度は体が温かくなり、頭から何かが抜けるような不思議な感覚を覚えました。気が付くと体の力が抜けていき、震えも止まっていました。ご住職様に体のバランスを整えていただいた後、立ってみるといつも以上に体が軽くなり、とてもすっきりしました。お話によると成仏しきれなかった霊が憑いていてお経中の涙は仏さまに対しての訴えだったようです。私はあまり霊的なものを信じ切れていませんでしたが、実際に自分の身になってみると考え方が変わりました。

    天光寺のご住職様をはじめとする僧侶の皆様方、この度は除霊していただきありがとうございました。

    3年前から仕事のストレスでお酒を飲む量が増え、こないだの健康診断では要精密検査になってしまいました。どんどん量が増えていき、飲まないと気分が落ち着かなくなり、お酒が切れると、指や首が震えるようになってしまいました。やめたいのに、どうしてもお酒を飲みたくなってしまっていたのです。健康に悪いし、友達にもそう言われていました。たびたび、酔いつぶれて友達にも迷惑を掛けてしまっていて、そういうときは必ず自己嫌悪に陥っていました。そんな中、アメリカのアルコール中毒患者の更生についての番組をみました。中毒で入院してしまっていること、皆、忘れたいことがあってお酒に走り、そのうち、お酒がないと気分が良くならないということが共通していました。色々な人に相談したところ、霊障かもしれないと年配の人に言われ、ネットで検索して天光寺にたどり着きました。

    相談してみると、私と同じような人以外に、薬中毒の人、モルヒネ中毒の人、多くの人が天光寺に来ていることが分かりました。実際に、モルヒネで体の震えが止まらなくなってしまった人が、天光寺に来て、除霊とヒーリングをしたら、震えが止まったという話を聞きました。悪い霊だけでなく、神霊が身体に入ってしまって、色々とおかしくなってしまうこともあるそうです。興味深い話を聞いた後、除霊をしてもらうことにしました。除霊中は片頭痛がずっとあり、早く横になりたい気分でしたが何とか終わるまでじっと座って頑張りました。次に、椅子に座った状態でヒーリングを受けました。それで大分、体がすっきりして、内臓、お腹の辺りに溜まっていたなにか得体のしれないもっさりしたものも無くなりました。大分、邪気が溜まっていたと、終わってから言われました。仕事のストレスでしょう。きっと同僚等を蹴落としたり、社内のいざこざで人を恨んだり恨まれたりが続いていたのできっとそれが悪い気を生んでいたのでしょう。それを紛らわすために、仕事が終わるといつもお酒に浸っていた自分が客観的に見えてきたのは、天光寺に来て色々な話を聞いて、最後にヒーリングを受けたからだと思います。ヒーリングで、良い気を入れて悪い気を出してもらえてよかったです。2時間半ほど、みっちりと除霊・ヒーリングをやって頂いて15万円なら高くないなと思いました。ここはヒーリングの指導者講座も開いているので、腕は信用できると思います。私に悪い霊が入っていた訳ではなく、生霊や邪気が体中にまとわりついていたようです。真っ当な生活を送れるように、お酒の量を自分でコントロールできるように、病院に通うことを決意しました。

    お世話になりまして、有難うございました。

    私は、統合失調症です。精神科に通っており、先月までは入院していました。入院していても、精神科で薬をもらっても、症状が良くなるどころか、悪くなる一方でした。両親と相談して、退院して、代替療法を探していました。症状は、幻聴が聞こえるだけだったのですが、入院している最中に、霊が視えたり、幻覚が始まりました。幻覚には真っ黒な、昔テレビで見たような悪魔(サタン)が出てきていました。幻覚には見えず、実際に私が襲われているような感覚がありました。そのことを両親に話したら、もしかして霊障なのではないか?という話がでました。退院後、まずは、除霊をしてもらった方がよいだろうということで、インターネットで探したところ、母がお寺を見つけてくれました。それが天光寺さんでした。

    天光寺さんに電話すると、住職と思われる人が電話に出てくださり、話を聞いてくれました。お寺には、そのような人が沢山来る、そしてその中には、精神病ではなくて霊障で症状が出てしまう人がいるということ、除霊を受けた方がよいと勧められ、藁もすがる思いで、申込をしました。当日は、3人でお寺に行き、霊視をしてもらいました。すぐに除霊をしましょうということになり、緊張が高まりました。最初にCDで音楽と人の声が入ったものが流れました。何語だかよく分からなかったのですが、後から住職に聞いたところ、神言、マントラというものでした。そのCDを聴いているとどうも息がつまる感じがしてきたのです。おそらく、私に憑いているサタンが苦しんでいたのでしょう。CDが終わり、祭壇の前に移動すると住職が日本のお経を唱え始めました。手のひらを合わせて座っていたのですが、無意識に合わせた手が小刻みに震えてきました。一体どうなっているのか、自分でも全く分かりませんでした。なぜか自動的に震えてしまっていました。その後のことはあまり覚えていません。一緒にいた両親から聞いた話によると、カナ切り声をいきなり上げた後、「許してください」と叫んだそうです。その後は、横にさせられ、お腹や胸を押されました。住職が私から悪魔を引っ張り出すために色々と方法を試していたようです。その間、一瞬でしょうか、何か黒い大きなもやもやしたものが、天井の隅の方に、ぴゅっと飛んでいくのが、目を閉じていたのですが、脳裏で、あの幻覚のように見えたのです。その時、あぁ、悪魔が出て行ったなと思いました。

    除霊が終わってからというものの、霊が視えたり、幻覚が視えたりすることは止まりました。人の声は相変わらず聞こえるものの、そのことについてはアドバイスを頂いたので、その通りに今は過ごしており、気がとても楽になりました。薬の量も半分以下に減りました。私のように精神科や入院してもよくならない場合は、霊障の場合もあるということを皆さんに伝えたいです。天光寺を探してくれた両親にも感謝できるようになりました。天光寺のお陰です。有難うございます。
    今度は、滝行で来たいと思っています。その時は宜しくお願いします。

    去年の夏、富士山の方の自殺の名所になっている心霊スポットに行きました。その時に、浮遊霊か地縛霊が憑いてしまいました。右の肩と首の境目あたりに何かもわっとしたものがまとわりついていました。何かが聞こえるわけではないのですが、寝ているとその感覚が強くなるので、困っていました。遠方の有名な神社に、魔除けの祈祷をしてもらい、お札まで送ってもらったのですが、一向によくなりませんでした。それどころか、夜になると、体中寒気がし、体が重くなっていたので、怖くなりました。1週間その状態が続いていました。心霊スポットで少しふざけたような態度をとったのがまずかったのかもしれません。私の友人も、あれから少し体調が悪いと言っていました。除霊でGoogle検索すると、天光寺さんが色々なケースについて紹介していました。Youtube動画を見ると、時間をかけて本格的にやっていたので、東京在住であることもあり、天光寺さんに行きました。

    心霊スポットで地縛霊をもらってしまう人はよくいるそうです。絶対そういうところに行ってはいけないと注意されました。そういうところは、色んなものが吸い寄せられてくるので、自殺者なんかも吸い寄せられてしまうのだそうです。天光寺には、そういう人が沢山来るそうです。やはり専門家の人が具体例を話しながら説明してくれると説得力があり、自分が本当に行ってはいけないところに行ったのだということが分かり、なんであんなことをしたのだろうと、その時のノリに負けて行ってしまったことを後悔しました。どういう除霊をしてくれるのか気になっていたところ、Youtubeの動画とほぼ同じでした。1時間以上かけて除霊をしてもらいました。白いひらひらの紙が束になっているやつで、頭の上を払うだけのお祓いと違い、お経や太鼓などを使って時間をかけていました。動画の中の除霊を受ける人と違い、私はのたうち回ったり叫んだりはしませんでしたが、もわっとしたものがまとわりついていたのが、いつの間にか無くなっていました。最後の方に、うつぶせになって背中を押していくというのがありましたが、あれは効きました。体の中の悪い空気が口から出て行きました。そしてその晩から夜寝ているときも、大丈夫でした。今度は、私の友人にも天光寺に行くように言うつもりです。有難うございました。

    修行を通して、自分は人生というものを、色々学びました。感謝の気持ちを知ることができました。

    夏休みに、良い修行となり根性が強くなりました。一日だけでしたが自分に自信を持つことができました。

    これからは、この経験を生かして困難に立ち向かっていきたいです。

    最後に、人生とはこういうものなのだな、、、と、教えてくださったこの天光寺に、感謝を伝えたいと思います。

    人生で、とても大事な事を、教えてくださり本当にありがとうございました。

    この経験を、使ってどのように生活していくか、どのように生きていくかを、教えてくれてありがとうございます。

    滝行は、辛くても最後まであきらめずにやり抜く事が出来ました。天光寺はいい思い出になりました。

    自分は、人生の負け犬にはなるわけにはいきません。人生の主人公になって見せます。

    お母さんの言うこともちゃんと聞いて、宿題もちゃんとやります。明日から、このような事を全うしていきたいと思っております。

    積極的にお手伝いをしたり、ごみ捨てや、色んなことをやっていきます。今回は、一日だけでしたがとっても良い経験になりました。

    これからは、こうしたらこうなってしまう、、、と、考えて生きます。

    寝ていると毎日、肩を叩かれた感じがして、目を開けても誰もいないので気持ち悪くなって天光寺に相談をしました。肩を叩かれた感じがするときは、どこかで見たことのある高齢のおじいちゃんの顔の輪郭と気配と臭いがします。なぜか、体臭まで匂ってくるのです。ご先祖様の守護霊であれば、このままでも良いのですが、もしそうではなく悪霊であればお祓いしてもらおうと思っていました。

    天光寺で霊視してもらったところ、除霊した方がよいとのことでしたので、勧められるがまま受けました。除霊中に、除霊の人が、お経を唱えている間、肩を触られる感覚が一回あったものの、その後、何かが私から離れていく気配を感じました。おそらく、その時に私に憑いていた霊が去っていったのだと思います。その晩から数週間は家で寝ていても肩を叩かれるようなことはありませんでしたが、今度は、足を触られる感覚が出てきてしまいました。今度は違う霊なのか、こないだの霊なのか、これはたまらないと思い、また天光寺に相談をしました。それでこのマンションに住んでいるのが原因だと分かりましたのでマンションに出張お祓いに来てもらうことになりました。

    2週間後に出張お祓いに来てもらい、住職とそのお弟子さん達が部屋に祭壇を設置して、お供え物の果物とかを置き、部屋のお清め、そしてお経を読みながらお祓いをしてくれました。これは本当に効きました。それ以来、今日に至るまで半年間、何も起きていません。追伸。そのマンションの住人から聞いて後から知ったことなのですが、私が住んでいる部屋の真上の階の部屋の高齢のおじいちゃんが2年前に孤独死していたそうです。エレベーターでごくたまに一緒になる位で、最近全然会わないなと思っていたら、亡くなっていたと聞きびっくりするのとともに、私の肩を叩いていたのはこのおじいちゃんだったのではないかと思いました。なぜ、私の所に来ていたのかは分かりませんが、値段が張りましたが出張お祓いに来てもらって本当に良かったです。私の周りの人で、不可解な現象が起きた時は、天光寺を紹介しますので、その際は宜しくお願いいたします。

    「自分が主人公」「腐っても耐え」といった言葉を聞き、今までの自分はどうだったろうと考えさせられました。

    自分にあまりに自信が持てず、消極的な部分を良くはないとなんとなくは思っておりましたが、具体的にどうすることも出来ず過ごしておりました。

    今回、そんな自分に何かきっかけのようなものが生まれればと修行体験をさせて頂きましたが、いい意味で常識だと思っていたこと、固定観念みたいなものが変わった気がします。

     

    まず「あいさつの作法」や「光明真言」、「般若心経」、「三糧」などの作法を教えて頂き、正直なところ少し浮ついていた気持ちを引き締められました。続いて行われた「お百度参り」、「滝行」これらについては今回のメインとも思っていたので、知識としてはなんとなく知ったつもりでいました。

    裸足でコンクリートの上を走ることについては、あまり不安もありませんでしたが「三禮」をした際に、足がつりそうになり、日ごろの運動不足を実感致しました。

    滝行では当日はお天気も良く、暖かかったのもあったので、予想以上の冷たさと滝の勢いにおどろかされたのをよく覚えています。冷たいというより少し痛いといったほどの水、自分の唱える御宝号と打ちつける滝の音以外が一切聞こえず、わずか数分間だけのはずが、途方もなく長く感じられました。また途中座る際に、足がつりそうになってしまったので、日常からもう少し体を動かそうと決心しました。

    滝に打たれている間は、冷たい水、滝の勢い、息苦しさなどとにかく苦しいという気持ちでいっぱいになりましたが、段々と一緒に参加された他の方々の御報法号が聞こえてきて、何か言葉には出来ない安心感のようなものを感じました。心のこもった応援や励ましというのは受けた側にとって、力になるものなのかなと思い、自分も他人に対して自然に応援できる人間になりたいと思います。お百度参り、滝行の後に般若心経の読経をさせて頂きましたが、一時間の長さと、読み続けることの苦しさを体感致しました。

    普段、故人のお通夜や告別式、法事などでお坊さんのお経を聞いてはおりましたが、これほど難しいものだとは思っておらず実際に自分で読んでいると息が続かず、息継ぎもままならずで散々な形となりました。何度も何度も読んでいると、段々リズムのようなものがつかめてきたと思う時もありますが、通してつまらず唱える事は最後まで出来ませんでしたがところどころ上手く出来たかなと思うところもありました。

    普段見つけたり、聞いているだけでは分からない物があることを身をもって知りました。そして、自分の中で日常に戻っても何とか練習したいと思った「写経」、筆を取るのはかれこれ二十年以上ぶりであることを差し引いても、あまり良くない出来だったので何とかしたい気持ちです。出来についてはさておき写経については二時間、その一点のみを考えて集中して過ごすことが出来ました。普段、この時ほど濃密な時間は無いので貴重な体験でした。

    そして聞かせて頂きいた法話、最初に書いた言葉が心に残っています。今まで自分に自信が無い為、人と仕事上であっても声がかけられないといった事がたくさんありました。しかしこの法話を聞き気持ちがとても大事であるという事、また短い日数であまり深くできたとは言えませんが、自分で決断して、自分で動いて、自分の意志でこの二日体験し最後まで出来たことは自分自身にとって小さくても確かな自信になりました。この二日間で得たものを明日からの日常に活かせるかは分かりませんが、今までの視点とは少し変わった視点で仕事や生活を送っていけると思います。また迷った時は、もう一度こちらをたずねる事もあるかもしれませんが本当にありがとうございました。

    先日、霊能力がある占い師に、生霊が3体憑いているから早く除霊しなければならないと言われました。私の親友は霊感が強く、その親友がお世話になっている占い師なので、信憑性があると思っていたので、大きなショックを受けました。それを聞いてから、逆に生霊のことが気になってしまい、眠れなくなってしまいました。夜寝ていると、声が聞こえたり、体を触られている感覚が来ました。その占い師は、除霊もやっているのですが、10万円かかると言われ、私には高いので躊躇していました。神社のお祓いはもっと安いので、神社のお祓いを探していたところ、天光寺をホームページで見つけました。天光寺は電話で問い合わせたところ、最低6万円からとなっていたのと(最後まで行くと15万円かかる)、動画を見ると本格的だったので、天光寺に行くことにしました。相談室で一通りのことを説明したところ、やはり除霊を受けた方がよいとのことでしたので、受けることにしました。

    仏像がある部屋で、最初は座ってお経のようなものが流れるCDを聞きました。その間、除霊の担当の人が霊能を使って見ていたのだと思います。その後、促されて仏像の目の前に座りました。そこでは、肉声でのお経(今まで聞いたことがあるもの)が読まれました。その際中、生霊の声がかすかに聞こえた気がしました。生霊は私が心当たりのある人物の声と似ていたので、きっとその人物だったのでしょう。除霊のお経が聞こえて反応があったのだと思います。後でその担当の人に聞きましたが、詳しいことは、心配するからと、話してくれませんでした。除霊のお経や、ドラの音などがすごかったです。金属の音等は、悪い霊が嫌うと聞いていましたが、その通りでした。ただ、その後、もう一度、最初に座っていたところに戻り、座布団を何枚も敷いた所に横たわって、除霊の担当の人が、お尻の方から背中にかけて、押していく間に、また生霊の声が聞こえました。私を笑っているようでした。でもそれはだいぶ遠くから聞こえる感覚でした。生霊というのは、今生きている人の霊なので、一回祓っても、その人との人間関係が悪いとまた来てしまうことがあるということをどこかで読んでいたので、気を付けないといけないと思いました。担当の人には、生霊以外には特に何も憑いていなかったと言われ、少し安心できました。そして、あなたには邪気が溜まっていると言われ、ヒーリングをしますからと言われ、今度は椅子に座りました。ヒーリングというのは、いい気を体にいれて、邪気を出すのだそうですが、私は何も感じることができませんでした。きっと鈍感なのだと思います。

    ただ、その後、家に帰ってから分かったことなのですが、着ていたTシャツを洗濯かごに入れる時、手がびりびりとしびれました。Tシャツを触ってしびれることは今までなかったのに、そうだったということは、邪気が身体の中から外に出て、Tシャツに濃厚な邪気が残っていたのだと思います。職場で人とすったもんだがあり、人を恨んだりすることが多かったので、邪気が溜まっていたのだと思います。奥が深いなと思いました。2時間以上かけて最後まで除霊してもらったので、15万円かかりましたが、このように丁寧に除霊をしてもらったので、ここで除霊を受けて正解だったと思います。

    ここのところ、人の声が頻繁に聞こえてきます。夜はラップ音がよく聞こえたり、寝ていると体を触られるように感じたり、更には、廊下をバタバタと走る子供の足音が聞こえもします。子供が2人おりますが、1人はまだ1歳で、夜中に廊下を走ったりはしませんし、もう1人は小学生ですがはなれの実家で寝ています。座敷童を疑っていました。一番困るのは、仕事先で、突然、周りに失礼な言葉が浮かび、口にしていないのに相手に伝わってしまい、相手側が強く当たってくる等して仕事で変なストレスがかかっていることです。ストレスのせいでめまいや、耳鳴り音が聞こえてきている状態でした。また、妻が寝ていると、天光寺のホームページにある除霊の模様を収めた動画のように、急にバタバタしたり、大きな叫び声を上げたりするのです。このままの状態が続くのは大変不安なので、動画で除霊の模様を公開しているので信用できると思い、天光寺に電話しました。

    電話口で、私の心配ごとを相談し、1週間後に家族3人で天光寺に行きました。上京するのは初めてでしたので、不安でしたが、早く除霊してもらいたい一心でした。駅からバスで40分の山奥にありました。除霊、お祓い、水子供養等ののぼり旗が沢山立っていたので、すぐに分かりました。お寺に着くと、お弟子さんと思われる若いお坊さんが部屋に案内して下さいました。手指の消毒や検温などしっかり対策が出来ていましたので安心な所です。山奥でとても寒かったので、熱いお茶が心にしみました。物腰柔らかなお坊さんが対応してくれました。除霊に入ると、妻が座ったままお経を聴いているときに、いつもの家で寝ているときにあげる奇声を発し始めました。そのまま床にごろごろ転がって苦しそうにうめいていました。その後、3人で仏壇の目の前に移動して、本格的な除霊が始まりました。大きな太鼓の音と一緒に呪文が唱えられていました。その最中、妻は本当に苦しそうにうめいていました。お弟子さんのお坊さんが妻を暴れないように、押さえていたほどです。本当に除霊の動画のようになってしまい、それが目の前に繰り広げられていることが信じられませんでした。妻の首に手を当てて何かを言った後、妻はもとの正気に戻ったようでした。3人ともヒーリングを最後にしてもらいました。3人であの値段でやって頂いたのはとても有難かったです。妻には何か悪いものが憑いていたので、それが抜けて安心しました。3人ともヒーリングでは、いい気を入れて悪い気を出して下さいました。私が聞こえるラップ音や人の声、体を触られる感覚については、神経質になりすぎると酷くなってくるから気をつけるようにと、それに波動を合わせないように、積極的で前向きな心を持ちなさいと教えられました。感謝。

    小さい会社を経営しており、自宅がオフィスになっています。娘がおり、リビングの隅っこに人が見えると言うのです。最初、半年ほど前に言ったのですが、気のせいだろうと思って、その時は本気にしていませんでした。しかし、今月に入り、娘がしきりに見える、怖いと何度も言うので、本気にしていなかった私と妻も怖くなってきました。子供の方が直感や霊感は強いと言われていますので。私たちが見ても何も見えないのですが、じっと目を凝らしていると壁に影のようなものが浮かんでいるようにも見えてきます。妻は、今のマンションに住んでから、金縛りによくあうようになったと言っていました。気味が悪いので、天光寺に電話して相談したところ、各部屋の写真を撮ってくるように言われました。その他にも気になることを相談しました。本当は、部屋を除霊してもらいたかったのですが、マンションで、周りの目が気になるので妻が嫌がっており、結局、家族3人で天光寺に伺うことにしました。

    写真を見てもらいましたが部屋には大きな問題はないとのことでしたのでひとまず安心しました。何か問題があるようなら、家に安心して戻れないですから。そのまま除霊お祓いを受けた方がよいとのことでしたので、3人で横並びに座ってお経を聴いていると、隣に座っていた妻が動いている気配がしたので目を開けると、両手を組んだまま激しく上下に動かしていました。意図的に動いているようには見えなかったので、すごくショックでした。人がこういう風になるのは初めて見ました。どうやら除霊お祓いをしてくれた住職の話を聞くと、私と娘は問題がないようで、妻のみ除霊を続けて受けることになりました。相談室で、住職が3人に手をかざすと、妻が大きく動き、娘は少し動き、私は全く反応しなかったのですが、どうやら妻が一番敏感だったようです。仏壇の前に座布団を何個も敷き、お経の間、妻は座ったまま、ゆらゆらゆれたり、横に倒れそうになったり、全く別人格のようでした。住職が言うには、神気持ちというのだそうです。娘にもその気が少しあるとのことでした。除霊お祓いが終わると、妻は正気に戻り、普通に話しました。住職からは、その後、妻は、神受けをした方がよいと勧められました。神様を人に降ろす儀式だそうで、それをやると強くなれるとのことでした。除霊お祓いよりもっと高度な儀式で、値段もある程度張るので、すぐには決められないので、妻の様子を見ることにしました。金縛りは相変わらずでした。妻に聞くと、やはり受けてみたいと言うので神受けをすることにしました。来月受けに行きました際にはどうぞよろしくお願いします。

    昔から霊障に悩まされていました。地元で有名な霊能者や、少し離れた県の霊能者などに除霊をしてもらいましたが、効果があまり感じられませんでした。ご先祖様の影響かと思って、青森のいたこのところに行きましたが、手に負えないと言われ、東京の天光寺を紹介してもらいました。東京に出てくるのは20年ぶりで、立川に前泊しました。ホテルで寝ている間も霊に襲われていました。霊というのは、近所の子供の霊や動物の霊、飼っている動物にあげた餌の霊、粗末にした食べ物の霊です。特に、食べ物や動物の餌からは強い恨みを感じます。あとは、買い物依存が治りません。さらには、私は派遣社員をしているのですが、首にしようとしている霊がいました。いたこの方では手に負えないというのも分かるような気がしました。とにかく、そんなこんなで生活がボロボロになっていました。わらにもすがる思いで、天光寺に行きました。東京都の檜原村と聞いて、どんな所だろうと思っていましたが、東京とは思えないかなりの田舎でした。観光地になっているようでした。駅からバスで40分位かかり、山奥でした。観光客は、自然を楽しんでいるのでしょうが私はそんな状態ではありません。そんな私自身が嫌になっていました。

    最初は部屋で頭を丸めたお坊さんに話を聞いてもらいました。後から聞いたところによると、その人がお寺の住職だったようです。お坊さんは、あなたは除霊を受けた方がよいと言っていましたので、私の霊障がすぐに見えたのでしょう。それを聞いて少し安堵しました。この人はちゃんと分かる人なんだなと。今まで聞いたことのないお経を座って聞きました。うとうとし始めた後のことはあまり覚えていないのですが、とにかく感情が沸き起こって来て泣いていたのだと思います。太鼓の音、お経の音、鐘の音が鳴り響き始めると、何かに操られていたのではないかと思う位、体が激しく動いた(後から聞いたところ、のたうち回っていたということでした)と感じていました。その間中、私の奥深くに入っていた霊達が苦しんでいたのだと思います。音が止み、お坊さんが私を立たせて、耳元で何かを言い、首を伸ばすと、何かがすっと抜けた気がしました。うつ伏せになってお尻の方から首に向かって押していくと、口の中から霊気のようなものがぽっと出て行きました。

    ここまで効果を感じた除霊は初めてでした。遠くから訪ねた甲斐がありました。終わった後、お坊さんに、神経質でこだわりが強い人は霊障になりやすいと聞き、これからはあまり細かいことは気にせず生きてゆこうと思いました。とてもやさしいお坊さんでした。お弟子さんもいい人達でした。

    Youtubeの動画を見るだけで除霊できるという動画を見て以来、気持ち悪くなってしまいました。その前から、誰かに見られてたり、誰かに触られたりする感覚がありました。自分ではどうすることも出来ないので、動画を色々みているうち、確か呪文を唱えて手でピュッピュッと空を切るやつを見ていた時でした、みぞおちの辺りが急に気持ち悪くなり、それは翌朝まで続きました。それ以来、日中や寝るときにふいに気持ち悪さが襲ってくるようになりました。もしかしたら私に憑いている生霊が、動画からの攻撃に気づいて、もがいているのか、私に嫌がらせを激しくするようになったのかと思いました。

    陰陽師か祈祷寺なら、そんな生霊にも勝てるだろうと思い、ネットで色々と調べてみたところ、真言宗の天光寺はYoutubeの動画で除霊の模様を公開しているので信用できると思い、両親と一緒に行くことにしました。

    除霊のためのお経を聞いていると、体が自分の意思とは別に勝手に揺れ始めてしまいました。太鼓の音が鳴り響き始めると、手を合わせてお祈りしていたのが、その手がどんどん上の方にあがっていってしまいました。これはどういうことなのだろうと自分でも不思議でした。除霊をしてくれた住職が言うには、私は敏感で動画を見て感じてしまったり、生霊の影響を受けやすいとのことでした。それではまた同じようなことになってしまうので困るので、密教ヒーリングを習うと良いと言われました。自分で自分についた悪い気を出したりすることができるようになるとのことでした。講座は私にとっては結構値段が高いので、迷いましたが父が支援してくれると言うのでその日に申込しました。今では、もうレッスン7回目になります。なんで密教ヒーリングを勧められたのか、1回目のレッスンで分かりました。綺麗な気を自分に降ろしてくることで、自分の中の悪い気を押し出すことができるのだと。他にもレッスンを受けている人がいるので、その人達と、気の交換をしたり、お互い手をあてあったりして気を感じるのは本当に面白いです。このまま学んでいって、いつかヒーラーになれたらいいなと思っています。それから、除霊が終わった後にもらった心の持ち方という紙にはとてもいいことが書いてありました。それが出来れば、人間関係で問題を起こしたりして、知り合いから生霊をもらってしまうこともなくなるだろうと思います。人の念は怖いものだと言うことも教えてもらいました。天光寺のご住職は、除霊の経験が豊富なので、レッスンに行くと色々な話が聞けて得です。私と同じように苦しんでいる人がいれば紹介してあげたいと思っています。

    私の夫は、イギリス育ちで、祖父と父が魔術を仕事にしていたそうです。夫は、常々、祖父のようにならなければならないと考えていたそうで(結局、その道には進まず、普通のサラリーマンをしているのですが)、今でも、それを後悔しています。そして、常に言うのが、仕事で相手を負かさなければならないと言います。強迫観念のように繰り返し言うので、先日話を聞いたところ、お父さんから聞かされた話を信じているので、常に不幸な状態だと言うのです。強迫観念で行動ががんじがらめになっている状態だったのだと思います。更に夫の一族がいつも同じ悪夢を見るというのです。おかげで夫婦仲まで悪くなっていました。祖父は、魔術で相当人を苦しめたそうで、ご先祖様の霊や因縁による影響なのであれば、それを取り除いてもらいたいと思い、除霊・お祓いをやっている天光寺を頼りました。

    相談室でご住職と少し話した後、夫は、貴方のような人はすぐにお祓いした方がよい、もっと早く来てくれていたら・・と言われてしまいました。私が見守る中、お経が流れてくると、夫が苦しみ始めました。最初は、何で泣き始めたのだろう?と思っていたのですが、徐々に、それがうめき声になって行ったので夫に憑依している悪霊がやはりいたのだと気づきました。その声が、悪夢でうなされている夫の声とそっくりだったからです。夫はあぐらをかいたまま、仰向けに倒れてしまい、倒れたままうめき声を上げ続けていました。CDで流れるお経が終わると、うめき声も止まりました。その後、本格的なお祓いが始まるようで、祭壇の前に座るように言われ、住職が椅子に座りながらお経を唱え始めると、さっきよりも苦しんでいそうな様子でうめき始めて、今度もまた仰向けになって、足や腕をバタバタしていました。早く楽になってもらいたい一心で見ていましたところ、住職が、夫の中に入っているものを上にあげようと言葉を発したり、お腹を押したり、立たせて深呼吸をさせたりしました。住職が言っていた言葉からするに、キリスト教の悪魔が長年取り憑いていたようです。しばらくすると夫は落ち着きました。お祓いが終わった後、夫自身の想念で引き寄せてしまったものも多いから、今後、心の持ち方に気を付けるようにとの印刷物を頂きました。強迫観念は治療していかないとならないと思いました。悪魔祓いをして頂いたので、あとは、夫の心の健康をどうやって保つかを考えてゆこうと思っております。大変お世話になりました。もしまた悪魔がついた場合は宜しくお願いします。

    私には兄がおり、自宅から50m位離れているところに兄夫婦一家が住んでいます。そこの姪の彼氏が、うちの娘に暴力を振るいまして、最初は、私の妻が抗議を申し入れていたのですが、逆に向こう側から、うちの娘が悪いというようなクレームがあり、私も兄夫婦一家に行って抗議したのですが、逆切れされてしまい、もうお前の所とは絶交だ!と言われ、それ以来、1年程、口をきいていませんし、道路で会ってもお互いに無視するようになりました。私の父方の姉妹も、若い頃は仲が良かったのに、相続をきっかけに絶交状態になってしまいました。先祖の何かしらの因縁により、このようになったのではないかと思い、天光寺をたまたまインターネットで見て、電話で相談をしました。

    相談をしたところ、おそらくご住職だったと思うのですが、色々な相談者のケースを教えてくれ、私も例外ではないこと、そのような因縁で色々なことが起きる可能性があることを知りました。早速、3日後に予約を取り、私の一家で伺いました。電話で予め兄夫婦が使っていた物を持ってこれないか聞かれていましたが、そういうものは手元になかったので、私の一家だけ霊視してもらうことにしました。相談室で、より細かい相談を聞いてもらい、これまでのいきさつを説明しました。ご先祖様に自殺者がいるかどうか聞かれましたので、私の父方の家系に自殺者が2名いることを話しました。その後、場所を移動して、大きな祭壇がある部屋に通されました。そこでは、大きな音の録音した歌声のようなものを目を閉じて聞きました。ここで、私の妻に少し反応があったとのことで、妻だけが、その先の除霊に進みました。ご住職のお経が始まると、妻は、最初は、合掌して正座していたのですが、合掌したままの姿で、仰向けにごろんと上を向きそうになったので、つきそいのお弟子さんが支えるような恰好で、ずっとお経を聞いていました。妻の口から何かの言葉が出てきそうになりましたが、何を言おうとしているのか分かりません。そのうち、合掌した手が少し震え始めました。ご住職が言うには自殺したご先祖様が降りてきているとのことでした。ご先祖様が苦しくて、私達に気づくようにこのようなことになっていたのかもしれないと思いました。ご先祖様が上に上がっていけるよう皆でお祈りしました。妻の中から出て行くように、色々なことをしていました。ご住職が、首つり自殺をしたのでは?と途中聞いてきましたが、その通りでしたのでそこまで分かるのかとびっくりしました。最後に、私達一家そろって、ご先祖様があの世に上がって行けるように儀式をして頂きました。大がかりになりましたが、これで安心することができました。天光寺から帰ってしばらくして、妻と娘と一緒に兄夫婦一家のもとへ行き、話をしたところ、なぜかすんなりと和解することができました。これも天光寺でご先祖様のことに気づけたからだと思います。今後も、教わった供養の方法を続けて行きます。助けて頂きまして有難うございました。

    天光寺さんのホームページをたまたまネットサーフィン中に見つけ、問い合わせをさせて頂きました。私は、現在35歳で厄年ではないのですが、今年は本当にひどい年でした。普段の私は、性格は明るく積極的なのですが、今年は毎日死にたいと思っていました。最近はようやく、その気持ちが落ち着いてきましたが、問題は全く解決していなくて、来年もこれが続くと思うと、年を越す前から憂鬱な気分になります。私は霊感は全くないので、霊障なのかどうかは分からないのですが、霊障の可能性もあると思っていました。いつも神仏を拝んでいるわけではなく、たまに神社に行ったときにお参りするのと、実家に帰った時に仏壇に手を合わせる位しかしていないので、困ったときの神頼みをしても、神仏は助けてくれないだろうなと思ったりもしていました。でも人間ってそういう生き物なのでしょうね。信心深い一握りの人達を除いて。天光寺さんは、除霊の専門寺のようでしたので、私に代わってお寺の人に神仏を通じて除霊をしてもらえると思って申込をしました。行ったら霊が本当に存在するのかも含めて色々聞いてみたいと思っていました。

    電話で予約して1週間後、天光寺さんに伺いました。お寺の外にのぼりが立っており、水子供養や車祓い等もやっているようで、ちゃんとしたお寺なのだと分かり安心しました。中に入ると、仏像が沢山あって曼荼羅が置いてある素敵な部屋があり、20体以上あったでしょうか、真ん中には千手観音様がいました。座っているだけで神聖なものを感じました。その部屋で待機した後、別室に通され、ご住職が相談にのってくれました。とても物腰の柔らかな優しい雰囲気でしたので、話しやすかったです。霊の話や気の話、想念の話など、色々勉強になりました。除霊では、更に別の部屋で、お経をあげてもらい、私の身の回りに纏わりついた霊を祓ってもらいました。太鼓の音をあんなに近くで聴くのは初めてで、その太鼓の音とご住職のお経の声に乗って、何かが私から上に向かって離れていくのを感じました。仏様の力というのは本当にあったこと、目に見えない何かを感じたことは初めてでしたので、この日は私にとって人生で忘れられない日になりました。最後は椅子に座って密教ヒーリングというものを時間をかけて行ってもらいました。この日は寒かったのですが、終わった後は少し体が温かくなっていました。最後に、心の持ち方という冊子をもらい、今さっきまでそれを読んでいたのですが、本来の自分の性格を取り戻すきっかけになりました。

    この度は大変有難うございました。今度は滝行に行こうと思っています。その時は宜しくお願い致します。

    ここ3年~4年の間、一軒家の自宅の玄関のドアをノックする音が聞こえていました。きっかけが分からないのですが、夜20時過ぎると、1週間に5日位は聞こえていました。夜中の1時頃には、天井裏から何かがドスッと落ちる音は1週間に2回位聞こえます。なにも落ちていないし、ドアをノックするには、外の門扉を開けて入らないとノックできないので、不審者かもしれないと思い、監視カメラを置いたのですが、何も映っていませんでした。それを確認し、霊的な現象以外に考えられないと思いました。ドスッと落ちる音は、人間位の重いものが落ちる音に近く、何でそんな音が聞こえてくるのか、何も落ちていないので、これも霊が何かに気づいて欲しくて出している音なのだと思っていました。その後、私は交通事故に遭い、右足を骨折、数カ月松葉杖生活になりました。さらには、祖父や伯母が亡くなり、不幸が続いています。最近は、霊らしきものを見る機会が増え、更に近親者が亡くなるので、これは命の危険が迫っていると思い、助言頂きたく、天光寺に連絡をしました。実は、天光寺の前に、違うところに相談したのですが、その霊能者の方には逃げられてしまいました。

    電話で相談したところ、家の写真を撮ってくるように言われました。写真を持っていくと、すぐに鑑定してくれました。家の外側から撮った写真は、空気中にオーブというものが沢山浮いているとのことで、あまり良くないオーブだとのことでした。また、部屋で撮った写真には、黒い筋状のものが写り込んでおり、これまた良くないものとのことでした。

    あまり私を不安にさせないようにという気遣いを感じました。すぐに除霊をしましょうということになり、場所を移動して、立派な祭壇がある部屋に移動しました。まず、CDか何かの音声を聞きました。それはご住職のお経の録音でした。除霊をするなんていうことは初めてでしたので緊張していましたが、その声を聞いていると、何か心が洗われる感じがして少し落ち着きました。その後、更にお経が続き、太鼓や鐘の音が鳴り響きました。その間のお経を聞いていると、どうも私は奈落の底に落ちてしまったようでした。諭すような内容のお経をずっと聞いていました。その間、色々とこれまでの人生で反省しなければならないことが脳裏に浮かんできました。最後は、椅子に座り、ヒーリングというものを受けました。頭と手に何か透明なものが少し流れ込んでくるのを感じることができました。これがシンキというものですと説明してくれました。これを極めると、自分で自分の気をコントロールできるようになるし、他人を癒してあげることもできるのだということでした。このように目に見えないことを体験するのは初めてでしたので、とても感動しました。またご住職のお人柄の温かさも感じ、また天光寺に来たいなと思いました。後でホームページを調べると、ヒーリングの講座があるので問い合わせしようと思っています。その際は、どうぞ宜しくお願いします。除霊の後は、以前よりも心を落ち着けて生活できるようになりました。また、自分の頭の中でストーリーを作ってしまっていた自分に気づきました。怪音の件も、よく考えたら、近所の車がドアかハッチを閉める音でした。深夜に帰ってくる人でしたので。色々客観的になって、事実を確認すると、いままで妄想で作り上げていて自分で自分を苦しめていることが如何に多かったかということに気づきました。これも天光寺に行って、ご住職の話を聞くことができたご縁を頂いたからだと思います。中には、霊的に本当に問題があって現象が起きていたものもあったのだと思いますが、そこは除霊で解決したので、今は安心して、前向きな気持ちで生活を送ることができています。感謝しかありません。

    私は、3カ月前から夜間の託児所で働き始めたのですが、5歳の娘におかしなことが起こるようになりました。娘が寝ていると、同じ年頃の女の子が娘のベッドの枕元に座り込むと言うのです。娘は、毎晩その女の子と一言三言、会話をしてから寝るそうです。娘は、その女の子と気が合うらしく、来て!と想うと、その子が来てくれると言うのですが、私には何も見えません。まだ判断能力もない娘ですので、なにか変な霊がついてきたのではないかと思い、祈願、祈祷だけでなく、除霊、浄霊もやっている天光寺に頼もうと思いました。

    娘と旦那を連れて行きました。相談をした後、霊視に入りました。お経のようなものが流れると座っていた私の体が勝手にうずくまって、なぜか悲しくなってしくしく泣き始めてしまいました。ご住職から私に、流産した子がいないか質問がありました。実は私は一度流産したことがありましたので、びっくりしました。その子が水子として私についていてるとのことでした。私の娘と旦那には何も起きませんでした。そのまま私だけ、祭壇の前に移動し、お経を住職があげていると、さらに苦しくなってしまい、見ていた二人の話を後で聞いたところ、赤ちゃんのように泣きながら頭を上下にふりつつ、合わせた手も上下に揺れていて、見ていて怖かったとのことでした。途中で、おじいちゃん、おばあちゃんの名前が出てきて、それからもう大丈夫よと私は言ったそうです。無我夢中でしたが、気づいたら、まるで赤ちゃんが泣き止んだかのように落ち着きました。娘の方は霊視をしたところ、心配ないので大丈夫とのことでしたので、安心しました。

    家に帰り、家族で供養を後世、しっかり行っていこうという話をしました。ご住職から教えて頂いた内容をもとに、毎日自分なりの供養をしようと決めて実践しています。ご丁寧に教えて頂き、お導きを頂いたご住職へ心からの感謝をお伝えさせて頂きたいです。どうぞご住職、天光寺の皆様、お体にはご留意されてお過ごしください。天光寺皆様、益々のご健勝をお祈り致しております。有難うございました。

    この夏になってから夜寝ている間にピシっ、バシッとラップ音が鳴るようになりました。最初はエアコンを入れたから、部屋の温度が変わり、壁が鳴っているのだと思っていましたが、エアコンを入れて大分経ってもラップ音が鳴っているので、怖くなりました。霊が来ているときにラップ音が鳴ると聞いたことがありましたので。さらに9月になってからは、家の鍵を落としたり、TVの電源がつかなくなって壊れたりと家回りのことで不幸が続いていました。夜はよく眠れず、倦怠感が長引いていて、頭の中がもやっとしていて記憶力がものすごく落ちていました。仕事に影響が出ていましたので、何が原因なのか、誰か私のことを今でも恨んでいる人の生霊なのか、それとも前世の因縁なのか、私には分からないことでしたので、お寺で霊視カウンセリングを受けようと思いました。

    天光寺は、Youtube動画で除霊の模様を沢山流していましたので、本物っぽかったので選びました。最初は応接間で私の悩みを聞いてもらい、そのまま除霊に入りました。
    最初に流れたCDのお経はすごいパワーを感じました。それで頭の中のもやもやが少し軽くなった気がしました。その後のお経は長かったのですが、その間、目の前の祭壇の上の観音様と金色がほとばしるような綺麗な如来様を拝みながら耳を澄ましてお経を聞いていると、何かの気配がしました。その時、風もないのに、祭壇の上の蝋燭が揺れていました。しばらく聞いているとなぜか眠くなってきて、そのまま寝てしまうかと思いましたが、何とか耐えていました。その後、ご住職が太鼓を叩き始めながら、私の肌身から離れろ離れろと、念仏を唱え始めました。それだけは覚えていました。お経が終わった後、ツボ押し、これが痛かったのですが、とても効いて頭だけでなく、こっていた首と肩もすっきりしました。ご住職が言うには、私はシンキ持ちなのだそうです。何のことだかよくわからなかったので聞いたら、神の気が私に降りてきているという意味とのことでした。それを聞いて、何で私に?と思いましたが、何か厳かな気分になりました。私が色々なことに気づいたり少し敏感だったのは、そういう理由なのだと分かったので不安が解消されました。ご住職からは、ヒーリングの養成講座を受けるとよいと勧められました。悪い気を自分で出したりすることができるようになれるということだったので、早速、その日に申込をしました。これからがとても楽しみになりました。どうも有難うございました。

    自分が主人公」「腐っても鯛」といった言葉を聞き、今までの自分はどうだったろうと考えさせられました。

    自分にあまりに自信が持てず、消極的な部分を良くはないとなんとなくは思っておりましたが、具体的にどうすることも出来ず過ごしておりました。

    今回、そんな自分に何かきっかけのようなものが生まれればと修行体験をさせて頂きましたが、いい意味で常識だと思っていたこと、固定観念みたいなものが変わった気がします。

    まず「あいさつの作法」や「光明真言」、「般若心経」、「三糧」などの作法を教えて頂き、正直なところ少し浮ついていた気持ちを引き締められました。続いて行われた「お百度参り」、「滝行」これらについては今回のメインとも思っていたので、知識としてはなんとなく言ったつもりでいました。

    裸足でコンクリートの上を走ることについては、あまり不安もありませんでしたが「三禮」をした際に、足がつりそうになり、日ごろの運動不足を実感致しました。

    滝行では当日はお天気も良く、暖かかったのもあったので、予想以上の冷たさと滝の勢いにおどろかされたのをよく覚えています。冷たいというより少し痛いといったほどの水、自分の唱える御報法号と打ちつける滝の音以外が一切聞こえず、わずか数分間だけのはずが、途方もなく長く感じられました。また途中座る際に、足がつりそうになってしまったので、日常からもう少し体を動かそうと決心しました。

    滝に打たれている間は、冷たい水、滝の勢い、息苦しさなどとにかく苦しいという気持ちでいっぱいになりましたが、段々と一緒に参加された他の方々の御報法号が聞こえてきて、何か言葉には出来ない安心感のようなものを感じました。心のこもった応援や励ましというのは受けた側にとって、力になるものなのかなと思い、自分も他人に対して自然に応援できる人間になりたいと思います。お百度参り、滝行の後に般若心経の読経をさせて頂きましたが、一時間の長さと、読み続けることの苦しさを体感致しました。

    普段、故人のお通夜や告別式、法事などでお坊さんのお経を聞いてはおりましたが、これほど難しいものだとは思っておらず実際に自分で読んでいると息が続かず、息継ぎもままならずで散々な形となりました。何度も何度も読んでいると、段々リズムのようなものがつかめてきたと思う時もありますが、通してつまらず唱える事は最後まで出来ませんでしたが

    ところどころ上手く出来たかなと思うところもありました。

    普段見つけたり、聞いているだけでは分からない物があることを身をもって知りました。そして、自分の中で日常に戻っても何とか練習したいと思った「写経」、筆を取るのはかれこれ二十年以上ぶりであることを差し引いても、あまり良くない出来だったので何とかしたい気持ちです。出来についてはさておき写経については二時間、その一点のみを考えて集中して過ごすことが出来ました。普段、この時ほど濃密な時間は無いので貴重な体験でした。

    そして聞かせて頂きいた法話、最初に書いた言葉が心に残っています。今まで自分に自信が無い為、人と仕事上であっても声がかけられないといった事がたくさんありました。しかしこの法話を聞き気持ちがとても大事であるという事、また短い日数であまり深くできたとは言えませんが、自分で決断して、自分で動いて、自分の意志でこの二日体験し最後まで出来たことは自分自身にとって小さくても確かな自信になりました。この二日間で得たものを明日からの日常に活かせるかは分かりませんが、今までの視点とは少し変わった視点で仕事や生活を送っていけると思います。また迷った時は、もう一度こちらをたずねる事もあるかもしれませんが本当にありがとうございました。

    私の娘の友人に、霊が見えて、祓える人がいまして、その人に、娘の弟には動物霊と、高齢の女性の霊が憑いていると言われてしまいました。息子自身は霊的な声を聞いたことがあり、まれに幽霊みたいなものを見ることがあります。半年前から息子はその当時付き合っていた彼女との喧嘩を引き金に、家で暴力をふるうようになりました。暴力をふるっている間は、記憶がないと言っていました。それは、女性の霊と、動物霊のせいだとその霊能者に言われました。息子は、何回か、娘に連れられてその人の所を頼ったそうです。しかし、家でのあばれぶりが収まるどころか、包丁を出すなど、どんどん過激になってきていました。このままでは、家族の誰かが傷つけられてしまうと思い、ちゃんとした所に除霊をしてもらおうと思い、天光寺に行きました。

    ご住職がお経を読んでいる間のこと、当初、息子は合掌したまま、腕が揺れていました。ご住職がおっしゃるには、蛇の霊がついているとのことでした。それを聞いて気持ち悪くなりました。なぜなら、息子は座ったまま、体を少しくねくね動かしていたからです。太鼓が叩かれ始めると、息子はどんどん動きが激しくなってきたので、見ていて怖くなってしまいました。お寺の方々が息子の後ろに来て、支えたりしてくれていたので心強かったです。太鼓の音に合わせて、住職が呪文のようなものを唱え始めると、ひどく苦しみ始めました。最後の方では、仏壇の目の前で、うつ伏せになって体をくねらせたり、よじったりしていました。ご住職が、お腹や胸を押すとものすごく嫌がりましたが、それは中に入っている蛇の霊が抵抗しようとしていたのだと思います。どこでどうやって蛇の霊が息子に取り憑いたのか全く見当がつかなかったのですが、ご住職の除霊が済むと、息子は大人しくなりまして、そうしましたら、ご住職より、こういう所には行かない方がよいみたいなアドバイスを頂きました。その霊能者のように、霊視ができてもちゃんと除霊できるわけではないことも分かりました。最後にヒーリングなるものをやって頂きました。ホームページで、光輝療法と書かれているやつだそうです。ご住職からは、相当邪気がついていたと聞きました。おそらくそれも本当なのでしょう、息子はヒーリングが終わって、体がピリピリすると言っていました。良いエネルギーを浴びて、邪気だらけの体の表面がピリピリ感じたのだと思います。その後、家に帰ってから、息子は憑き物が落ちたかのように落ち着いて今は過ごしております。本当に有難うございました。

    今年の8月にマンションを売ったお金で分譲の戸建てを購入し引っ越しを済ませました。引っ越しのバタバタが終わって3日位経った頃からか、誰も起きていないはずの深夜1時頃にテレビが勝手につき、リモコンで数回消しましたが、消すたびに、しばらくすると勝手についてしまい気持ち悪い思いをしました。こんなことは生まれて初めてです。誰かが近くでリモコンと同じ周波数の電波を嫌がらせで飛ばしているのではないかと思っていました。しかし、何日かすると、また勝手に深夜にテレビがつくのです。このことの他に、妻の部屋に置いてある人形の首が後ろを向いていたり、床の板に変な模様が浮き出てきたりと、怪奇現象が続いていました。この家は新築で購入したので、家ではなく、土地に何か悪いことが以前あったのではないかと思って、不動産登記簿謄本を取り寄せて調べましたが、疑わしい履歴はありませんでした。家が建つ前は畑だったところなので、もしかすると、江戸時代やもっと前の時代に古戦場だったり、首切り場だったりしたのかと疑りまして、江戸の地図等も調べましたが、それらしき形跡は見つけられませんでした。そのままでは妻も怖がっていましたので、土地・建物のお祓いもやっていて、怪奇現象にも対応している神社やお寺をインターネットで探し、天光寺にたどり着きました。

    実際に伺って話をして、ご住職の話も聞くと、そういう話で相談しに来る方が多くいるとのことでした。私だけが特別なわけではないことが分かっただけでも少しほっとしました。家の写真を撮ってくるように言われていたので、見せると、1枚の写真にご住職が反応を示していましたが、はっきりとは何も言いませんでした。きっと、具体的には言えない話なのだろうと思って、それ以上は聞きませんでした。その後、お祓いが始まりました。聞いたことがないお経のようなものがCDで流れてきました。妻はそれを聞くと、突然からだがゆらゆらと動き始めて泣き始めてしまいました。私には何も反応は起きませんでした。結局、その先、妻だけがお祓いを続けることになりました。お経とともに太鼓が叩かれました。すると、妻がさらにもだえ苦しみ始めました。ご住職の掛け声が一段と強くなっていくと、妻は床にうつぶせで横になってしまい、それに対して、ご住職が取り憑いている魔物を外そうと、色々なことを始めました。私は初めて見る光景に唖然としました。本当に、魔というのは人に取り憑くのだと分かりました。妻でない妻が目の前に居ました。

    しかし、5分ほどすると、泣いて暴れるのがピタリと止まり、妻は正気に戻り、ご住職の話に耳を傾けました。どうしてこのようになったのか、今後どうすれば同じようにならずに済むのか、アドバイスを頂きました。また、もし、同じようなことになった場合は、訪ねてきなさいと心強いお言葉を頂きました。最後に、黄色い布に、赤い小さな文字等が書いてある霊符をもらいました。これを問題が一番起きる部屋に掛けておきなさいとのことでした。その晩、早速掛けて寝ましたが、何も起きず、よく寝ることができました。

    今も怪奇現象は起きていません。私達が神経質になりすぎていた部分もあったと思うのですが、完全に不可解なことというのは起きていないので、天光寺でお祓いをしてもらい本当に良かったです。有難うございました。

    2年前の秋ぐらいから家の中で話し声が聞こえ始めました。また、携帯も触ってもいないのに電源が入ったりしていましたが特に何も対処はしていませんでした。今年の冬ごろ、テレビから女の人の声が聞こえてきました。また、時期は、はっきりは分かりませんが、真夜中に誰かが耳を両手でふさぐ夢を見て起きました。夜中の2時まわって大音量で音楽が聞こえて起きました。それ以来耳に音楽が流れたり、男の人の声が複数、時々女の人の声がするようになりました。警察の方に来ていただいたこともありましたが、結局聞こえませんでした。自分で塩を持ち歩いたり、体にかけたり色々しましたが、効果がありませんでした。そのような状況で早く対処をしないと自分の命が危ないと思いまして、除霊、浄霊をお願いしたいと思い天光寺さんに伺いました。

    最初は相談内容をご住職に相談し、霊視をしていただきました。来た時はとても緊張していましたが、話を聞いて頂くうちに落ち着く事が出来ました。次に確認作業という段階でご住職の声が入った音声を聞くと私の手が勝手に震えだし、とても怖くなりました。霊障が無い人はそんな風に動かないと言われて、私は霊の影響を受けているのだと実感しました。

    その後、ご住職にお経を読んでいただきお祓いをしていただきました。初めてのお祓いだったので、とても緊張しましたが終わった後はとてもすっきりしていることに気付きました。肩が軽くなり、頭の中の靄が晴れたような気分になりました。お祓いが終わった後には、これから悪霊や邪気に憑かれないようにするための心構えなどを教えて頂きました。

    お祓いのあともしっかりとケアをしていただけたので、とても感謝しています。もし私の周りで同じように苦しんでいる友人がいたら、天光寺さんを勧めようと思います。今回は本当にありがとうございました

    私は、アルバイトをしている大学生です。20歳になってから慢性的な肩こり、首こりがあり、酷い時は気持ち悪くなってしまう位こります。温泉で温めたり、そこのマッサージを受けたり、先月は鍼にも行きましたが楽になるのはその時一時的で、またすぐに元に戻ってしまっていました。こりが原因で、頭痛で眠れず、頭痛薬を毎日飲んでいました。

    最近は、夏で疲れているせいか、体調を崩すことが多く、更に誰かに追いかけられる夢を見て夜中に何度も汗をかいて目が覚めてしまっていました。マッサージや鍼に行っても治らないなら、何か霊的なものが原因ではないかと思っていました。アルバイトが接客業なので、色々なお客さんの生霊が憑いていることもありえると思っていました。たまにお店で、腕をつかまれるような感じがしたり、顔に何かが当たる感じがしていました。

    家から天光寺はそう遠くなかったので、少し山奥にありますが、お寺なら安心だと思って頼ることにしました。相談室でのご住職のカウンセリングの後、仏様のある大きな祭壇の部屋に移動し、色々なお経を聞きました。その後、マッサージ屋さんにあるような、穴の開いたベッドがあり、そこで、ご住職が、体の一部分に指で触れてなでたり、押したりすると、血流がよくなり、頭痛と首のこりが嘘のように無くなりました。首を回すと首鳴りがしていたのも無くなりました。肩と首だけだったのですが、他の部分も良くしてもらいました。少し指で触れるだけで何でこうなるのだろうと不思議でなりません。最後に護摩木を渡され、祈願と名前を書いて、護摩の日に焚き上げて頂けることになりました。天光寺ではヒーラーになる養成講座があり、来ていた生徒さんとも話をしましたが、自分で自分をヒーリングすることができるようにもなるので、その講座に申し込もうと思っています。またお世話になると思いますが、宜しくお願いします。

    6歳と10歳の娘と、15歳の息子と家族で登山に行った際に写真を撮ったところ、娘二人の足が映っていませんでした。息子の足は問題なく映っていました。登山から帰ってきたその晩から、娘二人は体調が悪くなり、良くなったり悪くなったりが続いていました。6歳の娘は、けいれんを起こし救急車で運ばれ入院までしました。退院後も、ときおり震えが起きていましたので、やはりあの心霊写真が何かあるなと思いました。ちなみに去年今の家(一軒家)に引っ越して来ましたが、どうも引っ越してから、何かがおかしくなり始めました。事故物件ではないのですが、空気が重いのです。心霊写真や、地縛霊、除霊といったことに詳しいお寺は無いものかと探していたところ、天光寺さんのホームページにたどり着きました。霊的な色々な現象を本格的に扱っているので、相談できるなと思ったので選びました。電話で相談すると、今住んでいる家も見るので、心霊写真以外にも、家の各部屋と外からの写真を持ってくるように言われました。

    家族で天光寺さんに伺うと、まずは小部屋に通されました。そこでお茶を出され、申込書や同意書などにサインをして、家系図を書いて待っていると住職さんがいらっしゃいました。住職さんは落ち着いた様子で私達の相談を聞いて下さいました。とにかく、これを機に、気になっていたことは全て相談しようと思って説明したので、随分と相談に時間がかかりましたが、じっくりと話を聞いて下さいました。件の写真は、やはり心霊写真とのことでした。そして、家の写真については、やはりと言いますか、外から撮った写真にオーブと言われるものが映っていましたが、そんなに悪い種類のものではないとのことで、安心しました。

    心霊写真については、ご先祖様が注意をしてもらいたくて訴えている場合があるとのこと。家系図を持って、部屋を仏壇のある部屋に移動し、そこでお経や太鼓、そして最後にヒーリングをやって頂きました。娘二人は、もう心配ないとのこと、それを聞いて本当に安心しました。ただ、お経の最中、何も問題がないと思っていた旦那が、勝手に手が上がってしまい、びっくりしました。住職さんが言うには、旦那は神気持ちなのだそうです。旦那に入っている神気が、住職さんのお経に反応して動いてしまうとのことでした。世の中、目に見えないけれども実在しているものがあるのだと、初めて実感することができました。最後に、住職さんから、また何かあればいつでもいらっしゃいと声を掛けて頂けました。

    大変お世話になりました。本当に有難うございました。

    今回の法話を聞いて、大きく分けて二つの事を考えました。
    一つ目が「徳を積む事の大切さ」二つ目が「努力することの大切さ」です。
    まず、「徳を積む事の大切さ」についてですが、お話の中にもあったように天光寺での教えである「きくばり」、「礼儀」、「ふるまい」などその一つ一つの行動や言葉が人間を作り上げているのだなと行を通じて思いました。はじめこちらに来た時は緊張しており、修行僧の方々と話すだけで精一杯でしたが、夕方以降はルールを教えて頂いたり、会話も多くなり、おひとりおひとりのお人柄を知る機会も増えました。私が何をすればよいか分からず立っていると優しく教えて下さったり、そうじの際も先に一通りやり方を見せてくださいました。言葉で指示するだけでなく行動を見せてくれることでとても安心できましたし、親切心や優しさを肌で感じることが出来ました。全ての行動が丁寧で、愛が宿っている気がして一緒に過ごす中で、自分がいかに時間を言い訳にして丁寧さを失っているかをひしひしと感じ、恥ずかしさまで感じるほどでした。

    人間というのは誰しも自分と他人を比べながら生きるものだと私は考えます。昨日たった一日ですが、実際私は修行僧の方と自分を比べました。生き方の違い、発言の違い、心の余裕の違い様々な角度からです。比べて感じたのはやはり「時間の使い方」でした。仕事においてもプライベートにおいても自分ばかりを優先して、周りの人に時間を使えていなかったと、そしてそれが原因で自分の人間力が下がっていたのだと感じました。小さいころから両親には「徳を積みなさい」とさんざん言われていたのに、すっかり抜け落ちていたのです。天光寺へ来て、きちんと挨拶をしたり、洗い物やそうじをしたりと、普段の生活に応用できることを沢山教わりました。ぜひ今回学んだことを人のために使えるような人間になりたいと思います。

    そして、二つ目の「努力することの大切さ」についてですが、お話の中にあった空海の修行法である、死と隣り合わせになりながら洞窟の中で修行するというのが、昨日体験したお百度参りと滝行と重なりました。滝までの急な坂道、ドドドと音のなる強い水圧の滝です。
    困難に立ち向かい、負けない精神力を持つこと、それが努力だと私は考えます。滝を見た時、一瞬やめようかなと怯みましたが、終わった後は非常にすっきりして、達成感がありました。社会人になり、人間関係や、立場、場所など選択肢が広がり、「楽に楽に」と自分を持って行ったように感じます。お百度参り中、息が上がって来た時、「辛い」、「苦しい」という感情になったのは果たしていつぶりだろうと思いました。中学生の時に体育の授業で行った12分間走のことを思い出し、頑張るだとか、努力するようなことがここ数年無かったなと実感しました。そして、努力することでこんなにも心が晴れやかになることを感じ、これから何事も努力を惜しまずに積極的に挑戦していきたいと思いました。

    法話の中で「前世-現在-来世」全てつながっているというようなお話がありましたが、徳をつめばつむほど来世の自分の魂は輝くでしょうし、努力すればするほど、来世の自分は幸せになれると思いました。

    この度は、貴重な体験をありがとうございました。次回来るときは子供を連れてきたいと思います。

    私が高校2年生の時にマンションの屋上に夏、遊びで出たときに、黒い影みたいな幽霊を見てしまいました。初めて見たので、すごく気になってしまいました。きっとマンションの屋上から飛び降り自殺した霊なのだと思います。それ以降、屋上には行かなくなったのですが、その翌日、学校から帰ると、私の部屋の前に、黒い影がうずくまっているのが見えて、私が気づいて驚くと、さーっと黒い影が薄くなって見えなくなりました。幽霊はそれきりなのですが、それから悪いことばかりが起きました。人間関係や家族親族間でトラブルが起きたり、原チャリに乗ってるときに、交通事故に3回も巻き込まれてしまいました。このままでは、自殺霊に殺されると思い、そういった霊を取れるちゃんとやっているところを探しました。天光寺は、除霊をホームページでも宣伝しているので選びました。こういう類のことは、お寺が最適だと思います。

    除霊の最中、色々なお経を聞きました。最後の方に、座って合掌をしながら、仰向けになったとき、地蔵菩薩様と観音菩薩様が自殺した霊を上に連れて行ってくれたのだと思います。その直後から体が軽くなりました。除霊が終わった後、住職から注意がありました。幽霊のようなものが見えてもそれを見ようとしないこと、意識がそこに合うと、余計見えるようになってしまう。普段から前向きで明るく過ごすことが大事です。マイナスな想念はマイナスな霊も引き寄せてしまう。というのを聞き、あぁ、なるほどなと合点がいきました。ネガティブなことを考えていると、気持ちも落ち込みますし、そういう出来事が引き寄せられるとよく言われていますので、霊についても同じなのだろうと思います。私は、昔から心霊ものが好きでしたので、そういうことを考えないで、もっと体を動かしたり、アクティブなことをしようと思いました。今度は、天光寺の滝行に行こうと思います。そのときはまたよろしくお願いいたします。

    大学1年生の頃、ある夢を見て以降、幽霊が少しずつ見えるようになり過去に色々な体験をしてきたのですが、直接体に影響が出始めたのでまずいと思い天光寺に除霊してもらうことにしました。先週は金縛りになってしまい、その間中、なぜか頭の中でお経が聞こえていました。その次の日には、家のトイレの水が勝手に流れたり、部屋の電気が勝手についたりしました。こんなおかしなことは初めてでした。そして、その日を境に、体全体が重くなり、常に疲れた状態になり、寝ても全然それが抜けなくなりました。仕事が手につかなくなっていたので、何とかしなければと思っていました。昨日は、朝起きたら、両足の感覚が全くなく、起きがけに、転んでしまい、頭を打ってしまいました。きっと、天光寺に行くのを霊が邪魔をしたのだと思います。

    霊障や憑依について、本を読んだこともありますし、実際にそれらしきことも経験したこともありますが、今回ほど、ひどいのは初めてでした。すべてを霊のせいにするわけではありませんが。

    一人では心配だったので、母と一緒に天光寺に行きました。座って手を合わせてお経を聞いていると、自然に後ろに倒れそうになってしまいました。しばらくすると、なぜか泣けてきて、わぁーんと泣いていました。不思議なのですが、自分の意思ではなく泣いてしまうのです。どこか、頭の中で、別の人の思いが動いているかのようでした。その後、ご住職が太鼓を叩き始めながら真言を唱えると、余計泣いてしまっていました。私に憑いていたものが泣いていたのだと思います。その後、住職が、私の首とお腹と背中を押して何かを出してくれました。最後に、仏様に感謝のお参りをして、終えました。体全体は軽くなり、足も快適になりました。全身に血液がまわり、活力が戻った感覚です。きっと、金縛りにあったときにお経が聞こえたのは、早くお寺に行きなさいという天の声だったのかもしれません。もっと早く天光寺で除霊してもらっていたらよかったのにと少し後悔しました。また何かあったときには宜しくお願いします。

    ここ10年位、霊障に苦しんでいました。高い橋の上や、暗いトンネル、高層ビルなどを見ると、死にたいという思いが頭をよぎってしまっていました。いわゆる自殺願望です。心療内科でのカウンセリングや薬物療法は試しましたが、良くなりませんでした。以前付き合っていた彼女に、霊障なんじゃないか?と一言いわれたことがあり、それが最近になって気になるようになってきました。というのも、近頃、敏感になったようで、色々なことに気づくようになったからです。実は天光寺に来る前に、色々と試してみました。Youtubeの除霊動画や、自分でできる除霊の本、通販で霊符を購入したりしましたが、事態はより悪くなってしまいました。直接、除霊をしてもらおうと、都内のマンションの一室でやっているところに行きましたが、全然ダメでした。そこでちゃんとした所がよいと思い、動画や感想文でちゃんと除霊の内容を公開していた天光寺を選びました。ここは他の所とは一線を画していました。早く知っておけばよかったと後悔しています。

    霊視から入り、暁天という天光寺住職が吹き込んだお経のようなもののCD音声が流れると、それに反応して体が苦しくなり始めました。座ったまま体が自然によじれてしまいました。その後、どこかで聞いたことのあるお経をあげている間、もっとそれがひどくなりました。住職が私に話しかけるのですが、私の中に悪霊が入っていたようで、それに向って話しかけていました。太鼓の音が響き始めて、またお経が始まると、私は床に転がってしまいうめき声を上げてしまいました。その間は自分の意識がとても薄くなっていて、私の代わりの何かが私の意識を支配していて、それが反応してうめいていたのだと思います。そのうち意識が遠のいて、気づいたら、眠りから覚めたような状態になっていました。遠のいている間に、悪霊が出て行ったのだと思います。どういう悪霊が憑いていたのか質問しましたが、知らない方がよい、とのことで教えてもらえませんでした。後から思ったのですが、知ってしまうと、それが気になってしまい、またその悪霊とくっついてしまう可能性があるからだと思います。知らぬが仏と言うのがやけに腑に落ちました。困っている人のことを本当に考えてくれているのだと思いました。お陰様で今は以前より明るく前向きに生活することができています。大変お世話になり、有難うございました。

    私達夫婦には3人の子供がおります。2人の子供は学校でのいじめで不登校になりました。1人は高校生なのですが、家出を繰り返していました。娘なので、悪友といけないことをしているのではないかと思っていました。夫は、そのことで悩んで心療内科にかかっています。3年前に、夫の母が亡くなり相続で兄弟姉妹、相当揉めて心労があったこと、そこに娘の家出が重なり、自殺未遂をして、それ以来のことです。このような不運がなぜ起こるのか?もしかして、先祖の因縁だったり、またはどこかでもらった生霊のせいなのか、全く見当もつかないので、専門家に見てもらおうと思ったのが天光寺に行ったきっかけでした。そもそも私は、理科系の人間で、そういうあいまいな見えないものに対してはうがった見方をしていたのですが、お寺なら信用できると思ったので天光寺を選びました。

    家族で見てもらったのですが、お経の最中に長男がおかしくなりました。座って合掌をしてお経を聞いていたのですが、突然嘆くような大きな叫び声をあげ、それが断続的に続きました。10分位、ずっと叫んでいました。泣いているような叫び声で、いたたまれなかったです。長男が一番問題が無いと思っていただけに驚きました。問題があると思っていた娘や夫は何ともありませんでしたので。長男は、合掌した手をくねらせていました。住職曰く、蛇の霊が入っていたそうで、本格的な除霊に入りました。住職が、長男の口から蛇を引きずり出すような動作をすると、長男はより大きく口を開け、苦しそうにしていました。私は何も見えなかったのですが、娘が、口から何かが出ているのが見えたと言っていました。その動作が終わると、深く息を吸って、一気に吐き出すようにと指示があり、何回かそれをやって終わりました。最後にヒーリングというものをやって頂きました。ヒーリングでは打って変わって、優しい音楽をかけて、椅子に腰かけて目を閉じて合掌をしました。その間中、手のひらを体のいろんな箇所にかざしていました。温かさかすぐに伝わってきました。長男は、ヒーリングの時も体が少し動いていましたが、お経の時ほどではありませんでした。何もかも初めて体験することで怖かったのですが、家族みんなで除霊を受けれたので良かったです。料金も家族みんなの分にしては安かったです。悪い霊は、どこかを通り過ぎただけで、その人に憑いてしまうことがあるそうです。とても怖いことだと思います。そのようなことにならないように、心の持ち方について住職から話がありました。一番大事なことだと思いました。家族そろって天光寺に救ってもらったと思って感謝しています。

    近頃自分の本当にやりたいことや好きな事が分からず無気力で目標の明確でない日々を過ごしていました。インターネットでたまたま滝行の存在を知り、天光寺を知りました。直観で「すぐにやりたい」と思い、十分に自分と向き合えるように二泊三日での修行体験を申し込みました。

    結果的に、とても良い決断だったと思います。自分が今後どのような人生を歩みたいのか、そのために今何をやればいいのかが見えてきました。その大きなきっかけとなったのは滝行と写経、お寺での日常生活だったと思います。

    滝行では、自分の恐怖心と向き合うことができました。修行中の三日とも滝行に参加しましたが、一回目と二回目では全く違う感覚になりました。一回目は、滝行の大変さが分かっていなかったため、ドキドキワクワクという感じでした。実際に滝に入る順番が来ると「怖い」という気持ちになり、無我夢中で耐えたという感じでした。それに対して二回目の時は滝に向かう時に緊張や怖さがあり、滝に入っている時は少し心地よさを感じました。滝と一体になっている自分を見ることができた気がします。この一回目と二回目の変化を感じた時に、私は今、人生において二回目の滝に入る前のようなタイミングなのだと思いました。本当はやりたいことが分かっているのに、怖くて見ないようにしていたのだと分かり、すごくスッキリしました。

    また、滝行の後に一時間ひたすらお経を唱える時間がありました。集中していたり、少し気が散ったり波がありましたが、頭がぼうっとして何をしているのか分からないような不思議な感覚になりました。その感覚でいる時に今後の理想の自分像が少し見えたり、やりたいことが浮かんだりして、楽しい気持ちになることもありました。ひたすらお経を読むことでよけいな事を考えにくくなるため、素直な自分の気持ちが分かるのかなと思います。

    天光寺の宿泊中は、食事の用意や朝のそうじなどのお手伝いもさせていただきました。日常の事一つ一つを丁寧に行う事の大切さを感じ、自宅での生活にもいかそうと思いました。

    経営している会社が、半年前から経営難となり、そのせいもあってか夜、悪夢をよく見ていました。夜、2時頃決まって、女性の顔が脳裏に表れるのです。上を向いていると怖いので、横を向きながら最近は寝ていました。その女性は見覚えが無く、と言ってもリアルに色がついて見える訳ではなく、ぼんやりとした、もやもやした霧状の顔が見えるだけなのですが、いつも私に怒っているような表情でした。それが本当の霊なのかどうかは分かりませんでした。このようなことは初めてなのでとても戸惑っていました。その霊?のせいで、寝ていてもよくうなされており、追いかけられたり、首を絞められたりする夢で、疲れがとれません。このままずるずると悪い方向に行ってしまうのは避けたかったので、もし悪い霊が憑いているのであれば、そのお祓い除霊と、商売繁盛の祈願をお願いしに天光寺に行きました。

    最初に相談室のような部屋で、お寺の住職と話しをしました。住職は、昔は会社を複数経営していたとのことで、商売の話もよく聞いてくれました。やはり、お祓い・除霊をした方がよいとのことでしたので、お祓い・除霊のために、祭壇のある部屋に移動して、お経をあげてもらいました。お経は、今まで聞いたことのないようなお経を聞きました。それを聞いていると、だんだんと宇宙のイメージが脳裏に浮かんできました。そのお経を聴いただけで、少し眠くなってしまいました。その後、私に憑いている霊を祓うがごとく、太鼓をたたきながら真言を唱えて頂きました。その最中、私の背中から何かがすっと抜けた感覚がありました。ほんの一瞬のことでしたが、それが私に憑いていたものだったのでしょう。お祓い除霊の後、住職にこういう現象に対しての心構えを教えて頂きました。見えるものだけでなく、聞こえるものに対してもアドバイスを頂き、最近疑問に思っていたことが私の中で氷解しました。最後に、商売繁盛の祈願については、祈願札が売っていましたので、それを購入させて頂きました。家に届くのは、まだ先になりますが、天光寺でお祓い除霊だけでなく祈願も一緒にできてよかったです。このお寺のお祓い・除霊は本格的です。2時間かけてやって頂きました。そういうところですから、祈願の効果もちゃんとあるのだと思います。これを機に運気も上がることを信じて頑張ってみます。有難うございました。

    私は、障がい者施設を経営しております。私達経営陣のことを新人やアルバイトにいつも陰口を言って吹聴している社員がおります。会社にあまりよくない影響がありますが、古株の社員で仕事は良くでき資格も持っているのでこれまでうまく対応して参りました。経営陣の中でよくこの問題を話し合うのですが、いつも口論になってしまい、副社長は必ず体調を崩します。この2年程、ずっとこのような状態です。先月、海外から来客があり、その方から、私と副社長に生霊がついていると言われ、私はそういうものはあまり信じていないのですが、副社長が一度天光寺で見てもらった方がよいのではと勧めるので今回、経営陣でこちらにお世話になることにしました。

    仏様の前でお経を唱えて頂き、経絡の指圧をしてもらい気の通りが良くなったと副社長は言っていました。私自身も除霊の後、憑き物が落ちたような気持ちがしました。しかしながら、もっと大変だったのは、同席した副社長の奥様の方でした。お経が始まると、座っていられなくなり、床に仰向けになって、足をバタバタ床に打ち付け始めました。まるでだだをこねる子どものようにバタバタし、そのうち「やめろーっ、うるせーっ」と大声を出し始めました。お経で奥様に憑いている何かが反応しているのだと思いました。普段奥様はとても静かでそのような大声を出すような人ではありませんので。住職が、太鼓をたたきながら呪文のようなものを唱え始めるとより一層暴れ始め、お弟子さんらが出てきて介抱することになりました。あまりの人格の変容に、驚きました。この時、私は初めて人の中に、別の人格=霊が取り憑くことがあることを知りました。これだけでもこのお寺で除霊を申し込んで正解でした。最後に、護摩木に祈願を書いて、お護摩の日に焚き上げしてもらうことにしました。また護摩札を会社に購入し、会社にお祀りすることにしました。不思議なことに、会社にお祀りしてから、陰口を言う社員が大人しくなりまして、とても感謝しております。また祈願などでお世話になるかと思いますので、その際はどうぞ宜しくお願い致します。

    私は見ていないのですが、家事手伝いをしている娘からあり得ない相談があり、悩んだあげく天光寺でお祓いをしてもらうことにしました。と申しますのも、丈夫な花瓶がいきなり底から割れてしまったり、茶碗がいきなり割れてしまったり、ゴミ捨て場に置いた割れ物を入れていたビニール袋がいきなり破けて破片が散らばったりです。先月よりこのような塩梅です。去年の冬には、手元が狂って包丁で指を切ってしまったり、盲腸で緊急入院しました。その手術でミスがあり、危篤となってしまいました。今では、退院していますが、ここ最近になってまた変な予兆が始まっているようです。何か目に見えない何かが娘を攻撃しているような印象がありました。私は仏教を信じていますので、お寺でお祓いをしてもらうことにしました。

    祭壇の目の前でご住職がお経をあげ始めると、最初のうちは静かにしていましたが、数分して、合わせていた両手が動き出し、腕が上に上がっていき、両手を激しく振り始めました。あまりに激しく動かすので、頭も上下に振れ、娘の長い髪が振り乱れて、まるで別人のようでした。中に悪霊が入っていたとのことで、ご住職は倒れた娘のお腹を両手で何回も押していました。押すたびに、化け物のような叫び声を上げていました。とても苦しそうでした。この苦しいのは、悪霊が苦しんでいるのか、娘自身が苦しんでいるのか、どちらなのかよく分かりませんでした。娘を苦しめている悪霊に早く出て行って欲しい一心で、私も心の中でお経を唱えていました。娘を立ち上がらせて、口を大きく開けて上を向かせて住職がお腹を押すと、今までで一番大きな叫び声を上げて、何かが口から出て行きました。最後に住職が人の背丈ほどもある大きな黄色い紙に、赤い文字で呪文のようなものを描いてくれました。これは天現霊符といって、住職が神様を降ろして自動書記で文字を描いたものだとのことです。その天現霊符の目の前に娘を立たせて住職がなにかおまじないみたいな言葉を唱えると、娘は立ったまま、霊符の方に傾いてしまいました。霊符に導かれて1階に移動して、霊符を燃やしました。霊符と一緒にさらに何かを上に上げたようでした。その時も娘は叫び声をあげていました。2回娘が苦しむのを見て、居たたまれませんでしたが、今、苦しんで出しておかないと、後々もっと苦しいことになると住職に言われたので、その通りなのだろうと思って娘も私も我慢して頑張りました。霊符を燃やして終わり、娘は落ち着きを取り戻しました。最後住職から色々とアドバイスをもらいました。中に入っている悪霊が出て行ったので娘の何かが変わった印象がありました。このお寺にお願いして正解でした。助けて頂いて本当に有難うございました。

    2017年頃から外を歩いていると他人の声が色々と聞こえるようになりました。罵るような内容であったり、怒っている内容であったりで、何かに憑かれてしまったのではないかと思いました。そのうち、右肩だけ重くなってきて、頭痛も始まり、疲労がたまるようになってしまいました。今は、1日中、色んな声がして、大変な思いをしています。疲れからか、記憶力が低下して、思い過ごしのこと(人の気配がするとか、妄想するとか)が多くなりました。ついこないだは、職場で、思考を取っていかれました。このままでは仕事もままならないので、駆け込み寺をやっている天光寺を見つけ、お祓いをしてもらいました。

    お祓いでは、お経を読んでもらい、ヒーリングをしてもらいました。ヒーリングをしてもらった後、重かった右肩が嘘のように軽くなりびっくりしました。ヒーリングの最中は、上の方からエネルギーが流れてくる感覚があり、この得体の知れないものは何だろうと思っていましたが、後から聞いたところ、それは光輝エネルギーというものなのだそうです。目には見えないもので、このように感じれるものがあることに感動しました。人の声については、あまり神経質にならないように、相手にしないようにとのアドバイスを受けました。そしてまた何かあったら相談に来てくださいと優しく言って下さいました。お弟子さんにも優しくしてもらい、心が温まりました。今度は、ヒーリングだけを受けに来ようと思います。有難うございました。

    私の家族は、祖父が42歳で、父と母も40前半で亡くなっており、その理由も、一人は原因不明の病で、その他はガンで亡くなっています。結婚して二人の娘に恵まれましたが、私ももうすぐ40歳になるので、まだ若い娘を二人残して死ぬのは嫌だと思っていました。何かご先祖様の因縁なのか、私の田舎の土地に関連した障りなのか、原因があるのならそれを取り除いておきたいと思い、お祓いや除霊を専門に行っている天光寺さんに夫と行きました。真言密教寺院なので、そういったことには強いんじゃないかと思ったので選びました。

    お経をあげてもらっている最中は、両手で合掌しているのですが、合掌したまま、背中が丸くなり始め、しまいには、床に丸まって寝転がってしまったと一部始終を見ていた夫が言っていました。その間中、子供のように、嘆いて泣いていたとのことです。住職が仰るには、水子が私についているとのことでした。実は私は結婚前に別の人との赤ちゃんを一人流しています。言い当てられてしまいびっくりしました。そして、両親や祖父が早くになくなっていることについては、先祖供養をよくしてあげなさいと言われました。結局、もう一度、天光寺さんに行って、水子供養と先祖供養をやることにしました。供養の仕方をよく教えて頂いたので、今後、安心して供養を続けていくことができます。また、早死にについては、何か強い因縁があるわけではないことも分かり、私は、食生活等に気を付けて、健康第一で過ごせば大丈夫と思うことができるようになりました。病は気から、と言いますが、私も早死にするのではないかと思いながら生活していると、本当にそうなってしまいかねないので、心の持ち方という紙を除霊の後、もらいましたが、それに書いてあることをよく読んで実行してゆきたいと思います。

    除霊をしてもらいに天光寺に行きました。私はストレスが溜まると、本来の私ではない人格が出てきて、頭の中でしゃべります。頭の中だけでなく、リアルでもしゃべるので、友達からは、言ってることがこないだと違うとよく言われました。会社では、それが原因で上司から嫌われてしまい、居心地が悪くなっていました。このままでは、人間関係が悪化する一方でした。私のご先祖様に何か悪いことをした人がいるのかもしれないし、または過去に私が誰かを傷つけて、その恨みを買ってしまって生霊がついているのかもしれないし、とにかく、霊的なことは専門的にやっていて、見えないことですから信用できるところにお願いしたいと思いました。

    天光寺は、仏像が沢山あり、その部屋はとても浄化されている感じがしました。除霊をしてもらった部屋には、大日如来があり、後光がとても綺麗に見えました。お寺の住職に霊視をしてもらったところ、ご先祖様でもなく、生霊でもなく、自分の想念で作ったものが、悪いものを引き寄せてしまっていたとのことでした。除霊の最中、体が硬直して、腕と手が獣のそれのような形になり、ウゥウーとうめき声が出てしまいました。私の意思とは別に動いてしまうのです。住職も大きな声で何かを言っていました。その後はあまり覚えていないのですが、私が仰向けになり、お腹や胸を押されたと思います。お経が終わると、私は静かになりました。さらに、椅子に座らされて、ヒーリングが始まりました。ヒーリングは、住職のお弟子さんらしき人がやってくれました。ヒーリングで私はどうなってしまうのだろうと不安で、力んでいましたが、穏やかな音楽がかかり、担当の人も優しく接してくれたので、力を抜いて受けることが出来ました。日頃、このような落ち着いた時間を持つことはしてこなかったので、今後、こういう時間を作った方がいいなと思いました。

    すべてが終わると、何か大きなものが体からいなくなっているように感じました。何が入っていたのか質問しましたが、私が心配することのないよう、具体的に何が、ということは言っていませんでした。でもこの後、同じようにまた悪いものを引き寄せないようにするために、心の持ち方、信念が大事だというお話をしてもらいました。聞いたアドバイスのとおりに、日常を送りたいと思います。

    私は建築士をしています。理系の人間なのですが、見えないことに興味があり、自分で本を読んだりして、瞑想やチャクラについてワークをやっていました。そのうち、不思議な事がよく起こるようになり、先日撮った動画には、光がないはずの所に、光が写り込んでいましたので、ネットで色々調べていたところ、除霊・お祓いを専門でやっているお寺、天光寺を見つけました。天光寺は、神受けの儀式というものがあり、龍神様との関係を知りたかった私は、天光寺に相談に行きました。自分の今生での役割や、今付き合っている彼女との将来等についても相談しました。

    天光寺に着くと、思っていたよりも近代的な建物でした。中は3階になっていて、とても広かったです。いたるところに曼荼羅や仏様の絵、書の掛け軸があり、見ごたえがありました。相談室に通され、お弟子さん?がお茶を早速運んできてくれました。用紙が3枚あり、すべてに記入するように言われました。書いて待っていると、住職が現れました。思っていたことをすべて話したところ、自分の想念で作ってしまっているものがあるので気を付けて下さいと言われました。色々な知識を本や動画で知ったりすると、有りがちなようです。光が写り込んだ写真は、印刷して持っていきましたが、心霊写真などではないので大丈夫とのことで、安心しました。お祓い・除霊は最後の段階まで行きました。溜まっていた邪気が無くなって、身も心もすっきりしました。ヒーリングの最中、頭や手や足に手を当てられたのですが、そこから気が流れ込んでくるのを感じることができました。停滞していた気が流れ出て行って、その代わりに新鮮な気が充満したような感覚が起きました。自分もヒーリングが出来るようになれたらよいなとこの時思いました。住職は、昔から霊的なことを専門になさってきている方なので、これからはあまり本等で知識を詰め込むのはやめて、現実的なところにフォーカスして生活してゆこうと思います。変な方向に行かずに済み、本当に良かったです。有難うございました。

    以前、不運続きのため、霊障ではないかと思い、お祓いを天光寺さんにしていただきました。自分の思い込みも強かったみたいなので、邪気を払っていただき、ヒーリングを受け、すっきりして帰宅しました。ヒーリングでは頭や手、足などに手をかざし、そこから気が入ってくるのが分かりました。このように沢山気が入ってくる感覚は初めてで、その気はスーッとした清々しいものでした。以前、他所で同じようなことをやってもらったことがあったのですが、その時よりも強い感覚でした。祭壇には、大日如来様が祭られており、後光はきらきらと光っていて、そのお顔を眺めていると癒されます。連れは、お弟子さんがヒーリングをやっていました。ヒーリングの講座をお寺でやっているそうで、結構高額のようですが、それを学びに来ている人が沢山いるそうで、興味を持ちました。

    今日は、おかっぱ頭の人形があまり良くないとの事で実家にずっと飾ってあった人形を持ってきました。天光寺は人形供養も行っていますので、霊的なことで何か問題があれば、何でも相談に来れるのでありがたいです。ご住職はとても気さくな方です。お弟子さんと気のデモンストレーションを見せてくれたのですが、お弟子さんが力を抜いて立っていると、少し離れたところから、ご住職が気を飛ばすと、お弟子さんは倒れてしまっていました。それだけ強い気を出せる人がどれだけこの世の中にいるのか分かりません。ここに来ると、霊や気のことについて勉強できるのでためになります。Youtube動画に沢山お祓いした際の映像がありますが、のたうち回ったりする映像もあり怖いですが、それが実際に憑かれてしまった人の実情なのだと思います。私はそのようにはなりませんでしたが、ご住職からは、邪気も危険だと聞き、私も気を付けなければと思いました。今度はお金をためて、ヒーリングの講座に申し込みます。またその時は宜しくお願いします。

    ここ半年位、霊が近くにいて、取り憑かれているのを感じていました。体を触られたり、耳の近くで脅されたりしていました。この1カ月は、耳鳴り・悪寒が始まり、夜はよく眠ることができなく、日常生活に支障が出ていました。どうも最近敏感になって、一つ気になりだすと、他のこともどんどん気になりだしてしまっていて、霊を扱うお寺なら何とかしてくれるだろうと思い、天光寺の除霊を受けることにしました。

    除霊の最中、なぜか、仏様が祭ってある祭壇の前に座って、住職のお経が始まると、私の意思によらずに勝手にうめき声が出てきました。住職が私の中に入っているものに向かってその正体を暴こうとしているのが分かりました。最終的には、床に仰向けになって、住職が私のお腹を押したり、背中を下から上に向かって押したりして、最後、口からこの世のものとは思えないような声が出た後、すっきりしました。

    結局、私には、キツネがついていたとのことでした。キツネにどこで憑かれたのか分かりませんが、住職の話によると、私は憑きやすい体質なのだそうで、普通の人は通り過ぎても何ともなくても、私が通ると憑いてしまうのだそうです。それを聞いて、体質改善をしないとまた同じことの繰り返しになると思いました。住職にそれを相談すると、ヒーリングを徹底的に学ぶとよいと教わりました。

    天光寺では、ヒーリングの最上級講座に、五感セラピー指導者養成講座というのがあり、その養成講座ですべてを学べるとのことでしたので、後日、申込をすることにしました。現在、月に数回通っていますが、日に日に光輝エネルギーを扱えるようになってきました。天光寺に最初にお願いして本当に良かったです。講座に通っている他の人たちとも知り合うことができ、よい仲間ができ、とてもよいご縁を頂いたと思っています。

    二泊三日の体験修行を通して学んだことは三つあります。

    一つ目は積極的に行動することの大切さ、二つ目は全ての出来事は自身の受け止め方次第で変わる(良くも悪くも)、三つめは、当たり前の事に感謝する気持ち・謙虚さが今の自身に欠けていることに気づいたことです。三つのことについてなぜ印象に残っているのか?

    それを踏まえて、今後の人生においてどのように活かしていくのか記していきます。

    一つ目の「積極的に行動する」は法話の中で先生がお話されていた言葉です。当たり前のように世間で言われていますが、日常生活で取り組めているのか疑問に感じていました。というか疑問に思うくらいなので、言葉の意味や背景まで考えようとせず、日々の忙しさを言い訳にしているのではないかと心のどこかでは思っているタイミングでした。仕事では中堅になり、後輩に教えたり、上司から期待されプレッシャーを感じつつも何とか毎日をこなす自身に嫌気がさしているもののチャレンジしていない焦りがありました。法話の中で焼き鳥屋さんの話から素敵な出会いがあったのも「三千円あるから入ってみよう」と思ったからこそ起きた出来事であって、もしなかった時の事を想像すると人生違ったんだろうなと直感が働きました。法話を見終わった後、急きょ二回目の滝行に参加することが出来たのですが、せっかくの機会、これも神様が与えてくれたチャンスだと思い、一回目に出来なかったことを早速やろうと「岩に背中をつけて滝行する」を決意しました。また八人参加中、一人目の滝行順だった為、皆のお手本になろうとも思いながら入りました。滝に入っている最中は願い事の内容を忘れるくらい必死でしたが、一日目とは異なり水の中が心地よく感じられました。

    慣れのおかげもあるかと思いますが、大きな違いは決断をして入ったことだと個人的には思っています。一日目は二分ちょっと長そうだけど頑張れるかなと中途半端な気持ちだった為、頭がかち割れるくらい激しかったのですが、二日目は滝と向き合って岩に背中をつけると決心したからか、水の中に入っても痛みを感じずむしろ気持ちよかったのが不思議でした。

    水に馴染もうと心がけたので神様が受け入れてくれたと勝手に解釈しています。この小さな小さな積極的な行動ですが、滝行で岩に背中をつける→できた時ちょっとした達成感・有言実行できた→自信に繋がる→もう少しハードルの高いとこに挑戦してみようと思うといったサイクルができるのだと感じました。この経験を通して日常生活では普段やらない新しいことをどんどん取り入れていきます。

    例えば今まで話しかけなかった会社のメンバーに挨拶+αで話しかけてみるや、学生時代の友人に数年ぶりに連絡してみる、朝に散歩してみる、気になっている本や映画に触れる、、、

    などできることや可能性は広がっていると思うので、今から実行していきます。

    二つ目の「全ての出来事・事象は自身の受け止め方次第で変わる」は一日目に聞いたことです。まさにこれは日々感じていることで、ポジティブな言葉に変換し前向きに捉えようとしています。ただ、二泊三日で色んな人と話す中で自ら希望して来ている人・研修で来ている人・親に言われて仕方なく来ている人と様々な理由でこちらに来ている背景を伺い、「全て自身がどう意味付けするかなんだよな」と思っていました。

    そう感じる出会いがあったのも、「何か気づきなさい」と天から言われているからだと感じているので、このタイミングで修行に参加できたことは大変嬉しく思っております。

    一つ目の「積極的に行動する」の根源にあるのは自分の気持ち次第だと信じていますし、それが言霊になるため、マイナスな気持ちを言葉に出したくなったときには一度立ち止まって自身に何か原因はないか?本当にマイナスな側面だけなのか?を考えなおした上で言葉に出そうと思いました。

    悪い・ネガティブな経験ばかりだと振り返った時に嫌な経験だったと植え付けられてしまう為、自身の中での意味付けは重要ですし、もし悪いことがあったらそれは今自分にとって必要な経験だったと思っているので、この考え方は引き続き継続していきます。もし周りにネガティブな発言をする人がいたら、幼少期に辛い経験をしている可能性が高い為、言葉のままではなく、その背景やその人の表情に注目しながら話を聞くことを意識していきます。

    三つ目の「当たり前のことに感謝する気持ち・謙虚さが今の自分に欠けていることに気づいた」は携帯に二日間触れなかったことが大きく影響しています。仕事はリモートワーク中心で対面で話すのは週に一日あるかないか、家族や友人との連絡もSNSのため、どれだけ携帯電話に依存しているのか気づかされたと同時に、挨拶・食事・掃除・感謝・謙虚さの大切さを思い知った貴重な時間でした。「遠隔でやりとりしているからテキトーでいいや」、「あとで返事すればいいや」と相手の連絡を自己都合でないがしろにしていたことを恥ずかしく思いました。デジタル文化の発展を言い訳に身近な大切な人の気持ちを簡単に傷つけてしまえるからこそ、私自身の言動の軽率さや丁寧さも一発で分かられてしまうのだと感じました。

    掃除で道具やモノがあることの大切さ食事の際の食材があること、盛り付けるお皿を選ぶ楽しさ、食前の言葉の意味、皆で集まって食べることの温かさ、写経や写仏で集中することの難しさ・苦しさあってこその達成感、初めましての人たちとの会話の楽しさはデジタルに触れてない温もりを久しぶりに感じられたとても私にとってかけがえのない時間でした。普段思うけど言葉に出さないことが多いのですが、敢えて言葉にすることで距離を縮められたりするのだと当たり前の事すぎてこう書いているのが恥ずかしいのですが、大切さに気付かされました。今後において、リモート会議やSNSでのやりとりでもきちんと挨拶・感謝・謝罪・謙虚さを忘れずに人と関わっていきます。また掃除の楽しさに目覚めたため、これから毎朝部屋を掃除して気持ちをリセットします。

    最後になりましたが天光寺の皆さま、先生ありがとうございました。自分自身と向き合うとてもとっても大切な時間だったことは間違いなかったと感じています。お風呂掃除が満足にできなかったのが心残りですが、次回の宿題とさせてください。

    私は会社員をしており、特に、霊と関係が出来るような仕事はしていないのですが、最近実体の無いものに触られたり、耳の近くで脅されたりしていました。仕事中もそうですし、家に帰ってからもそうです。疲れている日には、耳鳴りや悪寒もあり、あまり眠れない日が多く、物忘れをしたりなど、生活に支障が出てきていました。

    このままだと仕事の昇進にも影響があるので、除霊というようなものとは無縁でしたが、どこか信用できるところはないかと、仏教寺院を探して天光寺さんに行きつきました。電話でまずは相談内容を話してくださいとのことでしたので、話したところ、電話だけでもアドバイスを多く頂けました。その方面の知識が私にはないので、専門家のアドバイスを頂けて安心できました。

    除霊当日、妻と一緒に天光寺を訪れ、40分ほど、相談に乗って頂きました。長い話をしても嫌な顔一つせず、話を聞いてくれました。その後、仏像がある部屋に案内され、お経が始まりました。最初に聞いたお経は、今まで聞いたことのないお経でした。後で聞いたところ、天から降りてきた言葉、神語というものだそうです。仏像がある部屋には、普通の掛け軸以外に、本人の意思ではなく、天から降りてきた言葉をそのまま書いたという神文字の大きな紙も掛かっていました。除霊を専門にしているだけあり、普通のお寺にはないものが沢山あり、その後、2時間位かけて除霊をしていただき、しっかり丁寧にやっているのだと思いました。

    最初のお経の後、仏像が祭られている祭壇の目の前に移動し、しばらくすると聞いたことのあるお経が始まりました。お経の内容は、なんとなく分かるのですが、私に合わせてお経を選んで読んでくれているような気がして、身につまされる感じがしました。太鼓が始まると、お経と相まって体の中のものが出たがっているような感覚がありました。あぐらをかいて座っていたのですが、最後の方は、あまり記憶がなく、最後にあおむけに転がって、住職が、私の中から上の方に何かを上げているようでした。すべてが終わった後、身体のつぼを押してもらい、ぼーっとしていた頭がはっきりしました。これは普通の整体よりもよく効きました。

    その後、日常生活で気を付けることを再度アドバイス頂き、妻と一緒に来てよかったねと言いながら帰ることができました。最初に選んだ専門家が間違いないところで運がよかったと思います。

    私はこの法話を通して、ポジティブに考えて行こうという気持ちになりました。法話の中であげられていた、ガンを自分の手で治した医者は、最初「自分のことはどうでもいいから」とマイナスな発言をしていた。しかし、外国で追い返されたあと、自身を見つめ直し、マイナスな言葉の使用をやめるとガンが治った。そして法話では、「もうダメだ」と口にするとすぐに本当にダメになってしまうとおっしゃっていた。

    自分自身を振り返ってみたときに、サッカーをしていて上手くいかないと「もうやめたい」、誰かに怒られると「もうやりたくない」、少し面倒なだけでも「ダルい」とすぐにマイナスな言葉を使ってしまっていた。結局、その言葉を発したあとは、目の前の課題に対してさらに投げやりになり、さらには周りの人まで不快にさせてしまう悪循環に入ってしまった。今、過去を変えることはできない。であれば、これからの人生何か困難に直面した時、すぐにマイナスな発言をするのではなく、空元気であったとしても「やってやるぞ」といったようなプラスの言葉を発していきたいと感じた。人生の負け犬ではなく、勝ち組になるためにも実践していきたい。

    また、法話では、「物理的な力でできることの限界を感じた」や、「前世は少なからず存在する」といった、僕のイメージではやや現生から遠ざかっている話があった。正直、僕はあまり超次元や異次元といった世界の存在を信じてはいない。しかし、確かに日々の生活の中で、もし我々が今生きている世界とは別の世界が存在するのだとしたら、うまく辻褄が合うなと感じる話もいくつかあった。もしこの先、どうしてもうまくいかないことや、おかしなことがあった時、別の次元の話を考えてもいいのかなと前向きな考えが得られた。

    1月8日から1月9日の修行を通しての感想は体力的につらい部分もありましたが、とても良い経験になったと思いました。

    まず、最初に基本的な腹式呼吸と座禅を学びました。鼻で深く息を吸いこみ、口から大きく出す単純な作業かと思っていましたが、全く違いました。

    呼吸の秒数を合わせるために集中して数えるだけでとてもリラックスできましたし、それまでふるえていた体も温かくなりました。これは日常生活にも使えると思うのでこれからの人生で役に立てていこうと思いました。

    初めての滝行に当日いっしょになった3人と体験致しました。

    山に滝に感謝し身を清めて滝つぼに入ると水のつめたさが体に刺さる様なのですが、水圧の凄さに圧とうされました。

    何秒入れたかは分かりませんが長さより自分に出来た事に喜びを感じました。

    御宝号を唱えながらの全力でのお百度参りは真剣さが伝わりました。

    写経は筆使いがわからず1枚目はダメでしたが2枚目は倍以上の時間をかけて筆先に神経を集中させてかきました。

    日頃の生活の中にはこの様な時間はあまりありません、とても良い体験をしました。

    本堂において般若心経、光明真言、十三仏真言、何十回となく唱えせてい頂きました。

    日頃自分自身の悩みを少しでも無くすように頂いたパンフレットを何らかのきっかけにさせて頂きます。

    天光寺の先生、その他皆様に感謝致します。

    二泊三日という短い期間でしたが、体験修行をさせていただきました。仕事が多忙ゆえ、余裕がなくなり、人に優しくできない自分を変えたいと思い、参加させていただきました。​​​

    瞑想、呼吸法は、自分の心と身体を変え、整えるのに非常に有効でした。積極的に日常にとりいれたいと思います。

     

    早朝からの水交換、掃除は初めは手がかじかんで辛かったですが、徐々に体が温まり、心が整っていくのを感じました。毎朝ギリギリまで寝てしまう自分ですが、朝の掃除は続けたいです。

    法話のビデオでは、先生の「腐っても鯛、負けてたまるか」の言葉が、強く心に残りました。人生は一度きり、積極的に生きていきます。

     

    ご指導いただいたご住職はじめ天光寺のみなさま、本当にありがとうございました。

    まずは、2日間大変お世話になり、ありがとうございました。

    そもそも、こちらに訪れたきっかけは、滝行でした。学生時代にスポーツをしており、自分の望んだ道でしたが、心身ともに追い込む日々を過ごしてまいりました。​​​​


    ​​​​​​社会人になり、早5年。社会人には社会人なりの厳しさ、辛さもありますが、学生時代のそれとは違います。入社して5年にもなると、仕事にも慣れてくるため、しばしば良くない習慣が身に付いてしまっているなと自覚することもあります。それを払拭し、少しでも次のステップに進めるように普段味わえない環境に身を置くことで、改めて身心の鍛錬をしたいと思いました。はじめは滝行がきっかけでしたが、他の修行も行っているということで、こちらを選ばせていただきました。

    ​​​それらの期待をもって実際に来てみたら、思っていた以上のことを得られた気がします。

    ・真心をもって物事に接し、行うことが大切​​​
    ・自然は強く優しい​​・礼儀作法の重要性の再確認

    ​​​​こういった気づき以外にも、一番考えさせられたことは、「目に見えるもの」「目に見えないもの」についてです。現代では、目に見えないものを見えるようにしていこうという動きが活発かと思います。もちろんそれも大事だと思いますが、一方で目には見えないものが多く存在しているのも事実です。そういう意味では、今の時代にはこれらを共有させた考え方が必要なのではないかと思います。そして、それを実行させていくことが、この2日を経験した僕がすべきことと思います。

     

    最近、とある本を読んだのがきっかけで、人生を振り返ってみると、どうも私は運がないどころか、何かに取り憑かれて邪魔をされている気がしてなりませんでした。最近のことを言えば、自家用車を何度も傷つけられてしまう、交通事故にあう、癌を患う、仕事で大変な部署に異動になる、通販で買ったものが不良品ばかり、、等数えればきりがありません。。友人からも、あなたついてないわねと言われますし、一番ショックだったのは夫から、俺まで不運になってる気がすると言われたことです。私なりに、努力はしているのですが、努力がかえって仇となってしまうことが多いのです。

    50歳の節目に、本格的にお祓いをしてもらおうと、インターネットを探していたところ、除霊までやっている天光寺を見つけました。ホームページには情報が沢山載っており、信頼できるところだと思って電話をしたところ、親身に話を聞いていただけたので、すこし都内から離れていますが、除霊とお祓いをして頂くことにしました。土地の問題も少し話をしていたので、家の中と、空と家の境目の写真を撮ってくるように言われましたので、写真を持参しました。写真には、〇のシャボン玉みたいなものがいくつか映っていましたので気持ち悪かったです。住職に聞くと、それはオーブというものだが、これはあまり気にしなくてよいと言われましたので、気にしないように過ごしています。除霊とお祓いは最後まで行きました。私は、天光寺の動画に出ているように、うなったり、倒れたりはしなかったのですが、太鼓をたたきながらお経を住職が読んでいる最中に、何かが私の上半身から上へ上がっていく感覚が一瞬だけありましたので、それが、私に取り憑いていたものだと思います。最後に、椅子に座らされ、ヒーリングというものを初めて受けました。終わった直後は何も感じなかったのですが、家に帰ってみると、肌がピリピリして、洋服にもそれが残っている感じがしましたので、宇宙の気が沢山降りてきていたのだと思います。

    これからは、自分が不運とか考えずに、人生を楽しむようにしてゆきたいと思っています。こういう専門的なことをしているお寺に行って、これまで知らなかったことを知ったり、感じたりすることができたのも大きな収穫でした。除霊・お祓いは安くはありませんが、それだけの価値はあると思いました。

    日常生活と異なる修行のおかげで、気持ちを改めることができたので、良い体験になりました。そして、中学生と一緒に生活することも新鮮でした。

    滝行は、人生で2回目でしたが、しっかりと最後までやりきれ、終わった後は清々しい気分になりました。

    瞑想は、普段からおこなっていますが、お寺での瞑想は集中でき、手汗がでるほど効果を実感できました。

    また、住職のお話は大変興味深く、貴重な時間でした。宗教の話だけではなく、政治や世界情勢の話なども聞くことができて勉強になりました。もっとたくさんのお話を聞いて学びたいなと思いました。また、「氣」については、不思議な感覚があり、新たに興味を持ちました。

    あっという間に感じた一泊二日の体験修行でしたが、有意義に感じたことは、今後の生活に取り入れていこうと思っています。

    子供の頃から、長い間生きていることに違和感があります。元々、神経質なこともあり、不登校や引きこもり、うつなどを経験していますが、この状況からなんとか抜け出したいと長い間思っていました。また、家族関係や人間関係を築くことが上手ではないため、ストレスを抱え込むことが多く、大きな音に対して不快感や不安感が出てくることもあり、その点も悩みの種でした。なにか良い方法がないかといろいろと調べていたところ、インターネットで天光寺さんを見つけ、相談させていただきました。

     

    ご住職がお話を聞いてくださり、すぐに来るように言っていただいたので、さっそく伺って、お祓いをしていただきました。お経をしばらく聞いているうちに、頭がぼーっとしてきました。少し意識が飛んだ時間があったようで、身体が勝手に震えたり、前後左右に動いたりしはじめ、いっしょに行ってくれていた母と、ご住職の奥さんが私の体を支えてくれていたそうです。2時間以上のお祓いが終わってから、ヒーリングをしていただいたのですが、ご住職の手が温かく感じたのを覚えています。ご住職から、あまり神経質にならず、気持ちを楽にして生活するようにアドバイスをいただき、天光寺をあとにしました。

     

    全て終わると、なぜか気持ちも身体もとても軽くなっていて、1ヶ月ほど経った今は、家族のことや仕事のことを前向きに考えられている自分に驚いています。天光寺さんには本当に感謝しかありません。これから先も何があるか分かりませんが、どうにもならない時には、またご相談させていただこうと思っています。

    私はこの三日間人生の記憶に残るきつい体験をすることができました。ただ、この体験は一人では乗り切れないようなものが多かったです。励まし合うことでなんとか負けずにやれました。

    先生からのお話では、私は特にあいさつの大切さに気付かされました。単純に普通に生活や仕事をしていて、ここまで真剣にあいさつをしたことはありませんでした。すべてはあいさつで決まるし、あいさつがチャンスを呼び込むということも納得しました。

    また、負けないことという言葉はちょうど今の私の状態にぴったりな言葉でした。いつもポジティブな思考と行動をしていくことで前向きな人になれるし、自分を負のスパイラルへ向かわせることもなくなると感じました。

    滝行では、自分と向き合うとても良い時間を過ごすことができました。生まれてから今までの覚えていることがあふれ出てきました。だけども一つとして良くない記憶が出てきませんでした。そのため、滝行終了後は、こんなに恵まれているんだと感謝することを心の中で考えていました。感謝することで、一つ一つの動きが気持ちのこもったものになるのではないかと感じました

    自分自身を見つめ直すとても充実した三日間でした。ヨガや座禅も自分の生活に取り入れたりして、ストレスフリーな状態を維持しようと感じました。食事に関しても、普段好きなものを食べられていることに感謝せねばならないと感じました。しっかりと「いただきます」ということはとても大事なことです。

    さて、ここで自分の普段を振り返ってみようと思います。私は普段ストレスに対して食べる事で解消してきました。しかし、その食事のとり方によって、血圧もまだ22歳なのに高くなりつつあります。ここでは普段と違うという時点でストレスではありますが、身体を動かしたり、声を出すことでストレスを解消できていました。運を動かすと書いて運動ですが、本当にその通りだと感じました。適度な運動は私にとってですが、大切なことであると思いました。

    また、掃除に対しての意識が、変わりました。掃除をすることで、それが自分の心も綺麗にしているという点です。一つ一つの基本的な行動に対してこだわりを持ち、感謝した行動を実行していきます。

    天光寺で、二泊三日の企業研修を行った。一日目、寺の到着後に目標を記した。そこで私は、「本当の自分を見つける」と記した。日常生活では、物事を傍観的な対応をしてしまい、ありのままで、自分の欲のほっするまま行動すること、自分を表現することが苦手であった。その中で、来年4月の就職に備えて、自分自身を見直し、将来を明るいものにしようと考えた。その目標を持って臨んだ三日目は、三つのことを学び、考えた。

    まず、一つ。「幸せ」という言葉だ。先生のお言葉の中にも、幸せになりたいですか?という質問が何度も登場した。私は、これまでの二十二年間の中で「幸せとは何か」という問題にぶつかり、そのたびに答えの見つからない迷宮に迷い込んでしまう。幸せになりたくないかと問われれば、もちろん幸せになりたいと答えるが、幸せをどうとらえるかは人それぞれであり、私は、その明確な答えを未だ持っていなかった。この研修をとおして、絶対的な回答は見つけられなかったが、その形は見えてきた。自分が百年後に死ぬのか、来年死ぬのか、今日死ぬのかは誰にもわからない。それを分かって消極的に生きるくらいなら、当たって砕けても、積極的に生きた方がいい。つまり、目の前の一日一日、一瞬の時を必死に生きるしかないのだ。先の事を考えること、見通すことも大切だが、目の前の出来事に夢中に、本気になれないやつがそんな資格持つべきではない。だから、私は、一分一秒の重みを日々感じながら、毎日、明日死んでも後悔しないような生き方をしようと思う。その結果として、いつどんな形になるかは分からないけれど、「幸せ」が手に入るはずだ。そして、それが私の生きる意味になる。

    二つ目は「限界」という言葉。目標の一つとして、「自分の限界を知る」というものがあり、修行の中で見つけようと考えていた。まず、感じた事として、世の中には物事を判断する時、二つのものさしがあること。一つは、他人が判断するものさし、もう一つは自分自身の心のものさし。限界は、前者でなく後者のものさしが振り切った状態を指す。滝行を含めた全ての修行の中で、私は限界まで挑めたか。答えはノーだ。周りの人に何と言われようと、自分が少しでも甘え、妥協した部分があったとすれば、それは限界ではない。いくら限界に近づいていても、限界ではないことは不変である。しかし、この三日間の修行で、限界に挑み続けたことは決して無意味ではない。その理由は自分を評価するのは、他人のものさしだからである。つまり、何を得たかというと、自分自身がストイックに自分を高めることは、自分を高めると同時に、他人にも見られることだ。だから私は、明日から結果という明確なゴールに向け、常に限界を目指し努力を続けたい。その結果、人と人の結びつき、人脈を形成し、舞台と役者を作り上げることにつながるはずだ。

    そして三つ目は、「仲間」である。三日間のつらく苦しい修行の中で、何度心が折れかけたことか。でも、それを支えてくれたのは、共に頑張る仲間であった。声の掛け合い、仕事の分担、その存在そのものが、私の救いであり、モチベーションであった。憎むより愛する、力むより任せる、喧嘩するより仲良くする。この言葉は、私たちの団結をより一層厚くする心の持ち方である。人を信頼することは、簡単なことではない。裏切り、ねたみ、嫉妬、人と人は簡単にはつながることができない。でも、私たちならできる。この瞬間を共有し、同じ道を歩む私たちなら、必ずできる。この三日間で得た大切な宝物である。

    「本当の自分を見つける」ことは、正直できなかった。目の前にたくさんの選択肢があり、どれが最善なのか、何をもって最善なのかそんな分かれ道に立ち止まっているのかもしれない。ただ、ここで得た経験は、私の背中を押してくれた。正解とか不正解とかではなくて、やることに意味がある。心の持ち方ひとつでそれにつながることを学んだ私は、本当の自分探しの一歩目を踏み出せたはずだ。生きる事、働くこと、学ぶこと、悩む事、目の前の課題は数え切れないほど存在する。「幸せ」、「限界」、「仲間」この三日間で得た一つ一つは、私を支える防具であり、武器になる。この経験は、絶対に無駄にしない。必ず大きな男になり、後悔のない人生を送る。

    私は、北海道在住の29才の主婦です。ここ2~3年で、ものすごい霊障を受け、感情・気持ちが一切なくなってしまいました。。家族を想う気持ちもなくなってしまいました。喜怒哀楽、人の感情に興味がなくなってしまっている状態です。テレビや新聞、インターネット記事を読んでも感情が動かず、そして意味が飲み込みにくくなってきていました。ここ3週間位はずっと眠れずにいます。睡眠薬が効かないほど、頭が興奮しているようです。戦争や、コロナはみんなが関心を持っているのに、私だけ関心を持てませんでした。このままだと、霊に殺されると思い、天光寺の除霊・お祓いの動画で、体の中に悪霊が入っているのが出されるのを見て、天光寺に決めました。後から聞いた話ですが、天光寺の住職様は、いたこ協会とつながっていて、いたこ協会は、いたこに相談に来たお客様で手に負えない人がいると、天光寺を紹介しているというので、私の判断は確かでした。

    除霊をしてもらうと、私も、動画のように、うめいたり、泣いたり、怒ったりして、足をバタバタさせていたのを記憶しています。その最中は、別の人格にコントロールされているようでした。住職様が、お経のような呪文のようなものを唱えると、それが激しくなりました。3時間位かけて除霊が終わりました。終わった後は、頭がすごくはっきりしていました。ホテルに戻って、その日はストンと寝ることができました。私の中にも、悪霊が入っていたと思うとぞっとします。いつどこで入ったのか分からないので、もしまた同じようなことがあれば、少し遠いですが、東京の天光寺にお世話になろうと思っています。

    私が研修の中で、最も印象に残ったのは、「しっかりとした挨拶」でした。それによって「チャンスを掴めるか」によって「舞台で役者を演じる」ことができます。これらの言葉は全てご住職が仰っていたことです。人脈があることによってチャンスが生まれる。いつどこに潜んでいるのか分かりません。だからこそ、誰に対しても丁寧な挨拶で振る舞うことを教わりました。

    特に「頭を下げる時と上げる時の速さを一定にする」ことが大切だと感じました。なぜなら、それができている人がとても少ないからです。それだけで好印象を与えることができます。よく考えれば当たり前のことですが、大体の人ができていないことなのです。だからこそ、当たり前のことを当たり前にするということがこの世の中で大切だと改めて痛感した研修でした。

    また、言われたことをきちんと行うということを強く意識した研修でもありました。これは、当たり前のことです。しかし、自分を含め周りの人も同じことを言われてしまう場面が多かったです。言われたことに対して、ただ返事をするのではなく、責任を持った返事を途中から意識しました。そうすると、自然に声は大きくなり、はっきりしていることに気づきました。いくら表面では意識しているといっても、そういった細かい部分に人間性が出るものだと思いました。今までなんとなくやっていたことが、自分にとってどれだけ大きな意味を持っているのか改めて知れた研修でした。

    まとめると、凡事徹底によって、人生が好転すると感じた研修でした。誰よりも当たり前のことに対して百パーセント以上で取り組む。たったそれだけで、特別な人間になれると強く感じました。だから目の前にある物事に対して、今に対して真剣に向き合うこと。今から徹底して行動します。例えば、きびきびとした行動、ちょっとした移動など、ふだんよくある状況です。しかし、そこで機敏な行動をするだけで、私生活は一変します。だらだらとしていれば、全てがだらだらしてしまいます。こういったさりげない行動が大切だと感じています。今思えば、一日目の研修で言われていたことが分かります。この気づきによって、自分は今以上により成長できます。この文を書き終わる今から凡事徹底された人間を目指し、精進してまいります。このような貴重な経験をさせて頂きありがとうございました。結果で恩返しします。

    今回、自身の会社から企業研修として行ってみないかと声をかけていただき、当初は良い経験にはなるだろうと思い、今回参加させていただきました。来てみると実際は、良い経験という話ではなく、より自分自身を高めることができた二日間でした。私は自身の勤める会社では、良く時間にだらしないと評価されています。確かにそういう部分は自分でも嫌いで、逆に悩みのひとつでもありました。

    実際はその悩みも小さなものであることにも気がつくことができましたし、その小さな悩みも解決できそうな気がしました。

    私は、自分自身にとても甘く、そんな自分も好きではなかったのですが、時には自分にも甘く、ただ、やれる時にはしっかりやりましょうという意味もよく分かりました。とても心が楽になりました。

    私が今回の企業研修で最も好きで楽しく、辛かったのは、滝行でした。テレビや動画サイトで見ているよりもはるかに過酷で、最初、水に触れた時には本当にビビりましたが、そこで耐えることによって得られたものは大きかったです。

    理由はよくわかっていませんが、とてもスッキリし、本当に何か悪いものが取れた気がしました。

    結果的には辛い内容もありましたが、とても良い経験になったことはもちろん、今後の自分の動きに変化をさせていただけるものをいただくことができました。今までの自分の良くない点や変えるべき点と見つめ直すことができました。

    本当にありがとうございました。

    二日間の体験をとおして自分に心のゆとりのなさがあることが改めて分かりました。

    滝行では、寒かったですが、やってみて体が引き締まる思いがしました。そして、自分の事が改めて小さい人間だと感じ、自分を見直していく良いきっかけになりました。

    食事の時も、あいさつをするなど普段では意識しないような事も意識することが大事だと感じました。

    お百度参りでは滝行の前にやりましたが寒い中でしたが身体も温まり滝行に行く前に集中できたと思いました。

    三禮では、自分の体力のなさと集中力のなさを実感できました。ふらふらになりながらですが、できた時の充実感と達成感を感じて心が満たされた感じがしました。

    全体を通してふだんできない体験ができたことを会社にも感謝したいです。

    3月14、15日の二日間、天光寺にて研修させていただきました。

    研修内容は、挨拶、滝行、発声の仕方等でした。最初にお寺に研修に行くと聞いた時は、どうなるのか心配で今日を迎えましたが、辛いこともたくさんありましたが、今後の人生にいかせることを学ばせていただきました。

    滝行などは、たまにテレビで目にすることがありますが、全然余裕でできると思っていましたが、とても苦しくて奥までいけませんでした。

    次回、もう一度来ることができたら、今回、できなかった色々なことにリベンジしたいと思います。

    お寺の方々もとても親切に接していただきありあがとうございました。

    一泊二日の体験修行をおこなってみて感じたことは、目的として「スッキリ」したいという気持ちと、今の自分と向き合いたいと思って申し込みをしたのですが、スッキリを超え、新たな自分に出会えました。

    一日目は、あいさつやお百度参り、滝や般若心経などびっちりでした。どの行も初めてでした。発声練習では、なかなか声が続かず苦労しました。何度おこなっても長くできず。暑い中のお百度参りは久しぶりに走りました。心を込めながら10分。あっという間でした。

    みんなで車に乗り、30分間かけて行った滝行。初めて会った方々でしたが、みなさんとても良い方ばかりに恵まれ、みんなで助け合い支え合いながら滝に打たれました。スタッフの方が近くにいてくれ、細かく指導してくれたので安心できました。2分間だったそうですが、長く感じました。8月下旬でしたが、打たれた後は涼しいを通り越し寒いくらいでした。

    その後の夕飯。とっても身体に染み渡りました。全てが先生の手作りだと聞き、主婦の私は少し反省しました。

    お腹いっぱいの後の般若心経、疲れもマックスだったので辛かったです。全てが終わりゆっくり寝られるかと思いきや、良く眠れず朝を迎えました。疲れが抜けないと思っていましたが、朝の声出しや瞑想をしたらスッキリしました。

    日常から離れ、仕事のことも今まで考えていたことも考えなくてもよいという事がどれだけ楽で、逆にそれらがどれだけストレスなのか改めて分かりました。正直、一日では何もかも足りず、また帰って日常に戻りたくないのが本音ですが。ポジティブな言葉を発して積極的に行動し、自分を愛しながら過ごしていけるように少しずつ変われたらと思います。

    先生をはじめ、みなさん本当に優しく温かい方ばかりで本当に来て良かったなと思っています。ありがとうございました。次回は、体験修行も良いですが、ヒーリングの勉強などもできたらなと考えています。その際はまたどうぞよろしくお願いします。

    5年くらい前に、京都のあるお寺の裏山にあるお墓で怖い体験をしました。それ以来、ネガティブな考えにとらわれたり、考えがまとまらずイライラしたりして、集中力が散漫になってきたように思います。物事が良くない方向に進むことが増えているようにも思われ、頭の先に広がる鳥肌や寒気をしばしば感じるようになり、一度お祓いを受けたいと思い、天光寺さんを訪ねました。

    お祓いをしていただき、長く悩まされていたイライラすることやゾクゾクする感覚はほとんどなくなりました。

    また、悩んでいた仕事は転職することを決意し、現在、活動中で、少しずつですが、物事が良い方向に進み始めたように思います。

    大変お世話になり、ありがとうございました。

    僕はこのお寺に来て色々なことに気づけました。それは忘れかけていた大切な気持ちでした。家ではどんなにウザイと思った口うるさい言葉でも、今では早く聞きたいと思うほどお父さんとお母さんが大好きだったか。ふとした時に、お父さんやお母さんの顔が頭にうかんで、家に帰りたいと泣いてしまいます。この手紙を書いている時も泣きそうになってしまいました。

    僕はお父さんやお母さん、家族みんなに迷惑をかけてしまっているのに、自分は何もしてあげられていません。喧嘩をしても、くだらない意地をはって、謝りたいのに謝ることもできず、何か気に入らない事があるとすぐに誰かのせいにしてしまう僕ですが、お父さんやお母さんを想う気持ちは世界一です。ずっと健康でいてほしいし、ずっと一緒にいたいと思っています。でも、さすがに20日は長くないですか?僕の心がもちません。

    最後になりますが、僕を生んでくれてありがとうございます。僕はお父さんとお母さんの子供で幸せです。いつもごめんなさい。そしてありがとう。短いですが、僕が思っていることを全部書きました。この手紙を読んで泣いてくれるとうれしいです。お父さん、お母さん、大好きです。愛しています。

    数年前に亡くなった知人の写真を見ていると、私の胸の中で魂の鼓動を感じ、眠ろうとすると魂の鼓動から、体に電気が走り、それが私の体全体に行きわたり気持ちが悪くなりました。

    この3日前から、私の体の中に宿り入り込んでしまって、強い振動や痛みがひどく、何度かその知人に話しかけましたが、出てくれません。また、その方の写真を太陽にかざすと、必ず魂が見えてきます。この1週間は、眠れなくなり、食事も摂れなくなっていました。

    リビングにお供えをして、ガラスのコップに水を入れると、揺れ始め、ロウソクの火が大きく燃えて危険な状態です。

    私自身、これ以上は限界を感じ、藁にもすがる思いで天光寺さんへ電話をかけたところ、すぐにご住職にお話を聞いていただき、その日のうちに除霊をしていただけることになりました。

    除霊が始まると、体が自然と動き始め、何かが体から抜けていく感覚をおぼえました。除霊のあと、ヒーリングもしていただき、体が軽くなり、すっきりしました。

    これからは、終了後にご住職からいただいた貴重なアドバイスを常に意識しながら生活していきたいと思います。

    ありがとうございました。

    天光寺での合宿は、まさに肉体と精神を鍛える日々でした。一日目から滝行だったのですが、自分が想像していたものより水の勢いが強く、道中もとても厳しいものでした。普段あまり使わない筋肉をフルに使ってヒィヒィ言いながら前の人に付いていったのを覚えています。滝行では、私の会社の他にもう一グループが参加していたのですが、その方たちが先に滝に打たれている姿を見てとても気合が入りました。前の方たちが終わり、交代する時に「頑張ってください」と言われたのがとても心に染み渡り、会社の仲間全員で、期待以上のものを返せるように一丸となって臨みました。女、男、女の順で打たれましたが、スタートの人が肝心ということで、誰が行く?となった中で、ひとりの仲間が素早く手を挙げて、良いスタートを切り出せました。仲間ががんばっている間も、御宝号の南無大師遍照金剛を唱える他、良いペース!もっといけるんじゃないの!などモチベーションの上がる言葉をずっと投げかけており、チーム内の絆を改めて感じることができました。また、私の時もそれは変わらず、滝に打たれている中で、御宝号を唱えると必ずみんなが返してくれるという安心感で、恐怖や緊張に打ち勝つことができました。滝から出てきて目を開けた時の、東京都は思えない緑の多さと綺麗な空気にとても感動しました。また、一日目にやるはずだったお百度参りが悪天候のため少ししかできなかったのは残念ですが、作法や目的を詳しく知ることができたので良い経験でした。

    二日目は三禮です。「おん、さらば、たたぎゃた、はなまんな、のうきゃろみ」と唱えながら立って座ってを繰り返すのですが、一言で言って、本当に死ぬんじゃないかと思いました。昨日の滝行に行くまでの山登りで使わない筋肉を酷使したせいで筋肉痛になり、それを追うように三禮が始まったため、後半はほとんど意識がありませんでした。声出しに集中すれば、動作を忘れ、動作に集中すれば声出しを忘れさんざんでした。何とか三禮が終わり息も絶え絶えになっている時先生がいらっしゃって一言「おつかれさん」を言われた時、一気に身体の緊張がほぐれました。三禮のあとに食べたご飯は、格別においしかったです。特に厚揚げが最高でした。その日の夜、会社で出された課題である、成功の誓いの詞の計測だったので、何度も何度も挑戦し続けました。最初は個人プレーだったのですが、チームプレーとなり、私とKさんとMさんの三人でひたすら練習しました。私は原稿は1時間ほどで覚えられたものの、タイムが縮まらずそのへんを二人にうまくカバーしてもらいながらしゃべり続けました。そして、チーム内のみんなが思っていたことが、絶対に相手チームより先に終わることでした。やはり、仲間ではありますがライバルでもあるので、その点に関しては3人とも頭において練習していました。そして、本番。何十回もの失敗を繰り返した結果、全員ノーミスそしてタイムは26秒でした。タイムを伝えられた瞬間、仲間たちとハイタッチしたのがとても印象に残っています。絶対にやってやると誓ったことが達成できたときの喜びは今でも忘れられません。そしてあとはもう1チーム。クリアしたら私たちが先生となり、同じ章を担当する人にアドバイスと計測をしてあげました。しかし、なかなかうまくいうことができず、ラスト2回のところまできてしまいました。2回目の挑戦。入りもばっちりで、原稿どおり読めたと誰もが思ったなか、記録はなんと29.14秒。そこにいた全員が惜しい!と布団に倒れこみました。しかし、失敗は失敗。良いペースできているのも事実なので、泣いても笑ってもあと1回。全員が見守る中、好ペースで進み1度も止まることなく終わりました。一瞬、静かになり、全員が見つめる中、伝えられたタイムは28秒。全員大盛り上がりで終了することができました。やはり成功するなら全員で、その日の夜はとても気持ちよく眠ることができました。

    そして最終日。朝目覚めた時、今日で最後なんだと思うとあっという間だと感じました。初日では数分で無理だった正座も、最終日には30分耐えられるようになったのがとても成長を感じました。朝の掃除も慣れたもので、講堂を掃除するのに時間がかかりすぎて、手伝ってもらわないとできなかったことも今では1人で終わらせることができ、他の人の手伝いに行けるようにまでなれました。それだけここになじめていたんだと思うと、少しだけ寂しく感じます。この2泊3日の合宿で、自分の限界を知れたこと、仏教についての知識を得たこと、そしてなにより仲間との絆を再確認することができました。この気持ちを忘れずに次の合宿に臨んでいきます。楽しかったです!

    ここのところずっと妻が病気がちで、私もしばらく調子が悪いのが続いていました。今住んでいる家に引っ越してきてからそういうことが続いていました。

    私自身は、具体的には、不眠、首肩がずっしり重い、頭痛・耳鳴りがしていました。

    私はバツイチで、以前の奥さんと分かれて、まもなく再婚して今の家に引っ越しましたが、彼女に恨まれているせいで、生霊が飛んできてそうなっているのではないかと疑いました。というのも、寝ているとその顔が脳裏に浮かんでくるからです。天光寺さんに電話して相談すると、生霊についても祓ってくれるとのことでしたので、すぐに予約を入れました。

    当日は妻と天光寺さんを訪問しました。今の妻は、半信半疑、本当に生霊なんているのか?と言っていましたが、妻も影響を受けていたら悪いと思い、なんとか説得して連れて行きました。住職さんには丁寧に事情を聞いてもらい、ありがたく、そのまま妻と一緒にお祓いをしてもらいました。お経を聴いているととても心が洗われる気がしました。最後に護摩木を頂き、そこに願いを書いて納めました。天光寺の護摩焚きの時に、燃やしてくれるとのことです。お祓いが終わり、ご仏前にお参りをして帰りました。天光寺の宝物殿には沢山の仏像があり、有難くお参りをさせて頂きました。お祓いを受け、お参りをすることで、気持ちが楽になり、体の不調が少し改善しました。私の妻もよくなったと言っています。

    最初は、お祓いをしているお寺はどういうところなのか不安がありましたが、いざ行ってみると、普通のお寺より仏像が置いてあり、大きな祭壇が3か所もあり、立派なところでした。お祓いをしてみたいという知人がいたら、紹介してあげようと思っています。お世話になり、有難うございました。

    4泊5日の天光寺合宿の感想は、ひとことで言うととてもきつかったです。初日に天光寺に着き、荷物をほとんど使えないと聞いた時は、自ぜ円に聞いていた話と違うし、5日間やっていけるか純粋に不安でした。最初に般若心経を2時間取り組みましたが、初めての経験だったので辛く感じながらも、新しい感覚でいました。お昼ご飯の後、南無大師遍照金剛を1500回いう時間があり、夜ごはんの後、写経で般若心経を文字で全て書き写して初日が終わりました。初めて体験することばかりだったので、きつかったです。

    2日目は、朝の掃除の後、十三仏真言を1時間半取り組み、一般のお客様に交じってお百度参りと滝行をやりました。こちらも初めての体験で、そういう流れで滝行を行うのかということが知れてよかったと思います。南無大師遍照金剛と南無山王大師、南無竜王大師にあいさつを行い、滝行を行ったのですが、想像していたものよりも滝の勢いや水の冷たさが上回っていて驚きました。実際に滝に打たれている時は、何も考えることができず、ただひたすら南無大師遍照金剛をさけぶことしかできませんでした。時間の感覚がよくわからなくなっていましたが、とても大変な行だったと思います。

    その後は、1時間ほど瞑想を行い、夜ご飯の後、仏様を写す写仏に取り組みました。2日目は滝行のインパクトが大きく、それが印象に残っています。

    3日目は、朝の掃除の後、行着たたみをして、瞑想を行いました。このころから、瞑想で鼻から吸って口から出す流れであったり、声を出す際の大きさや長さが伸びてきたような感じがします。その後、十三仏真言を唱え、お昼ご飯の後、お百度参りと川行に取り組みました。前日の滝行の際は、一般のお客様がいたということもあり、お百度参りは軽めになっていたのですが、今回は、他に人はおらず、お百度参りは通常の108回往復で行いました。石の上を裸足で走っていたのですが、途中で足の裏の皮がむけてしまうアクシデントがあり、とてもつらかったのですが、無地やりきることができました。

    川の水も冷たかったのですが、天気が良かったこともあり、そこまで辛く感じることなく終えることができましたが、天気や時期が違えば、とんでもなく激しいものになっていたと考えると、この日にできて良かったと思いました。

    その後十三仏真言をを2時間取り組み、三禮をやりました。三禮は、特定の動作を324回おこなうというもので、座った状態から立って座るという動作になっていました。お百度参りの際などに少しやっていたのですが、324回ぶっ通しでやると、体が崩れ落ちて足が動かなくなるくらいきつかったです。最後に写経で、般若心経ををおこなって終了しました。

    振り返ると3日目が一番辛かったです。

    4日目は、朝の掃除をして、瞑想、行着たたみをおこない、十三仏真言に取り組みました。お昼ご飯の後、お百度参りと滝行をおこなったのですが、自分は前日のお百度参りで足の皮がむけてほとんど走れない状態だったので、見学という形で参加しました。この日は、少し雨がふっていて、とても寒かったのですが、4人とも無事滝行を終えることができていて、安心とともに、しっかりやり切る力があってすごいなと尊敬、感心しました。その後は、般若心経と写仏をおこない、4日目が終了しました。この日は、4人のガッツを見て参考にしようと思う日でした。

    そして、最後の5日目、朝の掃除をおこない、瞑想、十三仏真言、光明真言、般若心経に取り組み、先生のお話を聞いて終了しました。先生のお話で、悪いことを考えるとどんどん悪くなっていくという主旨の話があり、確かにそうだなと思いました。ネガティブに考えるよりもポジティブに前向きに考えて生きていきたいと思いました。5日間、天光寺の合宿をおこなったのですが、あいさつはしっかりと積極的に動いてできる人間だとアピールをすること、チャンスをつかみ取ることが大切だと感じました。最後に、諦めないで取り組む意思や姿勢が今後の仕事で役に立つと信じて生きていきたいです。

    1日目は、あいさつの一連の仕方を教えていただき、その後、「いらっしゃいませ。ありがとうございました」の丁寧なあいさつの仕方を学んだ。その時思ったのがこんなに頭を下げなくてはいけないんだと思った。今までを振り返って考えてみると、あんなに深々と頭を下げたことがない事に気づくことができ、改めてあいさつの仕方について考え直すことができた。その住職のご祈祷をしていただき、初めて本物の仏壇とお坊さんのお経を聞いてすごく神々しいと感じた。

    その後は、光明真言を2時間ぶっ通しで唱えた。自分は、今までずっと運動部で体力には自信があったが、正座、あぐらでずっと2時間お経を読んで思ったことは、じっとしているのも辛いことなんだと分かった。光明真言を唱えた感想としては、難しい漢字ばかり書いてあって読み仮名は書いてあるが、独特なリズムでなれるまでなかなか時間がかかった。これを暗記しているお坊さんはすごいなと思った。

    その後は、南無大師遍照金剛を数珠を使って1500回唱えたが、頭がおかしくなりそうだった。その後夕食を食べ、写経をし、1日を終えた。1日目の感想としては慣れない環境で不安だったが、初めてのことがたくさんあって楽しかった。

    2日目は、6時に起きて、掃除から1日が始まった。掃除が終わったらみんなで食前の言葉を唱えて朝食を食べ、1時間半瞑想をした。瞑想をするのは初めての経験で、最初は落ち着かなかったが、徐々に呼吸が落ち着いていって、心が安らかになるのを感じた。瞑想が終わって目を開けるとスッキリしているのが分かった。体も少しポカポカしてすごく心地よかった。

    その後、十三仏真言を唱えてお百度参りと滝行のあいさつを教わってお百度参りと滝行をした。お百度参りでは裸足でコンクリートを走って足の裏が痛くなった。滝行では、自分の前の人が先に打たれる姿を見て少し怖くなったが、気合を入れて水をかぶり、その一瞬は冷たいと思ったが、入ってみると案外余裕で、すごく気持ち良かった。帰ってきたら、1時間光明真言を唱えて夕食を食べて写仏を書いて2日目を終了した。

    3日目、6時に起きて6時半から掃除して朝食をとり、前日の使った行着をたたんだ。その後お百度参り108回をした。お百度参りの終盤につれて、みんなの顔が険しくなっているのがわかって、みんなも辛いんだから自分も頑張らないといけないと思って頑張った。走り終えると、足のうらが痛くて苦しかった。でも、みんなで辛いことを乗り越えた達成感はすごく気持ちよかった。お百度参りが終わったら、川行をした。汗もかいてて、気温もあたたかくて修行というよりは、リフレッシュに近いくらい気持ちよかった。川行が終わって昼食を食べて十三仏真言を唱えて三禮を108回した。この5日目の中で、一番つらく感じた。徐々に足が痛くなって、声も出なくなっていて、となりを見ると苦しそうにしている仲間を見ておれががんばらないといけないと思って人一倍声を出して、鼓舞してなんとか5人そろってやりぬいてとても達成感がわいてきて高校の部活を思い出して楽しかった。でも、またやりたいかと言われたら、正直やりたくない。三禮が終わったら夕食を食べて、般若心経を書いて、3日目は終了した。

    4日目も、6時に起きて、6時半に掃除をして、朝食を食べて行着をたたんで瞑想と声出しをした。その後、十三仏真言を唱えた。その後、昼食を食べて、お百度参りをして、雨の中滝行をした。雨の中のお百度参りは、足の裏は痛いは、足元はすべるはで、大変だった。お百度参りが終わった時には、体が温かかったが、車に乗って移動して山をのぼるころには、体が冷たくなっていて本当に滝行をやるのかと思った。4日目の滝行は、1回目と違って雨が降っていて寒かったから、前よりも何倍も気合を入れて滝行にのぞんだ。入ってみると思ったより冷たくなくて終わった後は体がポカポカした。帰りの下山が一番寒かった。帰ってきて般若心経を唱えて夕食を食べて写仏を4日目終了。

    5日目最終日も、6時に起きて掃除をして、朝ご飯を食べた。その後瞑想して、お経を唱えてお昼ご飯を食べた。その後、先生の講和を聞いた。乾燥としては、人間幸せになるために生まれてきたのだから、何事にも負けん気を持って、積極的に生きようと思った。最後に、5日間を終えてみて思ったことは、辛いことを5人で分かち合えたのは、これからの仕事に役に立つ経験になったと思う。

    初めに会社から来る1週間前に天光寺で4泊5日企業研修をやると言われ、とまどいと家に帰れないことにすごく気分が落ち込みました。それと同時に、4日から同じ会社に同期として入った4人と泊ることで、より仲を深められるかもと楽しみでもありました。会社からは、近くに銭湯があるとか、夜はわりと自由など、着いてから逆のことを言われていたので、2日間はとまどいが大きかったです。1日目は、申込書を記入し、貴重品をあずけました。ここで携帯が一切使えないと知り、すごく不便でした。そのあと、あいさつの作法をひととおり教えてもらい、その後練習をしました。

    かなりねむくなり、立ちながらおじぎをする時に、そのまま倒れそうになりました。その後、昼食を食べたのですが、当の食事は、かなり質素で、葉っぱばかりだと思っていたのですが、意外とおいしく食べれるものもあり、一番の心配だった食事が安心になりました。企業研修はけっこうハードで、1日目から般若心境を2時間ぶっ通しで、約55回唱え続けたあと、御宝号の南無大師遍照金剛を500回3回1セットなので、合計1500回唱えるということをしました。かなりのどがしんどかったのを覚えています。その後、夕食を食べ、最後1日の締めくくりに写経をしました。般若心境をしたのですが、普段習字などやらず、中学以来触ってなかったので、書くのが大変でした。夜は、10時に就寝というのも、普段と違うのでなかなか寝付けずつらかったです。ふとんも固いので、夜何度も起きてよく眠れませんでした。

    2日目、朝6時起床で、みんなで掃除から始まりました。掃除が終わり、朝ご飯を食べると、瞑想と声出しを2時間します。これは、1日目以外やっていたのですが、いろんな修行の中でやるのが好きでした。その後、十三仏真言をし、昼ご飯を食べ、いよいよ恐れていたお百度参りと滝行に行きました。この日は、一般で来た人達とみんなでお百度参りと滝行をしにいきました。お百度参りははだしで走るので足が痛かったです。でも、この日は、一般の人がいたので108回はせず、滝行に向かいました。人生で初めての滝行、最初はかなり余裕ぶっていましたが、実際入ってみると、かなり滝の勢いが強く、水も冷たいので、南無大師遍照金剛を言うのがつらかったです。

    帰ってきたら、夕ご飯まで、光明真言を唱えました。滝行に行ったあとなので、かなり眠くなりましたががんばりました。夕ご飯を食べた後、写仏をしました。私は大日如来を書きました。かなり細かい線が多く、大変でしたが、うまく書けました。写経はあんまりだけど、写仏はちょっと楽しかったです。3日目は、この5日間で一番辛かったです。2日目と同じように朝掃除をし、ご飯を食べ、瞑想、十三真言を唱えました。川行に行くため、108回お百度参りをし滝行に参加しました。3日目は、これで終わらず、三禮というものをしました。これが今回の企業研修で一眼辛かったです。普段運動をしていなかったので、全身筋肉痛になり、その後の4日目、5日目がかなりしんどくなりました。その後、夕食を食べました。般若心境を写経しました。

    4日目は、2日目とまるまる同じ動きだったのですが、雨が少し降っていたので、2日目の時よりも過酷さが増していました。途中何度もあきらめようと思ったのですが、なんとかやり遂げました

    5日目は、掃除、ごはん、瞑想という流れで、最終日なので十三仏真言30分、光明真言30分、般若心境1時間のフルコースをしました。5日間唱えてきたので、ある程度覚えられました。最後に先生からのありがたい法話、人は何のために生まれてきたのか、舞台と役者について、先生がどう成功したのか、幸せになるためにどうしたら、どのように生きたらよいか、これからの人生について考えさせられる話をしてもらえてよかったです。

    今回の企業研修で、あいさつの大事さや物事に対しての向き合い方、仕事に関しても友人の大事さを学びました。

    あと、かなり精神的にきたえられました。これから、仕事や人生で、辛いことがあっても乗り越えられる気がします。この5日間で、同期との仲が深まったことがなにより良かったと思います。5日間ありがとうございました。

    先生の話を受け、何よりも人脈の重要性を実感しました。現代社会において、人の幸せの形は様々ありますが、自分にとっての幸せ、すなわち、自分にとっての「なぜ生きるのか」の答えにお金が関わるのであれば、事業の成功や会社での出世は必要だと思います。その事業や会社というものは人と人のつながりという社会の中に存在すること、人と人のつながりというのは、人が、人を互いに評価することでもあると理解しました。つまり、深いお辞儀や、気持ちのよいあいさつというものは、直接的に自分の人生の形成に結び付くと理解しました。幸せになりために、他社からの評価を上げる努力を惜しまないようにしようと思います。

    この五日間、直接支えあうといった面でも、人とのつながりの大切さを実感しました。朝の瞑想の声出し、お経の読み上げ、行の際のご宝号等、どれも他者と声が共鳴することで、より声をだしやすくなったのを覚えています。滝行や川行は、自分との戦いの修行ではありますが、やはり近くの仲間の声が聞こえたのは心強い心の支えになりました。

    最もつらかったのは、三禮でした。肉体的なダメージが高く、段々と足に力が入らなくなり、気をぬくと立てなくなりそうでした。しかしながら、周囲の仲間が続けていたこと、三日目ということもあり、「ここまで来て、負けてたまるか」という気持ちが沸き立ったことで乗り切ることができました。終わったあとは、歩くのも大変だったことを覚えています。間違いなく、一人だったら途中で心が折れていました。

    こうした経験は大変よいものだったと思います。これからの人生において、おそらく二度と滝行や川行とお百度参りもすることはないでしょう。滝行も川行もどちらも辛かったですが、共通するのは、最初が一番つらいということでした。共に気合を入れ、最初を乗り越える事、最初の辛い時にすぐあきらめてしまわないこと、これらの教訓を得られたのではないかと思います。世間では、「とにかく三年は続けろ」と仕事についてよく言われますが、私も仕事で辛いことがあった時は、三禮の辛さや、滝行や川行から得た、最初の辛さを乗り越える教訓を思い出して、仕事を続けようと思います。

    そうした中で、強くそのありがたみや日常に根付いていたのだと感じたのはスマートフォンでした。スマホを断ったことで、人との繋がりが断たれたのが非常に辛かったです。日常的に行っている友人や大切な人との連絡というものが、どれだけ自分の支えになっていたかを実感しました。幸せになるために必要な人と人のつながり。それを現代で支えているのがインターネットなんだと再認識し、その基盤となる電気工事士という自分の職業に対しても、改めてその価値を見出すきっかけとなりました。

    連絡が断たれたことが辛く思える大切な人というのは、お百度参りや写経等、だれかを思うとき、やはり支えになってくれました。「あの人のためならがんばろう」と思える人を増やす、これも努力のコツ、すなわち幸せになることのコツであると考えると、やはり幸せになるというのはすべて、人と人とのつながり方に帰結するのだなと思いました。

    この五日間、大変だことばかりで、楽しいことはなかったとまで言えるかもしれません。しかしながら、これから先の人生で起こる苦難をこえるために力や、生きる上で何が重要かということを学べたと思います。天光寺のみなさまと、企業研修という形でこうした機会を与えてくださった自分の会社には感謝いたします。ありがとうございました。

    私は、建築事務所に勤めています。私が担当する現場で作業員が事故死したり、最近私が飼っているペットが車に轢かれてしまったりと、身の周りに不幸な出来事が多々起きていて、ご先祖様の因縁だったり、私が過去に誰かに恨まれるようなことをしたことが原因かもしれないと思い、霊視をしてもらうために、天光寺に行きました。また、私がたまに使うリサイクルショップで買った鞄を持っているときに、その2つの事故があったので、鞄に何か不吉なものが憑いているかもしれないので、鞄のお焚き上げも天光寺に頼みました。

    霊視の後、そのまま除霊に入りました。ご住職がお経をあげる中、私が書いた家系図から、ご先祖様の名前が読み上げられました。色々なお経を聴きました。お経を聴いている最中は、必死に仏様を拝んでいました。お経以外には、呼吸法や、つぼの刺激をして頂き、除霊が終わると頭も体もとてもすっきりしました。最後に、ご住職が、祭壇の真ん中にある大日如来像の顔をよく見て御覧なさいと仰るので、よく見てみると、とても穏やかな表情をしていました。後で家に帰って考えてみると、あのような穏やかな表情を心がけて生活していけば、誰かを恨んだり、恨まれたりといったトラブルを少なくできるのだろうなと合点がいきました。ご住職はそのことをそれとなく諭してくれたのだと思います。除霊の後、ご住職に聞いたところによると、ご先祖様の因縁ではなく、自分で作り出した因縁だとのことでした。

    ご住職には、私の仕事での悩みや友人関係の悩みなど、色んな話を聞いて頂き、相談に乗って頂きました。そのため、最初の相談室での時間が長引いてしまい迷惑をおかけしました。

    親身に相談に乗って頂き、本当に有難うございました。

    2年前に陰陽師に見てもらったところ、家族ごと呪われているとのことで、式神様を使って除霊をしてもらいましたが、その後、父と一緒に撮った写真に、黒いもやがかかっており、徹底的にやらないとまずいと思い、天光寺に駆け込みました。

    除霊の最中、私は半分意識が無く、その間、のたうち回り、うめき声をあげていました。住職が、中に入っているものを確認するかのごとく、私に質問をしていました。除霊が終わると、私はぐったりでしたが、そばに父がいてくれたのでなんとかなりました。私は霊に対して敏感だということで、今後、天光寺で教えている光輝ヒーリングを習うとよいとのこと、早速講座に申し込みました。自分の身を守るために早く光輝ヒーリングを習得したいと思います。

    私は、天光寺で多くの学びをえた。

    1つ目に、挨拶の作法、ただ大きな声で言うのではなく、おじぎをするのにもゆっくり丁寧にというように教えてもらいました。

    また、来店された時、「いらっしゃいませ。ようこそお越しくださいました。」退店する時、「ありがとうございました。お気をつけてお帰りくださいませ。」とういように一言付け加えるだけで、また来ようと思わせる事ができます。

    基本的な事ですが、人と人とが最初に行う動作なので、1人でもお客様に喜んでもらえる接客をします。

    また、お寺でしか学べない作法なども取り入れていきます。

    2つ目は、滝行と三禮です。

    お寺にくる前はただ辛いものだと聞かされていました。

    ですが、辛いものではなく自分にとって意味のあるものだと理解しました。

    というのも、悪いものを水に流すことによって、新しいものを取り入れられそうな気がしました。

    たしかに水は冷たいですし、行くまでの山登りは体力的に辛かったのかもしれません。

    ただ、自然にふれて汚い心がきれいに流されることができました。

    三禮では、神の足をもらうという意味があり、324回、分かりやすく言うとスクワットを行いました。

    ただやらされているだけではなく、フォームや気持ちを込めて行いました。

    そして、辛さに負けないように自分に言い聞かせてすべて終わらせることができました。

    やり切った後の達成感は今でも忘れません。最後の最後まで、楽しんで行えたので筋肉痛も辛くありません。

    これもすべて一緒に行った皆と、お寺の方の協力があったからできた事だと思います。

    日常的に体験できない事が行えてとても楽しかったです。

    3つ目は、メンバーとの協力についてです。

    会社から課題が出されました。それは、「成功の誓いの詞」を29秒で言い切ることです。2つのチームに分けて覚えて発表することが課題になり、私のチームは3人で行いました。

    最初は個人で覚えて言えるようになって自分のパートはどれくらい時間がかかるのかタイムを計りました。

    本来であれば、8秒で終えなくてはいけないものを、14秒もかけてしまい、問題としては覚えが甘く、かんでしまう事でした。

    ただ1人で練習する事では、チームとしての意味がなくなってしまいます。

    とりあえず、通しでやってみようという事で、ひととおり発表したが、おぼえられていなくボロボロでした。

    そんな時、メンバーのひとりからのアドバイスで、チームでやる意味を理解しようという所から、最初の人から後の方にパスする時、言い切ってから始めるのではなく、終わりの言葉にかぶせて言うとタイムが縮められると教えていただいた。

    何度も挑戦してやっと成功した時のタイムが26秒でした。

    他のパートでもお互いアドバイスしあい、3人で1人のように発表できたのが成功した理由です。

    この3日間、あいさつやさまざまな体験、チームでの協力について、学ぶ事ができました。それは、お店にもどっても生かせることだと思います。

    DTPと営業2つの役割があり、協力があってこその売上なので、お寺で学んだ事、あいさつをていねいに、またお客様が期待と思えるように、さまざまな経験による精神的に強くなった事で、さまざまな困難をも乗り越えられます。

    そして最後、チームとしての意味。なぜDTPと営業で売上をあげる事ができるのか考えて店舗の売上を達成します。日々、意味のないことは変えたいという気持ちがあれば、人は変える事ができます。

    そうする事によって店舗の皆が幸せになってくれる事が私にとっての喜びです。

    ここ数年、人の気配を自分の体の傍に感じることが多く、その気配の場所から話しかけられて気持ち悪く感じます。もし霊がついているのなら、祓ってもらいたいと思い、関東でお祓い・除霊をやっているところを探しました。3か所位ありましたが、都心よりも、田舎の方で地味でも長年やっているところの方がよいと思い、天光寺を選びました。手持ちの心霊写真も相談時に見てもらい、天光寺でお焚き上げしてもらえることになりました。お祓い・除霊の最中、背中の付近から何かもやもやした感じのものが上に上がっていくのを感じました。きっとそれが憑いていたものだったのだろうと思います。最後に、住職から注意事項として、人の声がしてもあまり神経質にならないように、気にしすぎると、それが原因でさらに声が聞こえてしまうので、とアドバイスを頂きました。もともと気にしすぎる性格ですので、すぐには難しいですが、そのように今後生活していこうと思います。どうも有難うございました。

    妻や母、親族をどんどん嫌いになっていくので、そうならないように努力しているのですが、意図せずにトラブルが発生し、その嫌いさが加速していました。何か自分に憑いているからではないかと思って除霊で有名な天光寺に相談しました。電話で丁寧に説明してくださったので、申し込むことにしました。実際に行くと、電話で話したにもかかわらず、再度時間を取って話を聞いていただき、親身にアドバイスもして頂きました。お祓い後にヒーリングもして頂きました。私には邪気が溜まっていたそうです。そう言われてみると、仕事でストレスが溜まり、どんどん悪い方向に物事を考える癖がついていたと思います。ここに来て間違いなかったと思います。今度は、滝行に来て、精神統一を図りたいと思います。有難うございました。

    2年前に引っ越したアパートで、金縛りやラップ音に悩まされました。結局、1年ほど我慢した上で、他のアパートに引っ越したのですが、そこでもしばらくすると同じことが起きました。もう引っ越したくありませんでしたので、テレビに出ている霊能者にお祓いをしてもらったのですが、現象が続いたままでした。そこで最後の頼みの綱で、こういったことに対応できそうなお寺、天光寺を頼ることにしました。ご住職に相談したところ、同じようなことに悩んで相談に訪れる方が多いそうです。こういったことに悩んでいるのは私だけではないということを知っただけでも気分が楽になりました。お祓いをして頂いた上で、家の中に貼る霊符を書いて頂きました。それ以来、金縛りにあうことはなく、ラップ音が大分少なくなり、あまり気にならなくなってきました。天光寺を頼って正解でした。

    2年前から頭の中に、「死ね」「落としてやる」などの汚い言葉が思い浮かんでくるようになり、最初は自分が幼いからだと思って、瞑想を通じて内省を行いましたが、全く解決しませんでした。いろいろ本を読んだりして頭の中の言葉を消そうと努力しても埒があかないので、天光寺に相談することにしました。お祓いを受け終わり、その後、生活をする上で気を付けることをご住職に教えて頂きました。性格的な部分でこのような状態になっているのが大いにあるとのことで、自分の性格を見直すきっかけをいただくことができ感謝しています。

    私は、今の職場で働いてまだ2ヶ月しかたってなく、働き始めた時は不安でいっぱいで、今も私は、上司の人たちのように今後働いていけるかと思うとまだ少し不安です。けれどそう思っていた時に、お寺の研修に行くと聞かされて、「会社でこんなことするんだ」という気持ちもありましたが、お寺の研修で今の不安ばっかりの私を変えられるんじゃないかと思い、楽しみになってきて、初めてお寺に行くということもあり、どんなことを学んで、どんなことをするのかと思うとさらに楽しみになってきました。

    天光寺に来て説明を受ける時は、正座で慣れていない私は、とても足首、腰が痛く大変でした。挨拶の作法や合掌の仕方はやっぱしお寺なのでしっかりしてるんだと思いました。その後には、南無大師遍照金剛、光明真言、般若心経を読み、漢字にはふりがながふってあったが、イントネーションが違うのもあり、見て読む事すらも難しいと感じました。三禮をやったのですが、3回で1セットで、2回目までは手を下げた時に返すんですが、3回目で手を握り、合掌するという事や、三禮していることも難しく覚えるのに大変でした。

    昼食は野菜が多めでとても健康的でした。私は冷凍食品やインスタントの食品ですませてしまうことが多い。こういう昼食も良い経験だと思いました。

    昼食が終わって準備、説明を受けお百度参りと川行を行いました。お百度参りは、コンクリートの上を素足で走ったので、足の裏の皮がめくれてしまってとても痛かったです。けれどお百度参りをしたので、南無大師遍照金剛と言えるようになっていたので良かったです。その後には、川行をしました。川行を行う前にお祓いと顔3回、胸3回、両肩3回川の水をかけて最後に桶に川の水を入れ頭からかけたのですが、とても冷たく入れるかと不安になりましたが、いざ川に入って時間がたつと、だんだんと冷たさにも慣れて、「出ていいよ」って言われるまで我慢してやろうと思い、最後まで我慢することができました。

    川行が終わると、般若心経を50回読みました。まだ見なくちゃ言えませんが、ある程度イントネーションや次はこの言葉がくるということが分かってきました。50回はつらかったですが、良い経験ができました。

    三禮を3回1セット108セットをやりましたが、本当に辛かったです。60回くらいの時に、三禮のやり方を間違えていて、もう一回しっかりと教えていただき最初からやることになりました。途中何度も足がガクガクになり、倒れてしまいましたが、最後までやりとげることができました。

    その後に晩飯を食べたのですが、家では食べないような物がでてきて天光寺でいただいた料理を少しは取り入れて家でも似たような健康的な料理をできるようになろうと思いました。

    法話を聞いて、何事もがんばるということ、お客様に対しての挨拶、空海様、仏教の歴史、伝わってきた経路を聞きました。けれど、これよりも印象に残ったものは、積極的なことを言えば、運や人生がガラリと変わるという言葉がとても良い言葉だと思いました。私はとても自信がなく、いつもマイナスになるようなことを思ってしまっていたので、これからは法話で聞いた言葉を信じ、プラスの事を言ってどんどん仕事で良い結果を出せる人になろうと思いました。

    二日目の朝は、スムーズに起きることができて、遅れずに朝礼に間に合うことができました。朝から清掃をして広かったが、三人で協力できたので大変ではありませんでした。声出しの後に瞑想をしましたが、二つとも正座ではできず、あぐらをかいていました。けれど声出しは、大きな声を出せて瞑想では、少し考え事をしてしまいましたが心を無にできる方が長くできました。とても集中してできたと思いました。十三仏真言を読んだんですが、またまた難しく覚えるのが大変でした。けれど覚えようとするには集中力が必要なので、瞑想声出し十三仏真言を言うことにより、集中力が少しは上がったと思いました。

    滝行とお百度参りでは、お百度参りは一日目にもやったのですが足裏がとても痛く、最初は全力で走れていたのですが、徐々に遅くなってしまったが一日目よりは大きな声を出すことができました。滝行では、滝まで行く道のりが長く、その痛みに耐え、滝まで行きました。初めてする滝行なので川行のようにできる限り入っててやろうと思いました。私の番が来て、川行よりも水が冷たく感じて最後までやれるかと不安でしたが、法話で聞いたことで我慢は大切ということを思い出し、無事5分位滝の中に入っていることができました。とても冷たく肩をたたかれている感じでした。辛かったですが、滝行を乗り切れたので、私は少しは我慢をする面で成長できたんではないかと感じました。

    私は、天光寺を二泊三日してたくさんの事を学べました。大きな声を出す、集中力が来る前よりは上がったり積極的な考えができるようになったり、我慢ができる精神力が鍛えられました。私はこの天光寺の研修で色々な人と修行や行を取り組むことで苦手だった人とコミュニケーションをとるということもできるようになり、自分に自信がつくことができました。私は、今年から社会人となって色々と不安なことはありましたが、天光寺では社会に出てから使うとても重要なことをいくつも教えてもらいました。

    この二泊三日は、とても良い経験ができたと思っています。本当にありがとうございました。

    二泊三日の研修を終えて、まず第一は、「積極的な姿勢」で挑む事の大切さ重要さを学びました。会社に入り、その中で生きていくためには、教えられた事以外に、自ら積極的に勉強し、会社にとって必要な人間にならなければいけないと感じました。その中で、消極的でいる事に意味がない事を研修で学んだので、今後、積極性のある行動をしていこうと考えています。

    そして第二は、「忍耐力」です。苦しい修行でも諦めずに成しとげられるように努力すること。今回の研修では、元々ヒザが悪く正座や片ヒザをつく姿勢ができず、ずっと同じ姿勢でいることがかなり辛かった印象です。何度も体勢を変えたりしていたので一つの事に集中してじっとしていることができなかったのは、とても残念で悔しいです。

    第三は、「感謝」です。今回の研修では、朝起きた時、食事の前後、寝る前、修練前後など、ほぼ全ての行動を行う時に仏様に感謝をしていました。これについては、今回の研修だけではなく、普段の生活の中でも置き換える事ができると感じました。例えば、会社に出勤する時は、車で移動します。この車も自分の知らない人がつくっています。電車での移動も、毎日当たり前のように利用し、事故もなく無事出勤できるのは、運転手であったり、鉄道に関わっている人がいます。食事も同じことが言えます。このように、自分と直接関わってはいないけれど、普段何気なく生活している中には、大勢の人が関わっていて、一人一人に感謝の言葉は言えませんが、それと同じぐらいの気持ちを持って常日頃から生活していき、自分も誰かに感謝される役に立つ人間になれるのではないかと思いました。

    ここからは、修練についての感想を書きます。一日目、まずは自己紹介をやりました。簡単な自己紹介なのですが、大きな声ではっきりと言わなければ何度もやり直しさせられました。何度もやるうちに、最初は恥ずかしさもありましたが、それもなくなりできるようになりました。大きな声で自己紹介する機会はなかなかないので良い経験ができました。

    その後、お百度参りど滝行を行いました。お百度参りでは、約20m程走り、「南無大使遍照金剛」を唱えながら、108往復走りました。それが終わったらすぐに滝行へと向かいました。車で10分程走り、そこからさらに10分程斜面を上がると、小天狗の滝があります。着いたらまずは、一人一人、手、足、首と塩と酒をかけてもらい、山の神、水の神に感謝の言を伝え、滝へと入ります。想像していた以上に水は冷たく、水圧もあり、息をするのも困難でした。予想では、5分以上は楽勝だと思っていたのですが、3分ももたずに出てしまいました。自然の強さを舐めてはいけないのと、自分の根性の無さを悔やみました。

    二日目、この日一番辛かったのは、三禮(さんらい)でした。光明真言を唱えながら、立って座ってを3回1セットとして行う挨拶を100セット、合計300回連続で行うもので、正座の姿勢になるのが大変で何度もヒザを強打し、途中途中休みながらでしかできませんでした。元々体力には自信はありますが、この修練は万全の状態でも厳しいと思うぐらいかなり辛いものでした。その後、写仏という仏様の絵を習字の筆で写す修練を行いました。生活していて筆を使う機会がなく、慣れないのと、仏様の絵が細かく神経をとがらせながら集中して書くことができ、写仏は研修の中でも楽しく面白くできて良かったと感じました。

    三日目は、主に声出し、瞑想、そして住職の法話を聞くことができました。声出しは腹式呼吸で、腹の底から声をだす練習をし、瞑想は、「反省、懺悔、感謝」をテーマに約一時間瞑想を行いました。自分自身、反省というテーマで自分と向き合う事ができ、今回の研修や今まで生きてきた28年間、反省しなければならないことが多いと感じました。そして、その反省を活かして今後につなげていければ一回り、二回りも成長できると思います。そして最後に、住職による法話を聞きました。何のために生まれてきたのか、何故積極的に生きねばならないか、舞台と役者の演じ方、努力と知恵の使い方、また、住職のこれまでの生きてきた歴史など、どれも素晴らしい話ばかりですが、自分は序盤に書いた通り、「積極性」の話に魅力を感じました。積極的なことでチャンスは増えていくし、それによって多くの人と出会い、人脈やお金など大きな財産が手に入る可能性も高くなるということに感銘を受けました。

    今回の研修を通して、普段経験できないことを多く経験できたこと、お寺で生活していく中でのしきたりや風習、一つの事に長い時間集中する力など教えて頂いたことを今後の仕事の中で活かしていきます。

    介護の仕事をしていて、体が疲れやすく、目も疲れて眠気がひどいので悩んでいました。

    介護施設で、私の旧姓の姓と同じ方が亡くなったり、最近同僚を亡くし、そのことがずっと気になっています。私には、可愛がってもらった祖父母が守護霊でついていると思うのですが、生きているときにお礼を言えなかったことを後悔しています。今いる家族との関係を大事にしながら人生を送りたいと思い、こういうことを相談にのってくれるところを探していました。霊的なことがあるので、除霊をやっているお寺を探し、関東では天光寺が一番よさそうと思い、予約をしました。予約の電話の時から親身に相談にのって頂いたので、当日は安心して天光寺を訪問できました。体に職場で他の人から受けた良くない気が溜まっていたのだと思います。除霊が済むと、体がとても軽くなりました。祖父母のことについてもアドバイスを頂けて、とても気が楽になりました。

    私は、老人ホームで働いているのですが、一緒に働いている人に霊感が強い人がいて、ここで亡くなった何人かの方が、施設内に居るのを見たりするというのを聞き、一応、霊視をしてもらいたいと思い、天光寺に来ました。それ以外にも、昔の彼女が中絶したことがあり、責任を感じていたこともあります。お祓いを受けて安心することができました。病気の人等の良くない気の影響を受けやすい体質だということが分かりましたし、なにより、悪い霊や水子はついていないと言われ、安心しました。天光寺のお祓い・除霊は、悪い霊がついている人だけのためではないと聞きました。よくない気が体に溜まると、いろいろな不調となって心身に表れるので、そのような気を浄化することも、お祓い・除霊でやっているとのことでした。私は敏感な方ではないのですが、天光寺のヒーリングはとても効果があるということです。実際に、お祓い・除霊の中でヒーリングをやって頂いたところ、上半身がピリピリしました。見えないものの不思議に触れた気がします。相談時間は十分にとって頂き、親身に相談にのってくれますので、他の人にもおすすめできるお寺です。

    今回初めてお寺での研修に参加しました。二泊三日の研修で学んだことは、与えられた課題に対し一生懸命に取り組むことや、すぐには諦めないことです。また、今までの人生で関わってきた方々に感謝する気持ちを養うことができました。

    お寺に到着し、最初に行ったのが大きな声で自己紹介をすることでした。日常生活では大きな声を出す機会がなく、仕事で名刺交換をする際にも相手に届くくらいの声の大きさしか出していませんでした。自分の名前を大声で話すのは小学生ぶりだったので、少し恥ずかしい気持ちもありましたが、腹から声を出すことによって、体の中に溜まっていた何かが外に出たような気がしました。

    次に行った研修が、お百度参りでした。これは、弘法大使像の前にある約20メートル柱のお百度を「御宝号」を大きな声で唱えながら、百八往復走ってお参りをするものです。走って止まってを繰り返していくうちに息が乱れて御宝号を唱えることが辛くなってきましたが、声を振り絞って出すことで自分を奮い立たせることができました。また、新卒の二人には負けたくないと言う気持ちもあったと思います。

    お百度参りの後は滝行を行いました。春になっとはいえ、山の水は冷たく、足を水に入れただけでも体がこわばるくらいでした。塩と酒で体を清め、顔、胸、両肩に水をかけ、桶の水を頭からかぶり、意を決して滝の中に入りました。全身で受ける滝は、水圧と水の冷たさで集中していないと呼吸をすることができませんでした。立った状態から滝つぼに座り、水の冷たさに負けないように、体に意識を集中しました。肩で息をすると、呼吸が浅くなってしまうため、腹式呼吸を意識し、冷たいという感覚は、何か違うものだと思うようにしました。滝に打たれていた時間は4分ほどでしたが、体を集中させることによる精神的な疲労感がすごくありました。この滝行では、達成感があったのと、自分の体に向き合う感覚を養うことができました。日常生活では感じることができない経験をすることができて良かったと思います。

    滝行を終えてからは、般若心経を唱えました。般若心経は、釈迦御一代の経七千巻より選ばれた、わずか二百六十文字で構成されているとの説明を受けました。そのため、一文字一文字はダイヤモンド以上の大切な言葉であり、その言葉の重みをかみしめながらお経を唱えました。仏様の前に座ってお経を唱えることによって、見守られているような感じがしました。

    夕食後は、写経を行いました。お経の一文字ずつを筆で書き写していく作業です。墨を使った筆は久しぶりだったので、文字の太さが一定ではなく、難しかったですが、お経のありがたい言葉を丁寧に書くことを意識しました。集中しているとあっという間に時間が過ぎ、終了予定時間を超えてしまいました。この写経では、集中力を持続させることを学ぶことができました、

    食事や終身準備では、全員で協力して行いました。食事は精進料理でしたが、味付けがしっかりしており、おいしく頂くことができました。

    二日目は、起床後、寺内の掃除を行いました。それぞれ役割分担を決めて、効率よく掃除ができるようにしました。

    朝食後は、腹式呼吸による声出しと瞑想を行いました。声出しでは、体のすべての空気を外に出すイメージで、心を落ち着けながら行いました。瞑想では、「反省、懺悔、感謝」をテーマに行いました。自身の反省では、仕事上で、測年度自分のチームのメンバーに苦労をかけさせてしまったことを考えました。もっと自分にできることはなかっただろうか、あの時こうすれば良かったのではないかと考えていました。また同時に、忙しい時期を全員で乗り越えることができあことに改めて感謝することができました。

    普段はこのような時間をとることはなかったので、自分の気持ちを整理することができたのと、今年度は、昨年度と同じ状況になることがないよう考えることができました。

    昼食後には、三禮を行いました。立って座ってを3回1セットとして行う挨拶を100セット、合計300回行うものです。私は、連続で180回しか行うことができませんでした。しかし、立ち上がることができなくなるまで気力を振り絞っておこなえたことは、自分の中でもよい経験となりました。

    研修の最後には、住職の話を聞くことができました。その中で印象に残っているのが、行事にも積極的に取り組むこと、そうすればチャンスが訪れるという言葉です。住職ご自身の経験から何か行動を起こすことによって道が開けると言う話を聞いて、自分もそういう経験をしたいと思いました。仕事でも私生活でも、積極的な行動を心掛けたいと思います。

    今回の研修では、新人の引率という立場で参加しましたが、非日常生活の中で自分を見つめ直す良い機会となりました。住職をはじめ、職員の方々には大変お世話になりました。ありがとうございました。

    私は病院で看護師をしています。夜勤で休憩していたところ、病院のエレベーターが、誰も押しておらず、乗っていないのに動き出し、私が休憩していたフロアで停まって以来、体調不良が続いています。フロアで停まってからしばらくして、人の気配を感じました。また、エレベーターだけでなく、勝手に物が動いてしまうというのも、私の同僚の看護師と一緒に見ました。真言宗のお寺なら間違いないだろうと思って、お祓い・除霊を受けました。やはり私には亡くなった方の霊がついていたそうで、除霊して頂いて気持ち悪いのが無くなり助かりました。病院に勤務し続ける限りは同じようなことが起こりうるし、実際に住職さんも、病院の看護師さんでお寺に除霊に来る人が多いとおっしゃっていました。住職さんは、そういったものを受けないように鍛える必要があるとおっしゃっていました。私の場合はどうしたらよいかアドバイスを受けました。とても参考になりました。どうも有難うございます。

    今回、天光寺さんの行を通して自分自身の気持ちを引き締めることができました。

    又、今後職場に戻って何かしんどい事や、辛い事があったとしても、滝行というキツイ思いをしたので乗り越えられるという意志も持てると思います。

    家に帰ってからも今回教えてもらった瞑想や声出しを一日一日続けていき、少しでも自分の精神状態を落ち着かせられるようにしていきたいと思います。

    ここ3年ほど、金縛りにあうようになり、何か霊的な問題があるのではないかと思うようになっていました。細かいどうでもよいことが気になってしまい、強迫行動をとることがたまにあり、また不安になって、物事がうまくいかないという感情に支配されて、仕事に集中できなかったり、雑念に支配されることが最近多くなってきたので、天光寺でお祓いを受けることにしました。最初、天光寺で滝行をして頭をすっきりしようかと思ったのですが、自分の力では難しいと思い、お祓いを受けました。お祓いでお経を聞くと、なぜか心が落ち着きました。ドラみたいなものを叩いて住職がお経をとなえると、体が自然に揺れ始めてしまっていたと後から聞きました。お祓いの後、ここのところずっとよく眠れています。どうも有難うございました。

    2日間の研修を通して、当たり前にあるようなことへの感謝の気持ちと歴史を知ることの大切さを改めて考えることができました。

    挨拶や食事の際の「いただきます」「ごちそうさまでした」何かを教えていただく際の「よろしくお願いします」など真心を込めて行うだけで自分の呼吸する濃いさが違ってくることを知りました。

    また、歴史を知って新しきを知ることの大切さを感じることができました。

    今回体験できたことを社会人生活の中でもしっかりと活かしていきたいと思います。

    ありがとうございました。

    ここ2年ほど、ぼーっとしてしまい、注意力が落ち、危機感がない状態が続いていました。仕事では、人の言うことを聞けずに、独り言が出てしまい、同僚から、大丈夫か?と声を掛けられる始末でした。このままではきっと大きなトラブルに陥ると思い、自分ではどうすることもできないので、お祓いを受けようと思いました。霊的なことは全く分からないし、感じたりもしないので、半分信じていませんでした。近所の神社のお祓いを受けることも考えましたが、何度も受けたりするのは嫌なので、霊的なことも含めて解決できるようなところをネットで探しました。Youtubeの動画に天光寺を見つけて、本格的そうだったので、少し都心から離れていましたが、お願いすることにしました。住職が対応してくれました。お祓い・除霊を受けました。神社でのお祓いとはだいぶ違うものでした。2時間近くかかりました。私は鈍感なので、あまりよくわからなかったのですが、最後にやってもらったヒーリングと、体の気の流れを整える手技のようなものをやってもらった後は、体の表面がピリピリしたのと、体の中がすっきりして、自分の体が何か変わったと感じましたので、ここは本物なのだと思います。体験修行で滝行や瞑想などもやっているとのことなので、今度は、それらを受けに来てみたいと思っています。

    私は、いつも仕事を他人に押し付けられます。力仕事で男性がやるような仕事もです。また、いきなり怒られたりすることもあります。会社を辞めるときは、いつも嫌味を言われます。そんな自分が嫌になります。今年になり、近所のクリニックに勤めることにしました。パートタイムです。なんとそこには、前職の嫌な同僚が週に3回も来るのです。嫌でも顔を合わせなければなりません。彼女にも怒鳴られたことがあります。それから、体の具合が悪くなり、彼女の生霊の仕業だと思い、天光寺さんを頼りました。お祓い作業が終わったとき、あ、生霊が納得して帰って行ったなと感じました。助かりました。今後は、なぜ自分が怒鳴られるのか、なぜ仕事がうまくいかないのか、よく考えたことを実践してゆこうと思います。

    家族がみな何かおかしいです。弟はうつ病で精神病院にいます。父はガンで入院しています。私の妻とは、離婚をしたいと思っていましたが、実際にそういう話をする前に自殺しました。
    昔から家族がお互い仲が悪いのです。霊的に問題があるのではないかと思い、天光寺のお祓い・除霊を受けました。私の場合は、霊的には、問題というほどではなく、想念、考え癖などが招いているものだったとのことで、安心しました。お祓い・除霊の後に頂いた心の持ち方という冊子をよく読むようにと住職に言われましたので、よく読んでその通りに生活するように気を付けていこうと思います。

     

    私は、最近、リアルではない人の声が頭の中で聞こえるようになりました。その人の声は様々なのですが、中には神様的な声がして、ああしなさい、というようなアドバイスをくれます。そのうち、普通の人の声で、私のことを褒めたり、けなしたりするのが聞こえるようになりました。最近それが煩わしくなり、一体声の主は誰なのだろうと思い、霊視ができるところを探していました。

    それから、私は、昔からよく夢でお告げ的なものを見ます。ひとつは、私が大学生のとき、観音様が夢に出てきて、北海道に旅行に行くとよい、というものでした。実際に行ったところ、当時の彼氏に出会うことができました。その次は、夢で白い洋服を着た女性が、私に対して、息子さんは今亡くなりました、と告げてきました。私は、昔、息子を流産で亡くしています。そのことかと思いました。でも、今、5歳になる息子がいます。そのことだとすれば、お告げの可能性もあり、気が気でいられず、水子供養だけでなく、お祓いや除霊をやっている天光寺にお世話になりました。実際に水子がついていたので供養をすることになりました。夢や人の声については、いろいろと関連付けて考えることはやめた方がよい、と教わりました。神経質でこだわりが強い性格だと、いろいろと気にして、そうなると関連付けが始まって、だんだんおかしくなってくるのだというようなことなのだろうと思います。霊的なことを専門に扱っているお寺ですから、そこのご住職が仰ったことは、間違いないのだと思います。すぐには気にしないようにはなれないですが、明るく前向きな気持ちを持って、ネガティブにならないように気をつけていこうと思います。水子のことは、本当に気づいてよかったです。有難うございました。

    社長の提案を機会に今回の修行へ訪れましたが、終えてみて思うのは「来て良かった」「また機会があれば参加がしたい」でした。当初の予想とは全く異なるもので、私事ながら驚いています。

    腹式呼吸や発声など日常に戻っても自らのリセットを行う意味で取り入れたいと思う行や自分の力をためす意で挑戦したいものを知ることが出来ました。

    今度挑戦する際は、正座を続けられる様にしてきたいです。

    以前、墓地の傍に住んでいました。そのせいか、霊が見えるという知人に会うと、憑いているとよく言われていました。心霊スポットで肝試しするのが好きで、友達とよく行っては、いたずらもしたりしていました。昔は知人から言われても気にならなかったのですが、最近気になるようになり、他の所で除霊を受けましたが、何も変化を感じませんでした。そこで、お寺の方がよいと思い、東京都で除霊・お祓いに力を入れている天光寺で受けることにしました。やはりお寺なので、仏様もあるし、ご住職にも優しくして頂き、安心して除霊をしてもらうことができました。お経以外にも色々なことをして頂き、最後はとても体がすっきりして変化を感じることができ、気になっていたもやもやが無くなり、本来のことに集中できるようになったので助かりました。

    私の妻は、前の夫を亡くしており、その際に子供を一人堕しています。去年私の妻は流産しました。その後から妻の方が、どんどん人間不信になっていき、職場の人間関係も悪く、親戚との関係も悪化し、まともな付き合いができない状態にまでなってしまいました。そばにいる私も影響を受け始め、人間関係で思いもよらないことでトラブルが発生するようになりました。二人とも子供の声が聞こえたりはしませんが、水子を疑って、除霊・お祓いだけではなく、水子供養も行っている東京都にある天光寺に行くことにしました。

    最初に応接室で、ご住職が相談にのってくれました。これまでの長い経緯を説明しました。丁寧に聞いて頂き、それだけで少し安心しました。ご住職からは、やはりというか、水子供養をした方がよいと言われ、疑問が氷解しました。天光寺では水子供養もよくやるそうで、安心して任せられました。私たちの後にもその日は除霊のお客様が来ていました。また霊的なことで何かあった場合は天光寺にお願いしたいと思いました。

    今回、私は、天光寺で二泊三日の新人研修を行わせていただきました。研修を行うにあたり、自分が決めていた目標は何事にも全力で取り組む力をつけるということを目標としていました。
    初日の研修は、自己紹介の練習から始まりました。自己紹介にもやり方があり、厳しく指導されました。そして、昼食をいただいたあと、お百度参りと滝行を行いました。お百度参りでは、像の前にある約20mほどのお百度石を「御宝号」を大きな声で唱えながら往復しました。その後、車で山に向かい、小天狗の滝へ移動し滝行を行いました。滝の水はとても冷たく、水の中に入ると体が凍りそうなほどでした。そして、滝行を終えて、天光寺に戻り、般若心経というお経を連続で50回唱える修行を行いました。般若心経は266文字のお経なので、あまり長くはないのですが、そこまで連続でお経を聞いた経験がないので、とても長い時間に感じました。そして、夕食をいただいた後、写経を行いました。写経は筆を使い、和紙に般若心経の文字を全て書き写すという修行でした。始めは筆の扱いに苦しんでいましたが、だんだんと使えるようになっていきました。写経を終えたころには21時を過ぎていました。天光寺の消灯時間は22時となっており、急いで就寝の挨拶を行いました。その後、シャワーを浴び、着替え、布団を敷き、一日目の研修が終了しました。
    二日目は、朝6時に起床し、布団の片付け、洗顔などをすまし、朝の挨拶を行い、二日目がスタートしました。朝食の前に天光寺の中の掃除を行いました。部屋の雑巾がけや拭き掃除などを徹底的に行いました。その後、朝食をいただき、すぐに修行に入りました。まず、声出しの修行を行いました。腹式呼吸を利用して、発声練習を行い、その後続けて瞑想をしました。瞑想は、静かな音楽を流しながら「反省、懺悔、感謝」をテーマに行いました。その後も続けて、「十三仏真言」と呼ばれる真言を唱える練習を行いました。十三の仏像にそれぞれお経が書かれており、それを同じペースで繰り返し読む練習を行っていました。その後、昼食をいただき、昼からは、天光寺の外の掃除を行いました。入り口へつながる階段や、お百度参り使ったお百度石を水で流しながらブラシでこすって掃除していました。その後天光寺の内に戻り、三禮と呼ばれる正座から立ち座りを繰り返す挨拶を行いました。この修行が特に厳しく、例えるならスクワットを正座の状態から始めるようなもので、とても足に厳しい修行でした。三禮は、300回行いました。ですが、途中厳しくなり、何回かダウンしてしまったので行った回数は250回ほどでした。この修行では立ちから座りになるとき、右ヒザをカーペットに思い切りつけるため、右ヒザの皮がむけてとても痛かったです。その後は三禮を行った部屋で光明真言を1000回唱える修行を行いました。この修行は、座って正座かあぐらで行うのですが、三禮を行った後に光明真言を1000回唱える練習は、とても心が折れそうになりました。ですが、なんとか乗り越えて1000回唱えることができました。その後は夕食をいただき、写仏という修行を行いました。写仏とは、仏様の絵を筆を使って写すことです。仏様の絵は大分細かい描写されており、筆を使って写すことがとても難しかったです。特に顔の部分が細かく、絵があまり得意ではないので、少し雑な仕上がりになってしまいました。その後は、就寝の挨拶を行い、二日目を終えました。
    三日目は、朝から二日目とほとんど同じことを行いました。掃除から始まり、声出しや瞑想十三仏真言を唱える練習など、2回目となると、十三仏真言も何も見なくても言えるほど脳に記憶されていました。その後は、昼食をいただき、天光寺の住職の方から、挨拶のやり方を教わりました。大きな声で丁寧にあいさつする練習を繰り返し行いました。そして、住職から法話も聞かせていただきました。今、自分達は積極的に生きているかなどを改めて考えさせられました。そして、ネガティブな発言は、自身に影響してしまう、なのでポジティブな発言をしていくように心がけることを学びました。
    天光寺での二泊三日の研修を終えて、当初目標としていた何事にも全力で取り組む力をつけるというのは少しは達成できたと思います。天光寺での修行は、今までの生活からガラリと変わった生活でした。自分はスマートフォンを良く使っていたのですが、今回の研修ではスマートフォンを全く使えない生活をすることになり、耐えられるのかとても不安でした。ですが、手元から話してみると意外と耐えられたもので、自分でも驚きました。他にも、普段よりも座っている時間が異常に長い、下半身をとても動かすなどにより、とても体中が痛くなりました。寝てもあまり疲れが取れないなど、様々な苦行がありました。ですが、私は今回の研修を通して、積極的に生きる心、生きる意味、発言の影響などを改めて見直す機会となりました。そして、気持ちのいいお辞儀やあいさつは、相手をどんな気持ちにさせるのか、若いうちは色々なことに挑戦するべきなど社会人としての心持ちも改めて学ばせていただきました。今回の研修で、私は社会人としても心持ち、物事に全力で取り組む力をつけることができました。

    昔から霊が見えていましたが、最近、友人と旅行に行ってから、より頻繁に見えるようになり困っていました。運転をしていても見えてしまっていました。また、最近、自宅の部屋にも霊が来て、寝苦しい夜が続いていました。友人に相談したり、ネットで検索したりして、都内で除霊・お祓いを専門にやっているところを探したところ、数多くやっている天光寺にお願いすることにしました。除霊・お祓いが終わると前よりも気分が良くなりました。ご住職には、家に帰っても大丈夫なようにと、お札を描いて頂きました。今はこれで安心して寝ることができています。また、アドバイス通り、見えてしまっても無視するように気をつけて生活しています。もしまた何かあったらいつでも来て下さいと温かい言葉をかけて頂きました。本当にありがとうございました。

    最近、体調不良が続き、肩と頭が痛く、整形外科や整体に行っても治りませんでした。なお、MRIを撮っても異常は見つかりませんでした。何か霊的な原因があるのではないかと思っていたところ、知り合いから天光寺を紹介され、除霊を受けることにしました。除霊の最中、座ったまま体がグルグル回ってしまいました。そして、お経を聞きながら体がぶるぶると震えて座ったまま倒れてしまったのを覚えています。最後にヒーリングをしてもらったら、痛みが嘘のように消えました。また、何か原因不明なことがあれば、天光寺に来ようと思います。どうも有難うございました。

    私が高校生の頃、両想いの同級生がいたのですが、タイミングが合わず、結局付き合わないまま、卒業し、その後一度も会うことがありませんでした。数年前に同窓会があり、そこでショッキングなことを聞きました。彼は、ずっと私のことを想っていて、一度、私の友達を通じて、会いたいと言ってきたのですが、私がそれを無視して、結局他の人と結婚したことを恨んでいたそうです。その彼は、私が無視をした後、数年後事故で亡くなっていたんです。寝ているときに、彼の顔に似た人が見えるようになり、私が結婚後、不運続きであるのはもしかしたらそのせいかもしれないと思うようになり、天光寺の除霊・お祓いを受けることにしました。除霊・お祓いでは住職さんのお経で、何かが上に上がっていくような感覚がありました。きっとそのお蔭様なのだと思いますが、その晩からその顔は見えなくなり、日常生活も安心して過ごすことができるようになりました。どうも有難うございました。

    その節は大変お世話になりました。3年ほど前、娘が霊に憑依され住職に助けて頂きました。今思えば命を持っていかれても、不思議ではありませんでした。住職様には感謝しております。ありがとうございます。お祓いをしてもらった後、娘としばらくの間天光寺で体験修行を行いました。

    親戚や友人にも正直に話せないほどお祓いの状況もひどく家族そろって泣いていました。そんな命にかかわるような状況でも懇意に対応してくださって感謝しております。娘が霊的に敏感な体質なようで、住職に勧められて3週間体験修行を行いました。

    天光寺に対してインターネットに誹謗中傷、偏見の書き込みがありましたが、書かれている内容を寺の中で実際に見たのか?話を直接聞いたのか?疑問です。だって実際にお寺に来て見ればそれが嘘だということがわかります。タバコを吸いながら料理をする、キッチンが汚い、とありますが、住職をはじめ喫煙者は誰もいません、キッチンやお寺内もたばこのにおいなんて全くしません。それこそ住職は食事や掃除に関しては本当に厳しく、働く従業員さんもそこまでするかと言うほど掃除をしています。住職は複数の企業の経営者でチェーン展開した飲食店も経営していたということです。さらに料理研究家としての一面もありキッチンでタバコを吸うような不衛生なことや味が変わるようなことをするのは絶対あり得ません。実際に料理へのこだわりは強く、味付けは一切妥協していませんでした。次に修行は雑用ばっかりと書いている人がいましたが取り組み方次第かなと。仏教や経典を通じて生き方や物事のとらえ方などを指導してもらいました。さらにその知識を読経や滝行やお寺での様々なことをする中で体現するという意図があるといっていました。雑用というとらえ方も修行に来ているという意識がないからそういうのではと思います。また暴力についてもなかったです。ただ指導には熱が入るので、自身の怠慢などはすぐ見抜かれて相当厳しく言われますので、いい勉強になりました。

    夜寝てるとき、仕事をしているときに、女性の霊が背中などを触って来ることがありました。何人かが入れ替わり、触ってきていたようです。また、明け方になると、人の顔が目の前に出てきたりしました。夜中に出てきて、突然目が覚めることもありました。そのため、不眠気味となり、免疫力が落ち、食欲もなくなってしまいました。触られるだけで、痛みなどはないので、我慢していましたが、このままではよくないと思い、天光寺で除霊をしてもらいました。終わった後は、他の方の体験談にもありましたが、体がすっきり、軽くなり、肩や腰も柔らかくなりました。そして、今後、同じようにならない為のアドバイスを住職に頂き、今実践しています。有難うございました。

    去年から、自分の体が勝手に動く、勝手に変な言葉が口をついて出るので、最初に心療内科に行き、しばらく経ってもよくならないため、ヒーラーや個人の除霊師を頼りましたが、効果がありませんでした。そうこうしているうちに職場の人間関係も悪化し、動悸、息切れ、首肩こり、不眠になりました。憑依だと分かったので詳しい親戚に相談したところ、天光寺を紹介され、すぐにホームページから予約申込をしたら、電話があり、親身に相談に乗ってもらいました。1週間後に天光寺に行き、除霊・お祓いを受けました。お経をあげてもらっている間、体が勝手に動き出し、叫び声が勝手に出てきました。住職が私の中に入っているものに向かって話していました。住職が体を押すと、うめき声と一緒に何かが口から出ていきました。かなり大変な時間を過ごしましたが、憑依が解けてよかったです。また同じようなことにならないように気を付けるべきことを教えて頂くこともでき、高いお金を払っただけのことはあり、満足しました。

    研修を通して、日々の何気ない雑務(掃除、洗濯、炊事等)が生活、人生の基礎というか、全てなんだと実感しました。普段はそういった生活の所作といったものは、後回しというか犠牲にして、日々の仕事に追われていましたが、後回しに適当にしていた事が、逆に仕事に悪影響を及ぼしていたんだなと感じました。日々当たり前の事に感謝の念を忘れて、つい仕事をしている気になり、空っぽの自分のまま、仕事に取り込んでいた気がしました。

    今まで、無駄に娯楽や酒、スマホで費やしていた時間と、自らの日常生活の質というか大事にすることで、自分が充実し、仕事にも必ずプラスがでると感じました。何より、この短期間の研修で、集中力が上がったことを実感しました。

    滝行感謝!!!

    以前からスピリチュアルに興味を持っており、動画や本、セミナー等にも参加経験があります。実際に本を買ってヒーリング的なことを自分でやっていました。ツインソウルとか、ツインレイに興味があり、そのようなセミナーに参加した直後から、夢や白昼夢で変な経験をするようになってしまいました。気持ち悪くも感じたので、お祓い・除霊をやっている天光寺さんを頼ることにしました。これまでお寺でこのようなことをしたことはなかったのですが、除霊・お祓い・体験修行で目立っていたので、ここならやってくれると思いお願いしました。
    お祓いが終わってから、相談室に戻り、いろいろとアドバイスを頂きました。まず、スピリチュアル等の本を読んだり、いろいろ知識を身に着けると、それで自分で想念を作ってしまうので、やめること、それから、相談室で配られた心の持ち方という冊子に書かれていること(ここでは書きませんが)を説明して下さいました。ヒーリングもやっていただきました。すごいエネルギーが流れるのを感じました。ここのヒーリングは本物です。今度は、ヒーリングのみを受けに来ようと思います。住職にとても優しくして頂いて癒されました。

    母が亡くなり、相続で兄弟姉妹でもめることとなりました。しばらくして、母の遺言書が発見されました。相続の問題は片付きそうなのですが、母の遺言書を読んで以来、母の声が聞こえてくるようになり、怖くなりました。眠るのも怖くて、寝不足になり、どうにかならないものかと思い、お葬式を担当してくれたお坊さんに相談しましたが、そういう対応はやっていないので、、と言われました。そして、お寺で除霊・お祓いもやっている天光寺を頼りました。お寺では、あまりその声は気にしなくてよい、先祖供養をしっかりやるようにと言われ安心しました。
    安心すると、よく寝ることができ、このままそれが続くとよいなと思います。

    私は、小さい時からうつな感じで、自傷行為をしたり、死にたくなることがありました。今年になって、飛び降り自殺をしましたが、命は助かりました。退院後もうつが続いていました。そのうち、寝ていると男の子が見えてくるようになりました。その男の子は、顔が見えて、その後一瞬にして私の背後に回り込んだり、霊のようでした。他にもおじさんが出てきて、私に向かって怒ってきます。おかしいと思って、親に相談したら、除霊専門のお寺があるから行ってきなさいと言われ、天光寺に行きました。専門だけあって、廊下などにある写真はすごかったです。芸能人も来ていました。お経などをあげてもらって、除霊が終わると、とてもすがすがしい気分になりました。お寺の方たちは皆とても優しくしてくれて、温かかったです。最後に霊符というものをもらいました。今、家に貼っています。安心して寝れるようになりました。有難うございました。

    二泊三日の天光寺の修行では、きつい修行ではありましたが、自分のためでもあり、会社でこれから厳しい面が出てきて周りの人たちに迷惑をかけないように頑張りました。

    修行の初日は、まず自己紹介をやりました。自己紹介では、声が小さかったため、何回もやり直しをしたことで、挨拶をする時に大きな声ではっきりと言う事を学びました。

    次にお百度参りをやりました。20mほどのお百度石を「御宝号」を大きな声で唱えながら、108往復走ってお参りをするという厳しい修行ではありましたが、周りの人たちの声に負けて、声を出すのではなく、自分の声が大きく聞こえるように頑張りつつ、108往復走ってお参りをしました。

    次に滝行をしました。滝行では、急な斜面を登り、滝へと向かいました。滝行でも、誰よりも長く入って、忍耐力を付けるということを心掛けて滝行に臨みました。しかし、水があまりにも冷たく一瞬出ようかと弱気になってしまいましたが、その気持ちを抑えて、自分で滝の中に入っていられる限界まで入ったつもりでいましたが、自分が最初であったため、他の三人が自分より長く入っていたことがすごいと感じる面もあり、自分はまだまだ他の三人と比べると忍耐力が足りないということに気づかされました。

    他に、般若心経を50回唱えることをやりました。般若心経では、自分はヒザを痛めていたということもあり、正座ではなくあぐらをして臨みましたが、あぐらもそんなに長い時間かけなく、何回か足を組みなおしたりする面がビデオで何回かあると思いますが、自分なりにまじめにお経を唱えて、精神を集中することで、自分のヒザの痛みと戦いながらも、仕事に対する忍耐力と精神力を高めていけることができたと思いました。

    二日目は、朝起きて掃除から始まりました。天光寺内をきれいにすることで、朝の始まりと自分の心もきれいにする気持ちや、会社でも掃除をする時は、きれいにするという気持ちで取組みました。

    次に、声出しと瞑想をやりました。声出しでは、腹式呼吸を利用しての発声法で、喉から声を出すのではなく、腹から声を出すことが中々できずにいましたが、繰り返すことでできるようになりました。瞑想では、「反省、懺悔、感謝」をテーマとして瞑想しました。自分が瞑想のテーマとしたのは、感謝でした。なぜ感謝を選んだ理由は、自分が生きている中で、いろいろな人の支えがあったから今の自分がいるからです。だから、私は瞑想では、感謝をテーマとして選びました。

    次に掃除をやりました。今度は、内ではなく、外の掃除(主に玄関と廊下)をやりました。朝の掃除と同じように、外もきれいにしっかり隅々とやり、参拝に訪ねる人たちが気持ちよく通れるよう心がけました。

    次に三禮をやりました。三禮では、般若心経と同じことを言うかもしれませんが、ヒザを痛めていて、三禮一回目で倒れているかもしれませんが、できる限り何度も挑戦して良いという話があったので、自分と戦って何度も挑戦することで、人はピンチの時こそ、強くなれるということを学びました。

    次に、光明真言を1000回唱えました。三禮の次にやったということもあり、光明真言を1000回唱えるということは、正直、苦痛でしかありませんでしたが、この苦痛を乗り越えることで、得られるのが自分の目標として掲げていた忍耐というものでありました。

    三日目は、朝起きて掃除をやり、朝食を食べて、声出し、瞑想をやり、法話を聞きました。例えば、今後、自分がどうなりたいか、どういう風に生きていくのか、とても貴重なお話を頂いて、自分なりに考えを直すことができてとても良かったです。

    最後に、この二泊三日の天光寺の修行を通じて、自分が学んだことは、余計な力を入れずに、何事にも取り組むという姿勢や、自分をコントロールして、自分の悪い面を素直に反省し、謝ることやピンチの時こそ強くいっぱいから気付きを得て、何事においても積極的な姿勢で、日々、精神、忍耐力を鍛えて精進することなど、書ききれないほど、色々なことを天光寺で学びました。また、天光寺に来る前と後では、自分の考え方が変わっていると自分の中で思いました。

    三日間、天光寺の住職やスタッフのみなさん、大変お世話になりました。本当にありがとうございました。

    ここ1年の間に、手首の骨折、胃腸炎、足の切り傷が化膿して壊死しました。ここ1年だけではなく、ここ10年間、足や腰を傷めたりと、健康であったことがありません。どうもおかしいとやっと気づき、何か人知を超えた何かが作用しているのではないかと思い、いろいろインターネットで調べました。その中で、霊障で身体が不調になることを知りました。お寺が一番信用できると思い、関西のお寺と関東では、天光寺を見つけました。除霊・お祓いで実績があり、体験談や口コミが豊富で安心できると思い、天光寺を選びました。案の定、1回除霊お祓いに行った後、ヒーリングを勉強した方がよいということになり、今はヒーリングを勉強しに通っています。ヒーリングで邪気等を流すことができるようになれるまで、頑張って通います。

    最近、姉の行動がおかしく、家の近所で不可解なことをしています。それを見ていると自分までおかしくなり、これまで長いことやっていた仕事も手につかなくなってしまいました。そして、自殺をしようと、有名な場所に行った際に、何かに憑依された気がしました。それ以来、ずっと、不運、悲しいことばかり起こります。姉に対しては憎しみの思いがずっとあり、母も暗い話ばかりをします。そこで天光寺さんに相談に行きました。ご住職には、自殺の名所等には絶対に行かないようにと言われました。やはり、そういうところに行くと自殺した霊等がついてきてしまうことがあるそうです。しっかりとした除霊専門のお寺で除霊していただいたので安心することができました。その晩からよく眠れ、気持ちも少し明るくなりました。母も一緒についてきたのですが、母も一緒にやって頂きました。ほかにもご住職に言われたことを気を付けて過ごしていきたいと思います。滝行で精神力を鍛えることも必要だと思いましたので、近いうちに伺います。

    数年前から、自分の思いと違う言葉が頭に思い浮かんでくるようになりました。信頼している友達や家族に対しても「死ね」「飛び込め」というような、人を攻撃するような、傷つけるような思いが頭に浮かんでくるようになりました。母に相談したところ、何か思い当たるふしがあったのか、天光寺に連れて行かれました。天光寺では、相談室で、天光寺の住職が相談に乗ってくれました。相談室で、神経質でこだわりが強いのでは?と性格を指摘されたのですが、まさにその通りでした。相談後、仏像がたくさん置いてある部屋に案内され、お経を読まれました。手を合わせてずっと目を閉じて祈っていました。最後にヒーリングを受けました。全てが終わると、背中や首がすっきりした感じになり、視界もよくなりました。最後、相談室に戻り、大事なことは心の持ち方だと教わりました。心の持ち方という紙を渡され、家に帰ってよく読んでくださいと言われました。翌日、読んでみました。当たり前のことが書いてありますが、ちゃんと実行することは難しそうです。でもチャレンジしてみます。

    近所や親せきの人からどなられたり、職場では、いやがらせをずっとされ続け、同僚の女性から生霊を飛ばされていました。最近夫が亡くなり、それがひどくなりましたので、知人から天光寺は除霊もやっているからよいのでは?と話を聞き、まずは問い合わせフォームから相談をしました。翌日、天光寺から電話があり、丁寧に話を聞いてもらい、そして、除霊の料金や段階の説明を受けました。最後の段階まで進んだ場合、トータルで15万円と聞きましたが、もうこういう状態はいやなので、申し込みをしました。1週間後に天光寺に行きました。仏像の前に座り、住職がお経を唱えている間、生霊らしき声が聞こえました。お経や何やら呪文のようなものが終わると、背中から何かがすっと上の方に抜けていく感覚がありました。
    最後にヒーリングをして頂きました。ご住職からは、邪気が溜まるとまた悪いものを引き寄せるので、心の持ち方に気を付けるようにとアドバイスをいただき、心の持ち方という印刷物をもらいました。とてもよいことが書いてありますので、日々実践しています。なかなか難しいことではありますが、徐々に人間関係がよくなってきています。本当にありがとうございました。

    娘がてんかん持ちです。知り合いから、悪霊がついていると言われました。息子は、結婚したものの相手にDVをふるい離婚しています。最近、立て続けに、娘のてんかん発作や、息子の家での暴力、近所の騒音など、悪いことが立て続けに起きており、知り合いから言われたこともあり、色々調べた結果、お寺にしようと決め、東京で除霊をやっている天光寺を見つけ、申し込みました。私含め、3人とも視て頂きました。息子は、お経を聞いているうちに、体が前後に揺れ始め、最後は、住職が中に入っている悪いものを出すような動きをし、息子の口から何かが出たような感じがしました。娘は、最後にヒーリングを受け、かなりスッとしたので来て良かったと私に話していました。どうも有難うございました。

    娘が統合失調症で1年間入院していましたが、薬を飲んでも良くなりませんでした。ご先祖様の因縁や霊障などの可能性もあると思い、インターネットで色々調べて真言宗の寺院なら信頼できると思い、天光寺さんに行きつきました。ちなみに娘には自覚症状はありません。最初の面談、カウンセリングで丁寧に経緯を聞いて頂きました。結局薬では治らないことが分かりました。悪い霊はついていないが邪気が沢山溜まっていることと、思考、ものの考え方、想念が症状を悪くしているとのことでした。仏間ではお経やヒーリングをして頂きました。邪気が溜まっていると、悪い霊などを引き寄せてしまいやすくなるとのことで、邪気を祓って頂きました。思い癖などについては、心の持ち方等の印刷物を頂きました。書いてあることはとても大事なことだと思いました。娘だけでなく母の私にも参考になることです。邪気が溜まらないように娘ともども気を付けて生活していこうと思います。

    ここ3年でバイクの事故、自転車の事故、友人が運転する車での事故と、人身事故に3回もあいました。4回目はまずいと思い、生霊などに憑りつかれているのではないかと思い、除霊・お祓いで有名な天光寺を頼りました。ホームページの申し込みフォームから詳細を書いて送ったら、その日のうちに電話が来て、ご住職と話すことができました。すぐに来た方がよい、とのことで、翌日、私のために時間を空けていただき、予約を入れて、着の身着のままで行きました。お経を聞いているうちに頭がぼんやりしてきました。人の声のようなものがかすかに聞こえました。除霊・お祓いが終わると、ご住職から、もう大丈夫、と声をかけて頂きました。見えないものだからこのような専門の機関にやってもらい、安心することができました。また、何かあれば連絡くださいとも言っていただきました。来るときはすごく緊張していましたが、帰りは清々しい気持ちで帰ることができました。有難うございました。

    今回、己を変える為、参加させていただきました。
    当初は滝行を行なわない予定でしたが、住職のおすすめにより、修行させていただきました。
    南無大師遍照金剛と大きな声で挑戦しました。想像以上の水圧の強さ冷たさにより、倒れそうになりましたが、何とか最後まで行うことができました。
    「スッキリするので絶対やられた方がいいです」という言葉が実感でき、邪気や甘えが消え去りました。この経験は今後の人生において大いに自信になるので、諦めず我慢強く挑んでいきたいと思います。

    また、他の修行も精神的に鍛えられて我慢強くなり、何事にも諦めず挑んでいく力を与えてくれました。特にお経を何百回唱える写経などは、精神力が鍛えられて、自分に足りないものを与えてくれました。
    相手を思いやり、信頼関係を築き尊敬される上長を目指して、今後も天光寺で学んだことを忘れずに日々精進していきたいと思います。

    最後に天光寺住職、部長他スタッフの皆さま誠にありがとうございました。

    最近、イライラがひどく、悪夢もしょっちゅうです。娘に対してもひどい言葉を吐いたりしてしまいます。息子は暴力をふるうことがあります。そのことで、自分自身を責めるようになりました。ある晩、娘が夜中に、白いもやもやしたものが見えると言うのですが、私には見えません。見えないものに何か関係があるのではないかと思い家族みなで天光寺さんにお世話になりました。除霊・お祓いの後では、悪夢や白いもやもやは出ることなく、安心して寝ることができています。ちなみに、書いて頂いた霊符は大事に部屋に飾っています。

    妻と離婚する予定です。娘は妻の実家で暮らしています。妻と娘は家で、霊を見たことがあると言います。また、私が友人宅に行った際、友人から、部屋が重くなったと言われました。さらには、自分に難病が見つかりました。これはおかしいと思い、天光寺に相談に行きました。すぐにお祓いに入りました。お祓いの最中、両肩から何かがすっと抜けていくのを感じました。最後にアドバイスを頂きました。心の持ち方が大事だと。人間関係がうまくいかないのもなんとなく理解してきました。これから、自分の心のありように気をつけて生きてゆこうと思います。ありがとうございました。次はご住職に勧められた通り、滝行に行きます。

    旅行に行こうとしたら車の故障で行けなかったり、彼女と旅行で温泉に泊まったときに、左肩が痛くなり、その後、針治療に行ってもよくならず、また家族の問題、仕事のミスが重なり、自分が何かおかしいと思うようになりました。その後、除霊してもらった経験のある、兄の嫁に、自分の彼女にとりついている霊が乗り移ったのではないかと言われ、気になるようになり、ネットを調べて、天光寺に行きつきました。私は関西に住んでいるのですが、Youtubeの動画やホームページで除霊・お祓いの情報を詳しく提供してくれており、さらに真言宗のお寺なので、自分の実家も真言宗ということもあり、天光寺に決めました。電話受付では優しく話をきいて下さり、寺についてからは、応接室に通され、丁寧に接客をされました。除霊・お祓いが終わった後は、ヒーリングなるものをしてもらいました。終わった後、からだの皮膚、特に左の背中・肩あたりがピリピリしていました。住職からは、楽になりました?と聞かれました。左の肩がすっきりしたので、楽になりましたと答えました。その後、心の持ち方という冊子を渡され、大事なことが書いてあるから、家に帰って落ち着いて読んでみてくださいと事務員さんに言われました。その冊子を読んだのですが、これまでに自分のあり方を反省させられることが多く、住職からいろいろもらったアドバイスの理由が分かりました。ありがとうございます。友人が霊的に悩んでいたら、天光寺を紹介しようと思います。

    旦那との離婚話が進まず、別居もできない状態で困っていました。霊がつくと言われている肩や背中の痛みも酷く、吐き気もしている状態でした。さらには近所の子供が蹴るサッカーボールが家の壁に良く当たり、騒音に悩まされていた状態で、気になってしまい、家にいることもままなりませんでした。八方ふさがりなのは、霊障なのではないかと思い、ネットで評判を調べて本物らしいと思い天光寺さんを頼りました。ご住職は、とても穏やかで優しく、光っているような感じがしました。お経をあげていただいている間はうとうととなってしまい、身体が何度も倒れてしまいそうになりましたが、後ろでお弟子さんが支えてくれたので大丈夫でした。どらの音が鳴ると、それに反応して体が動いてしまいました。最後にヒーリングなるものを受けました。全て終わった後はとても肩・背中が軽くなり、何かが抜けた後の感覚がありました。住職は霊がついていたとはっきりは言いませんでしたが(私が怖がると思い、はっきりとは言わなかったのだと思います)、どうやらそのようでした。これからは霊に憑かれないよう、このお寺で教えて頂いたことをひとつひとつ実践していこうと思います。

    昔から人間関係がうまくいかず、女性関係もうまくいきません。好きな女性から一度告白されて会うようになりましたが、理由もなく振られました。そのようなことが3度続き、トラウマを引きずっています。最初は、自分に問題があると思っていましたが、何かに邪魔されているのではないかと思うようになりました。私には霊は見えないですし、感じないので、霊障だとは思っていませんでしたが、もし万が一と思い、相談に天光寺さんに行きました。結果、因縁によるものだということが分かりました。ご住職さんからは、ご先祖様を大事にすること、自分が作り出した因縁のようですと説明を受けました。それ以来、自分の家の仏壇に毎日線香をあげ、祈りを行うようになりました。それから、お祓いの後、頂いた「心のもち方」という紙に書かれたことを実践しています。また、そちらにお世話になると思いますが、その時は宜しくお願いします。

    2日間ありがとうございました。
    呼吸法や発声法にはじまり、お百度参りなど様々な修行を体験させて頂く中で、あいさつの大切さと繰り返しやり続けることの大切さについて学ばせて頂くことができました。
    「あー」という1つの音を出すのにしても思っていたより全然息が続かなくて驚き、だからこそ先生方の安定感のある、心地よい音がどうやったら出せるんだろうどれくらいの時間をかけて体得なさったんだろうと鳥肌がたつ思いでした。
    お百度参りでは、コンクリートの熱さに、最後まで続けられるか不安でしたが、皆と一緒にがんばっているという連帯感のおかげでやり遂げることができました。
    般若心経をとなえ続ける修行は、正直一番辛かったです。時間がとても長く感じて「もうやめたい」という自分との戦いでした。その反面、何度繰り返してもなかなか覚えられないことがくやしかったり、やっぱりここでも「継続は力なり」を実感し、私今まで何か1つでも自分の納得いくまでやり続けて達成した事はあったのかな?今やっていることも、もっと努力をできることがあるはずだと気付くきっかけになりました。

    また修行ではありませんが、今回宿泊させて頂く中で、ご飯や掃除など日々の生活のひとつひとつに心を込めること、与えていただいてるものに感謝することの大切さにも気付かせていただきました。心を込める余裕のある生活をしたいです。
    ご飯とっても美味しかったです。
    本当に貴重な体験をありがとうございました。

    数年前からトラウマになるようなトラブルが続き、体調不良、うつになりました。私が私ではないような気がします。仕事もトラブルがあり、家族も具合が悪く、親戚とも疎遠になっていました。私の問題以外に、家族にもなにか問題の原因が霊的なものがあるのではないかと思い、天光寺に相談しました。ご住職に見ていただいたところ、雑霊がいくつか入り込んでいるとのことで、除霊をして頂きました。最後にヒーリングをやっていただき、体が温かくなり、お寺の方は皆いい人で、このお寺に来てよかったなと思いました。今度は、家族で気になる母を連れてこようと思います。

    今度は一泊二日の滝行に参加させていただきありがとうございました。
    貴重な体験をさせて頂きました。

    初めての「お百度参り」に滝行、自然の中で力強くも静かな時間も過ごせました。

    館内は清潔できれいでとても快適でした。
    お食事もとても美味しかったです。

    住職をはじめスタッフの皆様も親切でした。
    本当にありがとうございました。

    体験修行に子供もきており、大人として立派にふるまわなければならないと思いました。これまでの自分を反省しました。食事の準備や片付け、朝の清掃など積極的に取り組みました。世界は自分一人ではなく、他人との生活を意識しながら生きていかなければなりません。
    そのため、とても為になりました。滝行は自分の心を新鮮な気持ちにさせてくれました。滝行は、滝に登るまでの突起のある山肌や傾斜のある山を登ることにより、困難さを味わうことができ、滝を見た時の壮大さを味わうことができました。 これまで自分は人を裏切ってきました。まだ心の中の闇は晴れていませんが、いつか心が晴れたらまたここに来ようと思います。人の背負ってる因縁を理解し、人のために何かできる人を目指し、今後の人生を歩んでいきたいと思います。

    息子は20歳になりますが、悪友とのつきあい、口が悪い、両親を罵る、警察のお世話になる等、最近、目つきがわるく、人相も悪いです。悪魔が乗り移ったのではないかと思うような表情をすることがあります。まず、天光寺に電話して住職と話をしました。一回、お祓いに来た方がよいと言われ、息子を連れて行きました。やはり、悪霊が中に入り込んでいました。除霊の最中、息子は手を合わせながら意思に反して、ゆらゆら身体がゆれ、住職のお経の最中は、転げまわっていました。こんな息子を見るとは思いもしれませんでしたが、除霊が終わり、息子の表情が柔和になったのを見て、ほっとしました。最後に心の持ち方という紙を頂きました。このような心を持っていれば、今のようになっていなかったはずです。有難うございました。

    昨日、SF映画に出てくるような未来の地球の夢を見ました。荒れ果てた大地に塔がいくつもたっており、その塔の一番上は円盤状になっています。そのあと、人間に似た霊のようなものが見えました。実際の人間よりとても大きかったです。その霊が低振動の声で怖いことを私に向かって話していました。何か、注意するように言っていたようでした。その後、頭の中が気持ち悪くなり、目が覚めました。こんなことは初めてでしたので、友人から聞いていた天光寺さんに電話して相談したところ、なるべく早く来た方がよいと言われ、その翌日に伺いました。相談時に見てもらったところ、夢はただの夢だとのこと、あまり神経質に考えない方がよいと言われました。ただ、因縁があり、私の現状は、それと、私の思い癖が引き寄せているということでしたので、お祓いとヒーリングをして頂きました。終わるととても頭がすっきりし、首につかえていたものも無くなりました。天光寺さんは、お祓い以外にも、滝行や瞑想の一般の人の修行もやっているので、次回は、修行でいきたいと思いおます。住職も、そこで働いている方たちも、とても優しく、思いやりがあり、それにも癒されました。

    人間関係と仕事がうまくいかないので、悩んで天光寺様にお祓いをお願いしたのです。
    私はいろいろな仕事をやってきました。ところがどこでも人間関係が悪く、いつでも孤独です。この数年間、同僚や知人がみんな私に悪意をもって、私に辛くあたるような気がして苦しんでいます。仕事でも、他の人よりひどい扱いをうけている。差別されている。との気持ちが断ち切れません。自分の力だけでは立ち直れないと思いました。天光寺様でお祓いをしていただいて、私はとても救われた気持ちになりました。相手の私にとってつらい態度は、実は私自身の写し鏡だったこと。私が幼い時、母や祖母が同じ不満を言っていたことを思い出しました。大きな水の流れのように暗い霊が私を引っ張ってきたのだろうと教えてもらって気が付きました。いまは、まっすぐな明るい気持ちで生きて行こうと決心できました。

    コロナウイルス予防接種の対応に追われていますが、この1年間でうつの症状に悩まされていますが通院しても原因不明で改善しません。仕事で大きな責任の重圧でトラウマになり自信を失いました。家族の病気や、友人との金銭問題が連続して発生し人間関係も悪化しています。過労が原因ではないかと仕事を休んで休養しましたが、回復できません。実は、叔父や叔母が、同じ症状で苦しんだことがあると母から聞かされました。なにか先祖にまつわる原因があるのかもしれないと母が私にお祓いを勧め、天光寺様にご相談いたしました。
    天光寺様に事情をお話しし、除霊を行っていただきました。おかげさまで今では前向きな考えを持つことができ、次第に体調も回復しつつあります。

    私は事業も順調で経済的にも安定した生活を送ることができています。しかし子供に恵まれません。流産やお産直後まもなく世を去ったこどもが2人います。しかも、そのたび妻は健康を崩し、危険な目にもあいました。まるで私たちに子を持たせないためになにか見えない力が働いているのではないか、と私たちは恐れるようになりました。実は独身のときに酷い状況で中絶させたつらい過去があります。妻に打ち明けたところ、水子供養をしてもらうことになりました。妻が入手した情報で天光寺を知りました。ご住職は私たちのお話をよく聞いて頂き、丁寧にしていただきました。おかげで私たちは穏やかに過ごすことができています。きっと子供に恵まれると信じています。

    「本当にしんどい時は笑える」「日常こそ修業の場」この2つが、今回修業に参加して得た私の学びです。元々、天光寺は半日滝行に参加した友人に話を聞いて知りました。そこで昨年からどうも完治し切らない心身の不安定さの解消と、今年始めた琥珀ジュエリーのプロデュース事業成功を願って参加を決めました。最も楽しみにしていた滝行で冒頭一つめの学びを得ました。まさかのトップバッターとして滝行に臨んだのですが、水に入る時、かぶる時、自然と恐怖心はなく目の前の水に対してほぼ『無』の状態で滝を浴び始めました。結果、笑いが止まらない状態になり、水圧が強くなればなる程どんどん笑ってしまう自分がいました。この時「本当にしんどい時、私は笑える人間なのだな」と思えこれからの人生における困難な事も怒る前から恐れる事なく只受け止め、渦中になったら笑いながら乗り越えようと決意しました。二つめは、この期間で「繰り返し作業」を繰り返しながら感じたことです。私自身、自分の中に怠惰な性格を自覚していた為、つい「面倒くさいな」「まだ終わらないかな」という気持ちでやってしまった時に、意識してとにかく『無』になる事(集中すること)や願い事で心の中を満たすようにしました。こういう気持ちになることは日常においても掃除や皿洗いなど多々あります。そういう時でも「面倒くさい」に負けず、只行為に集中することで日常にも修業の場をつくることが出来ると感じました。特別な時だけ調子の良い時だけでなく、日常辛い時にこそ心身を鍛えるチャンスがあると教えて下さった天光寺の皆さまにこの場を借りて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

    最近怖い夢をよく見ます。守護霊なのか、何なのか分からないままで不安でした。たまに怖い声が日中に聞こえることもあります。正体不明で怖いので、霊視とお祓いを天光寺にお願いしました。守護霊ではなく、雑霊だとのことでした。お祓いをしてもらい、気持ちがすっきりしました。お寺で、心の持ち方などの冊子を頂きました。とても良いことが書いており、すぐに実践するのは無理ですが、書いて有る内容を心がけて、徐々に実践していこうという前向きな気持ちになりました。有難うございました。

    私は20歳のときから悪霊のようなものに苦しめられてきました。なにか足元から重い何かが巻きついてくるのを感じ、また、その霊のようなものが私に話しかけてくるのです。低い泣き声が聞こえるときもあります。そんなときは身体の奥からしびれがはじまり、身体が重くなり金縛りのように身動きが取れなくなります。病院の精神科に行っても原因不明で、家族や友人も信じてくれません。心身の疲労で会社を休むことも多くなり一人で悩んでいましたが、友人から天光寺さんの情報をいただき、藁にも縋る思いでお祓いをお願いしました。先生は私のお話を丁寧に聞いてくださって、私にとりついている霊に気付いて頂きました。おどろいたことに、お祓いをいただいたあと、心も体もいままでの苦しみからすっかり解放されました。退職寸前だった仕事も今では明るく積極的に勤めることができています。ほんとうにありがとうございました。

    私は事業も順調で経済的にも安定した生活を送ることができています。しかし子供に恵まれません。流産やお産直後まもなく世を去ったこどもがいます。しかも、そのたび妻は健康を崩し、危険な目にもあいました。まるで私たちに子を持たせないためになにか見えない力が働いているのではないか、と私たちは恐れるようになりました。実は独身のときに酷い状況で中絶させたつらい過去があります。妻に打ち明けたところ、水子供養をしてもらうことになりました。妻が入手した情報で天光寺を知りました。ご住職は私たちのお話をよく聞いて頂き、丁寧にお祓いをしていただきました。おかげで私たちは穏やかに過ごすことができています。きっと子供に恵まれると信じています。

    この2年間、今までに経験したことのない仕事や家庭の不幸な出来事が続けて発生しました。家族のけがや病気、そして仕事の大きな失敗。しかし、原因はどれも私自身にとって不可抗力ともいうべき偶然のもので一体どうしたものかと困惑するだけでした。次第に家庭不和の原因となり、家族関係にもひびが入りそうです。私は長く不動産業を営んでいますが、仕事柄、土地や建物にとりついている霊が所有者に影響を及ぼすということはよく聞くことがありました。不動産業も所有・転売ということを繰り返すのですが、同様に影響を受けるのかもしれないと思うようになったのです。親しいお客様のご縁で天光寺様を紹介頂きました。お祓いをいただいたあと、まず仕事が順調に進み始めました。大きな変化は利害関係者の皆さんの満足不満足の分岐点が直感できるようになったことです。天光寺様に教えられて気が付きました。私を導いてくれるまたは悪い方向に引っ張る多くの霊があるのです。改めて、正しい気持ちで仕事をしてよい人生を迎える決心がつきました。ありがとうございました。

    会社を経営していますが、社員が次々に心の病にかかって退職していきます。私自身、そこまで厳しくしているつもりはないので、何か他に原因があるのではないかと思い、相談に来ました。ご住職曰く、特に何も憑いていないが、自分の想念で作り出してしまっているものが多い。それが従業員への接し方にも出てしまっているのではないか?と問われ、はっと気づくことがありました。最後にヒーリングをして頂きました。ヒーリングの最中は、普段怒ったりして波がある心が穏やかになりました。これからは、このような穏やかな心で従業員に接しようと思います。気づきを頂きまして有難うございました。

    当初、兄が購入したマンションを譲り受け、5年前から済み始めたのですが、初日に天井から人の声が聞こえ、気のせいかと思っていましたが、去年から天井から壁にかけて黒い染みが出始め、拭いても拭いても黒くなる一方で、気味が悪いので、ネットでの評判がよかった天光寺に相談に行きました。部屋と天井の写真を見せて相談をしましたところ、次回、出張してお祓いをするとのこと。その日は、私のお祓いをしていただき、終わりました。邪気を抜く必要があるとのことで、月に何回か、家で、塩と日本酒をお風呂に沢山入れてつかるように言われました。さっそく家に帰って試してみました。とても体がすっきりします。とても良いことを教えて頂きました。次回、出張の際は、どうぞ宜しくお願いします。

    10年位前から人間関係がうまくいかず、3年前の夏、子宮筋腫を患い、今年の春、全身に湿疹ができ、その後、背中が痛くなる症状に悩まされていました。夫も3年前からうつ病を患い、入院、体の調子も悪い状態が続いていました。霊的なものが原因であれば、お祓いをしてもらいたく天光寺さんに行きました。家にある人形も気になっていたので、電話で事前に相談したところ、人形供養もしているのでもってきなさいとのこと、いろいろ話を聞いて頂いたのち、お祓いを受けました。ご先祖様の霊や、その他雑霊の影響があったとのことでした。最後にヒーリングをして頂いたのですが、背中から重いものが飛んでいくような感覚を覚えました。人形は問題ないが、気になるでしょうからお寺の方でお焚き上げしましょうか?とおっしゃっていただいたので、お渡ししました。親身に相談に乗っていただき、長い話を聞いて頂き、今後のアドバイス(ご先祖様を敬い仏壇にお供えをし、手を合わせる事など)も頂き、感謝しております。

    大学入学をしてから、うつ状態となり、勉強が手につかなくなり、1年後、休学になりました。今まで楽しいと思えたことも、楽しめなくなり、そして人間不信に陥りました。死が頭をよぎるようになりました。病院では、うつ病と診断され、2年間通院しましたが、よくなりません。今のままでは卒業はおろか、社会にも出れなくなってしまう、何か私に霊的に問題があるのではないかと思い、天光寺に来ました。見て頂いたところ、霊の問題ではないとのこと。自分の想いぐせ、そして溜まっている邪気によるものとのことでした。お祓いの最後に、ヒーリングをしていただいたところ、とてもスッキリした気持ちになりました。その後のご住職のお話もとても参考になりました。今度は、泊まりで修行に来たいと思っています。宜しくお願い致します。

    会社を経営しています。社員が皆、病気やケガで辞めて行ってしまいます。新店舗をオープンするにあたり、職人さんが倒れたり、工事が延び延びになってしまったり、霊が見えると言われたことがありましたので天光寺さんに相談しました。新店舗の場所は問題ないとのことでした。お陰様で、私個人の霊的なもの以外にも、私の想いぐせから招いたことだことに気づかされました。今度は、滝行に来ることを勧められましたので、近いうちにまたお伺いします。

    私の家系は離婚者が多く、また私の兄と息子は、精神病です。一家に何かあるのではないかと思い天光寺を頼りました。住職の霊視から、成仏していない水子の霊がいくつも私にもついているとのことでした。水子が助けを求めて障りを起しているとのことで、先祖供養含め、天光寺に実施して頂きました。これで水子の怒りが収まり、好転することを信じています。普段から家族を大切にする気持ち、ご先祖様を敬う気持ちが大事なのだと実感しました。どうも有難うございました。

    今回、初めて体験修行に参加させてもらい、一番得たいと思っていた煩悩からは少し離れられたように感じます。また、仏教の教えから、気持ちが穏やかになったように思います。

    どうしても人と比べてしまい、努力不足なのではないかと自分を追い込み、結果につながらないことが多くあります。他人をうらやむ気持ちがとても強く、気持ちが乱れてしまい、目の前の大事な事に集中できず焦ってしまい悪循環になってしまいました。瞑想や滝行など時折違うことを考えてしまったこともありましたが、全体的には目の前の行に集中することが出来、自信になりました。また、一泊二日と短い期間でしたが、仕事から離れ、今まで当たり前だった食事や生きていることへの感謝をもう一度見直す機会が得られ、気持ち的に余裕が出来たと思います。もっともっととどうしても欲を限界なくもとめてしまい、欲と現実の差に苦しんでおりましたが、現状もとても幸福であり、あまりにも自分が消極的な思考で生きていたと感じました。努力はこれからももちろんしいていきたいと思いますが、方向を間違えず、自分の圧に苦しむことはないよう感謝の気持ちを忘れないように生活して参りたいと思います。ほかにも細かい事ですが感じたことはいくつかありました。一度経験したいという興味本位から参加させていただきましたが、仏教のことは殆ど勉強したことがなかったので、今までの想像と違う点がいくつかありました。教えや行から努力をする、辛いことが有っても負けない精神力を得る事が出来るんだなと思いました。

    一泊二日の体験修行を終えて、努力をする所はしっかり努力して、自分の日常人生をよりよくしていきたいです。また、滝や空気等自然から力を与えてもらったのも事実でしたので、苦しみや辛さを感じた際には自然に触れエネルギーを頂きたいと思いました。短い期間でしたが天光寺の皆さま、素晴らしい機会を与えて下さりありがとうございました。

    ゆっくりとした時間と厳しい修行で自分自身を見直す大変良い機会となりました。私は今年で社会人二年目となり、日々の忙殺された仕事にあとを追われ、あっという間に過ぎていく時間に少々病んでいました。その中でお百度参り、滝行、瞑想と心・体整う内容に感謝申し上げます。

    また、朝・昼・晩の出して頂いた食事には正直感動しました。普段自炊をするものの、人様が出して頂いた食事は、やっぱり良いものだと実感しました。健康的な三食の食事、十分な睡眠をとる事で朝から活動的に生活できる事も改めてこの機会を通じて、実感することができました。

    今回の体験、経験を基に今後、実行、実践していきたい事は二つあります。一つは、心に余裕がない時こそ、十分でも五分でも、呼吸を整える、瞑想を行っていくことです。考えすぎるな、自分を一度リセットする事で、自身をコントロールできるように今後とも訓練して参ります。二つ目は自分自身をしっかりと認める事です。「なら、ねば」の生き方では苦しい、自分自身を愛し、肯定し認める事で、より生きやすい自分を創っていきます。

    短い時間ではありましたが、自分を律し、見つめ直し、振り返る事のできる機会となりました。重ねて感謝申し上げます。今後とも、体・心の面で迷いや悩みがありましたら、再びお世話になるかもしれません。その時は、どうぞ宜しくお願い致します。ありがとうございました。

    生霊に取りつかれて、夜中の2時頃、人の目が見えて目が覚めたり、家族が違う人に見えたり、足が痛くなったりして、夜も眠れず食事も取れない状態で、お祓いをしてもらうため、天光寺さんに来ました。最初、相談室で話を聞いてもらい、その後、お祓いが始まりました。仏様の前に座り、ご住職のお経を聴いていると、心が落ち着きました。ヒーリングもやっていただきました。全て終わると、体がすっきりし、足の痛みも軽くなっていました。最後に、住職から滝行を勧められましたので、今度は滝行に天光寺に来ようと思っています。

     

    最近、寝ていると何かの気配を感じ、背中に波打った感覚が押し寄せるようになりました。それで眠れなくなり、体に疲労が溜まっていました。その他、自転車に乗って車にぶつかったり、携帯電話で話をしていると、話してもいない女性の声が電話口から聞こえてきたりしていました。霊障だと直感で思い、天光寺に相談し、お祓い・除霊を受けました。住職に相談に乗ってもらいました。とても親身になって話を聞いて頂き、除霊を受け、その後は、そういったこともなく、平穏に寝ることができるようになりました。どうやら狐に憑かれていたようです。本当に有難うございました。

    私はセラピストとしてマッサージの仕事をしています。仕事で、体のだるさ、つかれがいつも残ったままで最近は、腰や腕まで痛むようになりました。特に重い感じのお客様の施術をした後にひどくなります。何かエネルギー的に悪いものが溜まっているのではないかと思い、天光寺のお祓いを受けました。お祓いの最後にヒーリングをして頂きました。その最中、頭から心地よいエネルギーが注がれるのをかすかに感じました。お祓いとヒーリングの後は、体が軽くなり、痛みも相当軽減されました。やはり、悪いエネルギーが溜まっていたとのことでした。今後、天光寺でヒーリングを学び、マッサージの施術と合わせてお客様に提供できるようになりたいと思いました。有難うございました。

    初めて天光寺でお祓いを受けさせて頂きました。私は配達業を営んでいますが立て続けに職場の人間が事故に遭い、病気になり、普通では考えられない苦痛が重なり合ったのでお祓いを受けようと決心いたしました。始めは靈や神はまるっきり信じていませんでしたが、CDやお経を聴いて自分の体の震えが止まらなくなり自分が自分でないような感覚が有りました。最後の浄化浄霊?の最中に体が浮く感覚と鳥肌や背骨を電流が走る感覚があり、最後に住職にお腹を押されてスッキリしました。最後にヒーリングというものを受けてからは体が軽くなったような感覚がしました。この文章を書く1日前取引先との商談がうまくいき銀行の融資審査が通るなど信じられないほどいい出来事が続いています。私は住職に霊媒体質と言われ少し困惑しましたが、また何かありましたらよろしくお願いいたします。

    以前、陰陽師の先生に一族には呪いがかけられていると
    言われたことがあります。
    憑りつきの霊が出入りするうちに、だんだんと馴染んでしまっています。
    両親と一緒に映った写真に、白い線のようなものがあり、
    不吉に感じたので今回天光寺さんに除霊を両親と私3人でお伺いすることにしました。

    霊が憑りついている感覚は昔からあり、
    霊のせいで、一度階段から転げ落ちたことがあります。
    その時に背骨に損傷を負い、未だに完治していません。

    有名な某寺に毎日のようにお経を聞きに行き、いろんな神社の神様やお寺の仏様に頼み、
    陰陽師先生から頂いた式神などで除霊をしてきてはいるのですが、
    良くはなりませんでした。

    しかし、天光寺さんで除霊をしてもらってからは
    霊が憑いている感覚がなくなりました。

    本当にありがとうございます

    数年前から原因不明の体調不良が続いていました。
    どこに行っても体には異常がないといわれてしまい、
    漢方や湿布といったもので騙し騙ししていたのですが、
    全く良くなる見込みがありません。

    今年になって、
    右耳から音楽や男の人の声が聞こえるようになりました。
    数か月前からはさらにひどくなり、
    1日中聞こえるようになってしまいました。

    いくつかのお寺で祈祷してもらったり、
    占い師さんにも観てもらったりもしたのですが、
    結局だれも治すことができないので
    困った挙句、天光寺さんにお願いいたしました。

    それからは幻聴や原因不明の体調不良などは起きなくなりました。
    先生、ありがとうございます。

    除霊をする前までは仕事をしていても、
    途中までうまくいっていたのに妨害が入りダメになることが多かったです。
    血液・眼の病気も患い、年々ひどくなります。
    妻にも子供ができません。

    弟が二人いるのですが、両方独身で耳・心の病気を患っています。

    このままではだめだと思い、天光寺さんにお願いすることにしました。

    除霊も良かったのですが、
    先生のお言葉も大変勉強になりました。

    私の病気に関しては除霊から半年たってみると
    進行は止まって、少しずつ良くなっている感じがしています。
    天光寺にお願いして本当に良かったです。

    体質的に霊を集めてしまいます。
    数年前から霊障がひどくなり、
    霊から嫌がらせを受けるようになりました。

    陰陽師にもお願いをし、
    除霊と私自身に結界を貼っていただきました。

    その後は霊が憑いてくると言った感じはしないのですが、
    家までついてくることはあり、
    そのあたりも天光寺さんに見てもらいたいと思い
    除霊をおねがいいたしました。

    除霊をしてもらい、そのあとは頂いた資料を
    毎日読みあげています。

    前は予知というか、
    目の前に突然現れた子供が
    数日後に事故に遭うと言った
    不可思議なこともあったのですが、
    それ以降はなくなりました。

    ありがとうございました。

    数年前から霊が憑くようになり、幻聴が聞こえるようにりました。
    以前にも何度か除霊をお願いしたことがあったのですが、
    落ち込むと死を感じることもあり不安になります。

    仕事の邪魔をされることもあり、
    最近では体調を崩すことも多くなりました。

    父も亡くなったり、私が交通事故や盗難にあったりしてトラブルが続いています。

    不安が大きくなり、幻聴も大きくなりはじめ
    死ぬかもしれないと思い始め救急車を呼んだこともありました。

    恐怖から寝れなくなり、病院に10日間ほど入院しました。

    そのため、このままでは生活が立ち行かなくなることもあり
    天光寺さんにお願いすることにしました。
    除霊を行った結果、
    今までの幻聴は聞こえなくなり、
    生活も正常になりました。

    本当にありがとうございました!

    4年前より、私の体の中からなにかが起こり始め、
    それからしばらくして心の中からも声が聞こえるようになりました。
    そしてさらにそれより1年後には外からも声が聞こえます

    常に知らない複数の声がひっきりなしに聞こえてくるようになり、
    毎日が苦しくて、苦しくて胸を搔きむしるぐらいの辛さがこの数か月間でも何度もありました。
    (そういう時は1時間以上泣き続けることがあります)
    なぜ起きるのかわからず、なぜ私だけがこんなに苦しまなくければいけないのだろうと考えていました。

    除霊を終えた後、心を強くしようと思いました。

    ありがとうございました!

    昔から天光寺さんには除霊でお世話になっております。
    家にも来てもらいお祓い・供養してもらったこともあります。
    その時もちゃんと除霊をしていただき、
    治っているので本当に感謝しています。

    今回は知人が何かに憑りつかれているということで
    天光寺さんに一緒に連れて行きました。

    話を住職さんに聞いてもらい、
    カウンセリングをしてもらった後、
    除霊がスタートしました。

    前もって
    彼女には流れを説明していたので、
    落ち着いて対応していました。

    もろもろで数時間かかりましたが、
    知り合いの女性も
    除霊がうまくいったようでした。

    天光寺様、本当にいつもありがとうございます。

    人間関係も今まで良好だったのに突然悪くなり、

    縁が切れてしまうと言うことが起きていました。

    子供達も家に帰ってこなくなり、
    寂しく思っています。

    主人も昨年他界してしまっており1人暮らしです。

    その家族にも秘密にしていたのですが、
    20年以上前から私の背中には、私と同じように生活をしている者がいます。

    最近になり、足にも別の何者かが住んでいると感じています。

    買い物などで外出すれば
    沢山の霊か何かにに私はいつも監視されているような感覚がありました。

    常に誰かと一緒にいるという感覚があり、
    日常生活にも支障がでることがありました。

    知り合いの方に相談し、
    天光寺を紹介していただきました。

    私は数年前から足が悪くなっており、
    1人で歩くのもままならない状態だったのですが、
    除霊を終えた後、歩けるようになったことがびっくりしました。

    除霊前はよく霊かなにかに話しかけられていたのですが、
    その声も聞こえなくなりました

    皆様方、ありがとうございました!

    男性の霊を何度も家の中で見かけます。
    同居している息子だけでなく、
    姪っ子、甥っ子も家に遊びに来た時に見かけたと言われました。

    子供達(息子・娘)が金縛りによくなります。
    家の中で振動や音なども聞こえます。
    頭が締め付けられたり、
    心臓も苦しくなることがあります。

    病院にいっても理由が分からないと言われており対処できない状況です。

    事故も最近よく起こしていました。
    自動車の事故は軽いものも含めれば
    この2か月間で3回しています。

    階段から落ちることも2回しており、
    普通では考えられない確率だと思います。

    夫からも離婚をきりだされ、
    何か霊的なものがあるのでは
    と思い天光寺に除霊をお願いすることにしました。
    除霊をする前は
    体のあちこちが痛かったりしていたのですが
    終わった時から、軽やかに動けるようになっていました。

    子供達も金縛りにならなくなり、
    家の中で霊を見なくなっています。

    自動車事故は、
    あれから半年経っていますが
    起きていません。

    ありがとうございます。

    よく霊が見える方に言わせれば、私には霊が憑いているとのことでした。
    この前会った人にも、あなたには霊が憑いているからお祓いに行った方が良いと言われました。

    原因として考えられるのは、昔墓地の近くに住んだいたこと、心霊スポットに悪ふざけで
    良く行ってたなどです。

    神社で何か所かお祓いをしてもらったのですが、
    症状が治りません。

    そのうち、ラップ音なども聞こえるようになってきて
    眠れないようにもなり、困っていました。

    そして、以前天光寺に行ったことがある人の話を聞く機会があり
    相談をしに行くことにしました。

    そうしたら、
    部屋の中を撮影してくれと言うことでしたので
    写真を撮って持参することにしました。

    相談の段階から親身になっていただき、
    除霊の後もフォローをしていただきました。

    それからは、普通通りの生活を送ることができるようになっています。

    お寺の皆さまがたありがとうございました!

    息子の不登校で天光寺さんに相談しました。
    中学3年生から学校に行かなくなり、
    3年ほどまともに通っていません。

    私は出張が多く、
    妻に任せきりにしていたのも
    悪いのかもしれません。

    久しぶりに会った息子が酷い状況になっていました。

    青森のいたこさんより
    天光寺を紹介して、
    除霊することになりました。

    まず息子を天光寺に連れて行くのに苦労しました。
    普段から外出を嫌がっていたからです。

    ですので、彼が興味がありそうな話をして
    なんとか連れ出すことにしました。

    結局、ドライブ中に気分が良くなったらしく
    無事、お寺まで行くことができました。

    それからはおとなしく
    住職様の話を聞いていました。

    除霊が始まると

    息子の感情がでてきました。

    普段は物静かで
    動きも遅く、
    体温も低いのですが、

    除霊が終わった後は
    顔に生気があり
    いつもは冷たい手が
    とても温かくなっていることに驚きました。

    最近、不運が続いています。
    交通事故をこの短い間に7回、
    てんかん、じんましんなどの病気もあり、
    めまい、頭痛、腰痛、肩こりなどもひどい状態です。

    高額な商品も不良品だったり、トラブルが続き
    旅行をすれば、行く先々でトラブルに見舞われます。

    仕事でも取引先とトラブルになり、
    社内でも人事異動などでももめることになりました。

    今まで賃貸していたマンションとももめ、
    先祖代々の土地でももめています。

    今までいろいろ努力してきましたが、
    トラブルに巻き込まれてしまっていました。

    霊障ではないかとも思い、
    天光寺にお祓い、除霊をお願いいたしました。

    ひととおり、除霊をしてもらいました。

    それからはトラブルになる回数が減った気がしますし、
    持病もなくなりました。

    ありがとうございました!

     

    不運が続き、霊障ではないかと思いお祓いをお願いいたしました。
    霊が近くにいる、憑りつかれている
    触られている、耳の近くで脅される、
    耳鳴りがするなどの症状がありました。
    眠ることもままならなくなり、
    生活に支障が出始めていました。
    天光寺で邪気を払っていただいたあと、
    ヒーリングを受けました。
    終わりましたら体がすっきりしました。
    それからは、以前あった症状はなくなりました。

    お祓いの時に家に飾ってあった人形なども供養していただきました。

    先生、ありがとうございました。

    記念撮影をしたところ、すこし変わった写真が撮れてしまいました。
    今年に入り、家族が次々と病気・ケガ(骨折、流産、難病、うつ、ノイローゼ)となりました。
    私は体調がよくないのですが、病院に診てもらっても原因が分からないと言われました。

    厄年ということもありましたが、
    あまりにも多いために今回お祓いと水子供養もお願いいたしました。

    家族3人でお伺いし、除霊と水子供養をしていただきました。
    実は水子は1人ではなかったのですが、住職様に人数を当てられびっくりいたしました。

    結構長い時間、丁寧にやっていただきました。
    本当にありがとうございました。

    悪霊をお祓いしてもらいに天光寺にお伺いしました。
    数か月前から夜になると現れ、金縛りに近いものを感じるようになっていました。
    そのため、電気はいつもつけっぱなしにしています。
    毎日3時間ほどの睡眠しかとれず、
    睡眠不足にもなっていて体調もすぐれません。
    仕事も早い時間からスタートするため、
    仕事にも支障をきたしていました。

    夫と2人で同伴したのですが、
    夫も一緒に見てもらいました。

    除霊が始まると、
    私の意識とは別に体が動き始めました。
    1時間やってもらった後は
    だいぶ体から何か抜けた感じがありました。

    それからは以前のような症状はなくなりました。
    お寺の皆さま、ありがとうございました。

    コロナに入る前から兆候はあったのですが、
    会社の業績がよくありません。
    これまで25年近くうまくいってたのですが、
    なにか歯車がかみ合わなくなってきています。

    とくに契約までの時間がかかる業種なのですが、
    何か月も前から準備してきたのに、
    契約直前になると立ち消えになってしまうことが続いています。

    コロナによっていっそう厳しくなってきていました。

    もちろん、私の経営能力の無さという問題もあるとは思いますが
    あまりにも失注が続き、ある意味藁にもすがる気持ちで
    天光寺に除霊をお祓いいたしました。

    というのも、私の妻が霊感が強い方なのですが、
    最近、いろいろおかしい行動をするようになったというのもありました。

    そんなこともあり、
    半信半疑で行くことになったと言うのが正直なところです。

    しかし、行ってみて大正解でした。
    それ以降はコロナ渦ではありますが、
    受注が増え始めていますし、
    妻の不可思議な行動も収まりました。

    ありがとうございました。

    数年前から急におなかに痛みを感じることがありました。
    いろいろな病院でも調査をしたのですが、原因を突き止められないでいました。
    今年に入ってからほぼ毎日のように痛み出し、
    病院以外での民間療法に頼ったりもしたのですが、
    いまいち症状が良くなりませんでした。

    どうにもならなくなり、占い師に相談したところ、
    昔から体になにか悪い霊が憑いていると言われました。
    ですが、その人は霊をとることができないようでした。

    今度はその悪霊を取ってくれるひとはいないかと
    探し続けたところ天光寺を知りました。

    除霊に行くまでは怖かったのですが、
    実際行ってみると厳かながらもすがすがしい空間でした。

    どうやら私は神気持ちらしく、
    いろいろなものに同調してしまうようでした。

    除霊をし、ここをを強くする資料を頂きました。

    除霊が終わった後は、
    すっきりしました。

    それほど痛かったおなかがすぐとは言いませんでしたが、
    だんだん良くなり、今ではすっかり治りました。

    住職、ありがとうございました。

    以前より、父との不仲が金銭的、先祖代々的なものでありました。
    職場でも裏切りやパワハラなどがあり、心身ともに疲れていました。
    そこから妻との関係もおかしくなりはじめ、
    息子も反抗期なのかいうことをきかなくなり、引き籠り始めました。

    誰も信じられなくなり、私自身も仕事以外の行動が億劫に・・・。

    その様子を見かねた兄が天光寺を紹介してくれ、伺うことになりました。
    正直なところ、霊感などもないし半信半疑でいったのですが、
    それ以降は見違えるように状況が変わったので驚いております。

    あれから3か月ほど経ったのですが、
    父、妻、息子との関係が激変いたしました。
    本当にありがとうございました!

    今年に入ってから夜中に声が聞こえるようになりました。

    私のことをバカにしてきます。

    以前住んでいたマンションでは8階、5階、4階の住人も私の悪口を言ってきました。
    何か見えない物が私に憑りつこうとしています。

    私のせいで家族にも霊がついてしまうと感じ、
    家族にも近づかないようにしていました。

    今思えば、被害者妄想が強かったなと思いますが
    その時はそう感じていました。

    新居に引っ越しても、ラップ音なども聞こえるようになってしまい
    さらに悪化してきました。

    始めは神社でお祓いをしてもらったのですが
    まったく効果がなかったので
    お寺を探し始めたところ、天光寺さんを見つけ除霊をしていただきました。

    私の家は関東のはずれなので少し遠かったのですが、
    時間をかけてでも行く価値はありました。

    除霊が終わったらすっきりして体も軽くなりました。
    ありがとうございました。

    学校に行こうとするとめまいや吐き気、
    動悸などが起こり起きることができなくなりました。
    高校に進学してからは、家の中に何かいる気配を感じるようになりました。
    家族旅行をした際に宿泊した場所でも幽霊を見るようになり、
    家に帰ってからも夢の中で現れるようになりました。

    私の場合、もともと霊感も強くお盆などで実家に帰ると
    仏壇から何か話し声が聞こえることも多々ありました。

    子供の時
    から20年ほど我慢してきていたのですが、
    年々ひどくなってきていたので
    天光寺にお願いすることにしました。

    除霊の日が近づくにつれ、
    行きたくなくなりました。

    あとで住職に聞いたところ、
    そういうことはよくあることということでした。

    自分の場合はここで行かなくなったら
    いつまでも変わらないままだと思い
    頑張っていくことにしました。
    最初にカウンセリングをしてもらって、
    あちこちにある仏様を見せてもらいました。

    そして除霊へ
    最初すこしびっくりして緊張していましたが
    それ以降は住職に身をゆだねて行いました。

    気持ち的クリアになった感じはあったのですが、
    家に帰ってからも何かを見ることはなくなりました。

    ありがとうございました。今度は滝行をしに行きます!

    新卒で就職してからうまくいきません。
    はじめての職場でも長続きせず辞めることになり
    その後も職を転々とすることになりました。

    恋愛もうまくいかず
    婚活をしてもいい人と巡り合えません。

    だんだん生活するのも嫌になり、
    人と話をするのも疎遠となっていきました。

    そのうちこれは何かあるのかと考えはじめたところ、
    ある霊媒師さんに診てもらったら何かが憑いているといわれてしまいました。

    それからは気になり始めて困っていたところ
    知人に紹介され天光寺に電話をしてみました。

    ひととおりの除霊をしてもらったら肩まわりなどがすっきりしました。
    本当にありがとうございました。

    娘が精神病院に入院しておりました。
    主人と私としては娘は精神病ではなく
    霊か何かが移ったのではないかと
    思っていました。

    といいますのも、
    娘がおかしくなり始めたのは
    半年前ほどなのですが、
    そのあたりから
    何かが見えると言い始めたからです。

    病院の先生は
    その話を信じてくれず、
    薬を沢山処方し、
    そのあとどんどん症状が悪くなり、
    入院となりました。

    その状態から抜け出すために、
    先生にお願いして
    退院させてもらい、
    前から伺いたかった
    天光寺に行くことにしました。

    入院した後は
    更に覇気がなくなってしまっていて
    歩くのですら大変な状態になっていました。

    それが先生の除霊およびヒーリングをしてもらたところ
    ちゃんと歩けるようになり、しかも顔の表情も豊かになりました。

    そのあとは病院から出された薬も
    減らしてもらえるようになり、
    だんだん元気になりました。

    先生ありがとうございました。

    恥ずかしい話なのですが、
    夜になると何かが入ってくる感じがありました。

    最初は気のせいかなとも思っていたのですが、
    毎晩そういう状態になってしまいました。

    意識すまいと思ってもどうしても
    気になってしまい、
    昼の仕事も手につかなくなってしまいました。

    彼との関係もぎくしゃくし始めてもいたのですが、
    あまりにも恥ずかしい内容だったので
    誰にも相談できずにいました。

    しかし、2か月たってもこの状況が収まらず、
    これでは生活ができないという切羽詰まった状況にもなり、
    意を決して天光寺さんに相談することにしました。

    聞くと、私のような人は一定数いるようでした。
    除霊が始まると、自分の意思とは裏腹に
    手が勝手に動き始めました。
    温かいような、何とも言えないオーラのようなものを
    感じました。

    そのあとは以前のような感じがなくなりました。
    恥ずかしくて躊躇したのですが、
    相談して良かったと思いました。

    先生、ありがとうございました。

    私は職業的に遺体を扱うことが多いです。

    数年前に、変死の遺体を取り扱ってから体の調子が悪くなりました。
    人間関係もおかしくなり、家庭でもうまくいかなくなりました。
    仕事も不調になり、ふさぎ込むようになりました。

    妻の親族も連鎖するかのようにおかしくなってきています。
    夜寝ていると、何者かが私の足元から入ってくる感じがあったり、
    耳もとで囁いたりするようになりました。

    そんなこともあって、長時間ぐっすり眠ることが最近できていません。
    だいたい2~3時間おきに起きてしまい、睡眠不足にもなっていました。

    変な声も聞こえるようになり、
    すこし自殺も考えた時もありました・・・

    そのあと、ある方に除霊師さんをを紹介してもらったのですが、
    私にはまったく合わず、逆に何かをもらったかのようになってしまいました。
    そのあと、何件か問い合わせをして除霊してもらったのに一向に良くなりませんでした。
    だんだん歩くことも辛くなり、これは本当にヤバイと思い
    藁にもすがる思いで天光寺に妻に車を運転してもらい除霊に伺うことにしました

    最初に事情を詳しく聞いてもらい、
    除霊を行いました。

    最初の10分で今までとは何か違うことが分かりました。
    最後までしてもらったときにはびっくりするぐらい、体が軽くなるのを感じました。

    それ以来、おかしくなることがなくなりました。
    本当にうれしいです。

    住職様、お寺の皆さま ありがとうございました!

    私は子供の頃から人よりも多く「聞こえる」時がありました。
    それを守護霊とかいう人もいるのですが、
    私としては不都合なことが多く、
    聞こえなくなりたいと思っていました。

    友達に相談しても、
    誰もわかってくれない状態でした。

    そのうち、夜も眠れなくなり
    睡眠薬を服用するようになりました。

    生活リズムもおかしくなり
    自殺未遂もするようになりました。

    普通の社会生活もできなくなりました。
    親は「聞こえる」ことを信じてくれず、
    私を精神病院に連れて行こうとしました

    霊感の強い人に相談する機会があり
    天光寺を紹介してもらいました。

    除霊中のことはあまり意識がありません。
    かなり反応していたようですが、
    終わってみたら気持ちがすっきりしました。

    どうやら私は
    神気持ちということで
    影響を受けやすいことでした。

    良かったのは
    いままで私のこの性質は
    無くしたいものでしかなかったのですが、
    使い方によっては人を救えるということも
    分かりました。

    これは私にとっては目からうろこでした。

    本当にありがとうございました

    私の彼女がある場所を訪ねた際、
    霊のようなものを見たらしいのです。

    除霊師さんに相談したところ、
    「今度の誕生日までに命を失う」と
    驚いたことを言われ、彼女も落ち込んでしまっていました。

    私自身、霊感のようなものはなく
    あまりこちらの世界に詳しくはなかったのですが、
    知り合いの知り合いの方が除霊を受けたことが分かり、
    話を聞いてみると天光寺さんに行ったということでした。

    その方と小一時間ほどお話しし、
    私が彼女に代わって電話で相談をすることにしました。

    電話で相談させていただいたところ
    安心だと思いましたので
    彼女と2人で伺うことにしました。

    除霊が始まると、
    彼女はなにやら苦し始めました。
    私は後ろで見ていることしかできませんでした。

    終わってみれば、
    彼女はすっきりしているようでした。

    それからは何も起きていません。
    誕生日が過ぎても何もおきませんでした。
    本当にありがとうございました!

    彼と一緒にある場所に出かけたのですが、
    そこから「何か入った」感がありました。
    数日たっても抜けず、困り果てて
    青森のいたこさんを知り合いから紹介してもらい、
    そしてまた、いたこさんの紹介で天光寺さんを知りました。

    東北から東京に出向くことに少々ためらいがあったのですが
    背に腹は代えられず2人で車に乗り向かうことにしました。

    除霊が開始した直後から彼の様子がおかしくなりました。
    私はそれほどではないのですが、手が震えていたりします
    ご住職が言うには、彼の方が「入っている」とのことでした。

    結局、除霊を最後までしてもらったところ
    彼は体調がよくなったようでした。
    私もそれ以降、何も起きなくなりました。

    遠距離でしたが、行って良かったです。
    本当にありがとうございました。

    私は看護師なのですが、数か月前から体調が悪くなり困っていました。
    いつもの体調の悪さではなく、
    また長期間にわたって治らないので
    もしかしたら体調の問題ではないのではと考え始めるようになりました。

    さまざまな人に相談した結果、
    「何か憑いちゃったんじゃない」という話になり、
    除霊やお祓いを意識することとなりました。

    始めは神社などのお祓いをしていたのですが、
    まったく効果がなく・・・(笑)
    そのうち、お寺で除霊をしている所を探して
    行くようになりましたが効果がありません。
    お金も結構使うことになり、
    困っていたところ天光寺さんを紹介してもらいました。

    住職さんと話をしたところ、
    看護師は職業柄憑きやすいという話で、
    なんとなく納得したのを覚えています。

    結果的に、除霊をしてもらったところ
    それ以降、変なことは起きなくなりました。
    これだったら最初から天光寺に来ればよかったです。

    ある時から目に見えないものが見えるようになりました。
    最初は気にも留めなかったのですが、
    身の回りで良くないことがおこりはじめました。
    霊的なものが話しかけるようにもなってきました。
    友達に話をしても信じてもらえませんでした。

    いろいろなところに相談しにいったのですが、
    ちゃんと対応してもらえませんでした。

    対応してくれるかと思ったら、
    ある除霊師からは「あなたには1体邪悪なものが憑いている」
    「一生取り除くことができない」と言われ
    困っていたところでした。

    天光寺の存在を口コミで知り
    連絡してみました。
    私の家は北関東で若干遠いのですが
    決心して行ってみることにしました。

    除霊が始まると
    何が起きたか分からないのですが
    手が勝手に震えだしました。

    いろいろ住職がしてくださって
    気分が良くなったのを覚えています。

    最後は仏様にお礼をして帰ってきました。

    良い気を注入してもらったせいか
    変なことは起きなくなりました。

    住職様、ありがとうございました。

    数年前に肝試しで心霊スポットに行きました。
    その時橋を通ったのですが、そこにいた霊に憑りつかれてしまった感じがりました。

    知り合いから紹介された除霊師さんにも「あなたに何か憑りついている」といわれてしまいました。
    あちこちの除霊師さんに行ったのですが、うまくとってもらえませんでした。
    そんななか、ふとしたきっかけで天光寺のことをお勧めされました。

    最初に電話した時、一度除霊に来なさいという話になりお伺いしました。
    住職の方の除霊を行いました。いままでとは違う波動を感じました。
    いろいろなことをしてもらってすっきりしました。

    みなさま、ありがとうございました

    私の息子がおかしな行動をし始めて悩んでいました。
    突然奇声をあげたり、物を壊したりするのです。
    病院にも行ってみたのですが、「精神病的なものかどうかわからない」「こちらでやることはない」と言われ
    どうすればいいのか分からず困っておりました。

    ある日、息子にいつぐらいから今の状態になったのかを聞いてみました。
    すると、お盆の時に何か変なものを触った時からというのです。
    もしかしたらそれが原因なのかもしれないと考え、
    霊感に強い友達に相談を持ち掛けたところ天光寺をお勧めされました。

    息子に除霊をしてもらったところ、息子の顔がどんどん良くなっていくのが分かりました。
    そのあと、私もしていただいたのですが肩のあたりの何かが落ちたのが実感できました。

    このままでは生活が破綻するのではないかと思うほどだったのに救っていただきました。
    先生、ありがとうございました。

    1年前から左下半身および両腕に痛みがでるようになりました。
    病院に行っても理由が分からないと言われ、鎮痛剤を渡されるだけの状態でした。
    痛みがどんどんひどくなり、3時間ごとに鎮痛剤を打たないと夜も眠れないほどでした。

    相談をした1人がたまたま霊感の強い人でした。
    彼曰く、「あなたに霊が憑いている、3年前に別れ1年前に他界した元彼氏だ」というのです。
    「そんな馬鹿な」と思いましたが、そのうち首を絞められるような感じを持つこともあり、
    頭に血がのぼることも多々あるようになりました。

    そのうち体調がさらに悪くなり、呼吸するのさえままならなくなりました。
    これはさすがにまずいと思い、知り合いに相談したところ東京の天光寺さんをご紹介していただくことに。

    電話先で住職さんが「たしかに霊がついてそうだから、早めに来なさい」と言われ向かうことにしました。
    正直、私の足は悪化しており歩くのも辛く出かけたくはなかったのですが、正直藁にもすがる思いでした。

    そして除霊が始まりました。最初の数分しただけでなぜか手が震えていきます。
    「〇〇(私の名前)さん、何か憑いちゃってるね」と言われ本格的に除霊を行うことになりました。

    住職さんのおかげで私に憑いていたものがとれたようで、首を絞められている感覚と両腕の痛みがなくなりました。
    本当にびっくりしました。

    そのあと住職さんが私の腰回りを少し触っただけで、歩けるようになってしまいました。
    私自身が一番驚きました。誰も治せなかった霊的なものと身体の痛みをとってくださったんです。

    本当にありがとうございました。

    私ども夫婦の為に水子供養をして頂き有難う御座います。

    長男は3歳です。長男は何万に一人という遺伝的な問題を抱えて生まれてきました。病院で調べたところ(夫)私の家系に問題があることが分かりました。長男が生まれて3年もたったので、もう一人子どもが欲しいと妻と話していました。何万人に一人と聞いていたので、再度挑戦しました。

    しばらくして妊娠が分かりホットしておりました。

    同じことが二度続くとは考えてはいなかったのですが、心配なので検査をしました。結果は遺伝的な問題を抱えていることが分かりました。妻とよく話し、子供を下すことにしました。天光寺様で水子供養をした後、菩提寺で再度供養をすることにしました。病院で子供を下した日に天光寺に向かい水子供養をして頂きました。長時間に渡りお経を唱えて頂き、水子の歌まで唱えて頂き本当に感謝しております。供養の最中、妻は泣いておりました。供養が終了後、住職から説明を頂き、納得がいきました。本当にありがとうございました。

    先日天光寺で先祖供養をして頂きました。

    兄弟とはあまり仲が良くなく、この先祖供養で兄弟の仲がもとに戻ったような気がしました。

    天光寺様には数多くの仏さまが祭られており、先祖供養のために各仏様のお力を借りて、その仏様に果物、炊き立てのご飯、お酒を用意して、仏さまと、先祖に差し上げることができました。先祖供養のために3時間に渡り丁寧にお経を唱えて頂き本当に感謝しております。

    有難う御座います。

    私は、とっても明るく活発の性格だったのですが、人から裏切られた事をきっかけで鬱と激しい霊障と引きこもりになりました。父が霊能者を紹介され、その方に除霊してもらい良くなったのですが、明るくなる事が増えても憑依体質は改善されませんでした。その頃、私は友達の紹介で霊能者にお祓いをお願いしました。その後、感情が無くなって自分も心も失った状態が続きました。今でも感情に乏しく感受性に欠けた人間の心を失ったような状態です。

    友人の紹介され天光寺で除霊と、ヒーリングをうけました。

    除霊の最中涙が止まらず、ずっと泣いていました。

    その後ヒーリングを受けてから涙が止まり、明るい光に包まれているような感覚で体が一気に楽になりました。

    その後何回かヒーリングを受け、今では元の自分に戻っています。本当にありがとうございます。

    私の彼の家で霊障が起きており、それが原因で彼の体調と精神が蝕まれているように感じご連絡致しました。久しぶりに会った彼は驚くほどやつれており、自殺の覚悟をも決めていたようでした。彼の部屋に行くと寒気がして、獣臭の匂いが時々します。彼自身も誰もいない家で話し声や物音をよく聞くと言っており、部屋が休める空間ではないようなのです。

    彼の霊障を解決し、心身健やかに生きていけるようお力を貸していただきたく天光寺様伺いました。

    天光寺の玄関に入るなり大声を出して、暴れだしました。

    職員の方の力を借りてお祓いの部屋に案内されました。

    住職を見るなり大声を出して、倒れてしまいました。

    指を立てて、まるで動物のような大きな声で叫び、体がプルプル震えて、今までの彼の顔ではありません。住職がお経を唱えるたびに苦しみだして、お祓いが終わるまで2時間ぐらいかかりました。お祓いが終わりしばらくすると元の彼の穏やかな顔に戻っていました。本当にありがとうございます。住職は命の恩人です。

    彼女と日光東照宮に宿泊する予定で出かけました。

    日光に近付くにつれて、イライラが始まり彼女とけんかになり、今までにないぐらいに大声を出してのけんかでした。しばらくして日光東照宮に着き参拝を済ませましたが、けんかが原因で互いに気まずくなり宿泊するのをやめ、帰る前に華厳の滝を見てから帰ることにしました。華厳の滝に到着してしばらくして、東京に帰ることにしました。東京に向かって1時間ぐらい車を走ったところで、不思議なことに華厳の滝に戻っていることに気づきました。間違いなくカーナビを東京にセットしたはずです。2人とも体が冷たくなり、後部座席の方から冷たい風が吹いていました。怖いので後ろを振り向くことができませんでした。再度カーナビをセットして、車を走らせ、しばらくして後部座敷に女性が座っていることに気づきました。その瞬間、彼女が大声で泣きだし、あばれだしました。彼女が霊に憑依されたようでした。急いで東京に向かい、先輩から天光寺を紹介されました。天光寺に着きすぐに除霊、お祓いがはじまりました。彼女は暴れだして、体中がぶるぶる震え、1時間ぐらいで元に戻りました。本当にありがとう御座います。住職は私たちの命の恩人です。これからは住職言われたとおりに、積極的に生きていきます。

    本当にありがとうございます。

    大変お世話になりました。
    仕事もプライベートも全てが上手くいかなくなり自分でも訳が分からなくなり、気が狂いそうでした。

    部屋には誰もいないのに、人の気配が感じ、ラップ音がしてとても怖く、部屋にいられない状態が続いていました。

    ホテルで寝泊りするようになって、部屋で金縛りに遭い、とても怖い思いをしました。会社の後輩に、霊が二体も憑いているからすぐにでもお祓いしてもらった方がいいですよと言われて、怖くなって天光寺にお祓いに行くことにしました。
    正直、霊とか信じてこなかったし、お寺とかにも行ったことがあんまり無かったので半信半疑でもありましたが、ネットで調べて、天光寺さんに来ました。最初に住職にいろいろ話しました。その後除霊が始まり、訳が分からなくなって泣いてしました。自分のようで、自分じゃないみたいな、不思議な感覚でした。お祓いをしてもらっている間、体が震えて倒れてしまいました。意識がぼーっとしていたような感じでした。気付いた時には終わっていて、ちゃんと生きているって感じました。それからは充実した日々を過ごせています。お祓いをしてくれた住職に心から感謝しています。本当にありがとうございました!

    先日、娘が本当にお世話になりました。

    友人と心霊スポットに出かけると言ったとき止めておけばよかったと思っております。

    心霊スポットにから帰った時、まるで別人のようになっていました。死にたい、○○ちゃんがいない、と泣いてばかり、心療内科につれいき来ましたが、診察の結果は、鬱病と診断されました。一日で急に豹変するとは考えられません。友人に天光寺様を紹介され、翌日に天光寺に伺いしました。車の中で苦しみだして、ようやく天光寺に到着しましたが、玄関に入るなり大声で叫びだし、住職を見るなり苦しみだして、すぐに除霊をしてもらいました。お経を唱えている最中何回も倒れ、体が小刻みに震えていました。しばらくすると、もとの娘にもどっていました。今は元気に過ごしています。

    本当にありがとうございました。

    私はライターの仕事をしており、パソコンをかなりの頻度で使っております。そのせいか頭痛、腰痛にかなり悩まされていました。

    3 年ほど前、先生のセミナーに参加させていただき、そこで先生と知り合いになりました。

    天光寺に友人と訪ねたとき、先生に腰痛と頭痛がかなりひどいことをお話しました。

    先生からヒーリングを受けるように勧められ、ヒーリングを受けることになりましたが、初めての経験なので緊張しました、時間がたつにつれ胸がつまり、息苦しくなり、涙が出て止まりません。しばらくすると明るい光を感じられ、なんとも気分爽快で楽しく幸せな感じがし、この幸せを皆に分け与えてあげたい気持ちでた。

    ヒーリングが終わったあと、頭痛や腰痛がいつの間にか消えていました。

    本当に不思議な体験をさせていただき、ありがとうございました。

    今から 3 年前婚約して結納を済ませ、これからというときにおなかの調子が悪くなり、病院で検査を受けたところ、ガンの数値が高く出ていることが分かりました。

    私はベッドが空くのを待って、入院することになりました。

    母の勧めで天光寺の住職に、病院に来てもらうことにしました。

    最初は反対しました。なぜならば除霊、ヒーリングを受けて良くなるとは思わなかったからです。

    私は、ある大手の製薬会社の研究員をしている関係で、科学的な根拠がないことはしたくなかたのです。母の再三の勧めで、除霊とヒーリングを受けることにしました。

    最初のヒーリングで、おなかの中がぐるぐる回り、血が引いていくような感じがしました。その後 6 回ほどヒーリングを受け、心も穏やかになり、おなかの調子も良くなりました。手術日も決まり、手術のための再検査をして、その結果が出ました、なんとガン数値が正常に戻っていたのです!お医者さんは普通このようなことはありえないと言っていました。私は手術をするか、しないか、かなり迷いました。再発すると困るので手術をし、子宮の一部を摘出しました。

    今では子供を生み、幸せな家庭を築いています。先生に助けられたと感謝しております。

    大変お世話になっております。

    その節は本当にありがとうございました。

    今から3年前、体の具合が悪く節々に痛みが走り病院で検査を受けましたが、原因がわからす、冷え性で、体全身が氷水につかっているようで、夏でもセータを着なくては居られません。

    近所の処方箋薬局で天光寺様を紹介されました。

    天光寺に伺い、住職様に面談している最中、急に体が震えだし息苦しくなり、急遽除霊をおこなうことになりました。体が小刻みに震えだし倒れてしまいました。

    その後密教ヒーリングを行い、ヒーリングの最中体が熱く、頭のてっぺんから電気が流れるような感覚になり、涙が止まりませんでした。

    その以降は冷え性は改善され、今でセータを着なくてもいられます。

    本当にありがとうございます。

    私は引きこもりで死んだっていいとさえ思っていました。一回しかない人生だぞ!と父親にどやされても、人生をあきらめていました。でも、やっぱり父親には感謝しています。天光寺に連れてきてもらったからです。誰だって自分の人生を大切にしたいはずです。けれど、ずっと引きこもっている私には、部屋から出ることだけでも大きな一歩だと思っていました。天光寺で除霊とヒーリングを受け泣いてしまいました。母親の気持ち父親の気持ちがなんとなく分かりヒーリングをしてくれた女性の優しさに包まれたら涙が出ました。まずは自分を好きになることからはじめます。ありがとうございました。

    彼女の紹介で、こちらの天光寺に来ました。私の職業は、接骨院の勤務です。人の体は癒してあげられるのに、自分へのメンテナンスをないがしろにしていたら、体を壊してしまいました。この先も、接骨院でお客様を癒してさしあげたいと、自分の天職だと思っています。

    除霊を受けている最中体が震えだし倒れてしまいました。住職様から邪気が相当、溜まっていたことを聴かされ、納得しました。その後ヒーリングをしてもらいました。今までの自分の身体は何かにガチガチに固められていたものは、邪気だと知りました。こんなに身体が楽になり、温かくなり、もう大の大人ですが母親に守られているような赤ちゃんのような感覚でした。おそらく、反応は個々に違うと思います。除霊、ヒーリングの効果に驚いています。

    頭痛、肩こり、腰痛、関節痛と身体の節々がとにかく痛く、介護の仕事をしているので職業病と諦めていましたが、さすがに我慢ができなくなり、病院で検査を受けましたが。椎間板ヘルニアと診断されました。数日が内視鏡で手術を受けました。友人より当病院を紹介されたからです。手術後椎間板の内部で血液が固まり、痛みが増すばかりです。再度手術をすることになり、痛みを抑える薬を2か月間飲みづけました。

    その結果体中にケイレンが起こり、天光寺様にお世話になりました。除霊後、ヒーリングを受け、しばらくするとケイレンが治まってきました。魂の癒しのような心地よさも感じたことにびっくりしました。

    本当に感謝しております。

    経済的に頼る相手がいないので、退職なんかできません。明日から来なくてもいいよと言われない限りしがみつくしかありません。清掃関係の仕事をしています。職場の人間関係でも疎外感を感じて、帰宅してもひとりぼっち。私の人生ってなんなんだろう。駆け込み寺に駆けこむおばあさん、まさに私です。不運が続く原因を取り払ってもらうためにもお祓いをしてもらったほうが早いと感じ、なけなしの貯金を切りくずしてお祓いに来ました。

    自分でもびっくりしました。お経に反応している自分、暴言を吐いている自分、自分であって自分ではない、妙な体験をしました。お祓いの後にヒーリングをしてもらいました。元気玉だったか忘れましたが、とてもエネルギーを感じました。病院の清掃ということもあり、自分では気がつかない所で霊に憑かれたり、邪気を吸って生きていたようです。病院での自分の言動を考えてみました。お恥ずかしい話、気分屋だって気がします。気持ちを新たに、これからの人生、咲かせてみせます。やり直します。ありがとうございました。

    霊力がある知人に「お祓いに行くように。」と数回言われました。気にしていなかったのですが、子供の頃にお墓にいたずらをしたり、先日は友人グループと心霊スポットにでかけてふざけていたりしたので心配になりました。また霊能者の知人にお祓いに行くようにすすめられたので逆にお願いしたら無理だと言われました。お祓いは、間違った方法を取ると身の危険があるそうです。あてもなく天光寺に来ました。部屋の写真を撮ってくるように電話で言われたので提出しました。恐ろしいことを言われ、心底反省しました。写真、気づきませんでしたが、ばっちりと霊が写っていました。友人グループにもお祓いをするようにすすめました。悪ふざけで心霊スポットに行ってはいけない、ひどい目に遭う場合があると聞くと恐ろしいです。私には数人の霊が憑いていたようですが、お祓い後に頭や首の後ろが楽になったような気がします。私は早く気付いたので大事には至りませんでしたが、霊の仕業で人生がめちゃくちゃになる人もいるみたいです。改心します。ありがとうございました。

    とにかく身体中が痛く、歩くと足の裏からジーンとした症状がずっと続きました。年相応の痛みかと思っていましたが、同年代の友人に尋ねてもみんな元気ではつらつしています。食欲もあったりなかったり、耳鳴りもあったりと健康診断を受けにいっても悪いところが見当たりませんでした。頭痛もはじまり、気持ちも萎えてしまいました。心配したご近所さんから天光寺を紹介され車で檜原村まできたというのがいきさつです。先生住職に話を聞いていただいている最中、胸が苦しくなりました。何か自分の感情とは違う感情が湧いてきました。想像すらしない悪い感情です。すぐお祓いをしていただきました。なんとなく自覚していましたが、逆恨みをかっていたようです。お相手と二度と会うことはありませんが、遠い地で私の不幸を願っている人がいるということを知り、遅いかもしれませんが生き方を改めて見直そうと思いました。生霊とか呪いがテレビの世界だとばかり思っていましたが、まさか自分の身でおこるとは思いませんでした。身体の痛み、頭痛に悩まなくても良い生活、当たり前のありがたさを知りました。

    高校生の息子の親友が亡くなりました。とても仲の良い2人だったので、友人の死で精神状態が参ってしまったのかと少しゆっくりさせていました。身体は丈夫でどちらかと言えば体育会系です。しかし一向に体調が戻らず、ひどくなるばかり。このままでは自ら命を絶ってしまうのではないかと心配の日々でした。精神病院に行っても変化がなく、悪いところもないと言われます。親友の霊が息子に何かを訴えているのではと夫に相談しましたが、「馬鹿なことを言うな。」と取り合ってくれませんでした。私も半信半疑ではありましたが、実母と息子と三人で御寺に来ました。息子が車からなかなか降りようとせず、お寺に入れず暴れて大変でした。修行僧の方でしょうか、お力添えを頂戴しました。

    お祓いがはじまり、お経を耳にした途端、合掌をしていた息子がぶるぶる震えだしたのを覚えています。後ろに倒れたり、何か悔いるような言動があったりとにわかには信じられないことばかりでした。息子の親友の死がやはり大きく関わっていることを知りました。親友の霊が息子に憑りついていたと、無念さを、寂しさを訴えていたことを知りました。かたみとまではいきませんが、親友のものだと洋服を頂戴したことも原因でした。お祓い、浄霊をしていただきました。親友から頂戴した洋服はお焚き上げをお願いしました。

    助けていただき、ありがとうございました。今ではすっかり日常を取り戻し、学校に通っています。夫も息子の変わりように驚いています。この場をおかりして、心より感謝申し上げます。

     

    旅行中に宿泊先のホテルで霊現象にあいました。帰ってからも同じ現象がおこり、昼夜問わず歩いている人の気配、音のような物を感じていました。眠れないこともありました。悪寒、だるさ、声、気配を感じずにはいられず辛い日々でした。友人に天光寺を教えてもらい、ご住職にお世話になりました。お祓い、除霊中は、無意識の中にも他の誰かの声が聞こえました。苦しいような悲しいようなそんな感じでした。肩が軽くなり、足も軽くなり、明らかに違う体調にびっくりしました。よくない霊を祓って下さり、本当にありがとうございました。原因が分かり、夜久しぶりに眠れました。旅行にいく際は霊符を持参します。

    「天光寺合宿での感想」

    私は天光寺での様々な修行を通して、様々な「自分」と向き合うことができました。例えば、毎朝30分近くある「瞑想」、「声だし」の時間にはあぐらをかきながら、自身の呼吸に集中し過去を思い返すことで自分の中にある「今までの後悔」や「過去の嫌な経験」等からできた「ネガティブな自分」と向き合い、吐き出すことができました。普段は忙しいからと見て見ぬふりをしてきた負の感情を吐き出すことで「今日も一日頑張るぞ。」と明るい気持ちで一日を過ごせるようになりました。それは読経をする時に誰よりも大きな声を出す、お百度参りで誰よりも素早く動く、滝行の順番決めで一番目を勧められてた時に「やります!」と言えたことなど行動にも現れました。

    また「自分の良い部分」も見つけることができました。それは「負けず嫌い」な所です。今まで生きてきて自覚するタイミングはありましたが、(自分、やればできるじゃん。)と自画自賛してしまったのが、「三禮百回チャレンジ」の時です。正座して立ち上がり、また座りとお経を唱えながら同じ動作を繰り返す、これがとても辛く一番きついと感じた修行でした。しかし、「苦しい」、「早く終わってほしい」と考えながらも、体がふらふらになっても動くのをやめませんでした。なぜなら、他の先輩方がまだ止まっていない、自分も辛いはずなのに「みんな頑張れ。」と応援してくださっている、何より途中で諦めたくないという自分自身の負けず嫌いさがそうさせてくれました。

    この合宿で初めて体験したことが沢山ありました。中には辛いこともありましたが、今全てが終わってみて感じることは「とても楽しかった。」、「自分頑張れた。」という嬉しさと達成感です。先生のお話はとても興味深いものでした。お料理も美味しかった。やることなすこと全てが新鮮でとても学びのある3日間でした。

    最後になりますが、天光寺の皆さまには沢山お世話になりました。辛い修行中に安心して自分と向き合うことができたのは、皆様のサポートがあってこそです。私たちが宿泊するための準備やお食事、教材の準備など様々な面で助けていただきました。皆さま本当にありがとうございました。短い間でしたが、皆さまと共に時間を過ごせてとても楽しかったです。この合宿で学んだ「自分と如実に向き合うこと」を大切に、仕事でも積極的に頑張ります。

    滝行に申し込みをしたのは、強くなりたいと思ったからです。いじめられています。陰口を言われているのを分かっています。言い返さないので気に食わないし、つまらないのかひどくなっているように感じます。滝行をしたからって、いじめがなくなるわけではないけど、気持ちを強くしたいと思ってきました。親にはいじめられているなんて言っていません。滝行に興味があるので行きたいと伝えて送ってもらいました。自己紹介や南大師金剛遍照を大きな声で言えました。滝行に行く山も前の人に続いて登れました。滝にうたれながら、自分の親のことを考えていました。一人で悩まないで相談してみようかなと思いました。親に言う勇気、友達に反論する勇気がわきました。帰りの車で、今日あったこと、学校でのことを話しました。母が変わらないようだったら一緒に動いてくれると言ってくれました。次に学校に行ったときには、今までの自分とは違う姿を見せられると思います。次は母と来ます。

    公私ともにうまくいかず、悩んでいました。家族崩壊の危機もそうですし、精神がぼろぼろです。夫婦でもう一度やり直そうと試みるも喧嘩してしまいます。特に、妻のほうが私を毛嫌いしているのが分かります。私も妻も再婚同士です。こんな状態が続くならと、危険な思考にもなります。原因は自分にあると分かってはいました。

    天光寺のご住職はすべて話さなくてもお見通しのようでした。実は、私は過去に女性関係でトラブルをおこしています。同行した妻には内緒でしたが、子供をおろさせていました。しかも2回です。妻にはどうしても伏せたい内容でした。

    ご住職には、妻には明かさないままお祓いと除霊と水子供養をしていただきました。プライバシーを守ってくださったのが本当にありがたいです。自分は、今そばにいる妻を守って行くとともに、生き方を反省していかなければならないと更に強く思いました。これからも供養に参ります。ありがとうございました。

    就職が決まり、新たな出発を前に自分の惰性を直したいと参加してみました。いきなりの遅刻、皆さんを待たせてしまい、ごめんなさい。あれだけ親に「待たせる人間は話にならない。待つ人間でいろ。」と言われてきたのに、遅刻してしまったことがとても悔しいです。大切な場面で失敗が出ないように、心から反省します。滝行は、思った以上に滝の強さがあり、喝を受けた気がします。学生気分ではだめですね。少し舐めている自分がいるので、生まれ変わります。滝行やって良かったです。

    彼氏に振られ、ずっとずっと引きずっていました。辛くて辛くて泣いてばかりいました。こんなんじゃダメだと思って、滝行を申し込みました。弱い自分を受け入れつつも、変わりたいと思いました。リサーチ不足で、いきなり滝行かと勘違いしていましたが、指導者の説法が心にしみました。お百度参りも良かったです。いよいよ滝行です。心願は「自分を磨いて、ぜったいに幸せをつかむ。」でした。今は自分のことで精一杯ですが、きっと相手の幸せをのぞめる日が来るような気がします。ありがとうございました。

    嫌なことばかり続きます。自分ではどうすることもできない。もがいてももがいても、益々ネガティブな方向に向かう自分が嫌で嫌で仕方がないです。独身で誰に頼ることもできず、天光寺に相談致しました。ご住職に話を聞いていただきました。ずっとどこかだるさとやる気が沸かないのはうつ病のせいだと思っていました。親族に自殺者はいるかと聞かれました。思い当たることも多く、昔より切れやすくなったり、自分ではない感覚が正直ありました。1時間30分位でしょうか、よく覚えていません。お祓いのあと、とても温かく母親に包まれているような感覚になりました。40過ぎのおじさんが言うことでもないですが、心地よくすっきりしたような感覚です。肩がガチガチで今まで麻痺していたんでしょうが、肩回りが楽になりました。どうやら、先祖で浄化されていない霊が私に訴えていたようです。信じがたいことですが、実際に身体が証明してくれたとが事実です。文を書いていて、何をどう伝えたら良いのか迷います。助けてくださってありがとうございます。ご住職に宜しくお伝えください。

     

     

    夫婦仲がうまくいかず、子供も2度流産をし、よくないことが続いています。このままにしていては、夫と離縁してしまうのではと不安になり、天光寺に参りました。セッション中に涙を流してしまい申し訳ございません。私には辛いことが続き、ぎりぎりの状態でした。お祓い、水子供養をしていただきました。きっと、この先、希望が持てるような生活が待っていると信じています。親身になっていただき、本当にありがとうございました。力いっぱいのお祓い、供養をしていただいたこと、忘れません。次にご住職に報告することは、良い話であると信じています。

    幻聴に悩まされ続けていました。その幻聴は昼夜問わず、自分を罵倒し、ひどく罵っています。時には「殺すぞ。」と言ってきます。仕事中も構わず聞こえてきます。恐怖を感じながらの生活はこりごりです。インターネットで「東京、除霊」で検索したらヒットしたので天光寺の住職にお世話になることにしました。個室で相談のあとに、お祓いをしてもらいました。どうやら、思い込みが激しい自分が作りだしたもの、疲れなどが酷く溜まっていたらしいです。お祓いの後のヒーリング、程度は重くないですが身体の至る所で鈍痛のようなものを感じていたのが、嘘のようになくなりました。一番は、湿っていた気持ちが前向きになったことに驚いています。生きていることの難しさを考えていましたが、生きることは素晴らしいと思えるようになりました。どうか、これからもご自愛され、沢山の人を救ってください。ありがとうございました。

    やっと予約が取れました。娘が結婚して家を出るため、家族の思い出作りとエールを込めて6人で参加しました。本堂での教養、大変素晴らしかったです。下手なセミナーに行くより、よっぽど実りある日になります。お百度参りは私だけクタクタでしたが、自分自身の心願ができ、家族が元気いっぱいでしたので良しとします。山の中と言えど、大変暑く、しんどさは否めなかったです。続いて、滝行。滝まで行くのもこれまた大変でした。しかし、今日は弱音を吐かないと決めていましたので、前の人に続き山を登りました。普段運動している人なら大丈夫です。滝場について、いよいよ私たち家族の順番が巡ってきました。娘の姿に成長を感じ、また少し寂しくなっている自分に気がつきました。主人、義理の息子、長男、次女、最後は私です。感想は「来て良かった。」その一言につきます。娘にエールを贈るつもりが自分が励まされました。天光寺の滝行、あの日あの時、あんなことをしたなと一生忘れない思い出ができました。また来ます、体力をつけて。

    精神統一のため、自己変容のために申し込みました。梅雨明けから一気にうだるような暑さの中、檜原村は天光寺に参りました。手消毒、検温、衣類に消毒と昨今のウイルスの影響はお寺にもきていました。今では当たり前でありがたい対策ではありますが。白い行衣に着替えて修行のスタートです。若い男性の指導でした。ひとつひとつの所作に落ち着きと何とも言えないエネルギーを感じました。お百度参りは若いころ野球部で走らされた青春の日々を思い出しました。考えてみれば、今年は球児にとっては辛い夏になりました。こんな所でおじいさんが弱音を吐いてはいけないと「南大師遍照金剛」を叫びました。突然のスコールが、恵の雨のように感じました。車に乗り込みいざ滝行です。滝場の水量から相当な圧を感じました。手を合わせて自分と向き合い、今までの人生とこれからの人生をほんの数分でしたが反省と期待の時間にあてられました。お寺に戻り、振り返りをします。「来て良かったです。」の一言。その場にいた全ての参加者と同じ気持ちを共有できたと思っています。精神統一できました。自己変容、わずかながらできました。60歳以上の方、もし不安な方がいらしたら励みになりますかね?自力歩行ができればなんとかなります。また修行に来ます。

    彼女と一泊二日で旅行に出かけました。有名な観光地ですし、私たち以外にも大勢の観光客が来ていました。旅先のホテルで私だけ金縛りにあいました。気を取り直して、車で観光地を巡りました。なかなか到着しない目的地、田舎なので分かりにくい、道を間違えたのかと彼女と喧嘩になりました。彼女は金縛りにはあわなったみたいですが、枕が違うことが災いしなかなか熟睡できず、せっかくのデートが台無しだと朝から機嫌が悪かったです。運転する私に何の敬意もなく、車を降りて一人で帰ると言い出したので「勝手にしろよ。」とイライラしてしまいました。彼女を置いて数十メートル車を走らせました。なんとなく胸騒ぎがして、引き返すと、彼女が真っ青でした。体中が硬直してその場所から動けなかったと言っていました。車に彼女を乗せ安堵したときでした。女の人が車の横に立っていることに気がつきました。彼女を不安がらせてはいけないと、楽しそうに音楽をかけたり、大きな声で楽しそうに話したり、内心は恐ろしいかったですが、その場を離れました。帰ってきてからもどこか不安で、この先私たちに何か起きてからでは大変だとこちらに問い合わせました。

    親身になっていただき、心から安心できたのはお祓いの後です。なんとなく、片頭痛がしていましたが、それは消えました。どうやら、ホテルで亡くなった女性の霊が金縛りと迷子、そして彼女との喧嘩を仕向けたようです。あの場所で彼女を置き去りにするつもりはなかったですが、もし大変なことを起こしてしまっていたらと思うとぞっとします。今思えば、ホテルの部屋の蛍光灯の点滅も原因の一つだったかもしれません。また、私は霊を引き寄せる体質があるみたいで、霊符を購入させていただきました。

    また相談にあがらないよう、とにかく気をしっかり持ちます。ありがとうございました。

     

    疲れが取れにくい、疲れが溜まっていました。分かってはいますが、仕事でのストレスが緩和されませんでした。人間関係で悩んでいました。時代錯誤なのか、私のわがままなのか、雑用ばかりでスキルアップが望めません。先輩にも意地悪をされ、上司も苦手です。会社を辞めればいいのですが、給与などの待遇面がいいため、そう簡単には離れられません。肌荒れと蕁麻疹が顕著な症状です。病院にも行ったりしているのですが、仕事面、生活面での根本的な解決をしない限り治らないとは感じていました。

    折しも、友人に御寺のヒーリングを紹介されました。疑心暗鬼で来たため、失礼な態度を取ってしまい申し訳ございません。「はじめはみんなそうですよ。」と気さくに笑ってくださいましたね。

    こちらでヒーリングを受けたところ、身体が温かく、とても心地よいような、気持ちがいいような感覚になりました。相当のダメージがあり、たまたまだと思っていたのですが、行くたびに同じ効果を得られています。下手なマッサージや他のヒーリングの施術所に行くよりは確実だと思っています。正直、はじめは金取りだろうくらいにしか思っていなかったことを反省します。

    雑用でも土台作りだと思い、まずは先輩、上司への態度を改めようと思ってきました。初めての挫折でした。社会に揉まれて腐らず行こうと、前向きになりました。少しは頑張れそうです。このご縁に感謝しています。二回目ヒーリングに来た時に、私の蕁麻疹のことを覚えてくださっていたこと、嬉しかったです。ありがとうございました。

    何をやってもうまくいかず、人間関係でもうまくいかず、生きている価値が私にはない、死にたい、楽になりたいと思っていました。多分天光寺に電話していなければ、とっくに死んでいたかもしれません。親にも相談できない。電話をしたら、ご住職が親身に話を聞いてくださいました。私の電話の声を察してくださったのか、お寺に来るように言われました。水子の霊がついていると言われました。実は、親にも相談できない理由はそこにありました。水子の供養をしていただき、感謝しています。過去と向き合い、未来に希望をもって生きていきます。ありがとうございました。

     

    テレビかユーチューブか忘れましたが、滝行に興味があり申し込みました。免許取り立ての親の車のため、遅刻をしてしまいすみません。4名が参加されていました。遅刻のダメ男の印象を払拭したいと、全てにおいて真剣に取り組みました。若い男性の指導でした。お経がまじないにように感じて新鮮でした。この日は大雨でした。お百度参りからずぶぬれでした。滝行は雨でも雪でも台風などの災害危険がなければやるということだったので、雪でもやる人ってすごいなぁと感じました。滝の水は、雨の影響があり増水しているようでした。冷たい、入るのに勇気がいりました。「精神を鍛えたい」と参加した滝行、滝に打たれ、しゃがみ、合図があるまで着水できました。途中で諦めなくて本当に良かったです。達成感というか、やりきった感というか、すっきりしました。天光寺での滝行、おすすめします。また滝行参加したいです。

    若いころに、脱法ハーブに手を出しました。軽い気持ちで手を染めてしまいました。断ることもできたはずなのに、自分の弱さ、誘惑に負けました。過去何度も幽体離脱の経験がありますが、脱法ハーブが原因なのか、霊的なものなのか分かりません。一度あの世に引っ張らそうにもなりました。家庭を持ち、現在は過去を断ち切ることができましたが、たまに誘惑に負けそうになることもあります。加えて、「死にたい。」と言う感情がときたま襲ってきます。ラップ音や耳鳴り、幻聴もあり、薬の後遺症なのか、霊的な物なのか分からず、天光寺に相談しました。精神病院にも通っています。過去の過ち、そして自分に原因はあるものの、どうしたらいいのか分からない、このままでは家族に迷惑をかけてしまうという思いが強かったです。

    ご住職には、叱咤激励をいただきました。また、自分には家族がいるので、守るべきものがあるのだから、しっかりしろと背中を押されました。霊体質な分、低級霊を引き寄せてしまった、邪気が溜まっていたようです。お祓いのあと、久しぶりの、何十年かぶりの清々しさというか、身の軽さを感じました。今までの自分は自分ではない何かに支配されていたかのようです。

    ご住職と家族と約束しました。ありがとうございました。

    本当にバカなことをしてしまったと後悔していました。彼氏と心霊スポットに興味本位で行ってしまいました。スリル満点で、その時は不気味な感覚と冒険をしているような楽しかったと言う感想しかなかったです。しかし帰宅して数日後に様子は変わりました。彼氏が熱発と、身体のだるさを訴えています。自分は何も感じず普通の生活をしていたので、疲れでもでたんだろうと簡単に考えていました。会社を数日休めば良くなると思っていましたが、一向によくなりませんでした。また、夜中に寝ているそばで誰か歩いているのを感じると言い出し、怖くなって天光寺に来ました。

    ご住職に、包み隠さず心霊スポットに行ったことを話しました。お祓いだけではなく、して良いこと悪いことの説法をいただき、もう二度と心霊スポットに興味本位で行かないことを約束しました。彼氏は、お経に少し手が動いていました。お祓い中のことは覚えていないそうですが、だるい、重いが緩和されたと言っています。

    霊符も購入しました。しばらく様子を見ますが、ご住職にお世話にならないことを願います。ありがとうございました。

    企業に勤めています。人間関係と言いますか上司とそりが合わず悩んでいました。何かの本で読みましたが、自分の目の前で起きていることには原因があり、全て自分の責任と書いてありました。それは分かってはいますが、気持ちを何とかしたいと思い、滝行に参加しました。かっこいいことを並べましたが、同僚が滝行を体験してとても良かったと勧められたことが天光寺を知るきっかけです。結果、参加してとても有意義な時間を過ごせました。初めて唱えたお経、無宗教ではありますが、なんだか守られている気がしたのは気のせいではないと思います。腹式呼吸、今まで口呼吸だったことにも気づかされました。お百度参り、弘法大使様の前で感謝と心願ができました。そして、滝行。人生の荒波の渦中におりますが、こんな沢山の水に滝に打たれるなんてなかったです。ご利益を身体で感じました。自分の大きな悩みがふっきれて、小さくしぼみました。明日からまた違った自分で出勤できるような気がします。どうしてもそりが合わない人がいたとしても、自分の軸をしっかり持ち、色々なタイプの人がいるなぁ、この人はこういう人なのねぇと違いを受け入れれば、自分の気持ちが楽になるような気がした、そんな自分自身の攻略法が生まれた日でした。

     

     

     

    社会人生活をスタートさせ、初めは会社の単身寮に入っていました。寮生活のしばりに負担を感じて思い立って一人暮らしをしてみました。安い物件に飛びついた自分が悪いのですが、この部屋で大丈夫だったのかと気にしすぎると眠れなくなります。霊が見える、音が聞こえると言うわけではないです。引っ越し疲れ、仕事疲れだと思っていますが、なんとなく小心者の私は安心が欲しかったです。滝行は以前参加したことがあったので、天光寺のお守りを購入することにしました。お守りは、拝んでいただいてから送られてきました。気持ち、とても安心しました。ありがとうございました。

    高校に進学してから、娘の素行が悪くなった気がしていました。付き合うお友達の影響もあり、年頃なのでおしゃれをしたり、冒険をしたりは目をつむることはありました。主人と相談して、まだまだ大丈夫だろうと安易な考えでいましたが、なんだか様子がおかしい。性格は暗くなる一方で、学校やお友達の話をしなくなりました。学校も休み、部屋から出てこない。お友達との間で何かあったのかもしれません。このままでは、学校を辞めてしまうのではないか。不安は的中し、学校には行かないと言うようになりました。自分の子供なので、元気で生きてさえいてくれればいいと思っても、社会に馴染めなくなってしまっては、私たち親がいなくなった後が心配です。親ばかですが、やはり、子供は可愛い。どうにか軌道修正のきっかけにしてもらいたく、夫と娘と3人で天光寺の修行にきました。夫も私も娘と一緒に何かをする、挑戦するというイベントは考えてみれば久しぶりだったかもしれません。とにかく、今日は修行に集中。娘は自己紹介で声が小さいと注意されましたが、お百度参り、頑張っていました。いよいよ滝行です。ある程度までは車で行き、そこからは山道を歩きます。白い着物を着て滝に到着しました。娘の番です。滝の威力は結構ありました。痛いといいますか、呼吸もしんどいです。主人、私、娘の順番で挑みましたが、一番のできは娘でした。親には言えない相当の悩みがあったんだと思います。帰りの車の中でいろいろと話しました。お友達のことで悩んでいることを知りました。体験修行がきっかけかと思いますが、娘がふっきれたこと、親に話したいと思ってくれたことが進歩です。解決の糸口は模索中ではありますが、きっとだいじょうぶでしょう。娘に親との絆を証明できた気がします。また3人で来ます。

    整体に通っていましたが、天光寺の評判を聞きつけて申し込みました。失礼ながら、寡黙な住職かと思いきや、とても親しみやすく、お寺の案内までしていただき、寺社仏閣に興味がある私としてはとても楽しい時間となりました。肩、腰、膝が職業病で晩年痛とでも申し上げましょうか、非常につらく感じていました。ヒーリングがはじまると、先生の手かざしでとても温かく感じました。特に、肩と腰の痛みが和らいだようです。そう言えば膝も痛かったよなぁとスタスタ天光寺の階段を登っていることに気がつきました。これって、不思議な体験ですよね。ありがとうございました。

    体の節々が痛い、何に対しても無関心、やる気がでない、マイナス思考、怒りっぽい、自分が嫌いでした。精神病院に通っていました。薬も処方されていましたが、改善が見られませんでした。気持ちばかりが焦り、どんどんマイナスの方向に引っ張られていきました。天光寺は友人の紹介でした。お医者様でなく、なんで寺なんだと初めは半信半疑でした。今だから笑いながら話せますが、今までの自分、何に支配されていたのでしょうか。ご住職のヒーリング、本当に気持ちがいいです。あの時、友人が連れてきてくれなかったら、私はどうなっていたのでしょうか。友人にも、天光寺にも感謝しかないです。本当にありがとうございます。また再来月お世話になります。

    もうすぐ70になる母を御寺に連れてきました。町医者や精神病院に連れていっても異常なし、原因がわからず家族会議の日々でした。とにかく、無気力、覇気がない、身体のあちこちが痛いと叫ぶ、人が変わってしまったようです。可愛がっていた孫への態度も荒々しくなりました。認知症かと思い何度も病院に通ってもやはり異常なし。このままだと、母だけではなく、私自身も他の家族もおかしくなりそうで天光寺に参りました。事前にご住職に相談し、嫌がる母を車に乗せ、やっとの思いでたどりつきました。40分くらい話を聞いていただきました。身内で自殺者がいるかなど、情報を引き出していただき、ご住職の判断でお祓い・除霊がはじまりました。取り乱す母を目の当たりにし、未浄化の先祖霊の仕業だと後から聞いて納得しました。先祖供養、ヒーリングもしていただきました。終了後、母が「身体がすごく楽になった。頭がずっと痛かったのがなくなった。」と聞いてもいないのに話してきたことには大変驚きました。これでやっと安心できる、昔の母に戻ってくれると思ったら涙がでました。どうやら、身内の災難を母が全て受け止めてくれていたようです。大騒ぎしてしまい、申し訳ございません。おかげさまで今ではすっかり元気になりました。どこに行ってもたらい回しにされた日々を救っていただき、本当にありがとうございました。

    整体の仕事を長年続けています。お客さんが元気になっていただけることに幸せを感じておりましたが、自分の身体の不調は避けて通れません。他の身体に触れることで、自分自身がお客様の悪いエネルギーを吸っているんだとか。天光寺ご住職のヒーリングは何度も通っています。その度に身体が癒されます。自己のメンタルキープと身体のメンテナンスは必要不可欠に感じます。ありがとうございました。

    胸のつかえがとれたように感じます。

    厄年のお祓いを勧めていましたが、足の怪我、手の怪我、健康診断で引っかかるなどしているにも関わらず無関心。「俺は元気だ。」の一点張りの主人、ところが御寺には出向いてくれました。まだ先は分かりませんが、私に限ってはおかげさまで平穏な日々を過ごしております。主人も精を出し勤務しているようです。今後とも宜しくお願いします。ありがとうございました。

    新型コロナウイルスの影響で、店を畳むか継続するか悩んでいました。私どもはアパレル関係の仕事に従事しておりますが、友人である店長が「今いる仲間と一緒にもう一度ここから頑張ってみよう!」と企業研修を企画してくれました。宿泊はできないものの、とても充実の1日でした。

    お百度参り、滝行は私含め皆初めての経験でした。説法にあった「自分で作る因果力」、「思考が人生を作る」、「言葉が人生の組成に影響する」など日々の生活、これからの働き方に活かせる内容でした。キーワードも三禮も力強く響きました。「おんさらばたたぎゃた、はなまんな、のうきゃろみ」と暫くは仲間との沸騰ワードになりそうです。お世話になりました。

    滝行で一度天光寺を訪れたことがあります。その際に、ヒーリングのことを知りました。肩こり、腰痛、頭痛は年相応のテーマだと思っていましたが、ここに来て人間関係の悩みが勃発しました。50を過ぎたおじさんが癒されたいと言うと笑われるかもしれませんが、自分へのご褒美のつもりで、住職にヒーリングをしてもらいました。

    感想、、、、。とにかく身体が楽になりました。気持ちいいと言っても過言ではない。また、思考がマイナスから「なんとかなるだろう。」と根拠のない自信が満ち溢れてきました。整体に行くもよしですが、住職のヒーリングもお勧めします。お寺に行く=敷居が高いの概念が変わりました。お弟子さん、修行は長い道のりかもしれませんが、応援しています。ありがとうございました。

    妻の様子がおかしくて、はじめは疲れから来るもの?ストレス程度にしか考えていませんでした。悪夢を見た、金縛りにあった、声が聞こえるなど、日に日に傾向が強くなっていきました。このままでは、例え原因がストレスであっても、妻がどうにかなってしまうのではないかと、天光寺にお願いしました。

    住職にご対応いただきました。相談、家系図を書いたりと、時間にして40分くらいだったでしょうか。そして別室でお祓いがはじまりました。

    お祓い中は、妻の豹変ぶりに驚きつつも、どんな妻でも受け入れる覚悟でいました。やはり、悪い霊に憑りつかれていたと知りました。その時の記憶はないようですが、身体が軽くなったと言っていました。この度は、私ども夫婦を助けていただき、ありがとうございました。

     

    家族間のトラブル、災難に見舞われ、精神状態もニュートラルに保てず、天光寺のご住職を頼り参りました。本当に過去色々ありました。このまま人生の終わりを迎えてしまうのか、虚しくてたまらない、自ら死にたいと思ってしまうことさえもありました。友人や仕事上の付き合いの人ならまだしも、家族内で非常に強い憎しみを抱えていました。

    ご住職に話を聞いてもらいました。涙を抑えることができませんでした。大声で泣いてしいました。

    お祓いの後、ご住職から頂戴した言葉。しっかりと胸にきざみ、これからの人生にいかします。もう50歳、まだまだ50歳、気持ちの持ち方ですね。ありがとうございました。

    会社の仲間を誘って20数名で天光寺に参りました。冒頭に感想を述べますと、「企画して良かった、来て良かった。」の一言に尽きます。

    新型コロナウイルスの影響もあり、運動不足が生じている体には、お百度参りはきついと感じましたが、誰一人文句も言わず、走る、手を合わる、唱えるを繰り返しました。当たり前の昨今、感謝の気持ちを忘れていたように感じます。会社があり、一緒に働く仲間がいること、身体が健康なこと、今日こうしてみんなで来れたこと、これって当たり前ではなく特別なことですよね。

    マイナスイオンたっぷりでしたね。滝に打たれる、応援しあう、本当に最高でした。普段見られない仲間の表情、性格を垣間見られました。私の解釈の範囲では一致団結したと思っています。

    檜原村、遠いですが、仲間と集える場所を見つけました。また来年もお世話になります。ありがとうございました。

    心霊写真が気になって天光寺に来ました。まさかとは思いながらも恐怖心を抱えながらの生活は耐えられないので、住職にお話しを聞いてもらいました。身体の一部が欠けた写真などは、理由があるそうです。お祓いをしてもらい安心しました。その後の対処なども教えていただきました。あの時電話して正解でした。ありがとうございました。

    興味だけで、廃校や心霊スポットに友人とでかけたことを物凄く後悔していました。お墓参りに行こうとすると悪寒を感じたり、周囲で良くないこととがとにかく続きます。離婚、うつ、自殺、自分のせいではないかと、天光寺に行きました。ご住職に話を聞いていただき、お祓いをしていただきました。私の至りが原因だけではなく、先祖の因果関係があったようです。今後は、暗い灯を探すのではなく、私自身が明るく前向きに生きて行こうと思います。お祓い中のことは覚えていません。ありがとうございました。

     

    体調不良が続いて、何をしてもうまくいきません。何か原因があるのではないかと病院を数件転々としても、原因が解明できません。親しい人に自殺者が出て、因果関係が知りたくて、また、今の現状を打破したくてお寺に来ました。

    やはり、良くない霊に憑かれていたようです。住職先生にお祓いをしていただき、これからのことをお話いただきました。

    今後は大丈夫だと、とにかく安心できたことが良かったです。原因不明が解明できてすっきりしたのと、気のせいかポジティブに物事が考えられるようになったことが大きな変化です。

    いただいた資料、大事にします。ありがとうございました。

    結婚して10年です。最近妻の様子がおかしいと思い、急いでお祓いを天光寺にお願いしました。やる気がない、死にたいと言った様子で、一見うつ病のようにも感じましたが、「声がきこえる。」、「かなしばりに遭う。」、「自分じゃなくなる。」などと言うようになり大変心配しました。

    天光寺に行き、ご住職にお祓い、除霊をしていただきました。私は目に見えるようなことはなかったですが、妻の表情が変わり、以前の妻に戻ったと確信しました。子供に接する態度も優しく、安心できました。

    妻は憑依されやすいと知ったので、対応策をしっかりとかため、穏やかな生活をおくっていきたいです。当たり前の生活がどれだけ幸せなことか、事がおこってから知りました。ありがとうございました。

     

     

    もう完全に見放してしまえばいいのですが、更にひどくなってしまい、天光寺さんにお世話になることにしました。

    本人に寺に行こうと誘えば猛反発するので、だましだまし、父、祖父、祖母を巻き込んでまいりました。

    お祓いをしていただきましたが、様々な要因が重なっていました。未浄化の先祖霊を供養していただきました。また、一因として、私たち親にあることを指摘されました。分かってはいましたが、息子可愛さゆえに甘やかしてしまっていました。主人は何かにつけて忙しいと、正直申し上げますと夫婦間もうまくいっていませんでした。私も主人も息子も喝を入れていただきました。そして、深く深く反省しました。

    お祓いを命がけでしていただき、また気づきの時間をいただき、本当に感謝しかありません。

    ヒーリングを受けてきました。私は慢性的な肩こりに悩まされており、病院に行っても治る気配が無かったためこちらのヒーリングを受けさせていただきました。効果はというと、肩こりはすっかり治り、ずっと冷え性だったのですがそれも治ってしまいました!どれもこれも先生が私の身体のバランスを整えて下さったからだと思います。調子が悪いからこそ効果を感じたかもしれませんが、先生のエネルギーを頂戴しました。この度は本当に有難うございました。

    天光寺、以前から気になっていました。50代のおばさんが修行に行くなんてと夫が笑っていました。

    当日は武蔵五日市駅からバスに揺られてきました。東京都とは思えない景色でした。そこがまたいいのですが、おさるさんの親子にも遭遇して、嬉しかったです。

    「〇〇から参りました〇〇です。」と自己紹介。決意表明したからには頑張ると決めました。滝場までの道のりに不安がありましたが、私でも登れました。滝行、高尾さんに見守っていただきながら、長くは入れませんでしたが、己の気持ちに克てた気がしました。写経、瞑想、護摩焚きも気になっています。

    沢山の土産話ができたので、次回は夫と参加します。

    一度申し込みをしたのですが、勇気がわかずキャンセルしました。でもやっぱりの気持ちが強く、申し込みました。結果、とにかく良かったです。

    当日は、他にも4名体験修行の方がいて、初対面でしたが、すんなり打ち解けられました。一人で参加を躊躇している人がもしいらしたら、ぜんぜん心配はいらないと思います。お百度参り、声が小さいよりは大きい方が良いと、中学生以来の大声を出してみました。滝行、爽快でした。マイナスイオンすごいですね。

    自分を変えたいと参加してみましたが、友達や会社の人の反応がとても楽しみです。でも、周りの反応に左右される生き方はやめようと思ったので、どうでもいいですが、とにかく参加して良かったです。ありがとうございました。

     

    私は、俗にいうニートでした。会社で侮辱された事がきっかけで、辞めてしまってからはずっと家にいます。パソコンに向かって1日が終わってしまいます。両親は高齢で特に私には何もいませんでした。

    あるとき、珈琲が飲みたくて喫茶店に入りました、そこで隣のグループの話を聞いて私は、天光寺に行くきっかけになったのです。隣のグループはだいたい、30代後半の男性でしたが、同級生のようでした。

    内容は、子供が11歳と3歳の子供がいて、がんでその友達が亡くなったそうなのです、亡くなる何日か前に会いに行った時には、やせ細ってしまい、泣きながら、まだ死にたくないよ!!!と言っていたそうです。もう一人の方の話もしていて、その方はどうやら、仕事もせずに親にお金をもらい遊んでいるそうです、どうして不公平なんだろうと話していました、まだ死にたくない、頑張って仕事がしたい、子供と遊びたい、これもあれもしたい!と思っている人が病気になって亡くなってしまったのに、仕事もしないで親に迷惑をかけて、遊んでいる奴は時間の無駄遣いをしている、いつか罰が当たるよなどの内容でした。

    話を聞きながら、私自身もそうだ!!と思いながら聞いていましたが、ふと、自分のことを思い、なんだか恥ずかしくなり、店を出ました。帰ってから、私ももしかしたら、明日死んでしまうかもしれないと、考えた時、何かをやらなければいけないかもと思い始めました。仕事探しよりも、まずは、自分を変えたいと思いました。

    天光寺の修行はきつかったです、今まで何もしないで、家にいたので歩いているだけで、息切れはするし、足は痛くなるしで、もう帰りたかったです。ただ、明日死んでしまうなら、このくらいは、という変な力が湧いてきて乗り切ることが出来ました。住職の話にも心が震えてここで人生やり直そう!!!と決意が出来ました。

    仕事を初めて今は両親も大事にして、今日この日を大切に生きています。母は私が仕事をはじめてから、しばらく朝ごはんの時に泣いていました。うれし泣きです。今まですごく心配かけていたのだと思いました。

    これも天光寺に行って、自分が変わることが出来たからだと感謝しています。また、時間を作って行きたいと思います。初心の心を忘れたくないので、宜しくお願いします。

    私自身、本当に信じられませんでしたが、目の前でおきたことが真実であり、住職先生に是非ともお礼を申し上げたいと筆をとりました。家族、親族に不運なことばかりがおきていました。年を重ねれば色々と経験があるのは承知の上でしたが、あまりにも悲しく辛いことばかりでした。足腰も弱り、一人では心細く息子と天光寺に参りました。

    住職先生に今まであったすべてのことをお話しました。住職先生の判断でお祓いがはじまりました。家系を遠く遡り、先生に原因を突き止めていただき、お祓い、除霊、そして供養という形をとっていただきました。

    そこで信じられないことがおきました。杖をついてヨタヨタ歩いていた自分が、杖がなくてもスタスタと歩けるようになったこと。横にいた息子も大変驚いておりましたが、私自身が誰よりも驚いたと思います。歳のせい、気持ちのせいにしておりましたが、自分達ではどうすることもできない問題を解決してくださった住職先生には、衷心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

    主人の兄弟や実家のほうで不幸が多く、天光寺さんでお祓いを受けました。親戚一同で檜原村まで向かい、仰々しくお騒がせ致しました。お陰様で父の体調のほうも徐々に回復に向かっております。こうして親戚で集まる機会もとても貴重で感謝しております。みんなで天光寺のお祓いやご祈祷を受けて厄を払っていただけたことに心より御礼を申し上げます。スタッフの皆さんもどうかお体無理ないようご自愛ください。またよろしくお願いします。

    慢性的な肩こりに悩まされ、整体院などには何回も行きましたが結局治らず藁にも縋る思いで檜原村の天光寺でにヒーリングを受けに行くことにしました。崩れた身体のバランスを治して頂き、心の中に光が差し込んでいく感覚でした。ヒーリングが終わると身体がとても軽く、生まれ変わったかのようでした。それからは肩こりも治り、毎日が非常に心地よい気持ちで過ごせています。

    ご住職の施すヒーリング、とても癒されました。檜原村には旅気分で来ます。ありがとうございました。

    やっと卒業できました。高尾先生に会って、やっと自分の暗い人生とお別れできました。私は、昔から何かおかしかったのです。自分で自分に霊感があるなんて、思ったことも無かったです。でも思えば家でパチパチ、ドカドカなど、物音が鳴っていることはいつもでした。日常茶飯事すぎてそれが普通だったのです。家は両親が中古で購入しましたが、前の持ち主はどうしてもこの家を売りたかったようでした。なのでこのエリアでは破格の値段で購入したようです。何かおかしいはずですよね。

    高尾先生のおっしゃるとおり、あの家に住んでから家族もおかしくなったのです。友人に勧められてこちらのお祓い受けましたが、高尾先生が色々言い当ててくるので凄かったです。霊能者って凄いですね。そしてお祓い以来、すごく楽なんです。今までの人生はなんだったのだろうというほどです。思い切ってお祓いに来て本当に良かった。高尾先生のアドバイスの通り、実家を出てみたら驚くほど色んな事が好転しています。新しい仕事にもストレスなく、楽しくて仕方ないし。会社関係の飲み会で知り合った方とすぐにお付き合いと同棲も決まりました。体の不調や神経痛も一切なくなりましたし、お祓いに感謝、感謝です。

    高尾先生、ありがとうございました。こちらのお寺の事はぜひ私も周りにもお勧めさせていただきます。友人知人もお伺いさせていただくこともあるかも。その際は宜しくお願い致します。

    高齢の母を連れて天光寺をお参りしました。昨年姉を57歳で亡くしました。未だ若く、親より先に娘に旅立たれてしまった悲しみは母にとって壮絶なものでした。精一杯の供養もしてやったつもりです。母は、夢枕に姉が立つと言うのです。何か言いたい事があるのではないかと言うのです。青森のイタコにでも・・と思いましたが、天光寺住職様にお話しに行ってみると良いヨ、と近所のお友達にお聞きしましたので、本日は車でやってまいりました。

    住職様が、姉の気持ちを代弁していろいろ教えてくださいました。姉は、母の事をとても心配していると。姉は2人の息子も立派に育て上げて、若い頃から派手に遊んで、少し逝くのは早いが満足している と・・・住職様から教えていただきました。姉からの言葉を住職様から諸々お聞かせいただきました。そうです。姉はとても交友関係が広く情に熱くて、充実した人生でした。旦那さんは初恋の人で、大恋愛の末に結婚しました。57年の人生でしたが幸せだったはずです。高齢の母も改めて、住職様からのイタコの口寄せを聞いて、元気になりました。

    訪れて本当に良かったと思っています。

    数年前に御寺で企業研修をさせていただきました。コロナ疲れもあり、そろそろ社員教育をしなくてはと思って電話を致しました。情勢を踏まえ、宿泊を伴わない研修をお願いされました。新型コロナウイルスで、会社も社員も打撃を受けたことは確かです。社員一人一人のモチベーションをあげて、底上げしたいという思いでいました。日数や時間に制限はありましたが、やはり御寺で研修をさせていただき、正解でした。「優秀な人材を企業の宝に変える」、ごもっともなご意見。社員を大切にしていきます。そして、一致団結して厳しい時代に立ち向かっていきます。ありがとうございました。

    今まで特に大きな壁にぶつかったわけでもなく、のほほんと生きてきました。ありがたいことに身体も健康体です。不満もなく過ごしてはいましたが、檜原村で滝行ができる天光寺を見つけて参加してみました。爽快、刺激的、精神統一ができたと言うのが感想です。来て良かったです。友人を誘おうかと思いましたが、自分が良いと感じたら誘うつもりで単独で申し込みました。無論、次回は友人と来ます。

    ここ数ヶ月慢性的な肩こりや腰痛に悩まされ続けていました。あまりにも酷かったので整体院などにも通っていたのですが一向に良くなる気配もなく、藁にも縋る思いでヒーリングを受けてみることにしました。効果は半信半疑でしたが受けてみてびっくりしました。まず翌朝の目覚めが違いました。腰も肩も痛くなく、数歳若返ったかのような心地の良い朝を久しぶりに迎えることが出来ました。また普段、痛みで苦痛だった家事もとても楽でまるで生まれ変わったかのようでした。正直、ここまで効果があるとは思っていませんでした。これからも定期的に通いたいと思います。ありがとうございました。母も是非お願いしたいと言っています。

    中古マンションを購入しました。家族には気にし過ぎだと言われましたが、住み始めてから、なんとなく気持ちが悪い感じをうけます。落ち込むことが多く、体調もなんとなくだるい感じ、疲れる、横になっては起きてを繰り返すようになりました。更年期かもしれないと思っていましたが、変な夢を見るようになり、「家族に取り返しのつかないことがおきたら困る。」と感じて、天光寺に電話しました。天光寺の住職に、部屋の写真を撮ってくるように言われました。やはり、よくないものが憑いていたようです。マンションを泣く泣く手放した方の悲しい、苦しい思いが残っていたようです。亡くなってはいないみたいですが、これからもこのマンションに家族と仲良く暮らしていけるよう、お祓いをしてもらいました。今後の対処法なども教えていただき、安心しました。ありがとうございました。

    うまくいかないことだらけで、自分や家族が心配で、身を清めにきました。大きな声をだしたら、なんとなく吹っ切れました。ホームページやインスタ、ブログである程度の情報はありましたので想像はできていました。しかし、実際に体験してみると想像以上の感動でした。その時の私は躍動感あふれていたと思います。身は清められたのでは?!とにかく、自分も家族もプラス思考で行こうと決めました。お世話になりました。

    心身共に成長したくて、天光寺の滝行に申し込みました。当日は気温がそれほど高くなく、少し怖気付きましたが、他の参加者の方に励まされ入水できました。自分に甘い生活に喝を入れ、すこしづつ人間らしい生活ができるよう頑張ります。来て良かったです。

    私は、今回ヒーリングを受けさせていただきました。自分は、結構色々なところでヒーリングを受けています。というのも、私自身疲れが取れにくいのかヒーリングを受けてもすぐに疲れが溜まってしまうからです。主なストレスは、仕事でのストレスです。仕事自体ではストレスはたまらないのですが、人間関係でストレスが溜まります。今私が所属している部署は、男性がほとんどで女性は、2、3名しかいません。そのため、雑用を女性にやらせる。ということが多々起きます。そのせいでストレスが溜まっています。さらに、上司がとても苦手です。少しミスしただけでぐちぐち言ってきます。正直、会社を辞めればいいのですが親戚の方に紹介してもらったところなので辞めるのは申し訳ないので続けています。最近は、ストレスのせいで肌荒れなどして身体にも症状が現れ始めています。病院にも行ったりしているのですが、薬だと根本的な解決にはなっていないような気がします。そんな時、昔からの友人にヒーリングを紹介して頂きました。それから、2ヶ月に一回ぐらいのペースで行っていましたがなかなか改善されないのでそういう物なのかなと思っていました。ある日こちらでヒーリングを受けたところ、しばらくしてもストレスがたまらないのです。たまたまだと思っていたのですが、二回目を受けた時も同じ効果を得られたのでとても快適な生活を送っています。

    ありがとうございます。

    天光寺での滝行は、もう何回目になるか分かりません。すっかり滝行の魅力にはまり、節目節目で参ります。檜原村の景色、天光寺のエネルギー、滝行のプログラム、すべてが好きです。マイナスイオンまで頂戴できるので行かないという選択肢は私の中ではありません。決して、檜原村、天光寺のまわしものではないですが、この感動を誰かに知ってもらいたいです。滝行、スカッとしたい方におすすめです。

    失恋をして情緒不安定になってしまいました。街角の占いや、縁切り神社でお参り、目に見えないあらゆるものに縋って、宗教にまで入りそうになっていました。心が苦しくて泣いてばかりの毎日でした。精神世界を追求したときに、ヒーリングにたどり着きました。外科治療のような痛みではない、心の苦しみをどうやったらラクになれるか、縋る想いでした。ヒーリングの予約を電話で入れて、当日は車でお寺まで行きました。お寺の中には修行体験の若い人たちがいっぱい。活気がありました。ヒーリングは、精神世界なので冷めた心の人には理解し難いかもしれません。私は失恋相手に向けた愛で溢れていて、それが悲しみに変わり悲しみでいっぱいだったので、ヒーリングのパワーが来すぎるくらい強く感じてしまいました。あの時間は「癒し」でしかありませんでした。あの時間だけ苦しい気持ちから解放されました。講師よりパワーを送ってもらっていて、それを自分自身もちゃんとキャッチしました。それと不思議な体験をしたんです。目を閉じていたら暗闇の向こうにすごく眩しい光が煌めいているのが見えました。一瞬時空を彷徨っているような不思議な感覚になり、何か無重力の空間に行っていたんですよね。それがとても心地よかった。そうしてヒーリングが終わったころ放心状態になっていました。今思えばこの時から心の苦しみから解放され始めました。夜は友人とディナーを食べてワインを少し嗜むほど。それまで人に会うのも話すのも嫌だったのに、傷が癒えて元気が回復していたんです。そして今現在、もうまったく失恋のあの苦しみはありません。彼の事を思い出すこともなくなっています。こうして目に見えない力によって救われた体験が、誰かの役に立てれば良いなと思い、お手紙をお送りさせていただきました。ぜひ参考までにこちらの体験談をHPに掲載してください。

    私はお寺の息子で、僧侶になる予定です。今は高校3年生ですが、大学に進学しません。それにはさまざまな理由がありますが、悟りを開きたいと思っています。天光寺にはいろいろやりに来てきます。滝行もやります。写経もやります。

    今回はヒーリングを受けました。僧侶の修行が、春から始まりますが、それに向けて、高尾先生のもとで週に1回90分のヒーリング講座を受けています。これは、すごく効果的で、自分に向き合えるようになれます。

    高尾先生が霊感の強いお方なので、次元を越えます。ヒーリング講座でかなり集中力が培えたと思います。今日も貴重な訓練をありがとうございました。

    今後もよろしくおねがいします。

     

    天光寺のインスタを見て、滝行にチャレンジしました。武蔵五日市駅からバスにゆられ、少し旅気分でした。山の中にお寺がありました。私は友人と参加しました。日々の生活で腹式呼吸を意識したことはありませんでした。お百度参り、比べるところではないですが、一緒に来た友人と切磋琢磨できました。そして臨んだ滝行、達成感のような、爽快感のような、とても気持ちがよかったです。一緒に来た友人と参加したことは大正解だったと納得しながら帰りました。お寺の皆さま、身体に気をつけてください。また来たいです。ありがとうございました。

    身体の中がとにかくおかしかったです。言葉で表すと、常に足元がぐるぐる回っているような感覚、動物の鳴き声が聞こえる、誰かの声が聞こえる、頭が痛い、かなしばりにあったりと。

    すがる思いで天光寺に来ました。お祓い、除霊、浄霊をしてもらい、自分の中に良くない霊が憑いていたと分かりました。うすうすとは分かっていましたが、自分ではどうすることもできずにいたので、本当に感謝しかないです。

    強い心をしっかりもち、またお世話になることがないよう願うばかりです。相談できるご縁をいただいたことに関しては安心に繋がりました。ありがとうございました。

    シングルマザーで苦労していました。気付いたら自分の考えで生きれなくなっていて、すごくもがいていてヒーリングを受けたいと思いました。周りにいる友達も暗い子ばかりで、楽しい話題が無かったです。ヒーリング60分で、すごく集中して「気」の操作をしました。操作をするというよりは、先生と一緒に気を操作してもらう感じです。ヒーリングの途中、閉じた眼の奥にすごく明るい光を感じて、体が暖かくなってきました。料金的には安くはない値段ですが、満足しました。バスに乗り武蔵五日市駅から自宅まで電車で二時間、みるみる心に泉の水が湧くような潤いを感じました。仕事も子育ても頑張ろうと思えていました。急に昔の友達から一緒にダンスをやろうとお誘いの連絡が来て、また昔の仲間との接点も持つようになりました。ヒーリングで心の持ち方が変わって、とても前向きで無駄な不安が一切無くなりました。暗い友達にも天光寺を紹介してほしいと言われ紹介して、すごくポジティブになって帰ってきたのでびっくりしました。私もヒーリングを受けるまでは不安しかないと思っていたので考えが全然変わりました。受けてみて良かったと思っています。

    中学2年生になる息子、反抗期真っ盛りです。したいようにさせておりましたが、最近会話も減ってきました。以前はまだ会話があったので、救いと感じていました。

    檜原村、滝行、夫婦で行きたいと思っていました。ダメ元で息子に天光寺に行く提案をしてみました。答えは「YES」。正直、行くことをすんなり受け入れてくれるとは思っていなかったので驚きました。

    家族以外にも参加者がいらして、少し緊張気味でした。大きな声で自己紹介をし、お百度参り、滝行と家族3人で体験。思春期で恥ずかしがると思いきや、杞憂でした。むしろ、イキイキしていたように感じます。

    息子の意味があってのプチ引きこもり、反抗期。聞いてはいけないと思い聞きませんでしたが、息子の場合は逆で自分に関心をもってもらいたい、話を聞いてほしいと思っていたようです。久しぶりの車内での会話、楽しかったです。

    これからも沢山反抗期街道を歩むと思いますが、息子にとっても、私たち夫婦にとっても今後の希望をもてる良い機会となりました。

     

    皮膚に赤い痣のようなものが浮き出てきて、皮膚科に行っても原因不明でした。皮膚科は3件行きましたが、どこも混んでいて長く待たされる割に、原因がわからないと言われてワセリンのような塗り薬を処方されて帰されるので、もういいやと思って放置してました。友達から精神的なものが関与しているかもしれないと言われて、魂を癒す意味でヒーリングを薦められました。

    友達も付き添いで天光寺まで来てくれました。私の前には外国人の男性がヒーリングを受けていたので、外国人も受けるのか・・と、驚きました。ヒーリングが始まって、椅子に座って先生に手を当てられて、手を当ててる部分がすごく熱くなったのでびっくりしました。気の力をこんなに実感したことは初めてでした。マントラというのを唱えました。仏教のことはよく知らないけど、先生がきちんと意味や説明を教えてくれながら進めてくれたので大丈夫でした。ヒーリングの最中は普段押し殺していた感情が溢れ、魂の声を聞きました。もっと言葉に言い表したいけれど、体験した者しかわからないこと。不思議な時間でした。

    ヒーリングを受けた日から一週間ほど過ぎて、皮膚の痣が薄くなっていることに気付きました。あのヒーリングが何か自分の身体に作用したのでしょうか。ありがとうございました。。

    産後の肥立ちが悪く、寝不足なのも相まって精神も体力もギリギリでした。いきなり涙が出たり、食欲も無くなり母乳もどんどん減っていき、その焦りでまたストレスを溜めるという悪循環でした。様子を見に来た母が私の余りの変わりように少しリフレッシュしたら?と天光寺さんのヒーリングを予約してくれました。

    ヒーリングが始まると暖かい空気に包まれふわふわとした感覚に包まれました。体がジーンとして深くリラックスできました。眠たいのに眠るのが勿体ないような気持になりました。終わると霞がかっていた頭がスッキリし、思考も明瞭になっていました。

    ありがとうございました。

    死産した子がおり、二子を考えようと思った時に死産した子の供養を済ませていないことが気がかりになり、天光寺さんに水子供養をお願いしました。控え室も個別で人に会う事が無かったので安心できました。

    悲しみを引きずり時間がかかってしまったけどもっと早くに供養してあげれば良かったな…と思いましたが、真心こめて丁寧に供養してくださり、子供も安心して成仏してくれたのではないかな、と思います。本日は有難うございました。

    娘は中学1年生の途中から徐々に学校を休むようになりました。部活内で何かを言われた様子でしたから、話を聞くと、もう大丈夫といいます。しかし、朝学校に行こうとすると体が反応してしまうようで、頭が痛くなったりしていけなくなります。カウンセラーに話を聞いてもらったりしても、娘は大丈夫といつも言うのです。本当の事が言えないのです。

    困っておりましたら、知り合いの方に天光寺様を紹介していただき、女の子なので難しいかなと思ったのですが、本人も興味を示し、お世話になってみることにしました。

    日常をたちきって、親のいないところでの環境はとても大きな変化になるのではないか、そう考えました。思ったととおり、娘は自分の中で何か大きな変化を感じ、前向きになりました。強くなったとでもいいましょうか。

    このような体験の場を下さったことに、本当に本当に感謝で一杯で御座います。ありがとうございました。

     

    整体の仕事をしていると人に触れる機会が多いからか、手からその人のエネルギーのようなものが入ってくる感覚があります。それらは必ずしも良いものではなく、どちらかというとこちらの体が重くなるようなものが多いです。人のエネルギーが溜まっていくとどうも無気力になり、仕事へのモチベーションも下がり体が重くなっていくので定期的に天光寺に来てお祓いをしてもらうようにしてます。お祓いをしたらそのままヒーリングを受けるのがいつもの流れとなっていますが、これらをするとスッと体だけでなく頭の中もスッキリと軽くなるのが分かるのです。この仕事を続ける限り天光寺さんにも通う事になりそうです。いつも有難うございます。

    私は、20代後半の女性ですが、10年ほど前から、友達や仕事先の先輩から「今、○○に居たでしょ?!」というメール(最近はLINE)が頻繁に来ます。しかし、当の私はそこには行っていないという現象が頻繁にありました。私自身は、自分に似た人がいるのかな、というぐらいで まったく気にはしていませんでした。

    しかし、最近になってそれがあまりにも酷く…親しくない間柄の人に言われるのなら、見間違いかな?で済むのですが、最近は親や彼氏にまで言われ、しかも、私ではないと説明しているのに信用してもらえないほどなのです。何かおかしいと思い始めました。

    天光寺に相談に行って、お祓いとヒーリングの施術を受けました。施術に入る前、「あなた、あまりボーッとしないようにね」と先生に言われました。私は魂がとても抜けやすく、分離して幽体離脱のようにどこかへ行ってしまうそうなのです。確かに私は意識が飛ぶほどボーッとしてしまう事があります。あまりに幽体が抜けすぎてしまうと大変な事態になることもあるみたいで、先生からは集中力を鍛えるためヨーガやヒーリングで定期的に自分の魂を内に戻す時間を作ることを勧められました。

    天光寺の施術以来は、ボーッとする時間が少なくなりました。人との会話や食事も楽しく感じるようになり、以前はずっとシェルターの中に居るような感覚だったのですが、生きている世界に色が付いたような鮮やかな日々へと生活が変化しました。友人とも深く向き合い、付き合う事が出来ている気がします。天光寺に行ってから良い事が続いています。ありがとうございました。

    ホームページを拝見し、数年前に体験した天光寺の体験修行。月日が経過し、自己成長を確認すべく再度体験修行に申し込みました。滝行はやはり爽快です。自分と向き合う時間って必要だなと改めて再確認しました。百歩は進んでいませんが、十歩は進めたように感じます。仏門に触れることは、天光寺の修行に参加するまでは正直ありませんでした。私生活に沢山活かせる教えを大事にまた自己成長の確認を楽しみに参加させていただきます。ありがとうございました。

    先月に友人に誘われ心霊スポットに行きました。行った当時は何ともなかったのですが帰って翌日から肩がとても重く、常に具合が悪い状態が続いていました。友人も同じような状況になっていたようで今回その友人とお祓いを受けようと言う話になり、ネットで天光寺を見つけお祓いをしていただくことにしました。

    住職様に経緯を話したところそういう所には絶対に言ってはダメだと強く言われました。お祓いでは最初は体の中で何かがうごめく感じがして苦しかったのですがそのうちその感覚がふっと無くなり体がとても軽くなりました。今では前のように元気に暮らせています。

    この度は天光寺様並びにご住職様、本当に有難うございました。

    会社を大きくしようと思っています。その矢先に、従業員の退職や病気、けがが続いています。不運なことに、片腕と慕っていたビジネスパートナーの退職もあり落ち込んでいました。心機一転、一丸となり再スタートをきりたいのでお祓いと祈願をお願いしました。この先分かりませんが、意味のある日だったと信じています。住職からビジネスについてのアドバイスも頂戴でき光栄でした。本当にありがとうございました。次は従業員を連れて、企業研修や修行をお願いしたいと思っています。

    ホームページを見て天光寺に電話をしてお祓いの予約を入れました。親族の離婚が続きます。自殺者や水子もおり、不運なことばかり。そんな理由でお寺にお世話になることを決めました。住職に家系図を記し、話を聞いてもらいました。ここに来れば大丈夫とそんな感情がわきました。お祓いの部屋に通され、お祓いと供養をしていただきました。同行した家族も安堵感でいっぱいだったと思います。日々の生活、そして先祖に感謝して暮らしていこうと思います。この度はありがとうございました。

    最近体調が優れません。どんなに眠っても疲れを取るために温泉に入ったりもしましたが、どうも体調が優れないので病院に行ったところ原因は分からないが風邪と診断され薬を処方されました。薬を飲むと体調が良くなったので風邪だったんだと思いました。ですが、1週間たっても症状が改善されませんでした。もう一度病院に行くと貧血かも知れないと言われサプリ等を飲むようにしましたがなかなか改善されません。そこで、もっと大きい病院に行くことにしました。そこで、診断されたのはストレスからくる体調不良だと言われました。確かに、最近家庭の事でとてもストレスを溜めています。息子の反抗期や家庭に協力的ではない旦那の事など大きなストレスになって体調が悪くなっていたようです。なんどか話し合ってみたのですが改善が見られないので途方に暮れていました。

    ある日テレビでヒーリングで鬱が少し改善されたというのを見てネットで探してみました。すると、近くにヒーリングを行っている所が在りました。それが、ここです。早速予約をして行ってみることにしました。

    ヒーリングをしてもらった直後は効果を感じられずこんなものかと思っていたのですが家に帰ると徐々に効果を実感してきました。それ以来、1ヶ月に1度は来るようになりました。前までは、体調が優れないこともありずっとピリピリしていたのですが、最近はそのようなことがなくなり家庭内の雰囲気も良くなりました。本当に有難うございます。

    娘の霊現象に悩んでいました。家族で出かける時も、家で過ごしているときもおこるそうです。娘が言うには「私は霊に憑りつかれている、私は沢山の霊が見える。」だそうです。まだ10代の娘、心配でたまらず、天光寺に電話してお祓いの予約をいれました。

    当日は住職にヒアリング、お祓いをしていただきました。私自身は見えるわけではないですが、お祓いの時に娘の身体が揺れていたり、叫んだりしていたことは事実です。また、終了後は安堵感でいっぱいでした。

    娘は霊感があるようです。これからも親として理解を示しつつ、親として守っていくつもりですが、何かあれば天光寺に相談したいと思っています。相談できる場所が見つかったことが本当にありがたいです。

    夜になると、奇妙な現象がおこります。ベットに横たわっても、ソファで身体を休ませようとしても、休ませてくれません。また、車にぶつかられそうになったり、意図していない方向に引っ張られる感じがして身の危険を感じています。女の人の声が聞こえてきたりします。天光寺にとにかくすがる思いでした。住職先生に話を聞いていただき、部屋を変えてお祓いをしていただきました。また、麻のお札を購入し、気になるところに張るように言われ、帰宅しました。それからは、奇妙な現象が起こりません。天光寺に頼って本当に良かったです。ありがとうございました。

    事故で入院してから仕事での些細なミスが増えたり、不眠症になったりと不健康な状態が続いていました。医者に行ったら軽い鬱病のようなもので心を休めてくださいと言われました。休めると言っても仕事を休むわけにはいかないので、どうしようかと思っていました。そんな時、インターネットでこちらのヒーリングの広告を見かけました。その時は、ヒーリングなんて効果あるのか分からなく流しみしていたけれどしばらくしてテレビで心が疲れている時は、ヒーリングいいといやっていてここのことを思い出しました。早速予約し、当日スタジオに行きました。光輝ヒーリング療法という物を受けました。これは、自然治癒力を高め心身の健康と霊性の向上に役立てることが可能なリラクゼーション手法だそうです。

    早速、始まりました。料金は、60分で15000円でした。ヒーリング中は、とても穏やかな気持ちに慣れました。日頃のストレスや疲れなどが取れる様でした。あっという間に60分経ってしまいました。効果あるのかなと思っていたのですが効果絶大でした。

    それから、夜は良く寝れるようになりました。定期的に通いたいと思います。ありがとうございました。

     

    退職を前に、天光寺で修行したいと思っていました。人生これからと、自分自身確かな意気込みを胸に道場破りではないですが、単身で申し込みました。挨拶、腹式呼吸、大きな声で弘法大師様の前でお百度参り、滝行そしてオプションで瞑想。特に今まで曲がったことはせず、まっとうに生きてきましたが、気持ちがリフレッシュし、浄化されたように感じました。瞑想では、今までの自分、これからの自分に向き合えたように感じます。文明の利器に頼るだけではなく、古典的な方法の素晴らしさ、身をもって修行を通して体験できました。ありがとうございました。

    最近体の疲れが溜まりやすくなってきました。若い頃は、少ない睡眠時間でも疲れがとれていたのですが最近はどんどん疲れが溜まってきています。その影響か集中力が落ちてきたような気もします。そのため、食生活を改善したりしましたが少し改善するのみでまだまだです。ビタミン剤などを摂取してやっと疲れを感じなくなりました。ですが、このままだとお金もかかるし大量の薬を持ち歩かなければいけません。そこで、マッサージなどで体を休めることにしました。そうしたら1週間に1回マッサージに行けば調子がよくなりました。ですが、行けなかった時の疲労が凄いです。他に何かないかと思ってネットで探したところヒーリングがいいと言うのを見ました。探したところ、こちらのヒーリングが良さそうなので受けてみることにしました。正直効果は期待していなかったのですが、すごいです。これなら、3カ月に一回くれば良さそうです。ありがとうございます。

    私は今回ヒーリングを受けに来ました。

    このところ、仕事で上手くいかなかったり親が病気にかかったりと精神的に辛い事が多々あったため何事にもやる気がなくなってしまいました。そんな時に主人にヒーリングを受けてみたらとおススメされてインターネットで調べてこちらに来ました。ヒーリングを受けるのは初めてでしたが受ける前に少し調べて来たのでだいたいどんな流れかはわかっていました。今回受けたのは光輝ヒーリングというもので自然治癒力を高め心身の健康と霊性向上に役立てることが可能なリラクゼーション手法のことです。どうやら私たちの身体の中には道があってその中を流れるエネルギーのバランスを調節しており、そのバランスが崩れると体調が悪くなったり心を病んでしまったりするそうなのですがヒーリングで調えると人生を前向きに歩む力が湧いて出てくるのが実感できるそうです。私は、60分のコースを受けたのですがあっという間に時間は過ぎました。ヒーリング中は、とてもリラックスできずっと受けていたいと思えるような時間でした。終わると、リラックスされた状態でストレスも感じず、細胞が活性化されたような感じでした。それから、集中力が上がるなど効果を実感しました。

    今回ヒーリングを受けて本当に良かったです。ヒーリングを行ってくれた先生にはとても感謝しています。また機会があれば受けたいと思っています。ありがとうございました。

    私は、現在工事などの作業員をしています。3~4年前ぐらいに他の作業員が事故で命を落とすという不幸なことが起りました。その時は、霊のことなど微塵も考えていませんでした。

    それからちょっとして井戸を埋める工事の翌日作業員が心臓病で死亡しました。その前日に、私の妻が変な夢を見ていたことが分かりました。その事故から1年後に前の妻との間にいた長男が自殺しました。その頃から、謎の電話や車の事故、金銭トラブルが起こるようになりました。ここで、何かがおかしいと思い信用できる人に相談してみることにしました。その人も前に作業中にケガをしてその際に行った除霊をする場所を紹介してもらいました。それが、こちらのお寺でした。

    正直、霊などは信じていませんが起こった出来事があまりにも多すぎてパニックなっていました。行ってみて、憑いていなかったらそれはそれでいいし、憑いていて祓ってもらったらいいので行ってみることにしました。お寺に着いて、30分ぐらいしたら除霊が始まりました。わりとすぐ終わりました。除霊中は、なんかふわふわした感じでなにか感情が沸くことはありませんでした。それから、そのようなことは起こらなくなりました。霊のせいなのかよくわかっていませんがありがとうございました。

    とにかく、わけもなくイライラしていました。また、1年ほど前から自分が想ってもいない言葉が出てくるようになりました。家族に対しても、とても悪い感情が時たま湧いてくることに恐ろしさを感じていました。このままだと、自殺をしたり、家族を殺めてしまうと実父に相談して天光寺に連れてきてもらいました。事前に、住まいの写真や先祖の家系図が分かるようにしてきてほしいと言われ指示に従いました。部屋に通され、住職と話し、そのあとに別の部屋に通されました。それからは覚えていませんが、好ましくない霊が憑いていて、お祓いをしていただいたようです。本当に何も覚えていませんが、父から帰りの車内で様子を教えてもらいました。人間ですから、イライラもしますし、怒ったりもします。しかしながら、今までのような恐ろしい感情は全く抱かなくなりました。私の体験が参考になればと思います。天光寺さん、ありがとうございました。

    夫婦喧嘩がたえず、子供も言うことをきかないのでイライラの日々でした。自分の精神を落ち着かせて、写経に打ち込む体験修行を申し込みました。手を合わせて般若心経を唱えます。ゆっくりと筆を動かしながら一文字一文字無心の境地で進めていきました。周りで早い方がいらして、少し焦りそうになりましたが、自分は自分と言い聞かせられました。お恥ずかしい話、主人のことも、子供のことも、どこかよそのお宅と比べていた自分にハッとしました。特に天光寺さんから言葉をいただいた訳ではありませんが、勝手な解釈かもしれませんが、日々の生活の歯車が狂っているのは、私自身の行いにも原因があったのではないかと反省しました。家族に出会えたこと、喧嘩できるくらい元気なこと、おいしい空気、お水をいただけること、ぜいたくなくらい恵まれていると気が付きました。体験修行で写経を選びましたが、次回は、主人と子供と滝行をしてみたいです。この度はありがとうございました。

    インスタの滝行がずっと気になっていました。滝行だけやりたくて申し込みましたが、心構えや作法、お百度参りをさせていただきました。私以外にその日は6人くらい参加されていました。ひとりひとりをしっかりみていただき、言いかたが思いつきませんが「やっつけ感がなく、寄り添ってくれた。」感じがして嬉しかったです。参加して後悔はなく、またお世話になりたいと思いました。

    仕事もプライベートも多忙でどんどん自分のことをないがしろにしていた所、めまいと食欲不振になり、どんどん貧血気味になりました。

    また精神的にも鬱っぽくなり体は疲れていて眠りたいのになかなか寝付けず不眠気味になり気力ともに限界だったところ主人がこちらに連れてきてくれました。

    60分のヒーリング体験でしたがあっという間に感じました。

    終わった後に感じた印象は「浄化された~~」と思いました。

    そしてこのまま眠りたい…と自然な眠気がやってきました。

    明らかに受ける前と後では自分の細胞が活性化された気がして、体の中がリセットされた感じです。ありがとうございました。

    2月末に転勤を言い渡されました。

    今まで順調な仕事を3年4ヶ月ほど経過しての辞令でした。

    次の勤務地では、業務に馴染めず失敗を繰り返し。また、無謀な仕事を言い受けられもう仕事に行くのが憂鬱になっています。

    夜に就寝中によく寝汗をかき通勤中は、緊張で喉が渇きます。

    食欲も落ちました。サラリーマンの転勤とは言え、あまりに極端な生活一変に自分でもどうしたらいいのかわかりません。迷走していました。

    私は、前回にもこちらのお寺でお祓いをして頂いています。その時も、今回と同じような仕事が上手くいかない悩みでした。仕事が上手くいかないので、気分転換に写経でもしようと思って申し込みをしたのですが、そこで住職さんに霊が憑いていると言われました。その霊は、私に不幸をもたらすと言われました。確かにその時仕事が上手くいってなったので除霊をしてもらうことにしました。除霊をしてもらったところ、今まで悩んでいたことが嘘のように上手くいきました。なので今回も、そのような霊がついて悪さをしているのではないかと思い伺うことにしました。

    そして、見てもらうと案の定霊が憑いていました。前回同様に悪い気をもたらしていたようです。早速お祓いをしてもらいました。

    お祓いが終わってまだ1週間ほどしかたっていませんが徐々に効果は出てきたような気がします。

    お祓いをしてもらってから寝汗をかくこともなくなり快適に眠れています。ありがとうございました。

    天光寺に訪れて息子の不登校のきっかけは私だったのだ、と気づくことができました。

    子どもの為に、とあれこれしてあげたのにどうして!?という気持ちでいっぱいでしたが、それらが息子には重荷で、不要なプレッシャーを与えていたのだと。

    いつからか息子はビクビクしがちになり、私の顔色を伺うようになり、だんだん不登校になり、そんな息子を見てオドオドしてみっともない。なんて思った当時の私を今はぶん殴りたくなりました。

     

    息子と天光寺での修行に参加して、何かに一緒に取り組むことなんていつぶりでしょう。

    大変そうながらも一つ一つ修行を終えた息子の達成感でキラキラした笑顔を見て、ああ、この笑顔を取り戻せて良かったと心底思いました。

    気づきをくれた天光寺さんには感謝でいっぱいです。

    お寺での修行をしたく、首都圏で行けそうな場所を探していました。ネット検索してホームページを見て直観で決めました。

    1人での参加は寂しいと思っていましたが、他の参加者の人も単独の人が多く、安心しました。

    自分と向き合い、鍛錬を経て爽快と言いますか、とても良いリフレッシュになりました。また絶対来ます。

    中学生の娘が頭痛、生理痛、月の半分以上は体がだるいなどの症状に悩まされ、

    最初は思春期特30有のホルモンバランスの問題かな、と食生活などに気を付けていましたが、改善されず病院にいった結果自律神経失調症でした。

    何か少しでも症状を軽減できることはないかな、と色々探していましたらヒーリングを知りました。

    ご住職にヒーリングを施してもらい終わった直後の娘はぼーっとした様子で帰りの車でもずっと寝ておりました。

    起きた後に感想を聞くと

    「体の中の空気みたいなものが全部入れ替わったみたいな感覚。終わった後は少し疲れたけど、今は体も軽くてどこも痛くないのがなんだか変な感じ。」と言っておりました。

    一回の施術ですぐに全てよくなるといったわけでは無いと思いますが、久しぶりに笑顔の多い娘を見て私も安心しました。

    継続して受けようと思います。

    ストレス性難聴にかかり、ストレスの元を断ったが良くならないので雑誌でみかけたヒーリングが気になり、一番近かったこちらでお願いしました。

    先生の手が当たるところからジワジワと温まり、体の中の毒素が浄化されていく感覚がありました。

    終了した後にすぐ聴こえるようになる訳ではなかったですが、難聴になってから続いていた頭痛が軽くなっていたので、定期的に継続していきたいと思います。

    有難うございました。

    テレビでたまたま見た天光寺さんの体験修行に興味が沸き、友人と1日体験修行に申し込みました。基本的な作法、腹式呼吸など教えてもらいました。普段大きな声を出すことはほとんどなかったので爽快でした。昼食は住職の精進料理をごちそうになり、後片付けまでやるといった徹底したスタイル。普段は上げ膳据え膳の生活でしたので家族に感謝の気持ちが芽生えました。午後はお百度参り、滝行を体験しました。春と言えど檜原村の滝水は容赦なく冷たかったです。また必ず修行に来ます。ありがとうございました。

    主人に不倫されてから毎日簡単に死ねる方法を探し、裏切られ、辛くて死にたいっていうよりかは「あなたのせいで私は死んだのよ」って呪いを主人にかけたい、と気づきこのままではダメだ!と天光寺さんに相談したところお祓いとヒーリングを薦められました。

    どちらも終わった後はスッキリした気分になり、今までどろどろした思考に支配されていた頭の中がパーッと晴れやかになりました。

    主人のことばかり考えていたのに、もうあんな人必要じゃない。とまで思えそうです(笑)

    前に進めそうな気がします。ありがとうございました。

    娘の対人関係に悩み、天光寺さんの修行に申し込みました。

    娘は、親の私の口から申し上げるのもなんですが、賢い子で勉強もできるほうです。

    しかしながら、お友達や社会との関わりが方が困難で不登校になりました。

    このままではいけない、親離れもさせないといけないと葛藤の日々でした。

    体験修行に参加した娘。まだ家におりますが、表情は明るく、学校に行ってみようかなと口にするようになりました。少し前向きになってきたように感じます。

    この変化がどれだけ嬉しかったことか。精神が研ぎ澄まされたのか、他の修行参加者との交わりを通して気持ちに変化が生まれたのか分かりませんが大きな一歩を踏み出しそうです。

    また機会をみて、私も娘といっしょに参加したいと思います。ありがとうございました。

    15日に群馬県の廃ホテルに遊び半分で入りました。

    行く前は、なんとも思っていたのですが近づくにつれて段々と恐怖を感じてきました。ですが、そんなことを言えるわけもなく中に入って行きました。

    その直後から体の右側が少し熱かったのですが、友達に行ったら気のせいだよと言われました。

    それは、1日でなくなったのでやっぱり気のせいだったんだと思っていたのですが、それからずっと精神的に不安定な感じになり体がだるいと感じています。

    それに、感情が吸い込まれる様な感覚もしています。自分もこのようなことは初めてなのでどうしたらいいか分かりませんでした。そこで、一緒にいった友達に同じ様な症状が起きていないか聞いてみたところ誰もなにも起きていないのでおそらく病気だろうと思って病院に行くことにしました。ですが、病院に行ってもなにも異常がなかったのでやはり廃ホテルに行ったことが原因だと思い、霊感が強い方に霊視をしてもらいました。

    見てもらったところ、霊が憑いていると言われました。その方は祓うことが出来ないので、除霊やお祓いができるお寺を紹介してくれました。

    除霊は、意外と早く終わりました。どうやら特に恨みもなにもなく誰にでもつく霊だったので早く祓えたそうです。

    それ以降前みたいな症状を起こさないようになりました。霊視をしてくれた方も除霊をしてくれた住職先生ありがとうございました。

    連日の疲れが溜まっていたのでヒーリングを受けてみました。私は気功など「気」の力を信じるので。落ち着いた雰囲気の人で良かったです。60分、あっという間でした。終わってからは少しづつ意識を戻していきましたが、ゆっくりさせていただけたので良かったです。

    60分間、講師に「気」を操ってもらっていたのですから、意識を戻すのも時間が掛かって当然です。

    私はヒーリングの最中、ずっと鐘の音が頭の中で響いていて、とても昔の記憶が蘇っていて、おそらく幻想の世界にいました。

    暗い山道を下りたら、広いグラウンドに出ました。向こうには七色の光が溢れています。私はあの光の向こうを見てみたいという気持ちと、自制する気持ちの狭間に居て。その光景がとても気持ち良かったのです。

    60分よりもっと長くヒーリングを受けていたらあの光のほうまで歩いていけていたかもしれません。時間を延長したいと思ってしまいました。

    ヒーリングを受けて、魂が安らぎました。連日の疲れ、信用できない人たち。

    私は純粋でいよう。私は騙されようが損しようが、周りに感謝をする心を忘れないゾと。

    終わったあとはクリアな心になりました。浄化って大事だと思います。

    仕事の繁忙期になると毎日くたくたで寝に帰るだけの日が続き、たまの休みもずっとベッドの上で過ごすことが多く、それでも体の疲れが取れず、まともに食事を取る気力も無くなるので、午後休が取れたのを機にこちらでヒーリングをお願いしました。

    先生の手が当たった所から暖かく、なんだかそれだけで泣きそうになり、改めて自分が一杯一杯だったのだと実感しました。

    目をつぶると頭の中のモヤが晴れていくように、明るくなるイメージが湧いてきました。

    終わった後も体はスッキリしているのに、気持ちは凄く落ち着いていて久しぶりに仕事の事を忘れられました。

    長男が生まれつき心臓疾患があり、4度の手術。人工弁で元気にはなりました。しかし、発育が遅いという事に悩まされています。私が、バツイチで前妻との間に女の子が2人います。また、前妻との間にも水子が1人いて供養はしていませんでした。

    生霊の恨みなのか水子の恨みなのか子供に災いが起きるのは避けたいです。

    私自身も先天性の病気を患っているので先祖から影響しているものもあるかと不安に感じています。

    そんな時に、インターネットでこちらのお寺を見つけました。

    初めは、本当に霊が祓えるのかとそもそも霊なんてついているのか半信半疑でしたが、ホームページにあった感想文を読んでそんなモヤモヤは解決されました。

    感想文には、多くの方が霊障に悩んでおりそれを祓っていました。

    早速申込、お寺にいって症状を話すとやはり霊が憑いていると言われました。

    最初に、部屋に案内されお経の入ったCDを聞きました。これで除霊できる人もいるそうです。ですが、私に憑いてる霊はそれだけでは祓ませんでした。

    こんで住職さんが直接お経を唱えてくれました。自分ではなにも感じなかったけれど住職さんが霊は祓えたというのでお祓いは終わりました。

    お祓いは、1時間ほどで終わりました。

    この度は、本当にありがとうございました。

    雑誌でこちらの滝行が紹介されていたのを見て、プライベートで色々あり鬱々としていた気分を新年度までにどうにか発散したかったので、思い切って申し込んでみました。

    一人で行く勇気はなかったので会社の同僚と供に挑戦しました。

    2月の檜原村は都心に比べてとっても寒くチラホラと雪が残っている中での滝行はとても辛く、水温も凍てつくようで痛かったです。終わった後は震えが止まらなかったです…(笑)

    しかし頭の中も体もスッキリしており、大げさですが自分が生まれ変わったような気持ちになりました。

    また東京とは思えない自然豊かな環境に身を置くことでリフレッシュでき、自分の悩みは長い人生の中でほんのちっぽけな事なのではないか?と考える事が出来ました。

    自分の凝り固まった固定観念をほぐすいいきっかけになりました。

    この度、この天光寺において修行を行い、普段では無い様な体験をしました。

    滝行において、自分の内にあった物により、意識をうしないかけ、その後の修行(当日分)を行うことが出来ませんでした。

    皆が三禮を行っていた時には、すわることが出来たので声を出して皆がガンバっているすがたを見ることしか出来ませんでした。

    その日は、皆とは別行動となり、また、皆様にごめいわく、ご心配をおかけしました。

    また、その他の修行においては、大きな声での挨拶や お寺だけに瞑想やお経を読み

    体験して良かったと思います。残念なことは写経が出来なかったことです。

    最近、字を書くことが少なくなり、筆による字を書くこともなかったので、

    ぜひ行ってみたかったです。何かの機会があれば、ぜひやってみたいと思います。

    この2日間の天光寺の修行において、無意識に行えることが出来ることが大切であることを習んだ様に思います。

    今、感じたことや、経験したことを 今からの人生に生かして生活していきたいと思いました。

    また、感謝の心を忘れない様にもしていきたいと思います。

    2日間と短い間での修行となりましたが、本当にありがとうございました。ご心配をおかけいたしました。

    僕は家では弟と喧嘩をしたり親の言う事を聞かなかったり、学校では先生の言うことに反発したりとたくさんの迷惑を掛けていました。そんなこともあって親に天光寺に連れてこられました。最初は嫌だったけれどだんだんと自分の中の何かが変わってきたように感じました。住職さんには色々な事を教えていただき、滝行や写経で自分を見直す機会を与えられました。今回のお寺での経験は僕を変えてくれたと思います。今後は弟とも喧嘩をせず、親や先生のいう事を聞いていきたいと思います。

    この一カ月の間に体の左側だけ不調が現れるようになりました。

    ものもらい、口内炎、関節痛、全て左側だけ痛むので、病院にも行きましたが解決せず、以前も肩こりが酷いときに天光寺さんで光輝療法をしてもらったので、今回もお願いしました。

    ご住職にヒーリングしてもらうと、滞ってた“気”が流れる感覚が分かります。

    あれからだんだんと不調も治まっていき、エネルギーバランスが整っている状態でいられています。

    また何かあった時がお願いしたいと思います。有難うございました。

    この度は除霊していただきありがとうございます。除霊前のことを思い出すといままでよく耐えられていたなと不思議に思います。私に憑りついていたモノの正体を聞いてみたところ、複数体の霊が憑りついていたとのことでした。どうやら私になにか深い怨念を抱いていたらしいです。私がこの症状に悩まされるようになったのはつい2,3年前からです。

    思い返してみると、4年ほど前に私が責任者の現場での事故で作業員が2名亡くなったという事故がありました。原因は、私にありました。十分な休息もなく炎天下の中作業させていました。ですが、私はその事実を隠蔽し自分の身を護りました。前にも言った通りそれから誰かもいないのに誰かに押されたり、なにもないところで転んだりと通常では考えられない出来事が起こっていったのです。怪我もしました。幸いそのけがは軽いもので大事には至りませんでした。その際に、医師にも説明しましたが神経の病気と疑われるのみでなにも解決しませんでした。あるとき、知り合いがその話を聞きこちらのお寺を紹介してもらいました。

    私は、早速申込翌週にはお寺を尋ねました。それほど早く治したかったのです。その頃は、自分のみが被害者だと思っていましたがそれは大きな間違いでした。

    お寺に入り、部屋に案内されました。そこで、音声の録音されたCDを聞きました。

    聞いていると自分の意志とは関係なしに体が動き始めました。

    そこで、私は気を失ってしまいました。行ったのは午前中だったのですが起きた時にはもう夕方になっていました。しばらくぼーっとしていると住職が来て気分はどうですか?と尋ねてきました。私は、今までの感じていた不快感のようなものを一切感じなくなっていました。それどころか体全身が活力で満たされていました。

    これからは、誠実に働いていくことを誓いました。ありがとうございました。

    私の人生の中では天光寺のようなところに来たことがありませんでした。すべてのことが初めてであり、たくさんのことが学べました。なんでも携帯やパソコンに任せてきた人生でした。楽で生きてきた私は24時間もインターネットからはなれて、新しい生活をしてました。すべてインターネットから離れて、新しい生活をしていました。すべて、インターネットに頼ることが正しいわけではないと思いました。私が生まれたころから体が弱いので天光寺での滝行や三禮がするのが大変でした。皆最後までやり切った所がえて自分が出来なかったことに少し反省し、負けたことからも学べることがたくさんあるということが考え直しました。未来が失敗することもあるだろうが今まで頑張って経験したものを失敗しても向上にして失敗したところから学んでいく事が大事であると理解しました。天光寺での3日間でたくさんのことがみんなと仲間にしてしよくじしたり片付けしたり、三禮したり色々の活動することで積極的な作業を出来ました。天光寺の研修で学んだ事が人生が全て楽でありません。辛い事もあります。辛い事にも頑張って乗り越えればいいことがある。この辛さが社会にあって諦めずに頑張る。それこそ、幸せになれる。誓いの言葉が学ぶことと学んだ事を行動してみることができました。余計な力を入れずに何事に取り組んでいきたいです。努力と知恵を使うことが何の作業であっても必ず結果を出すことができる。できないというところもやればできる新たなことに挑戦できると言葉が心に残っています。

    社会に出て学ぶべきことがたくさんでてきます。新たなことに挑戦しながら自分を幸福にしたい、自分の周り自分のチームや会社の皆を幸福にしたいそれで社会を幸福であるように努力をします。自分の中でなおしてみたいところがたくさん見つかりました。

    人間は言葉を発する前に頭で考えて言葉に気を付けると自分の思考を浄化に繋がるとことが理解できました。人を傷つける言葉、勇気を失くす言葉や、人を悲しみの言葉を言わないようにすることが大事であることも学びました。

    自分が変えるのは自分である。自分を変えるのに自分自身を愛して自分を知って理解し、判断して人とのかかわり方にも効率的に出来る。そして幸福になります。天光寺で学んだことの全てのことを今後とも活用しながら生きたいと思います。3日間ありがとうございました。

    沢山の事が学べたことに感謝しています。

    僕は学校には行っていません。

    学校に行くと一人になるから。でも、お母さんは学校に行かないとだめと言います。

    何で?と聞くと学校で大事なことを教えてくれると言います。僕はそんなことは無いと思います。

    僕は、お寺に来て1ヶ月が経ちました。お寺の方が学校よりも学ぶことが多いです。

    学校では、勉強を教えて貰えるけどお寺では生き方を教えて貰えます。

    僕は、こっちの方が好きです。

    仏様のお話はとても面白いです。でも、最近色々な事を学べば学ぶほど勉強の大切さ、学校に行くことの大切さが分かるようになりました。

    一人でも勉強をすることは出来ると思っていましたが、やっぱり学校に行った方が詳しい話を聞くことができると思いました。お寺での修行も楽しいけれど、学校も楽しそうな気がしました。でも、僕は学校に友達が居ません。それを何とかしたいです。

    試しに、1日だけ学校に行ってみることにしました。学校に行くとみんな話しかけてくれました。僕が長い間学校に行っていなかったからです。すぐに友だちが出来ました。修行のことを話すとみんな興味津々で聞いてくれました。お寺での日々はとても楽しかったです。ありがとうございました。

    この三日間で成長したことがあります。最初の一つは人の気持ちを思いやることが出来るようになったことです。ここへ来る前は嘘をついたり悪さをしたりしていました。でもこのお寺に来て人の気持ちを知ることが出来るようになりました。人の気持ちを考えて行動することが大切だと思うようになりました。このお寺に来て人の気持ちが考えられるようになりました。二つ目は勇気が成長したと思いました。なぜならこの寺に来て最初に滝行をしました。正直怖い気持ちはありました。でも将来そこで逃げたらさらに逃げることになると思いました。だから勇気をもって滝行を何とかしました。でも滝行に入るときは出たり入ったりしていました。でも三日目にまた滝行に行きました。一回目のように出たり入ったりはしたくなかったのでどうすれば出たり入ったりしないようになるか考えていました。そしたら勇気を持つという事だと思いました。一回目は声を出さずに出たり入ったりしていましたが三日目滝行をした時に勇気を出して声を出しながら入ったら一回で滝行に入れるようになりました。何故なら勇気もあったし失敗したからどう行動すればいいのかを考えたからです。そしてこの寺に来て色々な場面で成長したなと思いました。この寺に来て特に成長できたことを家に帰っても忘れない様にして生活していきたいです。

    少し前、友人とあるアーティストを応援している際、目立ってしまい後ろ姿が動画サイトにアップされました。それからというもの体調が段々と悪くなり、耳鳴りや不眠といった症状が出てきました。一緒に行った友人にも同じような症状が起きていてこれは良くないと思い友人と相談してインターネットで見つけた天光寺様にお祓いを頼むことにしました。

    住職様が言うには動画として広まったことで多くの人の目に触れ人の念のようなものが積み重なった結果だそうです。その後、友人とお祓いを受けさせていただきました。あれから体調は良くなり普段どおりの生活が送れています。ありがとうございました。

    肩こりからくる頭痛に悩まされ、整体に通っていましたがいまいち効果が無く、

    悩んでた頃に近所の人にヒーリングの話を聞き天光寺さんがヒットしたので予約しました。

     

    ご住職にヒーリングしてもらったところから今まで感じた事のないエネルギーが流れるのがわかりました。わたしの場合はつまっていた血液がスルスルと流れるようなイメージに近かったです。

    終わるとポカポカして体だけでなく心もフワッと暖かさに包まれるような感覚でした。

     

    悩みの種だった頭痛もすっかりよくなり、頭も肩もずいぶん軽くなりました。

    本日は有難うございました。

    適応障害で休職し、二週間後に復職します。

    復職に際し、不安はあります。

    ただ、このお寺にて、体験をさせていただいた今、不安はやわらいでいます。

    心身とも健康になった後、滝行に再度、訪れたいと思います。

    ありがとうございました。

    娘の素行不良に頭を悩ませ天光寺さんに相談しました。

     

    昔は学校でも家庭でもよく笑う子だったのですが、反抗期でしょうか、段々笑顔が少なくなり、こちらから話しかけると無視かぶっきらぼうな返事が多くなり、学校も遅刻や欠席が当たり前になり、しまいには無断外泊などするようになって、女の子ですし色々心配していたところに主人がこういう所があると天光寺さんを見つけてくれました。

    嫌がる娘を無理矢理連れて行く形となりましたが、一週間の修行を終え帰ってきた娘は、まだ以前のようにとは言い難いですが、今まで言わなかった「ただいま」「いってきます」「いただきます」など、当たり前ですが挨拶をするようになってくれました。

     

    私たち親の力だけではどうしようも無かった問題を、天光寺さんは良い方に向かうように手伝っていただけて、感謝の気持ちでいっぱいです。

    今回の研修を通して「目標に対して最後までやりきる大切さ」と、「積極的に取り組む大切さ」を学んだ。普段の業務とはかけ離れた環境の中で技術面ではないところの「人間力」に向き合う二日間だったと感じ、とても充実した二日間だった。

    「目標に対して最後までやりきることの大切さ」という事については、様々なプログラムにおいて果てしない目標設定がされているのだが、そのプログラム中に「辛い」や「苦しい」などといった感情が出てきていた。しかし、仲間と共に目標に向かっていく中で、自分自身との戦いのようではあったが、「みんな頑張っている」「自分だけリタイアするわけにいかない」という感情が湧き、目標を達成することが出来た。これは、業務の中でも活かせる部分は多くある。例えば、私は現在、人事部で、採用の仕事を任されている。特に新卒採用においては、採用目標人数が大きく、どうすれば達成出来るかを模索しながら業務をしているが、実際、ゴールというものがまだまだ先にある且つ、その道が見えないというのが大変な部分であると感じている。しかし、そのゴールに向かって一緒に進んでいる仲間もおり、「自分だけではない」「みんなで一緒に目標達成をする」というチームとして向かっていくことが大事だということを改めて感じた。なので、これからはチームの一員だということを再確認し、目標達成に向かって業務に励んでいきたい。

    次に「積極的に取り組むことの大切さ」だが、これについては、一日目の夜に見た法話の中で「人脈が役者と舞台を作る」という言葉にとても感銘を受け、自分の中で感じたことである。私は、採用だけでなく、新卒社員の教育も担当させていただいているが、今の新卒は、業務にいっぱいいっぱいになってしまい、自分から学びにいくことがあまりなく、基本的に受け身となってしまっていると感じる。今の状態では、役者も舞台も三流のままとなってしまう。そこをどう教育していこうかと考えていた中での昨日の法話でのこの言葉を聞き、人脈も役者も舞台も勝手に作られるものではなく、自分自身が作り上げるものなのだと感じた。なので、これからは、新卒社員が一流の役者として舞台に上がれるように、しっかりと学んだ事を伝えていきたい。また、私自身も一流の舞台にはまだまだ遠いと感じているので、これからはもっと積極的に発言、行動していき、一流の役者となって舞台に立ち、一流のお客様の前で活躍したい。この研修を通して学んだことを2つ抜粋して書いたが、すべてのプログラムにおいて多くの事を学び、成長出来た二日間だった。学んだことを活かし、業務にあたり、一流の人間になる。

    数カ月前から家の中で突然カタカタと音が鳴ったり、物の位置が変わったりするようになりました。それに加え、家の中でたまに黒い人影を見るようになり、それらのせいで常にイライラしており仕事や対人関係がどんどんうまくいかなくなり段々と体調も悪くなっていきました。そんな中友人が心配してくれて、話を聞いてもらったところ天光寺の存在を教えて貰いました。お寺に伺い、お祓いをしていただきました。するとずっと悩まされていた肩の痛みや頭痛がすっと無くなり体が軽くなるのを感じました。住職様からは心を強く持つ事が大切と言われ、そうしていれば家の中での現象も無くなると言われました。住職様の言うとおりに過ごしていたら本当に無くなり、今では仕事や人間関係も良くなってきており全て上手くいっています。この度は有難うございました。

    半日体験修行をさせていただきました。

    本当は滝行に挑戦したかったのですが、持病の為ドクターストップがかかってしまったので、こちらを申し込みました。

    半日修行では、 写経+瞑想、 密教座禅、 密教ヒーリング、 護摩焚きの中から一つ選べるとのことで、私は瞑想を選びました。

     

    写経は長い時間集中して同じことに取り組むということが無かったので、中々落ち着かなく、雑念ばかり考えていました。私の頭の中はこんなに雑念ばかりなんだなぁ…と自分で呆れてしまいました。

    いつか雑念を取り払い写経出来るようになるまで、これからも続けてみようと思いました。

     

    瞑想では自分の中の意識に気がつくことができるようになりました。

    写経と同じく何も考えずにっていうのはやはり難しかったですが、

    瞑想の最中に雑念が浮かんだ時に、「あ、今余計な事考えてる。」と気付き

    再度自分の呼吸に意識を集中させることができました。

     

    今回写経と瞑想の半日修行を体験して「今、目の前にある何かに集中する」

    ということに気付くことが出来ました。

    写経も瞑想も自宅で出来るのでこれを機に続け集中力アップを目指したいと思います。

    本日は有難うございました。

    現在、不登校の息子がいます。

    中学に上がってからどうやら学校に行っていないようです。

    私と旦那は仕事で忙しいので学校に行っている物だと思っていたのですが先生から連絡があり学校に来てないとのことでした。

    確かに最近見た目が派手になってきており、夜も家に居ないことが多いようでした。

    学校に行っていないと連絡があった日に息子に話したところ関係ないと言われました。

    私たちは、とてもショックでした。なんとか学校には行って欲しいと説得しましたが無理でした。

    途方に暮れていると親戚から不登校の生徒を預かっているお寺があると知りました。

    私たちは、そのお寺に預けてみることにしました。

    息子には、行き先を伝えずに車に乗せてお寺に着きました。

    ここで2週間ほど過ごすと知ったら怒るかなと思っていました。案の定着いたらとても期限が悪かったです。ですが、住職さんがなだめてくれました。預けている間はとても心配でした。迷惑を掛けていないかなど心配していました。1週間ほどしたら手紙が届きました。

    そこには、お寺での生活はなんだかんだ楽しいと書いてありました。それを読んだ時私はとても安心しました。家に帰ってきて、数日もすると学校に行くようになりました。どうやらお寺で仏教の事などに興味をもち学んでいたようです。

    この度は、本当に有難うございました。

    今回こちらのお寺には大変お世話になりました。

    息子は、中学を卒業して高校に進学ししばらくしたら学校に行かなくなり始めました。

    理由は、勉強について行けないそうです。

    元々、自分のレベルよりも大分上の高校に行くことになり勉強について行けるか不安でした。ですが、私としてはその高校に行ってほしかったので進学させましたが無理をさせていたようです。

    息子は昔から、インドアなタイプであまり外で遊ぶことがありませんでした。なので、読書をしたりして過ごしていました。

    そんなこともあり、しばらく自然と触れ合ったら息子の悩みが少しでも減ったらいいと思いインターネットで探してみました。

    そうしたら、こちらのお寺が出てきました。

    見てみると、不登校の子を預かって修行のようなものをさせてくれるそうなので預けることにしてみました。

    2週間ほど経ってから息子の様子を見に行ってみました。そこには、修行に一生懸命に取り組む姿が在りました。話を聞いてみると、とても熱心に修行に取り組んでいるそうで安心しました。

    それから、また2週間後修行が終わり息子と話してみると学校に行ってみるとのこと。

    お寺で仏教の事などを勉強してまた学校に行く気になったみたいで嬉しかったです。

    ありがとうございました。

    今回二泊三日のこの研修を受けてみて、自分の意識が少し変わったように感じます。研修が始まる前は、“普段できない事が体験できるし、大変だろうけど頑張ろう”くらいの気持ちでした。しかし、一日、二日と修行をしていく中で、何か一つ目標を決め、それを達成していく充実感と、仲間と協力し合い、時には応援し、されながら目的に向かうことの大切さを感じることができました。

    一日目の修行では、お寺での生活で分からないことも多く、時間がかかってしまうことも多くありました。そのため注意を受けた場面もありましたが、仲間との協力で次回以降の対応の仕方や、対策、改善もすることができたように思います。修業中の、お経を唱えたり写経をしたりは今まであまりしたことがなかったので、良い体験ができました。正座はこれからもう少し慣れていきたいかなと思いました。

    二日目、今回の修業のメインイベントでもある滝行、お百度参り、三禮はどれもわりとヘビーで正直とてもきつかったです。

    特に滝行と三禮が大変でした。滝行は心の準備をして行ったつもりでしたが、想像を越えて水が冷たかったです。しかし、そんな中でも“南無大師遍照金剛”と唱えると返してくれる仲間の声はとても励みになりました。滝行を終えた後に“おつかれ様”と声をかけてくれた人もいてとても嬉しかったです。自分以外の人が滝行をしている時も真剣に応援をしている姿は良い仲間と研修に来れたなと感じさせてもらいました。

    三禮は、一〇八回×三セット一人では絶対にできなかったと思います。最後の方は声を出すのもしんどいぐらいでした。そんな中、声を出して、“おん、さらば、たたぎゃた、はなまんな、のうきゃろみ”と唱え続けていた人や、途中で「頑張れ」とか「あと少し」と言った言葉をかけてくれた人もいて、とても力になりました。全員で協力し、目標を達成できて本当によかったです。

    三日目の今日、最終日となり、お寺での生活にもみんな大分慣れ、食事の準備や片付け、掃除など協力し合いとてもスムーズに進むようになりました。今回住職のお話の中で人との関わりや人脈についてのお話がありましたが、この仲間とのつながりは大切にしていきたいなと思いました。

    声に出して自分の耳に入れることで意識が変えられるということも今回実体験として感じることができました。

    これからの社会人としての生活はこの三日間の体験を支えにして誓いの言葉を意識しながらすごしていきたいです。

    三日間貴重な体験をさせて頂いてありがとうございました。

    今回の研修を通して、「忍耐力」や「やり切る力」がついたと感じています。部活をやめてからは、そのような気持ちになることがありませんでしたが研修をしたことによって再度自分の中にめばえさせることができたのでよかったです。研修をする前は「キツイキツイ」と言うけれどそこまでじゃないと考えていましたが進んでいくにつれキツクなっていきなめていたと感じました。

    一日目のお経をずっと唱えるのは、足が痛く立つたびにがくがくだったことを覚えています。お経を唱えていると法事などで聞くものに少し似ていると感じました。

    写経はやったことがあり、わりと好きなので辛くなかったですが、ひさびさにやってみると難しかったです。

    二日目での「お百度参り」は、体感では本来の数の半分くらいだったと感じました。なので、思っていた以上辛くはなかったです。お百度参りを考えひろめたような人は、今後でてこないような気がします。

    「滝行」では水がつめたく三分つかることができなかったのが一つ心残りです。でも、水から出ると身体が軽くなった気がしたので滝行をした意味がありました。また、経験することが出来たのはこれからの力になると考えています。

    そして、二日目で一番辛かったのが「三禮」でした。しゃがんで立つ動きがこんなにも体にふたんをかけていたと知りました。三回で一。

    私は、数回休んでしまったけれど、一回も休まずやり切った同期の人はすごいと感じます。

    「写仏」では、不動明王を写し、名前と内容を知り仏が多くいると改めて思いました。

    三日目の住職の「法話」では、これからの社会人人生に役立つことが多くありました。

    「人脈」やネガティブなことは言わず「ポジティブ」なことを言うなどこれからはマイナスなことは口に出さず生活していきます。

    研修を通じて学んだことを今後につなげていきます。

    私が霊の存在を感じがしたのは、3カ月前です。

    初めは、部屋の中で物音がするぐらいでした。

    その時は、私は霊だとは思いもせずに普通に過ごしていました。ですが、それから1週間もしないうちにまた同じ現象が起こりました。その時はさすがにおかしいと思ったのですが特に何もしませんでした。それから、毎晩うなされるようになりました。

    金縛りのようになってとても辛いです。日常生活に支障も出てきました。

    睡眠不足のせいでイライラして友人や旦那との喧嘩が増えました。

    この段階では、霊とは思っていなくて病院に行きました。

    ですが、病院に行っても解決しませんでした。

    インターネットで同じ様な症例に悩まされている人を見つけやっと霊だという事が分かりました。

    それから、その人は除霊という物をしてもらったらよくなったそうです。

    その人が行ったところに行こうと思ったのですが場所も遠く値段も高かったので近くにいいところはないのかと探した結果こちらのお寺が見つかりました。

    申込みをしてお寺を訪ねました。

    お祓いは、すぐに始まりました。30分もするとお祓いが終わったと伝えられました。

    私の身体には特に変化もなく本当に出来たのか不安でしたがその日から前のような現象は起こらなくなりました。

    ありがとうございました。

    私は昔から普段の生活の中でいきなり、他者の感情が自分の中に入ってきて調子が悪くなったり情緒不安定になったりしていました。長年、付き合いのある友人から霊の仕業ではといわれ、今回、天光寺様にお祓いをお願することにしました。

    自分がいままで体験してきたことや症状などを紙に記入し奥の部屋に案内されました。

    しばらくすると住職先生が入ってきてお祓いが開始しました。

    霊視の際には少し体が震えるくらいでしたが、住職先生がお経を唱えだして、すぐに自分の中にいる何かを感じました。そして、だんだんと息苦しくなってきました。どのくらいたったのか分からないほど時間が長く感じられました。すると、急にスッととても楽になりました。

    その時は、自分でもなにが起こったのか理解できていませんでした。その後、話をきいてみるとどうやら自分は霊を呼びやすい体質のようで多くの霊が憑りついていたと話をききゾッとしました。あれから、今までの様な症状が出る様な事はなくなり毎日が楽しく過ごしています。ありがとうございました。

    今回の体験修行で特に自分が一番好きだったことは、写仏です。

    仏様にも様々な形があり、つけているアクセサリーなどに注目して、写仏をしていました。

    1日目の滝行では、初めて滝行を行ってみてとてもビックリしました。15秒くらいしか入れなかったけどとてもスッキリする感覚を感じました。3日目には2回目の滝行を行いました。2回目でようやく約1分入っていることができました。

    1日目の夜に見た、先生が1時間半ほど話しているビデオでは、沢山のことを学びました。

    1番印象に残っている言葉は、人脈は舞台と役者を作るという言葉です。他にも「空海」についての話などが面白かったです。学びになりました。朝起きる時間や夜寝る時間などいつもとは違いました。ここで、毎朝掃除をしたり、様々な手伝いをしたので、家で出来ることは家でやろうと思います。

    仏様の種類など普段では見ることも聞くことも出来ない新しい事を知りました。

    写経は合計で3枚やりました。1枚目と2枚目は写して書いたが3枚目はお手本を横にして書きました。写すときよりもっと難しくなりました。縦に上手く入らなかったり文字の大きさのバランスが難しかったです。写経も知らなかった単語です。いつもは知らなかった知識が新たに加わりました。

    ご飯を食べる前に言う食前の言葉では、より食べ物に感謝の気持ちを持つ事が出来ました。

    朝と夜に仏様に挨拶するなどは家では出来ないことだけど今回行ったことを忘れずにしようと思いました。掃除をした後に掃除機のフィルターをブラシで掃除した事や自分の使った皿を自分で片付けるなどは家でも出来るのでやろうと思いました。

    夜本堂で次の日に来る、お客さんのファイルや行差を準備している時に自分の生活は裏で他の人に支えられて出来ているのだとよくわかりました。今回学んだ事を今後の生活に役立てようと思いました。

    私はお寺の研修を行く前からどういう雰囲気になるのかなと考えていました。私の国にもお寺での研修みたいなことはあって高校生が終わった時に一回入る経験があって日本のお寺の修行も出来ると思いました。天光寺について三日間頑張りますと決めました。人生には色々な事について悩みとか苦労とかあって私にもいつか絶対にある。こういうふうになった時に自分を変える為心を変える為行きました。

    研修の中から目を閉じて息をする方法を最初は難しかった。頑張ってやってみると色々な事を考えないで息だけをすることが出来ました。その時自分の心も休みになった。漢字をしました。今からも仕事についても人生関係についても色々苦労したこととか辛いこととかあったらそういうふうにやって心をきれいにしてストレスを無くなるようにやりたいと思いました。二日目の三禮324回やるときにも最初は順々にできると回数は大きくなる時に体は痛くて動けないようになってしまったり座ったりすることも大変になりました。324回出来ましたが最後までやりたい気持ちがあって苦労したけど頑張ってやりました。

    これからもどんな苦労することがあっても三禮をやるように諦めないで最後まで頑張っていきたいです。滝行するときも他の人がやっているのを見て私ができるか不安に感じました。寒くて自分には無理かなと思った。実際にやってみるときは出来るか出来ないかを考えないでやりますと決めていたので寒いけど滝行を出来ました。私は滝行じゃなくて他のことについてもまず考えたのは出来るか出来ないかでなかなか決められなかった。

    いまから滝行を頑張った気持ちで自分の事とか分かりたいと感じました。お寺の三日間の研修で色々学ぶことが出来ました。ありがとうございました。

     

    ここ最近舌がピリピリする感覚があり味覚が少し鈍くなったような気がしていたのですが、日々のストレスや疲れのせいかと思っていました。

    友人の付き添いでこちらに滝行をしに来た時にご住職に呼ばれて霊が憑いてると言われ、早く除霊をした方がいいと言われましたが仕事やプライベートなど何かと忙しく、そんな事を言われていたのをすっかり忘れていました。

    ある日からまったく味がしなくなり、ご住職の言葉を思い出し慌てて天光寺さんに連絡しました。

    すぐ来なかった事をご住職には叱れてしまいましたが、私を心配して言ってくれたのだと伝わりました。

    お経をあげてもらい、私に憑いていたのは動物霊だと説明をうけました。

    今まで霊障というのは物音や人の気配などいわゆるポルターガイストなどというものしか想像してませんでしたが、体にも影響があるなど思いもみてませんでした。

    友人と滝行に来てご住職に指摘されていなければきっと私は自分が霊に憑りつかれているなんで考えてもみなかったと思います。

    偶然が重なり解決できましたが、このようなご縁を大切にしたいと思います。

    住職先生や天光寺の皆様に大変感謝しております。

    ありがとうございました。

     

    中学2年生になった頃からだんだんと無気力になり、家ではゲームをやったり漫画を読んだり元気に過ごせていますが、いじめられている訳でもないのになんとなく学校に通うのが嫌になり、親が仕事に行った後こっそり家に戻り休んでいました。

    それが親にバレて凄く叱られました。なんで行きたくないの?と聞かれても

    自分でも理由が分からないので解決しようがなく、行ったり行かなかったりの日がまだ続いていました。

    ある日仲良くしている従姉のお姉ちゃんに「滝行に行きたいから一緒に行ってくれない?」と誘われて天光寺にきました。

    最初は疲れるし、寒いし、嫌だな…と思っていたけど、滝から出た時に物凄くスッキリして頭の中がパーッと明るくなる感じがしました。

    お寺に来ていた人は色んな年齢や事情の人がいて、住職さんの話も勉強になりました。

    これで学校に行く気力が湧くかは分からないけど、きっかけになるといいなと思います。

    今回12月31日~1月1日にかけて、滝行をはじめ修行体験をさせていただきました。年越しということもありましたが、何かといろんなことをしていると時間もあっという間に過ぎ、気付けば年も変わってしまいました。はっきりとした目的で今回は修行体験を申し込んだ訳ではありませんでしたが、充実した年越しを過ごせました。

    滝行では、一度秋の終わりに体験していましたが、水のつめたさが全然違い、打たれている間、「どのくらい経ったのか」「後どのくらい?」と思ってしまいました。終わってみて、「よくあのつめたい水に入れた」と思い、自分の中には何か踏み切れるものがあるんだと感じました。ただ、その踏み切る思い切りの部分がうまく普段の日常で活かせないのが新たな迷いであり、自分と向き合いたいところです。

    そして、今回自分なりの予想外に感じたことは、護守木でした。護守木に願いを書く際に、何にするか考えましたが、自分の中に明確な願望がないように感じました。周りを見て、うらやんだりしても『自分はこうなりたい、こうしたい』がはっきりしていないので、そういうところはもう少し欲をもって明確にするよう意識していきたいと思いました。

    今回は従来の修行体験だけではなく、貴重な年越し行事も体験(同席?)させていただき、一泊二日で大変お世話になり、ありがとうございました。

    私は今まですべてにおいて八割やれば満足する性格でした。周りと比較して「何となくそれっぽい」行動をして、平均よりは上かなと思うところで、自分が苦しいと思う前にやめるというような人間だったと思います。しかし、今回この天光寺の新人研修に参加したことで、このような性格からガラリと変わった気がします。そのきっかけとなったのが滝行と三禮でした。

    まず滝行について、最初に滝行をすると聞いたとき、嫌だなという気持ちと不安な気持ちが九割、好奇心が一割というような感情でした。実際に滝に着き、自分よりも前の人が本当に苦しそうに滝行しているのを見ると不安な気持ちは更に大きくなりました。自分に最後までできるのだろうか、という気持ちに押しつぶされそうでした。いざ、自分の番になって足を水に入れると、想像以上の冷たさに、いよいよ無理だと思いました。

    どんどん深い部分に入っていき、寒さが限界まで達したところでふと負けたくないという感情が沸いてきました。

    自分の中でこのような気持ちを持ったことはなかったので驚きましたが、この感情のおかげで最後まで続けられました。新しい自分の発見でした。

    次に三禮について、結果から言うと、私は最後までやりきることはできませんでした。それまですべての修行をやってきたため三禮だけすべてをやりきれなかったことに、少しの悔しさはありましたが、不思議と達成感がありました。その理由を考えてみると、自分の体力が尽きる限り精一杯やったと正々堂々と言えるからだと思います。

    三禮の最中は本当に辛くて何度も心が折れそうになりましたが、精神的に負けてやめるのだけは絶対にやめようと心に決め、体力が限界をむかえるまで続けました。

    今まで自分が苦しさを感じる手前の八割くらいであきらめ、満足してきた私にとって、精一杯やることがどれだけ素晴らしく、自分にとってプラスになるのかを、気付くきっかけになりました。

    この二つから学んだことをまとめると、滝行からは自分の中の負けず嫌いな感情と、限界を越えることで見えてくる景色、

    そして三禮からは精一杯やることの大切さを学びました。

    これらのことは人として生活していく上ではもちろん大事なことですが、社会人としてこれから歩んでいく上でも大変役立つ学びであったと思います。

    これから何があってもそこから逃げずに、負けたくないという気持ちで精一杯取り組み、その先にある景色を楽しみにしながら仕事をまっとうできそうだと今は感じています。

    また、今回の二泊三日の研修をやりきったということは、自分にとってものすごく自信になりました。

    今まで何事にも全力で取り組まず、何かあると環境を言い訳にし、そんな自分に引け目を感じて全く自信を持つことができませんでした。しかし全力で取り組むことができたこの研修が一つの自信になり、自分のことを、少し好きになれた気がします。

    これからも自分の一つ一つの行動を意識し、さらに自信が持てるよう精一杯頑張っていきます。三日間ありがとうございました

    5年前に新築住宅戸建てに引っ越してきました。しばらくして、隣宅の奥様が、お亡くなり、我が家も長女が摂食障害を発症し、現在も苦しんでいます。そして、長男も越してから、小学校で担任トラブルになり、登校をしぶり苦しんだ一年でした。

    その後、少し落ち着き安定しましたが、1年前に友人とのトラブルから、いじめへと発展し人間不信、不登校気味、精神不安定が長く続き、現在もゲーム依存から抜けられず大変な日々です。また、ケガが絶えず治ったら次に怪我の繰り返しで自信を持ち続けていたサッカーが出来ない状況が続いています。長男が姉への憎悪間が増し接触を拒否し耳をふさぐ等、日々の暮らしも困難になっています。とにかく、不運続き家族間の平和がない状態です。

    私も鬱っぽくて寝たら様々な音が聞こえて眠れないです。

    こんなことを、日々悩んで仕事にも集中できませんでした。そのことを心配して、会社の同僚が除霊に行ってみては?と提案してくれました。どうやら、同僚の親戚が不幸なことがあまりにも続くのでおかしいと思っていたところ霊が憑いている事が分かり、除霊することで改善されたという話を聞いて、さっそくネットで調べてみました。

    そこで、こちらのお寺のホームページを拝見し予約をしました。

    予約した時は、半信半疑でしたがホームページになる感想文を読んでいるとここに任せてみようと思いました。

    そして、当日がやってきました。お寺で受付を済ませると除霊が始まりました。

    1時間ほどで終わりました。話を聞くと、やはり霊が憑いていたそうです。

    幸いにも、私たちに恨みがあるわけはなくたまたまついただけと仰っていました。

    その日から、徐々に改善して今では普通の生活を送れています。ありがとうございました。

    人生史上三回目となる天光寺の企業研修を受けて感じた事勉強になった事が幾つもありました。中でも印象に残っている事は滝行です。これが特に印象に残ったのには大きな理由があります。滝行では今まで一番長い時間は入れた事です。入った時には「苦しくてもう出たい」そう思っていました。しかし一緒に参加した同期や先輩たちの応援で「応援に答えなきゃ、苦しむより楽しむんだ」と自分に言い聞かせることが出来ました。終わった後には達成感と仲間の中で団結力が高まりました。初めて会う交配や数回しか会ったことの無い子たちでどう接したらいいのか分からなかったのも吹っ飛び滝行を一緒に頑張ったのと同じように仕事も助け合いを大事に頑張りたいと思いました。

    今回の研修を経て課題も二つ見つけることが出来ました。一つは「人に行動させることの難しさ」です。人は指示をすればそれに従って行動することが出来ますがそれだけでは成長がありません。大事なのは考えた上での行動なので他人に考えさせるところから始めました。しかし自分の中でどのようにすれば考えてもらえるかが上手く出来ませんでした。何が正しいのかなど余計なことを考えてしまった結果です。研修が終わった後も余計なことは考えず相手にとって必要だと思ったことは全て与えます。

    二つ目の課題は自分らしくいる事です。研修に来る前は同期への嫉妬があり研修中も後輩たちにマメに連絡を取ったりしている同期に対して焦りや後悔ばかり感じ自分に自信を無くしてしまいました。三日間の研修を終えて思う事は自分への積極性が足りないという事が根本だと分かりました。誰かの真似をしようとして二番手以降になっていたのが正直なところです。また誰かがやったことしかしてないので達成感を感じないのも当たり前だと思いました。なので私は今日もう今から自分らしく誰もやらないことをやります。

    そして今回一緒に参加したメンバー以外で前回一緒に参加したけどこの研修で得られたことで忘れてしまって良そうなことが在れば後輩に教えていこうと思います。自分自身を奮い立たせ、これからは言ってくる新人に受け継いでいき今いる会社をもっと大きくして行けるよう一日一日を大切にします。

    二泊三日という短い期間で様々なプログラムを受けさせていただきましたが、それでも得意不得意があり人生でも同じように今出来ること出来ないことがあるので自分を含め、同期、後輩には一つでも多く出来ることが増えるよう全員の力を合わせなければと感じました。感じただけでは意味がないのでこうどうにうつすところまで協力し合います。今回さん度目の参加という機会を与えて下さった会社、三日間検収のお世話をして下さった天光寺の皆様有難うございました。

    去年、就職の為に東京に引っ越してきて少しでも安く済むようにとなぜかとても家賃が安かった部屋を借りることにしました。住み始めた当初は特に何も違和感もなく過ごせていたのですが一カ月を過ぎたころ辺りから原因不明の体調不良、幻聴、幻覚などに悩まされるようになりました。部屋が悪いのだと思い、引っ越したのですがこの症状が治ることはなく、途方に暮れていました。普段から私は霊という物を信じてはいないのですがなぜかこの時は確実に憑かれているなという確信があり、インターネットで天光寺の存在を知り、除霊をお願することにしました。住職様が言うには前の家で憑かれそれをそのまま新居に連れてきてしまっていたようです。お祓いをしていただいた今は体調も良くなり、幻聴、幻覚の類も完全になくなりました。この度はありがとうございました。

    五年生の途中から学校に行けなくなりました。

    原因はいじめです。最初はお母さんに言えず学校に行くふりをしてました。

    でも先生から「来てない。」と連絡がありお母さんにバレました。

    私は自分がいじめられてるなんて言うとみじめに思えて中々言えませんでした。

    お母さんは、どうしたらまた学校に行けるか一緒に悩んでくれました。

    そこでここのお寺を見つけて「修業に行ってみよう。」と言われました。

     

    修行は同じ年ぐらいの子もいて少しホッとしました。

    掃除や洗濯など、普段お母さんがしてくれることも自分達でしました。

    毎日同じ時間に起きて決められたことをするのは、なんだか学校生活と似てるなぁと思いました。

    でも修行の方が全然厳しかったです。滝行は寒くて辛いし、お百度参りは足がパンパンになってすごく疲れました。

     

    先生に「諸行無常」、変わらないものは無いんだよ。

    人生には苦しい時や悩む時が必ずあるけど、ずっとは続かないから諦めずにそんな時こそ努力する勇気を持つんだよ。と言ってもらいました。

    その言葉を聞いたときに、いじめもずっとは続かないのかな。私も負けずに立ち向かえるかな。と少し勇気が出ました。

    僕は、病気で入学してから学校に行っていませんでした。

    病気が治った後に学校に行ったら勉強にまったくついていけませんでした。

    それどころか、クラスにもなじめずに前に仲良かった友達は別なクラスになったので友達もいませんでした。

    それから僕は学校にだんだん行かなくなっていきました。

    学年が上がったら友達もでき少し学校が楽しくなってきました。

    ですが、勉強について行けず学校に行ってもほとんどの時間を保健室で過ごしていました。

    そしたら両親に、修行に行って来いと言われました。僕は、修行のイメージはとても辛いものなのでとても嫌でした。

    ですが、お父さんとお母さんが言うにはそんなに辛いものじゃないし楽しいよと言っていました。

    僕は、この機にすぐ諦めてしまう性格を直してみようと思い修行に行くことを決意しました。

    初めは、朝早く起きたりご飯の用意をしたり初めてやることばかりだったのでとても辛かったのですが1週間たってからだんだんと慣れていきました。

    そして、3週間が経って修行が終わりました。修行中は、滝行や写経と言った修行らしいこともしました。そこで、忍耐力や挑戦する力を身に付けました。

    休みが終わり学校に行く日が来ました。修業のおかげか学校生活で感じる苦痛は何でもありませんでした。今では、友達もたくさんでき勉強もついていけるようになりました。

    有難うございました。

    今年も新年のお祓い、護摩祈願は天光寺で行いました。

    昨年は、護摩祈願と娘の除霊をしました。

    娘が仕事を辞め何もせず部屋からも出なくなりお友達に会う事もなく何ヶ月も過ごして本当に心配していました。

    除霊後の様子は、人付き合いもするようになってみるみる明るくなりました。

    新しい仕事も決まり今は毎日いきいきと過ごしています。

    娘は辛かった時期の事はあまり話したがりませんが、天光寺の事は本当に信頼しているようで、今年も護摩祈願の後にお守りをたくさん買って帰っていました。

    天光寺の皆様今年も忙しくお勤めされると思いますがどうかお体壊さずご自愛ください。

    今年もよろしくお願いします。

    息子が免許を取り車を購入して早々自損事故をお越し、幸い怪我はしてないのですが、車両安全祈願をしていなかったな、と思い急いで天光寺さんに予約をとりました。

    祈願札も見える所に祀りましたので、いっそう気を引き締めて運転に気を付けてもらいたいと思います。

    天光寺さんでは家族全員厄年の厄除けや、大きな節目の時にはいつも祈願をお願いしていますが、毎回真心こめて祈祷してくれるので、これからもお願いしたいと思っております。

    今回息子が起こした事故も本人に大きな怪我がなく、巻き込まれた被害者がいなかったのは、普段からこちらで厄払いをしているから、これぐらいで済んだのだ、と思っております。

    いつも有難うございます。

    私は、3カ月ほど学校に行っていません。理由は、学校が嫌いだからです。

    特にいじめられているとかではないのですが友人と喧嘩をしてしまってそこからだんだん会うのが気まずくなってきて遂には学校に行くのが憂鬱になってしまいました。

    向こうは別になんにも思っていないようなので自分の考え過ぎだと言うのは分かるのですがどうしても行くことが出来ません。

    ある日、親がちょっとの間お寺で過ごさないか?と言ってきたので正直学校にも行ってなく暇だった私は面白そうだなと思っていく事にしました。

    お寺では、朝早く起き掃除をして朝食の準備をします。今まで、規則的な生活を送ってきていなかったので非常に辛かったです。でも、だんだんと慣れてきて体が勝手に起きてしまうようになりました。

    修行があることは知らなかったので最初はとても嫌でしたが慣れれば楽しいものでした。

    1ヶ月もお寺で過ごしていると、だんだんと学校に行きたくなってきました。

    そして、学校に行くことにしました。

    思っていたよりもみんな歓迎してくれました。

    気まずくなっていた人ともなにもありませんでした。今では、毎日楽しく学校生活を送っています。

    ありがとうございました。

    僕は、今学校に行っていません。現在高校2年生なのですが、2年生なったはじめから学校に行っていません。2年生になってクラスが変わり、今まで仲の良かった友達とも離れ知らない人ばかりのクラスになってしまいました。僕は、人見知りなので全然友達は出来ませんでした。人見知りなのに寂しがり屋なので一人でいる事がとても苦手です。何をしていても楽しくなくなっていきました。そんな、僕が居場所を見つけたのは、ゲームの中でした。

    ゲームの中ではたくさんの仲間がいてとても楽しかったです。

    生活習慣はどんどんおかしくなっていき身も心もぼろぼろでした。

    両親との会話も少なくなり自分の部屋にいる時間が増えていきました。

    ある日、栄養失調で病院に入院にすることになりました。

    その時に両親と話し、お寺に行くことにしました。

    お寺では、自分以外にも数人子供が居てみんな何か問題を抱えていました。

    ここで、僕は集団生活において大事なことを学びました。

    それから、1週間して僕は学校に行きたいと思うようになりました。

    そして、学校に行くとはじめは友達が出来なかったけれど住職先生やお寺の人達に教えて貰ったことを思い出して無事友達が出来ました。

    今では、毎日とても楽しいです。

    私が霊障を感じ始めたのは先月ぐらいでした。

    これまでも、おそらく何か起こっていたのですが私は気づいていなかっただけだと思います。

    昔から、何もない所で転ぶので危なっかしいと親に言われていました。今考えるとそれも霊の仕業だったのかもしれません。

    私が霊障を感じたきっかけは金縛りです。

    夜寝ていると、ふと目が覚めて体が動かない状態で15分程経つと動けるようになります。

    正直日常生活には支障をきたさないのですが、この度結婚することになり夫やこれから生まれてくる子どもに何かあっても嫌なので除霊をしてもらう事にしました。

    まずは、本当に霊が憑いているか確認するために霊視をしてもらう事にしました。

    家の近くに霊視を出来る方がいるとの事なので見てもらったところ霊は憑いているがしばらくしたらいなくなると言われましたが不安でした。

    そこで、インターネットで探すことにしました。そしてこちらの、お寺を見つけました。

    ホームページに感想文等も載っていて安心して申し込めました。

    当日、お寺に行きすぐに除霊をはじめていただきました。

    除霊をしてもらったからなのかわかりませんがその日から金縛りがなくなるのはもちろんぐっすり眠れるようになりました。ありがとうございました。

     

    旅行先のホテルで心霊現象のようなものに遭い、帰ってきてからもどこか不安でこのことが気がかりになっていたので、こちらに問い合わせてみたら、一度直接お話を聞いていただけるとのことで、すぐ予約をとりました。

    親身になっていただき、安心してお任せすることができました。

    憑りついているわけではないが、寄せやすくなっているとのことで厄払いもかねて、お祓いをしていただきました。

    有難うございました!

    半日という短い時間でしたが普段疎かにしがちなことを改めて認識させられました。

    今回私が申し込んだのは、半日体験修行で流れとしては写経または写沸をして、次に写経プラス4つぐらいの中から選べる内容でした。

    12時30分に集合して13時には修行開始です。私は、写仏を選びました。

    写仏とは、仏様の姿を書き写すものです。心静かに筆を運び、自分自身と向き合うことで心を浄化できるものだそうです。

    一見難しそうに見えましたがなぞるだけだったので思っていたよりも簡単でした。ですが、やはり普段慣れていない筆で書くのでとても集中力を使いました。終わった後の疲労感は凄かったです。

    次に4つほどのコースから選べるのですが、私は瞑想を選びました。

    瞑想は、ゆったりと座り、深呼吸し、頭を下げながら息を吐くことを5回以上繰り返したあとに軽く目を閉じて姿勢を正し、10分程同じ姿勢でいると鼓動の音が聞こえてくるのでそれに、耳を澄まし意識を研ぎ澄ますと全身がリラックスし気のエネルギーが広がっていくのを感じるものだそうです。私は、瞑想というものを初めて体験するのでよくわからなかったのですがなんだかリラックスできているような感じがしました。

    これなら家でもできそうなのでとてもいい体験だったと思いました。

    半日なのであっという間に時間が過ぎていきとても充実した時間が過ごせましたが少し名残惜しい気持ちにもなりました。また、滝行などもやっているそうなのでまた機会があれば滝行を受けに来たいと思います。

    今回の修業で心がとても休まりました。最近は少ない休みで働いていたので身心共に疲れ切っていたので良いリフレッシュになりました。

    短い時間でしたがありがとうございました。

    平成のうちに結婚するぞ!と意気込み20代後半は婚活に精を出していましたが、いいところまでいくも中々成婚には結びつかず平成も終わり令和に入ると共に三十代に突入し、一度婚活を中止しこれまでの自分と向き合い振り返る為に写経をしてみようと思い、色々探し天光寺さんのHPを見つけ、応募してみました。

    当日は電車とバスを乗り継ぎ緑が沢山ある綺麗な場所に天光寺さんがありました。必要なものは全て天光寺さんで用意してくれているので身軽に行くことが出来ました。

    まずは道場内を綺麗に掃除をし、お線香、灯明を灯し、手を洗い、口をすすぎ、着衣を整えます。

    写経の為に使う墨も自分で磨るのですが、墨を磨っていると自然と心が落ち着いていきました。学生時代の習字では自分で墨を磨ることなんて無かったので、新鮮な気持ちでした。

    手を合わせ「般若心経」を唱えてからいよいよ写経の始まりです。

    最初は使い慣れていない筆や墨の量が思うように調節できず字が太くなったりかすれたりしてしまいました。

    また、正座を同じ姿勢を長時間続けるのは最初はきついと感じましたが、お経を一文字、一文字丁寧に書いているうちに無の境地に達し、落ち着いた心で自分と向き合う事が出来ました。

    鉛筆と違い筆と墨で書くものは間違えても消すことが出来ず、まるで人生のようだなぁと書きながら考えていました。

    写経をしているとすごく冷静になれ、今まで違った視点で物事を考えることが出来るので、悩んでいる事の解決策が見つかる気がしました。

    僕が学校に行かなくなったのはクラスに馴染めなくなったからです。4年生になった時のクラス替えで新しいクラスになり担任の先生も苦手で授業もつまらないし、学校も面白くないし、学校に行く振りをして外をぶらぶらしていました。しかし学校から電話が来て先生にも親にも怒られました。そのまま何ヶ月か学校に行ったり行かなかったりしていたら親にお寺に修業に行かないかと言われました。

    行く必要は無いと思ったのですが学校に行くよりかはましだと思い行くことにしました。

    お寺での修行は正直とても辛かったです。自分の身の周りの事はほとんど自分でしなくては行けなくてお母さんが毎日頑張っていてくれていたことを知りました。

    お寺では早く帰りたいと思っていたけど最終日は帰るのが少し寂しくなりました。お寺で修行をして僕には根性が付いたと思います。家に帰ったら根性を出して学校に行ってみようと思います。

    最初は朝起きれなくて休んだことがきっかけだったと思います。

    一度休むと次の日なんとなく学校に行きづらくなって気付けば登校した日より休んだり遅刻した日の方が多くなっていました。

    親も仕事でいない事が多く、口うるさく言われなかったこともズル休みを助長させていきました。

     

    本を読むこととお婆ちゃんの事は好きだったので、夏休みに入ると何冊か持ってお婆ちゃんの家に行くのが恒例になってました。お婆ちゃんの家は天光寺さんの近くにあって、

    「体験修行をやってみたいからお婆ちゃんに付き合ってくれない?」と言われました。

    けれど本当は高校に行ってない私を心配して、何かきっかけが見つければと私のことを考えて言ってくれているんだな、と思ったので今回参加しました。

     

    参加している人の中には同じ年頃の子や、小学生や、一人で何泊もしてる人もいて、驚きました。

    中学生の頃は体育会系で運動が好きだった私は修行時代はそんなに辛いものではありませんでした。

    目の前の課題をこなすことよりも、これを何故するのか、という意味を自分で考えるのが大事なんだと気付きました。

     

    なんとなく良い、なんとなく嫌だ、で生きてきた私には新しい「気づき」でした。

     

    なんとなく行きたくない、と思っていた学校を何で行きたくないのか考え、どうしたら行きたくなるのか、なんで大人は高校はちゃんと卒業した方がいい、と言うのか自分で考えこれからのことに向き合おうと思います。

    この度は本当に有難うございました。

    私の妹は霊感が強く昔から私に霊が憑いていると妹に言われてきましたが自分自身はまったく霊感が無いのでずっと嘘だと思っていました。

    実際に、30年近く普通に暮らしてきました。ところが最近夜寝ていると物音がして誰かいるのかと思ったら誰も居なくさらに、突然電気が付くなど心霊現象が起きています。

    そのせいで、夜眠ることが出来なくなり日常生活に支障をきたすようになりました。

    もしかしたら何かの病気なのかもしれないと思って病院に行ってみましたが特に異常はありませんでした。

    先日も運転中に眠気が来てこのままだといつか事故を起こしそうで怖いです。

    なので、霊媒師の様な方にみていただき祓ってもらったのですが効果が無く途方にくれていたのですがインターネットでこちらのお寺を見つけました。

    ここなら祓えるかもと思って申し込みし早速向かいました。

    お祓いがおわりいつものように過ごしていましたが特に心霊現象はおきませんでした。

    今ではとても健康的な生活を送れています。ありがとうございます。

    夜になり眠りにつくときに何かずるずる這い回る音が聞こえ、ふと目を開けると私を覗き込む何かが見えました。

    男なのか女なのか人なのかすら分からずただただ怖くて、ぎゅっと目をつむりやり過ごすと気付くと朝だったという事が何度もあり、眠るのが怖くて不眠気味になり、精神的にも体力的にも限界が来ており天光寺さんに相談することにしました。

     

    到着し祭壇のある部屋に案内されると、ご住職がやってきました。

    細かくヒアリングをしていただき、簡単に家系図など説明しました。

    お祓いが始まるとロウソクの火がゆらっと激しく揺れたのが見え、そこから意識が曖昧になり、ご住職に声をかけられハッとしたら、もうお祓いは終わってました。

    強力な霊だったこともあり一回では祓いきれない為、あともう一回祓う必要があるが、体の疲労が凄く後日またお伺いすることになりました。

     

    早く安眠できる日がくるようにと、天光寺さんが尽力してくれるので心強いです。

    ありがとうございます。

    今回、私は研修の一環として、ここ「天光寺」を訪れました。
    まず、挨拶の作法について教わりました。大きな声を出すこと、相手より深々と長い時間礼をすることにより敬意を表すことができるなど今までよりもプラスアルファの部分が多かったように感じました。
    昼食の準備や後片付けも私たち自身で行うことだったので、チームワークや、どのようにしたら効率良く終わるのかを考えながら動きました。
    お互いに声を掛け合えたりすることが出来ていたので、非常に気分の良いものでした。
    「お百度参り」は、足の皮が少しめくれたり、息が上がるくらいまでやったので、大変でした。お寺の方の「がむしゃらに出来ない人はどこに行っても出来ない」という言葉が心にささり、懸命に走りました。とても清々しい気持ちになれました。
    続いて、「滝行」を行わさせていただきました。「お百度参り」での傷が痛かったこと、想像していたよりも過酷だったこと、終わった後の気持ちの良さは忘れられないと思います。
    邪気や邪念を払うことと、自分から出てくる負の感情をストレートに感じることという2つの目的は叶ったように思います。
    「三禮」は最後の方に自分が今どのような動きをしているか忘れてしまうくらいに没頭してやりました。周りに負けないように頑張るといったこと、周りと励まし合いながら頑張るといったことが出来たため、自分に足りない2つのことを気付くきっかけになりました。
    「写経」は自分の書く事の遅さに気付くことができました。
    つまり、自分のこだわりが強いためにマイペースになってしまったということです。
    周りを見て、「今何を一番に優先すべきか」を考える癖をつけようと思います。
    二日目は朝の掃除から始まりました。
    ここでも、お互いを助け合う姿が見受けられました。
    「瞑想」と「光明真言」はどちらも楽なものだと思い込んでいましたが、意外とハードでした。しかし、自分の無意識がどのようなものか少しだけ、分かった気がします。
    最後の「法話」では
    1、人脈
    2、舞台と役者
    3、諦めない心
    が大事であるということを教えていただけました。
    個性を大事にすること、仕事をする場と自分をどのように見せるか、を考えさせられました。
    「天光寺」で教わったことを教わったままにするのではなく、明日からの自分に活かせるよう、先を見て仕事をしていこうと思います。
    2日間、本当にありがとうございました。

    私は 10 数年来冷え性で、夏でもセーターを着なくてはいられない状態でした。
    病院で治療を受けていましたが、一向に良くなりません。
    いつも行く処方箋薬局で天光寺さんの事を聞き、紹介してもらいました。数日後天光寺に主人と伺いました。入り口に入るなり倒れてしまいました。すぐに除霊が始まりました。体がぶるぶる小刻みに震え始まりました。1時間後に除霊は終了しました。まだ頭がボートしているので、ヒーリングをしてもらい。しばらくして、ヒーリングが終了後、不思議に体が軽くなり、冷え性が消えていました。
    ヒーリング中、体の中がぽかぽかしてきて、本当に気持ちがよく、いつの間にか眠ってしまいました。その日は家に帰ってからも、体がぽかぽかとしていました。
    その後、ヒーリングを受けるたびに体が温かくて、汗が出るくらいにいい気持ちでした。
    おかげさまで、今では、すっかり良くなり、夏は半袖を着ていられるよう になりました。
    本当にありがとうございました。

    15日に群馬県の廃ホテルに遊び半分で入りました。
    行く前は、なんとも思っていなかったのですが近づくにつれて段々と恐怖を感じてきました。ですが、そんなことを言えるわけもなく中に入って行きました。
    その直後から体の右側が少し熱かったのですが、友達に行ったら気のせいだよと言われました。
    それは、1日でなくなったのでやっぱり気のせいだったんだと思っていたのですが、それからずっと精神的に不安定な感じになり体がだるいと感じています。
    それに、感情が吸い込まれる様な感覚もしています。自分もこのようなことは初めてなのでどうしたらいいか分かりませんでした。そこで、一緒にいった友達に同じ様な症状が起きていないか聞いてみたところ誰もなにも起きていないのでおそらく病気だろうと思って病院に行くことにしました。ですが、病院に行ってもなにも異常がなかったのでやはり廃ホテルに行ったことが原因だと思い、霊視をできるかたに見てもらいました。
    見てもらったところ、霊が憑いていると言われました。そこで、インターネットを利用して近場で除霊をしている所を探し、こちらのお寺を見つけました。
    除霊は、意外と早く終わりました。どうやら特に恨みもなにもなく誰にでもつく霊だったので早く祓えたそうです。
    それ以降前みたいな症状を起こさないようになりました。ありがとうございました。

    私は出版会社に勤務しています。天光寺住職とは仕事の関係で以前からお付き合いをさせていただいております。
    数か月前の事ですが、仲間内で食事をすることにしました。このとき、座敷席で食事をすることになっていて、私は腰痛のため、テーブル席に変えてもらおうとお店の方に頼みましたが、あいにく空席がありませんでした。
    そのとき先生に、こちらに来て合掌しなさいと言われましたので、少しびっくりしました。言われるままに合掌しますと、先生は私の手の上から合掌をし、20 秒くらい経ったとき、私の体が急に後ろに倒れてしまいました。
    するとそのとき、腰から何かが出てゆくのを感じました。いつの間にか腰痛が消えていました。
    今のは間違いなく邪気が出て行ったと感じました。
    本当にありがとうございます。

    私は 2 年前に父を亡くし、父の墓を選ぶために母と妹と一緒に墓石屋さんに何箇所かの霊園を案内してもらいました。
    いくつか案内をしてもらった霊園の一ヶ所でのことでした。日が当たらないし、気が良くないように感じられたので、他を見ましょうと墓石屋さんに 言ってそこを立ち去ろうとしたとき、誰かに右の足首を捕まれたような気がしました。一 瞬右足が動かなくなり、力を入れてようやく動くようになりました。妹と母にそのことを 言うと、妹が私の足を見て、ストッキングの色がなくなっていると、大きな声で叫びました。私が自分の足を見ると、今度は左のストッキングの色が下から上に向かって色が抜けていくのです。本当にビックりしました。
    私はその場でストッキングを脱ぎ、袋の中に入れ、コンビニで塩を買い、袋の中に塩を入れ、その袋を捨ててしまいました。それから家に帰ってきたのですが、身体はだるいし右足が痛くて我慢ができません。病院にいって診察してもらい、軽い捻挫といわれ、シップ薬をもらって貼ったのですが、一向に良くなりません。妹に紹介され、霊能者の先生のところに行ったのですが、霊障といわれました。供養をしなくてはならないといわれ、家に帰ってきました。

    その夜も足の痛みは一向に良くならないので、友人に相談したところ、天光寺を紹介されました。夜遅かったので失礼かと思いましたが、住職に電話で相談したところ、すぐにでも天光寺に来るようにいわれ、その日のうちに先生のところに行くことにしました。先生は私を見るなり、「霊障ですね」といって、除霊を始めました。しばらくすると私の体がガタガタと震え始めました。30 分ぐらいすると、落ち着いてきました。不思議なことに、体の震えが止まった途端に、足の痛みが消えていました。その後、先生にもヒーリングをしていただきました。
    今ではすっかり元気になっております。本当に怖い思いをしました。
    有難う御座います。

    高尾住職様には大変お世話になりました。
    息子は転校した高校に元気に通っています。
    息子は野球が強い山梨の全寮制の高校に入学し、野球と勉学に励んでいました。去年の1月学校から連絡があり、息子が体調不良を起こし急に倒れたので救急車で病院に運ばれたとの連絡でした。
    私どもの住まいは神奈川県相模原市なので、相模原から急遽山梨の病院に向かいました。
    病院で息子の姿を見て驚きました。言葉をまともに話すことがでず、歩くこともできません。事情を野球部の監督ら聞いて驚きました。1月の5日、山梨の神社に監督以下と部員55名で参拝に行き今年こそは優勝しょうと、優勝祈願をお願いしました。祈願をしている最中に息子が急に倒れて、苦しみだしたと聞きました。病院の先生に診査の結果を聞きましたが、どこも異常はないとのことでした。心配なので神奈川県の大学病院に検査入院をさせましたが、ここでも異常はないとの診査結果が出ました。私の父は神社の宮司をしており、孫の姿を見るなり霊に憑依されている。早く除霊をしなければならないと助言受け、父が天光寺の住職に連絡をとつてくれました。私と妻と息子、父で天光寺に向かいました。このような除霊をできるのは天光寺の住職しかいないと言っておりました。天光寺に着くなり息子の身体が震えだし、まともに歩くことができません。すぐに除霊が始まり、息子が倒れて苦しみだしました。住職が真言、お経、祝詞を唱え、2時間ぐらいで終了しました。住職が息子に立ちなさいと指示すると息子は立ち上がりました。息子が、お母さん、お父さん、お爺ちゃんと言い、きちんとしゃべり歩くこともできました。嬉しくて夫婦そろって涙がでて止まりませんでした。住職の話で、息子さんには旧日本兵に憑依されていて、また、この神社には旧日本兵を祭っていたが原因だと思います。息子さんは霊媒体質なので今後も気を付けて下さいと話されました。本当にありがとうございます。

    心より感謝いたします。

    その節は大変お世話になりました。

    高尾住職は私の命の恩人です。本当にありがとうございました。5年前子宮頸がんを患い、乳がんの手術をしました。その後体調を崩し、体全身に針を刺すような痛みで、地獄のような生活を送りながら、いつ自殺をしようかと何回も考えていました。娘の友人から天光寺様を紹介して頂き、数日後天光寺に伺い、除霊をして頂きました。

    天光寺の玄関に入るなり苦しくて、何回も吐きそうになり、お祓いの部屋に案内されると、頭がボーとなり、何回も吐きました。お祓い中何回も倒れ、悲鳴を上げ、体の中に何かが入ったような感じがしました。しばらくすると、少しずつ痛みが和らぎ、自然に歩けるようになりました。その後痛みがなくなり、今は元気で暮らしております。本当に感謝しております。ありがとう御座いました。

    一泊二日の修行をさせていただきありがとうございました。滝行にて自らの心の汚れを流したいというのが主な目的ではありましたが、宿坊をさせていただいたことにより思わぬところで沢山の学びがあり、大変有り難い時間をすごさせて頂きました。体験させて頂いた一つ一つの事を振り返ってみたいと思います。
    まずは滝行に行く前の真言のとなえ方やさまざまな作法。全く知らないことばかりでしたが一からゆっくりお教えいただいたおかげで教本を見ながらですが口にすることができるようになりました。そしてそのご真言などを用いたお百度参りや滝行。心と体は一つなのだと実感いたしました。素足で外を歩き大地の感触を感じるというのは何年ぶりだったでしょう。ぬくぬくとした生活をしているせいか体のセンサーが弱くなり、弱くなっているなと感じました。やはり人間の体は使わないと段々おとろえていくと感じました。また、逆に普段何気なく使用している服やクツなどの有り難さを知りました。滝行でも感じましたが心のもち方で身体がある程度コントロールできるのだと思いました。これは病や普段の気の持ち方の参考になりました。更に、もし一人であの滝行をやりなさいと言われたら・・・?今回は多くの参加者の方、お導き下さったお寺の方がおられたので完了することができました。冷たい水の中での皆の声がどれほど力になったことか。仕事においても、自分一人の力で行うことは限りがありますが、皆のサポートや皆の力でなしとげる方がより大きなことが出来るのだ・・・と思いました。自分は、一人の方が早い、他の人にまかせるなら自分がやった方が早いと思いがちですが気を付けたいと思います。また、山の神様、滝の神様に今回の滝行を見守っていただき、出来たことも大きなことでした。目には見えませんが、お守りいただいていることを感じることができました。
    今回は年末年始の護摩焚きにも参加させていただきました。正直な所、日中の疲労が体に出ており、一分でも早く寝たかったのですが、その待ち時間で、本当はいつも時間はあるのに、スマホやパソコンなどで無駄な時間をすごしてしまっているのではないかと思いました。
    今回修行中は電子機器はあずけさせて頂いていたことがこの気付きにつながっています。いつも無意識に電子機器を手にとってしまうため、今後は手にする前に「今本当に必要なのか」を一瞬でも考えてから手にとりたいと思いました。そして、この待ち時間も、実はお寺の方々は忙しく動いておられました。何か出来ること、お手伝いをさせていただきたいとお声がけすれば良かったと後悔しています。自分が「お客さん」になってしまっていました。このような所が普段の生活でも出ていると気付きました。自分が良いと思ったらまず動いてみればよいのにそれをしない、他人がどう思うか?とか断られたら嫌だな・・・と思ってしまう。もったいないことを今回はしたと思いました。
    大人になると本当のことを言ってくれる人がとても少なくなり、段々と自分が傲慢になってしまうような気がします。しかしお寺では、良いことは良い、悪いことは悪い、としっかり口に出し相手を軌道修正して下さっていました。とても有り難い場であると思いました。
    お写経、お写仏は心の平安を取りもどす時間をいただけたと同時に、自分のクセのようなものを発見しました。「めんどうくさい」と思うと、適当になってしまう・・・ということです。集中力がないためあちこちに目移りしてしまうので直したい部分です。しかし今回気が付いたのは「めんどうくさい」と思ったら一度休憩を入れて気分をリフレッシュすれば良いのだ、長距離も一歩一歩なのだと思いました。更には、一日一日を一瞬一瞬を大切にすごして行こうと思いました。時々顔を出してお話をいただいた住職様のお話からも多くの学びをいただきました。一泊二日という大変短い期間ではありましたが本当にありがとうございました。

    自分では気づいてなかったのですが少し前から寝ている間に不可解な行動を取るようになっていました。家族にいわれて発覚し、私には何の問題も無かったため放置しようかとも思ったのですが気味が悪いと言われ今回お祓いをしていただくことにしました。

    お祓いを受ける前は体調も悪くはなく何ともなかったのですが、お祓いを受け、しばらくするととても具合が悪くなり、辛くなり、涙が止まらなくなってしまいました。終わった後、住職様に話を聞いたところ、あのままお祓いを受けず放置していたらとても大変な状況になっていたそうです。

    この度は大変な事になる前にお祓いをしてくださり本当に有難うございました。住職様には感謝しかありません。

    友人と言った旅行先で心霊写真らしきものが撮れたので、気になり天光寺さんに見てもらいました。

    結果霊といった類の物では無いとの見解でお祓いは必要なかったですが、せっかく来たので、厄除けの祈祷をしていただきました。

    霊感などまったく無い素人のためお祓いが必要と言われればするつもりでしたが、天光寺さんは必要ないと分かればきちんと教えてくれたので、とても良心的だと思いました。

    有難うございます。

    今回12月31日~1月1日にかけて、滝行をはじめ修行体験をさせていただきました。年越しということもありましたが、何かといろんなことをしていると時間もあっという間に過ぎ、気付けば年も変わってしまいました。はっきりとした目的で今回は修行体験を申し込んだ訳ではありませんでしたが、充実した年越しを過ごせました。
    滝行では、一度秋の終わりに体験していましたが、水のつめたさが全然違い、打たれている間、「どのくらい経ったのか」「後どのくらい?」と思ってしまいました。終わってみて、「よくあのつめたい水に入れた」と思い、自分の中には何か踏み切れるものがあるんだと感じました。ただ、その踏み切る思い切りの部分がうまく普段の日常で活かせないのが新たな迷いであり、自分と向き合いたいところです。
    そして、今回自分なりの予想外に感じたことは、護守木でした。護守木に願いを書く際に、何にするか考えましたが、自分の中に明確な願望がないように感じました。周りを見て、うらやんだりしても『自分はこうなりたい、こうしたい』がはっきりしていないので、そういうところはもう少し欲をもって明確にするよう意識していきたいと思いました。
    今回は従来の修行体験だけではなく、貴重な年越し行事も体験(同席?)させていただき、一泊二日で大変お世話になり、ありがとうございました。

    去年、就職の為に東京に引っ越してきて少しでも安く済むようにとなぜかとても家賃が安かった部屋を借りることにしました。住み始めた当初は特に何も違和感もなく過ごせていたのですが一カ月を過ぎたころ辺りから原因不明の体調不良、幻聴、幻覚などに悩まされるようになりました。部屋が悪いのだと思い、引っ越したのですがこの症状が治ることはなく、途方に暮れていました。普段から私は霊という物を信じてはいないのですがなぜかこの時は確実に憑かれているなという確信があり、インターネットで天光寺の存在を知り、除霊をお願することにしました。住職様が言うには前の家で憑かれそれをそのまま新居に連れてきてしまっていたようです。お祓いをしていただいた今は体調も良くなり、幻聴、幻覚の類も完全になくなりました。この度はありがとうございました。

    私は会社を経営しておりますが、ここ一年体調が思わしくなく、仕事の気力も落ち気味になっていました。

    そうすると、次々にマイナスな事が起きてくるようになり、気持ちも自暴自棄になったり、人にきつくあたったりしておりました。

    家内もそんな私をサポートしてくれましたが、どうしたらよいのかわからなかったようです。

    そんなおりお祓いをうけてみたら、と人に勧められ、自分ではどうすることも出来ない状態ですから思い切ってそうすることにしました。

    それでとあるお寺様に行ってみましたが、値段だけ高くてあまり変化が見られませんでした。

    そして、こちらにお邪魔してお祓いをしていただきました。

    ネガティブな私は、色んな低級な霊を寄せていたようで、類は友を呼ぶではないのですが、

    同じ低い波動の物が集まってきてしまったようです。

    悪循環で、低級な波動は、さらに私をそのなかから抜け出せなくなり

    目はうつろ、感謝の気持ちもなく、否定的な考えに支配されていました。

    お祓いを受けて本当に救われました。

    前向きに体の調子を整えることをし、明るい心、初心に戻って家族と社員を大切に生きて参ります。

    ありがとうございました。

    私はセラピストの仕事をしております。人の身体にさわるために、その方の邪気が強いと

    かなり参ってしまうため、いつも浄化はかかせない毎日です。

    あるとき、どうにも辛くなってしまい、そこから体調が戻らず、夜もうなされて目が覚める状態になってしまいました。

    お祓いに行こうとおもい、こちら様のHPを拝見させていただき直感でここに行こうと思いました。

    案の定、住職様のお経が聞こえた途端に、涙がとまらなく、体もうごきだしてしまいました。

    除霊が終わると、とてもすっきりとして、ああ、やっと私に戻れたのだと思いました。

    今回は助けていただき、本当に感謝いたします。

    これからは滝行に定期的にうかがって、自分を強くし、都度清めて生きていこうと思いました。

    ありがとうございます。

    ここ数年自営の業績が年々悪化していき、何も上手くいかず、家族も従業員も離れていってしまいした。

    また長年付き合いのあった取引先の方からは「ここ数年で人が変わったようになった、今までじゃ考えられない言動をしている」と言われ縁を切られました。

    振り返ると自身でもなぜあんな事を言ってしまったのか?と猛省するが、言動を止められずトラブルを起こす事が多くなり、脳の病気があると人が変わったようになると聞き病院で精密検査するも何も異常がなく、だんだん憂鬱な日が多くなり仕事を畳み自死しようと考え始めた時にたまたまインターネットで天光寺さんを見つけました。

     

    なんとなく全てのページに目を通しているとお祓い・除霊のページに書いてあることに当てはまることが多く藁にも縋る気持ちで問い合わせました。

     

    祭壇のある部屋に通され、ご住職にお経をあげてもらっていると線香の匂いがすると共に体がゆらゆら揺れて口が勝手に開いていきました。意識はあるのに自分では止められなかったです。終わった頃には嗚咽が止まらなくなっていました。

    私には霊が憑りついていて、人が変わったような言動によるトラブルもそのせいだと言われました。

    霊なんて今まで自分とは縁のない話だと思っていましたが、天光寺さんを見つけられて良かったです。

    失ったものは取り返せませんが、もう自死しようなんて気持ちはなくなりました。

    ご縁に感謝します。ありがとうございました。

    最近自分の中に何かが入ってきた感覚で目が覚めたり、大きな氷がさけるような音が聞こえる等の現象に悩まされています。

    そのせいで気になって夜眠れないようになったり、同時に夜中目が覚めるようになって日常生活にも支障をきたしています。

    他にもふとした時に人が視界に入ってきます。1回は、気配を感じた事もあって恐怖が増す一方です。

    さらに、夜寝る頃にぴくぴく、ぱりぱりとした音が聞こえます。

    流石に、もう耐えられないので一度医者に行って検査をしてもらう事にしました。

    ここに書いたことはすべて説明しましたが信じてもらえず検査の結果も異常無しでした。

    ゆっくり休んだら治ると言われましたが、今は仕事が忙しくそんなことは出来ません。

    そこで、友人に相談したところこちらのお寺を紹介してもらいました。

    初めは、こんなので効くのか不安でしたが他の方の感想文やレビューを見ているとここなら治るような気がしたので早速申し込みました。

    除霊する当日の朝も自分の中に何かが入ってきた感覚で目が覚めました。

    お寺の中に入りお経を聞くと胸が苦しくなってきて汗が凄い出てきました。

    お祓いは、60分程で終わりました。次の日から今までのような事が起きなくなりました。ありがとうございました。

    ここ数年は仕事に夢中で心も体もガチガチになっていると感じ、大きな仕事がひと段落したタイミングで、何か心身共にリフレッシュできることをしようと思い天光寺さんのヨガと体験修行が目にとまり、参加することを決めました。

     

    仕事人間だった私は自分のケアに今まで無頓着で、ヨガレッスンが始まり随分呼吸が浅くなっていたことに気付きました。こんなにゆっくり呼吸をし、自分を見つめる時間を持つのは一体いつぶりだろう…と考えながら、これまで酷使してきた自分自身をもっと労わらないといけないな、と思いました。体をのばす痛みも心地よく、非常にリラックス効果が得られました。

     

    午後は滝行に向かいました。曇りの天気と相まって水温が非常に冷たく、入水の瞬間は「ヒッ」と息をのむほどでした。想像していなかった水量から怖気づきすぐ出ようと考えましたが、心を落ち着かせ耐える事ができました。

    終わった時は心も頭もスッキリし、体が軽くなった気がしました。

     

    また時間があいた際にはリフレッシュも兼ねてこちらにお邪魔したいと思います。本日は有難うございました。

    僕は、病気で入学してから学校に行っていませんでした。
    病気が治った後に学校に行ったら勉強にまったくついていけませんでした。
    それどころか、クラスにもなじめずに前に仲良かった友達は別なクラスになったので友達もいませんでした。
    それから僕は学校にだんだん行かなくなっていきました。
    学年が上がったら友達もでき少し学校が楽しくなってきました。
    ですが、勉強について行けず学校に行ってもほとんどの時間を保健室で過ごしていました。
    そしたら両親に、修行に行って来いと言われました。僕は、修行のイメージはとても辛いものなのでとても嫌でした。
    ですが、お父さんとお母さんが言うにはそんなに辛いものじゃないし楽しいよと言っていました。
    僕は、この機にすぐ諦めてしまう性格を直してみようと思い修行に行くことを決意しました。
    初めは、朝早く起きたりご飯の用意をしたり初めてやることばかりだったのでとても辛かったのですが1週間たってからだんだんと慣れていきました。
    そして、3週間が経って修行が終わりました。修行中は、滝行や写経と言った修行らしいこともしました。そこで、忍耐力や挑戦する力を身に付けました。
    休みが終わり学校に行く日が来ました。修行のおかげか学校生活で感じる苦痛は何でもありませんでした。今では、友達もたくさんでき勉強もついていけるようになりました。
    有難うございました。

    今から、3年前に統合失調症と診断され、今回は、3年間幻聴が無かったのですが霊的なモノが好きな人になりすまして性行為を行いに来てから、幻聴(卑猥な言葉まで)が聞こえるようになりました。薬を飲むようになってからは聞こえませんが、時々、右耳の中でパチンと音がしたり違和感が右耳、右頭部にあるのが気になります。外出するとなるので、医者に外出禁止と言われ困っています。また、夢がおかしくて、毎日3:00~4:00に目が覚めて再度眠ると悪夢を見たり、脳が痛くて起きた時も非常に辛いです。怖いです。

    インターネットで調べたところ、天光寺を発見しました。

    すぐに予約し、お祓いをしてもらいました。

    お祓い中は、意識が朦朧としていたのでよく覚えていないのですが、終わった直後からもう祓われたのだと分かりました。

    今は、前よりも充実した生活を送れています。本当に有難うございました。

    この度は研修ありがとうございました。

    研修を終えた感想は、本当に辛い2日間でした。

    少しなめていましたが、お百度参りでは南無大師遍照金剛を3回唱えた後にお参りをする感じで、息が切れてなかなか唱えることができなくなり、回数が増えるほど辛くなりました。

    滝行では、話で聞いていた以上に、体が寒くて、落ちてくる水も頭に当たり痛さに耐えるという気持ちでしたが、やり終わった後はすごくいい気持ちで心の奥から悪い物が洗い流されるような思いでした。

    一番辛かったのが三禮で、ずっと一定のペースで同じ事を繰り返し、途中はやり切れるか不安でしたが、集団でやる事により、一体感が生まれて励まし合ってやりきる事ができました。

    終わった後の達成感は最高でした。

    夜は写経をしましたが、集中力が大事だと体感する事ができました。

    2日目は朝のあいさつからはじまり、清掃をしましたが、朝から日に当たりながら掃除をするのはいい気持ちだなと思いました。

    声出し、瞑想、光明真言では、行の中で2番目に辛く、瞑想ではずっと目をつぶっていると正直ねむたくなり、光明真言では正座が一番辛かったです。何事も集中して耐える事だと感じました。

    法話では、あきらめずに努力すること、自分が主人公になることなど

    積極的に生きていこうと思える、刺激を頂く話でした。

    人脈と人望のある人になりたいと思いました。

    今日からは、何事もあきらめず、努力をして、いろんな作戦を考えながら積極的に1日、1日、生きていこうと思います。

    ありがとうございました。

    休日には神社・お寺巡りをし、御朱印を集めたり、パワースポットに行くのが好きな私は研修の内容に滝行があるのを知ってお寺での研修をとても楽しみにしていました。
    しかし実際は体力的にも精神的にもとても辛い二泊三日でした。しかし沢山の学びがあり、自分を見つめ直す事が出来ました。

    「私は株式会社○○○から参りました〇○○です。出身は○○です。よろしくお願いします。」と普段ならサラっと済ませてしまう自己紹介も、こちらでは大きな声ではっきりと喋り、相手を思いやり一回の礼に時間をかけて頭を下げる事を教えて頂きました。
    第一印象は出会って数秒で決まるといい、視覚が55%、聴覚が38%、言語が7%と言われていますが、こちらで教わった大きな声で挨拶をする。というのは聴覚38%に働きかけ働く上で自分を好印象に見せるためにはとても大切だと思いました。

    二日目は険しい山道を登りいよいよ楽しみにしていた滝行でした。先に滝に打たれている人を見ると思ったよりも苦しそうで少しひるみました。自分の番になり水を被った瞬間に想像以上の水の冷たさに体中の血が止まるような感覚になりすぐ出ようと思いましたが、何とかやり遂げる事ができました。
    終わった後は、寒さや疲れが吹き飛んだかのようになんだか無性に清々しい気分になり、これが滝行か…。と少しハマりそうです。

    光明真言千回も、同じ言葉を2時間かけて千回唱える。途中で先生の数珠を何度も気にしながら『本当に終わるのか』と気が遠くなりました。でも仲間の声が聞こえみんな辛く苦しいなか、頑張っているのだと自分を奮い立たせました。時は経ち、どんな事も必ず終わりが来る。良い事も悪い事も、楽しい事も苦しい事も、必ず終わりはくるのだなと光明真言千回を終えた後はしみじみ感じました。

    先生のお話にあったように常に積極的な心を持ち、現場に出ても失敗を恐れず行動し挑戦し続けていきたいと思います。そして自分の人生において「私が主人公だ!」と胸を張って言えるような人間になると決心しました。

    私は正直、研修なんて余裕だと思っていました。

    しかし今回、3日間の研修を受けさせていただき、自分の心の弱さや、日頃からどれだけ周りの人に支えられているのかというのが身に染みて分かりました。

    まず初日にお寺に着いた時に、携帯を預けて、使えなくなり、いかに自分が日頃から携帯に依存していたかを実感しました。

    そして、慣れない正座でお経を読み始めて、足も痛くなって、後半は声も出なくなってきて、早く終わらないかなと思っていました。

    しかし周りで他のみんなが頑張っている中、自分だけ楽は出来ないと思い、最後までやりきる事が出来ました。

    夜ご飯は、意外とおいしかったです。

    二日目の朝は一日目の影響で朝から全く声が出ず、びっくりしました。

    二日目から正座の影響で足腰が痛くとても歩くのに苦労したのを覚えています。

    そして午前中にお百度参りは、割と気温が高く暖かかったので走りやすかったです。

    そしてメインイベントの滝打ちは山登りでもう疲れました。

    そしていざ、自分が打たれるととても寒く、三分なんて余裕と思ってましたが、予想以上に滝の勢いが強く、息がしづらく、とても大変で三分がとても長く感じました。

    滝に打たれた後は、足に力が入らなくて歩くのも大変でした。

    滝打ちが終わったあとの帰りの車の中は、みんな疲れていてとてもしゃべれる状態ではないため静かでした。

    そのあとのお昼はとてもおいしかったです。

    午後の三禮は前半は頑張ってついていっていたのですが、後半はひざに力が入らなくなり、少し休憩を入れてしまったのが残念です。

    三禮が終わった後はみんなとりあえず疲れていて、もう一回滝に入りたいと言っていた人もいる程、汗だくでとても大変でした。

    出来れば二度と三禮はしたくありません。

    体も疲れ切って、のども痛くなって、その日のご飯はのどに通りませんでした。

    そして三日目の最終日はもう体の限界で動くだけで体に痛みが走りました。

    午前中のヨガは体が伸びて痛かったけど気持ち良かったです。

    そして午後の法話は、いろいろ為になる話を聞かせていただき、とても有難かったです。

    今までの自分は途中で諦めてしまうクセがあったのですがこの研修の滝打ちや三禮のおかげで、最後までやりとげられるような人間に変わることが出来たと思います。

    そして私がこの3日間を乗り越えることが出来たのは、同期のみんなのおかげだと思うので、この感謝を忘れずに今後の研修や仕事を頑張っていければいいと思います。

    このような貴重な経験をさせていただき本当にありがとうございました。

    引っ越してから不可解な現象に悩まされ、深夜の物音や何かの気配を感じ夜も眠れず、

    食欲もなくなり、恋人の家に帰ることが多くなりました。

    そんな時テレビで天光寺さんの滝行の様子を見て何気なく検索したところ、

    除霊もやっているとHPに記載されていたので、もしかして…と思い相談に伺いました。

     

    間取り図や部屋の写真を持って伺うと部屋に霊が憑いてるといわれ、お経を唱えていただき、また鬼門なども教えていただきました。今までそういった事を一切気にしてなかったのでとても勉強になりました。

    またなにか起これば今度は直接家の方に伺うとおっしゃってくださったので大変心強く思います。

    長い時間有難うございました。

    日常生活のトラブルが絶えず、一日を平穏に過ごす事が出来ないという悩みを抱えていました。

    たくさんの障害を持ち合わせており、(アスペルガー症候群、ADHD、ナルコレプシー、強迫性障害)「んっんっ」と奇妙な声を出すくせがあり、頭を振る癖があります。

    また、生まれた家が曰く付きで幼少時~学生時代は金縛りや幽体離脱がありました。

    このように様々なことに悩まされており、最初に言ったように日常生活のトラブルが多いです。具体的な内容としては、ありもしない噂を流されたりうまく話がかみ合わない等の問題があります。

    ある日ネットの記事を見ていたら、自分と同じような人がおりその人は霊を祓ったら普通の生活を送れるようになったという記事を見つけました。

    この記事をみて、もしかしたら自分もそうなのではないかと思い霊を祓ってくれるお寺を探し始めました。そこで、こちらの天光寺さんを発見しました。

    サイトに他の方の体験談などがあり安心して予約することが出来ました。

    お祓いは、3時間ほど掛かりました。

    どうやら憑いている霊はとても強力な霊らしいのでその日だけでは祓いきれませんでした。

    次回も同じくらいの時間が掛かりました。ですが、今回は言われる前に祓えたんだと分かりました。体がいつもより軽く頭が少しさえているような感じがしました。

    おかげで前より、症状が和らぎました。ありがとうございました。

    私は今回の研修を経て、日々の日常生活にある、今まで気付かなかった「ありがたいこと」に気づくことができました。

    例えば食事です。

    いつもと違った質素な味付けと決められた食材で作られた料理は、食べられない物も多く、ごはんとスープ以外は冷たく、初日は全くごはんを楽しむことができませんでした。

    普段の料理の温かさ、お肉という生命をいただいているありがたみ、好きな食べ物を食べられる喜びに気づくことができました。

    また、滝行では氷水のような冷たい水に三分間つかり、滝に打たれた結果、全身が冷えて上がった時は、太陽の光がとても温かく、自然の力強さとありがたみに気づくことができました。

    こうした普段の生活においてあたりまえにあった「ありがたいこと」に気付けたことは、大きな収穫の一つだったと思います。

    また今回はそうした「ありがたいこと」の他にも、仲間がいたことのありがたみも気付くことができました。

    今回の研修は、私にとってかなりきつい体験でした。

    初日は途中で何回か休憩をはさみつつ何度も同じお経を読み、二日目はお百度参りと滝行、三禮を行い、三日目は二日目の疲れが残る中ヨガを行い、説法を一時間半ほど座って拝聴しました。

    どれも大変でしたが、周りの仲間三十名が同じ苦しい思いをしていると思えば私も頑張らないとと思えました。

    全ての体験で仲間の大切さを感じることができましたが、より感じられた体験は滝行と三禮の時です。滝行では一人の人が入っている時、他の人は「南無大師返還金剛」を唱えて応援するのですが、私はあの声援が無ければ絶対に三分間も滝に打たれていられなかったと思います。呼吸がまともにできず、寒すぎて体の感覚が無くなっていくのですが、声だけははっきり聞こえました。

    三分も絶対無理だと思っても無事成し遂げることができたのは仲間のおかげです。

    また三禮では一〇八回立ったり座ったりをお経を唱えながらくり返したのですが、単純に体力が無くてつらかったです。三セットの後から数が数えられなくなりました。

    立つ時は足が重く座る時はひざが痛く途中で休もうと何度も思いましたが、つらくなると後ろからあいの手のような声が聞こえたり、「頑張れ」という声が聞こえたりと、その人もつらいはずなのに仲間を励まそうとする声が聞こえました。

    その声を聞くと休むわけにはいかないと思え、また頑張る気力をもらうことができました。

    他の仲間も休まず続けていたので、一体感のようなものが感じられたと思います。

    こうしたつらい経験を共に乗り越えたことの他にも、共同生活で共に助け合ったこと、ちょっとした空き時間に話したことも、三日間で楽しかった思い出として残すことができ、ありがたいことだと思います。

    今回の研修を経て、私はいろいろなことに感謝するようになりました。

    研修では他にも他者を思いやる心、つらい経験を乗り越える力強さ、これからの人生をどのような心持ちで生きていくかなど、大切なことを多く学びましたが、私は全て感謝に帰結すると思いました。

    私一人ではできないことが、他の人となら乗り越えることができ、他の命をもらって、他の人がやってくれているから私がそれを使えるということに感謝を忘れないこと。

    今回の研修で学び、大切にしなければならないことだと思います。

    これから私は社会人となり、仕事を覚え、大変な経験も多くすると思います。

    私はここで学んだことを忘れず、つらくなったら思いかえし、私を助けてくださる周りの方々や環境に感謝を忘れず励んでいけたらと思います。

    今回の研修を通して、「忍耐力」や「やり切る力」がついたと感じています。部活をやめてからは、そのような気持ちになることがありませんでしたが研修をしたことによって再度自分の中にめばえさせることができたのでよかったです。研修をする前は「キツイキツイ」と言うけれどそこまでじゃないと考えていましたが進んでいくにつれキツクなっていきなめていたと感じました。

    一日目のお経をずっと唱えるのは、足が痛く立つたびにがくがくだったことを覚えています。お経を唱えていると法事などで聞くものに少し似ていると感じました。

    写経はやったことがあり、わりと好きなので辛くなかったですが、ひさびさにやってみると難しかったです。

    二日目での「お百度参り」は、体感では本来の数の半分くらいだったと感じました。なので、思っていた以上辛くはなかったです。お百度参りを考えひろめたような人は、今後でてこないような気がします。

    「滝行」では水がつめたく三分つかることができなかったのが一つ心残りです。でも、水から出ると身体が軽くなった気がしたので滝行をした意味がありました。また、経験することが出来たのはこれからの力になると考えています。

    そして、二日目で一番辛かったのが「三禮」でした。しゃがんで立つ動きがこんなにも体にふたんをかけていたと知りました。三回で一。

    私は、数回休んでしまったけれど、一回も休まずやり切った同期の人はすごいと感じます。

    「写仏」では、不動明王を写し、名前と内容を知り仏が多くいると改めて思いました。

    三日目の住職の「法話」では、これからの社会人人生に役立つことが多くありました。

    「人脈」やネガティブなことは言わず「ポジティブ」なことを言うなどこれからはマイナスなことは口に出さず生活していきます。

    研修を通じて学んだことを今後につなげていきます。

    普通だった娘が、だんだんとうつ状態になってきました。

    仕事も順調で、体も健康で何もおかしくなるような事はありませんでした。

    しかし、いつの頃か目つきもおかしく、職場にも行けなくなってきました。

    それからというもの、毎日悩む日々が続きました。

    天光寺さまに来る前も他のお祓いを受けてまいりましたが、良くならずおりました。

    このままでは、娘の体が蝕まれてしまう、、、、そんな日々でした。

    知人の紹介で、こちらに参りました。

    やはり霊障だということでした。こちらのお寺の除霊は本物でした。

    本当に良かったです。

    娘は憑き物が落ちて、すっかり正気に戻りました。

    仕事も復帰いたします。本当にありがとうございました。

    私は良く言えば共感能力が高く、悪く言えば周りの影響を受けやすいところがあります。

    周りの環境が良いものばかりなら問題が無いのですが、人付き合いをしていく上で中々そう上手くいくことも無く、人のネガティブの言動に引っ張られる所があります。

    今の職場は決して良い環境とは言えず、人の悪口・噂話が飛び交っています。

    私は何も知らないのに人から聞いた話で偏見を持ってしまったり、人の悪口を聞く度になんだか自分がゴミ箱になったような気持ちになったり、何かが擦り減っていく気がし、そんな自分を変えたく今回天光寺さんにご相談させていただきました。

    修業の中でお百度参り、写経、滝行などを行いましたが、それらはきっと他の体験談も沢山あるでしょうから省かせていただきます。

    何よりも私は先生の法話にとても心打たれました。

    自分自身を変えるには、自分を愛し「自分を知る」こと、困難に負けない精神力、意識改革、善と悪の分別する心、積極的に生きること。お話のどれもが人間力を上げるためには必要なものでした。

    こちらでの修行を経験したことで、「私は私」と心を強く持てるようになりました。

    いや、正確にはまだなってないのですが、そう思えることが私にとっては大きな成長なのです。

    この気付きを大切にし、もう少し今の職場で頑張ってみようと思います!

    この研修を受けて、自分はあまり我慢強さや忍耐力がなかったけど、お百度参りや滝行もちゃんと最後までやり切ることが出来たのでよかったと思いました。滝行は一人でいったらきっとできなかったけど、他の人が一緒に唱えてくれたり、前の人が頑張っているのを見ることで、自分も頑張ろうと思えたので、応援や集団行動ってとても大切だなぁと思いました。予想していたよりずっと冷たい水で本当に何度も何度も途中でリタイアしようかと思ったけどやり切った今は、最後までこらえてよかったなぁと思っています。またとない良い経験でした。三禮も本当に本当につらかったです。今が何度目かも残り何回かも分からないでするのは終わりの見えない地獄だと思いました。何度も座りこみそうになりましたが、皆が止まらず動き続けていたり、止まってしまってもまたすぐやり始める姿に、負けていられないなぁと思うことができました。同じ左足で立ち上がり続けるのはなかなかこたえたし、最後はくずれおちるようになったりして本当にしんどかったな、よく頑張ったなぁと思います。ご飯もいつも自分が食べたいと思って食べるようにはいかず、苦手な野菜ばかりだったのでちょっと困りました。早くお肉魚や甘いものが食べたいなぁと思います。きっといつも以上においしいと思えると思います。楽しみです。でも白ご飯がすごくおいしく感じました。きっと沢山動いて頑張った後だからだと思います。いつもより何倍も丁寧に挨拶をした3日間でした。普段何気なく使っている「いただきます」や「おはようございます」などには沢山の意味や思いが省略して込められているんだなぁと思いました。もっとしみじみと感じて言わないといけないなぁと思いました。自分は正座をするのが、どちらかというと好きだと思っていましたが、そうでもありませんでした。ふくらはぎも太もももパンパンで痛くてたまりません。あぐらのしすぎで股関節もだめです。しばらくはしたくないと思います。最後に一番自分が変わったなぁと思ったのは、声出しでした。普段から声が小さくてあまり大きな声が出せないですが、声出しをして、ああ自分はこんなに声がでるんだなぁと思ってびっくりしました。言いまくって口で覚えたお経も何かあったときに使おうと思いました。あと二日目に書いた写仏もキレイに折っておまもりか何かにしようかなと思います。時間をかけて集中して描いたので効き目があればいいなぁと思います。朝起きる時間が5時代なうえにアラームがないのはすごい怖かったです。でも他の早起きな方が起こしてくれたので何とかなりました。よかったです。三日間短いけどとっても濃い経験をさせていただいたと思います。本当にお世話になりました。ありがとうございました。

     

    今回私がこちらのお寺を訪ねたのは、最近不運が続くからです。

    内容としては、仕事が上手くいかない前職を解雇されました。

    他にも、車の事故やモノがなくなるなどです。精神面では、無気力や孤独感を感じ人生に絶望し生きているのが疲れてしまいました。

    対人関係では、良縁に恵まれません。最初は上手くいくのに、すべて音信不通や連絡が取れなくなるなどで人間関係が上手くいっていません。家族にも嫌われたり、物事が全て悪い方向に向いている気がしていました。

    初めに症状がでたのは、去年の10月頃でした。その時は、肩が慢性的にこりだして重いような感じがしていたのですが、ただの疲労だろうと思ってほっておきました。

    思えばこの時に、なにかしら対策を取っていたらこんなことにはなっていなかったのではと思います。最初の症状が出てから1ヶ月経った頃仕事を解雇されました。

    この時になにかがおかしいと思うようになりました。また、家族に嫌われ出したのもこのあたりです。それから、連続的に不幸なことが起きて人生に疲れていました。そんな時、テレビで霊に憑かれている人の特集をやっていました。テレビに出ていた症例と私の症状が似ておりすぐにネットで除霊できる場所を探しました。

    見つけたのが天光寺さんです。藁にもすがる思いで訪問させていただきました。

    住職は、私を見て霊が憑いていると言いました。私は、やっぱりそうだったのかと思いすぐに除霊してくださいと言いました。それから、除霊が始まりました。除霊中は、夢でも見ているかのように記憶に全然残っていません。

    無事霊は祓えたそうです。今では、少しずつ今までの生活を取り戻しつつあります。

    ありがとうございました。

    私は今回の研修合宿で、様々な経験をし、多くの学びと発見がありました。

    一つ目は「大きな声を出すことの大切さ」です。天光寺に到着してからすぐに、自己紹介をしていき、声の小さい人は、大きい声が出るまで何度もやり直しました。

    最初は、恥ずかしい気持ちや、緊張がありましたが、大きな声を出すと目が輝き、誠意がより伝わるということを意識し、心を込めて自己紹介をしました。

    二つ目は、「集中力を養うこと」です。

    お経を唱えている間や、写経の間など、長時間に渡って同じ姿勢でいることの辛さを何度も経験しました。

    最初は、自分の身体の痛みばかりを考えてしまい、全く集中できませんでした。

    しかし、修行を経験していく中で、今、自分の目の前のことだけに意識を向けることにより、お経を唱えたり、写経を書くのが、少しだけ楽しく感じられるようになりました。

    これから仕事をしていくなかで、集中力は必要になるので、今回の研修合宿で学べたのは、とても良かったと思いました。

    三つ目は、「忍耐力をつけること」です。

    特に二日目は、お百度参りでは、はだしでアスファルトの上を走ったため、周りの人となかなかペースが合わず、苦しかったです。

    三禮は、今回の研修合宿の中で最も辛く、何度も辞めようと思いました。

    そんな時に隣を見ると、頑張っている同期の仲間がたくさんいて、自分も途中で諦めたくないと励まされました。

    一人だったら絶対に最後までやり遂げことはできなかったので、みんなと一緒に参加することができて、本当によかったと思いました。

    四つ目は「団結力と協調性です」です。

    正直、入社したばかりで同期の人たちのことをよく知らないまま、二泊三日を一緒に過ごすのは、少し勇気がいりました。それでも、食事の準備や後片付け、掃除を全員で行うことで、協調性を学ぶことができたと感じました。

    また、滝行に参加することができなかった人たちも、参加している仲間を全力で応援していました。

    この三日間で、三十一人の団結力が深まったと思います。

    五つ目は、「日々の食事のありがたみを知ること」です。

    精進料理も美味しいのですが、自分の好きなものを選んで食べることができないのは、想像以上に辛かったです。

    それと同時に、普段どれだけぜいたくで、偏った食事をしていたのか、という部分が見えてきました。

    さらに、いつも何気なく言っていた「いただきます」と「ごちそうさま」の意味を深く知ることができ、普段の生活に戻ってからの食事でも、今回の研修を思い出し、食事ができることに感謝して、しっかりあいさつをしていきたいです。

    今回の研修合宿に参加させてもらい、辛いこと、苦しいことがたくさんあったけれど、みんなと一緒に参加することができて、本当に良かったと思える三日間になりました。

    この合宿で学んだことは、これからの自分の力になると信じて、社会人として仕事に取り組んでいきたいです。

    天光寺の方や参加させてもらった上司の方にも感謝しています。

    三日間ありがとうございました。

    私は今回写経と瞑想の体験修行を受けにこちらのお寺に来ました。

    元々こういうのに興味があり近くで出来るところを探していた所こちらのお寺を発見しました。

    流れとしては、昼間に受付を済ませ、13時ころには写経を行いました。

    写経は、自宅で何度か行ったことがあるのですがそれとは全然違いました。同じ様にやっているはずなのに緊張感というかいつもよりも心が落ち着いて出来た気がします。

    15時には、瞑想を行いました。まず初めに、静かな部屋で一人になり、ゆったりと座り、深呼吸を繰り返しました。次に、軽く目を閉じて姿勢をただしながら、10分位同じ姿勢でいると鼓動の音が聴こえてきてそれに耳を澄ませていると、全身の筋肉がリラックスし気のエネルギーが広がっていくような感じがしました。

    私がなにより驚いたのが瞑想というとどうしても心から雑念を除くことだと考えがちですが初心者は雑念がどうしても出てきてしまうらしくそれを客観的に眺めるのも瞑想の一種だという事です。

    瞑想が終わった後は、解散です。

    私は、解散した後何とも言えない気持ちになっていました。住職さんのお話によると心の鎧を脱ぎ生きる喜びを感じていると仰っていました。これは、社会的に活躍している人ほど、現代社会のエゴの目的を追求する文化に染まっており、目に見えない「心の鎧(ストレス)」何着もまとっています。これを、肩の力を抜いて魂を癒すことで、人生の生きる喜びを感じられるというものです。

    私は、昨年12月、実家の愛犬が亡くなってから身の周りに愛犬の気配を感じるようになり、更に他の霊をも感じ、見えるようになりました。

    ここ数年で祖母と父が癌で亡くなり、叔父は自殺をしたり、弟に縁を切られたりと良くないことが続き、ここ十年程不眠症を患っているのが悪化したりしたのでご相談させていただきました。

    最近では、夜にコンビニへ行ったときに下段の棚をしゃがんでみた時に子供の様なモノにしがみつかれ、その日以来服やカバンを引っ張られます。

    徐々に症状が酷くなってきたのでネットで調べた霊媒師のような人に祓ってもらいました。

    1時間もかからず終わったので効果はあるのかと思っていたのですが1週間ほどは症状が治まりましたが、また再発しました。

    更に、症状がもっと悪化しこないだは家で誰かに足を掴まれ危うく転ぶところでした。

    不眠症で仕事にも支障をきたすしどうにかして治らないのかと母に相談したところ母も昔同じような症状で悩まされたことがあってその時に祓ってもらったお寺を教えて貰いました。そして、ここにきました。

    ここに書いたことを相談したところ先生のお経をきき30分程経ったぐらいからだんだんと意識がもうろうとしはっきりとは覚えていません。お祓いが終わると、なんだか体が軽く視界が以前よりもクリアになったような感じがしました。

    前みたいに、また症状が出るのかと思っていたのですが今のところ出ていません。本当にありがとうございました。

    今回初めて、仏教について初めて深く学ぶ機会となりました。これまでは、仏教を信じてる人たちが行っている事の意味を知りませんでした。でも、様々な修行などを通してどんなことを大切にされているのか、少しですが理解する事が出来たように感じます。

    例えば、お百度参りは、何も知らない人から見れば、ただランニングして、お願いをしているように見えます。しかし、「何度も何度もお願いをする事が大切」という考え方があり行っている事を知るととても意味のある行為になります。行為はとても大切ですが、行為はあくまでも象徴であり、大切なことを忘れないためのものなのではないかと思います。

    他にも修行前後に行うあいさつや食事のあいさつは、言葉を言う事が大切というよりも、安全であることや食べられる事など当たり前に思えてしまうことがとても恵まれていることであったり、いつも見守られている感謝を忘れない為の行為の様に私には思えました。

    多くの事を学んだ二日間でありましたが、同時に楽しい時間でもありました。特に、神様が作られた本当に美しい自然の中で滝に打たれたり、冷たい水に触れたり、緑の木々を見たりするのは、本当に心地よいものでした。また様々な方と何気ない話から人生のちょっと深い話まで色々な事を聞くことも楽しみであり幸せな時間となりました。やっぱり人と人は温かい食事を頂いたのも私にとってとても幸せな時間となりました。やっぱり人と人は温かいですね。

    数カ月前に引っ越しをしたのですが、それからというもの体調不良に見舞われ、病院に行っても原因不明であり、薬を飲んでも治らないという状態が続いていました。

    また家の外にいるときは大丈夫なのですが家に帰ると途端に元気がなくなり体調が悪化していました。

    何かがおかしいと思い今回天光寺様に相談させていただくことにしました。

    ご住職様に現状をお話したところ、私には霊が憑いていると言われお祓いを受けることにしました。

    お祓い中は気分がぼーっとし、意識はあるものの体は動かず不思議な体験でした。お祓いが終わると妙に体が軽くとてもスッキリとしており生まれ変わったような気持ちになりました。

    この度は有難うございました。

    緩和ケア施設で勤めています。

    今回は檜原村の天光寺からわざわざ住職さんに出張してもらい、うちの施設のお祓いをしてもらったのですが、

    私は特に色々な怖いことに遭っていたので、事務課長さんの勧めで個人的にお祓いをしてもらいました。

    私の他にも何人か個人的なお祓いをしてもらった職員がいたかと思いますが、代表してお礼をお伝えいたします。

    緩和ケア施設に私が勤めたきっかけ。

    私の父が、肺がんでした。最後、父は、本当に痛くて苦しくて、

    本人の強い希望で、がんの治療がもうできなくなったときに緩和施設へと移動しました。

    移動して三週間ほどであっという間に亡くなってしまいました。

    私は、そういった末期がん患者やその家族に寄り添いたいという思いから、緩和ケアでの勤務を志望し、この施設で勤め始めました。

    しかし、勤めてみると現実は色々と違うんです・・。

    患者本人は延命治療を希望しているのに、家族の希望で緩和ケアに入ってくる患者の多いことです。

    家族に迷惑を掛けたくないから仕方なく、治療を辞めるという患者さん多いのです。

    家族も、もう看病に疲れているからそろそろ・・・という雰囲気です。

    移動してきて一ヶ月もたたないうちにお亡くなりになられる方がほとんどです。

    こういった場所ですから、浮かばれない霊がいたとしても当たり前かもしれません。

    でも、誰も居ない部屋からのコール。

    ラウンジで座っている患者さんが声を掛けてきて、その患者さんがもう亡くなった方であること。

    雨の薄暗い夕方、すごく怖い顔でこちらを見ているもうこの世にいない男性患者。

    ・・・成仏できないんだな、と思いました。

    先日、施設をあげての秋祭りがありましたが、そのときの出来事が今回お祓いしてもらうまでに話が大きくなった動機になったのだと思います。

    あのときはみんながうちの施設が何かおかしい、と感じたと思います。

    病院で「慰霊祭」というのを毎年開催している病院もあると聞きますが、

    こういった緩和ケア施設にこそ、「慰霊祭」は必要であると私は感じます。

    今回、天光寺さんに出張していただいたようなお式を、「慰霊祭」のような形で毎年の行事として行っていけたら良いのに、と個人的には思います。

    あの日以来、施設内に強い念を持った霊魂がいなくなりました。

    一泊二日という限られた期間ではありましたが、優しく接して頂き有難うございました。

    また、多くの事を教えていただきました。当初の目的は、規則正しい生活を送れるようにするという目的だったのですが、それ以上に成果がありました。まず、挨拶の大切さ。普段、意識が足りていない挨拶等の礼儀作法を改めて学ぶことでいつもより自信が付いたような気がします。

    もう一つ目的がありそれは、滝行です。

    なぜかというと以前に知り合いがこちらのお寺で滝行を受けてとても良かったと言っていたのでそれは、どのようなものなのか気になっていました。その、知り合いは中々褒める事がなくここまで褒めていたのは初めてみたので驚きました。

    修行は、滝行だけではなく他にも、挨拶の礼儀作法・写経がありました。

    滝行だけだと思っていたので驚きましたが、どれもとてもいい修行でした。

    最初に言ったように挨拶では礼儀作法を改めて学ぶことができたし、写経では心を落ち着かせて取り組むことが出来集中力が上がったような気がしたのでとても良かったです。

    さて、お目当ての滝行ですが結論から言うと最高でした。

    入る前は、温泉にある打たせ湯ぐらいの勢いかなと思っていたのですが、そんなことはありませんでした。息をするので精一杯なほどの勢い。まさに、滝という感じでした。

    終わった後は、耳が聞こえにくく体も冷えて感覚が鈍くなっていましたが、なんだか清々しい気持ちでした。

    修行が終わって、生活リズムは戻っていませんが前よりも気持ちよく毎日を過ごせるようになりました。ありがとうございました。

    ある日テレビで天光寺さんを見て、滝行面白そうだなー。と思いずっとやってみたかったんすが、中々仕事が休めず忘れかけてた頃に今回長期休暇が取れたので小旅行がてら東京まで足を運び、滝行の予約をとりました。

    天光寺は東京にもこんなところがあったんだと思うほど山々に囲まれた緑あふれる場所にありました。田舎のおばあちゃんの家を思い出しました。

     

    前日に雨が降ったのもあって滝は水量が増えてて最初は入るのにとまどいました。

    入ると見た目通りの勢いと轟音で潰されそうな感覚になりましたが、必死で真言を唱えました。

    唱え続けてると終了の声をかけられて時間の経つ早さに驚きました。

     

    終わると仕事のストレスが軽くなったみたいに清々しい気分になりました。

    滝の周りはマイナスイオンをたっぷり感じられるし、心身共にリフレッシュになりました。

     

    遠くて中々来れないのが残念ですが、機会があればまた挑戦したいと思います。

    有難うございました

    今年に入ってから体調が悪くなり、5月頃から幻聴が始まりました。6月頃からはさらにひどくなり、急に倒れ込んでしまったり、その場から動けなくなってしまったりしていました。

    幻聴の方もどんどんひどくなり、1日中耳元で音楽が鳴り響き、特に就寝時には大音量になり眠れないほどでした。何かの病気かと思い医者にも行きましたが特に問題が無いと言われ途方に暮れていた時、友人から天光寺様のお話を聞き、藁にもすがる思いで尋ねることにしました。

    お寺ではご住職様が丁寧に私の話を聞いてくださりそれだけで少し楽になりました。お祓いをしてもらった際は不安でいっぱいだった私に1つ1つ丁寧に教えてくださり不安が無くなって行ったことを覚えています。

    現在はお祓いやご住職様のお陰で幻聴も聞こえなくなり、体調も回復していっています。この度は本当にありがとうございました。

    この度は、除霊して頂きありがとうございました。

    今まで、霊のせいでどれほど精神的に参っていたのか分かりました。

    症状としては、今年に入ってから体調が悪く、4月にはパーキンソン病の疑いありとのことで通院していました。5月から幻聴が始まりました。6月17日からは急に倒れたり、その場から動けなくなったりしました。現在は幻聴が酷く1日中耳元で騒がれています。

    特に就寝中は大音量になり、眠れません。

    医者にも行きましたが、問題ないと言われていました。

    さらに、霊が見えるという人に見て貰ったところ別にそういう類の者は、いないと言われ少し安心したのですがやっぱり原因不明の現象が続くので、本格的な所に行こうとネットで調べてみたところ距離も遠くなくこちらのお寺に決めさせていただきました。

    見てもらったところ、霊が憑ついているという事だったので早速祓ってもらいました。

    あれ以来、今までのような心霊現象に悩まされる心配も無く健康的な生活を送れています。

    ありがとうございました。

    もうかれこれ10年間引きこもっていました。新卒で入った会社で上司とうまくいかず経った三カ月でせっかく入った会社を辞めてしまいました。無駄に自信のあった私はすぐ仕事なんて見つかると高を括っており、そんな自信はすぐにへし折られました。

    数社受けても書類選考で落とされる連続で、当時の私はなんで?と疑問でしたがたった三カ月で会社を辞めた根性無しを採用する会社なんて早々無いと今は思いますが、当時の私は性懲りもなく選り好みし、いつしかこんな自分を認めてくれない社会が悪いと思い現実逃避をするようになり、就職活動も半年でやめてゲーム三昧の毎日を送るようになりました。

    最初のうちは外に出る事もありましたが、田舎のため昼間外に出歩くと近所の目が気になり、だんだん外に出ることも無く用事があれば母を使うようになりました。(その用事もたいした用事でも無いと今では思うのですが…)

    定年を迎えた両親からお寺に修業に行かないか、と打診され三十代後半になりもうこれを逃したら立ち直るチャンスはないと決心をしました。

    修行に来て最初は、引きこもって体を使ってこなかったので体力もなく辛いことばかりで毎日「帰りたい。来るんじゃなかった。」と思っていました。人とコミュニケーションを取ることもしてこなかったので、天光寺のスタッフの方や一緒に修業をする仲間の目を見て話すことが出来ませんでしたが、一ヶ月もするとここでの生活にも慣れ、毎朝鏡で見る自分の顔もはつらつとしてきた実感がありました。

    一ヶ月天光寺で過ごし、挨拶の大切さ、健康的な食事、身の周りの生活には誰かの手がかかっていること、それらに感謝を忘れないことを学び、積極的に生きることへのエネルギーをいただきました。

    迷い、燻ぶった時にはここで過ごした生活を思い出し、自分の自信とし、無駄にした時間を取り戻すように積極的に生きていこうと思います。有難うございました。

     

    「滝行してみたいなぁ」というとても安直な動機で、この一泊二日の体験修行にやってきました。仏教に関する知識も信心もあまり持ち合わせていない僕でしたが、自分の当初の期待をはるかにしのぐ、有意義で充実した時間を過ごさせていただきました。

    ここ天光寺での生活は、普段、ネオンと看板広告にまみれた「俗」の世界で悦に浸りながら無為に日々を送っている僕にとって、発見と自省の連続でした。

    まずは「挨拶」。普段の生活の中で、地面に額をつけるというのはもちろん(僕は学生の身ですので)そうあることではありません。それは僕らにとっては「屈辱」の象徴となっています。(そう、きっとあのドラマの影響でしょう)

    僕もはじめは、抵抗感と気恥ずかしさを感じていました。しかし何度かやっていくうちに、とても晴れがましい気持ちになっている自分に気がつきました。これが帰依の喜びというやつでしょうか。いや、それよりも「謝罪」の意での土下座はとても屈辱的なものであるけれど、それが「感謝」を伝えるものである場合は、とても気持ちが良いものになるのだと思います。これはとても新しい発見でした。

    次に「食事」。天光寺での食事は精進料理ということもあり、とても質素なものでした。

    正直、普段の自分なら「味気ない」と一蹴してしまったことでしょう。しかし、ここでの食味ほど有難く、そして身に滋養が染み入っていくような感覚を覚えたものは初めてでした。

    長時間の読経、座禅、瞑想・・・(これらの修行は軟弱な精神しかもち合わせていない僕にはとてもこたえました)によって疲弊ながらも研ぎ澄まされていった心身が、僕にその感覚を教えてくれたのだと思います。

    最後にこの場で出会った子供たちに、僕はとても感銘を受けました。自分よりも一回りも二回りも年齢が下の子ども達でありながら、とても立派に、そして実直に修行に打ち込む姿に接し、自省の念を覚えました。

    「自分はこのようにひたむきに日々を送っているのか」、「困難なことにめげずに立ち向かっているのか」 恥ずかしながら「否」という答しかさしだせない自問の連続でした。自分も、素直さと感謝を忘れずに、ここの子供たちに恥ずかしくないような日々を送っていこうと思いました。安直ですが、本当にそう思います。

    とても貴重な体験をさせていただきました。ありがとうございました。

    山手線に乗っていて新宿駅で降りるとき突然知らないおばさんに声を掛けられました。

    「あんた、すごいのつけてる。そのままじゃ良くないから、どこでもいいからお寺さんなり行ってお帰りいただきなさい」

    私が「はぁ?」と聞く頃にはおばさんは買い物袋を担ぎながら階段を登っていきました。頭のおかしい人だと思いました。

    その何日後かに小田急線で前に座っていた女性が私の顔をじっと見ていました。驚いたような目でずっと見ていて、私が睨み返すと焦って目を反らしましたが時間が経つとまた私のほうを見ていて気持ち悪いなと感じました。

    その週末、地元の川沿いを歩いていたら制服姿の高校生カップルが自転車に乗って走ってきて、私を通り過ぎたあと「すっげーのついてる」というような会話をしているのが聞こえてきました。

    その頃、自分自身でも何かに呪われているのかなと思い始めました。

    身に覚えはまったくありませんでしたがお祓いに行こうと思いネットで調べ始めました。

    申込用紙に自分の先祖を書き、相談内容にはここに述べた内容を書きました。

    当日は、天光寺の住職が作務衣を来てやってきて挨拶しお祓いが始まりました。

    ロウソクを灯した部屋でお経をずっと聞いていました。

    途中、体が急に火照って寒気がして、震えが止まらなくなりました。

    私じゃない別な誰かが私の身体を操りはじめた。激しく呼吸をしはじめました。

    住職が私の肩を抑えましたが、私じゃない私は気が狂ったように叫びだしていました。そして、爪で畳をガリガリとしだし、先週サロンでやってもらったばかりのネイルが剥げてしまいました。見習いの僧侶たちも走ってきて私を止めていました。

    周囲から見れば私が暴れていますが、私も私が暴れていることを空から見ていました。

    お経はずっと続き、真っ暗闇の中から自分の意識が戻ったとき、見習い僧侶はいなくなって住職と二人でした。

    新宿駅のあのおばさんは一体何だったんだろう。という疑問がグルグルしていました。

    「結局何が憑いてたんですか?」と住職に聞くと

    「血縁と全然関係ない。男性だよ。あなたと世代も違うお年寄りの男性」

    まったく身に覚えはないので返答に困りましたが、お祓いの最中には確かに自分に第六感的な何かがありましたからお祓いは受けて良かったんです。

    丁度お祓いから帰った日、自宅アパートに救急車と警察の車が停まっていました。

    翌日アパートの大家さんに聞いたら、私の部屋の下の階に住んでいた70代の男性が孤独死、死後4カ月経過しミイラ状態で発見されたそうです。

    そういえば下の階の住民の生活音が聞こえてこなくなって、電気もつかなくなって、姿も見なくなったと思っていました。

    住職の「お年寄りの男性」と言うのと、

    死後4カ月も経過していたのに、天光寺のお祓いから帰ってきた日に発見されるなんて、このタイミングは偶然とは思えませんでした。

    天光寺のお祓いの日までは発見されず成仏できずに、この世を彷徨って私に憑りついたのかもしれません。

    先月位から金縛りに遭う、私だけがお線香の匂いがする、常に肩に誰かが乗っている感じがする、腰が痛くて起き上がれない、部屋に白いものが飛んでいた、鏡越しに男の姿が見えるなど、あり得ないことが立て続けに起こりました。

    これは母に聞いた話なのですが私が1~3歳だったころ自宅で大暴れして大泣きすることが多く何か怖いものから逃げ回り、憑りつかれている様だったそうです。私は霊的なモノを信じていなかったのですが、これはもしかすると何か良くないものが憑りついているのではないかと思い知人の紹介で天光寺様に相談することにしました。

    天光寺様でお祓いをしてもらいお話を聞いたところやはり私には良くない霊が憑いていたようでした。今回、天光寺様にお祓いをしていただいたことで元の平穏な暮らしが戻ってきました。

    今回は本当にありがとうございました。

    こちらで一泊の体験をさせていただいて、正直、他の方達とうまくやっていけるのか不安でした。でも色々話していくうちに修行の目的など話して頂いたり、様々な事を教えて頂きました。本当に色々な背景があって修行来られているのだと感じました。

    そして、東京とは思えないほどの森の中で、天気が良く、とても気持ちの良い空気でした。

    まず大きく分けて一つ目のスケジュールにて、滝行を行いました。冷たすぎて入れなかったらどうしようと思ったり、最後までやりきれるか不安でした。でも、他にも滝行に来ていた方もいて、気持ちの面などで助け合い、なんとか最後までできました。

    滝に打たれている途中、精神的に強くなった気がして何か良い「気」をもらった感覚がありました。あと、滝行の前に御百度参りをさせて頂きました。決められた距離を往復して空海様にお願い事をさせて頂きました。

    良い空気の中、お腹からしっかり声を出すのはとても気持ち良かったです。

    その後に、瞑想をさせて頂きました。思ったより上手くできず、足が痛かったり眠ってしまいそうになり、何度も訓練が必要だと、感じました。今後は日常生活で取り入れて習慣にしたいと思います。

    物事に対して色々な作法があり、全てに意味があるのだと身を持って体験させて頂きました。「見えない物」の力の強さは計り知れないと思いました。先生や修行に来られている方々には本当にお世話になりました。

    今後は、この経験を活かし、メンタル強化のきっかけになればと思います。また機会があれば連泊もしたいと思います。

    一泊二日で体験修行をしました。都内在住二十代後半の会社員です。テレビやネットで滝行に興味を持ったのがこちらでお世話になるきっかけでした。テレビやネット経由で興味を持った程度ですので、体験修行を体験すること自体を目的としていました。私が行った体験修行は、お百度参り、滝行、写経、写仏、読経、瞑想、寺内掃除、仏壇のお水交換、法話です。同時期に一泊二日で申し込まれた方がいなかったため、濃密な体験修行をすることができました。私はこちらで修行とは何かを考える機会に恵まれたこともあり、二日間で断面的な知識を習得し、今後、可能な範囲で体系的、建設的に学び直し、知識を深めることで日常の中で知を実践し、徳を積みたいと考えるようになりました。半日修行もよいですが、お時間が許す方には一泊二日の体験修行を強くおすすめいたします。

    このたびはお祓いをしていただきありがとうございました

    息子は順調に体調を回復させています

    前々から敏感な子で、不思議な事がたくさんありましたが、私たち家族は霊能力やそういった世界をもともと否定はしていませんでした。

    主人が東北出身ですが、おばあさまにあたる方がイタコをしていたようなので霊感は遺伝かと思われます。

    天光寺様へ行く前、息子の敏感さがピークを迎え、色んなものが見えてしまって苦しんでいました。

    金縛りにあうことも連日で、体調まで崩してしまいました。

    地方の大きいお寺でお祓いしてもらおうかと話していましたが、東京都内でこのようなお祓いをしていただけるお寺が見つかって良かったと思っております。

    お祓いを担当してくださった天光寺ご住職様がおっしゃいました。

    息子の人生を通して何度か、霊能力で苦しむ時期がくるそうです。

    しかしご住職様がご存命な限り力になってくださるとおっしゃってくださいましたので、たいへん心強いです。

    天光寺様、これからも長いお付き合いをしていただけますと幸いです。

    今後とも何卒よろしくお願い致します。

    仕事柄、病院内で不思議な事が起るのは日常茶飯事です。

    私は共感体質みたいで、患者さんの思いなどに自然に感じ取ってしまいます。

    境界線がないというか。

    そんなんでは体がもたないよ!スルーしなさいと周りにはいわれるのですが、上手くできなくて悩んでいました。

    なのでこちら天光寺様にきて、お祓いをしていただいていただこうと思ってきました。

    唱えていただいたお経はお腹にずしんと体中に響き、すごい安心感と、強さをいただきました。

    これから毎日、教えて頂いたお経を日々唱えていきます。

    本当にありがとうございました。

    約三日間本当にお世話になりました。ありがとうございました。この三日間様々な経験をさせて頂きましたが、滝行が得に心に残っています。滝行ではトップバッターに立候補できたのが自分の中での大きな第一歩でした。私はすぐに周りに流されたり、回りに合わせてしまうような傾向があります。そんな中で滝行を最初にやるという事はかなりの不安でした。ですがこのお寺での生活で「一歩踏みだす勇気」を頂けたのでトップバッターで滝行が出来ました。実際近くで滝を目の当たりにした時は緊張と不安でいっぱいでしたがいざ入ってみると予想以上に楽しかったです。声を出すことで日々の色々なストレスが発散され悪い事が放出されたような気持になりました。勇気を持って行動することで得られるものがあるという事を学びました。今までなら絶対避けていたことを果敢にチャレンジする価値があると今なら挑戦できるかもしれません。

    この経験以外にもたくさんのことを経験させていただきましたがその全てに共通するのが「積極性」なのだなと考えました。講話なども話して頂きましたが「積極的に行動することで運も回って来る」という言葉が凄く自分の中に響きました。私の母は何事にも消極的な人です。思考も後ろ向きでいつもなにかあると「私のせいだ」と言うようになりました。いつの間にか母はうつ病を抱えていました。今はもう完治しているのですが母が病気だったころは家の雰囲気もどんよりとしてしまっていて私の心もあまり元気ではなくなってしまっていました。それからというもの、テスト。友人関係、習い事など私の身の周りの全ての調子が狂っていしまいました。今思えばこれは悪い気が溜まっていたのだというふうに捉えられますが当時はなぜ急にうまくいかなくなってしまったのかと更に消極的になってしまいました。この経験があったからこそ積極性の大切さが分かりましたし逆に言えば自分の積極性で誰かをいい方向に持って行くことだってできると感じました。積極性は誰もがやらないことを最初にやる、つまり一歩踏み出す力が重要であると考えます。そのためにも滝行のトップバッターや思った事をすぐに質問したり、そのような足掛かりをこの三日間で少しでも作ることが出来ました。

    この三日間自分を見つめ直しチームで励まし合い、得られたものがたくさんありました。それは指導、サポートして下さった皆様のお陰です。本当にありがとうございました。普段絶対に出来ないような貴重な体験を決して無駄にはせず社会人に、そして今後の人生に活かします。この三日間本当に有難うございました。

    三日。僕は今までにも何度か二泊三日の合宿をやったことがあったので、わりと楽な方ではないかと思っていました。なのでまさか1日目で疲れはてるなんでそうぞうもしていなかったです。

    1日目、朝は少し早めに起き、支度の確認をしていた時、どんなことをやるのか?またどんな感じでやるのか?などとたくさん疑問に思っていました。しかし、まず第1に、お寺までが案外遠いです。僕の場合中央線などを使うと、結構はやい方だと思ったのですが、特にバスが長かったです。お寺に着いて、母が帰った後、早速挨拶の仕方から始まりました。

    僕は結構年上の方と話すときの言葉遣いも直したいと所だったのでがんばって練習しました。また仏教についても色々教わりました。祖母の家では仏教を信仰していたので知っている事もあり、また新たな知識も増えたので面白かったです。

    滝行は、1日目はおどろきました。まず水の冷たさです。頭からかぶった時、少しパニックになったような感じでおどろきました。そして入って行ったとき、その水に流れの速さにも驚きました。

    二日目の前日の夜から話をしていました。それは、二日目は滝に入るかどうか。正直滝は怖く、入りたく無かったです。お坊さんには、「結果的に一日目はできたのだから、二日目もできる」と言ってくれました。でも二日目の朝まではなかなかやる気にならなかったです。しかし、一階の奥の部屋にある仏様の水を変えた後、僕は一つに決まり、朝ごはんの時に決めました。もし滝に入るときに後ろの岩までいけたら三日目は入らない。そうしたら二日目にやろうと言うモチベーションになり、わりと楽にやることができました。ここから学んだ事は、目標を立てれば物事を最後までやることです。

    また別に滝は目標を立てたから楽に出来た問ことは良いことだと思います。ヤな事をめんどくさがらずやることも大切だと思いました。

    三日目は午前中がかなりハードでした。社会人はもうすでに自立して生活しているという実感が初めて湧きました。一緒に行動した社会人8人は僕より背の高さがあまり変わらないので、最初は高校生くらいだと思いました。なので、社会に出て働いていると聞いたときは、驚きました。

    そんな人と一緒に色々な体験できたので良い経験になりました。どんなにめんどくさい事があってもどんなに辛い事があっても、この体験を活かして頑張りたいです。

    最近、調子が悪く、人間ドックの結果で絶対何か異常が出るだろうと思ったらどこも異常無しの健康体でした。しかし体がしんどい。あと、僕は霊的な世界は信じない派なのですが、なぜか呼ばれるようにお祓いに行こうと思っていました。天光寺にお祓い問合せを送ったら迅速に返事が来て、予約の手配もスムーズだったので計画も組みやすく助かりました。

    お祓いはお試し感覚の気持ちでしたが、僕の感覚は当たったらしく、霊が原因の体の異常でした。なぜかというとお祓い以来、体の調子が良くなりました。

    高尾先生から女性関係の注意を受けましたが、どうやら別れた女性が憑りついていたようです。高尾先生に払ってもらえて良かったです。

    別れた女性はハーフの子だったので、特徴を当てられてびっくりしました。霊を信じない僕が天光寺のお祓いに来ようと思ったのも自分の先祖のお導きかもしれません。

    先生、ありがとうございました。女性関係には気をつけます。今日は天光寺に来て良い機会になりました。

    本日はありがとうございました。

    終わった後視界が明るくなりました。

    誰にも話せなかったので、真剣にお話しも聞いてくださり、とても嬉しかったです。信じてくれなかった母もお線香を焚こうなど自ら言ってくれるようになり嬉しいです。

    あの後 彼から部屋の写真が2枚きましたが、何故というくらい白くくすんでいで気味が悪かったのであまり見ませんでした。頑張って距離も置くことにします。

    咳がまだ止まらず少し苦しいですが、治るのを信じて待ってみます。

    暖かくなったら修行に行こうと考えております。

    本日は本当にありがとうございました。

    以前から修行に興味がありました、興味があるといってもどのようなことをするのかが修行なのかというのはわからず漠然と、制限のある生活といったイメージを持っているだけでしたが・・・。その一環として滝行も併せて経験しようと思い今回、一泊二日で参加することにしました。

    お寺に入るとすぐにお線香のにおいがしました。これは結構好きです。それから、一緒に一泊する人たちとの対面。気さくな人たちでしたので、ご飯や入浴等の時間も楽しめました(笑)

    滝行は想像より辛くなく、安心しました。大きい声が出せないのは残念でしたが、冷たさと滝にうたれるのに我慢するのは意外といけました。でもやっぱり一人では無理だったかも。まわりの人の応援が励みになります。

    お経を読むのもやりました。一時間も二時間も読み続けるなんてびっくりです。時計もないので、今どれくらい経っているのかわからず、唱え続けるしかなかったです。

    二日間、淡々とやることをこなしていく感じでした。

     

    ケータイもなく、食べたいものも食べられず確実につらさはありましたが、でも、これもいいなと思いました。今後はもっと長めにやってみたいです。

    ありがとうございました。

    今回は滝行を経験したく応募しました。宿泊するプランもあり、せっかくなら色々な修行を体験したいと、1泊応募することにしました。

    滝行に向かうときは、様々なエピソードを聞き、少し緊張していました。滝のところについた時には、山をのぼったのと、少し緊張と、かけ声を出していたので滝に入る直前は少し息が苦しかったと思います。少しびびっていたのもあり、あまり奥まで入れませんでしたが、みんなの声とお坊さんの声が聞こえたので頑張れました。最初の数秒は息ができないと思いましたが、だんだん慣れてきて冷たさもすぐになくなりました。本格的な滝で滝行ができ良い経験ができました。

    お寺での修行や、お食事前のあいさつなど、普段はあまり意識できていなかった事を改めて強く印象づけできたと思います。同じ体勢でずっと般若心経をとなえたり、発声をしたり、習字の筆で文字をずっと書いていくのは正直辛く、すぐに体勢をくずしてしまったりしたので、忍耐力が全然ないんだと気づくことができました。

    お坊さんはお食事の時も様々な話をしてくださり、1泊2日楽しく過ごすことができました。

    まだファイルの中の紙を全て読めていないので、家でゆっくり読みたいと思います。

    ありがとうございました。

     

     

    同居の祖母が亡くなってから家で不思議な事が起こるので、お祓いに来ました。

    うちは僕と父と祖母の三人暮らしのようなもので、大学入学と同時に出ていってた兄と、結婚して神奈川に住んでいる姉がいますが、両方とも年が離れていて、お正月とお盆に集まるぐらいです。

    祖母は91歳で亡くなったので長生きだと思います。

    亡くなる寸前まで元気に僕とお父さんのご飯を作っていて、叔父さんは「ピンピンコロリは理想の死に方」と言っていました。

    家で夜寝るときにおばあちゃんが歩いている足音がしたり、家に入るときに「のりちゃん、おかえり」という声が聞こえます。あと、仏壇に飾ってある果物が、おばあちゃんの話しをした途端にゴロリと落ちました。

    怖くはないけど、何かおばあちゃんが僕に言いたいことがあるのかもしれないと思って、霊と話しができる人を探していました。天光寺に凄いお坊さんがいらっしゃると、ネット情報ですが、信憑性があったので予約しました。

    高尾先生に祖母は何か言い残した事があるのか?質問しました。

    「君は来年就職で、県外に出ようとしているよね。家で一人になるお父さんや、土地のことを心配しているよ」と言っていました。

    僕は、本当に、地元では就職先はないので東京に行きたいと思っていました。

    でもそれは祖母にも父にも話したことはありません。初対面の高尾先生がなぜ僕の心の中を読んでいるのか?不思議でたまりません。

    高尾先生には、毎日仏壇にお線香と、お水だけでいいからあげて、お金をかけなくていいから気持ちを込めて手を合わせるようにとアドバイスを受けました。今、家で起きている物音や祖母の気配は今だけの現象だと言われました。

    おばあちゃんを心配させたくないなと思いました。

    県外からですが、天光寺まで行って、祖母の気持ちが知れたので良かったです。

    高尾先生の言っていたことを家で実行しようと思います。

    法話のお話の中で、私は密教の歴史と考え方についての2つのお話が印象に特に残りました。

    1つ目の密教の歴史について印象的だったのは、私は高幡不動尊や京都の東寺などの密教の寺によく足を運ぶ機会が多くありながら、密教についてあまり知らないことが多く、今回のお話で今までの記憶が一つの線になったからです。密教はインドで廃れそうになった仏教が勢力をどうにか失わないようにと考え出された仏教の一つだと知って、現在の力が弱くなっている日本の仏教にも役立つ点が沢山あるだろうと思われます。この点において私は密教の抱えて来た背景が感じられ、お釈迦様がお広めになった原始的な仏教よりも広い範囲の人を救済しようという考え思想があるのではないかと推測されます。

    2つ目に、私は考え方についてのお話を聞いて、もっとポジティブな方向に考えていった方がよいなと思いました。私は最近就職について企業から採用してもらうのは難しく、多くの企業からお声がかかって二次面接に行ったり内定を頂くことは難しいだろうと思っていました。けれども、そのような考えは自分の好いチャンスを逃してしまう可能性があり、自分の人生を自分で台無しにしているのではないかと思いました。自分の縁を広げるためにも、人生に対してもっと積極的に考えていった方がよいと感じました。

    これからは、積極的にポジティブに考えて自分の人生や身内の繁栄や日本の人々の幸福のために自分の人生を自分のために使っていきたいと思います。

    不倫関係にあった彼女を自殺に追いやってしまった経緯があり、長年自分を責めて苦しんでいます。なんとか頑張るしかないと頭では理解していています。仕事の激務に追われて自分をごまかしながら生きていますが、ふとした瞬間、猛烈に胸が苦しくなります。この苦しみからなんとか救ってもらおうという気持ちで今日は高尾住職のもとへやって参りました。長い時間お経をあげてくださり有難うございました。彼女の供養という意味でも良い時間になりました。これから私は世の為人の為生きていこうと思います。高尾住職もお体を大切におつとめください。

    高尾住職様、この度はお足元の悪い中を我が家までお祓いに来て頂きましてありがとうございました。何の罪もない我が家です。そして、交通事故で我が家の庭まで跳ね飛ばされた男の子にも何の罪もありません。悪いのは車の運転手です。我が家の年頃の娘たちも庭で亡くなっていた見知らぬ男の子の姿を見てトラウマに苦しむことになりました。もし、高尾住職様にお祓い頂けなかったら、娘たちはもうこの家に住む事ができなくなっていたかもしれません。高尾住職様がお祓いに来た夜から我が家に笑顔が戻りました。お寿司を囲み、私と妻はビールを頂き、「これも運命だね」と、車との衝突で我が家の庭まで跳ね飛ばされ亡くなった男の子の冥福を祈りました。一番辛いのは亡くなった被害者本人です。

    高尾住職様のお祓いのお力を信じて、再度また娘たちにとって居心地の良い我が家にできるよう努めていこうと思いました。庭にも再びガーデニングを始め彩り豊かな交通事故前の以前のような庭に戻したいと思います。高尾住職様、この度は本当にありがとうございました。

     

    滝行に興味があり、学生最後の夏休み悔いのないように挑戦しようということで、女一人で一泊二日申し込みました。不安もありましたが、他の参加者の方たちとも仲よくなることができ、とても充実した二日間になりました。滝行は、気温や季節も丁度よかったため、私が想像していたよりも苦ではありませんでした。ただ、滝に入った瞬間のゾッとする冷たさと、滝のすさまじい水圧に圧倒され、最初の5秒間くらいは息ができませんでした。しかし、しばらく滝に当たっていると、温度にも水圧にも慣れていき、心地よくなっていきました。

    滝行は、入る前の気合いが大切だと思います。滝に入ってしまえば、お坊さんや周りの参加者の方たちが、かけ声をかけて下さるので、大丈夫です。滝行に挑戦するか迷っている方がいれば、ぜひ参加してほしいです。根性がつきます。私も今度は真冬に挑戦したいです。

    滝行以外にも写経や写仏、瞑想など様々なことを体験することができました。ご飯も健康的でとても美味しかったです。とても勉強になりました。二日間ありがとうございました。

    とても充実した時間が過ごせました。ありがとうございます。滝行は以前から興味があり、体験ができてよかったです。お寺の方がよく面倒を見てくれて助かりました。住職さんにアドバイスを頂けてとても勉強になりました。

    自然の中で日常からはなれて心身ともにとてもリフレッシュできました。

    修行仲間もとても良い方々で出会ってお話ができてとてもよい刺激となりました。人生が活性化すると思います。修行仲間の一人は昨日は親に無理矢理つれてこられた感じでしたが、一日で態度が良い方向にかわりおどろきました。次回は息子に修業させたいです。

    先生のお話はとても興味深く勉強になりました。先生の食事はとても美味で料理教室をひらいてほしいです。

    声出しをした後はとても気分がよくなりました。家でも実行したいと思います。滝行は苦しかったですがとてもすばらしい体験ができました。

    最後に皆様、色々とありがとうございました。

    Instagramに載せるための写真を毎日iPhoneで撮るのですが、心霊写真っぽいものが多く撮れて、気持ちが悪くてお祓いに来ました。機種を変えたばかりなのでカメラの故障とは思えなくて。いつも白いモヤが写ったりします。気持ち悪いので変なものが写った写真は全部削除してます。お祓いのときお坊さんに斎場で写真を撮ったりしていないか聞かれ、「していません」と答えましたが、あとでママに聞いたらいつも写真を撮る場所があるのですが、そこが○○斎場の敷地内でした。ファッションの写真を上げるので背景が綺麗な場所と思っていたら気付かず斎場前で写真を撮っていたみたいです・・・。なのでお坊さんの言ってたことは当たっていました。お坊さんによろしくお伝えください。あと、お祓いに来てから何回かは知らずに斎場で写真を撮ってしまっていたのですが、あれからもう心霊写真は撮れなくなりました。すごく助かってます!!

    会社を経営しております関係で、色んな方にご縁をいただきます。

    その縁で、ある宝石を買うことになりました。

    その石は一目見た時から気になってしまい、値段を聞く前に購入することを決めてしまったほどです。

    しかし、その宝石をつけだしてから、いい事も起きるのですが、今まで無かったトラブルも起きるようになりました。アップダウンが激しいのです。

    本当に宝石のせいなのか?とつけないでしまっておくようになりました。

    売ってしまおうかとも考えましたが、どうしても惹かれて購入したので、お祓いをしていただこうと思い天光寺様に参りました。

    ありがとうございました。

    私は学生時代の頃ギャンブルで作った借金100万を両親に肩代わりしてもらい、今は妻や小さな子どもがいるにも関わらず、また同じくギャンブルで300万借金を作ってしまいました。

    守るべき家庭があるにも関わらず、ついギャンブルしてしまう意志の弱い自分と決別する為に、今回こちらで修行をすることを決めました。

    携帯を預けなければいけなく、すぐスマホをいじってしまう自分にはきつかったですが、これもスマホ依存症だ、と何かに依存してばかりの自分に凄く呆れました。

    修行はどれも精神的にも体力的にもきつく、本当に自分は甘ったれた人間だと思いましたが、ここで投げ出しては何も変わらない、と自分を奮い立たせました。

    一泊二日と短い時間でしたが、これまでの自分を振り返り、これからの自分がどうあるべきかをえるきっかけになり、有意義な時間を過ごせました。

    これからは支えてくれる家族を裏切るような真似をせず、まっとうな人間になります。

    近日、目標が特になくやる気がなくなって、どんどんマイナス思考になっていました。何か自分にとって刺激が欲しく、たまたま天光寺の修行体験のHPを見つけました。即座にこのプログラムに参加し、精神を鍛えようと決意しました。

    一泊二日の貴重な体験の中、最も印象に残ったのが滝行でした。人生初の滝行でしたが、冷たい水を水圧に負けなかったことで自分の殻を破ってやったと思えました。だからこそ、今後人生でつまずいた時は、この日のことを思い出したいと思います。私はできるんだ!と自信を持てたし、「何も不安など無い」「心配などいらない」「決意したことは揺らぐことない」と、身を持って確かにしたのは私だから。直後邪気が飛んでいくかのようにすっきりしました。「積極的な言葉を使おう」と試みてはいても、なかなかうまくは続かないのも悩みの種でした。それはきっと不安や迷いから来る揺らぎが影響していたのだと思います。

    前述のとおり、私はもう自信を持てているのだから、クリアになりました。これからは何があっても積極的に明るく生きていけます。多分それにも日常において訓練が必要になるので、本日学んだ瞑想を習慣化します。二日目の朝の瞑想、正座で唱える13仏真言、普段味わうことの無い貴重な体験をさせて頂きました。このように修行をしていらっしゃるのだと考えると、並みならぬ体力、精神力をお持ちなのだろうと身を持って考える事が出来ました。日常生活で楽を選んできている私が恥ずかしくなり、日常を改める機会とさせていただき、本当にありがとうございました。

    一泊二日間、お寺で修行させていただき、仏様についての知識も深まりました。

    元々漫画などを通じて興味は持っていましたが、それぞれに真言があることや、まさか自分がお経を唱える側になるとは夢にも思っていませんでした。

    お食事も健康的で美味しく、最近不健康気味だった食事内容を改める機会となり、心も体も浄された気分です。

    健康は食事から、本当にその通りだと思いますし、また明日から普段の生活に戻っても、この修行での経験を忘れる事はないと思います。これはもう仏様に誓います。

    最後になりますが、このプログラムで共に励まし合いながら過ごしてくださった住職のみなさま、ありがとうございました。今後人生に迷った時もそうでもない時も決して自分を甘やかすことなく美しく生きていく事を決意出来ました。貴重な体験させていただき、心より感謝いたします。

    先日は当施設にお越し戴き誠にありがとうございました。天光寺様のお祓いの儀式を受け、当施設も穏やかさを取り戻しつつあります。緩和ケア施設という場所柄、スピリチュアル(霊的指導)や宗教家との関わりもある為、我々の立場から死後の世界を否定する事はできませんが、今回の出来事は我々としても霊的プロフェッショナルの方のお力が必要だと判断しご依頼へと至りました。特にスピリチュアルを多方面で感じてしまった職員に関しましては個人的に御対面をお願いさせていただいております。天光寺様の霊的施術を受けた後には落ち着きを取り戻している様子ですので重ねてお詫びを申し上げます。今度とも我々職員一同、霊的世界への理解を今まで以上に深め、大切にし、仕事に従事して参りたいと思います。

    中国人です。

    今、日本に留学してます。

    日本では2011年に大きな地震があったので、その跡地を見に東北のほうへ行ってきました。たくさんいろんなことを考えさせられましたので、

    少しでも浮かばれない魂がなくなりますようにと祈りをこめて、天光寺にやってきました。

    天光寺は東京なのに大自然の中にあってすばらしいです。

    とくに東北から帰ってきてからは背中から肩、首、ずっしり重かった

    それが今日晴れました。

    良い経験、良いお寺に出会えました。どうもありがとうございます。

    初めに滝行体験等 1泊2日間大変お世話になりました。

    友人から紹介され1人で参加致しました。

    今年の6月から自営業として仕事を始めさせて頂き、自分との向き合い方や、自分自身をより深く知り多くの人を扱える人間へと成りたいと思い参加しました。

    常に冷静に易しく指導して頂き、易しくして頂いた恩を仕事に戻りクライアント様、従業員含め多くの人に見返りの求めない愛情を注ぎ自分も会社もこれまで以上に精進していきます。

    夢や目標を言葉にし、前向きな人生を送れるように致します。

    今回は、一泊二日で体験修行をさせていただきました。

    貴重な経験ばかりで、本当に来てよかったと思いました。

    天光寺の皆様、お世話になり、ありがとうございました。

     

    私は、今回の体験修行で、滝行と写経を楽しみにしていました。

    滝行は、台風が去った次の日ということもあり、通常よりも水量が多かったようです。しかし、初めての私にとっては、水の量が多かろうが少なかろうがあまりよくわからないので、やるしかないと思い、夢中で経を唱えながら滝行をしました。皆さんの応援のおかげもあり、無事にやりとげることができました。入水までは不安や恐怖がありましたが、入水してみると、だんだん楽しくなり、すがすがしい気持ちで終えることができました。

    自然の中に身を投じることで、身心共にリフレッシュでき、すっきりとした気持ちになれたのは、すごくよかったです。

    私は、字を書くことが好きで、また習字をしたいと思っていたので、今回写経ができたことは嬉しかったです。いろいろな体験をさせていただきましたが、なかでも写経が最も集中して取り組めたと感じています。また、やってみたいと思います。

     

    他にも、あいさつやそうじなど、日常生活でも活かせるようなことや、気持ちの持ち方など、本当にたくさんのことを学ばせていただきました。苦しくても諦めずやりとげる、そして前向きな気持ちで生きていく、感謝の気持ちを忘れない、今まではわかっていたようでわかっていなかったというか、甘かったなと感じました。今日からは改めて、新たな気持ちで生きていきます。

     

    本当にありがとうございました。

    三日間とても有意義な時間をすごさせて頂き感謝の気持ちで一杯です。

    ありがとうございます。

    半年前、新人研修でお寺に修業に行くと聞いたとき、正直「行きたくないなぁ」と感じましたし、学校の友人たちにも馬鹿にされました。

    しかし、今から三カ月ほど前、卒業制作の途中、私は自分のやらなければならないことを投げだし、楽なほうへ転がってしまい、そんな自分のことが嫌になってしまいました。

    今回の研修では少しでもそんな自分を変えようと思いのぞみました。

    天光寺での修業は全てが自分の想像以上でした。いつ終わるか分からず永遠のように時間が流れる中で読むお経。肉の無い質素なご飯。極寒の中で打たれる滝行、

    運動不足の身体にムチを打つお百度参り、三禮。

    スマートフォンのない生活、どれも過酷で二泊三日何度も投げだしたくなりました。

    しかし、どの行も最中に無心になっていく感覚が生まれていきました。

    スマートフォンのない生活も新鮮で、外界との繋がりから解放され、スッキリした気分を味わうことが出来ました。

    今回の研修を通して、やり抜くことの大切さや呼吸の扱い方を学び、以前の自分から少し変われたような気がします。

    会社が自分たちを研修に行かせてよかったと思って頂けるからは、今後の自分たちを見て頂ければと思います。

    また、この研修で一番嬉しかったことは、今後一緒に働いていく仲間と一体感を味わえたことです。この仲間たちと助け合いながら頑張っていきたいと思います。

    旅先の国でミイラの展示を見たあと、宿泊先の宿で怪奇現象が起きてしまいました。

    友人と6人、全員同じ現象を受けたので「気のせい」で済まされる問題ではなくポルターガイストでした。帰国してからなんとなく気持ちが悪いので皆でお祓いに行こうという事で、テレビ番組で知った天光寺さんへ6人みんなでお祓いに行きました。

    除霊は長い時間のお経で、真剣に取り組んでいただいているのがわかりました。気持ちの面でスッキリしましたし、日本に戻ってきてからポルタ―ガイスト現象には遭っていないので、このお祓いのおかげかもしれません。貴重な経験、心のこもったお祓いをどうもありがとうございました。

    私にとって、天光寺さんで過ごさせていただいた2泊3日は、今まで経験したことのないことばかりで、貴重でした。この寺に来るまでは、正直会社での研修がお寺だから仕方ない、可もなく不可もなく過ごしたいと思っていました。ですが寺に来る前の晩、寺でするであろう滝行や出てくるであろう精進料理を調べてみて、こういったことに私は耐えて無事3日を過ごすことができるのだろうかと憂うつになり、不安になりました。母や父にもつらいと思うけどがんばるんやでと言われてしまいました。なので、せっかくお寺に2泊3日で様々なことをやらせていただけるなら、全力でやり切って、清々しい気持ちで帰りのバスに乗りこみたいと思いました。また、同期のみんなとまだ会って日数が浅いので、もっと色んな人とコミュニケーションをとれたらいいなとも思いました。そして、いざ天光寺さんに到着すると、身の引きしまるような雰囲気で、2泊3日がんばって、自分なりにできるところまで全力でやり切ろうと改めて思いました。スマートフォンや、財布、煙草が没収され、南無大師遍照金剛同行2人と書かれた服を着ると、不安ながらも始まる3日間に緊張しました。

    1日目は、住職に自己紹介をしたり、初めての精進料理をいただいたり、呼吸の方法、大きな声であいさつ、お経を読んだりして、長いと感じた1日でした。大きな声を普段あまり出さないので、自己紹介やあいさつの練習は緊張しました。また、お経を読むとき正座なので足がすぐに痛くなってしまいました。また、普段は偏食で野菜を食べないのですが、せっかくの精進料理だったので、お寺にいる間は野菜を残さず食べようと決めました。また、学生時代に書道を習っていたので、写経も何度かしたことがあったのですが、仏様の前の何とも言えないような静かな雰囲気でするのが初めてだったので、とても集中できました。

    2日目は、私にとってはメインイベントの滝行、お百度参り、三禮をしました。お百度参りでは、普段運動しないので、他の人についていくので精いっぱいでした。終わったら体が温まって気持ちが良かったです。その後、滝行に行きました。滝に入るまでは、少なくとも1分くらいは入りたいと思っていました。ですが、南無大師遍照金剛と3回程唱えたくらいで滝を出てしまい、悔しかったです。同期のうち、3分滝に入れなかったのが4人だけだったので、もっと自分にも出来たんじゃないか、もう無理だと甘えてしまったのではないか、とても情けない気持ちになりました。他の人を応援しているときも、他の人は必死になってがんばっていて、私の寺に来る前に思っていた全力でやり切るという気持ちを滝行のときにあまりの冷たさに忘れていたんだろうと思いました。確かに、滝行が終わったら、スッキリしたような感覚になりましたが、悔しいという気持ちが残りました。

    寺に戻って三禮をするとなったとき、今度こそ全力でやり切ろうと思いました。正直、三禮が一番精神、肉体共に厳しい行でした。途中、何度も、体を止めたいと思いました。何度か苦しさのあまり泣きそうになりました。ですが、同期からのがんばれという声が聞こえて、体を動か続けることができました。あそこで声が聞こえなかったら、体も止まってしまったかもしれないし、同期には感謝しかありません。三禮は、同期のおかげもあり、自分にとって全力を出しきれて、清々しい気持ちとともに、同期全員で何かを成し遂げることの達成感を味わうことができました。

    3日目は、ヨガや住職の話を聞いたり、瞑想をして、気持ちを落ちつかせたりしました。特にヨガは、気持ちがよく、途中少し寝かけてしまいました。

    この2泊3日の寺修行で色々な普段体験できないような経験をして、今後、つらいことがあっても、三禮よりはましだと思えば、がんばれると思います。私個人の目標も、滝行では悔しい思いをしましたが、三禮で取り返せたと思います。貴重な経験楽しかったです。ありがとうございました。

     

    娘が自宅マンションの階段に女性が座っているのが見えると言い出し、学校にも相談したようで中学の担任からも親に話しがありました。専門へ相談してみてはどうか、心の病気を疑ってみてはどうかなどのアドバイスがありましたが、テレビ局に勤める親族の紹介で高尾先生にご連絡をさせていただくご縁を頂きました。お会いするなり娘に対して高尾先生から一方的に話しだしまして、娘が大切にしているクマのぬいぐるみの話などの話題から、階段の下から三段目ぐらいのところに女の人が怖い感じで見えてしまうんだよね、と、娘がいつも言っている内容を話し出したので、紹介してくれた親族があらかじめ内容を伝えてくれたのだとばかり思っていました。あとで内容は何も伝えられていなかった事が判明したときには驚きを隠せませんでした。更に驚いたのが、我が家には「立派な仏壇がある。かなり立派な仏壇なのに仏様が喜ぶようなものを何も供えていない」と言われ・・・うちには確かに大きな仏壇があるのですが閉めたままで使用していないのです。娘に対してのお祓いと、アドバイスとして「お線香1本とお水だけでも仏壇に供えてあげるように」と教えていただき今はその通り実行しています。娘は高尾先生に会って以来、女性の幽霊を見ることがなくなったようです。高尾先生曰くうちの娘は霊感が強いので、それを良い方向に使うようにとのことでした。今後、娘にまた何かあったときには高尾先生を頼りにさせていただこうと思います。そのときはまたよろしくお願い致します。

    一泊二日という限られた短い期間ではありましたが、優しさをもって接して頂き、また多くのことを教えて頂き本当にありがとうございました。また普段おろそかにしてしまいがちな礼儀、作法の重要さを再確認できました。

    今回、修行に参加させて頂いた理由は、自分自身が家庭、職場などの人間関係に悩みを持っていたからです。自分は怒りによって自分の感情をコントロールできなくなってしまったり、そうならなかったとしても、怒りによって他人のことを悪く思ってしまいます。そんな自分に対して自己嫌悪してしまい負のスパイラルに入りこんでしまっていると感じました。なんとか嫌なこと、自分にとって理不尽だと思うことも素直に受け入れられるようになりたい、怒りの感情が先に出てくるような人になりたいと思っていた所に、友人から今回の修行の誘いを受け、自分の悩みの答え、ヒントでも見つければいいなと思い参加させて頂きました。今回参加させて頂き、正直これが答え、これでもう大丈夫というものは見つかりませんでしたが、たくさんのヒントを得ることができました。まだ自分の中で消化、飲みこみきれていないものも多く、今の段階で心に残っているものをいくつか書かせて頂きます。

    まず、今回の経験で自分に一番必要なものは「積極性」だと思いました。自分の中で問題点はわかっているが、解決法がわからず、解決法がわからないのであれば自分にはどうしようもないと悪い開き直りをしてしまっていたと思います。今回の修行体験も友人の誘いですが、今後は受動的にいるのではなく、能動的に動くよう変わらないといけないと思っています。

    問題点がわかっているが解決できないなら、その問題から逃げずに、乗り越えられるまで努力を続けることが大事だと思い、今後行動に移す勇気をもらえました。長時間の読経や滝行も辛いと感じる瞬間はありました。しかしそこで諦めずに自分なりではあるけれども歯をくいしばって耐え続けることで達成感がありました。今後も辛くて嫌だと思う事があると思いますが、やり切ることで得られるものが絶対にあるとわかったことで勇気をもらえました。

    どうしてもここに書いておきたいことがもう一点あります。

    それはお坊さんがして下さった「成仏」の話です。仏を敬うことは誰しもがすることだけれども、人間もどんな人でも敬うべきなんだというお話です。

    死を迎えると人間は成仏する、つまり仏に成る、だから現世の生きている人間は必ず仏になる存在なのだから敬うべきだと言われ、感動しました。正直、自分の中でどうしても敬うことができない人や嫌いな人がいます。今まではその人たちと接していると負の感情を抱いてしまいそんな自分に自己嫌悪してしまっていましたが、今後過ごしていく上で素晴らしいヒントになりました。

    教えて頂いたことに対して感想文の内容がともなっていなければ申し訳ありませんでした。それでも今回のことは自分にとってとても重要なことでした。

    短い間ではありましたが、本当にありがとうございました。

    1ヶ月半前あたりから夜中にラップ音が頻繁に聞こえるようになり、お風呂場では櫛や剃刀が落ちてきたり部屋でハンガーが落ちてきたりしました。その頃から感情の浮き沈みが激しくなり、コントロールが出来なくなっていました。金縛りもよく起こるようになり、嫌な夢も度々見るようになっていました。

    そんな私の状態を見かねた友人の勧めで天光寺様にお祓いに伺うことにしました。

    私は霊というものを全く信じていなかったのですが、実際にお話を聞き、霊の存在、また私のこの症状は霊によるものだと確信を持つようになりました。

    お祓いの時は、意識はあるのですが動くことも出来ず、喋ろうとしても口が動かず、自分の身体であるはずなのにほかの誰かに乗っ取られているような感じでした。

    お祓いの後からはそのような事は起こっておらず、前のような平穏な暮らしをおくれています。この度はありがとうございました。

    私は、昔からとても消極的な性格でした。

    小学校の頃は、自分から何かをしようと思ったことは無く、人前で話すことが好きではありませんでした。

    この性格を変えようと思ったのが、中学生の時です。

    親の再婚で引越しをすることになり、中学校は知り合いが誰もいない状況で入学しました。

    話しかけられるような性格ではなかったので、教室では一人で過ごすことが多く、

    不登校にはなりませんでしたが、学校に行くのはあまり好きではなかったです。

    しかし、高校に進学するにあたりまた新たな環境でも同じ状態にはなりたくはなかったので、もっと積極的に色々なことをやっていこうと思い始めました。

    委員会に入ったり、合唱コンクールで指揮者に立候補したりと自分なりに変わっていこうと考えて実行しました。

    今では、初めての人に話しかけに行くように努めたり、何か行事があれば積極的に参加するようになりました。

    まだ、話の輪に入れなかったり、多人数でいることが苦手だったりしますが、

    この先の自分の人生のためにも、何事にも向上心をもって積極的に取り組んでいこうと思います。

    今回の寺研修については、まず1日目は正座するのが辛くて夜の写経に全く集中できなかったのが心に残っています。

    最初に一人一人挨拶した時は、大きい声が出せるか正直不安でしたが、一人目の子から大きな声を出して言ってくれたので私も普段出さないような声を出すことができました。

    正座してお経を唱える時は、声を出して読むことより床に正座をして長時間過ごすことがきつかったです。

    夜の写経は中々難しく、足の痛さに気をとられて写経に集中できなかったのが悔しいです。

    周りの皆が終わっていって少し焦ってしまい、最後のほうが適当になってしまったことは反省しています。周りは気にせず、もっと余裕をもって行動したいなと思いました。

    2日目は運動する行が多く1日中緊張と不安でいっぱいでした。

    最初は、お百度参りをしました。

    コンクリートの上を裸足で走るのは大変でしたが、天気も良く朝だったので、私は気分がスッキリして良かったです。

    次に滝行に行きましたが、私は生理だったため滝行は出来ませんでした。

    他の子が滝に打たれるのを応援していました。

    寒いし大変だった中、皆頑張っていて素敵でした。

    また機会があれば私も滝行してみたいなと思いました。

    お昼ご飯を挟んで午後は三禮を行いました。

    会社の方や先輩から辛い辛いと聞いていましたが、想像以上に辛かったです。

    これを千日間行った方々は本当にすごいなと思いました。

    途中で休んでもいいと仰って頂きましたが、一緒にやっている皆が頑張って続けているのを見て、私も頑張ろうと思い最後までやりきれました。

    本当に皆で一緒にやったから続けてできたと思います。

    3日目の朝は、三禮による筋肉痛で全員ヨタヨタしながら歩いていました。

    やっている最中は、正直もう辞めたいとか休みたいけど頑張ろうという気力だけでいたのでネガティブでしたが、終わってみると体験して良かったなと思えます。

    恐らく一生忘れないと思います。

    午前にやったヨガは筋肉痛の体にはこたえましたが、気持ち良く体をほぐせました。

    最後は住職さんによる法話でした。

    経験に基づく様々なためになる話を聞くことができました。

    私が一番心に残った言葉が、誓いの言葉の中にある「自分の人生の主人公になれます。」です。

    普段から周りの人のことを気にしすぎている面があるので、一番心にささりました。

    もちろん自己中心的に生きろという訳ではないと思いますが、

    もっと自分の心の中にある意志を尊重して生きていけたらなと思いました。

    また、積極的になることは私にとって最も大事な課題なので、お話にあったようにこれからも、何事にも積極的に行動していきたいと思います。

    今回は、新入社員として寺研修に来ましたが、とても良い経験になったと思います。

    社会人として未熟な部分がまだまだたくさんありますが、会社がお金をかけてくれた分、それ以上を返せるように少しでも早く成長し、一人前になれるよう努力していきます。

    また、今回一緒に研修した同期の皆とも仲良くなり、ライバルとして共に高め合って成長していけたらと思っています。

    厳しいこともあるかと思いますが、頑張ります。

    天光寺の皆様、3日間誠にありがとうございました。様々なことを学ぶことができて、良い経験になりました。

    お世話になりました。

    高尾住職様、

    この間はお祓いの施術をありがとうございました。

    お祓いまとめサイトで幾つかの寺院や霊能者がピックアップされていましたが、天光寺を選んで良かったです。

    檜原村と言うと、都内在住であっても小旅行感覚でした。

    あの辺りの雰囲気は良いですね。

    リフレッシュされる方が多いとホームページにも書かれていますが、本当にその通りです。

    お祓いを申し込んだとき、シートに自分の先祖を書いて、

    あとは相談内容を書きましたが、

    あまり細かいことまでは書いていないのに高尾住職が色々言い当ててくるのは凄いと思いました。

    お祓いが始まったときは住職のお経の声を延々と聞きました。

    ロウソクの火が大きく膨らんだりするのは怖かったです。

     

    お祓いを受けたくなったのは、今から半年ほど前から。

    なかなか踏み切れず時間だけ経っていましたが。

    このお祓いを受けて、

    翌日に自分の顔に変化がありました。

    何か顔が明るく見えて・・

    目の下の青黒いクマが消えていました!!

    倦怠感も気付いたら無くなっています。

    霊が祓われてここまでスッキリするなんて。

    感想文を送らずにはいられなくなるという皆さんの気持ちがわかります。

    わたくしも、メールからになりますが、お礼を一言お送りしようと思いまして。

    目にとめて頂いたスタッフさんは、

    どうか高尾住職にお礼を言っていたことを宜しくお伝えください。

     

    今回、研修体験に参加させていただき、ありがとうございました。当社は野外研修がスタンダードであるため、山登りや滝行に近い経験をしてきましたが、「寺」での研修は初めてでした。

    まず来てみておどろいた事は、施設のキレイさと、多くの研修生が寺でのプログラムに集中できる環境があることです。また、多くの苦難を乗り越え、人としての厚みがある方が、ファシリテートしていただける環境も素晴しいと感じたのが正直な想いです。多くの企業が利用する意味が分かりました。

    一日目から、真言宗としての考え方や作法など学ばせていただきました。当社としても普段社員教育において、「やり方」よりも、「あり方」について指導する事を大切にしており、働く上で共通の価値観を学んでいます。壁などにも飾られてある「心の持ち方」など通ずることがありました。アウトプットできるくらい、正直覚えられていないですが、仏教の考えに触れられた経験が出来て有意義な時間でした。お百度参りにて、身心を清めたあと、滝行でした。思っていたよりけわしい山道を越えてたどり着きましたが、修行の場として利用されるくらい神聖な印象をうけました。季節的にも寒くなく、多くの参加者もいたため、修行というよりは、楽しんで臨めました。滝の中に入ってしまうと、経験したことのない世界になり、指導者の方の声以外は何も聞こえなくなりました。「南無大師遍照金剛」とひたすら叫びながら必死になりました。他の参加者の方を見ていた時間より、自分でやってみる時間を長く感じ、終わった後に応援してくれていた方に「お疲れ様」と言われた時は本当に嬉しかった事を覚えています。写経においても、普段のデスクワーク以上に真剣になって向き合っていた自分がいました。環境が変わり滝行などで、身を清めた事で、毎日業務に追われている自分から心が少しリセットされたからだと思います。

    夜は、先生の法話を聞きましたが、勉強が出来る、仕事が出来るなどに関わらず、決して立証できない未知の力について聞くことが出来ました。役者と舞台の話や、人としてのあり方についてのまとめ以上に、私の心に残っているのが、ガンだった方が、行動や発言、考え方をプラスにしていくだけで病気が治った話です。考え方や、発言について常に前向きにしていく事で、人生のひらけ方がきっと変わっていくのだろうと強く感じました。

    二日目としては、朝のそうじから始まり、三禮を経験させていただきました。酸欠になるくらい、後半の時間は必死で心も体もすり減らしましたが、両隣で、頑張っている姿を見てやめる訳には行かずやり切りました。「残り三回」言われてから、力が湧き出てくる様な感じがありました。

    来年、営業研修において利用させていただきますが、残りあと少しを達成させていくためには、「気持ち」が大切だと強く感じられました。

    理屈では語れない、何かが存在するのだと思います。

    思考が人生を作るように、常に心を平穏に保ち、未来のために前向きに取り組むことで、これからの自分の人生だけでなく、関わっていける人の為に自分が魅せていく、伝えていければと思います。

    最後になりましたが、二日間で感じた、学べた事は、普段の生活では決して得られない貴重な時間となりました。本当にありがとうございました。

    昔霊が見える方に見てもらったところ私は霊が付きやすい体質らしく、今霊を祓ったとしてもまた憑くと言われました。

    これまでも何度か霊が憑いたことによる肩の重みや金縛り、倦怠感、視線を感じるなど多くの霊的現象に悩まされてきました。

    今回、天光寺様を伺ったのはもう二度と霊が憑かないようにしてもらうためでした。

    住職様に話を聞いてもらったところ、体質的なものではなく先祖の行いによる呪いのようなものであると言われました。

    早速お祓いをしてもらい、今では霊が原因による現象はなくなりました。

    天光寺様、住職様には感謝しても、し足りません。今回は本当に有難うございました。

    このたびは天光寺での研修をさせていただき誠にありがとうございました。

    天光寺さんで学んだ挨拶の作法を自社に持ち帰りきちんと使えるよう頑張ります。

    天光寺さんでは色々な修行を行いました。声の発声練習、お百度参り、滝行をさせていただきました。とても厳しく大変でしたが、やって良かったと思いました。

    私は天光寺さんにきて、礼、合掌、行の挨拶を正しい方法で学ぶことができ、とてもよかったと思います。

    精神や規則正しい生活など的確に教えてもらえてよかったです。

    食事のときも南無大師遍照金剛を3回となえ食の命にも感謝をし、食事することを学びました。

    仏前勤行で光明真言、般若心経、御宝号の練習もしました。

    発声練習はとても厳しくたいへんでした。

    修行の中でとても厳しくたいへんだったのは、三禮でした。

    汗だくになり目もあけられない状況でしたのでとても厳しく身体を使った修行でした。

    最後に天光寺さんで学んだ事、教わった事を実にし、仕事に戻っても頑張ります。

    最近体調が優れない、寝ている間なにか夢の中でうなされているらしく、起きた時につかれている。電気が消えたりついたりする。家の中に人の気配がする。家の中の物が勝手に動いている。などここひと月色々あった。

    初めは気のせいかと思っていた。

    お祓いをしてもらいたいと、こちらに来た。

    ご住職の読経がはじまると、体が勝手に動きたくなってきた。自分ではないようなうめき声も出てきた。座っていられなくなり、床に寝転んでいたように思う。

    記憶がほとんど無いが、気が付いたらお経の声が終わって私は横たわっていた。

    頭がすっきりとし、泣いていたような感じが残っていた。

    住んでいる土地の霊が憑依していたようだ。それに、とある名前も覚えていない神社で、色々連れて帰ったようで霊媒体質ではない私がこのようなことになるなんて、本当に驚いた。

    今住んでいる土地のせいでそんなことが起ったとのこと。

    こんなことがあるなんて、自分でも信じることができない。

    お祓いしていただき、本当にありがとうございました。

    私はこの三日間で様々な事を発見、再認識をすることができたのではないかと思います。

    半年前、入社前で先輩方に、寺の研修があると聞いたとき、正直驚きました。

    寺で何をするのだと思いあっというまに時が過ぎ入社式を迎えました。

    入社式で大方のスケジュールと内容を聞いたとき、大変そうと思う一方、普段なら経験できないことが経験できると思い、少し楽しみでもありました。

    当日、寺に着くと紙を渡され自分の目標を書くことになりました。そこで自分自身を振り返り、社会人としての第一歩として気持ちを切り換えられるようになったらと思いました。

    読経、お百度参り、滝行など肉体的、精神的にしんどい修行が多くみんな歯をくいしばりながらがんばっていました。

    最もきついと思われたのが三禮でした。大声を出しながらの上下運動は全員を苦しめていたと思いました。しかし、辛くなってきてからこそ声を大きく出してお互いを鼓舞し合ってる姿がとくに分かった。終わったあとのみんなの顔を見るととても良い顔をしていました。

    思えば滝行では上がった後、互いをたたえ合っていたり、手を貸していたり、お百度参りでは声を掛け合っていたりと助け合っていました。

    この研修が始まる前と後では確実に団結力は高まっていると思いました。

    また修行中の人達は毎日のようにこの生活をくり返していると思うと、自分も目的のために努力を怠らずに日々精進していかなければいけないのだと今一度再認識することができました。

    私はこの研修で社会人になるための第一歩を踏みしめられたのではないかと思います。

     

    この夏、大学の友達と心霊スポットに行くことがありました。

    昔から体質が敏感なので、あまり乗り気ではなかったのですが、仲間と行く楽しさの方が勝っていく事にしました。

    案の定すぐに、嫌な感覚と、肩の重さ、頭痛がひどく、、、友人達も心配してくれました。

    みんなも、遊び半分に来たことを後悔していました。

    帰り道すぐに、天光寺様にメールにて問い合わせをして、翌日返信をいただき、すぐにお願いしたいといいました。

    友人の車でお寺まで伺い、住職様のお経で除霊して頂き本当に楽になりました。

    霊は本当にいます。面白半分に近寄ってはいけないと痛感いたしました。

    この二日間を一言で表すと「内省」であったように思う。余計なこと情報や雑音が一切ない中で苦しい修行を通して自らを見つめ、願うというこれまでにない貴重な経験は、私にたくさんの新たな気づきをもたらしてくれました。

    そもそもの修行の目的は大きく2点あった。一点目は、前職で受けたパワーハラスメントのトラウマから逃れ、負の感情から解放されること。二点目は、周囲の人々へのいら立ちや疑心を抑え、受け入れる心を手に入れる事。

    数々の修行を通して、目的は概ね達成されたように思う。魂は転生を繰り返し、ようやく人間になってまだ日が浅いかもしれない。私にハラスメントを行っていた人も例外ではない。だとすると、その存在にとらわれ、憎しみに縛られて自分らしい生き方が出来ないのは何と勿体ないことだろうか。それならば私は徳を積み、より価値のある人生を送ってやろうじゃないか。負けてたまるか。

    自分のこだわりをもちすぎていないか。それを他人に押し付けていないだろうか。何も聞こえない、意固地になっていないだろうか。私にはどうにも耳の痛い話であった。社会人として、人として年を重ねるにつれ明らかにこだわりが強くなり、「こうすれば効率がいいのになぜしないんだろう」「なんて無駄なことが多いんだろう」と感じる事が非常に多くなった。しかしそれも自らのやり方、考え方に固執した結果であり、万人が同じ思考回路ではない。そして何より、すべて大したことではない。いらだち、疑心を感じたときに一歩立ち止まり、自らの感情を分析する習慣を身に着けよう。これらは全て修行を通した「内省」の結果得られた解である。とはいえ、すぐに足がしびれてしまったり、瞑想に集中しきれなかったりと甘く反省すべき点は多い。次は、ぜひより厳しい冬の修業を経験してまた新たな自分に出会いたいと思う。二日間本当に有難うございました。

    多摩の病院で看護師をしている41歳男性です。もともと前職は動物の看護師をしておりましたが、勉強をし直し、人間の看護をする看護師に就きました。不可解な出来事があり、天光寺に相談に行きました。不可解な出来事は勤務先の病院で2回、今の自宅(日野市)に引っ越す前の埼玉のマンションでも1度ありました。埼玉のマンションでは、なんの変哲もないある晩に夜寝ていると金縛りに遭い、上に女性が跨って僕の首を絞めていました。「これは夢か」と思いましたが、女性の後ろには部屋に置いてあるソファなどが透けて見え、夢ではないと理解しました。朝起きて、昨日、俺、首絞められたよな・・という感覚が確かに残っていました。それからすぐそのマンションを引っ越しました。それが自宅での霊現象。勤務先の病院では2回怪奇現象が起きました。ひとつはやはり金縛りでした。夜勤にはペアで入りますが、仮眠室で仮眠を取っていたところ金縛りに遭い、体が痺れ苦しくなりました。誰かが仮眠室に入ってきて周りをバタバタ走っています。目は開きますが誰も見えません。PHSが鳴り金縛りが解けました。ペアで入っていた女性の先輩に仮眠室に入ったか聞きましたが入っていないと言います。あの足音は何だったんだろう。そして、今回天光寺で除霊を受けようという決意に繋がった怪奇現象は最近起きた出来事です。やはり夜勤に入っていたとき、ナースコールが押され患者のもとへ駆けつけました。すると患者さんが「後ろにいる人、誰?」 後ろには誰もいません。その晩また別の患者にナースコールで呼ばれて行きました。患者さんが言いました。「隣にいる人、誰?」

    僕はこの出来事があって、専門的な霊媒師などのお祓いを受ける事を決めました。お祓いをしてくれた天光寺の住職は、若い女性がここの病棟で精神的に相当苦しんで亡くなっていないかを聞いてきました。思い当たる事がありました。僕が勤務している病棟では少し前に患者さんの転落事故(自殺)がありました。交通事故で半身不随になってしまった20代の女の子が入院してきましたが、全身管だらけで気がおかしくなってしまい、這って窓から飛び降り亡くなりました。住職の話とこの患者さんがどうも一致するのです。除霊は2時間掛かり、長いお経の間、体の痺れと息苦しさで汗ダクダクにかきました。天井からは音がバキバキ鳴り、相当な念を残して彼女が逝っているのがわかりました。お祓いは順を追って終わりましたがしばらくグッタリしてしまって、お寺の方々にはご迷惑をお掛けしてしまいました。しばらく休んで無事帰宅しました。成仏できずにいた患者さんの霊が安らかに天国に逝けた事を願っています。

     

    こちらで一泊の体験をさせていただいて、正直、他の方達とうまくやっていけるのか不安でした。でも色々話していくうちに修行の目的など話して頂いたり、様々な事を教えて頂きました。本当に色々な背景があって修行来られているのだと感じました。

    そして、東京とは思えないほどの森の中で、天気が良く、とても気持ちの良い空気でした。

    まず大きく分けて一つ目のスケジュールにて、滝行を行いました。冷たすぎて入れなかったらどうしようと思ったり、最後までやりきれるか不安でした。でも、他にも滝行に来ていた方もいて、気持ちの面などで助け合い、なんとか最後までできました。

    滝に打たれている途中、精神的に強くなった気がして何か良い「気」をもらった感覚がありました。あと、滝行の前に御百度参りをさせて頂きました。決められた距離を往復して空海様にお願い事をさせて頂きました。

    良い空気の中、お腹からしっかり声を出すのはとても気持ち良かったです。

    その後に、瞑想をさせて頂きました。思ったより上手くできず、足が痛かったり眠ってしまいそうになり、何度も訓練が必要だと、感じました。今後は日常生活で取り入れて習慣にしたいと思います。

    物事に対して色々な作法があり、全てに意味があるのだと身を持って体験させて頂きました。「見えない物」の力の強さは計り知れないと思いました。先生や修行に来られている方々には本当にお世話になりました。

    今後は、この経験を活かし、メンタル強化のきっかけになればと思います。また機会があれば連泊もしたいと思います。

     

    去年の4月頃から幻覚、幻聴に悩まされるようになりました。その当時は時々起こるくらいでそこまで気にしてなかったのですが、9月の後半頃からほとんど毎日幻覚が起り、常に頭の中で声がする状態でした。その後、だんだんと症状は悪化していき、体が勝手に動く、口が勝手に動く、吐き気や急激な感情の変化が起きたり、悪い時には急に意識が飛んだりしていました。

    これらの現象に悩んでいた時、インターネットで天光寺様の存在を知り、お祓いの相談をさせて頂くことにしました。

    ご住職様とお話をし、霊視をしてもらったところ私には良くない霊が憑いていると教えていただきました。

    早速、ご住職様にお祓いをしていただくことになりました。

    お祓い中は終始頭がぼーっとしていました。最初のうちは体が重く、辛さがあったのですが、だんだんと体が軽くなり、スッキリとしていきました。お祓いが終わった後は今までに感じた事のないくらい心も体もスッキリしており、生まれ変わったかのような感じでした。

    お祓いをしてもらいしばらく経ちますがそれからというもの幻覚や幻聴も無くなり、平穏な毎日を過ごせています。これも天光寺様とご住職様のお陰です。本当にありがとうございました。

    兄が神社のお稲荷さんにションベンを掛けた事があった。

    その夜だか翌日だか忘れたけど

    兄が家の中を徘徊するようになった。

    深夜にぴょんぴょん跳ねながら徘徊する。

    朝、本人に聞いても覚えてない。

    何日も続き、信仰深いうちの親は天光寺に相談に行った。

    有名な霊媒師がいると東京の知り合いに聞いたみたいだ。

    霊媒師は天光寺のお坊さんの事で、

    お坊さんは兄を見るなり「最近神社行った?」と聞いた。

    同行した俺は、兄が神社でふざけてお稲荷さんにションベンを掛けていたことを思い出した。怒られると思ったので言わなかった。

    お稲荷さんに悪戯をした事はお坊さんにはわかったようだった。

    祓えると言い、お祓いがすぐ終わった。

    その夜、兄が高熱。翌朝にはすぐ平熱へ下がった。

    徘徊がその日からなくなった。

    お坊さんの勧めで次の日曜日、酒や米を持って神社のキツネに謝りに行った。

    あれから俺はお稲荷さんやキツネの霊を信じていて

    青年部の付き合いで神社での催しなどが終わったときとかは、絶対天光寺でお祓いするようにしている。

    今回は、会社の社内報に滝行の体験談を掲載する目的で伺った。

    滝行を経験するだけとの想像とは異なり数珠の持ち方や、空海上人のお話、合掌方法からお百度参りなど、多くの事を学び体験できたのは非常に有意義だった。特にお百度参りは日々の足腰の鍛錬なくしては絶対に出来ないものと感じ、毎日の積み重ねの重要性を改めて痛感した。

    滝行は最初あまり水量も多くなく、水温も左程低くは感じられなかったので「楽勝かな?」と思いきや、打たれ始めた直後は非常に水温が低く、水勢もあり耐えられるか不安を覚えた。ただ「南無遍照金剛」と唱える自身の声で徐々に余裕が出てきてあぐらをかいた辺りからは滝の“気”が体内に浸透してきて心地よさすら感じ始めた。周囲の音が聴こえると同時に気持ちはどんどん落ち着いた。一方、丹田の周囲は暖かさすら覚えてきたのは不思議な感覚であった。終わる時にはもっと滝行を続けていたいと切に想った。着替えの際には清々しい気持ちと肌がピカピカになった感覚が非常に印象的であった。

    機会があればまた天光寺に来て、もう少し長い時間お百度参りと滝行をしたい。有難うございました。

    天光寺住職様、先日は除霊を行っていただきありがとうございました。

    統合失調症を疑っておりましたが、まさか霊体験に自分が巻き込まれてしまうなんて考えてもいませんでした。

    しばらく寝起きに変な声が聞こえたり、人の名前を呼ぶ声が聞こえたり、

    寝ているときに体を手で揉まれる感じや、胸元を押される感じなどがして、それが連日続いたので睡眠を取ることにも恐怖を感じ、夜が明けてから2時間程睡眠を取るという生活が期間にして三カ月ほど続きました。決定的なきっかけというのがわからなかったのでこの異変にどう対処していいのか本当に困っておりました。

    食欲も無くなり、寝ない・食べないというような日が続いていたので、母親に勧められて一度お祓いをということで天光寺に来てみましたが、来てみて本当に良かったです。

    統合失調症など精神の病ばかりを疑わず、お祓いというのも試してみて良かったです。

    美しい大自然の中にある天光寺さんに伺わせていただき、とても癒されました。

    あのお祓い以来はしばらく実家で暮らし、その後、一人暮らしのアパートへと戻りましたが、あれから霊現象というものは起きていません。

     

    どうもありがとうございました。

     

    前から自分の意志と言うよりも無意識に近い状態で独り言や今までの考え方が急に変わったり仕事も長続きしない事、首元が自然に動いたり身体的には、急に頭や身体が熱くなり動けなくなる日がたまにあります。睡眠が浅く眠れずにイライラし親との関係も少しギスギスして困っています。

    これらの症状に困っていた所ある投稿サイトで、天光寺の存在を見つけました。すぐに、webで調べ、早速申込をしてお祓いをしてもらうことを決定しました。

    当日、お祓いをしてもらうために天光寺にやってきました。天光寺に着いたときから今までにないぐらいに頭や身体が熱くなり始めました。早速住職さんに祓ってもらう事にしました。お祓い中は、自分が自分ではないみたいな感覚でした。

    ふときがつくと、もう夕方になっていました。どうやら気を失っていたようです。

    祓ってもらったことにより前とは変わって普通の毎日を送る事が出来ています。ありがとうございます。

    振り返ってみると、あっという間の一泊二日だった気がする。修行とは何か、どのような事をするのか、よくわからないまま始まった。

    合掌や挨拶などから教わり、一つ一つにちゃんと意味があることを学ぶことが出来たと思う。単語だけ知っていた言葉や聞いたことあった言葉についてちゃんと知ることが出来たものあった。だがまだまだよく分からない部分も多く、もっと知ってみたい、学んでみたい、という気持ちが大きくなった。

    昨日言った滝行は、自分の中で悔しさが残る。滝の水、勢いに思わずやられ、滝から少し離れた位置での修行になってしまった。次回、リベンジを果たしたい。そして、これはあくまで五感が感じているだけである。という認識、考えをしることが出来た。これは私にとっては大きな発見だ。肉体が感じているだけであり、魂とは別のものだ。肉体からの情報はもちろん大切だが、それに左右されないようにすること、あくまで肉体が感じてるだけだ、という認識を持つことで忍耐力や強さ、精神力を高め、大きく発揮できる可能性があることを学ぶことができた。自分の気持ち、感情について再確認し、その感情をもたらすこだわりは何か原因はなにか、という思考の過程を踏むことは、現在の自分が行う思考の方法と似ている部分もあると思った。自分の中でこういう考え、価値観があるから、このような感情になっているんだといったものだ。

    今回、色々な事を体験させていただき、非常に良い経験ができた。この学び、経験をこれからの生活、思考に反映してみるなど活かして行きたい。ありがとうございます。

    三泊四日させて頂きました。

    仕事で疲れており、今までの日常生活は甘ったれた人生を送ってきた為、精神鍛錬が必要だと思い修行体験が出来るお寺を探しました。

    天光寺さんでは滝行も行う事が出来るということで、HPを見てすぐに体験を申し込みました。

    都心を離れ自然の多い山の中にある天光寺さんでの修行体験は自分が求めていた以上のものでした。

    天光寺さんに到着してすぐに発声練習が始まり、担当してくださった方のエネルギーのこもった声の大きさに圧倒され、三泊四日に修行に耐えることが出来るか心配になりました。

    しかし発声の仕方を習いお腹から声を出すようにすると、人見知りの自分とは思えないような大きな力のこもった声が出るようになり、お腹から全身にかけて熱くなり運動をした時のような汗が出てきました。それと同時にそれまで個々の中で考え込んでいた様々な事が薄れていくのを感じ、多くのストレスから解放された気がしました。

    発声練習は四日間とも行い、回数を重ねるごとに力強い声が出せるようになり、また活きた声はこのようにして出すのかという事を学びました。その声の出し方を基に読経に取り組み四日間で昼夜共に多くの時間を作って頂きました。お経を読んだ事の無い私は、お経のテンポやどのように読めば上手く読めるのか中々掴む事が出来ませんでしたが、姿勢と読み方のコツを習い、光明真言を覚える事が出来ました。読経を続けていると段々と余計な事を考える事が出来なくなっていき、読経後は頭がクリアになる為自宅でも時間を作り読経を続けていこうと思います。

    天光寺で何より驚いたのは先生の存在です。初めてお会いした際にお話を伺っていると、室内のロウソクが強くなったり大きくなったりしているのを感じました。その後ヒーリングの見学をさせて頂いた際にはどんどん部屋の温度というより空気が熱くなっていくのを感じ、終了した後からは段々と涼しい空気が流れていくのを体感しました。

    普段霊感などは全く感じませんが、その空気変化ははっきりと感じる事が出来ました。

    先生が何度かお話しくださった手当の話にとても感銘を受け、看護師という職業柄手当という言葉をもっと考えなければならないと思いました。自分が治りたいという意志を持つ事と、相手を本当に治してあげたいと思う心を持って気を送る事が手当てをする上で最も重要である事を改めて学びました。その手当についても実際に私に向けて行ってくださり、腓腹の一部に気を込めながら一押しされると左足から脳、そして右足へと急に温かくなり、そこから半日ほど背中全体から熱を放出している感じがしました。その日は右腰に痛みを感じていましたが、一押しされてから少し経つと腰痛が無くなっていました。

    また夜もいつもより寝つきがよく、深い眠りについている事を感じ、朝は起床時間よりも一時間以上前に鳥のさえずりで目を覚ます事ができ、天光寺の外の川辺に座り、新鮮な空気を朝から堪能する事が出来ました。

    楽しみと不安が入り混じった滝行も滝行も水に初めて浸かった時は全身の血液が冷たくなっていくのを感じ、最後まで行う事は無理かもしれないと思いましたが、「自分は今修行しているのだ」と言い聞かせ、少し経つとお腹から身体全体にかけて暖かくなっていくのを感ました。滝行の仲間が外から応援してくれていた事もあり、最後までやり抜く事が出来ました。

    水から出るといつもより空が広く感じ、自分の視界が広くなったような感覚になりました。きっと心の疲れも滝行で流されたのだと思います。

    三泊四日の業を続ける事が出来た一番の要因は、とにかくご飯が美味しかった事でした。精進料理というと味が薄く、決して美味しい物ではないという思いでした。しかし、天光寺では先生自ら調理場に立ち料理を作ってくださり、その味は本当に全部買って帰りたいと思えるばかりのものでした。それもそのはず、先生自ら厳選した材料を使い、出汁やドレッシングに至るまで全て手作りだからです。本当に出汁だけでうどんを食べたいと思えるものでした。これからも先生の言う病気には美味しいご飯が一番といった事を体験していると思います。都会に住み普段はジャンクフード等で過ごしている人達にも是非食べてもらいたいと思いました。

    四日間を通じて心身共に回復する事が出来ました。定期的に心と身体のメンテナンスの為に天光寺さんを訪ねたいと思います。

    最後に先生をはじめ、職員の皆様方、四日間のご指導本当に有難うございました。

    この貴重な経験を今後の人生に活かしていきたいと思います。

    私たちは、結婚して3年になりますが、子供が出来ず、その事が原因か分からないのですが、

    すぐ喧嘩になってしまい、お互いエネルギーの消耗がはげしく、離婚しようという事になりました。

    そんな中、企業の研修でこちらにお世話になることがありました。

    人生を見つめ直すきっかけになりました。

    30代後半、今までの全てのものの見方に反省し、自分の道を再構築していくことを心に決める事ができました。

    家庭、妻の事、お互い身勝手な自憐憫はやめて、まずは自分から変わっていこうと思いました。

    そのきっかけに、妻と二人でこちらに申し込みまして、夫婦円満のお祓いを受けることにいたしました。

    心に溜まっていた執着、怒り、恐怖、それにより引き寄せていた霊などもあったようです。

    住職様、天光寺様のおがげ様で、また自分を取り戻すことが出来ました。

    妻と二人でもう一度やり直して感謝して生きていこうと思います。

    妻と今度は、滝行に来てみようかと思っております。

    ありがとうございました。

     

    一泊二日、体験修行をさせていただいた中で、印象に残った修行は三つありました。

    一つ目は、滝行です。気温が高く、前日雨が降ったわけでもなく水量が多いわけではなかったため、それ程過酷ではないのかもしれないと思っていました。しかし、実際に滝行をしてみると、水温は低く、頭に降りかかる水の力強さが予想を遥かに超えており、その中で大きな声で念仏を唱えようとすると意識が飛びそうになりました。

    このような厳しい滝行を通して感じたことは、滝行は邪念を取り払うことのできる修行なのだということです。私は滝行をするまでの間、常に過去の辛い記憶に囚われ悩み、苦しい時間を過ごしていました。しかし滝行を終えた直後から、気持ちが軽くなり、嫌なことを考える時間が少なくなりました。一つのことに集中し、やり遂げようとする精神を持つことで、前に進む上で障害物となる邪念を取り払うことができるのだなと学びました。

    二つ目は、発声練習です。私は普段集中力が足りず、中々物事に持続して取りかかることが苦手でした。発声練習は四十分という長い時間の間、声を出し続けなければならないため、最後までやりきれるのか不安でした。しかし、声を出し続けていると、全身のエネルギーを使ってお腹から声を発するという感覚を徐々に覚え始め、集中して取り組むことができました。気づいたときには全身汗をかいていたため、これだけ全身のエネルギーを使うことができていたのだと、自分でも大変驚きました。

    三つ目は、瞑想です。この体験は、自分の弱点を改めて知らされる印象的な体験でした。初めは集中しようと、自分の呼吸の音に耳を傾け、吸う息吐く息が同じ長さになるよう、意識をしていました。しかし、時間が経つにつれ、足の痺れや肩の凝りに意識が傾くようになり、次第に集中力が切れてきました。また、気がつくと歯をくいしばったり背中に力が入っており、力を抜いて取り組むことが出来ていませんでした。このように「無」の境地に中々たどり着くことが出来ず、徐々に邪念が入るようになり、考え事をし始めてしまっておりました。

    この体験を通して、心を「無」にすることは大変難しく、思う通りに取り組めなかったのが一番心残りでした。講師の方は、邪念があると霊に憑りつかれやすいとおっしゃっていたので、私は危険な状態であることに気づかされました。一泊二日という短い期間ではありましたが、私は様々な体験を通して多くのことを学ぶことができました。日常生活の中では中々体験することのできない貴重な時間を過ごせました。今回学んだことを活かして、前に進み続けるエネルギーを蓄えていきたいと思います。ありがとうございました。

     

    今回私は水子供養に参りました。

    都内から日帰りで行けて、本格的に供養してくださる所を探しておりました。

    若い時に、産んであげられなかった子どもがいました。

    今まで、きちんと供養してあげていないことが気がかりでした。

    現在息子が二人おりますが、こうして元気に大人になってくれて本当に感謝しております。

    あの時産んであげられなかった子供に、感謝と謝罪をしたいと心から思いました。

    ここにきて、供養していただいている間、私は涙が止まりませんでした。

    今、人生の終活をはじめております。この世での心残り、や欲を手放して感謝だけでこれからを過ごしていけるよう、本日ひとつそれが出来た事、ほんとうに嬉しく思っております。

    ありがとうございます。

    僕が沖縄から体験修行に来て、約1週間が経過しました。6月に天光寺にやって来たのですが、まず初めに感じたことは環境の違いに大きなカルチャーショックを受けました。お寺ではなくても都心の街並みなど人の多さに圧倒されました。東京には来たことはありますが約15年ぶりでしたので、戸惑いと新鮮な気持ちでした。

    初日は午後3時頃に天光寺に到着し、すぐに修行が始まりましたが、スタッフの方が親切に施設を案内してくれて助かりました。しかし、やはり、施設の中の仏様の仏像や絵画など展示されているのを見ると、普段の生活とは全く違う光景で正直、この先2ヶ月間やっていけるんだろうかという気持ちになりました。

    そんな中、1番最初の修行が写経でした。写経自体は、経験ありましたが、お寺の中で習字で書く本格的な写経は初めてでした。予想以上に、かなりの集中力と神経が必要だと分かりました。

    そして、2日目、ついに初めての滝行をすることになりました。沖縄を出発する前、天光寺のホームページなどで滝行の情報や体験談を見て来たのですが、「冷たい」や「痛い」、「息苦しい」などが書かれており、正直、僕には無理だろうと不安だらけでした。しかし、ここで逃げては修行の意味がないと思い、僕を合わせて約7人で滝行に行きました。それでも、やはり、現場で滝の流れを見ると「本当に大丈夫なのだろうか」と思いましたが、順番的に僕は最後で前メンバー6人が3分を成功したので、僕も失敗するわけにはいかないと思い、何とか3分を成功することができました。僕の場合、「冷たい」というより「痛い」という思いが先行するのですが、終わった後は、とてもすっきりした気分になりました。初めての滝行が成功できたのも修行僧の方の親切な指導とメンバーの応援があったおかげだと思っています。ありがとうございます。滝行については、5日目に2回目も挑戦しました。1回目に成功しているとはいえ、天候や水量、勢いなどで変わってくることがあるので、やはり、実際に入ってみないと分からないという不安がありました。2回目は、3人での挑戦で、僕がトップバッターでした。滝行に限らず色んな場面でトップバッターというのは慣れていないのですが、ここは気合いで入りました。結果は約5分で前回より更新できたので良かったです。これも、やはり、修行僧の方の指導とメンバーの応援のおかげだと思っています。ありがとうございました。

    しかし、滝行というのは苦行と言われていると聞きます。何回やっても入る前の不安や入っている時の痛みなどは取り除くことができそうにない本当に大変な修行だと実感しています。

    話は変わり、他の修行として「発声練習」や「瞑想」、「読経」

    滝行の前にやる「お百度参り」などがあります。

    発声練習では、腹式呼吸の練習ですが、声が長く続かないことを痛感しています。僕自身、発音などあまり良くないと思っているので少しでも上達させていきたいです。

    瞑想や読経では、座っている時間が長く、きついですがこれも修行のうちだと思っています。

     

    みんなが知っている売買アプリでカメオを購入しました。今まで女性のカメオは購入したことがありましたが、男性のカメオは初めて買いました。おそらく時期としてそのカメオを手にした頃から怪奇現象が起こり始めました。信号待ちをしているときに誰かに背中を押されたり、階段で誰かに背中を押され落とされそうになったりなどの事がありました。他にも、人ごみの中を歩いていると急に耳元で男性の声で話しかけられ、振り返ると誰もいないという事が10回以上ありました。カメオの男性はよく見たら気持ち悪い顔をしていて、最近の怪奇現象が全てカメオのせいな気がして返品したいと思い、アプリでやり取りした人に連絡を取ろうとしたところ連絡が取れなくなっていました。ゴミ箱に棄てるのも気が引けるので、仕方がなく天光寺に処分をお願いしました。恐いので同時に除霊もお願いしました。カメオひとつを処分するのに一時間ほどのお祓いをしていました。ものすごく強い霊らしく、どこから持ってきたの?と聞かれたほどです。呪いのカメオと言うにふさわしいほど念が入っていたそうです。カメオを手放してからというもの怪奇現象が一切なくなったので、ゴミ箱に破棄せずきちんとお寺に持って行って良かったと思っています。天光寺には感謝しています。急なご連絡にも関わらずご親切に対応していただきありがとうございました。

    私はマッサージの仕事をしております。職業柄いつも自分自身を浄化していく事が一番大切だとおもっております。

    しかし、どうしても人からでるエネルギーを受けてしまい、体調が戻らない時もしばしば。

    今回も、体が重く、怠い日々が続いており、どうしてもはらいきれない、おもりのような重たいエネルギーが抜けきれません。

    天光寺様に伺ったのは、以前知り合いがこちらで体験修行をしてきたのを聞いて、

    東京にもこんな滝行などの修行ができるような場所があるのか、と思っておりました。

    それをふと思い出して、知り合いにお寺様の名前を聞いて、直感で申し込みをしました。

    一人では不安だったので、妹に一緒に来てもらいました。

    住職様のお経がはじまると、体が震えだしたのです。しだいに何故だかわからないのですが気がつくと声を出すほどはげしく嗚咽しておりました。

    後で妹にも聞いてみたところ、ものすごく苦しそうで、もがいているようなそんな事もしていたそうです。

    住職様にも、マッサージなど仕事にしている人はよくお祓いにくるとのことでした。

    今後どうしたらいいのか相談し、色々と教えていただきました。本当に感謝いたします。

    お経も定期的にきいていこうと思います。

    ほんとうに、久々にスッキリして頭と体になりました。ありがとうございました。

     

     

    二日間の短い時間でしたが、ありがとうございました。ここにいると、不思議と他人に感謝したり、喜んだり、仲良くしたりと、天光寺様からいただいた心の持ち方で示してくれたとおりの感情が自然と湧いて素直であった小さな頃を取り戻した感じがしました。

    普段慣れ親んだ家族、友人、恋人、会社の同僚など気の許せる近しい人に対してこそ腹を立てたり、不平を言ったりすべきではないのに、慣れすぎていつもの対応があたり前すぎてその逆の結果になっていたような気がします。

    この度、初めて経験した滝行でしたが、勢いのよい滝に打たれることで何も聞こえないばかりか何も考えずただひたすら無になって打ち込むことができ、「南無大師遍照金剛」を唱え、周囲の方々と一体となって自分をふるいたたせることができたのです。

    体を清めた後は、心安かに写経をしました。

    せわしない世の中、明日からはまた仕事に通う日常が始まりますが、写経のひときは静かに落ち着いた時間を大切にし自分の願いを生活の中に生かすのに役立たせるものと感じました。

    私たちは、自分自身で作り上げてしまった良くない習慣に気づかないばかりか、気づいてもこれを変えることはなかなかできないものです。それに気づかせ変えていくためのヒントをここでの修行が与えてくれたものと感謝しております。

    行を通じて自分の潜在意識に働きかけ、自分の人生のために積極的な言葉を使い、消極的な言葉を使わないようにしたいと考えるようになりました。

    自分が変わるため、この経験をもとに頑張って自分の魂を向上させ、幸福を作りたいと思います。

     

    二日間という短い間でしたが、日常生活では経験できないことばかりで、大変濃く、貴重な時間を過ごさせていただきました。

    今まで自分にとことん甘く、自己中心的であり、忍耐力や自制心、他人を思いやる心など様々なものが欠けており、それらがツケとして今回一気に大きな大きな困難な問題となってしまいました。その上、その問題に立ち向かおうとせずに逃げていました。

    そのような自分を変えたいと思い、体験修行に参加しようと決めました。直近の申込みにもかかわらず、快く受け入れてくださり、この二日間で自分を見つめなおし、一つでも多く学びとろうとしました。

    二日間で般若心経や十三仏真言を読んだり、腹式呼吸、発声、瞑想、写経、滝行、を体験したりしました。その中でも一番印象に強く残っているのは、やはり滝行です。人生初の滝行で緊張もありましたが、夏にもかかわらず水温がとても冷たく感じ、その寒さでふるえてしまい、声が大きく出せませんでした。それでも何とかやりきり、水の神様、山の神様に感謝した後は、とてもスッキリとした気持ちになりました。気持ちを強く持ち、やりきることの大切さを学びました。

    また、一泊したことで掃除や食器の片付け等、自分の身の周りのことをも見つめ直せたり、職員さんから様々なお話を聞かせていただいたりと、本当に貴重な時間となりました。

    今回の修行を通じて、教えを受けても、自分自身が変わろうとしなければ、当たり前のことですが、何も変わらないため、教えや学んだことを忘れずに、目の前のことから逃げずに立ち向かっていき、自立できるよう日々努力していきます。

     

    高尾先生には、厄払いでお世話になりました。今回は車を買い替えたので車のお祓いをお願いしました。去年と今年は前厄・本厄で年明けにお祓いに伺いましたが、来年の年明けは後厄なのでまたお祓いを予約します。高尾先生の厄払いのおかげで本厄の今年も何事もなく過ごせています。何かと不安でいつもいろんな事でお伺いしてしまいすみません。いつもお世話になりありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

    半年ほど前から我が家で玄関のドアが開いたと思ったらドタドタと廊下を走る音が聞こえたり、扉が開いていたり、風呂おけに毛が10本くらい垂れていたりと、心霊現象が続くようになりました。最初の内は気にしたら負けだと思い、無視をしていたのですが最近になり心霊現象が酷くなっていき、流石に気持ち悪くなり今回、天光寺様に除霊の依頼をお願いしました。

    ご住職様の話によるとどこかで浮遊霊を拾ってきてしまい、その霊がいたずらをしているのだろうとのことでした。早速除霊をしてもらい、その日は家に帰ったのですがそれまで毎日のように起こっていた心霊現象がピタリと止みとても驚きました。

    この度は天光寺様、ご住職様、本当にありがとうございました。

    私は昔から、海に行くと、海から足を引っ張られたり、古い家や、古い物がだめです。古民家のカフェなどもダメな所が多く、なぜみんな平気なのかわからないのです。

    そんな私ですので困ったときは、祓ってくれる知り合いがいて、何かと助けてもらっています。

    しかし今回は、すこし強力な生霊に困っていて、朝起きるとスマホの動画に撮ってもいないのに、私が苦しそうに寝ている所に、覆いかぶさるように影が映っていました。

    久しぶりに強力な念を感じて、いつもの知り合いに頼もうと思って電話をしたら、

    相談する前に断られてしまました。

    しかるべきところでお祓いしてもらいなさい、と電話を切られてしまいました。

    途方にくれておりましたら、HPで天光寺様をみつけ早速相談いたしました。

    生霊を送ってきた人は思いもよらない人で、ほんとに生きている人の方が怖いなと思ました。

    住職様の除霊は強力で、一回の除霊でピタッと大丈夫になりました。

    本当にありがとうございます。

    しかし、このような私の体質には家系にも問題があるからと、次回また除霊をしていただくことになりました。

    昔からの色々な生きづらさが、解決できたらとお願いいたしました。

    これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

     

     

     

    二日間の短い間でしたが、本当に有難うございました。

    正直に申しますと、滝行が終わった直後は、一泊二日コースを選んだことを心から後悔しておりました。

    「滝行」一泊二日コースでしたので、滝行を終えたら、部屋や河原でのんびりとすごすのかと思いきや、写経からの先生の法話という中々ハードな体験をさせていただきました。

    ただ、夕食を頂いているときに、なんとなく自分の感覚がとぎすまされているような気がしました。この体験を境に、自分の中で一泊二日で良かったのかもしれないという思いが強まっていき、より積極的に修行に励めたと思います。

    二日目の朝に、般若心経を読ませて頂いたのですが、想像を絶する苦しさで、ヒザは痛く、足首は痛く、ノドも痛くという三重痛で、人生の中でも五本の指に入る厳しい三十分間でありました。

    そのことを、朝食の際に子供たちに話したら、「前に五時間般若心経を唱えました。」とケロッとした顔で言っており、自分の弱さと子供達の強さを痛感しました。

    滝行をしたいだけの軽い気持ちで来てしまったわけでしたが、苦しい思いもしましたが、皆様と生活を供にし、自分と向きあうことでしか得られないものも確かにあったと思います。

    今はまだ、自分が何を吸収できたのかは、未熟さ故に分かりませんが、今後の人生を生きていく上で、間違いなく糧になると思っています。

    いつかまた、自分が少しでも成長できましたら、また一泊二日で滝行をしたいと思いますので、その時もよろしくお願いします。

    8月頭には多忙な中、お祓いをしてもらい有難うございました。

    体調が落ち着いてきて、改めてお礼を言いたいです。

    僕は天光寺に原因不明な体調不良のお祓いをお願いしました。

    お祓いに至るまで、検査入院を二週間くらいして、色んな検査をしてお金も膨大に掛かりましたが、検査結果は【どこにも異常が見つからない】。

    病院を変えてセカンドオピニオンしようかとも思いましたが、どちらにせよ無駄な捻出になるのならば・・という思いで、いっぺんお祓いやってみよう、という気持ちで住職さんのところに来ましたが、来て良かったです。

    「あなたは優しいから、自分の事しか考えないような人に振り回されて疲れてしまっている」と労ってくれました。

    実は僕には結婚を前提に付き合っている彼女がいましたが、二股を掛けられ振られました。傷をえぐるような深い話はあまり聞かずお祓いと、ヒーリングのようなものをしてくれました。

    「一週間くらいで良くなるよ」と言われ天光寺から送り出されましたが、長野に帰ってきて徐々に体調が回復し食事が摂れるようになって、本当に一週間足らずで体調が全快しました。

    それとなぜかあの後、要因になっていた婚約破棄された彼女からもまた連絡が来るようになりました。僕とやり直したいという内容でした。

    しかし 僕はこれから仕事に集中したいと思っています。

    お祓いとヒーリングで体調を復活させてもらって、会社や仲間達とのイベントにも参加することができました。健康のありがたみがわかりました。

    天光寺まで長野から行った甲斐がありました。

    住職さんも多忙と思いますがお体を大切にされてください。

    ありがとうございました。

    1泊2日で修行をさせて頂きました。目的は積極的に行動することで、より自分自身を高めたいと思い参加させていただきました。

    正座は普段は慣れていないのですぐにしびれてしまう上に背中や腰も痛くなりました。

    また腹式呼吸での発声は汗をかくほど熱くなります。光明真言や般若心経は発声すればするほど心地よく感じました。

    滝行は以前は私は違う場所で1度経験しておりましたが天光寺の滝はとても重たく強く感じました。打たれた後のたとえようのない解放感は最高でした。写経や写仏も集中力が養われました。これもやればやるほどより、自分を高められると思いました。

    何と言っても、1番印象に残っているのは先生が自ら作っている食事はとても美味しかったです。

    また機会があったら天光寺に来たいと思います。その時はより大きくなった自分になって功を積みたいと思います。次回はお百度参りを108回挑戦したいと思います。

    1泊2日と短い期間でしたがとても勉強になりました。本当に有難うございました。

    横浜市泉区在住で、ヨガ・ダンスのインストラクターをしています。ある夏の晩、子供が、近くの神社の夏祭の宵宮に遊びに行きました。そして、コンビニに自転車を置き忘れ、徒歩で、夜道を帰りながら、ある橋を渡り帰宅しました。それからと言うものの、誰もいないはずの部屋に子供以外の子供が幻視(見えるように)され、また、誰もいないはずの部屋から物音が幻聴(聞こえるように)なりました。

    母屋の隣に、父母の家と弟夫婦の家がありますが、そこらでも、超常現象(幻視・幻聴)が確認されました。たまらず、高尾先生にお屋敷と人の出張除霊をお願いしたところ、ご多忙にもかかわらず、心良くお引き受け戴きました。

    母屋。父母の家。弟夫婦の家と、そこに住む家族。親族の全ての人を除霊して戴き、

    今では、超常現象は、見ちがえるように消滅し、皆々、快適で健康な心身を再び獲得することが出来ました。

    高尾先生に心より感謝申し上げます。

    バイクで山梨県周辺を走っていたところ峠に入ってしまい、石が積んである不気味なエリアへ迷い込んでしまいました。その日、帰ってから急激な頭痛と倦怠感に襲われ怖くなりました。翌日には治まりましたが、それにしても行った峠がとても不気味だったのでスマホで検索したところ、自分が迷い込んだ峠は山梨県で有名な心霊スポットでした。謎の頭痛に襲われた事もあり心配なので天光寺にお祓いをお願いしました。天光寺の前の道はバイクでよく通っていましたが、今回、寺に入ったのは初めてです。本格的なお祓いが受けられて良かったです。ありがとうございました。

    今回体験修行に応募したきっかけは、三十代になる前に今しかできない事、やりたい事をやっておきたいということが一番の理由でした。結果的に、一泊二日の中で、自分の悩み、不安、目標についてじっくりと考えられる、貴重な時間を過ごすことができました。念願の滝行は勿論ですが、発声、挨拶、写経、先生の法話、お経の唱和、瞑想、写仏と、すべての行から気付きを得ることができました。

    今年に入り、占いでは「十二年に一度の絶好調期」と言われ、とても期待していたのですが、終わりの見えない仕事がどんどん降ってくる、恋人には「結婚できない」と言われる、妹の離婚、先輩からの八つ当たりと、あまりよくない事ばかりが続き、毎日後悔と不安で頭がいっぱいでした。とにかく一人になると悪い方にばかり考えてしまい、なんとなく自分の口から出てくる言葉も負のオーラをまとったものが多く感じていました。行を体験させて頂いたこの二日間、大自然の中で生活し、仏様と一緒に過ごしたことで、後悔と不安をいつまでも考える事は無駄であり、それならばそれらと向き合って、今を大事に生きていこうと思えるようになりました。過去と未来ではなく、現代のことを一番に考えていきたいです。

    いつもの生活に戻ったら、また負のオーラに負けてしまいそうになるかもしれません。その時はまた、修行に来たいです。一つの事に集中して過ごした後のご飯、とても美味しかったです。いつもよりヘルシーメニューなのに、食べ終わると満腹でした。あれなら毎日でも食べられます。食事中の何気ない会話も面白かったです。また色々お聴きしたいです。

    貴重な機会をいただきまして有難うございました。人間力を磨いて、絶対幸福になります。

    今回、私は未だ経験したことのないGW十連休を利用して、二泊三日でこの体験修行に申し込みました。

    それというのも、私はアルコール依存症であり、お酒を飲めなくなる薬(抗酒薬)を服用しているものの、やはり一人になると薬を調整して、この連休に大酒を飲んでしまうといった恐怖から、どこかでお酒を飲めない空間に身を置きたいといった気持ちでこのような運びとなりました。

    正直私は宿坊といった存在を知りませんでした。知るきっかけとなったのは、今年の二月末地元の友人達(私がアルコール依存症であることを知っている友人)にGWをどうやって過ごすか不安である旨を伝えたところ、だったら宿坊に行けばいいといったアドバイスから知る事になりました。そこで、その場で早速みんなで調べ天光寺のHPに辿り着きました。

    私は無神論者で初詣や旅行先でお寺や神社に行くものの、そこまで「神」や「霊」といったものを強く信じてはいませんでした。しかし、都合のいいもので溺れる者は藁をも掴むや困った時の神頼み的な考えで、その場からすぐに天光寺にお電話をしました。

    お酒を避けるだけなら、実家に帰ったり、短期間だけアルコール依存症専門の病院に入院するといった手段もあったかもしれません。しかし、それではお酒から逃げるだけといった、今までの自分と何も変わりなく、体験でこそあるものの修業をする事で少しでも自分を変えられる“気づき”になれればと思い決断しました。今、振り返ればこれも何かのご縁ではあったのではないかと思います。いえ、自分にそう信じきかせたいです。

    実際天光寺に来てからは驚きの連続でした。まずは、挨拶や所作といった基本姿勢から教えて頂き、最近流行りになっている宿坊とは全く違うといった印象を受けました。何より一緒に体験修業する仲間の真剣さが伝わってきました。中には興味本位といった方もいたのかもしれませんが、仕事や心に何か悩みを抱えている方が多く、一緒に頑張ろうといった気持ちが強くなりました。

    前述のように、今まで私は「神」や「霊」といったものをあまり信じておりませんでしたが、少しずつそういった存在、科学では説明できないものがこの世には存在するのではと思うようになっていきました。

    かといって、私も突然何かに覚醒した訳ではありません。正直、瞑想を通じて俯瞰的に自分を見られたりだの、滝行を通じて邪気が抜けていったといった実感が残念ながらありません。しかし、全てが初めてであるこの修行を通じて、アルコール依存症から脱却する「何か」を見るつけるきっかけになったのは間違いないと信じています。

    今までは狭い視野で、自分の視点でしか見ていなかったものが「神」や大自然に触れて、こういった物の見方があるんだ。自分は小さい世界に囚われていたんだと感じました。

    私は六年前に離婚し、そこから飲み方がおかしくなり、考え方も将来を考える事もなく、その日その日を過ごせればいいといった考え方になっていき、この病気へとなっていきました。恐らく色々な事から逃げたい、現実を見つめたくない、といった気持ちから生きるための積極性を欠いていったのだと思います。しかし、まだ四十一歳、この先に希望の光は必ずあると思いますし、この体験を通じて再度認識しました。

    病気や将来の恐怖を少しでも振り払う機会となった修行や、お言葉を頂戴し本当に感謝しております。

    この先積極性を持ち、自分を愛し、自分を変えていきたいと思います。

    都内某所にあるホラーBarでアルバイト勤務していますが、盆と正月あたり年2回は天光寺にお祓いに行ってます。バイト先の店の中では風も無いににバンッと扉が閉まったり、誰も居ないのに人が入ってくる音がするなど日常茶飯事で慣れていますが、見える人によると僕はたくさんの霊体をつけてしまっているらしいです。店の中だけ起こるのならいいですが、帰ってから自分の部屋でも現象が起こるので慣れていますがたまに心臓が止まりそうになります。高尾さんに初めて逢ったとき「君、まず部屋の中を変えなさい」と言われて、僕の部屋にドクロの置物がたくさんあるのを全部透視されていて、スゲェ!と鳥肌が立ちました。相変わらずホラーやドクロ集めなどはやめられないので、身の安全のためにも天光寺のお祓いは欠かせません。

    この度は大変お世話になりました。

    私は、今までお祓いだとか霊だとか、無縁の生活でした。

    我が家の一人息子は、生まれてから夜泣きが酷く、3歳になる今では、夜中悲鳴を上げたり、知らない人のような声で何かを話したりし、妻と二人でどうしたら良いのかと、日々そのことに心を砕いておりました。

    両方の親には心配をかけるから、あまり話してはおりませんでした。

    小児科、相談所、カウンセリングなど、体と精神的なサポートでよくなればと、

    あれが良いと聞けば、試してみたりしておりましたが、一向に止む気配がないのでした。

    私は長男。妻は一人っ子。なにか家系に問題が在るのではないか、と思い始めました。

    そこで、こちらに参りましたが、やはり家系に色々と問題がありました。

    それがすべて今、息子に受け継がれているとのこと。いま、供養し、お祓いをすれば多分大丈夫だろうと住職様はおっしゃいました。

    おっしゃっていただいたとおり、その夜はとても静かに息子の安らかな3歳児寝顔でした。

    ご先祖様があっての私達。今後は定期的にご先祖様の供養をしていこうと思います。

    日々の出来る事なども、ご指導いただき、早速実践してまいります。

    本当に助けていただいてありがとうございました。

    医療事務しています。うちの病院は昔ホテルだったそうです。そこまで大きくない病院で、綺麗とはお世辞にも言えない汚い病院です。守衛がおらず、夜間の施錠確認などは僕ら事務スタッフが確認に行きます。入職当時は肝試しにしか思えなかったですが、夜間の巡回にも慣れてきていました。梅雨の時期に、本当に何気なく霊安室のところに変なお爺さんが立っているのを見てしまいました。霊安室の奥は心霊スポットだと、冗談半分で上司に聞いた事はあったのですが。驚いて走って戻り同僚に話したところ、「白髪の長髪のお爺さんがいるのが見える人には見えるらしいよ」と自分の見たお爺さんの特徴を言い当てられました。背筋が凍りもう絶対にお祓いに行こうと思い今日は天光寺まで来ました。お祓いが始まる前に住職に内容を告げたところ、すごく質の悪い霊のようだから憑依が起きないように気をつけるよう言われました。うちの病院は生活保護受給者や浮浪者のような患者さんも多く受け入れるので、そういった方のことを指しているのかなと思いました。今日もらったお札を身に付けて、塩などを持ち歩き、身を守って巡回しようと思いました。明日からも仕事を頑張ります。ありがとうございました。

    今回一泊二日の修行体験を終了して思う事は、今このような経験ができてとても良かったという事です。

    滝行は、テレビで見た事しかなく、また番組内では罰ゲームとして演者が滝に打たれていました。実際に滝行を体験して感じた事はとても神聖な行であることです。滝行を受けるまでに様々な事を学ばせて頂きました。空海様の話、お百度参り、滝までの移動、とても良い経験となりました。

    私は今回滝行をメインとして参加させて頂きました。

    私は病院に勤めて6年経ちますが、自分の言動、感情の表現の仕方、行動を思い返すともっと改善できる点がたくさんあることに気付かされました。意識的に行ってきたことも、また無意識に行ってきた行動も正直怖いです。「今目の前にいる人はいつか仏となる存在。」と考えるだけで、考え方が大きく変わりますし、結果自分自身が大きく変われる気がします。

    職場では積極的に仕事をしてきたと思っていましたが、住職の話を聞いてまだまだ足りないと感じ、今から仕事に対する熱い気持ちが溢れてきそうです。今まで考えたことが無い感覚があり、明日への活力、今を大切に生きる事の大切さが分かった気がします。

    食事の挨拶をとっても、ここまで深い言葉であることは知りませんでした。食べる事の喜び、感謝の気持ちを改めて考えられました。

    霊障の話はとても驚きました。病院では「鬱病」と診断されている方の中には霊障の方がいる事を知りませんでした。また、世界にそのような症状で苦しんでいる方がどれほどいるのかとても気になります。それだけとてもとても重要な職種であると感じました。

    また、スマートフォン等の電子機器の無い生活を経験して、自分が依存していたことも分かりました。話を聞いて、分からない言葉をすぐ検索していたと思いますし、無いからこそ仲間と「どういう感じなんだろうね?」という会話をし、頭の刺激になりました。時間も気にせずスマートフォンを向き合っていた時間を考えるととても悲しく勿体ない事をしてきたと強く思います。

    これからは、スマートフォンやPCではなく。人ともっとコミュニケーションをとって大きな人間になりたいと思います。

    今回この体験の機会をくれた先輩、天光寺の皆さんに本当に感謝しています。もっともっとこれからの人生前向きに明るく積極的に生きていきたいと思います。本当にありがとうございました。

    興味本位で行った心霊スポットでどうやら憑いてしまったらしく、毎晩夢見が悪く同じ夢を見ることが続き、何となく嫌な感じがしたので、一緒に行った友人に話したところ友人も同じ夢を見たと言っており、二人揃って脂汗が噴き出ました。

    大学のOBに相談したところ天光寺さんを紹介して頂き、高尾住職に見てもらったところ、やはり心霊スポットに行ったことが原因と教えてもらいました。

    除霊が始まるとお経が聞こえてきてそのうち頭がぼーっとし、気付くと終わってましたが体感的にはあっという間でした。

    その夜は久しぶりに夢を見ることなく寝られ、同様に一緒にお祓いをしてもらった友人ももうあの夢を見る事はないと言っていました。

    決して遊び半分で行くところではないとお叱りを受け深く反省しました。

    夢見が悪い以外に霊障はありませんでしたが、一歩間違えればもっと酷いことが起きていたかと思うと、とてもこれからはそんな所に行くべきじゃないと思いました。

    平成から令和へと時は流れ、10連休をどう過ごすか…

    仕事が休みなだけで、いつもとたいして変わらぬ日々を過ごし無駄に時間だけが過ぎてゆくというのが今までの私。

    なので、今年は何か一つでもこれをやったという充実感のある休日にしようと思い一泊二日体験修業を行うことにしました。

    予報に反し初日の天候は小雨の降る中、お百度参り、滝行など行いましたが、暖かい日よりも少し寒い日に行う事で更に修行となるのではという気持ちでした。とは思いつつ、息も白くなるし、どのくらいの間滝に入っていられるのか、30秒くらいしかもたないのではないかという不安もありました。

    でも、誰に言われた訳でなく自分の意志でここまでやって来たのだから出来る限り、やれるだけやるしかない。

    普段あまり大きな声を出すこともないのですが、必死の思いで「南無大師遍照金剛」を唱え5分程は滝に入っていられました。一緒に参加した方々の応援がとても有難かったです。本当に一人では5分もいられなかったかもしれません。

    かなりの勢いで滝が頭に当たり、血管がぎゅーっと縮むような感覚、あと一回お経を唱えたら手を挙げて辞めよう…と何度も思いました。が、あと一回あと一回と続けるうちに「ラスト」の声がかかり、なんとか一つやりきったと満足しています。

    滝から出ても手のしびれ、震えがしばらく止まりませんでした。

    私の中の悪いものが少しでも洗い流されたと同時に、何か一つ、どんな小さな事でも成し遂げられたという喜びが自信にも繋がるのだと思いました。

    朝や食事、1日の終わりの挨拶も大きな声ではっきりと。当たり前のようでいて、出来ていないことが多いので、これからは「積極的」に取り組んでいきたいと思います。

    人として人間力を高める努力が必要だと思いました。普段の生活の中でちょっとした事に気づきさっと行動する気配りだとか、自分の目の前しか見えていなかったり、人に迷惑をかけてしまうことも多々ありますが、意識して今までの習慣や考え方を変えていかなければと思いました。

    非日常体験をして色々考えさせられました。楽しいお話、お経のお話も沢山聞けて良かったです。本当にいい経験になりました。

    色々お世話して下さった聖覚さん、天光寺の皆様、一緒に体験した皆様、有難うございました。

    こんにちは。先日はウチの店まで来てもらいお祓いをしてもらいありがとうございました。

    お祓い以来、従業員一同、落ち着いて仕事に従事できています。

    お寺に行って以来、天光寺のことはなんとなく気になってHPをチェックしてました。

    除霊や修行した方々が感想文を送っているみたいなので、僕らも感謝の気持ちを込めて感想文を送ろうとなりました。

    ウチの店の場合は、もともとオーナーが何らかの理由で安く買った物件を美容院にしているので、立地も湿っぽいし地下だしというのもありましたし、店が入った頃にはじめから入口に盛塩がしてあったりしたので、何か不気味ではありました。

    深夜にウチに入職が決まっている学生が、マネキンを使用してカットの練習中、動画も廻していましたが、とても恐ろしいことが起きてしまいました。

    先生には動画で見てもらったとおりです。

    マネキンが落下し、拾い上げたら人間の顔になって動いていたという

    動画のほうは、一時動画投稿サイトにも載せていましたが、今は削除しています。

    やはりあのあと色々あって。先生からもあまり心霊現象を面白がるような事はよしたほうがいいと仰っていただいたので・・

    専門学生のほうも、その出来事はトラウマになってしまい、店に来れない状態でしたが、高尾先生のお祓いを受けて、安心してくれました。

    僕らは霊など見えないし、霊感がないので、ああいう怖い現象は初めてで、その後もどうしていいかわからなかったんですが

    とりあえず先生がすごくちゃんとしたお祓いをやってくれので、あのお祓いのシーンを見ていたら「よし、大丈夫だ」と思うことができました。

    あれから三カ月以上経ちますが、店もそれなりに賑わい、従業員も楽しくやってます。

    あの出来事はウチの店の都市伝説化しています。

    高尾先生のおかげで、恐怖から解放されました。

    ほんとに感謝してます。

    今後もHPなどで天光寺の事は注目していきます。これからもお体を大切に頑張ってください。

    今回は、一泊修行を体験させて頂き、ありがとうございました。

    最初は半日滝修行だけを予定していたのですが、ホームページや動画等を見ているうちに、一泊修行を体験してみたいと思い申し込みました。

     

    申し込んだ理由として、現在うつ病を患い、休職中なのですが、うつ病になる前は好奇心の塊のように何にでも興味があり楽しく過ごせていたのにうつ病を患ってからは仕事も趣味も、とにかくあらゆる事に興味が持てなくなり、一日でも早く以前の自分を取り戻したいという思いからです。

     

    とは言え、修行はとにかく初めてで何も分からないので、この日が来るのがとても不安だったのですが、終わってみたらやはり来て良かったと思いました。

     

    まず、一番心に残ったのはやはり滝行で、梅雨のこの時期は水量が多いのだろうなとは思ってはいたのですが、私が滝行を行った日が最も水量が多いと聞かされ、先生からも「あの水量じゃ死ぬよ」と脅され、ビクビクしながら行きましたが、本当に半端ない水量でした。

    しかし、ここまできて滝行をやらずに帰っては来た意味がないと思い、思い切って滝に飛び込みました。

    入ってすぐはあまりの水圧で声も出ず、本当に死ぬなと思いましたが、何回か唱えてるうちに声も出るようになり、座ってからは更にたたきつける様な滝に襲われましたが、時間がたつほどに心地よくなってきて、出てからは、もう少し打たれていたかったと、物足りなささえ感じました。

    山から降りる時はとても清々しく、機会があれば又滝に打たれたいと思いました。

     

    声出しも、普段大きな声を出すという事がないので、最初は少し恥ずかしかったのですが、腹の底から声を出すという事がとても気持ち良くて、自分の中にある悪い物も吐き出せた気がします。

     

    写経と写仏は、まず墨をする事が本当に久し振りで、何も考えずひたすら墨をすっている時間や、夢中になって経や仏様を書き写している時間が、とても贅沢に感じました。

     

    あとは何と言っても食事は美味しかった事。

    野菜だけなのに物足りなさを全然感じず、どれもこれもがとても美味しくて、特にドレッシングが毎回味付けを変えてあって作り方を教えて頂きたい位です。

    私は調理の仕事をしているのですが、調理場があまりに本格的なので、それもびっくりしました。話を聞けば、先生が料理の仕事をされていたとの事。やっぱりなー、と妙に納得してしまいました。

     

    今回の修行で学んだ事、人としてどんな生き方をすれば良いのかや、プリントや法話をきいて、色々教えて頂いた事を、早速実践しようと思います。

     

    又、機会がありましたら是非修行したいと思います。その時は又よろしくお願い致します。

     

    色々とお世話になりました。どうもありがとうございました。

    近所の青梅市に住む者です。

    地元の河原で小学生の息子を連れてよく釣りに行きますが、

    夜の河原で少年の幽霊のようなものを何度も見てしまい、心配になったので天光寺さんへ伺いました。

    息子には見えないようなのですが、私には同じ男の子が何度も見えてしまい、

    ある時、配達の仕事をしているときに河原の裏を通ったら墓地が広がっているのを見て、ゾッとしてしまいお祓いを受けようと思いました。

    高尾住職に相談をしたところ河原に出てきた少年の幽霊と墓地はまったく関係ないとのことでした。そこの河原で夏休みに溺れて亡くなってしまった少年が居て、いつまでも自分の亡くなってしまった夏休みが楽しくて忘れられなくて河原を彷徨っている、と…。

    聞いたときに涙があふれてしまいました。

    夜釣りをしていると毎回彼の霊がやってきて、釣った魚の入ったバケツを覗きにきます。はじめは本当に実在している男の子だと思って話しかけていましたが、息子には見えていないことや、目を離した瞬間に彼が消えている事などから、だんだんこの子は幽霊だとわかってきました。

    高尾住職に相談をしてお祓いをしていただき良かったです。その次に河原に行ったときからはもう彼の霊に会う事はなくなっています。

    正直、ホッとしています。

    今は、自分の息子にも川の事故には気をつけさせています。

    もともとあまり滝行には興味なかったが、テレビ番組で参加者がとても良かったと発言しているのを見て「なんだかつらいだけの苦行かと思っていたけど、そうじゃないのかな」とイメージが変わり、一度体験してみたいと思うようになった。番組を見たのは冬だったが冬にやるのは心臓に良くなさそうだと思い、先ずは夏にチャレンジすることを決めた。ネットで検索したところ何か所も施設が出てきた。何となく天光寺に惹かれるものがありどうせなら宿泊して都会から離れた自然やお寺の気分を味わおうとここに決めた。日帰りよりもさらに色々と体験できると思ったのも一因である。

    いざ滝行を体験してみるとこんなに山を登らないといけないのかというか滝場に行くまでの道の傾斜が急なことに驚いた。道も岩を乗り越えなくてはいけない箇所も幾つかありこういう舗装されていない場所を通ることも日常生活ではそうないだろう。正直滝行よりも私にとってはこの山道を登り降りする方が修行になった気がする。滝行は最初は軽く考えていた。皆が入滝している様を見るにつれだんだん不安になってきたがいざ入滝してみると思ったより辛くない事に驚いた。普段から水風呂に入る習慣が合った為か水の冷たさには慣れていたようだ。滝に入っている最中に急に視界がはっきりしてくるときがあった。応援の声もこんなに近くなのに滝の爆音の中ではほとんど聞こえなくなってしまう事も知った。

    さらにいままで不動明王だとか薬師如来だとかそういう名前は聞いたことがあったがどういう違いがあるのかよくわからなかった。それぞれつかさどる分野が違い、13体ごとに真言があることも驚きだった。

    今回の宿泊で仏像に関する知識と人生初の滝行経験を得られた。次回は冬にチャレンジしてみたい。

    こちらのお寺を訪ねたのは、霊障に悩まされていたからです。

    その現象が起きたのは、母は亡くなってからです。

    はじめは神と名乗る男の顔が母の火葬後に私の周囲に毎日出現し、気障りになる程度で、私を不快にしました。他にも、私の心臓へ気を向けたり、左半身に入ったり出たり入ったり額から入って口から出たり、体に不快感を起こします。胃袋に気を通して私を操ろうとしたりもしました。食の好き嫌いも俺に会わないと言ってきます。憑りつかれているように毎日嫌悪感と不快感がありました。朝の通勤を遮るように邪魔しに出てきるなどの症状が起き、知人に相談したところインターネットで調べてみるのが良いと聞き早速調べてみるとこちらのお寺にたどり着きました。自宅からも遠くなく評判も良さそうだったのですぐに決めました。

    お祓い自体はすぐに終わりこんなので効果があるのかなと思っていましたが、何日かするとみるみる霊障か解消されていきました。今ではこんなこともすっかりなくなりいつも通りの生活を送れています。住職さんには感謝しています。ありがとうございます。

    平成から令和へと時は流れ、10連休をどう過ごすか…

    仕事が休みなだけで、いつもとたいして変わらぬ日々を過ごし無駄に時間だけが過ぎてゆくというのが今までの私。

    なので、今年は何か一つでもこれをやったという充実感のある休日にしようと思い一泊二日体験修業を行うことにしました。

    予報に反し初日の天候は小雨の降る中、お百度参り、滝行など行いましたが、暖かい日よりも少し寒い日に行う事で更に修行となるのではという気持ちでした。とは思いつつ、息も白くなるし、どのくらいの間滝に入っていられるのか、30秒くらいしかもたないのではないかという不安もありました。

    でも、誰に言われた訳でなく自分の意志でここまでやって来たのだから出来る限り、やれるだけやるしかない。

    普段あまり大きな声を出すこともないのですが、必死の思いで「南無大師遍照金剛」を唱え5分程は滝に入っていられました。一緒に参加した方々の応援がとても有難かったです。本当に一人では5分もいられなかったかもしれません。

    かなりの勢いで滝が頭に当たり、血管がぎゅーっと縮むような感覚、あと一回お経を唱えたら手を挙げて辞めよう…と何度も思いました。が、あと一回あと一回と続けるうちに「ラスト」の声がかかり、なんとか一つやりきったと満足しています。

    滝から出ても手のしびれ、震えがしばらく止まりませんでした。

    私の中の悪いものが少しでも洗い流されたと同時に、何か一つ、どんな小さな事でも成し遂げられたという喜びが自信にも繋がるのだと思いました。

    朝や食事、1日の終わりの挨拶も大きな声ではっきりと。当たり前のようでいて、出来ていないことが多いので、これからは「積極的」に取り組んでいきたいと思います。

    人として人間力を高める努力が必要だと思いました。普段の生活の中でちょっとした事に気づきさっと行動する気配りだとか、自分の目の前しか見えていなかったり、人に迷惑をかけてしまうことも多々ありますが、意識して今までの習慣や考え方を変えていかなければと思いました。

    非日常体験をして色々考えさせられました。楽しいお話、お経のお話も沢山聞けて良かったです。本当にいい経験になりました。

    色々お世話して下さった聖覚さん、天光寺の皆様、一緒に体験した皆様、有難うございました。

    夏になると毎年、滝行と除霊をしに天光寺に来ています。

    天光寺を知ったのは旦那の会社がこちらのお寺で社員の研修を行っていたから。

    口コミなど読んで、お寺も良いらしいので来ています。

    私が子供の頃から霊感体質で、大人になってもいわゆる「みえちゃう人」なので、

    お盆あたりはけっこうキツイので一度除霊に来ます。

    数年前までの渋谷のスクランブル交差点なんかはお盆の時期はこの世のモノではない人ばっかり見えていました。

    除霊をしておくと、この世のモノではない人を見ても、憑かれにくくはなると思います。

    けっこう強力なのに遭ってしまってもまず体調を崩さなくなるのが利点です。

    体調管理の不届きなどもありますし、すべての不調が憑かれたモノのせいではないと思いますが、気になる人にはこちらのお寺の除霊はおすすめします。

    夏になると毎年天光寺に行っています。

    私達家族は滝行に挑戦したあと、お祓いをするというコースをもう五年間も続けています。

    高尾先生やスタッフの方とももう長いお付き合いとなりますね。

    初めて天光寺に行ったのは2014年の夏です。その頃から高尾先生の霊感というのは知る人ぞ知る・・と言いますか、西東京では有名でした。

    私はその夏に子供を預け、久しぶりに地元の仲間とグループで千葉の海へ出掛けました。

    夜の海でみんなで花火をして缶ビールを飲み、騒ぐ。久しぶりに青春気分でとてもハメを外していました。

    ですが民宿へ戻ったとき、雑魚寝~となるところが女性部屋では勝手にテレビが付いたり消えたり。すごく恐怖でした。

    怖いねー!なんてなりましたが、帰宅して、自宅でもテレビが付いたり消えたりしだしたので本当に怖くなってしまい、知人の紹介で天光寺の除霊を受けました。

    一緒に行ったメンバーはみんな独身でしたが、自宅で霊現象が起きたのはうちだけでした。

    除霊に行き、高尾先生から「子供の霊がついてきてるよ」と言われました。

    確かに、トタトタ子どもが走っている気配のようなものも感じたので当たっているかなと思いました。

    天光寺のお祓いから帰宅して、テレビが付いたり消えたりの現象がなくなったので、高尾先生の除霊のお力です。除霊の際に結構大きな声を出していたので、幽霊も高尾先生の言う事をきちんと聞いて帰ってくれたのだなと思いました。

    海辺でのその出来事以来、毎年夏になると海から帰ってきたら天光寺で除霊もしてもらう事にしています。

    今年もありがとうございました。

    最近では全国的に有名になってしまい、もう「知る人ぞ知る高尾先生」ではなくなってきてしまっていますが、来年もぜひ○○家のお祓いを宜しくお願いします。

     

    ※プライバシー保護の為、お名前を伏せさせていただきました。

    私は霊山を巡ることが趣味です。

    霊山から戻ると天光寺へ必ずお祓いに行っています。

    特に三年前に行った日本三大霊山と呼ばれる観光地では、憑いてしまって、酷かったです。頭痛も激しく、東京に戻りすぐに高尾住職にお願いしました。

    お祓いで激しい頭痛はすぐ治まりました。

    観光地のようになっているお寺でも無縁仏などで手を合わせると結構憑いてきてしまいますので皆さんも気をつけてください。

    天光寺住職様、先日は除霊を行っていただきありがとうございました。

    統合失調症を疑っておりましたが、まさか霊体験に自分が巻き込まれてしまうなんて考えてもいませんでした。

    しばらく寝起きに変な声が聞こえたり、人の名前を呼ぶ声が聞こえたり、

    寝ているときに体を手で揉まれる感じや、胸元を押される感じなどがして、それが連日続いたので睡眠を取ることにも恐怖を感じ、夜が明けてから2時間程睡眠を取るという生活が期間にして三カ月ほど続きました。決定的なきっかけというのがわからなかったのでこの異変にどう対処していいのか本当に困っておりました。

    食欲も無くなり、寝ない・食べないというような日が続いていたので、母親に勧められて一度お祓いをということで天光寺に来てみましたが、来てみて本当に良かったです。

    統合失調症など精神の病ばかりを疑わず、お祓いというのも試してみて良かったです。

    美しい大自然の中にある天光寺さんに伺わせていただき、とても癒されました。

    あのお祓い以来はしばらく実家で暮らし、その後、一人暮らしのアパートへと戻りましたが、あれから霊現象というものは起きていません。

    果たしてお祓いのおかげではないでしょうか??

    感謝の気持ちを込めてお手紙を書かせていただきました。

    住職様にも目を通していただけますと幸いです。

    どうもありがとうございました。

    去年の7月頃から耳元でささやき声が聞こえるようになり、同年11月26日頃から体調が悪くなったり、体の左半分が痛かったり、重かったり、冷たくなったりするようになり、慢性的に気分が悪くなっていました。

    今まで霊的なものに憑かれたこともなく、霊に憑かれるような場所にも行ってないので原因が全く分からず困っていました。

    どうしようかと悩んでいた所インターネットで天光寺様のホームページを見つけ藁にも縋る思いでお祓いのお願いをしました。

    ご住職様は優しく話を聞いてくださり、それだけで心が軽くなりました。どうやら私には低級霊が憑りついていたらしく、ご住職様がいうには霊に憑りつかれるような場所に行かなくても時々霊に憑りつかれることがあるそうです。

    実際にお祓いをしていただき、無事に私に憑りついた霊を浄化してもらう事が出来ました。

    この度は本当にありがとうございました。また何かあったら天光寺様にご相談に伺おうと思います。

    占いやヒーリングが好きで、友達に噂を聞いてはいろいろな占いに通っていました。

    あるとき、SNSを通じて知り合った男性から車の中で「ヒーリング」と言われ背中に手を当てられて何かをされ、その日の夜から体が熱くて熱くてたまらなくなり、その状況が何日も続きました。ここに来るまで毎日熱が38度くらいあるのではないかと思うほど体が火照って頭もぼーっとしていました。体温計で測ると平熱なのに、これは絶対にあの男性の「ヒーリング」のせいではないかと怖くて怖くてたまらなくなりました。一人で家に居ると自分はこのまま死んでしまうのではないかという気持ちになり、今日までとにかく人の中で過ごしました。彼氏が心配して色々調べてくれて天光寺が有名だからということで今日は天光寺に連れてきてもらいました。住職にヒーリングを受け、体がすーっと常温になりらくになりました。ヒーリングが始まりものの10分くらいであっという間に体がらくになったのでびっくりです。今回の出来事で良くも悪くもヒーリングの力を確信しました。今後はやたらな人の占いやヒーリングなどは絶対に受けません。住職さん、ありがとうございました。

     

    今回一泊二日の修行体験に参加しました。

    参加内容はお百度参り流行、写経、読経を行いました。

    今回のお寺での宿泊は人生で初めての体験でした。

    去年あたりなら仕事で人間関係がうまくいかず一カ月前に決断しました。

    北海道からの参加ということで前日、東京で宿泊し、電車とバスで天光寺まで来ました。

    朝起きた時から緊張していてバスの中では不安でいっぱいでした。

    お寺についてまず本道に案内され、私の前に約2ヶ月の修行を行っている人がいる事を知り少し気持ちが落ち着きました。その後もう一人加わり3人での体験という事になりました。

    まずはお百度参りと滝行。インターネットしか知識のない私は、最初何をやっていいのか分かりませんでしたが、お寺の方が親切に教えてくれたおかげで何とか行うことが出来ました。

    お百度参りを終えて、いざ滝行へ。

    今回の私の主な目的は滝行であった為期待と不安で山へ向かいました。

    車で山へ向かい、滝までは徒歩で向かいました。向かう途中気温は暑いのですが川の水は非常に冷たく感じたのを覚えています。3人の中の2番目に滝の中へ向かいました。一人目の行い方を見ていたので大丈夫と思っていたのですが、いざ滝の中へ入ってみるとかなり辛いものを感じました。やはり50歳という年齢的なものもあるのでしょうかもう少し若い時にやっておけばよかったと後悔してしまいました。

    夜になり写経を行いました。やはり、仏像の前で物事をした経験のない私は正直どうしていいのか分からない事ばかりで恥ずかしい気持ちになりました。

    二日目朝から清掃を行い、ちょうどいい感じでから体を動かしたあと、朝食に入りました。

    今日はどんな料理が出てくるんだろうと少し期待していたのですが、おかゆと野菜が出てきてお粥の量の多さに驚き、何とか食べないといけないという気持ちに押されたせいでしょうか、正直この朝食が自分にとってこの二日間で一番きつい物になってしまいました。

    やはり今考えると修行をしているのにおいしいものは出てきませんよね。大いに反省です。

    発声練習に瞑想、読経を行い午後から写仏を行って終了しました。

    今回の体験修行を終えて、滝行以外での礼儀作法をたくさん学んだような気がします。

    一泊二日でも大変な事がわかった修行ですが若い人にはもっと積極的に参加してほしいと思います。

    短い間でしたが本当に有難うございました。

    年齢的にも距離的にもまた来ることは難しいと思いますがまた会える機会あればよろしくお願いいたします。

    今回は本当にありがとうございました。

     

    私たちが行った滝行や三禮などの厳しい修行は決して普段の心持ちでは成し遂げられなかったろうと思います。仲間の応援や、職員さんを始め、天光寺の方々の支えがあって達成できたことだと思いますが、私は「絶対にやり切ろう」と自分の中で強い意志を持てたこともこの2泊3日無事に過ごせた大きな要因だと思っています。

    私が絶対にやり切ろう思えたのは、同期の存在と社会人生活がこれから始まるという2つが理由だと思います。

    自分の中で「同期に負けたくない、情けないと思われたくない」「これから始まる社会人生活の大事なスタート場面でくじけてはならない」などの強い意志が最後まで修行をやり遂げさせてくれました。

    今回の修行が辛かったという訳ではありません。

    ひどく苦しく、大変な状況でも自分の心持ちを強く持っていれば、きっと結果は良い方向へ向かっていく、という貴重な経験が出来て、本当にありがたかったです。

    この経験はこれからきっと困難な時期を迎えるであろう未来の自分の、必ず心の支えになるものであると信じています。

    住職のおっしゃっていた「消極的な言葉を使わない」「不平不満を言わない」という言葉とともに、将来辛い時・苦しい時があった際にこの研修のことを思い出したいと思います。

    また、今回私が感じたのは、まだまだ自分が知らない世界、体験があるということです。

    研修に来る前は、寺での修行、滝行などは、なんとなくは知っているものの、いまいち想像できないものでした。むしろ言葉を聞くだけでは「面白そう、やってみたい」とすら思っていました。しかし、いざそれらの修行を終えてみると自分の想像以上に厳しく、いままで味わったことのない感覚でした。

    2泊3日で少し触れただけでそこまでの感覚を味わったので仏教の世界はもっと深く濃いものなのであろうと思います。

    このように自分が本当の意味で知らない世界はたくさん存在しているはずです。

    自分がいま知っている知識、感覚でしかやったことのない出来事は語れないと思います。

    なので、積極的にこれからも新しい体験にチャレンジしていき、知識や感覚をどんどん得ていきたいと思います。

    そして、同じ経験をした同期や社長、役員陣への尊敬の念も、この2泊3日の研修で増しました。同じ日に研修を行った同期らは身体のコンディションや体格差もある中で自分と同じ修行を乗り越え、社長らは極寒の中、年齢も自分らより上であるにも関わらずやり切ったという精神力は本当に凄まじい強さで尊敬しています。

    また、今回の修行で精神力の強さは身体の強さも重要であると改めて認識しました。

    身体が丈夫でないと、自分の頭の中にすぐ弱音が充満してしまうと思います。

    なので、研修から帰ったら身体の鍛錬を欠かさず行い、栄養バランスのとれた食事や、十分な睡眠時間をとるよう、これまでの生活習慣を変えていこうと思います。

    今回学んだことは今分かっているだけでは不十分でもったいないことです。

    今日からでもすぐ行動に移し、忘れないよう注意して過ごしたいです。

     

    わたしは会社を20年経営しており、とても順調でここまでやってこれておりました。

    自分で言うのも変ですが、元々感が鋭い敏感な所がありまして、良い場所や、良い人にとてもめぐまれ、必ずよいビジョンがふと見えたりします。

     

    1年前に妻が亡くなり、体も心も疲れていたかと思います。

    すこしペースを落としたい、リフレッシュしたい、初めてそんな風に思うようになり、海外に旅行に行ってきました。

    方位が良くなかったのでしょうか、ある場所のホテルで、体が重くなってしまい、めまいと吐き気で倒れてしまいました。

     

    日本に帰ってからも、体の不調は続き、家の中が嫌なドブの様なにおいがするようになっていました。

     

    会社にはいつも私にだけ見える光の帯があり、それは多分守ってくれていると思う存在だと思いますが、その光がほとんど消えかかっていました。

     

    早くお祓いをして頂かないとと、こちら天光寺様に参りました。

    お祓いのはじめ胸が苦しくてなりませんでした。頭も痛くなりました。

    色んな浮遊霊などがついて来てしまっていたようです。

    早くお祓いをしにきたらよかったと思いました。

    そして、人生また感謝して生き直そうとリセットすることができました。

     

    本当にありがとうございました。

     

    追伸、会社の光の帯も戻ってきました。家の嫌な臭いもなくなっていました。

    さらに断捨離、掃除をして、気を入れ換えていきます。

    私はカラオケボックスで勤めております。

    新店舗の店長を任される事になりオープンにむけて忙しくしていました。

    店舗内は窓はあるものの陽の光も入らず、空気の入れ替えなどする事もなく、営業中はともかく開店前、閉店後は異様な雰囲気を発しておりました。

    こういう所ってでやすいんだよな~と思いつつ働いていましたが、霊感など無い私は深く気にする事もなく日々働いておりました。

    しかしどうもこのところアルバイトの従業員が清掃中変なものを見たと泣きついてきたり、写真を撮れば沢山のオーブが写り、しまいにはお客様がこの部屋は嫌な感じがするから移動させて欲しいと決まって同じ部屋で誰かしら何かを感じるようになりました。

    変な噂がたっては困ると思い上司に相談し、ご住職に店舗まで来ていただきお祓いをお願いいたしました。

    お祓いが終わりご住職に話を伺うと問題の部屋は霊の通り道(霊道)でそれがインテリアで飾ってあった鏡で塞がれて、通れずせき止められた霊が集まってしまったと教えていただきました。その後すぐその鏡を撤去し今は何事もないです。

    もしまた困ったことが起きたらすぐご住職に相談しようと思います。有難うございました。

    私は霊山を巡ることが趣味です。

    霊山から戻ると天光寺へ必ずお祓いに行っています。

    特に三年前に行った日本三大霊山と呼ばれる観光地では、憑いてしまって、酷かったです。頭痛も激しく、東京に戻りすぐに高尾住職にお願いしました。

    お祓いで激しい頭痛はすぐ治まりました。

    観光地のようになっているお寺でも無縁仏などで手を合わせると結構憑いてきてしまいますので皆さんも気をつけてください。

    東京の会社に通勤している会社員です。先日はお祓いいただきありがとうございました。

    通勤途中、駐車場にいつも同じ男性が立っているのを見てしまってとても気持ちが悪く悩んでいました。先日、中途で入社してきた職員と話していたらこの近くで昔火事があったという話をしておりまして。その火事になった場所が現在駐車場になっているあのいつも男性が立っている駐車場で。僕はとても気持ち悪くなってしまいお祓いのため天光寺へ行きました。住職から「ここ昔は駐車場じゃなくてお米屋さんがあった。そこのご主人が火事になって死んでる」と言われ・・・その時はまだ米屋があった事は知らなかったのですが、火事になったのを当てられて心臓が止まるくらい驚きました。住職にお祓いとお守りをもらい、週明け出勤した際に前述の職員と話をして、お祓いに行ったことを話しました。翌日彼が教えてくれたのは「駐車場になる以前は米屋があって米屋の人が火事で死んでいる」という事。彼の父親は元警察官なので色々詳しいらしいです。なぜそんな事が視えてしまうんだろうと高尾住職の霊能力には驚きを隠せません。霊の存在を示すような経験でした。僕はもうその駐車場の前を通って通勤はしていませんが、高尾住職の透視能力には驚きましたので感想文を送らせてもらいました。

    廃校になった小学校をアトリエにして活動している画家です。

    この度は、幽霊という誠に人に相談しにくい内容をご相談させていただき、ありがとうござました。

    アトリエにしている廃墟になった小学校で、仮眠をとっている際などに女性の幽霊を見るようになってしまい、しかし他にアトリエと出来る場所を借りる手立てもなく仕方なくその場所で絵を描き続けていましたが、いい加減怖くなってきましたので。

    今回は先生のほうに相談し、性別などは話していないのに「女でしょ」と。

    何か見えていたのでしょうか?

    いわゆる学校の怪談的な霊ではなく、学校とは関係なくその場で古い時代に家族愛に飢えて亡くなった女性だと。

    今回は、除霊を行っていただき頂いたお札を貼っておりますが、霊を見なくて済んでおります。

    今回は、原因や要因がわかっただけでも檜原村まで行った価値は大きくありました。

    また除霊と関係ないですが次回はこちらのお寺の修行にも参加してみたいと思うようになりました。先生の法話など、聞いてみたいです。

    この度は価値のある時間をどうもありがとうございました。

    これからも天光寺様の御繁栄をお祈りしております。

    私は救急医療の看護師をしております。

    医療の現場では死と直面することは仕方がありません。

    私は霊の影響を受けやすく、何度となくはらってもらったり、自分を守るように塩を持ち歩いたり、石を身につけたりしていました。

    また先日も身体がおかしくなってきました。

    もっと強力に、除霊をしてくださるところを探しておりました。

    調べて、天光寺様にお伺いしました。

    住職様のお経は体の奥に響き、知らない間に意識が無くなってしまいました。

    起きたら全てが終わっていました。

    住職さまは、蛇や動物の霊、亡くなった方の霊など、沢山ついていたとはなしてくれました。

    今後は、こちらの滝行などもうかがって、定期的に自分を浄化していきたいと思いました。

     

    終わったあとは、体が軽くなって、頭もスッキリしました。

    本当に有難うございました。

    10日ほど前から私にしか聞こえていない声が耳元で聞こえだし、時々気を失うようになりました。家族の話によるとその時の私は性格が急変しており、言動などもおかしかったそうです。その症状は日に日にひどくなり、実際に天光寺様でお祓いをしてもらうまで続いていました。

    このままでは私だけでなく家族にまで被害が及ぶと思い今回、知人の紹介で天光寺様にお祓いをお願いすることにしました。

    ご住職様が言うには私は霊を呼び込みやすい体質だそうでこの声は浮遊霊を拾ってきたからだと言われ、その後すぐにお祓いをしてもらう事になりました。

    お祓い中の記憶は余りなく、一瞬で終わったかのように感じました。心がスッキリし、体が軽く感じたのを覚えています。その後は耳元で私にしか聞こえていない声も聞こえなくなり、気を失うことも無くなりました。今、私が普通の生活を送れているのは天光寺様でお祓いをしていただいたお陰です。

    本当にありがとうございました。

    高尾住職、先日はお店までお祓いに来ていただき本当にありがとうございました。

    お忙しい中ごめんなさい。

    高尾住職を紹介していただいた水道工事の中野社長にも感謝です。

    お店の中で、女の子が一人で待機してるときなど、「出る」っていうので。

    私が店長になる前からそういうウワサはあったので、面白半分でみんないたんですけど。

    やっぱり 怖がる女の子もいるので。

    お坊さんが来てお祓いしてくれたよってだけで全然みんな気持ちも違ってくるので。

    見えちゃう子は見えちゃうみたいなんですが、そういう子も今回のお祓いの後は、気にならなくなったって言ってますから。

    要因は怖いから私もよく聞いていないんですけど、やっぱりビルの自殺関係とか そういうのあったみたいですね。

    変な場所に誰が置いたかわからない靴が置いてあるんですが、それが「ちょっと動いてない?!」とか、女の子達が騒ぐんです。誰が置いたかわからない、誰もいけないようなビルの高所スペースに靴だとかいつの間に置いてあったり、それが風もないのに動いていたりとか。怖いですしね。

    幸いうちのキャストの女の子達は、みんな元気で霊の影響などは受けていませんが。

    怖がる子がいなくなったのは良かったです。

    こういう店はオバケが集まりやすいって聞くし、またこういう事があったら高尾住職に相談しますね。また助けてください。

    一泊二日という限られた短い期間ではありましたが、優しさをもって接して頂き、また多くのことを教えて頂き本当にありがとうございました。また普段おろそかにしてしまいがちな礼儀、作法の重要さを再確認できました。

    今回、修行に参加させて頂いた理由は、自分自身が家庭、職場などの人間関係に悩みを持っていたからです。自分は怒りによって自分の感情をコントロールできなくなってしまったり、そうならなかったとしても、怒りによって他人のことを悪く思ってしまいます。そんな自分に対して自己嫌悪してしまい負のスパイラルに入りこんでしまっていると感じました。なんとか嫌なこと、自分にとって理不尽だと思うことも素直に受け入れられるようになりたい、怒りの感情が先に出てくるような人になりたいと思っていた所に、友人から今回の修行の誘いを受け、自分の悩みの答え、ヒントでも見つければいいなと思い参加させて頂きました。今回参加させて頂き、正直これが答え、これでもう大丈夫というものは見つかりませんでしたが、たくさんのヒントを得ることができました。まだ自分の中で消化、飲みこみきれていないものも多く、今の段階で心に残っているものをいくつか書かせて頂きます。

    まず、今回の経験で自分に一番必要なものは「積極性」だと思いました。自分の中で問題点はわかっているが、解決法がわからず、解決法がわからないのであれば自分にはどうしようもないと悪い開き直りをしてしまっていたと思います。今回の修行体験も友人の誘いですが、今後は受動的にいるのではなく、能動的に動くよう変わらないといけないと思っています。

    問題点がわかっているが解決できないなら、その問題から逃げずに、乗り越えられるまで努力を続けることが大事だと思い、今後行動に移す勇気をもらえました。長時間の読経や滝行も辛いと感じる瞬間はありました。しかしそこで諦めずに自分なりではあるけれども歯をくいしばって耐え続けることで達成感がありました。今後も辛くて嫌だと思う事があると思いますが、やり切ることで得られるものが絶対にあるとわかったことで勇気をもらえました。

    どうしてもここに書いておきたいことがもう一点あります。

    それはお坊さんがして下さった「成仏」の話です。仏を敬うことは誰しもがすることだけれども、人間もどんな人でも敬うべきなんだというお話です。

    死を迎えると人間は成仏する、つまり仏に成る、だから現世の生きている人間は必ず仏になる存在なのだから敬うべきだと言われ、感動しました。正直、自分の中でどうしても敬うことができない人や嫌いな人がいます。今まではその人たちと接していると負の感情を抱いてしまいそんな自分に自己嫌悪してしまっていましたが、今後過ごしていく上で素晴らしいヒントになりました。

    教えて頂いたことに対して感想文の内容がともなっていなければ申し訳ありませんでした。それでも今回のことは自分にとってとても重要なことでした。

    短い間ではありましたが、本当にありがとうございました。

    高校生の息子が、吹奏楽部の部長をつとめておりますが、部活終わりに音楽室の見廻りなどをしているときに霊を見てしまったと訴えるようになり、天光寺住職の噂を聞いて東京都府中市より息子を連れて行きました。

    息子が悩んでいたのに、母親である私にはあまり具体的な事などは話せず、

    私は私で息子の「幽霊が見えてしまう話」に関しては精神的な病を疑っていましたので、息子に非常に申し訳ない事をしたと今になり痛感しています。

    住職に対しては息子も「ピアノのところに女の子が座っている」など具体的に自分の見えたものを話しており、私には全然わからない世界なので、ここで相談をして本当に良かったと思いました。その霊は息子に憑いている霊ではなく、学校にいる霊であるため、息子自身に施されたことはヒーリングでした。守護霊に対して息子を御守いただけるようお話してくださいました。そして身に付けるお守りを頂きました。

    もともとあまり話す息子ではないのですが、天光寺のお祓い以来は明るい表情で帰宅するようになり、幽霊を見てしまった頃の悩ましい訴えはなくなりました。息子に対して「あれから音楽室の幽霊はどうなったの?」などの質問はこちらからはしておりませんが、おそらく学校生活が順調に楽しく過ごせている様子に見えますので心配ないかと思われました。住職からは「息子さん純粋で責任感強く優しいから、そういう人のもとへ霊は自分をわかってほしくて姿を見せたがることがある」と教えていただきました。本当に親の私が言うのもなんですが、息子は純粋で優しい子です。

    今回お寺に行ったこと、住職と霊の話を出来たことによって息子に良い転機となったことは明らかです。住職には心より感謝を申し上げます。この度はお世話になりまして本当にありがとうございました。

    7年前、大学時代に天光寺でお祓いを受けました。

    もともと霊感体質だった私は、劇団員のサークルに入っているときも霊をたくさん見ていました。芝居の成功を祈って太宰治のお墓へみんなでお参りに行ったときは、太宰治の霊を見てしまったぐらいでした。

    大学時代、好きになった男の子が居て、その彼には彼女が居たのに奪いたいと思って盗ってしまった事がありました。霊障が起こり出したのはそれからで・・

    彼と電話をしているときに、茶色いセーターを着た、髪の長さが肩くらい、黒髪の眼鏡を掛けた女の子が見えるようになり、常にその女の子が見えるようになってしまい

    二ヶ月くらいそんな状況だったけれど、生活が忙しかったので気に留めている時間がないまま、ある時すごく強くその子を感じてしまったときがあり、怖くなってしまい、なんとなく勘づいてはいたので勇気を出して彼に聞いてみました。

    「その元カノって・・こんな感じ?」

    そうすると彼も「うん・・」と言い、

    二人ですごく怖くなり天光寺にお祓いに行きました。

    天光寺の住職から人としての道理のようなものを教わると共に、彼と二人で除霊を受け彼女に謝りに行ったときは本当に見えたままの女の子だったので驚きました。

    自分でどうすることもできない霊を住職に説得してもらう事ができたのでとてもあの時は助かりました。

    最近は友人を天光寺に紹介し、友人が除霊に満足したようで感想文を送ったと話していたので、私も遠い昔を思い出し、今更ですが天光寺さんにお手紙を送らせていただこうと思いました。

    その節はお世話になりました。

    天光寺さんがこれからも多くの人の悩みの解決をしていくことを応援しています。

    私は今回の研修合宿で、様々な経験をし、多くの学びと発見がありました。

    一つ目は「大きな声を出すことの大切さ」です。天光寺に到着してからすぐに、自己紹介をしていき、声の小さい人は、大きい声が出るまで何度もやり直しました。

    最初は、恥ずかしい気持ちや、緊張がありましたが、大きな声を出すと目が輝き、誠意がより伝わるということを意識し、心を込めて自己紹介をしました。

    二つ目は、「集中力を養うこと」です。

    お経を唱えている間や、写経の間など、長時間に渡って同じ姿勢でいることの辛さを何度も経験しました。

    最初は、自分の身体の痛みばかりを考えてしまい、全く集中できませんでした。

    しかし、修行を経験していく中で、今、自分の目の前のことだけに意識を向けることにより、お経を唱えたり、写経を書くのが、少しだけ楽しく感じられるようになりました。

    これから仕事をしていくなかで、集中力は必要になるので、今回の研修合宿で学べたのは、とても良かったと思いました。

    三つ目は、「忍耐力をつけること」です。

    特に二日目は、お百度参りでは、はだしでアスファルトの上を走ったため、周りの人となかなかペースが合わず、苦しかったです。

    三禮は、今回の研修合宿の中で最も辛く、何度も辞めようと思いました。

    そんな時に隣を見ると、頑張っている同期の仲間がたくさんいて、自分も途中で諦めたくないと励まされました。

    一人だったら絶対に最後までやり遂げことはできなかったので、みんなと一緒に参加することができて、本当によかったと思いました。

    四つ目は「団結力と協調性です」です。

    正直、入社したばかりで同期の人たちのことをよく知らないまま、二泊三日を一緒に過ごすのは、少し勇気がいりました。それでも、食事の準備や後片付け、掃除を全員で行うことで、協調性を学ぶことができたと感じました。

    また、滝行に参加することができなかった人たちも、参加している仲間を全力で応援していました。

    この三日間で、三十一人の団結力が深まったと思います。

    五つ目は、「日々の食事のありがたみを知ること」です。

    精進料理も美味しいのですが、自分の好きなものを選んで食べることができないのは、想像以上に辛かったです。

    それと同時に、普段どれだけぜいたくで、偏った食事をしていたのか、という部分が見えてきました。

    さらに、いつも何気なく言っていた「いただきます」と「ごちそうさま」の意味を深く知ることができ、普段の生活に戻ってからの食事でも、今回の研修を思い出し、食事ができることに感謝して、しっかりあいさつをしていきたいです。

    今回の研修合宿に参加させてもらい、辛いこと、苦しいことがたくさんあったけれど、みんなと一緒に参加することができて、本当に良かったと思える三日間になりました。

    この合宿で学んだことは、これからの自分の力になると信じて、社会人として仕事に取り組んでいきたいです。

    天光寺の方や参加させてもらった上司の方にも感謝しています。

    三日間ありがとうございました。

    息子が足の痛みを訴え様々な病院を転々とし、検査をしましたが原因不明。

    最後には心療内科に紹介状を書かれ、もう頭を抱えていたところ、

    職場の同僚より天光寺を勧められ、藁にもすがる想いで予約を取りました。

    妻からは「お祓いなんて宗教みたいな事を!」ととてつもなく反対されましたが、

    長男にも付き添ってもらい、僕と長男と、当人である次男と、三人で檜原村まで高尾先生のお話しを聞きに行きました。

    除霊時間は3時間と、とても長い時間を要しました。

    高尾先生の話によると先祖関係の霊に関係があるとの事。

    浮かばれない亡くなり方をした先祖が居たとしても何故、うちの次男にきてしまうのか悔しい気持ちでした。しかし、高尾住職の仰っている色んなことは事実でありました。

    僕ら夫婦はまったく先祖などを大事にしていないというか、墓参りやお盆などもほぼ何もする事はなく、墓にも10年以上行っていません。息子を連れて行った事もありませんでした。

    お祓いの後、次男の足の痛みが治りました。

    当の本人はそれを信じないというか認めない状況です。

    僕も霊の存在など認めたくはありませんが、お祓いで次男の足の痛みが無くなってしまいましたので、こういった不思議な事を見せつけられると、高尾先生の言っている事を信じざるを得ません。

    僕ら夫婦も、お互いに早く両親が亡くなっていますが、お互いの墓を大事にしよう、墓参りはしよう、墓との付き合いもしていこうと話し、先祖に対して敬意を示していこうと話し合いました。

    息子達を墓に行かせる事も良い教育になると思い、先祖を敬う心を大事にしようねと家族皆で話し合いました。

    良い教訓と共に、息子の除霊を引き受けていただいたことを大変感謝いたします。

    高尾先生ありがとうございました。

    今回、一泊二日の修行体験を経験して、当初の目的は日ごろの代わり映えしない毎日に刺激を、今一度心を見つめ直し一つの区切りをつける為に参加させて頂きました。

    まず、滝行を経験して気持ちの面で余裕が持てる様、積極的対応・行動をとる事が出来ずにいましたが、滝行を終えた後には一皮剥けた自分になっている様な心持ちになりました。

    例えば写経を行った時も墨のにじみ具合が気になり失敗してしまうかもしれないと、今までの自分は考えたと思います。でも今回は自分を信じきれた(?)のかはわかりませんが、

    自信を持って写経を最後までやりきりました。最近、こんなにも長い時間集中して何かに取り込むこともありませんでした。写経に限らず、写仏、お百度参り、般若心経と無心になって自信を持って行動、体験出来た事は、今後の人生にとっても宝になると思います。

    また、私にとって法話の時間も心に響いた一つです。私が新入職員として就職した際に似た様な話を私の教育係から指導された事を思い出しました。当時は若かった事もあり、指導者からの言葉は私にあまり届いていなかった事を思い出しました。指導者と私の間にはかなりの温度差がありました。その方とは七年間共に仕事を行いましたが、表面上の関係で終わってしまいました。数年後、飲み会の席でその指導者と再会して思った事があります。相手の気持ち、考えなどなど、自分は若かったな、足りなかったなと、思い当時をふり返って話をしました。最近、仕事をしている内で当時の自分と同じ様な事をしてしまう時があり、気を付けないと、と思うも心のコントロールがつかずに、相手を不快にさせてしまっている事があります。法話の中で心のもち方、再度、自分に落とし込む事ができたと思います。自然に身体をまかせ、力まず、人を愛し、感謝の気持ちを忘れずに、今後も今の仕事を行っていこうと思います。

    今後の人生においても「心のもち方」を心底に置き、人生に迷いそうになった時には初心に戻り、今回の体験修行を思い出したいと思います。

    本日は皆様ありがとうございました。

    昔から男運が異常に悪く、変な人にばかり引っ掛かります。

    浮気や、お金も持ち逃げされるのは当たり前でした。

    さんざん尽くしたあげく不倫されていた事がわかったり。

    私の人生はボロボロです。

    40代になり、今度は婚活詐欺に遭ってしまいました。

    親や親戚からは「まだ結婚しないのか」と煩く言われ、もう死にたい気持ちです。

    私に何の罪があって神様は私にこんな仕打ちばかりしてくるのでしょうか。

    私が一体何をしたのでしょうか。

    こんな人生を生きるくらいなら・・自暴自棄になっていたところ、大学時代の友人が天光寺にお祓いに行ったというので、私も行ってみることにしました。

    長い道のりでした。家から天光寺までも、自分のここまでの人生も。

    寺のスタッフさんはとても温かく私を迎えてくださいました。

    お祓いなんてしにくる、結婚できない、40の干物オンナ と

    そんなふうな目で私を見る人は誰もいません。

    住職が、話を聞いてくれました。

    住職に話を聞いてもらうだけでも元気が出てくるぐらいでした。

    自分の経験も踏まえて、私に人生のイロハを教えてくれました。

    そして、除霊というか、厄払いのようなお祓いが始まりました。

    私の為だけの一時間半。

    私の為だけにお経が読まれ、さまざまなことが行われる、

    この時間は苦労が報われるような、そんな時間でした。

    自分自身の人生を振り返っていました。

    お祓いが終わってお礼を言い、天光寺を後にしたときには、驚くほど自分の気持ちが前向きになり、笑みがこぼれてしまいました。

    お寺って不思議。

    お祓いって不思議です。

    こちらのお寺ではお祓い以外にも寺ヨガや写経、写仏、滝行、など興味深いイベントもたくさん用意されていました。

    後で知ったので、次回はこういったイベントにも参加してみたいです。

    少し元気が出てきたので、また仕事も婚活も頑張れる気がしています。

    今回、元気になれるお祓い・お祈りでパワーを貰うことができました。

    また定期的にお伺いさせていただきますのでよろしくお願いします。

    私はマッサージの仕事をしております。職業柄いつも自分自身を浄化していく事が一番大切だとおもっております。

    しかし、どうしても人からでるエネルギーを受けてしまい、体調が戻らない時もしばしば。

    今回も、体が重く、怠い日々が続いており、どうしてもはらいきれない、おもりのような重たいエネルギーが抜けきれません。

    天光寺様に伺ったのは、以前知り合いがこちらで体験修行をしてきたのを聞いて、

    東京にもこんな滝行などの修行ができるような場所があるのか、と思っておりました。

    それをふと思い出して、知り合いにお寺様の名前を聞いて、直感で申し込みをしました。

    一人では不安だったので、妹に一緒に来てもらいました。

    住職様のお経がはじまると、体が震えだしたのです。しだいに何故だかわからないのですが気がつくと声を出すほどはげしく嗚咽しておりました。

    後で妹にも聞いてみたところ、ものすごく苦しそうで、もがいているようなそんな事もしていたそうです。

    住職様にも、マッサージなど仕事にしている人はよくお祓いにくるとのことでした。

    今後どうしたらいいのか相談し、色々と教えていただきました。本当に感謝いたします。

    お経も定期的にきいていこうと思います。

    ほんとうに、久々にスッキリして頭と体になりました。ありがとうございました。

    この度は、ヒーリングをしていただきまして有り難うございました。

    悪い物を出し切り、心も体も軽くなっています。腰痛だった事も忘れてしまう位痛みも何もなくなっています。
    人間関係による悩みもかなり前向きになれています。帰りのバスでは、不思議と自然に眠っていました。夜も久しぶりにまた深い眠りに入れスッキリしています。
    邪気が溜まらないようにしていきたいです。
    
    
    先生、天光寺の皆様本当に有り難うございました。

    今まで霊感の「れ」の字も無かった私ですが、妊娠をきっかけに今まで見えなかった物が見えるようになりました。

    初めは家に一人なのになんとなく誰かの気配がする、夜中に何かの重みで起きたり、金縛りが頻繁に起きるようになりました。

    最初の頃は妊娠で気が立って神経が過敏になっているのかな?と思っていたのですが、

    出産を終えベビーベッドに寝かせている子どもを黒い影が覗き込んでいるのを夜中に見た時、直感で「あ、これは人じゃない」と思い、子どもに何か起きる前になんとかしなくてはと思い、元々霊感のあった叔母に連絡し天光寺さんの連絡先を教えていただきました。

    ご住職に話を聞くと妊娠中から出産後にかけて、霊感が強くなる人はいると教えて貰い、元々血縁に霊感のある叔母がいるので、私にも本来持っていた霊感が妊娠・出産を機に出てきたのだな、と腑に落ちました。

    初めてのお祓いに緊張していましたが、ご住職の穏やかな話し方と線香の匂いに安心し、お祓いを受けることが出来ました。

    お祓いをして以来金縛りやあの黒い影を見ることは無くなりましたが、ご住職曰く引き寄せやすくなっていると言われたので、また何かあったらご相談に伺おうと思います。

    私はトラックの運転手として働いていたのですが、ある時からトラックの運転中に変な声を聞くようになりました。またアパートにて音と話し声に反応してしまい、それからというもの同じ内容のテープを聞かされているような時や、指示を出してくる声などを頻繁に聞くようになりました。

    このままでは仕事も日常生活もままならないと悩んでいた時、インターネットで天光寺様の存在を知り、すぐにお祓いの依頼をしました。

    天光寺様に伺ってすぐにご住職様とお話をさせて頂きました。ご住職様はとても真摯に私の話を聞いてくださり度重なる心霊現象で疲弊していた心が少し穏やかな気持ちになりました。その後お祓いをしてもらい、その日は終了しました。

    お祓いをしてもらってから数日が経ちますが毎日のように聞こえていた変な声も聞こえなくなり、仕事も生活も何事もなかったかのように生活できています。

    今の生活があるのは天光寺様のお陰です。この度は本当に有難うございました。

    天光寺にて研修をさせて頂いて、お寺のイメージが変わりました。

    今迄は自分の「欲」をおさえるようなイメージでした。しかし、お話を聞いたり、滝行をしたり、お百度参りをするのは、頑張って自分をみがいて夢に近づいていくという物でした。

    舞台と役者を生かすお話では、今迄の自分は出逢いを生かしきれていないと感じました。

    色々な人と出逢っているのに、人脈に生かせず疎遠になってしまっている事が多いなと反省しました。

    お百度参りをさせて頂いて裸足で走るのはこんなにつらい事なのだと感じました。

    普段履いている靴に感謝していこうと思いました。

    滝行をさせて頂き、はじめは冷たいけど大丈夫と感じていました。

    自分に足りないものは 不満に思っている事 など考えながらさせて頂きました。

    滝行を終えて体調が悪くなってしまい動けなくなってしまい、皆さんに迷惑をかけてしまいました。

    みんな、三禮をやっているのに自分は動けなくて情けなかったです。

    人生の中で不思議な体験をしました。

    とても寒く、ふるえも止まらず、手足の力が入らず、かつ笑いが止まならない。自分でもコントロール出来ないのは初めてでした。本当にこんなことがあるのかとしみじみ思いました。助けてくださいました皆さん本当にありがとうございました。

    これから天光寺での研修を生かして仕事も、私生活もしっかりもっと頑張ってやってゆこうと思います。ありがとうございました。

     

    自分はこの二泊三日の研修で学んだことは、続ける、やり続けるという精神、忍耐力を付けられたことです。精神力は、持ちあわせていたつもりでした。高校の頃朝五時に家を出て自転車で真夏の暑い中、真冬の寒い中一時間かけて学校に登校し、部活動のバスケットボールの練習に参加し打ちこむ、そんな生活を三年間続け少しでも体力を付け、少しでもバスケットをうまくなろうという思いで頑張り続けました。しかし、大学でなまけてしまった精神を思いださせて頂けたような三日間でした。一日目に精神、二日目に身体面で強くなれたと思います。お百度参りに始まった走り声を出す。走るのみなら楽だったように思えます。しかし、声もはりあげるとなると倍のしんどさをともないました。自慢になるかもしれませんが、自分の声が一番山に届き響いていたと思います。続いて滝行です。冷たいのが苦手な自分には辛い行になりました。しかし、同期の声に支えられ「すぐに逃げたい」という心を殺しのりきることができ、みんなに助けられ救われました。そして三禮。最初しんどくなってくる感覚がわからなかったですが、この三禮でも声がみそだったと思います。「おん、さらば、たたぎゃた、はなまんな、のうきゃろみ」これを声にするための息が整う間がなく、みんなの声が少なくなりやめていく人も増える中 一人が「頑張れ!!」と声をあらげてくれ勇気になりました。その子がつらそうにしていれば自分は「ファイト!!」と声をあらげました。それが伝染していったのかラスト二十回からの団結力はやっている身からしてもはげみになり最後まで声を出すことができ、皆様に感動をあたえる結果になりました。「声」には力があるということを肌で感じ何人もの人を自分が動かしたという責任感からか自分は最初から最後まで大声出しながら続けることができました。先生が法話でもおっしゃっていた通り積極的な言葉が生んだ感動だったと思います。なにごとも積極的に行動してみてから考えればよいと思いました。急に億のお金を手にするかもしれない繋がりになる人脈が人生を変える、一人ひとりとの関係を大切にしていきたいと思います。食事もそうです。毎日どれだけ幸せか身にしみてわかりました。三日目のカレーライスが本当に何倍もおいしく感じました。あいさつ面は、高校のバスケットボール部の頃から教えこまれていたので誰かとすれ違うたび「おつかれ様です」を忘れずすることができました。これは会社でも忘れずずっと続けていこうと思います。会社内でも明るく自分も明るくなれるそんなあいさつを心懸けこれからも頑張っていきたいと思います。食器の片づけがあり、その時グラスが割れてしまい「先生に報告しておいて」といわれた時かなり時間が経ってしまいましたが「謝りにきて正直」と先生に言っていただき悪いことをしたのにほめられてしまいました。正直にこれからも頑張っていれば結果がついてくると思えました。

    水子供養で天光寺さんに伺いました。

    産んであげられなかった子どもの事を思うと自分を責めてばかりいて

    いっそ自分も一緒に逝こうかと考えたことも何度もありました。

    そんな私を見兼ねて主人が水子供養に行こうと天光寺さんにお願いしてくれました。

    供養してもらっている時にはずっと「ずっとずっと愛してる。産んであげられなくてごめんね。」と何度も心の中で唱えました。

    心を込めて祈願して頂けたので子どもも安心して仏様のもとへ行けたと思います。

    私の母は少々霊感があり、日頃から私に数珠を持たせ、心霊スポットには行かないようにと言い聞かせていました。そんな母とは対照的に私は鈍感で何も見えなく、何も感じないことが普通でした。

    ある夏の日友人と山の中で花火を楽しんでいました。その日も私の腕には母から持たされた数珠をつけていました。それが、いきなりプツリとゴム紐が切れ腕からバラバラと数珠が落ちていきました。その時は友人と「何もぶつけてないのに何でだろうね。ちょっと怖いね。」と深く考えず軽口を楽しんでいました。

    帰宅した私を見た母が少し怪訝そうな顔をし、「お風呂でお酒を浴びてから寝なさい。」と言いました。

    そういえば、と数珠がいきなり切れたことを母に話しました。

    私の話を聞いた母は次の日には天光寺さんに連絡を取りお祓いの予約を取ってくれました。

    まさか自分が!?と思わずにいられませんでした。だって私は特に何も感じないのですから。

    先生には世の中には自分が霊媒体質だとわからず疲れ切ってしまう人が多い。というお話も聞かせていただき、すぐに気付いてくれた母に感謝しました。

    噂になっている心霊スポットには意識し近づかないようには出来ますが、噂になってない場所などは自分で気づかずうっかり何か連れて帰ってきてしまうことがあります。

    もうこんな事が無ければいいのですが、また何かあった時は天光寺さんを頼ろうと思います。この度は有難うございました。

    昔霊が見える方に見てもらったところ私は霊が付きやすい体質らしく、今霊を祓ったとしてもまた憑くと言われました。

    これまでも何度か霊が憑いたことによる肩の重みや金縛り、倦怠感、視線を感じるなど多くの霊的現象に悩まされてきました。

    今回、天光寺様を伺ったのはもう二度と霊が憑かないようにしてもらうためでした。

    住職様に話を聞いてもらったところ、体質的なものではなく先祖の行いによる呪いのようなものであると言われました。

    早速お祓いをしてもらい、今では霊が原因による現象はなくなりました。

    天光寺様、住職様には感謝しても、し足りません。今回は本当に有難うございました。

    今回の研修を通して、「忍耐力」や「やり切る力」がついたと感じています。部活をやめてからは、そのような気持ちになることがありませんでしたが研修をしたことによって再度自分の中にめばえさせることができたのでよかったです。研修をする前は「キツイキツイ」と言うけれどそこまでじゃないと考えていましたが進んでいくにつれキツクなっていきなめていたと感じました。

    一日目のお経をずっと唱えるのは、足が痛く立つたびにがくがくだったことを覚えています。お経を唱えていると法事などで聞くものに少し似ていると感じました。

    写経はやったことがあり、わりと好きなので辛くなかったですが、ひさびさにやってみると難しかったです。

    二日目での「お百度参り」は、体感では本来の数の半分くらいだったと感じました。なので、思っていた以上辛くはなかったです。お百度参りを考えひろめたような人は、今後でてこないような気がします。

    「滝行」では水がつめたく三分つかることができなかったのが一つ心残りです。でも、水から出ると身体が軽くなった気がしたので滝行をした意味がありました。また、経験することが出来たのはこれからの力になると考えています。

    そして、二日目で一番辛かったのが「三禮」でした。しゃがんで立つ動きがこんなにも体にふたんをかけていたと知りました。三回で一。

    私は、数回休んでしまったけれど、一回も休まずやり切った同期の人はすごいと感じます。

    「写仏」では、不動明王を写し、名前と内容を知り仏が多くいると改めて思いました。

    また、お守りの中に神や仏の写仏や写経が入っていると初めて知ることができましたが、今後も私はお守りの中を見ることはしないと思います。なぜなら、なにか、バチが当たるような気がするからです。

    三日目の住職の「法話」では、これからの社会人人生に役立つことが多くありました。

    「人脈」やネガティブなことは言わず「ポジティブ」なことを言うなどこれからはマイナスなことは口に出さず生活していきます。

    研修を通じて学んだことを今後につなげていきます。

    私は就職して5年になりますが、毎日がストレスでしかしかたがない日々を過ごしていました。

    このままでは自分が本当にダメになると思い、こちらに滝行から調べて、体験修行を申し込もうとおもっておりました。

    しかし、HPをみているうちに、お祓いもされているのを知りまずはお祓いをお願いしてみることにいたしました。

    すこし勇気がいりましたが、お祓いを受けて本当に良かったと思っています。

    自分をリセットするきっかけになりました。

    何の為にうまれてきたのか、一度だけの人生感謝してもう一度やり直してみます。

    体験修行も次の休みに合わせて必ず申し込みます。

    ありがとうございました。

    私は今回天光寺さんで体験修行をしました。

    私が体験修行を受けようと思った理由は、元号も変わり新しい元号がスタートするのでそれに伴い自分自身の気を引き締め直したいと思ったからです。

    今勤めている会社では、学校を卒業してからずっと働いているので少し気の緩みがあるのか最近ミスが目立ち始めました。また、私生活では去年に結婚しこれからなにかとお金がかかってくるのも理由の一つです。

    まず最初は、挨拶の作法から始まりました。

    いかに自分が普段だらけた挨拶をしているのかが身に染みて伝わってきました。

    次に行ったのは、お百度参りです。こちらでは、久しぶりに運動をしたからか全然走れませんでした。昔は、このくらいの距離で疲れる事はなかったのにと思いました。

    次は、滝行です。私が、今回の体験修行で一番楽しみにしていた修行です。

    入水してみるとビックリしました。見た目からは、想像できない迫力から一瞬で出てきてしまいました。そして、心を落ち着けてもう一度入りました。その時は、今までにないぐらいに集中しておりまさに自分自身と対話できたような感覚でした。

    その後、写経をしました。筆を持つのは久しぶりでした。私が、あまり手先が器用ではないのと短気な性格なので写経はとても苦労しました。今回の中で一番修行感が強かったです。

    今回の修行で得られた事は、本来の自分自身を取り戻せたような気がします。

    本当の自分自身の成長や精神力強化にもつながったと思っています。

    本当にありがとうございました。

    当初私は、引率という役割を兼務する立場で参加する予定であったため、一歩引いて後輩たちが奮闘する様子を見守るつもりでした。しかし、挨拶の練習や声出しを行いながら、従業員さんより様々なお言葉や教えを戴くにつれて、一人の社会人として、さらに一人の人間として一つでも多く価値のあるものをつかみとって帰ろうという考えに変わっていきました。

    日常の業務では、工程通りに作業を進めることや売り上げ、利益などの結果を出すことが最優先となり、自身の内面的な充実や精神を調えることは時として難しくなり、疲労しストレスをかかえた状態で繁盛期を過ごすことが多々あります。そのようなときこそ、平常時以上に力を発揮し、周囲を勇気づける行動をとりたいと考えていましたがほとんど実現できず、実際にはノルマに追われ、受動的な人間になっていました。この研修では、私自身の持つマイナスな面と正面から向き合いこれまで感じていた限界や壁のようなものを乗り越えるためのヒントが得られるのではないかと大きな期待を抱き、全ての研修内容に全力で取り組ませていただきました。特に印象深いのは滝行でした。水面に足を付け、水を浴び桶で水をかぶった時点では、特に問題なくやり遂げることが出来るだろうと思っていましたが、直接滝の水に打たれた瞬間、息ができなくなり、全身が震え、経験したことのない恐怖感に襲われました。開始5秒くらいで諦めそうになりましたが、応援の声がかすかに耳に届き声が出なくなっても、無様な姿でも一生懸命やり抜く姿勢だけでも見てもらおうと考え直し、終了の指示があるまで続けることが出来ました。私は、年を取るにつれて失敗を避け、上手に出来そうにないことから距離を置くようになっていたと感じました。いい結果だけを得ようとするあまり、臆病になっていたのだと思います。滝行での経験から、困難に挑むための精神の持ち方を思い出すことが出来ました。

    次に印象に残っていることは三禮です。一昨年に参加した先輩の話から、最後までやり遂げることは不可能と、はじめから決めつけてスタートしました。他者の意見をうのみにし、自分の限界を決めつけていました。ところが実際に体を動かし、声を出していく内に、自分に負けたくない気持ちとエネルギーが沸いてくるのが感じとれ、疲れや足の痛み以上に、達成感への欲望や渇きが生まれ、最後まで休むことなく完遂することが出来ました。

    このことから、自分の力で頑張った経験こそが最も信頼できることであり、自信になるものであると再認識することが出来ました。そして、この研修で最も心に残っていることは、従業員さんより頂いた「何を得て帰るかは本人次第」という話です。同じ環境で同じ経験をし、同じ金額を支払うのであれば、自分の人生を豊かにするための何かを一つでも多く持ち帰るべきだと思います。その何かを得るための心の持ち方、姿勢を学んだ事に最も大きな価値を感じています。このような機会をいただいたことに感謝し、明日からの人生に挑んでいきたいと思います。

    一人娘の彼女には口うるさく色々言ってきてしまいました。

    中学になって、娘は学校に行けなくなりました。

    はじめ、部活を辞めたいといい、その頃から、頭が痛い、お腹が痛いと学校を休みたいと言うようになりました。

    いまや、私の言うことは聞かなくなってしまいました。

    私の声がききたくないと、暴れることもありました。

     

    夫とは仲がいいわけでもなく、悪いわけでもなく、夫は娘に強く言う事はありませんでした。

    私も娘も精神的に疲れ果て。どうしたらいいのか、暗やみのトンネルの中におりました。

    月日は流れていくばかりだし、小学校で一緒だった子たちは元気に学校に通っている、

    本当に焦る気持ちと、なぜうちの子だけが学校に行かれないのであろうか、、、と孤独な日々でした。

    あんなに元気で活発だった娘は見る影もなく、目つきも暗く、どうしたらいいのか、途方に暮れるばかりでした。

     

    娘の生活を変化させてあげられるのは、今は私の力では無理、そう感じていました。

    ならば、と調べた天光寺様に娘を預けてみたいと思い、娘にも夫にも話しました。

    私から離れて、この家から離れる事、それが一番今はいいのかと思うと素直に話しました。

     

    娘はいく事を選択し、ひと月後迎えに参りました。

    娘の目の光が戻り、強いものになっておりました。私も夫も一目娘を見ただけで、

    ああ娘は自分を取り戻したのだな、と実感いたしました。

     

    天光寺様での修行は決して楽なものでは無かったと聞いています。それが娘の自信につながっているのでしょう。

    私は今まで娘の為と良かれと思って本当に口うるさく言ってきました。

    それが、娘の考える力、失敗しても自分で乗り越えるチャンスをうばっていたことにきが付きました。

     

    再生のチャンスをくださって、住職様天光寺様ほんとうにありがとうございました。

     

    娘はすこしづつ、学校に行くことにチャレンジしております。

    焦らず、一歩ずつ出来ることに目を向けて、親子ともども成長していきます。

    ありがとうございました。

    私は霊とかそういうものとは無縁で暮らしてきました。

    家族はいなく、一人で仕事を頑張って生きてきました。特に健康を害した事も無ければ、

    ケガなどもほとんどしたこともなく、そこそこ元気でおりました。

     

    しかしここ2カ月位前から、朝起きると、ものすごくぐったりと疲れていて、苦しくて夜中目が覚める事も何回もありました。

     

    夜中何が起っているんだろう、、、体調が今一つなので、仕事にも差し支えてくるのが私としては本当に困っておりました。

     

    相談できる友人や周りの人には、年だから仕方ない、とか健康の為に運動をしたほうがいいなど言われました。私もそう思いました。

     

    とある人が、たまたま天光寺さんを紹介してくださいました。その人は、お祓いでもしてもたったらいいよ、とアドバイスしてくれました。

     

    天光寺さんでお祓いをしていただきましたら、いろんな症状が消えました。

    住職様が仰るには、どこかで霊を引き寄せてつけてしまっていたのでしょうと。

    まさか自分は霊感など無いのに、どうして?と思いましたが、

    住職様に、いつもご自分を磨いて綺麗な身体、心で感謝を忘れずと。

    綺麗で、明るい所にはよくないものは寄ってこないとアドバイスを頂きました。。

     

    本当にそうだと思いました。これからは自分を大切に体もケアしながら、明るく生きていこうと思いました。50代で見直すことができて、本当に良かったと思っています。

    ありがとうございました。

     

     

    今日は友人に車で連れてきてもらいました。

    私は元気でしたし仕事も楽しくプライベートも充実しておりました。

    いつのころか、毎日死にたいと思うようになり自分ではない声が頭に鳴りひびきます。

     

    除霊が始まるとお経の声が力強くはじめは少し苦しくなりましたが終了すると体がすっきりしました。

     

    住職さまに、自殺した女性の霊がついていたり、動物の霊がついていたと聞きました。

     

    昔から優しすぎるというか、人の気持ちや思いに、同調するところがあって、疲れてしまう所はありました。強くなって、自分をしっかりして生きます。

    気付くことが出来て本当に良かったです。ありがとうございました。

    天光寺での研修を経て、自分の中で「生き方について」「人生について」「仕事について」という所が変わりました。

    この変わった所というのは、一つの考え方次第でガラッと変わる事だったので、非常に

    新鮮かつ刺激的な体験でした。

    まず、第一に「生き方について」という所ですが、これまでの私の生き方というのは、「自分に向き合わず、悪い所は見て見ぬふり。やり続けずに、ブレーキを踏む」といったネガティブでプラスな考え方がほとんど無いような人生でした。

    ですがそんな生き方をしつつも、「このままでいいのだろうか」という気持ちはありました。

    しっかり自分と向き合うという自身の課題を克服するのに、この研修はとても良い影響を与えてくれました。

    「三禮」「お百度参り」という厳しい修行を経て、感じたことは、

    『どんなに辛くても、苦しくても、自分なら乗り越えられると信じ、歩き続ければ、そこには頑張った分の達成感と、自分を信じてあげられたという自信が付く』という事です。

    そして、「滝行」を経て、感じたことは、『自分の限界をわきまえておき、その上でその限界までをどのように全力で過ごすか』という事を、感じました。

    「三禮」「お百度参り」「滝行」という行を体験することで、「歩き続けやりとげること」の大切さ、「限界を見据え、自分と向き合い、そこまでどのように行動するかを考えること」の大切さを学びました。

    次に「人生について」ですが、これは住職の高尾聖賢先生の言葉が私の考え方を変えてくれました。

    仰った言葉が「あなたは今、人生の主人公でいますか?それとも負け犬ですが?」そう言われた時、私はすぐ、自分は負け犬だと考えました。

    なぜなら人生の主人公らしいことをしていないからです。

    不屈の魂で何かやり遂げたか?大きく成長して上に上りつめたか?仲間と共に夢を作り上げたか?私はこれらをしていなかったです。

    「この世に生まれ落ちて、自分の人生を歩むのなら、光輝かなければ。自分の人生なのだから、自分が主人公でなくてはならない」という言葉は「人生」に対しての向き合い方が変わった言葉でした。

    最後に「仕事について」ですが、これは前述にあるような考え方の変化で変わっていきました。

    まず、仕事において、自分に甘えが出るということについては、その甘えによって、これから先、どのようなものを失うかを知り、そう考えてしまった自分と向き合うことで、自分を律することが出来るようになりました。

    そして、みえない固定観念を怖れ、「気をつかう」という体のいい言葉で「逃げていた」ことについては、固定観念を壊してこそ仕事であり、怖れず進み続けることが成長であることを学びました。

    以上のことが大まかではありますが、私が天光寺で学び、感じた事になります。

    来る前の最初のイメージから変わり、来れて本当に良かったと感じました。

    また自分自身の考え方、生き方に迷いを感じたら、来たいと思いました。

     

    都内でタップダンスのスタジオを経営しておりますが、近隣の方より、夜中に電気が付いていた、など聞く事があり、講師陣で夜中に鍵を開けて入った者がいるか確認したところ誰も入っていないとのことでしたので放っておきましたが、しばらくしてまた近隣の方より夜中にスタジオ内で音楽が鳴っていたなど聞かされたため、防犯カメラを確認したところ誰も入っておらず、それが何度も続き、いよいよ恐怖を感じ、ネットで除霊のことを調べ天光寺に申込をさせていただきました。テレビでも有名な高尾住職にお越しいただき、お経を唱えていただき除霊をしていただきました。除霊の後、数ヶ月経過いたしますが、今のところ何も起きていません。高尾住職、その節はお世話になりました。今後とも天光寺さんのご繁栄をお祈りしております。

    なぜか1ヶ月くらい前から呼吸が浅くなってしまい、深呼吸をしたり、ラベンダーのアロマオイルを嗅いだり、お風呂にゆっくり浸かったり、何とか自分の力で対処しようと色々やりました。

    呼吸が浅いので、ストレスだと思い、休むようにもしました。普段より家事を減らして、仕事の量も増やさないように調整していました。本当に心あたりがなく、原因不明の浅い呼吸がずっと続き、いい加減苦しくなってきて、知人の紹介でこちらに相談させていただきました。

    呼吸が浅いのは、大体ストレスの場合が多いかと思います。私もそう思っていたのですが、どうも低級霊の霊障だったらしく、除霊をしていただくことになりました。呼吸の浅さと

    霊が結びつくなんて考えてもいなかったので驚きました。低級霊の中には、全く悪さをせず、ただ傍にいるだけの霊も多いそうです。寂しくて誰かのそばにいたり、憑りつかれやすい人物によってきたりするそうです。

    私は、家庭に色々と事情があり、一時大変だったのですが、今はそれを乗り越えて平穏な日々をおくっています。家庭の問題を一段落させると、何かに憑りつかれたかのようにとても活動的になり、意欲が沸き、仕事の他に専門学校にも行き始め、スポーツクラブや習い事をはじめました。毎日が忙しく充実していたのですが、その矢先に呼吸が浅くなったのです。

    もしかしてその何かに憑りつかれたかのように活動的になったのにも、本当に憑りつかれていたのかもしれません。

    今ではすっかり元の呼吸になれて苦しさがなくなり、本当に良かったです。知人が紹介してくれなかったら、一生深呼吸しながら過ごしていたかと思うと、ゾッとします。除霊してくださったご住職、本当にありがとうございました。

    息子は中学校にいけなくなりました。

    朝も起きられなくなりました。

    息子は学校に行っても何にも面白くなく、勉強もわからないし、友達もいないのです。

    特にいじめとか、そういうことではないのですが、特に仲の良い友達はいません。

     

    このままでは、社会に出れなくなる不安でいっぱいでした。

    ご近所の目も気にする日々で、なんとか息子に当たり前の生活ができるようになるように、

    そして何でもいい小さな事でいいので、自分なりの目標に向かって努力できるようになって欲しい、、、、と願うばかりでした。

     

    天光寺様に修行を申込み、私達も、息子自身も最後のチャンスとばかりにお邪魔させて頂きました。

     

    息子は、はじめはなれなかったようですが、だんだんに挨拶も大きな声で出来るようになってきた様子で、ときどき天光寺様から送ってきてくださる息子の感想文を読むとそのような事が書かれており、私達はとても嬉しく涙が出る思いでした。

     

    ひと月ぶりに会った息子は、寝てばかりいた時とちがって、心なしかたくましくなり、きちんとした正坐でおりました。

     

    私達も、息子に甘く、親として毅然とした態度、失敗をおそれてチャレンジすることを諦めていたところがありました。

     

    このたびは、高尾住職様、天光寺のお世話になりました皆様、本当に本当にありがとうございました。

     

     

    私は入社以前には寺で企業研修を行うなど考えてもおらず、仏教の教えに明るくないこともあり、不安を強く感じていました。しかし、実際に研修をやり通し、ここでは仏教の考えを通して世の中のあらゆることに適応される真理、また同様に多くの物事をやる際に必要なる精神を人に伝えているのだと気付きました。

    例を挙げるならば初日に行った挨拶の練習です。ここでは、これから社会に出て働くものとして必要となる挨拶の練習となっていただけではなく、自分を訪れてきてくれる方に当然持つべきである敬意を分かりやすく挨拶という分かりやすい形で行動に移すことにより、常に忘れないようにするべきであるということを学ぶことが出来たと感じます。

    また、お百度参り、滝行、三禮といった肉体的な辛さを伴う行を通して「今まで経験したことのない道の物事でも積極性と精神力でやり通すことができる」という事を学びました。

    正直に申し上げると、前に名前を挙げた3つの行は特につらそうで、二十二年間で一度も発したことが無い説明が無ければ意味も分からない言葉を覚える必要もあり、やる前は「できればやりたくない」と考えていました。しかし、一度やり始めると「最後までやり抜こう」という思いが自然に頭に浮かびました。ここで、積極的に行動すること、とりわけ実際に行動を起こすことの重要性に気付かされました。そのような積極性をもったおかげで「辛い」という気持ちは達成感に変わり、このことは行のみならず、あらゆることに通じると感じ、仕事にも生かしてゆこうと感じました。加えて、件の3種の行は特に仏教色が強く、仏教について表面的な知識しか持たない私にとっては、どのような意図を持って企業研修のメニューに組み込んでいるのかが理解できていませんでした。しかし、前述したように実際に行ってみると日常にも広く通じる学びを得る頃が出来ました。このことから、一連の物事の中で、自分にとっては一見無意味に思えることでも重要なことが隠れているのだということを身をもって学びました。研修以前に聞いていた「自分がとった電話の重要度が低そうだったのでとりつがなかったが、後に重要な電話だったという事が分かり、大目玉をくらった」という体験談が上がりリアリティを持つものとなって聞こえるようになりました。このことから、仕事中一見大事そうに見えない工程があっても、長年培われてきたものだということを念頭に置き、サボったり、自分の判断のみで省いたりすることをしないようにしなければならないようにしなければならないという事を強く肝に銘じました。

    また、瞑想の時間は、普段暇があればスマートフォンを手に取り、いくらでも時間を潰すことができ、悩みがあればすぐにインターネットで解決策を探そうとする私にとって自分ついて考える良い1時間となりました。

    自分の将来などについて悩みがあったり、躓いたりすると投げやりになってしまう一面がある私は

    無意識に語りかけながら、これから先自分が幸せになるにはどうしたらいいか真剣に考えたことがありませんでした。今回の短い時間では答えを探し出すことはできませんでしたが、これから意志を持って選択をしていこうと思い直すきっかけとなりました。

    再三ですが最後に今回の研修で学んだ事は、万物に通じるものである種の真理であるのだと感じたという事を改めて述べさせていただきます。

    今回はそのような教えを仏教の道を通して教わりましたが、本質を見れば仏教のみならず、形は違えど他の事を通してでもこの考えに辿りつくのではないかと感じます。

    本当に最後になりますが、今回様々な学びを得る手助けをして下さった天光寺の住職並びに職員の皆様に感謝を述べて結びとします。本当にありがとうございました。

    天光寺に修行に来る数ヶ月間、心身共にやつれていく感じで暗やみに居る様な感覚でした。

    なので、天光寺に来れば、何か変わるのではないかと、、、、、会社の研修とはいえ、光を見出せたらと自分の心の中では思っていました。

    「思考が人生を作る」まさにその通りだと思いました。負の言葉は、負のエネルギーしか持たず、自ら発する言葉でも、人から聞く言葉でも負や陰の言葉ばかりだとどんどんそのスパイラルから抜け出せなくなり、人に感謝することや、明るい感情から遠く離れていくものだと先生のお話を聞いていて、涙が出そうになりました。

    過去の出来事も実はそのようなこと、「自分がしたことは、いずれ自分に返ってくる」だったのかも知れません。

    また自分が居る場所は、今の自分が選んでいるのだから、積極的に生きないと自分が得られる運や人生は、その積極さで変わると気付かされました。

    「なにかいいことないかな」とぼやいて待っているだけでは、自分にとっての良い縁であったり、出来事であったりは、そうそう手に入らないのだと思いました。

    仕事でもよく社長より「失敗してもいいから色んな事に挑戦していきなさい」と言葉をかけてもらうことがあります。

    自分の中に失敗したらどうなるのかと怖い気持ちを膨らませている姿が社長には伝わってしまっているだろうと思います。折角励ましのことばをかけてくれているのに、怖いとか、不安だとかで、うずくまっているのがもったいないと思いました。

    天光寺の修行では、「弱い気持ちの自分を抜け出す」という目的がありました。

    滝修行では、他の人がやっているのを見ている時と(想像)、自分がしているは(現実)、あまりの違いがあり過ぎて驚きがありました。と思うのも束の間、この行だけは逃げたくなりました。が、耐えないと自分に勝てないという一心でやりきりました。

    終えた時、ずっとモヤモヤしていた頭の中が晴れていくのを感じて、勇気が湧いてきました。

    小さな事でもやり切ったいう事が自信になったのだと思います。想像と現実の違いについても、何事もやってみないといけない、やったことのある人と同じ土俵にあがれないということです。

    今私が出来ることは。懸命にやることで、やる前からにげることではないということに気付かされました。

    また、人がやっているのをみているのと、自分がしているギャップがあると知ったことで、人に意見を発する際に、相手の気持ちも尊重しなければいけないと思いました。

    人それぞれ能力も異なり、得意・不得意も異なる中で、自分を基準にして、物事の良し悪しはきめてはならないということ、会社の中で言えば、新しく入社してきた人を、自分の思い通りに動かそうとは思わないことは、改めて心に留めて日々の業務にはげみたいと思いました。

    相手が誰であっても誰にでも存在価値はあり、私自身にも存在価値がある。私の闘う相手は自分自身である事、そこに間違いはないと、こたえがでたので、悩んでいた日々もこの修行で得られた結果や気持ちも、全部与えられていたことだと、感謝したい気持ちで一杯です。

    私は、よく夢で見たことが現実で再現されます。今回の修行で布団の片付けをしましたが、その場面がげんじつとなりました。私の魂もここへくることを願っていたのかも知れません。学んだ事を日々胸に留めて穏やかに人の言葉に乱されず、自分の人生を歩んでいきたいと強く思いました。

    ありがとうございました。

    健康診断で病院併設の検診センターに行った後から体がムズ痒い状態になり、健康診断の結果は正常だったので、あまり気にせず過ごしていました。痒いほど痒くなく、鈍い痒さで気持ち悪く、それが全身なので、何かセンターでもらったかと思っていました。市販のかゆみ止めを塗ると、その時は治まりますが、効き目がきれるとずーっと鈍くムズ痒い感じが続き、蚊にさされたようなすごい痒いわけではなく、全身が鈍く痒くて、掻いてもすっきりせず、ずっとムズムズが続いていました。まさかそれが霊障なんて夢にも思わなかったので、5年ほど悩み続け、検診センターにも聞き、でもダニなどではないようで、結局原因がわからずに気持ち悪い日々を過ごしていました。特に飲み会で酒を多めに飲むと酷くなるためお酒も控えていました。先日企業研修でこちらの寺院にお世話になった際、ご住職とその痒みの話になり、先日改めて相談させていただき、除霊をお願いしました。除霊中は、この世ではなく、宇宙にいるような不思議な感覚がありました。気付くと身体がぐわんぐわんと自分の意志に反して揺れていました。途中、しばらく経ってからだと思いますが、体から何かがスッと抜けていくような感覚があり、その瞬間、鈍い痒みが消えました。本当に信じられません。

    私は霊感もなければ、霊体験も一度もありません。こんな鈍感な人間にも霊ってつくんですね。ともかく鈍い痒みもウソのように消え、今では何事も無かったかのようです。やはりあの検診センターで何かがあったのでしょうか。次の検診は別の場所でお願いしようと思いました。

    本来の目的であった精神力の鍛錬はお百度参りや滝行を通じて達成できたと思います。特に滝行は非常に興味深かったです。感覚が研ぎ澄まされていくのが如実に分かりました。 修行は今回が初めてでしたが、職員さんをはじめ、貴重なお話や美味しい料理を作って下さった先生、一緒に宿泊した方々には、非情に感謝しています。他者を思いやる一方で、厳しい修行に打ち込む姿は勉強になりました。今後の人生を歩んで行く上で、くじけそうな時は今回の経験を思い出し、強く正しく生きて生きたいと思います。

    三日という短い期間でしたがお世話になりました。

    先日は大変お世話になり、ありがとうございました。あれからすっかり肩や腰、背中など痛みや不調を訴えていた体が嘘のように軽くなり、生まれ変わったようです。ご住職には感謝してもしきれない思いでいっぱいです。本当にありがとうございました。

    20代後半から頭痛や肩、腰痛と次々に悩まされ、病院や接骨院、整体に通う日々でしたが、なかなか改善されるどころか、どんどんひどくなっていき、もう死んでしまおうと思う日もあったほど身体の不調に悩まされ続けてきました。この不調がまさか霊障によるものだということに全く気が付かなかったのです。

    今のパート先で知り合った方に話したところ、霊障に詳しい方で、一度お祓いとか除霊の相談に行く事を勧められ、こちらの天光寺に相談させていただいたところ、何と、動物霊が憑りついていたようなのです。憑りついた人を死に追いやることもよくある事なのだそうです。

    今回私の感想文がホームページに掲載されるかもしれないという事で、体験させて頂いたことをありのままに書きますと、本当に除霊をしていただけて感謝の気持ちしかありません。あのままでいたら、本当に生きるのが辛く、まさに動物霊に殺されて(自殺?)いたかもしれません。

    家族がいるので、そうならずに済んで、こうしてスッキリとした軽い体は本当に初めてで、

    嬉しいかぎりです。今後は私のように悩んでいる方がいたら、こちらのお寺をご紹介させていただきたいと思います。

    約二年ぶりの今回の滝行はいままでで一番つらかったです。特に気温が低かったとかそういうこともなかったのですが 今回が一番つらかったです。

    足を入れた瞬間足の感覚がなくなって これはダメだと思いました。

    でもやらなくてはいけないので水を頭からかぶるときに叫び体からむりやりアドレナリンを出して もう自分でも何を考えているか何を言っているのか分からない状態でやりました。

    しかし滝行が終わって着替えてるときなんともいえないスッキリとした気分がありました。

    二年後の受験前に気分を変えるのにいいかもと思いました。

    とてもスッキリとした気分になれたのでよかったです。

    先日中古の一戸建てを購入し引っ越しをしました。事故物件ではないですし、ちゃんとした比較的綺麗な物件で、駅からも割と近く便利な場所にある為、とても気に入って購入しました。ところが、事故物件ではないのに、夜になるとたまにラップ音が聞こえて気持ちが悪く、なんかの霊現象かもしれないと思い、こちらに相談させて頂きました。いつ聞こえるのか? 雨の日なのか?どんな日に聞こえるのか?お話する為に2~3カ月、カレンダーに印を付けていました。週に2~3回は部屋中が地震のようなラップ音がして、曜日や天候に関係なく、時間帯もまちまちでした。20年前に妻と離婚して、ずっと独身だったのですが、ご住職に水子の霊が憑りついていると言われ驚きました。その後、除霊をしていただきました。

    水子に心当たりが全く無かったのですが、20年前に別れた妻に連絡をとり、電話で話すと、何と元妻は離婚後に私の子供を妊娠していて、その子供が流産していたそうなのです。

    引っ越しをした直後です。大変驚きました。あのラップ音は私に知らせていたのでしょうか。ご住職から水子がついていると言われたとき、正直に申しますと、実はあまり信じていませんでした。自分には水子がいないと思っていたからです。元妻に連絡を取り、自分に子供がいた事も驚きでしたし、その子供に一度も会うことなく生涯を終え、父である私に何を伝えたかったのでしょうか?ご住職の法話を聞かせていただき、ただ、ただ、自分の人生を反省するばかりで御座います。仕事が一段落したら、墓参りに行って供養をしようと思います。

    除霊をしてくださったご住職には大変お世話になりました。ありがとうございました。

    いつも体がだるく体調が優れない日が続き、何を食べても美味しくなく、味がせず、これは間違いなくストレスが原因だと思い会社を退職しました。失業保険をもらいながら転職活動中ですが、退職して4ヶ月経つ今でも眩暈や動悸、息切れがあります。病院に行き薬をもらい飲んでいますが、一向に良くなりません。神経科も行きましたが、精神科でいただく薬は、よく効きますが、結局対処療法でしかない為、飲んでいる間しか効きかず、治ることはありません。このままでは薬づけになってしまうと思い、友人に自然療法、ハーブ療法、温熱療法など勧められ、色々試しましたが、どれも効きませんでした。最終的にネットでしらべているとこちらのお寺がひっかかり、電話をさせていただきました。軽い相談のつもりで来てみましたが、ご住職がすぐに低級霊が憑りついていることに気づいてくださり、除霊をしてもらえるようにお願いをしました。除霊中はお経のようなものをずっと唱えていただいていて、最初は意識があったのですが、途中から意識がなくなりました。気がつくと除霊が終わっており、とても短い時間に感じましたが、ご住職は大変お疲れの様子で、聞くと2時間は除霊をしていたそうです。私は泣き叫んでいたり、体をくねらせていたそうです。全く記憶がないのです。

    それから、口から何かが出て行ったそうです。何かが憑りついていたのだと思います。除霊が終わって、お茶をいただくと、本当に美味しいお茶で、嬉しくて涙がでました。どこに行っても解決しなかった不調が霊障だったなんて驚きです。除霊をしてくださったご住職、ありがとうございました。

    私は、天光寺にて四月二日より三日間、企業研修を行いました。

    研修を通して行ってきた挨拶などの作法を通じて学ぶことがありました。生活を通じて行われる作法は、一つ一つの催しの区切りを明確にし、気持ちを入れ換えることを自然と出来るようにするものであり大きな意味のあることであると学びました。

    三日目には、作法による気持ちの切り変え方の力を実感し、各催しに集中して挑むことが出来ました。また、研修を通して声を出すことが重要視されていましたが、声を出すことで気を調整したり、作法のリズムを生み出て、生活に抑揚を生じさせる効果もあるのではないかと考えました。般若心経などの言葉を覚え、自ら声を発することによって、積極的に何かをやっていくといった姿勢が養われていくのを感じました。さらに、なぜ唱えるのか、何を唱えているのか、理由や意味が自分の中で分かっていくにしたがって、一種の達成感のようなものを感じ、企業研修といった、やらされているといったことから、自らやっているといった意識へと変わっていきました。朝から夕方まで体を動かしたり声を出したりといったことが続く中で、夕食後に行われる写経、写仏が私の中で特に印象的でした。普段使用することのない筆を用いて、ふり仮名なしでは読むことの出来ない般若心経を写経するにあたり、普段の生活では考えられない集中力をもって行うことが出来ました。

    写仏に関しては筆で書くものとは思えない細かな絵を写すこともあって、自分でも信じられないような技術と集中力を総動員して最高の形でなしとげられたと思っています。

    天光寺での研修を通し、始めに自分がしていた考え方が変わったことを感じています。

    普段とは全く異なった環境で、普段ではありえないことを行ったことによるものであるとも考えられますが、この環境を与えてくださった天光寺の皆様方、また、ここでの研修をきめてくださった会社の方々に感謝します。

    この三日間、自分の出来ることは全て成し得たと考えております。スマートフォンの使用禁止など厳しいことも多くありましたが、やる価値のある研修であったと確行しています。

    三日間、大変お世話になりました。ありがとうございます。

    私は今まで霊というものを信じていませんでした。

    先日駅で電車から降りて数分程経ったときに気分が悪くなりました。

    初めは、体調不良かホームの傾斜のせいと思っていましたが、時間が経つにつれ座っていても気分が良くならず、悪化していきました。その時は祖母の家に行こうとしていたのでしばらくして目的地までの電車に乗り、祖母の家に着くと腰のあたりに何かが乗っかっているような違和感を覚えました。

    その事を祖母に話すと、霊が憑いているかもしれないと言われその時は信じていなかったのですが1週間してもぜんぜん良くならずむしろ悪くなっていく一方で病院に行っても原因がわからずこのままどうなるのだろうかと途方に暮れていると祖母の言っていたことを思い出しました。すぐにインターネットで調べるとどこも体験談が少なかったり場所が関東でなかったりとなかなか自分に合う条件の場所が見つからずにいました。ところが、調べていると天光寺さんのサイトにたどり着きました。場所も近く、多くの体験談がサイトに記載されておりここなら任せられると思いすぐに申し込みました。

    当日になり、一人では不安だったので友達と一緒に伺いました。到着し周りの景色を見渡すと不思議と具合を忘れ和らいでいくような感じがしました。

    お寺の中に入り、部屋に案内され除霊が始まりました。

    除霊をしていると、だんだんと体が軽くなってきました。

    除霊が終わり外に出ると、完全に元の状態に戻っていました。

    こちらのお寺で除霊できて本当に良かったです。

    本来の目的であった精神力の鍛錬はお百度参りや滝行を通じて達成できたと思います。特に滝行は非常に興味深かったです。感覚が研ぎ澄まされていくのが如実に分かり、おかげさまで自身が霊媒体質であることに気づけました。今後は霊とうまくやっていける方法を模索していきたいと思いますのでまたお世話になることもあるかと思います。そのときはどうぞよろしくお願いします。 修行は今回が初めてでしたが、職員さんをはじめ、貴重なお話や美味しい料理を作って下さった先生、一緒に宿泊した方々には、非情に感謝しています。他者を思いやる一方で、厳しい修行に打ち込む姿は勉強になりました。今後の人生を歩んで行く上で、くじけそうな時はこ今回の経験を思い出し、強く正しく生きて生きたいと思います。

    三日という短い期間でしたがお世話になりました。

    この度は天光寺さまに大変お世話になりました。

     

    私は会社をいくつか経営しておりますが、六本木の事務所で近頃奇怪なことが頻繁に起こるようになりました。

     

    社員も恐がるようになり、私自身、霊とかあまり信じていなかったのですが気持ち悪くなり知人に相談してみました。

     

    知人の紹介できてくださった霊能者は、自分の手には負えないと帰って行ってしまいました。

    どうやら、私が連れてきてしまったり、引き寄せてしまったりした色んなものが沢山この場所にはついているとのことでした。

     

    困っていると、社員の一人に、以前天光寺さまに滝行修行に行ったことがあるものが、私に存在を教えてくれました。

     

    早速調べて、問い合わせたところ、相当の大がかりなお祓いが必要かもしれないと言われました。すぐにお願いすることにしました。

     

    まさかこんなことになるなんて、そして霊を目の当たりにして心底驚きと、信じざる得ないものがありました。

     

    高尾住職様を信じてお願いして本当に良かったです。感謝いたします。

    夜寝ていると、家鳴りがするようになって3カ月。

    だんだん昼間にも起こるようになり、物が移動されていたり、急に写真たてや、物が倒れたりするようになってきました。

     

    家族も私も、だんだん怖くなってきて、どうしようかと悩んでおりました。

    原因が何か知りたく、お祓いをしていただきたく天光寺さんに伺いました。

     

    私についた霊だったとは、恐ろしいばかりです。

    これでおさまってくれたらいいのですが。

    自分を強く持ち、常に明るい心、素直な心、感謝を持つ事を忘れていました。

    ご住職様本当にありがとうございました。。

     

    私は四月一日に入社する以前から半年程アルバイトとして出社し業務を行っていましたが、今回天光寺での企業研修をするにあたり、まだまだ社会人としての意識が低かったこと、そしてこれからの行動や考え方次第で自分の人生は大きく変わっていくのだと感じました。

    天光寺での企業研修の中で一番印象に残っており、心身共に考えさせられた体験は滝行でした。滝行を行う前は初めての体験ということもあり、とても楽しみにしていましたが、いざ滝行を開始してみると想像を超える水温の低さや水圧で思うように身体が動かず、声もなかなかだすことができませんでした。しかし、途中で辞めるという選択は一度も頭には浮かばず、次第に水温、水圧にも慣れ自分の納得がいくまで滝行を行うことができました。

    今まで学生時代の部活動等で培ってきた以上の忍耐力や精神力を得ることができたのではないかと感じています。

    また、三禮では体力的な部分では余裕を持って行うことができましたが、周りが苦戦している時にどんな形で自分が支援、手助けをすることができるのかという事をとても考えさせられました。私が三禮をやっていた際に隣で一緒に三禮を行っていた他者の男性の方は、自分自身が限界が近づき、立ち上がる事が困難になっても声を出すことは決して辞めず、最後まで声を出し続け、自分自身、そして共に三禮を行う仲間を鼓舞していました。

    私自身も隣でその姿を見た事で鼓舞され、最後まで一度も止まらずに三禮を行うことができたのだと思います。出来ている人の言動そして出来なくても出来ない人なりの言動がそこの環境や、最終的な結果を大きく左右するのだと実感しました。

    そして、これは会社の中でも同じであり、一年目でまだまだ出来ることの少ない私ですが、新人なりの言動や仕事に対する姿勢を今一度考えていかなくてはいけないと思いました。

    また、現在「第二創業」を掲げている我が社だからこそ、何事にも受け身ではなく積極的に行動し、社内の環境や会社全体の成果に良い影響を与えていきたいと思います。

    天光寺での企業研修を通して、自分自身の体力、精神力、忍耐力をさらにレベルアップさせることができたと実感しています。

    努力と知恵を使い、積極的に生きていくことで、今後も成長しつづけることが絶対に出来ると感じることもできました。

    また、自社だけではなく他社の方々とも二泊三日共に企業研修を行ったことで周りへの気遣いや、様々な考え方、それぞれの役割分担などでいろんな面に触れることができ、とても勉強になりました。

    今後、研修が終わりそれぞれの部署で実務が始まり、様々な辛い事や逃げだしたくなるようなこともでてくるとは思いますが、今回教えていただいたように、自分の人生の主人公になるため、不平不満を口にせず、絶対的な価値が自分の中にある、という事を信じて行動していきたいです。また、つらい場面に出くわした時でも強い気持ちを持ち、今回の研修で得た精神力、忍耐力を活かして乗り越え、成長し続けていきたいと思います。

    そのためにも、普段から、反省・感謝・懺悔を忘れません。

    今回の経験は会社の研修としてではなく、人生においても本当に貴重な経験となりました。

    普段、時間やインターネット社会に追われ、心から時間に余裕をもち、心にゆとりをつくる時間というものがほとんどありませんでしたが、写経や写仏を通して静かな落ち着き

    いた時間というのも経験することができました。心にやすらぎであったりゆとりを持つことで寛大な心や不平不満の解消につながるということも実感しました。

    最後のお話にもあった通り、「人を愛すだけでなく、同時に自分も愛すことで、結果、お客様や大切な人を幸せにできる」と気づくことができました。

    これから見返りのない愛情を持って、オンリーワンの自分になれるよう精進していきたいと思います。

    二泊三日ありがとうございました。

    2014年の1月頃から自分の周りで3人の声が聞こえ始めました。その年の9月頃から口から様々な言葉を話し始め、12月頃には真っ黒な人形の形をしたものが私をにらみつけていました。その瞬間知らない人の遺影が目の前にうつり、その人の学生時代の写真もうつりました。

    その後も日常から手が勝手に動いたり、口が動いたり、自らの体の周りに3人の声以外に2人の気配がしたりしていました。時々身体を刺すような痛みが走ったり、背中に重さを感じたりし続け、さすがにもう我慢できないと思い、今回、天光寺様に伺うことに決めました。

    カウンセリングを行ってもらい、ご住職様にお経を読んでいただきました。最初は何ともなかったのですが、気が付いたら悲しくもないのに涙が溢れており、止まらなくなっていました。終わった後は今までにないくらい晴れやかな気分になり、背中の重みがなくなりました。

    その後は声も聞こえなくなり、体の痛みや異常もなくなりました。今、私が普通に暮らせているのはご住職様、天光寺様のおかげです。本当にありがとうございました。

    久しぶりに大切なものを思い出させて頂いた2日間となりました。私が感じた大切なものは、以下6点です。

    • 人に感謝を伝える
    • 礼に始まり礼に終わる
    • 鍛錬する事、あきらめないことの大切さ
    • 手をかけて作られたお料理はとてもおいしい
    • 一つ一つの動作に手間をかける
    • 鉛筆は文字を消すことが出来る。パソコンなどの電子文字で伝えられないことが伝わる

    私には息子がおります。2歳9ヶ月です。子を妊娠してから今日まで、4年1ヶ月自分自身を顧みる余裕もなく、バタバタと毎日を過ごしていました。ちょうど1年前の1月に2回目の起業をし、お店をオープンさせてから4月14日で1年になりますが本当毎日バタバタしていたと思います。日々の雑踏の中で家族や友人、仕事仲間いらしてくださるお客様に向き合う自分自身の立ち振る舞いを考えるきっかけそして時間となり本当に良かったです。

    • 人に感謝を伝える。これは滝行の時に強く感じました。正直想像以上に冷たく自分は一人では何もできない、ちっぽけな存在で、皆様の応援があったから越えられたと感じました。滝から出た後は心の底から皆様への感謝の声がでたのですが、次の日たくさんの人に支えて頂きお世話になっているこのことを滝から出たあの時間のようにもっと伝えるべきだし、伝えきれていないひとがたくさんいるなと感じました。
    • 礼に始まり礼に終わる。中学生の頃から武道の精神が好きで剣道をしていました。人に挨拶する、あいさつだけでなく気持ちで届ける意味が言霊にはこもっていると感じています。一挙動一挙動自分の立ち振る舞い所作を心のこもったものである自分でありたいです。
    • 鍛錬すること、諦めない事の大切さ。全ての行を通じて感じました。一つのことをやり遂げる事集中して取り組むことが最近まったくできていなかったので、人の手をお借りせずとも、集中してものごとに取り組む時間と意識ができると単発の集中力も上がると思いました。
    • 手を掛けられて作られたお料理はとてもおいしい。文字通りですが、とてもご飯が美味しく幸せな時間でした。ついつい時間がない事を理由に出来合いのものばかり取り入れてしまう。食事に対する感謝も栄養素もかけていたと思うので、お家に帰り季節のお野菜や彩、味付け鮮やかな食卓にしたいです。
    • 一つ一つの動作に手間をかける。当たり前の事かもしれませんが、靴を脱いだら整える。扉を閉める。当たり前のようで辺り目に出来ていなかったように感じます。「礼に始まり礼に終わる」に通ずるものだと思いますが、一つ一つ丁寧に手間をかけることの大切さを学びました。
    • えんぴつは文字を消すことが出来る、パソコンなどの電子文字では伝えられないことが伝わる。ボールペンばかり使ってました。日々に鉛筆を手にしましたが、消しゴムで文字が消えることに感動しました。何度でも書き直すことの出来る素晴らしいお道具ですね。また写経している時に一つ一つの文字の意味が頭に思い浮かびました。パソコン文字も便利ですがゆっくり写経する時間を1文字1文字大切にする大切さを学びました。

    初めは、滝行半日体験のみを申込差し上げましたが色々なお話を負うかが出来、先生、天光寺の皆様たまたま一緒になりました、男性お二人にたくさんのお気づかいや気づきを頂き、良き2日間となりました。本当にありがとうございました。また今度は仲間も連れてお伺いします。

    私は、仕事もプライベートも充実した日々を送っておりました。

     

    しかし、去年の秋ごろから会社の同僚や上司から顔色が良くないけど大丈夫か? というような事を言われるようになりました。

    自分でもなんか最近疲れが抜けないな、身体がだるいな、と思っている所でした。

    次第に、夜寝ていると胸が苦しくて起きりたり、金縛りにあうようになりました。

    病院にも行き、見てもらっても、特に悪い所はないということでした。

    悩んだ末、どうしたら良いか分からず天光寺様に伺うことに決めました。

     

    住職様に会い、除霊をして頂くことになりました。

    すぐに生霊がついていることがわかり、私から離れるように除霊してもらいました。

    それは、以前交際のあった女性でした。女性の方も自分では生霊を飛ばしているのを気が付かないでいるといいます。

    本当に驚きました。自分を守るお経も教えて頂きました。

    除霊をしていただいて、すぐに身体が本当に楽になりました。

    それ以後、夜も熟睡できるようになり、大丈夫になりました。

     

    住職様本当に助けて頂いてありがとうございました。

    私は4年前に妊娠したものの死産となりそれ以降、子宝に恵まれず治療を行っておりますが大事な治療日に自然災害に直撃しあわや治療が出来ないかもという事が重なっていました。原因を考えたところ死産になってしまった子の供養を済ませてなかった事や、先祖供養を大切にしてなかったことが考えられたため今回、天光寺にてお祓い、先祖供養を受けさせていただきました。先生に見てもらったところやはり死産になってしまった子供の霊が憑りついているとのことで供養を済ませたのち祓ってもらう事にしました。お祓い中は訳もなく涙が出てきて、止まりませんでした。お祓い中の記憶はおぼろげですが亡くなった子と出逢い、話をしたような気がします。お祓い後は肩が軽くなり、清々しい気持ちで帰る事が出来ました。その後不妊治療を行う際も自然災害に合わず、順調に治療を進める事が出来ています。この度は供養、お祓いをしてくださり、本当に有難うございました。

    寝室のラップ音がひどい。夜中に必ず目がさめる。ひどく金縛りにあう。

    それはとある旅館に泊まった時、ちょっと嫌な感じがして、眠れないときがありました。

    一緒にいった友達たちは、全く気にならない様子でしたが、どうも廊下の先のお部屋の前を通る時にそれは感じられたような気がしていました。

    わたしはよく連れて帰ってしまうようで、自分でもどうしたら良いのかわからないのです。

     

    その度にお祓いをうけたり、ヒーラーさんにお願いしたりしていましたが、度重なり根本的に解決していきたいと思うようになっていました。

     

    調べて、天光寺さんに行き当たり、伺ってみることにしました。

     

    住職様のお経は、びりびりと体に、空間に響くもの凄いもので、わたしは一気に光の中に入って行きました。ものすごい光の洪水で、その中で沢山の存在に自分は守られているんだ、と気づかされました。

     

    お祓いをしていただいた後、住職さまは私にいろいろな仕組みをお話してくださいました。

    そして、自分の敏感な体質をもっと自分自身で理解して、自分が強くなれるよう努力して、身を清めたり、お経をあげたり、結界をはることを覚えたりしなければならないと教えてくださいました。

    そうすると、自分自身を信じ自分を愛せるようになり、すると振り回されなくなりますと。

     

    また迷うことがあったら来なさいとおっしゃってくださいました。本当に心強いです。

    そして、ここに修行に来ようと思っています。

    大変ありがとうございました。 感謝。合掌。

    私は今回の研修でまず人とのつながりの大切さを学びました。今までは同期の中でも特定の人との会話が多かったり、あまり話したことのない人とはあいさつ程度しかできていなかったりしたのですが、今回二泊三日の間同じ屋根の下で朝から夜まで生活を共にし、何かの作業の時にはお互いに声をかけあって協力したり、起床してから廊下などで会った時あいさつ以外に少し世間話をしたりと同性異性関係なくかなり交流を深められたように思います。顔と名前もしっかり覚えることができ、それが声をかけるきっかけになったりもしました。今まで会話をしたことがある人とも、一緒に過ごす時間が長い分いろいろな話をして、今まで知らなかった一面を新たに知ることができたりしました。研修が終わり、会社に戻ってからも同期のみんなとたくさん話ができたらいいなと思います。

    次に私が学んだことは、協調性と積極性の大切さです。短い間とはいえ家族ではない人達と生活を共にするにあたり、普段以上に気を遣ったり、考えなければいけないこともたくさんありました。例えばお風呂の順番だったり、寝る場所だったり、ご飯を食べる時の役割や座る場所だったり、普段家では深く考えなくていいようなことがほとんどです。どうしたら効率良く、みんなが納得した上で気持ち良く事が進められるか、正直考えてもわからない事やはっきりしない事もたくさんありました。そこで、周囲の人と話し合ってみたり、自分からとりあえず動いてみたり、できるだけ臨機応変を心がけながら行動したり発言したりしました。その結果スムーズに作業を進行できたり、良い感じに事が済んだりした時はとても嬉しかったです。これから仕事をしていくにあたり、今回学んだ協調性や周囲の人と協力すること、自分から積極的に行動を起こすことはとても重要になってくると思うので、今後もこれらを忘れずに仕事に励みたいと思います。

    大人数での共同生活に加え、お寺という慣れない環境、普段常に持ち歩いているスマートフォンが長時間手元にないという不安感、今まで経験したことがないくらい長い時間の正座、写経、写仏、読経、お百度参り、滝行の際の山登り、各時間のあいさつ、三禮、ヨガといった初めての体験など、二泊三日とは思えないくらい濃い時間を過ごし、筋肉痛や関節痛もひどくて正直かなり疲労感も溜まっていますが、それ以上に自分の中で得たものも多いように思っています。先述した人同士の関わりに関しても得たもののひとつですが、それ以外にも仏教に関する説明や法話を聴いて、自分自身の内面や考え方などを見直すきっかけになったように思います。私は元々あまりポジティブではなく、自分自身に与える影響の大きさについてだったり、積極的に生きることの大切さだったり、自分自身を認めること、信じることの重要さについて学び、一度今までの自分を振り返って、考え方や行動を改めたいと思いました。

    私は、今回のこの研修に参加して、自分はいろいろな面で少なからず成長できたのではないかと感じています。ですが、まだまだわからない事だらけで未熟な面も多くあるので、そういった面は今後、今回の研修で学んだことや得たものを最大限活かして、学び、補い、成長させていけたらいいと思っています。これから先、仕事に関しても私生活に関しても、立ち止まったりつまずいたりする事はきっと多くあると思いますが、そういった時はこの二泊三日の事を思い出して乗り越えていきたいと思います。

    今回の体験修業では、滝行やお百度参り、写経などの行、掃除や食事の準備など寺での生活の体験、先生や職員の方のお話を聞くことなどができそれぞれ多くのことを学び今後の生活に活かせる気づきを得ることができました。

    行を行って得た物は自信と達成感です。体験修行中に行ったものは、どれも簡単にできる物ではありませんでしたが、特に辛いと感じたのは滝行です。体験修業中2回滝行に挑戦し、結果として2回とも制限時間以上行えましたが、何回やっても順番を待っている間の不安や行の最中の辛さはなくなりませんでした。その様な精神的に追い込まれた状況での挑戦で、しっかりと結果を残せたことはプレッシャーに弱い私にとって大きな意味があったと感じました。

    寺での生活の体験で得た物は効率性と連携の大切さの再理解です。建物の構造が複雑だったり、スケジュールが過密だったりする寺の生活においては時間をいかに有効に使うかが大切でした。物一つ取りに行くだけでも動線が長くなってしまうのでどの様に動けば最も効率的なのか考えながら動くことが必然的に求められたため、自然と何か行動を起こす前に一度考えるという行動を取ることができました。掃除や食器の片づけの場面では、行う内容や人数によってどの様に役割分担をすれば効率的に無駄なく動けるようになるか様子を見たり、声かけをしたりすることが重要でした。大切ですが忘れがちな基本的なことを改めて学ぶことができました。

    先生のお話で学べたことは色々ありましたが、特に強かったのは、「積極性を持つ」というキーワードです。色々な話を聞く中で私はこの言葉の意味を「自分の力を信じて問題に恐れず立ち向かっていくこと」と捉えました。自信がなく問題が起こる度に不安が強くなり行動が起こせなくなったり、非効率的な動きをしてしまうことが多い私にとってこの言葉は大きな力になってくれるキーワードになりました。

    二泊三日の体験修行で今後の生活に活かせる色々な学びや気付きを得ることができ意識も変えることができたと思います。3日間お世話になりました。本当にありがとうございました。

    私はサロンをいくつか経営しております。夫が亡くなって、不動産を沢山もっていた夫の相続の問題で、弁護士さんとのやりとり他、忙しい日々でした。

    体調は今一つでしたが、お金には全く困ってはなく、むしろどう今後事業を展開していったらいいか、そろそろ考え始めたりしておりました。

    そんな中、サロンの他に新しい事業の可能性がみえはじめました。事業のパートナーとなる人も現れました。

    わたしは元々、サロンを成功させたり、事業には才覚があしますし、非常に敏感なので、運や人を引き寄せるものがある自分でもわかっていますし、人からも言われます。

    霊的にも敏感で、霊的アタック、いい霊なども感じることが多々あります。

    最近寝ている時に、明らかに霊的アタックを受けているのが分かりました。

     

    知人の紹介で天光寺さまにお祓いをお願いいたしました。

    住職様に、一度では少し難しいかもしれないと言われました。

    沢山の不動産(土地)、ご先祖さま(夫方と実家)、生霊、いろんなものをきちんと供養、お祓いをしないといけないと教えていただきました。

    一度目は、お寺で住職様におはらいをしていただきました。

    大変身体が軽くなり、いかに自分がこの数年ためていたのかを知りました。

    二度目は、私の自宅に出向いていただき、土地の浄化、ご先祖様供養、お祓いをしていただきました。

    夫が亡くなってから、ずっと思考し続けパンクしそうでした。

    今はすっきりとして、自分がご先祖様の先頭にたって、相続したからにはきちんと役割りがあるのだとなと、ストンと腹落ちしました。

    感謝して明るく、そして何より自分の天からいただいた身体を大切にしていこうと思います。ここのところの私は、自分の身体の事を忘れていた気がします。

    この度は本当に有難うございました。

    一年前くらいから肩が重かったり、背中に刺すような痛みが走ったり、頭痛も頻繁に起こるようになり、心配で病院にも行き、MRIの検査もしました。

     

    しかし、なんでもないと言われました。

    そのうちに、気持ちがネガティブになってきて、暗くなっていきました。自分でもわかります。

    倦怠感がすごく、会社にいくのがやっと。だんだん休みがちになってきました。

     

    今回は天光寺さんにお願いして本当に良かったと思っています。

    お経が流れてきて、体が勝手に揺れ始めました。

    自分でも分からないけれど、動いてしまいました。自然に口からうめき声がでて、泣き出したくなりました。

    完全に自分ではないと思います。

     

    終わった後、大変スッキリとして、体が軽くなりました。

    今後も定期的にお経を聞いて身を浄化し、身を守っていくことを教えていただきました。

    ご住職様本当にありがとうございました。

    天光寺での研修を経て、自分の中で「生き方について」「人生について」「仕事について」という所が変わりました。

    この変わった所というのは、一つの考え方次第でガラッと変わる事だったので、非常に

    新鮮かつ刺激的な体験でした。

    まず、第一に「生き方について」という所ですが、これまでの私の生き方というのは、「自分に向き合わず、悪い所は見て見ぬふり。やり続けずに、ブレーキを踏む」といったネガティブでプラスな考え方がほとんど無いような人生でした。

    ですがそんな生き方をしつつも、「このままでいいのだろうか」という気持ちはありました。

    しっかり自分と向き合うという自身の課題を克服するのに、この研修はとても良い影響を与えてくれました。

    「三禮」「お百度参り」という厳しい修行を経て、感じたことは、

    『どんなに辛くても、苦しくても、自分なら乗り越えられると信じ、歩き続ければ、そこには頑張った分の達成感と、自分を信じてあげられたという自信が付く』という事です。

    そして、「滝行」を経て、感じたことは、『自分の限界をわきまえておき、その上でその限界までをどのように全力で過ごすか』という事を、感じました。

    「三禮」「お百度参り」「滝行」という行を体験することで、「歩き続けやりとげること」の大切さ、「限界を見据え、自分と向き合い、そこまでどのように行動するかを考えること」の大切さを学びました。

    次に「人生について」ですが、これは住職の高尾聖賢先生の言葉が私の考え方を変えてくれました。

    仰った言葉が「あなたは今、人生の主人公でいますか?それとも負け犬ですが?」そう言われた時、私はすぐ、自分は負け犬だと考えました。

    なぜなら人生の主人公らしいことをしていないからです。

    不屈の魂で何かやり遂げたか?大きく成長して上に上りつめたか?仲間と共に夢を作り上げたか?私はこれらをしていなかったです。

    「この世に生まれ落ちて、自分の人生を歩むのなら、光輝かなければ。自分の人生なのだから、自分が主人公でなくてはならない」という言葉は「人生」に対しての向き合い方が変わった言葉でした。

    最後に「仕事について」ですが、これは前述にあるような考え方の変化で変わっていきました。

    まず、仕事において、自分に甘えが出るということについては、その甘えによって、これから先、どのようなものを失うかを知り、そう考えてしまった自分と向き合うことで、自分を律することが出来るようになりました。

    そして、みえない固定観念を怖れ、「気をつかう」という体のいい言葉で「逃げていた」ことについては、固定観念を壊してこそ仕事であり、怖れず進み続けることが成長であることを学びました。

    以上のことが大まかではありますが、私が天光寺で学び、感じた事になります。

    来る前の最初のイメージから変わり、来れて本当に良かったと感じました。

    また自分自身の考え方、生き方に迷いを感じたら、来たいと思いました。

    天光寺さまでお祓いをしていただきました。

    息子は、人混みや、電車が苦手で、だんだん人に会うのも嫌になってきました。

    折角入った大学もほとんど行けなくなりました。

    まずはお医者様に見ていただきました。

    カウンセリングにも通い、親子ともども努力してまいりました。

    一進一退の感じで御座いましたが、本人も信頼できる人に話を聞いてもらうと、いく分楽になるような感じでした。

    そんな中、知人の紹介で天光寺さまに行ってみることにしました。ワラにもすがる思いでした。

    ご住職様に立派な本堂でお祓いをしていただき、親子どもども目が覚めたような気持になりました。

    もともと優しい性格の息子ですが、将来息子なりに目標があったにもかかわらず、このような事になったのは、社会に出る前にとても良い経験になったと思います。

    本当にありがとうございました。

    この度は天光寺さまに大変お世話になりました。

     

    私は会社をいくつか経営しておりますが、六本木の事務所で近頃奇怪なことが頻繁に起こるようになりました。

     

    社員も恐がるようになり、私自身、霊とかあまり信じていなかったのですが気持ち悪くなり知人に相談してみました。

     

    知人の紹介できてくださった霊能者は、自分の手には負えないと帰って行ってしまいました。

    どうやら、私が連れてきてしまったり、引き寄せてしまったりした色んなものが沢山この場所にはついているとのことでした。

     

    困っていると、社員の一人に、以前天光寺さまに滝行修行に行ったことがあるものが、私に存在を教えてくれました。

     

    早速調べて、問い合わせたところ、相当の大がかりなお祓いが必要かもしれないと言われました。すぐにお願いすることにしました。

     

    まさかこんなことになるなんて、そして霊を目の当たりにして心底驚きと、信じざる得ないものがありました。

     

    高尾住職様を信じてお願いして本当に良かったです。感謝いたします。

    今回は知人の誘いで、一泊二日の修行体験に参加させていただきました。滝行は聞くよりも見るよりもつらく、滝に入ったとたんに、「出たい!」と強く思うほどでした。一日目の夜も深まるにつれ何かしらの気配を感じ始めました。これほど近くに感じることは初めてで戸惑いましたが、担当の方が常に近くで気にかけて下さり心強かったです。二日目の瞑想では空間がゆがみその後、「地獄」、「畜生獄」、「曼荼羅金剛界」、「青白い世界」を見ました。

    その後は姿勢を保てなくなり、辛かったです。今まで見て来なかった世界に触れることが出来た気がします。ご飯は毎食とても美味しかったです。教えていただいたレシピを元に家でも作ってみたいと思います。

    私が今回天光寺を訪れた理由は、元々父の家系で自殺が複数回起こってしまったり、性格がおかしい人ばかりだったりしていたのですが、父が自殺をしたことで父の姉たちの、私の母に対する恨みが強くなって、良くないことが起こってしまっているのではないかと思って訪れました。さらに、私自身今年の6月ごろに突然うつ病になり自殺を考えてしまうくらいひどくなりました。母や母方の家系ではこのようなことが全くないので心当たりは父か父方の親族です。父が死んで相続放棄したので実家に近づけず、父の方の先祖様は全く供養できてない状態なので心配でしたが、先生にみてもらったところ祓うことができるそうなので安心しました。早速、祓ってもらうことにしました。祓ってもらっている間はなんだか頭がぽかぽかして何も考える事が出来ませんでした。15分位すると意識がはっきりしてきました。何も言われずとも祓い終わったことが分かりました。

    天光寺でお祓いをしてもらってからうつ病もだんだん良くなってきています。本当にありがとうございました。

    前回、三日間の修行を終えた時に書いた感想文では、自分が今まで直せなかった問題の重さに気づきそれを受け入れることが出来た、ということを書きました。

    私はその後の三日間でその問題を改善するきっかけを掴むことを目標に修行に臨みました。その中で私は「恩返しをする」ということを意識して生活してきました。私はこの六日間の天光寺での生活でたくさんの方々にお世話になりました。修行の指導やその他の様々な話をしてくださった聖賢先生、職員さん、又、生活の中で寝食をともにし、修行や掃除、その他の行動を一緒に協力してやってくださった他の宿泊者の方々です。

    この人達へ恩返しする気持ちで修行や掃除に励みました。そうすることで私は人が幸せな気持ちになる為に自分に出来ることはないか、考えながら生活できるようになりました。私は「誠実で素直な人間」になる為にここで修行してきましたが先に述べたように、人の気持ちを考えて行動することで「誠実さ」の部分を体現できるという答えに辿り着くことができました。

    またその上で、自分の言動だけでなく他人の言動に対しても良いものは良いもの、悪いものは悪いものとしてしっかり区別をすることで自分の信念や目標に基づいた素直な言動をすることができる人間になれると感じました。私はまだ具体的な信念や目標を打ち立てられたわけではありませんが、「誠実で素直な人間になる」という今回の修行で得られた覚悟が揺らぐことだけは決してないように、家に帰ったら学業や生活面におけるそれを考えていきたいと思います。

    今まで私は嘘をつくなどの他に大学一年生の春休みに素行の悪いグループと交友関係を持ち、その中で家族や学校、友人に多大な迷惑をかけてしまいました。これは私の心の弱さが原因で目の前の享楽だけを考えた結果でした。天光寺を出たら生活の中でまたそのような人達からの誘いがあるかもしれません。しかし、ここで体得することの出来た「良いものは良い、悪いものは悪い」といえる素直さを決して忘れずに自分で決めた信念や目標を達成できるようにします。

    この二泊三日の研修を通して最も強く感じたのは「仲間」の存在の大きさです。

    私はこの研修で、今までの学生気分を捨て、大人として、そして社会人としての自覚を持つという目標を立てました。

    一日目に行った、自己紹介や挨拶、お経読みは、「声が小さい」と何度も言われ、いつになったら終わりになるんだと思いました。

    ネガティブなことや不平・不満を口にしてはいけないと分かってはいても、ついつい心の声が漏れてしまうことが多く、一日目はまだ精神的に子どものままだったのだと思います。

    二日目に行ったのはお百度参りと滝行、三禮でした。

    この二日目が一番つらかったです。

    お百度参りは全員で裸足で百往復し、一回ごとに「南無大師遍照金剛」と唱えなければいけなかったので、息つく暇もありませんでした。

    お百度参りが終わり、滝行に向かいました。

    滝行は今までやったことがなかったので、少しだけ楽しみにしていたものでもありました。

    しかし、現実はそんなに甘いものではありませんでした。

    滝行の服装はパンツの上に行着を着るだけで、こんな格好でやるのかと思いました。

    滝行の順番で自分はまん中あたりだったので先に滝行をする人を見ていました。

    滝行を終えた人全員が、「ヤバい」「寒過ぎ」と口にしていて、自分がやるのが怖くなりました。

    しかし、ここまで来て逃げられないので、覚悟を決めて、滝に向かいました。

    滝は目の前で見ると流れも強く、先に滝行をやっている人を真近で見ると、遠くで見ていたときとは全然違い、大変さが伝わってきました。

    自分の番が来て、水の中に足を入れただけで凍ってしまうんじゃないかというくらい冷たかったです。その後に一度頭から水をかぶってから滝の中に入りましたが、冷たすぎて体中を刺されたような痛みがありました。すぐにでも滝から出たいと思いましたが、三分間入っている人が多く、自分も負けたくない、逃げたくないという一心で、三分間入ることができました。

    滝行の後にやった三禮は、一人だったら、絶対にやり切ることはできなかったと思います。

    止まってしまえば楽になれると思いましたが、みんな頑張っているし、後ろから鼓舞してくれる仲間がいてくれたおかげで、全員でやり切ることができました。

    終わった後の達成感と一体感はすごかったです。

    三日目は法話を聞き、人脈の大切さ、積極的な心を持つことを学びました。

    私は今までどちらかというと消極的な人間でしたが、これからはチャンスを逃さないためにも積極的に生きていきたいと思います。

    この研修で一番強く感じたのは仲間の存在の大切さです。

    滝行や三禮はもちろん、食事の準備なども仲間と協力して行ったことで、絆も強くなったと思います。

    また、普段と全く違う生活をすることで、あたりまえだと思っていたことが、決してそうではないと知ることができました。

    貴重な経験をさせていただき、ありがとうございました。

    2019年4月度、合宿で私が特に重要だと感じた「学び」「気付き」をお伝えします。

    まず、結論として、「気付き」は以下の四点です。

    ①「己の限界をもっと超えていける」という確信②「奉仕の心」の重要性

    ③前向きで健康な魂(精神)を保つ事の重要性④自身の「甘え弱さを断つ為に何を拠り所とすべきか」その答え。

    ①の「限界への挑戦」への自信に対しては今回経験した数々の身体を使った修業から確信を得ました。普段の生活では「やろう」「できる」と思えない辛い事でも「やってみればできる!」ことですし、学生以来、久しく忘れていたアグレッシブな感覚を思い出すことが出来ました。

    ②「奉仕の心」の大切さは、今回一番近くで私たちにご指導下さった担当の方をみて思った事です。その姿からは「気遣い」「感謝」「謙虚さ」に溢れており、言葉の端々から伝わってくるものがありました。

    担当の方も昔営業をされていたと、お聞きしましたが、これが「売れる営業マン」のあるべき姿だと感心したので、モデルとさせていただき、自分も一つ一つの表情、言動、挙動を磨き、変化します。

    ③「前向きで健全な精神を保つ」ことの大切さは、住職様の説法は拝聴し感じたことです。その類稀とも思える成功の土台となったサクセスストーリーの裏側には、ご自身の『舞台の主役』とでもいうべき個性と強烈なポジティブさがあったのだと教えて頂きました。

    社内でもなぜこれだけ「前向きな言葉」を重要視しているのか?改めて思い知った所です。

    今後「言葉の力」を活用していく事は勿論、住職様がご説法でお薦めしてくださった「瞑想録」も読んで更に理解も合わせて深めます。

    ④が「今の自分の甘え、弱さ」を断つ為にどう在るべきか!?という問いの答えです。

    私の答えは「仲間や自分自身の家族を守り、そして自分も幸せにする」という決意を今後のより所として、辛い時、自分に負けそうな時、踏ん張っていくという事です。

    自分自身の欲望として、もっとお金を稼ぐ、男としてもっと出世するという目標はありますが、それは所詮独りよがりで踏ん張れない。自分だけでなく、仲間や家族、目の前の人達の幸せを守ることまで責任を負う覚悟が必要だという結論に、上司や住職様、担当の方の姿を見て至りました。

    綺麗ごとを語ってしまいましたが、それを綺麗ごとで終わらせない為に、今は何より「結果」「数字」が全てです。その結果に関して見ていてください。

    まずは、一営業、プレーヤーとして結果も含め一流になって見せます。

    私が今回天光寺を訪れた理由は、元々父の家系で自殺が複数回起こってしまったり、性格がおかしい人ばかりだったりしていたのですが、父が自殺をしたことで父の姉たちの、私の母に対する恨みが強くなって、良くないことが起こってしまっているのではないかと思って訪れました。さらに、私自身今年の6月ごろに突然うつ病になり自殺を考えてしまうくらいひどくなりました。母や母方の家系ではこのようなことが全くないので心当たりは父か父方の親族です。父が死んで相続放棄したので実家に近づけず、父の方の先祖様は全く供養できてない状態なので心配でしたが、先生にみてもらったところ祓うことができるそうなので安心しました。早速、祓ってもらうことにしました。祓ってもらっている間はなんだか頭がぽかぽかして何も考える事が出来ませんでした。15分位すると意識がはっきりしてきました。何も言われずとも祓い終わったことが分かりました。

    天光寺でお祓いをしてもらってからうつ病もだんだん良くなってきています。本当にありがとうございました。

    この度は本当にありがとうございました。

    私には、2歳になる息子がいます。息子は2歳になりますがまだ歩きませんでした。

    保健師さんや、お医者様に発達の相談をしていましたし、見てもらっていました。

    原因はわからなくて、そろそろ立つのではないかという事でした。

    一人目の子供ということもあり、大変不安で、近所の先輩ママに聞いたりして、実際2歳まで歩かなかった子供さんがいる方にも話を聞いたりして、そういう事もあるのかと安心したり不安になったりしていました。

    しかし、ある時久しぶりに会った知人、彼女は霊感など敏感な人で、その人にお祓いなど、ちょっとみてもらった方がいいかも知れないと、言われました。

    すぐに調べて、連絡をさせて頂きました。費用の面など私たちにとっては少し高価ではありましたが、考える間もなくお願い致しました。

    夫と三人で天光寺様に伺い、息子を見てもらいました。

    泣いたりしないか、ぐずったりしないか不安でいっぱいでした。

     

    しかし、実際住職様に三人でお会いすると、原因はお母さんあなたかもしれませんといわれ、驚きました。

    実際お祓いが始まりました。わたしは何も覚えていません。

    夫に聞いてみると、お祓いの最中私はとても苦しそうで、泣いたり、言葉にならないうめきや、床に伏したりしていたそうです。

    息子はその間、ずっと寝ていたそうです。

    お祓いが終わって、住職様に前向きな心を持ちなさい、不安や心配の中にいてはいけません。と仰ってくださいました。

    本当に私はいつもネガティブで、不安から物事を考えていました。

    その事が霊を引き寄せ、子供に影響してしまっていたのです。

     

    もともと私は色んなものに敏感であり、明るい性格ではなく生きてきました。

    そういう所を、母になったのだから強く、明るく、感謝をしながらはね返していく力、

    自分を信じて生きていこうと決意致しました。

     

    この度は、住職様はじめ、天光寺の皆様、夫、息子に心から感謝します。

     

    息子もじきに歩き出しそうです。ありがとうございました。

     

    今回の研修を受けさせていただく前は他人の目ばかりを気にしたり、自分の人生をなぜか、自分じゃなく他人が歩いているように思っていました。

    私は自分の人生を自分の意志で進んできたという実感がありませんでした。

    「人が何かをしたから一緒にしよう」とか「みんながやってるから」など他人を軸にして物事を考えるのが多かったからです。

    物事に対して積極的ではなく消極的で自分から進んで取り組む事がなく誰かの後ろに立っている時に「自分は必要なんだろうか」や「自分がいてやることがあるのだろうか」と考える事がありました。

    やっぱりそれは、自分の中に絶対的な価値がなかったりなどマイナスなことばかり考えていたからだと今回の研修で知る事が出来ました。

    今まで生きてきた中で「責任」という言葉を深く考える事がなかったり、自分自身がいろんな事から逃げる事が多々ありました。

    研修で「責任」や「自覚」を学ぶ事ができました。

    生きる目的を持つことがなく、流れるままに生きてきて、今も自分の意志で生きているわけではなく、ただやりたい事するわけでもなければ、見つけることもなく、時間がいつのまにか過ぎているという何の生産性もない日々を過ごしてきました。

    研修の内容で一番やり遂げたと思った事は滝行で、今まで逃げてばかりだった自分の中で逃げたいと思っても逃げずに最後までやり遂げた数少ないものの一つだからです。

    滝行をしている時、最初は冷たいと感じたのですが、座ってからなぜか水が暖かく感じたのは自分でも不思議に思っています。

    自分自身を一新して、これから社会人としての自覚と責任を持つことと、何か目的を持って生きていこうと思います。

     

    2泊3日の間、大変お世話になりました。

    本当に有難う御座います。こちらにいる間、修行を重ねる中で、自分が生かされていることのありがたさを身をもって感じました。自分が不足しているところは、陰でいつも誰かが補ってくださっている。目に見える世界においても、そうではない世界においても。いつも誰かに支えられて私のような一人では何も出来ない人間が幸せに生きることが出来ていることに、瞑想をして仏様の声を沢山きく中でありがたくて涙が止まりませんでした。こちらでさせていただいた修行は本当に苦しかったです。しかし心の中にたまっていた自分の犯した罪に対する罪悪感はもっと苦しかったです。こちらでの修行は、私の中の苦しさを未来への希望に変えてくださいました。二度と同じ過ちを繰り返さないようにすることを誓います。

    最後になりましたが、先生、職員の皆さん、一緒に修行して下さった方々、本当に有難う御座います。この感謝の気持ちを恩返しできるよう自分の心を常に正しく持って生きます。

    高尾先生、先日はお祓いをしていただきありがとうございました。

    引っ越し先を契約したあと、その周辺に事故や事件が多い土地だと知ったので

    友達に噂を聞いて天光寺にお電話しました。

    お忙しい中わざわざ来ていただき本当にありがとうございました。

    時間を掛けて丁寧に新居のお祓いをしていただきました。

    おかげさまで、今新居で楽しく明るい生活を送れております。

    厄祓いなども先生にしてもらおうかなと考えておりますので、その際にはよろしくおねがい致します。

    今回私は自らの過ちと妻を深く深く傷つけてしまったことを反省しに生まれて初めてお寺にみそぎにやってきました。まず初めに寺に入った時の不動明王様の力(心中をつかまれている)感じ目を合わすことが出来なかった事を鮮明に覚えています。初日は寺の作法や挨拶を教えて頂き、お百度参りと滝行を行いました。お百度参りは「南無大師遍照金剛」ととなえ強く自分の願いを想いながら裸足で道を往復するというものでした。大きな声と思いの強さが届くとのことで「夫婦和合」を強く願って走りとなえました。妻への謝罪の想いと自分が犯した過去の過ちが苦しくさせました。そして次に山を登り滝行を行いました。岩場の間から現れた滝は山王大神様と竜王大神様がお守りする滝で力強くとても冷たい滝でした。一人三分頭から浴びるということでしたが初めの30秒で頭と体が急激に冷え「お経を唱えながら入ることは不可能」と思いギブアップしそうになりましたがそこで強く妻の顔を想い出し、夫婦もう一度やり直したいという想いと子供との幸せな暮らしをつくるぞという強い想いで入っているとなんだか体と魂がふーっと分かれたような感覚で体は痛いのに心がすーっと水の冷たさが気持ちよくなってきました。3分経って出た時耳がぼーっと聞こえなかったですがとてもすがすがしく今まで出会ったことの無い感覚でした。生まれ変わったというか体の中の汚れを全て持って行ってくれたというか・・・。山王大神様と竜王大神様には深く深く感謝いたします。また夕方には初めて写経を行いました。ひたすら写すというものですが一文字一文字思いを込めて書こうとしても途中で手を抜いてしまう自分が居ることに気づかされました。初日の最後髪をすべて切る決断をし感覚を研ぎすまさせたい想いとかっこつける自分にわかれをするために、人生初の坊主になりました。また夜の寝る前まで仏や人間の欲の事など教えて頂きました。自分の欲との向き合い方など教わりました。2日目は朝のお勤めの後住職の先生より「特別なヒーリングをしていただきました。本来自分の気と宇宙の気をつないでいただき鳥となり風となり空を飛び最後は宇宙まで行くことが出来ました。背骨に一本大きな気を入れて頂きました。ありがとうございました。そして先生は「君は遊ぶ活動もいいけど苦しんでいる子、精神病の子などをヒーリングする事をした方が良い。」と言っていただき自分でも漠然としていたことをズバリ言われました今後の人生の大きなヒントをもらいました。午後は得度といわれるお弟子さんの儀に参加させていただきました。貴重な体験が出来感謝します。その日の夜もブッタのお話も教えて頂きました。自分の心との向き合い方、自分のカルマを改めて考えさせていただきました。ありがとうございます。3日目は朝のお勤め、声出し、瞑想を行い、自分の内観する時間を沢山いただき、最後は不動明王様の絵を見させていただきました。初日に怖くて見るのもできなかった不動明王様でしたが今は逆に一番近くにいて頂きたく想うようになりました。強い心と勇気をくれて自分に負けない人になれる気がします。このような人生の体験をさせていただいた天光寺様には本当に感謝しております。ありがとうございました。

    私は自分にあまり自信がありませんでした。二十二年の人生の中で「嫌なことから逃げ、なるべく楽な道を」と正直何度考えたか数えきれません。この企業研修に参加する前もそうでした。「寒いのかな…まだ皆とそれほど仲良くないのに不安だな…滝行つらそうだな…」とマイナスの感情ばかり抱えていました。

    お寺に着き、配られたファイルの中で見つけた言葉、「私は、自分を信頼できます。」誓いの言葉の中の一節でした。始めて見たとき、「こんなこと言えないなぁ。」と思ったのが正直な感想です。修行が始まるとそれは私が想像していたものをはるかに越えていました。正座はつらいし、声を出しすぎてのどは枯れるし、一日目で疲労困ぱいしてしまいました。

    しかし、何度も何度もお経を唱えていくうちに、私の中で何かが変わり出したのを感じました。明らかにそれを感じたのは二日目の滝行です。「人数が多いからマックス三分ね、どうしても無理な人は出てね。」と言われた時、「頑張れるだけ頑張ろー。」と、軽い気持ちでいました。しかし限界まで頑張る皆を見ていたら、「自分もそんな甘えたことは言っていられない。絶対に三分耐えるんだ。」と考えるようになりました。いざ自分の番が回ってきて、足首まで入っただけで「これは無理だ…」と諦めそうになりましたが、先にこなした皆の姿を思い出すと最後までやり遂げることができました。終わった後にすれ違う度に「頑張ったね。」「声大きくてここまで聞こえてたよ。」「お疲れ様。」と声をかけてくれる度に、やりぬく達成感をひしひしと感じました。

    そして二日目、一番つらいといわれていた三禮の日。一日目、二日目の疲労が蓄積した中での行。「どうしても無理なら止まってもいいよ。」という言葉にもう甘える私ではありませんでした。熱くても痛くてもつらくても、となりで同じように苦しんで、頑張っている仲間がいる、私は一人で頑張っているわけではないという事実は私をとても勇気づけました。そして一度も休むことなくやり抜くことができました。終わってから自分の体を見てみると、手はカーペットにすれて両手共摩擦火傷で血が出ているし、両ひざ共あざだらけだし、汗まみれでとてもキレイな状態とは言えないけれどその傷を見る度に「これだけ頑張ったんだ。」と証のような気がして嬉しくなりました。皆で筋肉痛の足をひきずりながらも笑顔で「いたいよー。」と笑い合ったこの瞬間をいつまでも忘れないでいたいな…と思います。

    この感想文を書いている今、もうすぐ修行の終わりが来ることを少し寂しく思ってさえいる自分がいます。ご法話の最後で読んだ誓いの言葉の一つ、「私は自分を信頼できます。」という言葉を三日目やり遂げ、皆で支え合った今なら自信をもって口にできます。

    この筋肉痛が消えてしまっても、もしこれから皆と争ってしまうことがあっても、この企業研修の三日間を思い出すことで乗り越えていける気がします。そして、この達成感や支え合う姿勢をこれからの仕事にも活かしていきたいです。三日間お世話になった住職をはじめとするお寺の方々、お忙しい中引率して下さった村野さん、今川さん、貴重な経験をありがとうございました。

    私がこの三日間で思った事は、前向きに人生を歩くのが自分にとって一番良い事だということです。最初の正座してお経を読んでいる時につらい、痛い、などの感情が出てきてしまってマイナス思考だったけれど、読み終わったら飯が食べれるなどプラスの考えをする事によって耐えることができたりと、会社で嫌な事があったとしても、これが終わったら何か自分にプラスになる事なんだと思えるようになりたいと思いました。

    二日目では仲間の大切さや一致団結のすごさを感じました。お百度参りでは、仲間と大きな声を出して、つらくても走り続けれたり、お互いを盛り上げるような雰囲気で鼓舞したり、滝行でも「南無大師遍照金剛」と唱えて、皆で乗り越えられたのが一致団結ってすごいなと思いました。

    三禮では二日間で感じた事を胸に皆で声を出し合って一致団結してひざをすりむいてもやり切る気持ちで頑張って乗り切ることができて、すごく達成感を得る事ができました。

    三日目は、今までの二日間と違って、身体に優しい感じだったのですが、初めてヨガをやり前日にすりむいたひざが悲鳴を上げてヨガでさえ耐えねばならない時が来るとは思ってなかったのですが、しっかりとやり、皆と楽しくできて仲も深まり、良かったです。

    全体的には現代に生きている事が本当にありがたい事なんだな、という事をあらためて実感することができました。電子機器を使わない生活がこんなにも厳しいとは思っていなく、現代っ子の悪い所が垣間見えたなと思いました。

    三日間の最後に聞いた話で、人脈が大切と言われ、これから関わっていくお客様や、先輩などと、人脈を大切にし、さらに居酒屋などで何気なく知り合った人とも前々からの友人との人間関係も大切に生きていくことができたらなと思いました。

    実家暮らしなので、お皿を洗ったり鍋を洗ったりすることが少なく、今までしてこなかったので、これからは親の手伝いなども積極的にやり、一人暮らしを始めた時にも困らないようにしようと思いました。

    最後の昼飯のカレーがめったに出ないと聞いて、私たちの頑張りを認めてくださったのがすごくうれしかったし、国宝級の美味しさでした。

    普段はあまり辛口のカレーを食べないので、辛口のカレーも良いなと思いました。

     

    これから生きていく中で、何事にも積極的に自分から行動していきたいです。

    同期の皆と仲を深められて良かったです。

     

    小さい時から敏感で、よく母に自分の見えるものをいうと、少し困っている母を肌で感じていました。

    父はそんな自分を避けていました。家族でいるのに、私だけ存在が見えないような扱いをされていました。

    そのうちに私は、なんとか普通になるように見ないように聞こえないようなふりをして、そしていつしか感覚が薄れ、自分でもすっかりわすれて大きくなりました。

    しかし、就職してしばらくすると体から声が聞こえるようになりました。

    聞こえないふりをしていても、日増しにその声は強くなってきていました。

     

    住職様に除霊・お祓いをしていただき、自分を守る真言などをおしえてもらい、体調もよくなり、声もしなくなりました。

     

    本当に良かったです。でもやはり、敏感な体質だということは変わりないので、しっかり自分を守り、強くなる鍛錬を今後も続けていこうと思います。

    この度は、本当にありがとうございました。

    今後ともよろしくお願いいたします。

    今回、二泊三日という短い期間でしたが、お寺での修行を体験させていただきました。

    修行中には仏様の教えだけではなく、瞑想やお百度参り、滝行を行い精神だけではなく、肉体も鍛錬することができました。今回の目的は精神的な成長をして、これからの社会人に向けて力を付けていくことでした。お百度参りと滝行を経て、改めて自分の精神の弱さを見つめ直すこともでき、これからどのように向き合うか考えていくキッカケになりました。また、今回は規則正しい生活と野菜中心の美味しい食事のおかげで健康的な生活を送ることができ、体の内側から浄化されている実感もありました。この三日間での私の一番の変化は「あたり前のことに感謝する」という考えができるようになったことです。修行の中では毎日食事後の片付けや掃除、洗濯などを行います。現在、私は実家で暮らしているのでそれらを自分で行うことは少ないです。そのため、自分が当たり前にやってもらっていることの大変さや苦労を知ることができました。いつも気持ちよく生活できている裏側にはたくさんの人の労があることを感じ、それら感謝して生きていこうと思いました。修行の中では宇宙を感じることはできませんでしたが、日常に戻っても隣の人を仏と考え接して徳を積んでいき、日々の修業で宇宙を感じられるようになりたいと思います。今回はこのような貴重な経験をさせていただきありがとうございました。

    この度はご住職様大変ありがとうございました。

     

    私ども夫婦は結婚して10年子供が出来ず、不妊治療もしておりましたがなかなか子宝には恵まれませんでした。

     

    妻のストレスも、本人が周りに感じさせないようにしているのが私にはわかっていたので、なおさら早くに子供が出来たらと思っておりました。

     

    妻にドライブがてら、天光寺さんにいって夫婦で心機一転できるように、お祓いをしてもらわないか、と明るく誘ってみました。

     

    お祓いなど、大げさかと思ったのですが、気持ちの良い春の日にドライブがてら伺うのもいいかと考えました。

     

    しかし、実際お寺に実際行きますと、少し緊張いたしました。

     

    ご住職様とお話をして、お祓いをして頂きました。

     

    するとさっきまで普通だった妻が泣き始めました。合掌していた手もブルブル震え、身体も激しく前後に揺れていました。

    後で聞いてみると、本人もどうして泣いたのかわからなくて、勝手に涙が出てどうしようもなかったと話していました。

     

    お祓いが終わったあと、妻はスッキリとした顔になって、私も身体が軽くなりました。

    私も肩のあたりや、胸がこんなにも軽くなったのは久しぶりでした。

     

    妊娠につながるかは分かりませんが、とても二人とも明るい気持ちになり、やはり除霊していただき、ついていたものが祓われたのは、大変大きかったです。

     

    ご住職様のお経の声が今でも忘れられません。

     

    本当にありがとうございました。

    幼少の頃より霊に興味があり、「お化け見てみたい」が口癖でした。心霊スポットにいろいろ行ったり、ホラーBarに行ったり、心霊の番組のDVDばかりをめちゃくちゃよく観て過ごしていました。今考えれば悪趣味だったと思います。大学の同級生も同じような仲間がいて、大学時代には「心霊研究会」というサークルを立ち上げていました。社会人になってからもその頃の仲間でいろいろな心霊スポットに行っていたのですが、たいしたことは何も起きず・・・。あるとき鳥取県の最強心霊スポットと言われる場所にサークル仲間の提案で行くことになったのですが、行った先で初めて心霊の声のようなものを皆で聴いてしまい、仲間5人全員が同じ声を聞いたので、さすがにもう青ざめて。その後仲間内の一人に帯状疱疹が出来てしまったり・・・霊と関係があるかはわかりませんが本当に皆怖かったので、実家のそばにある天光寺さんへ皆でお参りとお祓いに行きました。高尾先生は「あまりそういうの遊んじゃだめだよ」と言い、霊障などの色々な話を教えてくれました。とても参考になりました。僕が今回思った事は、やっぱり幽霊って本当にいる、という事。遊んではいけない。心霊研究会の一員として良き勉強になりました。もう二度とこのような遊び半分な気持ちで心霊スポットに行ったり、霊をおもしろがったりする事のないようにと心に誓いました。高尾先生、この度は本当にありがとうございました。

    若手お笑い芸人です。僕は芸人としての収入が思うように無いので、中野区の事故物件に住んでいます。少しでも家賃を安く都内に住みたかったので。幽霊を信じていないので全然大丈夫と思って住んでいましたが、芸人仲間で霊感のある奴から、部屋をとても不気味がられ、事故物件であることは誰も知らないのに何かを感じるらしく、部屋に誰も立ち寄らなくなり不安になってきていたところ、自分でもバイク事故やケガなどが頻繁に起こってきて、だんだん霊のようなものを感じるようになってきてしまいました。眠れない夜が何日も続いて寝不足から体が熱を持ってフラフラして過ごしていました。今回、先輩の紹介で天光寺の除霊に行きましたが、かなり長い時間を掛けて住職さんにお経を唱えてもらったり霊との対話をしていただき、終わったあとはホッとして身体が軽くなりました。同じ物件に住んでいますが、除霊をしてからは怪我は無いッスね。彼女も出来ました。それからなぜか仕事も入るようになったし、結果的に除霊は良い方向にいったと思っています。今回天光寺を紹介してくれた先輩と、除霊を一生懸命してくれた住職さんには感謝の気持ちです。また何かあったときはお願いします。ありがとうございました。

    歴史好きで休みの度に博物館などを廻ったりしておりますが、先日足を運んだ博物館に置いてある日本人形に話しかけたところ、どうやらその人形の霊がついてきてしまいました。

    自分ではどうすることもできないので先生に除霊をお願いしました。

    私は霊が見えるのですが、見えはしても自分で説得する事は出来ず、霊がつくたびに高尾先生に除霊をお願いしています。実際に除霊の後は自分の感情が戻ってきますから先生のお力にはいつも感服します。霊が体に入ると食欲も自分でコントロールできず、人を裏切ったり平気でするようになります。自分の感情とは裏腹に暴言を吐いたり心がクリアでなくなってしまい、それが霊に操られているという自覚症状もあります。世の中には自分が霊媒体質だとわからず疲れ切ってしまう人が多いので、もっと気付きが広がればいいのにと思います。

    霊媒体質はすごく疲れます。私は最近、先生のもとで修行して自分で霊媒体質をコントロールできるようになりたいとまで思うようになりました。

    でもしばらくは仕事が忙しそうです。

    また相談に乗ってください。

    先生、天光寺のみなさま、今回もお力添えを戴きありがとうございました。

    高校生の娘が、二年生の夏頃から髪の毛を染めたり、服装が派手になり、勉強をまったくしなくなり、親が口を出そうものなら食器を割るなどして暴れる。

    父親は娘に何も言えず頼りなく、私自身も娘の存在で随分苦しめられ、セミナーなど幾つも巡った。どこで知り合った仲間かもわからない誰かと大声で電話をし出掛けていく娘の背中を見送るしかできず更に三学期になり急に自宅から出なくなり、学校も行かない、バイトもしないで家で飲酒を繰り返す。高校の先生にも呼び出され「このままでは卒業もできなくなりますよ」と・・・

    娘がこんな状態であることは祖父祖母にあたる両親にも隠し続けた。救いを求めてネットをみている際に、一度お寺でお祓いでも受けてみようかなと考えた。そして天光寺に申し込んだ。娘は当然この日も一緒に来るわけなく、私ひとりで行った。

    聞くところによるとうちのようなご家庭はたくさんあり、そういった相談は非常に多いそう。そして話していくうちに今住んでいる家に問題があると住職がいった。凄いなと思ったのは、うちの周辺は昔お墓だったらしく、それを住職が見えていたことである。住職に言われ思い出したぐらいでそんなことは忘れていた。住職にお祓いをしてもらい、お札を戴き、住職の言うとおりの供養を行い、一年経ちました。

    娘は先月無事高校を卒業し、4月から大学生。勉強をしていない娘なのでギリギリまで大学も決まらず本人も大変だったと思うが、親としてはあの嵐のような高校時代を思い出すと、ここまで改心したのもお祓いの効果なのではと信じざるを得ない。今年はお礼とお守りを買いにまた天光寺に伺おうと考えている。先生、ありがとうございました。

    二日間お世話になりました。ありがとうございました。今回私が天光寺さんでの修行体験に参加しようと思ったのは、滝に打たれてみたいという軽い気持ちからでした。就職の前に珍しい思い出を作れればいいと思っていました。実際に二日間を終えてみると、良い意味で期待を裏切られたと感じます。滝行だけでなく、声出しや読経お百度参りなど、様々な体験を通して、学ぶ事が多くありました。社会人になるにあたっての心持ちにも変化があったと感じます。

    やはり、最も印象に残ったのは滝行です。もともと、滝行目当てで来たこともあり、非常に楽しみでした。しかし、実際に滝に到着して、水の冷たさを確認して、正直やりたくないという気持ちになりました。滝行はもっと楽で楽しいイメージを勝手に持っていましたが、本当は修行の一つとして行うような、辛く厳しいものであるとそこで気付きました。3分程度入っていられれば上出来という話を伺ったので、3分経ったらすぐ出ちゃえばいいやと言う心持ちで滝行に臨もうと思っていました。しかし、私の順番の一つ前の中学生の男の子が、非常に頑張って、10分という記録を出していました。この姿を見て、私の気持ちは大きく変わりました。自分よりも年下の男の子がとても頑張っている姿に勇気づけられ、年も上の自分が負けていられないと思いました。すぐでてしまえばいいやと言う甘い気持ちを持っていた自分がとても恥ずかしく思えました。気持ちを切り替えて、新記録を出してやろうという気持ちで滝行に臨みました。滝に入ると、今までに感じたことのないくらいの冷たさに襲われました。銭湯の水風呂とは比べ物になりませんでした。早くも心が折れそうになりましたが、先ほどの気持ちを思い出し、我慢しました。滝に打たれている間も諦めようと思ったことが何度かありましたが見ている人達の応援に元気付けられ、またこれで辞めてしまったら社会人になっても頑張らないと自分を奮い立たせて耐えました。10分を過ぎた頃からは、自分に打ち勝ったかのような気持ちになり、滝行が楽に感じるようになりました。

    いくらでも続けられていけそうな余裕が生まれ、自信が出てきました。他人に励まされ、自分に打ち勝つことができ、自分にとって、自信を付けられるような貴重な体験になりました。また、今回の修行で、心に残った言葉があります。DVDを見た時に言っていた言葉で「舞台と役者を演じろ」です。この言葉は来月から社会人になる私にとってもとても為になる言葉でした。大きな企業に入れば人生も上手くいくだろうと思っていました。いわゆる舞台としては整っている状況で、普通に働けば充実した生活を送れると考えていました。しかしあの言葉を聞いたとき、自分の考えは甘かったと気付きました。舞台があっても、自分が舞台に見合う存在にならなければ意味がないのです。「大企業で活躍できる価値のある社員」を目指さなければいけないのです。企業を辞めたとしても、社会で活躍できる人材になれなければ多くの人が活躍できる舞台を演じるための力も付くと思います。この言葉を胸に刻み、新たな気持ちで社会人人生を過ごしていきたいと思います。他にも、ここには書ききれない学びが数多くありました。お寺で過ごすという、日常では体験できないような環境を通し、自分自身が成長できたと感じる点が多くあります。本当に素晴らしい経験が出来ました。最後になりますが、二日間という短い時間でしたが優しく指導していただき有難う御座いました。機会があればまたこれたらいいなと思います。

    一泊二日の体験修行を終えて、今まで素通りで立ちどまって深く考える事のなかった事を改めて考える、興味を持ってみる事の大切さを再認識できた事が今回の一番の学びだった様に思います。

    予想外の天候から始まった修行ですが、お百度参り、滝行はむしろ過酷な天候下だったからこそ修行の辛さ、また、自分の心の弱さを感じる事が出来ました。感謝です。

    修行以外の部分においてはお話しの中にもあった寺の敷居が高くなっていて普段近付きづらいというのは大方当たっていて当方もどこまでフランクに修行が出来るのか案じていた部分が多少ありましたが先生、従業員さんを始めとした皆様に非常に近い距離感で接していただいた事もあり、寺院の存在が今後身近に感じられる様になりました。

    初心忘るべからずとは良く言いますが今回の学び、感じた事を今後の私生活に活かしながら精進したいと思います。

    とは言え人間ですので忘れそうになってしまった際にはまた改めて門を叩かせていただく所存ですのでその折にはよろしくお願いいたします。

    昨日、本日とありがとうございました。

    一泊二日の短い時間でしたが多くのことを教えて頂き誠に有難うございました。

    また四月に希有の降雪という機会を活かし厳しい修行ができたことも大変有意義でした。

    より多くの関わりのある人たちとこのような時間を過ごすことができれば絆が強まるはずなので、次回はチームと共にお世話になります。チーム皆が学び各々が変革の必要性を感じとり、修行後には昨日の自分とは異なる、という意気込みをもって組織全体で前に進むことができるよう私が推進役になります。

    まずは私自身が学んだことを実行に移します。

    また次回お会いする際には前回と異なる姿を見せることができるよう努力致しますので、今後ともご指導、ご鞭撻の程、よろしくお願い致します。

    ホームページを見て、水子供養をしてもらいました。子供をおろしてしまったので。私の金銭的な問題や、計画がまったくできていなかったことが原因です。赤ちゃんの父親は付き合っていたわけでもない関係の人でした。妊娠したことを話したら連絡が取れなくなりました。喜ばれるはずの子供なのに、おろしたいという気持ちしかなく、おろしたい、おろすお金どうしよう、としか考えていなかったです。大きくなる前に一日でも早くおろしたくて。準備がととのって、おろす手術をして、ママにも来てもらい。手術は無事おわりました。けれど、あんなにおろしたかったのに、おろしたらすごく泣けてきて、ごめんねって気持ちになってきて、ママが見兼ねて一緒に水子供養に行こうと言ってくれました。供養してもらっているときにずっと子供にごめんねと 心で唱えました。今回の供養で無事に子供が天国に行ってくれた気がしました。

    本日はお祓いをしていただきありがとうございました。

    主人が本厄の年で、厄払いを勧めてはいたのですが言うことを聞かず、腰を怪我したり、人間ドックで異常数値が出るなどしておりました。

    どのお祓いにも出向かなかった主人が天光寺さんには出向いてくれたので安心しました。

    私も本厄の年には地元の大きな神社での厄払いと、天光寺さんのお祓いを受けましたので、おかげさまで厄年でも資格試験に合格したり、お仕事を再開したりなど良いことばかりの年になりました。夫婦共に高尾住職にお世話になることができ、光栄です。

    今後ともお世話になることがあるかと思いますが、ぜひ末永くよろしくお願いいたします。

    企業研修の三日間天光寺で過ごしましたが、慣れないことばかりでした。

    一日目の夜には風呂場の使い方について注意を受けました。お寺で修行させていただいているという意識が足らず、ホテルのように全てスタッフの方に頼りきっている感覚だったのだと思います。小学校の林間学校を思い出しました。

    この一日目の注意をきっかけに、ろうかや部屋にごみが落ちてないかなど身の回りを特に清潔に保つように気を付けるようになりました。

    お経を読んだり写経、写仏をするのも初めてでした。

    声が枯れるくらい長時間唱え続ける経験は今後あまり無いと思います。

    腹式呼吸法など、お寺で沢山練習したことを生かして、会社に戻ってもお客様に気持ちのいいあいさつができるように心がけたいと思います。

    今回一番のメインであった滝行には、体調の関係で参加することができませんでした。

    正直、研修に来る前は滝行なんて絶対にやりたくないと思っていましたが、いざ滝に打たれている皆を見ていると、参加できないことがすごく悔やまれました。

    すごく体は冷えるし、呼吸もできなくなると皆から聞いたし、見ていて実際しんどそうだと思いましたが、他にプライベートで滝に打たれることは無いと思うので、すごく残念です。

    お百度参りは、最初の方は思っていたより余裕だなと感じていたのですが、走って叫んでの繰り返しはけっこう体力が削がれました。法話で、この修行は住職さんの発案だと聞いておどきました。あれだけ「南無大師遍照金剛」と叫んだので少しでも願の成就に近づくといいなと思います。

    研修に来る前は滝行にしか気が回ってなかったのですが、修行の中で一番しんどかったのはやはり三禮でした。最後の方は崩れ落ちるだけだった気がします。

    「もう少し!」の声から終わりまでがなかなか長くて心が折れました。

    何度か立ち上がれなくなりましたが、最後まで続けようという気持ちになれたのは、周りの皆も必死に三禮をしていたからだと思います。

    本当に体力的に限界でしたが、終わったあとは達成感がありました。

    その後の夕食では、つらいことを一緒に乗りこえたことで団結が生まれたのか、各テーブルいつもより話が盛り上がっていたように思います。

    三日目のヨガは、三禮による筋肉痛が響いてしまいました。

    三禮の直後にやっていたら丁度よく筋肉が伸びて気持ちよかったのかもしれません。

    でもヨガのおかげで気持ちがすごくリラックスできました。

    先生の優しい声もヒーリング効果があったように思います。全員で木やプロペラのポーズをした光景が印象的です。

    法話は、仏様にまつわるお話を聞くものだと思っていたので、天光寺が出来るまでの経緯や住職の人生観も聞けたのは貴重な経験だったと思います。

    私自身ネガティブな考えばかりしがちなので、誓いの言葉全部を守るのは難しくても、二、三個から初めて、実行できることが多くなるよう努力していきたいと思います。

    精進料理は正直自分の想像以上においしかったです。

    でもやっぱりカレーライスにはテンションがあがってしまいました。

    住職の食へのこだわりにとても感謝しています。

    三日間の研修を経て、つらい修行もありましたが、前向きな考え方に切りかえて、培った団結力と共に仕事を頑張りたいと思います。

    私は、正直、この寺修行に行きたくはありませんでした。

    会社の先輩からキツい、つらいと聞いていたので、来る前から気持ちが下がっていました。私は元々人の発言や行動などをとても気にしてしまう性格なので、その部分でも行く気力が無くなり、精神的にも、思考的にもつらい所がありました。

    今回の研修で、同じ新入社員のみんなと二泊三日することを不安に思っていました。

    新入社員とはまだ会ってからまだ数日しかたっていないのに一緒に泊まるのは中々難しい事だと自分は思います。新入社員とどう接していいのかわからなかったので本来の自分を出す事が出来ませんでした。

    それは、自分に自信が無いから、相手と話す事やどこまで踏み込んで良いのかが分からないし、自信が持てませんでした。

    しかし体験した滝行や三禮で団体力が深まった様な気がしました。

    滝行は、最初そんなに寒くないだろうと甘く見ていましたが、いざ入ってみると予想以上に冷たく、滝に打たれると声が出ませんでした。

    後半の方になると声もだせる様になり、みんなの声も聞こえるようになって頑張ろうという気持ちができました。

    終わった後にお坊さんやみんなにおつかれ様と言われて三分間、たえれて良かったなと思えました。

    三禮では、キツいやもう無理だとお経を唱えるだけにしようと何度も思いましたが、お坊さんや友人達が「頑張れ」「もう少しだ」とお経の間に言ってくれたのでとても頼りになれましたし、自分も頑張ろう、自分だけじゃないんだという気持ちを持てたので、一回も座らずに三禮を終える事ができ団体力が深まったと思います。

    今回の研修で物の大切さ食のありがたさが本当に良く分かりました。

    食事の時、食べ物を残すなと小さい頃からよく言われて来たので残すことはありませんでしたが、なぜ残してはいけないのか、誰のことを思って「いただきます」「ご馳走さま」を言っているのか根本的な所を食前、食後のあいさつ、言葉を唱えて食のありがたさや大切さを知ることができました。

    また、私達の体、健康を気づかって料理を作ってくれた先生はとても凄いと思ったし感謝しています。ありがとうございました。

    作ってくれた人に対し、おいしくないやまずい、食べたくないなど言うのは良くないと思いました。

    私は、この研修に来る前までは、ネガティブな発言や自分に対して不になるような事をよく言っていたような気がします。ですが、滝行や三禮、お経を唱えたりして、ネガティブな発言はひかえようと思いました。

    マイナスな発言で病気になったり病んだりする話はとてもタメになりました。マイナスな発言で自分自身の気持ちや思考が落ち込まないように自分が得になる事、前向きな発言をして、健康でいようと思います。

    自分に自信が持てない事があり、人や好きな事から逃げている時がありましたが、少しずつで良いから自分に自信を持って、本当の自分を仲良くない人の前でも出せるようになりたいと思いました。

    好きな事や物も我慢せずに出していこうという気持ち、考えになれました。

    今回の研修はキツいし辛かったけど、自分の考えを改められる研修になりました。

     

    一泊二日の滝行修行を申し込んだ。目的はいくつかある。誕生日前に滝に打たれることで、新たな気持ちで年を迎える。だらけた生活に気合を入れる事。辛い経験をすること。

    最後の目標は、中学時代の野球部の夏連の様な、あの経験の辛さに勝るものはない、そんな経験を得たかった。終わってみて思う事は、主体的に、積極的に滝行を選んで行動を起こした心が立派だったと思う。天光寺に仲間と向かう車中では、笑い混じりながらも「無理だ」「本当に入るのかな」「嫌だ」など後ろ向きなことばかり話していた。実はお百度参りが終わって、滝に向かう時にも同じような言葉を口にしていた。滝行は無事に終わったが、後ろ向きな言葉をやめて「やるぞ」「負けない」などの前向きな言葉を発しながら望めばもっとたやすく滝行を達成できたように思う。これは今後の生活でも同じ。実際に滝に打たれてみて感じた。体験前の想像では、寒い冷たい、そして痛い。この三つの感覚があるとばかり思っていたが意外だったのは息苦しさだった。水に足を浸し神に挨拶をして顔と胸に水をかけ、頭から水をかぶる。サウナの後の水風呂でさえ全身を付けられないほど冷たいのが苦手な自分にとっては、水をかぶった段階で自分を褒めたかった。滝に進める足も意気揚々となる。いける。そう思えたのはものの2~3秒だった。苦しい。冷たい。だが冷たさは想像の範囲内である。苦しい。頭に容赦なく浴びせられる水しぶきのせいか滝の流れのまわりだけ酸素が薄いのか先ほど生まれたばかりの「いける」という期待は滝に蹴落とされていった。息苦しさの為に、唱える御宝号もはっきりと一音一音の発声が叶わない。そんな自分の声を聴いて情けなさを感じる。こんな時でもともに参加している人からどう見られるのかを気にする浅ましさがなおさら情けない。

    いけるのか?いや、もうだめだ。いける。いや、無理だ何度も何度も自分の中で弱い気持ちと強い気持ちがぶつかる。辛すぎる。いや、待てよ。辛い体験を求めてここにやってきたのではないか。予想をはるかに越える辛さではあるが、望み通りのものを得ている。やるしかない。水の中でやっと覚悟を決めた。できることは叫ぶだけ。叫んだら終わった。

    滝行の後、友人は気分を悪くしていた。あの滝に打たれたついでに弱い気持ちを置いてきたような気はする。あれだけの辛いことは、この先出てくることはなかなかないだろう。

    しかし、人は忘れやすい。あの辛さを覚えていられるのはもって1ヶ月だろう。人は無意識をコントロールできない。呼吸、脈動、胃腸の動き。これは勝手に無意識がやってくれることだ。だが、共に無意識は気持ちを損ねる。体調不良になり、生活のうるおいが減る。無意識が上手く働いてくれるような生活をすればいい。運動や整理整頓気持ちをまっさらにすること。自分自身を愛しなさいという教えの中にはきっとこのようなことも意味として含まれているのではないだろうか。1日目の夜は疲れ切っていてすぐに眠りに落ちた。

    2日目の朝は気持ちよく目が覚めた。久しぶりに二度寝をしなかった。爽快で誕生日だということも忘れていた。参加者におめでとうと言ってもらえて思い出したそのくらいだ。

    修行の3つの目的は達成しそうだ。これからの生活をもって達成とする。そうそう、発声は持ち良かったので、どこかのだだっ広い場所でやってみる。

     

    今回、初めての滝行をしたく、1人で来させていただきました。

    滝行やお寺での体験修業を考えたのは、日頃の仕事での人に対する自分の対応のやり方や、大切な家族の妻や2人の子供達に対する、接し方や、しゃべり方、動き方、全てに対して考え直したく、何か考えていた所、天光寺さんを見つけて、1泊2日という短い期間でしたがお願いしました。

    今回は、1人の予定でしたがテレビ局の撮影があり2人で初日を体験させていただきましたが、一緒にやってくれた方がすごく頑張っており、自分よりも年上の方が出来ているのに自分が出来ない事はないとふるい立たせる事が出来ました。それだけでなく、2人でやる事で遅れないようにと頑張って行う事が出来、もし、1人だったらお百度参りが最後まで出来ていたかわからず、相手がいる事の大切さを学びました。

    それ以外にも1つ1つの行動や物事に対して感謝する事の意味や、水や土、草、花、食べ物全て自然の大きさをまのあたりにしました。

    滝行で水に反しないように入るように言われたのに上手に出来ずすぐ頭痛がしてしまい、情けなく思いました。しかし、体験して、すごくスッキリしました。

    何が?と聞かれても正直「コレ!」という答えは言えず、体験してみて初めて理解出来る事かもしれません。

    修行中だけでなく、食事中のお話しや、あい間あい間のお話しもとても参考になり、今後の自分に対して、見つめ直す事が出来たかなと思います。

    マイナスに考えず、プラスに考え、相手が本来伝えたい事を理解する事や、相手に伝える時の言い方や想いやる気持ちをもってやっていこうと思います。

    短い期間でしたがありがとうございました。

    私が、こちらのお寺に修行しに来た理由は2つあります。

    一つ目は、最近生活リズムが崩れ体調が優れないのでそれを改善できたらというのが一つ目の理由です。

    二つ目は、これから仕事で大きな取引があるので気を引き締めるためにも参加させて頂きました。

    修行の内容としては、お百度参りと滝行そして、写経です。

    まず、お百度参りですが想像以上に辛かったです。お経を唱えながら走るとより疲れました。

    ですが、終わった時の爽快感は他では味わえない物でした。普段あまり運動をしないので運動をしてかいた汗は久しぶりで心が洗われました。

    次は、滝行です。滝行をする為にくる方もいるみたいなので少し楽しみにしていました。

    私は生まれて初めて滝を間近で見ました。改めて自然というものについて思い知らされました。

    滝の中に入るとすごい勢いの水で呼吸もままなりませんでした。

    入っていたのは短い時間でしたがとても長い時間いたように感じました。それだけ、自分自身と向き合えたのだと思います。滝行を終えて身が引き締まる思いでした。

    最後は、写経です。筆を持つのは学生の時以来です。墨の匂いが懐かしく感じられました。そんな事を思っていたのもつかの間で集中力はある方だと思っていたのですがお百度参りや滝行の疲れからか眠くなってきてしまいました。

    今回修行にきて、目的だった生活リズムの崩れはお百度参りで走って以来走ることが楽しくなってきて毎朝少しずつ走るようにしたため、改善されました。

    ありがとうございました。

    私はこの寺へきていくつかの学んだ事があり、特に学んだと実感したのは「忍耐」

    の部分についてです。ここへ来る以前の私は、中学生、高校生、大学生といやなものからはとことん逃げてきました。それが最初は、自分がやりたいと思ったとしても。ですが、この寺にきて、まずお経を長時間唱えた時、まず、「足が痛い」「終わらないお仕置き」といった負の感情に捉えられていました。初日のこの場面では企業研修だから最後まで乗り切ろうと思っただけで「苦しみ」などの負の感情は一切ぬぐうことができてはいなかったです。

    私に少し変化が現れたのは、初日の夜写経を行っている時の事でした。その時私は朝早く起きて道中の長旅、重い荷物、一日の修行で疲れがピークまで達しており、猛烈な眠気に襲われていました。このままここで寝てしまおうかとも考えましたが用を足して帰ってきたら不意に頭の中に「こういった極限のギリギリの場面」でこそ頑張るべきなのでは?「それこそが忍耐であり今までないがしろにしてきたものではないのか?」といったことが浮かんできました。私はこの先何をするにしても「ここで耐えられないようでは何もうまくいかない」と思うようになり、正直最初は乗り気でなかったこの寺での新人研修も最後まで真剣に取り組み、何かをつかもうと思うようになっていました。次の日以降忍耐だけでなく、積極的に掃除や食後の片付けと言ったものをやろうと考えました。

    2日目では、特に滝行の際、学べる部分が多いと思いました。冷たい水に足から浸り、その後体、顔に3回水をかけ、最後に頭から水をかぶるのですが、一緒に研修を受ける他社の者も含む仲間たちが頭から冷水をかぶった時私は自然と大きな声を出してその仲間を応援していたのです。今までの間大きい声を出すのが恥ずかしいと思っていました。また、今までそんなに仲間と思っていなかった人間に対して感謝の心などが湧いてきました。そして、同僚に対しては、冷水に顔を付ける様子を見てより強く仲間を励ましたいと思う気持ちになりました。私は、寒いのがものすごく苦手なので、初日の時点で耐えられるか不安でした。これでも最後まで続けず途中でリタイアしてしまおうと考えていました。そんな中、同僚の一人が寒さに震えながらその滝行を最後までやりとげました。その様子を見た私は「これは負けていられないな」と思い苦手を乗り越え、最後までやり切ろうと考えました。しかし、いざ自分の番になり、頭から水をかぶった時「あっこれ無理」と心の中で思い滝に入った時にはもう座る前にリタイアしてしまおうかなと思いが心の中に浮かんでいて、さっそくもう忍耐の心が折れかけていました。しかし、同僚の頑張る姿を思い出して、皆同じことができていたのに私だけ出来ないのは情けないという思いが強く出てきて、また、逃げてきた自分を変えたいという最初の思いが混みあがり大声で叫びながら、なんとか忍耐の心と負けない気持ちで滝行を終えることが出来ました。

    その後、三禮を324回行うという身体を使った大変な行を行ったのですが、私は途中で体力が切れ限界にまで達していました。もう逃げてきたことはこれで辞めようと心に決めていたので、ひざにあざを作りながら最後までやり切りました。私は修行前にこの寺のことを調べてきたのですが、正直ネットの評価はあまり良くはありませんでした。ですが、実際この寺に来てみて住職の法話を聞き、それは間違いであることを思い知らされました。そして、インターネットはそういったものがあふれているという事を知りました。

    社会人生活頑張ります。ありがとうございました。

    私は身体が弱く運動をするたび体調を崩すことが多くありました。中学生の時に剣道部で、練習をして食欲をなくして最後に体をこわすことがあり、それ以来運動をしなくなってしまいました。中学校を卒業した後も剣道をやる機会には恵まれていましたが、また体を壊すのではないかと不安になりなかなか出来ずに今まで来てしまいそれを後悔していました。

    今回寺で行って来た事に滝行、三禮があり自分の体の弱い部分を見つめ直し運動が楽しいともう一度想い起こりました。具体的には、滝行ではまず他社さんや同期よりも早く一番を名乗り出て入る決意をしました。最初ということもあり誰もやっていない恐怖と一番という注目が集まる中、足を一歩踏み入れ冷たい滝の中へと入りました。春先とは言えまた水温は決して高くなく、お経を絶叫するように唱えて打たれ続けました。時間にして一分かそこらの時間でしたが、やり遂げ滝から上がると何か自分の中で成功した達成感が得られました。上がってしばらくするともう一度どこかで滝行をやってみたい気持ちになりました。今思うと体の不調もあと少し達成感が足りていれば続けられたのではないかと少し思いました。三禮は地獄だのなんだの言われるほどきついと聞いていました。実際に行ってみると言われたとおりきつく、屈伸運動に似た動きで普段運動をしていない私には半分行かずにギブアップしてしまいました。しかし周りには300回というとてつもない回数をやりきった人がいて自分もあそこまでやりきりたかった、勝ちたいと思いました。

    私は体を壊した事によって運動をすることが怖くなってしまいました。しかし今回合宿の滝行での達成感、三禮での悔しさが良い経験になりました。運動にチャレンジしたいと思えました。

    会社でもこの感動に似た熱意をぶつけていきたいと思いました。

    天光寺様

    本日はお祓いをいただきありがとうございました。

    主人が本厄の年で、厄払いを勧めてはいたのですが言うことを聞かず、腰を怪我したり、人間ドックで異常数値が出るなどしておりました。

    どのお祓いにも出向かなかった主人が天光寺さんには出向いてくれたので安心しました。

    私も本厄の年には地元の大きな神社での厄払いと、天光寺さんのお祓いを受けましたので、おかげさまで厄年も資格試験に合格したり、お仕事を再開したりなど良いことばかりの年になりました。夫婦共に高尾住職にお世話になることができ、光栄です。

    今後ともお世話になることあるかと思いますが、ぜひ末永くよろしくお願いいたします。

    人生を振り返れば、逃げ出してきたことばかりでした。初日に先生から伺った、自分の人生の主役をやれているかという問いに、私は首を横に振ることしかできず、それまで送ってきた人生の時間を殆ど無為に過ごしていたことを、三日間の修行を通じて心より恥じ入る次第です。夢を追いかける苦難ばかりを見て、自分の力を信じ切れず、努力も充分にできてはいなかった過去から、頂いた教えを通して理解した積極的なマインドを胸に、これからの人生を歩んでいく所存です。

    初日で教えていただいたあいさつの仕方は、これから社会人として人生を歩むに当たって、どこに行くにも必要となるものであり、指先にまで全神経を払うこと、礼をする適切な速度や声の大きさといったことを厳しく御指導いただいたのは、得難い体験であったと思います。また、精神修養としてお経を唱えたことも日常では決して体験できるものではなく、普段運動が不足していることもあって非常に苦しいものでしたが、苦しさの中で次第に痛みなどの雑念が消えて、思考がクリアになっていく感覚はとても新鮮なものでありました。何かに没頭することで余計な不安などがなくなっていくという気付きにもつながるこの修行での経験を元に、これから挑むであろう業務にも、まずは一挙手一投足に至るまで全力で臨み、気付いた頃には自然な所作として余計な力を入れずに業務をこなしているような、そういう人材になってみせます。そのために、日々精進を重ねてゆく次第です。

    二日目は、大きな後悔が残った一日でした。なぜならば、滝行を最後までやり遂げることができず、途中で音を上げてしまったからです。元々、すぐに逃げる自分を変えたいという願望を持って修行に臨んだものの、そうした悪い自分を捨てることができず、変わるための場においても同じことを繰り返してしまったというのは非常に恥ずかしく、ただ反省するばかりです。

    しかしながら、学ぶことも同時に多くあった一日でもあることもまた確かです。一念岩をも通すという先人の言葉の通り、強く意志を持って挑む御百度参りや、私は恥ずかしながら最後までやり遂げることができませんでしたが、大自然という空間に身を置き、冷水に身を浸すという苦境に自ら身を置いて金剛大師の御名を一心に唱えることで、何かこの世に満ちる大いなる意志の一端に指先が触れたような感覚が一瞬胸の中から湧き起こってきたのが不思議でこそありましたが、身も心も洗われたような感覚でもありました。

    三禮は非常にハードで、忘れられない体験になったと思います。やはり普段から運動をすることの大切さを実感すると同時に、足をつりそうになりながらも精一杯やれたことは一つ、大きな達成感を得られたと思います。しかしながら、途中で止まってしまったことには大きな後悔が残ったため、今度に備えてこれからは身体を鍛えていかねばならないと痛切に実感いたしました。今後、努力していきます。

    三日目で最大の印象に残ったことはやはり先生の法話です。真言宗という宗派の成り立ちから宗教観に生の言葉で触れることができたのは非常に感慨深く、御自身のサクセスストーリーから得た人生に重要な考え方は、私の人生観を大きく揺さぶるものであったと感じています。冒頭の通り私は自分の夢からも逃げて、何となくで人生を送ってきたような人間でした。だからこそ、今日に至るまで後悔という後悔ばかりを積み重ねており、まさしく「負け犬」と呼ぶに相応しい人生であったと思っております。だからこそ、法話を通して思い至ったことは人生を取り戻したい、自分という主人公になりたいというもの一心であり、その為にはこれから、今までネガティヴなことばかりを考えていた自分を捨てて、積極的に「これからの夢」を追いかけていこうと思います。貴重なお話をいただき、本当に感謝の念が尽きません。

    この三日間の修行を無事に終えられたのは、決して自分一人の力ではなく、同期の仲間や他社の人々とも力を合わせられたことが非常に大きいと思っています。共同作業や修行を通して、人との関係性の大事さを実感できたこともまた、大きな気付きであり、得られた成果の一つです。三日間を通して学んだことと得たものを活かし、まだまだ半人前ではありますが、明日からの業務に全力で挑んでまいります。

    私は天光寺で二泊三日の企業研修を終えて、三日間のなかで行った事が全て初めての経験でとても印象に残っており、沢山のことを学ぶことが出来たと思っています。

    今回の研修は、正直もう少し楽なのではないかと思いながら天光寺に行きましたが、実際は思っていた何倍も辛い修行で、一日目は早く帰りたいとばかり考えてしまい、とても消極的だったと思います。

    正座は長い時間行い、足がしびれて、もうやめたいと思い、周りの方をみたら全員辛そうにしていたので、もっと頑張らなきゃと最後まで続けることが出来ました。

    その時に一緒に頑張ると、一人でやるよりも続けられると考えました。これから辛いことは沢山起こると思いますが、今回の研修のことを思い出すとやりきれると思います。

    企業研修では3社合同で行いましたが、私の会社は女性が一人で最初はとても不安でしたが、他の会社の方に声をかけ、仲良くなれたので良かったです。

    私が今回の研修で一番心に残っていることは滝行です。

    滝行をやったこともなし、まだ寒いのに本当にやるのかと思いましたが、滝行を行う直前で、「もうやるしかない」と思い、水に入ってみたら予想していたよりも冷たくて痛かったです。

    滝に打たれると、口の中にも水が入り、息をすることも難しかったです。

    水の中に入ってしばらくすると、冷たさも感じなくなり、ただひたすら痛かったです。

    しかし、途中で終わりたくなかったので、何も考えないように心を無にしていました。終わった後にはやり切ったという達成感が強く、自信がつきました。

    三禮では、最後まで頑張ろうと思い行いましたが、途中で何回か休んでしまい、悔しかったです。途中休んでもう一度やろうと思い続けられましたが、全てやりきりたかったので、本当に悔しかったです。

    このような体験を通じて、忍耐を培うことができたのではないかと考えています。

    これから色々なことがあるけれども、以前よりもこなしたりやり切ることが出来る自信があります。

    住職の講話を聞いて、自分をもっと愛するとこれからの考え方、周りへの見方が変わると思い、自分を愛そうと心がけるようにします。

    また、自分だけができること、自分が誰にも負けないことが私にはまだないので、これから様々なことに自分から積極的に取り組み、見つけていきたいです。

    今回、二泊三日の研修でたくさんの修行をしましたが、どの修行もそれぞれ行う意味が込められていると思いました。

    私は社会人としても、人としても成長できたと感じています。

    普段できないことばかりでとても良い経験になりました。ありがとうございました。

    高尾先生、先日は貴重なお時間を割いていただきありがとうございました。

    気分的に今は随分楽になりました。

     

    私の仕事は葬儀屋です。

    色々な状態のご遺体を拝見します。

    中にはすさまじい状態のご遺体もありますし、現代は孤独死というものが非常に多く、綺麗な状態のご遺体ばかりではありません。

    我々はそういったご遺体のご遺族に寄り添い、どんな状態からでも綺麗にご遺族に返すということが仕事であり、私もそれなりにプライドを持って取り組んでいます。

    仕事に誇りは持っていますがやはり時に自身のメンタルバランスを崩す時期があります。

    そういったときの駆け込み寺が天光寺です。

     

    今回も少しショックな状態が続いたので

    精神的に落ち込んでしまい天光寺へ。

    お祓いを受けると随分、気持ちが変ってきます。

    また、時期を見て申込みしますので宜しくお願いします。

    昨年の夏に結婚し、新婚旅行先のサイパンで妻が心霊現象のようなものにあい、気になったのでお祓いをお願いしました。私自身霊感がまったくないのですが、妻に霊感があるらしく、宿泊先のホテルでたくさんの男の幽霊に体を触られたなどと言い出し、妻の怯えようを見ていたらただごとじゃないなと・・・。会社の同僚から勧められて天光寺へ来ました。お祓いが始まり身を清められる思いでした。時間があっという間に経ってしまいました。僕らふたりだけに向けられた丁寧なお祓いで妻も安心した様子でした。終わって妻の笑顔がひさしぶりに見られたので安心しました。楽しいはずの新婚旅行の思い出話が霊体験によってタブーになりかけていたので、今日は来れて良かったです。住職の話もいろいろ聞けて勉強になりました。天光寺を教えてくれた会社の同僚にも感謝を込めて。今日はどうもありがとうございました。

    二泊三日の修行体験をしてみて、感じたこと、考えたことが主に二つある。

    一つは、自分自身と己との付き合い方について、もう一つが仏教の道徳的指南のすごさだ。

    まず、自分自身との付きあい方について。これは、自分を客観視して弱さを見つけた際にどうするか、ということだ。長年、私は度を過ぎた我慢をし、頑張り過ぎてしまう傾向にあった。例えば、自分が感じているストレスに気がつかないまま何かをやり続けてしまったり、様々な場面で本当の自分を出さずに場を取り繕ってしまったりだ。

    最近になって自分を客観視したり、セルフコンパッションについて考えたりできるようになり、そこで、自分のストレスや負の感情とどう向き合うかが大きな課題になっていた。

    今回、修行を通じて、まずは自分自身の弱さ、感情をしっかりと認識することと、気長に精神を続けようという心持ちが大切だと痛感した。自らの負の感情も自己の一部であるため、無視をしてはいけない。しかし、それによって悲観したり、それを一瞬で直そうとりきんでも本末転倒である。変化は長期的に訪れるものだ。

    今回経験した行も想像以上に長く、辛いと思うことが幾度もあった。しかし、それはそういうもの、と捉え、あくまでも前向きに生きる心と向上心を持ち続けること、それが大切だと実感した。

    しかし、どんなに前向きに生きようと思っても何が「良い」のか分からなければ元も子もない。向かう先が分からなければ進みようがないからだ。

    私はここに来る前、自分の道徳的根幹をどこに見出すかで悩んできた。今回の修行で、仏教から私が学べることはたくさんあるようだ、と認識できた。

    滞在期間中、仏教について様々な話を聞かせて頂いた。中でも心に残っているのが、六道と精神の話だ。どこまで何を信じるかはさておき、仏教は人と人の関り方を円満にし、互いを思いやる心を育てるのだ、ということを再確認した。

    私は、自分の人生の中で、建設的な存在でありたいし、建設的な関係を他人と築きたいと思っている。仏教はその礎になり有るものだと学んだので、これから先もより深く、仏教の語る生き方について学びたい。

    他にも、考えたこと、学んだことは色々ある。

    瞑想では度々訪れる空の瞬間とそこに入り込む雑念を経験できたし、滝行でも普段は見えない自分の恐れや弱さを見ることができた。

    何より、一般的に「質素」といわれる寺院での生活でも自身が満足していたことが自分でも印象に残っている。これが「知足」なのか、と少しだけ世界を理解できた気がした。

    最後に、そんな小さいことに気がつくために寺院まで足を運ばなければならない自分の未熟さに反省の念を込め、今回の滞在と日々の生活に感謝をここに表したい。

     

    私が、こちらのお寺に修行しに来た理由は2つあります。

    一つ目は、最近生活リズムが崩れ体調が優れないのでそれを改善できたらというのが一つ目の理由です。

    二つ目は、これから仕事で大きな取引があるので気を引き締めるためにも参加させて頂きました。

    修行の内容としては、お百度参りと滝行そして、写経です。

    まず、お百度参りですが想像以上に辛かったです。お経を唱えながら走ると通常よりも疲れました。

    ですが、終わった時の爽快感は他では味わえない物でした。普段あまり運動をしないので運動をしてかいた汗は久しぶりで心が洗われました。

    次は、滝行です。滝行をする為にくる方もいるみたいなので少し楽しみにしていました。

    私は生まれて初めて滝を間近で見ました。改めて自然というものについて思い知らされました。

    滝の中に入るとすごい勢いの水で呼吸もままなりませんでした。

    入っていたのは短い時間でしたがとても長い時間いたように感じました。それだけ、自分自身と向き合えたのだと思います。滝行を終えて身が引き締まる思いでした。

    最後は、写経です。筆を持つのは学生の時以来です。墨の匂いが懐かしく感じられました。そんな事を思っていたのもつかの間集中力はある方だと思っていたのですがお百度参りや滝行の疲れからか眠くなってきてしまいました。

    今回修行にきて、目的だった生活リズムの崩れはお百度参りで走って以来走ることが楽しくなってきて毎朝少しずつ走るようにしたため、改善されました。

    ありがとうございました。

    中学3年生になろうとしている息子が小学校から勉強嫌いでしないので結果、後から本人から聞いた話ですが音読の授業の時にバカにされそれがきっかけ?となったかで、学校もたまに休んだりして、中学生になり、勉強も難しくなり嫌な授業や気分が悪くなり保健室に行ったりしていたので友達もそれがおもしろくないらしく、いやみや悪口になり、中学1年生後半から不登校になりました。

    親としては、学校に行くように無理に言うと逆に無気力になり、俺はどうでもいいんだというような状態でした。

    家は古い為、子供部屋というのがなく、仕切もなく、部屋の角が居場所でしたが、家にいるから勉強しろと言っても自分自身ではやる気がないようでした。

    元気を出してもらおうとおばあちゃんがゲームを買ってやったのはいいんですが、勉強するからとの約束でしたが、それもまた悪いほうにゲームに夢中で今度は昼と夜逆の生活になってしまいました。

    学校の先生方も心配して家に来てくれたりしてました。学校の方でも不登校の子達が集まる学校の話で2年生の中頃から少しづつ行くようになりましたが、相変わらずぐだぐだの生活でしたが、本人も気持ちの面で良くなりはじめ3年生には学校に戻る気持ちがでてきたのですが、親として行く前に生活面や態度を見直してほしいので、インターネットで滝行のサイトで天光寺さんのことをしり、申し込みました。

    子供には言えば絶対行かないのが分かっていたので、当日までは言わす、ヒヤヒヤでした。

    寺に着き、息子は何?と言い、初めて体験修行とつたえました。

    2人だけと思っていたんですが、後から8名の人達と一緒になったので息子もあまり団体行動は苦手だったんですが、声を出す練習など、滝行でも他の方達にかけ声をかけたり、本人も頑張りました。

    息子より楽勝と思っていた滝行は思いのほか全然だめでした。自分自身の修行にもなりました。

    お寺の方を息子がとても気にいっていたので、少しホームシックになったりした時は大変助かりました。息子が元気になり朝を迎えたのですが、先生の話はとてもまとついた言葉でありがたかったのですが、また本人はへこみ、やばいと思ったときにお寺の方に助けの息子へのアドバイスをしてもらいまたまた助かり、息子も先生に自分の気持ちを言ったらしく最初と違い先生もやさしく接していただきありがたかったです。

    自分も今後は滝行にかみさんも連れて家族でまた来たいと思います。

    ありがとうございました。

    天光寺さん、先日は除霊をしていただきありがとうございました。

    霊の存在など信じなかった私ですが、除霊後あきらかに違いを感じています。

    これは、霊というものが本当に存在していたためなのでしょうか。

    こちらの文章は天光寺さんに宛てた感想文になります。HP上で紹介していただくことを前提として書いておりますので、私がなぜ天光寺まで除霊に行ったのか経緯を説明したいと思います。

    私は病院に勤務する看護師なのですが、勤務中に不思議な出来事がたくさんありました。

    例えば、夜勤中にエレベーターに乗った際、押していないはずの地下までエレベーターが勝手に降りてしまう、誰もいない部屋からコールが鳴る、巡回中に人の足だけが見えてしまう・・・などです。

    最初は自分の疲れが原因かと思いましたが、女性社会である看護師という職業柄、気軽に誰かに打ち明けるということも出来ず一人で悩む毎日でした。(私は男性です)

    日常的に霊現象のようなことが起き続け、慣れることのない日々に悩んでしまい、

    毎日就寝前にはインターネットで検索し、除霊の事を調べ倒しました。

    東京都に檜原村というところが存在し、天光寺がある事を知ってからはわりとすぐに除霊の予約を電話でしました。

    インターネットを使って探す限り除霊で有名なのは東京では天光寺ぐらいしか見つからなかったので、思い切って申し込みをし、日程が決まり、小旅行の感覚で檜原村まで行きました。

    当日は除霊の部屋に呼ばれ、住職の除霊が始まり、時間にして2時間ほど掛かりました。

    除霊中はなぜか涙が止まらないという不思議な現象が起きました。

    住職いわく、亡くなった患者の霊が入っていたという事でした。

    確かに住職が言われたその時期に心疾患で急死した患者がいました。当たっています。

    不思議なことに、除霊以来自分を悩ませていた霊現象が一切起こらなくなりました。

    私の場合は除霊ももちろんですが、久しぶりに大都会から出て田舎の綺麗な空気を吸ったのでそれも大きなリフレッシュになったと思います。

    霊が入りやすい体質とのことで今後も病院勤務という職業柄、こういったことが起きてしまう可能性もあるのかなと考えると辛いところもありますが、

    また精神的に追い詰められてしまうおかしな事に遭遇したときには檜原村まで天光寺を訪ねて行こうかと思っております。

    この度は住職はじめ天光寺の皆さんのお世話になり心より感謝申し上げます。

    住職もお忙しいところかと思いますがお体を壊さぬようお勤めを頑張っていただきたく思います。

    ありがとうございました。

    引きこもりになってから半年間、外に出るのが本当に怖くて、駐輪場で自転車にまたがったら怖くてまた家の中に戻ってしまって、大量の汗をかいていて。

    お母さんは癌になって、お父さんは脳梗塞で、

    弟は自殺未遂して、私は高校でいじめに遭うようになって

    絶対に家に何かいる、呪われてると思った。

    高校では年下の男子からは背中を殴られた。だから通信制に転校した。

    お婆ちゃんに相談して、車で近いので天光寺に除霊に行った。

    バイトでお金貯めて、そのお金で除霊をした。

    天光寺に行き「これで呪いから解放される」と思ったら元気になった。あと、芸能人とかいっぱい来てるお寺だからすごいと思ったし、写真がたくさんあって元気をもらった。

    除霊は真剣な感じで始まり、自分の中に入ってる呪いが抜けていく感覚を感じた。

    高校生ひとりで除霊なんてする人あんまり居ないと思ったら意外とそんな子も来るみたいでびっくりした。

    除霊のあとはよく寝れるようになったし、よく笑うようになったと家族に言われる。

    私が元気でよく笑うことになったことでたぶんお母さんもお父さんも明るくなった。

    癌や脳梗塞でも今は長生きできる時代だし、治ると明るく考えられるようになったし、弟も元気になった。

    霊が出て行ったのかなぁと思う。

    高尾先生、これからもお坊さんのお仕事がんばってください。

    私も通信制の学校と、あと、自分でやりたい道も見つけました。

    アロマセラピストになりたい。

    私がこれから自分の夢に向かってるときにまた家族に不幸ばかりが起きたときや、

    また幽霊に憑りつかれたときは除霊してください。よろしくおねがいします。

    二日間の合宿を終え、沢山のありがたみを学ぶことが出来た。

    まず時間。通常の生活リズムとは違うイレギュラーな共同生活を送り己の甘さやいいかげんさを痛感した。普段一人で生活しているとやはり一番おろそかになる食事や風呂、トイレなど常に自分のリズムで生きている。

    当たり前の事だが、このような事に目を向け行動を思い返しているのはこの合宿があったからこそ。一人暮らしの中でもルールを決め毎日おこたらず続けていきたいと思った。

    そして集中力。自分の弱点として上げていた物事に対する集中。苦手な訳では無いが好きでなく飽きやすい。

    二日通して全てにおいて集中して生活をすると自己課題も組みトライしてみたが、中々むずかしく、いらぬ事を考えてしまった。

    修行中は一つ一つ集中を心がけ厳しい中、必死に食らいついてみるも、達成感は味わい深いものがあり心身共に辛い内容だった事に対する諦めない気持ちは懐かしい物であり、今の自分に足りていない一つであると再確認した。

    普段、どれだけ楽で自由な生活をしていたのかがよく分かり、もう少し己に厳しさを必要としてよいのではないかと感じた。

    仕事の仕方。食事の仕方。休日の過ごし方。見直すべき点を沢山学んだ。

    今までいつの間にか忘れてしまっていた当たり前の感謝の気持ち。敬う気持ち。何事にも常に感謝することを大切に、今からでも考え方、人との会話、仕事に対する意識、自分への厳しさを見つめ直し、より人間らしさのある生き方。人生を考え行動にうつしていきたいと思う。

    二日間、沢山の学びをありがとうございました。感謝しております。

    自分の人生の中でお寺で修行をするとは思ってもみませんでしたが、とても良い体験をさせていただきました。

    沢山の恵みに感謝を忘れず、常に生きていかねばいけないなと心から考えた。

    野菜メインの食事が初めてであり、最初はビックリした。しかし工夫が素晴らしくどれも本当に美味しくビックリした。

    風呂場で温かい湯につかったときにも感激が止まらず、寒い中滝に打たれた意味がここにも一つあった。これらの気持ちを常に忘れず心の中で活かし、今後の仕事、生活面、人間関係等の中で意識して行動していくことが大切だと心から学ぶことができた。

    親や学校、仕事場では学ぶことが出来ない体験が出来、一生忘れない心と気持ちを手に入れた。

    人間としてすべき事、出来ることを沢山考え、沢山行動し、良かったと思える人生にしていきたいと思う。

    この二日間、本当にありがとうございました。

    今回、天光寺さんの企業研修を受けて感じた事は、大きく2つあります。

    一つは仲間という存在の大きさです。なぜかというと、私は今回天光寺さんでこの企業研修を受けるのが二回目であり、前回と今回では違うことも多かったからです。

    特に違ったのは、一緒に参加した方との関係性や人数の違いです。前回は、年の近い同期や先輩と合計12名で参加しており、それに比べ今回は、10歳以上年の離れた方々でまだ出会って2ヶ月程の人たちとの参加でした。

    お百度参りや滝行、三禮など2度目でも正直、しんどかったです。

    それでも辛い時、頭に思い浮かんだのは、前回ともに二泊三日を乗り切った同期の姿です。励まし合うだけでなく時には指摘し合った事で、より一体感を生むことの出来た一回目に比べ、自分より年上しかいない状況に戸惑っていました。そういった事も含め今後、慣れない場面や困った時は、同期の良いところや辛かったけど乗りこえられた事を胸にしまっておけば「一人ではない」という自信もつきます。

    なので前回も今回も一緒に参加した方を味方かつライバルとして大切にすると改めて決めました。

    次に2つ目の感じたことですが、行動の理由などについてです。

    一回目の時は何をするかも分からず指示されや事をこなしていただけだったと、今では思います。

    それに比べて今回は、一度経験しているからこそ行う事の意味を考えながら参加していました。正直最初のほうは中途の人より声を出そう、とかテキパキ動こうとか自分にしかベクトルは向いていませんでした。しかし、人の為という事を意識してからは、中途の方も緊張しているだろうしひっぱっていくため誰よりも大きい声を出したり、と意識が変わりました。

    意識が変わると自然と行動や表情が変わる事に気づきました。

    何より人の為を思って起こす行動はとにかく楽しいです。

    ただ、自己満足で喜んでいては何も意味がありません。

    数値で見える結果は出づらいのが現実ですが、自分が誰かの為に動いて、相手の行動や思考に影響を与えて初めて結果につながったと言えます。

    一番いいのは相手も他人を想い、他人の為に動けるようになるのが希望なので、まずは自分から与えていきます。

    最後に今後自分の行動を変えていくなかで一番意識することを宣言します。

    当たり前の事かもしれないけど不平不満を言う暇があったら努力する時間に変えるということです。ストレスを溜めるのは良くないけど、努力せず何も変わらなかったらその後何倍ものストレスになる事は間違いないからです。

    また、今の自分があるのは過去の人含め、出会った人たち(家族、同期、上司、お客様など)のおかげという事を忘れず、常に感謝の意をもちます。

    一人で大きくなるのではなく、周囲の人と支え合い、協力し合い、助け合いながら大きくなっていきます。

    前回インターンも受ける前で、お客様へお礼の手紙やハガキを送る事やあいさつの丁寧さがどれほど影響するのかハッキリとイメージはついていませんでした。しかし今回は、もう一人で営業に行くようになったことからも、あいさつやお礼などの気づかいの大切さをより感じたので、当たり前になって作業化しないよう意識し、どうすれば注文につながるのかつきつめて自分自身のこだわりを持ち三月残りの稼働日の過ごし方を見直していきます。

    正直なところ目標に今だ届いていない事に焦りを感じていますが、それで頭がいっぱいになるとそれこそダメになっていく一方なのでそうゆう時こそ落ち着かせるために腹式呼吸をしたり合計324回行った三禮を思いだしていきます。

    今回、一泊二日の企業研修に参加させていただきました。

    日常の中では全く経験することのできない体験やお話を聞く事ができ、とても充実した二日間でした。

    初めは緊張と不安しかなかったのですが、本当にこのような素敵な経験のきっかけをくれた会社や様々な経験をさせていただいた天光寺の皆様には、大変感謝しております。

    有難うございました。

    初日に先生が「何のためにうまれてきたと思う?」と聞かれた時、私が当てられた訳ではなかったのですが考えたことのない質問で答えがわかりませんでした。

    「幸せになるためだよ」と言われた事がとても印象的でした。

    確かに当たり前に産まれてきて、今までおよそ三十三年間その時その時で目標や志しは持ってきましたが、自分が何のためにうまれてきたのかという事を考えたりした事はありませんでした。

    ただその時その時の状況に応じて目標を定め生活してくる事しかしてこなかったので、今後は【幸せになるためには…】というのをしっかりと踏まえて行動や物事を考えていこうと実感する事ができました。

    また、初日は他にも”お百度参り”や”滝行”、”三禮”、”写経”を主に行いました。

    どれも初めての経験で緊張しましたが、特に“お百度参り”、“滝行”、“三禮”は体験したくてもなかなかできない体験で私にとってとても重要な出来事になりました。

    お百度参りは、ただ往復するだけのものだと今まで思っていましたが、「南無大師遍照金剛」と唱えながら行いました。

    今まで法事やお葬式等で何度も聞いてきたお経ですが何となく聞き唱えてきただけで正直の所、意味があるとも思っていませんでした。

    これからお経を目にする時は、しっかりと一つ一つの言葉を考え意識して読んだり唱えたりしてまいります。

    “滝行”は思ったよりも頑張れたようなまだまだ足りなかったようなそんな想いが残りました。ですが、行くまでは「きっとすぐ出てしまうんだろうな…」と寒さですでにふるえていた事もあり思ってしまっていましたが、実際に始まると他の皆さんも頑張っているのに自分だけ甘えていてはダメだと、自分を奮起することができました。その割には自分で覚悟していた時間よりも早い段階で出てしまったのがとても悔しいですが、終わった後は今まで経験した事のないくらいスッキリした気持ちになる事ができました。

    本当に本当に寒くて「なぜこの時期に…」とも思いましたが、四人と滝行のみ参加しに来た方たちとふるえながら声をかけあって行えた事で、自分も強くなれたし、とても打ち解けられたような気がしました。

    “三禮”はただただ“無”で行いました。

    初めての動きだけではなく声を出しながらというのがとてもハードでしたが終わった時には、ただただ達成感でした。

    “写経”もいつかはしてみたいと思いつつなかなか機会がなくてできなかった事の一つでした。想像していた何倍も気力を使い、難しかったですが一生懸命にできました。

    二日目に行った“写仏”はそのような事があるとも知らなかったので興味深く取り組めました。私は不動明王を描いたのですが、叔母が難病と闘っているので“戦勝”、“悪魔退散”、“厄除災難”のご利益があるとの事なので、叔母がしっかりと病気という悪魔と闘って勝ってもらえるように渡したいと思いました。

    最後になりましたが、この一泊二日の天光寺で行った企業研修での貴重な経験をさせていただいた会社の皆さん、天光寺の皆様に心より感謝申しあげます。

    二日間本当に有難うございました。

    私は今回滝行という言葉に惹かれてこちらのお寺に体験修行を申し込みました。

    流れとしては、お百度参りをして次に滝行をする、半日で体験できるものにしました。

    まず、お百度参りをしました。お百度参りはお経を唱えながら短い距離を100回往復するものです。始める前は、最後までやり切る自信はありませんでした。しばらく運動をしていない為まだ数回も往復していないのにばててきました。そして、途中で辞めようかなと思っていると住職さんから「諦めるな。ゆっくりでいいからやり遂げよう」と声を掛けて頂きました。そこで、私は今までの自分の生き方を振り返りました。今までは嫌なことがあったらすぐに目をそらしてその問題から逃げ続けてきました。ですが、そんな自分を変えられるチャンスだと思いました。そして、重い足を上げてなんとかゴールしました。不思議とあまり疲れを感じませんでした。こんなに綺麗な汗をかいたのも久しぶりでした。汗のせいか分かりませんが自分の見ている景色がより美しく見えました。こんな気持ちになるのは初めてでした。

    次は、滝行です。私は今まで滝というものを生で見たことがありません。それを除いても、とてもすごい迫力でした。私は、滝行をメインに来たのですがやらずに帰ろうという考えが脳裏をよぎりました。ですが、先ほどの出来事を思い出し挑戦してみようと思いました。

    いざ滝に入ってみるとすごい水の勢いで息をするので精一杯でお経を唱えることはできませんでした。ですが、お経を唱えることに挑戦してみることにしました。挑戦してみたところ成功とは言い難いのですが挑戦する精神が大事だと住職さんも言ってくださいました。

    最後は何とかやりきることができました。サポートを受けながらもやり切れたことに満足しています。いい経験になりました。

    最近誰かの視線を感じるようになったり寝ている時に誰かに引っ張られるような感覚を覚えたり霊的なものは信じていないのですが明らかにおかしいので占い的なもので見てもらったところ霊が憑りついていると言われました。

    私は、そんなものは信じていないので気のせいだろうと思いしばらく過ごしていました。ですがある日、信号を待っている途中に誰かに背中を押され危うく車にひかれるところでした。後ろを見たところ誰もおらずゾッとしました。

    それからだんだんと怖くなって色々と調べていく内にこちらのお寺にたどり着きました。

    霊が憑りついた場所は心当たりがあって前に心霊スポットを訪れた際そこにあった物を落として壊してしまいました。住職さんはそれが原因かもしれないと仰っていました。

    早速、お祓いをして頂きました。お祓い中は、記憶がなく気付いた時にはすでにお祓いが終わっていました。

    それからは、特に以前のような現象が起きることもなく普通に過ごせています。これからは、面白半分で心霊スポットやそのような場所には立ちいらないようにしようと思いました。

    私の周りには霊を信じていない人が多いので本当にいるとは思いませんでした。お祓いして頂きありがとうございました。

    私が、霊かなにかに憑りつかれていると初めて感じたのは、3カ月前のことでした。

    なぜ霊に憑りつかれているのかと感じたのかというと、夜寝ていると金縛りに遭ったり物音がしたり、ひどい肩こりに悩まされていたりしたからです。最近では、怖くてあまり寝ることが出来ず学校での勉強に支障をきたしています。原因には心当たりがあって、今住んでいる部屋が事故物件でおそらくそのせいだと思っています。

    そのことを両親に相談したところ天光寺さんを紹介されました。

    早速連絡を取りすぐに伺いました。

    お寺に入るとまず録音されたお経を聞きました。こんなもので効果はあるのかと思っていたのですがきちんと聞いてくれて肩が軽くなったような感じがしました。

    霊が憑いた経緯を説明すると住職さんがお経の入ったCDを部屋で流せばいなくなるとのことだったので早速家に帰り、CDを流しました。途中で大きな物音がしましたがそれ以降は今までのような現象が起きることはありませんでした。

    今は快適に過ごせています。ありがとうございました。

    自分の人生でお寺で修行をする日が来るとは思ってもいませんでした。

    来る前は楽しみであり、やり遂げることができるかとても不安でした。

    いざ修行が始まると、教えてくれる方は優しく丁寧に教えてくださり、

    挨拶の作法では、無意識を意識することの大切さを教えていただきました。

    また、更に動作に余裕を持たせることで、相手に誠意も伝わる事を教えていただきました。

    つい急いでしまう事があるので、お客様の御案内時や、電話に出る時も、心に留め置き、丁寧な対応を心掛けていこうと思いました。

    体力的に一番不安のあったお百度参りは、走り切りましたが、天気の都合で時間が短かったと聞き、やり遂げたと言えない気がしています。

    滝行では、お百度参りで足が上がらず、ころびそうになったりしましたが、周りの方々に助けてもらいつつ、声を掛けてもらい、無事にたどり着く事ができました。

    この時、一体感が生まれた様に感じました。

    メインの滝行は二番目に入りましたが、入る前は滝を前に不安しか無く、やり遂げられるだろうかという気持ちでいっぱいでした。

    いざ入ってみると、水は冷たかったですが、意外と平気で息もでき、

    座る様言われた後も平気で出るタイミングがわかりませんでした。

    そういう雑念もありましたが、寒いと思わず無心になれていたと思います。

    上がった後は震えが止まりませんでしたが、滝から上がる際には、また周りの方々が「すべるから気をつけて」など声を掛けてくれ、また手を引いてくれて、とてもあたたかい気持ちになりました。

    着替えて滝に戻った後も震えは止まりませんでしたが、応援で南無大師遍照金剛を唱え、まだ滝に入ってない方達を見守りました。皆、戸惑う事無く水に入って行き、真剣さが伝わってきました。

    帰りも震えていましたが、皆で声を掛け合い、助け合いつつ戻り、半日体験の方達とも一体感を持てた様に感じました。

    戻って時間を置いた後の三禮は、言葉と動作で、途中わからなくなりましたが、自分の立ち位置が仏様のほぼ正面で行う事が出来、体がついて行かず、途中でひざがくずれそうになりましたが、やり遂げる事が出来ました。こんなに汗をかいたのは本当に久しぶりでした。

    今回、こんなにも貴重な体験をさせていただき、天光寺という新しい縁を結んでいただき、感謝致します。ありがとうございました。

    一番体験修行の中で大きかったことは、三禮を108セットやり切れたことです。途中から頭がクリアになっていき、三回ずつの回数が意識して数えられるようになってきました。自分ではあと何回と数えることはできませんでしたが、気付いたら終わっていたのでもしかしたら意外と根性があるのではないかと自信になりました。三禮が終わった時にロウソクのロウが見たこともない形になっていたり大きい炎になっていたり驚きが多く不思議な事や目に見えないものはちゃんとあるのだなと思いました。

    また朝に掃除をして仏様のお水を交換するお仕事も、毎日の日課として生活を規則正しくしているとわかり、自分も生活のリズムやルーティンを大切にしたら良い暮らしができるのではないかなと思いました。

    自分の性格で、人と比べてしまって物事の実行が遅いことに自分自身がいら立ってしまう・・・と相談した時には、まずは人と比べないと成長はないから比べることも大切と教えて頂きました。また人は執着しすぎるから怒るというプロセスを知り、自分が何にとらわれているかをわかることが大切と教えてもらったことがとても心に残りました。

    社会に出る前に自分とちゃんと向き合おう、と思って修行に来てみて正解だったなと思いました。自律した人間になりたいという気持ちで来たので、その気持ちを四月からも自分を律することが出来るように今後も精進したいです。

    二日間ありがとうございました。

    今回の参加は二回目になりますが、前回と同じくとても良い経験になりました。

    今回は私の姉とその彼氏の三人で参加させていただきましたが、二人とも喜んで満足してくれたみたいで、私も嬉しく思います。

    今、感想文を書いている時の私の精神はとても元気になりました。というのも、参加するのは一月から決まっていたのですが、ここ最近は精神が不安定だったからです。

    特に過食、寝不足、仕事が出来ないことを会社の人に病気ではないか?と言われてから、

    一週間いろんな事をネットで調べて、自分はADHDという発達障害なのではないかと疑うようになりました。

    それからというもの仕事でミスをしたり、家が片付けられない、過食をしてしまうのもADHDのせいだ、と無意識に思うようになってしまいました。

    その結果、自分の行動を全てADHDの責任にしてしまい、改善しようとする意欲がなくなり、気持ちが落ち込んでいきました。

    自分では何が正しいのか分からなくなり、精神科の病院に行くと、うつの症状が少しあると判断されました。私生活に支障をきたすような時は病院に来るように言われました。

    その次の日から天光寺さんで修行を行いました。

    夜の先生の講話を聞ていてハッと思ったのです。

    私は自分でADHDだと潜在意識で思ってしまったのだと。それで調べていくうちに無意識に思うようになってしまったのかもしれません。

    それを聞いてからは、絶対自分は病気だと思うことは辞めよう・忘れようと思いました。

    そして先生がおっしゃっていた「腐っても負けるな」という何にでも負けない、成し遂げようと心の中で決意している自分がいました。

    今回、強い意志を持ちたいと思い参加しましたが、今は、自分は意志が強いと思うようになりました。

    まさに、滝行では強い意志を貫き通すことが出来た素晴らしい経験だったと思います。

    前回は去年のクリスマスに参加させていただきましたが、三十秒という短い時間でした。

    その時の目標は、そもそも滝行を経験する事だったので、それはそれで気付けることがありました。ですが、今回はもっと多くの時間、限界まで入りたいと強く思いました。

    自分はやれば出来る強い意志を持つには長い時間耐える忍耐力が必要だと思ったからです。

    実際に入ると、まさに自分の意志との戦いでした。

    前回同様、声を出すのもやっとな状況で三十秒頃で体はギブアップでした。

    ですが、ここを乗り越えれば、これからの人生何だって出来る、今困難の壁も乗り越えられる、と思ったんです。

    今までの人生でこんなに耐える経験は初めてでした。

    途中から頭痛がしたのですがここまで来ると止められませんでした。

    その後周りの方達には迷惑をかけてしまい、無理をした為に申し訳ないことをしたなと思いました。

    ですが、今までの頭痛とは違い、スッキリとした感覚でした。

    一緒に参加した方にもすごいと言われて本当に嬉しかったです。

    また何かあったら参加したいと思いました。

    腹式呼吸や発声練習も心が落ち着きます。私は普段声が小さいと言われるので、腹式呼吸を意識して声を出すようにしようと思いました。

    瞑想の時間は、自分でもすんなりと無になる事が出来ました。

    前回は色んな事を考えてしまって無になるのは難しいと思っていました。

    今回は呼吸することにとにかく集中しました。途中、足が痛くなりましたが、それでも呼吸に集中しようと、そこに思い出したのは「負けるな、成し遂げろ」と先生がいおっしゃっていた言葉です。

    ここで負けたら終わりだ、とにかく一時間、時間は忘れてとにかく呼吸することだけに集中しようと思ったら出来るぞ、というプラスな気持ちになれたのです。

    そこでまた元気になれたのは、滝行で自分は成し遂げることが出来ると強く思ったから

    気持ちも元気になったのだと思います。

    瞑想の後の十三仏真言も、全く同じで、途中から眠気と、集中力がなくなってしまい、

    本来だったらだらけてしまいますが、「私は成し遂げられる」と

    負けないぞ、と 強く思ったら元気になったのです。

    すごく自分にとっては不思議な体験で、やる体験全て意味があるし、やる時の精神的な気持ちでこんなにも違って見える。やり終えた後の感覚に達成感があるのが実感できました。

    来るたびに感じることがあって、

    都会から離れた環境でこうゆう体験をできるのは貴重だし幸せなことだと思いました。

    また、ぜひ機会があったら参加したいと思います。

    どうもありがとうございました。

    今回の一泊二日の修行体験で学んだ事はたくさんありました。

    まず、あいさつの作法から教わって一般的な企業的なあいさつでは無くその中でも丁寧な言葉使いで仏教的な世界での言葉使いというものを学べて良かったです。

    また、修行の中での基本の合掌や礼の形をしっかり学べたのでとても良かったです。

    お寺の独特な礼儀や宗派など色々な知識を学ぶことが出来ました。

    次に食事に関して、先生の手作りのご飯はとてもおいしかったです。肉と魚を使用しない料理であれほどまでにご飯が進むことは今まで無かったと思います。

    最終日のお昼のパスタは最高でした。ありがとうございました。ごちそうさまでした。

    修行についても沢山学びました。

    三禮は今回の体験修業ではサクッとしかやりませんでしたが、機会があれば是非もっとハードな修行をしたいなと思いました。

    お百度参りについても後半は少しばてましたが、将来の自分をイメージしながら取り組みました。

    正直こちらも次回タイミングがあえば、企業研修のようにフルのヴァージョンで体験してみたいと思います。

    滝行については先生から、「今日は天気がいいから水もあたたかいよ」と聞いていましたが、現地について水を触った所、心の中で「終わった」と思っていました。

    自分は後半の順番だった為、他の人達をみていて「南無大師遍照金剛」のかけ声がみんな変になっているなと思ってみていましたが、よくよく自分で考えてみたら、あまりの寒さで声がおかしくなっているんだと思い、自分の番が周ってくるのが怖かったです。

    実際やってみて、滝に入る前の頭に水をかけた時点で、アッ無理かも、と思いましたが、実際やってみて本当に冷たい!心が折れそうになりましたが、しっかりかけ声をだし、やがてなにも感じない不思議なゾーンに入った気がします。

    今回一人三分という幅が設けられていたため、こちらも次回良きタイミングで行けたら、同じくらいの時期にまた来て、更なる記録更新ができたらな、と思います。

    その後に行った写経について久々に書道の道具を使用するのに戸惑いました。

    すずりを使用して、墨汁を作るというのも初めてでしたが、無心になって溶かしてました。

    筆の使い方と、元々字が汚い方なので、時間がかかってしまってクオリティーもあまり良くない出来映えでしたが、後半につれて、コツをつかむことが出来て、字一つでも一つ一つこなしていくことで、スピードや精度というものが養われていくものなんだと、改めて気付かされました。

    また夜の先生のお話も色々聞けて良かったです。

    仏教の始まりについてのお話など大変おもしろかったです。

    朝早く起きて、一泊の体験の方達と、まずはお寺の中のお掃除でした。こんなに広い中を掃除機をかけるので大変でしたが、効率よく動く為には、どのコンセントにさすかなど、色々考えながら立ち回れた気がします。

    朝食が終わり、腹式呼吸や声出し、そして瞑想の時間に入りました。

    瞑想の時間は、無心になることが目的ですが、座っている間の足や腰の痛さに耐えられずいつまで経っても無心になる事は出来ませんでした。

    しかしこれは自分でも出来ることなのでやってみたいと思っています。

    その後の写仏についても昨日同様墨から作成して業務に取り掛かりましたが、やはり一番仕上がりが汚いし遅かったのでそれが残念です。

    写仏は細々としたところはムズかしかったですが、おもしろかったです。

    最後にヒーリングを見させて頂きましたが、先生の気の力で楽になっていく人を見て、ものすごく神秘的だなと思いました。

    私は今回体験修業を通して自分についてわかった事はまだ精神的肉体的にも自分に弱さがあると思いました。基本の姿勢もまともにでるし修行の後半眠くなったり飽きてしまう場合が自分の中で少しあったのかなと思いました。

    しかし、いやだと思う事もいやがらずに取りかかって達成あることを今後意識して行っていき、今までの自分の考え方を変えて良い習慣を作り、今後のビジネスに活かしていければと思います。

    私が今回お世話になりましたのは、滝行を体験してみたかったことと、仕事柄自分の意志をあまり発言できなかったことの弱い意志を克服したいからでした。

    まず仕事の話からですが、金融機関人としてお客様第一の接客を心掛けています。

    しかし、上司からすると、「回転を上げるために時間を短縮して仕事しろ」と毎回のようにいわれます。そこで私も何か一言意見を言えばいい事なのにそれを溜め込んでしまう意志の弱さがあるのだと思います。それを、今回一緒に来た人達に相談したところ天光寺さんに行ってみようとなったのです。

    実際に天光寺さんを訪れてみて驚いたことは、「これまで当たり前に行ってることに感謝を表す」ということでした。

    私は普段ご飯を食べる際に「いただきます」という言葉を使っていますが、一人でご飯を食べる時には何も言わず食べている自分に恥ずかしさを覚えました。

    私は自分一人だけでは生きていけないのを分かっているにもかかわらず、他人が一生懸命作ってくれていることに「食前の言葉」で気付かされました。

    また、お百度参りや滝行、朝と夜の一日の始まりと終わりのあいさつにも初心に戻ることの大切さを学んだと思います。

    これは、滝行を行っている際に山の神様や水の神様にごあいさつすること、また大切さ、

    「南無大師遍照金剛」を唱えることで、無事に何事もなく帰って来ることができました。

    本当に大切なことでした。

    これは自宅で家から会社へ出掛ける時や、遊びに行く時にも両親に報告する意味で「行ってきます」「ただいま」の大切さに気が付きました。

    自分が今こうして健康でいられるのも両親のおかげであります。

    今までは親子同士なんだから言わなくてもいいと思っていましたが、今回ありがたい教えの中で、気付いたことをこれからは実践していきます。

    私が仕事で変わるために大切なことは「自分自身の今までの考え方」に依存するのではなく、「自分を知る」ことの大切さも学びました。

    そのためにはまず、自分自身を愛してみることから始めたいと思います。

    自分自身を考えが通らないから意見を出しても意味がないというこれまでの考え方は辞めて、新しい自分になるために、自分をもう一度しっかりと見つめ直し、今度の仕事に活かしていきたいと本当に思いました。

    滝行についてですが、以前から動画や友人の体験などを聞いていたこともあり、正直なことを言うと、「かなりなめてかかって」きました。

    実際に滝行の姿に着替えて滝に入ってみると、始まる前に「30分位余裕ですよ」と言っていた自分が恥ずかしいです。

    今回は一分と数秒でしたので、またの機会があれば、今度は3分を目指したいと思います。

    先生がおっしゃられていた「水と対立してはダメ」という言葉が分かりました。わたしの場合は、なめてかかってしまったということもあり、その時点で自分の考えが甘かったことに気が付きました。

    今度はこういった自分も直していきたいです。

    またこれら以外にも「仏前勤行集」や「瞑想」、「写経」などを行うことで気持ちを落ち着かせることも出来ました。

    瞑想は自分の家でも行うことができるので、継続していきたいとおもいました。

    料理にもすごく驚きました。自分の想像で料理はそれほど良い物はないだろうと思っていましたが、先生が全部作ってくれているという事にもびっくりしましたし、何より味がすごく美味しかったです。

    色々な事をしてきた先生だからこそ、出来る事であり先生が正直うらやましくなりました。

    またの機会がありましたら、もっと色々なお料理を食べてみたいです。

    今回天光寺さんで一泊二日の修行をすることができ、自分の人生においてかなり良い結果となりました。

    繰り返しになってしまいますが、一つ一つのあいさつの大切さが印象的でした。

    これからの長い人生の中でもっともっと自分を好きになりたいと思いましたし、そうした人生にしたいとも思いました。

    今から急には出来ないかもしれませんが、少しづつ今回の体験を活かしていきたいでし。

    今度は少しでも変わった自分の姿を見てもらいたいので、また天光寺さんにお世話になりたいと思います。

     

    私は、今回の体験修行を通じて、一歩踏み出す事により、成長を得る事が出来ると感じました。礼をするにしても、周りと同じ礼をするより、形が整った礼をすれば相手の視線を釘づけにすることができるし、滝行をするという人生の中で非日常なものに挑戦したことで、新しい出会いであったり、精神を鍛えられたり、どこか自分に自信を持つことが出来るようになりました。私の今回の目的は人を好きになることと社会人になって充実した毎日を過ごせるようになるという祈願でしたが、滝行や短い期間で多くの方と接することにより、まず自分を好きにならなければ自分の祈願は達成できないという事にも今回の体験修行で気がつくことが出来ました。これから先の人生で、自分を好きになるために自分に対して明るい言葉をかけたり、前向きに考えて行動すること、今の現状から一歩踏み出して新しい景色を見ることが大事だと思いました。

    食事では、肉が大好きで、毎日少しでも肉を食べなければいけないと思っていたけれど、今回の体験修行で素材の味を生かした肉を使わない料理も食べることで、毎日必ず肉を食べなくても問題はないということがわかったこと。素材の味を生かした料理は限りなく美味しいということもわかりました。

    腹式呼吸から発生する練習をずっとやっていると、反響なのか分からないが、自分じゃない声が聞こえているような感覚になったり、自分の声ではないような声が出ていて驚いた。

    滝行をする為に一歩踏み出した事で、一泊二日という短い時間でしたが、学ぶことがたくさんありました。ありがとうございました。

    自分を好きに、他人からも好きになってもらえるような人間になって充実した人生を過ごします。

    先ずは、今回体験修行を受けさせて頂いた天光寺さんに感謝したいと思います。有難うございました。

    ほとんどの人が同じだと思うのですが、人生壁にぶつかり、心の問題を改善し、何事にも屈しない精神力を鍛えようとして参加する方だと思います。

    私も同様で、弱い自分を変え、どんな困難に直面しても負けない強い精神力を手に入れる為でした。

    社会という厳しい環境の中では、人を傷つけたり、不平不満を口にしたり、時には犯してはいけない過ちをするなどしてしまっていた自分を変える為でした。

    恨んだり、嫉妬したり、思い通りにならなかったからといって、相手を誹謗中傷してしまっているのは、自分自身であるのに、今までの思考を改めて、積極的な行動がとれるようになりたかった為です。

    修行のメインであった滝行では、厳しい寒さの中でも、忍耐力、我慢強さ、そしてどんな試練にも負けない精神力を養われた気がします。

    水の冷たさは、身体がこごえるほどで、滝の勢いも相当なものでした。

    初めは慣れるまでに時間がかかりましたが、しばらくすると、体が水と一体化してきてずっと滝に入っていられるような感覚になってきました。

    結果は、初めてでしたが、12分ということで、平均より長かったそうです。

    雨も降っていて、冬の時期の滝行ということもあって、かなり過酷な状況でしたが、厳しい面、精神は鍛えられたのかなと思います。

    その他、挨拶の作法、腹式呼吸、瞑想、写経といった、主に声を出したり、精神を統一する修行では、今までの人生を振り返り、人との接し方、当たり前と感じていた考え方、生き方を強く考えさせられる体験でした。

    初めは普段慣れていないせいか、正座や・座禅をするだけで足が痛くなったり、疲れてしまっていたのですが、次第にその意識もなくなり、集中できるようになっていました。

    日常生活ではあまり意識した事がないですが、挨拶、掃除、礼儀など無意識の中で行っている良い習慣が、人生を良い方向へ導いてくれるのだと実感することができました。

    自分の人生は、自分で切り開らいていくものだし、自分を知るのも自分、自分を愛するのも自分。

    人は、一人では歩んでいけませんが、最終的には、自分が決断し、解決し、道を進んでいくものです。

    人によって価値観は様々ですが、社会の荒波に負けないよう精進して参りたいと思います。

    貴重な体験修行ありがとうございました。

     

    天光寺さんで一泊二日の修行体験をしようと思ったきっかけは、妹が去年体験修業をしてきたという話をきいて、私もやってみたいと思ったからです。

    昔からマイナス思考で失敗したり、些細なことで不安になってしまったりと、気持ちが落ち込んでしまうことが多々ありました。

    嫌なことから、すぐ逃げてしまうなど、精神的にも、あまり強くなく、どうにかしたいと思って生きてきました。

    お経や挨拶など、言葉ひとつひとつに、大切な意味があることを知りました。

    いつも普通に生活している中では気が付かなかったけど、朝起きた時、ご飯を食べる前と、後、行を行う前、行った後、夜寝る前、など一つ一つ敬意を持って挨拶し、すべてのことに感謝すること。これを改めてやってみて、いつも普通だと思っていた事を幸せに感じました。

    いつも朝食は時間がない中で、慌ただしく食べていますが、朝おかゆをみんなで食べて、とても幸せを感じました。

    今までこんなに朝食が待ち遠しく、感謝しながら食べたことはありませんでした。お昼も夜ご飯も、二日目のパスタもとても美味しかったです。レストランや、お店で食べるご飯よりも、何倍もおいしく、お腹だけではなく、心も満たされた感じがしました。

    いつもストレスで甘いものや、体に悪いと分かっていても、ジャンクフードや、スナック菓子をたくさん食べてしまうのですが、ここにいると、そのようなものが欲しくないことに、私もびっくりしています。

    他にも携帯電話やテレビなど、いつも夜遅くまで見ていたり、携帯がなくても、全然平気で、むしろそのようなものがない方が気持ちはとても前向きであり、一日が充実していて幸せを感じました。

    朝の掃除も、いつもは自分の家の掃除が面倒で、いやいやながらやっていて、少し汚れていても見ないふりをしていました。今回掃除をしてみて、とても気持ちがよく、朝の日課として家でもやってみようかなという気持ちになりました。

    滝行の時も、私は寒がりで、気持ちも強くないので、私にできるだろうかと、不安な気持ちがあったのですが、バスから降りて、先生や職員さんに迎えられ、不安な気持ちがやわらいだ気がしました。

    滝行に行く前に、仏様にあいさつし、お百度参りをしたことで、仏様に見守られていることを強く感じ、安心感と勇気がわいてきた感覚を強く感じました。

    今までお経は眠くなるし、何のためにやるんだろうと思っていましたが、今回、お経の意味や、写経、仏様のことを知ることで、瞑想をしたり、お経を読んだり、聞いたりすることで、気持ちが落ち着き、前向きになり、守られているような、不思議な感覚を感じることができました。

    家でも仏壇には、毎回お線香をあげ、自分の願いと共に、仏様や周りの人、またいつも生活していくうえで、当たり前だと思っていたこと一つ一つ感謝をしていきたいと思います。

    心の持ち方、姿勢もとても元気をもらいました。

    これから気持ちが落ち込んだ時や、不安な時、人生が上手くいかないとき、この言葉を胸に刻み、生きていきたいと思います。

    これから先、何があっても前向きで生きていける、そんな前向きな気持ちと、大きな希望で満ちあふれています。この体験は、私の人生での宝物になりました。天光寺さん、仏様、先生、職員さん、一緒に体験に来てくれた方にとても感謝です。

    ありがとうございました。

    この度は、このような貴重な修行体験を味わせてくださり、ありがとうございました。

    今回応募させていただいたのは、友達に誘われたことがきっかけではありましたが、自分の中で悩んだり迷ったりするようなできごとが1月、2月に多かったり、競技かるたへもより一層磨きをかけたいと心に思ったりと、自分の精神・内面に意識が強く向いており、一度自分自身に静かに向き合う時間が欲しいと思ったことが大きかったです。

    また以前から私は「精神」「無意識」「魂」といったものに深く興味を持っており、修行内容や先生のお話、資料から、今まで自分が考えたり、見聞きしたりしてきたことが、改めて思い出されました。

    今回、滝行をする、ということを主な目的として参りましたが、実際一泊二日の修行を体験して学んだことは、むしろ生活の細部に宿るものでした。

    何をするにも始めと終わりにはしっかりとあいさつをし、読経をする。

    このことは、いかに私が日頃、物事の始めと終わりというものをおろそかにしていたかということを気付かせてくれました。

    食事の前に皆で読む食前の言葉は、栄養のあるバランスの良い食事を満足に食べられることがいかに有難いことか、改めて思い出させてくれました。

    今後、このようなあいさつや読経や言葉を続けるとまではいかないにしても、今回感じた気持ちは忘れません。

    また、朝ごはんの前に掃除をするという習慣は是非見習いたいと思いました。

    自分自身の内面を見つめる、という意味でも、今回の修行は大きな収穫がありました。

    滝行やお百度参りといった肉体的修行は、むしろ我を忘れていましたが、

    写経、瞑想、写仏では、一度心を無にした後に浮かんでくるものから、今自分が本当に必要としていることが見えてきたように思います。

    瞑想や腹式呼吸は、集中しなければならないときの直前などによく行うのですが、今回はまた違った経験ができました。

    最後に、天光寺と日テレとの間に起きたことを高尾先生がお話しくださいました。

    このことについてもっと詳しく知っておきたいと思ったので、家に帰ったら情報を探してみるつもりですが、やはり感じたことは、ただひたすらに悲しいということでした。

    壊れた仏像を見たとき、心が泣きました。

    社会に出たら、こんなに汚いことが待っているのかと思うと心から悲しいです。

    でも、その壊れた仏像を見て涙を流した80歳の女性の方のお話を聞いたとき、何か救われたような気持ちになりました。

    私は、この80歳の女性でありたいし、高尾先生のように、不正義に立ち向かう人でありたいと思います。

    私は、競技かるたに行き詰まったときに、精神面を鍛えたいと考えていて、滝行を思いついた。

    何故精神を鍛えようと思ってすぐ滝行が浮かんだのかは分からないが、寒いであろう水の中で耐え抜くこと、心を無にすることは精神を強くすることにつながるのではないかと考えた。

    一月下旬の競技かるたの大会で負けた後、一緒に行こうと言ってくれ、すぐに予約を取ってくれた同行の二人には、感謝してもしきれない。

    滝行以外の修行もしてみたいということで一泊二日の予定としたが、その中で競技かるたにつながる一番の発見は、集中することの難しさと意義、である。

    競技かるたにはどこに集中をおくか、どれだけ集中できるかが非常に重要な競技だ。

    今回の修行の中で、最初に行なったお百度参りでは、声を出し願を請うことに集中しようとしたが、足が痛くなったり喉が枯れてきたりする方に意識が向きがちだった。

    滝行でも足が冷たいことに意識が向いて、結局一分も保たずに出てきてしまった。

    お風呂に入りながら、これでは何も得られないと思い気合を入れなおして臨んだのが写経である。

    墨をすり、最後の文字を書き終えるまでひたすらその文字を丁寧に書くことに注意した。すると、少しだけ、文字を書く意識すら消えて、脳内が真っ白になる瞬間があった。

    法話のビデオの中で聞いた言葉を用いれば、無意識になった瞬間だったのだろうと思う。

    また、二日目の瞑想では、数字を数えながら呼吸をすることで、空気や床と、自分の境界線が曖昧になる時間があった。

    雑念であふれている中で集中することは難しいが、集中していることすら気付かない集中は、頭の中を空にし、人間としての自分と向きあえる意味のある時間だった。

    特に数字を数えて、呼吸を調える方法は性に合っていたので、続けたい。

    競技かるたからはずれて、自分が生きていく上でとてもためになる話だったと感じたのは、法話のビデオの中の積極的に生きること、自分を愛すること、という言葉である。

    私は、自分のことがあまり好きではない。自分の良いところはなかなか思いつかないが、悪いところはたくさん思いつく。

    今まで、自分で自分の悪いところだと思っている部分に対して、どうにかしなければと焦ったり、なぜ変われないのかと自分に怒ったりすることばかりだった。

    しかし、ビデオを見て、悪い部分も自分であるのだとまず認めてあげることも大切なのではないかと思うようになった。

    ひたすら否定して、否定しまくっていたらそもそも何が悪いのかすら分かっていないことと同義ではないだろうか。

    まず認めてあげて、受け入れて、今まで積み上げてこなかった自分以外の価値観や考え方も受け入れて、すぐに愛することは難しくても少しずつ自分を好きになっていきたい。

    また、私は競技や勉強など人と競うことには負けず嫌いを発揮し、積極的になるが、

    どうしても一人のときや、特に誰かと競わないとき、楽な方へ流れてしまうことが多い。

    しかし、今自分が意識している生の中で、自分らしさを見つけられず、なあなあになってしまうのはとても勿体ないことだと思った。

    たくさん様々なことを見聞きし、経験して、本当に自分のやりたいことを見つけられるように、そしてそれを達成できるように、日々過ごしていきたい。

     

    二月二十三日から二十四日にかけて、天光寺で修行をさせて頂き、ありがとうございました。

    私は、大学に入ってからサークル活動で競技かるたを行っています。

    今まで、集中力を持って無心に札を取り続けていたことで、練習・大会で良い結果を出せていたのですが、ここ最近人間関係で悩むことがあり、かるたを集中して取れない時期が続いていました。

    どうにかこの気持ちを整理し、今一度かるたに真摯に向き合い強くなりたい、と思ったことがきっかけで、今回体験修行に参加させて頂く次第となりました。

    この体験修行を通して考えたことは多くありましたが、主に二つのことについて、感想を述べようと思います。

    一つ目は、「自分自身の気持ちに正直でいることの重要性」です。

    写経、写仏をしながら今の自分の思いを心にめぐらせていましたが、自分に嘘をつくことは自分を一番傷つけることになるのではないか、と感じました。

    どんな時も自分の気持ちに正直でいて、その気持ちを大切にしていきたいと思いましたし、その考えが芽生えたことで今悩んでいる問題が少し楽に捉えられるようになったので、この経験に心から感謝しています。

    二つ目は、「努力することの大切さ」です。

    努力することは、とても難しいことだと私は思っています。

    なぜなら、壁にぶつかる可能性が高いからです。

    時につまずき、めげそうになる中でも、その試練を乗り越え、常に高きを目指すことは容易ではありません。

    法話のビデオで、りんごの木の真ん中に実っているりんごが腐っていた場合、高いところのりんごを手にする必要があるといったお話があったと記憶しています。

    常に高いところを目指して努力することの大切さが分かった一方で、私は、たとえ真ん中あたりに実っているりんごが腐っていなかったとしても、てっぺんのりんごを取りにいく姿勢を大切に、貫いていきたいと思いました。

    私はどの物事に立ち向かっても、ゴールはないものだと思っています。

    だからこそ、途中で妥協することなく、平均を目指すわけでもなく、常に高いところを目指して努力して自分なりに物事に向き合っていきたいです。

    ここまでに記した二つのことが、私がこの体験修行にきて数多く学んだことの中でも、特に印象が深く、自分に影響を与えられた事柄です。

    また、私は実家暮らしなので、あまり家事をしませんが、洗濯や掃除といった日頃母親が行ってくれていることを自分でしてみて、改めて母に対する感謝が芽生えました。

    家で当たり前のように洗われた衣服があったり、綺麗な部屋で生活したりできることは本当に恵まれていることだと思うので、これからも感謝の気持ちを忘れず、そして時には手伝って生活していきたいです。

    お寺での修行は、自分で申し込まない限り体験できないもののように思います。

    今回の経験は貴重であり、今後の人生を豊かにしてくれるように感じています。

    この体験修行を忘れることなく、日々研鑽を積んで参ります。

    二日間、本当にありがとうございました。

    私は、企業研修でこちらのお寺に来ました。前に研修を行った時は入社したばかりでまだ右も左もわからない頃の私でした。今回少ない人数でも人をまとめる立場になったので研修に参加させて頂きました。あの時と場所は違うけれど気持ちはあの時以上に緊張していました。私は、お寺に行くという機会があまりなく少し怖いイメージを持っていました。なので、どれほどのことが待っているのだろうかと思っていました。当日お寺に着くとビックリしました。まだ、自然がこんなに残っていたのかと。まず、最初に行ったのは挨拶です。

    私は普段のように挨拶したところ小さいと注意されてしまいました。とても恥ずかしかったです。私以外は新入社員です。私が見本を見せられなくてどうすると思い大きな声で取り組みました。次は、挨拶の作法を行いました。お経の練習もありました。お経を読むのはとても難しく何事も初めからうまくはいかないものだと改めて認識しました。

    次に、昼食を取りました。みなで協力して配膳片付けを行いました。日々自分ではわからないところで人に助けられているのだなと感じました。

    次はお百度参りをしました。体力に自信はあったのですが他の社員に比べるとはるかに早い段階でペースダウンしていきました。年には勝てないと思いながらも自分だけクリアしないのでは示しがつかないと思い這いつくばってでもゴールしようと決めました。ゴールした時の感動は今も忘れません。

    次は、滝行をしました。季節的にも滝の中に入るのはとても勇気がいりました。

    滝を見るまでは、自分が一番に入ってやろうと思っていましたが少しためらいました。

    しばらくして、覚悟を決めて中に入ってみました。勢いがすごくとても水だとは思えませんでした。息をするので精一杯でお経を唱えることはできませんでした。

    最後に、法話を聞きました。これまでとこれからの人生について深く考えさせられました。

    今回、研修に参加してみていろいろと学ぶことが多かったです。これからの生活では今回学んだ事を活かしていきたいと思います。

    二泊三日で体験させていただきました。貴重な体験で自分自身にとって一生物になったと思います。
    修行の動機は、うつ病や引きこもりではなく、純粋な興味と何故か行ってみたいという気持ちが高まったからです。
    二十一歳という若さで来たので、先生は若いのに珍しいなと笑いながら気さくに話しかけてくださいました。
    私はお寺というのは少し堅いイメージがあって、初日は緊張していました。
    ですが先生を始め職員の方は普段見せてもらえないようなことや、仏教についてなど丁寧に教えてくださり自然と興味を持っている自分を感じました。
    滝行メインで来たはずがいつしかもっとたくさん学びたいと思うようになりました。
    日帰りで行うのと、止まるのとでは雲泥の差で学ぶことが多いと感じました。
    暮らしていく中で自然と考え方が変わっていくのです。
    仏教に携わり瞑想写経滝行等の修行を重ねていく中で、ご飯のある有り難さ、人との接し方、家族や友人、普段では当たり前すぎで感じないことに気づき感謝が生まれました。
    私はあまりこういった考えが変わるだとか、スピリチュアルのような物は信じない方でした。
    多くの方もそういう考えの人がいるかも知れません。実際に味わっていないからこそ理解できないことも無理はありません。
    ですが実際、体験すると本当に変わるんです。私が体験したことでいうと、朝太陽がのぼり日差しを浴びるとすごく暖かく嬉しい気持ちになり、有り難い気持ちになりました。
    一日の始まりをありがたく思ったことなど今までにありませんでした。私はこのように感じましたが、人によって感じることは多様だと思います。
    何よりも先生・職員の方は親身になってくれるのですごく話したい気持ちになります。宿泊したからこそ得られたことだったのかなと思います。
    朝昼晩の料理も先生がすべて手作りで作ってくださりどれも美味しかったです。
    先生が教えてくれたことで一番思い出に残っているのが「氣」でいろいろなことが理解できるということでした。
    私も体験しましたが本当にすごいという言葉しかありませんでした。
    言葉では表現できず是非体験してもらえば何かしらわかると思います。
    今回の修行は本当に自分にとって貴重な経験になりました。
    「自分を認めてあげる」一番心に刺さった言葉です。
    先生をはじめ天光寺の皆さん本当におせわになりました。
    ありがとうございました。

    今回私が滝行体験に参加したのは、春から新社会人になるのでここで気を引き締めて新生活を頑張っていくためです。

    無我夢中で就職活動をして、勝ち取った第一志望の企業で働けるというのに、大学の授業も終わり春休みに入ってからモチベーションを上手く保てなくなり、なんだか自分に甘えた生活を送るようになってしまいました。

    このままずるずるとした気持ちで社会人になったら、これから始まる40年以上?の社会人生活が気持ちよくスタートすることができないと思い、怖くなりました。

    そこで友人にこの話をしたら、友人も同じような気持ちを抱えていて、友人と話をしていくうちに、今までに体験したことのない事に挑戦してみたい!という話になりました。きっと働き始めたら毎日が挑戦になるから、今ここで大きな挑戦をして、新たな気持ちで4月を迎えたいと思いました。

    滝行体験はとある雑誌で取材されているのを見て以前から知っていました。まだまだ寒い時期で水もとても冷たいだろうし少し躊躇してしまいましたが、挑戦をするために行くんだから!と改めて決心して挑みました。

    いざ滝行がはじまるとなると、とても緊張しました。足だけ水に入った時に、背筋がゾワッとするぐらい冷たくて、思わず水から出そうになってしまいましたが、お寺の方が声をかけてくださったのでまた心を入れて、滝に近付きました。

    滝に打たれている時間は短かったようですが、私は長い時間滝の中にいたような気がしています。無我夢中というか、必死というか・・・煩悩がなくなりただただ滝と向き合っていれた時間でした。

    思っていた以上に爽快感もあって、寒さももちろんありましたが、とても良い時間を過ごせたと思いました。

    友人も来て良かった!!と笑顔で爽やかに話していました。

    新社会人として、これから一生懸命がんばって行きたいと思います!またリフレッシュしたいときには滝に打たれに来ようと思います!

    ありがとうございました。

    18年前、母の紹介で別の方に霊視をお願いしました。その時は6歳になる息子の夜泣きが酷く霊が憑いていると言われ、2歳の娘と一緒にみて頂きました。帰りの電車の中、私のパニック障害の発作が起き、徐々にうつな気分になり、旦那とも離婚になってしまいました。しばらくたちその方と再会し指圧写真による遠隔治療をして頂いておりましたが、良くなったり悪くなったりの繰り返しでした。感覚もより敏感となり魔や霊に翻弄され、具合が悪くなり電話してみると霊が憑いていると言われ祓っていただくことの繰り返しで母との仲が悪化していきました。心身共に弱り、食欲が減り、手足ががくがくし鬱状態でみぞおちが急に息苦しくなったりと暗い気持ちに引きずりこまれ悩んでいました。

    藁もすがる思いで天光寺に救いを求めさせて頂きました。子供二人も、また夫も人間関係、人生、人格全て上手くいかないように感じていました。まず、お寺を見た瞬間になにか緊張感を覚えました。まるで、自分にとりついている霊がおびえているような感じでした。そして、中に入っていくと一つの部屋に案内されました。そこで、住職の声が入ったCDを聞きました。そうしているとだんだんと体の中から何かが抜けていくような感じがしました。除霊が終わって特に何かが変わった感じはあまりしませんでした。ですが、次の日になるとだんだんと実感が沸いてきてとても体が軽く感じました。あんなに悩まされていたのに解決できてもっと早くここに来ればよかったなと思いました。ありがとうございました。

    この度はありがとうございました。

    この一年、身の周りで不運といっていいのか、可笑しなことばかり起きており、いよいよ自分の体調までおかしくなってきました。どうすればこの可笑しな状況を良くできるのか分からず、友人へ教えて頂いた天光寺さんへ藁にも縋る思いで来ました。

    ご住職は温かくお寺に迎え入れて下さりましたが、私はあまり良い気にならなくて…。これは私に憑いていた霊のせいだと、あとで思いました。

    お祓いが終わって気付いた時の身体が軽い感覚は今でも鮮明に覚えています。ああ、これが自分だけの身体だ、と思い、ほっとしてなぜだが涙が溢れました。

    お祓いをしていただいてから、身の周りのいろいろなことも落ち着き始め、本当に天光寺さんへ行ってよかったと思いました。ご住職を始め、お寺の皆様、本当にありがとうございました。おかげさまで新しい年を良い自分で迎えられます。

    本当にありがとうございました。

    今回の寺修行の計画を聞いたときは、観光気分で修行するのかなと思っていたのですが、寺に着いて驚きました。まずは、もの凄く山奥にあり、バスも1時間に1本ほどの場所にある事。そして何より修行の内容です。山奥にあるので、電波は通じるのかと思いましたが、その不安はお寺に着いてから解消されました。最初にお寺の人に携帯や財布などを預けるため、修行に行ったみんなが携帯を使えない状態になりました。財布は、まず買い物をする場所がないので、必要ありませんでした。ここからお寺の修行となりました。着いてすぐに、寺の服に着替えをし、寒い部屋で2時間ほど正座をし、その上、三禮というハードなことをして足がしびれ、膝の皮をすりむいてしまいました。その後に、写経という筆を使いお経を写すという修行をしました。この日の中で、これが一番きつかったかもしれないです。三禮は、肉体的疲労があり、もう立てないほどでしたが、それをやった後に筆を使い文字を書く、かれこれ2時間ほど正座をしたので、ひざがやられてしまいました。1日目の修学の内容は、言葉だけ聞くとそんな大したことじゃなさそうですが、実際にやってみると、階段の1段も踏めないほど足がやられます。今回、僕を含め4人で、このお寺で修行することとなり、それぞれ目標がありました。一人はモテたいから。二人目は他の三人に連れられ、三人目は早口な所と親に内緒にしていることを直す、そして僕は根性を叩き直すでした。理由として、適当に人と接してしまい、そこを直したいと思ったからです。それなのに、最初お寺の方が人生の話をされ、「あなたは人生の主人公ですか?」ときいて、僕は「主人公です」と言い、「何の主人公なのですか」と続けて質問だった為何か答えなきゃと思い、「ハリーポッターです」と、まともではない答えをしてしまいました。それから、昼食の時に、みながお寺の方へ質問をしていたので、僕も質問しようと思い、印象に残る事を言おうとして「ハンバーガーなどは食べれますか」と質問をしました。それに対して、お寺の方は「修行中は食べれませんが修行の時以外は食べます」と答えてくれたので「お寺でハンバーガーは食べれますか」などと訳のわからない質問をしてしまい怒られました。こういった間が抜けることを日常的に言ってしまったりやってしまうので、一度心を改めなきゃいけない。そして、修行をするという機会を与えて頂いたので、この機会に人と接することを真剣にしようと思いました。もしかしたら、

    一緒の仲間の中で一番怒られた回数が多いかもしれません。それだけに、みんなも一緒に怒られ皆にも迷惑をかけてしまい、修行をしたことで身も心も引き締まりました。今までは何かを発言する時は、後先考えないですることが多く、それにより怒らせてしまうことが多かったので、これからは物事を一度考えた上で、発言することを心がけようと思いました。二日目の修行は、主に滝行とお百度参りでした。お百度参りの内容は、20メートルを走りながら行き来し、振り返るタイミングでお経を唱えるというものでした。お経こそちゃんと言えないときもありましたが、他の3人に遅れを取られないように今までやってこなかった「一生懸命に頑張る」というのをやってみたような気がしました。続いての滝行では、3番目に行ったのですが、前の二人より長い時間滝に打たれていようとしました。そういったことも含め、最後のあいさつで、お寺の方から、来たころに比べると変わった、と言われました。一泊二日の修行で本当に僕は変わったんだなと実感しました。今まで行ってきたこともこれからは新しい心を入れ替えたように生きていこうと芸人としても一歩踏み出せたような気がしました。

    僕は、お寺というところへ一度も行ったことがなかったので、一度行ってみたかったと思っておりましたので夢が叶いました。

    今までの人生中途半端だったのでどこかで自分のだらけきった心を清めてくれる場所はないかと探していたところ、天光寺さんという素敵な場所を見つけることができました。

    僕の人生の中で寺で修行を受ける機会がなかったので、その機会を与えてくださった小籔さん、村田さんそしてスタッフの皆さんに感謝しても感謝しきれません。

    天光寺さんの外観はとても立派で素敵なオーラを感じとれるぐらいでした。

    いざ中に入ってみるとお師匠さんとその修行僧の方々が出迎えてくれました。

    お師匠さんはとても気さくで素敵な笑顔を振りまいてくれました。

    そしてそのお師匠さんの元で修行をされていらっしゃる方々もやはり素敵な笑顔でした。

    1日目は修行着を着させていただき、身も心も「さ~、やるぞ!」という気持ちになりました。そして着替え終わっていよいよスタートです。

    まずは基本であるあいさつ作法からです。正座を組み、腹から声を出す作法を習いました。

    とにかく人に感謝される人間になりなさいとのことで、人に感謝される人間になるには礼儀作法が重要とのことでした。

    あいさつのひとつをやるにしても熱心に教えてくださる天光寺の人たち。

    そして昼食へ。配膳の準備からひとつひとつ丁寧に教えてくれ、なかなか覚えが悪い人もちらほら出てきました。

    昼食後は三禮という修行を行いました。三禮というのはお経を唱えながら正座の状態から屈伸のような動作をする修行で、とにかくこれがキツくて何度くじけそうになったか...。汗だくになりながらも、何とか練習についてくのは危機迫る感じでした。

    その後、夕食が始まり、昼食の様子とうって変わったような雰囲気に圧倒されました。修行僧の見る目が変わった気がしました。

    翌日の朝はそうじから始まり、修行僧の方の目がキラリと光りはじめました。

    その期待に応えるようにテキパキ行動する仲間の成長に目を疑いました。

    その後、一大イベントの滝行がついに始まりました。他の3人がすぐギブアップする中、僕は15分間、滝の中で己を磨きました。

    一大イベントが終わり、お師匠さんのお経が始まり、お線香を仏様に差し上げ体験修行は終了しました。いい体験させてもらいました。ありがとう。天光寺さん。

    私は先日より参加させていただいている企画でお世話になっている小藪さん、とろサーモンの村田さんより、お寺で一泊二日の修行をしてくるようにと言われ、天光寺に一泊二日の修行をしに訪れました。

    当初の目的はエピソードトークを話すときに早口になってしまうので、それを克服することと、芸人という仕事をしていることを両親に内緒にしているため、そのことについて見つめ直すことでした。

    天光寺を訪れ、お師匠様にお会いしたときにこの人はタダ者ではないなと感じ、お寺の雰囲気も神秘的なものを感じました。

    そして修行が始まり、真言宗のお経の唱え方を修行僧の方から教えていただき、三禮という礼拝の仕方を三百回繰り返しやることになりました。

    三禮はとても厳しい修行で体に物凄い負担がかかり、後半は自分でも何をしているかわからない状態になりましたがなんとかやり切ることができました。精神的、肉体的にも成長できたと思います。

    その後 夕食をいただき、お昼に食べたときと同様にお師匠様の料理への造詣の深さに驚き、ありがたいものを食べさせていただいているなと身も心も元気になりました。

    そして片付けも自分達ですることで感謝とスッキリとした気持ちになることができました。

    その後 写経を体験させていただき、三禮でヘトヘトになった足で正座をするのはこたえましたが写経をしていくうちに日頃余りある煩悩が少しずつ消えていく気がしました。

    その後お風呂を使わせていただいて一日の汗を洗い流してくうちに身も心もきれいになってく気がしました。

    そして一日を終えて自身の成長を見つめ直すうちに、早口のことの他に自信が如何に怠情な生活をしてきていたか、欲望を優先しておろそかになってしまったことを改めて考え、二日目はそういったことに打ち勝てるように修行をしていきたいと思いました。

    そして二日目 朝起床し、お寺の大掃除が始まり、普段自宅で清掃を怠っていることもあり、何度もご指導をいただいて細かいゴミや見落としがちな部分の清掃についてのご指摘を受け、身の回りを見渡して配慮することの大切さを学びました。

    次に発声の修行と瞑想について教えていただき、日頃芸人として大切な声を出すということについて改めて学び直すことができたのと同時に瞑想によって心の静けさを取り戻すころができ、普段持つことが出来ない貴重なひとときを得ることができました。

    その後、お百度参りと滝行の修行をやらせていただくことになり、お百度参りを通じて何かを願うということは気軽に出来るものではなく、しっかり真心をこめて仏様にお願いしなければならないということを学ぶことが出来ました。

    そして遂に滝行に行くことになり山の奥へ奥へと仲間達と共に修行僧の方に導かれて、山から流れ落ちるきれいな滝を目の当たりにすることができました。

    仲間が必死に滝に耐えている姿を見て自分にものすごい恐怖心が湧いてきましたが何とか勇気を出し滝行に挑むことができました。

    そこで全く滝に耐えることが出来ず自分の未熟さを感じました。

    また緊張が取れてしまい仲間の米村くんが必死に滝に耐えているのに笑みを浮かべてしまい後にお叱りを受けて自分は何て恥ずかしいことをしたんだろうと情けなくなりました。

    最後に護摩を見せていただき火の強さ、荘厳さに圧倒されました。

    最後に天光寺のお師匠様、修行僧の方にお別れの挨拶をする際の礼をあろうことか間違ってしまったのは本当に情けなく修行が足りなかったと感じました。

    一泊二日という短い期間でしたが、己の反省点を多く見つけ、今後芸人として成長していくにはどうしたらよいか本当に貴重な機会になりました。

    ご指導いただいた天光寺の皆様、本当にあるがとうございました。

    私は、今回人生で初めて寺修行というものに参加させていただきました。

    普段の生活でお寺に行く機会などは少なく、初詣で一年に一回行くか行かないかくらいのものです。あまり馴染みのない場所で一泊するというのは初めは少し緊張や、何をするかが分からない不安などもありましたが思えばあっという間に終わってしまいました。

    到着して早々、電子機器は使えないということでお寺にスマホを預け、

    「ああ二日も触れないのか、大丈夫かな」と心配していたのが懐かしいです。

    いつも肌身離さず持っていて、結構時間を食うスマホも、なくても全然生活には困らないということを学ばせていただきました。

    それだけでなく、一日の時間の長さというのに気付き、いかに自分がスマホに時間を割いてしまっているかも痛感しました。

    また、この2日で行った修行を通して、自分は少ししっかりしようとすれば出来るかもしれないということにも気付きました。

    普段の生活では自分はそこまでしっかりしている訳でもなく、どちらかといえば怠けただらしないほうの人間なのですが、一緒に修行をした僕以外の三人が、少し変わった怠けた人達だった為、僕だけでもしっかりてきぱきとこなそうと心がけていた結果、

    意外と自分はしっかり出来るのかもしれないと感じ始め、この修行を終えてからも心がけをしっかり持とうとすることを決めました。この修行で得た思わぬ副産物でした。

    今回得た大きなものは、全ての物事や人に感謝を忘れないこと。

    人への配慮、気遣い、精神的な人としての成長です。

    「思考が人生を作る」

    全ての自分の行動や言動は自分に返ってくる。その為、挨拶や感謝、気遣いは絶対に忘れちゃいけない。積極的に、今自分が出来ることを考え実行する。これはバイトなど、様々な所で実生活に役立つ考え方だと感じました。

    これは芸人である自分にも絶対必要な考え方であり、人からの信頼を得て、

    あ、この人なら仕事を依頼できるなと思ってもらえる様になる為には必要不可欠なものであるということが分かりました。

    また最後には、黙々と自分の仕事や割り振られた事を実行するのではなくもっと周りを見ることが出来、積極的にそれをやるべきというお言葉を頂きました。

    確かに自分は学生時代、部活の部長や応援団長をやっていたこともありましたが、これを今やっているバイトや芸人活動にも応用出来るかもしれないという自信が少しだけついたので、もっと自信をもって周りをよく見れる人間になりたいと思います。

    興味深い話を一つ聞いたのですが、「仏像が息をして肩が動いているのが見える」というものでした。これを聞いたとき、中学の修学旅行で行った京都のお寺での「仏像というのは自分が見た時の年齢や心情によって見える顔の表情が違う」という話を思い出しました。

    この一泊二日の修行を終えた今、あの頃行った京都のお寺にもう一度行ってみるという楽しみが一つ増えました。

    今回は修行のいろはを教えて下さってありがとうございました。

    これから頑張ります。

    今回私がここに滝行に来た理由は、会社で課長という人をまとめるという立場になったということで気を引き締めるためにやってきました。

    お寺に着いてまず受付、説明指導、着替えを行いました。

    次に、お百度参りを行いました。

    普段から運動をしない私にとって100回も往復するのはとてもきつくなんども途中で諦めようか迷いましたが最後までやり遂げました。きっと今までの私ならば諦めていたと思いますが今回はそんな自分を鍛え直すという意味で来たのでここで諦めてはいけないと思って最後までやり遂げました。やり遂げた後はとても気持ち良かったです。

    こんな気持ちになったのは久しぶりでした。最近は毎日同じことの繰り返しで心身共に疲れ切っていました。

    そして、ついに念願の滝行です。滝をあんなに近くで見たのは初めてでした。とても力強く水が落ちている音とは思えない音がなっていました。

    入るのにとても躊躇いました。ですが、ここで諦めてしまってはわざわざここまで来た意味がないと思い勇気をだして滝の中に入っていきました。中に入ってみると外で見るよりも迫力がすごかったです。呼吸するもの困難で実際に入っていたのは短い時間だったのですけどとても長い時間入っていたかのような感覚でした。

    今回、滝行やお百度参りを体験してまた一回り人として成長できたのではないかと思いました。ありがとうございました。

    先日スピリチュアルカウンセラーの先生が書いた本を読んで感銘をうけ、そういったスピリチュアルな体験がしたいと思って参加今回こちらの寺院の体験修行に参加させていただきました。

    本に書かれていたことは、『龍を下ろす』など、一見まるでファンタジーの世界のようで、友人に話したら笑われてしまいそうなのですが、本を読み進めていくと、私たち人間は、もともとは野生生物だったのだから、祖先が経験だけでなく、カンを頼りに生きていたこと、その“カン”こそ“魂”そのもの、スピリットってことなんだということが書かれていました。

    これには深く納得が行きました。現代人がストレス社会を生き、ウツなどで苦しんでいるのは、“スピリット”で生きていないからなのだと気付きました。

    滝行をやっていて、まず感じたのは、『龍を下す』と書いた本に影響されたこともあるかもしれませんが、本当に山の神様の声が聞こえた気がして、とても寒い日だったのですが『あ、私いま、守られている。あ、私は大丈夫なんだ』と不思議と思えたのです。

    そして滝に打たれている間、まるで宇宙空間にでもいるような感覚でいました。時間はあっという間におわり、本当に不思議な体験をさせていただきました。

    桧原村の自然いっぱいの中で貴重な体験をさせていただき、心がスッキリと整理されました。また、参加したいと思います。ありがとうございました。

    私は、今回会社の企業研修で参加しました。
    まず、お寺に到着すると申込書を記入し、着替え、荷物の整理等を済ませると奥に案内されます。次に、自己紹介です。一人ずつ、きちんとした自己紹介の練習を行います。出来ない場合は何回もやり直します。私は、何回もやり直しをしました。そこで私はいかに自分が未熟であるかを知りました。
    次は、挨拶の作法を行いました。内容は、朝のあいさつ、就寝の挨拶や、食や行の挨拶などです。他にも、腹式呼吸や発声法、お経の練習も行いました。お経を唱えるのは初めてでしたが個人的には大きな声でよく読めたと思います。
    次は、昼食です。配膳や片付けを協力しました。ここでは、日々周りの人に助けられているのかを理解できました。
    これからしばらく、挨拶の練習とお経を唱え夕食となります。
    そして、写経を行います。写経は正座で行い一切の私語は厳禁とされています。
    久しぶりにかぐ墨の匂いがとても懐かしく感じられました。正座も普段の生活ではまずしないのでとても辛かったです。日々パソコンを使っての業務なので背筋を伸ばしているのがとても大変でした。
    夜の20時には就寝です。
    次の日は、6時に起きお寺の中と外の掃除を行いました。
    朝食を済ませてお百度参りをしました。聞いたことはあったのですが実際にやってみるのは初めてでした。学生時代はサッカーをやっていたので体力に自信はあったのですが終わるころにはヘトヘトでした。次は、滝行です。滝行は迫力がすごくこの中に入って生きていられるのか不安でしたが周りの人の言うとおりにやったらすんなり出来ました。
    昼食を済ませると住職による法話が行われます。
    今回の企業研修をお寺でやると知った時に初めはお寺でやることになんの意味も見出せませんでしたが今はとても充実した企業研修でした。ここで、研修を行えてよかったです。

    私は、昔から他人の感情と自分感情が同一化したり相手の感情を受けたりすると身体の中から自分のものではない感情が沸いて出て、身体や顔に感情が変化して生活が困難となる等の症状が発生していました。そのせいで、生活に大きな支障をきたしています。
    仕事でも、この症状が出るため長く働くことができず職場を転々としてきました。
    他にも生きている人、今は亡き人の思いで身心がしばられて自分の意志で生活することが困難で阻まれている感じがあり、たまに支配を感じる時があります。数々のことやモノに恐怖心と体の緊張を覚え、とても困っていたところこちらのお寺のホームページを見つけました。
    早速申込をし、お寺に向かいました。
    自分がいままで体験してきたことや症状などを紙に記入し奥の部屋に案内されました。
    しばらくすると先生が入ってきてお祓いを開始しました。
    住職がお経を唱えだしてすぐに自分の中にいる何かを感じました。そして、だんだんと息苦しくなってきました。どのくらいたったのか分からないほど時間が長く感じられました。すると、急にスッととても楽になりました。
    その時は、自分でもなにが起こったのか理解できていませんでした。その後、話をきいてみるとどうやら自分は霊を呼びやすい体質のようで多くの霊が憑りついていたと話をききゾッとしました。あれから、今までの様な症状が出る様な事はなくなり毎日が楽しく過ごしています。ありがとうございました。

    弟がこちらでお世話になり、大変明るくなって、人柄も良くなって帰ってきた為、自分もお願いしようと思って申し込みしました。

    20代半ば過ぎから、顔つきが怖くなったと言われるようになり、過去のトラウマが忘れられず、ここぞとの正念場で力を発揮できない。人付き合いが苦手で自信が持てない。これらの悩みをご住職に聞いていただき、霊視していただきました。その結果、霊障や、ご先祖様の霊が原因ではなく、邪気というものだったようです。ご住職から法話を聞き、心の持ち方という冊子をいただき、家に帰って読みました。自分の弱かった部分は、心だったんだ、という事がよく分かり、これからは、過去のトラウマに囚われず、人のせいにせず、自分の人生を自分の責任で生きていきたいと思います。
    カウンセリング、霊視してくださったご住職には、感謝の気持ちでいっぱいです。
    ありがとうございました。

    進学で地方から出てきた私は、今思えば浮かれていました。大学生になって一人暮らしを始め、色々な事が自由になり、羽を伸ばしていました。友達と夜遅くまで一緒に過ごすこともありました。学校にサークル、バイトと忙しい日々を送り、五月病にもなったりしました。
    体験修行に参加したきっかけは、私の所属するサークルの歓迎会の一部だったからです。
    堕落した生活をしていた私にはちょっときつかったですし、なんでこんなことするんだろうと思いました。実際に体験修行をしてみると、お経を読んだり、瞑想をしたり、滝行をしたり、写経をしたり、初めてのことばかりでした。滝行は本当に水が冷たくて、早く終われと思っていました。生きた心地がしなかったし、寒くて震えました。でも終わった後、なぜかスッキリした気持ちになれて友達と驚きました。修行の中でサークルの同期の子たちとも、いろんな話をしたりして、仲良くなれたり、お互いのことを知ることが出来ました。また、修行にはほかの参加者さんもいて、意見交換をしたり、色々な事を話すことで、知らないことや世界を知ることが出来たと思います。社会人が多い中、学生の私たちが参加することもいい経験になっていいなと思いました。人生の節目節目で、ここに来れば気持ちがリセットされていい切り替えになると思うので、また何かの節目で凝れたらいいなと思います。
    最初は嫌だったけど、思い切って参加してみると心が洗われて綺麗な気持ちになれました。

    何も不自由なく生きてきて、社会人になるという節目に、何か自分に試練を与えたいと思い体験修行に参加してきました。天光寺さんは知り合いから話をきいていたので、知っていて、そういえば体験修行ができると思い出し、参加を決めました。
    日々の生活のありがたさや、当たり前のことに感謝すること、自分を見つめ直すことなど、たくさんのことを学ぶことが出来ました。写経やお百度参りなど初めてのことも多く、このような修行があるのだと人生の学びになりました。やりたくないことをやる、辛いとわかっていることをやる、など普段では踏み出せないこともこの機会に経験できたので、参加した甲斐があったなと思いました。
    滝行は一番興味があったのですが、いざ滝を目の前にすると怖くて、やり遂げられるか不安になりました。自分で参加して、リタイアするのは悔しかったので、思い切って入ってみたら、スッキリとした気持ちになれました。
    これから、どうしても嫌なことがあったり、できないことがあったり、辛い思いをしたり、どうにもならないことがたくさん出てくると思います。そのようなことも全て経験ととらえ、乗り越えていくことが大事なんだということを肌で感じました。
    普通に生活しているだけでは、この気持ちを得られなかったと思うので、参加して良かったと思うし、この気持ちを忘れないように社会人生活を過ごしていきたいと思いました。
    頂いた精進料理がとてもおいしくて、また食べに修行に来たいと思うほどでした。立ち止まってしまって初心に戻りたくなった時はまたお世話になりたいと思います。ありがとうございました。

    私には、蛇・龍の霊が体内におり、電気を帯びて、様々な霊障がおきている。くっついてしまっている。蛇・龍を取るときにかんかん音がすることが多発していました。
    霊障の内容としては、体が自由に動かない、気を失いそうになる。口が渇く、震える、ジンジャー眠れない、頭に電気が走る、字を書かせない、顔や手の変形。対話があり、家族の悪口を言うなど、「佐藤昭子殺す」と言っている。守護霊が対応してくれている等の、ご神託がある。霊聴もあり、キーンという音、音楽で別の歌詞が流れる。以上のことを知人に話したところこちらのお寺が良いという事で紹介して頂き足を運びました。
    まず、お寺を初めて見た時の印象としては、とても不思議なものでした。お寺特有のオーラとなにか霊じみたものを感じました。あとで詳しく調べてみると多くの除霊を行っておりその影響でそう見えたのだと思いました。そして、受付で同意書や診断書に症状を記載すると住職先生のいる部屋に案内されてお経を唱えだしました。5分程経った頃でしょうか。突然意識が遠のいていき、目が覚めると今までの様な霊の不快な感じが体から消えていたのです。そして、住職先生からどのような霊が憑りついていたのか聞くと、霊障を起こしている霊は、皇族で裁仁王の守護終了にともなう争いになるとのことでした。それからは、とても幸せな毎日を送っています。今までのような霊障に悩まされることもなく、不思議なほどエネルギーに満ちています。今までの私からは想像も出来ません。こちらのお寺を紹介してくれた知人、そして住職先生に感謝して日々生活して生きたいと思います。
    少しでも、気を抜いたら死ぬぜよ、

    私はこの一年うつ病のような症状で、家事や子育てもままならない状態になってしまいました。
    しかし、この症状が霊障だとは気づかずこの一年苦しみ続けて、藁にもすがる思いで天光寺さんを訪ねました。
    思い返せば、2歳の子どもがいつも誰もいないところに向かって、にこにこと話していたり、飼っていた小型犬はその同じ方向に向かってずっと吠えていたりしたことが続いていました。でも、子どもの頃はよく見えると言いますし、怖がっていたわけではなさそうだったので気にもしていませんでしたが、ちょうどその頃から、ひどい頭痛や、嫌悪感が始まり、次第にやせ細り、髪まで抜け始めました。
    家に居ても、家の中の絶対に落ちないようなものまで落ちたり、電源の入っていない子供のおもちゃが音を鳴らしたり、子どもは誰もいないところに向かって話したり、笑ったり・・・。もうかなりノイローゼになっていたと思います。
    私は霊障だと家族に話しましたが、みんな信じてくれず、ただ育児に疲れているだけだと言われ、一人でずっとつらい思いを抱え込んでいました。
    ネットで天光寺さんを知り相談すると、本当に親身になって話を聞いてくれて、心が救われました。
    すぐに除霊をお願いすると、子どもを亡くしてしまった女性の霊だったらしく、うちの子どもを可愛く思い、母親である私に妬みを感じ私に嫌がらせをしていたようです。
    子どものことは可愛く思っていたとのことで、だから子供は楽しそうに笑っていたりしていたのが納得できました。でもこのままにしていて、子どもにも何かされたり、連れて行かれるようなことになっていたらと思うとゾッとします。
    先生にきちんと除霊していただいたおかげで、その女性の霊も成仏できたようですし、私自身、本当に体が軽くなって、みんなから顔つきが変わったと言われました。
    今まで、このような霊障など信じていなかったのですが、本当にあるんだなーと実感しました。本当に親身になり、しっかりとお話聞いてくれたとこ忘れません。
    ありがとうございました。

    ここ何ヶ月か、部屋にいても、いつもと同じ道を歩いていても、なにか気配を感じるというか、不気味さを感じ、夏で暑いはずなのに、異様な寒気を感じる日々が続いていました。
    しばらく様子を見ていましたが収まる様子もなく、日に日にその感じが増す気がしてこのままでは危ないと思い、天光寺さんに相談しました。
    もしかしたら?と少しだけ思いつつもまさかとは思っていましたが、そのまさかの生霊でした。半年前に分かれた彼女だったようです。
    ちゃんときれいにお別れをしたかったのですが、理解してもらえず、結局僕がバッサリ切り捨ててしまった形になっていたので・・・。
    よく話に聞いたことはありましたが、まさか自分自身に起こることだとは思っていませんでした。人に執着して、歪んだ感情を持つと、もちろん僕が生霊になるパターンもあり得るわけで、本当に怖いことだと改めて思いました。
    もちろん彼女をそこまでしてしまった僕にも原因がありますし、彼女が今どのようになっているのかもすごく心配です。
    これからは色々な意味でよく考え行動していこうと思いました。
    ありがとうございました。

    会社の研修で、天光寺さんに伺いました。
    最初は泊まり込みの研修と聞いて、憂鬱に感じていました。しかし営業成績もここ数年伸び悩んでいて、自分の人生についても色々考え悩んでいたので、お寺で研修をするからには無駄な時間だったと思う事の無いように誠心誠意取り組もうと思っていました。
    研修は正直、大変つらかったです。
    三礼や滝行を体験して、身体中疲れ切りました。普段営業で出歩いているとはいえ毎日のようにお酒を飲んでいる生活をしていたのですっかり体力が衰えていたようで、途中からは思ったように動かない重い体を動かすだけでも大変でした。
    しかし、普段できないような体験ばかりで、とても意味のある時間に感じました。
    研修の中でヨガをする時間もあって、ここまでの体や心の疲れだけでなく、日常で感じていたストレスや疲れがスーッとなくなるような感覚になって、とてもリラックスできました。
    挨拶や作法など、社会人として大切にすべきことを改め学ばせて頂き、新入社員の頃の気持ちを思い出しました。そして、近頃の自分の仕事の仕方は慣れから手を抜いてしまっていることや、怠惰な気持ちが出てきてしまっていたことにも気付きました。
    これから仕事を続けていく中で、まだまだ壁にぶつかることもたくさんあると思いますが、その時はこのお寺での経験を思い出して、一歩ずつ頑張っていきたいと思います。
    お寺の皆様、そして機会を与えてくれた上司に心から感謝しています。
    ありがとうございました。

    二日間の修行、誠にありがとうございました。
    ほとんど全ての「行」が初めての体験であり、とても楽しく、また興味深くそして、厳しい体験をさせて頂きました。
    「お百度参り」や「滝行」は見ためも派手なため事前では一番関心がありましたが、実際に体験をしてみて印象に強く残ったのは「声出し」の「行」でした。繰り返し3人がそれぞれ声を出しているうちに、声が共鳴し、何らかの波動的なものを感じ、いわゆるトランス状態のような感覚になりました。その状態が非常に心地良く、いままでに感じたことがない体験でした。
    瞑想は、社会人になったすぐの頃(約三十年前)から興味があり何冊も本を読んで自分なりに自宅でやってみてはいましたが、実際の修行の場で専門家に教えてもらいながら実践したのは初めてでしたので、新しい気づきも沢山ありました。
    ちなみに「瞑想中は、目を半開きにして、目は自分の鼻の頭を見るように」というアドバイスは初めてでした。普段は、目を完全につぶって行っていたので、うまくできませんでした。

    あとは、住職先生のお料理がどれも、とてもおいしかったです。
    初日の夜はひざが非常に痛くなりその場では食べられませんでしたが、翌朝にあらためて頂いたのですが、一日経ってもとてもおいしかったです。ちなみで、あえて一番おいしかったのは何かといえば、二日目のお昼にいただいた、手作りカレーです。最高でした。

    いずれにせよ、本当にすばらしい修行、勉強、体験をすることができました。ここで学んだことを、社内の研修にも取り入れていきたいと思います。
    二日間、誠にありがとうございました。そして、これからも宜しくお願い致します。

    〇時を忘れること
    時計を外し、スマホも預け、今が何時なのか分からないまま時が過ぎました。
    普段、分刻みのスケジュールを送る中、それは新鮮な体験でした。

    〇スマホを触らない時間
    社会人になってから初めて、24時間以上スマホから距離を置いた。
    これを続けると別の世界に行けるのかもしれないが、今は目指すところがある。

    〇食事
    メシが美味しかったです。普段、都会で高い割に美味しくないものを食っていることに改めて気付きました。食事のあいさつは息子にも読ませたいと思いました。

    〇トイレ掃除と後片付け
    ガストでバイトしてた時以来のトイレ掃除と食器片付けでした。
    当時より年齢も重ね、立場も変わり、バックヤードの視点が足りなくなっていたことに気付きました。掃除をする人の気持ちになると。

    〇滝行
    想像以上に冷たく厳しいものでした。物質的な厳しさと、精神的な厳しさの耐性にはギャップがあると感じました。

    〇声出し
    これは自宅でもやってみたいと思いました。呼吸よりも身体が浄化されるのを感じました。他人の音と共鳴するのが心地良かったです。

    〇三禮
    全く知らなかったのでビックリしました。準備運動なく行うのは身体への負荷が多く、隣の会長・社長にもダメージが大きかったと思います。僕も腰痛が悪化しそうでこわかったです。
    改めて、世の中は理不尽なものなのだという部分を思い出させて頂きました。

    〇あいさつ
    「いらっしゃいませ。ようこそお越しくださいました。」
    「ありがとうございました。お気をつけてお帰りくださいませ。」
    言葉が感謝や配慮を伝えるのに最も適していると感じました。
    このあいさつを年齢重ねてもできることが素晴らしいのだと思いました。

    〇お百度参り
    トレーニングが主なのか、お参りが主なのか最後までわかりませんでした。
    全てにおいて「目的と意味」の説明がなく、いろいろ不安でした。そもそも事前に目的や意味を考えること自体がナンセンスなのかもと途中から思うようになりました。意味や目的は、人に問うのではなく、自分で考えるべきことなのだと。
    高尾住職先生のベンチャースピリットが素晴らしいと思いました。
    自分の正しいと思うこと、信じる道を、自らリスクを取って突き進める姿は、起業家そのものだと思いました。いろいろ大変だと思いますが、是非貫いてください。
    僕の親父も生きていれば今年67才、不動産業で起業し大失敗してしまいました。
    魂の差を感じました。

    正直、当初はまったく本修行に関してネガティブでした。
    従業員の一人が、我社の第二創業に際して、経営陣に決意を示してほしいというアイディアを社内会議で提案し、その具体案として経営陣が新年早々に滝行を実施するということが決まったのです。私自身のアイディアではなかったし、気乗りでなかったのですが、従業員たちに弱いところを見せたくなかったので、やることにしたのです。
    実際にやってみて思ったことは想像していた以上に体力、身体的にキツかったというのがあります。滝行にばかり意識が向いていたので、それにはそれなりの心の準備があったのですが、滝行前におこなったお百度参り、そして滝行後におこなった三禮は、頭が真白になるくらいつらかったです。それでも、行が終わる度に「やればできるという事がわかったでしょう」と声をかけられると、たしかに自分にはまだ自分でも知らない高い限界や忍耐というものがあるのだな、と新たな発見がありました。
    二日目は、初日と違い、お経を唱えたりする時間が長く体力的にはさほどでないものの、普段、正座や足を固定して過ごすことがないため、前日の筋肉痛もあいまって足は非常に痛かったです。
    二日目のメニューの中で個人的にとても印象に残ったものは声だしです。メディケーションなどに興味があり、呼吸法などは腹圧式、腹式ともにやっていたのですが声を出す機会がありませんでした。祈願室の中で大日如来様の像に向かってメンバーと一緒に声を出していると、それらが共鳴し、ハーモニーとなって、部屋中に反響して異次元にいるような気分になりました。両日を通じて、先生よりいただいた話、誓いの言葉、思考が人生を作るという考えには大変共感しました。
    第二創業で、体制別新の我社では、少なからず変化に戸惑い、ネガティブな方向に意識が向くスタッフがいます。私も住職先生と同様に、プラス思考のスタンスやそれにともなう実力があれば、あらゆる事は良い方向に改善すると信じています。改めて、そうした信念を従業員に伝えるためにも、先生からいただいたありがたい言葉を社内でも共有していきたいと思います。住職先生とざっくばらんなお話ができ、今後の会社経営に向けて、勇気と自信を持つことができたと思います。
    修行のみならず、住職先生ご自身でのビジネス界での経験があるからこそ、修行の意味やお言葉に深さを感じることができたのだと思います。
    今回は新経営体制の三人で体験しましたが、今後我社でトップレイヤーを目指すすべての幹部候補にも同じような気づきを与えられる機会を持ちたいと思います。
    本当に二日間お世話になりました。
    またいつか、住職先生の精進料理をいただくことができればと思っておりますので、いつまでもお元気でいてください。

    私はこの度、企業研修として一泊二日と短い期間ではありますが、お世話になることとなりました。そもそも、研修に来た目的としては、以下の悪い性格を正すためです。
    スケジュール管理が出来ず、報告書等が締め切りに間に合わないことが多いことが1つ。もう1つは先輩方のご指摘を素直に聞き入れず、実行できないことです。後者はご指摘を実行する時間的余裕がないことが原因です。その結果短い時間で済むように自分1人で進めてしまい、内容が伴っていないものを提出することとなり、つき返されてスケジュール通りに進まない悪循環に陥っていることに気がつきました。まずは1人で進めようとするガンコな性格を直すこと。そして報連相を徹底していきます。
    まだ入社2年目で、経験も浅く、自分1人の力では限界があります。経験豊富な上司の言うことをよく聞き、細かいことでも報告、相談することで、少しずつでも着実に仕事を進められるようにしていきます。そのことを強く誓いながら、限界の声でお百度参りを行い、限界まで滝にうたれ、108回の三禮を行いました。
    翌出社日にはまず、上司に報連相の徹底を宣言し、確実に実行します。
    また、仕事を進めていく基本的な部分として細かな気くばりを教えていただきました。
    座布団の置き方や布団の準備の仕方、あいさつの際のおじぎの角度等。人に与える印象を第一に考え、励んで参ります。
    この2日間お世話になりました。

    今回一泊二日でこちら天光寺で素晴らしい経験ができました。先生方ありがとうございました。私の人生は波乱に満ちております。これまでも色々な経験をして参りました。その度に人として成長でき、こうして今も手を併せる事ができ生かされて頂いている様に思っております。天光寺での経験、出会えた先生方に感謝をし、教えて頂いた事を少しでも残りの人生の糧にして悔いのないものにしたいと思います。
    先生方、親切・丁寧にお言葉を頂き本当にありがとうございました。

    午前中に到着し、作法・真言などを始めに教わりました。随分前にも滝行は経験していたので、正直似た様なものかと思っていましたが、全然違い、初めて教わる事ばかりでした。
    私は今回の体験修行を通じて、精神力を鍛えたいと思って申し込みをしました。そして実際に経験をして感じた事は、自分の甘さを痛感したという事です。
    まず、お百度参りでは寒さに負けそうになりました。それでも続けていくうちに寒さを忘れ、無になるはいかないまでも、いつも心の中にある雑念は少し消えていた気がしました。その後はついに私が経験したかった滝行です。正直、滝を見たときは案外大丈夫かもと思いました。ですが、実際に入ってみたら想像以上の冷たさに、すでに声を出す事が出来なくなっていました。出せても声は震え、まともに発生・発語する事が出来ない状態。滝に打たれた途端に、耐える事が出来なかったです。なのであっという間に滝から出てしまい、自分としては不本意な結果になりました。
    本当は自分の意識を手放すような感覚を得たいと思っていたので、自分の甘さに負けたせいでその感覚を得る事が出来なかったのはとても残念でなりませんでした。
    また滝行をする際には、もっと長く滝に打たれる様に頑張りたいと思います。

    天光寺の皆さま、この度は一泊二日ではございましたがお世話になりました。ありがとうございました。今回、転職を機に新たな気持ちで臨もうということで、独りではやらないことに何らかチャレンジしようということで、滝行にトライしようと思い立ち、会社の同期と共にこちらに伺いました。最初は滝行をということでの話ではございましたが、護摩行にも参加をさせて頂き、精進料理などもいただき大変貴重な経験をさせて頂きました。
    とはいえ今日の訪問の重たる目的としての滝行は、お百度参り始まり、足裏の感覚を忘れるように往復し「無」をそこはかとなく感じたうえで滝に入りました。想像をはるかに越えて冷たく、痛く、そして辛いものではございましたが、最終的には何か自然と一体になったような感覚を得ました。この凛々しい感覚をもって新たな職にトライをしていこうと思います。重ねてにはなりますが、この度はありがとうございました。

    変化の多い2019年の始めに心身共に一新したいという思いで参加しましたが、滝行やお百度参りを通じて心を一旦「無」にすることができ、スッキリした思いです。この体験をきっかけに気持ちを新たにまた歩んでいきたいと思います。
    また、様々な教えの中で、多少のことには動じずにポジティブにかつ積極的に生きるというのが身に沁みました。新しい職場で特につらいこともあるとは思いますが、この教えを忘れずにチャレンジをしていきたいと思います。
    2日間ではありましたが、ありがとうございました。

    自分は「お祓い」と「1週間の体験修行」でお世話になりました。
    自分の場合はネットで調べてから伺ったのですが、口コミで書かれているネガティブなことは当事者の思い込み等で信頼できないと思い藁をもすがる思いで伺いました。その判断は今でも正しかったと思っています。心から困って、真剣に頼れば、必ず得るものはあります。
    得るものがなかったという口コミもありますが、得ようという積極性がないと何も生まれないと思います。
    お祓いもしっかり行ってもらい、具体的に何が起きていたのか、これからの対策等も丁寧に先生から指示されました。祓って終わりではなくその後のことも親切丁寧にアドバイスをくださったことに家族が救われました。後から聞けば、お祓いができる強力な先生で有名だという事でした。知る人ぞ知る名寺のような・・・この素敵な出会いに感謝です。
    「1週間の体験修行」ですが、厳しいです。間違えないでほしいのは、「他人が自分を責めることが厳しい」のではなく「自分自身の願いとそこに行くまでの道のりが大変であると自覚して自分が変わる勇気や決断にぶち当たる」ということです。情けない話ですが自分は3回ほど泣きました。先生の法話を聴いて、「両親のありがたみ」「取りつかれないで生きる為に必要な心構え」に気づきました。またお手伝いをする中で、人への配慮のできなさや、過去の仕事をしていた時の自分のプライドが邪魔し涙を流しました。そんな時に一緒に住み込みをしていた従業員さんは自分の仕事の手を止めてまで親切懇意にアドバイスを下さいました。他のコメントを見ましたが、「お手伝い」を「お手伝い」という見方をするのではなく、その中から何を学ぼうと積極的に考え行動するほうが断然修行にはいいと思います。自分の目的を持たないから、誰かの支持で動く「お手伝い」になると思いますよ。
    私は天光寺の修行で、人生の大きな岐路に気づき決断しなくてはならない状況にまで来ました。そんなときに、逃げたくなる自分を一生懸命励まして正しい道に導いて下さる先生やスタッフの皆さんや仏様にたくさんのアドバイスをもらいました。自分は逃げずに、今の自分を強くするために積極的に判断し生きていこうと思います。
    「何を学べるか」という子供の雛のような考えではなく、
    「何に気づけるか そこから学び行動を変えよう」という思いで来る人は総じて評価が高いと思います。

    天光寺の皆さま、本当に有難うございました!!

    この度は大変お世話になりました。
    ある時から、仕事もプライベートも全てが上手くいかなくなり自分でも訳が分からなくなりました。本当に嫌なことしか起きなくて、最初は自分のせいだと思っていたけどそうじゃないようなことも起きるようになって、気が狂いそうでした。
    仕事に行ってもまともに仕事ができなくなってきた頃、同じ部署で霊感があるらしい後輩に、霊が二体も憑いてるからすぐにでもお祓いしてもらった方がいいですよと言われて、怖くなって有休を使ってすぐにお祓いに行くことにしました。
    正直、霊とか信じてこなかったし、お寺とかにも行ったことがあんまり無かったので半信半疑でもありましたが、今のこの状況から逃れられるなら行くしかないと思いました。
    ネットで調べて、たくさんの人のお祓い体験もホームページに載っていてなんか安心できそうな天光寺さんに来ました。
    最初に住職にいろいろ話しました。現在の事、過去の事、たくさん話してるうちに訳が分からなくなって泣いてました。自分のようで、自分じゃないみたいな、不思議な感覚でした。
    そこからお祓いをしてもらいました。お祓いをしてもらってる間のことはあんまり詳しく覚えていなくて、意識がぼーっとしていたような感じでした。気付いた時には終わっていて、自分の体に血がちゃんと巡ってるような気持ちになりました。そこで、ちゃんと生きてるって感じました。
    それからは前のように、いや、前以上に、充実した日々を過ごせています。あの時、自分に霊が憑いてると言ってくれた後輩にも、お祓いをしてくれた住職にも心から感謝してます。本当に本当にありがとうございました!

    数か月前から、なにかに憑りつかれたような行動をとるようになりました。自分を傷つけたり、家族を傷つけようとしたり…そしてそんな行動をとった後はいつも記憶が曖昧でした。あまりにも可笑しいと思い、精神科の病院へも行きましたが原因がわからず…。ネットで調べていたときに、霊的な何かが原因なのではないかと思いはじめ、天光寺さんでお祓いをしていることを聞き伺いました。
    お寺について、ご住職とお話をしながらお祓いが始まり、浄化・除霊をして頂きました。
    そのときのことはあまり細かく覚えていませんが、身体が軽くなったことは鮮明に覚えています。
    お祓いをして頂いてから、数週間が経ちましたがとても良い状態で日々生活を送ることができています。あのままの状態でいたら、大事な家族を失っていたのかもしれないと思うとゾッとします。本当に感謝でいっぱいです。
    本当にありがとうございました。

    今回初めてお世話になり、ありがとうございました。
    滝行は御岳山の滝で10年程前よりお世話になっておりましたが、今回の滝は初めてですので、貴重な機会をいただけましたことに、感謝しております。
    滝の水量もほど良く、寒くはありましたが、大変気持ちが良く素晴らしい体験でした。
    お百度参りの始めはコンクリートが冷たく、走るのも大変だろうと思ったのですが、途中からはコンクリートの冷たさも気にならなくなり、全力で走ることがと「南無大師遍照金剛」と大きな声でお唱えすることが、大変すがすがしく体験できたことに感謝いたします。

    日々いろいろな出来事があり、良いと思えることだけではなく、辛い事や大変と思えることもありますが、あらがえず全ての出来事のプラスの面を見出し、恐れることなく全ての体験に感謝し、今後も精進していこうと改めて決意出来た素晴らしい行でした。
    写経、写仏はなかなか上手に書けず、時間もかかり、苦労いたしまた。
    筆使いが難しく、細く書けたと思ったら、その後太くなってしまったり、かすれてしまったりと大変でした。
    六波羅蜜の中で、個人的に一番「忍辱」が難しいと感じている私にとって、大変感じるものがあった行でした。
    人生思うようにいかないことも多くあり、ままならないものですが、そういう時に、どうでも良いとすぐあきらめてしまうような思いが出て、短気になってしまいがちなところがありますが、写経、写仏の行をさせていただくことで、改めてこそ自身の弱いところを反省出来ました。短気を起こさず、思うようにならないことや困難にぶつかったとしても冷静に自分の出来ることの最善を尽くし、しっかり自分を信じ人生を歩んでいきたいと思います。
    ままならないことにこそ一番多く学べる機会であると感謝してまいります。
    夜、拝聴させていただいたDVDのご講話は大変興味深く、勉強になりました。
    中村天風さんはヨガを日本に持ってこられた思想家と認識しておりましたが、お医者様であり、がんを治される為にインドに行かれたなど、詳しいお話は知らず勉強になりました。
    真言密教は言葉、言魂を大切にされており、とにかく発する言葉に気を付けなくてはいけないと、中村天風さんのお話を通し伝えてくださり、とても印象に残りました。
    日頃より気をつけてはおりましたが、言うは易し行うは難しで、知識としてはあっても常に行えるようになるには、まだまだ未熟者ですので、日々今後も精進していこうと改めて強く決意出来、心より感謝いたします。今後は自分にたくさん使い、マイナスの言葉を発言しないよう、より気を付けてまいります。
    ご講話の最後の誓いの言葉たくさん発し、自分はもとより、周りの人達も今世での使命を全うし、光り輝く存在とし生きていけるよう尽くしていく所存です。
    「燈照隅万燈照国」の言葉を胸にとにかく継続してまいります。
    瞑想はどれも素晴らしかったです。
    声出しは初めてで、とても気に入りました。家でもやってみたいと思います。
    今回は断食もさせていただき、一番の目的である体重を落すこともできました。
    2kgほどですが、家に帰っても少し様子を見ながら継続したいと思います。
    成田山の断食修行は何度もお世話になっており断食は人気が出てきておりますので、今後取り入れていただくこともご検討いただけたらと存じます。
    行があるので、野菜ジュース断食等で体力を落とさず出来るものも良いかと存じます。
    最後になりましたが、2泊3日いろいろお世話とご指導いただきました荒井さんに心より感謝申し上げます。
    挨拶のご指導等大変ためになりました。
    この素晴らしいスケジュールを作られ、一般の方々に修業出来る場を用意してくださった天光寺の皆様に心より感謝申し上げます。
    これからますます寒くなりますがどうぞご自愛下さいませ。良いお年を。

    今回の仕事の部署の異動などの関係もあって連休が取りやすい環境になった事もあり、2泊3日の体験修行に申し込みました。
    瞑想など自分で出来ることは以前から自宅や仕事中などでも行っていたのですが、滝行などはなかなか日常生活の中では機会に恵まれなかったのでとても貴重な体験となりました。十月という時期はまだそれほど気温も低くないのですが、滝つぼの水はとても冷たく感じ、頭から滝を浴びると一瞬で出たくなるほどとても冷たかったです。
    しかし十秒ほど耐えると冷たさもマヒしてむしろ気持ちよく数分間入っていることが出来ました。とても貴重な体験をありがとうございました。
    滝行の他にも、読経や写経、写仏などなかなか普段は持続できない長い時間集中力を要するもので、正直疲れもしましたが、心地いい疲れで達成感も得られました。
    私がこういった精神世界などに興味を持ったきっかけは若いころに体験した幽体離脱です。あまり人に言っても信じてもらえる内容ではなかったので今までも語ってはこなかったのですが、とても神秘的な体験で何度か再現させて楽しんでいました。
    私のやり方では、寝ているときに瞑想してトランス状態に持って行くのですが、年を重ねる中で仕事や家庭など忙しくもなりなかなか成功しなくなってきていました。
    瞑想のコツなどを取り戻すいいきっかけになればと思って今回参加させて頂き、今後に生かせる良い体験が出来たと思ってます。
    今回途中で体調を崩して二日で帰ることになってしまいましたが、また機会があったら今度は妻でも連れてもう一度参加させて頂きたいと思います。ありがとうございました。

    私が今回参加したきっかけは、会社の上司が自分の子どもと滝行に行って良かったと聞いたからです。頭がスッキリして見方が変わるといわれて興味を持ちました。今までの私は、周りの人に何かをすすめられても、関心が持てなかったのですが、天光寺さんの修行の体験は興味を持ちました。というのも、サイトを見た時に、まさに私が行くべきところだと思ったからです。私は、とても意志が弱く、人に流されやすいがために、だまされた経験があります。また、自信もなく、努力が嫌い、すぐに諦めてしまうなど、基本的な人間力が身についてないと思っていました。もちろん、今までの人生、こんな感じかなと損していると周りに言われながらも生きてきました。そんな自分でも、変わりたいと常に思っています。良い人生にしていきたいと思うだけで行動、実践は出来ないでいたのです。ただ、何事も経験だと思って思い切って参加を決意しました。
    結果、言葉では言い表せられないぐらい良い経験が出来たと思っています。全ての経験で特に感じたのはやればできるということです。一番楽しみでもあり不安でもあった滝行は、とても寒がりな私には出来るか心配でした。前日のお家のお風呂に入るときですら凍えていたので、無理かなと思っていたのでした。それが、少しの時間でしたが、実際に出来た時すごく感動したのは今でも忘れられません。終わった後は、視界がクリアで頭がスッキリしました。感覚的には、これからの人生何でも出来るとポジティブな思考になりました。それとお百度参りはとにかく足が冷たくて痛かったのが辛かったです。ですが、途中から慣れてきたのか、痛みを感じなくなりました。その感じが慣れると良いんだなと思い、、諦めない気持ちを持つことが出来ました。写経、写仏は集中力が続かない私には、最後まで最後まで書くのが大変でした。いかに集中力を付けた方が良いか、集中力が途切れてしまうと字も雑になったと思いました。また、、なにか違う考え事をしていても字が上手く書けないなと思いました。これも一つの経験ですが、これを通して普段字を書く気持ちがなかったと思いました。これからは丁寧に一字一字書けるようにしていきたいと思いました。修行中は当たり前のことを教えていただいたのですが、私にとっては学びだなと思うところがいくつもありました。部屋を出るときは電気を消す、食事をするときに感謝の言葉を言う、片付けた食器はあった場所に戻す、清掃は上から行う、といったことが当たり前のように修行の時には行うのですが、ここ最近の私は忘れていたなと思いました。当たり前のことだけど、仕事の忙しさで出来なかったり、後回しにしてしまったり、結果だらけてしまうなど悪循環な感じになってしまいます。それがこの基本的な事をやるだけでも、なぜか頭が整理されたり、出来るとポジティブになれたりそのような感覚がありました。清掃はやっている途中から心もきれいになっていくなという感じがしました。目に見えて綺麗になっているのが分かるので気持ちも晴れるし何よりトイレに行く時もルンルン気分な楽しい気分で行っていると気付きました。全ての体験に無駄なものはないんだと思う二日間でした。
    今回一泊二日の体験をして、同じ日に体験された方とも仲よくなれたのは、良い出会いだなと思いました。目的は違えどいろんな考え方を共有できたし、新たな受け取れるものもありました。どんな場所であれ、ご縁は大切にしたいなと思う二日間でした。これから人生が楽しみだなと思うし、また何か不安なことがあった時や落ち込んだ時には修行をしに来たいと思います。本当に貴重な体験をどうもありがとうございました。

    二十五歳になり、生まれて初めて修行と宿坊体験をしました。短い期間でしたが、なんだか生まれ変わったようなすがすがしいさがあり、心が軽く清められた気分になりました。
    最初はどきどきしていました。五日市に訪れるのは初めてで、そこから長くバスに揺られて辿り着いたのが天光寺でした。イメージ通りの静かな佇まいで、身が引き締まる感じでした。中に入り、所作や挨拶、色々と学び、食事を共にしていくうちに同じ体験の方と交流でき、仲良くなれたことで、ご住職とも会話が弾み、リラックスして楽しくできるようになりました。
    色々お話も聞けて嬉しかったです。

    私が、お祓いを受けようと思った理由は、不運が続くなど物事がすべて悪い方向に動くからです。

    具体的な内容としては、仕事が上手くいかないので解雇され、車の事故、ぶつける、物がなくなる、無気力、孤独感、人生に絶望、生きているのが疲れる等があります。他にも、良縁に恵まれない、最初は上手くいくがすべて音信不通や連絡がなくなる。人間関係が上手くいかず家族を含めて嫌われている。等です。

    まず、結果から言うとお祓いをしていただきとても良い方向に進みだしました。実は、初めは気休め程度で効果など無いと思っていたのですが終わってみると自分でも不思議なくらい効果を発揮しました。

    新しく仕事も決まり、今まで音信不通になりがちだった人間関係もうまくやっております。

    お祓いをする前は、人生に絶望し生きているのが疲れるなど思っていましたが今では、人生がとても楽しく希望に満ちています。

    もし、困っている友人、家族が居たら紹介したいと思うほどいい体験でした。ありがとうございました。

     

    私は、ここ2,3年の間に悪い事ばかりおきるのでこちらに来ました。

    年々エスカレートし自分の生活に支障が出てきたのでお祓いをしてもらおうと決意しました。

    自分の仕事でもいいところまで行くと必ず身内にトラブルが起き、妹の自殺未遂、父の認知症による介護問題など続きました。

    まず、お寺について住職先生にどのような霊がついているか見てもらいました。

    私の予想通り、霊が憑いていました。早速祓ってもらえるということでお願いしました。

    霊を祓っている最中の記憶はぼんやりしていてうまく思い出すことが出来ません。

    ですが、祓ってもらう前と後では全然違いました。

    ここ数年私に起こっていた悪い事が以前よりは良くなりました。

    今回お祓いしてもらって良かったです。

    私は今回天光寺さんにて体験修行を受けさせて頂きました。

    体験修行で一番心に残っているのはやっぱり滝行です。そもそも滝行が目当てで受けに行ったので一番心に残るのは当たり前の様な気がしますがそれ以上にとても印象に残りました。

    まず、見た目。滝って本当に水が落ちているのですね。大量の水が、落ちてきているのが見ただけで分かりました。少し、恐怖も覚えるほどでした。

    次に、音。これは、とても大きい音でとても水の音だとは思えません。

    これから、この中に入ってあれを受け止めるのかと思うと恐怖を隠せませんでした。

    意を決して入ってみると思っていたよりも優しかったです。そして、入っているうちは気付かなかったのですがとてもリラックスできていました。自然の中で日常では触れる機会のない滝にあたり心身共に癒されました。

    また、ここに来てみたいと思える修行でした。ありがとうございました。

    今回、私は体験修行を受けてきました。

    体験修行を受けようと思った理由は、興味本位でした。

    現在は、学生ですが来年にはもう就活も始まり社会人の仲間入りする予定です。そこで、自分を叩き直すという意味も込めてこちらに来ようと思いました。

    内容としては、挨拶等の礼儀作法を学びその後、お百度参りをして滝を浴びる流れです。

    まず、驚いたのが大自然です。ここまでの自然をこんなに身近に感じたのは久しぶりでした。

    なんだか、自然に触れていると不思議と心が癒されてきました。自然には不思議な力があるなと思っていました。

    次に、お百度参りでは全力で走りました。全力で走るのは普段なかなかしないことなのでとても疲れました。元々、身体を動かすのは得意な方ではないのでなんか嫌だなと思っていたのですが大自然に囲まれ全力で身体を動かすのはとても気持ちが良いものでした。

    最後は、滝行です。滝行では、お百度参りで出した汗を流すようで気持ちよく見えたのですがいざ入ってみると勢いが強く予想していたよりも大変でした。

    今回修行を受けてみて、普段生活しているだけでは見えてこない部分が見えてきて自分の新しい一面を発見することが出来嬉しかったです。また、なにか新しいことに挑戦したいです。

    天光寺との出会いは全く予想をしていなかった出来事でした。
    私は30代前半の男性なのですが、どんな仕事をしてもいい結果を出す前に体調が悪くなったりトラブルに見舞われるのが常でした。会社を辞めるたびに「適応障害」「うつ病」と診断され、絶望に落とされ自殺を何度も図ろうとしていました。そしてつい最近もそうなり、とても強い衝動と覇気の減退が著しく動くこともできなくなりました。そんな病床中にYouTubeで時間をつぶしていると心霊現象の動画に行き当たり、今まで全く信じていなかった霊障の疑いに目が向きました。そこで東京で除霊ができる強い先生がいるという天光寺に出会えました。その後除霊をして頂いたらまさかの結果でした。
    自分は強い霊媒体質で見えないながらも集めてしまう体質だとわかりました。
    先生や職員の方のサポートもあり無事除霊に成功しました。
    その後先生から、同じようにならないためのアドバイスを頂きました。病院で言う「薬」ですね。それが実に的確で、自分の性格を完全に把握しておりそういった部分の矯正も必要だとアドバイスを頂きました。
    結果同じことを繰り返さない方法を知るために天光寺にて1週間の体験修行をさせていただきました。その中で先生やほかの従業員の皆さまの温かいアドバイスを頂き、「積極的に生き、強い自分になることが必要だ」と分かりました。そのためには、自分の弱さや我の強さを取り除くことが必要だと指摘され、今後もっと多くの厳しい体験をして魂を磨き上げる必要性に気づきました。普通ならばここで終了ですが、先生は違いました。
    「しっかり最後まで面倒を見てくれる」とおっしゃってくださいました。
    病気の特定・病気の治療・治療薬の処方・リハビリのすべてを一緒にやってくださるという懐の大きさに感動しました。
    これからもよろしくお願いいたします!!

    身体が重く、気怠い感覚がいつもありました。どうしたらいいのかわからず、友人に相談をしたら、天光寺さんを紹介して頂きました。私は母子家庭です。母と二人で暮らしてきました。母が家で霊的なものを見たり、肩が重いと言ったりと、母にも良くないことが起こっていることが多く、親子ともども苦しんできました。
    なぜこのタイミングで天光寺さんに出会ったのかは分からないですが、ご縁があってよかったです。
    今までの出来事や相談などいろいろお話させてもらったあと、お祓いを受けて身体が軽くなったと感じました。すべてがスーッと消えていったような、心も軽い気持ちです。20数年間抱えていたものがなくなって本当に嬉しかったです。ありがとうございました。

    今まで学生生活を送ってきて、自分なりに頑張ってきたつもりだったけど、周りの人に比べれば何も残っていないなあと思っていました。4年間いろんな経験、遊び、勉強をしましたが、まだまだ未熟な自分に喝を入れて、社会人をスタートさせたいと思い、参加を決めました。一人での参加だったので、不安でしたが、そんな不安を思い出す暇もないくらい密度の濃い時間でした。集中する場面が多く、受験勉強をしていた高校生の頃を思い出しました。あの頃より集中力がすぐ切れるなと感じ、4年間で衰えてしまって落ち込みました。生活の中で集中する時間を設けることは大事だなと思いました。一番楽しみでもあり、緊張していた滝行は充実感のあるものでした。すごい水圧と水しぶきの中、滝に耐えるというあの時間は一生忘れられません。自分に打ち勝ちたいという一心で耐えました。滝に入っているときはそればかりであまり覚えていないのですが、終わった後はとてもスッキリした気持ちと達成感で気持ち良かったです。さまざまな経験を短い時間の中でさせて頂きました。自分に自信がなくなった時は、この経験を思い出したいです。また、思い立ったら修行に来て気持ちをリセットさせたいなと思いました。初心を忘れないよう、社会人になっても頑張りたいと思います。お世話になりました。ありがとうございました。

    10代の頃、父が脳梗塞で倒れ、寝たきりになりました。叔父も川で事故に遭い、亡くなりました。叔父の事故や、父が倒れたこともあり、憔悴しきった母はうつ病になってしまい、父の介護も限界になった母は自殺しました。その後、父も症状が悪化して亡くなりました。私の周りの人が次々に亡くなって、私も憔悴しました。どうしていいかわからず、友人の紹介で天光寺にたどり着いたという流れです。これらの話を、先生にお話して、すべてを吐き出しました。それだけでも十分楽になりましたが、除霊をしてもらい身体も少し軽くなった気がします。また、少しだけ前向きな気持ちになれました。ここに来ていなかったら、妹まで失っていたかもしれないと思うと、怖いです。感謝しています、ありがとうございました。

    学生時代から精神科に通っているものです。
    今回、思い切って違う方法で何かを変えたいと思い天光寺のお世話になることにしました。
    夫と子供の3人暮らしで、子どもと二人の時間がとても不安です。
    夫に依存し、一緒に入れないときは鼓動がずっとドキドキしています。
    薬に依存してしまわないように量を調整してもらっているのですが、
    今の量では止められない感情のふり幅が辛いです。
    薬でも止められない涙や言葉に自分自身戸惑ってばかりです。
    自分を変えたい一心で、病院に相談して今回のお祓いを決めました。
    お祓いでは、自分の気持ちをゆっくり話させて頂き、いろんなお話をして下さいました。
    前向きに生活を送れるように気持ちにゆとりを持ちたいと思いました。
    夫に協力してもらいながら、薬を減らしていけるように頑張りたいです。
    このような機会を頂き、感謝しています。ありがとうございました。

    ホームページを見て、こちらの寺院を知り、お祓いをしていただきました。私は生前記憶があり、子どもの頃から幽霊や魔物や不思議なものが見え、靴をかくされたり、柱に引き込まれて取れなくなったり、とにかく、運が悪いのです。その理由は、おそらく生前記憶で地獄にいて、きちんと償いを済ませてからこの世に生まれてくるはずが、途中で助けだされ、きちんと罪を償えていなかったからだとおもいます。子供の頃、柱に引き込まれて動けなくなった時、母がお寺のご住職に頼んでお経を唱えてもらっているうちにやっと取れた事を思い出し、こちらにお祓いに来ました。
    主人が鬱になり働けず、子どもは障害で生まれました。本当にどうやって生きていったらよいのかこの先が不安でどうしょうもなく、いっそ死んでしまおうとまで思い詰めていました。しかし、こちらのご住職が法話をしてくださり、生きる意味について説いてくださいました。そしてお祓いをしてもらうと、本当にスッと心が軽くなったのです。たまたま、別のご家族が除霊に来られており、少しお話させていただいたのですが、そのご家族もご苦労がおありで、私だけではないんだと、勇気づけられました。また、気持ちが滅入ってしまったとき、何か助けてほしいときは、こちらにお世話になりたいと思います。本当に、本当に、ありがとうございました。

    一泊二泊の研修ありがとうございました。
    普段の生活では体験することが出来ない貴重な体験をする事ができ感謝します。
    天光寺の企業研修を受けるきっかけは、部門内の若手層で部署横断でグループを作り、一つのテーマに対して、一年間活動することになり、我々は「グローバルに通用する人材を目指す」をテーマに選びました。ビジネスのスピードが上がり、せわしない世の中になり、人の余裕(心や時間)がなくなり、ギスギスした世の中になっているように感じました。
    この様な世の中で次の日産自動車をリードするには、まず精神力を高めて、折れない心を持つ事が大前提であり、すべての基礎だと考え、天光寺の研修を選びました。
    来る前は、宗教的なことなので前向きではなかったのですが、仏教の教えは、ビジネスにも子育てにも応用が出来ることがわかりました。今後はここで教えて頂いた事を周りのみんなに広めていきたいです。
    特に積極的な行動や態度が、チャンスを広げる、です。
    今までの自分を振り返ると、後悔することが両手以上ある事に気が付きました。今日からは、常に前向きで積極的に過ごしていきたいです。そして、弱い自分に負けそうになった時は、皆で一緒に頑張った研修を思い出して、もう一歩先に進むように、仕事でも、子育てにも頑張りたいです。
    最後に、毎回のお食事、とても美味しかったです。二日間お世話になり、本当にありがとうございました。

    本当にありがとうございました。
    ここ数年気分が優れず何をしてもうまくいかなく、知人に相談して紹介で天光寺でのお祓いを受けることにしました。
    お祓いは初めてで緊張と不安で一杯で。でも私の現在おかれている環境から少しでも早く立ち直りたくてを受けることにしました。
    一人では天光寺に行けないので、知人に付き添いをお願いしてお寺に訪問しました。電車を乗り継ぎ、駅からまたバスに乗り遠かったです。東京と言っても山奥で人がほとんど見当たらずなところにお寺はありました。住職に会いお祓いをお願いし、除霊の部屋に案内されました。

    部屋に入るなり耳鳴りが始まり倒れてしまい、お弟子さんに起こされました。合掌した手が小刻みに震え、頭が左右に動きだして気味が悪かったです。お祓いは簡単に済まず数時間掛かりました。お祓い中は何度か意識が無くなりましたが、無事に終わりました。
    お祓いが終わると天光寺に来る前より身体が軽くなっていました。視界が広がって呼吸が楽にできる事に気がつきました。何でも私には、動物霊が憑依していたらしいのですが、今は消え去り今後は憑依しなくなるとお話いただいて、気持ちが落ち着きました。
    身を持って体験して軽くしていただいたことに感謝します。もう憑依されるのは嫌なので気分爽快で生きていきたいと思います。

     

    数年前から体中に痛みを感じるようになり、病院へ行って検査をしても原因不明で、最近になり仕事に支障をきたすようになってしまいました。家族に相談したところ、息子に霊的な何かなのではないかと言われ、怖くなり、お祓いをしていただけるところを調べ、天光寺さんを訪れました。ご住職をはじめお寺のみなさまは温かく迎え入れてくださりました。しかし体の痛みはお寺についてから余計に強くなりました。その後の記憶は曖昧です。ご住職が私に話しかけたり、お経を唱えたり、鐘を鳴らしていました。ふっと、気が戻ったときにはお祓いは終了していました。邪気が取り払われたと言われ、気付けば先ほどの強い痛みがなくなり、身体が軽く感じました。家族や職場の方にまで心配をかけ、痛みもひどくなり大変に困っていたので本当に助けて頂けたことに感謝でいっぱいです。お寺の皆様、ありがとうございました。

    一日体験修行に参加しました。滝行を体験してみたいという気持ちから申し込んだ体験修行でしたが、想像以上で、参加してよかったと思いました。実際の滝行体験は、前日に雨が降ったので水量がすこし多いと伺って、始まる前に恐怖を感じてしまいました。やっぱり好奇心だけではなくて、覚悟も必要でした。それでもお寺の方や一緒に体験修行に参加していた他の方にもお声がけを頂いて、きちんと気持ちを作ってから滝行に挑戦できました。何秒ぐらい滝に打たれていたのか自分では定かではないですが、声掛けがあるまで滝の中にいることができたので満足です。滝行以外にも、お百度参りや写経を体験しました。お百度参りは日頃からランニングをしているのでそんなに苦ではありませんでしたが、普段いかに雑念を持ちながら走っていたのか分かったような気がします。心がスッキリする感覚でした。写経は集中して文字を書く事を久しぶりにしたので疲れはありましたが、貴重な経験でした。興味心からの参加でしたが、日常では体験できない様々なことをすることができて大変貴重な良い経験となりました。今後、モヤモヤすることなどがあったときにはまた体験修行に参加したいと思います。ありがとうございました。

    今日は母の紹介でこちらにおじゃまさせていただきました。ヒーリングって何なのかまったくわからなかったのですが、母の体調がよくなったのが、ヒーリングの効果だったそうで、私も足に静脈瘤があり、マッサージなどの治療を受けていますが、その一環として体験してみることにしました。よく血流やリンパの流れは誰もが意識するところではありますが、気の流れや身体の表面を流れているエネルギーの流れを良くする、と聞いてピンとくる人はすくないかと思います(笑)。私もなんのことだかよくわからず半信半疑でしたが、母の原因不明の体の重さや倦怠感がスッキリなくなり、顔色も良くなり、以前よりずっと明るく元気になったことで、効くのかな? と思いました。普通マッサージなんかだと、マッサージで一度血流が良くなっても、同じ生活を続けているとまたマッサージを受けないとだめですが、気の流れやエネルギーは、一度詰まっている箇所を取り除き、滞りをなくすると、その後はスムーズに流れていくそうで、そういった意味では、血液やリンパ液のように管の中に流れている水分と違って気やエネルギーのような気体? は管の中でない分自由で、こっちの詰まりを先に改善させたほうが良いのは、という母の言葉に、なるほどと思いました。ヒーリングの最中はまるで半分眠っていました(笑)。宇宙にいるような感じで、温かく、上に上に上がっていくような感覚で、やさしい何かに包まれているような安心感がありました。ヒーリングの後は体がスッと軽くなっていました。面白い体験ができてよかったです。ありがとうございました。

    20代の頃からずっと肩こりで悩み続け、30代からは眩暈も発症するようになり、以後自分でストレッチを毎日したり、眩暈体操をやり続けていました。今の仕事が重たい鞄を持ち歩くこともあり、肩の痛み、重さなどの症状がどんどんひどくなり、鍼灸院へ行っても、マッサージに行っても改善せず、諦めかけていた時、友人が「そんなにひどい症状で、接骨院でも鍼灸院でもマッサージでも治らないなら、何かが憑りついているのかもよ」と冗談で言ったのですが、その言葉にはっとして、インターネットで調べて、こちらを見つけました。

    天光寺に入ると貫禄のある優しそうなご住職が出迎えてくださり、早速診断してくださいました。結果は、何と水子の霊だったのです。水子とは流産などで生まれてこれなかった子どもが霊となり憑りつくのは知っていましたが、まさか私に水子の霊がついていたなんて驚きました。実は若い頃、人口妊娠中絶の経験があったのです。中絶だとしても、命を奪ったことにはかわりないのだと思い、生まれてこれなかった命に申し訳ないことをしたという気持ちでいっぱいになりました。その後ご住職に除霊をしていただきました。私に憑いていた水子は、1時間ほどの除霊で成仏できたのか、ウソのように肩が軽くなり、20年間悩み続けた肩こりから解放されました。今思えば、何故もっと早く気付いて除霊してもらわなかったのだろうかという気持ちでいっぱいですが、その頃はまったく霊のせいなんて思いもよらなかったのです。

    除霊をしてくださったご住職には感謝してもしきれません。ありがとうございました。

    本日はお祓いをしてもらいに埼玉から来ました。今まで霊感などなかったのですが、今の家に引っ越してから、夜中にラップ音が聞こえるようになったのです。マンションから一戸建てへの引っ越しだった為、最初は木造だから、木の柱がぱきっと鳴ったりするのかな、とも思ったのですが、日に日にラップ音が激しくなってきて、怖くなり、知人の紹介でお祓いや除霊などに定評のあるこちらへ相談をさせていただきました。

    ご住職はすぐにこれが霊障だと見抜き、お祓いをしてくださいました。霊はモヤのように見えるそうで、ただのラップ音と思っていた場所にも霊魂があったようなのです。霊の中でも厄介なものだと何日もかかり、何回も念仏を唱えたりしなければならないそうですが、うちは1回のお祓いでラップ音は収まりました。霊はどこにでもいて、誰にでも憑りつく可能性のあるものだそうなので、また何かありましたらお世話になりたいです。ありがとうございました。

    躁うつ病を10年患っております。最近トラブルがあり、そこから一気に問題がたくさん発生しました。会社勤めをしていますが、勤め先で上司から最近顔が変っているときがある、怖いときがあると言われ、違う人格がいるんじゃないかと言われました。愕然としました。顔色もおかしかったそうです。自分でも怖くなり、眠れなくなって数日過ごし、会社も休んでしまったとき上司が訪れてお祓いをすすめられました。最初は懐疑的でした。上司のことも疑いました。けれども他に術もなく、お祓いをうけることにしました。お祓いは神秘的で住職から憑き物がいるが祓えるから安心してと言われお任せしようと思えました。不思議な感覚で終了しました。住職からは瞳の輝きが出てきたと言われました。自分でもリラックスでき心が落ち着き安心しました。薬はまだ飲まないといけませんが、少し心が楽になりました。

    私は先日、お寺のお手伝いをさせていただいたパート従業員です。
    事務室で仕事をしていると色んな方からひっきりなしに除霊のご依頼のお電話がかかってきました。ご住職はどの方にも真摯に向き合って丁寧にひとつひとつご説明や相談にお答えしている様子が今でも印象に残っています。
    実際に除霊に来られる方は、憑りついている霊のせいで、お寺に入る前に玄関前で暴れたり、叫んだりすることがよくありました。これは、霊が憑りついている者から剥がされると分かっている為に、お寺に入りたがらない為にあがくのだそうです。天光寺のお寺がなぜ霊性が高く守られているかというと、いつも大勢の体験修行の皆様がお経を唱えていたり、お盆の時期に盛大に山のようなお供えものとお経で供養するから、ご先祖様や生霊たちが喜ぶ為に、霊性が高まるのだそうです。
    そんな場所に低級の悪霊や地縛霊などが近づいたら、やはりそれだけでも苦しいのかもしれません。
    除霊前の方はみな暗い顔をされて天光寺にやっていらっしゃいます。本当にお辛そうです。憑りついている霊は、水子だったり、邪気だったり、地縛霊や亡くなった方の霊など様々で、すぐに除霊できてしまうものもあれば、しぶとい霊もあるようです。
    その中でも一番私の中で印象に残っているのが、孤独死をされた方のお部屋を整理するお仕事をされている女性の除霊です。
    彼女は本当に辛そうにお寺に来られて、除霊をしてもらい、最後は号泣されていました。
    ご住職が除霊をされたために苦しみから解放されたようで、それを見ていた私ももらい泣きしてしまいました。
    お寺で除霊に来られた方にお渡ししている資料があります。そのひとつに「こころのもち方」というものがありました。霊に憑りつかれないためには、いつもこころ明るく、前向きで生き生きと人生を歩む必要があると感じました。
    そうやって前向きに生きていても、もし霊に憑りつかれてしまったなら、その時は天光寺で除霊をしてもらうと良いと思います。

    身体が重く、気怠い感覚がいつもありました。どうしたらいいのかわからず、友人に相談をしたら、天光寺さんを紹介して頂きました。
    私は母子家庭です。母と二人で暮らしてきました。母が家で霊的なものを見たり、肩が重いと言ったりと、母にも良くないことが起こっていることが多く、親子ともども苦しんできました。
    なぜこのタイミングで天光寺さんに出会ったのかは分からないですが、ご縁があってよかったです。
    今までの出来事や相談などいろいろお話させてもらったあと、お祓いを受けて身体が軽くなったと感じました。すべてがスーッと消えていった。

    今回は誠にありがとうございました。

    私は数年前から耳鳴りや頭痛に悩まされていて、何度も病院で検査したにもかかわらず原因が分からない状態でした。最初は我慢ができる程度だったのですが、今年に入ってから生活に支障をきたすほどになってしまい、あまりにも普通ではないと感じた家族がたくさんの方に相談した結果、天光寺さんでお祓いをしていることを知りました。
    私は元々霊感が強い方でもなければ、そういった場所に近付くこともなく、霊とか存在を信じていないタイプだったので、お祓いに行って本当に私の身体はよくなるのかと半信半疑でした。
    実際にお寺に到着して、住職とご挨拶をしたときに住職はすぐに何かに気付いたような顔をされました。今思えば、住職は私に霊が憑いていることをすぐわかってしまったんでしょう。
    半信半疑のまま、お祓いは始まりました。私は始まってすぐになにかを感じました。そうして、なんだか住職のお顔を見ることが怖くなって、だんだんと耳鳴りや頭痛が酷くなって・・・気付いたときには終わっていました。
    付き添ってくれた主人は、私の顔を見て、泣いていました。昔の、晴れ晴れしい表情に戻っていたそうです。私自身も身体がとても軽くなり、耳鳴りも頭痛もなくなっていました。
    生活ができなくなるほどの苦痛から助けて下さった住職には感謝してもしきれません。これからまた家族で楽しく生活をしていけそうです。
    本当にありがとうございました。

    私がお祓いを受けるのを希望したのは、両親が施設で亡くなったことに起因しています。仕事で忙しくしていて両親を施設にまかせきりに。何より自分優先の生活をしていました。施設の費用を捻出するために、自分は頑張っているんだ、くらい思っていました。緊急の電話があって施設に向かうと、二人とも冷たくなっていて、ただ涙を流して、自分を責めました。人の命とははかないと言いますが、両親の死は想定外で、私は追い詰められました。その後自分を責め、医務によるとうつ病になりかけていると診断され、目の前が真っ暗になりました。

    どうしていても自分を責めることをやめられず混迷していた時に、心の乱れを元に戻す施しがあると聞き、天光寺のお祓いを受ける機会となりました。お祓いを受けるまでは半信半疑で何度も止めようかと思いました。両親への思いからお祓いを受けました。お祓いを受けている際は、自分の体が勝手に動き出したり、胸が苦しくなったりしました。声も出せず、ただ時間が過ぎているだけの様で不安でした。

    いくつかのお祓いが終わり、我に返り何が起きたのかさえわからない状況でした。不思議な体験、としか、言いようがありません。そしてふと感じたのは身体が軽く感じたことでした。邪気が消えて、取り払われたということでした。

    自分にはわからない超自然界の出来事なのか、お祓いで私は助かりました。とても感謝します。

    私が体験修行を受けた理由は、自分を見つめ直そうと思ったからです。

    自分を見つめ直そうと思ったきかっけは、今まで勤めていた会社を辞めたことです。

    毎日仕事に明け暮れていて心の休まる暇のなかったせいか少しずつ自分自身を見失っていきました。日に日に自分が自分じゃなくなっていく感覚とても怖かったです。ある日、会社を辞めることを決意しました。そこから1週間ほど自分の好きなことをやっていましたがそれでも心が休まることはありませんでした。そこで、学生の頃からよくしていただいている先輩に相談したところ天光寺さんを紹介していただきました。

    その話を聞いてからすぐに申込ました。そして、当日私はお寺について周りの景色をみてこんなにも自然豊かな場所にあるんだと思うと同時にこういうところにきたのは社会人になってから初めてだったので感動しました。受付をして、早速修行開始です。

    私が、申し込んだ内容は滝行を受けられるものでした。まず初めに、挨拶等の礼儀作法を習いました。次に、行ったのは写経です。筆をもつのは久しぶりでした。墨の匂いが心を落ち着けてくれました。その次は、お百度参りです。お百度参りでは、とても疲れたけれどもこんなに気持ちの良い汗をかけた喜びをかみしめていました。

    いよいよ滝行です。滝を目の前で見てもそれほど勢いがあるように見えなかったので温泉やプールなどにあるものと同じ感じなのかと思っていましたが、いざ滝を受けてみるとビックリしました。修行に来る前に天光寺さんのホームページにある感想文を読んだ時にこんな風に感じるなんて大げさだなと思っていたのですが見るのと感じるのではこんなに違うのかと感じ改めて自然の偉大さを思い知らされました。滝行で、心だけでなく体の疲れそして、先入観というものを失くしてくれました。

    今回体験修行を受けてみて、心が癒されるのを感じました。こうして、パソコンやビルなどの人間が作り出したものに囲まれていると自然というものを目の当たりにしたときにいかに自分がちっぽけな存在か思い知らされます。自然に囲まれているだけでなんだかパワーをもらったかのようにいつも以上に体が動かせるような気になりました。

    これから、新しい就職先を見つけるなど色々やることがあるのですが、頑張れそうです。

    ありがとうございました。

    前回一度滝行を受けさせて頂くために天光寺さんに訪れたことがあるのですが今回は、写経写仏を受けさせて頂くために訪れました。

    前回の修行後は、メリハリがつきすべてのことが順調に進んでいました。

    ですが、最近多忙からか体調を崩すことが多くなってきていて心を休めるためにもまた受けたいなと思っていたのですが季節的にも滝行をやるのは辛いし、体力がないのでお百度参りをやるのもなんかなと思っていたところ写経写仏をやる修行があることを知りすぐに申し込みました。

    改めて天光寺さんを訪れてみて思ったのは自然のパワーを感じるところだなと思いました。

    前回同様受付を済ませ、まずは礼儀作法です。前回受けているので大まかな流れは分かっていたのでスムーズに出来ました。

    次はいよいよ本題の写仏写経です。前回の修行の時にも体験したのですがその時に一番楽しかったのは写仏写経でした。元々、幼い時に習字を習っていたので筆を使うのは得意だったのでうまくできてうれしかったのも今回受けようと思った理由の一つです。前回の修行の時から筆を使って書く機会はなかったので久しぶりに筆を持ったので上手く出来るか不安だったのですが自分的には満足のいく出来で良かったです。筆で字を書いていると心がとても落ち着きます。日々の疲れを忘れて目の前の文字だけに集中できるからかも知れません。後半のほうになってくると、頭で考えずとも手が勝手に動くようになり集中力が極限まで高まっているような気がしました。自分でも集中力は高いとは思っていましたがここまで集中できるとは思っていませんでした。多分環境も大きく関係していると思います。自分が思っているよりも早く終了の時間が来てしまいました。あっという間でした。

    終わった後は、疲れ切った心はいつもどころかいつも以上に元気になっていました。

    また、来ようと思えるいい時間でした。

    一泊二日の体験修行を初めて体験させていただきました。台風接近中という生憎の悪天候でしたがお百度参りも滝行も無事執り行われました。

    滝行前に、般若心境を唱えていた時は、あんなに声が出なかったのに、滝に打たれたら自分でも驚くほどよく声が出ていました。滝の迫力に負けじと感じたのでしょうか。次は写経と写仏ですが写経は何度かしたことがありますが小学生以来の毛筆には苦労しました。終盤になってやっと力加減や筆遣いがわかってきた始末です。

    写仏は初めてでしたが元々絵が好きなので正直写経より集中していたようです。最近何かと雑にすることが多くなってきたので自宅で続けてみようと思います。二日間という短い期間でしたので今抱えているすべての悩みやストレスがきれいさっぱり解消するとはいかないまでも、解消に向けて一歩踏み出したように思います。なんだか力が沸いてきました。どうもありがとうございました。それから御食事もとても美味しかったです。ごちそうさまでした。

    マンネリ化した日々をどうにか脱却したいと思い、最近話題の滝行に挑戦してみることにしました。いざ滝を目の前にすると大きな音や水しぶきで怖くなってしまい、足が震えました。大迫力の滝に向かっていくのは正直怖かったけど、自分を変えるという意味でもやってやろうと決意できました。水圧がすごくて、飛ばされそうになりながらでしたが、なんとかやりきることができました。終わった後は、スッキリしてとても気持ちが晴れやかでした。身体についていた余計なものが流れていったような軽さに驚きました。たまにやって、身体をリセットしたいと思います。

     

    最近は瞑想も人気だと知って、天光寺でもやっているとのことだったので体験してみることにしました。滝行とはまた雰囲気の違った修行で、静かに、指導されるがまま…といった印象です。エネルギーが体の中をめぐっていくような感覚と、内から何かが出てくるような感覚がありました。慣れるともっといろんなものを感じられるようなので、また修行に来たり、普段からも瞑想の時間を設けようと思いました。

    この度は誠にありがとうございました。

    2年前から怪我や事故、病気になることが増えました。最初は年のせいで身体が鈍くなったと思っていましたが、病気に関しては病院に行っても原因が分からなかったことや処方された薬を飲んでも全く効果がないことで自分は普通じゃなくなっているように感じていました。最近になって知らない人の声が聞こえることや何か可笑しな影を見るようになり、また悪夢を毎日見て魘されて起きる日々を過ごしました。精神科への診断も検討しましたが、妻に話したところ悪い霊にとりつかれているのではないか、お祓いをしてもらうべきだと言われこちらのお寺へ伺うことを決めました。

    お寺はとても東京とは思えない山奥にありました。一緒にお寺へ伺った妻も、あまりそういう場所へ行った経験がなかったので私たちはお寺に着いてからもずいぶん緊張していました。住職さんは私の話を聞いてすぐに、あなたは霊に憑かれていますと言われました。そして優しく私に話しかけられました。お経が始まると、体が震えて自分のものではないようでした。それからはあまり覚えていません。妻の話によると、除霊の終盤には私は泣き叫んでいたようです。その姿は私ではない他の誰かであったと言っていました。気付いた時にはお祓いは終わっており、住職さんの温かさを身体で感じました。とても軽い気持ちになれたことを鮮明に覚えています。

    私は不動産関連の仕事をしており、稀に事故物件を担当していました。担当になると何日も通うことがあり丁度私の担当した物件は自殺者がいた場所でした。住職さんのお話では、その時に自殺者の霊が憑依していたようです。

    私の晴れやかな姿を見て、妻は泣いて喜んでいました。また前のような生活に戻ることができ、本当にお祓いを受けられてよかったです。

    天光寺の皆様、なにより高尾住職さん、本当にありがとうございました。

    度重なる体調不良や、なんとなくの霊障?を感じていましたが、自分だけでは除霊をお願いしてもらう勇気はなく、どんどんやつれていく異変に母が気付き、天光寺さん連れていってくれたので本当に感謝です。

     

    霊はいくら除霊しても、霊と同じ波動を持っている人は再び霊を引き寄せてしまうというお話を聞いて、またまた怖くなりました。

     

    恨みをもった人間には、恨みを持って亡くなった霊が憑くし、毎日マイナスなことばかり考えていれば、低級霊が憑くという話と聞いて・・・

    そういわれたらその頃は、仕事もうまくいかず、長く付き合った恋人と別れ、全てにおいて自暴自棄になっていた時だったなーと思いました。

     

    そして、先生に見透かされた通り、今までは何でも人のせいにするところがあり、嫌なことがあるとすぐに投げ出していました。恋人にも自分の気持ちをすごく押し付けていたと思います。

     

    なんで自分ばっかり・・・こんなに頑張っているのに・・・と嫌なことばかり考えて、それが上司に対しての恨みに変わったり、私はこんなに愛してるのになぜわからないの?と彼の気持ちも考えずに罵倒したり・・・今思い出すと、本当に自己中心的の何ものでもなく、お恥ずかしい限りです。

     

    自分自身がしっかりとした哲学を持って、他人に役立てる自分であり、明るい波動を出していれば霊は近づいてこないと言われたので、今回の体験をプラスに変え今一度、自分の生き方を見つめ直し、日々の生活に感謝して、明るく前向きに頑張っていこうと思います。

     

    常に明るく前向きに、人の気持ちを考え、人の幸せを一緒に喜べる人になりたいと思います。

     

    今回のお祓いをきっかけに、先生にお会いできて色んなお話を聞けたことで、なにか今まで虚勢を張っていた自分から生まれ変われそうな気がします。

     

    今までの変なプライドは捨てて、一から頑張って、早く素敵な彼を見つけたいです!

    私はこの一年うつ病のような症状で、家事や子育てもままならない状態になってしまいました。

    しかし、この症状が霊障だとは気づかずこの一年苦しみ続けて、藁にもすがる思いで天光寺さんを訪ねました。

    思い返せば、2歳の子どもがいつも誰もいないところに向かって、にこにこと話していたり、飼っていた小型犬はその同じ方向に向かってずっと吠えていたりしたことが続いていました。でも、子どもの頃はよく見えると言いますし、怖がっていたわけではなさそうだったので気にもしていませんでしたが、ちょうどその頃から、ひどい頭痛や、嫌悪感が始まり、次第にやせ細り、髪まで抜け始めました。

    家に居ても、家の中の絶対に落ちないようなものまで落ちたり、電源の入っていない子供のおもちゃが音を鳴らしたり、子どもは誰もいないところに向かって話したり、笑ったり・・・。もうかなりノイローゼになっていたと思います。

    私は霊障だと家族に話しましたが、みんな信じてくれず、ただ育児に疲れているだけだと言われ、一人でずっとつらい思いを抱え込んでいました。

    ネットで天光寺さんを知り相談すると、本当に親身になって話を聞いてくれて、心が救われました。

    すぐに除霊をお願いすると、子どもを亡くしてしまった女性の霊だったらしく、うちの子どもを可愛く思い、母親である私に妬みを感じ私に嫌がらせをしていたようです。

    子どものことは可愛く思っていたとのことで、だから子供は楽しそうに笑っていたりしていたのが納得できました。でもこのままにしていて、子どもにも何かされたり、連れて行かれるようなことになっていたらと思うとゾッとします。

    先生にきちんと除霊していただいたおかげで、その女性の霊も成仏できたようですし、私自身、本当に体が軽くなって、みんなから顔つきが変わったと言われました。

    今まで、このような霊障など信じていなかったのですが、本当にあるんだなーと実感しました。本当に親身になり、しっかりとお話聞いてくれたとこ忘れません。

    ありがとうございました。

    最初は、週末を利用して母と二人で高尾山に登る予定でした。

    そのついでにまわれるところや、美味しいものをネットで探していたところ、天光寺さんの体験修行を見つけて、少しためらい気味の母を説得して急遽予定変更で天光寺さんの体験修行にお邪魔しました。

    私は昔からパワースポットが大好きで、色々なお寺巡りをしてきましたが、檜原村にこんな素敵なお寺があったなんて驚きでした。

    そして体験修行の内容というのがこれまたすごく女性向きと言いますか、ヨガもあり、お寺の精進料理を頂けて、お百度参り、滝行ととても大満足な内容でした。

    今までもヨガはやったことがありましたが、お寺で、しかも禅ヨガという身を清めてから行うヨガは初めてで、とても神聖な気持ちになりました。

    精進料理は前にも別のところで食べたことがあったのですが、基本的にいつも肉や魚を食べている私にとってはあっさりし過ぎていて物足りなかったので、今回もあまり期待していませんでしたが、ここの精進料理はとても精進料理と思えないような内容で味付けにもこだわっているのかとても美味しくいただきました。季節によっての地元野菜などを使っているとのことで、また違う季節の精進料理を食べてみたいと思いました。

    そして、母がためらっていた滝行ですが・・・これが思っていた以上の大迫力でやる気満々だった私でさえ躊躇ってしまいました。しかし、ここまで来たからにはと意を決して滝に挑みましたが、水圧で飛ばされそうになる勢いでビックリしました。しかし本当に身が清められたというか、身体の中すべてが洗い流されたというか、ただただスッキリの一言につきます。

    母も「やってよかったー!すごく気持ちいい!」と私以上に大満足でした。

    そして、天光寺さんのお風呂に入らせてもらい、護摩祈願もしていただけましたし、最高に充実した週末を親子で過ごすことができました。

    このほかにも色々な体験プランがあるみたいですので、今度は父も連れて泊りの修行を体験したいなと思っております。

    貴重な体験をさせていただきありがとうございました。また行かせてもらいますので、宜しくお願いします!

     

     

    この度体験修行でお世話になりました。

    天光寺での企業研修というのに興味があり、年明けに企業研修をお願いしようと思っておりますので、今回は下見を兼ねてまずは私自身が体験しなければと思い修行させていただきました。

    体験の内容はとても濃く、非常に良いものばかりでした。その中でも一番良いと思ったのは、挨拶の作法からの、腹式呼吸、発声法というのが、まさしく私が一番求めていたもので、今の新人社員に足りないものはそれだと実感しました。

    やはり、腹の底から出す声で、しっかりとした挨拶が出来ないと何も始まらないので、実によい修行だと思いました。

    お百度参り、川行、滝行も思っていたよりもずっと厳しいもので、今の若いものたちがどれだけ耐えられるかが見ものです。しかし、終わった後の爽快感や、達成感はとても素晴らしいもので、大げさに言ってしまえば新しく生まれ変わると言いますか…一皮むけた感じになり、かなりのものを得ることができました。

    これを企業研修で仲間と共に達成出来たら、団結力も身につくのではないか?と思いました。

    写経・写仏では、やはりまず最近長い時間正座をすることが無いですので、まずはその苦痛に耐えながら、一つのことに集中するという忍耐力が身につきます。どうしても足がしびれると思ってしまうと、雑念からか字も歪んでいってしまいますので、自分との戦いですね。これになれることができたら、かなりの集中力が身につくと思いました。

    そして瞑想ですが、最近巷でも瞑想が流行っていまして、私もすごく興味があったものだったので、瞑想も修行内容に入っていてすごく嬉しかったです。

    自分が想像していた瞑想とは違って、指導されるがまま行ってみると、スーと入っていくのが分かり、肺と全身に血流を送り出していくのが分かりました。エネルギーの広がりを感じ、意識の奥深いところから響いてくるもの、自分の内側から出てくる様々なものを感じることは出来ましたが、私もまだまだ初心者ですので、もっと瞑想をマスターしたいと思いました。でも本当に噂通り、瞑想は実の良いものだと改めて思いました。

    弊社でも、始業の前の5分間でも瞑想を行うように出来たらと考えております。

    そして最後にご住職の法話では実に良いお話をしてくださいました。私の他に修行に来ていた方も、涙を出せれてお話を聞いておりました。

    天光寺にはさまざまな悩みを抱えた方が修行に来られると思いますが、あのようにご住職が温かい目で温かいお話をしてくださると修行を行う意味、生きる意味、何事にも感謝をする意味が本当によくわかりました。

    今回の修行体験で、私自身もものの考え方が変わりました。本当に素晴らしいお寺であると思いました。

    年明け早々に企業研修をお願いして、社員一同気持ちを新たに、ますますいい会社になっていけるよう精進したいと思います。

    ありがとうございました。今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

    大学のサークル仲間である有名な心霊スポットに行きました。

    昔、お城があった跡地で、夜になると武士の霊が出るという噂で・・・

    10人いたので、2人ずつ行こうということになり、本当にちゃんと行ったかを確認するために、一番霊のいる鳥居のところに行き、そこにライターを置いていき、次のグループがそれを持ってくるということになりました。

    夏の暑い日のBBQ帰りだったのですが、いきなりものすごく嫌な風がビュンビュン吹き始め、寒く重い空気になったのを今でも思い出されます。

    ずっと誰かに見られているような、ついてこられているような感じがして、私はずっと「絶対ここおかしいから帰ろう!やめよう!」と言いましたが、みんなは面白おかしく「大丈夫だから…大丈夫だから」と言って聞いてくれませんでした。

     

    そして私の番になって行くと、そこにあるはずのライターはなく、そして強い風と共に、得体のしれないものが私に向かってきたことを最後に私は意識を失ったそうです。

     

    目が覚めた後、なんだかだるく、みんなも私の顔がおかしいと言うので天光寺さんに除霊のお願いに来ました。

     

    やはり私には武士の霊が憑いてしまっていたようで、ご住職がきちんと除霊してくださいました。除霊をしてるときの記憶は断片的であまり覚えていません。

    ただ苦しく、気持ち悪かったのが残っています。

     

    除霊が終わった後、ご住職に「。面白半分で絶対に心霊スポットなんかに行ってはいけない。」ときつく言われました。

    「今回はすぐに除霊に来たから良かったけど、そのまま生活していたら大変なことになったかもしれないよ。」と言われ、ゾッとしました。

     

    もう二度と心霊スポットには行きません。今回は除霊していただきありがとうございました。

    新人研修のようなもので今回ここ天光寺に連れてきて頂いたわけだが、僕自身、今の今までの全くと言っていいほどお寺とか、神社とか、宗教とかに興味を持ったことが無かったので、そんな人でも果たして大丈夫なのだろうかと思っていた。事前に送っていただいた天光寺のホームページを見てみるとなるほど、会社や企業の新人研修および、今後の社会へ出て戦っていく若者たちの度胸付けのようなもの(プラン)があることを知り、こういうものとしてお寺に入ることも出来るのだなあとここで初めて知った。

    ならば自分は「この与えられた2泊3日をどれだけ意識的に取り組めるかだ」と言う気持ちで過ごすことを決めた。初日。

    なれない正座にすぐしびれが来たが、勝手に体制を崩すようなことはしなかった。

    お百度参りも真剣にやり、滝行も限界の限界まで滝に打たれた。そうした帰りの下山の気持ちは晴々でなによりちゃんとやれた自分にほっとした。

    半強制的に始まったとは言え、こんな気持ちにさせていただいた会社やお寺の環境に自然と感謝した。ところが二日目。初日ではやらなかった掃除や瞑想までは良かったのだがお百度参りと滝行はあまり気が乗らなかった。一回目で気合を使いすぎてしまったのだ。それでもとりあえず両方とも行った。そしてやるからには真剣に走ったし、限界まで滝に打たれた。ただ、その後の達成感はあまり無く、「自分は1回やれたことは2回目もなんなくやれる人だな。」と自分のことを分析した。

    そんなことを思っていたらふと「3回目もどうせやれる力はあるのだから最終日はやらなくてもいいのでは?」という感情が芽生えた。寺に帰ると、部長の高尾さんに「明日は社長さんと滝行やられますか?」と聞かれたので「やらなくてもいいならやらないでいいです(笑)」

    と答えた。「変われていない」と思った。多分、もともと2日連続でお百度参りと滝行をやるくらいの度胸は持っていて、自分はそれで十分だと自分の成長を自分で止めてしまっていたことに気付いた。すると、明日もお百度参りと滝行をやる意味が見えた。自分の感情だけで自分のことを決めないことだ。2回できたことは3回できる。わかっていてやろうとしなかった自分を成長させるチャンスを頂けたことに苦しいけど感謝して、しっかりやり遂げたいと思う。生意気言ってすみませんでした。

    25歳になり、生まれて初めて修行と宿坊体験をして、短い期間ではありましたが、なんだか生まれ変わったように心と身が軽く、清められた気分になりました。最初はとてもドキドキしながら来ました。五日市自体訪れるのは初めてで、そこからまた長くバスで揺られて辿り着いたのが天光寺、イメージしていた感じの静かな佇まいで身が引き締まる感じでした。中に入り、所作やあいさつ、いろいろと学び食事や行動を共にしていく内に、同じ体験の方と交流でき仲良くなれてお坊様とも会話がリラックスして楽しく出来るようになり色々なお話を聴けたのが嬉しかったです。メインの滝行は、私の持病から少し緩やかにしていただきましたが無事体験できて本当に良かったです。滝に打たれるなんて滅多に出来はしないのでとても貴重で人生の良い思い出になりました。友人や家族にも話、興味を持ってくれたら今度は誰かを連れてまた来てみたいなと思います。もう夏ではないので水は冷たくて勇気が入り、頭から受けると骨折してしまう危険もあると聞いた時は帰りたくもなり、正直、山登りの時点からきつくて運動やハイキングをあまりしたことがない私はギブアップしたい気にもなりました。けれど、いざやりきるとスッキリし達成感があり2日目もやる気になりました。残念ながら体調が優れず写仏をしながら待っていましたが、五体の仏様を写すことができ、こちらもまたかなり達成感を得られ、集中力が磨かれたと思います。集中力はわりとあるほうなのですが、趣味で競技カルタをしているため更なる集中力をみにつけなくてはならなくて、その目的も理由の一つとしてきました。本格的に活動をしていて、全日協の所属会を通じて正月には武道館の大会に出場したり、連覇をかけた和装試合等も毎年あり、来月も控えています。同じ真言宗のお寺でも以前カルタイベントや貸し切り試合でよくお世話になっていました。真言宗とはそこからもご縁があったのではと思います。

    我が家は、先祖から代々、天台宗の檀家でそのお寺のご住職は幼稚園も経営されていて、私はそこに通っていました。幼いころ、私は今よりずっと病弱で通うことが本当にできず、友達も少ない大人しい子でした。けれど、その和尚様が先生であり友達でもあり遊んでくれたり、友人との輪を広げて機会も設けてくれたり私に大切なことを教えてくれました。

    人生の糸が強く太く、カラフルに結ばれた感じに思えました。それからも、私は短大に入学するまではずっと休みがちの学生生活でしたが、友人は多くなり、沢山の人に支えられてきました。大学、社会人になってようやく体力がつき治療も経過観察だけになり自由に何かを忘れたように出来るようになりました。思い立ったらすぐ行動で今までの反動からか大分アクティブになりました。その分家族はよく心配させてしまい申し訳ないのですがたまにうっとうしくなり仕事で疲れ持病から人より疲れ方やエネルギー消費が酷いので誰が悪いわけでもないのにあたってしまいがちになったり、自分の経験から病院の仕事に就いたので、時間に追われる内容ばかりでせかせかしてしまったり家でもろくに話をせず生返事、聞かれても答えずにさっさと支度をして家を出ることが多くなりがちでした。何のせいでもなく私の心の持ち方だと分かったのですが、ここでは、時間で動くけれど、あまり時計がないため、解放感と共に少し心配もありました。携帯も同じです。便利だけれど、時には面倒。連絡を溜め込むと返すのが大変になり相手もいることですから一つの人間関係手の中に納まるネットワークです。しかし、預けたことにより、ないなりには過ごせましたが、やはり物足りなさがあり、依存気味だったのだと分かりました。明日からは、いつもいじるばかりではなく家族とも話、いじるときは有難く使い、優しい気持ちにで、またコミュニティーを再開しようと思います。それから、時間を大切に、でき自分の心のゆとりとコントロールも忘れずに、いつどんな時も、と思います。家族だからこそ何でも言ってしまうことがありますが、この体験に来てから私には珍しく家族がちょっと恋しくなりました。全く連絡も取らないのは初めてだからかもしれません。ホームシックなんて子供の頃からなく柄でもなく

    どこかへ出かけたり宿泊をしてもこんな気分にはなりませんでした。私は、いつも頼ってばかいで甘やかされてワガママだったかもしれません。感謝と反省の気持ちです。帰ったら口できちんと沢山話したい。伝えたいことが改めてあります。仕事も引き続き好きで選び多分今が板につき一番楽しいので気を抜かずやっていこうと胸躍る気持ちになりました。生と死の現場、目まぐるしいですが。そして、私の病は父からの遺伝で完治はないですがまだ救われている点がたくさんあります。仏教を改めて学ぶきっかけは、かるた繋がりの他に、幼稚園の先生と父のがんが重なり切ない気持ちになり、ふと友人から誘われた寺カフェに行き、そこから癒され、更に求めイベントや色々なものに参加し、修行と宿坊もしてみたくなりました。一発でこちらが検索したら目に飛び込み、巡り巡って本当に縁を感じました。来れてよかったです。ありがとうございました。

    今回、仕事の部署移動などの関係もあって連休が取りやすい環境になった事もあり二泊三日の体験修行に申し込みました。

    瞑想などの自分で出来ることは以前から自宅や仕事中などでも行っていたのですが、滝行などはなかなか日常生活の中では機会にめぐまれなかったので、とても貴重な体験となりました。十月という時期は、まだそれほど気温も低くないのですが、滝つぼの水はとても冷たく感じ、頭から滝を浴びると一瞬で出たくなるほど、とても冷たかったです。

    しかし十秒ほど耐えると冷たさもマヒして、むしろ気持ちよく数分間入っていることができました。とても貴重な体験をありがとうございました。滝行の他にも、読経や写経、写仏などなかなか普段は持続できない長い時間集中力を要するもので、正直疲れもしましたが心地よい疲れで達成感も得られました。

    私がこういった精神世界などに興味を持ったきっかけは若いころに体験した幽体離脱です。

    あまり人に言っても信じてもらえる内容ではなかったので今までも語ってはこなかったのですが、とても神秘的な体験で何度か再現させて楽しんでいました。

    私のやり方では寝ているときに瞑想してトランス状態に持って行くのですが、年を重ねる中で、仕事や家庭など忙しくもなりなかなか成功しなくなってきました。

    瞑想のこつなどを取り戻す、いいきっかけになればと思って今回参加させていただき、今後に生かせる良い体験ができたと思っています。

    今回途中で体調を崩して二日で帰ることになってしまいましたが、また機会があったら今度は妻でも連れてもう一度参加させていただきたいと思います。ありがとうございました。

    企業研修に来る前までお寺でやることを高橋さんに聞いた時、何するかは具体的には聞いてなかったけど滝行することをきいて、とても楽しみにしていました。私は御朱印巡りでよく神社には普段から行ってたので、初めて滝行することにワクワクしてましたが、1日目の時点で、まさかぶっ倒れるとも思わず、本当に修行なんだなと感じました。1つ1つを何百回、何千回と唱えて仏様に伝わるように声を出して合掌することはとても大変で、でもこういった修行をしているからお寺の人々は守られているし、人になにか学びを与えよう、その与えられた何かで幸せになろうとするんだなと思いました。

     

    一番最初の、「私は株式会社ルクールプラスから参りました〇○○です。出身は○○です。よろしくお願いします」っていたって普通の挨拶なのに、礼から始まって、礼で終わるその1回1回も、ササっと雑にやるのではなく、ちゃんと相手の事を思って、1回の礼に何十秒もかけて頭を下げて、相手の気持ちと相手に対して思いやることを忘れずに、当たり前のことを当たり前以上、さらに、求められている以上のことをすることが大切だととても勉強になりました。

    お寺での企業研修で、こういった「仕事に対して」とか「誰かを思いやって」ということを勉強というか、先生のお話で聞くと思っていなかったので、すごく意外でしたが、今朝先生がおっしゃっていましたが、「今までと同じことをしていてもダメ」確かにそうだなーと思いました。同期12人の中で、誰かと同じことばかりやっていても、自分が1人の社会人として成長はしないし、それをよしとしている環境では12人全員がダメになってしまう。とても心に響きました。仲間とこの企業研修を受けているんだ!という意識が、自分は1人で

    参加しているわけでも、1人で生きてるわけでもないんだなと改めて確認することができました。

    三礼をやっているときも、「私1人が休んでしまったら、他の誰かも休みたくなって、休んでしまうと。ここで辞めたらバラバラになってしまう。」そう思ったからこそ、何度も立ち上がったけど、本当にダメな時はダメ、諦める勇気も大切だなと反省しました。

    2日目のお百度参りと、滝行は、正直前日の筋肉痛で、思っていたパフォーマンスが自分の中で出来ず悔しい思い出いっぱいです。次にまた滝行に行く機会があったら、もっと滝の中で御宝を唱えられるように気合を入れてやります!

    お百度参りも、ほかのチームが早くて、きっと108回出来ないと思うので、それもやり切れたらなーという思いです。

    午後からの先生のお話も、久しぶりに掃除で心の鏡という話を聞いたので、また会社や学校に戻った時に、意識して掃除していきます。常に、人との縁は大切だなと感じることが多く、誓いの言葉を読んだ時も、私は「決して孤独ではありません」これを読んだ時に、本当に一人じゃない!みんなでやっている!1日目も2日目も同じことを思いました。それほど大切なことなんだなと実感したので、今後誰かが、一人で不安そうにしていたら、誰よりも早く気付いて、ちゃんと手を差し伸べてあげられる存在になります。

    3日目の今日は、昨日と同じで、朝、声出しする時、本当に気持ちよく朝を迎えられたなー!と二日連続で思えたので、明日から帰ったら朝、今よりももう少し早めに起きて散歩に行こうかなと思います。ヨガは初めてやりましたが、身体がボロボロすぎてきつかったので、何でもないときにまたやってみたいなと思います。

    午後から真言は1つ1つの文に仏様に対しての意味があるんだろうというのは分かるけど、どういった思いが込められていうのかなーと疑問でした。

    三日目、「幸せ」って何?「生きる」って?と色々な事を考えてきて、仲間の大切さや、誰かを思いやる気持ちの大切さをとても学びました。仏様も神様も、幽霊もいると信じているし、「気を感じる」という話を今朝したりしていて、信じるも信じないもその人次第だからとおっしゃっていましたが、誰もが信じてくれることってあるのかなー、大学の先生に「科学的には証明されてないからいない」と一方的に言われて悔しかったことを思い出しましたが、忘れることにします。

    今後も今回学んだ心のもち方だったり、3日間で得たことを忘れずに、仕事やプライベートに取り組んでいきます。唯一懺悔したいことは、ご飯を間食できなくてごめんなさい。今晩からは、しっかり感謝をして残さず食べます。当たり前のことを求められている事以上に取り組んで、小さなことも大きなチャンスも、しっかりつかみとって、精一杯生きていきます。

    3日間お世話になりました。お寺の方々皆さん健康にはお気を付けて。

    ありがとうございました。

    私は四泊五日間、とても短い時間であっという間だったと感じました。

    一日目、初めてこのお寺に来た時、とても緊張しました。

    正座はとても足がしびれて疲れました。けれども様々なお経が知れて良かったです。

    お百度参りはかなり疲れたけど、終わった後には達成感がありとてもいい経験になりました。

    滝行は、最初とても水が冷たかったけど後からだんだん温かくなってきて慣れました。

    とてもいい経験になりました。

    寝る時には、年下の子とたくさんお話をして、とても盛り上がって楽しかったです。

    二日目は、仏様にお供えしました。とても片付けが大変だったです。

    朝起きた時後の掃除は、普段あまり朝早く起きないのでとても気持ち良かったです。

    食事は、朝昼晩精進料理で、バランスよく食べられたと思います。

    私はこの四泊五日でとてもいい経験ができ、いい思い出が出来たと思います。

    またこのお寺に来たいと思いました。

    私は、短気で売られたケンカはすぐに買ってしまうところがあります。

    そんな自分が嫌いなはずなのにやめられなかったです。

    ここへ来た目的は、自分では気づかないところにありました。それは、自分の嫌いなところを自覚する・・・というものです。

    今回の修行で、私は自分がとてもワガママで、ただの甘ったれちゃんであることに嫌でも気づかされました。

    挨拶の声の小ささや、お行儀の悪さ、さらには、何をするにも「面倒くさい。」という気持ちがつきまとっていました。

    しかし、朝の掃除をしているときに、自分が汗を流して一生懸命やっていることに気付き、すごく驚いたし、嬉しかったです。

    知らず知らずのうちに、楽しくなっていました。

    何事にも積極的に行動するというのは、こういうふうに、面倒くさい事でもやれば楽しくなるとかもしれないし、自分の新たな発見が得られるチャンスなのだと感じました。

    私はここで得ることができた1つ1つの学びを大切に持ち帰り、日常で参考にしながら、生活をしたいと思います。

    失礼なことをたくさんしたと思います。

    本当にごめんなさい。

    次回はもっと人のために行動する志を持って参りますので、ご縁があったらまたよろしくお願いいたします。

    ありがとうございました。

    今回初めて寺で修行体験で、緊張しましたが、普段生活していく中で、携帯を扱うことが多い中、預けたおかげで参加者との交流が出来ることがとてもうれしく思いました。

    写経をすることで集中力を得ることが確立できました。

    小さな文字を小筆で書くことで、ゆっくりと時間を費やして書くことができました。帰宅後も新聞や書道をすることで、「無」の時間を増やしていきたいと思いました。

    「病気平癒」という四字熟語を選んだのは、今年は、身近にいる人が素直になっていない人が多くストレスを感じていました。

    家で、食欲を失い、ペットに慰めてもらい、家族に感謝する年でした。

    お百度参りでは、体力がないことに気付き、大声を出すことがないので自宅ではご近所迷惑になるので、カラオケで出していくことを誓います。

    滝行をした際に、「日本語分からないの?」と言われたことにより、漢字検定と読書をすることに決めたいと思います。

    自分だけで生きていけないということが分かりました。皆と協力して生活することで楽しむことが出来ました。

    今回、私個人としてはお寺の修行合宿という行事が初めてであったため、どのような修行が行われるのか正直不安でした。実り大きな三日間になるのではないかと思っていましたが、予想をはるかに上回る大きさでした。

     

    まず、1日目ですが、正直1日目が肉体的なピークを迎えた日でした。膝と足に想像以上のダメージが加わり、以降行が終わる3日目まで痛みは取れませんでした。

    仏に仕える仕事というのはここまで厳しいことであるということを痛感させられました。

    また、一日目で自らに体が普段全く使われておらず、常日頃より、自分の身体のトレーニングをすることが必要であると感じました。また、正座をすることの大変さもまた痛感しました。正座は基本的に自身の体重が軽ければ、軽い負担であると耳にしていたのですが、今回ほど、もう少しダイエットしておけばよかったと思ったことはありません。

    読経の行が開始してから30分ほどで足の感覚がなくなり、とてもではないけど、その姿勢を維持することができなくなりました。1日目の行を終えて、自分の限界を知る、我々が日々暮らしている日常は色々な便利に支えられているのだなと気づくことができました。

    特に自分自身の限界を自分で越えたと思っていても、その限界を超えることができると気づけたのは、とても有意義なことであると思っています。

    こういった経験は社会人として、そして人生を送っていく上で、とても貴重な事であると思います。

    2日目の行でのお百度参りと滝行は、とても新鮮な経験でした。滝行はメディアなどでもよく取り上げてられており、どういったものだろうと期待しておりました。実際に体験した感想として、かなり低い水温であるということと、かなりの水圧があるということを感じました。私たちが滝行に参加したのは、9月23日で、夏の盛りを過ぎているものの、まだ汗ばむ気温が続いておりました。しかし、水温は足を入れただけで身震いするほど冷たく、骨が折れるのではないかと思うほどの水圧を感じました。実際に滝に打たれてみると、滝の音で周りの音は一切聞こえず、自然の驚異をただ自分一人で受け止めるしかないという孤独を感じました。

    この行で感じたことは、究極的に人間は独りであるということ、そしてその孤独を見つめることで自身を理解することができるのだと思いました。

    2日目に行ったヒーリングが、今回の行の中で一番印象に残っています。

    自分自身、心霊系の本をよく読んでいたのですが、ここまではっきりと身近に見えない物の存在を感じたことはありませんでした。自分が知らなかった世界のことを知れたということはとても意味があったと思います。

    3日目で一番記憶に残っていることはヨガです。朝から続いていた筋肉痛がヨガをするだけでかなり軽減したのには驚きました。

    全体を通して感じたのは、日々の生活を当たり前だと思ってはいけないということです。今回の行で、生活を送るうえで避けては通れないトラブルが起こった時も今回の行を思い出して頑張っていきたいと思います。

    今回二泊三日の研修合宿に来て、まず貴重品を回収し、携帯無しの合宿というものにビックリしました。その時に、私は現代っ子なんだなとまず感じました。そして、この合宿で、私は特に自分を見つめ直すことを目標とし参加させていただきました。そして、三礼をやっているときに、すぐにその時は訪れました。みんなでとても辛い三礼をこなしている中、私は仲間に対して何をしてあげられるだろう、そして声掛けをし、みんなで乗り越えていい思い出になったと感じました。その他にも、この寺でのやることは、全て新鮮で、食事の時でさえ新鮮に思えました。精進料理はとても美味しかったです。そして法話の時間や、その他の時間でも高尾先生がおっしゃっていた、「人脈」の大切、高尾先生はこのお寺が出来たことも人脈のおかげであり、このお寺に人が来るようになったのも、人脈があったからとおっしゃっていました。そして、人脈で集めて中身も良くしているこのお寺だからこそ、年間6千人もの人が来るのだなと感じたことと共に、私も人脈というものを大切にしなければならないと感じました。

    その為にもできるだけ外に出て、自分から出会いを求めていくようにします。人脈が舞台と役者を作る、まさにその言葉のままだなと感じました。そして、この合宿では、本当に自分と向き合う時間が多かったと感じます。川で深呼吸をしているとき、瞑想をしているとき、様々な時に自分と向き合う時間がありました。また、向き合う時間は心を癒す時間にもなったと私は感じました。

    おそらく、みんなこの合宿でそれを大いに感じたと思います。また、このグループ全員で行動し、グループ全員で成し遂げるからこそ、このチームの絆が生まれ、やりがいにもつながったと思います。正直人生でこんなにも座っている時間がきついと感じたことは一度もなかったです。ですが、この状況はみんな同じ状況、みんなも頑張っている、だからこそ続けて頑張れたと感じます。一人でやるのではなく、グループ全員でやることの意味はここにあると感じました。そして滝行では、まず、手、足、首の三点を清めて、山の神、川の神に感謝をして滝に打たれたのですが、私が思っていた何倍も滝は痛く、冷たいものでした。ですが、ここでしっかりと自分と向き合い、心と体を清めることを考え滝に打たれたことによって、とてもスッキリすることができました。そして、私は習字が苦手なのですが、写系をやる前に、これはチャンスと感じられるようになっていたのです。

    今までなら、最悪だ、早く終わらせようなどと否定的な事を考えていたのですが、この合宿で、マイナスな発言をしないと決めていたので、この写経は自分にとって必要なもので、ここで苦手の事をしっかりとこなすことで、自分の中の自信になると考え、取り組むことができました。

    そして、私は正直スピリチュアルなことはあまり信用していないタイプの人間だったのですが、いざ自分がこのお寺に来て、汗水流して努力をし、何事も真摯に取り組んだことによって、自分の中の「気」を感じることができたとこが、私の中でとても大きかったです。

    今まで信用してなかったものを信用するようになれたことで、自分への価値観だけで動いてはいけないということも学ぶことができました。

    最後にこの二泊三日の研修合宿、本当にありがとうございました。この二泊三日は私の中でかけがえのないものとなりました。自分自身をよく見直し、仲間の事も考え、あえて壁を作ることで、その壁を仲間と越えた時の喜びを体験できる場所はここしかないと思います。

    そして高尾先生がおっしゃっていた「人脈」そして、「挨拶」特にこの挨拶は出来る人に、人脈が寄ってくるとのことなので、当たり前のことである、この挨拶をまずしっかりと出来るようになり、当たり前にできる大人になって自分の人生を成功に導いていけるような人になると決めた、そんな合宿でした。

    本当に三日間ありがとうございました。

    私はこの三日間、人生記録に残るキツイ体験をすることが出来ました。

    ただこの体験は、一人では乗り切れないようなものが多かったです。

    励ましあうことで、なんとか負けずにやれました。先生からのお話では、私は特に挨拶の大切さに気付かされました。単純に、普通に生活や仕事をしていて、ここまで真剣に挨拶をしたことはありませんでした。すべては挨拶で決まるし、挨拶がチャンスを呼び込むということも納得しました。

     

    また負けないことという言葉は、ちょうど今の私の状態にピッタリな言葉でした。いつもポジティブな思考と行動をしていくことで、前向きな人になれるし、自分を負のスパイラルへ向かわせることもなくなると感じました。

     

    滝行では、自分と向き合うとても良い時間を過ごすことが出来ました。生まれてから今までの覚えていることがあふれ出てきました。

    だけども、一つとして良くない記憶が出てきませんでした。その為、滝行終了後は、こんなに恵まれているのだと感謝することを心の中で考えていました。感謝することで、1つ1つの動きが気持ちのこもったものになるのではないかと感じました。

    自分自身を見つめ直す、とても充実した3日間でした。

    ヨガや、座禅も自分の生活に取り入れたりして、ストレスフリーな状態を維持しようと感じました。

     

    食事に関しても、普段好きなものを食べられていることに感謝せねばならないと感じました。しっかりと「いただきます」と言うことはとても大切な事です。

     

    さてここで、自分の普段の生活を振り返ってみようと思います。

    私は普段ストレスに対して、食べることで解消してきました。しかし、その食事のとり方によって、血圧もまだ22歳なのに高くなりつつあります。ここでは、普段と違うという時点でストレスではありますが、身体を動かしたり、声を出すことでストレスを解消できていました。運を動かすと書いて運動ですが、本当にその通りだと感じました。

    適度な運動は私にとってですが、大切なことであると思いました。

     

    また掃除に対しての意識が変わりました。掃除をすることでそれが自分の心もきれいにしているという点です。一つ一つの基本的な行動に対して、こだわりを持ち、感謝した行動を実施していきます。

     

    今回は企業研修で参加いたしました。社会人になってから肉体を酷使することはほとんどなかったので、3日間の修行はかなり辛いものでした。出来ればもう2度と参加したくないので、今後は日常生活でも、適度に体を動かし、自分自身で体力や健康に気を付けて行きたいと思います。

    ただ、参加したことはとても有意義なことでした。スマホやテレビが禁止されている環境、肉や魚を摂取しない精進料理のみの生活というのは、なかなか経験できるものではありません。

    3日間厳しく、そして優しくご指導いただいた住職をはじめとする皆様に感謝致します。

     

    特に辛かったことは、初日の三礼でした。来た時のままの服装で行ったということもあり、汗をかき、膝には水ぶくれができ、本当に苦しかったです。あの苦しみはここ数年の中で3本指に入るほどの辛さでした。

    次に辛かったことは、2時間、般若心経を唱えたことです。座って唱えるだけの作業に思えて、腰は痛くなり、のども痛くなり、かなりの苦痛でした。

    どれだけ辛い修行だったか、あげていくとキリがありません。

    辛い修行の中、1つだけ自分で「これはやり遂げる」と思って達成したことがあります。光明真言を千回唱えるという修行で、一度も足を崩さず、正座し続けたことです。

    何か一つでも忍耐強く成し遂げたいと思い、目標を定め頑張りました。

    この研修に参加している、他の11人のうち、8人は初対面だったため、最初は不安に感じていましたが、最終日には打ち解けることが出来てよかったです。

    4月から彼らたちと働くことが楽しみになりました。

    一つ、みんなと比べて得したことがあります。早起きした際に、仏様のお水を交換する作業を手伝えたことです。今回の研修ではあまり自由時間もなく、館内をいろいろ見たりする時間はありませんでしたが、朝の静かな時間に、一体一体の仏様に向き合い、手を合わせることが出来たのは、貴重な時間だったように思えます。

    今日は、「もう2度と来たくない」と思っていますが、もしかしたら、今後何かに迷い、壁にぶつかり、自分を見つめ直したくなる日が来るかもしれません。

    その時には、この3日間のことを思い出し、このお寺にもう一度お世話になろうと思います。

    この度は貴重な体験、そして皆様のお時間を頂きありがとうございました。

    教えていただいた「心のもち方」を常に心に、これから出会うたくさんの方々に感謝しながら、今後の人生をより深く濃いものにしてまいります。

     

     

    今回は企業研修という縁で、こちらで修行させていただきました。この三日間は初めての事ばかりで、気を抜く事が大切だと言われつつも、完全に抜く事は出来ませんでした。過去の経験上、普通の道から一度外れたことがあるため、他の人よりも劣っていると感じている部分が多くありました。

    今回、3日間を通して、幸せになるための生き方のヒントを教えていただき、苦しかった中に、たくさんの幸せを見つけることが出来ました。

    一つ目は、「運動」です。私が一番苦手としていることであり、最小限にしてきた部分でした。お百度参りや、滝行、三礼など、体力のない私にとっては、苦しみしかありませんでした。しかし、「運を動かす」と聞いた瞬間、そうだったのかと、もったいないことをしていたのだと気付きました。行動をすることが、まさに大切なのだということ、そのためにしなければならないのが運動。社会に出る前に、自分から運を遠ざけていたことに気付いた為、今後も、運動することは大切にしていきます。

     

    二つ目は「仲間」です。友人付き合い等、苦手ではないのですが、時に言いたいことを言えない、信じたいけどどこまで信じればいいのか、5年間悩んできました。

    しかし今回の苦しい修行には、必ず仲間の支えがあり、ここまで応援してもらっているのに、信じきれなかった自分に腹が立ちました。何より、私自身がみんなに信頼してもらえる人間になりたいという意志があったのにも関わらず、真逆の考えをしていたのだと気付きました。自分が苦しい時に支えて応援してくれたみんなに対して感謝と信頼を忘れることなく行動できる人間に変わりたいです。

     

    三つめは、「一人もかけてはならない」今回同期が後二人来る予定でしたが、都合があるとのことで全員揃いませんでした。目的を達成することはもちろん大切です。しかし、一期生として、みんなで会社を作っていくんだというときに、一人でもかけてしまうと、こんなにも気になって、今後どのようにサポートしていくべきなのか、頭から離れませんでした。

    みんなでやる事の意味を知る、良い機会になりました。ルクールプラスでは、全員で考え方が違えど、目標を達成委することにこだわっています。誰一人として、自分が必要ではないと思わないように、周りを見るように心がけようと思います。

    一日一日苦しい思いをしましたが、結果としてやり切った達成感と発見をたくさん見つけることが出来た三日間でした。ありがとうございました

     

     

    以前就寝中に、非常に体が寒くなりガタガタ震えて、慌てて布団をかぶろうと思った時に、何かいきなりすごいものが勢いよく向かってきて、私の中に入ったと思ったところで記憶が無くなったのを覚えています。

    そして朝になり普通に起きましたが、夜中のことは鮮明に覚えていて、疲労感いっぱいでした。

    すごく気にはなりましたが、変な夢だったと思うしかなくてしばらく過ごしました。

    しかし、その日からずっと全身疲労困憊、食欲不振、そして寝る前になるとどうしてもあの夜の事を思い出して寝付けなくなる日々が続きました。

    私は、真言宗を信じていますので、うまくはないですがお経を唱えたりしてみたりもしました。

    でも2カ月以上たっても体調もすぐれず、やはりなにか自分の中に入っているというのを強く感じたので天光寺さんに除霊の相談をさせてもらいました。

    先生に見てもらうと、やはりすごく強い力を持った霊が憑依していたようで、除霊が始まる前から、身体が尋常じゃないほど震えだし、脂汗でぶわーと出たのを感じました。

    それからの記憶はほとんどなく、気が付いた時には、初めに居た場所からすごく離れた場所で、汗びっしょりでぐったりしていたのを覚えています。

    すごく暴れ狂ったようで、除霊にもすごく時間がかかったようです。

    しばらくして落ち着いてから、ご住職からいろんなお話を聞き、すごく心が落ち着き、スッキリ清々しくなりました。

    今回は自分自身が弱っていたというか、憑依しやすい環境をつくっていたのかもしれないので、これからは、常に前を向く姿勢で、憑依できないように、跳ね返すぐらいの強い気持ちを持って日々精進していきたいと思います。

    ありがとうございました。

    私は四泊五日間、とても短い時間であっという間だったと感じました。

    一日目、初めてこのお寺に来た時、とても緊張しました。

    正座はとても足がしびれて疲れました。けれども様々なお経が知れて良かったです。

    お百度参りはかなり疲れたけど、終わった後には達成感がありとてもいい経験になりました。

    滝行は、最初とても水が冷たかったけど後からだんだん温かくなってきて慣れました。

    とてもいい経験になりました。

    寝る時には、年下の子とたくさんお話をして、とても盛り上がって楽しかったです。

    二日目は、仏様にお供えしました。とても片付けが大変だったです。

    朝起きた時後の掃除は、普段あまり朝早く起きないのでとても気持ち良かったです。

    食事は、朝昼晩精進料理で、バランスよく食べられたと思います。

    私はこの四泊五日でとてもいい経験ができ、いい思い出が出来たと思います。

    またこのお寺に来たいと思いました。

     

    今回初めて天光寺さんにて、2泊3日の修行をさせていただきました。

    普段は長時間正座をすることもないので、久しぶりに辛い思いをしました。

    御宝号を初めて習いました。この8文字の力は素晴らしいと思います。

    何度も繰り返していると、自然と身体の力が抜けて心安らかになります。

    「南無大師遍照金剛」と唱えながらの滝行では、水と一つになろうと頑張るのをやめた時、つまり思考がストップした時に、これまた力が抜けて身を任せることでうまくいきました。

    読経、写経、写仏もいい経験となりました。

    日頃、仕事で集中するのとは違い、人里離れた大自然の中、自分と向き合う形で一つ一つを丁寧にこなしていくことで、色んなものを浄化できたように思います。

    大変お世話になりました。

    感謝致します。

    僕はこの体験修行に、心を入れ替え、言いたいことを言えるようになるために来ました。

    この体験修行に入る前は、自分が間違っていたことに気付かないで、口答えをしたり、言いたいことも言えず「分かった」と言ってもそれが口だけで、行動に出ないでいました。

    この体験修行でよく、自分のやっていたことに気付かなかったことに後悔をしました。

    瞑想の時間などで、心を落ち着かせて、考えることができました。

    この体験修行の残りを有効に使って、完璧に改善していきます。

    滝行でも辛さがよくわかりました。食前の言葉、食前のお経なども、食べ物を食べられていることに感謝しようと思います。

    寺内の掃除、道場の掃除でも普段やってくれている人に感謝するということが分かりました。

    他にも食べ物の準備だったりを、自分自身で経験して、毎日やるのは本当に大変なことだと思いました。

    これからの目標は、この寺で自分で体験した事を生かして、家でもやってもらってることには感謝をして、自分で出来ることは一生懸命やっていきたいと思います。

    道場掃除はすごく大変だったので、毎日家の掃除をやっているお母さんと、毎日仕事で生活させてくれるお父さんに感謝したいと思います。

     

    その他

     

    住職先生の作ってくださった料理がとても美味しかったです。

    特に美味しかったのが、ポテトサラダです。

    時間があったらまた作って下さるとうれしいです。

    手のツボを押されたのは、相当痛かったです。

    私は、4年間ほど霊障に悩まされていました。内容は、突然誰かの声が聞こえ、自分の中に誰かが入り込んでいるという感覚がある現象でした。自分でもよくわからず誰にも話せないし、相談できないなと思っていました。

    除霊で検索すると天光寺がヒットし、相談してみようと思いました。最初は除霊が不安でしたが、天光寺のご住職に相談すると除霊をして早く断ち切った方がいいと言われ、申込をしました。当日天光寺に行くことでご住職に霊視していただき、いろいろと説明してくださいました。いよいよ、除霊が始まりお経がなってくると、私の口から勝手に言葉がでてきて何かが乗り移っていました。

    自分では話しているつもりはないので、何を言っていたかはあまり覚えていませんが、自分自身認めたくないというか、なんか本当にこんなとてもショックでした。ご住職のお経が終わると邪気払いをしてもらいました。骨がミシミシなってこれで骨が20本ぐらいついたと言われて邪気が相当立っていたことを知りました。無意識の中に霊は入るらしく、もっと自分で積極的に生きること(考え方や行動)がとても重要だと教えて頂きました。私は、普段から神経質すぎるところがあって、よくない方に物事を考えがちです、こういったことが知らず知らずのうちにマイナスのエネルギーを発し、霊をひきつけたのではないかと思うと、考えることや思うことはすべてに通じているものなんだということが分かりました。

    日頃から感謝への考え方を見直したいと思いました。ありがとうございました。

    この度は除霊していただきありがとうございました。おかげで、この2年間が嘘のように体が軽くなりました。

    あんなに悩まされていた耳鳴りや、頭痛も全くなくなり、それらも全部霊のせいだったんだと改めて思いました。

     

    妻からも今までは、いきなり人が変わったようになり、口調も違うときがあったみたいですが、今ではそんなこともなくなったみたいです。

     

    除霊の際、明らかに自分ではない誰かが自分の中でわめいていたのがわかりました。先生のお経がうるさい、やめろと暴れていたと思います。

     

    何分?何時間?格闘していたか分かりませんが、最後に指の先から、スーッと出て行くというか、抜けていく感覚がありました。

    暴れたせいで疲労はありましたが、本当に体が軽くなったというのを久しぶりに感じられた時は嬉しかったですね。

     

    最後に先生からありがたいお話もいっぱいいただけました。

    やはり自分のネガティブで、すぐに何でもマイナスに考えている性格が災いしているようです。

    自分でも少し神経質なのは自覚していましたが、そういう人に憑依しやすいということを初めて知りました。

     

    きっとこのような性格のせいで、妻にもいろいろと大変な思いをさせてきたと思います。

    この歳にして、すべて変えることはできないと思いますが、今回のことをきっかけに、深く悩むのをやめ、もっと楽に楽しく生きていきたいなと思います。

     

    本当にこの度は感謝してもしきれないぐらいです。先生にお願して本当に良かったです。

    ありがとうございました。

    この度は除霊していただきありがとうございます。除霊前のことを思い出すといままでよく耐えられていたなと不思議に思います。私に憑りついていたモノの正体を聞いてみたところ、複数体の霊が憑りついていたとのことでした。どうやら私になにか深い怨念を抱いていたらしいです。私がこの症状に悩まされるようになったのはつい2,3年前からです。

    思い返してみると、4年ほど前に私が責任者の現場での事故で作業員が2名亡くなったという事故がありました。原因は、私にありました。十分な休息もなく炎天下の中作業させていました。ですが、私はその事実を隠蔽し自分の身を護りました。前にも言った通りそれから誰かもいないのに誰かに押されたり、なにもないところで転んだりと通常では考えられない出来事が起こっていったのです。怪我もしました。幸いそのけがは軽いもので大事には至りませんでした。その際に、医師にも説明しましたが神経の病気と疑われるのみでなにも解決しませんでした。あるとき、知り合いがその話を聞きこちらのお寺を紹介してもらいました。

    私は、早速申込翌週にはお寺を尋ねました。それほど早く治したかったのです。その頃は、自分のみが被害者だと思っていましたがそれは大きな間違いでした。

    お寺に入り、部屋に案内されました。そこで、音声の録音されたCDを聞きました。

    聞いていると自分の意志とは関係なしに体が動き始めました。

    そこで、私は気を失ってしまいました。行ったのは午前中だったのですが起きた時にはもう夕方になっていました。しばらくぼーっとしていると住職が来て気分はどうですか?と尋ねてきました。私は、今までの感じていた不快感のようなものを一切感じなくなっていました。それどころか体全身が活力で満たされていました。

    これからは、誠実に働いていくことを誓いました。ありがとうございました。

    親子でお世話になりました。

    中学3年に入ったころから、だんだん帰りが遅くなり、おかしいなと思い始めていました。日中も学校に行っているはずなのに、先生から来てないと連絡がきたり・・・

    でも最初の方は、こちらが注意したら生意気ながらもちゃんと聞いていたので大丈夫だと思っていたのですが・・・。

    しかし、だんだん娘の暴走は止まらなくなり、こちらから何度も連絡しても電源を切るし、無断外泊に、いつの間にか髪の毛は金髪・・・

    ママ友に、うちの娘が若い男の子の車に乗っていたのを見たと言われ、これはまずいと思いそのことを問いただし激しく怒ってしまいました。

    娘が言うには、学校の友達は受験でみんな塾ばかりだからだれも遊んでくれなくなったそうで、声をかけてきた男の人と遊んでいたと・・・

    もうびっくりというか、まさかうちの子がとショックな気持ちでいっぱいでした。

    結局学校は完全に行かなくなり、お金も持っていないはずなのにフラフラする毎日でした。

    親としては、声をかけてくる男の子についていってしまうことが何よりも心配で、何度も辞めるように言いましたが全く危機感がないようで・・・

    不登校になった原因を、いじめかと疑いましたが、そんなことはなく、ただ娘は勉強が苦手でみんなの受験モードについていけず、学校がつまらなくなったようで、受験しないからもう学校行かないと・・・そんな理由でした。娘はさんざん悩んでいたのだろうに、私はそんなこと何も知らなくて情けなくなりました。

    本当はもっと前から、娘がSOSのサインを出していたかもしれないのに、気付いてあげられなかった私にも責任があります。

    きっと娘は寂しかったのかもしれません。もっと親としてかまってあげたらよかった。だから、優しく声をかけられた男の人について行ったりしてしまったのかもしれないと思いたいです。

    勉強出来ないなりにも、仲の良いお友達と塾に通ったりする環境をつくってあげたらよかった・・・など、後悔ばかりです。

    今回の修行が、親子二人一緒の久しぶりのお出かけになりました。

    私の白装束姿を見て娘が笑いましたが、改めて娘が笑った顔久しぶりだなーと思いました。

    一緒に修行体験をして良かったと思います。いつか厳しかった滝行が二人の笑い話になったらいいなと思います。

    これからは女同士色んなところに出かけたり、何でも話せるような友達親子に近づけるように、少しの娘の異変にも気付けるように母として努力していきたいと思います。

     

    ありがとうございました。

    私は今回夏休みを利用して天光寺の滝行に参加しました。

    私が滝行に来た理由は、受験に打ち勝つためです。

    よく、夏を制すものは受験を制すと言いますが、そうなるように、まず夏期講習が始まる前に滝行に来ました。

    私にはどうしても入りたい高校があり、そのためには死に物狂いになって勉強しなければいけないので、気合を入れるために滝行をしました。

    まず、般若心経を唱えることですごく集中力が高まったと思います。

    もしこれから、集中力がなくなった時には、一度心を落ち着かせて般若心経を唱えてみたいと思います。

    お百度参りは、私は運動が苦手なので結構きつかったです。でも、繰り返し最後までやり遂げるということに意味があるんだなということがわかりました。

    滝行は、最初に、一緒に滝に行った大人の人が入ったのですが、それを見る限り、楽にできそうな気がしましたが、全然そうではなくて、水の冷たさに息ができなくて腰が抜けそうになりました。

    何度も出たくなりましたが、それではここに来た意味がないと思い耐えました。

    水圧も強く、何度も倒れそうになりましたが、その肩にあたる水圧こそが、気合を注入してもらってるように思いました。

    どれもすごくいい経験でした。

    気持ちがスッキリして、いろいろ頑張れる気がします。これから嫌なこともいっぱいあるかもしれないけど、この修行を思い出して打ち勝っていきたいと思います。

    受験合格したら、また来ます。

    僕はこの体験修行に、心を入れ替え、言いたいことを言えるようになるために来ました。

    この体験修行に入る前は、自分が間違っていたことに気付かないで、口答えをしたり、言いたいことも言えず「分かった」と言ってもそれが口だけで、行動に出ないでいました。

    この体験修行でよく、自分のやっていたことに気付かなかったことに後悔をしました。

    瞑想の時間などで、心を落ち着かせて、考えることができました。

    この体験修行の残りを有効に使って、完璧に改善していきます。

    滝行でも辛さがよくわかりました。食前の言葉、食前のお経なども、食べ物を食べられていることに感謝しようと思います。

    寺内の掃除、道場の掃除でも普段やってくれている人に感謝するということが分かりました。

    他にも食べ物の準備だったりを、自分自身で経験して、毎日やるのは本当に大変なことだと思いました。

    これからの目標は、この寺で自分で体験した事を生かして、家でもやってもらってることには感謝をして、自分で出来ることは一生懸命やっていきたいと思います。

    道場掃除はすごく大変だったので、毎日家の掃除をやっているお母さんと、毎日仕事で生活させてくれるお父さんに感謝したいと思います。

     

    その他

     

    住職先生の作ってくださった料理がとても美味しかったです。

    特に美味しかったのが、ポテトサラダです。

    時間があったらまた作って下さるとうれしいです。

    今回、会社の年間行事に「修行」とだけ書かれており、初めてのことですし、緊張と不安でドキドキしていましたが、皆様のおかげで修行に集中することができました。ありがとうございました。

     

    “お寺”自体は、幼稚園がお寺だったこともあって、少し懐かしい気持ちもありました。

    お百度参りは、写真で見るより過酷な環境で、正直なところ始まる前まで「辛そうだ・・・」と言う意識でいっぱいだったのですが、いざ始めてみると不思議と辛くなかったです。

    とは言え、辛かったのですが、この修行の目的、意味を考えると耐えることができました。

    後半、足の裏が痛みましたが、頑張って走り、大きな声で唱え、伝わるように、伝わるようにと思いを込めました。

    外に出た時曇っていたのに、始めの挨拶をした直後に晴れたことが「みて下さっている!」といる気がして感動しました。

     

    滝行は、水の冷たさに息が出来ず、御宝号も口に出てこず、一瞬どうしようと思いました。

    しかし、滝にあたり続けると逆に落ち着いた気持ちになり、気付いたら五分経過していました。

    滝の流れはこんなにも激しいのに、滝つぼの水は優しく、途中暖かさを感じた気がします。

    終わってから、気持ちの変化が顔にも出ていたようで、周りからも言われました。

    確かに滝行前と後では、世界が百八十度変わったような(言いすぎでしょうか?)何とも言えない清々しさと、これからの日々を力強く生きていけそうなパワーをもらいました。

    時間があれば、二日目もまた入りたかったです。今度はどんな気持ちになるのか・・・。

     

    写経。これはとても良い経験でした。一文字一文字に集中し、ゆっくりと時が流れていく感覚です。書いている間、不思議と何も考えずに、まさに無でした。

    最後に仰っていた「魂がこもっている」と言うのは、こういうことかと納得でした。

     

    ご住職様のお話では、明日より生きる力をもらいました。と、同時に、色々な意味で「良い人」になろうと思いました。

    忙しい、忙しいと毎日駆け回って周りが見えていなかったなと思います。

    人を思いやり、穏やかな心で過ごしていきたいと思いました。

    そしてご住職様のように、優しくも厳しくもある(更に、お料理が上手い)そんな人間になります。

    神様も見ていてくれるのでしょうか?

     

    二日目、スッキリと目が覚めました。

    瞑想をしていると、何も意識していないのにサーカスのようなにぎやかな人々がたくさんいるような絵が頭に浮かび、それが段々と真っ白な絵に変わっていき、最後にはガラスのような澄んだ無色の絵になり、とても落ち着いた気分になりました。とても不思議でした。

    そして特別に読経もさせて下さりありがとうございました。

     

    二日間、お世話になりました。きっと一泊二日では入門中の入門なのでしょうけれど、とても貴重な二日間でした。

    また来ます。ありがとうございました。

    この二日間、これまでに経験したことのない修行生活を送り、昨日の自分よりも少し成長したように感じる。

    特に印象に残ったことが二つある。

     

    一つ目は、お百度参りだ。声の大きさと歩く速さが神様への敬意、気持ちの強さを表すとのことであったため、自分なりに全力で行った。

    何度かお参りするうちに、頭の中にあった雑念が消えていくように感じた。

    その中で、今自分が何を願い、何を必要としているかがはっきりとしてきたため、きっと願いは叶うのではと思われる。

    また、私が趣味で行うマラソンにおいて、長時間一つの物事に集中して取り組むという部分で共通点があると思った。

    今後、一回のマラソンごとに目標を決め、それに向け集中して取り組むことで今まで以上の結果を出していきたい。

     

    二つ目は、滝行だ。身を清め、無心で滝に打たれることで、日常で抱えていた雑念が消え去ったように感じた。

    滝に入った瞬間は冷たいと感じていた水も、時間の経過と共に清々しく思えた。

    何事も慣れが重要になってくるのだろう。

    日々の生活の中で少々辛いと思うことがあっても、今後は踏ん張ることで乗り越えていきたいと思う。

     

    以上のことから、日々精進して生きることが大切だと気付かされた二日間だった。

    しかしながら、私のような凡人は時々怠けてしまうこともあるため、俗世があっていると言える。

     

    太陽の光や山の緑、川を流れる水など、天から与えられたものに感謝しながら、私は自分の生き方を探し続けたい。

    正座は修行を行う上で欠かせない座り方であるが、なぜあの座り方なのか。

    空海様は、幼少のころから神童と呼ばれていたと教えていただいたが、どの分野(漢文、数学、理科)において優秀だったのか。

    修行を続けるとどうなるのか?など、疑問に思うことが多々あり、今後本を読むなどして勉強しようと思った。

    東京にもこんなにも自然豊かで、川や緑がキレイな場所があることを知れた点、お百度参りを体験できた点、滝行を体験できた点、写経を体験できた点、里芋の根っこを使用したおかずとスープが美味しかった点、友達の良いところ、尊敬できるところを再確認できた点、以上六つの点が今回、この二日間の体験に参加して良かった点である。

    今回二日間の体験を通して、何事も体験、経験してどのようなものなのか知ることが大切だと改めて実感した。

    これからも多くのことに挑戦して、自分が好きなことやモノをたくさん見つけたいと思った。

    感想文

     

    埼玉県川口市より参りました。

    この度七月十四~十五日)は一泊二日の修行ということで大変お世話になりましてありがとうございました。当初は会社行事として私が企画し、従業員全員(約三十五名)でお邪魔させていただく予定でしたが、仕事(現場多数のため)にてほとんどの従業員が不参加となってしまい、泣く泣く仕事の軽めでした三名のみ先発隊ということで参加させていただくことになりました。

    ここから先は会社としてではなく、私個人の感想として書かせていただきます。

    今回体験させていただきました修行の内容としましては、お百度参り、滝行、写経、写仏、座禅、瞑想とそれほど多く体験できたわけではありませんが、普段どれだけ忍耐やがまんすることから避けた人生を送っているか?どれだけ集中することを怠っているのか?改めて感じざるを得ませんでした。

    一泊二日では、日常のだらしない生活から離れて、少し辛い思いをしただけで、その辛さ…忍耐や苦業の先にあるものまではもちろんながら身に付けたり、体験することができませんでしたので、次回時間が許す限り長く、可能であれば二週間~一ヶ月連泊でお邪魔させていただき、その先のある”何か“を体験、体得したいです。

    それを体得出来た時にこそ、人間として、自分自身が本当に変われるときなのかなと感じております。

    次回以降は、また別の従業員を連れてお邪魔致しますが、修行もそうなのですが、まずは何でも人にやってもらうような生活をしている人間たちに、何でも自分でやること、その中で相手を思いやり行動すること、自分がどれだけ恵まれた生活を送っているのかを宿泊、修行の中で学ばせたいです。

     

    この度は二日間という短い時間でしたが、誠にありがとうございました。また伺える日を楽しみにするとともに、明日からの生活にこの二日間で学んだ事を活かします。

    13年間悩み続け、諦めかけていたところでやっと天光寺さんにたどり着きました。

    13年前から私の人生は止まっていました。

    それまでは明るく友人たちトライアスロンに明け暮れる日々でしたが、それが一転、原因不明の病になり、色んな病院に行っても何の処置もしてもらえず、いつからか寝たきりの毎日になりました。

    最初こそ、友人も心配してくれましたが、歳を重ねるごとにどんどん離れていきました。

    周りはどんどん結婚して出産しているのに、一人取り残され絶望を感じていました。

    私の小さい頃からの夢だった“可愛いお嫁さん”にもなれず、沢山の子供に囲まれることもなく、両親に孫の顔を見せてあげられない申し訳なさもあり、お金の援助はしてもらっていたのですが、いつからか両親とも疎遠になっていました。

    そんな母が、5年ぶりに会いに来てくれて、わたしの憔悴し変わり果てた姿をみて、これはただ事ではないと、天光寺さんに掛け合ってくれました。

    私は母に会えたそれだけで嬉しく、母は何も助けてやれなかったと私のために涙してくれました。

    私自身まさか、私の中に霊が13年間も憑依していたなんて簡単に理解することはできませんでした。テレビの中で見たことのあるようなお祓いを受けて、未だになんだかよくわからないけど、わたしの場合、わたしは基本一人で引きこもっていたので、私でいる時間より、霊のときの状態が長く、しかも13年という長い間だったので、祓うことがなかなか大変だったようで、癖になってしまったのです。それで、除霊後一週間の体験修行を通じて、色々なひとと出会い、まだ足りないけれども、日常生活に戻れる自信がつきました。

     

    私の13年は戻ってこないけれど、また母や父との家族の時間が増えた事が何よりうれしく、これから両親の力も借りて、すこしずつ社会復帰していけたらと思います。

     

    やり直すことが出来るように頑張ります!ありがとうございました。

    この度は除霊していただきありがとうございました。おかげで、この2年間が嘘のように体が軽くなりました。

    あんなに悩まされていた耳鳴りや、頭痛も全くなくなり、それらも全部霊のせいだったんだと改めて思いました。

     

    妻からも今までは、いきなり人が変わったようになり、口調も違うときがあったみたいですが、今ではそんなこともなくなったみたいです。

     

    除霊の際、明らかに自分ではない誰かが自分の中でわめいていたのがわかりました。先生のお経がうるさい、やめろと暴れていたと思います。

     

    何分?何時間?格闘していたか分かりませんが、最後に指の先から、スーッと出て行くというか、抜けていく感覚がありました。

    暴れたせいで疲労はありましたが、本当に体が軽くなったというのを久しぶりに感じられた時は嬉しかったですね。

     

    最後に先生からありがたいお話もいっぱいいただけました。

    やはり自分のネガティブで、すぐに何でもマイナスに考えている性格が災いしているようです。

    自分でも少し神経質なのは自覚していましたが、そういう人に憑依しやすいということを初めて知りました。

     

    きっとこのような性格のせいで、妻にもいろいろと大変な思いをさせてきたと思います。

    この歳にして、すべて変えることはできないと思いますが、今回のことをきっかけに、深く悩むのをやめ、もっと楽に楽しく生きていきたいなと思います。

     

    本当にこの度は感謝してもしきれないぐらいです。先生にお願して本当に良かったです。

    ありがとうございました。

     

    僕が、お寺に預けられたのは学校に行かなかったからです。学校にいかずにゲームばかりして過ごしていました。僕が、学校にいかなくなったきっかけはいじめです。理由は、僕に協調性がなかったからです。毎日いじめられとても辛かったです。お母さんにも相談しましたが、忙しいからといって流されてきました。ある日、祖母が亡くなったのでお葬式に行きました。僕はいままでおばあちゃんに会ったことがありませんでした。お母さんと仲が悪かったそうです。なので、お父さんと行きました。平日だったのに僕がいておじいちゃんは驚いていました。そこで、学校に行っていないと話すと1週間後ぐらいにおじいちゃんが僕に家に来てお寺に連れてってくれました。そこで、僕の修行の日々が始まりました。僕の家のことは全部家政婦さんがやってくれていたので僕は何一つできませんでした。初日は、わからないのだから仕方ないと思っていました。ですが、毎日みているとみんな一生懸命やっているのに自分だけなにもしていないのは心が痛かったので簡単なことを手伝っていました。ある日、一人の子に声をかけられました。僕は、怒られると思っていました。でも、その子は手伝ってくれてありがとうと感謝されました。僕は、誰にも褒められたことがなかったのでとても嬉しかったです。それから、色々なことを教えてもらい自分でできることが増えてきました。1カ月もすると、お母さんが迎えに来てくれました。お母さんは謝りながら泣いていました。僕も、泣きました。お母さんは、今まで僕にかまってあげられなかったことを謝っていました。僕は、嬉しかったです。家に帰った次の日から僕は学校に行く決意をしました。久しぶりに行った学校は楽しかったです。僕をいじめていた子とも仲直りしました。中学校生活が楽しみです。ありがとうございました。

    私は大学入学と共に上京し、勉強、サークル活動、バイトなどで、なんとなく多忙な毎日を送っていました。さらに3年生になると就活が始まり、目まぐるしい日々になり、「あれ、私このままでいいのかな?」と漠然とした焦りや、不安に襲われるようになりました。

    そんな中、ふと雑誌で目にした”滝行“…。その二文字にビビっときて、友人を誘って天光寺さんで半日滝修行をさせていただくことにしました。

     

    ただ最初は何となく、滝に打たれたら、身も心も洗われてなにか変われるんじゃないかという気持ちでしたが、私たちの想像を超える体験をさせてもらいました。

     

    まず白装束の行衣に着替え、基本の指導を受けて、その後にお百度参りをしました。

    熱いコンクリートの上をとにかく走り、途中何度も辛い!熱い!足が痛い!と思いましたが、不思議とやめたいとは思いませんでした。

     

    その後、滝までのかなか険しい山道を歩き、滝行に向かいます。いよいよか…と段々不安が募ってきましたが、滝を見た時のド迫力は凄かったです。

    滝に入る前に、桶で水をかぶりましたがそれだけで、息が止まりそうなぐらい冷たくて・・・

    ついに滝の真下に入った時には、もう、冷たいより痛い!

    とにかくすべての煩悩を流してください!と心の中で強く思いながら、「南無大師遍照金剛」と唱えるのに必死でした。

    不思議と体が冷たさに慣れてきているのか、それとも新たな境地に立つことが出来たのか?体の力がふっと抜けたような、心がまっさらになったような感覚にとらわれました。

    本当に身も心もスッキリ!というのはこういうことを言うんだと改めて思いました。

     

    友人と一緒ということもあり、最初は少し安易な気持ちで臨みましたが、この修行を終えた後の達成感は言い表しようがないです。

     

    すごく自信がつきましたし前向きな気持ちになれました。私のような悩める学生さんにも本当にお勧めしたいです。

     

    また社会人になり、困難に遭遇した時は是非お世話になりたいと思います。

    ありがとうございました。

    私は、自分を見つめなおし、迷いを振り払うために天光寺に来ました。一泊で様々な修行を通して自分をゆっくり見つめ直すことが出来ました。

    普段の日常生活では、時間に追われる毎日で自宅に帰っても、やることを終えたころには夜も遅く疲れて寝てしまうという毎日でしたが、静かな森に囲まれた自然あふれる環境の中で時を気にすることなく、ゆっくりと写経や瞑想をしたりすることで冷静に物事を考えられる時間が取れてとても良かったと思いました。

    自分のことで精一杯になると親や周りにいる人々への感謝の気持ちを忘れがちになってしまっていたので、改めて感謝の気持ちがあふれてきました。

    また、滝行もとても気持ち良かったです。滝行前のお百度参りでは、灼熱のコンクリートに素足で立っていると、足が火傷しそうで痛かったですが、全速力で無心で走ることで痛みが和らぎ、なんとか成し遂げることが出来ました。

    その後に行った滝行は、素足で歩くのがとても辛かったですが、冷たい水に入り無心でお経を唱えて滝に打たれてみると、最初は冷たくてダメかもしれないと思いましたが、すぐに慣れあっという間に時間が過ぎてしまいました。

    滝行の後は、心も身体もすっきりして気持ちよく過ごす事が出来ました。

    悪いものが流されような気持ちになり、終わった後には「またやってみたいな」という気持ちにすらなりました。

    寝る前に聞いたご住職のお話もとても勉強になりました。

    人は何のために生まれてきたのかや、人への感謝の気持ち、チャンスをものにするための心構えや、色々な苦についての話や仏教についての話など、沢山学ばせていただきました。

    お食事も思っていたよりもたくさんの品数で味付けもよく美味しく頂きました。

    朝食のおかゆは塩が丁度良くきいていてとても美味しかったです。

    今回は十歳の子供とお世話になりましたが、機会があったらまた利用したいと思います。

    今回はどうも有難うございました。

    僕はママに誘われてついてきたのですが、お百度参りと(滝行・川行・水行)に行って心を入れ替えて励んだり、長文のお経を覚えたり、ある日は「南無大師遍照金剛」と滝行の時にいっぱい言いました。

    修行はとても厳しく辛くて、でも楽しいこともあって、たまたま泊まっていた中学一年生のお兄さんと遊んだり、寝る時に話したり、一日一日がこれを機にこれから楽しむときと、頑張るときを区別して、次の日、一ヶ月後もいっぱい頑張りたいです。

    修行をして大切なことや、やらなきゃいけないことなど色々なことを教えてもらって、神様への言葉や態度、物を戻すとかいろいろされて、神様はどんな人なのか、どんなことをしたのか、どんなことを考えていたのかを考えて、いろんなことを勉強しました。

    この気持ちを忘れず、これから生活に励んで、より楽しく、より大切にしていきたいです。

    法話を聞いて思ったことは、神様と神様が対とうしているというのが瞑想で見えた仏教の話や、人が生まれてからどうするのか、なぜ神様がいるのか、宇宙の話などいろいろな話のなかで言いたいことがはいっていてすごいと思いました。

    とても面白かったです。

    私は30代後半の女性です。滝行に参加しようと思ったきっかけは、職場の人間関係に悩んだからです。人と接するのが怖くなり、人の顔もまともに見ることが出来なくなったことで、このままではマズい、もっと強くならなければと思い、己と向き合い強靭な精神を養うために天光寺さんでの滝行に参加させてもらいました。

    今は若い子たちの中でも人気なようですが、私にとっては藁にも縋る思いで臨みました。

    滝を目の当たりにしたときは、思っていたよりも迫力がすごく、周りの空気も一気にひんやりとし、とても神秘的で後光がさしているように見えました。

    その時点で私には何の迷いもなく、自ら滝に進んで入ることが出来ました。

    きっとこの滝が私を変えてくれる!と思い、冷たい、痛いなどと感じることは不思議となかったです。無心になり、滝に打たれながら「南無太師遍照金剛」と唱えていたら、この滝が今までの私の悩みをすべて流してくれたのではないかと思うぐらい、気持ちが軽くなりました。

    終わった後のすっきりさ、まっさらな晴れ晴れとした気持ちは本当に生まれて初めてでした。

    悪霊を取っていただいたわけでもないのに、滝行だけで人ってこんなに変われるんだなと思いました。私のように人間関係で悩んでる人とか、なにかうまくいかないとか、気持ちを切り替えたい人は是非体験してほしいと思います。これ体験した人しかわからない素晴らしさがあると思うし、絶対にやってよかったと思うと思います。

    私をもう一度やり直すきっかけをくれてありがとうございました。

     

    私が研修を通じて、学んだ事は社会人としての心得です。

    この、研修でまず初めに行ったのは挨拶です。

    挨拶といっても通常の挨拶とは異なり腹の底から声を出し礼儀正しい挨拶のことです。

    続いて、三禮を行いました。これは、精神的にも肉体的にも限界まで追い詰められました。

    体力には自信があったのですがこれは本当に辛かったです。

    滝行は、想像していたよりも辛く入った瞬間に出てしまいました。ですが、修行は限界まで行ってこそ本領を発揮すると思いもう一度入りました。とてつもない勢いの水で呼吸が困難になるほどでした。時間にしたらとても短い時間でしたが私の中ではとても充実していました。自分が限界まで達した時に自分自身を見つめ直せたような気がしました。

    写経では、心を静められました。筆を持ったのは本当に久しぶりのことで墨の匂いが懐かしく感じられました。初めは、うまくかけずもどかしかったけれどだんだんと精神統一できたような気がしました。

    私は、こうした修行の中で感じたのは忍耐力の大切さです。自分の限界に挑戦することで様々なことが分かりました。あと、社会人と学生の違いを思い知らされました。社会は信頼でできているのだなと痛感しました。これから、学生気分を抜いて社会人としての心構えで仕事をしていきたと思いました。

    今回久しぶりに研修というもの受けられる機会を得た。

    この歳になると教える側にまわることが多くなり、このような機会は少ない。急にセッティングされた研修だったが、ある面、喜んでいる自分もいました。しかし実際に研修に来てみると、これも予想していたことではあるが大変なものでした。

    ここ天光寺は真言宗ではあるが単立です。

    お寺ですが、葬式や、お墓はありません。建立の目的は、うつ病の人の心の病を救ってあげる事から始まったそうです。

    その延長線として企業研修による精神的研修を行うよになったようです。

    ここで私は社会人生活30年を振り返ると、最初はとても甘いものでした。入社した昭和63年三光精機でNC班に配属されました。

    今、考えると、金型加工を体験できていたことも自分の財産です。

    この頃は、指示された加工作業を実施するだけで、途中の鉄くず清掃ぐらいしか頭は使いませんでした。有給休暇で連休を取り、旅行に行ったり、休憩するためにタバコを吸いだしたりといった新人です私の一人目のターニングポイントは、入社2年目の冬だったでしょうか、たまたま作業中に足を滑らせ、骨折してしまいました。

    労災による思わぬ連休。こんなに休んで給料はあるんだろうかとも思いましたが、頂いた給料額に初めて会社へ感謝したことを覚えています。

    この後、私は現場上がりで初めて金型設計に転属となります。

    ここでは3年以上いましたが。私の技術の基盤であり、翌年以降設計に配属した方々へ私の失敗談を話して気を付けるよう指導したことが教育の始まりとなったのです。

    その後、事務勤めとなり技術(生産準備)となり、設計もしていたエアコン関連を中心に業務していました。ここでも3年程だったでしょうか…ある日、面識のない他県の営業課長が肩をたたいてきました。

    これが2つ目のターニングポイントで、それからすぐ営業となり、国内転勤で名古屋営業所(旧岐阜工場)と吹上営業所をまわる事になります。特に吹上では、OA関係の仕事に就き、現在上海にいる中村さんと毎日のように仕事をするようになりました。

    営業ですが、品質対応をしたり、組み立て作業標準書を作成したり、これがまた私のプラスになっています。このころが最も会社をやめたくなっていた頃です。毎晩帰りも遅く頼る人間があまりいなかった為ですが、一緒に苦しんでいた東京営業所の中村さんのためにも頑張ろうとやり切りました。まさかその中村さんが昨年私の後任で上海に行くことになるとは、このころは思ってもいませんでした。

    30歳手前で富士のテクニカルセンターに戻り技術に復帰しました。

    このころから海外SVに行くようになります、初めてのSVはシンガポールのSTSです、OA支援で続けて通算三カ月以上いたように思います。初めて海外ローカル外注とも対話し難しさを知りました。

    金型知識を認めてもらい指示を受けてくれるように変化したのを覚えています。この時に書いた海外での金型修正指示書が、帰国後社内で評価されていたと後から聞こえてきましたが、これで三つ目のターニングポイントだったのでしょう。その後はH/Gを十年取り組み、サイクルを半部に上にしたことや、成型技能士となって、受講者を教育していたことで大きな評価ポイントです。

    そして、今に至る最大のターニングポイントが2013年の上海出向です。四年間の中で過去最高益となり社長にもなりました。自分の人生ここでピークなのだろうと考えていましたが、昨日インドネシアSTI社長に転覆するとは、これまた驚きの出来事でした。上海はオフィスですがインドネシアは工場で社員300人です。どう取り組んでいけばよいかわかりませんでしたが最終的には現状を見てから考えていこうとポジティブシンキングとなりました。

    今インドネシアでは、自分のこれまでの経験が生かされています。技術畑という事があり不足改善点がすぐに百件以上、頭に浮かびました。比較的、人の話は聞き、納得した良い面だけ吸収してきたため多範囲での指導が可能となり前期減収の中で、対策を打った分だけ利益を残せたと考えています。

    話を研修に戻します。滝行から、お百度参り、写経等初体験ばかりの中、3禮がとにかく辛かった、体力的には自身もなかったわけだが、これは心が折れるかどうかの修行だと受けとり、どうにかやりとげましたが、本当に体全身がバカになったように痛いです。しかし、出来ないであろうという事をやりきった事で、自分自身の目的であった、今一度見つけ直す、精神の集中はこの研修で達成できたと言えます。

    自分を信じて今後もつき進みます。絶対に今より向上する未来が今の活動の後にやってくるはずだ。今後いっそう頑張ります。

    2018年4月本社より本研修受講の指示を受け、参加させて頂きました。

    会社に入社し23年が経ちました。入社早々、営業部門に配属され、

    何が仕事なのか日々悩みながら1日1日、自分の前に起こった事をただ

    遂行する毎日であったと思い返しました。

    23歳の時、東京へ配属となり、栄転だと喜び舞い上がっていた時期もありました。又、最近では名古屋地区の営業責任者として命ぜられ、

    お客様の新規開拓という重責を担うことも経験しました。

    この時期通烈に感じたことは、お客様への接し方や、気遣いが全くできていないということでした。

    入社してからの営業職は、既に取引させて頂いているお客様との異常処理が殆どで、こちらから望ずともクレームや細かい要求が入ってきます。

    それゆえ、お客様への心道よりも、自身がいかに楽をして、仕事を終わらせるか、1つの仕事が終わると、何も起きない白を望むような消極姿勢で日々を過ごしてきたように思います。

    何故なら自ら仕事を探す役割でなく、お客様や社内から強制的に仕事が与えられる部門であったからです。従って、挨拶1つにとっても言葉を発するのみで頭の下げ方、名刺の渡し方、会話を勉強する事はなかったと思います。

    お客様を開拓する部門に配属されてからは、状態が一変しました。

    会社及び個人を売り込み仕事を頂くための営業になりました。それ故与えられた事を遂行するのではなく自身を常に高め、お客様に会社、そして自分自身を印象付けなければならなくなったのです。身なり、言葉遣い、雑談の内容、事前の情報収集など、これまでの日常生活では意識してこなかった事が突然ツケが回ってきたように要求されるようになったのです。

    今現在の状況は新規開拓に加え言葉の通じない異国の人間を部下に持ち、同じく新しいお客様を開拓しなければなりません。

    日常業務、言葉の学習は勿論ですが、これまで学んでこなかった事、知識が必要な立場になりました。

    今回の研修では、これまで自身が取り組んでこなかった事言わば消極姿勢を見直すきっかけにしたい、こういう意識、心構えが必要である事を感じる研修であったと思います。

    挨拶の姿勢、感謝の心、改めて自身を見つめ直す良い機会であったと思います。

    又、写経、滝行、お経は一心不乱に集中し取り組む心の持ち方を教えて頂けたと感じました。

    構語の冒頭、成功を納めるには光る個性が必要とのお話がありました。

    この個性を発揮し人に印象付けるには日々の見えない努力が必要であり、普段から常に先を見て準備しておくこと、その準備を行うにあたっても、高い意識と集中力を持ち続けなければならないと思いました。

    自分自身、消極的な姿勢が前面に出てしまう事が多くあります。

    それは、他人とのトラブルを避けたい、仕事量が増える等、理由は多々ありますが、根本は「自分に対する甘え」以外何ものでもあれません。

    目的を見誤らず、常に何をならないのかを考え、達成させる意欲を持ち続け

    ていく事が、自身にとって必要な要素なのです。

    最後にちかいの言葉を読み上げました。

    常に積極的に「やれば出来る」=「ヤル意識を持ち続ける」を念頭に置き

    これからの生活に役立てていきたいと思います。

    ・先のことを考えていれば気付く事が沢山あり事前に手を打つことが出来る。

    ・第一印が勝負、相手に次も逢いたいと思わせる。

    ・チャンスは少ない、大事にせよ。

    ・消極発言は心の病、体の病を引き起こす。

    私が今回体験修行に参加した理由は、友人からの誘いでした。

    この頃、疲れが溜まってきて些細なミスが増えてきていたのでリフレッシュにちょうどいいと思い申し込みました。

    お百度参りという走りながらお経を唱えるということを108回行う修行では、私はもともと運動が出来る方ではなく普段もどちらかというとインドア派なのでとても疲れました。

    終わった後はすごい汗をかいていました。なんだか汗で身体の悪い成分が抜けていくような感じがしました。

    その後の滝行は、想像を超える辛さでした。漫画などで描写されているそのままでした。

    入ると、火照っていた身体が一気に冷やされビックリしました。

    体感時間では30秒ほど入っていたつもりでしたが、5秒も入っていなかったそうです。

    死ぬかと思いましたが、爽快感を味わうことが出来ました。

    写経は、文字を書くというより絵を描くという感覚でやっていました。絵は昔から好きだったのでとても楽しかったです。あっという間に終わりました。自分でも驚くほど集中していました。周りが静かなのもあるけど、些細な音も一切聞こえないほど集中していました。

    1日体験修行は、とても充実していました。とても濃い一日であっという間でした。

    家に帰るとぐっすり眠れました。

    仕事もミスが減りうまくいくようになってきました。やはり、人間こうしてリフレッシュすべきだなと思いました。

    住職さん、スタッフの皆さん

     

    ありがとうございました。

    私は、今現在職についておらず親のすねをかじりながら生きています。

    家は比較的裕福な方で幼少のころから何不自由なく育ってきました。ですが親はとても厳しく、よい成績をとってこないと怒られていました。大学も親の望む大学には入れませんでした。そこで、親は私を見放したのか何も口を出さなくなりました。会社に入りましたが今まで親の望みをかなえようと自分のやりたいことなど考えずに生きてきたので入った会社も楽しくなくすぐにやめてしまいました。私は両親に甘えているんじゃない!と叱られました。私には姉がいます。姉は私と違って優秀でいい大学に入り自分のやりたい仕事をして毎日が楽しそうで本当に姉弟なのか不思議なぐらいです。そんな姉は、私に優しく両親に叱られ部屋で泣いていると慰めてくれました。勉強も教えてくれました。姉がいなかったら私はこの世にいないと思います。そして、その姉が結婚することが決まりました。私は、素直には喜べませんでした。姉はとても優秀なのにこんな駄目な弟がいるとわかったら姉が旦那さんに嫌われてしまうと思ったからです。

    そこで、私はまず自分の弱い精神を叩き直そうと思いインターネットで調べているとこちらのお寺にたどり着きました。

    修行はとても辛く厳しいものでした。ですが私は全力で行いました。きっとここで手を抜いたら今までと変わらないと思ったからです。

    修行が終わると私は生まれ変わったような感覚でした。

    修行をしたことで私の弱い精神は鍛えられました。ありがとうございました。

     

    三日間の修行を通して

     

    昨年の秋に今働いている会社で役職が上がりました。年内はうまく仕事を卒なくこなしていましたが、年末の多忙と労働時間が増えた事なども重なり、今年に入って、メンタル不調を起こし、会社に段々と行けない日が多くなりました。そのような生活が続いた為、会社の責任者と通院している医師から少し休んだ方が良いのではないか、ということで、自分もなるべく避けたかったのですが、話し合いの結果、1カ月の休職することになりました。

    1カ月という期間で本当に今の環境から1人になって考えたいという環境が欲しかったのと、自分の弱い部分を少しでも変えたいという思いが強くなり、何がしたい考えた時にお寺で修行しようという考えになりました。なるべくなら行くのに近い方が良いと思い、関東で探したところ、天光寺のホームページを見て、自分がしたいと思う修行内容と一致したことから、二泊三日での修行を申し込むことにしました。

    午前中に関しては、真言宗のお話と基本的なルール、作法についての教えを受け、昼食をはさんでお百度参りを行いました。早速、白い装束に着替えて説明を聞き始めました。その日は、台風の接近もあり天気は雨ですが、柱から像まで片道20メートルを裸足で往復するという修行でした。

    ほぼ全力で走る為、何往復したか記憶はありませんが終わったときは、汗をかきましたが大変すがすがしい気持ちになりました。その後すぐに車で滝に移動し、滝行を行いました。こちらでもまず同様に作法から学び、入ることになりました。滝行に関しては初の体験だったので不安でしたが入ったときは、これは見た目よりも水が強く体にあたり、きついなと思いましたが途中からうまく順応するようになりました。念仏を大きな声で出すように心の中で意識すると、水の冷たさと水の強さが気にならなくなり、何分ぐらい入っていたかは分かりませんでしたが、同じ滝行の方々に「頑張りましたねー」と声をかけられたのが印象的と思った以上に耐えられたので、少しだけでも自分に自信が持てました。その後一人になり写経、写仏を行いましたがかなり長時間の集中力をようするため、自分にとっては、長時間集中力を保つことが大変苦労しました。その後夕食をとり、DVDを見終わったときには、21時を過ぎていました。就寝は22時でしたが、疲れていたのですぐに寝ることが出来ました。

    次の日、朝6時に起床し、洗顔後清掃を行いました。1時間半程でしたが汗をかき、すがすがしい気持ちになりました。その後、朝食をとり、瞑想に入りました。そこでは、腹式呼吸を習い、自分でも驚くぐらいのでかい声をだし、読経に進みました。あっという間に昼になり前日同様お百度参り、滝行、写経、写仏をこなしましたが初日よりもこなせるようになり自分に少し自信が持てるようになりました。普段、時間と仕事に追われ生活を当たり前のように行って月日を過ぎていましたが、今回の二泊三日の修行は日数的には少ないかもしれませんが大変様々な事が学べ、自分にとって大変に勉強になり、見つめなおすいい機会を得ることができました。復職後は、こちらで学んだことを取り入れて自分をうまくコントロールできることに活用したいと思いました。

    私がこの体験修行に参加しようと思ったのは自分の人生に生きづらさを感じていたためです。私はアダルトチルドレンの傾向があり、自分の本当の感情がわからず、ありのままの自分を愛することができないと言う悩みを抱えていました。何とか自分を変えたいと思い、わらにもすがる思いで参加を決めました。まず驚いたのは思った以上に山奥にあったことです。そして体験修行ではスマートフォンなどを最初に寺に預けるのでせわしない日常から離れゆっくりと自分を見つめることができました。1日目の1番最初に挨拶、食前食後など作法を学びました。日頃当たり前のように食事をしていましたがここにきて食前にお経や感謝を述べることにより改めてそのありがたさを感じることができました。

    お百度参りでは1日目は正直余裕を持って走ることができました。しかし2日目からは前日の筋肉痛さらには足の裏の皮もはげており1日目の倍以上にきつかったです。まだ現在2日目が終わったところなので明日はもっときついと確信しています。ただ自分の限界まで走ることによって無心になれて大きな達成感を得ることができるのは間違いありません。

    そして滝行は想像以上にきつかったです。見ている方と実際に滝に打たれている側では全然違うのだと知りました。まず夏にもかかわらず水温が冷たくて滝に打たれる前、顔・肩・胸に水をかけた段階で心が折れそうになりました。それでも「自分を変えるんだ」と、自らを奮い立たせて、勢いのまま滝に入りました。容赦なく頭へ降り注ぐ、滝は「冷たい」という感覚が1番最初で、次に「痛い」という感覚になりました。そして同時に「苦しい」という感覚になりました。お経を唱えるのも、命がけというくらい息苦しく、水は遠慮なく口に入ってきました。それでも強い決意を持って臨んだので自分の限界を越えた限界まで入っていることができました。滝から出た直後は急激な寒さにおそわれましたが、同時に心は清々しく、大きな達成感を得ることができました。

    それから、この体験修行では食事は、肉魚がほぼ入っていない精進料理だったのですが、味は美味しくて、決して物足りなさを感じさせないものでした。朝はお粥なので胃腸にも優しく健康的でした。

    写経も初めて体験させていただきました。正直、筆の扱いが苦手で漢字の細かい部分がうまくいかず、イライラもしてしまいました。その後の写仏は非常に楽しく取り組めました。写経との違いは自由さだと思いました。人によってどこから書き始めるかなどそれぞれです。無心に取り組むことができました。瞑想は楽しみにしていたのですがほとんど何も説明のないまま始まりただ音楽を聴いているだけなので、正直、家でやってる方がリラックスできるし、ほとんど変わらなかったので少し残念です。読経ではそれぞれのお経にはそれぞれの意味があることを学べて良かったです。

    今現在、二日目が終わろうとしています。自分の中で何かが変わったかどうか分かりません。まだ心のどこかで「早く帰ってビールを飲みたい」などと言う気持ちがあるのが正直なところです。来る前よりは自分を受け入れることができるようになっただろうか。わかりません。

    今はっきりと変わったと分かるのは、全身の筋肉痛だけです。とは言えあと丸一日あります。体は限界に近いですが残りの時間を後悔ないように精一杯、行に取り組み、少しでも何かを得て、帰りたいと思います。

    私が体験修行、特に滝行を行おうと思った背景は、後に詳述するがそう心に決め、関東で私の行ける日程で滝行・写経・座禅等を行える寺院をインターネットで検索したところ、天光寺が最も条件に合致。インターネットでの予約を受け付けており、日程も修行に臨む者が自由に日程を決めることが可能。また開始日のみならず、修業期間も修行者が決めることができた。

    修行の内容についても相談可能。

    インターネットのフォームに入力後、1日後に返信があり返電にて予約を確定。仕事の関係上日程を迷っていたこともあり来院2日前に確定した。

     

    体験修行を行うに至った背景

    簡潔に申し上げると今年に入り離婚したことと、30歳と言う節目の年齢であったことから禊的な意味と生まれ変わり、また心新たにこの先の人生を送りたい、主体的になりたいという気持ちからでした。

    自己肯定感が低く承認欲求が強いためか誰からも好かれたいと言う気持ちがあり、強引な人やいわゆる押しが強い人に弱く、プライベートではきちんと自分で熟慮し、決断しなかったためか離婚してしまいました。自分では倫理的、真面目に過ごしているつもりでも既婚者に誘われたり、職場でセクハラに遭ったりと不本意なことが続きました。厄除け等にも行きましたが自分の心の有り様、姿勢が正しくないことが原因と思い誕生日に滝行・読経・写経・座禅ができるこちらの天光寺にお世話になることにいたしました。

     

    修行を終えて

    私は修行受けた背景はこの通りでしたが、真理とは授かる、外からもらおうとするものではなく、自分と向き合い、宇宙の真理を心得、体得するものであると感じました。その手伝いを先達の修行者や僧の方々にいただきながら行うのが修行と思いました。いかに主体的に、積極的に与えられた生を生きるか、これからより向き合っていきたいと思いました。

    まだ序の口と思うのでまた修行を経験したいと思います。ありがとうございました。

    このたびこのような体験をさせていただき誠にありがとうございます。今まで自分自身をしっかりと見つめ直すきっかけもなく、そのまま何も考えることなく人生を送ってきました。

    そんな時にふとしたきっかけで検索していて見つけたのが、天光寺さんのホームページでした。もしかしたらこういうのがきっかけとなり、今までの自分から脱皮し、新たな自分自身に気づき向き合えるのではないかと思い申し込みました。仕事でも今までずっと飲食業を行ってきましたが、色々とあり約2年ほど前から友人が経営しています。施工会社で働くことになりました。そのきっかけは以前自分の店を頼んだことがありその店がだめになり、バイトを掛け持ちしてるところを社長に声をかけていただきました。

    正直最初はたかをくくっていて多分自分なら少しの時間で仕事の内容を覚え、会社のためにてきぱき働いているつもりでしたが一向に仕事内容が覚えられずに、道具、段取り、その他色々と一度は説明していただいてるにもかかわらず次のときにはそのやり方を忘れてしまいました。そのやり方を再度聞くと言うことを数回もしてしまいました。

    そして気が付くと間違いを犯してしまい会社に迷惑をかけていたのです。今までやってきた飲食業では決してないことで、まさか自分がこんなに仕事ができなく、覚えが悪いと思いませんでした。それを自分の勉強不足、努力不足にも関わらずに、周りの人が直してくれないからと人のせいにしていたのです。コミニケーションも以前から初対面の人は苦手でしたがまさかここまでコミニケーションがとれなく仕事に影響しているのはと驚きました。

    その自分の気持ちがどんどんマイナス思考へと変化していきどうせ俺なんて何もできない。僕が何か言ってもどうせ聞いてくれないだろう。など数多くのマイナスな考えが頭から離れず、仕事が全くうまくいっていませんでした。そんな自分がこの仕事についてだめなところ、嫌なところが明確にわかってきていつも変えなきゃダメだと思ってはいて次の日から変わるぞと言う気持ちで仕事場に行ってもまた小さなミスをしてそこからすぐにマイナスな自分が出てきて悪循環な毎日でした。本当にこの会社に必要では無いのではないのかと考える始末です。

    そんな弱い自分自身を変えたく色々と考えたりインターネットで調べていくにつれ滝行などが良いのではないかと思っていたら天光寺のホームページを見て「これだ」と思いました。

     

    このようなこと、きっかけがない限り自分自身は根本から変わらないと思っていたのです。最初に滝行に行ったときは、すぐに出てきてしまい情けなかったです。それも、呼吸法など習った後に滝行に行ったら前日よりも少し長くできてとてもうれしく思いました。また、声をしっかり出さなければ伝わらないと言われ、腹から声を出していったときはなんだかスッキリとした気持ちになりました。この声出しは会社でも挨拶はするけど小さいためか周りに伝わっておらず気付かなかったなどと言われた時もあります。やはり、しっかりと周りの方々に感謝の言葉をしっかり伝えて気持ちを言葉に出すようにしたいと思いました。そして、住職の言葉にもあったように分からないことはわからないとはっきり言って、曖昧な返事はしないようにしたいと思いました。そして、できることは率先して行い、人が嫌がることを自分から率先して行える人間になりたいと思います。そして、頂いた資料の中にある「キーワードを参考にあなた自身が求める人間像」をみて1つでも多く自分自身ができるような人間になりたいと思います。そして、これからは必ずマイナスな言葉は絶対に出さないと決めました。それによって、自分が影響されてますます自分や他人の運勢を悪くしてしまうからです。今回の二日間の体験を経ていろいろなもの、考えを教えていただきました。

    この経験を生かして明日からの自分自身の人生をより良いものにしていこうと思います。頂いた資料を日々自分でも見て確認して実行して行きたいと思います。今回はこのようなすばらしい体験ありがとうございました。またなにかあったときには修行させて頂きたいと思います。皆様本当にありがとうございました。

    あいにくの雨となりましたが滝行というものに興味があったので友人に誘われて、こちらで体験させて頂きました。滝行に入るには、入る前のお百度参りやごあいさつの作法を学び般若心経を唱えたりと日常生活では体験できないものがたくさんありました。本番の滝行では6月ということもあり、緑鮮やかな山の中を登ること4分で滝行の場所に到着しそこでも滝に入る前のお清めなどたくさんのお約束事があり、それを見るだけでも身が引き締まる思いがしました。

    いざ滝に入ってみると初めは冷たい水と水の勢いで驚いてすぐに戻ってしまったのですが落ちついて入りなおしてみるととても神聖な気分になりました。初めは、立って背を岩につけ数分、そしてあぐらになり数分、一人ずつのために他の方のことも考えて早めに出てしまったのですが、滝行はとても気持ちのいいものでした。時間が許せばまたゆっくり、体験をしてみたいと思います。滝行までの案内をして下さったスタッフの方にも感謝です。

    私は、4年間ほど霊障に悩まされていました。内容は、突然誰かの声が聞こえたり、自分の中に誰かが入り込んでいるという感覚がある現象でした。自分でもよくわからず誰にも話せないし、相談できないなと思っていました。

    除霊で検索すると天光寺がヒットし、相談してみようと思いました。最初は除霊が不安でしたが、天光寺のご住職に相談すると除霊をして早く断ち切った方がいいと言われ、申込をしました。当日天光寺に行くとご住職に霊視していただき、いろいろと説明してくださいました。いよいよ、除霊が始まりお経が鳴ってくると、私の口から勝手に言葉がでてきて何かが乗り移っていました。

    自分で話をしていないのに、何を言ってたかはあまり覚えていませんが、とてもショックでした。ご住職のお経が終わると邪気払いをしてもらいました。骨がミシミシ鳴ってこれで骨が20本ぐらいついたと言われて邪気が相当溜まっていたことを知りました。無意識の中に霊は入るらしく、もっと自分で積極的に生きること(考え方や行動)がとても重要だと教えて頂きました。私は、普段から神経質すぎるところがあって、よくない方に物事を考えがちです。こういったことが知らず知らずのうちにマイナスのエネルギーを発し、霊をひきつけたのではないかと思うと、考えることや思うことはすべてに通じているものなんだということが分かりました。

    日頃から感謝への考え方を見直したいと思いました。ありがとうございました。

    私は、現在58才になり自営業を営んでおります。こちらの天光寺様を知ったのは私の妻のからだに何か起きていると感じてインターネットで検索しご縁があってお世話になりました。

    その後、妻の体はおかげさまで今では普通に生活が出来るようになりました。先生から滝修行とヒーリングも受けた方がいいと聞かされ現在もヒーリングを継続しております。先生の弟子として今後も精進してまいります。ありがとうございました。

    私は悪霊に憑かれたのは、2回目です。今回は、3年前くらいから悪霊が体に入っているのは、分かっていました。痛み、特に心臓の近くばかりが狙われていました。1度目の除霊は違う寺院でしたが、今回、主人に天光寺に無理やりのかたちで連れてこられました。途中本当の自分と違う自分が交差していました。別室に待たされた時に、1体が私の体から出ていくのが分かりました。先生に会った瞬間吸い込まれたのははっきり覚えています。除霊が始まり、少しずつ体が動いているのが分かりました。わさわさと地震の様に音に合わせて体が止まらなかったです。先生のお経の除霊の時は、私の中に入っていた悪霊が「うるさい。うるさい。」とつぶやいていました。手の指から出ていく時に舌打ちして出て行ったのは、怖かったです。今は、気分が軽いですが、また入ってくるかもと不安はあります。

     

     

    先日は息子ともども大変お世話になり、ありがとうございました。

    妻が2年ほど前に病気で亡くなり、その頃から息子はふさぎがちになりました。最初は母が亡くなったことが辛いだろうとそっとしておいたのですが、次第に金縛りに遭うようになり、夜も怖い夢を見るとかであまり眠れなくなったようです。そのうち奇行が多くなり、夜ふらふらと出歩いたり、話しかけても答えず、わけのわからない独り言をぶつぶつと言うようになりました。

    病院に連れていこうとしてもとても嫌がるので、どうしたものかと知り合いに打ち明けてみたところ天光寺のことを教えていただきました。その知人も同じような出来事が遭ったときに住職に相談したところ、何か悪いものが憑いているということで、お祓いをしてもらったところ、今はすっかり元気になったとのことでした。

    私は藁をもつかむ思いで住職に相談すると、やはり霊が憑いているというので息子を除霊してもらうことになりました。

    息子は住職をお話はほとんどできず、私が代わりに話したのですがその間少し震えるようになりました。その後CDを聞いているとさらに震えだし、何か嫌がっているように大きな苦しそうな声を発し始め、私もとてもはらはらしました。

    その後お経を唱えられている間も同じく苦しんでおり、やめてくれと叫びそうになりましたがぐっとこらえました。息子はだんだん落ち着いて、涙を流していたのが止み、その場に倒れこみました。起き上がると息子の表情は今までとうって変わって晴れ晴れとしていました。そしてお父さん、と私に言ってくてました。それまでほとんど会話もできなかったのです。私も息子と一緒に泣いてしまいました。

    憑いていた霊がすっかりと昇天したようです。今では妻が生きていたころのように、明るくなりました。普通に会話もできるようになり、本当に安心いたしました。

    住職、この度は本当にありがとうございました。息子も大変感謝しております。

     

    私は、昔から霊感が強く姿は見えないけれど気配は感じることがありました。

    高校生の時に近所の人が自殺したところを目撃してしまいそのころから姿も見えるようになり頻繁にみえるようになりました。

    それから、誰かのささやく声が聞こえ病気にかかる回数も増えてきました。

    医者にも行ってみたのですが精神的な問題だと言われました。

    それでも高校を卒業するまでは普通に生活していたのですが社会人になり仕事をする上で

    体の不調はかなりの負担でした。毎日よく眠れず仕事でもミスばかりでもうおかしくなりそうでした。そんな時会社の上司が企業研修を行ったことがあるというこちらのお寺を紹介していただきました。

    お寺に着き最初に行ったのは確認作業といい住職さんのCDを聞くものでした。反応があったら憑いていていない人は癒されるそうです。私は、CDを聞いていると頭がとても痛くなり

    意識が飛びそうになりました。

    次は、住職さんのお経を聞きます。こちらも、頭がとても痛くなり意識は飛んでいて気づいたら終わっていました。

    終わった後は体が軽く頭もとてもスッキリしていました。

    それからは、仕事もはかどり評価も上がってきています。紹介してくださった上司そして、お寺の住職さんありがとうございました。

     

    私は、霊の類は全く信じていなく住む場所は訳あり物件にしてお金を浮かしていました。

    ある日、寝ていると突然体が動かなくなりました。どうやら金縛りのようです。ですが、私は霊とかポルターガイスト現象など信じていなので疲れているのだろうと思いその日は寝ました。それからしばらく金縛りにはかからずやっぱり疲れていただけなのだと思いました。1カ月ぐらいしたある日寝ていると誰かに足を強くつかまれる感覚で目が覚めました。部屋には誰もいないし気のせいかと思ったけれど自分の足にはまだ痛みは残っています。さすがの私も、少し霊の存在を疑いましたがそこで私はもし本当にいるのなら俺に憑いてみろと言いました。後から考えてみると馬鹿な話です。次の日起きると激しい頭痛に悩まされ声が聞こえました。女の人の声です。周りを見渡しても人の姿は見えません。さらに、その声は外でも聞こえました。一緒にいる人になにか聞こえないかと聞いても聞こえないそうです。頭が痛くまともに仕事もできないので早退し市販の薬を飲みその日は寝ました。次の日になっても頭は痛いです。さらに、体も重く歩くだけで精いっぱいです。重い体を動かし病院に行きました。そこで、今までのことを話しても自意識過剰と言われるだけでした。薬をもらいましたが効き目はありませんでした。

    インターネットでいろいろ調べているとこちらのお寺を発見しました。早速申込、天光寺に向かいました。ですが、その日はもう歩くことすらできず友人に送ってもらいました。

    到着してしばらくするとお祓いの部屋に案内されて、住職の音声が入ったCDを聞きました。しばらく聞いていると頭が今まで体験したことないような痛みに襲われ気を失いました。目が覚めると頭の痛みが取れていました。さらに、自分で歩けました。不思議と今までよりも視界がクリアになったような感覚でした。それからその部屋に住むのはやめ引っ越しました。もしかしたら私は、死んでいたかもしれません。早めに天光寺で除霊していただいたことに感謝しています。

     

    仕事で上手くいかないことが続き、上司に勧められ一日修行に参加しました。修行体験をさせてもらった今思うことは、あらゆる問題を人のせいにしている自分や嫌なことから勝手に逃げている自分がいたということです。

    住職の法話のなかで「人間力」のお話を聞き、自分に今一番足りないものだと感じました。いつからかマイナス思考になり、何事も後ろ向きに考えていました。そして仕事で思うような成績や結果が出せなかった時には周りのせいにして自分を正当化し守っていたように感じます。すべては自分が傷つきたくなかったからだと気づきました。

    お寺での修行はどれも自分自身を見つめる時間になりました。自分の頑張りだけで結果が見えるお百度参りも滝行も、今の自分にはとても厳しいものでした。逃げようという気持ちを抱いてしまう自分にショックを受けました。それでもお寺の方や周りの方の姿を見て、自分だけ逃げるのは嫌だと思い最後までなんとかやり遂げることができました。

    今の自分には積極性や自分を信じる力が足りないと教えられたように感じます。

    一日という短い時間ではありましたが、自分が知らない自分に出会えたように感じとても感謝しております。とても美味しい精進料理もありがとうございました。

    今後、部下に私と同じような子が現れた時には、この修行体験を必ず勧めたいと思います。

    また自分も参加できればと思います。ありがとうございました。

     

    今回、一泊二日の体験修行に参加させていただきました。住職、お寺のスタッフの皆様、ありがとうございました。

    テレビで芸能人の方が滝行を体験されているところを拝見して、興味を持ち天光寺についてインターネットで検索しました。その際に滝行だけではなく体験修行が出来ると知り、せっかくの機会なので参加してみようと思い申し込みました。

    泊まり込みの体験修行に女一人で参加するのはとても緊張しましたが、他にも女性の方がいらしてお寺に着いてからは無駄な心配をすることなく修行に専念することができました。

    最初、様々な仏法関連のお話を聞きました。興味はあるものの知識がなかった私には難しい言葉が多く、一つ一つの単語をすべて理解することはできませんでした。もっと知識を増やしていきたいです。

    その後の精進料理は、肉や魚の無い料理を食べることが日常でないので、味気なくないのかと不安でしたが、野菜のうまみを堪能でき、とても美味しく全て戴きました。

    お百度参りは普段事務作業しかしていない私にとって、最もキツイ修行でした。他の方に付いていかなきゃと考えれば考えるほど足が重たく感じました。しかし他の方の必死な姿を見て、辛いのは自分だけじゃないと感じそこからは集中してひたすらに修行に打ち込むことが出来ました。

    その後の滝行は、お百度参りをやりきれた気持ちから強気で挑むことが出来ました。滝に打たれた瞬間はグッと体にかかる水の勢いの強さから体の力が抜けそうになりましたが、必死で立ち続けました。本当に気持ちがよく、リフレッシュできました。

    写経は、普段パソコンばかり使っていてペンを持たないことも相まって、思った以上に筆で書くことが難しかったです。それでも、一日の疲労もある中、想像以上に集中することができました。

    二日間はとても短く感じました。いつもの生活の中では体験することができないたくさん貴重なことばかりでした。今回修行を体験できたことをとても感謝しています。

    次は、友人を誘ってぜひ参加したいです。

    本当にありがとうございました。

     

    以前に大学の先輩がこちらのお寺で体験修行に参加し素敵な経験をすることが出来たと言われていたので、今回友人とお寺での修行に参加することにしました。

    体育会系の部活に所属しているので体力や集中力には自信があり、とても軽い気持ちで参加しました。お寺に着くまでの間、ここは本当に東京なのかと考えてしまうほど自然豊かで日常からかけ離れた場所のように感じました。

    お百度参りでは、雨が降っていたせいでとても寒くて凍えてしまいそうでしたが、始まってしまうとすぐに集中することができました。それでも普段の試合の時のような集中力とは違い、上手く言葉には出来ませんが頭の中が無になり不思議な緊張感と共に集中できていたように感じます。

    その後の滝行は、一番楽しみにしていたものだったので、少しでも長い時間入ろうと考えていました。しかしいざ入ってみると水がとても冷たく、水の流れも強くて少し不安になりました。それでも自分の前にしている方が笑顔で出てこられたので自分も頑張ろうと思えました。実際に滝行をしてみると、水の冷たさや滝の強さ以上に達成感や爽快感を味わうことが出来ました。本当に体験してよかったです。

    写経では、気付けば夢中になり必死で書いていました。極限の集中状態になっていたと思います。

    一日体験修行は、振り返ってみるとあっという間の時間でした。日常では絶対にできないいろいろな経験をさせてもらえて、少し遠かったけれどもお寺まで来ることが出来て本当によかったです。

    ありがとうございました。

     

    この度は有難うございました。

    興味本位で修行の申し込みをしましたが、参加することができて本当に良かったです。

    この短期間で自分自身が大きくなにか変化したかは未だ分からないですが、修行をする中で無心になり集中することは日常生活で体験できることではないのでとても貴重な経験になりました。

    仏法に関する話は自分には難しかったですが、もっと理解したいと思いました。

    自分自身のこころの変化によって物事も変化していくこと、忘れずに過ごしたいと思います。

    滝行で苦しくなってしまい、すぐに滝から出てきてしまったのが唯一の後悔です。また参加させて頂きたいです。

    ありがとうございました。

     

    先日は息子ともども大変お世話になり、ありがとうございました。

    妻が2年ほど前に病気で亡くなり、その頃から息子はふさぎがちになりました。最初は母が亡くなったことが辛いだろうとそっとしておいたのですが、次第に金縛りに遭うようになり、夜も怖い夢を見るとかであまり眠れなくなったようです。そのうち奇行が多くなり、夜ふらふらと出歩いたり、話しかけても答えず、わけのわからない独り言をぶつぶつと言うようになりました。

    病院に連れていこうとしてもとても嫌がるので、どうしたものかと知り合いに打ち明けてみたところ天光寺のことを教えていただきました。その知人も同じような出来事が遭ったときに住職に相談したところ、何か悪いものが憑いているということで、お祓いをしてもらったところ、今はすっかり元気になったとのことでした。

    私は藁をもつかむ思いで住職に相談すると、やはり霊が憑いているというので息子を除霊してもらうことになりました。

    息子は住職をお話はほとんどできず、私が代わりに話したのですがその間少し震えるようになりました。その後CDを聞いているとさらに震えだし、何か嫌がっているように大きな苦しそうな声を発し始め、私もとてもはらはらしました。

    その後お経を唱えられている間も同じく苦しんでおり、やめてくれと叫びそうになりましたがぐっとこらえました。息子はだんだん落ち着いて、涙を流していたのが止み、その場に倒れこみました。起き上がると息子の表情は今までとうって変わって晴れ晴れとしていました。そしてお父さん、と私に言ってくてました。それまでほとんど会話もできなかったのです。私も息子と一緒に泣いてしまいました。

    憑いていた霊がすっかりと昇天したようです。今では妻が生きていたころのように、明るくなりました。普通に会話もできるようになり、本当に安心いたしました。

    住職、この度は本当にありがとうございました。息子も大変感謝しております。

    最近引っ越したのですが、その家で寝ていると金縛りに遭うようになりました。さらに人の気配もし、気味が悪いな思っていました。それまで霊を感じることも無かったので霊を感じる知人に相談すると、何かいる気がする、お祓いに行ったほうがいいのでは、と言われました。そして探して天光寺さんのホームページを見つけました。安心して眠りたかったので申し込みました。

    先生とお話しするまでは不安な気持ちでしたが、お祓いを受けている最中はなぜか体が震え、気づくと涙が出ていました。

    お祓いが終わると震えも涙も止み、心が穏やかになっていました。もう大丈夫な気がしました。

    帰って本当に大丈夫か少し不安になりましたが、安眠でき、変な気配もなくなりました。その日から穏やかな気持ちも続いています。

    先生どうもありがとうございました。

    今回浄霊をしていただこうと思うに至ったのは、小さいころから悩まされてきた霊障でした。物心つくころから霊を見ることが度々ありました。中学生の時に飛び降り自殺を見てしまい、その頃からまた頻繁に霊をみかけるようになりました。

    20代になって霊を見ることは少なくなったのですが、自殺に遭遇してから骨折したり病気に罹ることが多くなりました。その時も親や友人に相談したのですが、妄想だとか精神的な問題だ、深く考えるなと言われ、それ以上追及するのをやめました。

    けれど毎日体が重く、頭痛もひどいです。病院にいっても原因がわかりません。また、記憶障害もあり、周りの人たちと過去の出来事で食い違うことがよくありました。

    それでもこれまでは普通に生活していたのですが、最近結婚を考えるようになりました。霊や体の不調のことなど彼にどう打ち明けようか悩むようになると、また霊を見たり、危うく大けがになる事故に巻き込まれそうになったりしました。

    これでは命が危ないかもしれないと思い、インターネットで浄霊していただけるところを探したところ、天光寺さんに辿りつきました。

    最初はとても緊張して、先生とお話していると逃げ出したいような気持になりました。浄霊の最中も何が起きているのかわからないけれど、頭痛がひどくなって体の中で何かがうごめくような感じがしてとても恐ろしかったです。

    そして不思議なのですが、終わりにふと目を開けると視界がクリアになって、まるで生まれ変わったような気持ちになっていました。頭痛もいつのまにかとれ、何だかスッキリとしていました。

    今後の人生、霊障や原因不明の事故や怪我に悩まされず生きていけそうです。先生、本当にありがとうございました。

     

    私は幼い頃から人間関係に悩み続けていました。苦手な人や関わりたくないと思うとすぐに逃げてきていました。しかし来年から社会人になるので、少しでも自分自身を変えたいと思い、天光寺での修行を決意しました。

     

    天光寺での修行は挨拶や作法を学ぶところから始まりました。仏法に対して何の知識もないので不安もありましたが、丁寧に御指導くださり、私も全力で挑もうと思えました。

    お百度参りはゴールが見えず無限に続くような感覚にもなり、始まってすぐにくじけそうにもなりました。しかし、ここで逃げたら今までの自分と何も変わらないぞと自分に言い聞かせ続けました。途中からは辛さを感じなくなり、とても集中して無心になれました。

    その後の滝行は、もう春を迎えた4月とはいえ水温はとても冷たかったです。見た目の想像以上に水の勢いが強く、必死に立って呼吸をしないといけませんでした。自分の体感的にはとても長い時間に感じましたが、実際は短かったのだと思います。それでも必死に滝に打たれた後は身体と、心が、軽くなったというか要らないものが水と流されたような感覚になりました。

     

    貴重な経験をさせて頂き、とても感謝しております。ありがとうございました。

    私は小学生の時の5年の時、友達と休み時間にサッカーをして、ボールの取り合いになってしまって、押してころばせてしまいました。自分の中で、なかなかボールが取れなくていらついて押してしまいました。中学生の時、学校のルールでは、帰宅中に買い食い、より道はだめだと決まっていましたが、毎日中学校の目の前のコンビニに友達と行って、食べたり話したりしていました。だれかがやっているから、ばれなければいいやと思っていました。高校生の時は、サッカー部に入っていましたが、二年生で退部しました。一つ上、二つ上の先輩と遊ぶことが多くなり、絶対に国でのルールのタバコ、酒をやっていました。別にばれなければの考えで、ずっとやっていました。よくよく考えれば、ばれなければの考えは、最低だと思います。タバコもしっかりと、ことわれば毎日5百円がなくなる事もなく体を健康になっている人だと考えると、少しこうかいの気持ちもあります。

    昨日、二十年で初めて滝行をやりました。はっきり言ってなめていました。水に打たれるだけで、何かが変るわけでもないし、わざわざ山の中まで歩くのもめんどくさがっていました。実際に行ってみると、しっかりと行をやる事に代して仏様に、あいさつを行ったり、山の神様、滝の神様に感謝をこめてから行うことに驚きました。いざ水の中に入るととても冷たくて、すぐにでも出たくなりました。滝に入るとくるしかったり、少し痛かったり大変でした。しかし、打たれている最中は、なぜから分からないけど、無になれた気がします。少し前までは、だるい、めんどくさい、出たいがありましたが、無の心になれて自分が思っている以上に打たれることが出来たと思います。上がってからは、心がスッキリとした感じがありました。自分の中でのダルイがなくなり、もう一回やりたいと思う様になっていました。しかし、こう悔も有ります。自分の中では思っているより出来ましたが、コンタクトが外れそうという理由で上がったのが残念です。水の中に入るから最初からメガネで行き、少しでも長く打たれたかったと少しざん念です。

    人生で初めてのお寺での精神修業でしたが、思っているよりも、つらかったです。学生の時から、ろくたま正座など組んだ事もないし、ましてや、写経など絶対にきらいです。三禮も思った以上に過酷でした。

    私は、この度天光寺で精神修業を体験してみて行う事全てが初めての事でした。

    初日では、お百度参り、滝行、写経、「般若心経」を五十回唱えたりしました。

    お百度参りでは、雨が降ってきて、非常に寒かったですが、お百度参りを行っているうちに気にならなくなって今までにないくらい集中できたと思います。

    お百度参りの後、すぐに滝行に行きました。滝行は、途中まで車で後は歩いて険しい道を登っていきました。滝に着いて、他の人が滝行をしているのを見て少々不安になってきているうちに自分の番になってお清めをしていただいてメガネを外し、滝に向かいましたが、水は冷たく滝に近づく度に顔色が悪くなっていたと思います。しかし、滝行が終わってみると、清々しい気持ちで、他の人の滝行を心の底から応えんできました。研修生全員の滝行が終わり、下に降りて、テントで着替えて天光寺に戻りました。

    その後は、般若心経を五十回唱えました。般若心経を五十回唱えるのは大変で一時間以上も時間を使いました。途中から「自分は般若心経を唱えるために生まれてきたんじゃないだろうか」とさっかくするほど大変でした。その後は、夕飯でした。全員で準備して、食べた後、全員で片づけました。その後、その昼に五十回唱えた般若心経を写経しました。その日はとても大変な一日だったので写経中つかれでとても眠くてつらかったですが、何とか終わらせる事ができ、就寝の準備をして、シャワーを浴びて、一階の電気の確認やドアの戸締りをして眠りました。その日は本当に初めての事ばかりで、とても貴重な経験をさせていただいたと思っています。

    天光寺での二日目は、六時起床でお寺の方が起こして下さいました。その時に二日目のスケジュールを説明され自分たちが使った布とんを片付け、シーツをせんたく機でせんたくし、一階から三階の清掃を行いました。

    その後、朝食を済ませ、めい想をしました。

    めい想が終わった後、三禮が一番きつかったです。

    三禮は、三セット百回わりました。三禮が終わった後、休けいで、階段を使いましたが満足に階段を上り下りできなかったです。その後、先日にも唱えていなかった十三信を唱えました。十三人の仏の事を意味しています。その後、昼食を終え、に集まり天光寺の方に、とてもありがたい話を聞きました。真言宗は空海様という方がお作りになられたそうです。

    天光寺での経験は必ず、今後自分の役に立つと思います。

    私は種尾牛センターで働いてまだ2カ月しか経ってなく、働き始めた時は不安でいっぱいで今も私は上司の人たちのように今後働いていけるかと思うとまだ少し不安です。

    けれど、そう思っていた時にお寺の研修に行くと聞かされて「会社でこんなことするんだ」という気持ちもありましたが、お寺の研修で今の不安ばっかりの私を変えられるんじゃないかと思い楽しみになってきて、初めてのお寺に行くということもあり、どんなことを学んでどんなことをするのかと思うとさらに楽しみになってきました。

    天光寺に来て説明を受けるときは正座で、慣れていない私はとても足首、腰が痛く大変でした。挨拶の作法や合掌の仕方はやっぱしお寺なのでしっかりしているんだと思いました。

    その後には南無大師遍照金剛光明真言般若心経を読み、漢字ににはフリガナがふってあったが、イントネーションが違うのもあり、見て読むことすらも難しいと感じました。

    三禮をやったのですが、1セットで2回目までは手を下げた時に返すんですが、3回目で手をにぎり合掌するということや三禮している時に言うことも難しく覚えるのに大変でした。

    昼食は野菜が多めでとても健康的でした。私は冷凍食品やインスタント食品で済ませてしまうことが多いこういう昼食も良い経験だと思いました。

     

    昼食が終わって準備、説明を受けお百度参りと川行を行いました。

    お百度参りはコンクリートの上を素足で走ったので足の裏の皮がめくれてしまってとても痛かったです。けれど、お百度参りをしたので南無大師遍照金剛と言えるようになっていたので良かったです。

    その後には川行をしました。川行を行う前にお祓いと顔3回、胸3回、両肩3回川の水をかけて最後に桶に川の水を入れ、頭からかけたのですが、とて冷たく入れるのがと不安になりましたが、いざ川に入って時間がたつとだんだんと冷たさにも慣れて「出ていいよ」って言われるまで我慢してやろうと思い最後まで我慢することができました。

    川行が終わると般若心経を50回読みました。

    まだ見なくちゃ言えませんがある程度イントネーションや次はこの言葉が来るということが分かってきました。50回は辛かったですが、良い経験ができました。

    三禮を3回1セット108セットとやりましたが、本当に楽しかったです。

    60回くらいの時に三禮のやり方を間違えていてもう一回しっかりと教えていただき最初からやることになりました。途中何度も足がガクガクになり倒れてしまいましたが最後までやり遂げることができました。

    そのあとに晩飯を食べたのですが、家では食べないような物がでてきて、天光寺でいただいた料理を少しは取り入れて家でも似たような健康的な料理をできるようになろうと思いました。

    2日目の朝はスムーズに起きることができて遅れずに朝礼に間に合うことができました。

    朝から清掃して広かったが、3人で協力できたので大変ではありませんでした。

    声だしは大きな声を出せてました。とても集中してできたと思いました。

    十三佛真言を読んだんですが、またまた難しく覚えるのが大変でした。けれど、覚えようとするには集中力が必要なので、瞑想声出し十三佛真言を言う事により集中力が少しは上がったと思いました。

    気行とお百度参りではお百度参りは1日目にもやったのですが、足裏がとても痛く最初は全力で走れていたのですが、徐々に遅くなってしまったのが1日目よりは大きなことを出すことができました。

    滝行では滝までに行く道のりが長く足の痛みに耐え滝まで行きました。

    初めてする滝行なので川行のようにできる限り入ってやろうと思いました。

    私の番が来て、川行よりも水が冷たく感じて最後までやれるかと不安でしたが、法話で聞いたことで我慢は大切ということを思い出し、無事5分くらい滝の中に入っていることができました。

    とても冷たく肩をたたかれている感じで辛かったのですが、滝行を乗り切れたので私は少しは我慢する面で成長できたんではないかと感じました。

    写経では一文字一文字に時間をかけてゆっくりと書きました。普段文字をこんなに丁寧に書くことはないので、心を落ち着かせることができました。

    私は天光寺を2泊3日してたくさんの事を学べました。

    大きな声を出す、集中力が来る前よりは上がったり、積極的な考えができるようになったり、我慢ができる精神力が鍛えられました。

    私はこの天光寺の研修で色々な人と修行や務と取り組むことで苦手だったコミュニケーションをとるということをできるようになり、自分に自信がつくことができました。

    私は今年から社会人となっていろいろと不安なことがありましたが、天光寺では社会に出てから使うととても重要なことをいくつも教えてもらいました。

    この2泊3日はとてもいい経験ができたと思っています。本当にありがとうございました。

    私は今現在アルバイトをして暮らしており、このまま非正規の仕事で一生を過ごすことになるのではないかと不安を感じておりました。

    この事を両親に相談すると、一度お寺などで修行して自身と改めて向き合ってみたらどうかとアドバイスを頂き、インターネットで体験修行を一般の人向けに行っているお寺について調べ、その中で家から最も近いお寺として真言宗臼杵山 天光寺について知りました。

    天光寺のホームページを拝見させて頂き、体験修行の内容について調べさせて頂いたところ、他のお寺にはなかなかない滝行に興味を引かれ、家からも電車・バスで行ける距離でもあったので今回体験修行に申し込ませて頂きました。

    体験修行当日、最寄り駅に着いた時の感想はここは本当に東京なのかと思いました。

    見渡す限り山しかないことに驚きました。

    しかし、逆にそれほどにのどかで静かな場所だからこそ自分自身と改めて向き合うことができるのではないかと考えました。

    駅からバスに乗り、その思いはよりいっそう深まりました。

    駅以上に見渡す限りの山と川しかない自然の美しい景色に夢中になっていると、

    バスはあっという間に天光寺最寄りのバス停に到着していました。

     

    天光寺に着いてまず建物の見た目に驚きました。

    私の中でのお寺のイメージは大きい門があるものとばかり思っていたからです。

    とはいえ見た目は中身、ましてや自分の修行目的とは何の関係もないと思い直し、早速建物に入らせて頂きました。

    お寺の方に連れられ最初に今回の体験修行をするにあったってのお布施を行い、その後に

    光明真言・三禮・般若心経などについてのお話を聞かせて頂きました。

    ただ正直言って、自分の仏教に対する無理解と普段では行わない長時間の正座も相まって

    内容の理解を出来たとは言い難い結果になってしまったことは残念でした。

    お話が終わったころには、12時を過ぎており、そのまま昼食となったのですが、私は

    精進料理を食べることが初めてであり、野菜自体が苦手であるため、内心不安になりながらの食事でしたが、いざ食べてみると、特になんということもなく普通に完食出来、思った程の事はないと思いました。

    昼食後はまず、お百度参りを行うことになりました。体力に自信のない私は不安でした。

    案の条、他の参加者の方々のペースと比べるとかなり遅いペースにはなったのですが、苦しさがある程度を超えたところで、頭の中が澄み渡っていく感覚があり、少し修行について理解が深まったような気がしました。

    お百度参りの次は私が体験修行の中で最も興味を持った滝行でした。

    現代において、一般の人にとっては物語の中やテレビの中などの自分とは無関係な所で行われる物と例にもれず私もそう考えていました。車で山を登り、歩いて十分程度のところにある滝を最初見たときは、思った程ではないと思いました。しかし、それが間違えであったことにすぐ気づきます。

    ます水温、5月も終わりの暑くなってきている時期にしては、とても冷たく冬だったらと思うと少しゾッとしました。そして、滝自体も外からみるとこんなものかなと思っていましたが、実際に打たれると思った以上に強く息を吸うことも大変でした。

    結局声をかけられる前に滝から出てしまったことが少し悔しかったです。

    夜には写経を行いました。筆を持つということが十年以上行わなかったこともあり、最初の方の字は線もぐにゃぐにゃの自分で後に見返した時にひどいと思える出来になってしまいました。

    それでも続けていく中でたまに良く書けた字があり、次はもっと良い字をと考えていると

    あっという間に終わってしまいました。

    修行を始める前の自分と今の自分を比較してどこが変わったかはまだ自覚出来ていませんが、今回の体験修行で確実に変わった部分はあると思います。

    その自分をこれからの人生に活かして暮らしていきたいと思います。

    まだはっきり言って、半日では感想はでません。ただ滝行をさせて頂いて、神様のエネルギーをもらい、ありがたく思いました。

     

    私はあまり人にじまんできる生き方をしなかったので、としも40になり、やりたい事はたくさんあっても、なっとくのいく人生プランもしっかりありません。

     

    そこで、以前霊ばいや祖先くようのきっかけで、天光寺の住職にお世話になり、たびたび行をしさせていただき、とく度をとりなさいというお話しなり、こんかい相談させて頂きということになり、来させていただきました。

    また、自分が大けがにあったのにも関わらず、無理して来てのも良くなかったのかと思い、ちゃんと完治して行に参加し、もう一度、住職と今まで密教がなんなのかわからず、いろんなお寺へ行き行や法話など聞きながら、勉強とは言えませんが、やはり最初に思い浮かび今回来た次第であります。

    まだまだいろんな事で悩んでいるので、ケガも完治し、天光寺の行で住職と出会えるご縁を作らせていただきたいと思います。

     

    また、天光寺との出会いにも感謝しています。

    今後のご指導の方もよろしくお願いいたします。

    普段と異なる生活は非常に骨が折れる。座り方まで決められた生活、区切るところを区切られた生活。それでも三日過ぎてしまえばあっという間で、その時に苦に思った様々も思い返せばどうということはない。

    これを通して思った一つ目のことは、過程がどうであろうと現在の自分がどう感じているかで大きく物事か変わるということだ。逆に言えば現在の私が過程である未来の自分にとっては、今はなんでもない。一時の苦労で後に大きな幸を手に入れることができるなら、それを後の私のためにやろうと思った。具体例を失敗から挙げるなら、遅刻とかであろう。欠席が溜まり、後に残るのは無だ。行っておけば未来の自分がどれだけ楽になるだろう、と。成功例を挙げるなら、受かった受験だ。勉強した分が全て自分に良い学校として返ってくる。したがって多少の代償を払ってでも、良い見返りのためには何かしようと思った。

    二つ目のことは、それでも苦を受け止める、ということだ。流せば楽になるというのは間違いないだろが、流すだけのものに何の価値もない。受け止めて、次のことへつなげるというのが重要だと感じた。しかし、苦をただただ苦と受け入れるのは苦でしかないため、次に起こる幸に期待しながら、苦を実行していこうと思った。

    また、この決められた生活から、課題が見えてきた。器用な人間はすべき事をリストアップして頭の中ですべて整理し、しらみつぶしにすべき事をすることによって全体を完璧にこなすことができる。必要なのは計画力と実行力だ。特に自分に欠けているのは実行力の方だと感じた。もちろん計画力も足りていない。細かいところでミスをするのは計画力を欠いているからだと思う。実行力を徐々に取り戻してはいるが、欠けているのは間違いない。そこで感じたのは、どう実行力を付けていくかということだ。欠いているものの身に付け方なんてそうそうわかるものではないが、普段から実行力を付けていく、というのが一番の近道だと思った。まず嫌なことに積極的に手を出すこと。そして、すべきことをすること。この二つを日常生活で意識していこうと思った。

    前からずっと思ってきた、考えてきたことを、今回の滝行川行でより一層実感したことがある。少し嫌に感じることなんて、世の中には五万と存在する。苦痛に感じることも同様だ。そんなことに直面したときに、逃げそうになるが、逃げないための言葉を手に入れた。「人間、死ななければ大抵のことはやれる。」ということだ。人が行をしているときに思ったことだから、自分に置き換えた時に、これを適応できるかは分からなかった。しかし、実際に身を投じてみると、意外となんとかなった。

     

    これらの体験から、苦に直面したら、「のちの自分を考える」「死ななければ大抵のことはできる」ということを大切にし、実行力をつけていこうと学んだ。

     

    加えて、ここに来た理由を考えた時に、「適地適存」のようなことが足りなかったように思えた。謝るときに謝る、遊ぶときは遊ぶ、やるときにやる。メリハリとは違う何かが欠けていたのが全ての原因だと感じた。結局、すべしとしたいを区別して行動に移すことが大切だと思った。これを解決するために必要なことは、やりたくない方を選ぶこと、であろう。すべきことはだいたいやりたくないことなのだから、それを片付けておけば大方間違いはない。それをするためには、先に書いたような事柄が大切であるから、何を考えても「後の自分の事を考えて行動する」というところに帰着する。やはり足りていないのはそこであるため、今後はそこを意識するべきだと感じた。

     

    これらだけで片付かないことがある。それは他人への気配りだ。自分のことなら「自分の後のこと」を考えれば良いのだが、他人への配慮というのはそうもいかない。これに関してはそこまでかけているとは思わないが、より充実させるには相手の視点で物事を常に考えること。そうすれば、おのずと道、つまりはすべき配慮が見えてくると思った。

     

    これらの事から、他人には配慮できているが、自分自身に対しては甘い、良い言い方をすれば優しく、悪い言い方をすれば全てに対して楽観的であった。他人に優しく、自分に厳しくが、他人に優しく、自分に優しくになってしまっていたのだ。課題は見えた。自分の目標を目指し、課題をクリアしながらやっていこうと思う。他人に指摘されながらクリアしていくというのも自分に対する甘えであると思うから、頼るところと頼るべきでないところを判断し、最低限自分でこなせるようにしていきたいと思う。

     

    今からお話しすることは、嘘のような本当の出来事です。

    私の娘10歳は小学四年生です。3才の頃からチアを習っています。

    ある夏休みの日、チアダンスのジャパンカップのセレクションがありました。

    娘はセレクションに落ち続けていて今回は絶対に受かるという強い思いで練習にも

    力を入れてセレクションに挑みました。本人は受かる自信があった様ですが、結果

    セレクションに落ちました。仲良しの友達は受かったのに自分だけと落ち込みました。

    その次の日、急に左目の視界が真っ青に見えるようになりました。

    町の眼科へ行きましたが自然に治るでしょう。と原因は不明でした。

    1週間経っても治らず不安だった為、T大学病院の眼科へ行き1か月かけて全て検査し

    脳外科でMRIも調べましたが異常はありませんでした。

    そのうち、娘の症状が悪化していき、全身の痺れ、硬直、口からよだれを垂らしたままとなり、車椅子生活、もちろん学校へいくことなど出来ませんでした。

    某所にある小児精神科も同時に受診のほかカウンセリング等週一回。薬も処方されていましたが、症状は悪化する一方でした。

    幻覚、幻聴が始まったのです。チアの集合写真が見え、友達の顔がだけが見えず

    夜になると血だらけに見えていました。「お前が悪い。お前がいけない。」と聞こえ幻聴にも怯えていました。

    T大学病院のメンタルヘルス科へも入院し、脳波や整形外科も全て異常ありませんでした。

    ただただ病状は悪化し、すれ違うだけでも痛みを感じ、悪口を言われたと幻聴が聞こえていました。お友達と会っても首から上が見えず誰だかわからなくなりました。

    親である自分にも限界が近づいていました。

    11月末のある夜、娘が苦しい首を絞められている様だ。と苦しみだし、5分おき位に

    カックンと意識を失い倒れました。

    これはおかしいと夜中2時に、S病院へ救急で行き「娘が死にそうだ。」と言っても何でもありませんね。精神的な病気の一時的な発作でしょう。と家に帰りました。

    でも、娘はずっと苦しんでいる状態が続きました。手足が硬直すると膝を曲げたまま伸ばすことができません。死後硬直のようでした。

    必死に全身を撫でてあげることしか出来ませんでした。何日も寝れない日が続きました。

    フッと娘の肩に塩をかけてみたところ一瞬だけ我に戻りました。

    これは、おかしいと思いネットで検索し天光寺を見つけました。すぐに電話し、娘の状況を伝えました。すぐに来るように言われて、次の日主人に車で連れて行ってもらいましたが道中娘が嘔吐したり、行くのを嫌がりました。

    どうにか、天光寺にたどり着き、ご住職にこれまでの経緯をお話しして、すぐに「これは、霊障だよ」とお話しされ、直ぐに除霊をしていただきました。

    お経を読むうちに、娘の手が上へ上へとあがり霊が昇天していったようです。

    娘がバタッと倒れました。

    ご住職に気を入れていただき「歩けるから、歩いてみなさい。」と言われました。

    娘は今まで、車椅子で全身の痺れ、硬直、幻覚、幻聴、左目が青く見えていた事、

    全てから解放され一人で立ち上がり歩きだしました。

    「ママ、全部なくなった!目も見えるよ!!」ってもう涙がとまりませんでした。

    あんなにたくさん病院も行ったのに治らなくて、天光寺のご住職のおかげで全て

    治り、もとの元気な娘に戻りました。感謝しても感謝しきれません。

    命の恩人です。本当にありがとうございました。

    お百度参りや滝行も家族で行いました。自分自身の心も体も強くなれるよう精進したいと思います。

     

     

    埼玉県在住   冷え性

    私は 10 数年来冷え性で、夏でもセーターを着なくてはいられない状態でした。病院で治療を受けていましたが、一向に良くなりません。

    ある日、いつも行く処方箋薬局で、薬剤師さんから天光寺さんの事を聞き、紹介して頂きました。私は 除霊をして頂き、除霊の最中体が震え、涙が出て止まりませ。除霊が終わると震えが止まり、涙も止まりました。その後、密教ヒーリングを何回か受けました。

    最初のヒーリングのとき、体の中がぽかぽかしてきて、本当に気持ちがよく、いつの間にか眠ってしまいました、その日は家に帰ってからも、体がぽかぽかとしていました。

    その後、ヒーリングを受けるたびに体が温かくて、汗が出るくらいにいい気持ちでした。おかげさまで、今ではすっかり良くなり、夏は半袖を着ていられるようになりました。

    本当にありがとうございました。

     

    今回、第一回半期ノルマ未達でこのような行事に参加させて頂きました。

    来る前は、いくつか案件があり参加を拒んでしまいましたがノルマは○○だというこを忘れ自分の中の甘えを出しておりました。いざ、お寺での修行が始まるとつらいことや

    苦しいこと、非日常的な生活で新鮮で心が磨かれていくような感覚に落ち入りました。

    ただし、お寺の中はストーブがついているものの非常に寒く普段の生活がどれだけ豊かを思い知らされました。食事も普段食べているようなものではなく、美味しかったです

    が、質素なご飯でした。そのため、より普段の生活がよいか心の底から痛感致しました。

    普段の普通の生活をするには、やはりお金が必要です。お金を稼ぐためにこの会社に入社致しました。現状、今期立てた目標は全く逆の方向に進み結果を何一つ出せておりませ

    ん。その結果を出すにも、今のところやるきさえあればどうにかなるたち位置です。

    今回、修行を行いこのようなことはもうしたくないと思いましたし、また自分がコミット数字をやらなければ信頼も得られません。なのでまた明日から気合を入れ直して

    仕事に取り組みます。今までなんとなく甘い考えがあるなと感じておりましたが、今回ではっきりと理解ができたので妥協を捨てストイックに精進して行きます。

     

    この、企業研修を受け今まで自分に甘えていた所が多く人任せにしていたり、できるのに挑戦しない自分が良く分かりました。

    嫌な事から逃げ続けたツケがこの二日間だと思っております。

    厳しい辛い事もこの研修に比べたら簡単だと思い直し今までの自分に後悔しています。今後、後悔しない為にやるべき事をやる事。結果、過程から逃げない事を実行します。

    皆の目標は幸せになる事がほとんどで私もそうです。幸せになる為に仕事をしてお金を稼ぎます。その為に日々の営業、アポイントから契約を出していきます。

    もう、この研修に来る事が無い様に日々の業務を気持ちを入れ替えて行っていきます

    この研修のお陰で様々な事に気づけました事、このような研修をご用意して頂けた事、誠にありがとうございました。良い経験となり良い刺激となりました。

     

    このような場を用意して頂きありがとうございました。

    営業成績の未達という、ふがいない結果しか出せずG長の責任を感じておりました。

    二年前にも一度経験をさせてもらった滝行ですが、前回と違う立場ながら何も成長できていない現実を突きつけられました。

    二回目という事もあり少し心のゆとりのようなものがありましたが、さすがに三禮と滝行はきつかったです。 そこでは、体の老化を感じたのと共にいかに普段

    動いていないか良くわかりました。事務的な仕事は以前にも多くなりましたが、それでも営業なら動いてかせぐが基本なので行動力というか行動量が私の課題かと

    思いました。

     

    滝行を通じて。

    私は今回三通のノルマ未達により、この滝研修に参加させて頂きました。

    今まで私は、仕事もプライベートもまたこれまでの人生すべてにおいて中途半端であった気がします。何か自分の中で限界を決めてしまっておりそれによりある程度の

    ところであきらめていました。それはとても楽なことですが結果としてそれなりの結果やそれなりの内容で終わってしまっていました。この会社に入社をする際も自分のために

    頑張りたい、稼ぎたい、もっと成長したいという気持ちがあったのにも関わらず今となっては今日この日まで忘れてしまっていました。まさになまけた毎日を送っていました

    しかし、今回の研修でそういった日々の積み重ねが自分をつくるのだと感じました。社長がいつも選択するのは自由。毎日が選択の繰り返しっとおっしゃっておりますが

    本当に普段の選択が自分をつくり全てが自己責任なんだと思いました。また、限界は自分が勝手に決めているだけでどれだけでも越えることはできます。

    同じ限られた時間の中で、みんな働いているのであれば最高のパフォーマンスをして過去の自分の悔いのないような生き方、働き方をしたいと思いました。

    いつも、おっしゃっている過去は変えられない。

    未来も今の自分の行動、言動でできている。

    変えられるのは今現在だけであると強く意識しました。

    今回の貴重な研修をしっかりとこれからの行動に活かし変えていきます。

    今回の研修を参加させて頂くに至り、二つの目的が私の中にありました。

    まず、最近私自身が数字を上げられていなかったので、自分の仕事を何のためにして

    いるかという、目標の再認識。二つ目に、自分の行動、言葉を変えていかないといけない面があるので、自分の意識を変えるきっかけのために参加しました。

    一日目の研修では、自分の気持ちを引き締めることができました。挨拶や読経を大きな声でしっかりとやる研修を行いました。その中でも三禮と

    いう研修が一日目で一番きつかったです。途中止めたいなと思うことがありましたがその甘えを捨てたいという気持ちで参加したので、諦めず最後までやり通すことが

    できました。

    二日目は、掃除から始まりました。雑用などのことも、積極的に動くと決めていたので、そこで積極性を出しました。次にお百度参りを行いました。

    毎日しっかりとお経を唱えたのでご利益があると信じています。そして、今日の研修の主役の滝行をしました。

    凍える程の寒さでやる前から正直、心が折れてしまいそうでした。しかし声を出し

    自分自身を奮い立たせて滝行に向かいました。結果、今回の研修メンバーの中で一番長い時間、滝の中に入ることができとても嬉しかったです。それに加えて、気遣いと

    根性の大事さも改めて実感しました。その後、住職から今後の人生や仕事面で役に立つお話を聞き研修が終了しました。

    そのお話、研修を通して学べたこと、今後どのように活かして行っていくのか記載しておきます。まず「思考が人生を作る」ということの再認識です。

    売れていない時は、毎日自分で自分自身を責めてしまっていました。その思考が悪い流れを生み出してしまっていたと思います。もう自分を責めるのは

    止めます。 良い言葉を自分に投げかけます。そうして、良い流れを持ってきて人間力や売れるマインドにしていきます。

    次に積極的に「生きる」ということです。滝行でもそうでしたが、自分から積極的に挑戦していけば良い人生を送れると思います。住職からも、お話しがありましたが

    何事も責めていき積極的に行動していき自分の道は自分で切り開いていきます。

    この研修を通じて、精神力と忍耐力を再度気づかされました。

    たくさんの修業があり共通しているものは、とにかく全力でやりきるということを実感しました。普段の営業でもどこかやりきれていないところがあり今の結果になって

    いると思うので、これから飛び込みでも交渉でも日常生活でもまず挑戦をしてそのうえで自分で限界を作るのではなく、全力でやり抜いていきます。

    この二日間の中で、色々なことを体験させていただきました。

    その中で一日目と二日目で印象に残ったこと、どう仕事に活かせるなと思った行事があります。 まず、一日目に行った三禮というものは、体を使うもので

    立って座ってを3回1セットを全員で100セットという目標の中で出来る人もいればそうではない人もいて、営業の数字やノルマに似ているなと感じました。

    ただ、絶対に無理な事ではないですし、今回の三禮のように何としてでもという部分で気持ち的な要素が強いなと感じました。

    二日目では滝行を行いかなり精神力と忍耐力をためされました。自分の限界は考えずにただひたすら大声を出しながら滝に打たれてかなりきたえ

    られました。この2つは今後の人生でも忘れられない精神面の原点となりますし、今後の数字を出すための糧に必ずなるなを感じています。

    この研修に参加させて頂きまして本当にありがとうございました。 今後はしっかりと数字で結果を出していきます。

     

    私は、26年間生きてきて感謝を周りの方々にしっかりと伝えていなかった事に気がつきました。いつも、口では言葉にしているが行動が中々できない。

    「ありがとう」は口にすることは多いが、心から感謝して私から何かを他人にしてあげることが少なかった。

    ずっとお世話をしてくれてきた方にも、私は突然連絡を取らなくなる等、失礼なことばかりしている。もし、今まで連絡を絶やさずにしっかりと感謝を伝え続けて

    連絡も細めに取っていれば私の人脈はもっと広がっていたかもしれません。

    人脈は、私自身の人格を今後作り上げていく一つの材料になります。その事を意識して人と人との繋がりを大切にして連絡を絶やさず、

    何かあったら感謝の言葉を伝え良い人脈を今後は増やしていきます。 今回の修行を通し、人は凄いと改めて感じました。

    極寒の仲、パンツと一枚の修行用の服で外に出てお百度参りというものをしたのですが、当初は非常に寒く足は裸足でコンクリートの上にいるので

    とても冷たくて、この中一時間歩き続けるのは中々の苦行だと思ったのですが、少しすると感覚がマヒしてしまい、冷たさを感じなくさせる事が出来ました。

    また、滝行でも氷が浮いて流れていた滝つぼに入るのですが、最初の内は「あ!死んでしまう」と思ったのですが、数秒でなれて、3秒程でまた「死ぬ」と

    と思いましたが滝を出たら、外が急に暖かく感じることが出来て太陽の温もりも感じることができて、普段だったら太陽の陽に感謝などほとんどしてこなかった

    のですが、太陽のありがたみも感じることが出来ました。人はやれば何でもなれて出来るようになるものだと改めて知ることが出来ました。

    今回は目標未達成ということで修行に参加した形でしたが、次回は達成しても参加させて頂きたいです。入社し数々の研修などに参加をさせて頂き、経験も

    させて頂き、多くの学びを頂けた事、社長に感謝致します。有難う御座います。

    20代前半が中心の若いITベンチャー企業数社から経営幹部が集まり、今回天光寺様で2泊3日の合同研修を受けさせていただきました。

    今回参加したメンバーは就職の経験を経ずに大学在学中から起業したメンバーだったので、並大抵のことには負けないぞ、僕らは他の同年代とは違うんだ、というスピリットと意識を持つメンバーでした。

    でした、と過去形なのは、並大抵の事には負けないという意識も、そのスピリットも、今回の研修で全て勘違いだった事、僕らがいかに自分に甘い人間だったかをありありと感じさせられたからです。結論から言いましょう。若手の経営者や経営幹部は、合同でもいいので天光寺様で企業研修を受けるべきです。ただし、めちゃくちゃキツいです。そこは覚悟してください。本気で変わりたい人だけ、天光寺様での研修をおすすめします。

    なぜなら、天光寺様での研修は1番最初の自己紹介の段階から研修(というより修行)が始まっていて、この時の声が小さかったり、モゴモゴしていると何度でもやり直しが入ります。あと、礼儀作法がなっていないと、ここで指導が入ります。僕たちはよく考えてみたら就職というスキームを踏まずに経営者になったので、こういった社会の基本というところがよく分かっていませんでした。ここで、その礼儀作法についても指導をいただきました。

    人によっては出来ないことをスルーしがちな人もいると思いますが、ここでまずその甘い精神では研修を乗り切れないということを身体で覚えることになります。

    ちなみに、天光寺の方の声はご住職さんを筆頭に皆さんとても声に芯があるというか、ライブ会場や野外フェスなどで感じるウーファーの音とはまた違う、神々しさを感じる様な感じです。頭の先から入ってきた声が、そのまま身体を突き抜けて尾てい骨がビリビリと振動するようなイメージです。そして声出しについても、腹から声を出すと教えてもらうのですが、無理に喉から声を出そうとすると当然声が枯れるので、僕たちは自然に腹から声を出す、ということを覚えました。礼儀正しく、腹から声を出すという経験はとても新鮮で、この時点で「めちゃくちゃキツいけどめちゃくちゃ気持ちいい!」と感じていました。

    その後も声出しは最終日まで続きましたが、とても心地よかったです。

    その他にも食事も修行のうちで、協力して準備や後片付けをしたり、南無大師遍照金剛(なむだいしへんしょうこんごうと読みます)という真言を500回読んだり、般若心経を100回唱えるという研修を経て、普段の仕事やビジネスでは比べ物にならないくらいの心地よい疲労感を覚えて毎晩眠りにつきました。そして、特に印象に残っているのは滝行とお百度参りです。どちらもよく聞きますが、実際にやってみると全身色んな所の皮はむけるし肺は痛くなるし、呼吸も苦しくなるほどですが、その分だけ何事にも負けない「一本筋の通った人間」になれるような気がして、不思議と受け入れることが出来ました。

    また、時間も6時起床の22時就寝が基本で、夜型生活の僕達にはとてもつらかったですが、自然と同化して日が登った時に起き、日が沈んだら寝るという人類のリズムに沿った生活が、都心での仕事で疲れた身体を本当の意味で癒やしてくれた気がします。

    身体はつかれるのですが、魂がどんどん元気になっていくというか、とても不思議な経験でした。

    最終日にはご住職さんから法話ということでお話を伺い、これからのヒントもたくさん頂きました。

    ちなみに2泊3日の間、パソコンやスマホ、ガジェット類は一切触れません。

    つまりIT系の業種の人は、仕事から一切シャットアウトされることになります。それがまた本当に心地良いというか、リフレッシュになりました。

    最初の数時間はメールもラインもチェック出来ないし、SNSもチェック出来ないので不安で仕方なくなるのですが、先程書いた声出しのあたりでもうそういう心配は8割くらい飛んでいきます。一日目の就寝時には、完全にインターネットから切り離されても大丈夫(というか、ネットの事を考えている余裕がない)という状況になります。

    最終的にこの研修が終わったあとは、研修に参加した全ての人間が達成感と連帯感に包まれ、泣いて天光寺様の方にお礼を言っている人も居ました。

    本当にこの研修に参加して良かったです。この度はありがとうございました。

    法話の中で教えていただいた「あのお話」、絶対に忘れません!

    まず今回の体験をお話させて頂くに先立ちまして、天光寺様の御住職様、ならびに関係各位様、この度は私どもに研修をお授けいただきまして誠にありがとうございました。ここに深く御礼を申し上げます。この度私どもは、社命により新人および各部門の責任者がそろって1泊2日の研修を天光寺様にて授けていただきました。天光寺様での研修の経験があるのは若かりし頃の弊社代表のみで、私どもは全く初めての研修でした。

    まずお寺に着くなり着替えをご用意頂きましたのでそちらに改め、集合の上ご挨拶を行いました。

    その際には御住職様より「あなたは人生の主人公か?」という要旨のお話があり、まずもって社員一同、ここで様々に考えさせられました。私自身、よく考えてみればこの40年余の人生のなかで、一体どれほどの割合で「主人公」でいられたでしょうか。私は何のために生まれ、何をなすべき人生なのか、そんなことを研修の間ずっと考えることになる端緒がこの質問にございました。

    また挨拶についても大きな声で行儀正しくというお作法があり、建設業という職種からも大きな声を出すことには皆慣れておりましたが、喉から声を出しているものも多々いたことから早々に喉を潰す者が出てしまい、それではいけない、腹から声を出すように、との御指導も一同でお授けいただきました。

    続いてのお食事も修行もとい研修の一環ということで、普段食べ慣れない精進料理を皆で協力して配膳し、頂き、そして下膳も協力して行いました。ここには上司も部下も無く、人間と人間としての協力関係が垣間見られたと思います。マネージメントという職務を与えられた人間からみれば、この部分はビジネス的な研修の最も根底に流れるものを集約した様な効果があると感じました。

    その後は大きな声での挨拶やお礼を言う練習が行われ、各自最初に御指導いただいた「腹から声を出す」ことを念頭に精一杯の大きな声でお客様に感謝を伝える練習をしておりました。この時点でもう喉が潰れて声が出ていない若い者もおりましたが(声を出そうとしても、喉の筋肉が思うように動いてくれなかった、と後に申しておりました)、それでも気合いで声を出そうとするその根性には皆、心を打たれました。

    あっという間に日は暮れ、再び精進料理で夕食を頂きました。むろん酒などはありません。こういった意味でも、身体を休めて健康的になることができた人間が多かったと記憶しております。かくいう私も晩酌が欠かせない人間でしたが、酒を断った翌日は不思議と爽快に起きられました。

    翌日は朝からお百度参りといって20mダッシュを108往復するという研修や滝行などもありました。これは体力に自信のある私達でも身と心が引き締まる内容で、とても有意義な時間となりました。

    お昼に本研修最後のお食事を頂いた後は御住職から最後の法話をお聞かせいただきました。この内容も研修を授けていただいた私たちの心にはとても沁みるものがあり、人目をはばかる事無く涙を流す者、今後の生き方を改めると決意を新たにする者、様々おりましたが皆、思いおもいに感じる所があったようでした。

    特に、マイナスの思考を持ったり、そのような言葉を口にするとその波動に魂が支配されてしまい、他にも影響するという趣旨のお話はとても感慨深いものがあり、マイナスの思考を持つこと、そして支配されてしまうことはすなわち、自分の心の弱さにつながるのではないかと自分の中で何か答えのようなものが出た感じが致しました。

    全てのメニューが終了した後は、各自感想文を記入して研修修了となります。

    この感想文を書く段になると、前日にこのお寺にやってきた時とは全く違う光景が私の眼前に広がっており、管理職は管理職、新人は新人で固まって2つのブロックに分かれていた弊社の団体が1つになり、上司は部下に慈愛をもって、新人は上司に対して畏敬の念と先輩の胸を借りる様な人懐こさをもって、それぞれ接しておりました。この情景は天光寺様での研修なしには決して見られなかったものと思っております。

    研修を終えて天光寺様を後にした翌日からは通常の業務に各自戻っていきましたが、見違えるほどに現場でのチームワークや協力体制も向上し、管理職と現場職の人間との風通しも大変良くなり、より会社が一枚岩になったと弊社代表はじめ、みな天光寺様に感謝しております。

    最後になりましたが、この度は大変有意義なものをお授けくださり、誠にありがとうございました。

    また新人が入ってまいりましたら、ぜひご研修のほど、宜しくお願い申し上げます。

     

     

     

    天光寺の研修で、今まで体験したことの無い経験ができました。般若心経を百回繰り返す「行」で、担当の方が「こう言った、辛いように思うかもしれない行うことで、普段の生活に戻った時、新たな発想が生まれる」と、おっしゃっていました。直接自分の人生に活かせるかは分かりませんが、こう言ったことを一つ一つ一生懸命取り組むことが、大切だと思いました。

    さらに、法話では「何事においても、積極的に生きるか消極的に生きるかで、運や人生が変る」とも、おっしゃつていました。

    普通の生活や仕事でも、積極的に一生懸命に取り組み、今までの人生は学校や家庭といった周りの環境からチャンスを与えられることが多かったと思いますが、これからは自分で感じて掴めるようにならなければ、ならないと思いました。

    その上で、ものごとの優先順位を見極め、これから自分が関わっていく組織で、自分のやりたいことや遣るべきことだけでなく、周囲の人が困っていることや遣りたがらないことを行い、属している組織にプラスの存在となれるように、行動していきたいと思いました。

    もう一つ、法話の中で消極的な言葉は、使わないようにすると有りました。消極的な言葉は、人を傷つけたり失望させたりと、良くない影響を与えます。逆に、人に喜びや勇気を与えられるような言葉を選び、これから先の社会に出て生きていく上で、そういった朗らかに感じられるような言葉を、使っていきたいと思いました。

    この二日間の研修で得られたものを、これから活かせるように忘れずに、生活していきたいです。

     

     

    入社して一年経ち各営業所から集まった同期と共に、天光寺での社員研修を行いました。先輩に研修内容をききましたが、聞くだけでは解らず体験しないと、苦悩も感動も人それぞれなので、解りませんよと言われてしまいました。

    そして、総勢13名(三泊四日)の企業研修が始まり、天光寺の本堂で挨拶をしてから研修内容の説明があり、服装を研修で着るものに交換して、研修の始まりです。天光寺での研修で始まりがある挨拶は、通常の挨拶ところなり、声だしと言うものから始まりしかも礼儀正しくしなければならないもので、初めは驚いてしまいました。

    発声は喉から出なく腹から声を出すと言われましたが、初めは解らずやたら喉が痛くなり困りました。続いて、三禮を行い精神的にも身体的にも極限を味わうことになり、物凄い研修が始まったと

    身震いしました。さらに、お経の朗読や「南無大師遍照金剛」と言う、基本中の基本を身体に叩き込みました。滝行でもお百度参りでも、食事の初めには唱えなければならない大切なものだけに、暗記することが決められました。

    私達の企業研修は、研修できる時間が有るので、お経にしても三禮にしても十三仏真言を、徹底して研修の中に入り込んでいました。

    中には、ゼイゼイ吐息を荒立てる者も居ましたが、団結心と愛社精神から全員で頑張りとおしました。研修では個人も大切ですが、団体行動も大切な物になっていますが、積極的な心や自己啓発なども含まれた研修でした。

    住職の法話では、自己啓発以外に積極性や思いやりや、向上心や決断力もついてもお話をきけたので、人生において素晴らしいことになりました。

    「御宝号」の「南無大師遍照金剛」を500回唱える修行や、「光明真言」を連続で1000回唱えた時は、身震いしてしました。

    瞑想では、反省や懺悔や感謝をテーマに瞑想しました。お香と薄暗い本堂と自然な音楽で、心の中まで癒され、日常生活から解放されました。

    早朝6時に今まで起きたことが無かったり、夜の10には寝るので初めは戸惑いましたが、これが人としての基本時間の動きと聞かされ、なるほどと思いました。

    今までの不摂生を改めて、これからは仕事に生活に目的意識を持って、活きて行きます。

    学校では習わない、新鮮な学びや体験が有り有意義でした。

     

    勤め先の会社は、8割が女性の会社です。それだけに甘いところがあり、企業意識や従業員意識を充実するために、中堅幹部の企業研修を天光寺で行うことになりました。

    企業研修と聞きますと、どこかの観光地のホテルで行楽を含めたように思われがちですが、今回の天光寺での企業研修では、二泊三日ですが私たち6名が未だかって経験したことの無い、本物の研修ということを知らされました。

    同じことをするにしても、数回とかではなく精神と肉体とを兼ね備えた修行になり、一生の思い出にもなりました。

    初めの自己紹介でも、できない場合は何回もやり直したり、挨拶にしても、声出しの挨拶であり腹式呼吸や発声法まで網羅したものなので、大変でした。

    続いて、お経の練習なのですが、般若心経・光明真言・御宝号・三禮とあり、それはそれは凄いもので、500回や連続1000回の唱えなければならないことがあり、足腰や声がフラフラになりました。

    食事は全て精進料理で、配膳・片付け・整理整頓を、研修者(複数の方がいました。)全員で協力し行いました。

    話を戻して、お経の般若心経は、わずか連続50回を唱えるので、初日は驚きましたがすぐになれました。挨拶にしても普段では発しない大きな声で正確に行わなければ、何度も繰返すと言った凄い研修でした。

    般若心経は、声に出しお経を唱えるだけでなく、写経と言われる書道で書き進め研修するもので、新鮮な経験でした。女性が8人揃ってお経を唱え、一人づつでしたが滝行に一緒におもむき滝を受けたことで、団結心が出来たりもしたことに今回の研修は、思わぬ効能がありました。ただ、三禮では足腰に大きな疲労と脱力感が後になって出て、困りましたが良い思い出になりました。

    忘れられない研修のもう一つとして、滝行もありましたが、その前のお百度参りでは「南無大師遍照金剛」を大きな声で唱えながら、往復108回走ってお参りをしました。

    今までのことを忘れず、身体に沁み込んだ体験を忘れれずに、これからの会社でも自分の生活でも頑張ろうと思いました。

    最後に、住職から受けた法話では、感じ入る法話で全員が感動しておりました。

    ありがとうございました。

     

     

    天光寺の研修は今年で3回目と聞きました。

    なぜ、このような遠くまで時間をかけて研修に来るのか、とても不思議に思っていました。

    天光寺に到着、申込書に全員で記入し、荷物を更衣室置き、行衣に着替え本堂に戻り全員正座で待機していました。暫くすると住職が現れ、あなたは自分の人生において「主人公になれていますか?」それとも「負け犬になっていますか」どちらですか?と尋ねられて一瞬返事に戸惑いました。この住職の言葉が非常に印象に残った。自分の人生だから、それなりに自分らしく生きてきたのではないか、と思っていた。住職から常に積極的な心を持っていますかと尋ねられた。常に「積極的な心」があったかというと、自信を持ってそうだと言い切れないことに気が付いた。
    自分の人生好きなように生きたい。しかし、自分の思い通りにはならないことに気が付いた。今回の研修も会社からの指示で参加したのであり、自分の意思は欠けていた。そんな中で聞いた住職の法話には思わずハッとするものがあった。自分の人生の主人公となる為には「積極的な心持たなければならない」合宿一日目に気が付くことができてよかった。
    ここで臨んだ各修行で、積極的に向かい、強く達成感が得られたのがお百度参りと滝行である。
    お百度参りではお参りをしている他の人に対する応援の掛け声をかけたが、声が出ず、仲間が一生懸命に行を行う姿を見て、徐々に大きく声が出せるようになったと感じました。
    また、お百度参りを終了し部屋の中に戻ってくる人の表情は大変清々しく、寒さや疲れなどが見受けられなかった。それを見て、より一層、行への期待が膨らんだのを覚えている。行を終えると気持ちもスッキリとし、気乗りしなかった滝行にも臨めそうな気がしてきた。
    滝行では険しい山道を登る中で、妙に興奮していた。滝に打たれる人を見て少しひるんだが無事にやり切ることができた。
    これらの行で気付いたのが、積極的に行動したときに得られる達成感はとても大きかった。

    これからの人生において積極的に生きて主人公になるように努力します。貴重な体験有難うございます。

     

     

    一泊二日の天光寺での研修を受けてみて自分に足りなかったもの、新しく気付くことがいくつかありました。
    その中でも最後の法話でもありました「今までの人生を振り返って」という内容での、今だからわかる反省すべき点という所で考えさせられました。
    誰でも辛い事、大変な事は嫌な事であり、できれば避けたいものだと思います。
    自分はそういった嫌なことから目を背けてきたんだなと今回の研修を受けて気付かされました。
    振り返ってみると何かを始める前、始めてすぐなどに我慢しがたいことがあると自分を追い込むことが足りなかったです。
    また、やらないのと出来ないのでは違いは大きく、意味合いとしては全く違います。
    なのでこの研修を機に何事もまずやってみる、自分の先入観を捨てて、やってみてもダメでも諦めずどうしたらいいか、そこまで行動に移す、そうでないと今までの自分に対する「自信」というのもないままだと思いました。
    自分に自信が無いのは努力が足りない証拠。努力が足りないのは自分に甘い証拠。研修を通じて心身ともにそう感じさせられる、そんな研修でもありました。
    それともう一つプラスして頑張っていきたいと思うことがあります。
    それは先程書いた内容の一歩先です。自分自身今までと違い行動に移していき、良い事ももちろんですが自分が行動たがために嫌な事、辛い事が起こったとしても決して「後悔」をしない。自分自身で「限界」を決めつけて諦めない。
    辛くて諦めそうになったしまった時、今回の研修で体験し学んだ事を思い出して、一つ一つ小さな事でも達成して良い結果に結びつけ、それを日々意識し研修を受ける前の自分よりも何倍も成長できると思います。
    自分が研修の中で一番辛かったのは三禮です。
    体力には個人差があるので人によって辛さなどの感覚は違うとは思います。終盤になると疲れて身体も痛く、徐々に動かなくなってきていました。
    それでも身体が決して動かなくなるわけではありません。
    正直すごく疲れて、自分でも頑張ったつもりではありましたが、いざ終ってみて本当に100%の力を出し切れたか考えると、所々、足を止めてしまった事。細かい部分、追い込んでやりきること事ができませんでした。今後辛い事があったら「三禮」を思い出して限界を決めつけず行動し日々成長していきます。

    私は滝行に興味があり、雑誌で見かけたことのある天光寺さんで体験修行することに決めました。初めての修行体験にドキドキしながら参加したのですが、高尾住職やお坊さん方も親切で、他の参加者の方たちともお話する機会があり、とても有意義な時間を過ごせました。みなさんそれぞれ思うところがあって参加されているからか、真剣に修行体験に向き合っていました。

    お百度参りは走って行うもので、5往復したあたりから、すでにしんどかったです。あと何往復あるのだろうという思いが、ちらちら頭をよぎりました。しかしできるかぎり目前のことに集中して、先を考えないように、とにかく遅れないように頑張りました。かなり疲れましたが、走り終えたときは爽快な気分で、自然と笑顔になれました。

    楽しみにしていた滝行は、滝を見た瞬間、水圧が強烈そうでタジタジしてしまいました。この滝の中に入るのかと思いながら、住職の説明を聞いていました。滝に入ると、水の衝撃が強くて、流されるのでは?と思うほどでした。水の冷たさや水圧もすごかったですが、息がしづらかったです!これほどまでとは思っていませんでした。たぶん1分くらい入っていたと思いますが、1分入り続けるだけでも、生半可な気持ちではできないと思います。

    滝から出た後はさっぱりし、ものすごく達成感を感じました。わたしは普段は事務仕事をしているので、仕事での達成感というものが感じられません。それに趣味もないので、何かに挑戦するということもありません。たまには自分を追い込む、こういった非日常の場もいいものだなと思いました。一度体験するとクセになる人も多いと思います。住職とお坊さん方には、とてもお世話になりました。体験修行をさせていただき、ありがとうございました。

    私は会社での派閥問題から精神のバランスを崩し、心療内科でうつ状態と診断されました。転職を考えながらも会社に通う日々を送っていましたが、年齢のこともあり、一歩が踏み出せないままでいました。悶々としながら機械的にただ仕事をこなす毎日でした。

    自分を客観的に見つめ直したいという思いから、天光寺での修行を決めました。日常生活から離れ、一度冷静な目で、転職を含め将来のことを考えたいと思ったのです。普段眠れないことがよくあるので、天光寺でも眠れずうつ状態が悪化したらという思いもありました。他の参加者の方に迷惑をかけてしまったらという心配もありました。高尾住職に事情を話して相談すると、どうしても体調が優れないときに修行を無理強いすることは、一切ないとのことでしたので、思い切って参加させていただくことにしました。

    体験修行は挨拶作法やお百度参り、滝行や瞑想、写経など、どれも精一杯やらせていただきました。日常では体験できない修行を通して、よい意味で自分を見つめるきっかけとなったと感じています。3日間の修行体験を終えて、心から晴れ晴れとした気持ちです。自宅では眠れない日々もありましたが、天光寺での修行中は、修行疲れもあってよく眠れました。食事も野菜中心のもので、こういう生活を続けると心の健康も取り戻せるのではないかと思います。住職にも都度体調のことをお気遣いいただき、頭が下がる思いです。

    住職のお話を伺い、また相談もさせていただいた中で、転職活動に真剣に取り組みたいという気持ちが強くなりました。我慢して今の会社に居続けることも可能です。転職活動は逃げなのかではないかと、ずっと悩んでおりました。しかし自分が本当にやりたいことや、将来設計のことを考えても、このままの状態でいることのほうが逃げなのだと感じました。

    今回は仕事の合間をぬって、短い期間での参加となりましたが、できれば次回はもう少し長く滞在したいと思っております。この度は、何から何までお世話になりました。本当にありがとうございました。

    わたしは中学2年生です。学校は友達も少ないし、だんだん行けなくなりました。授業もおもしろくなくて、小学校とちがって一気に難しくなりました。数学とかさっぱりわかりません。毎日ひまなのでテレビを見たり、公園に行ったりしていました。学校に行かずに早く働きたいと思いましたが、中学生だとバイト先も見つかりません。

    ある日、お母さんに話があると言われて、どうせ学校に行ってないことで説教されるんだろうと思いました。お母さんは寺修行の話をして、毎日家にいてもひまだろうから、行ってみなさいと言いました。

    不安もありましたが、寺修行はちょっとおもしろそうだったので、行くことにしました。寺に行って、すぐに後悔しました。寺修行はものすごく大変で、こんなにまで疲れるなんて思っていなかったです。ふだん全然運動しないので、修行で毎日へとへとになりました。修行は運動部に入るよりも大変だと思います。あとお菓子が食べられないのが、わたしにとっては辛かったです。家にはいつもお菓子がありました。ご飯はおいしかったので、ご飯の時間だけが楽しみでした。修行は挨拶や作法も厳しくて、軍隊に入ったみたいだと思いました。

    寺で生活するうち、家が恋しくなりました。お父さんやお母さんや飼っている犬に会いたくなって、少し泣いてしまったこともあります。修行生活が終わって家に帰れる日が来て、本当にうれしいです。

    これからはもうちょっと積極的にみんなに話しかけて、友達を増やしていけたらと思っています。住職さんにアドバイスをもらったようにがんばりたいです。あと少しは家の手伝いもしたいなと思います。この2週間ありがとうございました。

    5年生になったときにクラス替えがあって、新しいクラスになじめなくて学校に行きづらくなりました。担任の男の先生も苦手で、前の女の先生のクラスになりたかったです。授業もつまらないし、学校もおもしろくないし、学校に行くふりをして外をぶらぶらしていました。

    でも学校から家に電話がかかってきて、学校に行かなかったことがばれて、親にすごく怒られました。それから1ヶ月くらい学校に行ったり行かなかったりしていたら、ある日親に寺で修業してみるかと言われました。

    お寺とか修行とか、正直必要がないと思いました。将来お坊さんになるわけでもありません。最初は行きたくなかったけど、学校に行くよりいいかと思い直して行くことにしました。お寺は山奥にあって、空気がひんやりとしていて新鮮でした。ぼくの家はまわりはマンションばかりなので、たまにはこういうところで生活するのもいいかなと思いました。

    修行は大変で、すごくしんどかったです。1日目から早く帰りたくなりました。修行だけじゃなく、掃除や食事の片づけもみんなで協力してやりました。ぼくは掃除や食事の準備、片づけはほとんどやったことがありません。お母さんが毎日家族のためにがんばってくれていたんだなと思いました。

    高校生のお兄さんもいて、掃除の仕方や寺のルールについて教えてくれました。親切にしてくれてうれしかったですが、ぼくより早く帰っていったので寂しかったです。お寺では早く帰りたいと思いながら過ごしていましたが、最終日は帰るのが少し寂しくなりました。ぼくは寺の修行で、根性がついたと思います。これだけ根性が身についたのだから、学校も少し嫌でも行けるかな?と思いました。

    40代最後の締めくくりと事業繁栄、従業員とその家族たちの
    身上安全、無病息災の祈願でお焚き上げをしました。
    景気が良くなってきたと言っても家の様な、小さな会社は
    まだまだその恩恵を受ける事が出来ていません。
    それでも、私に付いてきてくれる従業員に対し感謝と労い。
    そして、事業繁栄のために一同心を合わせ一丸となって
    邁進していく事を決意した次第です。
    護摩焚きも恒例行事にしたいと思っております。
    何卒、宜しくご指導の程よろしくお願い致します。
    研修で滝行にも挑戦していきます。

    来年、亡き父の三十三回忌が控えている事もあり
    今年は前夜祭ならぬ前年祭をさせて頂きました。
    お炊き上げの炎が近くてじりじりと熱く思いが気流に乗り
    ご先祖たちに届くのを感じました。
    併せて、子孫である私や子供たち親戚一同の
    心願成就のご祈願もさせて頂き有難う御座います。
    子供たちも今までない体験をさせて頂きました。
    年末の護摩焚きは家族全員で行きますので
    よろしくお願いします。

     主人の事についてこちらの天光寺にお世話になりました。
    5月に主人に女性の影がある事を知り合いから聞かされました。
    その女性は、私の事を姉だと思っていますから。と言っていた方。
    主人もその事は知っていって「あの人は胡散臭いから。」と
    言うほど毛嫌いしておりました。
    風貌や声も男性に間違えるくらいの女性です。
    主人の前に、知り合いのご主人にも手を出したようですが失敗に
    終わったみたいで次のターゲットが主人に狙いをつけた様です。
    知り合いのご主人も、家の主人も経営者でして
    その女性をよく知る方に話を聞いたら自営業の旦那様たちを
    物色している。との事でした。
    この話は、家の主人も知っているようで何が何だか判らずにいました。
    日が経つにつれ主人の形相や言葉に異変がおきました。
    今まで見た事のない鬼の様な形相で出る言葉は暴言と言うより
    脅迫になりました。
    普通ではない状況に友人の紹介で名の通ったスピリチュアルの方を
    師匠に持つ霊媒師の先生に見ていただいたのですが、
    浮気相手の女性が悪霊化していて我が家の中に入る事が出来ない
    と言われました。
    そんな事を言われ放って置くことは出来ないので
    自分で調べて「天光寺」にご相談に上がりました。
    一番良いのは護摩焚きが良いとアドバイスを頂きお願いしました。
    夫婦円満、家内安全、悪霊退散のお札をお焚き上げしてもらってから
    暫くすると、主人の気でもふれてしまった様な怒号はなくなり
    以前の穏やかな主人に戻りました。
    今は、何故か相手の女性が私を訴える。等と騒いでいますが
    立ち向かえる勇気を戴きました。
    私自身にも一本芯を通して頂きまして
    本当に有難う御座いました。
    全て、良い方向に向かうと確信しています。

    今年入り知り合いの持家が空き家なので管理人がてら住む事になりました。
    一軒家で二階が二間あり一階は台所と一つ部屋がありました。
    日当たりは良いはずなのに夏でも涼しく感じます。
    一階にいると二階の寝ている部屋(六畳で中央にベット有り)
    から明らかに男性の足音が聞こえる時がありました。
    私自身、霊とかは信じなくはないですが霊感とかは無く生きてきました。
    飲み会の席でネタとして話をしていました。
    ある時、足音の範囲が広がった様に思いました。
    引越を手伝ってくれた叔母にその事を話すと
    その時に二階に上がるのが嫌だった。と言われました。
    そして、二階全域で足音が聞こえる様になりました。
    10月末、寝ようと思い布団に入ると「おい!」と呼ばれ驚きました。
    その後は目を閉じているのに血の気のない顔が浮かび
    続けさまに金縛りになりました
    その時は妹の方を向き横向きで寝ていましたが後ろから
    抱きつかれる感じで明らかに男性と分かるものが触りました。
    金縛りが解けてから押入れや家中の鍵を確認しましたが外部から侵入
    した形跡はありません。
    こちらに、引越するまで落ち着いていたら持病の
    喘息も頻繁に起きる様になりました。
    友人に話をしたら護摩焚きやお祓いをしてもらったらどうかと
    言われました。
    インターネットで検索したら「天光寺」に出会いました。
    早速、連絡をいれご相談に伺いました。
    すると、家を貸してくれた知人が生霊として私についていることと
    ほかの場所で着いて来た地縛霊と今回引越した家の地縛霊が波長が合って
    引き寄せたとのことでした。
    心の中で引越をしなくてはと言う気持ちがありますが
    家に一歩はいると「別にいいや」と思ってしますのでした。
    直感で「まずい。かも。」と感じるようになって来ていたので
    ご住職のお話は頷けるものが有ったのです。
    先に護摩焚きをお願いしました。
    それは、私の父が早く亡くなっている事もあり
    私の先祖供養から始めることにしました。
    祈りを込めたお札が次々に火の中に焚かれていくのを
    見ていて、亡くなった父やご先祖様達が近くに感じました。
    いつの間にか、涙が溢れてきたのです。
    そして、不思議な事が起きました。
    新しい引越先をすんなり見つけることが出来たのです。
    あれだけ、億劫だった物件探しが最初の一軒目で即決
    で決まったのです。
    あわせて引越の予定も何かに導かれるように二日後に決まりました。
    天光寺で護摩焚きをしていただいて本当に良かったです。
    次回は、地縛霊と生霊をやっつけてもらいに伺います。
    何卒宜しくお願い致します。

    住職先生その節は本当に有難うございました。

    今年6月18日中学2年生の娘が、急に目眩がするといって倒れました。急いで近所の大学病院に連れて行き2泊3日入院し、診察を受けましたが、どこにも以上はなく退院をしました。その後、症状は一向に良くなりません。娘は私達では感知し得ない者を見たり、紫色の光を見たりして困っていました。友人の紹介で神経科に行き、診察をうけました。その結果はパニック症と診察され、2ヶ月に渡り薬を服用しました。一向に良くなりません。薬を服用し続けた結果、副作用に困っていました。少し霊感がある方から霊に憑依されているのではないのかと言われビックリしました。その方の紹介で天光寺を紹介され、天光寺に訪問しました。娘を車椅子に乗せまま応接室に案内され、しばらくしてお祓いの部屋に案内され、住職と初めてお会いしました。その時の印象は、口では表現が出来ないほどのオーラを感じ、体中に電気が走ったように感じました。住職は優しく娘と話しながら読経が始まり、娘の体がブルブルと小刻みに震え始め20分位で娘は倒れてしまいました。住職が娘に、もう大丈夫、立ちなさいと言うと、娘が歩きはじめました。3か月以上も歩けずにいた娘が歩き始めてビックリしました。涙が出て、止まりません。本当に有難う御座います。現在は学校にも普段と変わらず通学しております。住職のおかげで命を助けていただきました。本当に有難う御座います。

     

    10年前にうつ病を発症しました。
    原因は離婚後に発覚した、元旦那の子供への虐待。
    酒吞みで、私や物を壊すことは度々ありましたが、
    子供には暴力は振わないと思っていたので、この事実を知った時は
    心が一気に叩き潰されました。
    その当時は、仕事をしない元旦那に代わり3つ仕事を掛け持ちしていて
    どうしても、子供を元旦那に預けるしかなかったのです。
    今思えば、子供たちの為にと、良くなるはずも無い元旦那に「いつかは。。。」と改心
    してくれること願いながら生活しましたが、どんどん生活が困窮していき
    元旦那との結婚生活に終止符を打ちました。
    資格を取り、その資格で就職が決まり子供たちと3人で新しい生活をスタートして
    間もない頃。。二番目の行動に異変があり気になっていきました。
    仕事で、偶然に「子供支援センター」に立ち寄る機会があり掲示板を眺めていると
    職員の方から声をかけてもらいました。世間話、離婚の事。子供の気になる事を
    話したら「一度つれておいで。」と言われたのが発覚するきっかけになっていきました。
    事実を知って心が裂けたのを感じながら、頑張って仕事を続けましたが、膀胱炎で一ヶ月
    寝てしまい、そのままうつ病が重くなりました。
    当時子供は6歳と7歳子供を守らなければ。育てなければ。と思えば思うほど悪くなり
    何故、気づかなかったのかと自分を責め、最後は死んでしまおうかという言葉がよぎる
    そんな生活を10年していました。
    ある日、友人から滝行が出来るお寺があるよ。と教えてもらったのが天光寺でした。
    気持ちが向くまで中々申し込めずにいましたが,意を決し申し込みました。
    当日は気持ちが追いつかず嫌々きました。ご住職が沢山お話してくれました。
    自分の心を強く持ちなさい。といわれました。初めは、それが出来たら苦労は無い!と
    腹の中で思いましたが、この思いは帰りには無くなる事になりました。
    話すのも嫌なのに発声法や挨拶を教わりました。
    滝行は全身が縮むどと冷たく痛かった。でも、自然に囲まれ清らかな水に入り
    清清しく感じました。
    そして、写経。何年ぶりにこんなに文字を書いただろうか。
    住職の手料理も戴きました。
    ふと、こんな美味しい手料理を私はいつ頃子供に食べさせていたのだろうか?
    こんな穏やかな気持ちになったのは何年ぶりだろうか?色々な感情がどんどん出てくる。
    広いお部屋で就寝。とっても静かでした。
    翌日は、瞑想。住職の「心を強く持ちなさい。」と言われたのが過ぎりました。
    その時に、私の心は弱いのか?私は病気に負けているのか?
    病気にしているのは自分なのか?と自問自答していました。
    傷ついているのは私ではなく子供たちだ。と気づきました。
    そんな、単純な事に気がつかなかったのです。
    先に、書いたとおりこれまでの私は何かというと「そんな事が出来ていたら。」と
    言い訳をしていた事にも気づかされました。
    本当に、来て良かった。
    まだまだ完治は先ですが、自分の心を強くもって行ける様に努力していきます。
    教えてくれた友人。
    ご住職、スタッフの皆さん。本当にありがとうございました。

    一泊二日で参加しました。

    仕事はタクシーの運転手をしています。
    私の両親は早くに亡くなり、一人子の自分は親戚がいません。
    結婚をして、子供を2人授かりましたが、ギャンブルで借金を抱え
    それが原因で離婚しました。
    色々とヤケクソになって適当に生きてきましたが、最近これでは駄目だと
    思い過ごしていた所、タクシーに乗って頂いた方からこちらを教えて貰いました。
    大きく変ることは無いと思いながら修行に入りました。
    指導して頂いたご住職やスタッフの真剣さに心を改めました。
    腹式呼吸や発声法を習い、初めてお経の意味を知りました。
    食事は、住職の手料理で美味しかったです。
    午後からはお百度参りから始まりました。早くも、三回目から
    先が遠く感じました。途中で止めてしまおうかと何度も思いましたが
    他の参加者さん達のお陰もあり何とか成し遂げることが出来ました。
    次は滝行です。紅葉も進み美しくなった木々の中に滝が現れました。
    入水開始。刺さるような水の冷たさに1分も入れなかったのでは無いかと
    思うくらいに痛く感じ、目も身体も心も引き締められました。
    「南無大師遍照金剛」と唱える声も震えました。
    瞑想の後に自然と
    自分の都合で置いてきた子供たちを思い出していました。
    写経に入り自然と今までの自分の過ちや愚かさを悔い、
    自分の関わりのある人達の幸せを心に思いながらさせて貰いました。
    残り少ない人生を、悔いの無い様に。
    そして、大きな事は出来ませんが何か自分に出来ることがあれば
    していこうと素直に思えました。
    ご指導戴きました皆様方どうもありがとう御座いました。
    また、伺わせて頂きます。

    友人に誘われて一泊二日で体験修行の参加しました。

    私と友人は、外国で仕事をしていて長期休暇が取れたので参加しました。

    私は、一番大変だったのがお百度参りでした。

    足は上がらなくなるし、息は上がるし、数が分からなくなったりと
    肉体的に大変でした。大人になってからこんなに走る事はありませんでした。
    ですが、終わってみると達成感で清清しい気持ちになったのです。

    心地良い筋肉の疲れもありその後の滝行は今度は最高の体験になりました。

    入水時間は滝の水が冷たくてすぐに出てしまいましたが、一瞬のうちの
    疲労した筋肉を落ち着かせてくれました。
    その瞬間、心の疲労も取れる感覚がありました。

    滝に打たれるって思いましたが癖になりそうです。

    食事は住職が出汁から取って作る本格的で大変美味しかったです。
    貴重な体験をさせて頂きました。
    また、日本に帰ってきましたら是非参加したいです。

    ありがとうございました。

    一泊二日で友人と二人で修行体験しました。
    私たちは日本人ですが、仕事先は他国になります。
    長期休暇を使い参加しました。

    やはり、他国での仕事や人間関係はとても難しく心が疲れて来てしまっていた所に
    こちらのホームページで滝行があることを知りました。
    お経を唱えるのは初めてで、恥ずかしくて中々大きい声が出せず、、、
    二日目にはちゃんと声を出せました。
    お百度参りでは日々の運動不足もありへとへとになりました。
    滝行は、水の冷たさに身も心も引き締められ、すっきりした気持ちになりました。

    ご住職のお話も大変面白く為になりました。

    お食事もとてもシンプルですが美味しかったです。
    ご住職が一人でお作りになっているそうです。
    お料理の勉強をなさったそうです。

    また、是非参加したいと思います。
    ご住職さまとスタッフの皆様大変お世話になりました。
    ありがとうございました。

     

    私はこの度、自分の欠点ウソをつく事。ごまかす事。汚い事。
    をしない人間になる為の一歩として修行をさせて頂いております。
    何度も同じ過ちを繰り返し、他人を不快にさせて恐れらても直らない直せないため
    直すために、これまでと違う事をしなければならないと考えました。
    行うべきことの最初として心からの反省をし申し訳ないと強く思い続けていく事だと
    考えております。その為にどうすれば良いのか、たった一日ですが考え続けておりますが
    まだ自分で分かりません。どうしたら良いか、どうしたらウソツキが直るのか
    もちろん自分で考えるべきですがご教示いただきたく存じます。
    私がこの度修行を通して考えた事は、まず感謝すべきである点です。
    健康で家族に病人もおらず、食事、仕事、その他生活において問題があるわけではない
    自分に注意してくれる人もいる。感謝し続けるべきありがたいことです。
    感謝していれば自分を正す事ができるのではないかということです。
    不平、不満を口に出さず自分自身のせいであると考えて行動することも
    大事だと思いました。
    夜のDVDと滝行を行い感じたことは「がまん」することが自分には必要だと感じました
    知らない事は話さない。話したくても知ったかぶりにならない。
    自分は普通以下の人間であることを自覚し、大きく見せる必要は無い。
    見栄を張ってはいけない。ましてやその為のウソはついてはいけないし
    つく必要もない事を改めて思いました。
    ただ、前記のことはまえにも思っていたことでもあります。
    今回「がまん」については今まであまり考えてこなかった点ではありますが
    毎日の中で、またウソをついてしまうのではないかと思ってしまっております。
    毎日、朝、夜、思い出して今度こそは同じ過ちをしない。
    過去を申し訳ないと思い、感謝をしDVDでもあった「負けるものか」と自分に負けないと
    思い出し取り組みたいと考えております。
    どうしたらウソをつかなくなるのか、性根を直すにはどうしたら良いのか
    何度も裏切ってきて、もう一度信用して頂くためにはどうすれば良いか
    ご教示頂けますようお願い申し上げます。

    私は、五泊六日体験修行で天光寺に滞在させて頂きました。
    気持ちの弱い自分が嫌になり、無気力の状態を脱するため意を決して申し込みを
    したはずでしたが、天光寺に向かうまでの道中も「行きたくない」「失敗したらどうしよう」
    そんなことで頭がいっぱいでした。
    いざ修行が始まっても、一日目と二日目は初めてのお経がさっぱり覚えられず大苦戦。
    正座では足は痛いし、滝行も寒さと痛さにすぐギブアップ・・・
    情けなくて落ち込み、六日間もつのだろうかと不安でいっぱいでした。
    気持ちが徐々に変り始めたのは三日目からでした。
    全く覚えられる気のしなかった御鷹号や光明真言がなんとなくですが自分の中に
    なじんできて、唱えることに前向きになってきました。
    また修行それぞれの中に気持ちがすっきりする。これ好きだなあ。といった所を
    見つけられるようになってきました。私が特に好きになれたのが写経と滝行です。
    写経は墨をする所から気持ちが落ち着き、書き写している最中の集中し無になる
    感覚がとても心地よかったです。滝行では、お百度参りで声を張り上げ全力で走る
    滝に打たれて身を清める。そんな日常ではあまりしない体験ができとても達成感が
    ありました。
    また、お寺の掃除や食事等の後片付けを手伝わせてもらったのも気持ちが変化した要因
    の一つではないかと振り返ってみて感じます。
    毎朝一時間半ほどかけてお寺のお掃除をしたり、ご飯の準備、洗い物等をさせて
    もらったことで、何事も誰かの時間と労力があって始めて成り立っているのだなと
    分かっているはずだけど、ふと忘れてしまいがちなことを身に染みて思い出しました。
    そのおかげで以前よりも様々なことに感謝の気持ちが湧いたように感じます。
    五泊六日という滞在時間は自分の中でも勇気のいるものでしたが、この長さにした
    おかげでたくさんの日帰り修行の方ともお会いする事ができました。
    初めての体験で目を輝かせている人。何度も通われているベテランさん
    除霊の延長として身を清める目的で来ている人・・・たくさん良い刺激を頂ました。
    自分の気持ちを強くするという意味ではまだまだ修行は足りていないと思います。
    ただ、日常では絶対にできないかけがえない経験をさせてもらい今はとても気持ちが
    すっきりしています。
    お忙しい中、衣食住の世話をして頂いた先生、スタッフの皆様
    本当にありがとうございました。いつも優しく接して頂きありがとうございました。

    私は、会社でのミスで滝行に来る事になったのですが終わってみて、滝以外にも色々と体験出来て本当に良かったと思っています。

    滝はとにかく冷たいからキツイと思っていましたが、それ以上に入ってから息をするのが大変で出てしまおうとすぐに思ったのですが

    何とかコツをつかんで長く入ることができました。

    入っている間は、仕事のミスの事はまったく考えず、昔の自分の犯した過ちを思い出し謝っていました。

    この、行で償いたいと思い滝に打たれていました。そういった感情で滝行をやって良いのかわかりませんが

    本日の川もそんな思いで入っていました。懺悔した感じです。

    写経や写仏などの墨で字を書いたり、えんぴつで絵を描いたり小学生の頃自分まだ自身があった頃を思い出しました。

    絵を描くのは好きでしたので無中になれた感じです。

    それから、スピリチュアルな体験をした事がなかったので大変に驚きました。とりつかれた事が無いのか、とりつかれたとしても気が付かないのかは

    わかりませんが、目の前で当事者の方の話やら状態を見て本当になるんだなと、実感し少し興味も出ました。

    食事も本当に美味しかったです。薄味の料理なんだろうと予想していたのですが、ピリ辛だったり好きな味だったのも驚きです。

    みなさん、本当にご指導ありがとうございました。また来たいと思います。

    私は休日にもなると神社やお寺で御朱印帳を頂いたり、近郊の低い山へトレッキングしたりとしておりますので、自然の中のお寺に行けることもあり楽しみにしておりました。会社から30名ほど参加する人のほとんどは同期や同僚でしたので、ちょっとした修学旅行のような気持ちで参加しました。

    結論から言いますと2泊3日の研修はとてもつらかったです。が、私はつらいとは思いませんでした。つらかったのですが、気持ちの持ち方を変えると楽しく過ごせたという言い方のほうがしっくりくるかもしれません。

    例えば、修行の中には真言を連続1000回唱えるといったものがありました。どうしてそれをしなくてはならないのかと考えながら修行をすると苦痛だったのですが、途中から今は目の前の修行に一生懸命打ち込もうと決めて行うようにすると、意外と楽しく取り組むことができました。

    結構辛そうにしていた同僚に、「集中するといいよ」と教えてあげたところ、帰りにお礼を言われました。集中している間は時間があっという間に過ぎるるのと、集中することによって試行錯誤しながら、前向きに取り組めるようになるのだと感じました。

    ただ、このような長時間何かを行う修行は集中すればいいのですが、滝行は集中してもつらかったです(笑) 水が想像以上に冷たいのと、水量が想像以上に多いです。それもつらいのは最初だけで何回かやるうちに慣れました。

    普段やらないことをやるのは苦痛です。でも、しなくてはいけないなら、いやいややるのではなくて楽しみながらやる工夫をすることが大切だと思いました。私の場合は集中する事でしたが、そこはみなそれぞれ違うんだと思います。

    楽しく、辛く、目新しい経験をさせていただいた皆様に心よりお礼を申し上げます。

    ありがとうございました!

     

    管理職に昇進するにあたり、必ずこちらの天光寺さんで企業研修をするという会社の方針で今回参加させていただきました。

    正直、このような研修は入社して以来のことであり、ましてやお寺での修行など生まれてこの方初めての経験でいささか緊張しておりましたが、お寺一丸となって私どもが修行に打ち込める環境を整えていただいたこともあり、1泊二日の研修はとても実りのあるものとなりました。

    研修の内容はお経を唱えたり、滝行を行ったりと今まで経験したことのない事が多くありましたが、大きな声で丁寧なあいさつをする練習など、あえて練習する事がないような所作の練習も含まれており、自分自身の所作を見直す良い機会となりました。

    2日目の早朝よりお寺の内外を徹底的に清掃します。普段何気なく自分の身の回りの片付けなどをしていますが、このように自分の身の回り以外の場所を掃除することはほぼなく、新鮮な感じがいたしました。

    掃除は適当にやろうと思えばいくらでも手を抜くことができます。しかし、一生懸命掃除をすると見えなかった汚れを見つけることができたり、取れそうにない汚れも頑張れば除去できたりと、奥が深いものです。

    これは日々の仕事にも同じことがいえると思います。手を抜いてもそんなにも変わらないだろう仕事にも手を抜かず一生懸命取り組むという姿勢が大切だと教えられた気がします。

    最後になりましたが、このような機会を与えていただいた天光寺の皆様に心よりお礼を申し上げます。この度はありがとうございました。

     

    この度は弊社の研修をお引き受け下さり、誠にありがとうございました。次期社長候補の立場から、幹部6名とともに代表の指示により研修に参りました。今回の研修の目的としましては、管理職のメンタルヘルスとチームワークの向上、それに新人研修の検討でございます。

    研修に参加することで、これからの生き方や、物の考え方に活かしたいという興味や期待もありました。普段体を鍛えることもないので、この度の厳しい研修は良い機会であったと思います。

    研修については、まさに仏教の修行者が行うようなものでした。お百度参りから三禮、滝行、写経などすべてが本格的で、稀な体験となりました。挨拶作法もあり、これは新人研修にも打ってつけの内容でした。

    挨拶作法や写経、瞑想はそう辛いものではありませんでした。むしろ瞑想は音楽とともに行い、苦行というよりはリラックスできるひと時となりました。今まで自分と関わりのあったすべての人を思い出し、自分の至らない点や弱さだけでなく、自分の長所をも見つめ直すことができる、貴重な体験となりました。

    三禮は思っていた以上に過酷であり、ついていくのがやっとでした。途中から辛いという気持ちも忘れ、ただ遅れまいと必死でした。終わったときには膝がすりむけ、汗が吹き出していましたが、最後までやり遂げた達成感が心地よいものでした。

    また、掃除や食事の準備・後片付けなど普段自分でやらないことを、同じ研修に参加した者たちと協力し合って行いました。人との接し方や子供の教育などについても、住職からためになるお話を伺いました。今までの子供との関わりについて考えさせられることも多く、仏教の教えというよりは、住職の人生経験に基づいた、人生の先輩としての教えであり、私にとっては受け入れやすいものでした。

    2泊3日という短い期間でしたが、今後の生き方や人との関わり方を見つめ直す良い機会となりました。高尾住職とスタッフの皆様に感謝いたします。新人研修の実施が確定しましたら、その際は何卒よろしくお願い申し上げます。

     

    私の勤める会社は、毎年天光寺で2泊3日の社員研修を行っています。今年も例年通りに天光寺での研修があり、私も参加させていただきました。私にとっては2度目の研修です。バス停から歩いて寺に向かうまでの間、これからまた厳しい研修が始まると、気持ちを引き締めました。今回初めて修行に参加した社員の中には、厳しい研修に驚いている者もいました。私は以前の研修で少しは体が慣れて楽に感じるかと思いましたが、あいかわらず修行は厳しかったです。

    お経はなんとなく覚えており、初参加のときを思い出して、懐かしい気持ちになりました。食事も相変わらず美味しく、お代わりまでいただきました。滝行は心の準備ができていたためか、今回はそこまで大変だと感じませんでした。声をかけていただくまで滝に入っていることができ、満足しています。滝から出た後には、日頃の思考の垢が取れたかのように、さっぱりとした気分になったのが印象的でした。

    今回はとくに、朝の掃除の心地よさが印象に残りました。掃除は寺の中だけでなく、バス停から寺までの道も掃除します。研修で疲労した体に朝の光が大変清々しく、自然の恵みを感じるとともに、今ここにいられる感謝の念が浮かんできました。また徹底して身の回りの掃除をすることにより、自分の心の中も一緒に掃除されていくような、そんな感覚を覚えました。普段、朝掃除をすることはおろか、掃除自体妻に任せきりですが、たまには一緒に掃除をするのも良いなと自然と思えました。天光寺の皆様には、大変お世話になりました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

     

     

    以前フェイスブックの知人の投稿を見かけて、初めて天光寺の滝行について知りました。そのときは、こんな体験ができるお寺もあるんだなぐらいに思い、気にとめていませんでした。むしろ知人のことを物好きだと思っていました。

    しかし最近仕事がうまくいっていないこともあり、自分の将来について悩むことが多くなりました。自分を変えたいという思いがあり、自己啓発本を読んだりもしましたが、何かしっくりとしません。本に書いてある内容は、読んでいるときはなるほどと思えるのですが、読み終えるとすぐに忘れたり実践できなかったりします。そこで、何か少しでもこれから先の考え方や、生き方のヒントになればという思いで、天光寺の修行に参加させていただくことにしました。

    私はとくに滝行を楽しみにしていたのですが、あまりの水の冷たさと勢いの激しさに、最初はすぐに出てきてしまいました。しかし滝行目当てで来たのに、これではもったいなくて帰れないと思い直し、再度挑戦しました。同じ体験修行の参加者の方たちが、声を上げて応援してくれていたことで勇気をもらえました。そのおかげで2回目は数分程度だと思いますが、念願の滝行を行うことができました。

    滝行では悩み事や、体の中の悪いものを、滝が一緒に流してくれたかのように感じました。滝から出た後は、不思議と空気が暖かく感じられました。気持ちが良い疲労感と達成感に包まれ、修行の疲れもあって、朝までぐっすりと眠れました。

    1泊2日ですごく変われたかはわかりませんが、少なくとも自己啓発本よりかはずっとためになりました。自分で行動して体験として得るものは、やはり重みが違います。高尾住職の法話もとても興味深く、これまでの自分を見つめ直す良い機会になりました。

    翌日の朝食のおかゆはとても美味しく、普段あまり自炊しない私にとっては、体に良いものが食べられてうれしかったです。1泊2日という短い体験修行でしたが、今度はもう少し時間を取って参加したいです。住職を始め、天光寺の方々には本当に感謝しています。貴重な体験をありがとうございました。

    初めのうちは学校に行っていたのですが、途中から事業が面白くなくなり学校に行きたくなくなりました。母親には学校にいくと言って家を出ます。いつも図書館に行って勉強しているふりをして、昼になるとお弁当を食べる毎日でした。図書館の職員の方にいろいろ聞かれ不登校の事がばれて、学校に連絡をされ、両親にばれてしまいました。僕は友達がいない生活を長く続けています。父親からと、母親からものすごく怒られ、学校の先生からも怒られました。天光寺に来たのは学校の先生からのアドバイスです。お寺はテレビ、やパソコンはなく、お菓子もありません。山の奥に天光寺があるので、最初のうちはなかなか眠れません。食事も野菜が中心で、いつもお腹がすいていました。たまに住職先生がバナナジュースを作ってくれました。体験修行の中には大人もいて、僕と同じような生徒何人かいました。

    1か月の修行の中で毎日の挨拶、写経、食事の挨拶、また、ほぼ毎日の滝行、本当に辛くて早く家に帰りたいと思いました。いろいろなことを学びました。また、家のありがたさがわかりました。これからは学校に毎日通います。本当にありがとうございます。

    僕はお母さんの言うことを聞かず、いつもお母さんに怒られてばかりで、うるさくて、めんどうくさくて、夜はゲームばかりやるようになり、朝は起きることが出来ず、学校を休むようになりました。勉強もついていけず不登校になりました。お母さんに昼間、お寺に相談に行くから起きなさい。うるさいと怒鳴ると、知らないおじさんがいて、早くおきろと、怒鳴られました。怖いので起きました。お母さんに、あのおじさん、誰と聞くと、あなたが騒ぐと困るので知り合いのおじさんに頼んだの。いやいや車にのり天光寺というお寺につきました。大きな建物なのでおどろきました。いやいや座っていると、住職がきて、きちんと座れと大きな声で怒られました。ここで修行をすると聞いて、家に帰るから、連れて帰ってと言っても聞いてくれません。朝は6時に起こされて夜は10時まで、毎日修行、朝起きると挨拶、ご飯を食べる時も挨拶、だんだんと慣れてきました。2日目今日は滝に入るから、滝衣に着替えなさいと言われ、いやいや着替えました。滝の中は冷たくて驚きました。ほんとに死ぬかと思った。5日か後に他の不登校の子がきて、僕がこの子にいろいろと教えました。

    洗濯の仕方、雑巾のただみかた、教えてもらったことを僕がこの子に教えます。般若心を毎日読み、お経を毎日読みます。いつ帰えることが出来るかわからずにいたら、住職から今日お母さんが迎えに来るから着替えて待っていなさいと言われて、本当にうれしかった。30日間の修行でした。これからは絶対にお母さんの言うことを聞き、ゲームはしません。学校は明日から絶対に行きます。天光寺で習った事絶対に守ります。住職先生有難うございます。

    私は小さいころからよく金縛りにあっていました。今まで金縛りにあったときに、霊的なものをはっきり見ることはなかったので、霊が原因だとは思わないようにしていました。ところがある日、霊の存在を信じざるを得ないほど、はっきりと霊を見てしまったのです。

    その日はかなりショックなことがあり、気持ちが落ち込んでいました。寝苦しく、嫌な気配を感じながら何度も寝返りを打っていました。すると急に体が動かなくなったとたん、蛇のような女が見えたのです。その女は、私の手をすごい力でガッとつかんできました。気持ちが悪くてすぐに振りほどこうとしましたが、体が動きません。全身全霊の力を振り絞って腕をふりほどこうともがいていると、パッと金縛りがとけました。金縛りがとけた後も、腕にはまだつかまれた感触がリアルに残っており、とても夢だとは思えませんでした。

    それからは夜寝るのが怖くなり、あまり寝られず寝不足の日々が続いていました。仲の良い友人に霊体験を話すと、天光寺のお祓いを勧められました。高尾住職は相談の時間を十分に取ってくださり、金縛りにあわないための心の持ちようについても話してくださいました。除霊中は心地よい感覚で、つい途中でうとうとしてしまいました。除霊が終わると、本当にすっきりした感覚になり、すべての物が色鮮やかに見えたのを覚えています。その後は一度も金縛りに悩まされることなく、ぐっすりと眠れるようになりました。高尾住職にはとても感謝しています。本当にありがとうございました。

    この度は弊社の新人研修をお引き受けくださり、深謝申し上げます。幹部候補ということもあり、社命で新人研修に同行いたしました。同行といっても新人と同じ修行メニューなのですが、自分では体力・精神力ともに自信があるほうでしたので、とくに不安は感じておりませんでした。

     

    しかし思いのほか厳しい修行内容で、まさに研修というより本格的な修行だと改めて気を引き締めました。自分では忍耐強いほうだと自負しており、少々無理をしてでも仕事をこなしていましたが、この度の修行で、今まで自分で自分の限界値を定めていたと思うようになりました。修行では挨拶の仕方から練習をしたのですが、今まで自分は本当に心をこめてお客様に挨拶をしていたのだろうかと、自問自答させられる内容でした。

     

    また私は体の不調時や仕事の繁忙期には、周囲の人間に対して不機嫌な態度を取ったり、内面のストレスが顔に出てしまったりすることがありました。しかしこれは自分の心の弱さの現れだと、住職の話を拝聴し思うようになりました。他にも色々と思い当たることがあり、今までの自分を顧みる良い機会となったと感じています。

     

    2泊3日の研修でありましたが、私にとっては大変意義のあるものとなりました。修行体験を通して、少しは変われたのではないかと思います。どんなときでも広い心をもって他人と接することのできる、器の広い人間になれるよう、今後も精進して参ります。

     

    また最後となりましたが、住職の手料理は季節の野菜がふんだんに使われており、大変美味しいものでした。スタッフの方たちにも世話になり、心よりお礼申し上げます。今後とも弊社の企業研修をよろしくお願いいたします

     

    小学校のころは楽しく学校へ通っていた息子ですが、中学へ入学して新しいクラスになじめず、次第に学校を休みがちになりました。学校に行かない日は勉強するわけでもなく、部屋で1日中ゲームやスマホをしている有様です。

     

    最初は無理やりにでも学校へ行かせようとしていたのですが、次第に諦めるようになりました。この先息子の人生はどうなるのだろうと、悲嘆する日々でした。せめて高校・大学は出てほしいと思うものの、このままの状態では学力不足で入学できる高校さえなくなるのではと、思い悩んでおりました。

     

    そんな折に、母から天光寺の修行体験のことを聞いたのです。なんでも母の友人が修行に参加したときに、不登校のお子さんが参加されていて驚いたとのこと。不登校児や引きこもりの方に、社会参加のチャンスを与えられているお寺様ということで、悩んだ末に息子を預けることにしました。

     

    息子の性格では無理やり連れていっても逆効果だと思い、事前に話をしていました。こういうところがあるけど行ってみる?とあくまでも息子の意思を尊重する姿勢で尋ねました。息子は意外にも、何か思うところがあったのか興味を示してくれました。

     

    学校の長期休暇中の修行体験でしたが、1ヶ月という期間は長く、今頃ちゃんとやっているだろうか、お寺の人たちに迷惑をかけていないだろうか、と途中で心配にもなりましたが、天光寺から息子が書いた感想文をメールで送って頂いたり、お電話でも息子の様子を伺ったどころ、私の心配が杞憂だったことがすぐにわかりました。今まで当たり前だと思っていた事に感謝する気持ちを持って息子は、甘えることなく親に感謝する気持ちで積極的に修行をされていました。

     

    修行を終えて帰ってきた息子に天光寺での修行のことを聞いても、決して辛いだけではなかったようです。家から離れ、自然に囲まれて様々な人々と出会えた修行体験は、本人にとっても客観的に自分の心を見つめ直す良い機会となったのでしょう。

     

    何より嬉しい変化は、息子が進学先を考えるようになったことです。今では自分から通信制高校の資料を取り寄せたり、見学に行ったりしているほどです。今まで不登校で悩んでいたのが本当に嘘のようです。天光寺の住職様、お坊様方、本当にありがとうございました。

     

    住職ならびに天光寺の皆様、この度は貴重な体験をさせていただき、誠にありがとうございました。普段仕事が忙しく、自分の内面を振り返ることはおろか、他人を思いやることも忘れがちになっていました。この修行体験を通して、他人への感謝や思いやりの心の大切さを、改めて感じることができました。

     

    この2泊3日の研修は、恐らく私一人では乗り越えられなかっただろうと思います。他者の存在が自分の心を強くしてくれたからこそ、乗り越えられたのだと実感しています。

     

    2日目ともなると疲労もたまり、ただ座っているだけでも足腰が痛く苦痛に感じました。もし一人で来ていたなら、甘えから姿勢を崩したり、休憩したりしていたと思います。しかし同じ研修の参加者の存在があるので、行を適当にこなしたり辞めたりすることは、考えもしませんでした。自分が脱落すると皆に迷惑がかかるというよりも、ここにいる皆で研修を乗り越えたいという思いが自然と浮かんできました。

     

    この度の修行体験から、やはり人というものは一人では生きられず、支え合って生きているのだと理解しました。それと同時に、私が普段周りの人間に配慮が足りなかったことにも気付かされました。いつも家事を完璧にこなしてくれている妻にも、いつしか感謝の言葉をかけることが少なくなり、いつの間にか当たり前にすら感じていました。それに気がつけただけでも、参加できて有難いと思えます。

     

    私にとっては、他者の存在に感謝できるようになれたのが、この研修での一番の収穫でした。家族や友人との関わり、職場の人間関係、様々な関わりの中で修行体験で得た感謝の心を忘れないよう生きていきたいと思っております。

     

     

    新入社員研修が天光寺で行われるということで、参加への期待半分、恐れ半分で当日を迎えた。たまたま天光寺の修行に参加したことのある知人から、厳しいことは聞かされていたので、十分に気合を入れて行った。が、その気合は何度も挫けそうになった。

     

    まず自己紹介と挨拶から徹底して指導され、何度もやり直しをさせられた。お経を唱えながら立ち座りをくり返す三禮は、とくにキツい。スクワットを行うのは、高校の部活練習のとき以来で、すっかり体がなまっているのを感じた。真言を連続で唱える行は、すぐに何回目なのかわからなくなった。言葉の意味もよくわからず、ただ遅れずについていくことだけに集中していた。途中から、永遠に唱え続けているような錯覚さえし始めた。

     

    大変な修行だったが、こういった体験は自分ではなかなかやろうとは思わないので、今回参加させていただいてよかったと素直に思う。滝行やお百度参りなども、普通に生きていれば経験することはないだろう。自分にとっては、一生に一度の忘れられない思い出になった。

     

    大学の4年間は遊びほうけていて、受験勉強のときに培った忍耐力も忘れていたし、就職先が決まったことで完全に気がゆるんでいた。しかし社会人になる折に参加したことで、この4年間のたるんだ生き方を叩き直されたように思う。今回の研修には何度も意気消沈しそうになったが、その度に、負けるものかと自分の心を奮い立たせて乗り切った。

     

    またこの社員研修で、仲間が一心となって物事に取り組むことの尊さというものも実感できた。他の新入社員たちとも、ただコミュニケーションをとる以上の一体感を得られたと思っている。そう感じたのは自分だけではないだろう。

     

    挫けそうなときに励ましたり励まされたりしながら、助け合って研修を終えた体験は、必ず今後のチームワークにも活かされると信じている。社会人になるにあたり、今回の研修で培った忍耐力とチームワーク、そして何事にも立ち向かう心を忘れないようにしたい。

     

     

    私は以前から仏教の体験修行に興味があり、一度参加してみたいと思っていました。ネットで調べたところ、天光寺なら本格的な体験修行ができると知り、思いきって参加してみることに。

     

    最初は会社の有給を利用して3、4泊の修行にしようと考えていました。でも自分の体力に自信がなく根性もないので、軽い気持ちで行くと途中でリタイアすることになるかも…と不安になり、日帰りコースに申しこみました。

     

    体験修行はどれも、思った以上に密度が濃かったです。とくに走りながら往復する、お百度参りが一番辛かったです。途中から脇腹が痛くなり、正直リタイアしたくなりました。でも私よりかなり年配の方も一生懸命走っていて、私もがんばらないとという気持ちにさせられました。終わったときにはフラフラでしたが、なんとかみんなと一緒に走り終えることができた爽快感は忘れられません。滝行は夏だし気持ちがいいだろうと甘くみていたのですが、想像以上に水が冷たく、また水圧が強烈でした。

     

    普段小さなことでクヨクヨ悩んだり、過去にあった嫌なことを思い出しては腹を立てたりしている私ですが、修行中は苦しくてそんな雑念はちらりとも浮かびませんでした。仏教の「今ここに在る」という感覚を体感できたような気がします。

     

    心というものは常にあちこちに揺れ動くものです。好きにさせておくとすぐに腹を立てたり、悲しんだり、落ち込んだりとキリがありません。今回参加させていただいたことで、そんな心の持ちようを学ぶのが修行なのだと実感しました。常に目前のことに一心不乱に集中することで、心から怒りや悲しみ、迷いを消せるということを体感できました。

     

    1日の終わりにはホッとしたのと同時に、少し寂しさを覚えました。わりと軽い気持ちで参加しましたが、想像していた以上に学びがあったと感じています。今回の体験を、普段の心の持ちように少しでも活かしていきたいです。本当にありがとうございました。

    高尾住職本当にありがとうございました。

    私は知人の紹介で、天光寺でのお祓いを受けることにしました。初めてなので緊張と不安で一杯でしたが、私の現在おかれている環境から少しでも早く、立ち直りたくお祓いを受けました。

    私の況は、なかなか眠れなかったことから始まり、度々金縛りが起こるようになったり、急に耳鳴りがしたり、部屋の何処からか異音がしたりしました。

    友人から電話があり天光寺のお祓いを紹介して頂きました。初めはお祓いと言う言葉に、何のことか分かりませんでしたが、知人からきちんとした説明を聞いてようやく納得しました。

    一人では天光寺に行けないので、知人に付き添いをお願いしてお寺に訪問しました。電車を乗り継ぎ、駅からまたバスに乗り、天光寺につきました。東京と言っても山奥であり人気の無いところにお寺はありました。住職に会いお祓いをお願い致しました。除霊の部屋に案内されました。

    部屋に入るなり耳鳴りが始まり倒れてしまいました。お弟子さんに起こされ合掌した手が小刻みに震え、頭が左右に動き、舌が出てきました。お祓いは簡単なものでなく、経過時間も数時間掛かりました。お祓い中は、何度か意識が無くなりましたが、無事に終わりました。お祓いが終わり、天光寺に訪れる前とは、身体が軽くなったり、視界が広がって見えたり、呼吸が楽にできる事に気がつきました。何でも私には、動物霊が憑依していたらしいのですが、今は消え去り今後は憑依しなくなるので、気持ちが落ち着きました。

    超自然のお祓いでしたが、身を持って感じ体験し気分爽快になれたことに感謝します。

     

    天光寺の研修は今年で3年目と聞きました。

    なぜ、このような遠くまで時間をかけて研修に来るのか、とても不思議に思っていました。

    天光寺に到着、申込書に全員で記入し、荷物を更衣室置き、行衣に着替え本堂に戻り全員正座で待機していました。暫くすると住職が現れ、あなたは自分の人生において「主人公になれていますか?」それとも「負け犬になっていますか」どちらですか?と尋ねられて一瞬返事に戸惑いました。この住職の言葉が非常に印象に残った。自分の人生だから、それなりに自分らしく生きてきたのではないか、と思っていた。住職から常に積極的な心を持っていますかと尋ねられた。常に「積極的な心」があったかというと、自信を持ってそうだと言い切れないことに気が付いた。
    自分の人生好きなように生きたい。しかし、自分の思い通りにはならないことに気が付いた。今回の研修も学校からの指示で参加したのであり、自分の意思は欠けていた。そんな中で聞いた住職の法話には思わずハッとするものがあった。自分の人生の主人公となる為には「積極的な心持たなければならない」合宿一日目に気が付くことができてよかった。
    ここで臨んだ各修行で、積極的に向かい、強く達成感が得られたのがお百度参りと滝行である。
    お百度参りではお参りをしている他の人に対する応援の掛け声をかけたが、声が出ず、仲間が一生懸命に行を行う姿を見て、徐々に大きく声が出せるようになったと感じました。
    また、お百度参りを終了し部屋の中に戻ってくる人の表情は大変清々しく、寒さや疲れなどが見受けられなかった。それを見て、より一層、行への期待が膨らんだのを覚えている。行を終えると気持ちもスッキリとし、気乗りしなかった滝行にも臨めそうな気がしてきた。
    滝行では険しい山道を登る中で、妙に興奮していた。滝に打たれる人を見て少しひるんだが無事にやり切ることができた。
    これらの行で気付いたのが、積極的に行動したときに得られる達成感はとても大きかった。

    これからの人生において積極的に生きて主人公になるように努力します。貴重な体験有難うございます。

     

    私は大手電機気メーカの役員をしております。

    今回天光寺様の研修に感銘し感謝申し上げます。

    前年度の研修で研修専門のコンサルタントに新人研修を任せました。

    研修二日目の午後私と人事部の部長ほか4名で研修現場に視察に伺いました。研修の現場の光景をみて、唖然として、言葉が出ませんでした。新人研修の生徒と研修の指導員との関係が完全に崩れ、友達感覚で会話をしていました。挨拶練習、掃除、食事など全てが当社の研修史上最悪な研修になりました。会社に戻り研修を受け持った会社に連絡をし、大きな声で怒鳴ってしまいました。次年度の研修は私が受け持つことにしました。そして天光寺様に巡り合え、天光寺に表敬訪問をしました。住職の話を聞き、次年度は天光寺様にお願いすることに致しました。総勢230名の研修になりました。二日目に幹部と視察に訪れ研修の光景を見て回り涙がでました。研修の厳しさ、社員が一生懸命に研修している光景は去年と比べて今年は素晴らしいものでした。研修が終了し会社に戻った新人の目が輝き光っていたの見てビックリしました。これほどまでに変わるものなのか、本当に感謝申し上げます。来年もよろしくお願い申し上げます。

    僕は天光寺にきて、食事はみんなで、机をふいたり食べたものを運んだりしていて、食事の前には食べ物に感謝をこめていたので、すごく良い事だったと思いました。

    掃除も廊下やトイレ、本堂なども隅々まで綺麗にしていて、すごくよいと思いました。

    天光寺は、すごく良い場所だと思いました。ネットでは、来てもいない人が悪いことを書いたり、ニュースでも悪いことばかりで、ふしぎに思いました。ネットなどでは行ってもいない人が、悪いことを書いたりしていて、そういう人たちは、なぜ天光寺を悪く言うのかふしぎに思いました。正直むかついてしまいました。

    住職さんにはいろいろな事をおしえていただき、この6日間ですごくよい意味で変れたのではないかなと思いました。

    滝行は、写経・写仏がすごくできて、本来の目的でもある集中力アップが自分の中ではすごくできたと思うので、良かったです。

    般若心経がどうしても覚えられなかったので、覚えられるようにしたいです。光明真言は覚えられたので良かったです。

    今回の天光寺での企業研修を通じて、社会人として身についていなかったことを多く学びました。忍耐力の必要性や同僚の大切さ、そして組織の一員としての自覚も体験した。

    今回の研修はとても辛かった。三禮という行、冷たい滝に打たれることも、途中で逃げたくなるようなことが多くありました。特に三禮は声を出しながら、立ち座りを繰り返すというもので、身体への負担も大きく声を出そうにも、呼吸できない程だった。終わった後は汗をかなり掻き、立ち上がることもままならない疲労感があった。またお経を千回と唱える朗読、その苦痛から逃げ出したいと思った。それとは逆に、やり遂げたことに対する達成感と、何回か遅れをとり出来なかったことに対する悔しいと言う気持ちがありました。住職が私達におっしゃった、「辛くとも、どうすることも出来ないのであれば、それを受け入れなさい。」で、確かにそうだと思った。三禮の時はどこかに辛いという感情を持ち、自分に甘えていたのだと今は思います。これから数多くの苦難を自分で成し遂げなくてはならないと感じています。それだけに、今回の研修を通じて、どのような時でも頑張れることの出来る忍耐力の強さと精神力が、感じ取れた思いです。今回二泊三日の研修で、共に生活し共に試練を乗り越えることが出来、団結することが出来たと感じました。

    毎朝皆で清掃した際のときも、与えられた作業のみでなく他の人の手伝いを積極的に行ったときにも、助け合うことの重要性を改めて学ぶことが出来ました。同僚と過ごした研修では、深く感謝の念を持ち、お世話になった天光寺の皆様にも感謝します。

    この度は弊社の新入社員研修を、お受け頂き誠にありがとう御座いました。この研修を通じて多くの事を学びました。今回新入社員と共に研修に参加させて頂き、心を新たにすることが出来るような気がします。社会人になってちょうど三年年目になり、多くの仕事を任されるようになりました。私は様々な理由で両親からも恩師や友人からも甘やかされて、育ってきました。同じことを何ども失敗してきました。それが社会人になり、一つ一つの仕事に責任を持つことを学び、どんな仕事にも全力で取り組んできましたが、この研修に参加するまでの数ヶ月間は、やっても、やっても仕事が終わらず、時には会社を辞めたいなぁと思うこともありました。

    そんな中、参加した今回の研修ですが、特に私の心に残ったのは「マイナス」の言葉を吐き続ければ、その言葉が体内にインプットされ、魂を支配すると言う住職の言葉でした。仕事がいかに大変でも、マイナスの言葉を吐かないように努力します。仕事に追われていると、友人や可愛い後輩に厳しい態度で、接してしまったりすることもある未熟な私ですが、今回の研修のことを契機に心機一転で、頑張って行こうと思うことが出来ました。

    新入社員と一緒に参加させて頂いた、お百度参り滝行ですが、最初は身体が辛かったが、続けるうちにだんだんとその辛さが麻痺していき、邪念が無くなっていくのを感じました。

    この研修の中で滝に打たれたりお百度参りを行うことはつらかったですが、心が乱れたとき時や迷ったり怒りたくなったりした時にはすぐに言葉に出さず、一度心を無にして雑念や邪念を浄化できるように努めて行きたいと思います。

    今回の研修で各職場の仕事を初める新入社員にとって、社会人として人間としての心構えを身につけさせる大変良い機会となりました、引率として来たはずの私自身も自分の未熟さや甘さを再確認させられ、今後の仕事への向き合い方を考えさせられる良い経験となりました。

    この度は貴重な経験をさせて頂き、ありがとうございました。

    私はこの研修を通して多くの事を学びました。研修が始まり大きな声で天光寺のでございます。よろしくお願いいたします。あまりにも大きな声にビックリしました。そして自己紹介の挨拶が始まり、全員正座になり、「・・・から参りました・・・でございます。出身は東京です。どうぞよろしくお願いいたします。」正座からきちんと起立して自己紹介の言葉を述べながら頭を下げる挨拶です。簡単に見えて簡単ではありません。きちんとできるまで何回も挨拶をさせられます。そして大きな声で「やり直し」最初の方が20回ほどやり直しをしたと思います。この光景を見ていた全員が「甘くない」大変だと思いました。我が社の研修は130名の研修です。全員正座で全員が終わるまで正座です。全員終わるまで何時間かかるのか。きちんとやってくれよ。足がいたい。終了するまで2時間30分位かかりました。みんなで一生懸命やれた。参加者全員と連帯感が自然に生まれたと思います。そして今まで生きてきた人生を、振り返ることが出来ました。誓いの言葉の中に「私は何事においても、積極的に生きます。」という言葉がありましたが、この言葉を聞いてとても考えさせられる部分が多くありました。特に、自分が嫌いなこと他人が遣りたがらないことなどを、積極的に取り組んでいけば人間力の向上につながっていくと思いました。これからはそのことを意識して行きたいと思います。

    研修での挨拶の練習を二時間以上行いましたが、挨拶だけを長時間する練習は初めての経験でした。辛かったと同時に挨拶の重要性を、改めて知ることができました。挨拶で、人との第一印象が決まるということを良く聞きます。天光寺で習った挨拶の作法するように努力します。また、滝行の厳しさを経験し、この二日間の研修期間で、だらけてしまっていた自身の部分が引き締まることができました。研修で行っていろいろなことが得ることができたことを、これからの社会人人生に活かしていけるように、頑張って行きたいと思います。本当に感謝いたします。

    私は36歳で今は派遣社員をしながら生計を立てております。

    天光寺には月に3回から4回ほど修行のため訪れております。天光寺に訪れたのは今から3年ほど前のことです。会社が倒産し、新たな就職先でいじめにあい、会社を辞めました。新たな就職先が見つからず、妻とも離婚することになり、おれはもうダメだ。自殺まで考えました。友人から天光寺の体験修行に誘われて2泊3日の体験修行に参加しました。朝10時30分に天光寺に到着し申込書に記入し、行衣に着替え、挨拶の所作と真言を教えて頂きました。その後食事でしたが、料理が本当に美味しくビックリしました。午後はお百度参りと、滝行です。初めての滝行なので、冷たく、痛く、すぐに出ようとしましたが、大きな声で「まだまだ」と言われ戻されました。3~4分位入りました。出た後、体中がスッキリとして、今までの自分が情けなく思いました。また、住職の法話を聞き自身の甘さを感じとれました。その後月に3回から4回ほど天光寺に体験修行に訪れるようになり、今回は日本テレビの滝行の取材があると聞きました。楽しみにしていましたが、日本テレビの記者の取材は天光寺を悪者に陥れる虚偽の取材でした。天光寺の中に日本テレビのスパイが入りこんでいました。子供たちが御本尊大日如来の上に乗り祭壇から落とすのを見て、ビックリしました。このような背景には日本テレビが少年たちに天光寺が悪者にするように仕組んだ結果だと思います。天光寺で食中毒を起したと保健所に通報した者がいたが、通報したのは日テレの関係者だと思います。天光寺の厨房がどれほど衛生的に管理されているか見ればわかります。3日前に天光寺の体験修行に訪れた際、住職と1時間ぐらいお話をさせていただきました。日本テレビの記者とカメラマンは警視庁に刑事事件として受理され、本格的な捜査を行っていると聞きビックリしました。

    住職は日テレの記者の名前を公開し、動画の顔の「ボカシ」を外し、日テレの記者、カメラマン、日テレ本体に民事訴訟の準備をしていると聞きました。日本テレビの虚偽報道は許してはいけないと思います。

    その節は本当にありがとうございます。

    私は2年ぐらい前から体調不良の為、会社をよく休むようになりました。近所の医院で検査をしましたが、別段問題はないといわれました。ある霊能者の方に相談をしたところ、霊能者の方からきちんとした真言密教の寺院でお祓いを受けたほうが良いといわれ、上司に相談しましたら、当社で毎年企業研修を行っておる天光寺を紹介されました。住職はとても親切なので相談にのってくれると思うよ。住職に貴方のことを伝えておきますので、時間がある時に電話で相談をしてみたらどうですかと言われ、天光寺に電話をしました。住職が親切に対応して頂き、天光寺に行くことが決めました。家に戻り荷物の支度を始めしばらくすると、急に息苦しくなり、行くことができないと思い天光寺に断りの電話をしましたが、住職から今負けたらだめだ。頑張って来てくださいと言われ、その言葉に勇気づけられ天光寺に行くことにしました。千歳空港が羽田空港、そしてJRに乗り換えて武蔵五日市駅に到着、そしてバスで40分かなりの長旅でした。

    ようやく天光寺に到着しました。到着まで何回も吐きそうになりました。天光寺の本堂に案内されると、涙が出て止まりません。

    住職からあなたは水子様が複数います。と言われビックリしました。住職の言う通り私には複数の水子います。しばらくするとお祓いの部屋に案内され、急に体が震え出して涙が出て止まりません。除霊をすぐに始まりました。真言を唱えている間、苦しくて吐き気が止まらず何回も倒れました。住職が急に「誰だ、自殺をした霊なのか、そうすると体が強く震え出し倒れてしまいました。4時間ぐらいの戦いでした。住職より水子供養もして頂き感謝しております。私の場合は自殺霊と水子の影響で体調不良を起こしていました。除霊の後は体と心がすっきりとしました。

    住職先生本当にありがとうございます。

     

    私は某大学の教授をしています。今回の東日本大震災のボランティア活動で福島、岩手に一週間行ってまいりました。地震、津波の恐ろしさを目の当たりにし、気が遠くなり倒れそうになりました。

    ボラティア活動の中で現場の写真を数十枚とり、家に戻り写真を確認したところ、写真の中にはいるはずのない人の顔が数十人映り出ていたのでビックリしました。私は学者として霊の存在を否定してきましたので、この写真に写り出ている現実を無視はできません。数週間後、急に体がふらふらとして頭を金槌で撃たれたような痛みが走りました。急いで大学病院で検査をしましたが、結果は異状がなく、その後も体調不良が続くので、インターネットで霊に関して検索をしました。その結果は霊に憑依されたと思いました。今まで霊の存在を無視してきたので、どう対処するべきか悩みましたが、友人の紹介で天光寺を知りました。天光寺をインターネットで調べ天光寺が一番信用できると思うようになり、天光寺に除霊をお願いすることにしました。数日後天光寺を紹介してくれた友人と天光寺に向かいましたが、車の中で息苦しくなり胸が締め付けられ苦しいので、住職に電話をしました。住職からあなたに憑依している霊体が天光寺に行くのを拒み、拒絶反応を起こしています。安心して御来山くださいと言われ、少しは安心しました。住職にお会いし、お祓いの部屋に案内され、住職の声が入っているCDを聞かされました。聞いている間に合掌している手が小刻みに震え始め、大きな声で叫び始めました。あなたは霊障です。今から除霊を行います。真言(お経)を聞いている間手が震え何回も後ろに倒れました。住職が神上がりせよ、と唱えはしめました。唱えている間後ろに倒れ、その瞬間何かが体から出ていくように感じられました。その後一気に体が楽になりました。本当に住職に感謝しています。霊を信じていなかった私が、このような体験をするとは思いもしませんでした。今は霊の存在を認めております。本当にありがとうございます。

    二泊三日させて頂き有難う御座いました。

    心のもやもやが全て解消したか、正直まだわかりませんが、ここに来て良かったと心から思いました。

    神頼みに来たつもりでしたが、一番力になったのは修行僧の方を始め、ここに修行に来ていた方々の頑張っている姿を見て、自分自身も力をもらい、また頑張ろうと思いました。

    自分が人の力になれたのか分かりませんが、頑張っている姿を見せること、見れたこと、ひとに分けられるような人間になりたいと心から思いました。

    二泊三日お世話になった住職、スタッフの皆様有難う御座いました。

    また滝に打たれに来ますね!

    私はこの天光寺でお祓いをしてもらい住職からまだ身体の調子も心の調子も良くないから体験修行をした方が良いと勧められ体験修行をすることになりました。

    体験とは言えお寺の修行。

    とても緊張していました。

    四泊五日という長い期間だったのも不安を感じさせる要因の一つでした。

    体験修行でまず行ったのが滝行。

    滝行に行く前に住職から心を清浄に洗い流してくれるものと聞いていたので不思議と緊張感は無く、寧ろやる気に満ちていた状態だったことを覚えています。

    しかし、いざ滝に入ってみると水は冷たく勢いは激しく入る前の想像を超える苦しさでした。

    私は四泊五日の間で四回滝行をしました。

    毎日少しずつ長く入れるように挑戦する時間はとても充実していました。

    滝から出た後は必ずすっきりとした気持ちになれ良い経験でした。

    また入りたいです。

    その後体験したのが写経、写仏。

    ただひたすら文字や絵を写すことはとても心が落ちつきました。

    瞑想や読経もやりましたが正直とても大変でした。

    でも修行をしている充実感があってよかったです。

    修行のメニューは全体的に大変なものが多かったですがその分頑張り甲斐がありました。

    体験修行に来る前の心配事だったのですがお寺なので食事は白米と漬物のみとかを想像していました。

    しかし、実際は本格的な精進料理で味は最高においしく、衛生管理も

    しっかりしていて安心でした。

    日本テレビの報道であったようなことは一切無く安心して生活を送れる環境でした。

    住職が暴力を振るうようなことも無く、寧ろお忙しい中で空いてる時間にお経を教えてくれたりとても親切な対応でした。

    私にとって修行より貴重な経験になったのが人との出会いです。

    私のようにお祓いをきっかけに来る人もいれば自分を変えたいと思い来る人などいろんな人がいました。

    その人達と関わりあって話した時間はとても素敵でした。

    本当にいろんな経験が出来ました。

    ありがとうございました。

    午前0時頃、とあるキャンプ場友人二人と散歩をしている時に昼間ハイキングコースなどで通る吊り橋に差し掛かりました。

    今まで感じていた雰囲気とは違う不気味なものを感じた私は引き返そうと思ったのですが友人の一人が「行ってみよう。」と言い先に行ってしまいました。

    昼間通っている橋であること、友人が先に行ってしまったこと、何故か同時にその橋に興味を持ってしまったこともあり橋を渡ってみることにしました。

    橋を渡りきり向こう側まで着いた時、唐突に何かの気配を感じた私は友人を置き去りに走って引き返し自分の寝泊りしている部屋まで戻りました。

    明るく近くに人が寝ている状況に安心した私は寝ようとベットに横たわりましたが何故か心が落ち着かない。

    なかなか眠りにつけなかったのでベットに横たわりながら携帯電話をいじっていると、時折物音と何かの気配を感じるようになりました。

    気のせいだと思い寝ようとしたのですが物音は次第に大きく、気配は徐々に近づいてきて全く眠れませんでした。

    時刻は午前2時。

    物音は壁を殴るような激しい音、気配は殺気のような強いものになりました。

    恐怖と冷や汗が止まらずどうしようもなくなった私は物音と気配がする部屋のドアを思い切り開けてみました。

    何もありませんでした。

    ドアを開けてから物音と気配がしなくなったのでようやく寝れると思った私はベットに横になったのですが、しばらくするとまた物音と気配がし始めこの部屋にはいられないと思い外の明るい集会場のような場所で朝が来るのを待ちました。

    しばらくして気がついたらなんだか身体がだるい。

    寝不足や疲れではない異様なだるさを感じ危機感を覚えました。

    このままでは不味いと思ったのでお祓いをしたいと家族に電話で相談をしたら調べてくれてそうして天光寺を見つけました。

    当日予約は難しいだろうと思い無理を承知で電話してみたところ、快く引き受けてくれて安心しました。

    キャンプ場から天光寺に向かうまでの間、心が落ち着かない感覚がありましたが、お寺でしっかりお祓いをしてもらえば大丈夫。という気持ちでいました。

    今考えると危機感が足りてなかったと思います。

    天光寺に着き住職から説明を受けお祓い中に体が勝手に動き出してもそのままにしてくださいと言われました。

    それを言われて正直体が勝手に動き出すことなんてありえないから大丈夫だと思いました。

    しかし、いざお祓いが始まると自分の意思とは関係なく体が震え始めとても驚きました。

    お祓いが進むにつれ体の動きが大きくなり最終的には暴れだし叫び声を上げ始めたのをはっきりと覚えています。

    お祓いの最中もずっと自分の意識はありました。

    考える事は出来るし体の感覚もあるけど、体が動かせないという不思議な感覚でした。

    もう一生経験することはないでしょうし、もう二度と経験したくない感覚です。

    お祓い中にいろんなことを考えていたのですが、体の主導権が取られ感情表現が一切出来ない状況でした。

    ですがお祓いが進むにつれ次第に体の主導権を持っている何かの力が弱まり、自分の意思で除々に体を動かせるようになりました。

    しかし、その状況でも気を抜いたり心が少しでも弱くなると体が動かなくなる。

    精神世界での体の奪い合いのような感覚です。

    心を強く持たなければならない、戦う意思を持たなければならないのはとても難しかったです。

    長いお祓いが終わり体を取り戻したのですが、それでも気を抜いたら取り返されそうな気がして冷静さを取り戻すことが出来ませんでした。

    正直信じていませんでした。

    しかし、この出来事を経験して今までの常識がひっくり返ったようでした。

    今では目に見えないことがあることを知っています。

    とにかく衝撃的な出来事でした。

    今もこうして命があり生きていられること。

    そして、お祓いをしてくれた天光寺、天光寺住職には感謝の気持ちしかありません。

    ありがとうございました。

     

    一泊二日という大変短い間でしたが、高尾聖賢先生、直接指導頂きました、新井様、そして、皆様には、大変お世話になりました。ありがとうございました。

    日々の仕事や、家庭で生活の中で、何か満足できないもやもやした感じがありました。仕事では、精一杯やっているようで、結果につながっていないことが多く、達成感が、感じられません。家庭では、日々の忙しさを引きずって、イライラしています。そんな、日常を、気持ちを、変えるきっかけをつかみたいと思い参加致しました。その後、参加されている方々からお話を聞くと、きちんと考えを持たれて参加されていて、私の動機は、まだ、甘いと感じました。

    この二日間は、初めての体験の連続でした。水行で冷たさに耐えている時、滝に打たれて、息ができないながら、「南無大師遍照金剛」と声を出している時、お百度参りで暑さと流れ落ちる汗に耐えている時、私は、「まだ、終わらない。もうすぐ終わる。」と自分で思いながら、ただ、頑張っているだけでした。この時間を、やり過ごしてしまえばよいと考えていました。

    修行というものが、どのような気持ちで臨むものなのかわかりませんが、私は、やっぱり「体験」でした。これだけで、きっかけがつかめるようでしたら、真摯に修行されている方々に申し訳ないと思います。では、これが、無駄だったというとそうではありません。何事もやって見なければわかりません。やってみたからこそ、自分は、少し甘くないかと感じたのですから。それから、川や滝と一緒に自然の美しさは素晴らしかったです。滝行の時、虹がかかって、これも感動しました。

    また、修行を続けられる秘密をもう一つ知りました。食事がとても美味しいことです。

    正直、びっくりしました。有り難かったです。

    先生から、日本テレビの件をお聞きしました。彼らは、はじめから、悪者を作るつもりで来たのですから偏ったでっち上げた内容になったのでしょう。修行で来られている方々、体験で来られている方々から少しでもきちんと話を聞いてみれば、真摯に取り組んでいることに気付き、自分たちを恥じたに違いありません。

    それから、いろいろとアドバイスしてくださった、石井さん、共に頑張った、小山さんには、大変感謝しています。人数が少なかったので、絆ができたように思います。ありがとうございました。

    最後に、皆様のご多幸をお祈りしております。

     

    二泊三日でお世話になりました。

    過去のトラウマとうつ病で数年間悩んできましたが、今回は逃げずに人生に立ち向かって自分のためになんとかしたいと思った上で、

    天光寺の体験修行に参加することにしました。

    最初はとても不安で「本当に来てよかったかな」と思いながら天光寺に参りましたが、お寺の方々と会った瞬間に不安感がすぐになくなりました。

    最初からお寺の作法をしっかり教えて頂き、とても勉強になりました。私は外国人でクリスチャンの環境で育てられましたが、仏教と似ているところがあると思いました。お経を覚えるのがとても大変でしたが興味深い経験でした。

    滝行と川行もできて体も心もスッキリしました。私にとっては、滝行よりもお百度参りの方が大変でした。運動が苦手で体が弱くて、これは絶対できないと思っていましたが、チャレンジできて本当に良かったです。最後の日は体調が悪かったですが、痛みを超えて最後まで走れて最高の気分でした。「頑張ればできる」、「痛みというのは超えられる壁だ」と分かって自分が強くなった気がします。

    瞑想もとても大変でした。「無」になることも出来ず、考え過ぎてしまい、心がとても疲てしまって、落ち込んでいました。あの時は先生に密教ヒーリングをしていただき救われました。言葉で表現できないぐらい感謝の気持ちで心が溢れました。誠にありがとうございました。

    お寺の方々の優しさとご配慮にとても感動して、本当に色々助けていただきました。皆様のおかげで心も落ち着いて体験修行を無事に終わらせることが出来ました。食事の時間も片付けと掃除の時間も楽しく過ごせてたくさんの貴重なお話も聞くことが出来、心から感謝しております。また、食事は大変美味しかったです!毎日楽しみにしていました。

    この三日間自分にチャレンジしたという気分が強くて、できないと思っていたことがたくさん出来て、何よりも自分と向き合うことが出来て本当に良かったです。

    新しい自分を見つける準備もでき、学んだこととお寺の方々と修行の仲間にもらったものを宝物にして前向きに進みたいと思います。

    貴重な経験をさせて頂き、誠にありがとうございました。Merci beaucoup !

     

     

    寺では、お世話になったことがあります。まず、自分は挨拶が出来なかったり、勉強に集中できなかったり、と様々な駄目なところが、ありました。寺では、光明真言など南無大師遍照金剛などで挨拶などが鍛えられました。集中力などは写経などをして、長く集中できるようになりました。滝行などもツラかったけど努力して我慢できるようになりました。はじめは、親に、無理やり連れて来られましたが、出来ないところを、しっかり学べて良かったです。素直に帰りたいという気持ちもありますが、これて良かったです。滝行では、毎回、山を走ったりで、足が痛くなったりもしましたが、ある程度、その所にも強くなりました。家に帰る時は、勉強中でも、普段の生活でも、寺で習った事を生活に活かしていきたいとです。また、今までも自分はひどかったので、改めて生活していきたいです。

    先日は息子が、二泊三日でこちらに大変お世話になりました。家庭だけでの子育てに限界を感じ、
    色々調べたところ、こちらを知ることになりました。
    ネットやニュースで色々出ていましたが、私はその内容を見て天光寺さんは大変な思いをされたのだと悲しく思いました。
    私のような悩める母からすれば手に負えない子を親にかわり、不動明王様のように愛情を持って接したことは大変有り難い
    ことだと思います。また、その後の対応については大変悩まれ悲しく苦しい決断だったと思うのですが、しかるべき対応を
    取ることはとても立派だと思いますし、その辺も踏まえて私は今回息子を天光寺さんに体験修行させることに決めました。
    
    体験修行から帰った息子は、数日経ちますがお寺で経験したことを朝晩話してています。
    決しておしゃべりではない息子ですが、おしゃべりが止まりません。また、挨拶がまともにできなかった息子ですが、
    帰宅してから大きな声で笑って挨拶をするようになり、これが一番嬉しかったです。
    お寺の方には温かく接していただき、大変感謝しています。体験修行を終え、すっきりした顔の我が子の顔を見たとき、
    母はこれだけで色々なことを感じとることができました。
    
    天光寺さんの体験修行がとても良かったので、またしばらくしたら、娘も連れて天光寺さんに体験修行に行きたいと思います。
    
    宜しくお願い致します。

     

    私は、今まで、テレビや雑誌で、心霊動画や心霊写真など怖いものは、全て観て来ました。小さい頃から、そういうものが好きだったということもあり、何も思わず、興味本位があるだけで観てきました。霊感も、昔は全く無かったので、余計に好んでいた部分もありました。だけど、この数日間、自分の身体に違うものが入ってきて、自分自身の意志だけでなく、行動でもなく、全部を支配されてしまったことによって、過去にも信じていなかったものを信じるようになりました。また、天光寺には、私の知らなかった仏教の世界があり、知らない仏様もいて、不思議な感覚が身体の中に生まれた様な感じもあります。仏様の顔の表情や雰囲気、一つ一つをしっかり見ることにより、自分自身の心の安定をとれるようになったことも本当に良かったと思います。今後は、今回、自分の周りで起きたことを忘れずに、気をしっかり持って、何事もポジティブに前向きになれていけたら嬉しいです。住職さんのヒーリングも、お祓いも、自分のためになりました。有り難うございました。住職さんのご飯、すごく美味しかったです。

    僕は、天光寺に来て、ちょっと楽しいなと思いました。お経を読んだり、走ったり、滝の水にあたったり、仏の絵を写したり、般若心経を写したりしました。その中で、滝の水にあたったのが、一番楽しかったです。最初は、寒いし、痛いし、冷たかったけど、2回目からは、寒くないし、痛くないし、そんなに冷たく感じませんでした。一番苦しかったのは、お百度参りで走ったことです。百往復も走って疲れましたし、苦しかったです。でも、それは修行だから、頑張りました。修行は1回して、写仏は4回しました。鉛筆で書いたから、隅から隅まで、書けました。結構、写仏は楽しかったです。でも、一日が終わって、寝る時に、布団が気持ちよかったです。ご飯も美味しかったし、天光寺に来てよかったと思いました。少しは苦しかったけれど、楽しかったです。

     

    お百度参りは、近くの人の声が耳に入って来てしまい、気にしないようにと思う程、気になり、これが普段からの集中力のなさなんだと思いました。その中でも途中、走って唱えるに集中でき、言葉もハッキリ言える場面もありました。日々、沢山の雑念があり、そこに引っ張られていることに気づきませんでした。滝行は、思ったより、水が冷たく、待っている間、そして、桶の水を頭からかぶった時には、震えるほどでしたが、滝に入ると寒さはなく、慣れてきたのもあると思いますが、滝に包まれて、あたたかさを感じました。何とも言えないエネルギーに涙がこみ上げられてきました。

    お経と写経は、まず正座を続けることがつらく、そこをクリアしないと次の段階にはいけない気がしました。しかし、どちらも精神統一が出来るものだと感じました。

    2日間の体験修行で、劇的に自分の変化があった訳ではないですが、日々の中で、この2日間のことが活かせるような気がしました。ごはんはとても美味しかったです。

    瞑想の時の音楽が少しメロディアスというか、ヒーリングミュージックぽすぎて、私には気になりました。

    出来れば、先生のお説法を生で聞いてみたかったです。とは言え、楽しい経験になりました。有り難うございました。

     

    体験修行に申し込んだのが興味本位だったため、最初は浮ついた気持ちで本堂に座りました。しかし、発声や作法の修行をこなすうちに気持ちが切り替わりました。お百度参りや滝行も体験させて頂きましたが、初めての経験だったので、見よう見まねで何とか修了しました。お百度参りはは想像以上に過酷でした。体力には自信があったのですが、後半は上手く口が回らなくなるほど、疲労が溜まりました。滝行では、先ず滝が放つ圧力に驚きました。実際に、滝に入ってみると、最初は衝撃に心が折れかけますが、それはほんの一瞬で、慣れると自然と一体になったような感覚を得ることが出来ました。衝撃に耐えようとするのではなく、一体となって受け流すという考え方は、滝行だけでなく、社会の中でも大切な生き方になるのではないかと思います。様々な修行をこなす中で疲労も溜まりましたが、その分、夕食がとても美味しく感じられたのが印象に残っています。食事自体は質素で、素材の良さを生かす程度の味付けしかされていませんでしたが、充分満足することが出来ました。普段、食事の際には、味や見た目にばかりき気を取られ、食材そのものに感謝することを忘れがちです。今回の修行では、食材を育ててくださった方、また、食事を作ってくださった方、そして、栄養となる食材そのものへの感謝の必要性を再認識することができました。貴重な経験をさせて頂き、本当に有り難うございました。

     

     

    お母さん、お父さん、桃音、いたずらとか、反発してごめんなさい。自分が悪いのにも関わらず、親のせいとか、自分は悪くないとか言ってごめんなさい。自分がすべて悪いです。すべて自分のせいです。でも、わざわざ高いお金を出して、お寺に行かせてくれて有り難うございます。一人暮らしの大変さも良くわかりました。とても良い経験になりました。親は厳しいとか言ってたけど、本当は、自分を良くする為に注意してることが良くわかりました。親より寺の方がとても厳しかったです。家の方が甘いことが良くわかりました。これからは、もっとお手伝いもします。勉強もしっかり決まった時間分やります。ちゃんと学校も休まずに行きます。部活であったことも自分がもっとしっかりしていないとダメだなということも分かりました。自分だけが苦労してると言ってたけど、親の方が自分のもっと数倍ほども苦労しているというのがよく分かりました。このお寺を通して、様々な経験が出来ました。まず一つ目は一人暮らしと同じような作れたこと。二つ目は滝行です。滝行は初めてやったけど、けっこう痛く、でも心が洗われている感覚になり、心が無になりました。三つ目は、仏教に触れるという事です。仏教と言っても、様々なルールや決まりがあるということも初めて知りました。例えば、食事の前に言う言葉とか、滝行とお百度参りに行くときの挨拶や儀式がありました。すると、今まで考えてたことは、すべて違うんだなと思いました。自分は親が嫌いで離れたいと思ってたことが、親は良い人で、助けてあげようという気持ちがあることが良く分かりました。一日目の夜から、親は本当に行きたかったのか思ってから、だんだん自然と寂しくなりました。一日目の夜は、一人で広いところで寝ました。なかなか眠れなくて、何度も起きては朝か?とか思い、本当に寝れませんでした。今では自分のベッドが恋しくなり、早く家に帰りたいなと思います。今でも悲しく早く帰りたいという思いで、涙が自然と出ます。早く帰りたいです。自分の家に帰りたいです。自分の親は優しいと、みんなに自慢したい位です。早く家に帰って、玄関で、ただいまと言いたいです。お母さん、お父さん、桃吉、本当にごめんざなさい。すべて自分が悪いです。反省しています。自分は馬鹿でアホで何よりも大切な親と妹という大事な存在の人を傷つけていました。本当に申し訳ないです。これまでにあったことをすべて謝ります。すべて何もかも自分が悪いです。お寺はとても大変だったけれど、協力や結団力などを学びました。そして何よりも家族の愛情は大切だということを学びました。もう親も妹も困らせたくありません。みんなで楽しく、仲良く、生きていきたいです。汚い字ですみません。でも本当に、この事は反省しました。また、もとの家に帰りたいです。今すぐにでも帰りたいです。よろしくお願いします。

     

     

    今回、滝行が目的で体験修行に来させて頂きました。滝行ってどんなものだろう?という興味が凄く大きくありましたが、実際の滝を目の前にすると、滝のはく力、水の冷たさに、滝の中に入るのを躊躇うほどでした。滝に入ると、水の強さ、冷たさが身にしみました。なかなか経験できない貴重な時間となりました。他にもお腹から声を出しての挨拶、食事の前の挨拶言葉、瞑想などなど、普段はやっていない事も一つ一つ丁寧にやる、いつもとは違った時間の過ごしたかができました。2日間、貴重な経験をさせて頂き、有り難うございました。

     

    私は今回、勤務する企業の教育訓練として体験修行に参加しました。

    まず始めに作法について学びました。修行の時も、食事の時も、神様に感謝の気持ちを忘れてはいけないことを改めて学びました。お百度参りと滝行では、後半で全力で走ることが出来ず、滝行では滝につかるまで時間がかかりました。今後は、日常生活においても、全力で取り組めば、願いは叶うのもと、一日一日を大切にしていきたいと思います。今回、私は、企業教育の一環で、体験修行に参加しておりましたが、個人として考えなければならないことが多くあったことを痛感しました。残りの人生は、何事にも全力で取り組み、生まれてきたことを感謝できるようにしていきたいと考えました。

    一泊二日、体験修行、有り難うございました。

    最初は興味本位で滝行をしたら、今までの自分が生まれ変われるかなという軽い気持ちでした。お百度参り、滝行、瞑想に参加し、日々の時間を忘れて、何かに集中することで雑念が消えた気がします。日頃、仕事などで、上手くいかず落ち込んでしまったり、何かのせいにしてしまったり、誰かにこう思われているかもしれないと疑ってしまったりすることがあります。自分では良くないと思っていても思考を変えられず苦しいです。ですが心の持ち方で変えられる。自分もまず知ることが大切だと思いました。貴重な体験、お時間有難うございました。

     

    今回1泊2日で天光寺で体験修行をさせて頂き、普段は体験できないようなことを体験できて良かったです。学生の頃から滝行に興味があり、滝行すれば何が変わるかなと思っていました。実際に行ってみて正直なにかがすぐに変わったと感じられませんでしたが、とでもきちょうな体験ができて良かったです。仕事で上手くいかないなどですぐに悩んでネガティブになってしまうので、『心の持ち方』

    の言葉はとてもいいなと思いました。住職さんの法話でも「積極的に行く。自分を信じる」という言葉が心に響きました。自信がなくてくよくよしてしまうことが多いのでもう少し自身がもてるようになればいいなと思いました。もっと色々な感謝に気付けるようにしたいと思いました。今回の体験を忘れずに過ごしていきたいと思います。ありがとうございました。

    お百度参りはとても苦しかったので体力をつけようと頑張ります。

     

    読経は始めはテープの音に合わせていくことに精一杯で、足も痛く、のども痛くなっていき、お経を読むということがこんなにもつらいことだと思っていなかったので驚きました。法事の時にご住職方は動作も含めてなさっていることを思い出してすごいなと思います。

    なかなか覚えることは難しいのですが、ずっと読経をしているうちに歌を歌っているかのようにも思って、少しずつですが、お腹からも声が出せるようになり、スタッフの方から声を掛けられるまで集中して楽しくさせていただき、二時間があっという間でした。お経を読むことの楽しさが何となくわかって良かったです。

    お百度参りはホームページの動画を見て皆様頑張って走っているイメージでした。説明を聞くと全力疾走で百往復するというものでこれもつらいものだと思ってしまいました。今回は十三人の人でやったこともあり、自分がくじけそうになると他の人が頑張っている姿に勇気をもらって私も頑張れて良かったです。全力で精一杯、しかし、転んだら他の人に迷惑がかかるので転べない。

    回数を数えることさえわからず、精一杯がんばって走り抜けました。

    滝行はお百度参りとても温まった体を冷やせる夏場だから大丈夫だろうなと軽い気持ちでしたが、滝へ向かうまでの道のりの冷たさに驚きました。連日雨で水量も多くとても冷たい。滝の水圧の圧力の凄さに驚きの連続でした。とても痛くて冷たかったですが、終わった時の達成感はとても大きく自身が持てた気がします。

    法話ビデオでも多くのことを教えて頂きました。逃げるな!壁にぶつかっても乗り越えられないものは用意されていない。苦しくても絶対に乗り越えられる。その先にすごいプレゼントが待っているんだということがとても心に染み込みました。自信が持てない、心配症である私にどってとてもはげみになりました。積極的に生きて行こうと思います。人脈、ご縁も大切にすれば色々ことにつながっていくことも改めてわかりました。

    今回の体験で百聞は一見にしかずということが、経験しなければよさがわからないことを改めて学びました。とても有意養な時間をありがとうございました。

     

    天光寺に来て学べたことがあります。家のありがたさを学べました。帰ったら「おかえり」と言ってくれる家族がいるし、おいしくて温かいお母さんのご飯が食べさせてもらえることがどんなにありがたかった事なのかを実感し、学べました。

    自分は親に反抗してばかりでしたが、天光寺に来て親のありがたさを知った今、反抗していた事を後悔しています。

    天光寺に来てなかったら、親のありがたさを実感することはできなかったし、自分を知ることも出来なかったと思うので、天光寺に連れて来てくれた親には感謝しています。

    今後、天光寺で学んだ事を忘れないようにして日々の生活を送っていきたいです。また、感謝の言葉を伝えるのは恥ずかしいので手伝いをしたりするようにします。

     

    大学2年になり、学業もなれていい加減になっていた僕にある時お母さんから「小・中・高真面だったのに国立大入学してからいい加減になったわね」と言われ、父親に修行をしてこいと言われいやいや参加することにしました。入寺してからスマホを回収され、いろいろ制約が多い中自分とみつめ合うことが出来ました。また高校までは県選抜に入ってたのですが、大学に入学してからスポーツをしなくなり、走れなくなりました。その状態の中、お百度参りは最初はやるのが嫌でしたが、やる内に力が出てきてやりどけることが出来ました。

    また滝行では入る前冷たく嫌でしたが、入ってる時に体内から熱が出てきて寒いという気持ちがなくなり、そして全てがリセットされ、

    体も軽くなり、有耶無耶が消えました。

    1泊2の修行で嫌なこともありましたが、僕より前から修行された高校生とも仲良くなり年齢を問わず、交流できて楽しかったです。

    次は友達と一緒来たいと思います。

     

    1泊2日の体験を通じて感じたことは、この道はとても厳しいものだったと言うことです。覚えなくはならないことも多いし、

    何より滝行は本当につらかったです。

    水圧が強いことも勿論ですが、水の冷たさがきつかったです。サイトの画像でこれを冬に行っているのを見て改めて

    仏道は厳しいものだと感じました。お百度参りも体力が必要だし、精神と身体両方が成長できる場所だと思いました。

    1泊2日と短い時間でしたが、そんな修行の一部が体験できたのは光栄なことだと思います。

    今後の人生のプラスに出来るよう努めたいとおもいます。

    僕は今までめんどうくさいことはやらない、辛いことはやらないなどという風な考えをしていて,楽な方へと流されていました。その結果自分をコントロールできず、楽なことだけやるなどというような状況にになっていました。ですがこの寺にきて、嫌なことでも我慢してやることの大切さが完全ではなくても、自分なりに分かった気がします。

    朝のそうじ、服のアイロンがけやたたむ作業、お百度参り、滝行、風呂そうじや食事の準備など、辛いことやめんどうくさいことはいくつもありました。ですが、終わった後の達成感はとてもすばらしいものでした。

    滝行も始めの方はただ辛くて出たいと思い、それこそ10~15秒しか入れませんでした。しかし、やっていく内に「どうせやるならできるだけ長く入ってみよう」そんな考えができました。

    他のことも「どうせやるならがんばってはやく終わらせよう」という考えができるようになり、一時の我慢の大切さを感じました。滝行の場合は最初の方は冷たい、でも次第に身体がなれていって滝の水も気持ちよく感じられるようになる、さらに毎回入る時間が増えていくことで自分も嬉しくなる。そんないいことがありました。

    他のことでも、やっているときは辛いでも、終わった後に達成感を味わえるし、はやくちゃんとやれば、その分自分が休んだりすることのできる時間が増える。こちらもいいことがありました。

    今まで僕は勉強や生活において、しっかりと我慢をしてやったことがありませんでした。

    しかし今回、我慢の大切さを知ったので、それを実践してみようと思います。

    勉強も良く考えれれば、我慢して短時間でやればテストでいい点がとれ、さらには終わらせた後、自分が好きなことをすることができる時間を作ることができます。

    このことに気がつかせてくれたこの寺、そしてこの寺の方々に感謝しています。僕はこれからしっかり我慢をして、自分をコントロールできるようになろうと思っています。

    本当にありがとうございました。

    僕は天光寺が、すごくよい場所だと思いました。ネットでは、来てもいない人が悪いことを言ったり、ニュースでも悪いことばかりで、ふしぎに思いました。

    食事はみんなで、机をふいたり食べたものを運んだりしていて、食事の前には食べ物に感謝をこめていたので、すごく良い事だとだと思いました。

    そうじもろうかやトイレ、本どうなどもすみずみまできれいにしていて、すごくよいと思いました。

    なのに、ネットなどでは行ってもいない人が、悪いことを書いたりしていてそういう人たちは、なぜ天光寺を悪く言うのかふしぎに思いました。正直むかついてしまいました。

    住職さんにはいろいろな事をおしえていただき、この五日間ですごくよい意味で変れたのではないかなと思いました。

    滝行は、できなかったのですが、写経・写仏がすごくできて、本来の目的でもある集中力アップが自分の中ではすごくできたと思うので、良かったです。

    般若心経がどうしても覚えられなかったので、覚えられるようにしたいです。光明真言は覚えられたので良かったです。

    企業研修とは新入社員が受ける研修とばかり思っていた、入社十数年目の私に受講することに成ろうとは思いませんでした。

    社内での企業研修は体験もしたことはありましたが、社外でしかもお寺での研修とあって、どの様な研修になるのかと内心不安でした。

    上司からは、選ばれた人材であることと、部門からの推薦を受けた者として、頑張って来いと言う指示で参加しました。はっきり言って自ら進んでの参加ではありませんでしたが、後になって気が付いたことは素晴らしい人材構築の基本が学べ、体得できたと言う感想です。

    研修の内容は、素晴らしく多岐に及んでおり、頭と声と身体を使うものであったり、心の感受性を感じるものであったり、多岐に及んでいました。

    研修を顧みて流れからの自己紹介ですが、きちんとした自己紹介が出来なければ、何度も繰り返し行い、その際の声の出し方も小声でなくハッキリしたもので無ければ繰り返しでした。本当のあいさつをするという事は、とても重要であるものの大変でもありました。

    初めて聞く、挨拶での腹式呼吸法や発声法には厳格な所作があり、驚きに始まりでした。

    つづく、お経の練習(般若心経・光明真言・御宝号・三禮)でも、常に集中して行い、遊びが無いものでした。食事においては精進料理であり、配膳・片付け・整理整頓を全員で協力して行い、積極的な心を育てるものでした。

    回数的なお経のものとしては、般若心経の連続50回,三禮の連続300回、御宝号の連続500回、光明真言の連続1000回と、すさまじい研修になり思い出だけでなく夢にも出てきそうな、研修で無く、修行として位置付けられたものでした。

    そのような天光寺での企業研修でしたが、中身が濃く充実していましたので、嫌になることはありませんでした。そして、次から次に行われる修行の研修ですが、一番気に入ったものとしては、瞑想や写経でした。

    初めて知った般若心経ですが、以前から知っていた訳でもないのに、吸い込まれるようにお経通読も、お経書き込みもスムーズに行えました。感動的なものでした。

    最終日には、住職からの講和があり、意味深で迫力あるもので感動ものでした。

    企業研修を振り返り、天光寺様には感謝致します。

    有難う御座います。

    勤め先の会社は、8割が女性の会社です。それだけに甘いところがあり、企業意識や従業員意識を充実するために、中堅幹部の企業研修を天光寺で行うことになりました。

    企業研修とききますと、どこかの観光地のホテルで行楽を含めたように思われがちですが、今回の天光寺での企業研修では、二泊三日ですが私たち6名が未だかって経験したことの無い、本物の研修ということを知らされました。

    同じことをするにしても、数回とかではなく精神と肉体とを兼ね備えた修行になり、一生の思い出にもなりました。

    初めの自己紹介でも、できない場合は何回もやり直したり、挨拶にしても、声出しの挨拶であり腹式呼吸や発声法まで網羅したものなので、大変でした。

    続いて、お経の練習なのですが、般若心経・光明真言・御宝号・三禮とあり、それはそれは凄いもので、500回や連続1000回の唱えなければならないことがあり、足腰や声がフラフラになりました。

    食事は全て精進料理で、配膳・片付け・整理整頓を、研修者(複数の方がいました。)全員で協力し行いました。

    話を戻して、お経の般若心経は、わずか連続50回を唱えるので、初日は驚きましたがすぐになれました。挨拶にしても普段では発しない大きな声で正確に行わなければ、何度も繰返すと言った凄い研修でした。

    般若心経は、声に出しお経を唱えるだけでなく、写経と言われる書道で書き進め研修するもので、新鮮な経験でした。女性が8人揃ってお経を唱え、一人づつでしたが滝行に一緒におもむき滝を受けたことで、団結心が出来たりもしたことに今回の研修は、思わぬ効能がありました。

    ただ、三禮では足腰に大きな疲労と脱力感が後になって出て、困りましたが良い思い出になりました。

    忘れられない研修のもう一つとして、滝行もありましたが、その前のお百度参りでは「南無大師遍照金剛」を大きな声で唱えながら、往復108回走ってお参りをしました。

    今までのことを忘れず、身体に沁み込んだ体験を忘れれずに、これからの会社でも自分の生活でも頑張ろうと思いました。

    最後に、住職から受けた法話では、感じ入る法話で全員が感動しておりました。

    ありがとうございました。

    入社して一年経ち各営業所から集まった同期と共に、天光寺での社員研修を行いました。先輩に研修内容をききましたが、聞くだけでは解らず体験しないと、苦悩も感動も人それぞれなので、解りませんよと言われてしまいました。

    そして、総勢13名(三泊四日)の企業研修が始まり、天光寺の本堂で挨拶をしてから研修内容の説明があり、服装を研修できるものに交換して、研修の始まりです。天光寺での研修で始まりがある挨拶は、通常の挨拶ところなり、声だしと言うものから始まりしかも礼儀正しくしなければならないもので、初めは驚いてしまいました。

    発声は喉から出なく腹から声を出すと言われましたが、初めは解らずやたら喉が痛くなり困りました。続いて、三禮を行い精神的にも身体的にも極限を味わうことになり、物凄い研修が始まったと

    身震いしました。さらに、お経の朗読や「南無大師遍照金剛」と言う、基本中の基本を身体に叩き込みました。滝行でもお百度参りでも、食事の初めには唱えなければならない大切なものだけに、暗記することが決められました。

    私達の企業研修は、研修できる時間が有るので、お経にしても三禮にしても十三仏真言を、徹底して研修の中に入り込んでいました。

    中には、ゼイゼイ吐息を荒立てる者も居ましたが、団結心と愛社精神から全員で頑張りとおしました。研修では個人も大切ですが、団体行動も大切な物になっていますが、積極的な心や自己啓発なども含まれた研修でした。

    住職の法話では、自己啓発以外に積極性や思いやりや、向上心や決断力もついてもお話をきけたので、人生において素晴らしいことになりました。

    「御宝号」の「南無大師遍照金剛」を500回唱える修行や、「光明真言」を連続で1000回唱えた時は、身震いしてしました。

    瞑想では、反省や懺悔や感謝をテーマに瞑想しました。お香と薄暗い本堂と自然な音楽で、心の中まで癒され、日常生活から解放されました。

    早朝6時に今まで起きたことが無かったり、夜の10には寝るので初めは戸惑いましたが、これが人としての基本時間の動きと聞かされ、なるほどと思いました。

    今までの不摂生を改めて、これからは仕事に生活に目的意識を持って、活きて行きます。

    学校では習わない、新鮮な学びや体験が有り有意義でした。

    会社に勤めて三年が経ちますが、私の会社では三年目前後の者が数名で企業研修をして、充実した社員になるための教えがあります。その中で、私は天光寺におもむきリーダーとして、同僚や部下と共に8名で企業研修を二泊三日のスケジュールで行うことになりました。

    上司からは、企業研修では厳しいことも有るかも知れないが、忍耐を身につけ成長する為にも頑張って来て欲しいと言われました。

    初め研修と言うので、どこかの施設での研修しか考えていませんでしたが、お寺と聞いてどの様な研修になるのか一切わからず想像もつかず、同行する社員達との会話でも不安がありました。

    今回訪れた天光寺での研修では、基本を学ぶことが有り挨拶や声の出し方から始まり、お寺での研修だけにお経の朗読やお百度参りや滝行や、心静か写経や写仏や三禮や瞑想から法話と盛り沢山あり、朝から夕刻まで修業的研修でした。

    朝は6時に起きてから、洗顔後清掃から始まり身体を動かし、それから食事をしてすぐさま修業的な研修が始まりました。その後、スケジュールにある研修を消化してから、寝入るのが夜の10時まで密度の高い研修をしました。

    一日目、二日目と、研修を消化していて、社員同士の連帯感とか助け合いとかが、直接的に感じられたことは良かったです。特に身体的に厳しかった三禮では、全員で頑張り落伍者の居ないように努力しました。滝行でも、一人づつ滝に入るのですが、みんなで応援したして頑張りました。

    二泊三日間、社会から離れ・・・テレビも新聞もスマホもラジオも無い生活の研修体験をして、口に入れるのは天光寺の精進料理で空腹を満たしたので、お菓子やチョコレートや飴やケーキの無い現実に、不安も感じましたが気持ちを切り替えるには、とても良かった研修でした。

    有難うございました。

    私はとある中小企業に勤める者ですが、社命で同僚5名と共に天光寺で企業研修の修行を体験してきました。

    初めは、お寺での修行とあって、どの様な企業研修の修行体験をするのか不安がありました。日数期間は、二泊三日間でした。天光寺の場所は東京の西部にあり、人里はなれた山村に位置していました。

    建物は近代的なお寺であり、外見は瓦屋根のお寺でない事に初めは驚きました。集合時間に集まり、早速の企業研修が始まり、挨拶の練習から始まりました。ただの挨拶でなく、声を大きく正確に出して、礼儀正しく挨拶をしたことがなかったので、何度も挨拶の声や所作を繰返して、挨拶だけで一時間ほど練習しました。

    その後に、お経の練習が始まりましたが、今までお経を話したり声に出したことがなかったので、難解な言葉や言い回しに苦労しました。何度も何度も同じお経を言い、少しづつお経に慣れるしかないので、同僚と共に声が揃いませんでしたが、頑張りました。

    修行内容では、挨拶から始まりお経の朗読や三禮と言われる仏様に対する礼儀などを行い、更にはお百度参りや滝行や写経を行い、身体と精神を統一する修行を行い充実した、企業研修を行いました。

    天光寺で出された食事の料理では精進料理ですが、お粥ばかりと思っていましたが、住職自ら作る大変美味しい料理に驚きました。中には、ご飯やスープをお代わりする者も居て、体験した中では以外でした。

    今回の研修内容にあった滝行ですが、初めはお百度参りから始まり心拍数を上げてからか、滝行になり一人一人お経を言いながら滝に入り、精神統一しました。初めは簡単と思いましたが、滝に入ると世界が変り、何も聞こえず冷たく恐くなりましたが、頑張りました。滝行が終わってからは、身体が温かくなり気分爽快になりました。

    さらに、写経での精神統一の書道や天光寺住職の法話を拝聴して、積極的な自分になることの大切さを教えられました。ありがとうございました。

    私は知人の紹介で、天光寺でのお祓いを行ってきました。初めは不安一杯でしたが、私の現在おかれている環境から少しでも早く、立ち直りたくお祓いを受けました。

    私の今現在おかれている状況は、なかなか眠れなかったことから始まり、週に何度か金縛りが起こるようになり、帰宅して寛いでいるときに急に耳鳴りがしたり、部屋の何処からか異音がしたり、今までには起きなかったことばかりなので、不安が増したことが始まりでした。

    知人に相談したら、知人も初めのうちは如何したら良いのか分からず、知人は私より幅広く知り合いが居ることから、何日後かに私に天光寺の話をしてくれました。初めはお祓いと言う言葉に、何のことか分かりませんでしたが、知人から説明を聞いて「除霊・浄霊」と言う背後霊祓いや、憑依する霊と言う話をしてもらいました。

    一人では天光寺に行けないので、知人に付き添いをお願いしてお寺に訪問しました。電車を乗り継ぎ、駅からまたバスに乗り、天光寺につきました。東京と言っても山村であり人気の無いところにお寺はありました。早々上がりこみ、住職に会いお祓いをお願い致しました。

    お祓いは簡単なものでなく、経過時間も数時間掛かりました。お祓い中は、何度か意識が無くなりましたが、無事に終わりました。お祓いが終わり、天光寺に訪れる前とは、身体が軽くなったり、視界が広がって見えたり、呼吸が楽にできる事に気がつきました。何でも私には、動物霊が憑依していたらしいのですが、今は消え去り今後は憑依しなくなるので、気持ちが落ち着きました。

    超自然のお祓いでしたが、身を持って感じ体験し気分爽快になれたことに感謝します。

     

    「体験修行を終えて」

     

    「滝行をしてみたいんだよね。」友人とそんな話をしており、今回こちらの天光寺の行に参加させて頂きました。

    私は修行というものに参加するのは初めてのことでしたので、少々緊張していたのですが、挨拶の作法から教えていただき、安心して参加することができました。

    行についてですが、お百度参り・滝行共に、自身で考えていたより数十倍の労を感じました。百聞は一見にしかずと言いますが、実際に経験してみないと語れないことは沢山あるのだと実感しました。

    特に滝行においては、私が最も苦手な蛙がおり、参加を辞退しようと思ったほどではあったのですが、スタッフに助けていただき、行を終えることができました。人はどこに居ても誰と居ても、支え支えられ生きているのだと思いました。

    さて、私が行に参加しようと思った本来の目的ですが、私は自分の人生を積極的に生きることができていないと、日々感じていたからです。人間関係においても、上辺をなでたような付き合いかたしかせず、明確な目標もなく生きてきました。しかし、住職先生の法話で、「人間力」のお話しをきき、もっと自分の人生を積極的に生きてみようと思うことができました。

    人生は我慢であり、苦痛もたくさん伴うものだけど人との繁がりを大切に、また、今回の経験を胸に留めて豊かな人生にして生きたいと思います。この度は、住職先生を始めスタッフの皆さんには。多大なる感謝を申し上げます。ありがとうございます。

     

     

    「体験修行を通して感じたこと」

     

    私が今回、体験修行に行こうと持った理由は、もともと滝行というものに興味があったからです。そして、せっかく滝行を体験させて頂けるのであれば、他の修行も行ってみたいと思い、一泊二日と言う日程にしました。

    挨拶の仕方から始まり、昼ご飯の準備・お百度参り・滝行・ヒーリング・夜ご飯の準備と、一日目は心身ともに心地良い、疲れで満たされました。

    お百度参り・滝行はとてもつらく、めげてしまいそうな瞬間もありましたが、修行の為と心を強く持ち最後までやり遂げることができました。これは行の挨拶をし、向かったからには途中で辞める訳にはいかないと言う、思いからでした。

    行をやり遂げたあとには、普段あまり感じることのできない達成感を味わうことができました。そして、心がとても明るく穏やかになったような、気がしました。行の他にも、住職先生とのお話やスタッフとの生活の中でもとても学ぶものは多く、また楽しい時間を過ごすことができました。

    体験修行が終了したあとも、今回の経験で学んだ人への感謝・思いやり・強い心を忘れず、日々に活かして生きたいと感じました。

    住職先生はじめ、スタッフの方々にはとても感謝しています。貴重な体験をさせていただき、本当に有難う御座いました。

     

    初めて滝行という修行を体験し、滝の水の冷たさや落ちてくる水の圧力に驚きました。

    普段は耳にしないカワセミの鳴き声や、雨露にぬれた森林の匂い霞がかった山の緑が、

    どれも新鮮に感じられて五感を通して触発されました。

    また、住職のお話に出てきました人が持つ潜在能力について、私の仕事柄無意識に働きかけることの大切さは、

    日々気をつけておりますが、こちらのお寺でも同じような話をされていましたので、

    「思考力の持つ力」とは自然の摂理なのだなと改めて思い知らされました。

    二日間の短い時間ではありましたが、こちらでした経験を実社会へ活かすことができるよう意識して行動したいと思います。

    お百度参りでのお願いが叶うことを信じて上を向いて歩いて行きます。

    ありがとうございました。

     

    今回私は、二泊三日でお世話になりました。

    初めての体験修行、それも女一人で滝行もある内容だったため、とても緊張していましたが、一緒に体験修行されていた方や、駐在されている皆さんのお陰でとても有意義に過ごさせて頂きました。

    私は千葉県在住で、結婚式場にて人材管理の仕事をしています。

    素敵な職場で、やりがいもありますが、やはり仕事である以上辛いことも多くあります。日々仕事ばかりで、「自分」と向き合って会話する時間が無く、いったい自分は何がしたくて、どんな将来を生きたいいか、そんな妄想をするばかりでした。

    そんな時に、宿泊修行が出来る天光寺さんの存在を知り、自分を見つめ直すきっかけと、自己成長のために、参加を決意しました。参加させて頂いた日程は、平日だったこともあり初日は私を含めて3人、二日目以降は私のみと、ゆっくりマイペースに過ごさせて頂きました。

    初対面の方とでも、お百度参りや滝行を通して打ち解け、達成感を分かち合い写経や瞑想では、ゆっくり自分自身と向き合い、精進料理で身体の中から栄養を頂きました。普段ばたばたと過ごしていると、気づけない風の音やヒグラシの声、人工的ではない山の冷たさや水の冷たさ、無理な調味料が加えられてない、身体を想った料理にすっかり心も身体も、デドックスされた気持ちです。

    駐在されていらっしゃる方々に、とても優しく、若いのに視野広く様子を見て下さる方や、ひょうきんな話で和ませて下さる方など、とても心温かく受け入れて下さいました。この三日間で、学ばせて頂いたことを忘れずに、日々の生活への感謝を持って過ごして参ります。

    日々に疲れ、温泉旅行を計画されている方がいましたら、身体だけでなく心も癒される、体験修行を強くお勧めいたします。本当にありがとうございました。

     

    この度の五泊六日の体験修行を終えて、最初は緊張と不安で胸が一杯でした。正座すれば直ぐに痺れて立てなくなってしまい、五泊六日も続けられるのかなと心配でした。

    一日目は、挨拶の作法をして、その後にお百度参りをしてから滝行にいきました。お百度参りでは、いきなり足にマメが出来てしまい、歩く度にビッコをひいていました。初っぱなからなので、少しお先真っ暗な気持ちになったんですが、痛みには強い方なので無我夢中で行に励みました。一日目の行が終わって緊張の糸が切れ、疲労感がどっと来てその日は21時前には、布団で寝込んでしまったのを覚えています。

    二日目は、本格的に読経を行いました。最初はどこを読んでいるのかもチンプンカンプンで、目で追うのがやっとでした。その後には声出しを行いました。大きい声を腹から出すのは、気持ち良かったです。午後は、お百度参りと川行でした。先日の足のマメが気になったのですが、走っていて不思議と痛みは感じなかったのを覚えています。

    川行は正直暑がりな自分にとっては、楽しみで仕方なかったのですが、実際にやってみると甘くはないと思いました。これがまだ夏だと思うと、ゾッとしました。

    その後の三日目、四日目、五日目も沢山の行をして、沢山の思い出がありました。辛いことは沢山ありましたが、心は充実しておりました。なぜかと言うと、それはもちろん住職先生はじめスタッフの方々が、とても温かい方々ばかりだったこと他ありません。皆様のお話を聞くのが楽しみになっていました。

    長い様であっというまの五泊六日でしたが、この経験を無駄にせず、今後も精進していきたいと思います。

    最後に、いつもそばにいてご指導頂いた、先生には本当にお世話になりました。皆様、本当にありがとうございました。

     

    二泊三日の体験修行を通して感じたことは、修行はこの三日間で終了ではないという事です。多くの事を体験させて頂きましたが、全てをするうえで一番大切なことは、自分自身がどの様に取り組むかが一番大切だと感じました。

    特に実感したのは、写経をした時です。初めは、早くやろうという気持ちで行っていました。途中で見返した時に、自分の字の汚さに驚きました。一字一字丁寧に、気持ちを込めて写経をしたら、その後の達成感や気持ちの良さは格別のものでした。

    ものごとを取り組む上で、どの様に取り組み、どの様に感じたいか、また、自分が出来ることを自分で探し、積極的に行動するか、今後、日常生活を送る上で気を付けて行動していきたいと思います。

    また、テレビでの報道が有ったので、修行に来るのが少し不安でしたが、報道で有った様なことは一切なく、三日間の体験修行を有意義に過ごすことが出来ました。

    この事は、住職先生以下スタッフの皆様の指導のおかげです。ありがとうございました。

    四つ目は、積極的に行動するという事です。以前は誰か他の人やってくれるから大丈夫、とか、別に僕がやらなくても誰かがやるから大丈夫だと思っていました。ですが、天光寺に来て自分から積極的に行動できるようになりました。誰かがやるからいいやではなく、自分から進んで行うことが出来るようになりました。
    これからは、もっと周りを見て積極的に行動出来るように心掛けていきたいです。

     

    修行体験を通じて、感じたことがあります。修行の流れから、私の感じた修行の様々なことを書きしるします。

    挨拶:食事の前に手を合わせて「いただきます」と言って、食事をしたのはいつだったか分かりません。天光寺の美味しくボリュームある食事をしながら、改めて感謝の気持ちを持って挨拶することの大切さを再確認しました。普段は、私は社会人生活の中で会社の先輩から、挨拶が暗いと言われます。今晩、天光寺で練習した挨拶の作法を思い出し、暗いと言われた挨拶を変えていこうと思います。

    行:滝行・お百度参り・写経・写仏・瞑想・・・全てを通じて、心を無にすることの大切さを学びました。そして同時に、その難しさを実感しました。

    滝行やお百度参りは、強制的に心を無にすることが出来ます。そのことより、行を終えた後の邪念が無くなり晴れやかな気分になりました。写経・写仏・瞑想などは、どうしても行中に色々な考えが頭の中を駆け巡ります。しかし、瞑想中に腹式呼吸を意識しながら一点を見つめ、頭の中を無にしようとした時間は、とても落ち着きました。

    今後の生活の中で、忙しくも時間を見つけて心や頭の中を無にする、時間を作って生きたいと思います。

    住職:法話を聞いて、住職が実業家であったことに驚きました。住職のお話を聞いていると、自由でいいなと言うように感じました。私が思ったのは、お寺なのに料理でキムチや春巻きが出て来たときにお寺の料理のイメージを裏切られました。しかし、住職の生い立ちを聞いているうちに韓国と親交が有ったことや、料理店を経営してたことを知り納得しました。

    お寺だからということに縛られず、積極的にある程度は自由にやっていくことが、気を病まない秘訣ではないかと思いました。もちろん、自由すぎるのはよくないかと思いますが、住職に習った積極的なマインドを持っていきたいです。

    短い間ですが、大変お世話になりました。ありがとうございました。

     

    天光寺に来てから、16日が過ぎました。勉強道具をドリルを添えて送ってくれて、本当にありがとうございます。勉強の方は送ってもらってから、4~5ページずつやっていたのですが、最近は写仏・写経などしていて、あまり勉強していませんでした。

    時間を作って、復習をしっかりします。1日1日を大切に言われたことなど意識を確り持つことで、よい意味で自分の考え思い方などをあらためようと、毎日思っています。前まで信じていなかった見えないものの存在も、自分の中で本当にいるんだと変りました。

    その理由やキッカケは、何と表していいのか分からないのですが、天光寺での除霊やお祓いを見て聞いて、改められました。そういった見えない者にねらわれたり、とりつかれたりされないために、良い意味で自分の心や考え方を持ち、積極的に取り組み天光寺で過ごす一日一日を大切に、良く考え自分の中にいる悪い者や悪い考えなど、滝行や川行など様々な行を通じてその行に何の意味があり、どういう風な気持ち考えで取り組まなければならないのか、よく考えて行に励んでいます。

    他にも真言などに、どんな意味が込められているのかなど考えて、取り組んでいます。瞑想では自身の心、体もそうですがゆっくりと落ちつかせ、感謝・反省・懺悔することで、まず何が悪いのかったか、何にどんなことに感謝しなければいけなかったか、落ちついた身心で考えることによって、前には至らなかった考えや感謝や思いなど、反省することがたくさん思い出され悔やんでいます。

    そして、一番大切だと改めて思ったことや、同じ過ちや同じ失敗を繰り返さない。失敗してから学ぶこともたくさんあるが、その後にどういった行動をするのかなど、とても大切だと思います。自分が今感じたことや思っていることや自分は少しでも変化しつつあるのか、自分は本当に家族として認められるのか、お母さんは本当にやさしいでも今まで自分がしてきたことは、一番してはいけないことだった。だから自分に出来ることは何だったか、ふり返って考えている所です。

    自分がこの天光寺に居られるのも、家族のおかげでもあり周りの人達のおかげで、過ごせる一日一日を悔いのない生活にし、常に正直な気持ち思いやりの気持ち、自分がやりますという奉仕の心や素直にごめんなさいと言う心など、今まで欠如していた考え方をしっかりと学び考え気づきを大切にして、過ごします。いつも本当にごめんなさい。毎日とても、感謝しています。そして、体調や体に気を付けてください。本当に、いつもありがとう。

     

     

    三泊四日の体験修行は、初日の挨拶作法では普段知っていながら実生活では行動できていない自分に思い当たり、大切だと考えたことを行動していくことがいかに大切か、しかもそれが基本的なことだと思い、いつの間にか基本も忘れていたのだと気付きました。

    写仏は集中力を高めることと、一つのことしか行わないということが、普段仕事や家庭や将来のことをあれこれ考えてしまう思考を止めて、脳の別の部分を使っている感覚が心地よかった。

    いつもの生活の中に写仏を取り入れても、同じ効果が得られるであろうか、法話は仏教がインドから来ていると知った。私はヨガなど遣っていることもあり、今回天光寺様にお世話になっているのも偶然ではなく、引き寄せられたのではないかと思いました。

    住職の話は一時間半有りまたがとても分かり易く、エピソードも交えて面白かったです。特に自分に残ったエピソードでは、「己を知ることが大切」と言うことでした。

    信念・気迫・根気~自分を知った上に構築していく瞑想は、無になる時間は一分も持たない。考え過ぎる、無とは何かと言うテーマになってしまっている。1-1=0、確かに0に成れば何でも受け入れられる。

    十三仏真言・般若心経は、私がカラオケに行くと寝たふりをするほど、音痴だということを思い出させてくれたりもしました。

    滝行・川行では、意識の使い方を他に向ける。意識と、身体を分ける。身体を、意識で使う。自分の意識を体現してくれているのは、自分の体だけだから身体は大切にする。本当に身体には感謝し、意識は身体と別に成長させる。

    全体を通して感じたのは自分は複雑に考えすぎだと言うこと、あれこれ有り過ぎて力が分散している。生きる目的をシンプルにとらえて行動したほうが良い。シンプルに考えれば私の体が全身全力で応援してくれる。五感を使うことで体を知ることが出来た。まだ未熟ではあるが、体内スイッチを押せば目的に近づくと確信をしている。等々でした。

    みなさん、ありがとうございました。

     

    平成二十九年五月四日より三日間、大変お世話になりました。滞在中は、お百度参りや滝行や川行や、写経・写仏を書き込み光明真言の復唱を体験させて頂きました。

    体験修行の参加目的は、「自分の内面を見つめ生きる目的と向き合う」ことでした。自分の人生において、何度目の修行か失念してしまったが、今回の修行は希望していた自分の内面と向き合うものでなく、外部の刺激などで肉体を行使する精神修行に、多くの時間を使いました。

    三日間の滞在で気付き得たことは、繰り返し行う力である。行う対象が、写経・写仏・お百度参りであろうと繰返すことで、前回の自分よりも微々たることながら自己成長を体感でき、無意識に自分のエネルギーに成っている感じを感じました。

    対象物が何であれ、極めた方が発するオーラや気概などは、繰り返し行われた修行の成果が生むエネルギーなのであろうか、そう強く感じることが出来る三日間の滞在でした。また、意味を理解できず繰り返して何かを行うことで、自分で意味や目的を見出し納得させることが出来ました。本当に体験をする炉いうことは、自分で意味を見い出すことなのかも知れないです。

    自分は東京を拠点にビジネスを行っており、日々の生活で修行を行うことは難しいが、日々の生活でも真摯に毎日を繰り返し、エネルギーの有る人間になって生きたいと、今以上に強く願えるようになった三日間でした。

    お世話になった皆様方、本当に有難うございました。

     

    人生初めての修行は、都内に住んでいる私にとってアクセツの便利さで選んだ天光寺だった。安易に予約したが、いざ訪問してみると線香の匂いと広間の真正面で静寂の中、存在感を放っている観音様に圧巻された。ここでようやく身の引き締まる思いと緊張感が出て来て、二泊三日乗り切れるか少し不安になった。

    だが、案内してくれるスタッフが気さくで、面白おかしく説明してくれたので、すぐに心配は打ち消された。受付用紙に名前や動機希望を記載後、さっそく修行がスタートした。まずは基本の挨拶から、叩き込んでもらった。とても大事なことで、日頃の多忙な生活ではついつい忘れがちである。

    私は今の職場に勤めて約一年が経つが、毎日の残業や上司の厳しい指導を受ける新人として、毎日を過ごしている。私はガムシャラにとりあえず仕事をこなすことだけが、精一杯だった。仕事の内容も特別やりがいの感じられるものではなく、ただただ会社に使われている機会人間のような気分でもあった。そんな私にも娯楽は必要であり、私の場合は飲酒であった。ここ一年、連休や平日や昼夜関係なく飲みに出ていた。

    仕事に遅刻したのは当たり前で、お金も無くなって行くし親しい人も離れていった。一年経った今、ふと去年の自分と比べると、いろいろ遣った年だった。小さなプラスになることを日々積み重ねて、大きな成長を成し遂げる人生を送りたいのに、このままでは真逆の道を歩むことになると気づき、今回の修行を決断したのだった。

    数ある修行体験のうち、最も印象に残ったのは「滝行」でした。一日目、負けないと覚悟を決め滝に入るも数秒でリタイアしてしまった。二日目は悔しかったので、腹式呼吸と「滝と一体化する」と言う、指導員のお言葉を胸に再チャレンジすると、宜しいと言われるまでずっと滝に入っていられた。このことが一番、自分で目に見えて分かった成長であり、嬉しかった。

    ケンカするぞと言う気持ちで滝に入ると、打ちのめされる様に人生もまた同じで、帰宅したら周りの人々をもう少し注意深く見つめ、同調する気持ちを大事にしてみようと思った。二泊三日、ありがとうございました。

     

    2017年5月2日からの体験修行で、目的は主に滝行を体験し、今まで体験したことのない感覚と見たことのない世界に、踏み入れることでした。好奇心と心身の鍛錬が混ざった行動です。

    着いてから、挨拶の作法の説明を受けた時、今更ながら挨拶の大切と見知らぬ初対面の方への

    自らの挨拶に未だ緊張してしまう「昔の」自分がいました。

    今の私は接客業に携わっており、従業員としてお客様や社内の方へは率先して緊張もなく挨拶できるのに、いざ職場から離れ身一つになると、今までウンザリするほど愛してもいたり嫌いになったり感謝したり申し訳ない気持ちになったりしていた職場が、私にとっては「鎧」となり「刀」となっていたんだなと感じました。

    職場で緊張してしまうということは鎧や刀は装備品なので、私は未だ血・肉・骨になっていないと言うことを痛感しましたので、自分自身に負けてたまるかと痛感し勤行に勤めました。

    光明真言や般若心経は何度も繰り返し唱えて行くうちに、最初は足がつらくて集中出来ませんでしたが、二日目の瞑想の時間には今まで出来なかった胡坐が出来るようになり、それ以降の勤行は唱えることに集中することが出来ました。瞑想の時には、自分の先祖や親戚の顔と声を思い起こしていました。

    本来の目的であった滝行は、声がかき消されてしまい水の勢い力に圧倒されました。身体は冷えましたが、滝から出た後は、滝行をする時間を作ってくれた職場の人への感謝や、今まで辛いことも沢山あったのに楽しい思い出とか笑顔とか笑い声が、脳内に心地良く響きました。体験修行から戻ったら、心から「ありがとう。これからも一緒に頑張らせて下さい。宜しくお願いします。」と挨拶します。

    この体験から世界は広く、自分が出会っていない人やこれから出会うっていく人も沢山いるんだと、今までのことが意味がない訳ではないと言うことも改めて分かりました。今まで、井戸の中の蛙の気持ちでしたが、こうして体験できて良かったです。今の会社の人達に、感謝します。そして、天光寺の皆様ありがとうございました。

     

     

    霊能者から、私の運命をも惑わされそうな話で悩んでいました。その霊能者は、真の霊能者にあるまじき金銭要求だけが強い自称霊能者であるとわかり、真の霊能者を探していて天光寺に辿り着きました。

    以前の自称霊能者のことを思い出すと、霊の存在など知ってか知らずか今想うと、詐欺まがいなことで揺さぶられたかに思えてならなかったのです。

    天光寺では充分な相談後に霊視を行ってもらい、私の現状を踏まえたカウンセリングまで聴取して、丁寧な確認作業をされました。さらに、霊視で浮かび上がった霊に対する浄化や除霊を行い、適切なお祓いを施して頂きました。

    私の霊は奥が深い霊と霊視されましたので、降霊や説得作業や悪霊であった場合の悪祓いも想定した、念入りなものでした。最後には霊能者しかできない、天元霊符(自動書記)で炊き上げまで行い、完璧な除霊で助かり霊の恐ろしさも分かりました。

    霊の恐さでは、一番恐かったのは憑依される霊によるかなしばかりでなく、意味不明の不幸が続くとか如何しょうもない怪奇現象を、観てしまったり感じてしまったりで落ち込んだりもしたので、真の霊能者に除霊をお願いできて良かったです。

    有難う御座います。

     

    私が天光寺で除霊をしてもらい、今は安穏に生活しているのには、天光寺で私に憑依していた霊を除霊と浄霊で霊を霊界へと、送り返して頂いたからです。

    私はいつの頃からか必ずと言って、何者から押さえつけられる金縛りで、睡眠中に身体の中に入り込まれることや、何かを銜えさせられることの連日でした。激しいときには、生理も無くなり食欲も落ち込んで点滴を受けたことも何度かありました。特に何かが私の身体の中に入ってくる金縛りでは具体的な体感が有ったり、体内で迸る液体を感じたときなどは涙が流れ落ちると言った現実でした。

    数年後には三十路になりますが、今まで異性との交流も無く過ごしてきた私ですが、一度だけの悪夢ですが帰宅途中に性犯罪の被害者になり、誰にも言えずに耐え忍んだ経験がありました。そのときの恐怖と経験からか、金縛りや何かが憑依しているとしか思えない生活になってしまいました。時には、憑依した霊から無理難題の金縛りを強要されたり、睡眠不足で日中に倒れたこともありました。

    友人からは何かノイローゼではないかと、確りしなさいと忠告されたこともありましたが、異次元からの作用で自由にならない自分の肉体が、弄ばれている日々の辛さに混乱していました。原因が分からず悩み過ぎていたときに、友人から紹介されてた天光寺での除霊を聞いたときはそんなときでした。初めは縋る思いで聞き入り、天光寺での霊視確認で明るみになった霊の存在に、愕然としました。過去にあった事象よりも、その後に入り込んだ霊の悪霊で苛まれた憑依で、私は混迷していたのでした。天光寺で除霊は数時間も掛かりましたが、最終での浄化では苦しみを排除でき安堵できました。

     

    一年前辺りから帰宅して休息して寝入る頃になると、必ずと言って家の中で物音がしていました。初めは小動物か風か軋みかと思っていましたが、最近では声のように聞こえる響きがあったり、棚に飾ってある物が振動もないのに落ちたりと、目立つものがあり不安になりました。私は地方から上京して来て都会で住んでいるので、相談する相手もいない独り住まいなので、不安が重なってしまいました。

    同じ地方から上京して来ている友人に、思い余って相談して見ましたが、これと言った解決策もなく日々の日数だけが過ぎていました。ある時など、閉めたはずのドアが開いたり、箪笥の物入れが落ちたりと不気味になる思いもしました。自分では想いたくないのですが、怪奇現象という言葉が頭をよぎり帰宅したくないと言う、軽いウツ現象にもなりました。

    後になって聞きましたが、私の住んでいる集合賃貸住宅は、過去に幾つかのお墓があったことなどがあり、何人かは気持ち悪がり引越ししたことも有ったと聞かされました。私には何の霊的な現象は無いのですが、家や土地にまつわる何にがしらかの霊が有り、現象を起こしているのではないかと天光寺の住職から助言を頂き、室内や室外の要所を撮影してお渡しして鑑定して頂きました。

    その結果、憑依する霊の存在が霊視できるとのことで、早急なお祓いをお願い致しました。除霊のお祓いを念術で行い、更に浄霊もして頂きました。不思議なもので、その後は何も起こらず穏やかな生活を過ごしています。ありがとうございます。

     

     

    女友達と二泊三日の旅行に行き、観光地で何枚もの写真を撮影して、楽しい中帰宅しましたが数日後に女友達からかかってきた電話に、頭を殴られた思いで受話器を落としてしまいました。

    女友達の話では、近日中に会う約束になっているのですが、私を撮影した陰影だけに奇妙な現象が出ており、俗に言う心霊写真になっていると言うのです。数日後仕事が終わり待ち合わせし、女友達から渡された写真を観ると、私の肩や腕にまとわりつく誰かの腕が写しだされていました。それからと言うもの気になり、寝ても覚めても私の身体にとり付いているとしか言えない腕に、不気味な感覚はないのですが、食欲さえも落ちてしまいました。

    数日後、検索で見つけた奥多摩にある天光寺に、半信半疑で相談と共に電話を入れました。相談内容では、電話だけではわからないので、写真と共に来寺院することを促され予約いたしました。仕事の関係があり即日来寺院できませんでしたが、予約訪問で住職に写真を渡し鑑定して頂きました。住職いわく、お祓いの霊視と言われる確認作業をしてから、具体的な除霊をされるとのことで従いました。

    その中で、私には獣の霊が入り込んでいるだけでなく、観光地に住み着いていた人間の霊までもが憑依しているとのことでした。初めに獣の除霊をしていただき、続いては憑依している人間の除霊をしていただき、憑依している悪祓いまで長い時間を費やして、除霊して頂きました。除霊では、急に身体が重くなったり軽くなったりの連続があったり、手足が意識しないのに動かされたり、思いもよらない動きにたじろぎました。

    除霊最中に金縛りもありましたが、除霊後にはスッキリした感覚になり天光寺で憑依霊の怖さを教えられ、除霊して頂いたことに今は安堵感が感じられる、平凡ですが穏やかな日常を迎えられたことに喜んでいます。

     

    身体の中にいる誰かが、私に話しかけはじめて半年が経ちました。か細い声で私に話しかけ、熟睡もできずに心身ともに疲れていました。主人と二人の生活になって数年たち、第二の人生を楽しみにしていましたが、今から半年前あたりから誰かが私の耳元で、私の名前を呼び始めました。

    主人にも相談してみましたが、気のせいだろうと言い放つだけでした。話しかけられた後には、主人には内緒にしていた過去の、様々なことを話して来ました。或るときには、話しかけられるだけでなく私を金縛りに掛けたり、私の肢体を弄んだりもしました。

    今回、天光寺で霊能者である住職様に、初めはお祓いをしていただき霊視やカウンセリングなどの確認作業をしていただき、更に浄化・除霊をしていただきました。私は奥がそれほど深くはなかったのか、以上の除霊で耳元でささやく誰かわからない話しかけられることが、その日の晩から無くなりました。話を掛けてきた者の特定は最後までわかりませんでしたが、話しかけが度重なり連日になると、聴くまい聴くまいと想っていても入り込んでくる誰かが、身体の中に住み着いているのかと思うと、否定しても彷徨い入り込んでくるのか、逃げられませんでした。

    天光寺で行われた除霊は数時間に渡行われましたが、時間だけではありませんが除霊できて感謝しております。住職からは、除霊の後の生活習慣について幾つか助言を頂き、感じ入りました。他人には聞こえない声でしたが、意識として聞こえていた声にこんなにも振り回され、困窮したのは初めてでしたが、助かりました。ありがとうございます。

     

     

    短大を卒業して一度就職しましたが、数年で退社して親元で家事手伝いと言い訳言いながら、毎日を過ごしています。朝は起きないで昼近くに起きて、昼食が朝食でその後にシャワーを浴びてから動き出すという生活をしていました。反対に夜は深夜まで起きていて、テレビを観たり本を読んだり、何もしないでベットに横たわって過ごしていました。

    いままで将来の夢はありましたが、今は無いといったほうが正直なところです。自分には何ができるのかできないのかも分からず、仕事をしない事への危機感も感じず過ごしていました。父親からは早く嫁にに行ってしまえと言われ、母親からは私のよな女は嫁にもらってくれる人は居ないと言われ、兄弟姉妹からはお荷物といわれる毎日でした。

    天光寺に来ることになったのは、気分を変えるのには寺院での体験修行をして、引き篭もりなどで社会に受け入れられていない人は、修行することで人格の変化が得られるといった週刊誌の記事を読み、どこかで体験修行して引き篭もりを改善してくれそうな寺があるのかなと、興味本位で探していて見つけた所が天光寺でした。

    初めは観光体験的な考えでしたが、聞くと観ると来ると修行開始では内容が違い過ぎていて、すぐにでも帰宅したくなったという情けなさでした。朝は早いし夜も早いし、テレビもラジオも携帯電話も通じない山奥なので、世間の事情と情報が分からない先での修行になりました。

    父親や母親からは、帰ってこなくても良いと送り出され、兄弟姉妹からは尼僧にでもなってしまえと捨て台詞を言われました。行くところが無くなってしまったような私は、半分諦めで天光寺に入山しました。私以外に数人の修行をされている方がいましたが、みなさん真面目で瞳が輝いていました。年齢も中年女になり、異性もいないし仕事も無いし住む家も無いでは、最悪でした。

    天光寺には色々な悩みや何かをやり遂げたいとか、中には不登校やイジメや私のような引き篭りがいて、スタッフに助けられながら日々過ごしていました。修行では参加した者でなければ分からない、上手く言えませんが多くの修行があり慣れ知るまでには数日かかりました。

    天光寺には一ヶ月も居ればおおよその日々の過ごし方や、修行の進め方はわかりますが内容が深いので、中には数年滞在している方もいるほどでした。今帰宅して、家の荷物と言われたくないので、いままでの私はやめて新しい私になります。危ないときは、また天光寺で修行したいと思っています。

     

     

    僕はいつも一人で、友達がいない生活を続けていました。でも、天光寺で聞いた話しでは、待つのではなく自分から入っていく積極性を持つことで、友達もでき楽しい生活が感じられると聞きました。

    初めのうちは登校していた学校ですが、中ほどから授業も面白くなくなり、何を話しているのか分からないとこなどもあって、一段と学校に行きたくなくなりました。

    親には、学校に行くと言って家から離れた公園や河原で時間を過ごしたり、腹がすけば弁当を食べて家に帰るといった生活をしていましたが、すぐに学校から自宅に先生が来て学校に行ってないことが、両親に分かってしまいました。父親からも母親からも怒られ、学校の先生からも怒られました。怒られると学校に行きたくなくなり、おばあさんの家に逃げ込んだこともありました。

    天光寺に入れられたのは、学校の先生からの両親へのアドバイスから、両親が決めた不登校児の僕を家庭でない寺で修行することで、立ち直られると言ったことからと住職から聞きました。お寺には、テレビもラジオも新聞もマンガもゲームも無く、携帯電話やゲームは取り上げられ、甘いお菓子やチョコレートも食べれない所でした。

    街中でなく、人が住んでいない山奥のお寺なので、夜は真っ暗でけものの声しか聞こえてこないところだったので、初めのころはなかなか寝れませんでした。食事も葉っぱばかりのおかずにご飯とスープだけで、肉や魚などは食べられない料理ばかりで、お腹が毎日空きました。学校に行かないだけで、山奥の寺で修行という泊り込みを4週間続けました。

    修行先では、僕と同じような生徒や児童もいて、大人でも何人もの年長の人がいました。みんなそれぞれに修行していましたが、同じことを一緒にしたりもしました。お経や写経や瞑想や法話では、難しいことがいっぱいあり大変でした。滝行では、初めのお百度参りで疲れ、滝の冷水では死んでしまうのかと初めての経験をしました。

    僕は学校より何かの仕事をしたいので、住職からは仕事をする前に勉強しないと仕事ができませんと言われ、少し悩みましたが住職の話を聞いていると、そうなのかと分かりました。

    早く仕事をしたいので、学校に行ってがんばりたいです。

     

     

    コンプレックスを持っていた私が、天光寺での修行をしているうちに、コンプレックスという小さなことに慄いていたと分かり、今では信じられない自分になったと自覚しています。私のコンプレックスとは、人前で話せないとか何事にも自信が持てないとか、誰にも在りがちなことと言われていましたが、それが私にとっては大きな問題だったのでした。表現も下手であるし、まとまったことも言えない自分に、自分の性格なのだと諦めていたのです。

    天光寺での修行では住職からの法話を聞き、瞑想で自分の内面を心静かに思い、冷水の滝行で身を清め邪念を捨て去り、生活環境の一変した施設で、自分を試して見ました。

    何事にも臆病な私でしたが、他人への思いやりのないことを知らされたり、嫌なことでは逃げさるといった消極的なことを克服するために、お経の朗読だけでない自分の身体の筋肉を使った、活動的な作業や所作を行ったことで目から鱗でした。今ままでの私の短い人生で、これから先の長い人生を考えさせられた、厳しくも温かい指導で修行最終日まで、導いて頂きました。

    今回の修行では、私以外にも多くの修行者が、天光寺で日夜与えられた修行を黙々とこなしていました。修行は全て修行者個々人のためになるものなので、全員は真剣に修行を進め片時も時間のあるがままに、写経や写仏や瞑想を続けながら日々を過ごしていました。

    今回の私の体験できた修行では、コンプレックスと言う些細なことから脱皮した自分を発見できたという、ありがたい修行でした。他の修行者では短期も長期もいますが、皆さん心して自己スケジュールを全うされていて素晴らしかったです。

     

     

    私は体型的に子供の時から、背が低く肥っていて美人でもないので、学校でも職場でもイジメに遭ってきました。人前に出るのも好きなほうでなく、好きな男性がいても遠くから覘いているだけの臆病な女です。ただ、いつかは自分を変えたいと思う気持ちがありましたが、どうすれば良いかも分からずに悩んでいることの多い、女でもありました。これと言って特技もなく、人からも羨ましがられることもなく、このまま死んで行くのかと思ったこともありました。

    姉妹で姉はいるのですが、姉は家族の旦那さんと子供のことで、私の相談も聞き入れて貰えませんでした。両親とは一緒に生活しているのですが、何気なくいつものように結婚しないのかとか、付き合っている男はいないのかと聞いてきたり、頭の痛いことばかりでした。

    天光寺を知ったのは、一人寂しく部屋に閉じこもって、パソコンで検索をしていたときに偶々知りえたことからです。ホームページの中には宗教的な修行もありましたが、イジメを克服する修行も有りそうなことから、積極的な人格形成を導く教えもあるとのことで、申し込み参加しました。

    私の身体的なことは別にして、自分を精神に強くする為のきっかけを、天光寺は明確に指導してくれました。私の仕事は契約社員なので、中長期の休暇はとり易いので修行に参加しました。

    期間は一ヶ月の休暇をとり、人生を変えるための修行として、外界とはなれた修行を女一人でできる限界として、天光寺での精神修行に参加しました。初日は挨拶に始まり、お経の朗読と言ったことや修行生活の案内で終わりましたが、翌日には早朝6時に起きて夜は10時には消灯で、朝は洗顔掃除に始まり朝食後は瞑想と、限りなく修行が始まり動と静で曜日も分からなくなるほど、厳格な修行を修行参加者数人で連日行いました。

    修行も一週間も過ぎてくると、後から参加してくる修行者を手助けすしたり、時には簡単な指導をするようになり、充実感が感じられてきました。誰かのために、作業や案内することの喜びなども体感し、今ままでのイジメられていた自分からイジメに対する、積極的なイジメに対処できる自分の変化が感じられたりもしました。

    またの機会に天光寺の修行に参加して、未来をつかむ成長できる自分を見つけに来たいです。

     

     

    私は学校に行こうとすると、どういう訳か頭が痛くなります。時にはお腹が痛くなり、布団の中に入ってしまっていました。お父さんやお母さんから何度も学校に行くように言われも、最後にはお父さんやお母さんをののしって、自分の部屋の布団に入り込んでいました。

    天光寺に来たのは、おばあちゃんからの東京にあるお寺で勉強しないかという誘いでした。学校に行かないでも、勉強ができるならと天光寺に来ました。天光寺には、3週間お世話になりました。

    天光寺では、朝早く起きて掃除をしたり静かな部屋で音楽を聴きながら、自分のことを考えたりしました。今までの生活と違い、何人かの方との共同生活を始め、お寺の修行でお経を読んだりしました。

    お寺の外では、お百度参りをしてから滝行や川行をして、自分の気持ちを精神統一し気合を入れて、滝の冷水を全身に受けました。冷たかったけど、今思うと気持ちよかったです。滝行は、合計5回入りました。一緒に修行していた人の中には、7回も滝行に入った人がいて驚きました。

    天光寺では、1ヵ月とか2箇月とか長期で修行している人も居て,みなさんまじめに修行しているのを見て、わたしもこれからは家でも学校でも、がんばる気持ちになりました。はじめてのことが多かったですが、学校で習うよりも頭に入ってくる勉強がたくさんあって、大変でしたが大切なことばかりだったので、がんばっておぼえました。

    来週からは、学校に行くために早起きして、お父さんお母さんにほめられるようになりたいです。3週間はきびしかったけど、良い体験になりました。

     

     

    僕は1ヵ月前までは、仕事もせずに家の隣にある親父が作った小屋で、寝泊りしながらゲームばかりしていました。学校を卒業しましたが、就職で失敗して家でゴロゴロしていたら、自分でも驚きましたが30歳になっていました。風呂も時々しか入らなかったせいか、母親からは臭い臭いと言われていました。昼間は寝ていて、夕方から起きて深夜までゲームをしていました。

    友達も尋ねてこないので、外出もせず薄暗い小屋の中で音楽を聞き名から、一日が過ぎていました。天光寺に来るきっかけは、親父が市役所の民生委員に相談したところ、その人の友人が天光寺を知っていて、僕が天光寺に来ることになりました。

    初めは、一週間という話でしたが、実際は4ヵ月間天光寺で修行を継続しました。修行では、挨拶に始まり挨拶に終わる生活や、お経を覚えるための朗読を100回200回と・・・毎日声を出して頑張りました。お経以外には、お経を書きとめる写経を書いたり仏様を書く写仏を書いたり、お寺の外ではお百度参りをした後に滝行で、精神統一を行いました。滝行は、10回以上入りました。食事は全て精進料理でしたが、美味しく食べました。只、好き嫌いとか食べ残しは許されず、感謝して食べることを住職から指導されました。

    布団も自分で出して自分で片付けたり、朝は6時に起きて夜は10時に寝る規則正しい生活をすると、今までの生活と違うので初めは驚きましたが、今ではお寺さんの生活に慣れて当たり前になりました。来月には仕事探しをしたり、ゲームをしないようにゲームを処分することを、両親に誓いました。お母さんは、涙を流して喜んでくれました。

     

    学校を中退して、実家の商店を手伝いながら通信制の高校に学んでいます。知り合いから、学校に行かなくとも大学が受けられる方法がいくつか有ると言うことで、通信制の高校とか大学受験検定とかで、大学進学を考えています。通信制はスクーリングがあり検定は受検するだけなのですが、実家に負担もかけさせたくないので、自分なりの方法で仕事と学業を平行させています。

    実家にいると、旧友が時々遊びにきますが、最近の旧友がやたら子供に見えたりする変化に、分からずも感じています。半分社会人になっているせいなのか、生徒として旧友は過ごしてばかりなので幼いのか、同じ歳のはずの旧友が別の空間にいるような感覚になりました。

    実家の仕事は思ったより忙しく、仕事時間の変化も多くあって、両親の忙しくしている姿に今までは想わなかった感謝する気持ちになりました。

    天光寺で体験修行することは、町内会で体験修行を経験した方から、昔と違い今では女でも確りした計画を持ち意識を固めるためには、学校ばかりでない寺院等での体験修行を通して、早く成長した方が良いと聞き、場所や連絡先や簡単な修行内容を聞き申し込みました。

    実家からは、電車とバスで4時間以上かかりますが、両親からも背中を押され参加しました。私の参加することには、両親も初めは驚いていましたが、賛成してくれました。

    寺院に到着して挨拶して申し込み受付をして、順次体験修行者数名での修行を開始しました。初めは作法挨拶から始め、お経の朗読に入りさらに光明真言に入り三禮と、進んでいきました。同じく体験をする方の中には、同年代だけでなく年長者もおり様々な方が来ているのだなと感心しました。翌日からは早朝から起床洗顔掃除と、続けざまに行を行い全てが修行であるとの教えから、食事も布団の片付けもと、全身全霊で短期の修行ですが、出来ることへの挑戦と思い頑張りました。

    写経では何枚か書き記した般若心経を持ち帰り、滝行では冷水の中で感じた無心を思い出し、法話や瞑想では思いもしなかった現実と安楽と苦悩を、教えを思い出しました。帰宅したら両親からは、なんと言われるのかを楽しみに体験修行を終了し、帰宅します。

     

    ノイローゼなのかと思い、天光寺に電話して住職と話をする機会を得て、その中で体験修行することで我が身を落ち着かせてはと助言され、体験修行に参加しました。

    体験修行では挨拶の所作から始まり、作法として挨拶や腹式呼吸発声法、お経の練習、三禮を行いました。

    中でもお経の般若心経では連続で100回唱え、南無大師遍照金剛の御宝号は500回も唱えました。実のところ翌日には、1000回唱えました。それ以外には、光明真言を1000回唱えて無心になることで、頭の中のもやもやが消えて行くような感覚になり、翌々日にはお百度参りをしてから滝行に打たれることで、気持ちもすっきりした状態に変っている自分に驚きました。

    初めは言われることだけを行う体験修行でしたが、徐々にお経のありがたさやお経を書き進める写経では、書いた字に心が表れると言われ神妙になり書き進めました。

    中でも光明真言は、発音したことのない発音なので初めは上手く発生できませんでしたが、習いながら始めると少しづつ光明真言の流れがつかめ、少しづつ連呼することが出来ました。連呼では、お経も御宝号も光明真言も、何かの効能があり伝わって来ているのか、不思議な感覚になり体験修行に参加したことに、医院への通院することなく解決できると確信できました。

    自分の将来も考えて、確りしないといけないと言う意識で、体験修行に参加して良かったとも電話で相談したときを思い出し、感謝しています。

     

     

    高校を卒業して、一度は生活してみたいと想っていた都会に、就職を理由にして来ました。私の故郷では、大きな建物もなく車も多く走っていませんし、街中でも人々の往来は少ないのに、都会は全てにおいて建物も車も人も多く、驚きの連続でした。

    昼間は会社で仕事をして、帰宅しては会社の独身寮で過ごす、典型的な地方出身者のお定まりでした。休日は同僚と買い物に行ったりもしましたが、慣れない日々の勤務から休みは寝て曜日になることが多いです。衣食住ですが、会社の制服に始まり社員食堂で栄養を取り、寝入る先は会社の独身寮と、全てが会社関連で便利にも、都会を感じさせないで過ごせる環境でした。

    就職して一年が経ち、少しの仕事先での余裕も出てきたかに思えた先月に、会社から新人の体験修行で選出された何名かが、天光寺で体験修行を体験し社会人として成長する機会を与えるとかで、参加することになりました。参加では、大人数の企業研修というものでなく少人数の体験修行と言うものでした。私たちは体験修行が、仕事の一環でもあると釘打ちされ、神妙な感覚を持ちながら参加しました。

    社内には先輩で体験修行された方もいましたので、天光寺で行われる体験修行の内容を聞き漁り、心の準備と予測できない環境の準備をしました。そして、大まかな体験修行経験者から聞いた内容は、お経朗読に滝行に法話と聞いていましたが、実際には多くの抜け落ちた修行があり、内容も濃厚でそれはそれは驚きの連続でした。

    般若心経の朗読は100回、御宝号の南無大師遍照金剛は100回から500回に1000回と、

    光明真言は1000回と腹式呼吸を利用しての声出しと、ハードな体験修行でした。就寝では全員が、吸い込まれるように寝入りましたが、早朝起床では、跳ね起こされました。

    滝行川行では、弘法大師像の前でお百度参りを行いすぐさま滝行に赴きましたが、冷水の滝行で

    今までに体験したことのない水圧とお経の連呼で、意識が少し薄らいだのを感じました。さらに修行は、食事も睡眠も清掃も体験修行とあって、聞くと体験するでは大きな違いが有ったと感じました。

    そうこうして体験修行は終了しましたが、終了後に感じた爽快感とお経朗読の余韻で、今回の体験修行に参加できたことに感謝して、体験で知りえた行を次回に結び付けたい感覚になりました。

    ありがとうございました。

     

     

     

     

    大学に進学はしましたが大学の講義にもついて行けず、学内サークルにも誘いは有っても入会もせず、立ち寄るところもなく大学と自宅を往復するだけの毎日でした。顔見知りはいるのですが、友達と言えるまでの同級生もいないままに、大学生活を過ごしていました。

    天光寺の体験修行は、学内食堂の掲示板に張ってあった広報誌に、「滝行を受けて、向学心を持とう!」と言う表題に目を奪われました。

    滝行とは何か、向学心は分かるが滝行とどのような関係が有るのか、分からないが気に成るものでした。受け付けは、学内同好会館の一部屋で、覗くと何人かの部屋の中にいて懇談していました。

    入り尋ねると、一回目の体験修行は終わっていましたが、2回目の体験修行に空きがあり申し込むことが出来ました。

    申し込むに際して、いくつか質問したり質問を受けたりしましたが、何か受け入れられるような雰囲気があり、申し込みました。今回の体験修行はクラブや同好会ではなく、個人の企画した提案で、精神修行を体験し修行できる企画でした。申し込んでは、同級生や先輩もまじえ初めて学内で話しできる方が出来、嬉しい思いをしました。

    学部や学年や趣味思考が違えども、体験修行をすることは一致した私たちは、予約した日時に電車に乗りバスに乗り換え天光寺に着きました。

    これから始まる修行では、大学生活中に困難や悩みや様々なことに負けないためにも、体験修行をして心身を清め充実した日々を過ごすための、修業をすると説明を受けました。期日は三泊四日で、外界から離れ修行体験するものでした。体験内容の説明では、言葉挨拶から始まりお経写経や仏様写仏や、お百度参り滝行川行や、瞑想や法話と盛り沢山でした。

    修行は滝行ばかりでなく、付属する様々な行を行いあっという間の体験修行でした。今までは知りえなかった体験であり、清々しく爽快な体験でもあり、私達以外に参加して来ていた方との懇談もあり、外界とは閉ざされていたにもかかわらず寺院内での修行体験者交流で、厳しくも温かみのあるものでした。

    私個人としてはリピーターとして、年に何度か参加して我が身を充実整えるためにも、天光寺に訪問したいです。

     

     

    家の関係で進学できず中学を卒業してからは、昼間は工場で働き夜は定時制の高校に行って、仕事と勉強を一緒にしています。来年は何とか頑張った定時制の高校四年間を卒業して、社会人だけになります。社会人になってからは一つの夢があって夜間大学か通信制大学に進学して、初め家の関係で進学できなかったことで悩みましたが、将来は工場仕事から違った仕事で頑張りたいと想っています。

    今回の天光寺での体験修行は、現在勤めている工場で、工場長から何人かが推薦された一人として参加したものです。短期三泊四日間の体験修行で、社会人として生きていく上で大切なことが学べると案内されて、推薦を受け了解しました。

    体験修行では、午前中に天光寺に一同が参加集合して、早々に修行開始になりました。社会人として重要であり修行する上でも大切な、諸々の挨拶から始まり静寂の中に私達の声だけが響き渡り、緊張感も重なり気持ちも引き締まりでした。

    つづいては、腹式呼吸や発声法やお経の練習をして、さらに三禮を行いました。昼食後には、般若心経を連続で100回唱えたり、大きな声での挨拶を練習し、御宝号「南無大師遍照金剛」を500回唱えました。夕食では配膳し食事し食器洗い片付けを全員で行い、その後写経を私語厳禁で正座して行いました。就寝は午後10時で、速やかに寝入るものでした。

    翌日は午前中に光明真言1000回唱え、午後からはお百度参り後に滝行を行いました。お百度参りや滝行では、南無大師遍照金剛を常に唱え山の神滝の神への挨拶も行いました。夕食後には、写仏と言う仏様の絵を習字の筆を使い描きました。日々繰返させられる体験修行では、天光寺の住職から多くを教えられました。

    滝行以外に川行と言う行があり、川行も行いましたが滝行と違い川に入水して、ただただ自我を清める行でした。

    今回の体験修行では、多くを学び多くの行を行い多くのお経文を唱え、最後に「何のために生まれてきたのか、なぜ積極的に生きなければならないか、舞台と役者の演じ方、努力と知恵の使い方」の有難い法話を拝聴して、短期ではありましたが体験修行を終了しました。感想では、積極性と向学心を忘れず、常に前を見て頑張らなければならないと言う教えを受けました。

    ありがとうございました。

     

    ぼくは小学生ですが、朝はねむたいし朝飯はあまり食べたくありません。お父さんお母さんは、ぼくがふとんに入ってからもゲームばかりしているので、朝も起きないし朝飯も食べないといっていつもおこります。ゲームばかりと言っても、ゲームで勉強することもできると言うのですが、分かってもらえません。漢字や算数や歴史など、いろいろ今ではたくさん勉強できました。

    親はゲームをしないので、ゲームでの勉強をしんようしていませんが、遊びだけのゲームだけでなく勉強できるゲームがあることを、知ってほしいです。学校には仲良しの友だちもいるので、きらいではないけど眠くなることがおおいです。先生からは勉強じかんで寝ることが多いと注意されますが、そのことを親に言われるとおこられるのできらいです。天光寺では大人や子供が何人もいて、みんなでお寺の勉強をしています。眠くなることもありますが、がんばりました。

    習字では、なんども知らないむずかしい字を書きましたが、自分が書いたものは自宅にもって帰って大切にするように、お寺の住職さんからいわれました。三日四日のお寺での勉強でしたが、大きな声を出したり同じお経をなんども勉強したので、むずかしいお経のことばをいくつかおぼえました。

    テレビやゲームやマンガの本が、お寺ではなかったですが、お寺での勉強やお兄さんやお姉さんや、おじさんおばさんと話ができたことは良かったです。お父さんやお母さんと話をすることが少ないので、うれしかったです。

     

     

    中学生になって、小学生の時とは違い学園生活に面白みが感じられず、通学したり自宅にいたりしていて親からは不登校にならないように注意されたことで、天光寺での体験修行に参加して気持ちを引き締めるため数日間過ごしました。

    初めての自宅以外の場所で、食事したり寝たりするのは初めてでしたが、何人かの同じ体験をしている方などから話を聞いたり少し話したりで、今までは感じなかった知らなかった世の中と言う世界を感じ知りしました。

    体験修行では朝が早く、その後の寺院内掃除やゴミすてなど大変でしたが、頑張りました。朝飯を食べてからは、瞑想と言う静かな音楽が流れている薄暗い部屋で、静かに気持ちを落ち着かせ自分を見直す体験を全員でしました。

    瞑想が終わると大きな部屋に移り、写経と言う般若心経の書道の書き込みをして、同じように気持ちを落ち着かせる修行をしました。午後には、お百度参りしてからの滝行をして、冷たい水に入り手足の先が冷たくなりながらも、南無大師遍照金剛を何回も言いながら頑張りました。

    夕食後は、住職さんの法話を聞き人としての、色々あることを聞きました。寝る時間は午後10時でしたが、少し時間があり同じ体験修行をしているお姉さんやおばさんと話ができました。私だけでなく、何人もの人が来ている天光寺ですが、私のような子供から大人の人までいて、数日間一緒に生活しながら体験する修行では、家では感じないことが多くありました。

    親に言われていたことですが、何人もの他人の大人に聴いた話から、学校には行かないと後で苦労することになることなど教えられ、少しですが分かるようになりました。学校で教えてもらうことよりも、天光寺で教えてもらったことは大人になっても通用することなので、良い体験でした。

     

     

    体験修行は、自分の不登校から親が捜してきた心を改心するための、体験修行でした。私は、進学したものの進学希望する学校には行けず、進学するだけの学校と言うだけでの進学だったので、学校にも興味も持てず友達も出来ず、学業にも向学心が消えたような進学でした。

    朝になるとお腹が痛くなり、発熱などもあり学校に行くことを体が拒否している毎日でした。学校の先生の家庭訪問などもありましたが、話ばかりを聞いても思って居るような話にはなれず、先生が帰れば頭から布団に入り込むような、不登校生徒でした。

    天光寺での体験修行では、不登校の児童や生徒や学生が親に勧められて来ている人も、何人か居ることを自分が参加してから聞きました。ただしここは、旅行先や林間学校ではないということでした。自然多い天光寺では、早朝6時から起きて夜半の10時には寝るので、自宅の生活と違いテレビも新聞もスマホも観れず読めず使えない場所でした。体験中は世の中のことは分からず、体験を連日行うことで、住職からは積極性が出るように頑張りなさいと言われましたが、時間が過ぎて行くだけでした。

    今の学校は行きたかった学校ではないので、通学する気持ちが出ないんです。この頃では、学校よりも就職してから学校に行っても好いのではないかとさえ、思う時があります。ただ、体験修行では、学校では教えてもらえないお経や体験が出来たことは、嬉しかったです。

    修行内容は、写経に所作に挨拶の仕方や、お百度参りに滝行と自己責任で頑張りました。食事の時や寝入るときでも修行と聞いて、緊張しました。今は落ち着いています。

     

    去年まで自衛隊で勤務していて、就職紹介で就職しましたが、高校を卒業して直ぐに自衛隊に入り、今では紹介された企業で勤務しています。自衛隊と違い民間の企業は、利益優先なので中々馴染めず、悩んだりすることもありますが緊張しながら頑張っています。

    天光寺での体験修行は、勤め先から新入社員のための企業外研修との意味合いもあり、参加しました。総勢6名での体験修行でしたが、初めは寺院での研修と聞いていたので、何をするのかが分かりませんでしたが、修行をしていく過程で社会人としての基本を教え込まれました。自衛隊との違いは、民間なので大らかな修行体験ですが、節度ある体験修行でした。

    内容は、挨拶に始まり所作に続き、お経の朗読や写経による心身の落ち着きを養うことや、瞑想による感情の落ち着きをも養い、お百度周りで足腰を使った走りこみの後の滝行で、全身を清める修行で体験した。

    今回は体験修行と言われましたが、奥が深い修行であり中身は広い修行でもあると感じ、何か引き込まれる体験修行に、参加して良かったと思うばかりでした。出された食事も美味しくいただき、想像していた食事と違い微笑ました。

     

     

    進学で都会に、出て来ました。憧れの都会に出て来て、憧れの大学生活を過ごせる夢一杯で喜んでいました。ひとりで生活するのも初めてのことであるし、新しい友達との交流もワクワクする毎日と想い、キャンパス・ライフを過ごしていました。少しの五月病も有りましたが、友達と学業にサークルに楽しく忙しく過ごていました。

    天光寺での体験修行は、私の所属するサークルで行われた進入部員歓迎の、体験修行でした。今回の体験修行では、サークル内の融和と個々人の精神修行でした。親からも教えられたことのない、社会での挨拶や声出しや、修行なのでお経朗読や写経や瞑想をして、異空間での修行を体験しました。同じく体験した、サークル仲間とはこれから過ごす過程での、相談などもしました。

    天光寺での体験では、他者の参加者も大勢居て様々な意見交換もできました。始めて知る、学外の方々との交流も出来たことには、想いもよらないお土産になりました。

    滝行では初めにお百度参りをしてから、順番に滝に入りますが冷水と水圧の凄さに、竦んでしまった方も居て、自分の順番では確りしようと入りましたが、同じく竦んでしまいました。手足の冷たさで、温水シャワーを浴びるまでは生きた心地がしませんでした。滝行初体験では、滝を浴びた方全員が寒さで震えながらも、全員が爽快感で清められ感動しました。

    今回の体験修行では、社会に出てからの方が多いらしいと聞きましたが、中には私達のような大学生も居れば、中には小学生や中学生や高校生も居たり、定年後の第二人生を始める前の自己確立で、参加される方も居ると知って驚きました。

    ささやかな驚きでは、天光寺で出された食事なのですが、精進料理と聞いていましたので、想いの他期待していませんでしたが、美味しくお替りまでして完食しました。

    最後に、修行で般若心経や光明真言など教えられ、大人の仲間入りするきっかけを頂いたような気もしました。

     

     

    高校生です。両親の許可を取り、天光寺での体験修行を受けました。三泊四日の体験修行ですが、実家で過ごす日常とは違った体験で、進学問題とか交友問題とか生活習慣問題とか、親に心配をかけない成長する自分になるために体験しました。

    どちらかと言えば大人しいと言われる私ですが、両親から言うと私はわがままで言われたことが素直ではないと言うのです。親は友人に関しても、いい友だちと交際しなさいと言いますが、今の友だちは悪い友達はいないのですが、親は誰かと誰かとは良くないと言うのです。友だちには言えないけど、気になり顔に出るのではないかと不安です。

    体験修行では、心を落ち着かせたり滝行で私の中に有る邪念を祓うなど、初めての経験で驚きました。読めない漢字が多い、般若心経ですが写経ということをして、気持ちを落ち着かせる書道をしました。久しぶりの書道なので、指先が想うように動かなかったりしましたが、頑張りました。

    天光寺の住職の話された法話では、人としての有り方やものの考えなどを習いました。分からない話も有りましたが、後になってから分かるような話もあり良かったです。

    食事は全て精進料理でしたが、好き嫌いの多い私ですが全てきれいに残さず食べて、自分でも驚きでした。寝るときは数人のお姉さん達と同じ部屋で、睡眠して熟睡しました。

    朝は早朝6時に起こされて、普段なら起きれない時間でも起きてしまったことに、実家ではないことなのか緊張していたのか、不思議でした。

    起きた後には寺院の掃除をしてから、お粥を食べました。その後に、瞑想の部屋に数人で訪れ瞑想が始まり、静かな音楽の中で自分について考えたり、家族や友達のことを考えたりしました。体験修行の方は、私よりも若い中学生もいたし両親よりも年齢の上の方も居て、同じ修行を時には静かに時は声をできる限り大きく発生して、お経や御宝号を唱えました。これから帰宅しますが、また天光寺に来て自分のためだけでなく、家族のためにも精進したいです。

     

     

    都会に行くと人が変ると言われましたが、都会に夢を見たわたしは学校を卒業すると、実家を後に都会に出てきました。都会で過ごす楽しさや、都会で知り合える人々とは多くの刺激や交流で、あっと言う間の経年が過ぎていきました。

    私は今、三十路半ばになり振り返ることを知り、都会に出てきたころを振り返り当時の写真などを、アルバムの中から多くの思いを感じて感じ取っています。職場をいくつか変えたことも有るのですが、都会には都会人でなく地方の方の集まるところが都会という事を知り、真の都会人は少なく多くの地方出身者が蠢いている所が都会と言うのだと言う現実も分かりました。

    心境の変化なのでしょうか、ふと田舎を思い出したり珍しく電話したり、今までのはないことをし始めました。三十路で独りからなのか以前違い、交流できる友人や知人も少なくなって来ていることや、鏡に映る自分の素顔を見るたび想う微妙な老いが出てきていることに、驚かされました。

    ある著書で、人は外見でなく中身であると言うことを読んだ記憶から、以前であれば何も感じない心の中に芽生えた言葉を思い出したのも、体験修行を申し込む理由になりました。中身となれば、人間としての勝負と言われます。自分では果たしてどれだけの者なのかを知りためにも、体験を果たしました。体験は三泊四日でしたが、天光寺での体験では充実した教えや体験を通して、実のあるものでした。

    今まで感じたこともなかった、決断力を積極性を五感を活用することなど、目から鱗でした。自分を信じることや、相手への思いでは見返りのない愛情から自分自身を癒すことなど、得るものがありました。またの参加を思いつつ、感じ入った体験修行でした。

     

    今回私はこの体験修行を、夫婦で体験参加させて頂きました。結婚して6年経ちますが、今以上の結婚生活を維持するためには、何が足りないかを学んだり体験したりすることで、夫婦関係を見直す機会にしたく参加しました。

    修行では声の出し方から始まり、挨拶の仕方と基本の所作をお教え頂きました。教え頂いたことで、今まで知り得なかった夫婦でも相手に感謝することや、明確な言葉の伝達でお互いを認め合うことなどを知りました。

    私たちはお互いに仕事を持つ、共稼ぎ夫婦のため時差や行き違いがどうしても多くなる家庭でした。実のところ、住居のローンや今しか出来ない貯金等を考えた結婚生活なのですが、このままでは煮え切らないものがありましたので、天光寺の体験修行に参加した経緯があったのです。

    妻とは友人の紹介で知り合い一年後の結婚しましたが、どうしてもまだまだ遠慮がある生活をしています。よく言えば新婚生活みたいですが、子供も居ない夫婦二人の生活で潤滑油ではありませんが、実質的に他人から夫婦としての在り方を考える時期と判断しての参加でした。

    週末を利用した、わずか二泊三日の体験修行でしたが、初めて知るお互いの所作や行動に関心しました。妻も私の所作や行動や行いに興味を持ったのか、自然な笑顔を見せてくれました。他人同士が夫婦になるという事は、紆余曲折がありますが今にしてみれば体験修行で、分かり合えた様々から夫婦生活や家族生活に、頑張れるようなものになりました。

     

    天光寺さんの体験修行に申し込んだのは、誰かからの誘いや序ではありません。少しばかりの著書なども読みましたが、伝わってくるものがなくヤキモキした結果、行き着いたところが天光寺さんでした。

    何も知らない私ですが、数日間の体験ではなく一週間の休暇を貰い、体験修行に参加しました。案の定、初めは何も分からない異次元の話ばかり聞かされて、右往左往しました。当然なのでしょう、今まで信心も宗教心もない私には別世界の言語ばかりで、住職さんより易しく説明されなければ、外国語でしかありませんでした。

    多くの意味が有り教えがあるお経に驚き、お経の朗読には息が続かず、写経ではどうしても毛筆の動きが叶わなくなり、冷や汗ばかりの毎日でした。少しづつすこしづつ修行を進めるに、数日間過ぎて分かる安堵が出てきたことに、感動を感じたことを覚えています。

    けして優秀な体験修行者ではありませんが、自分では自分なりにささやかな喜びとして感じ取りました。体験修行では、さまざまな修行が項目されていますが、私の性格からは写経や写仏や瞑想で、心が洗われる思いでした。写経では心が表れるとされ、写仏では心の乱れが分かるとされ、瞑想では心情追求がなされるとお聞きました。

    修行では個々人の様々な心理作用が浄化され、還元され落ち着きをより戻すとされるなど、今回の体験修行では、感謝に耐えません。ありがとうございます。

     

     

    私は中国から結婚で、来日した者です。当初日本人の旦那さんとの生活も順調であり、これと言った問題も有りませんでしたが、2年3年と日本に滞在しながら結婚生活をしていると、どうしても国民性からか自分の培った習慣や常識が優先してしまい、旦那さんとの間に溝ができるようになりました。また、会話言葉の問題では短い会話はいいものの、家族以外の方との会話で上手く表現できず、勘違いされたこともありました。

    生活では料理の味付けに、旦那さんから意見が出て困り果てたこともあり、国際結婚の難しい現実を見ました。そんなことから半年前に旦那さんとは離婚し、今は独りで部屋を借りて生活しています。帰国も考えましたが、帰国しても面子のことなどがあり、中国の両親からも帰国しないでくれとまで言われ、日本での生活を続けています。

    仕事は、お定まりの夜の接客の仕事をして、夕刻から深夜まで仕事をしています。私の待ちでは、中国人お友達も居ないのでストレスがたまり、仕事先でも飲酒し過ぎて倒れたこともありました。店のオーナーからは、健康のことで友好的なことを言われますが、店を出れば他人のようです。相談する友人も居なく、お客さんに相談できることでもないので、体調も優れず生理がない月もありました。

    天光寺の体験修行は、お店に来ているお客さんの話の中に出て来たことから、内緒で申し込み参加しました。日本文化を知るには好いことでも有るし、仏教には親しみもあったので、参加しました。お経は漢字が多く意味は分かりましたので、発音は違いましたが受け入れることができました。

    参加している日本人からは、友好的な同じ参加者ということもあって、日本で初めての友人ができた思いでした。滝行では終始、驚きの連続でしたが、清められました。写経や瞑想では、帰国したことなど想い、少し涙が出てしまいました。住職の法話は難しいことが多く、直ぐに分かることが少なかったですが、法話の前後の話から幾分か雰囲気で感じとりました。

    今後は日本で生きていくことを決めているので、多くを知り学び体験して行きたいです。

    謝謝。

     

     

     

    四十路の女が体験修行するきっかけは、過去の離別とか現在の運気向上とか、これからのささやかな幸せをつかむための、お清めが多いらしい。私が体験修行に参加して、これ見よがしに言えることは年増の女と言われ中年の女と言われても、自分の内なる信念を見返りのない愛情と言われても、現世において楽しめれる生活ができれば感謝し喜べると想うのです。

    人は死んでしまえば、何も残さず消え去るだけと聞きました。寂しさも、有ったものではありません。世知がない人生であっても、今を楽しく生きることとして、体験修行して自分を見つめ直すことができればと、参加しました。

    私の10代は何も変化なくすごし、20代は仕事に流されてばかりで、30代は結婚しないキャリアウーマンと陰口を言われ、気が付けば40代半ばでした。同じマンションに住んで約20年経とうとしています。小奇麗なマンションですが、訪問者も居なく只帰宅して寝入るだけの箱部屋でしかなくなりました。

    都会には私のような女が多いと聞きますが、通勤で見る多くの同年代と思しき女性を観ても、何ら代わりがない様子ばかりでした。人生一歩先を歩きたい、そんな乙女チックも有ってか体験修行で、気持ち気分を高揚できるのであればと風変わりな申し込みでした。

    体験先には様々な方が居て、様々な思いで修行をされていましたが、私のような者は居ませんでした。しかしながら、体験修行を消化していくうちに、今ここに居る方々には一念があり一心不乱に取り組む姿勢に感動し、我を失くしました。

    写経であり写仏でありお経朗読で、わき目も振らず直視された経本に入魂していたのです。美しくも有り、感動さえ伝わってきた空間でした。修行では、お百度参りや滝行なども用意されており、精神統一には持って来いの経験になると確信しました。今私が、この実益感動を多くの方に知らしめて、精神修養できる天光寺での「所作」や「行」を体験して欲しいです。数日間でしたが、感謝に耐えません。

     

    意味も無く彷徨っている者は居ないことは分かっていても、もしかしたら自分がその彷徨っている者ではないかという、社会から突きつけられた課題なのではないかと想うようになっていた私に、天光寺の体験修行で学んだ所作等々で、「人は何故に修行をするのか」を教え込まれました。

    生育段階で学ぶ学校と違い、天光寺で行われる修行では、人間が生きる目的とか自身の浄化とか自分で作る因果力などを、法話やお経朗読の合間に住職より拝聴できたのは、ありがったです。

    糸が切れた蛸ではありませんが、行き先不明になりがちの昨今でしたが、体験修行を通して感じえた価値あるものでした。

    また、様々な老若男女の参加がおり、自分一人ではない環境での体験では協力し合う喜びも感じ、あっと言う間に短期の修行が終わってしまいました。体験者同士の懇談では、自分の知らない現実を聞いたり、なるほどと言う価値観のあり方を知り、自分には不平不満があり真の大人に成らなくてはいけないと反省することもありました。

    さらには、私から人々への発信力とでも言いましょうか、今までの自分には無かった勇気や喜びや失望させない、対人間での言動に責任を持つことなども知りえなました。

    女性はどうしても受け手になりがちですが、女性や異性に対してもはっきりした物事への勇気を持つことや、自分自身を愛し自分自身が変ることの重要性をも大切にしなければならないと、お互いに話し合えたことは有益でした。

    自分自身を救うのは、自分自身であると教えられたときは、大きなショックでした。

     

    海外に憧れ、或る外国で青春を過ごし帰国しました。私が海外に出たころと昨今では、国内事情もかなり変り海外よりも国内での生活や仕事を、優先する時代になっていました。海外での生活は多くの新鮮な刺激もありましたが、反対に個人主義の外国ならではの寂しさも感じ取れました。

    言葉や習慣や物の考え方の違いは知り得ていましたが、私の加齢からかなのか幾分か、考え方の変化を感じています。私は帰国子女では有りませんが、服装や化粧や雰囲気が周りの方からは異なものに感じられたのか、受けいられないことも多々ありました。

    初めに心に決めた志を最後まで貫き通すことが、海外生活ではよしとして生活していただけに、帰国後の違和感として私には感じられ苦痛になることもありました。このままではいけない心境から、天光寺での体験修行を受け心身を清める、修行参加となりました。

    修行では多くが知りえなかった所作や行で、数日間を過ごしました。数日間の中では、心身ともに教えをいただき、感心しました。写経では心の乱れを洗われ、滝行では肢体の感覚から自我を目覚めさせ、瞑想ではてひたすら思いにふけ入り現在過去未来など、物思いにもふけりました。

    自己自問では、答えは出ないものの精神修行になる、きっかけを味わいました。教えられた瞑想ですが、瞑想の神秘性を感じ法話で聞いたことなども思い出し、体験修行の醍醐味を感じました。

    体験修行では複数の体験者がおり、様々な方との懇談では知らない生活や環境や立場の世界にも触れました。実体験では、重みの有る修行であり体験でした。

     

    私の存在を私自身が分からなくなったといえば、何かに疲れた者として簡単に流されてしまう次代ですが、勢い錦を飾って故郷に帰る気持ちを持って出てきた私としては、今のままでは錦のことなど口に出せない現状に、頭を抱えていました。職場やサークルでの人との交流や遣り取りで、時として放り投げてしまいたいと言う感情に責めつけられ、ため息を付くことも多々ありました。

    天光寺での体験修行は、もっと自分を成長させたり体験の中で、感じ取れるものがあればと思い申し込みました。数日間の期間ですが、自分をさらけ出して無心になれるような体験ができればと、参加する前は少し甘えた心持でした。

    しかし、天光寺のインターホーンを押して中に入り、修行が進むにつれて私の甘い考えが消えうせ、規律と他の方との共同作業や基本所作で、初日が終わりました。起床は朝6時で、普段の私の時間と違いオロオロしましたが、その後の寺院内の掃除や自分が就寝に使用した布団の片付けなどもあり、緊張する早朝からのスタートでした。

    朝食後は瞑想の時間があり、個々人が瞑想して自分を見直す自分の存在を見詰める行を行い、異空間での真剣な思考でした。それから次々に決められた行が進み、書き読み写しを繰り返しました。体験修行は只の作業ではなく、自分の絶対的価値判断を浮かび上がらせることを知りました。今回の参加では、自分の可能性や多くの克服などを自分から積極的に向かわなくては、物事が開かない教えを頂戴することができて感動もありました。

     

     

     

    今回体験修行を体験させて頂きましたが、挨拶の作法で朝の挨拶や行の挨拶や食事の挨拶や就寝の挨拶と、声だし発声法や瞑想からお百度参りや滝行を体験して、更には写経や写仏や法話と盛り沢山の内容を消化してみて、今では誇らしく想っています。

    初めは自信も無ければ、どのような修行であるのかも知らないままに、天光寺の体験修行に興味本位で申し込み参加しましたが、今は反省しています。住職からは、ありがたい法話を聞いては涙が流れましたし、挨拶にも様々なものがあり、一つ一つに意味があるという大切な挨拶でした。

    体験での詳細は、人によって感じ方や考え方や一念が違うと思いますが、私の感じ入った修行体験では、お寺から一般社会に戻っても通用するものばかりだったので、リピーターになる覚悟もできましたし、今では天光寺は真言宗のお寺とのことですので、今までは無かった宗教的なことを含めた教学等も考えています。

    腹から出す発声法も、相手に通じいる言葉も、食事も就寝も修行であり、お経を朗読するだけと想っていた宗教体験と違った、本物の修行を味わったことには感謝でした。話はそれますが、体験修行期間ですが、多くの方は一週間以内の方々が多いと聞きましたが、中には何らかの事情からか天光寺に数ヶ月から数年滞在しながら、行を行い外界から離れ体験でない本物の修行に入り、精進の志願をされる方も居て自身を磨き上げる方の存在に、感心しました。

     

    俺は家族や子供達と別れ故郷も離れて、都会に独り上京して来た者です。都会では知り合いもいないので、できる仕事を何ヶ所か探し回り今の仕事に転職生活しています。都会に出てきた理由は、私個人のこともありますが、大きな原因としては災害(地震)に見舞われた田舎での生活を諦めたことで、家族内で言い争いになってしまったからです。

    震災の復旧のめども立たず、呆然とした毎日に絶望感もあり、新天地を思いあまっての言葉から言い争いになり、むしゃくしゃした私は独りの決断で都会に出てきたのです。なれない土地と水で体調を壊したりもしましたが、今は生活に慣れるための頑張っています。

    上京して既に約三年経つも、心の中に開いた風穴ではありませんが、無性に寂しさも感じたりしもたので、強い精神力を付けたいためにも体験修行に身を置きました。修行では、宗教的なお経の朗読だけと考えていましたが、実際には滝行や写経や法話や瞑想で、心身を修行で洗われました。

    行では今までに知らないことばかりでしたが、こんなに素晴らしい教えがあったのかと感心し、今では何冊かの著書も読み、人としての歩みを考えたりもしています。家族や子供達との再会も、今では心なしか考えたりもしています。どのような結果になるかわかりませんが、私の人生内の出来事として、修行での教えを守り学んで行きたいです。

    天光寺での体験修行は、頭(頭脳)だけでなく身体に教え込むような教えがあり、新鮮さもあり感動もしました。今後は心眼を開かせる、修行にも参加したいと想っています。

     

     

    自分の不始末から、家庭崩壊し嫁や子供達と別れ数年立ちます。初めのうちは勢いがありましたが、10年近く日にちが経ち社会環境が変ってきていると感じたとき、ふと過去のことなど思いだりして殺風景な変化のない部屋の中を眺めていました。

    仕事先も何社かかわり、身に付いた仕事先でのこともなく、人生流され組の一人といえました。

    どうにもならないし勢いもない、孤独ではないと想っても話し相手がいない現実に、ため息ばかりが耳に吐きます。

    今の仕事先は何かと面倒を見ていただける上司にめぐり合えたのか、業務環境も穏やかに過ごしていましたが、社内の打ち合わせで意識開拓する人材育成に、他社からもたらされた企画ですが誰か寺院で体験修行をしてはと、私に白羽の矢が立ちました。

    今の職場も五年目になり、新人達に何かと先輩風を吹かして話をする機会があったせいか、指名されました。自分自身も仕事と言うより、自身を鍛えらるのかと言う気持ちがあり臨みました。ここは多摩の奥深い村にある、天光寺と言う寺院です。体験修行に毎年数千人が訪れる寺院で、厳格な体験修行では定評があり、有名な寺院でもあると聞きました。

    どのような修行がなされるのかは、申し込み時に電話で幾つか聞き入れましたが、実際参加して体験した経験では、説明以上の感動がありました。挨拶に始まりお経の読経へ進み、初日から翌日に入るとお百度参りしてから滝行で冷水に打たれ、心機一転すべく静粛な本堂での写経で心の乱れを押し込みました。脈打つ自身の血液が分かるほど、写経では集中して文字を一字一字書き進めました。人生では初めての経験でしたが、これもまた派遣されたと想っていた自身の考えと違い、勤め先への感謝に変っていました。

    修行先で知り合いになった方からも、新鮮な意見を拝聴できて、今までには感じたことない感動がありました。色々な方々が体験修行には参加されており、様々な一念を持っていることも知りえた体験修行でした。

     

     

     

    重たい女と言われ、異性との出会いがあっても長続きしません。天光寺で体験修行をして、自分お気持ちを整理して本当の縁ある異性との出会いを求めて、身を清めにきました。

    私にも夢や希望が有ったのですが、度重なる縁のなさや身の回りで起きる失敗で、ここの所落ち込んでいました。身を清め今までの生き方を改めて、修行を臨んだものです。数日間の体験修行で、すぐに変ったりすることでもないですが、何かのきっかけを掴み同じことを繰返さないため、縋るような体験でも有りました。

    早朝に起床し寺院内の掃除をして肢体に血液の流れを導き、朝食後には瞑想にして自我を顧みる体験もしました。その後にもさまざまな行があり、所作の挨拶を基本にお経の朗読や御宝号や光明真言の暗唱をかさねました。午後には、お百度周り後に滝行にて身を清めたりもしました。

    さらに、夕刻には食後の住職の法話を拝聴して、穏やかな気持ちになりました。そのような体験修行を数日間過ごし、私の中に芽生えた少ない変化を感じ就寝しました。

    今思うに、身勝手なわがままがあったことを指摘され、以前の行いを改める心境にもなりました。

    天光寺での体験修行では、今回全てを体得できませんでしたが、次回の参加を心に決めるきっかけにして、下山しました。ありがとうございました。

     

    人間不信から、天光寺で体験修行を行い、思い込みや自己否定を浄化し鍛錬したく、申し込みました。今回の体験修行で感想と言えば、今までの私の経験しなかったことばかりなので、初めは驚き馴染めませんでした。

    しかし、住職から言われた法話や同じく体験修行をしている修行者との会話などで、固まっていた心が少しづつ解ける糸のように、所作や修行内容に浸透することができました。心が表れる写経ではいみじくもお経であるものの深層心理までわかってしまうといわれ、書き進めながらオロオロしてしました。

    般若心経や光明真言では、朗読の中に感じた信仰の有難さを感じ、多くの挨拶を行うときの呼吸一つを上げても、一般社会でも通じる基本があると感じました。天光寺の体験修行に参加している多くの方は、何がしらの目標や思いを持って来ていますが、体験修行をすることで自我に目覚め明るい顔になり帰宅していく姿まで含め、問題の浄化が解消されたり薄らいだことでの感謝している会話に、心温かくなりました。

    人間不信とは、相手を受け入れることが出来ないことから始まると聞きましたが、不安を取り除くために自ら入り込んでいく積極性を育てることなど、心機一転しなければならないなども体験できて、思考も目覚めました。

     

    なかなか思い込みばかりで、仕事にも家庭内でも行き詰まりを感じていた私ですが、体験修行を経験して、目先に明るさを感じることが出来ました。はじめはどちらかと言うと懐疑的でしたが、体験修行で得られた人としての基本である挨拶からも、お経を長時間朗読する修行でも過去に感じたことの無い、自分を目覚めさす効果に驚きました。

    初めは只の発声法とだけ想っていましたが、対人や身の処し方など社会一般で通用する所作に、今更感じ入りました。俗に言う、学校では教えてもらえないことと言えばそれまでですが、その教えられたことを行うことで、社会生活が丸くなるといった功能があると聞き体験しています。

    体験修行では、脱皮したと言えば分かり易いですが、社会の一員として過ごす中において、当たり前が出来ないもどかしさがあるという現実を感じていた私には、もどかしさが解消できるものでした。

    人はどうしても、目先のことに左右されがちですが、左右されがちの中でも積極性があり向学心のあることに目覚めた者への見方が変ると言う、社会風潮があるということなどを初めて知りました。行き詰まりを感じていた私ですが、体験修行で指導されたことは単なる我慢ばかりではなく、奥深い信頼と癒される心のもち方にある、感謝する心でした。

    簡単に言えば思いやりのことなのでしょうが、思いやりが今まで無かったとは感じていませんでしたが、甘えがあったのかも分かりませんでした。目覚めさせて、頂きました。自分の足元は見えづらいと言うことを、教えてもらった修行でした。

    修行での所作には触れませんが、背筋がすっきり出来た修行の体験でした。

     

     

    企業に入り中堅社員になるも、部下からの意見調整と上司からの圧力で、ここの所サービス残業も多く帰宅が深夜になることもあります。時には出張などもあり、気の休まる日にちが少ない毎日でもありました。

    惰性に流される仕事先で、いまひとつ気持ちの整理を思い、今回体験修行を思い立ち予約することにしました。上司には精神修行充実で、今後の部下教育になりうると業務参加を打診して、了解を得ました。

    業務参加であるため、体験修行の日程や修行内容の項目を体験後に提出しなければなりませんが、今回の参加では私費でなく業務参加なので、費用の面では助かりました。ただ、提出があり事後報告と今後の社内教育に使用できるかの、判断基準になるのかまで求められそうなので、無意識に仕事であることが露見してしまいました。

    スケジュール的には、三泊四日であり項目的には所作や写経・写仏や瞑想と法話からなり、屋外での修行体験では、お百度参りからの滝行や川行が用意されておりました。さらに規則正しい時間の進み方から、積極性のある修行体験で観光ではありませんでした。

    何のために修行体験するかなど、住職からの法話では気持ちの整理や平常心の自己改革もありましたが、主要なものは精神力の思考が重要であることなどが述べられました。

    職場の人生も、戦う相手を求めるのではなく、挑む相手を自分の中に見つけたときに成長するといった価値判断なども挙げられました。仕事先では、体験修行で感じた意見した報告書で、企業研修も受けられことを発表し、社内研修にも有益ということを付け加えました。

    今後お世話になる機会も考えて、私の体験修行は充実したものとして天光寺さんには、ご報告いたします。ありがとうございました。

     

    女ばかりの職場では、どうしてもいがみ合いが起こり、仲間はずれになった者は退職していく流れが多い現実です。私は高卒と共に看護学校に入り卒業して、地元では有名な大きな病院に就職することができ、将来を嘱望されて曜日も忘れる毎日を過ごしていました。勤務して9年経ったときには、看護班長にもなり新人教育も任される職責勤務になりました。そのような時、今のところは順風漫歩と想っていた矢先に、私の班長としての職責に何処からとなく陰口が入り始めました。

    時の総婦長に相談しましたが、これと言った解決策もなく提案もなく、同僚にも話を聞いてもらい解決策がないかと右往左往しました。私への陰口の発信元はわかりませんでしたが、初めての事でもあり体調が優れず寝込んでしまいました。数日間の休養を頂き、職場に復帰したのですがまだまだ体調が優れず、夜勤勤務では倒れてしまい他の職員を困らせてしまいました。

    総婦長から呼び出しが会ったのも、そんな時でした。多くを心配してか、私に向上心だけでなく人生の主人公になって欲しいことや、いい意味で開き直る勇気を持つことなどアドバイスを頂きました。いくつか話を頂いたアドバイスの中で、親戚で体験された修行があることをを促されました。

    東京は多摩の山村に、心身修行が受けられる寺院があり体験修行を受けることで、親戚がしっかりしたと言うのです。修行先では、さまざまな修行があるが「自己コントロール」「人との調和」「自身を癒す方法」など、体験できるとのことでした。

    わたしは数日間の休暇申請をして、体験修行の予約をいれ参加する運びになりました。四泊五日で、何か得られるものがあればいいと言う期待ではなく実益を考えました。寺院修行先には、数人の方が先に修行していたり、私の修行中にも新しく修行をする方が見えられ、年齢も性別も様々でしたが、一緒になって体験修行を学び教えられ体験できました。

    項目的には、お経朗読や御宝号の意味と発声、光明真言での有難さや仏様への感謝や写経や写仏や瞑想を寺院内で修行し、屋外ではお百度参りから滝行や川行を体験しました。仏門の体験だけに会得したものは少ないですが、少なからず体感して脳裏に納めたことがあり、喜びでした。

    住職からは「私には、絶対的な価値が自分の中にある」と積極的な自身の生命を大切にすることを教えられ、胸が熱くなりました。ありがとうございます。

     

     

    私は社交業でも、風俗の仕事をしています。社会的には夜の女としての仕事をして、生活させて頂いています。様々なお客さんが居る見返りの無い愛情を売る仕事です。時には開き直る現実もあり、想われている以上に精神的に経済的に充分ではない仕事です。

    日々変る仕事内容とお客様に合わせた仕事ですが、浮世に流されることもあり足を洗えば済むと思いつつ今の仕事にしがみ付いています。

    お姉(先輩)さんからは、早く今の仕事を卒業して、太陽の下で生きていける仕事や生活をするように言われていますが、年を重ねることに仕事から来る甘えなのか、踏み切れませんでした。

    風俗の仕事ではどうしてもお客さんとの駆け引きがあり、余計な力を入れてしまい嫌みや嫉妬を受けることがあります。さらに、未練や愚痴や価値のない事場に惑わされることがあり、一つとして同じことがありません。悩ましく精神疲労の多い、仕事なのです。

    職場にあった雑誌に、精神修行をして仕事にプライドを持ち、天職を全うする気合を見つけるための諸々の助言というものがあり、その中でお経の朗読とか滝行があると取材されてありました。

    特定の行き先や施設先は書いてありませんでしたが、仕事中にお客さんから幾つか参考になりそうな場所を聞き、奥多摩にある天光寺での精神修行・体験修行に参加することが出来ました。

    修行先では私を含め数人での体験開始でしたが、午前中に集合して寺院での所作や挨拶に始まり、昼食後には写経やお百度参りから滝行と、新鮮かつ初体験する行を初日から受けました。就寝も午後10時であり、今までの私の体内時計ではこれからと言う時間の就寝で寝付けず、翌日には睡眠不足にもなりました。つづけられる修行もあり、瞑想や写仏での落ち着きと外部からの刺激を排除した修行では、時間の忘れる集中が要求され最も厳しいものでした。

    しかしながら数日間が過ぎ、住職からの法話や修行者同志の意見交換などがあり、今までの自分とは体験で改まった、参加前には無かった感じたり考えられる思考を持てるようになりました。

    ありがとうございます。

     

     

     

    私は集団での仕事に違和感を感じて、一人での仕事と決めタクシードライバーをして数年経ちます。お客様を乗車から降車までの、ひと時だけの業務の繰り返しだけで、それ以外の業務は存在しないことから転職組みですが、現在の私の仕事なのです。

    お客様は、午前や午後や夜間や深夜では様変わりしますが、なるほどと感心しながら対処しています。中には、お客様らしからぬ方もいますが、短時間の我慢で済みますのでしこりも無く受け流しています。

    そんな私ですが、将来は法人タクシーでなく個人タクシーを希望していて、諸先輩からもお客様あしらいを学ばなくてはならないと、助言されました。助言の内容の中には、個人としてお客様に合わさねばならない注意点や対処が多くあり、今の自分には出来かねるのではないかと思い悩むような助言もありました。

    このまま法人タクシーのドライバーとして、生きて行くことも出来ますが、夢は夢として個人タクシーのオーナーとしての夢もあることから、今は夢追い人の一人としてハンドルを握っています。

    タクシードライバーには個人主義の方が多いですが、個人タクシーになると責任や営業に対して、決断力や不満なども抑えねばなりません。ここ一番と言うときに、個人事業主としての遣り甲斐だけでない判断が要求されます。

    学校では教えてもらえない、人としての社会で生きていく手法を天光寺で、絶対的な価値がある自分を仕事に反映出来るように、体験を通して知りえたこと体感できたことに感謝します。

    写経や写仏では何度も助言を頂き、冷水の川行ではしった激励をもらい、今では体験できた喜びに嬉しさを感じています。

     

     

    一人で卒業から、実家を出て憧れの都会に引っ越してきて、半年が過ぎたころでしょうか。如何にも判断できない、分からない落ち込みが目立つようになりました。

    職場での仕事も覚えたばかりでしたが、仕事に対しての不満もなくどちらかといえば楽しく、遣り甲斐さえ感じて来ているころでした。

    学生時代には感じられなかった、行き詰まりでもない体調不良に、社内の診療室でも問題無しでお墨付きをもらい、只の疲労なのかと自問自答していました。

    違いと言えば、好き勝手を行っていた学生時代と違い、規律正しくしなければならない社会人として、睡眠不足や通勤疲労で若干の疲労感はありましたが、私だけではないと言う現実からそのままにして置きました。疲れなので、栄養ドリンクを飲めばいいぐらいで、これと言った対処もせず数ヶ月過ぎました。

    物事原因があって結果があるはずなので、社外の医院にも行きましたが、結果は同じでした。これは何かの取り越し苦労なのか、自分で思考を改めなければならないと天光寺の体験修行に参加して、自分の有りのままを見詰めようと思いました。

    修行では、挨拶に始まり挨拶に終わるような、厳格で神妙な修行であり他には写経や写仏したり、お百度参りや滝行で精神統一したり本物の修行でした。教えの中には、積極的であり向学心を持ち決断力など、自分を成長させる意識変化を身を持って指導されました。

    さらに、不平不満を言わない消極的にならない、精神を鍛え精進することなども伝授されました。

    自分を信頼し自分を愛することができて、人生の主人公になれと力強い指導には、感動しました。

     

     

     

    初めての就職で、初めて知った社会の洗礼に会い右往左往していた私が、職場の先輩から聞かされた、先輩も体験して来た天光寺の体験修行に参加したのは、縁を感じたからでした。

    家族の居ない独りでの生活の始まりには、嬉しさもありましたが多くは不安でした。さらに仕事となれば、自分を押し殺さねばならないことも連続で、帰宅すればそのまま倒れこんだこともありました。

    先輩もそんな過去を持ち、経験者にしか分からないことなのでしょうか、休憩時間のときに私の変化が見えたのでしょうか近寄り言葉少なく心配して、相談にのってくれました。その相談のなかで、自分で人生の主人公になる楽しさと嬉しさと喜びを、お話下さいました。

    先輩はすでに何回かの体験修行されており、体験修行先の出来事や自分の変化や新しい刺激になったことなどを、教えて頂きました。初めは先輩と一緒に参加と希望していましたが、仕事の都合で私一人の参加になりました。見るもの聞くもの全てはじめてのことや物ばかりでしたが、三泊四日の体験修行を無事に終えることができました。

    先輩からも、私の頑張った賞賛を受け、感じ入るものが体験者でないと分からない実感として、分かち合えました。修行ではやはり鮮明に残るものとして、滝行で身震いしながらも頑張った実感があり、先輩共々見詰め合って感想を言い合いました。

    写経で書いた書は自宅に飾ってあるとか、瞑想時に感じた感想は何か今でも一念として残っているかとか、話がつきませんでした。次回は一緒に参加することを決め、今では私の右往左往も消え楽しく日々を送っています。

     

    転職して数年が立ちますが、いまひとつ先の職場と現在の職場での格差に、身勝手であるのですが悩んでいます。気持ちが一つにまとまらないと言えばよいのでしょうか、過去の執着なのでしょうか今の仕事に集中できませんでした。

    体験修行は、帰宅時に入った居酒屋で隣で飲食をしていた方の話が、小耳に入ったのがきっかけです。気分と言うか日々の仕事にメリハリを就ける為にも、何かしたいと前々から考えていただけに、「奥多摩にある天光寺」と話されていた寺を頼りに探しました。検索したらすぐに場所や連絡先が分かり、早々に相談と申し込みが出きるのかを聞き、今の職場でのスケジュールを照らし合わせてから再度連絡する旨を伝えました。

    体験修行は、運よくすんなり決まり三泊四日の日程で参加できることになり、修行の内容も知らないまま期待一杯でした。当日が来て、心浮き浮きして参加しましたが自分が想っていた研修様子とは違うし、自分の甘さに恥ずかしさを覚えました。

    修行は挨拶の所作から始まり、次々に研修内容がはじまりすぐに午後になりました。めまぐるしく行われる修行に、ついて行くのがやっとで外界とも離れた寺での修行では時刻もはっきりしないままに1日目が終わりました。体験修行をされている方は私を含め7名でしたが、皆さん真剣に住職の話を聞き指導にも従順に従っていました。

    私の知りうる学校でも体験したことない環境と雰囲気に吞まれ、般若心経や御宝号や光明真言と、続けざまに声を大きくはっきりと発音するよう注意を受けながら、何回となく読経しました。二日目には、お百度参りから滝行入水と修行の醍醐味を味わい、共に参加している方と気持ちを一つにして修行できました。修行は続き、写経・写仏・瞑想・法話と進み、自分の意識の中に何か積極的に行わなくてはならないと言う、意識変化が出てきました。鍛え精進するまでには、まだまだですが入り口に立ったことは体感できました。体験修行で得られたことは、次回の参加を心に決め感謝で終わりました。

     

    職場でいい人と言われますが、頼られる人ではありません。そんな他人からの評価の言葉とは違った自分になるために、天光寺の体験修行に入門しました。体験でも修行には変わりなく、入門している日々も数日でしたが、体験で得られた自分の内面に響く所作を受けたことに感謝です。

    一つには、向上心を持ち積極性のある決断でき、頼られるものとして人格形成変化した私を、職場でも友人との交際するときにも発揮できるよう、道しるべを下さりありがとう御座いました。

    では具体的な体験修行の、写経や写仏や瞑想では見るのと遣るのでは感じられない知りえない、神秘の世界に入る導きがあり、お経の朗読だけではない真言なのでしょうか感じられました。

    一文字一文字書き進む写経では、般若心経への陶酔もあり心が表れましたし、写仏では指先に感じる微妙な感覚の違いに集中する体験者にしか分からない、功徳が入り込む錯覚もありました。

    瞑想では薄ら明るい講堂のなかで神妙な時間を過ごし、眼前の世界を離れてひたすら思いに集中する自己陶酔に近い、高度な修行と聞き感受性を高める最も素晴らしい行でもあると導かれました。

    以上のような体験型修行に数日間でしたが、天光寺で過ごすことは入門以前には考えたり感じられませんでしたが、有意義な体験になりました。

    私は多くを克服して、今後はいい人と言われるだけでない、一人の人格ある存在で伝わり感じられる、独りでない一人として今回の体験修行を感じ取れたものとして感謝します。

     

    天光寺を知るきっかけは、知人の企業で天光寺での企業研修をしたことを聞かされ、その中で団体で無い個人での参加ができっる体験修行を聞き入れたことです。体験修行は三泊四日行われ、早朝6時から夜半は10時には就寝する、かなりハードな体験修行とのことでしたが、個人の参加では企業研修とは違い個々人に体験を通して、メリハリのある体験修行から行のあり方を、体験して貰うものと聞き予約を入れ、申し込みました。

    期間は三泊四日を希望して、週末と有給休暇で確保できました。都心から3時間はかかりましたが、奥多摩にある山里深い天光寺に到着して、受付を済ませ修行申し込みを済ませ、外界と離れ参加しました。参加に当たって、先に来ていた方や申し込みをした後に来られた方と挨拶して、早々に修行衣に着替え修行が開始されました。

    はじめは自己紹介や挨拶の仕方や発声法に始まり、午後には写経による心の表れ方を含んだ経文を行い、一枚二枚と般若心経を書き記し精神統一等も推し量るものでした。写経では体験者数人でありますが、私語を慎み書を進ませる体験をしました。

    体感では、お百度参りを行い無心になり滝行を行い、身を清め冷水で肢体も清め気合を入れ、真言や経、祝詞を唱えました。心なしか感じ入ることが湧き出してきて、神妙になりました。就寝では暗闇に広がる無音でしたが、自分を見直す時となりその後は朝まで何も分からず、熟睡してしまいました。

    修行は今まで経験の無いものでしたが、今後はリピーターとしても参加して、住職から発せられる人としての有り方など心の持ち方を、積極性あるものとして生甲斐にさえしたいと思いました。

     

     

    自分以外の方は幸せに見えて、自分は不幸のシンデレラと想ったりする、情緒不安定から天光寺の体験修行を教えられ、数日間ですが参加いたしました。

    数日間の体験修行には疑問もありましたが、これも縁と思い参加しました。参加するに、何人かの参加者が居ましたが、全て初めてお会いする方々ばかりで、初めは面識もなく会話もなく不安ばかりの参加でした。

    住職からは、人には多くの因縁があることや、生まれ持った因果が有ることなどを聞かされ、驚いてばかりいました。体験修行では、普段は出来ない声の出し方や初めて朗読するお経に、右往左往しながら挑みました。自分の口がこんなにも動かないのか、お経は外国語だから仕方がないのかと思いつつ、何とか声に出すお経の経文に汗を流しました。

    別の日々には、写経や瞑想や写仏といわれる精神修行の基本を行い、外からは分からない自分の集中度の無さに赤面しました。朝も早く就寝も早かった体験修行ですが、素直な気持ちで起き無理せずに寝入ることが出来ました。

    滝行では、お百度参りを初めに行い気持ちを集中してから、入水を気合と集中力で諸共受けました。身体に感じ入る冷水に、ただただ朦朧となりましたが、行が済んだ後には爽快になりました。滝行はたんに冷水に入るだけではない、行としての積極的で精神統一を突き詰めた行であり、簡単なものではない教えがあることを学んだ。

     

     

    職場環境になれないこともあってか、上司に相談したことで若いうちの悩みは、自己確立ではないかと意見され、天光寺での体験就業に入りました。こちらの寺は、人里離れたところにあり生活環境はお世辞にもいいところではありませんが、それだけに外界から離れたところでしか感じ得ない感動と刺激がありました。

    自分は決して強い人間ではないことは知っていましたが、弱い人間でも何らかの才能か知恵で、生きて行かねばならない現実は知っていましたが、どうすれば好いのかは分かりませんでした。

    天光寺での体験では、私のような者でも分かるように丁寧に何度も何度も、手を差し伸べて頂けたことで嬉しくも目が覚めました。

    余計な力を入れず、嫌味や嫉妬を持たず、自分を愛することを公言できる人生の主人公に成ることを、知らされました。

    自分一人ではない会社で、独りではない団体行動をする喜びを感じ業務に勤しみを見いだす、基本の考え方を知らしめて頂いたことに、感動ものでした。修行では、自分を見つめ直すことから始まり、発声や朗読での向上心ある積極性を養うなど、有益でした。

    数日間の中には、お百度参りをした後の滝行で精神を統一する精神修行もあり、私の今まででの人生では体験し得なかった、感動と衝撃までありました。そして、一皮向けたような自分に、誇らしくも思えました。人生半ばの私ですが、これからのこともあり天光寺での体験修行は、素晴らしい経験になりました。ありがとうございました。

    思い余って体験修行に参加したわけではありませんが、何かしらを得られる機会ができる体感になればと思い参加申し込みをしました。

    地方から都会に出てきて数年ではなく数十年経つ私は、いつの間にか故郷も忘れ帰省もせずに都会の片隅で過ごしていました。風化された日常で、職場以外では誰からも話しかけられず、帰宅した部屋では勝手にテレビだけが放送報道とかドラマの音声を流していて、孤独を紛らわしてくれると言う歪な毎日でした。

    偶の休みでも声をかけてくれていた知人は既に家庭を持って忙しく暮らしているし、私の入り込み余地の無い単位になっていました。さりとて、仕事以外では只都会に住んでいると言う地方出身の四十路の婦人になってしまいました。都会なら生きていけますが、田舎では生きていけない年齢になってしまっていたのです。

    仕事が面白くなり、キャリア・アップして過ごしていた毎日がこんなにも部屋に帰宅すると、隙間風が心に吹き込むような部屋になっていたかと思うと、言い訳ばかりが優先してしまいました。会社の組織では生きていけるが、日常生活での自分はお隣さんがどのような方かも分からない、孤立無援の女でしかないと言われても反論できないものでした。

    そんな中行きつけの喫茶店で、女性誌を読み漁っていると記事で、現代女性の生き方に関する特集が在り、目を奪われました。その中にあったのが、精神修行をすることで女性度をアップすると言うものでした。様々ありましたが、写経や写仏や般若心経の朗読で、身を清める特集でした。

    普段の情報に飢えていたのか、記事に夢中になり入り込んでしまいました。体験修行はその中では、オーソドックスでありポピラーな修行として紹介されていて、参加しやすいものでした。参加する日を指折り数えて参加して驚いたのは、現実とのギャッでした。

    寺院には数人の参加者が既に研修を開始しており、所作等々でお世話になりましたが、振り返ると全てにおいて我が身を奮い立たせなければならないといけないものばかりでした。感謝があり感激があり、時には落ち込みましたが、参加した者だけに与えられる有益な体験でした。

    体験修行では外界との別離があり、社会の情報に振り回されずに心安らかに修行できると聞き、申し込み参加しました。都会の中で日々生活している私は、どうしても多くの情報(要らない物が多い)に左右され、落ち着くことも許されず流されていました。

    そんな私が、体験修行して何か変われることができようとは思いませんでしたが、初めは話の種と軽はずみな考えから体験することになりました。日時は、有給休暇もあり行く宛てもないのですが、四泊五日を申し込んでの体験でした。交際相手もいなく、独り部屋で過ごすことが多い私は、ささやかな希望を胸に秘めての修行でした。

    修行先では、一泊二日や二泊三日や一週間と様々ですが、多くの方々体験修行に参加されていました。年齢的には、中高学生もいれば大学生もいれば、主婦や成人の若者や同年代の方々や、先輩の方々を千差万別でした。みなさん、体験修行で何かしらを得ようとしている方々ばかりでした。

    私のような不埒な思いで、体験修行に参加されている方はいないような雰囲気に、私は恥ずかしくなりました。旅先で受け入れられる体験修行などがあるとは聞いていましたが、多摩にある天光寺での体験修行は、厳粛な中にも荘厳な格調あふれるものであり、生唾を飲み込んだのを覚えています。起床から就寝の間に繰り広がれる、精神修行と肉体修行にただただ驚きの連続でした。

    お経を教えられ読めば良いと言うものではなく、写経に至っては心の現われが露見してしまい、滝行や三禮では身体の冷却に凍えたり筋肉痛との葛藤に苛まれました。観光気分もすっかり消え伏せ、寺院内外での修行では軽はずみなことは出来ないと言う、修行本来の環境でした。

    御宝号や般若心経や光明真言を初め、その他お経の腹から出す声を震わして体験を過ごしました。されど、修行ばかりでなく、寺院で出される食事には精進料理ですが、日々の楽しみなりましたし、同じ修行を体験している方とは交流できたことでの、楽しさと嬉しさが出来た副産物がありました。

    瞑想や法話では、意味深い感じ入ることばかりで、お香が芳しい中での一時であり自分見直しでした。ありがとうございました。

     

     

    私はこの研修を通して多くの事を学び、そして今まで生きてきた人生を、振り返ることが出来ました。誓いの言葉の中に「私は何事においても、積極的に生きます。」という言葉がありましたが、この言葉を聞いてとてもかんがえさせられる部分が多くありました。私は、自分が好きなことや遣りたいことなどは、積極的に参加していました。しかし、興味が無いことなどは適当にやってしまうことが多くありました。このようなことは、何事にも積極的に取り組めていないと思いました。

    特に、自分が嫌いなこと他人が遣りたがらないことなどを、積極的に取り組んでいけば人間力の向上につながっていくと思うので、これからは意識して行きたいと思います。

    研修での挨拶の練習を二時間以上行いましたが、挨拶だけを長時間挨拶練習するのは初めての経験でした。辛かったと同時に挨拶の重要性を、改めて知ることができました。私自身挨拶は、人並み以上に行って来たつもりでした。しかし、考えてみると私が今まで行って来た挨拶は、心が少ししかこもっておらず、いわば作業的なものになってしまっていました。

    挨拶で、第一印象が決まるということを良く聞きます。二時間の挨拶の練習をしたことは、こんなに大事なことなんだと分かりました。また、この二日間の研修期間で、だらけてしまっていた部分が引き締まることができました。

    研修での滝行などを行って得ることができたことを、これからの社会人人生に活かしていけるように、頑張って行きたいと思います。

    法話では、会社で働く人の40%が、会社に行かなくなってしまう予備軍だと聞きました。私がそうならない為には、強い精神力を持つことが大事だと感じました。最後に唱和した「誓いの言葉」の中には、これから生きていく上で大事なことが多く書いてありました。しかし、全てのことを一度に身に付けることはできません。すこしずつ自分が出来ることから順に身に付けて行きたいと思います。

    この二日間の研修をやってきたことを、絶対に無駄にしたくはありません。辛いことがあった時などは、今回教わった言葉を振り返っていきたいと思います。マイナス等ことは、極力考えず前向きなポジティブなことを考えることも重要だと分かりました。

    研修で知ることができたこと、学ぶことができたこと感じることができたことを、これからの人生に活かして行きたいと思います。思うに、滝行など一生に一度できるかどうかができて、本当に貴重な体験になり一生忘れない、思い出になりました。今回は、ご指導いただき本当にありがとうございます。

     

     

    この度は弊社の新入社員研修を、お受け頂き誠にありがとう御座いました。社会人になってちょうど二年目になり、仕事も多く任されるようになりましたが、今回新入社員と共に研修に参加させて頂き、心を新たにすことが出来るような気がしました。私はこれまで女性だからとか、長女だからと様々な理由で両親からも恩師や友人からも甘やかされて、育ってきました。

    何か失敗しても、笑って誤魔化して許されたように思います。それが社会人になり、一つ一つの仕事に責任を持つことを学び、それを守るようにどんな仕事にも全力で取り組んできましたが、この研修に参加すまでの数ヶ月間は、こなしてもこなしても仕事が終わらず、時には仕事を辞めたいなぁと思うこともありました。

    そんな中、参加した今回の研修ですが、特に私の心に残ったのは「マイナス」の言葉を吐き続ければ、それが塵溜めのように体内にインプットされ、魂を支配すると言う住職の言葉でした。仕事がいかに大変でも、マイナスの言葉を吐かない人は人から好かれ、自然とスムーズに仕事こなせるようになって行くということを思い出させたように思います。

    また、どうしても仕事に追われていると、友人や可愛い後輩に厳しい態度で、接してしまったりすることもある未熟な私ですが、今回の研修のことを契機に心機一転で、頑張って行こうと思うことが出来ました。

    新入社員と一緒に参加させて頂いた、お百度参り滝行ですが、最初は身体が辛くただただ早く終わりたいの一心でしたが、続けるうちにだんだんとその辛さが麻痺していき、邪念が無くなっていくのを感じました。

    普段の生活の中で、滝に打たれたりお百度参りを行うことは難しいですが、心が乱れたとき時や迷ったり怒りたくなったりした時にはすぐに言葉に出さず、一度心を無にして雑念や邪念を浄化できるように努めて行きたいと思います。

    今回の研修ですが、これから各職場で仕事を初める新入社員にとって、社会人として人間としての心構えを身につけさせる大変良い機会となりました、引率として来たはずの私自身も自分の未熟さや甘さを再確認させられ、今後の仕事への向き合い方を考えさせられる良い経験となりました。

    これから仕事で迷うことトラブルにぶつかることが有ったら、今回の経験を思い出し障害を乗り越える糧にしたいと思います。この度は貴重な経験をさせて頂き、ありがとうございました。

     

     

    今回企業研修の二泊三日に修行として参加させて頂き、新しい発見が幾つもありました。そして、自分自身が見えている分と、他人から見られている分の差を理解することが出来ました。自分だけでなく、常に他人と共有し物事を理解していくのは、個人の力だけでなく組織の総合力で明確にするものです。

    会社でもそんな業務が必要で、今までは個人すなわち自分自身が一番重要で、他は置き去りにしていることが多く、他人の気持ちに対し気がつくことも、気を回すことも出来なかったことに、気がつきました。これからは、部下の顔をもっと見て、体調が悪い等の変化もわかる位に、細部を観察し声をかけて行きます。そうすることで、部下からは上司からしっかりと見られていることに気がつき、いずれは更にその部下からも認めてにもらうことで、もっと明るい職場になれます。

    以上のようなことからも、今回の企業研修は有意義であり、テレビで見かける「滝行」に「大げさではないかと言う」意見に騒いでいる聴衆へ、冷たい水温に入りながらも身を清め、滝行が出来たことに感謝し、天光寺での本物しか分からない、ありがたさを知りました。

     

     

    私は今回の企業研修を通じて、社会人になってまだ身についていなかったこと、多くを学んだ。忍耐の必要性や同僚の大切さ、そして組織の一員としての自覚も体験した。

    正直、今回の研修はとても辛かった。お経朗読を百回、千回と唱えることも、三禮という行いも冷たい滝に打たれることも、途中で逃げたくなるようなことが多くあった。特に三禮は声を出しながら、立ち座りを繰り返すというもので、身体への負担も大きく声を出そうにも、呼吸できない程だった。終わった後は汗をかなり掻き、立ち上がることもままならない疲労感があった。

    しかし、その苦痛とは逆には、やり遂げたことに対する達成感と、何回か遅れをとり確り出来なかったことに対する悔しいと言う気持ちがありました。住職が私達におっしゃった、「辛くとも、どうすることも出来ないのであれば、それを受け入れなさい。」で、確かにそうだと思った。三禮の時はどこかに辛いという感情を持ち、自分に甘えていたのだと今は思います。

    仕事の場でも、これから数多くの苦難にぶつかるはずである。しかしそれは自分で成さなければならないことなのだから、どれ程辛くても成し遂げなくてはならないと感じています。それだけに、今回の研修を通じて、どのような時でも頑張れることの出来る忍耐強さと精神力が、感じ取れた思いです。

    どれ程忍耐力をつけたとしても、失敗したときや上司からの注意された時は、気持ちが沈むでしょうから、そんな時に支えになるのが同僚の存在です。今回二泊三日の研修で、共に生活し共に試練を乗り越えることで、団結することが出来たと感じました。

    お百度参りでは、お経を唱え礼をしてから走りこみを、百回程往復する。そして、お百度参りを重ねることで、皆の動きや唱える声が合ってきているように感じました。その瞬間が、嬉しく思えました。

    その他にも毎朝皆で清掃した際のときも、与えられた作業のみでなく他の人の手伝いを積極的に行ったときにも、助け合うことの重要性を改めて学ぶことが出来ました。同僚と過ごした研修では、深く感謝の念を持ち、お世話になった天光寺の皆様にも感謝します。

     

     

     

    企業研修を天光寺にて、二泊三日過ごしました。三日間はとても長かったようで、とても短かった。1日目は挨拶や声だし、そして般若心経を百回朗読しました。その後、「いらっしゃいませ」「ようこそお越し下さいました」「ありがとうございました」「お気をつけて、お帰りくださいませ」なども各100回ずつ行った。

    般若心経は正座した状態で、とても長めのお経を行った為、足と声が辛かった。普段見慣れてい無いものなので、一緒に参加した同期も言っていたが、目が疲れた。私は少しの仏教の知識があるため、其の分だけは楽しめました。相当辛い読経であったが、終わってからの達成感はとても感じ入ることが出来た。

    2日目は、おそらく最もハードな日だろうと考えていたが、予想以上よりもハードだった。光明真言、御宝号を百回と千回読み、お百度参り滝行そして三禮を百セット行った。やはり最も印象に残っているのは、滝行であった。「想像より厳しい」と、言われていたので覚悟して行ったが、思ったよりは厳しそうではなかった。しかし、滝行にいざ入ってみると、滝に打たれて呼吸を上手くできず大変だった。周りのサポートもあり、呼吸を整え御宝号を唱えることが出来た。

    その際に、とても感じたことは「仲間の存在の大きさ」だった。滝に入った時間は短かったが、一人ずつ入ることが出来た。皆が応援してくれているので、とても心強かった。このような機会はなかなか無いので、とても良い経験をさせてもらえたなと会社や天光寺の方々、そして良縁に感謝の念を持ちました。

    滝行では「私は、何をしているのだろう」と滝に入り、水の冷たさや打ち付けてくる滝水に集中しました。少し慣れてきて感じた「仲間の存在」は、きっと二度と忘れないです。そして仲間には、お百度参りでも同じことが、感じられることが出来ました。お百度参りでは御宝号を唱えて礼をして走り、その行為を五人で呼吸をそろえて行うことで、一体感を感じることが出来ました。自然豊かな環境の中で、同じ行為を皆と行うことができて良かったです。

    三日間の研修では、一番身体に感じられたものは、滝行でもお百度参りでもなく「三禮」だった。発声しながら身体を動かすもので、普段運動不足の私にはとても厳しかったです。これに関しても、隣で頑張っている同期がいてくれたことで、最後まで立ち上がることが出来たと思います。

    最終日には、十三仏真言を各百回朗読しました。そして、住職からの有り難い法話を聞く事が出来ました。貴重な経験が出来たことや話を下さったこと、ありがとうございました。

     

     

    私は、この天光寺での研修を行い、感じることが多く有りました。まず、このような「非日常」体験が今まで無かったので、新鮮でとても辛く感じました。今回、正座で座ることが多く慣れない正座は、辛かったです。さらに、目を閉じて何分間かの「瞑想」したり、「あー」と言い続けたり普段では絶対に遣らないことでした。

    その後「般若心経」を、約三時間かけて百回読みました。座ったまま同じお経を百回読むといったことは、自分が思っていた以上に辛かったです。さらに、挨拶の練習をしました。これは、二つの文章を一時間以上かけて、読むものでした。「般若心経」より短い文章でしたが、とても長く感じました。

    この天光寺研修の1日目は、自分の意識との戦いと思いました。自分の心の弱さが、良く分かったような気がしました。この天光寺では、食事の時に「南無大師遍照金剛」を3回、「光明真言」を3回、「般若心経」を1回唱えて、さらに「食前の言葉」を唱えてから食べるという決まりがありました。

    「食前の言葉」を言うことにより、いつも当たり前のように食べて残すこともある食事を、改め考え直すことができました。食事はご飯と味噌汁と野菜で、私が普段あまり食べない物が多かったですが、しっかりと食べました。その後は、「写経」を行いました。久しぶりの書道で上手く書けませんでした。小筆は難しく、頑張りました。

    二日目は、初日と違い身体を使う修行研修が多かったです。朝は6時に起き、2時間ほどかけて天光寺の清掃をしました。その後朝食では、お粥を食べました。その後、お百度参りを往復しながら「南無大師遍照金剛」を、唱えました。このお百度参りはその名前の通り、百回往復するものでしたが、辛くありませんでした。

    さらに、川行を行うため徒歩で川まで向かい、御身法を行い全員で川に入りました。外気や風も冷たく、外にいるだけでも寒かったのですが、川の水はもっと冷たく入った時、動けなくなりました。水の中で「南無大師遍照金剛」を連呼して唱え、終了しました。

    この二日間で非日常を体験し、心と身体を少しは鍛えられたと思います。集中するということや、我慢するということを身に付けられていればと思います。

    私は積極的になかなか行動できなくて、いままでチャンスを逃している気がしていました。これからは、いつ何が起こるか判らないから、消極的にはならないでチャンスを受け入れることの出来る、準備をしておこうと思いました。自分が今までやってきた悪いことを言うと、あまり怒りの感情は出さない方だと思っているのですが、たまに怒りの感情が出てしまい相手を傷つけてしまったことが有るので、これからは許し喜び愛していける心を持ちたいと思いました。

     

     

    天光寺の研修で、今まで体験したことの無い経験ができました。般若心経を百回切り返す「行」で、担当の方が「こう言った、辛いように思うかもしれない行うことで、普段の生活に戻った時、新たな発想が生まれる」と、おっしゃっていました。直接自分の人生に活かせるかは分かりませんが、こう言ったことを一つ一つ一生懸命取り組むことが、大切だと思いました。

    さらに、法話では「何事においても、積極的に生きるか消極的に生きるかで、運や人生が変る」とも、おっしゃつていました。

    普通の生活や仕事でも、積極的に一生懸命に取り組み、今までの人生は学校や家庭といった周りの環境からチャンスを与えられることが多かったと思いますが、これからは自分で感じて掴めるようにならなければ、ならないと思いました。

    その上で、ものごとの優先順位を見極め、これから自分が関わっていく組織で、自分のやりたいことや遣るべきことだけでなく、周囲の人が困っていることや遣りたがらないことを行い、属している組織にプラスの存在となれるように、行動していきたいと思いました。

    もう一つ、法話の中で消極的な言葉は、使わないようにすると有りました。消極的な言葉は、人を傷つけたり失望させたりと、良くない影響を与えます。逆に、人に喜びや勇気を与えられるような言葉を選び、これから先の社会に出て生きていく上で、そういった朗らかに感じられるような言葉を、使っていきたいと思いました。

    この二日間の研修で得られたものを、これから活かせるように忘れずに、生活していきたいです。

     

    私は罪作りな者なのでしょうか、幾度かお祓いをして頂ける場所にも行き、お祓いをしてもらいましたが、私の霊は深く強いとかで未だに恐怖心と言いましょうか、背筋に汗を掻く毎日です。

    今回、天光寺でのお祓いは今までのお祓いを受けたものとは違い、二度のお祓いで私の体内に潜んでいたのか、悪霊が消え去り成仏していった感があります。一番大きく感じたのは、睡眠時の大切さに感動し、心拍の変動も穏やかになり恐怖心も薄らいだことです。

    住職からはお祓いを受けると言っても、お祓い先の信用度もあり経験度もあると聞かされました。私が受けた前回までのお祓いでは、今思うと天光寺でのお祓いは効能とでも言いましょうか、別格なものでした。

    思うに、何故あのような恐怖心が有ったのか、悪霊が私に入り込んだかは分かりませんが、日々恐怖の連続で憔悴してしまったのか、外出しては誰かの視線を感じて小走りにしか歩めない、情けないものでした。良かれと思い、手を差し伸べてきたことが裏切られたり、無視されたり在らぬ噂の種になってきました。家人でも、私からよそよそしくなったり、私を避けるような行動に出たりで、家族としての構成ができていませんでした。夫婦としての主人とも、会話も夫婦の関係も無く押し流されていたものでした。

    当時の話を今では主人と話ができるようになりましたが、主人曰く近寄るのが恐いと言うか別人格で固まっていた私を、避けていたとのことでした。今では私の顔相も変り、話し掛けられるとまで言われています。お祓い前の私は、どのような存在だったのでしょうか、自身か恐がっていた以上に家人達は恐がっていたのかもわかりません。今思うと、恥ずかしく赤面だけです。

    最近は、住職の言いつけを守り「般若心経」を祈り、精進しています。

    今まで私は、科学的なことには現実性があると信じてきましたが、非現実で非科学的と避けて通ってきたお祓いに助けられようとは、思いませんでした。形も臭いも無いモノのお祓いが、今世紀になっても行われていることにさえ驚きでした。
    お祓いは、物語や言い伝えの中だけに存在する、戯言であるさえ思っていました。それゆえに、映画やテレビや何らかの動画を見ても、どちらかと言うとお祓いはお遊びの延長線での創作であるとさえ思い考えていました。非科学的なことは、妄想に拡大され言い伝わる娯楽とさえ思っていました。
    では何故にお祓いが私の生活に行動に現象に入り込んだかですが、今もってはっきりした証拠は無いのですが、余りにも非現実的なお祓いを蔑み罵り罵倒したことなのかとさえ、今では思っています。始まりは、霊現象の非科学的な話から始まりますが、現実に体験で来ていないことへの疑義が余りにも多く、証明されることも無いか少なくかで、世間からも阻害されていたからです。
    その非科学的で非現実なことが、自分の身体の変化で通院してあからさまになったことから始まる、医師でもわからない現象なのかが告知されたことです。その様なことから、非科学的なことが科学的なことへ入り込むというか、摩訶不思議な現象にも驚いたことです。
    私がお祓いを受ける切欠はやはり、体調不良から来て医師に見放され如何にもならない、不安な現象が続いたことからでした。医師からはなんでもないと言われるが、私個人としては何でもない現象ではなくハッキリとした現象が起きていることからの、医師への信用置けない不安に変っている現実だったのです。
    体調不良にも色々在りましょうが、私の場合は始めは24時間常時耳鳴りが始まったことです。続いて幻聴や睡眠時の寝汗や金縛りや、眠れずに起きた際の幻影が見て取れたことでした。何か分からないところから監視されているのか、誘導か操作がされているのか分からない現実であり、非現実では現実だったのです。人様に言えば、きっと怪訝そうに観られたでしょう。
    天光寺の住職からは、多くの方が振動や不規則な涙や苦しみや自殺したくなる、異常を感じてくる方も多いらしく感じ方や体験は違えども、落ち込んだり暴れる者さえいるとのお話に、肝を冷やしました。
    今では、今までのことが嘘のように完治して、日々爽快に過ごすことができております。今後は、様々な現象にも目を向け、住職様から教えたれたことを思い出して、過ごしていきます。

    ありがとうございました。

    俺は世間的に言えば、一般人でなくハグレ者です。そんな俺が、何故にお祓いと笑われても仕方がありませんが、現実なんです。
    若い時から喧嘩だけでなく、盗みや騙しや脅かしや嘘を吐きながら生きて来ました。思えば、泣き喚く赤子を叩いたこともあれば、真夜中に相手の家に入り込み騒いだこともありました。世間の、嫌われ者でした。
    相手には厳しく、己には甘くの風来坊でした。それが祟ったのか、定職のも就けずハグレ者の知人しかいない世界で過ごしていました。こんな俺が、お祓いとはお笑い種なんです。
    背中に入れた刺青も、今では何の勢いも無く崩れた絵になっていて、人様に見せれるようなものでは無くなり、オドロオドロしたモノにもなっていました。気付けば、歳も半世紀を過ぎ初老になり始めています。世間様からのお助けも無く、死んで行くのかと思うと遣る瀬無いだけです。
    お祓いを受け今は改心していますが、俺には獣の悪霊が入り込んでいたと聞き、自分の恥ずかしい有様がそのまま住み付いたのではないかとさえ思いました。己が、嫌になりました。
    思い出せばお祓いを受けるまで、金縛りや魘されて布団から起き上がる連日で、憔悴しきっていた毎日だったのでした。このままでは、独り死んで行くだけと思い込んでいた当時でした。俺のような者でも、拾ってくれたのかとさえ思える世間に感謝して、今後は人様から後ろ指を刺されない生活と行動をとりたいです。
    意味不明の痛さに魘され、もがき回っていた独り部屋で、天井を見て涙したことが忘れられないのですが、まさかのお祓いで人生を変えるべく現在が出来たので、今後は努力していきたいです。
    天光寺でのお祓いでは生き神様がいると感じ、今後は仏門での勉強をしたり、何らかの修行することも考えてます。

     

    人生とは異なものなのですね、思いも寄らなかった方との出会いもあれば別れもあるように、私自身も同じような体験から、まさかの神秘の体験のしたような出来事がありました。忘れもしない約1年前のことですが、ひょんなことで出会った方が遠縁の親戚であった事から始まった災難です。

    親戚と言えば、縁も強いし交流も強いと思っていましたが、疎遠になっている親戚がいて交流も無ければ、忘れ去れても致し方なかったのではないかとさえ思いました。

    その様な方と、親戚でも数人しか知らない宴席で出会うとは、はじめは感心するのですが実態は、寒心でした。出会ってから頻繁に連絡を頂くのいいのですが、金銭がらみが多く三度目か四度目には連絡を頂いても困りますと、きつく連絡を頂くのは遠慮して欲しい旨言い捨てました。その時相手は、何を言うのか夢に中でも話し込みに行くと言い去っていきました。

    その後数ヶ月して、家の者が変な話をしているので、聞き耳を立てていると何やら毎日夢の中に、同じ人から呼び止められていて、熟睡できないと言うものでした。私は忘れていましたが、今になってしかも私ではなく家族の者の夢の中に、何がしらが入り込んで来ている不安を感じました。

    当時、霊現象でのカルチャースクールに出席していた私は、講師の先生(僧侶)に話しかけて、何かしらの答えを出したくて訊ねてみました。

    先生曰く、家族でお祓いを受けてみては如何ということでした。お祓いは通常一人で受けるものと聞いていましたが、家族3人でお祓いを受けることが良かろうという事になりましたが、何処でお祓いを受ければいいのかは、先生も存じ上げませんでした。

    そんな経緯から、お祓いが受けられるところを探して、多摩に有るお寺を探し当てました。受けられるところは知り得ましたが、どの様な申し込みをすればいいか分からず恐る恐る電話して、

    まずは相談からと疑心暗鬼でしたが、寺の住職からは穏やかな話から安心が湧き出て、お祓いを家族で受けさせて貰いました。

    結果的には、遠縁の親戚は唯の遠縁でなく、過去の出来事から今の親戚縁者から切り捨てられた、親戚を剥奪された者であったと聞き、因縁か怨念か浮遊している霊が入り込んだのではないかと言うものでした。今の時代に在って、このようなことが存在しているのかと驚きながらも、お祓いの凄さにも驚きました。

     

     

    私は都会に住んで、約十年を迎えようとしています。地方都市から夢見る大都会に行きたくて、電車には飛び込むようにして都会に出てきました。地元での就職は一切考えず、両親からの話も耳をふさいで都会に行くことだけを考えた就職を決めての行動でした。

    都会で一人住まいをはじめ、都会での仕事をはじめ、都会での身も知らずの多くの方と出会い、

    混沌とした生活を楽しみながら生活していました。都会は新鮮で、多くの誘惑もあり戸惑うこともありましたが、すべて自分にとっては素晴らしい体験とばかりに、闊歩していました。

    出会いでは、故郷では味わえなかった出会いもありましたが、多くは出会いよりも別れが続き気持ち的にはナーバスになった現実でした。

    出会いがあり、人を好きになり、将来を固く語りあった事もありましたが、些細なことから別れがあり、涙ぐんで初めてのお酒に飲まれ朦朧としたこともありました。女として粋なのか、身体は売っても心は売らないと言う、危ない考えに走ったこともありました。

    そんな中、都会に出てきてふと振り返ると三十路近くになり、周りを伺うと多くは幸せな生活を始めている方が多く、私は一人孤独を味わう羽目になったのです。暗い部屋に帰って、小さな明かりを灯して溜め息をだし、自分には何一つ幸せも良いことも無いと塞ぎ込んでいました。

    そんな塞ぎ込んでいたときに同僚から誘われた合コンに始めて出席して、気晴らしを思っていたまではいいのですが、目の前に現れた異性からのアプローチに、戸惑い舞い上がっ手しまいました。初めのうちは何気ない話から始まりましたが、二人で合うことが多くなり、かなり具体的なことに入り込み、三十路前と言う負い目があったわけではありませんが、ついつい走りこんでしまいました。

    結果は都会での誘惑と妄想の塊で、異性には好き放題に遊ばれ金銭まで騙し取られて、捨てられました。人間不信にもなり、少なからず自殺も脳裏に浮かぶ日々が続きました。その頃から、悪夢も始まり金縛りや痙攣が起こりました。医院に行って精密検査を受けましたが、どこも問題が無いと言われても、寝入ると起こる金縛りと痙攣に、生きた心地がしませんでした。

    仕方なく、メンタルクリニックや、カウンセリングなどを受けました。その中で、意外な話がもたらされたのが、医療的な話でなくお祓いという超自然的な話でした。藁をも掴みたい私は、二度三度と診療室を訪問して、お祓いの話を聞き込みました。

    お祓いは、ネットで調べ、東京は多摩にある天光寺という寺院に赴き、予約だけでなく相談にもお時間を割いてもらい、お祓いの日時を決めお祓いしました。お祓いでは、住職曰く貴女の煩悩から来ていると言われました。

    お祓いが終わっては、闇夜から明るい日常に戻されたようになり、何も無かったような清々しい気分になり魘されることも無く、平凡ですが明るい日々を送っています。

     

    自分では信じがたいことなのですが、心身耗弱ではないかと思うようになっていた矢先、知人の紹介で天光寺でお祓いを受けました。

    始めは、お祓いとは大袈裟ではないかと思っていましたが、振り返って生活を見直すと、行ったことも無いところの夢を数日間見るとかがありました。

    ちょうど仕事先のポジションが変ったこともあって、たんなる疲労から来るものではないかと思っていましたが、数日経つと金縛りや脂汗や不意な起き上がりがあり、不眠症になってしまいました。仕事先では睡魔に悩まされ、仕事でのミスも指摘されも混沌としていました。

    そんな時友人から、顔色も悪いし言葉少なくなっている私を気遣ってか、話を持ちかけて来てもらったのが、天光寺でお祓いを受けるきっかけになったことです。

    住職からは、お祓い診断でお祓いしなければならない、信じがたい乗り移りがあると指摘を受けました。

    内容的には、水子と悪霊との入り込みとのことでしたので、早々にお祓いをお願い致しました。

    半信半疑の私は特別な祭壇お前に進み出て、住職に促せられながせらお祓いを受けました。

    お祓いでは、意識していないのに涙が流れ、時には苦しさも覚え、肢体も揺さぶられましたが、お祓いが終わると今までには感じたことが無い、爽快感に包まれ安堵しました。

    ありがとうございました。

    恥ずかしい話ですが、私がお祓いを受ける原因は、両親の介護施設での死亡から来ています。仕事が忙しいからと、両親を施設にまかせっきりにして、自分優先の生活をしていたことです。施設の費用を捻出するために、頑張っている自分を誇らしく思っていた位でした。

    認知症の両親を施設に預けて数年経ったころ、施設からの緊急電話で施設に向かい両親に会った時は、二人とも冷たくなっていました。ただただ涙が流れ、自分を責めました。

    人の命とははかないと言いますが、まさかの両親の死は想定外であり、私を追い詰めました。その後は、自分のわがままが優先して両親を施設に預けたことが、死亡を早めたのではないかと思うようになり、社内の医務室では万が一のうつ病になりかけていると診断され、目の前が真っ白になったことを記憶しています。

    両親の死亡は、私が原因を作ってしまったと思うようになり、混迷していた時に心の乱れを元に戻す施しがあると聞き、天光寺のお祓いを受ける機会ができました。

    お祓いを受けるまでは、半信半疑で何度か止めようかと思いましたが、両親への一念お思いからお祓いを受けました。

    お祓いを受けている際は、自分の体が勝手に動き出したり、胸が苦しくなったりしました。更に声も出せず、ただ時間が過ぎているだけの様で不安でした。

    いくつかの施しお祓いが終わり、朦朧としていたものが消え我に返ったときは、何が起きたのかさえわからない状況でした。不思議な体験としか、言いようがありません。そして、ふと感じたのは身体が軽く感じたことでした。邪気が消えて、取り払われたとのことでした。

    超自然界の出来事なのか、お祓いで私は助かりました。感謝します。

    私は若いときに、付き合っていた彼氏の子供を身ごもりましたが、結婚できる年齢でもなく学生でもありました。

    そんなことから、お互いの両親を交えて話し合いが持たれ、産婦人科で堕胎手術を受けました。若気の至りだったと、反省していました。当時の彼とは別れ未だ独身の私ですが、最近やたらと顔の無い赤ん坊の夢を見るようになり、脂汗を掻いて夜中に起きるようになったり、心臓の鼓動が烈しくなっているかのように感じたりしました。

    近所の医院に行って、検査してもらいましたが、全く問題が無いとされ帰宅し致しました。それでも不安が募り、日々不安が広がり寝るのが恐くなって、一睡も出来ない日が続き体調不良にもなり生理も止まり、散々でした。

    そんなことから、過去のことを知人に話していた折に、お祓いを受けてはどうかと助言を貰いました。お祓いを受けてはと言われても、何がお祓いなのか分からなかったのですが、関東地方にある寺院で、お祓いを受け付けているという話を聞き、早々に探し出してもらい電話しました。

    関東地方といっても何処に在るかさえ分からない私でしたが、電話して相談できたのでお祓いを受けることを希望し申し込みました。

    仕事もあるので、有給を申請して会社にはお祓いのことは内緒にして、お祓いを受けれました。

    お祓いでは、思っていた通りですが、住職から水子の霊が取り付いていて、成仏で来ていないことを指摘され、顔の無い赤ん坊の夢を見たことは、そのようなことからなのだとも教えられました。

    水子のお祓いは済んでも、今後水子の供養をしていかねば成らないことなども助言を受け、自分の過ちを感じました。

    今では毎日問題無く仕事にも行けて、悪夢にも睡眠を邪魔されず寝入ることが出来ています。お祓い、ありがとうございました。

    不安な毎日が続き、家の者からは最近おかしいと言われ、家から出ることも嫌になり、ふさぎ込んでいたときに親戚のおばさんから、お祓いでは定評のある天光寺の存在を耳しました。

    疑心暗鬼で話を聞き、おばさんと共に天光寺に行くことを決め、電話して簡単な私の事情を話してから訪れました。

    私たちの訪問では、何組かのお祓いを受ける方と思われる方達もおり、神妙な気分になりました。

    私の順番が訪れ、おばさんと寺のお祓いをする場所に通され、線香の臭いに包まれた室内でことが始まりました。

    お祓いが始まるまでは記憶がありますが、お祓い中は記憶が無くどの位の時間行われたお祓いなのかもわからず、我に返ったときは涙が流れ清々しい気分だったことを記憶しています。

    住職の話では、私の因果なのか何やら獣が、私を苦しませていたことを告げられ驚き、どうしてそんなことに成ってしまったかも分からずにお祓いが終わりました。

    それ以来ですが、日々の不安も無くなり、毎日普段どおりに過ごせる嬉しさに、喜んでいます。

    子供達から私の顔が以前とは違って、恐くなって来ていると言われ鏡を久しぶりに覗いてみると、自分でも信じられなくなるほど自分の顔ではない自分が鏡に映し出されていました。

     

    どうして、どうして、自分の知らない間に、人相が変るなんて不思議で仕方が有りませんでした。

    娘など、私の声まで以前の声とは違って来ていると言われ、信じられませんでした。

    思い当たることも無く、ただ呆然と鏡を見ていると鏡の中から、何やら声が聞こえるのか分かりませんが、呼び込まれるような気がして恐くなりました。

    居ても立っても居られず、主人にも話をして見ましたが、主人からも納得いく話がありませんでした。

    そんな時、娘がお祓いを受けてはと言い出し、藁をも掴む思いで天光寺で、お祓いを受けました。

    住職の話では、あなたに身体にいる生霊はもの凄く強情なので、全身全霊でお祓いをしますのでといわれ、身体が硬直したことを記憶しています。

    お祓いが始まり、どれほど経ったのか知れず、身体の節々が金縛りに縛られているのかも分からず、記憶が無くなり倒れてしまいました。

    住職からの声で起こされ、気がついた時には金縛りも消え、付き添って来てくれていた主人からも、人相が変り穏やかになっていると言われ、信じられませんでした。

    今では毎日が楽しく、娘からも笑顔の私を喜んでもらっています。感謝します。

    仕事に疲れ、一人帰る部屋にはだれも居なく、平凡な日々を過ごしていましたが、勤め先で上司から言われて信じられない内容に、わが身が震えました。

    上司の話では、最近の私が別人格の人ではないかというのです。

    別人格といわれても、私は何も感じていませんでしたが、他の同僚が疎遠になっていることに気がつきました。

    近寄りがたいと言われている、私が存在しているのだと上司から言われ、愕然としました。

    顔色も以前の私ではなく、女子社員には何か恐いとも言われたりもしました。

    自分では知りえない何かが有るのかも分からずじまいで、数日過ごしましたが、

    夢では殺される夢や獣に追われる夢ばかり見るようになり、寝ることに恐怖が募り穏やかではない自宅の部屋になってしまいました。

    そんなことから、数日間の仕事を休みましたが、自宅の鏡で見る自分の驚き、不安で布団の中で震えていました。

    心配した上司が、知らない人と家庭訪問してきて、その知らない人から信じられない言葉があり、お祓いをしないと自殺するかもしれないとまで言われ、天光寺でお祓いを受けることになりました。

    お祓いでは、神秘的なものばかりで、お祓いでは光り輝く感覚で終了しましたが、同席してくれた方からも住職からも瞳の輝きが出ているとか言われました。

    自分でも、リラックスした肢体に温もりを感じ、安堵しました。

    お祓いの効能なのか、吸い込んだ空気も美味しく感じた、お祓いでした。

    私は、寝ていると金縛りにあったり、意味無く耳鳴りがして頭痛で、寝られないことが有りました。

    今まで生きて来て、どうしてこんなことが起きるのか分かりませんでしたが、知人のおじさんから、東京は桧原村にある天光寺を知りました。

    次々に起こる体調の不調から、仕事も出来ずに布団の中でふさぎこんでいることもあり、天光寺にまずは電話をしました。

    初めに電話に出た方から、住職に電話をつないでもらい、今の事情を話をしたところ、お祓いの予約を取って寺に来ることを案内されました。

    不安いっぱいでしたが、日々のことを考えると居ても経ってもいられませんでしたので、二日後には寺に訪れお祓いを受けました。

    何でも、お祓いを始める前に住職から受けた質問では、言われて気がつくこともあり驚きの連続でした。

    どの位の時間お祓いがあったのか、どの様なお祓いで有ったのかは、知る由も有りませんでしたが、お祓い後の感じた爽快感と頭痛が消え去った事実に驚き、感謝するしか表現できませんでした。

    訪れてよかった、お祓いしてもらってよかったと、感謝でいっぱいです。

    反省すべき点が多い自分ですが、ここに来てからいろいろと人として大切なことを教わりました。
    今まで自分は、困難に直面するとすぐにそこから逃げる癖がありましたが、ここに来て住職さんの法話を聞いて、『困難とは、神様が一人一人の人間に与えた試練であり、神様はその人に乗り越えられるよう一人一人の人間に困難を与えている』ということを知ることができました。この話は自分にとってかなりプラスになりました。

    それと、正座でお経を読むのはかなり苦しいですが、今までよりも忍耐強くなれると自分自身感じております。
    今回ここに来て、自分にとって以前の自分よりもかなり成長できたんじゃないかと感じております。つらい毎日ですが、頑張っていきたいと思います。

    私は二年ほど前からよくないことが続き、原因不明の頭痛や、寝ているときの金縛り、深夜にラップ音がしたりする現象に悩まされていました。他の霊能者さんのところでお祓いしてもらったのですが心霊現象がやまず、もう諦めかけていた時、天光寺さんを紹介して頂いてお祓いをお願いすることにしました。

    ご住職によるカウンセリングと霊視の後、確認作業をしていただいたところ合掌していた手がぶるぶると震え出し身体ごと後ろに倒れてしまったので、そのまま最後まで除霊をしていただきました。目を閉じてご住職のお経を聴いていたら涙がたくさんあふれてきて止まらなくなり、最後にスッと体が軽くなるのを感じました。目を開けると世界が明るく鮮やかに見え、肩の力が抜けたような、とても晴れやかな気持ちになりました。こんな経験ははじめてだったので驚きましたが、憑き物が落ちる、とは正にこういうことなのかな、と思います。

    その後は金縛りもぴったりとやみ、恐怖心もなくなったせいか不眠も治って、毎日心安らかに過ごせています。ご住職様には本当に感謝しています。有難うございました。

    僕は、いつも家で弟と喧嘩をしたり物事にもチャレンジせずに、だらけた生活をしていました。

    天光寺に来て何かが変わってきた様に感じました。

    同じ年くらいの子供達が多く、初めは馴染めなかったけど、勇気を出して食器の後片付けを率先してやってみたら、周りから『良く手伝ってくれるから助かるよ』と言われて、その日から手伝う事が楽しくなった。

    滝修行は辛かったけど、必死に頑張りました。終わった時には、すごくさっぱりして気持ちよかったです。

    僕は天光寺に来て物事にチャレンジする力と、辛い事に耐える力を身につけました。

    家族の大切さもです。帰ったら弟にも優しく接し、お母さんが疲れていたら食器洗いも手伝おうと思います。

    私はどうして天光寺に連れてこられたかと言うと、自分が悪い事をしたのに家族に八つ当たりしたり、学校の先生に注意されても反抗して迷惑をかけていたからです。

    学校では停学になり、お寺に来ても皆に迷惑をかけてやろうと、廊下を走り回ったり、洗濯機にいたずらしたり、周りの人に嫌な思いをさせてしまいました。

    そんな私だったけど、2週間が過ぎて我慢出来ることに気付きました。

    今まで自分勝手だったけど、お寺でいろんな人とお話したりして、自分が嫌な人間だと解ったからです。毎日滝に行ったり、洗濯のお手伝いをしたり、すごく疲れるけど、お母さんの気持ちが解りました。

    家に帰ったら、友達と楽しく遊びたいです。家族や、学校の先生の言う事も聞いて、少しずつ我慢できる様になれたらいいと思います。

    滝修行も大人の人に負けない様に、何回も入りました。褒められて嬉しかったです。

    少しはお姉さんになって帰りたいと思います。

    お寺での研修は初めてで、不安な事ばかりであったが、無事研修を終える事が出来て良かった。研修内容は事前に聞いていたので想像通りの内容だったが、正直ここまで辛いとは思っていなかった。特に、長時間の正座や、長時間の光明真言、般若心経は普段は絶対にやらないことなので、とても辛かった。

    一日目は自己紹介や挨拶の作法を学んだ。普段から挨拶はするように心懸けてきたが、礼の仕方や、声の大きさはとても雑だったと感じた。今後は上司の方など目上の人と挨拶する機会が増えると思うので、ここで学んだ挨拶の作法を忘れずにどんどん活用していきたい。一日目の夕食がここでの初めての食事であり、食前の挨拶をするのも初めてであった。当たり前の様に食べていた食事であったが、食前の言葉を唱え、挨拶をする事で、食事が出来る事の幸せさを感じることができた。今後も、この気持ちを忘れずに、いただきますと、ごちそうさまでしたは必ず言う様にしていきたい。

     

    二日目は、お百度参りと滝行を行ってきた。どちらも初めての体験であり、とても貴重な体験をさせて頂いた。特に滝行は一度やってみたかった事なので、とても満足することができた。思ったより冷たさは感じなかったが、呼吸をするのがとても辛かった。苦しい状況の中に居る事で、精神力を鍛えられたと思う。仕事をしていく上で精神力はとても大事な力だと思うので、精神力が弱くならないように努力していきたい。

    三日目は、法話を聞かせて頂いた。昔から、人は何の為に生まれてくるのかと何度も考えてきたが、その時は正しい答えが出せなかった。しかし、法話を聞かせていただき、やっと納得のいく答えに出会えた。以前に見た事のある光景を見たり、以前にしたことのある動きをしていることは、よくあることで、不思議に思っていたことなので、それが前世の記憶と知った時は、とても頭がスッキリした。貴重な話を聞く事が出来て良かった。

     

    これから私は今の会社の看板を背負って生きて行く事になる。今の会社に貢献していくには、何事にもプラス思考で考える事が大事だと感じた。社員として、そして一人の人間として立派になるために、この三日間で学んだことを頭に入れておき、活用していきたい。

    私が姑との不仲、娘の非行、暴力で悩み、天光寺さんのご住職と初めてお話しさせていただいたのは、8月も終わりのことでした。
    夫は年の大半を単身赴任という形で仕事をこなしているため、何とか自分で家庭を守りたいという一心でした。

    私は自分なりに姑のため、娘のためと努力してきたと自負しておりましたが、ご住職に10分位話を聞いていただいたあと、ご住職に霊障だと言われた時は、私が化学主義だった事もあり、本当に落胆してしまいました。

    しかし我が耳を疑う間もなく、ご住職の電話で送られてくる言葉の数々には本当に驚きました。家の間取りを正確に言われ、娘の部屋の位置、様子までことごとく霊視され、そして私に生後間もなく亡くなった姉が居ることまで言い当てられたのです。そして、すぐには理解できませんでしたが、家に地縛霊があるとの事でした。私の家は夫の知人の不動産会社から購入した中古一戸建てで、その不動産会社が競売で落とした物件だと言う事は知っていました。後日、ご近所の方から聞くところによると、この家の建主さんは、会社を経営されており、寝たきりのお母様と奥様、娘さんで住んでおられたそうで、会社の倒産によって競売になってしまったとの事でした。そして、その方が引っ越す直前にお母様が天寿を全うされたとの事でした。そのお母様念が地縛霊となり、引っ越してきた私たちに姑との不仲などに作用していたのです。

    私は夫にありのままを話し、10月末、夫と私、娘、姑と一緒に天光寺さんに伺いました。ご住職のお経がはじまるとまず、姑に震えが起こり、続いて娘が合掌したまま倒れました。ご住職の呼びかけで、姑には地縛霊となっていた方が、そして娘には私の亡くなった姉がそれぞれの体を通じて答えてくれました。ご住職のご供養の読経がすべて終わると、姑も娘もすっかり顔つき、そして声色まで変わっていました。

    夫も新年からは昇進が決まり、娘も来年の受験に備え予備校に通いたいと言いはじめ、そして何より姑が実の母のように感じられる様になりました。 本当にありがとうございました。

    本当に霊障か確信があった訳じゃないので、誰にも相談せずに天光寺向かいました。電車に乗ってすぐに泣きたくなり、緊張の為ドキドキで、武蔵五日市の駅を下りた時から、すごく意気苦しくなりました。

    高尾住職さんに最初会ったとき、何か怖いと思ったけど、まったくそんな事はなく、私のために判るように、色々な話をして頂きました。

    お経を唱えているとき、住職さんに寄りかかるように、すっとお経を聞くことが出来ました。有難うございました。また、霊が本当に憑依していたのは、正直ビックリしました。供養をちゃんとしてもらえて、よかったです。住職のことは、一生忘れません。

    女性のお弟子さんのヒーリングを受けているとき、手が優しくて、暖かくお母さんみたいでした。大人になって、子供の頃の様に、甘えることはないけれど、触れてもらっていると、子供の頃のことを思い出しました。人前で泣かない私が、泣けたのは天光寺の皆様のお陰です。久しぶりにお母さんの肩をもんであげようと思います。

    今回勇気を出して、天光寺に来て本当に良かったと思います。心の持ち方、考え方など、教えてもらえて、これから前向きに積極的に頑張れると思います。本当に有難うございます。

    4月に初めに御祓いをしていただきました。お陰様で長年服用していた「安定剤、睡眠導入剤」を服用しないでも生活が送れるようになりました。

    自分でも解らないうちに涙があふれ、「いけない事をしていたのは私だ」と気づいたとき、本当に身体から何か抜けていくものを感じました。寒気が腰から首の走り、そのあと本当に次から次へと、涙があふれました。 お祓いが終わったあとの御住職の眼の優しさが印象的でした。初めてお会いした時には、何か怖いものを感じていたのですが、それは私の中にいらない物があったからなのですね。

    帰りに頂いたCDは、休みの日には目覚めると必ず聞いています。そうすると、疲れが何故か抜けたような気がして、思いっきり休みが楽しめるのです。 皆さんありがとうございました。

    先般は当家の先祖代々のご供養をしていただきありがとうございました。

    主人に先立たれ遺産もあったので、3回忌まで贅を尽くしてやってきたことで、全て良いのだと思っておりました。そして、日々仏壇の前で手を合わせることもできずにいた時、私が思いがけない病気になり、見舞いの知人から天光寺さまをご紹介いただき、お世話になった次第です。ご供養の後、長年続いていた微熱もなくなり、熟睡もできるようになりました。ご供養時のなんともいえない心地よさと、御供養後のご住職様のお話が今も心に残っております。

    最近の私の変化を感じた社の者に「どうしたのですか?」と聞かれ、一部始終を話すと「是非行きたい」と。私もまた是非、お伺いしたいと思っておりますので、その節はよろしくお願いいたします。本当にありがとうございました。

    私は5年くらい前から、体と精神状態に異常が感じられ、頭から首にかけて、霊が貼りついているような不快感や痛みを感じていましたが、段々と自分自身の考えている事や、やろうとしている事に対して「霊」の声が聞こえるようになってきたのです。
    そんな時に学生時代の友人から天光寺の事を聞き、すがる思いで友人に高尾聖賢住職を紹介していただきました。

    友人と八王子の天光寺の事務所で待ち合わせをしたのですが、あいにく高尾住職は本山修行道場にいらっしゃるとの事だったので、その足で本山修行道場に行くことにしました。
    道場に着いた時は夜9時を過ぎていました。住職に「今日は遅いから泊まって行くように」と勧められ、お言葉に甘えて泊まることにしました。その夜11時を過ぎたくらいから住職の霊視が始まりました。

    住職は霊視をしながら「先祖霊の因縁、動物霊が数体見えます。貴方のお兄さんは交通事故で10歳くらいで亡くなっていますね」と言われました。このとき私は背筋が凍る思いでした。やがて高尾住職が浄霊を始め、お経を唱え始めると急に息苦しくなり、大きな声で叫びだしました。住職が「貴方、そんな念を持っちゃだめだ。過去の事なのだからこの方と関係ない。早く浄化してこの方から出て行きなさい。さもないと許さない。きちんと悟って行くべき霊界にいきなさい」と言われると、自然と体と手が動きだしていくのが感じられました。

    その後、体が軽くなり頭から首にかけての不快感が自然になくなり、久しぶりに爽快な気分になれました。今ではすっかり元気になり、高尾住職には、本当に感謝しております。

    私はいつも体が冷えていて、真夏でも靴下を履かないと夜寒くて眠れない状態でした。 食後の後片付けも、流しの水の冷たさが恐くて洗うことができません。 いつも体がだるくて頭が重く、大勢の人が集まる場所にいくと吐き気がして、さらに状態がひどくなり寝込んでしまいます。いつも神経が休まらず、寝ている時は変な夢を見たり、家の中では音(ラップ)がし、深い眠りに入ることができません。どうにかこの現象を直したいとインターネットで調べていくうちに、天光寺のことを知りました。

    住職に霊視をして頂き、その結果体も良くないが霊障に間違いないと言われました。私はすぐに天光寺の檜原本山修行道場に行き、高尾住職とお弟子さんから除霊を受けることにしました。

    道場へ行くと、高尾住職が祭壇のある部屋に案内してくださいました。そこで住職から説明を受けました。高尾住職の説明では、霊障で家には自縛霊がいると言われました。先生の話を聞いているうちに胸が急に苦しくなり、氷水の中に入ってしまったように体がどんどん冷たくなってきました。住職がお経を唱え始めると体が震え始め、気持ちが悪くなり、息苦しくなってきました。憑依した霊に対して先生は「なぜ罪を犯すのか、本来行くべき霊界にもどりなさい、観音様とお地蔵さまの力を借りて一緒に霊界にいきなさい」と唱えると、体の中から何かが出て行ったように感じられました。

    その後震えが止まり、体が軽くなり先ほどまで苦しかった事が嘘のように治っていました。
    その後、住職から光輝療法(密教ヒーリング、光輝療法)を受けました。頭の上から何かが出て行くのが感じられ、体がどんどん温かくなってきました。 また、さらに数日後、先生に自宅まで来てもらい(御祓い、除霊)をして頂き、今では体もすっかり良くなり家の中も音がしなくなり、寝るときも熟睡できるようになりました。今では、本山修行道場に月に2回くらいご挨拶に伺っております。

    本当に高尾住職、天光寺の皆様に感謝しております。

    私は以前より家の中に居ると落ち着かない事がよくありました。 また、夜眠ると毎日のように金縛りにあい、寝ている間は誰かと戦っているような感じで熟睡する事ができず、いつも体がだるくて仕方がありませんでした。そのような時に友人から、高尾住職を紹介していただきました。住職は私を見るなり「あなたのお祖母さんがあなたのそばにいます。」と言います。私はその言葉を聴いた瞬間、体の血がひいていくのが感じられました。

    その後、すぐに住職から浄霊を受けることになりました。浄霊を受けている最中、体がブルブル震え、体が冷たくなり、涙が出て止まりません。浄霊を終えた後は体の震えが止まり、気持ちが落ち着き涙も止まりました。先生に霊符を書いていただき、家に霊符を貼りました。

    その後、家の中が落ち着き私の金縛りも、今ではすっかりなくなりました。先生には本当に感謝しております。

    身体がいつも重くすっきりしないので、友人に相談したところ高尾先生を紹介されました。正直、自分でもなぜかわからないのですが、行くのがとても怖く嫌でたまりませんでした。

    友人に引きずられるようにして、天光寺に行きました。住職に会うと震えがきて止まらず、祭壇の前でお経をあげてもらいました。お経を聞いているだけで苦しく、自分でもわからない言葉が出てきました。意識はあるのですが、口が勝手にしゃべるのです。お経の途中、激しく鳴るドラと太鼓のリズムが加わり、身体から何かがで出て行った気がしました。後で、見ていた友人に聞くと、私はお経の間うずくまり、のた打ち回っていたそうです。お経を聞いていただけなのに自分でも信じられませんでした。終わった後は、身体が軽くなり不思議と恐怖感もなくなりました。考えてみれば、祭壇が怖いというのもおかしなものです。

    終わった後、住職にお聞ききした所、取り付いていた霊が怯えて恐怖心となっていたそうです。本当にありがとうございます。

    今年の秋頃から、自宅にいても妙に落ち着くことができなくなって、何か苛立っていましたが、これと言って思い当たるようなこともなく、あまり気にしないように過ごしていました。

    ある晩寝ていると、突然金縛りにあい、意識はあっても体が思うように動かせないうえ、誰か分からないのですが、人の気配を身近に感じ、胸の辺りを強く押さえられて嫌な感じの恐怖感に襲われました。初めての経験でビックリしましたが、そういう事を信じるタイプでもなく、悪い夢でも見たのだろうと思ったのですが、その後も2回目、3回目の金縛りが起こりました。そんな矢先、今度は家の中から今までなかったのに、時々変な音が聞こえ始めたり、いきなりテレビやPCのスイッチが切れたりして怖くなりました。それがラップ現象だと知ったのは、天光寺のホームページを見て電話相談をしてからでした。地方に住んでおり、天光寺に行く時間的な余裕もないので、天現霊符をお願いして送って貰い、指導して頂いた通りに嫌な感じのする場所や位置に貼ったところ、徐々にラップ現象が治まり始め、その後は金縛りにもあっていません。

    正直言って霊符の力がこれほど凄いとは思っていませんでした。今では御守り用の霊符セットを追加注文し、肌身離さず持つように心掛けております。今度、機会ができましたら、ぜひ天光寺に参拝に行きたいと思っています。

    こんにちは。その節は先祖供養ありがとうございました。

    あれから2ヶ月が経ちますが、教えて頂いたように、家族で毎日御先祖様に自分達の気持ちが届くように、またいつも見守って頂けるように手を合わせてお祈りしています。おかげ様で、御先祖様を身近に感じられるようになり、人や物事に対して感謝の気持ちが強くなって、生活する上でも精神的な余裕が出てきたことを実感しています。

    今後、困難があったとしても家族全員で頑張っていきますので、これからも適切なアドバイスを頂けたら幸いです。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

    私は30代に入ったころから、急に人間関係に悩まされ何事にも手がつかないようになった上、他人には聞こえないものや見えないものが聞こえたり見えたりして、家に閉じこもるようになり、精神的、肉体的にも衰弱し始め感覚も鋭くなり、金縛りも多くなり苦痛を感じるようになりました。

    そんな絶望の日々、たまたまネットを覗いていたら惹かれるように「天光寺」のサイトを眺めていました。 その時、自分がおかれている現状が霊障ではないかと思いましたが、なんの知識もありませんし、病院に行くかいろいろ悩んだ末、決心して霊視してもらったところ、自分が憑依体質で今までのことが霊障であることが分かり、除霊と家のお祓いをして頂きました。

    その後少しずつ回復に向かい、今ではどんなことにも動じることなく、精神的にも強くなったような気がします。今回本当にありがとうございました。

    2011年8月に、私は家族旅行中に意識を無くし、医院の診察台の上で意識が戻りました。検査の結果、原因は不明でした。

    あの日から四年経ち、抗うつ剤を服用の上、更に引きこもっていました。この間、家族は、私が良くなると聞けば、全てを試しましたが、結果は得られません。お手上げ状態に陥っていた時、友人が母に「天光寺」を紹介してくれました。母は私に、行きたい所があるから一緒にと誘ってくれましたが、なかなか決心がつきませんでした。その頃の私の症状は、笑わない、話さない、出かけない、楽しまない、誰にも会いたくない、夢がない、希望がない、食べたい物はカップラーメンやポテトチップ、コーラなど体に悪い物ばかりで、自分はどうなってもいい、何故生きているのだろうと大切な人達をとても心配させ、困らせていた事に全く気づかず生活していました。

    2015年5月3日、家族が山へ行こうと誘ってくれました。天光寺へ到着すると、応接室へ通され、座って間もなく気分が悪くなり、もう、帰りたい、と泣きながら一点張りでした。ご住職は、その様子を察知したかの様に、部屋を退室され、しばらくしてから戻ってこられました。

    それから、本堂や講堂等を案内後、昼食に招かれ、食事は想像以上にほっぺがあちる程、美味しかったです。ご住職様の心遣い、おもてなしのお陰で大分落ち着きを取り戻した私に、優しくこちらへ来なさいと別室へ大移動しました。お祓いが始まってすぐ、合掌している私の手が御住職様のお経とともに小刻みに振え始め、太鼓の音とともにその振えは増していきました。その間、御住職は色々な質問を投げかけながら「誰ですか?ご先祖様ですか?」と言われ、次の瞬間ピタッと振えが止まりました。

    お祓いを終え、心も身体も軽くなったのをすぐに感じました。特に首筋の激しい痛みや頭の全体を締め付けるような痛み,胸が圧迫され締め付けられるような苦しみも魔法のように消え去っていました。腰の痛みも消え帰宅して買い物に出かけられる様になりました。

    もっと変わりたい自分がいたので、更に二週間、天光寺で修行をさせて頂き、便秘も解消しました。御住職やスタッフの皆様の暖かいエールとサポートに勇気づけられ、4年前の元気な私に戻りました。感謝してもしきれない気持ちで溢れています。

    友人が天光寺さんで除霊してもらったとのことで相談をすることにしました。

    私は小5のときに原因不明の病気になり、昨年心臓病と分かりましたが何故、その病気を発症したのか原因不明でした。

    また、昨年、祖母が脳梗塞の後遺症で倒れたり、祖父も腰の手術をしたのですが、痛いらしくなかなか治らない状況でした。また今年は、祖母の弟、祖父の姉が亡くなってしまいました。遠い親戚でも1人亡くなっています。

    現在、私は母子家庭で祖父母と暮らしています。母親は霊的なものを感じたり、見たりしています。会社の同僚の方も見える方がいます。私も見たり感じたりしたことがあります。気のせいだと母親は気にしていないようですが、母の体にも異変が起きていて、両手の感覚がなかったり足が痛かったりとあちこちが痛むようです。私も怖い夢を見ることが少しずつ増えてきたり一度だけ、右手の感覚がなく、勝手に動いていたことが寝ていたときにあります。またちょっとのことでイライラしたり、泣いたり、人を恨んだり、憎んだり、殺意が芽生えたり、死にたくなったりといった感情があります。これは やはり 霊的なものが私の家族や周りに影響をもたらしているのだと思いお祓いを受けました。

    ご住職からカウンセリングを受け、霊障かどうかの確認をしてもらったところ手や身体が震えだし除霊作業など最後までお願いしたところすっと身体が楽になり、悪い気も晴れて生まれ変わったような気持ちになりました。

    今年2月に先祖供養をしていただきました。その節は大変お世話になりました。
    心臓病のことも気にかけてくださりありがとうございました。
    住職様の手厚いご供養により、それ以降はラップ現象や寝ている時に誰かの視線を感じることも、霊も見ることもなくなりました。
    今は家族全員気持ちを改めて仏壇に手を合わせることが多くなり、常に先祖が私たちを見守ってくれていると感じるようになりました。本当にありがとうございました。

    高尾住職様に勧められ、大学病院に受診したところ、不整脈専門の助教授の先生が診察してくれました。
    そのまま入院しましたが、その時、はっきりとした夢を見ました。
    高尾住職様が供養してくださった先祖、亡くなった親族たちが白いもやのような霧のような中に上半身の姿だけで現れて私の手を取り、笑顔を浮かべ「大丈夫。大丈夫だからね。ずっと見てるよ」と祖母の母で私の祖父母と祖父が若い頃に早くに亡くなった養祖父母がものすごく優しい声で話してくれました。

    しばらくするとすーっと白い霧と共に皆笑顔のまま消えていきました。
    不思議な夢でしたが先祖が見守ってくれたのだと涙が出ました。会った事もない養祖父母や小学1年生の頃に98歳で老衰した祖父母に久々に会えて嬉しかったです。

    後で助教授から私の病名は発作性上室頻拍という脈が早くなりすぎる病気で普通の脈なら1分間に70回から80回のところ私の病気は1分間は260~270回以上になって意識を失くしてしまう女性特有の心臓病らしいのですが、11歳の頃に発症したので極めて珍しくまた先天性ということもあり珍しい症例になってしまうそうです。
    私も含め家族一同驚きましたが、少しずつ完治させていこうと今は自宅で静かに過ごしています。

    高尾住職様に大学病院のことを勧めてもらえていなければ今頃病気は悪化していたと思います。
    ありがとうございました。また、2月にいただきました幕で身体の悪い物を払い続け そろそろ新しい幕と変えていただこうと思い送りました。本当に何から何までありがとうございました。

    滝修行をさせていただきました。その節は大変お世話になりました。

    あの時お話したように、「日々の喧騒を忘れたくて、非日常的なことを…」と思い体験させていただいたわけですが、「ただ単に滝にうたれる」ことを想像していた私は「入滝、出滝」の儀式に痛く感動いたしました。
    挨拶、お清め、感謝などなど、日常軽んじていたことが荘厳に感じられ、本当に心の垢まで落ちた気分です。

    滝行後の精進料理、大変美味しく頂きました。ありがとうございました。

    会社を通じて天光寺を紹介されました。 ある日突然社長から修行でもして「気持ちを入れ替えてこい」と言われ、天光寺に来ることになりました。

    初日は、水行・川行・滝行を見学し、夜はヒーリングを受けました。
    水行を見学中、ある方が川に入ったとたん何かにとり憑かれたかのように動き、ビックリしました。そのときは、何が起きたのかわかりません。後で、高尾住職の話を聞いてなんとなく理解ができました。

    初めてヒーリングを受けたときは、何にも感じなかったのですが、二回目の日、ヒーリングを受けたときは、赤、緑、青、黄、紫などのいろいろな光を見ました。

    また、以前より腰痛のために、通院をしていましたが、ヒーリングの後、痛みが軽くなり、心と体が癒されました。天光寺には、多くの悩みを抱えた方が尋ねてきます。気持ちが落ち込んでいる方、病気の方、霊障の方、いろいろな方が来ます。

    高尾先生の力で皆、元気になり笑顔で帰って行く姿を見て、自分自身もやる気が出て、日々元気になっていくのが実感できます。これからは何があっても負けない強い心を持つことが出来ました。本当に感謝しております。

    暦の上では秋といえ、日中の暑さはまだまだ厳しい日々が続いております。いかがお過ごしでしょうか。
    先日のお便り有難うございました。さてこのたび、健康判定診断の第一段階である主治医の復職承諾が得られたことをご報告いたします。

    主治医の先生からは「それだけしっかりと話すことができれば大丈夫でしょう。」とのお言葉をいだきました。
    修行体験を受けさせていだいてから、顔つきや雰囲気が変わったのか、今まで避けられていた低中学年子どもたちから「一緒に遊ぼう」と誘われることが多くなりました。大きな声を出したり、感情にまかせて怒ることや威圧することもありません。

    そして、周りの目ばかり気にして、自己中心的な自分と向き合うこともでき、反省し懺悔することもできました。今回第一段階を通過できたことは、校長をはじめとする多くの方々のご協力のおかげで成り立ったものであると感謝しております。

    高尾住職の仰るとおり、顔つきが変わっていたようです。その中でも今回の修業体験という貴重な場を提供してくださった高尾先生に感謝申し上げます。
    水行、お百度参りなどで弱い自分自身と向き合うだけでなく、自分自身にとってずっと重荷になっていた「父親に対する復讐心」を捨て去ることができ、とても感謝しております。今「許す」ことの大切さひしひしと感じております。

    そして、前向きに自分の人生を生きていくことの大切さ、ありがたさ、楽しさを、かみしめながら毎日を過ごしております。以前までの私は「生きていてもしかたない」、「生きていて申し訳ない」、「はやく死にたい」と考えていました。

    今は「生きているのではなく、生かされているのだ」、「今日も生かされていることがありがたい」と思えます。今まで面倒なことや苦しいと思ったことも、自分を育てくれる機会だと受け入れることが、できるようになりました。

    現在は、体験修行で習った般若心経を唱えたり、呼吸法や声を出し、瞑想など自分自身できることを行ないながら、自分を見つめ、一日の始まりには、活を入れ、終わりにはリラックスする時間を設けています。私の一日の中で、もっとも貴重な時間となっています。
    焦らずしっかりと訓練を実行し、適度な自身を持って精進して参りたいと思います。

    毎日お忙しいことと思いますが、どうぞご自愛くださいますようお祈り申し上げます。

    ぼくは、学校の先生からも、家庭でも「落ちつきがない、あきっぽい」と言われていました。 「4月からは中学生なのだから、この冬休みはお寺に行ってこい」と父に言われたときには、どう言う意味なのか、解りませんでした。父にしかられたあとだったので、「はい」と返事をしてしまいましたが、クリスマスの日に母から「修行に行くんだ」と聞かされた時には、とてもいやでした。

    父の車に乗せられてお寺につくと、大学生の人と、父の年齢くらいの人が2人いました。 ぼくが荷物を片づけていると、お百度参りがはじまりました。お寺の人に言われてそばで見ることになりました。おしょうさんから明日は君もやるからよく見ておいてと言われたので、きんちょうして見ていました。

    次の日、予定通りお百度参りをしました、冬なのに汗がでる位あたたかさを感じ、はじめ氷のように冷たかった足もいつのまにか、あたたかくなっていました。終わったあと、45分間もはしったり南無大師へんじょうこんごうも600回も言っていたんだと思ったとき、ぼくにもできるんだと自分が大きくなった感じがしました。

    ぼくが修行のなかで一番うれしかったのは声を出すことです。長いときには2時間以上もあぐらをして背中をまっすぐ伸ばしたまま集中することができました。同じことを2時間以上も続けてできたなんて本当にうれしかったです。

    4月からは中学校で部活に入って、勉強もがんばれると思います。おしょうさん、そしてお寺の人たちには、ありがとうございました。
    夏休みにはまたお寺にきたいと思います。その時には滝行をしてみたいです。今回は滝行は見るだけでしたが、夏になればぼくにもできそうです。その時はまたよろしくお願します。

    雪が降りそうな空を眺めつつ、武蔵五日市駅からバスに乗りました。これからどんな処で、どんなことが始まるのかな、と不安が一杯でしたが、バス停まで優しいお兄さんが迎にきてくださり、山道を歩きながら歩いている内に、寒かった心が暖かくなりました。

    お寺に到着後、すぐに払沢の滝に連れて行って頂き、荘厳な景色を見ながら大自然のエネルギーを沢山頂き心洗われるおもいでした。午後のお経の時間におばあさんが一緒に来ていて、頑張らなくいいとおっしゃっていますよと言われ、なぜか方の力が抜け、不思議と心が軽くなっていく自分がありました。
    夜のヒーリングの時間では、花や蝶になって宇宙を舞っている気分で、心と身体がますます軽くなり、心も身体の悪いものが皆でて行く感じでした。

    次の日のお百度参り・水行体験では「お大師様」導きとエネルギーを感じ取ることが出来、何とか百度参り、水行が達成することが出来、生きる自信になりました。冬の水行はお勧めです。

    御住職様を始め、天光寺の皆様方が一人ひとりに対して、とても丁重に心を込めて対応してくださる姿に触れ、心暖まる2日間を過ごさせていただきました。ありがとう御座いました。緑がきれいな頃に、また伺いたいと思います。
    多くの学びをありがとうございます。

    自分が天光寺を初めて知ったのは、知人の紹介です。
    今は普通ですが、会社で仕事をしていると、震えや自分が今何をしているのか分からなくなる事が頻繁にありました。このままでは不味いと思い、体験修行に参加させていただきました。天光寺に来て、何か切っ掛けがあればと思いました。

    初日は写経の練習をしましたが、習字を書いたのは小学校以来なので、懐かしさをかんじました。次に滝行の見学をさせてもらい、寒い中体験修行の方々が滝に打たれている様子見た時、最初は皆ガチガチに震えていました。次第に震えが収まっておりました。皆さんの身体の中で何かが起きたと思います。私も滝行を体験したいと思います。ただ出来るか心配です。

    滝行からお寺に戻り、住職のお経が始まり、だんだん自分の身体が軽くなり、今にでもどこかに飛んでいきそうな不思議な体験をしました。お経が終わり住職のお話を聞かせていただきました。
    一番印象に残っていることは人の縁です。人の縁がなければ自分は天光寺を知らずに落ち込んでいたと思います。これからは縁を大切にして、感謝を忘れないようにしていきます。明日もよろしくお願いします。

    この度は、滝行のご指導ありがとうございました。 以前除霊・浄霊をして頂いた際に、滝行・お百度参りの話をお聞ききしていましたが、まさか自分が行うとは夢にも思っていませんでした。

    きっかけは、妻の一言、「IT企業に勤めていると色々な邪念や霊が憑きやすいから、一緒に滝に打たれて悪いものをとってみては?」、1人で行ってくればとと思った反面、ちょうとインターネットTVGyaoで放映されていた丁半コロコロさんの体験修行を見て、お笑い芸人でさえ、こんなに変わるんだと不思議に思っていました。

    修行の日、まずは、腹式呼吸の練習からはじまり、御法号を唱えながらの練習をしている中、体の中の悪いものは痰等になって口から出てきますとの説明をうけ、弘法大師様の御法号である南無大師遍照金剛(ナムダイシヘンジョウコンゴウ)を数え切れないくらい唱えたころ、本当に痰のようなものが沢山でてきました。これは、体の中にある悪いものがでてきているから、決して飲み込まないようにとの説明。やはり、妻の指摘通り、悪いものがたまっていたのかと思ったのと同時に、この腹式呼吸+御法号は、滝行の前に必ず行わなければならない行為だと感じました。

    昼食をご馳走になり、行衣に着替えました。(本格的な行衣を着ると神聖な感じがします。)先生の運転する車に乗り、15分ほどすぎたころに、滝行の場所”龍神の滝”に着きました。TVでみる風景と同じです。 滝の前についた後、儀式がありました。これは、滝そのものに対して行われるもの(水の神、山の神様に対してのご挨拶)、滝行を行う者それぞれに対して行われるもの。このとき、インターネットで滝行を宣伝している様々なサイトのことを思い出しました。おそらく企業秘密のようなものだと思いますが、滝に入る前に儀式というものを行わないと効果がないのだろうと直感しました。天光寺さんではきちんとしたものを入念に行っていたので、非常に安心感を覚えました。(何も行わず入ると土地の神に祟られたり、ひどいときには、木々の枝や石のようなものが降ってきて大変危険だという記事を読んでいたので)

    この日は、全部で5人。自分は最後です。妻は最初の方に終わってます。私の方に来て、小声で滝に打たれる前が本当につらかったと耳打ちしてきます。私の番になり、先生が気を合わせてくれます。恥ずかしながら、私は、妻にもできて、あのお笑い芸人にもできたものだから、簡単にできるだろうという気持ちがこころの隅にありました。いざ、滝に入ったあと(はじめの滝の手前で気の調節して頂いた箇所)、すぐに丁半コロコロさんのことが頭をよぎりました。「もう、無理」何が何だか分からないけど、「つらい」「すぐに出たい・出よう」と思った直後、「南無大師遍照金剛(ナムダイジヘンジョウコンゴウ)」と、先生からの御法号が聞こえました。そのときに、高尾住職がおっしゃっていた「滝と同調しなければ、滝にはいれない」という言葉を思い出しました。必死に呼吸を整え、滝と一心同体になるように呼吸をしていると、足下から体が温かくなってき、ついには(5分くらい経過したころ)、滝と同化してるような感覚になりました。とにかくとても不思議な感覚でした。

    先生の「はい、もういいです」という言葉を聞いたとき、”もう少し、入っていたいな”という気持ちで、滝に入る前の”場違いなところにきてしまったな”という気持ちは一切なくなっていました。実は、滝に打たれている最中(後半)、2回くらい背中から”ボコっ”と何かが出て行くような感触があり、(実際、終わったあとも背中の中心がその日のうちは痛いくらいでした。)、後で理由をお聞きすると、滝のエネルギーにより、自分自身の不必要なエネルギー体が浄化したとの説明をうけました。

    滝行体験直後には、もう2度と滝に打たれることはないだろうと思っていましたが、一晩たってからは、この仕事を行っていると定期的に龍神様(水、滝の神様)のお力をお借りして不要なものを浄化しなければと思うようになりました。また、季節が変わったらお邪魔したいと思いますので、そのときはご指導よろしくお願いいたします。

    私がこちらに来させていただくきっかけになったのは、対人関係がうまくいかずに抑うつ症で悩んでいたことです。 1年前から薬を服用し、仕事も2度変わりました。2度目の仕事も1ヶ月前に辞め、自宅で悲壮感に悩まされ、生活のバランスをも崩しています、毎日食べて、寝て起きてのくり返しです。このままではいけないと感じ、インターネットを通じて、天光寺の修行体験の存在を知り、本来の自分を取り戻そうと思いこちらにきました。

    お寺の修行は基本の挨拶、腹式呼吸、発声法の練習を行いました。特に発生の練習と百度参りで「南無大師遍照金剛」と声を出すごとに気持ちが軽くなっていくのを感じました。滝行でも大きな水の流れに身をまかせることで、自然の力一体になる事ができました。

    天光寺での2泊3日の時間を通して、人としての生きる力を再び得る事が出来たように感じられます。 今回の修行で学んだことを忘れずに頑張りたいと思います。生きることに悩んだらまた修行に来させて頂きます。本当にありがとうございます。

    この度三日間の行では、大変お世話になり、深く感謝しております。多くの事を学び感じとることができました。忘れないうちにノートに書きだしております。特に「感謝すること」を身体で感じ取る事が出来ました。帰宅後の翌日、家の掃除をいたしました。 恥ずかしながら、今までに感じたことのない気持よさでした。結果をすぐ求めなくても、心の持ち方を実践していれば、とても楽になります。

    家族、まわりの人を大切にし、いずれは社会に貢献できることを見っけていきたいと思います。本当にありがとうございます。
    皆様方のご健康のほど、お祈りいたしております。また、多くの修業生の方々が多くのことを感じとられることもお祈りいたしております。

    天光寺様で行をさせて頂いたことは、私にとって大変意味のあるものとなりました。自分でも自覚していなかったストレスの原因をみごとに言い当てられ、現実に直面させられました。私自身、今まで現実とはっきり向き合うことを避けていたのだと感じました。

    しかし「逃げていては問題は少しも解決しない」住職の厳しくも温かい教え、メッセージを受け「変わりたい」と強く思い修行に取り組むことができたと思っています。

    川行を行い、少しではありますが自分が自然に生かされているということを感じることができました。
    教えて頂いた「心の持ち方」まだまだ十分とは言えませんが、自然と心がそう動けるよう、日常の生活でも自分なりの「修行」の日々の送りたいと思っております。

    天光寺様にお世話になり、前向きに心穏やかに生きて生きたいと思えるようになりました。
    一つ一つ、その時その時を一生懸命過ごし、周りに感謝して生きていきます。天光寺様で行をさせて頂いたことを、決して忘れません。本当にありがとうございます。

    皆様の益々のご健勝を心よりお祈りいたしております。

    私は今回自分がかかえる心の病を直すべき天光寺の体験修行に参加させていただきました。 自分が考え、行動をおこしての参加ではなく、友人の勧めで半強制的な感じでの参加でしたので、行が始まるまでは不安と不満を感じながら、でも友人が私を思ってくれたうえでの行動である事を感謝しながら複雑の気持ちでいっぱいでした。友人と天光寺へ二人で訪れて、住職先生のお話を伺い私の抱える心の病「ギャンブル症候群」が単なる精神的な病気とばかり言えず、何か、目に見えない力に影響しこのような病気になる場合もあると聞きました。私にはそんな事があるのだろうかと思う反面、どうしてもこの病気を克服したい。しなければいけないので、この修行で精神的に強い自分になりたいと思いますし、前世、霊等の影響を受けてやっている行動ならば、自分の中からはきだしてこの先を進んでいきたいと思いました。先生のお話の中に今の時期では大変厳しい滝行があると伺いましたが、その行を受ける事で、私の中に溜まっている悪いものを洗い流しくれるのであれば、進んで行を受けたいと思いました。

    十二月十六日から始まった、私の修行ですが、今日まで様々な体験をさせて頂きました。川行、滝行は大変厳しくつらいと感じることも正直ありましたが、この季節ですから寒いということを除けば、川に入った後、滝に打たれた後は、意外に何かがスッキリするという気持ちになったのが大変不思議でした。

    それも川行を二回、滝行を二回受けさせて頂いたのですが、一回目よりも二回目が、一回目のつらさを覚えている分倍のつらさを感じるのかと思っていましたが、こういうのも慣れというものができるのか、案外受けた後の寒さつらさが少なかったのにも驚きました。何かの機会があれば、他の人へどんどんすすめてみたいと思った位です。また、私が今回の修行で一番感じたことは、お寺の修行という事で、厳しい修行が待っているのだろうなあと参加していたのですが(友人は、私が逃げ出す事を心配していたくらいです。)自分自身と向き合う時間が大変多いという事で特に就寝前の瞑想の時間が、私にとって大変お気に入りの時間となっています。

    また、腹式呼吸と声出しの練習として設けられる午前中の時間が、太陽の光を浴びながら瞑想状態で腹式呼吸の練習をし、声出しの練習もする、この時間がまたお気に入りです。なぜお気に入りかと言いますと、瞑想の時間は、CDに収録されていた曲を聞きながら過ごす単純な時間のようなのですが、それこそ、学校の音楽の時間等は寝て過ごしていたような私ですが、眠ることなく、曲を聞きながら今まで過ごしてきた事、あった事、自分の子供の頃、学生の頃、結婚した頃、子供が生まれてきてからの事など、様々な昔の事が頭の中に浮かんできて、子供たちの顔が出てきた時は思わず涙が流れてきてしまった程、入り込んでしまった自分がいる事にびっくりしてしまった位でした。そして改めて、自分のしてきた事の過ちを反省し、これからの生活に生かしていきたいと思います。

    また、午前中の腹式呼吸の練習が好きなのは、太陽の光を浴びながらやるこの練習は、十二月で寒いはずの外での練習なのに、太陽のエネルギーを受けてポカポカと暖かく、瞑想状態と同じようになれる事が最高に気持ちが良かった。

    私は、この修行に参加できて、本当に良い経験をさせて頂いたと思います。厳しいだけの修行であれば、こうは思わなかったと思います。自分自身と向き合う時間が、自分を反省させ、次への糧となり、自分の中にできたモヤモヤを滝行、川行によってスッキリさせる。この二つがあったからこそ、私は参加させて頂いて本当に良かったと思います。

    そして私は、こちらで学ばせて頂いたことをこれからの生活に生かし、償うべきものは償い、一日でも早く失った家族を取り戻せるよう頑張りたいと思います。

    天光寺は、インターネットで調べて母の奨めもありますが、私も修行体験したいと思い、行きました。
    住職さんの御教えを聞いたら、自分はマイナス思考なので、プラス思考になると思いました。修行体験に来られている方に話を聞いたら、色々様々な方がいらっしゃるんだと思いました。

    2日目の修行は、辛かったですが、耐えた事により、後が楽になりました。
    自然の中での腹式呼吸は、良い空気が体を浄化されて生き返った感じがしましたし、喉は枯れましたが声が大きく出るようになりお腹の気が感じられました。お百度参りは、走りながらの南無大師遍照金剛は辛かったです。滝修行と川修行は、夏時でも水温の冷たさや水圧で、冬時の寒さに耐えられる感じがしましたし、水音に負けないくらい声を出しますので、良い発声練習になりました。

    写経は、集中力精神を鍛えて字の練習になりました。写経は書く事により、その人の精神が見えてくると言いますので良い機会になりました。瞑想は、過去を見つめ直したりストレスも無くなり心がスッキリしました。 ここに来てから、体内時計が規則正しい日常になり、自然の中での修行は、体内が浄化して精神的にも肉体的にも健康になりました。帰宅したら、親孝行をしたいと思いましたし、色々な事に挑戦したいと思いました。

    私は8月4日(火)から修行に来て早々3週間が過ぎました。不安を持ちながら修行に来たのを今でも覚えております。家族に勧めれれて、自分自身が真人間になって欲しいという事で、自分も真人間になりたい思い、決意しました。

    その間にいろいろな人間との出会いがありました。他の人は一泊や二泊で帰ってしまうため、寂しさも感じました。
    一日一日が早く終わったり、短く終わったり感じました。初めての体験となった滝行、川行。滝に初めて入った時は、初めての事もあり、声がつまり、息ができませんでした。滝や川は初めて入った時は冷たく感じましたが、慣れてくる内にあたたかくなり、気持ち良くなりました。

    新聞やテレビが無い為、今、世間がどうなっているか分からず、断っていました。一緒に修行している仲間に話の種として「世間がどうなっている?」などと聞いていたりしていました。食事は、肉や魚が出ないのが寂しいですが、これも修行の一つとして、おいしく頂いております。

    一日のスケジュールは朝六時に起床して六時半から約2時間掃除をします。掃除をしていると、気持ちも良くなるし、自分の中の悪い部分を掃除した気持ちになり、いいと思います。

    その後、朝食。後は声出しの練習、滝、川行。
    この3週間で自分自身が落ち着いてきたかなって思います。今までの自分は、何も出来ずに、なまっていました。時には帰ってしまいたいという気持ちもありましたが、そんな事を思っているようでは、人間にはなれないと言い聞かせて今も頑張っています。毎日、声出しをしているせいか、声が枯れて出ない時があります。喉から出すのではなく、腹から出すみたいです。修行中も、時々家族の事を考える時があります。皆、今どうしてるかなとか、頑張ってるかな等、時々さびしくなる時があります。

    修行初日に、先生に合掌してもらいました。約2時間くらい話を聞いて修行しました。3日に一回位、先生の法話があります。約1時間位ですが、話を聞いていると自分の為になる事ばかりです。時々、眠くなる時がありますが、修行の一つとして頑張っています。この文章を書いている今も、自分自身が何が足りないか、どうすれば真人間になるかを考えています。自分で言うのも何だが、この3週間で、少しずつ集中力がついてきたと思います。

    残り約2週間残っています。トータルすると一カ月少々です。他の修行に来ている人からも「一か月以上もいるなんて素晴らしいですね」と励ましの言葉を頂きます。嬉しくなり、良かったなと思う時があります。一日でも早く真面目になり、帰ってから家族などに自分自身が成長した姿を見せてあげたいです。初めて東京に来たという事もあり、別の意味でいい経験になったと思います。

    あと、約二週間、もう少し、精一杯頑張っていきたいと思います。

    先日は体験修行をさせていただき、有難うございます。わずか二泊三日の体験修行でしたが、私はたくさんのことを得られました。
    元々私自身、とても頭で考えてしまう人で、他人の顔色を見ながら自分の本能を押し殺して生きてきました。両親はやりたいことをやらせて下さるのですが、それが逆に拘束になっていたりして、夢もなく、ただ先の見えない未来へ迷走を繰り返していました。

    それでも中学時代はそれなりに勉強ができたため困らなかったのですが、高校時代は進学校ということもあり成績は中の下か下の上に加え、部活動では故障やスランプとそれによって躁鬱病気味になっていました。個人的にはスポーメンタルを学んでいたものの、故障時に最後まで自分を信じることができず、懸けていた部活では最終的には満足のいく結果を出せませんでした。そんな中で今回体験修行に参加させていただいたのですが、非常にたくさんのことを学びました。もっとも感じたことが、あるつもりでなっかたもの、たとえば根性や行動力などは自分ではあるつもりでも実は全然ありませんでしたし、自信過剰だなと思うこともたくさんありました。

    スポーツメンタルで「すべてを認めろ」と言われて、その意味を自分でも理解していたつもりでしたが、自分の弱いところや非があるところは認めない節もあって、結局そういうところが部活動での負けにつながったのかなと今となっては思います。でも、こちらに戻ってきて忘れかけていたものも思い出しました。夢や自分の原動力、好きなことを思い出せることができました。

    本当に感謝しています。また時間があればお伺いさせて頂きたいと思います。本当に有難うございました。

    3週間という長い間、滝に入ったり、川に入ったり、お百度参りをしたり…いっぱい寒い思いをしました。最初私より早く滝に入って行く人たちを見て、「よく生きてられるな」と思っていました。実際に滝に入った時は、もうバケツの中の水に手を入れた瞬間「こりゃヤバイ、死んじゃう」と思って滝の中に入るのがめちゃめちゃ嫌でした。
    でも、いざ入ってみると少しポカポカと体が温まってきて「寒い」よりもしだいに「痛い」に変わり足もマヒして何も感じなくなり、このまま意識が飛んでいきそうでした。滝から出た頃にはもう歩いている気がしなくて頭がぼんやりして着替えるのが大変でした。川は、滝の後に行ったので「死にそう」とは思いませんでしたが、時間帯が遅くて真っ暗だったのでめちゃめちゃ怖かったです。肩まで入る時は寒くてしかたがありませんでした。けっこう流れそうで大変でしたが滝よりも長く入る事ができて良かったです。

    滝や川以外にもお経を唱えまくったり、大声出したり、写経をしたり、普段の生活では体験できない事ができて良かったです。最初お経が全然読めなくて周りにおいつくのが大変でしたがいつのまにか「般若心経」や「光明真言」「御宝号」を覚え、仏前勤行集を見なくても唱えられるようになりました。お経を2時間ずっと唱える行は、すごくつらくて、頭がボンヤリして酸欠状態にもなりました。でもその次からのお経の行は苦にならなかったので、行の成果かなと思いました。「声出し」はなかなかお腹から声が出せなくてのどが痛くなったりして大変でした。「写経」は1年ぶりに筆を持ち、初めて自ら墨を作りました。「般若心経」は漢字が難しくて、見た事のない字もあり少しあせりましたが、長時間の正座にもなんとかたえながら書く事ができました。

    「写経」に込めた願い事が叶えばいいなと思っています。「写仏」はすごく楽しく取り組める事ができました。書いているうちに足のしびれを忘れ、おもいっきり集中する事ができて良かったです。でも、もう「曼荼羅」の写仏はしたくないなと思いました。細かすぎて目が点になるかと思いました。でも、なんとか完成させる事ができて良かったです。

    修行は決して楽しいものではなかったものの一緒に行をした仲間達や温かくて優しくて楽しいスタッフさん達、おいしいごはんのおかげで3週間を乗り越える事ができ、とても感謝しています。行をした仲間の方々からも、おもいがけないプレゼントをもらったり、応援の言葉をもらい、ここまで頑張ることができて良かったです。 天光寺での修行で得たものを糧に、これからの人生頑張ろうと思います。 3週間ありがとうございました。

    天光寺さんに来るまでは、かなり不安があり、自分で本当に寺の修行など無理だと決めつけており、落ちつかない気分が大半でした。 自分のこの不安な気持ちを和らげるのと最初から何事もやる前から自分の心の決め付けを直していく。そして自分を強くしていくと言うのが今回の修行に参加することになった根本でもあります。

    まだ一日過ぎたばかりなので、まだわからない点が多いですが、一日目に行ったあいさつの作法から基本を学び、お百度参りは最初とても足が冷たく、体も寒かったのですが、行を実際にしている時は、足の冷たかったことも忘れ、体がかなり温まっていることを終了した際に実感しました。

    滝行ですが、これを実体験するまで、自分にはこの寒い季節に水の中に入ることはとてもできないんじゃないかと思っていましたが、他の行生の方を見ていく中で、自分もがんばらねばという思いが出て来て、何とか滝の中に入ることが出来ました。これも他の行生や先生方の力を借りて滝に入ることができたと思いました。
    実際に生きていく中で、一人では生きていけないということはわかっていましたが、改めて仲間意識とか家族の大切さを認識しました。

    まだ期間も残されていますので、残された期間自分の中にない部分を十分吸収し、自分を見つめ直し、自分の目的達成に向け着実に力を他の行生、先生方からも吸収し確実に自分のものにしていきたいと思います。 これから生活をしていく上でも、つらい時や楽しい時もあると思います。つらい時ほど、その事実から逃げたくなるのが本音ですが、つらい時には、天光寺さんで体験修行をさせて頂いたことを思い出し、実体験を乗り切りたいと思います。こういうことも全部含めて、自分の気持ちの切り替え、成長を確実にしたいと思います。

    初めにここに来ようと思った時は8月の初め頃でした。その頃6年付き合っていた彼女と別れて、生まれて初めて心の苦しさを感じました。
    ご飯も食べれず、寝る事もほとんどできない状態が2ヶ月ほど続いて、体重も10kgほど落ちてしまいました。その時、心の苦しさからここの寺修行を探したのですが、もう少し自分の力で乗り越えてみようと思った事と、夏より真冬、そして年末年始で来ようと思い、今日に至ります。

    ここに来た目的は、今まで生きてきた中で苦しめてしまったり、悲しませてしまった人達への懺悔です。ここに来る前に過去を振り返って考えていたら本当にどれだけの人達を苦しませて悲しませてきたか、生きる資格ないんじゃないかとさえ思ってしまいました。その事で親や友人、知人にまた迷惑や心配をかけて自分がどんどん嫌いになっていきました。なので全てを仕切り直し、前に進むために修行をしに来ました。

    修行を終えて今思う事は、まずこのタイミングでここに来れた事への感謝の気持ちです。そして今でなければ出逢えなかった人達への感謝です。本当にいろんな方がいて、いろんなパワーを頂きました。中でも一番印象に残ったのは1月1日に行った滝行でした。まだ一日しか経っていませんが、今まで生きてきた人生を大きく変える程の出来事になりました。自分が悩んでる事がどれだけちっぽけな事で、自分がどれだけちっぽけな人間だったか、思い知らされました。想像も付かない心の苦しみを持っておられる方を目の前に心からそう思いました。必死でお経を唱えている二人を見てお経を唱えながら涙が止まりませんでした。二人が命をかけて戦っている様に見え、自分がどれだけ無力な人間か、悔しくて涙が止まりませんでした。自分がお経を唱えている時、少しでも、ほんの少しでもいいから二人の力になりたいと心の底から思い、寒さも痛みも忘れてただただお経を唱えていました。真剣に命懸けでやる事で、人の気持ちをこうも動かせるのかと感じる事が出来ました。見栄や格好、口先の言葉では人は動かないと確信しました。本当にありがとうございました。

    今回3泊4日の修行を終えて、これからの心の持ち方、行動は、自分のことより相手のこと、人を思いやる気持ち、苦しんでいる人の手助け、嫌な事、めんどくさい事を率先してやる。言葉遣い、座る姿勢、常に全てに置いて感謝の気持ちを忘れない、日々修行。以上です。 最後にここに導いてくれた神様に感謝します。住職、スタッフの方、ここで出会った方々に感謝します。ありがとうございました。

    今回この修行に来た目的は、己の弱い気持ちや、会社の役員としての自覚の無さを正す事を目的と致しました。
    冬の寒さの中、滝に打たれることや、自然の中、規則正しい生活をする環境におかれる事により、自分自身が変われるのではないかと思いました。普段ならお酒を飲んで、子供と遊んでいるはずが、一日一日に修行に行く事の意味を深く考え、自分が変わり、良い方向に事が進めば、会社も家族も良くなると思いました。

    天光寺に来られる方々は、それぞれの考え、目的や目標、苦しみなどを持っており、自分の苦しみや悩みが、いかにちっぽけな事かと思いました。
    また、自分の気持ち次第で、良くも悪くも考えられ、人それぞれの計り方の違いを感じることが出来たと思います。毎日毎日、仕事のことや、明日の予定、一週間、一ヶ月後、三ヶ月ごと、先先の事を考え、売り上げや経理、社員の事、家族と、頭がパンクするのではと思いました。電話も使えない、お客様の事も考えない、何も考えないで、今の自分だけを見ている様で、無の世界にいる感じも致しました。
    この体験は、自分でしか解らないことで、人に伝えようとしても伝えられない様な気がします。次回は興味のある社員と一緒に来たいと思います。

    一泊二日の修行でしたが、滝に打たれている時、フワっとした感じがして、水しぶき一滴一滴が体に当たっているのが解りました。その時は、体の感覚もなく、「あれは何?」と変な気持ちになりました。また、女性の方が先に滝に打たれている時の苦しみが凄く印象に残っており、カルチャーショックを感じました。この経験を生かし、自分に厳しく、他人にやさしくなれる様努力していきたいです。一人では生きられない、助け合っていきます。 有り難うございました。

    まずはこういう機会を天から与えられたことに心から感謝致します。日ごろ中々経験できないことを出来た喜びもさることながら、行のみに精進出来る環境の中、己を見つめ直す時間を持てたことが大変有意義でした。 息子の正確改善、前に出ようとせず、埋もれることで満足している為、自分を律して前進することが出来ない点を何とかしたく、HPで天光寺を知りました。当初は息子を入れることしか考えていませんでしたが、妻に「あなたも入って来たら?」と言われ、「正月をひとりぼっちで迎えるのも寂しいだろうから」という建前で入山することにしましたが、内心では自分を変える一つのきっかけになれば、と考えていた事も事実です。

    昨年、人事異動があり、慣れない職場に転属、しかも時期リーダーにならなければならない状況は、自分の中では大きなプレッシャーでした。
    元々一つのことを極めなければ人の上に立つことは出来ないと考え、以前の職場で自己修練に励んできたのですが、今回は年齢と立場で上に立つことになった訳です。下にはより有能で、人脈の広い部下がいる現実、元来、人に言われた事を気にしがちの自分にとっては、自分をどう演じ、どう振る舞うべきなのか、少々迷いがちでした。

    そんな中での今回の修行は改めて、自分にとって価値あるものとなりました。住職のおっしゃる「自分の人生の主人公は自分である」という言霊は、まさに自分の信じるところを遠慮することなく突き進めと言われている様に感じました。

    今から二十年も前のことになりますが、テレビのディレクターとして、お昼のワイドショーの「人生相談」のコーナーを担当していたことがあります。
    離婚、暴力夫等、悩みを抱えている視聴者からの依頼に、弁護士と共に解決法を探るものでしたが、この時に色々な例に触れさせて頂き、「人との関係を修復、改善するには、まず自分が変わらなければいけない」ことを学びました。相手を変えようとすることが甘えに過ぎない、自分が変わる事は自体を好転させたいからであって「敗北」ではない…十分理解していたつもりでしたが、自分の人生を振り返ると、自分を律することをおざなりにし、相手に対する不安や愚痴を重ねてきたような気がします。

    昨日の滝行で御宝号を唱えて水をかぶった時の爽快感、そして、今朝大日如来の前で手を合わせている時に感じた目の前が開けていくような感覚、いずれも今後人生を生きていく上で生き方を変えられるひとつの「期待感」を掴めたように思います。
    その「期待感」はまだ曖昧な物で、こうすればたちどころに解決すると行った明確な輪郭を伴ったものではありません。 しかし迷った際に、仏前勤行集を開けばいつでもそこに戻れる「スタート地点」を確保することはできました。

    今まで十数年テレビドラマの仕事に関わり、数々の「舞台」と数々の「主人公」を構築してきました。しかし未だ自分の「舞台」と自分が「主人公」である物語の起承転結を考えたことはありませんでした。今回の修行はある意味で「転」となるものですし、またそうするべく日々前進していきたいと存じます。
    改めて皆様との出会いを感謝いたします。

    貴重な体験、充実した時間をいただき、本当にありがとうございました。
    申し込み当初は、昨年末から身近における諸事情によって、色々と考える事が多かったこと、自分自身と向き合う時間が無かったこと、自分の今後について具体的に考える時間を設けなかったことなどから、以前より興味のあった冬の滝行やその他の行を通して、何か変わるきっかけを見付けられたら…という思いでした。

    ただ、一日目の瞑想・お百度参り・川行。二日目の写経・お百度参り・滝行と通じて「あっ、自分ってこういうところがあるな」「今までの自分はこうだったな」と気づけた瞬間があって、行を進めていくうちに、何となく穏やかに温かい気持ちになっていきました。この感情は「嬉しい」に近い感覚でした。

    そういう漠然とした気持ちが確信に変わったのは、住職さんの「法話」を聞かせて頂いた時でした。自分はこういう話に出会いたかったんだ、聞きたかったんだと分かった時、本当に幸せ(という感覚に近い)な気持ちになりました。 自分の『今後』を探しに行った時間だったのに、自分の中の自分と向き合って、自分の弱い部分を見付けたり、自分でも気付かなかった自分と出会えた時間になり、充実したものとなったと思っています。

    ただ残念だったのは、住職先生とあまりお話ができなかったことです。というのも、先生にオーラというか、威厳を感じてしまって萎縮してしまったのです。今思うと、もっと積極的にぶつかって行けば良かったと思っています。
    「積極的に生きるか、消極的に生きるかで、運や人生が変わる」のですから…。

    スタッフの方々、行生の仲間達にはとても親切にしていただきました。正直2泊3日という期間が不安だったのですが、楽しくあっという間で足りないくらいでした。(川行・滝行・正座は辛かったですが…)

    長々と書きましたが、この2泊3日は、自分を高めていく為の第一歩として、大切な時間になったと思っております。
    幸い、自分の周りにも、自分を戒めて下さる方もいらっしゃいますし、ハッと気付かされる瞬間が多く転がっています。少なくとも、その瞬間を見逃すことなく自分を高めていけるようにアンテナを広げて感受性の高い人間でいたいと思います。

    そしてそれでも何かに行き詰まり、滝に打たれたくなりましたら、また、住職の法話を聞きたくなりましたら、すぐにでも連絡させてください。宜しくお願い致します。

    私は滝行、川行、その他にお百度参り、写経、写仏、先生の法話を聞かせて頂きました。明日にて終わりますが、大変短い間でしたが貴重な経験をさせて頂きました。帰りましても、ここでの経験を基に家族を大切に、実直な生活をして、妻を安心させたいと思います。

    私は躁鬱病を患い、9年という年月が経ちますが、その間に双子(男女)の子が生まれました。
    今回の修行で「今までで一番嬉しかったことを思い出して下さい」と問われた時に、仕事中何度も病院に行き、出産に立ち会い、10時間近くかかって、女児と男児が生まれたときの事を思い出しました。
    明日7才の誕生日を迎えますが、あの時の喜びを忘れず、妻に感謝の心を忘れずに、残された子供への義務を第一の喜びにしようと思います。今回の川行と滝行でなにか今までと違い、シャキッとした感覚が持てました。9年間苦しんできたなにかがなくなった感覚です。本当に有り難うございます。

    話は飛びますが、そもそも病気のきっかけは仕事だと感じていましたが、今はそれはどうでも良くなりました。過去は変えられないが、未来は変えられる。自分ももっと強くなれば、病気は克服できると思いました。

    今回の体験は、大変貴重で、だれでも出来るわけではないし自分でやろうとしても無理なものばかりでした。
    特に川行と滝行は非常にエキサイティングなものでした。
    川は非常に冷たく流れに打たれて自分自身の感覚が麻痺し、一種の解脱状態になります。滝行は滝に行くまでの登り道で息が切れてしまい不安でしたが、川とは違った自然の力を貰った様な気がしました。どちらが良かったかというと、私は川の流れでの感覚が一番残っています。又機会があればぜひ伺いたいと思います。

    最後になりますが、指導して下さった先生の皆様、ご住職に御礼申し上げます。本当にありがとうございました。 明日と言わず今から前に向かって前進していこうと思います。

    ぼくは、いじめにあってから不登校になり、一年間家にいました。あるときお母さんが、天光寺のホームページを見付けて、ぼくはいくことにしました。それで天光寺に来ました。

    最初は、大きな声を出したり、しゃべったりできませんでした。
    でも、川行や水行などいろいろしていくうちに自分が変わってきたようなかんじになりました。
    スタッフさんと話したり、同じ行をしている人たちと話したりすることができるようになりました。
    大声出したりできるようになりました。
    がんばるといろんなことができてうれしかったです。

    川行や水行はつめたくてがまんできなかったけれど何度もやっていくうちにすこしずつがまんできるようになりました。
    天光寺で学んだことは、今年中学生になるので、いじめにあったり不登校にならないように学んだことを忘れずこれからいかしていきたいです。天光寺にきてほんとうによかったです。ありがとうございます。

    今回、私がこの体験道場(修行)に参加させて頂いた目的は、自分自身の心の弱さの克服であります。デフレ進行下、価格破壊が進み、価値観のズレを中々埋め合わすことができない世の中になって参りました。そんな中、商売上、中々上手く行かないことが多く、ストレスが溜まり、家族には相当の迷惑をかけていたかと思います。ふと我に返ると自分自身のことしか考えていない自分がそこには居りました。

    長い間、家族旅行にも行っておらず、夕食も暗い感じになっておりました。このままでは、家の家族はダメになってしまうのではないかと思い、まず自分自身をもう一度再確認する為、そして自分が家族に対して何が出来るかを考える為、自分が大黒柱として、立派にみんなを明るく出来る様に、自分自身が変わらなければならないと思い、自分を磨く意味合いを込めて、やって参りました。

    修行一日目、二日目と進むに連れて、普通に生活出来ている「尊さ」「ありがたさ」を痛感致しました。家では全て、女房まかせにしている自分を腹立たしく思うと共に、感謝の気持ちでいっぱいになってきました。そう私には人を気遣い、思う気持ち、そしてやさしさが足りなかったのです。天光寺のご住職、そしてスタッフの方々と接してみて、特にそう感じました。

    人間はひとりでは生きていけない。皆さん、そして家族、友人、知人、恩人、ありとあらゆる方々の御力をお借りしなければ生きていけないのです。
    今後とも難しい局面は多々あると思います。
    そんな時には、ご住職の仰った不撓不屈の精神で無理難題に、情熱的に取り組んで参りたいと思います。決して後々を振り向かず、前を見て、陽転思考で、積極的に、明るく取り組んでいきたいと思います。と、同時にやさしい慈悲の心を常に持ち合わせていたいと思います。

    今回天光寺さんを訪れた目的は、日ごろついダメと分かっていても楽な方を選択してしまう自分の甘さ、弱さを正すために、転職によってもらった長期休暇を利用して渇を入れることです。
    気合いを入れて、次の仕事はもちろん、私生活もより充実して過ごせる様にしたいと思いました。

    自分で言うのもなんですが、私はとても幸せな環境で生きていると思っています。両親、妻、友達、同僚、上司、出会う人皆、素晴らしい人ばかりで、みんな自分に優しくしてくれて、想ってくれて、何不自由なく生きてきたと思っています。

    でも普段、その幸せになれてしまって、幸せを幸せと感じなくなっている時がある事に気付きました。こんなにも幸せにもかかわらず、だらだらとゲームをして過ごしてしまうことがよくありました。生活を充実して過ごすことで改めて幸せを感じる事ができるようにと思いました。

    初日、お百度参りと川行をして、生きていることがどんなに素晴らしいことか、切に感じることができました。お経を唱えている間も、ほぼ無のような感覚になり、とても安らぎを感じました。
    初日に行を行ったことによるものなのか分からないのですが、2日目の午前に瞑想をした時に今まで出会ってきた人達を思い浮かべて、みんなに感謝した時にあふれるほどの涙が止まらなくなってしまいました。今まで、どれだけ自分が幸せだったのか、心からみんなに感謝の気持ちが湧いてきて感じる事ができました。
    今までは感謝はしていてもこんな気持ちになることはなかったのでとても不思議でした。

    2日目の滝行で身を清め、心がとてもきれいな落ち着いた状態になっているのが分かります。
    瞑想をしている時に浮かんだ感謝の気持ちを忘れずに、明日からお世話になったみんなにちょっとずつ恩返しをしていこうかと思います。ちょっとした事で精神を乱されずに、人の事を考えながら充実した日々を送りたいと思います。

    私が今回、修行体験をしようと思ったのは、日常に流されている中で、一度自分を見つめ直すと共に、違う環境・空間に身を置いてみたいと思ったからです。
    よく座禅をするとか瞑想をするとかを耳にするけれども、どうしたら心がすっきりするのだろうと思っていました。

    ここへ来て、作業の間に必ず休憩があることで、日々時間に追われ、常に頭を回転させ、体を動かしているリズムになれていた事に気付かされましたが、一息つく事は大切なんだなと改めて実感しています。
    忙しい中にも、ほっと一息つくことで、余裕が生まれることは、心と体を楽にしてくれるなと思いました。

    また、普段何も意識していない呼吸ですが、腹式呼吸や声出しをした時に、喉だけで出していると(表面的なもの)お経を唱えるのにもとても苦しくなってしまいますが、お腹から声を出す様にすると、肩などに力も入りにくく、体もあたたかくなってくる感じがあり、呼吸も大切なんだなと感じました。
    同じ動作で動かずにずっと同じ事を繰り返すのは、とてもエネルギーがいることだと感じましたが、繰り返すことで、知らず知らずに体が慣れ、集中できる事も感じられました。
    日常を流されているととらえるのか、日々繰り返していくことが大切であると捉えるのか、自分自身の捉え方で変わるのだと感じました。

    この修行体験で何も音のない、情報が入らない時間と環境を作ることは大切であるという事を学べました。

    天光寺でお世話になった三日間、色々な方と触れ、色々な話をして頂き、私の悩みを丁寧に聞いて下さったことを心より感謝致します。

    私は、人一倍マイペースで、人一倍頭が悪く、人一倍焦りやすく、何をやっても失敗ばかり。毎日失敗続きで、どうしようもない自分を責め続けることしか出来ず、泣いてばかりの自分でした。途方に暮れた時に、インターネットで『相談・寺修行』の文字を拝見し、この今の自分を何とかしたいと思う一心で、ダメ元で前夜に電話しました。 こちらに来てから、信じる事、念ずる事、仏様や宗の事について深く知る事が出来ました。

    座禅を組んで、お経を唱え続けた2時間、雪の中、足を冷たくして走り続けたお百度参り、滝、自然を一体となり行を終える事が出来た事、ここで教えて頂いた全てが私の自信となりました。
    自分に出来る事がある、達成する事が出来る。負けそうな時には、ここでの日々を思い出して、自分を奮い立たせていきます。

    最後に、ここまで来れたのも、今自分自身を強く持っていられるのも、ここで出会えた、支えて下さった皆様のお陰と思います。本当に感謝致します。

    僕は天光寺の体験修行をやって思った事がいくつかありました。

    一つ目は集中力です。写経やお経を唱えたりとかして、けっこう集中力とかがついたんじゃないかと思いました。

    二つ目は滝行や水行はすごく大変な事が分かりました。0度の水の時もあるので、すごくさむかったです。それに滝行や水行の前にやるお百度参りも百往復したりするのもいやになってくるけれど、それのおかげで結構我慢強くなれたなと思いました。

    そして三つ目は天光寺の人達に礼儀が悪かったら悪かったと注意したりしてくれて、礼儀とか寺での作法などがすごく分かったので良かったです。お寺では祭壇に足を向けて寝たり、祭壇に向けて足を伸ばして座ってはいけないというのも天光寺に来て初めて知りました。

    そして僕がここに来て思った事は、色々便利なものがなくて、いろいろな事に困ったりしました。だけれどここで暮らしていたらそういうのが昔だったら当たり前なんだろうなと思って感謝する事とかを出来たので来て良かったと思いました。

    体験修行に行こうと思ったのは、転職の合間に何か自分を成長出来る事ができれば良いなと安易な気持ちでした。しかしながら本当は来るべきして来たのだと感じました。自分の事、自分が考えている事、自分自身を見失っていたのだと分かりました。

    体験修行を通して何が変わったか、また何が成長できたのかは言葉に表現できません。一つ言えるとすれば、少しだけ自身が大きくなったと感じています。厳しい修行の一つ一つを乗り越える度に大変大きな満足感と達成感を感じました。修行中、何度も諦めそうになりました。『ここで諦めたら今までの自分と何も変わらない』の一心でふんばりました。ここぞという時の良い意味での開き直りと『俺は死んでも鯛だ!』と言う根性が自分にも有るのだと言う事に気付き、本当に嬉しく思いました。

    これからもまた、生活していく上で様々な壁や問題にぶつかると思います。その時はこの体験修行を思い出し、集中すれば必ず乗り越える事が出来ると思っております。
    最後にこれからも自分に正直に厳しくまっすぐに、そして真っ当に生きて行きたいと思います。

    何かあるとすぐにマイナスに考え、弱音を吐いてしまう自分の悪い癖、弱い根性を叩き直す為に今回修行に参加する事を決心しました。 今までも何度も変えようと試みていましたが、結局何も変わらずここまで来てしまいました。

    たった3日修行を受けるだけで変わる事なんて出来るのだろうか、変われなくてもせめて少しでも変わる切欠になればそれで良い、そんな思いを抱いていましたが、3日間の修行を終えた今、自分の中で何かが大きく変化している事に驚きでいっぱいです。

    こんなにも自分自身と素直に向き合えた事は今まで一度もありませんでした。向き合おうとしても結局言い訳ばかりで、これが私なんだから仕方無いと逃げていました。そんな自分が大嫌いでした。
    行はどれも精神的にも肉体的にもきついものばかりでしたが、辛い、辛いと思えば思う程強くなりたいと言う思いも強くなりました。今は、絶対に強くなってやる!と思っています。何事にも前向きに積極的に生きて、もっともっと自分を愛せる、そして人を愛せる人間になりたいです。どんな事にも負けない強い心を持った優しい人間になりたいです。

    ここに一人で来て、弱音を吐かずに行を受けられた自分の力をもう少し信じてみようと思います。
    負けそうになったら、ここでの事を思い出して頑張ります。先生達から頂いたお言葉、絶対に忘れません。今の気持ち、絶対に忘れません。ありがとうございました。

    天光寺に来て三日目。まもなく修行も終わります。

    私がここへ来たのは、色んな気持ちを抱えていたからです。今の自分の状態を変えたくて、どこか切羽詰まっていた矢先でした。自己啓発など様々な本を読みあさっている時、こちらのお寺の事をホームページで知りました。見た瞬間、あ、これだと思ったんです。修行体験はまさに私が求めていることそのものでした。自分を変えたい、強くなりたい、ネガティブな自分を少しでも前向きにしたい、自信を持ちたかったからです。非常に不安ではありましたが、今の私はその不安よりも、現状を変えたい気持ちの方が強く、勇気を出し、天光寺へ行く事を決めました。

    修行の初日は、慣れない環境と日頃経験しないことが辛く、正直無事二泊三日を乗り切れるだろうかと不安しか感じる事が出来ませんでした。

    そして二日目、一番怖いと感じて滝行はとても辛かったです。最初は息が出来ず、このままやめてしまいたいと本気で考えたけれど、ここで逃げたら何も変わらない、と自分に言い聞かせてやりきりました。終わった後、生きている事をとても実感して、普段の生活がいかにありがたいか本気で考えさせられました。滝行の後から、よし、残り今日と明日、最後まで頑張ろうとやっと思えるようになりました。最終日、今日の瞑想の最中で涙がこみ上げて来るような感じになりました。

    今まではあまり感じる事のできなかった感情が自然と湧いてきたのです。以前は憎い気持ちや、やるせない思いを持つ事もあったけど、ここまで育ててくれた両親に感謝の気持ちや色々な気持ちが出て来ました。普段生活していると、仕事や日々の生活に追われ、なかなか自分と向き合う時間が持てなかったと思います。もう少しで三日間の修行体験も終わります。今は心からここへ来て良かったと思います。ここへ勇気を出して来た自分の事も少し、認めてあげようと思えました。

    法話を聞いて前向きに生きる大事さをとても知ったので、このお寺を出た後から今より前を見て、進んでいきたいです。人を憎んだり、起こったりするより、今ある事に感謝して、人に優しい、そんな自分でいつもありたいです。本当にお世話になりました。ありがとうございました。この経験は忘れません。

    現在大学三年生で、体育会の部活動に所属しております。自分が天光寺に体験修行に来た理由は、部活動で壁にぶつかり、その壁に負けかけている弱い自分を心の面で変わりたいと思ったからです。また、自分は精神面で弱く、些細なことを引きずったりとてもネガティブで、色々と嫌な事を溜め込んでいたので少しでもそれが張れればいいなと思っていました。

    いざ、体験修行に来て初日、挨拶の面で自分はまだまだだと実感しました。声があまり出なく辛かったですが、何回も練習していく内にだんだん出るようになって来ました。その後、お経を読み、お昼御飯を頂き、初めてのお百度参りと川行を行いました。
    お百度参りは裸足で行い、疲れたと同時に足の裏にマメがたくさん出来て、とても辛かったです。そして川行ですが、とても冷たくきつかったです。でも、だんだん気持ち良くなり、日頃の生活で溜まっていたストレスや嫌な事が全て洗い流されていく感じがしました。
    夕食の後、法話を聞きました。その中で、先生がおっしゃっていた、思考が自分を作ると言う言葉には深く考えさせられました。自分はマイナスのことばかり考えたり溜め込んでいたので、これからは前向きに物事を考え、えっ曲的に生きて行こうと思いました。

    二日目、朝六時に起き、朝食まで掃除をしました。家の中が終わると外の道を竹ぼうきで掃きます。長時間ほうきで掃くのは辛かったですが、周りには自然がいっぱいで気持ち良く、掃除が終わった後の道を見ると、こんなにきれいになったんだと感動しました。朝食の後、二時間光明真言を唱えました。酸欠になり、おしりも痛くとてもつらかったですが、終わった後の達成感は凄かったです。
    その後、三禮を百回やりました。物凄く辛かったです。でもこれをやりきった事は凄く自信になりました。その後、お百度参りと滝行を行いました。滝行は想像よりも遙かに過酷でした。痛い、冷たい、息ができない、本当にきつかったです。でも滝行が終わった後、凄くすっきりしましたし、滝からエネルギーを貰いました。

    三日目、朝起きると体中が筋肉痛におかされていました。特に腿、お尻は酷く、座るのが痛かったです。それでも、掃除と朝食のあと、また光明真言を二時間唱えました。凄い辛かったです。考えてみると普段なら絶対に出来ない事だなと思いましたが、それを二回やりきった事、それは本当に自信になったし、集中力がついたのかなと思いました。
    午後には写経とヒーリングを行いました。写経では久しぶりに筆を使ったので、あまり上手に書けませんでしたが、自然と凄く集中しました。またヒーリングでは途中からぼーっとしてきて、眩しい光のような物が見えました。何か見えない力を感じました。終わった後はとてもすっきりして、肩が軽くなった感じがしました。

    そして最終日、掃除をして、朝食を済ませ、お経を唱え、今この文章を書いています。
    振り返ると三泊四日はとても短い物でしたが、とても辛く、とても考えさせられ、また、とてもすっきりした充実した時間でした。色々な辛い事をやり遂げたからこそ、自分がこれから頑張っていく自信にも繋がりましたし、これからは前向きに積極的に毎日を少し、自分の壁を乗り越えたいと思います。
    『思考が人生を作る』これを忘れずにこれからも人間的に成長していきたいと思います。ありがとうございました。

    私はこれまでの会社生活の中で、自分でも知らず知らずのうちに自分の中に蓄えてしまった垢(ストレスや凝り固まった考え方等)を洗い落とし、自分自身を一度リセットしたいと考え、今回体験修行に参加致しました。また、そうする事で、今後の仕事だけでなく人生全体にプラスになると考えました。

    実際に体験修行に参加してみると、自分が考えていたよりもハードなものでした。川行・滝行では、水温は低く、特に初めての滝行では、これまでに経験した事のない寒さ・冷たさを前進に感じ、心から修行の厳しさを実感しました。しかしそれと同時に厳しいからこそ、自分の垢が取れる、新しい一歩を踏み出す力になる!と信じ一生懸命に修行に取り組みました。不思議な物で、二回目の川行・滝行では水の流れや岩との一体感を感じ、寒さ、冷たさを感じながらも平常心を保つことが出来、また徐々に自分の中の垢が水の流れと共に洗い流されていくような気持ちになることができました。

    また川行・滝行だけでなく、毎日の掃除、食事の準備や後片付けなど全ての事が非常に尊い修行であったように思えてなりません。汚れ一つ、落ち葉一枚が全て自分の中の垢であるように感じ、一つ一つの作業にも手を抜くことなく取り組むことができたと思っています。

    更に今回の体験修行では、自分でも思いがけない『気付き』を得る事が出来ました。座禅を組み、瞑想して、過去の自分の行い、出会った人達の事を思い返す時間を頂いた際に、過去の失敗や後悔が、全て自分の中の消極的な部分が引き起こしていた事を本当によく理解出来ました。それはまさに天光寺で教わった通りだったのです。またこれまで自分がいかに周りの方々に支えられてきたか、いかに恵まれていたかという事もよく分かりました。家族のことを思った時、自分でも驚いた事に自然と涙が出て来て止まりませんでした。

    天光寺での体験修行を通じて、当初の目的である『自分のリセット』だけでなく、本当に多くのことを得る事が出来ました。厳しい修行を乗り越える事で、自分にも自信が付いたと思っています。今後はここで得た気付き、感謝の気持ち、自信をわすれることなく、更に一生を通じて自分を高める努力を続けて行きたいと考えています。そうすることが、自分の人生を豊かにし、これまで支えて下さった全ての方々の恩に報いることだと信じています。仕事に関しても、私の仕事は世界的に非常に競争の厳しい業界ですが、ここで学んだ事を活かし、一生懸命に精進することで、必ず世界中の人に慶んで頂ける商品を作りたいと思います。

    最後になりますが、沢山ご指導頂いた天光寺の皆様、一緒に修行した皆様、六日間の短い期間でしたが、本当に貴重な経験と楽しい時間をありがとうございました。

    結婚して私自身の自分への甘さや考え方の違いなどから喧嘩が絶えず、お寺で修行することを勧めて貰いました。私も数年前から自分が弱くなり何に対しても逃げ腰になっているのを感じていたので、自分でも一度修行してみようと思ったこともあり、こちらで一週間修行させて頂きました。

    バス停から歩いて寺の入り口の坂の所まで来た時、ちょうど通りがかったこちらの肩に大きな声で丁寧に挨拶して頂き、背筋を正される気持ちになりましたそれをはじめに、声の出し方、挨拶の仕方、心の持ち方などを指導頂きました。滝行などの修行ももちろんですが、私にとってその挨拶や心の持ち方のお話はとてもためになりました。お陰で体力的や精神的に辛い数々の修行において、自分の弱さをまず認識し、そこから全力で精一杯、行を行い、やり遂げることで段々自分に自信を取り戻せる様に成り、自分が強くなっていくのを感じました。また、初日などは子供達がさぼっていたりすると、自分が一生懸命やっているのに…などと腹を立てていたのですが、私は自分自身の為に修行しているのだ、と思ったり、誰にでも自身に甘えたい時や疲れている時、辛い時があるんだと思いやれる余裕と優しさを段々と持てる様になったことで、人に優しくなれ、自分の修行にも集中出来る様になりました。

    また、毎日の掃除、食事の準備や後片付け、洗濯も家ではどこか、心の中でやらされているような気持ちでやっていたのも否定できませんでしたが、こちらでは、修行させて頂いていると思えば本当に心から自ら動いて、進んで出来、そこでも甘えていた自分と、出来る自分に気付くことが出来ました。掃除などをしているといっても私達がしていた事はほんの一部で、毎日毎日食事の準備や身の回りの世話を頂いた先生方、本当にありがとうございました。人に食事を作って頂くありがたさ、食べる物があるありがたさを「食前の言葉」を唱える事によってもとても痛感しました。 また夕食が終わった後にリビングで先生方や他の修行されている方にいろんな話を聞かせて頂いたり、相談を聞いてご意見を頂いた事も私にとってとても大きな財産となりました。

    こちらでの修行は一週間という限られた時間でしたが、人生は一生、毎日毎日一瞬一瞬が自分の為の楽しい修行だと思います。自分を磨くことでかけがえのない物を得る事が出来るのです。私はその事をいつの間にか忘れかけていました。また、自分がいい加減な生き方をして自分に自信がなくなっていたことで、自分の大切な笑顔を忘れかけていました。こちらで精一杯修行を行う事で自分に自信をもって笑顔でいることが出来ました。先生方に、いつもにこにこ笑顔だねって褒めて頂けた事も嬉しかったし自信になりました。私の、私はこれだ!と言える物は「笑顔」だと言えるようになりました。笑顔は周囲の人を幸せにします。元気にさせます。これからも私はまず自分自身が強く優しくあって間笑いの人々に元気を与えられる人を目指します。

    皆様本当にお世話になりました。ありがとうございました。

    私が修行に参加したいと思った切欠は、28歳になり、このまま今の仕事を続けていて良いのか、自分の進みたい道はどこなのか前が見えなくなってしまい、このままだと流されてしまうと思ったからです。
    今の生活が不満と言う訳ではありません。仕事も更なるステップアップの場を与えて頂き、有難いと思っています。ですが、新しい仕事の量と内容を考えると、どうしてもマイナスな事を思ってしまいます。
    頑張るしかないのは分かっているのですが、頑張ってもお給料が上がるわけでもなく、自分が本当にやりたい事なのか分からなくただ流されているのでは?と考えてしまいます。

    「このままでは自分がダメになる」と思いました。こんな事をふつふつと思っている時、たまたま見ていたインターネットでプチ修行と言う書き込みを見ました。そこから色々調べこちらの天光寺体験修行のホームページを見付け、自分と見つめ合う為参加しようと思いました。

    二泊三日と短い期間でしたので、何か変わるきっかけが作れれば良いなと言う位の気持ちでした。
    ですが実際二泊三日を終え、得た物はとても大きなものでした。滝行では、堪え忍ぶことと気持ちをしっかり持つと言う事、禅は心の平常心を保つこと、写経は丁寧さと集中心。その他にも声出しやお経、お百度参り等、普段の生活からでは経験できない事が出来、普段の生活に活用できる事が沢山ありました。

    修行をしたからと言って、私の仕事がうまくいく訳ではありません。保障もありません。ですが、根本的な考え方が変わり、仕事を行う際の気持ちの持ち方が大切なんだと気付きました。

    出来ないかも…と考えるのではなく、前向きに立ち向かう心が大切です。千回を唱える時に感じたのですが、どんなに先が長く辛くても、必ず成し遂げることが出来ます。下手でも息が続かなくても、必ず終えることが出来ます。終えた時は最後まで頑張って良かったと、心から思う事が出来ました。気をしっかり持ち、目の前のことを少しずつでも良いから行えば、結果はちゃんと付いてくるのだと思います。

    修行は大変で楽ではありませんでしたが、私はとても楽しかったです。同じように何かを得たくて修行をしに来た方々とお話出来、皆同じように何かしら悩みがあるんだと知りました。

    お寺の作法も修行の行い方も全く分からない素人の私に優しく一から教えて頂きお寺の皆様にも感謝しております。 自分らしく生きる事は簡単ではないけれど、自分に負けず生きる事は出来るのではないかと自信が付きました。

    流されるのも良いと思います。そこにちゃんと「自分」があれば流れ着く先は自分で決める事が出来るのだと思います。二泊三日の修行体験ありがとうございました。

    私が今回天光寺の体験修行に参加した目的は「動じない強い精神力を身につける事」でした。昔から心配性で非常に細かいことで悩んだり、自分を追い込むことが良くあり、特にここ数ヶ月間は自分自身の知性、能力に自信が持てず、将来について本当にくよくよと悩んでいました。また、他人と衝突した場合などにおいても、その人からどう思われているか、今後どう接していったら良いかなど、長期にわたって悩み引きずり、精神的に疲れることが多々有ります。そんな気にしすぎ、心配性な性格を少しでも改善し、強く明るく前向きな心に少しでも近付けたらとの思いで体験修行に参加させて頂きました。

    体験修行を通じて、自分なりに学び、感じた事を綴ります。

    修行初日、まずはあいさつの仕方から始まりました。はじめに先生のお手本を見せて頂いた際、普段と変わらないあいさつ言葉ですが、いかにこれまで自分が挨拶に気持ちと力を入れていなかったかに気付かされました。「おはようございます」「ありがとうございました」これまでは、ただ何となくそれらの言葉を発するだけでしたが、今後は、腹の底から言葉を発声し、気持ちと力を込めて挨拶出来る様、少しずつ改善をしていきたいと思います。

    三禮を百連続で続けた時の事、五十回を過ぎた頃から、膝も腕も赤く腫れ上がり、精神的にも相当キツくなった時「足の痛みも限界だし、ここで諦めてしまおうか」と何度も思ってしまいました。しかし、せっかくの修行の機会ですし、形が崩れても、途中腰を上げられなくなっても最後まで続けようと思い、結果最後まで続ける事が出来ました。通常の生活でもこの様な苦しい場面はたくさんあります。常に人生における修行なのだと心に留め、最後までやり抜く癖を付けたいと思います。

    修行中は、他の方との共同生活ですし、一日の流れ、食事、就寝時間も決められたものだった為、いかに普段の生活が自由でありがたいものなのか改めて考えさせられました。今後は一日一日の有り難みを感じ、時間を有効的に使っていきたいと思います。

    リーマン・ショック以後の就職氷河期と言われる中、就職活動を経て、私は社会人一年目を迎えました。これだけ辛い思いをして会社に入ったのだから、きっと充実し希望に満ちた日が過ごせるのだろうと思っておりました。しかしながら今感じるのは、日々の業務に追われる忙しさと、仕事しかしていない毎日に対する虚無感でした。つらいことしか無いという訳ではありませんが、自分の心持ちや言動に「余裕の無さ」が現れる様になっていることに気付きました。そこで夏期休暇のこの機会に心をフラットにし、余裕ある心持ちを取り戻そうと思い立ち、天光寺の体験修行を申し込みました。

    私が行を通じて学んだことは「無心で物事に取り組むこと」「心の拠り所を持つこと」の大切さです。
    読経、写経、写仏などの行においてはただ無心で一点集中し、取り組む訓練をさせて頂きました。それらの行は単純なものであるが故に手を抜こうと思えばいくらでも楽をすることができるものでありました。しかしそれを手を抜かず真剣にやり遂げることが精神力を鍛えるのだと感じました。これは人生そのものと同じで、いくらでも手を抜けるが真剣にやるからこそ意義があるのだと思います。仕事に置いてもあれこれ考えて妥協しないよう、まず目前の物事に無心で全力であたる精神力を持とうと思います。

    来週から仕事に戻りますが、今の自分の環境を悲観するのではなく、まず目前のことに妥協せず、全力であたり、何事にも真剣であることを心懸けようと思います。この二泊三日で学ばせて頂いた事を大切にして参ります。ありがとうございました。

    僕はお父さんに対する態度が悪かったり、嘘をついたり、話を聞かなかったり、お父さんの財布からお金をとったり、お父さんの部屋に入ってパソコンを勝手にやったり、没収されたゲームを探してみつけて夜中にやってみつかって怒られたり、怒られて「どうして」と聞かれると、黙ってしまってまた怒られてしまいます。それで「お寺に入って反省してこい」と言われてこのお寺に来る事になりました。最初はどんな人がいてどんな修行をするのかと思って、とにかく泣きじゃくりました。その時やっと、やってしまったことの重大さが分かりました。そして、行くと決まってからやっと反省しました。もうさすがに懲りました。

    僕はお寺に来た時とても不安でしたが、ここならちゃんと反省ができそうだと思いました。周りの皆さんが優しくしてくれて、「どこから来たの?」とか「今何年生ですが?」とか聞いてくれて、大人の方たちとも仲よく過ごせました。

    でも修行の時はみんな集中して取り組む事が出来ました。ごはんのときは肉とか魚とかが無いと聞いて、本当に食べないと知りました。でも味噌汁とか朝はおかゆとかがおいしかったので全然平気でした。 僕はこれから何をすべきか、どうしたらいいか分かったような気がします。

    このお寺に来て良かったことは、人との交流が多くにぎやかで、修行に行くときはピシッと切り替わるのでメリハリのつくいい生活ができました。早起きもできうようになったのでとてもうれしかったです。 僕はこの感想文を書くと言われていやだと思ってました。が、書いてるうちになぜかちょっとだけまじめに取り組めた気がします。文を書くのは得意じゃないけれど、書いてるうちにもうちょっと書こうという気持ちになれました。もしかしたらこのお寺でちょっと変わる事ができたかもしれません。
    このお寺にこなかったらいつまでも変わらずぐーたら過ごして悪いことして怒られてまた悪いことして怒られての繰り返しだったかもしれません。このお寺に入れてくれたお父さんに逆に感謝しきれないほど感謝じゃあらわせないほど感謝しています。

    これからの生活、いつもいつも感謝して怒られたり、悪いことしたり、困らせたり、めいわくかけたりしないように、人として、一人の人間として生きていきたいです。

    私が天光寺に来た理由はこの先の人生を考えた上で、今の自分には、自信を見つめなおす時間が必要である、自分を変えたいと思ったことがきっかけです。修行をして、自分を変えたいと、単純な気持ちで来ました。話が聞いても、考えるだけで変られるとは思いません。私自身も、どうしたら変わることができるのか分かりませんでした。今は自分が私の生活に戻り、変われる事に気付くことができました。気付くことできたのは、住職先生の教えであります。先生が何度もいわれている“反省”“感謝”“ざんげ”をしなさいと言われて、今まで一度も考えたり思ったりすることがなかったので深く考えました。

    想ったりすることがなかったので深く考えました。この普通の事、考えればわかることを考えてこれなかったことによって人の想いを気付くことができなかった想い返すこともなかっただから人を傷つけて裏切ってうまく付き合っていくことができなかったのだと思う。

    「愛にひそむ独占欲」の言葉は、先生とお会いした時に始めて言われた言葉であり、自分に一番気付かなくてはいけない所だと思います。彼女に対する言葉態度を改めて考え思い出さされました。これからは自分が認めて支えてあげようと思います。

    今まで忙しさを理由に自分の身の周りの事ができなくなってしまっていたのも、変えなくてはいけない事であってここに来てゆとりの時間が必要だったことも気付かされました。
    考える時間、何にも考えずにここを休める時間がないと人はすべてにうまくいかなくなってしまう。行をしたことによって、お経一つにも気持ちを入れてすることによって忍耐力をつけることができ、終わった後の達成感を味わえる例えば次に写経をして集中力を高めて達成感を感じる、一つひとつのメリハリも大事だけれど、仕事に置き換えても自分の気持ち一つで自分はいくらでも変わることができる。辛い時の自分に意識で勝つことができればその気持をこの先の自分にしっかり付けていきたい。「挑む相手を自分の中に見つけた時」道が開ける。

    天光寺で教わった事“教育”大人じゃなくて子供に対する教育大人には仕事での教育は完璧ではないがすることができるこれから自分が人の親になることになればしていかなきゃいけないこと、子供は素直だからダメなとこをすぐ出してくれるでも常に言ってあげないとすぐ忘れるなんで言われるのかをしっかりと伝えて理解した上でしてあげないと、甘えて泣くだけ、ここに来る子供たちの多くは親の甘えだと思う。かわいいからとはいえ甘えは人をダメにする。甘えさせれば、それは許されることだと認識していつしか甘えさせられることになれてしまって感謝の気持ちも分からない大人になってしまう、まさに自分の事を言っているようだ。子供に叱っている言葉が自分に返って来る時が何度もあった。子供の教育にも甘えさせるのではなく、良し悪しの区別をしっかりさせてあげて、最後はしっかりとほめてあげることが必要だと教育に対して考えさせられ勉強になった。

    相手を想う気持ちが強い程、感情が高くなり、泣いたり怒ったりするそれがいつしか心に残って何かに気付かさせるきっかけになったりする、想える、想ってくれる最後は話し会える相手だから情が生まれる。互いに認め合えば、切っても切れない関係になる。

    この先、そうなれる相手を探していきながらいろいろな人とのコミニュケーションとネットワークを取っていきたいと思う。人と人は支えあい情でつながる。人と人とのつながりを大切にして人生を歩んでいきたい。 天光寺のスタッフのみなさん一ヶ月という短い間でしたが親切にして頂き、本当にありがとうございました。住職先生、毎日ご多忙の中、親兄弟身内の相談まで聞いて下さり大変お世話になりました。ここで教わったことを何度も読み返し意識的に自分自身が成功できるよう毎日、懸命に努めていく所存でございます。

    ほんとうにありがとうございました。

    ぼくがこの天光寺に来た当初は、頭が混乱していました。母に連れてこられて、いきなり「修行をする」と言われたからです。それで、ぼくはここで修行をすることになりました。
    最初は、「なんで俺が修行なんてしなきゃ」と思っていました。けれどもすぐに「ここに来た以上は修行をしなきゃな」と頭を切り替えました。もう十六歳になる男が嫌だ嫌だだなんて言ってられないので、とりあえずがんばってみることにしました。

    朝起きてから、掃除と言われて、掃除をしていましたら、いろいろと教えてくださるお兄さんに怒られました。「なんで怒られなきゃいけないんだよ」と思いましたが、聞いてみると自分ができていなかったことへの注意でした。他にも多々怒られましたが、全部自分が至らなかった点ばかりでした。

    例えば、外を掃除する際にゴミを残さないようにしろと言われました。他の人が見逃したゴミでも、自分は見逃さないように、自分が見えたゴミはひとつ残らずはく、隙間に挟まっているゴミも見逃すな、などのことも言われました。ぼくは「何の意味があるんだよ」と思いましたが、こういう風なことを言われました。
    「落ちているゴミを全部ひとつ残らずはくことは自分に負けない心を作る。」

    そこで、ぼくは今までの自分のことを考えました。自分は今まで自分に勝ったことがあるかということを考えました。最近は、自分の欲望ばから優先させて、本当にすべきことをしていませんでした、ぼくは今、高校1年生です。つまり、学生ということです、学生とは、学ぶじかんが 与えられている人と住職さんが言っていましたが、高校に入ってからのぼくは全く勉強をしていませんでした、勉強をしないで、スマフォをいじったりパソコンで遊んでたり、テレビを寝ながら見ていたりしてました。それら全ては自分の勉強をしたくないというただのわがままでした、ただ単に学業から逃避をしていただけでした。勉強をしたくないという自分に負けた結果、学校の成績はよろしくない結果に終わりました。
    だから、自分に負けない自分を作ることがここに来た目的の一つであるとぼくは考えます。

    自分に負けない自分を作ることができたかと思うと、ぼくはできたのではないかと思います。今、本当にやるべきことをきちんと考えて、自分がしたいことは抑えていきます。それが自分に負けないことだと考えます。 そのお兄さんの話を聞いてて考えたことですが、ぼくは両親のいうことを全て聞いていませんでした。「勉強しろ」とよく言われていましたが、先に述べたとおり、全く勉強をしていませんでした。ウォークマンを聞いていて、母の言うことを無視するということもよくありました。ここに来てから頂いた紙に書いてありましたが、「親のいうことは絶対である」そうです。
    「なんで聞かないといけないだ」と思っていましたが、ここにいる人たちの話を聞いていく中で理由がわかりました、親が言ってくれることの全てが自分を思ってくれて、言ってくれているからです。

    今まで自分が親から与えられていたものは自分を喜ばせるためのものであったと感じています、それを当然と思っていた時のぼくはとても恥ずかしいです、友だちが持っているからと言って、自分も持つのが当然と思っていた自分も恥ずかしいです、与えてくれたことに、感謝をしなければならないということもここで学びました、食事もそうですし、衣服や娯楽なども与えられていました。
    しかし、ここでは食事はメニューが決まっていますし、衣服も今持っているものしかありませんし、娯楽はないですのでよく分かりました。親もそうですしいなくなってから気付くそのものの重要さですね。
    食べたいものを言えば、作ってくれますし、着ているもの全て買ってくれたものでした。両親への感謝の気持ちを少しは分かったと思います。今生きていけるのは全て両親のおかげでした。ぼく一人では、何もできません、父、母がいてこそ、ぼくが生きられますから、両親に感謝の気持ちを持っていないといけません、ぼくは持ち続けられるようにします。感謝の気持ちが重要ということを考えさせられました。

    自分がここに来て、ここで修行をして、学んだことが多いですが、大きな二つが、今述べた、〈自分に負けない心〉と〈感謝の気持ち〉です。自分に足りないものが少しでも、学べたと思います。

    思えば、ここ天光寺に来てからの修業は、正直とてもつらかったです。
    まず、声出しです。思いっきり声を出すのですが、ぼくは声をあまり出さないので、最初はほとんど出ませんでした。今は昔よりも出せますが、それでも小さいです。

    瞑想は、ゆっくりと〈反省〉〈感謝〉〈ざんげ〉について考えることができました。第三の目は、うまく開くことができませんでした。

    読経は、とてもしんどかったです。スタッフの方もおっしゃっていましたが、いくらでも楽できるので、弱い自分に負けないようにがんばれました。声が小さくなったりする時もありましたが、気合を入れてがんばりました、呼吸の仕方も腹式呼吸を使うので、慣れてなかったぼくはとまどいました。弱かったぼくは楽な呼吸法で途中までしていましたが、注意されて気付きました。楽なことばかりやってても、自分は強くなれないと分かってからは、つらくてもがんばりました、高校生なのに、あまり声が出ないと、よく言われました。それでも僕は大きな声をだせたと思っています。
    お今日も大体は覚えることができました、最初、〈般若心経〉なんて覚えられないと思っていましたが、今では教本なしに唱えることができるようになりました。覚えられた時には達成感がありました。暗記できても、声が小さいと怒られたりもしました。声を出せる限り出すことは、疲れましたが良い修行になったと思っています。

    滝行は、初回は正直とても恐怖を感じました。一回滝に入った後に、あまりのきつさに出てきてしまいました。けれども、自分に負けてはいけないと自分を引き締めて滝に戻りました。
    痛かったけれども、耐えきれました、終わった後は、頭がフラフラしていましたが、大丈夫でした。耐え切れたという達成感もありました。二回目も少し恐怖がありましたが、普通に入れました。慣れというものなのか分かりませんが、案外落ち着くことができました。
    ただ、もっと昔から修行をしていた人に言われましたが、冬は滝が凍っていたり、春はもっと勢いが強く、冷たいそうです。今の時期は一番楽な時期と言われました。それでも、ぼくにとっては今の時期もきつかったです。

    川行も今の時期は楽だそうです。川は滝よりもきつくはなかったですが、それでは駄目とお兄さんに注意されました。ですので、二回目の川行は自分を追い込むために頭から水には入っていきました。
    頭から水を浴びると、呼吸が全くできずにとても苦しかったです。呼吸ができなかったんですけど、お経を唱えて気合を入れました。終わったあとは清々しい気持ちになれました。

    滝行・川行の前に行うお百度参りは、体力に自信のないぼくでしたが、走り切ることができました。けがをしたりしました。声も大きく出せませんでした。でも、良い汗が流せました。

    写経・写仏は、先が細かったので神経を使いましたが、ゆっくりじっくりと書けました。書道は得意ではないのですが、好きですので楽しんで写すことができました。書き終えると、やはり達成感がありました。正座をするのは足が痺れて少し痛かったです。

    そして、一番つらかったのが三禮です。初回はとても苦しく挫折しそうになりましたが、ここで負けてはいけないと気合を入れ、がんばりました。汗も半端ないほど出ていました。それでも、自分に負けないように最後までやり遂げました。終了した後は、頭がくらくらしていて、ひざの皮が剥けていました。
    終了した後は、頭が今にも倒れそうでしたが、何とか保ちました。二回目にやったときは、二回目というだけあって一回目よりも声が出せたと思います。正座して、立ち上がって、正座してを繰り返している動作ですが、けっこうきつく、つらかったです。けれども、がんばれました。修行はどれ一つ楽なものはありませんですが、我ながらよくがんばれたと思っています。厳しい修行の中で得られるものもありました。特に重要なのが、感謝であるとぼくは思います。

    正直、〈感謝〉という気持ちについてはよく理解はできませんでした。
    けれども、ここで修行をし、修行しに来ている人たちの話を聞いているうちに理解ができたと思います。ぼくは親に感謝をしてないと言われましたが、今はそのことが恥だとわかっています。今、着ている服は親がぼくに買ってくれたものです。それに対して、ありがたいという気持ちを持たなくてはいけません。服を買ってもらえない人だっているかもしれないのに、僕は買ってもらえる、そんなことを当たり前と考えた自分が本当に何様だったのかと感じています。
    でも、今の自分にはそれがどれだけ幸せなことなのか分かります。両親が仕事をして、お金を稼いでいるからこそ、こんな生活ができているので、ぼくが恵まれているということを深く感じました。それなのにぼくは、仕事をして帰って来て疲れている母に、何も思っていませんでした。それでも、食事を作ったり、家事をしている母を少しでもいいから手伝いをしたり、声をかけたりするべきでした。今手がそうできなかったのでこれからそうします。

    これからのぼくは、感謝の気持ちを忘れず、親のいうことをきちんと聞き、自分に甘えず、自分に負けないように来ていきます。ここでいろいろな方とお話をして気付いたことも大事に胸にしまっておき、すぐに引き出して思い返せるようにします。今までの弱い自分とは決別をして、少しでも自分に強い人間になれるようにします。努力をしてもっとより良い人間になれるようにしていきます。ここで教わったことを忘れず、ここに連れて来てくれた母、ここお世話になった方々に感謝をしてこれからもがんばっていきます。

    私が一ヶ月天光寺に修行に来た目的は、今までの人生で、私に携わって頂いた人達、私の暇までの行動、人に対する態度、接し方など、大変迷惑をかけ、私は就職が決まっていた前夜に人間としてしてはいけない行動をしてしまい、妻、子供達には本当に夢や希望を一瞬のうちになくしてしまい、子供達が楽しみにしていた事まで、自分の行動で悲しませ、失望、傷付けてしまった事に罪を償う為の反省修行と自分自身、年々経ってもやる気なし、自信なし、消極的で我慢、辛抱なしの性格を変える、考え方、一青の関わり、心を強く前向きな人生になる為の人生向上の修行に来ました。

    修行は毎日朝6時に起きて、掃除からはじまりです。他の修行者と協力して掃除の分担です。掃除機、風呂掃除、トイレ掃除、玄関の掃除など行います。修行を通して今まで家庭でいかに何もせずに協力出来無かった事が、情けなく痛感されました。外に出て、竹ぼうきで寺から1km先にあるバス停までの掃除では、落ち葉が道いっぱいにある時は、竹ぼうきでひたすら集めて、何十分経ち、道がきれいになった時は、今でも心がスーっとなった気分を覚えています。

    お寺での食事では、本当に今までいただきます、ごちそうさま、と感謝の挨拶をする事がなく、ただ好き嫌い、贅沢をしてきて、作ってもらった人の思いも感謝、真心の挨拶も何もなくしてきた事を思うと、本当にありがとうの言葉でいっぱいになりました。食事のときの食器は、他の修行者と協力して洗う事をここでは勉強になりました。

    私が天光寺に修行に来て、もしこの天光寺を知らないまま、もし先生に相談に来て居なければ、決して、この様な考える力がないと思いました。この修行で学んだ挨拶の作法、お客様への挨拶、朝の挨拶、お客様への挨拶、行の挨拶、食事の挨拶などでした。また心の持ち方。感謝のこころを持って、毎日積極的に生きていく、人生、社会にとって、色々な人生の道の正しい生き方を考えさせてくれました。本当にありがとうございました。

    これから下山してからは、一日も早く就職先を見付けて、妻には本当に12年間、苦労のかけっぱなしで、生活の面でも、食事の片付けや、洗濯、何もしなかったです。本当に協力できず、すみませんでした。12年間、妻が私に仕事の時、朝弁当を作ってくれたり、いつの日か、スーパーの駐車場まで弁当を持ってきてくれた事がありましたね。本当だったらありがとう、いつも忙しい中、お弁当を作ってくれて本当にありがとうの言葉もなく、今思うと、妻に対する想いがなく情けなく反省しています。

    私は一日も早く仕事を見付けて社会復帰をして、妻が12年間苦労・負担をかけた分、これから妻の分まで働いて、家野事でも協力してあげたいです。本当に妻には安定した生活をさせ安心させてあげたいです。
    あと何年、何十年経つか分からないけど、早く妻と子供と一緒に生活がしたい、妻と子供達のにぎやかな生活がしたいです。そして妻の手料理が食べたいです。本当に先生、スタッフの人には大変お世話になりました。一ヶ月間お世話になりました。ありがとうございました。

    長い間うつに悩み、仕事を失い、家族に対しても、自分自身の中でも、自身の存在価値が分からなくなり、生きて行く道を失いかけていた。そんな時、天光寺との出逢いのきっかけを与えてくれたのは、友人だった。

    「寺に修行でも行ってみたら」

    その一言を受けて、修行が出来る場所を探し、自らの目的と合うと想えたのが、この天光寺だ。この選択は間違っていなかった、と今は自信を持って言える。
    何気なく過ごしていた日常の中で、恵まれている自分の環境や、支えてくれる人がいる幸せに感謝することを忘れている、と最初に気付かせて頂いた。食前にもお経を唱え、感謝の言葉を口にする。一つ一つの作法に大きな意味があり、言葉を口にすることで、心の奥の方まで感謝の気持ちが広がっていくようになった。今まで、本来の「食べる歓び」や「食べられる幸せ」を噛み締めて食事をしたことはなかったように思うが、これからは自分自身だけでなく、子供達にもこのような感謝の気持ちを大切にするよう改めて教えていきたい。
    食だけではなく、今がある。この今を与えて貰っていることに感謝する気持ちを忘れることなく、そして常に自然に「ありがとうと思えるように成長していきたい。

    私は、ついつい自分だけの事で精一杯になってしまい、周囲への気遣いや心配りを忘れてしまいがちである。また、力の入れ加減の調整が下手くそで、思い切りアクセルを踏み込んでしまうか、完全にアクセルから足を離してしまうかのどちらかしかできない。姿勢はしっかり保ちながら両肩をリラックスさせる、こういう身体への力の入れ方も上手くコントロールできず、力みすぎたり、ゆるめすぎたりしてしまう。「良い加減」で物事に臨み、余力を持ち、心にも余裕を持って視野を広げて生活することで、自分の限界を無限に伸ばしていくことができる可能性が生まれることを学んだ。

    思い返せば、仕事がうまくいかなくなっていたのは、いつも全力で飛ばした後、息切れをおこし、張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れたようになってしまった時だ。次に仕事を得られたら、この学びを活かし、余力を持って職務を全うしたい。

    また、私は人に弱い所を見せるのが苦手で、悩みを相談したり、しんどい状態をさとられたりすることに抵抗を感じてしまうところがある。でも、それは結局ストレスを引き起こし「病気」につながってしまいかねない。また、自分の弱みを人に見せることで上手くいく人間関係があるということも学べた。相手と心からのコミュニケーションが取れる、たくさんの人と心を開いて友人になれる人間になるためにも、自分で張り巡らせてしまっている壁を少しずつでも打ち砕いていきたい。世の中はまだまだ広く、様々な人がいる。そんな中では私の悩みなど、ちっぽけなものに過ぎない。しかし、そんなちっぽけな事で悩んでしまう自分の情けなさを勇気を持ってさらけ出して、他人にも伝える事ができるようになりたい。当然、そこから悩みを乗り越え、自分に負けないようにしたい。

    私の人生の主人公は私自身であり、舞台と役を演じなければならず、そのためには「自分に負けない」強さ、強い気を持っていなければならない。折れない、負けない、強くなりたい。今までの日常生活の中でもそういう思いを抱くことはあったが、今回の修行を通じて「強い」の意味や「負けない」意味や相手について、改めて思い直すことができたと思う。その意味は、まだまだ広く、今の時点で理解出来ているのは氷山の一角に過ぎないし、弱い私には、身に付けるべき「強さ」はたくさんあるが。

    十日間だけで自分を大きく変えることはできないが、しかし、十日間で学べたことは数多く、書ききることができないくらいある。
    日常に戻って、今回の修行で得たものを活かして、自分自身の中でしっかりと育てていきたい。そして一回り強くなって、また初心に戻るべく、ここに来たいと思う。

    自分は今までは嫌なことや苦手なことから、楽な方に逃げて、自分の好きなことや楽しいことばかりしていました。そのせいで、学校にも行かずにほとんど家にこもりがちな生活を毎日していました。
    でも天光寺に来て、規則正しい生活をして、辛い行をするうちに、いくつか大切なことを教えてもらったり、知ることが出来ました。

    一つは親への感謝です。
    天光寺に来て、一番つらかったのは、お父さんとお母さんに会えないことでした。毎日不安でさびしくて、会いたくて仕方ありませんでした。そこで、親には育ててもらっているだけでなく、心の支えにもなって貰っているんだと気付きました。 次に教えて貰ったのが、嫌な事や苦手なことに一歩踏み出して挑戦することです。

    自分は滝行の水が冷たくて苦手でした。毎回自分でブレーキをかけてしまって、滝のかなり手前で終わっていました。けれど、最後の滝行の日に座ってからだけど、気合いを入れて後ろに下がって、少し耐えることができました。それが終わった時の達成感はものすごく大きかったです。

    他にも、自分から積極的に動くことも学びました。
    自分は天光寺に来たはじめのころは、食事の後片付けの皿洗いなども他の人にまかせて、部屋のすみの方で、ただ立って終わるのを待っていました。でもしばらく過ぎたころから、自分から皿洗いなどの後片付けをやるようになりました。自分からやると、とてもすがすがしい気分になりました。それから、食事のありがたさも知ることができました。
    たけのこ狩りに行った時も、はじめての経験だったので、たけのこを見付けるのでさえ一苦労でした。更にまわりの土を掘って、切り取るのも大変で、とったたけのこを持ち帰るのも重くて苦労しました。

    そのようなことをしていくうちに、普段食べているごはんの食材の一つ一つに人々の苦労がかかっているんだと思いました。
    その他にも人とのコミュニケーションの大切さなど、さまざまなことを学ぶ事ができました。
    だからこれからは、天光寺で学んだことを活かして、性格が明るく、自分から積極的に動く、人をひきつけるような人になりたいです。

    また、親に心配をかけさせたり、悲しませたりするのではなく、逆に喜ばせられるようになりたいです。 天光寺から家に帰って、学校に行けるかどうかは自分でもまだわかりません。でも行ける勇気を持った時は、滝行でやったように、一歩ふみだして行きたいと思います。

    ここに来た理由は、親に迷惑をかけたからで、具体的には、友達関係、法に触れること、家に帰らなかったりもした。だからつれてこられた。
    でも、親は自分によくなってほしいからつれてきたっていうのに気づいた。こんなに迷惑をかけたのに、大事に思ってくれていたんだと思う。

    ここに来て、行をやって、親に迷惑をかけたってこともようやく気づいた。本当に気づいていたら、こんな事できなかったと思う。そして、こんな自分を育ててくれた親、大事にしてくれる親に感謝しなくてはならないと思った。ここに来て電話があった。寒くなったけどいるものある?家にいても、自分のことを心配、気づかってくれていた。そんな親に迷惑をかけて自分は、バカだった。
    だから、親に感謝の気持ちと、反省の気持ちを態度と行動で表したいと思う。

    そして、もう一つの問題は、高校に進学するかどうか。ここに来て住職さんやお坊さんと話をして、進学することに決めた。どんなに勉強が遅れていても本気になればすぐとりもどせるっていうのを聞いた。だから、とりあえず高校はどこの高校でもいいから行きたい。そして高校で勉強に集中して、悪い方方向に流れない。今、頑張って大人になってから、良い人生を送るようにしたい。

    やっぱりこの年は未成年ということもあって、家族の支え、周りの人の支えがないと生きていけない。だからこれからは反省と感謝を忘れずに、今までとは違う人生をおくってく。

    自分自身の弱さ、甘さが原因で十四年間勤めた仕事を辞職するに至りました。次のステップのスタートを切るためには精紳面を鍛えること、自分自身と向き合い、生活面から全て変わる必要があると思い、天光寺にて精紳修行することを決断しました。

    相当厳しい修行になると覚悟して臨んで初日は川行からスタートしました。
    十二月も半ばが過ぎ、気温も低い中、行着に下着一枚、素足の格好でお百度参りからスタートし、全速力でダッシュし、ひたすら無心「御宝号」を唱え、無我夢中で終えた時には、疲れよりもすがすがしさを感じました。川へ移動し、行った川行は、スタッフの方の教えである「水とケンカせず、一体となる」を意識しながら、入水しました。水も冷たくとても辛かったけれど、雑念を冷水に流される様で、終えた時には自然の強さ、偉大さを感じさせられました。初日の緊張と肉体的な疲れから、初日の夜は、午後七時半に就寝しました。

    天光寺での修行の一日のサイクルは、起床六時、声出し、瞑想、読経千回、昼食後、荒行を行い、写仏または写経を行い、夕食後、入浴し十時の就寝消灯まで自由時間となります。どの行を行っても当然楽ではありませんが、集中して行うことにより、自分自身と向き合い、過去の反省、自分が今後行うべきこと、進むべき道が少しずつ見えて来るようになりました。

    荒行の中でも、滝行はとても厳しい行でありましたが、これほど体と心を清めてくれるものは他に無いのではないかというくらい素晴らしい行でした。明らかに入水前と入水後では表情も変わり、スタッフの方の「体の悪いものを流してくれる」という言葉には、いつわりはありませんでした。

    私は二週間という短い体験修行ではありましたが、日常生活に帰ってからが、本当の修行だと感じています。結局のところ体験修行を一ヶ月行おうが、一年行おうが、自分で気付かなければ全く意味がないと思います。体験修行にて感じたこと、反省したこと、見えた事を常に念頭において生活していくことで、今までの自分を変えて行けると強く感じています。

    最後に住職をはじめスタッフの皆様、修行を行う上で最高のサポートをしていただき、本当にありがとうございました。メリハリのきいた対応、安心して修行を行うことができました。次回、天光寺に伺う時には、以前の自分としてではなくパワーをもらいに短期で伺います。本当にお世話になりました。水(人生)の流れに逆らわず、自分が主役であるにはどうすべきかを常に自問自答し、生活していきます。

    僕は不登校を半年ぐらい続けて、親がここへ連れてきました。正直、最初に住職の話を聞いた時は、この人何言ってる人だろうと思ってました。ここで、どれだけ過ごしにどころで学校なんて行きたくないと思ってました。最初の方はやる気はなかったです。でも行をしていくうちに、だんだんやる気が出てきました。

    四日目で初めて川行をやりました。このときは、まだお百度参りを超めんどくさい茶番程度にしか思っていませんでした。そして、川行も正直余裕でしょ!くらいに思っていました。でも、いざ川に入ると想像を絶する冷たさにびっくりしました。本当「死んちゃうんじゃないの」というくらい冷たかったです。僕はすぐに出ました。出たら、さっきまで冷たかったはずの外がすごく暖かくて、ビックリしました。僕はこのとき「生きているんだな」と感じました。それでなぜか、すっきりした気分でとても不思議な感覚でした。

    五日目は滝行でした。滝を初めて見た時予想よりはるかに少ない水量で「何だチョロイじゃん」と思いました。しかし、入ると昨日のような冷たさに加え、滝のしぶきが体全体に当たり、すごく痛かったです。何が何だか分かりませんでした。でもまた滝から出るとすごく暖かくて「生きてる」とまだ、感じました。
    それとやはり数秒までは痛くてつらかったはずなのにすごく心がスッキリしている自分がいてビックリしました。

    学校へ行こうとしっかり考えたのは七日目の土曜日です。それまで、色々な行やって色んな人と話して、今僕がおかれているこの時代がどれだけ大切なのかが分かってきました。僕はここに来る前学校というものの価値観、そして僕がしている事への危機感が全くに等しいほどありませんでした。でも今は、前に比べれば、分かってきた気がします。今は学校で勉強することよりも、学校に行こうという行為そのものが一番重要な気がします。それは同世代の人と話ができるからです。ここに来た大人の人達によく言われたのが、「大人になってあんな上下関係なしに話ができるところはない」です。そう言われると学校に行って友達としゃべってるだけでも人生においては相当な財産かなと思えるようになってきました。それで、どのような人も「中学の勉強はそれから先の基礎だから、しっかりやっておいた方が絶対にいい」と言われて、勉強が遅れている事に関しての危機感も覚えました。なので今は学校に行きたいです。

    そして、学校の事以外にも色々な事を学びました。まず、仲間や友達など、周りにいる人の存在です。
    今まで意識した事はありませんでしたが、どんな時も常に周りに同じ事をしている人がいました。ここでも、最初の一週間はそうでした。いつもAさんがいてくれました。しかし、いざAさんや短期の人がいなくなり、自分一人になると、すごくさびしいです。今までは行が終わって言われた「おつかれ」や「キツかった」などの一言がないからです。何かを共有する仲間がいないのはこんなに寂しいかと思いました。ここに来て、あたりまえが、あたりまえじゃないことに気付き、周りの人への感謝も覚えました。その周りの人の中でもやはり、家族への感謝が特に強いです。ここに来て自分が変われたのも家族がここを見つけてくれて連れて来てくれたからだし、家族が働いてお金を出してくれているからこそ、僕はここにいます。それに正直いつでも会えた家族にこんな長い間会えないのは寂しいです。だから、僕は家族がいる事への感謝、その存在の大切さがよく分かりました。それと、生きていることへの感謝も分かりました。今までに「生きていることに感謝しろ」と言われても訳が分かりませんでした。でも今なら分かる気がします。川や滝から出た後のスッキリ感や、暖かさや、中に入ったいるときの冷たさ、痛さ、も生きているからこそ分かることです。

    それに、生きているからこそ、僕は今こうやって人生をやり直そうとしています。生きているというのは普通に考えたらあくまで大前提しかないですが、今こういう経験をすると、すごく大切なことなんだと思います。それに自分が自分を超える嬉しさも分かりました。今まで「自分を超えろ」と言われてもサッパリでした。しかし、今ではよく分かります。なぜなら、川行や滝行での目標が高くなっている自分がいるからです。最初はずっと最低ノルマでいいやとか思っていましたが、今ではタイムを伸ばすことを楽しみにしている自分がいます。チャレンジ精神ってこういうことかと思います。これから学校でも前に進み続けていきたいです。

    僕は、天光寺にこれで本当によかったです。これからは周りへの感謝を忘れずに学校に少しずつでも行きたいです。ありがとうございました。

    僕がこの天光寺に来た理由は自分自身を変える為に修行をしに来ました。最初、寺に行って修行をして来いと、家を出したのがじいちゃんでした。ここに来る前の僕は本当にどうしようもなく、ただただ自由に生きているだけの毎日でした。「面倒見切れない」という言葉をさんざん言われ続けて来て、正直どうでもいい生活をおくってきました。姉もその僕を見て「もう家にいないで」など色々言われて来ました。そんな中じいちゃんが「お前は変わらないとだめだ」と言い、親にむりやり連れて来られたのがこの天光寺でした。一番最初は不安でいっぱいで修行なんていやだって思っていました。

    まず、修行と言われ感じた事は「18で修行ってあり得ない」「何で俺がそんなお坊さんみたいな事をしなきゃいけない」と色々思いながらここに来ました。
    いやいやでこの場所に来たはずの僕が一ヶ月の修行をほぼ経えて今だからこそ言える言葉があります。
    「この天光寺に来て本当に良かった」そう思えるでき事がこの一ヶ月間に沢山ありました。一日目はやっぱり不安だけでいっぱいだったので、何をすればいいのか分からないままでした。最初、受付を済まし、いきなり訳の分からない所に連れられ気付いたら、目の前でお経を唱えていたり、何だこれという事がありました。不安な気持ちから修行に入るというのは、ちょっと僕にとっては厳しい事で、いやになった時もありました。友達とも離れて生活するわけだし、どことなく寂しかった時もありました。中に入ったら、知り合いはもちろん一人もいないし、僕は親から一ヶ月間修行いってこいと言われ最初、だらだらやってたけど、ここでやっていく内に思ったことがあります。「一ヶ月やるなら、逃げずにきちんとやり切ろう」そう思う気持ちが徐々に出て来て修行に励む形になりました。

    まず、ここに来たら、一人でやっていこうと思った事、だれとも仲良くせずに修行一日終える事、この目標を立てて僕は修行に励むつもりでした。でも、この天光寺に修行しに来ている人達は僕の思う想像以上に優しい人達ばかりでした。ここに初めて来たのが1月26日、その日の人数は僕も合わせて7人いて自分はずっと一人行動でした。でも一緒に修行を行う事によって人と絶対しゃべらないというのは難しい事で、昼飯の時に向こうの方から話しかけてくれた事がちょっとうれしかったです。自分には一緒に行をしている仲間がいる。この場所に自分一人で立っているわけではない、という事を、行をしているときにあらためて感じました。

    この一ヶ月で学んだ事はいくつかあります。色々なありがたみとか、色々な感謝とか、今まで出来てなかった事が天光寺に来てようやく出来るようになった気がします。僕はこの場所に来て感謝と礼儀正しさを覚えました。今までそういう事をしてこなかった時もありました。今までも俺の為にしてくれた人にも、あまり深くは感謝した事はあまりなかったし、これといった良い人生もあまりおくれてない時もありました。でも、ここに来てただ覚えるだけではなく、生活も大幅に変わりました。朝起きる時間6時、寝るのは10時いった規則正しい生活を続けていく上で見に付いてくるもの、こういったことも普段の生活とは違うので最初は全く慣れなかったです。天光寺では決まり事もきちんとあるし予定もきちんと立てているし、ここに来ると今までおくってきた生活もきちんと直していこうという気持ちにもなりました。人生をもう一度見直すところまではいかないけどある程度自分の中では、少しは見直せたと思います。自分が変わったか、どうかは自分ではあまり分らないが、他人から「お前変わったよ」と言われたら、すごくすっきりした気持ちになります。仲間がいれば修行もすごく楽しくなるし、コミュニケーションも取れやすくなって確実にいい方向に進んでいると今はおもっています。前まで、だらだらした人生が一気で変わったのがすぐに分かって水行が終わった後は生きている事が素晴らしく感じました。毎日生きて来て一日一日普通にだらだら過ごして来た天光寺に来る前の自分とこの一ヶ月間修行を終えた後の自分を思い出し見比べてみると自分でさえも変わったというのが分かります。この寺で過ごした時間は最初は遅い遅い思っていたけど、今思うと何だかんだ言って早く感じました。

    僕はこの修行を終え、家に帰ったら、まず、やることが沢山あります。その中の一つに仕事が含まれていて、今やっている仕事をやめて、新しい仕事先を探そうと思っています。その時でもいいし、仕事している最中でもいいから、この天光寺で修行した事を全部思い出して、一からやり直し、生活態度も変えようと思っています。これでもまだ生きていく上で道を路み外してしまったら、また、あの時、あの時を、思い出し、やっていければいいと思っています。そして、それでもだめだったら、この天光寺に足を入れて修行を行えたら、もう一度してみたいです。ここで出会った行の仲間との思い出、辛かった修行、僕が変われたのも天光寺の皆のおかげだと思っています。

    もう一度、出来る所からやり直してきちんとした生活もおくれたら良いと思っていますし、感謝の気持ちも忘れたくないのでこれからも、修行を終えてからも親にあまり迷惑かけずに頑張っていきたいです。

    僕は、お寺に来て家族へ今までしてきたことがどれだけ情けないことなのかを理解しました。

    また、何故自分がお寺に連れてこられたのか分かっていませんでした。僕は理由があるから連れて来られました。例えば、親に暴力や暴言を発することや、妹と仲良くしなかった事、お母さんのしている家事や仕事をバカにしていました。
    本当に今では情けないです。何の理由があろうとも暴力や暴言は決して良くないですし、家族とは仲良くするもので、しかも、育ててくれているお母さんをバカにするなど本当にあり得ないことだという事にお寺の辛い修行を行ってきて深く感じました。そして、僕は家族を大切にしなかったから連れて来られたのだとしみじみ理解しました。それから、家族はいつでも仲良く大切にし合うものだという事も理解できました。

    最近では、家に帰ってから、家族と幸せに暮らすにはどうしたら良いのかを考えながら生活しています。例えば、家に帰ったらお母さんの洗濯物の手伝いをしたり、食事の準備の手伝いをしたり、挨拶を毎日したり、妹の勉強を教えたりしようといろいろと考えながら、生活しています。そして、早く家に帰るにはめそめそするのではなく、今を頑張ることが一番だと言う事も理解できました。

    お寺に来て何よりも人は変われるものだという事を学びました。だらしなかった僕が今ではきちんとした生活を出来るようになったことなど。このことがお寺で一番の収穫だと僕は思います。

    本日はお世話になりました。短い時間ではありましたが、行に触れる事ができて良かったと思っています。

    今回の目的としては十分には目的を果たせていません。そもそも、日帰りでは、滝行体験でおわってしまうのかもしれません。最初に作法を教えて頂いたことは、良かったと思っています。普段から自分は出来ているつもりになっていたのですが、きちってした型、作法を持って行う事で、心すっきりとした気になれました。

    食事に関しては、精進料理なのでしょうか?私は図体の割には、和食が好きで今回のメニューはとても美味しく頂きました。

    お百度参り。人生初です。私はそもそもお寺、法事、お葬式などに参加しない、そういう環境で育っていましたので、経験がございませんがテレビでみたことはあります。走る事を、今日知りました。本日の時間の関係で100周は無理でしたが、良い経験になりました。

    滝行につきましては、呼吸ができませんが、背中が強い圧力を感じ、体の中の邪念が外に出ているような気持ちになれました。

    最初に目的は果たせなかったと書きましたが、日帰りでも体験する、まずは行動する事はとても重要だとおもいました。参加者方からも様々な話、考え方があり、それを聞くこと、スタッフの皆様の考え方はとても新鮮でした。自分にはない考え方を、聞き、それを素直に受け止める器を手に入れなければと思います。

    文末となりますが本日はご指導頂きまして誠にありがとうございました。

    ここ天光寺において、2泊3日の研修の中、とても貴重な体験をさせていただくことができました。この3日間の中で、仏教については、まだ正直ピンと来るものがありません、けれど、あいさつの仕方、声の出し方など、一般でも有用していけることも教わり、再確認することが出来ました。更に三禮、滝行、お百度参りなど、なかなか体験出来ないことをさせていただくことが出来ました。

    特に滝行は、自分が想像していた以上に過酷で、そして素晴らしいものでした。入る前は、冷たさへの恐怖がありましたが入ってみると冷たさ以上に、痛みの方が大きいことに気付きます。首、頭、背中、両肩、耳の裏等に、まるで砂袋で叩き付けられるように水が襲い掛かってくるのです。これはかなりこたえました。正直滝から逃げ出そうとも考えました。けれどここで逃げ出すのもくやしいので、耐えることを選びました。そしてあぐらをかくころ、不思議なことに、叩き付けてくる滝の痛みが、体にまとわりついて、一体化するような感覚になりました。むしろ心地良いものに変わっていました。正直ずっとあたっていられると思ったくらいです。住職の弟子の方に出るように言われたので出てみれば、体の芯から熱を発し、頭の中がスッキリしている自分がいました。底知れぬ解放感が自分にありました。自分はあまり精神論のようなものは信じていませんが、この滝行には、何かあると思いました。

    自分は、今の会社に入社して3ヶ月、まだまだ新参者で、先輩や上司には怒られながら、呆れられながらの毎日です。新人ですので仕方がないこととはいえ、やはり逃げ出したくなる時や、辞めたいなと思う時があります。これからもそういったことがくることだろうと思いますが、これからは、そのような辛いこと悲しいこと腹立たしいことがあった時、ここでやって来た修行、そして住職から頂いた誓いの言葉を胸に刻み、思い出しながら、これからの仕事、私生活,対人関係に一層励んでいきます。この3日間ありがとうございました。

    私はここに来てから今までの自分自身を見つめ直す事ができました。
    まず、今まで人と助け合うということを知りませんでした。しかし、ここに来てからいろんな人と接するうちに助け合う大切さを知りました。

    もう一つは、家族の大切さを改めて知ることができました。
    以前までの私は、親が身の回りの事は何でもやってくれると考えていました。ここに来てから、食事の配膳や洗濯物の整頓など、自分でやってみて今までこんなに大変な事を毎日親がやってくれていたんだと、初めて親の苦労を知ることができました。
    しかし、まだ自分には改善すべき点がたくさんあると思いました。

    まず、分け隔てなくたくさんの人と会話できる様に努力しないといけないと思いました。それに、挨拶も人と接する上で今の自分に必要だと感じました。
    反省すべき点が多い自分ですが、ここに来てからいろいろと人として大切なことを教わりました。

    今まで自分は、困難に直面するとすぐにそこから逃げる癖がありましたが、ここに来て住職さんの法話を聞いて、『困難とは、神様が一人一人の人間に与えた試練であり、神様はその人に乗り越えられるよう一人一人の人間に困難を与えている』ということを知ることができました。この話は自分にとってかなりプラスになりました。
    それと、正座でお経を読むのはかなり苦しいですが、今までよりも忍耐強くなれると自分自身感じております。

    今回ここに来て、自分にとって以前の自分よりもかなり成長できたんじゃないかと感じております。つらい毎日ですが、頑張っていきたいと思います。

    自分がここに来た理由は、勉強もせず親に迷惑を掛けて悲しませていたからです。
    まず、自分は野球部に居て朝練がだるく学校にも行かなくなって親の仕事にも迷惑を掛けて引っ越すことになりました。
    その先でも上手くいかず、また同じ事をしてまた親を悲しませていました。
    毎日を同じように過ごして外にも出ず、学校からの電話が前の学校の時と同じように親の仕事に迷惑をかけていました。また仕事が出来なくなったら自分は食べていけなくなるのに危機感を持たず怠けて過ごしていて、そんな自分を生活させてくれる親を傷つけていました。
    塾にも通っていて個人指導なのでそこまで難しくもないのに行かなくなり、塾のお金もムダにしてしまいました。
    家でも勉強をしていないのでどんどんついていけなくなります。
    親も困り同僚の方から紹介された天光寺に行く事になりました。その時はそんな所もあるんだなと思いました。
    その後、その話も忘れてまた、同じように毎日を過ごしていました。
    天光寺に来る前日になって急に嫌になって暴れて、親を悲しませました。
    ここに来るまで、正座を全くしていなかったので痛くて動いてしまいます。
    一緒に来た親も帰ってしまい自分一人だけで集団の中に居ることに驚きました。
    正座であいさつの練習をした時に泣いてしまってとても情けなかったです。
    自分は掃除を親に任せっきりだったので自分でするのは疲れました。
    トイレの掃除は汚いと感じてすみずみまでまでやる気がなかなか起きませんでした。
    親にどれだけ迷惑をかけていたか分かってきました。もっと早く気付くべきでした。
    今までの生活がどれだけ怠けていたのかを考ええると何をしていたんだという気持ちです。
    自分はここでの生活が終った時にしっかりとした自分を見せたいです。早く帰りたいと思ってしまう自分に負けないよう頑張りたいです。
    正座も出来るだけ我慢して長時間じっとしていられるようになりたいです。
    猫背は親によく指摘されていたので体がしっかり一本の線のようになった自分を見せたいです。
    ここでの生活が終わるまでに自分のよくなかったところを直して親に良かったと思われたいです。
    汗をかいて、あんな家にずっと居る生活よりずっといいと思い、運動もできるようになればいいなと思います。
    自分は、なぜここに来たのか考えてみて自分のよくないことがどんどん分かっていきます。
    前の生活に戻りたくないです。ここでの生活が終わった時にまた前の生活の戻るかは自分がどんな風のするかなのでその時にしっかりとした事ができればいいと思います。

    ここに来てもう1週間たちました。長いようでみじかかったこの一週間。この1週間を改めてふりかえるとあんがい楽しかったようなきがします。
    ぶっちゃけ、本当は四泊五日で土曜日に帰る予定だったけど、母親が迎えに来て車に向かう途中、母親が「やっぱり、あと三日、ここでがんばれば?」と言われ、最初は「はぁ? ふざけんな」などと反対しました。しかし結局、また三日ここでがんばることになりました。
    本音を言うと、嫌でした。ご飯は美味しいけど、大好きな肉や魚が出ないし、食器洗いや洗濯は自分達でやらなくてはいけませんでした。それに、ほぼ毎日お経をとなえなければいけませんでした。
    生まれて初めて見る滝はやっぱり迫力がありました。滝に入る前に体を清めるために塩と日本酒をなめさせられ、そのあとにしたのが滝の水をバケツに入れて自分にかけることでした。めちゃくちゃに冷たくて凍るかと思いました。いざ滝の中に入ると凍るどころか滝の水になるぐらい冷たかったです。しかも、滝に入って約二分後に座れと言われました。頭のすぐ上が滝の水で、回りの音が全然聞こえませんでした。
    滝に打たれていると死ねるぐらい冷たくて、滝から出た時は体がキンキンでした。
    滝行が終った後は自分の邪念がなくなったように思います。
    体験修行に来ていた、色々な人達と話せたことはとても勉強になりました。

    僕が天光寺に来て、三週間と一日になりました。
    僕は天光寺で変えていきたい事があります。
    一つ目は、すぐに逃げるという事です。
    今までは、嫌なことがあると、すぐに逃げてしまいました。天光寺に来てから、三週間で、その気持ちも変わってきました。お百度参りや三禮など、つらいことは沢山ありますが、逃げずにしっかりとやることが出来ています。あと何日居るかは分かりませんが、もっと変えていけるようにしていきます。
    二つ目は、すぐにサボるという事です。誰かに何か頼みごとをされても、行わずにサボったりしていました。天光寺に来てからは、周りの人たちに頼みごとをされたら、すぐに行動してサボらないように心掛けることが出来るようになりました。今までは、面倒くさいとか、色々と思って、サボったりしてきました。でも、天光寺では面倒くさいと思わずにすぐに行動することが出来ました。これからはもっともっと出来るように心掛けていきたいです。
    三つ目は、自分で考えて行動できるようになりました。いつもは、分からないことがあればすぐに周りの人に聞いて、一度行ったことのあることでも面倒くさがって、すぐ周りの人に聞いたりしていました。でも、天光寺では、一度教えてもらった事は、しっかりと覚えて、次からは自分で考えて行動が出来るようになりました。あと、以前は一つの事が終われば、次の事を頼まれるまでぼーっとしていましたが、一つの事が終われば、次の指示を待つのではなく、自分から聞くことが出来るようになりました。
    これからは、もっと自分で考えて行動出来るようにしていきたいです。
    四つ目は、積極的に行動するという事です。以前は誰か他の人やってくれるから大丈夫、とか、別に僕がやらなくても誰かがやるから大丈夫だと思っていました。ですが、天光寺に来て自分から積極的に行動できるようになりました。誰かがやるからいいやではなく、自分から進んで行うことが出来るようになりました。
    これからは、もっと周りを見て積極的に行動出来るように心掛けていきたいです。
    五つ目は、根性です。天光寺に来る前は、すぐに諦めたり、やめたりしていました。天光寺に来た初めに行った滝行でも、途中で諦めてすぐに出てきていました。でも、三週間で滝も以前よりはものすごく入れるようになりました。だからもっと、根性をつけて自分の弱い心に負けないようにしていきます。

    僕が学校に行けなくなったのは、小学校6年生の頃にいじめに遭っていましたので、学校に行くのが怖くなってしまい行けなくなってしまいました。いじめられた理由は、一人の友達だと思っていた人と喧嘩をしたら、周りの友達だと思っていた人が全員喧嘩した相手側について、集団で無視されたり体操着の袋で後ろから殴られたりして、突然みんなに裏切られて、人を信じるのが怖くなってしまい、誰を信じていいのか、よく分からなくなり誰にも相談せずに一人で色々と悩んで、何もかも嫌になり家に引き籠ってしまい、なかなか学校に行けませんでした。  学校なんて行かなくてもいいやとか、どうなってしまってもいいやとかなどマイナスなことしか考えなくなってしまいました。お父さんや友達に将来の為、とか言われてもよく分からず楽な方、楽な方という考えでした。嫌なことからすぐに逃げればいいという考えでした。今までは、先生が家まで来てくれたり、友達が家に様子を見に来てくれたり、お父さんが学校に行けるように色々してくれていたことに感謝の気持ちなど持たずに煩わしいというような気持ちしか持っていませんでした。
    でも天光寺に来て、一か月居て考え方がガラリと変わりました。一番変わったのは、色々なことに感謝の気持ちを持つことが出来るようになった所です。
    今までは当たり前だと思っていたことも天光寺に来て当たり前ではないという事に気付けるようになりました。お父さんには、特に迷惑を掛けてきたので、申し訳なさと、感謝の気持ちを持つことが出来ました。あとは、大変な事を避けても最後にはもっと大変な事があるという事に気付くことも出来ました。あと、一歩を踏み出す勇気を持つことが出来るようになりました。天光寺を出てからもこのことを忘れずに、学校に行き、今までもらった恩を一つでも多く返せるようにしていきます。

    僕は今寺に来て最悪です。毎朝6時に起きて掃除とか色々手伝わされて、こんな所に来て何が変わるんだ?と思っていました。

    2週間経って、嫌な思いをしているのは僕だけじゃないと解ってきました。

    前にお母さんが調子悪いときに怒らせてしまった時に言われた言葉がすごく残ってって、その日からお母さんが嫌いになりました。だから言われた事も聞きたくなかったし、家にも居たくなかったです。

    今は自分のしてきた事が家族全員に嫌な思いをさせていたと思ってます。

    家に帰ってもお母さんとの距離を近くしていきたいと思ってます。

    僕はお母さんが好きです。今まで、ごめんなさい。

    初日は最悪な気分でした。親に突然『東京の寺に行くぞ』と言われ、更に寺に着くなり、ここで暫く生活する様に言われ、『ふざけるな!』と思いました。

    毎朝6時起床だったので慣れるまできつかったです。
    毎日起きたら掃除や洗濯をしながら、滝に打たれました。同じ事の繰り返しが、すごく辛かったです。

    でも、毎日当然の様に炊事、洗濯をしている母親の気持ちが解る気がしました。
    家に帰ったら、たまには手伝いをしてあげようと思いました。

    学校にも行かなくなり親に迷惑かけたけど、親の居ない生活がこんなにキツイとは思わなかったです。
    天光寺に来て3週間経ちますが、家で甘えていた自分を知る良い時間になりました。

    帰ったら、親にも心配かけないように学校に行こうと思います。

    私の中で特に印象に残っているものをランキングで書かせていただきます。

    第三位は食事です。一言で表すと「すごく美味しかった」です。食材が高級なものというわけではありません。とても自然なものばかりでシンプルなのですが、とても美味しく感謝の気持ちも芽生えました。

    第二位は、滝行です。私が思っていた以上に水が冷たく感じました。実際に滝に打たれてみると勢いがすごく、最初は痛いと感じました。ですが、座ってみて力を抜いてみると先程までの痛みを感じなくなり何かこう一体化したような気になりました。その感覚が今でも残っていて、力を抜くコツが分かった気がします。

    第一位は三禮です。今、こうして書いている間も筋肉痛の状態です。これも一言で表すと「限界を超える」です。体中の筋肉を使いましたが、本当に己との闘いでした。ですが、やはり一緒に三禮した仲間がいたからこそ達成できたと思います。

    他にも、この修行を通じて学んだことが多々ありますが、何より「思考、考え方」が大切というのも最後に教えて頂きました。 この修行に参加させて頂いた、○○株式会社と天光寺の皆様に感謝です。

    「あなたは自分の人生において主人公になれていますか?」という住職の言葉が非常に印象に残った。
    自分の人生なのだから、自分が主役なのは当然のことではないだろうか、山あり谷ありの人生ではあるが、それなりに自分らしく生きてきたのではないか、と思っていた。だがそこに常に「積極的な心」があったかというと、自信を持ってそうだと言い切れないことに気が付いた。
    一度きりの人生だから自分の好きなように生きたい。しかし、多くの人と関わる中でいつも自分の思い通りにはならない。時には他人からの指示でやりたくもないことをやらなければならないこともある。それが社会の中で生きるということであり、仕方のないことだと考えていた。
    今回の合宿もまさに学校からの指示で参加したのであり、そこに自分の意思は欠けていた。そんな中で聞いた住職の法話には思わずハッとするものがあった。「積極的な心」で自分の人生の主人公となる。当たり前のようで、日頃からできていないことがある。そのことに合宿一日目に気が付くことができてよかった。
    ここで臨んだ各修行で、積極的に向かい、強く達成感が得られたのがお百度参りと滝行である。
    お百度参りではお参りをしている他の人に対する応援の掛け声が始めはなかなか上手く出せずにいたが、懸命に行を行う姿を見て、徐々に大きく声が出せるようになったと感じた。
    また、お参りを終えてこちらへ戻ってくる人の表情は大変清々しく、寒さや疲れなどが見受けられなかった。それを見て、より一層、行への期待が膨らんだのを覚えている。実際、行を終えると気持ちもスッキリとし、気乗りしなかった滝行にも臨めそうな気がしてきた。
    続く滝行では険しい山道を登る中で、緊張しつつも妙に興奮していた。順に滝に打たれる人を見て少しひるんだが無事にやり切ることができた。
    これらの行で気付いたのが、積極的に行動したときに得られる達成感はとても大きく「そうか、これが人生の主人公になるということか」と身を持って実感することができた。
    今後、日々の生活でも学業においても、なりたい自分を思い描き、それに向かい積極的に取り組むように心がけたい。

    私がこの世に生まれて二十三年が経ちます。
    その中で、反省すべきところ、そして今回の修行で学ばせて頂いたことを書かせていただきます。
    私が十八歳のときに東日本大震災を経験しました。そのとき住んでいたのは仙台で、高速道路にのろうとしていた直前でした。もちろん、その道路も津波に?まれてしまったので、もし、あの時、少しでも早くのっていたら、今の私はいなかったかもしれません。この震災で数万人が命を落とし、現在も復興がなかなか進んでいない状況です。
    私の家族は全員怪我もなく無事でした。ただ、今までの生活スタイルを戻すには時間が必要でした。なぜなら、ライフラインが使えないのです。
    まず、電気が使えません。なので携帯電話も意味をなしませんでした。家の中も全暗なので、懐中電灯とろうそくで灯りをとりました。
    そして、ガスも使えません。雪が降る季節でしたがお風呂に入れないので、毛布で寒さをしのぎました。
    さらに、水道も使えません。なので近くの学校に水をもらいに毎日行きました。
    今まで当たり前だった生活が一変しました。ですが、その環境の中だからこそ感じたことがあります。
    「当たり前だったことにありがとう。そして、生きていることにありがとう。産んでくれた両親に、育ててくれた両親にありがとう」という、気持ちでした。
    人生で、細かく言えば反省する部分は沢山ありますが、私の一番の反省は「感謝の気持ちを忘れてしまう事」です。先程も文面で書きましたが、当たり前のことは、実は当たり前ではなく、もっと言えば、現代の日本を動かしている人達だけではなく、その先祖の人々があってこそだと思いますので、本当に全てのことに感謝しなければいけないなと感じております。
    そして今回、そういった今までの人生の反省と、これからの人生をよくするということを含め、修行に参加させていただきました。
    私の中で特に印象に残っているものをランキングで書かせていただきます。
    第三位は食事です。一言で表すと「すごく美味しかった」です。食材が高級なものというわけではありません。とても自然なものばかりでシンプルなのですが、とても美味しく感謝の気持ちも芽生えました。
    第二位は、滝行です。私が思っていた以上に水が冷たく感じました。実際に滝に打たれてみると勢いがすごく、最初は痛いと感じました。ですが、座ってみて力を抜いてみると先程までの痛みを感じなくなり何かこう一体化したような気になりました。その感覚が今でも残っていて、力を抜くコツが分かった気がします。
    第一位は三禮です。今、こうして書いている間も筋肉痛の状態です。これも一言で表すと「限界を超える」です。体中の筋肉を使いましたが、本当に己との闘いでした。ですが、やはり一緒に三禮した仲間がいたからこそ達成できたと思います。
    他にも、この修行を通じて学んだことが多々ありますが、何より「思考、考え方」が大切というのも最後に教えて頂きました。
    この修行に参加させて頂いた、会社に感謝です。

    一泊二日の天光寺での研修を受けてみて自分に足りなかったもの、新しく気付くことがいくつかありました。
    その中でも最後の法話でもありました「今までの人生を振り返って」という内容での、今だからわかる反省すべき点という所で考えさせられました。
    誰でも辛い事、大変な事は嫌な事であり、できれば避けたいものだと思います。
    自分はそういった嫌なことから目を背けてきたんだなと今回の研修を受けて気付かされました。
    振り返ってみると何かを始める前、始めてすぐなどに我慢しがたいことがあると自分を追い込むことが足りなかったです。
    また、やらないのと出来ないのでは違いは大きく、意味合いとしては全く違います。
    なのでこの研修を機に何事もまずやってみる、自分の先入観を捨てて、やってみてもダメでも諦めずどうしたらいいか、そこまで行動に移す、そうでないと今までの自分に対する「自信」というのもないままだと思いました。
    自分に自信が無いのは努力が足りない証拠。努力が足りないのは自分に甘い証拠。研修を通じて心身ともにそう感じさせられる、そんな研修でもありました。
    それともう一つプラスして頑張っていきたいと思うことがあります。
    それは先程書いた内容の一歩先です。自分自身今までと違い行動に移していき、良い事ももちろんですが自分が行動たがために嫌な事、辛い事が起こったとしても決して「後悔」をしない。自分自身で「限界」を決めつけて諦めない。
    辛くて諦めそうになったしまった時、今回の研修で体験し学んだ事を思い出して、一つ一つ小さな事でも達成して良い結果に結びつけ、それを日々意識し研修を受ける前の自分よりも何倍も成長できると思います。
    自分が研修の中で一番辛かったのは三禮です。
    体力には個人差があるので人によって辛さなどの感覚は違うとは思います。終盤になると疲れて身体も痛く、徐々に動かなくなってきていました。
    それでも身体が決して動かなくなるわけではありません。
    正直すごく疲れて、自分でも頑張ったつもりではありましたが、いざ終ってみて本当に100%の力を出し切れたか考えると、所々、足を止めてしまった事。細かい部分、追い込んでやりきること事ができませんでした。今後辛い事があったら「三禮」を思い出して限界を決めつけず行動し日々成長していきます。

    私の中で特に印象に残っているものをランキングで書かせていただきます。

    第三位は食事です。一言で表すと「すごく美味しかった」です。食材が高級なものというわけではありません。とても自然なものばかりでシンプルなのですが、とても美味しく感謝の気持ちも芽生えました。

    第二位は、滝行です。私が思っていた以上に水が冷たく感じました。実際に滝に打たれてみると勢いがすごく、最初は痛いと感じました。ですが、座ってみて力を抜いてみると先程までの痛みを感じなくなり何かこう一体化したような気になりました。その感覚が今でも残っていて、力を抜くコツが分かった気がします。

    第一位は三禮です。今、こうして書いている間も筋肉痛の状態です。これも一言で表すと「限界を超える」です。体中の筋肉を使いましたが、本当に己との闘いでした。ですが、やはり一緒に三禮した仲間がいたからこそ達成できたと思います。

    他にも、この修行を通じて学んだことが多々ありますが、何より「思考、考え方」が大切というのも最後に教えて頂きました。 この修行に参加させて頂いた、○○株式会社と天光寺の皆様に感謝です。

    今日の研修を振りかえって自分自身のあり方・きたえ方、またその自分を活かすための出会いの大切さについて知った。この役者(自分)と舞台(環境)をどう作っていくのかが私の人生で重要である。

    まず、役者(自分自身)を成長させるためには物事に取り組む際の”考え方””気持ち”が最も大切である。これでは製品に対して技術的のどうするかばかりを重視し、そのときの考え方に目を向けることはしなかった。会社という大きな組織に属する中で、私は技術的にオンリーワンになりたい。その製品(車両過給機)のことならこの人にきけばすべてわかるというくらいの技術者にになってみせる。そのことは社内だけでなく世界に届けてみせる。このことを目標にはたらきたいと決意する。この大きな目標のために日々の生活から考え方を改めなくてはならない。本日の三禮では最後まで最初と同様にしっかりとできなかったが、さらに”努力”すべきだったと今となって少し反省している。このような反省を日々の生活でできるだけなくすために常に精一杯努力することを忘れないようにしたい。

    また、ネガティブなことを考えて声に出すことは思っていた以上に結果を悪くするということを学んだ。さらに、それをやわらげるための方法を学んだので、実践したいと思う。”考え方””気持ち””努力”を心に留め向上を忘れず取り組みたいと思う。

    社会で活躍するには、自分の力だけでなく、舞台が必要である。舞台を作りあげる際に”出会い”が大切である。しかし、いくら舞台をつくりあげることがでできる人にであっても、そこで自分をアピールし好印象を与えなくてはいけない。そこで必要なのが礼儀またそれを表現する声である。自己紹介やあいさつの練習でもあったように大きな声で丁寧にを常に意識したい。

    役者(自分)と舞台(環境)を作りあげるためには、出会い運など様々な要素があるがそれをすべて見方にして生きてみせるという自自信気持ちをもつことができた。今日学んだことを最大限利用し一番の技術者になれると確信している。

    この二日間を通じて私が感じた事、それは、まだ知らなかった弱い自分の心にであった事でした。私は、日常生活の中では、自分の物事に対してのにんたい強い方だと思っていましたが、以外にもささいな事で、つらいな、とか、いつ終るんだろうとか、本当にやるのか?のど、心の中の声を何度と聞く事が出来ました。普段の仕事や生活では、今回のような自分にとって、時に好まない事や自分が普段やろうとかやりたいと思わない事をしている時に、自分の中で聞こえてきた声になんだか、くらしくなりました。

    私は、仕事や会社でよく皆んなに対して、何事も前向きに行う、とか弱音をはかないようにしよう、とかぐちなどを言わずにやってみよう、などなど言っています。しかし、もしかすると、今回の私の中の心の声と、普段の皆んなの中になる心の声と、同じではないだろうか?といろいろ考えてしまいました。考えたというより、むしろ、気付かせてもらった、というた方が良いと思う。

    特に滝行については、私の人生にとって、重要な意味になる体験でした。あのたった数分間の間の時間の中だけでもいろいろな自分の気持ちや感情が感じられ、ここ数年間自分の中で感じた事のない、ひさしぶりの自分の弱気な気持ちと出会うことが出来て、ビビリの自分があらわれてにげてしまいたい気持ちがでてきて、くそー、まけてたまかーといういつもの自分もあらわれて、きっと私は、そんな弱い自分を見ないようにしてきたのかな?と、感じました。

    先程、皆んなの中の声・・・と書きましたが、皆が好きで行っている事、これならば、多少つらい事があろうと、なんなくチャレンジもするだろうし、いつ終るんだろうなんて思いもしない事なんだろう、私は、仕事におわれ、少しごんまんな気持ちになっていたのかも・・・と、自分を振帰りました。
    毎日のいそがしい時間の中で、ゆっくりと自分を見つめ直すことは、出来ないと思うので、私にとっては、非常に、良い時間となりましたし、気付きの二日間となりました。

    数日後に手術をする予定になっていた事もありまして、参加させて頂いたのですが、心の中にあった、弱い自分、すなわち、手術について恐いとおもっていた自分の本当の声を自確していましたが、今、現在、そのような、手術について、恐いという思いは、なくなったかのように思います。むしろ、強いでもなく、戦うでもなく、なんとも不思議なかんじで、平常心という感じです。住職に経を上bげていただいたことに心から感謝いたします。心から安心する事が出来ました。
    身の回りで起こる出来事に対しての考え方をもう一度よく感じてみたいと思います。

    そして今想うのは、一泊二日では、みじかいなぁーと思っています。この短期間で、これだけの事が感じられるのであれば私は、もう少し長い期間で参加したい気持ちが生まれました。出来れば、一週間くらいは、お世話になりないかな。一週間あれば滝行も、二度三度受けれるし、日に日に感じ取ることが違ってくるのではないかと思う。

    また、他の参加者との話も色々と自分にとっては、きちょうなお話でした。そして、皆のさん在が、以外に大きくてくるしい行の中でも、すごくたすけられたと思います。一緒にがんばっている仲間がいて、自分もその中でくじけそうになったり、たすけられたり、たすけたり、はげまされたり、はげましたり、と一人で何かするよりも心を強くがんばれたと思います。一人でがんばる力よりも、圧倒的に頑ばる力が強くなる。そして、達成感も大きくなると、今回実感することができました。

    この経験を社内にもいかしていくように、実践しようと思っています。そして、他の社員達にも、ここでしか体感できない経験を感じてほひいと思いました。これは、会社としても社員としても、個人としても非常に大切な経験になると思いますので、皆にも進めていこうと思います。

    そして、最後になりますが、天光寺の食事についてですが、本当においしくて、ビックリしました。寺で食べる料理ってどんなんだろう?と心配していましたが、思いの他、おいしいので、感動しました。しっそですが、全てが天然物で手作り、私にとっては、ぜいたくな料理に感じました。何から何まで、お世話なりまして、誠にありがとうございました。

    また、是非、天光寺に来て、修行をさせて頂きたいと思いますので、その時はまたよろしくお願いいたします。

    ありがとうございました。感謝いたします。

    一言で言うととても苦しかったです。途中で止めてしまおうであったり、手を抜こうかなと思うこともありましたが「同期には負けない」「一泊二日という短期間くらいしっかりしよう」という思いで取り組むことで自分自身の限界まで追い込むことができたとではないかと思います。同期の中に寝たりしている者がいたことは非常に残念でありますが、そういった行動を起こさせない雰囲気作りが出来なかった私も含めた同期全体が悪いと思います。まだ、仲良しな同期に過ぎないと感じます。どうすれば変わるかもう少し考えてみたいです。

    実際の研修に関してふり返ってみると、一日目のお百度参りと三禮は、正直、高校や大学での練習メニューの方がキツかったです。そのため、楽しく自ら追い込むことができました。しかし、滝行は、「死」を覚悟しました。水を被った瞬間に身体全体の血流が止まるような感覚に襲われ、頭痛が続き、ゴールデンウィーク中の現在も痛いです。精神面でかなり追い込むことが出来る修行であり、良いものであると思いなすが、体質によっては危険が伴うものであるので、策をきっちりとるべきだと感じました。

    その他の光明真言、写経、法話については、それらの修行の中で、無心になることが出来た時間が生まれその中で、また違った自身を見ることが出来たと感じました。
    食事、トイレ、風呂などに関しても、普段当たり前のように食べている物の有り難みやその恩恵を感じることができました。

    今回の禅修行、普段の自分自身とその生活などで根本から見つめ直すことが出来、とても良かったです。今後も是非続けてほしいと思います。
    引率ありがとうございました。

    初めて寺で会社に貢献するということで住職がやっていたようなことをやらしていただいた。
    来て早々、やっぱり普通の場所とは違い、驚いた。自分の中では、メンタルを強くするために滝にうたわたり負けないように生きるため、自分が強くなるために今日天光寺に来ました。最初はそういった内容だかわからず正直緊張しました。でも、自分は強くなるという目標があったので絶対逃げずにやり遂げると自分に誓った。

    そして、最初にやったのは、挨拶の作法だった。しっかりできなければ、やり直しと聞いていたので、一発で決めようと思っていたが無理だった。でも、しっかり教えてくださったので、今では、実壁にできるようになった。やはり、挨拶一つでお客様の信頼を得ることもそうだし気分よく来店してもらうために挨拶はかなり重要だということがわかった。

    そして、次に行ったのが、お百度参りで、こわは正直なんで百回もやるのが不思議でたまらなかった。だが、やってる最中に、これもけっこうしんどい作業だけど逃げずにやればそれなりに良い事があるとしんじていたので無事になんとかやりとげた。  そして、お百度参りが終った後は、一番の行事だと思われる滝行だ。滝は、生まれて一回浴びた。事はなく怖かったが少し楽しみでもあった。

    そして、車で少し行ったところで車から降り、歩く事10分ようやく滝のところに到着した。けっこうすずしくなっていて肌寒かった。そして、一人ずつ滝に入った。滝に当たりながら自分は将来何になりたいということを想像しながら入った。少し、気分が変わったように感じた。そして次は、三禮というものをやった。これはあなりハードだったので汗がすごかった。これは、相当自分のためになったと思う。身体的にはもちろん精神的にも強く慣れたと思うし、ないより、仕事仲間と一緒に乗り越えることができたことが一番の収穫だったと思う。

    これから先、かなりしんどいことがあると思うし、一人では解決できない問題があると思う。そのときは、今日、一緒にやってきた仲間と乗り越えていけると思うので心強い。そして、夕食の後は写経という習字のようなことをやった。これにより集中力を上げることができたと思うし、いい経験になった。

    そして、朝になり、清掃をした。今まで自分の作ったものに感謝を込めて清掃したことがなくこの でそれができたことがよかった。そして、このような気持ちで清掃をする清々しい気持ちつめらかなり良かったと思う。そして、朝食の後は声だしとめいそうを行った。今までのはんせいやざんげなども思い出してやりました。自分はけっこう周りの人間に迷惑をかけてきてしまっていたので両親に一番にあやまりたいと思っていました。

    そして、最後に住職の話を聞きました。元々、社長をやっていたがそれを辞めて住職になったときいて驚いた。それ程、何事も積極的に取り組んでいる人だなと思い積極性の大切さをしりました。今回学んだことでも大きく、とても自分のためになったのでこれからも今日学んだことを生かして頑張っていきたい。

    そして、何事にも必死取り組み、自分の興味があるもの知りたいことなどがあった。積極的に取り組み、そのことではつねに一番で誰にも負けずつねにいたいです。住職もおっしゃっていたとおり、今回の研修プログラムでは、社長は立派な社員になってほしいということでこのプログラムに参加させてくれたので、今回その結果はかなり大きな物を得たと思うので社長に感謝しつつ、今回関わって下さった皆様方に感謝してこれからも会社に貢献できるように努力していけたらいいなと思います。

    一泊二日という短い間でしたが本当にありがとうございました。
    お坊同志もみなさん仲良くしていただければもっと自分らも満足できました。最後に失礼ですが 労せをいただきました。

    今回、僕は、企業研修という形で、天光寺さんにこさせていただきました。実際、自分は、ここにくるまで、何をするのか聞かされていなかったので。不安ばかりでした。

    まず。挨拶の作法として自己紹介やお経の練習、腹式呼吸や発声の練習を行いました。普段してきた挨拶はまちがっていたことを知りおどろきました。うまくいくまで何度もやりなおしして、練習を終えました。

    お経の練習は、はじめての事だったので、一番てこずりました。どれもはじめて耳にする言葉ばかりでおぼえる事がとても難しかったです。腹式呼吸は、滝行でも使う呼吸で、これも大事な事だとおそわりました。発声法については、たんの発声をするのかと思ったら、ひたすら「あー」と発生するだけのシンプルなものでした。これならいがいと楽しいのかもと思いきや、しせいをたもちながらの発声はとても苦しいものでした。朝の挨拶、就寝の挨拶なそも練習をしておこたって、挨拶の作法を終えました。

    お昼をとって、一日目のはじめての行といえるお百度参りをおこないました。これもまた、自分ははじめてのけいけんで、無事にはしりきるかがとても不安でした。実際に迷ってみていがいと走れることを知りさいごまで走りきることができまあした。ただ、はだしで走っていたので、足のうらにまめができてしまい、つぶれてとてもいたい思いをしました。

    お百度参りを終えたあと、すぐさま滝行のほうへむかいました。今回のこの企業研修の一番のメインイベントであるこの滝行は、有名人などもくるとてもゆうめいな場所みたいで、かこにはタカトシも真冬に1分も滝にうたれたと聞いて、自分も10分くらいははいれそうだなて思っていたけど、実際は3分間はいっただけで、もうしてしまいました。外はあついくらいだったから、へいきだろうと思っていたが、これがあまりにもつめたくて真冬に入った人のことをかんがえたら、自分は無理だと思ってしまいました。それほど、滝につたれるというのはつらいことだがわかりました。

    滝行のあとは、おそらく今日、自分がいちばんつらかった行でした。それは、三禮という行で、かんたんにいってしまえば、すわって立ってを300回くりかえすというものでした。これは、いままででとてもくるしかったことの一つとして、おぼえてることになりました。

    そして、この日さいごの行は、写経というもので、般若心経をふでをつかい、書きうつすという作業でした。すみをするというところからはじめたので、とても時間がかかってしまい、ようやく書ききることができました。

    これで、一日目の企業研修がすべてぶじに終えることができました。一日してみてすでに体がいたくて、ねるのも大変でした。

    そしてむかえた2日目は、朝からみんなで寺の大掃除をおこないました。おふろからトイレまでまかされたので、おせわになったという気持ちをもってとりくみました。清掃がおわれば、1日目と同じ声出して瞑想をしてから、2日目のメインイベントの光明真言1000回というおそろしい行がまっていました。これもあぐらのたいせいでいどみましたが、一日目のつかれで、きんにくつうになっていてうまくくむことができずに、とてもくつうでした。けっきょく、1000回おわるまでに、1時30分ころまで、かかってしまい、おおはばにおくれてしましました。

    今回の企業研修をふじに終えることができて、ほんとうによかったと思っています。埼玉にかえっても、こんかい体験した事をいかしてなにごとにもとりくんでいきたいと思っています。

    本日、天光寺にて研修をさせていただきました。本日1日ありがとうがじました。 本日研修をさせて頂いていて今までの自分の行動について反省しなければいけない事がいろいろ出てまいりました。

    滝行にて、本日滝行をさせて頂きましたが、滝に打たれている時に感じました事です。ゆがんで打たれている時、ほんらい冷たいはずの水があったかく感じました。そこから滝行がすごく楽になりました。いつもであれば自分はポジティブな事もネガティブな事もあまり考えずに事におよぶのですが、滝行ではひじょうにポジティブな考えができ、気持ちが楽でした。

    ですので、まずは、何事もポジティブに考えていくように、今後生活をおくっていきます。
    続きましては、三禮を行っている時に思った事です。昔から自分はどちらかというと集団行動がにがてでした。何をするにも自分がよければ良い、といったような考えにすぐになっていました。しかし、今回の三禮で集団行動の心 さがわかりました。心がおれそうになっても、となりで仲間が頑張っている姿を見ると自分もやらないとという気持ちになりました。今後、仲間というものをもった大切にしていきます。続きましては、正座をしている時に びいた事になります。

    今回正座をする事が多かったのですが、ふだんの生活で正座する事をまおなくひじょうにつらかったです。あらためて、日本人として気持ちがたりていない事に気づきました。今まで日本人という事はあたりまえに知ってましたが、しょうじき日本として心がまえ、行動をとれていなかった事に気づきました。

    今後は日本人としてはいない行動言動をしていきます。本日、一日という短い時間ではありましたが、ひじょうに自分にとって大切な時間となりました。

    またの機会がございましたら、よろしくお願い致します。本日、ありがとうございます。

    この度、天光寺での研修を通し学んだ事は、

    ①挫折こそ幸福

    ②低姿勢で接する事

    ③我は出さず、色を出す事

    ④組織を活かせる人材になる事

    大きく分けて4つの事を学ぶ事が出来ました。
    この度の研修は、少し後ろめた気持ちで参加致しました。
    一番最初に学んだ事は挨拶で、少し驚きました。
    ですがこの「驚き」で研修への意欲が高まり、全ての修行が気持ちよくできました。
    滝行では一番に入らせて頂き、何事にも動じず、負けない心を思い出しました。

    この度の研修で、普段感じることのできない事を学ばせて頂き、大変貴重な経験をさせて頂きました。
    本当にありがとうございました。
    この気持ちを忘れず仕事に精進してまいります。

    今回行った研修は初めての体験で、聞いた事もない行もありましたが、全て体験できて良かったと思います。

    滝行では目標としていた三分に達する事ができず、自身の心の弱さが表れてしまいました。
    その後の三禮ではその分の悔しさもあったので、三百回止まらずにやり切る事ができました。
    終盤では脚が疲労で動きにくかったけど、諦めずにやり遂げれた事は自信にもなったし、達成感で満たされました。
    食事の前にも唱える事が多くあって大変だったが、食前の言葉の内容をよく考えてみると、深いことが書かれていて感動しました。

    住職の法話は為になる事ばかりで、とにかく積極的に且、我を強く持ちすぎないように気をつけようと思いました。誓いの言葉をできるだけ多く、達成できるようにしたいと思いました。

    今回研修に参加して、得るものが多くあり、勉強になり普段できない経験をさせて頂きました。
    本当にありがとうございました。

    天光寺の修行を終えて、自分自身の考えの甘さや、自身を見つめ直す良い機会だったと思い、研修に参加させて頂き本当に感謝しております。

    印象に残ったものは、滝行と住職の法話です。
    普通の人生では味わえない体験という事と、自分だけでは参加してもすぐ諦めてしまう結果だと思いますが、研修メンバーと共に行う事で真剣に取り組み、頑張れたので、今後高いチームワークが生まれると考えております。

    住職の言葉では、個人に魅力がなければいけないと言っており、チームの中で「自分にしかできない事、オンリーワンを作るように」の言葉に共感し、自分のストロングポイントを更に延ばす努力をする事を、この研修を通して感じました。

    明日から研修で学んだ事をしっかり活かしていきます。本日は誠にありがとうございました。

    天光寺での二日間の研修を通して様々な事を学ぶことが出来ました。

    一日目の「自己紹介の練習」では第一印象や礼の大切さを知ることが出来ました。普段のより頭を下げる深さ、スピードを遅くする事で印象が大きく変化したので今後取り入れたいと思いました。

    「光明真言の読経」では、光明真言を三時間かけて千回唱えるというメニューでした。心を無にして光明真言を唱えることで、時間の感覚や邪念がなくなり、千回終わった時の達成感は素晴らしいものでした。

    「三禮」ではお経を唱えながらスクワットをするというもので、身体的にも精神的にも辛いものでした。三回一セットを百セット行ったのですが、動きながら声を出すことが大変で苦労しました。途中何度も足が止まりましたが、他の二人が居たからこそ最後までやりきることが出来ました。今回、何度か足が止まってしまい、三百回全てやりきることが出来なかったのですが、自分の甘さや弱さにを見るよい機会になったと思いました。

    「写経」では、心を落ち着かせて、自分で墨をすり、「般若心経」を書くというものでした。見本をなぞる作業だったのですが、雑念が入り心が乱れると、うまく書くことが出来ず、字に表れるということを体感することができました。

    「挨拶の練習」では、大きな声ではきはきと挨拶をするメニューでした。自分は普段から挨拶の声が小さいと言われて来たので、それを少しでも直せる良い機会だと思い、真剣に行いました。この練習は一時間程度でしたが、腹から声を出す大切さなどを学ぶことが出来ました。

    二日目の「声出し・瞑想」では、声出しは、腹から声を出す練習の一つで自分がこの一つで自分がこの研修で得たい事の一つでした。「あー」と、十分声を出し続けることで研修を受ける前よりは腹から声を出せるようになったと、じっかんしています。

    瞑想では、「ああすれば良かった」等の後悔を振り返ると言うもので、後悔することが多く、後悔しないように積極的に行動できるようになろうと、再認識できる良い機会となりました。
    「般若心経の読経」では般若心経を百回唱えると言うメニューでした。般若心経は「光明真言の読経」や「三禮」で唱えたものより長く一回唱えるのに二分かかるものでした。これを三時間通して行ったのですが、前日でも「光明真言の読経」をしていたので、それほど苦ではないものでした。

    最後のメニューの「法話」では高尾住職自らが、「仏教とは何か?」「考え方のあり方」などを教えて下さるものでした。マイナスな事を言うと自分の鼓膜を通して潜在意識「無意識」に影響すると聞いて自分もマイナスな事を言う事が最近多く、それが失敗に繋がった事があったので共感できました。高尾住職の言葉を聞いて、自分の間違っていた考え方、行動などを見直すことができました。

    二日間の研修を通して、多くの事を体験し、学ぶことができました。そして、自分と向き合う事ができたと思います。自分に欠けていた「声」「プラスに考える事」「積極性」を再認識し、変えていこうと思う良い機会でした。

    1泊2日という短い期間でしたが、様々な面で勉強になりました。初日の挨拶の作法から、直すべき点が多くありました。声の出し方やお辞儀の作法など細かく御指摘いただき、改めてしっかりとした挨拶が出来る事は社会人として重要だと感じました。

    研修には実際に自分の身体を使いながら、お経を唱えるのを三百回連続で行うものがありましたが、とても体力的に苦しい修行でしたが、他の二人と協力しながら何とか終える事が出来ました。
    始めは予想以上に身体を動かしながらお経を唱えるのは三人でバラバラになったりしたので、何回もやり直しましたが、三百回連続で他の二人と合わせられた事で協力や協調といったものがさらに深まったと思います。
    お経については、御宝号と光明真言・般若心経について教えて頂きました。
    特に光明真言は千回連続で唱え、般若心経は百回連続で唱えました。
    千回連続だととても長く感じるのかと思っていましたが、唱えているうちに段々と心が無になっていき、雑念がなくなる事で時間がとても早く経過したように感じました。 お経というのは、普段の生活ではなかなか勉強する機会が無いので、勉強になりました。

    写経では、般若心経を写経しました。
    水を硯に入れ墨をすり、一から墨を作り写経の準備をして、私語をせず一文字一文字を丁寧に書く事で、自然とリラックスした無の状態に近づけました。
    普段の日常では、文字を丁寧に書くことを忘れたり、パソコンや携帯電話などで文章を書いたりする機会が多くなっていますが、時にはこうして自分で書く字を大切にしたいと感じました。

    2日目は、朝の掃除を他の修行に来られてる方たちとも協力して二時間かけて行いました。 部屋はもちろん、使った寝具、風呂場や玄関など全ての場所の掃除から始まりました。 使った物は自分達で掃除、整頓する。普段は1人暮らしなので、こういった掃除や整理整頓の事を忘れがちですが、改めてこういう基本的な事が大事だなと感じました。

    研修の最後に、住職から法話をして頂きました。
    仏教ついてや自分の人生をきちんと生きるために必要な事。日常生活や社会での中で成功するための考え方など、大変有り難い法話をして頂きました。

    今回の研修を通して学んだ事は、当たり前の事こそ大切に行いきちんと出来ていなければ1人の人間としてダメだなと感じました。
    特に今回は会社にお金を出して頂いて勉強できる機会だったので、2日間を通して『会社に貢献するには』と『一人の社会人として必要な事』について考えていました。
    今回学んだ事を今後の会社での行動で表し、また一人の社会人として成功出来る様に努力いたします。

    改めて今回はこのような機会を作って頂き、誠に有難うございました。
    今すぐに全てを変えるのは無理ですが、日々進歩出来るように努力いたします。

    日間、想像以上に辛く、大変な体験をしました。
    普段自分がどんなに楽な生活をしているのかと言う事を改めて実感できました。

    二日目から、一日目の疲れで何度か研修で手を抜いてしまった事を後悔するとともに、諦めない気持ちを持つという事や、全ての物に感謝をすると言う事、弱音を吐かない事など様々な事を学びました。特に心に残った所と言うのは一つ目は、食前の言葉です。普段何気なく食べているものにもしっかりと感謝の気持ちを持たなくてはいけない改めて学ばされました。

    二つ目は法話で話されていた過去のあやまちや後悔を償う為に生まれてきた、と言う言葉と最後に言った誓いの言葉での「私は嫌みや嫉妬ではなく心から人を褒められます」と「見返りのない愛情を人に注ぐことが出来ます」という文。本日の研修この言葉、文を読み今までの人生を深く後悔する事が出来ました。今までの自分では後悔で止まって成長する事ができなかったと思います。今は後悔をしっかり受け止め、今後少しずつでも成長していき、誓いの言葉を全て尽くせる人間になります。

    この三日間本当に感謝しています。これから先、辛く大変な事があってもこの三日間と学んだ気持ちの持ち方を思い出せばどんな事も乗り越えられると思います。

    私は今回会社の研修の一環で、天光寺にて修業をさせていただく機会を得ました。実際に現地に行って、修業をさせて頂く前の私のお寺修業のイメージは、非常に精神的にタフであるというものだったのですが、実際に滝に打たれたり、2時間半のお経を読んだり、三禮といわれる、現代でいうスクワットのような修業を経験させて頂いたときは、精神的にも体力的にも私の限界に達していました。

    しかし、これらの活動を自分一人だけではなく、同期の仲間と取り組んでいた時は、絶対に最後までやり遂げるんだという気持ちが、私の中に生れていました。日々の生活の中でも、親や友達の大切さを実感する場面は、多々ありますが、今回のお寺修業でも、改めてそのような気持ちを抱くことができました。今後はこの気持ちを大切にし、仕事やプライベートなど、実りある生活を送って行きたいと思います。

    先ほど今回のお寺修業が、体力的にも精神的にもハードであると言ったように、どれも私の限界に達するような修業でした。しかし、今回このような修業を経験させて頂いたおかげで、日々の生活で感じる悩みや不安、ストレスはどれも大したものではないと思える自信があります。

    また住職の高尾様に、自分の思考や意識の大切さを、改めて教えて頂き、プラス思考であることの大切さを学びました。今後仕事できつい事があった時にも、自分の思考や意識の違いで、その後に来る結果は変わって来ると思いますし、その時に自分の思考をプラスにして自分の成長につなげていくことが大切だと思うので、実際にこれからの生活で実行して行きたいと思います。また、自分を支えてくれた両親や友人を大切にしみんなにどって最高の人生が送れるようにしていけば、きっと明るい未来が待っていると思うので、まずは自分から変えていき、一歩一歩成長していきます。最後になりますが、今回は、貴重な機会をありがとうございました。
    ありがとうございました。

    今回の禅修業研修を通じて様々なことを学び、体で会得しました。我慢強い心折れない心、同期と助け合いながらだったからこそクリアできた修業、そして、そこから得た達成感など。

    そんな中、自分自身の考え方が大きく変わったことがあります。
    「自分自身の力はまだ、引き出しきれていない」ということです。そのことを一番感じることのできたのが「滝行」でした。初めは予想以上に小さく水の量も少なかったので「この位なら、楽勝」と皆でタカをくくっていました。

    しかし、実際に自分の番になり、足を水につけた時点で予想以上に冷たい事に驚き、ふるえが止まりませんでした。バケツで水をかぶり、皆の応援のもといざ、滝ツボに入ってみると、全く予想していない程の冷たさで、本気で死ぬんじゃないか、と感じました。恐らく二、三分経過した頃、指導員の方から「大丈夫ですか?」と言われた時、思わず、諦めの言葉を発しようとさえ考えました。しかし、応援してくれる仲間に背中を押され、「こんなので負けていられない!絶対にやり遂げる」と自分を鼓舞することで見事達成しました。水から出た時は、滝から出られた安心感と、やり遂げった達成感がありました。その時感じた事は、「自分は今までこんな辛い経験をしたことがなかった。でも、それを乗り越える力が自分にあった。もっと自分の力を引き出していきたい」ということでした。

    一泊二日の修行は自分にとって予想以上に辛く厳しいものでした。そんな辛い中でも気持ちで乗り越えられたことに自信を持ちました。この二日間で学んだ事を配属後、存分に自分の力を発揮していきたいと考えています。

    今回の修業で最も心に残っているのは「人生は自分が人生の主人公になるか、負け犬になるかどちらかだ。」という言葉です。これは住職の方がおっしゃっていただけでなく、経験した全ての修業において手を抜こうと覚えば抜けるが、苦しい中でも淸極的に修業を行うことによって得られた結果も大きかったことからも、入ることだと思います。

    修業の中でも少し手を抜いてしまった修業よりも自分を追い込んで頑張るできた滝行、三禮は苦しかった印象も強く残っており、その分、自らの精紳力、体を鍛えることができたと思います。ここに来るまで、私は「どちらか言うと自分よりも周りの人の目線や、反応を気にし、周りさえよければそれでいいという考え方でした。しかし、それでは人生の主人公になることはできないと思います。これからは周り周囲の人と調和をはかり、協力し合いながらも、自分が納得できる道を選び突き進むこと。そして、その道で努力を借しまず、頑張っていきたいと思っています。

    まだ、修業では自分が周りよりも精紳的に弱いことが分かりました。特に集中力がありません。長時間にわたる修業の際、途中で気が抜けてしまったり、うたた寝してしまいました。しかし、苦しいときにふんばることができたり、滝行では今までの人生で最も辛い7分間を過ごすことで精神的に強くなれたと思います。これから仕事でさらに厳しい状況に立つ事もあると思いますが、困難から逃げ出さず、立ち向かっていきます。

    私は今回会社の研修の一環で、天光寺にて修業をさせていただく機会を得ました。実際に現地に行って、修業をさせて頂く前の私のお寺修業のイメージは、非常に精神的にタフであるというものだったのですが、実際に滝に打たれたり、2時間半のお経を読んだり、三禮といわれる、現代でいうスクワットのような修業を経験させて頂いたときは、精神的にも体力的にも私の限界に達していました。

    しかし、これらの活動を自分一人だけではなく、同期の仲間と取り組んでいた時は、絶対に最後までやり遂げるんだという気持ちが、私の中に生れていました。日々の生活の中でも、親や友達の大切さを実感する場面は、多々ありますが、今回のお寺修業でも、改めてそのような気持ちを抱くことができました。今後はこの気持ちを大切にし、仕事やプライベートなど、実りある生活を送って行きたいと思います。

    先ほど今回のお寺修業が、体力的にも精神的にもハードであると言ったように、どれも私の限界に達するような修業でした。しかし、今回このような修業を経験させて頂いたおかげで、日々の生活で感じる悩みや不安、ストレスはどれも大したものではないと思える自信があります。

    また住職の高尾様に、自分の思考や意識の大切さを、改めて教えて頂き、プラス思考であることの大切さを学びました。今後仕事できつい事があった時にも、自分の思考や意識の違いで、その後に来る結果は変わって来ると思いますし、その時に自分の思考をプラスにして自分の成長につなげていくことが大切だと思うので、実際にこれからの生活で実行して行きたいと思います。また、自分を支えてくれた両親や友人を大切にしみんなにどって最高の人生が送れるようにしていけば、きっと明るい未来が待っていると思うので、まずは自分から変えていき、一歩一歩成長していきます。最後になりますが、今回は、貴重な機会をありがとうございました。
    ありがとうございました。

    今年から新たな試みとして初まった禅修行研修で来る前の心情として、周りの同期などを見ていると、「少し配属が延びた」「修学旅行みたい」など学生気分が抜け切れていない点が多々見られ、自分自身はと言うと、前に書いた気持ちもあり、「しんどそう」「なぜこの時期に会社に入ってまで修行をうけないといけないんだ」といった禅修行を行う意味や目的、意義というものを見出すことが出来なかった。

    しかし、いざ始まってみると同期の目の色が変わり、最初の全員の自己紹介で目が覚めたようだった。その後も、二時間半連続でお経を唱える、三禮、写経、滝行、お百度参りなど、これらが全て自分一人だったら、弱気、弱音、妥協、リタイアなど考えたかもしれません。ですが、周りの同期が支えあい、励ましあい、時には笑いを交じえて刺激し合えたことが一番よかったのではないかと感じた。  また、最後の住職さんの法話は心につきささった。自分自身は今まで少し無理だなと感じるとあきらめることが多々あった。この点は自分の悪い部分であると認識はしていたが、ピンときてなかった。だが、手に届かないところにリンゴがある場合どうする?という例えに、前までの自分ならあきらめていたと思うが、これからは、知恵を働かせて、自分の幸せは自分でつかみ取りに行くという人生一度きりという考えを常に持ち続けに行きたい。

    最後に、この研修を通じて、あきらめない心、成し遂げた後の達成感、同期全員の結束力が強くなったことが感じられた研修になった。関係者の方々本当にありがとうございました。

    私は小中高とそれなりに厳しい部活(クラブチーム)で育ったため、体力・精神力は人並み以上にあると自負していた。しかし、成績としてはやはり人並み以上であり、日本や地方を代表するようなずば抜けたレベルではなかった。それを体格等の転生やセンスの差として片付けている自分がいた。今思えば精神力という面でまだまだ妥協している所があったのだなぁと感じる。

    その点で言うと、今回の行体験は本気で精神面が追い込まれる環境に置かれたため、限界超えるまでやり抜く機会を通じてまた新たな自分に生まれ変わったような気がした。特に私は正座が苦手なのだが、行では所々正座をしなければないシーンがありそのシーンとは主に大切な言葉を述べているが多いので自分一人が崩れ落ちてしまうと場が台無しになる。

    自分が正座を崩すことによって連帯責任で最初からやり直しになって他の人につらい思いをさせたり、食事の言葉を述べている最中にやらかしてしまったらご飯が食べられなくなるかもしれない。そのことを思うと辛かったが崩す訳にはいかなかった。一日目の途中では自分の意志と関係なく足が痙攣して立てなかった。日頃から行をやっている人達にとってはまだまだかもしれないが、精神力だけで体を持たせたという経験が高校卒業以来だったので、ここのところぬるま湯に浸かってきた自分には良い薬になったと思う。社会人にとっても同じでこれから体力的、精神的にキツくなる生活が待っていると思うが、その中でどれだけやり切れるかというところはどちらかというと体力面より精神面のほうが大きい。

    また、先程の正座の話に紐付づけるならばそこで自分が自分に負けることによって、取引先との関係、自分を置いてくれている会社のメンツなどが丸潰れになってしまうかもしれない。人間が誰かとの関係によって存在していける動物である以上、これからは自分に負けることで周りにも影響をおよぼす結果にもなるのである。 そう考えた時にこの行体験は社会人としての生き方の縮図でもあったのかなと筆を走らせている現在、思うしかし、行体験をしたからといって自身を持って強いと言えるわけではない。これから先自分に負けそうになった時に今回の経験を思い出して「あの時あんな事をやってきたのに、今そんなこともやり抜けないのか」と自問しながら本当の強さを身につけていきたいと思う。ちょうど学生と社会人の節目の年、新しい挑戦をさせて頂けたことに感謝致します。
    ありがとうございました。

    今回、私は二人の内定者を率いるインストラクターと、修行を体験・実践する若手社員との二つの役割で参加をさせて頂きました。今回の一番の目的であった「限界突破」に対しては、内定者2名とも(そして私も)体験出来たので、結果として、インストラクターとしても体験者としても非常に良かったと思います。

    内定者の本研修に臨む姿勢も、今後に期待が持てるものでした。「ここに住んでいらっしゃる方を超えることを目指そう」をキーワードに、苦手な正座に長時間耐えたり、一番大きな声を出し続けたり、普段掃除をしていないであろう場所まで積極的に掃除をしたりと、社会に出てからも必要な主体性や忍耐力に気付き実践してくれました。そのような姿勢を基本とし、それぞれ滝行や正座にて限界まで挑み続けてくれたことは今回の趣旨もしっかりと理解し、常に意識をして取り組んでくれたことの成果を感じ、二人を評価したいと思います。

    また体験者としては、肉体的に非常にハードであり、目指していた限界突破を経験しながら、日頃の生活の中で求められているものを感じ取ることが出来ました。例えば、千回同じお経を唱える修行は時間のかかる業務をやり遂げる感覚に似ていましたし、余計な所までそうじをするのはお客様に提出する資料の見直しをする感覚に似ていましたし、信じられないくらいに低い水温に強烈な痛みを感じる滝行で一度出てしまってもまた入っていくことは、自分の未知の体験を恐れずに苦しくてもまた挑戦する気概を学べました。

    まだまだ修行の中で、改善すべき所もありますが、今回学んだことは、日常の中でも意識・実践していきたいと思います。

    今回は事前にカリキュラムを頂いており、来る前から色々と覚悟を決めて参加をしましたが、思っていた以上に厳しい内容でした。「限界突破」を体験させ、己と向き合う良い体験なので別の機会も検討したいと思います。その際には、修行を一般人と圧倒的に差がある方にもインストラクターをお願いしたいと思います。

    楽しみにしていた修行でした。先輩方から話を聞いていて、何か気付ける事があるかもしれないと思ったからです。また、宗教やお寺などが昔から好きだったというのもあるかもしれません。

    一つだけ決めて来た事がありました。「何も考えず、無になってみる」というものです。私は普段、自分でも時々疲れてしまうくらい常に考え事をしています。中でも昔から持っている悩みについては、考えていない日はない、というぐらいずっとあり、それから開放されたいとよく願っていました。そこで、今回の修行はとてもいい機会だと考えたのです。

    実際に全ての修行を通して行ってみて、久しぶりに、部活をやっていた頃のような達成感と充実感と、身体だけの疲労を感じられています。またお話して頂いた内容も今の自分にとって、とてもとても有難いお話ばかりでした。「昔の自分はしっかり出来ていたな。」と振り返る事が出来たのと同時に、今の自分に何が足りないか、足りない事ばかりだとは思いましたが、本当に心から反省する事が出来ました。最近ずっと悩み続けて、壁にぶつかっていたのは、今日こうして自分に必要な事をしっかりと吸収するためだったのかなと思います。

    反省した点、改めて気付いた点、新しく教えて頂いたことを今この瞬間から一歩ずつ治し、前に進んで行きます。

    短い時間ではありましたが、私の人生において大切にしたいと思っていた事を再認識させて頂きました。本当にありがとうございました。

    前回も行をさせて頂いた時は、チームワークや団結力について身をもって知り、大きな力を頂きました。三禮をしている時は、前回の経験で仲間いると思い、まわりの仲間の姿を見て前回よりは続けてやれた様に思います。今後の仕事の面でも、仲間と力を合わせて、そして仲間と達成の喜びを思い浮かべて頑張って行きたいと思います。改めて仲間の重要性とやれば必ずできる、達成すると身をもって感じることができました。ありがとうございました。

    また今回の二回目の行をやらせて頂きまして、特に自分自身の気持ちの持ち方を新にものにすることができました。やれば何事もできる。マイナス意識はすてて、意識を常にプラスに持つことの重要性です。人間は必ずいつか壁にぶつかる時がきます。その時に壁を乗り越えるのに重要な部分が、意識というところと、絶対にマイナスなことを口に出さないことです。

    あともう一つは最初のところでありました。あいさつのところです。言葉一つで相手への伝わり方や感じ方が違うということです。しっかりとしたあいさつと礼のしかたを実戦的にしっかりとやっていこうと思います。この行をさせて頂いたことに感謝して今後の仕事をする上で、必ずプラスにしていきます。そして誰にでも感謝の気持ちは忘れません。また機会がありましたら、また行をさせて頂きます。ありがとうございました。

    今回で二回目の修行になったが一日で全てやった。やり切る事の大切さや、仲間と同じ目標に向かっていく大切さを大きく感じた。

    今回参加した営業一部であまり結果を出せていないのが現状であるが、絶対に自分達なら良い結果を出せると強く思った。それは、団結感を仕事においても誰かのため達成する喜びを全員で分かち合う事が一度出来れば大きく進化するのではないかと強く感じた。

    まず少しの成功からでもいい。みんなで小さな喜びも分かち合っていきたい。そのためにも常に感謝の心を持って、互いにぶつかり合い、はげましあってやっていきたい。それが本物の団結力だと思う。

    ただ仲の良いだけではダメだ。自分が中心となって戦う集団を作っていきたい。達成する喜び、みんなで同じ目標に向かっていく喜びをつかむためにもまず自分からやり切る事、あきらめない事を徹底していきたい。

    自分が変わる事が出来れば周りのみんなにも良い刺激を与える事が出来ると思う。それが相乗効果を生んでさらに良い方向へと代わっていけると信じて日々過ごしていきたい。常にポジティブに最後までやりとげる。そして謙虚な姿勢を持ち続け舞台と役者を演じる事が出来れば大きく進化することが出来ると思う。今ここに自分自身のターニングポイントがきたと信じ続け頑張りたい。

    p>一番感じた事は、一人は辛いということです。三禮は一人では絶対できないなと思いましたし、周りの人が頑張っているのを見てそれを自分のエネルギーに変えていくことができる。仲間は素晴らしいと思います。

    自分自身、普段からすごいムラが多く、集中力が鈍かったりすることがあるのですが、今日は一つのことを長い時間やることで、無心になって集中することができて、集中ってこんな感じなんだなと実感することができました。今後の自分の行いの中で、同じ感覚になる場面をより多く作っていけるように、心身共に磨いて行きたいと思います。

    いろいろなお話をきかせて頂いて、自分の事を底辺に置くということが「最近出来ていなかったなとおもいました。仲が良い中でもケジメをしっかりつけていかないといけないなと思いました。まだまだ周囲への気配りも足りないあと思いましたので、意識からすぐにでも変えることができる部分でもありますので変えていきます。

    何がかんだ大切だと思ったのは、一瞬一瞬を全力で生きることです。「行」にしろ、休憩にしろ、何かを行っている事に対して全身を傾けて、楽しむことで自分の感じる事、人生を良くしていけると思います。

    本日は誠にありがとうございました。今日の経験を活かし、今後の自分を良くしていきたいと思います。

    今回で三度目になりますが、改めてありがとうございました。一日の体験修行でどれだけ連帯感を持てたかはわかりませんが、御宝号1000回の修行の時、己との戦いだと何名か注意されましたが、まさに、この時に己のめい一杯の力を出しきれるかであると私も感じました。

    年齢的に体力では若さに負けてしまいますが、自分なりには目一杯修行を行い全員の手本とまでは、できませんでしたががんばれました。

    くだらないと言うと失礼ですが、あいさつなんかと思う部分もあったのですが、やってみるとなかなか美しくできてない自分がいて、くり返し修行をすることで気持ち良いあいさつもできるようになったと思います。

    最後に、壁の先にはたくさんのプレゼントがあるとおっしゃられていたのは、全員が共感したと思いますし、最後には目標の連帯感が生まれたと思っております。

    今後もまたお世話になる事があると思いますので今後共も宜しくお願い致します。本月はありがとうございました。

    今回のお寺での修行をすると聞いていて、正直つらいのだろうなとマイナス的な思考から入っていました。日が近付くにつれて、内容はやったこともないことばかりだと思ったので、体験することで何か気付いたりすることもあるのかなと、興味や好奇心も沸いてきました。
    学生時代の部活以来、体を酷使したり精神を鍛えるようなことは何もしてこなかったので、いい機会であると思えました。
    修行当日、実際に寺に向かうにつれ、どんどん山奥に入っていく道中に不安の方が大きくなりました。自分の日程として初日に滝行があったのですがあんなにつらいものであるとは思いませんでした。

    見た目から厳しそうではありましたが、やってみたらたいしたことはないのではとタカをくくっていました。自分の番で入った瞬間に、全く間違っていたと気付きました。入ったと同時にやめたかったのですが何とか少しは体験し、忍耐をためそうと数分間ですがやることができました。やっている間はまさに自問自答のくり返し、自分との闘いであったように思います。数分ではありましたが、思い出深い行の一つです。
    他に「三禮」は、聞いてはいましたが、想像を絶する肉体酷使で、数日間に渡り筋肉痛になやまされる内容でした。
    この時もやっている間、常に自問自答、やめて止まるべきか、ひたすら続けるべきかの連続。正直まともにはついて行けなかったものの、やり終えることができました。久々に達成感のような気分を味わった気がします。ただできれば二度味わいたくないつらさがありました。汗だくになり、床に水たまりを作りながらやったこの三禮も思い出深いものの一つです。

    また修行の間、基本的に自分のことは自分でやるという根本的なものがあり、ご飯を自分で用意し、自分で片付け、自分で布団を敷き、自分でしまい、自分で用具を出し、しまいということを繰り返してきて、忘れてしまっていた色々な事に気付かされた感じがします。
    自分で気付くことで、この先自分の糧や職場での人の接し方も少し変わるのかなという気もします。特に自分の子供への教育という部分でたくさんの知恵やヒントを与えてもらったように思います。

    最後の住職からのお話もそうでした。自身のこれからの人生やこれからの人と接し方、また自分の子供たち未来へつないでいくということの役割、重要さを再認識させられました。

    仏教というのは日本に深く根ざしていますが、宗教心を持った日本人は少ないように思います。自分もその一人です。
    あまり宗教的な事は嫌だなという気持ちが最初はあったのですが、堅苦しさや、押し付け的なことはあまり感じられず、恐らく無意識な部分も相まって、すんなりと自分の中に受け入れられた気がします。様々な場面での読経など、さもあたり前であるかのように終盤では特に感じられました。
    短い間ではありましたが、この修行では日頃しないことが多くあり、肉体的にも精神的にも辛いところがありましたが、得るものが多々あったように思います。「ひと回り成長しました」とまでは言えないものの、今後の日常での何気ない一言、言葉のちょっとした語尾などを気をつけることで、大きな変化に繋げられればと思います。

    住職、天光寺の皆様には大変お世話になりました。本当にありがとうございました。

    天光寺研修を初めて体験しました。私が来る前に第一班、第二班とグループ会社の者が来てましたが、きついと言う話を少しばかり聞いていただけでしたので、なんだかんだ私は若いから、気合と根性がないからそんな事言っているのではないかと思ってました。
    いざ自分が体験してみると、どの修行もとても厳しく、また性格的に手を抜く事ができない私は、とにかく一つ一つできるだけの事はしようと努力する程、やはり気持的にきつくなっていきました。同じお経を繰り返し繰り返し唱える修行も、いかに心を無にして時間を気にしたり、周りの雑音も排除する様に心を持っていこうと思いますが、しばらくすると集中力が散漫になり、まだ半分も行をしていないなとか、雑念にとらわれました。そういった幾つかの修行を、短い二泊三日の間で経験できたのは貴重な体験だと思います。
    良くテレビや雑誌では拝見してましたが、見るのと自分が体験するのとでは大違いでした。この修行を終えてこれからの体験に生かしたい事はとにかく辛抱、集中力を持つ事、そして考える事、行動する事、落ち着いた心を維持すること、物事がうまく行かない時でもそれを乗り越える心の強さを持つ事、それらの気持ちを、忘れずにこれからも仕事に精進し、家族との関わり方にも心を持って接したいと思います。
    この度はありがとうございます。

    この度、天光寺で人生初の寺修行を体験しました。二泊三日の日程で甘くみていた分、精神的、肉体的に厳しい結果になりました。
    只とてもつらい三日間でしたが、私の人生はまだ長くこれから色々なカベにぶち当たると思います。
    又、この度の体験で色々な事を考え、見つめ直せたと思います。
    私はグループの一法人の代表取締役を任されております。
    その中での私の役割、司令責任を考えました。住職のお言葉でもありましたが主役と舞台の差を再度、見つめ直したいと思います。
    更に外でも内でも人と人とのコミュニケーションを大事にしたいと思いました。仕事とスキル、自分に負けない気持ちなども強めていきたいと思います。
    この度は3日間の辛い時間でしたが、これからの長い人生を悔いなく有意義な人生を送るよう頑張りたいと思います。
    ご指導ありがとうございました。

    私は、この研修に来る前までは人との接し方を表面的にとらえて考えていました。住職のお話を聞き、あいさつの大切さや、人との触れ合いの重要さを改めて学びました。
    自分自身の今まで行っていたあいさつの作法では、人との表面的なコミニュケーションはとれていても、より親密な関係までは発展していなかったと思います。
    住職より教わったあいさつの方法は人の目を見て自分が考えていたよりもかなりゆっくりとお辞儀をし、そのお辞儀を倒した時と同じスピードでゆっくりと戻す方法です。
    その際、親しい関係の人の場合は肩に手をそえる等、軽いスキンシップを入れるとより良い習い、自分の場合はどの様にしていたかを思い出してみるとスキンシップが足りなかったと思います。
    また「いらっしゃいませ」や、「ありがとうございました」なども同じ言葉の意味であっても言いまわし方法を変えるだけで相手に伝わる気持ちが大きく変わることを学びました。「いらっしゃいませ」も「ようこそお越し下さいました」「ありがとうございました」も「また、お越し下さいませ」に変えると確かに「多くのお客様」というイメージから「一人のお客様」に変わり、心が伝わりやすくなったかと思います。
    また、連帯感が生まれたと思います。今までは個人的な考えが多くみうけられ「自分が出来れば良い」と思っていましたが、会社という関係上、自分だけが出来ていても仲間ができなくてはいけないと考えを改められたと思います。あいさつの作法では全員がキチッとしたあいさつが出来ない限り、他の人達は全員正座で待っている為一人ひとりが気を抜かず、集中して本気で取り組んでいるのが伝わりました。
    自分の番の際は緊張してしまい、言うべき内容の出身地を言い忘れてしまい「他の皆に迷惑がかかってしまう」と思い「次で絶対に終わらせるぞ」と知らず知らずの内に自分の中にも連帯感が生まれたのを実感出来ました。
    その他の修行でも「自分だけがギブアップするわけにはいかない」と思い日常ではギブアップするだろう場面でも更に頑張れたと思います。
    正直な所「今回の修行は二度とやりたくは無い」と思いましたが、自分で考えていた限界は実は甘えであって本当の限界では無かった事がわかったので少なからず成果があったと思います。
    最後に行った誓いの言葉も共感出来る内容も多々あったので、自分になりに見直し自身に役立てるところは使っていこうと思いました。
    二泊三日と長い期間ではなかったのですが、この研修で学んだことを無駄にはしたくないので「あいさつ」と「連帯感」を忘れずに今後に生かしていきたいと思います。

    修行の目標、目的は普段より落ち着きのない自身の心にゆとりを持つ事、持てる事になる様になる事でした。厳しい修行を通じて自分なりの言葉の大事さ、物のありがたさ、人とのふれあいの大切さを、身をもって実感した次第でした。
    常に気持ちを前向きに保つ為、発する言葉から前向きにし、自分自身を後退させない様に後ろ向きの類の言葉を発しない、一度発した言葉は言霊として力を持ち作用するというお話や、修行を共にする仲間達とする食事のありがたさ、三度の食事を用意して頂いていた方々への感謝とふれあい等、自分一人では決して乗り越えられなかったであろう事を再認識し、改めて人とのふれあいの大切さを感じました。
    数々の修行を経て、少なからず乗り越えた事による生まれた自信が、これからの自身の生活に仕事に家族とそれに関わる全ての人達に、ゆとりの気持ちを持ち感謝の気持ちを持って接する事が出来る様な気がします。

    今後どの様な形で自分の変化が現れるのか、見ることが出来るのか、自分自身でも楽しみな面でもあります。
    修行を通じての再発見として、どの様な悩みや問題も自分自身を見直し、再認識することより始まり、人々との協力を借り解決していくという事です。
    少しばかりではありますが、私自身に生まれたゆとりを持って、これから出会う人達に少しでも手を差し伸べる事が出来たらと思います。

    またそうする事によって自身の成長を助け、人との縁を作り自分自身の土台、舞台を大きくしっかりとしたものにしていきたいと思います。改めてこの機会を与えてもらった会社と、この修行の場で出会った人たちと共に乗り越えた仲間たちに感謝すると共に、感じ得た気持ちを持ち帰り、明日より生活に生かしていきたいと思います。
    3日間という短い時間ではありましたが、大変にお世話になりました。有難うございました。

    私は今回天光寺さんに来ることで集中力の向上、自分自身の成長につながる様精進できればと思っていました。自分に対するコントロールや禁欲に関してはある程度できていると自負していたつもりが自動販売機もなく限られた時間内でしかとれない食事の中で甘い考えを持っていたことを痛感させられました。さらに精神だけでなく肉体においても未熟であることを痛感させられ、心身ともに鍛えなければいけないと感じました。
    そして、滝行やお百度参りなど普段体感できない事を体験できたことが非常にいい勉強になり、今後自分の糧となり自分の更なる成長につながることを望んでおります。
    住職の話の中でいくつか印象に残った話があり、自分の人生の主人公になれているのか、自分を愛することができているのかと言う内容がありそれを自分自身に問いただした際に、すぐ答えが出せなかった事が悔やまれます。しかしそんなことを糧にし、前向きな気持に切り替えることを今回天光寺さんに教えていただくことができました。
    さらに、「自分自身を評価するのは自分自身」という言葉に目からウロコでした。今までは周りの目ばかり気にしていた部分があるので、これからは先ず自分自身を評価し、見つめ直し、自分を客観視する必要がると感じました。この二日間はとても規則正しい生活ができ、早朝からの清掃は大変な分、結果が出る上、とても清々しい気持ちになり心が洗われるようでした。
    あの時間はとても自分に余裕があり、時間がゆっくり流れる様な気持ちになりいろいろと物事を考える事ができました。そんな余裕を仕事に持ち込み、会社にも貢献できたらと願っております。

    この度、天光寺での研修を無事に終えることができました。
    天光寺へ来る前は、学生時代にサッカーで培ったものと、六月から始めたジム通いで、きついといえども大丈夫だろうと甘く見ていました。終わってみれば、立ち上がること、座ること、歩くのもまともに出来無いような状態です。サッカーの練習でも身体がここまでなるようなことはなかった気がします。

    しかし、悪い思い出というのはなくて、素直に来てみて良かったと思えます。自分ではなかなか寺で修行をしようとは考えもしないので、今回、会社に寺で修行をさせて貰ったことに感謝しています。
    特に良かったと思ったことが二つあります。

    一つは「出会い」です。天光寺に修行に来ている方々と出会って、話をしていて印象的なことがありました。修行は、楽をしようと思えば出来る。でも負けたくないから頑張るのようなことを言っていて、自分も負けず嫌いな気持ちを忘れていたことを思い出しました。これを聞けたので、せっかく来ているのだから頑張ってみようと励まされました。

    あともう一つは、修行中にリラックスして普段はなかなか考えたりもしないことを考えることができました。自分の両親のことや昔飼っていた犬の事など、久しぶりに思い出しました。昔の温かい家庭を思い出したりと、自分を成長させてくれたことに改めて感謝しています。
    今回の修行で、普段経験しないことやつらい思いもしたので、無駄には絶対にしないよう日々意識していきたいと思います。

    2日間、様々な行を通して普段の生活では感じられない事や、新たな経験をさせて頂きました。自分が普段何気なく行っている行動も、少し気持ちを入れたり、意識を強く持つ事により、自分自身にも、また相手にも与える印象も大きく変わるのだと強く認識しました。挨拶ひとつもしっかり意識してこなかった自分を反省し、これからは気持ちをしっかり入れた挨拶を行うように心懸けます。

    行は全体的に想像を大きく上回るキツさでした。ある程度キツいのは覚悟していましたが、残念ながら部分的に身体がついていけませんでした。特に三禮では途中で自分が何をやっているのかも解らなくなり、足も言う事をきかず、いっそ座って声だけにしようかと、何十回考えたか分かりません。しかし一度休んでしまったら、起き上がれなくなってしまう気がしたので、一緒に取り組んでいる仲間の姿が目に入ると、休むことは出来ませんでした。一人で来ていたら、途中で休んでいたと思います。

    滝行も想像以上の水の冷たさにパニック状態となり、目を開けたり口で息をしたり、最初の数十秒は逃げ出したかったです。しかし、この様な状態になる可能性があることを、事前に教えて下さっていたので、だんだんと冷静さを取り戻し、最後までやり遂げられました。滝に打たれている最中は、何も考えられませんでした。不思議な空間を漂っている様でした。先生が滝から引っ張り上げて下さったときに、何故か分からないのですが、笑ってしまいました。無性に気分が良かったです。

    二日目の光明真言千回も、日常では決して出来ないであろう経験でした。同じ言葉を2時間かけてひたすらに千回も唱える。途中で先生の数珠を何度も気にしながら『本当に終わるのか』と苦悩していました。足・首・背中・腕・身体のいたるところが痛くて、ただひたすらに苦しかったです。でも時間は流れ、どんな事も必ず終わりが来る。良い事も悪い事も、楽しい事も苦しい事も、必ず終わりはあるのだなと感じました。

    様々な行から学んだ事を今後の人生に活かしていけるのか、それはまだ分かりませんが、諦めずに頑張る気力は高められたと思うので、人生にとって貴重な時間を過ごさせて頂きました。

    スタッフの皆様、同じ時間を過ごした皆様に感謝です。ありがとうございました。

    今回の社員研修について、参加する事を聞いた時、とても嫌だという気持ちでいっぱいでした。一年前にも寺修行を行い、どれだけ辛いかを知っていたからです。また、その修行を終えてから大会で悔しい思いをした後に、いつの間にか何に対しても消極的、ネガティブな思考ばかりするようになっていました。そんなことからこの修行をやっても変われない、辛いだけしかないと思っていました。上司から、自分を変えるんだという気持ちで行って来いとアドバイスを受け、この修行で自分を変えるんだという気持ちを持ってこの修行に参加しました。

    一番つらく、やり遂げたときの達成感が大きかったのが一日目と二日目に行った三禮百セットでした。予想よりはるかに身体にかかる負担が大きく、汗も床に水たまりができてしまうほどかくくらいでした。やっているうちに大量の汗をかいている自分が恥ずかしくなり、手を抜こうかなと思う事もありました。しかし頑張っているみんなの姿を見て、恥ずかしいと思っている場合じゃ無い、やり遂げるんだという気持ちを持つ事が出来ました。

    この気持ちを持てたからこそ、二日目の三禮では自分が大量に汗をかいていても構わず全力で取り組む事ができました。この気持ちを持てたからこそ、二日目の三禮では自分が大量に汗をかいていても構わず、全力で取り組むことができました。終えた時に自分でもやればできる人なんだという自信と、やっている時に気付かなかった足の皮がすり切れているのを見て本当に全力でやれていたんだという事を改めて実感することが出来ました。

    二日目と三日目に行われた滝行と水行の前のお百度参りも、三禮に似たつらさがありました。しかしここでは一日目の三禮で得た、やりきる気持ちと、日本一の技術者になるんだという気持ちを持てたおかげで、お経をしっかり唱えながら走ることが出来ました。終えた時にこれから大会に向けて頑張れそうだと言う気持ちを持つ事が出来ました。

    滝行は水によって息が出来ないかも知れない恐怖と、終えた時どんな気持ちになれるんだろうという好奇心を持ちながら挑みました。実際に滝を見てみると、事前の話で水が多くなっていると言う事は聞いていましたが、予想を上回る水の量と高さに、ますます不安と期待の気持ちが大きくなりました。滝に入ってみると、今まで体感したことの無い水の量と息ができないことに、少しパニックになりかけましたが、入る前に住職の方から鼻で息を吸い、口で吐いてということを思い出して気持ちを落ち着かせる事ができました。終えた時、やり遂げたという達成感と、何とも言えないとても清々しい気持ちになりました。とても良い体験をする事が出来ました。

    この修行を終えて、参加して本当に良かったと思っています。自分の気持ちに対してネガティブな気持ちにならず最後までやりきる事が出来ました。これからの訓練でも前向きな気持ちで頑張ります。また

    今回天光寺の社員研修を終えて、まず、何事も気持ちの持ち方次第で悪くなったり、良くすることが出来たりすることを学びました。

    天光寺に来る前は、集中が切れやすく、作業がうまく進まなかったり、時間を縮めることが出来無かったりしていたので、この修行を通して集中力の向上・持続が出来るようになりたいと思いながらこの三日間を過ごしました。

    一日目はお経を千回唱えたり、三禮を百回したりしました。お経を千回唱える行では、姿勢を保つのもきついし、声を出すのも大変で眠気もするのでとても辛く、本当に自分との戦いでした。三禮もとても大変で、何度も立ち上がったり座ったりするので、足や腰は痛くなるし汗もたくさん出て来るので、何回も途中でやめようと思いましたが、他の周りの人が頑張って続けているのを見ると、自分も頑張ろうと思って最後までやり遂げることができました。夜は写経を二時間ほどかけてしましたが、その間、静かに黙々とやっていたので集中して行うことができたと思います。

    二日目も三禮を行いましたが、前日同じ事をやっていただけに、とても長く、つらく感じましたが、一生懸命全力でやることが出来ました。お百度参りと水行も行いましたが、お百度参りは同じ所を百往復走り、大きな声で叫ぶというのはとてもきつかったです。また、水行は想像していたものよりずっと大変で、身体は冷え切ってしまい、こんなことはもう二度としたくはないと思いましたが、水から自分も着いていこう 前日出て来ると、身体が軽くなったような清々しい気持ちと、達成感があって、とても良かったです。

    三日目は、お百度参りと滝行をしました。滝行は水行とはまた違った大変さを感じました。滝の中は想像よりずっと水の衝撃が強く、自分の我慢強さの小ささを知りました。

    行の他にも、食事は毎回みんなで準備をして、同じ皿の物を分け合い、全員で片付けをしたりすることで、集団行動の大切さや、その楽しさと言うものを知ることが出来ました。

    今回の体験を活かして、今後の訓練では、プラス思考、感謝の気持ち、『自分は出来る』と言う考え・意識を持って、頑張っていきたいと思います。

    今回の研修プログラムを経て、最初は前回この行をやっていた人から話を聞いていて、かなりの覚悟を持って受けさせて頂きましたが、想像をかなり越える事が多く、本当に驚きましたし、辛かったです。

    この研修で一番精神的に大きな事が学べたのは、何事にも「やれば出来る」という事でした。行をやっている最中に辛すぎて諦めてしまいたい気持ちは何度もありました。しかし、周りのみんなの頑張っている姿や、負けたくないという思いが、行の最中に目覚め始め、全てやり遂げる事が出来ました。特に、光明真言千回や、十三仏真言など、サボることの出来る行こそ、全力で取り組むことによって、周りとの団結力に繋がってくるのではないかと感じました。
    我々グループでは仕事をやっていく中で、とても大切な事で、一つの何かに向かって全力で取り組むこと、そしてその一つの目

    私は天光寺での社員研修をおこなってみて、今年は去年と違う場所での修行という事で、どのような修行をするのかドキドキしていました。また、私の欠点でもある本番に弱いと言う事と、いざという時に自分に自信を持てるようになることを目標にしました。

    実際に、寺修行を行ってみて、去年の修行とは全く違い、とても大変でした。写経では、久しぶりに筆を使い『般若心経』を写しました。苦手と言う事もあり、時間もかかってしまったし、何度も休憩をしていました。行を終えて振り返って見てみると、字が乱れていて、集中力の無さを改めて実感させられました。

    他にも三禮という修行も行いました。三禮は肉体的にも精神的にもつらい行だと思いました。汗がダクダクになり、汗で足を滑らせながらも大きな声を出す修行はとても大変でした。修行中に何度も逃げようと考え、自分に負けてしまいそうになりました。ですがスタッフの声が聞こえ、『声を出せ』『自分に負けるな』と思いながら行いました。修行中は目標である百セットを一回も休まないと心に決めて行いました。また、負けそうになった時は、隣にいる同じメンバーも頑張っている光景を見て、自分も頑張ろうと励みになりました。

    また、他には、滝行と水行も行いました。滝行と水行を行う前に枚買い、お百度参りも行いましたが、相当辛く、いつも滝着が汗でずぶ濡れになり、足の裏に血豆と水ぶくれができ、とてもきつかったです。ですが、毎回往復する度にメンバーがすれ違い、頑張っている姿が目に入ったので、自分も頑張りました。何度も手を緩めようと頭によぎりましたが、自分に負けないことを心に決めて修行を終えました。

    滝行や水行では、とても水が冷たく過呼吸になり、早く出たいと言う気持ちでした。だけど少し時間が経つと水に少し慣れ、冷たくて早く出たいという思いがありながらも、自分に負けず『少しでも長く入っていよう』と思い、修行を行いました。滝行では雨も降り、水が冷たく、水量も多くとても痛かったです。結局滝行では自分に負けてしまい、二分しか入れませんでした。終わってから、あと一分でも入っていればと後悔しました。

    今回の寺修行では、一番に自分に負けないということを学びました。どうしてもつらい時には、自分に負けてしまいそうになるので、その時は、寺での修行の事を思い出して頑張ります。

    この天光寺に来て、研修を終了するまで社会人として仕事をしっかりできるか、仲間や先輩と上手く協力していけるかという不安でいっぱいでした。また、自分に足りない部分は何か、自分の強みは何かということが具体的に分かっていませんでした。だから、この研修で学びたい事を具体的に書くことが出来ず注意をされました。だからとにかく社会人としての基本的な生活態度を身に付けることと、学生気分が抜けきれていない気持ちを抜き、これからしっかりと働ける体と心にする事を目標にしました。

    そして初めに驚いた事があります。それは最初に行った自己紹介です。多くの人が声が小さくてやり直しをしていました。私はそれを見て、口を大きく開けて、大きな声を出せたので一回で大丈夫でしたが、自分がなっていたと思います。私は会社で行った自己紹介の声がとても小さく聞き取りにくいものだったと思いました。また、挨拶が質問の時の肥えも小さかったと感じました。そのことを一番初めに気付き、同時に、自分に足りなかった部分だと分かりました。

    また、三禮にも得た物がありました。正直声を出しながら正座と立つことを百セット近くするのはとても大変でした。しかし、絶対に遅れずについていこうと強く思いながらしました。また、お手本を見せてくれている方は、自分より声を大きく出し、また動きもきびきびとしていたので、ここで自分が遅れたら負けだと感じ、諦めない気持ちを強く持つ事が出来ました。これは、社会に出てもとても大切だと思います。また、遅れずについていけた時はとても気持ちが良かったです。こういった気持ちになった事は久しぶりだったので、これからも粘り強く生きていきたいです。このことは光明真言を1,000回唱え続ける時にも得ました。これは、同じ事を何回も続けることが大変だと言う事を凄く理解する事が出来ました。

    お百度参りと滝行にも息巻いた。正直、前日の雨と風があったのでやりたくないという気持ちが強かったのですが、実際体験してみると、お百度参りは自分の体力の無さに驚きました。運動不足だったので前日の正座や三禮の筋肉痛もあり、自分の思っていたよりも何十倍も水が冷たく、今までの人生の中でもかなりきつい体験でした。しかし先輩が普通の時間よりも倍以上も長く入りました。滝から出た後もまだ出来たと言ってたので、とても格好良く見えました。私は普通の時間より長く滝行が出来ましたが、先輩と同じ時間まで入るには、体力と気力が足りませんでした。ただ、普通の時間より長く滝行が出来たのは、前日から続けていた諦めない気持ちを持ち続けられたからだと思います。

    この修行はやり終えた後に大きな達成感と気持ちよさがありました。
    今回の研修では、まず挨拶の大切さをとても強く感じ蒔いた。食事の時や、何かの始まり、終わりにも挨拶があり、とても大切だと思いました。

    これからもこの研修で得た事を忘れずに仕事に取り組みたいです。

    二日間研修をさせて頂いたのですが、正直な感想を述べると想像以上に厳しかったです。最初にこちらに出向いた時からしっかり大きな声で挨拶をされて、場の雰囲気が一気に変わり、こちらも引き締めて取り組まなければならないと感じました。

    寺で最初に行われたのは自己紹介で、一礼して名前と出身地を言うだけで、特別なことは特にしなかったのですが、最初の挨拶というのは自分自身の第一印象を大きく左右するので、大きな声で、その声が周囲の人の胸に届く程の声でなければやり直しということで、全員が自己紹介を終えるまでかなりの時間がかかりました。またそこで一礼の大切さも同時に教えられました。一礼とは相手に対し深く気持ちを伝える意味でも、ゆっくり腰まで頭を下げる重要性を知ることが出来ました。

    また、食事や一つ一つの修行に対してもお経を唱え、食事が出来る喜びに感謝する文を全員で唱え、
    私はこの研修をする前は、「やらなくてもいいや」「つらいからやらない、やりたくない」と言う気持ちでいっぱいでした。学生の頃はそう言う風につらい現実から逃げてしまっていても自分だけが苦しむだけで、周りのみんなに迷惑がかかることはありませんでしたが、社会に出れば、自分一人のせいで、周りのみんなにも迷惑がかかってしまうため、例え自分がやりたくないことでも、やらなければいけないこともあり、周りのみんなのためにも自分が頑張らなければならないので、連帯感の大事さを学ぶ事ができました。

    私は自分では忍耐力があると思っていましたが、一日目の三禮の時は、肉体的にも精神的にもまだまだ忍耐力が足りないんだなぁと実感しました。しかし、ただ単に自分の忍耐力の無さを実感しただけでなく、「つらいけれどもう一回頑張ろう」「みんなも頑張っているのだから、自分も着いていこう」前日に天光寺のホームページで、こちらで企業研修を受けた方の感想文を拝見しました。「想像よりも大変だった」というものが多く見られましたが、それでも私はお寺の修行というものを甘く考えており、そのままこの研修に参加しました。

    その考えが大きな間違いであったと知るのにそう時間はかかりませんでした。普段はすることが無い、正座が足に負担であることはもちろん、楽な姿勢であると考えて居たあぐらも、長時間続ければ、身体に負担がかかることを痛感しました。また「喋るだけ」と考えていた読経も、千回もの回数になると、口の中が渇き、声もかすれてきました。当たり前のことであり、事前に十分に理解しておくべきことではあったのですが、「楽に出来る行など有り得ない」と、ここでようやく気付いたのです。

    三禮は特に身体への負担が大きく、普段私があまり身体を動かさないこともあり、1セットとされる3回でもつらく感じてしまいました。それが100セットともなると、汗だくになりますし、足と腕は床にぶつけたことで痛くなります。結果として最終日の今この時まで腰や足の痛みと付き合うことになりましたが、今はそれを今までの堕落した生き方から真っ当になる過程での痛みと考えており「痛い」とは思っていても「苦しい」とは感じていません。

    川行、滝行には若干の期待がありました。ただその期待は決して肯定されるべき感情ではなく、そういった行が小説やマンガで一般的にイメージする「修行」だった故です。当然のことながら甘く考えていました。
    実際に川や滝を目近で見ると、その勢い、力強さに驚きました。入ってみれば想像よりも水流の強さは遙かに上で、流されてしまうのではないかと思いました。毎年のように起きる水難事故は、私の様に自然、そして水の力を甘く見ている為に発生しているのだと実感しました。

    そして私にとって何より辛かったのは、水の冷たさです。実は滝行においては、そこまでの水の勢いに対する苦痛はありませんでした。しかし、水温の低さには体力を奪われ、身体の震えを止める事すら困難でした。聞いたお話では、私達が行に向かったときは水温もさほど低くはなく、先に「それほど勢いを感じなかったと述べた滝の水量も少なかったらしく、今回の行で限界を感じてしまった自身の弱さを恥ずかしく思います。

    この企業研修では、自分が世の中を甘く見ている事が肉体的に知ることが出来たのと同時に、説法によって、精神的な面でも未熟さを知ることができました。仕事に関係することももちろんですが、趣味に関しても思うところが多々ありました。今までどれだけ負の心を持ち、そしてそれを口にし、成長を止めたり投げ出してしまったのだろう。思い返すだけで恥ずかしくなります。

    今回は企業研修としての参加でありましたが、仕事だけでなく、この修行で得たことを活かしたいと考えています。

    二泊三日の行を行って、体中が筋肉痛になって立つことが辛くなっても、そこを乗り越えて行を達成することができて、心も強くなったと思うし、仲間と24時間一緒に乗り越える事ができたので、本当に良かったです。
    天光寺に来る前までは、社会人になって一週間しか経っていなくて、学生と社会人の違いに大変さを感じていました。この行を終えた今、心も強くなって社会人としての自覚もしっかり持てるようになったと思います。

    お百度参りや、川行、滝行は想像を絶する寒さで息もできず、とても辛かったですが、仲間達と全員でやり遂げる事ができたので、とても良かったと思います。そして精神力も強くなったと思うし、体中の悪い物が取り除かれた様な気がして、水は冷たくて凍りそうでしたが、清々しかったです。

    写経や写仏も、集中力がとても必要で、正座も慣れない為、足が痺れてしまってとても辛かったけれど、丁寧に書いていくうちに、時間が経つのを忘れて書いていて、自分もこんなに集中力があったのだなと驚きました。

    今回の修行は、自分の限界との戦いだったと思います。普段の日常生活では味わえない様々な事を体験出来て本当に良かったと思います。朝早く起きて、朝一番で掃除をして、とても眠かったけれど凄く清々しい気分になれました。今までご飯を食べる際も自然や農家の方々に感謝しながら食べた事などなく、無意識に食べていたけれど、これからはきちんと感謝して、食べようと思いました。お食事は全て手作りで本当に美味しかったです。毎日三回の食事がとても楽しみで、修行を頑張ることができました。ありがとうございました。

    二泊三日の修行を通じて、たくさんの大切な事を学びました。諦めない事の大切さ、精神力を鍛えて、努力すること、住職さんの言っていた『オンリーワンになりなさい』と言う言葉を聞いて、自分の良い面を知り、それを伸ばして『私にしか出来無い何か』を探していこうと思います。

    私は自分の事があまり好きではなくて自信もありませんでした。しかし、自分を愛することはとても大切なことだと学びました。これからは、自分を愛せるようになれればと思います。自分の人生の主人公になって、縁を大切にしながら舞台と役者を演じていきたいと思います。

    今まで数珠の持ち方も分からなかった私ですが、お経を唱えられるようになりました。お経もとても集中力が必要で、千回唱えるのはとても大変でした。しかし集中しているとあっと言う間に千回唱え終わって、集中すると本当に時間が経つのが早いなと感じました。

    長いようであっと言う間の二泊三日でしたが、人間として強い人になれたなと思います。辛く厳しいことが多かったですが、仲間が一緒にいたのでここまで来ることが出来たと思います。

    住職さんをはじめ、お寺の方々、短い間でしたが、本当にお世話になりました。日常生活は教わるできないたくさんの大切なことを教わりました。本当にありがとうございました。

    寺での修行を行うと聞いたときは、普通の合宿の延長かなと思い、清々しい感じで帰って来れればいいなと思っていました。しかし、いざ修行が始まってみると、思っていたより何倍も厳しいもので、正直心が折れてしまいそうでした。

    それでも、川行を終了したくらいからは、何か清々しい気持ちと修行に対しても前向きな気持ちになれました。水と一緒に悪い物を流すことが出来たのかなと、心の底から思いますし、苦しかったですけど、本当に素晴らしい体験をさせて頂きました。滝行でも同様に、心が洗われた気分になりました。川行よりも辛く、数分しか入っていられなかったのが心残りです。今後何か壁に当たった時は是非とももう一度体験させて頂きたいです。

    読経や写経なども体験させて頂き、最初は身が入らず、正直眠くもなってしましました。しかし、回数を重ねるにつれて、集中できるようになり、疲れも感じにくいどころか力がみなぎる感覚になりましたので驚きました。修行に来る前までは非科学的な事は全く信じないタイプの人間でしたので、今までいかに狭い感覚の中で生きてきたのかと痛感しました。仏教のことについて、帰ったら色々勉強してみようと思います。

    今回の修行では、本当に数多くの事を学ばせて頂きました。まず心の持ちようを積極的に、負け犬になるなと学んだ時は、まさに今自分自身が新社会人としてやっていけるのか不安だったので、いかに無駄な思い込みをしてたのかと痛感しました。まずは自分に出来る事を懸命にやるしかないのだと、改めて教えて頂きました。こうした前向きな気持ちになれたのも全て修行の成果だと思います。集中力も一段と上がった様に感じますし、何より達成感は今後、私の心の支えになると感じました。何事も中途半端にならないように日々成長していきたいと思います。だらしない生活を送っていた私にには、とても厳しいと思える三日間でしたが、生活習慣のしっかりした生活がこれ程までに一日を張りのあるものに変えるということも私の中では大きな発見でした。一生懸命の裏側で犠牲になるのは、思いの外生活習慣なのではないかと思いますので、この辺もしっかりと自分で考え、今回修行させて頂いたということを誇りに思えるようになりたいと思います。

    前日に天光寺のホームページで、こちらで企業研修を受けた方の感想文を拝見しました。「想像よりも大変だった」というものが多く見られましたが、それでも私はお寺の修行というものを甘く考えており、そのままこの研修に参加しました。

    その考えが大きな間違いであったと知るのにそう時間はかかりませんでした。普段はすることが無い、正座が足に負担であることはもちろん、楽な姿勢であると考えて居たあぐらも、長時間続ければ、身体に負担がかかることを痛感しました。また「喋るだけ」と考えていた読経も、千回もの回数になると、口の中が渇き、声もかすれてきました。当たり前のことであり、事前に十分に理解しておくべきことではあったのですが、「楽に出来る行など有り得ない」と、ここでようやく気付いたのです。

    三禮は特に身体への負担が大きく、普段私があまり身体を動かさないこともあり、1セットとされる3回でもつらく感じてしまいました。それが100セットともなると、汗だくになりますし、足と腕は床にぶつけたことで痛くなります。結果として最終日の今この時まで腰や足の痛みと付き合うことになりましたが、今はそれを今までの堕落した生き方から真っ当になる過程での痛みと考えており「痛い」とは思っていても「苦しい」とは感じていません。

    川行、滝行には若干の期待がありました。ただその期待は決して肯定されるべき感情ではなく、そういった行が小説やマンガで一般的にイメージする「修行」だった故です。当然のことながら甘く考えていました。
    実際に川や滝を目近で見ると、その勢い、力強さに驚きました。入ってみれば想像よりも水流の強さは遙かに上で、流されてしまうのではないかと思いました。毎年のように起きる水難事故は、私の様に自然、そして水の力を甘く見ている為に発生しているのだと実感しました。

    そして私にとって何より辛かったのは、水の冷たさです。実は滝行においては、そこまでの水の勢いに対する苦痛はありませんでした。しかし、水温の低さには体力を奪われ、身体の震えを止める事すら困難でした。聞いたお話では、私達が行に向かったときは水温もさほど低くはなく、先に「それほど勢いを感じなかったと述べた滝の水量も少なかったらしく、今回の行で限界を感じてしまった自身の弱さを恥ずかしく思います。

    この企業研修では、自分が世の中を甘く見ている事が肉体的に知ることが出来たのと同時に、説法によって、精神的な面でも未熟さを知ることができました。仕事に関係することももちろんですが、趣味に関しても思うところが多々ありました。今までどれだけ負の心を持ち、そしてそれを口にし、成長を止めたり投げ出してしまったのだろう。思い返すだけで恥ずかしくなります。

    正直天光寺へ向かっている時、厳しいことがたくさんあるだろうと思い、少し気持ちが弱くなっていました。初日から予想以上に厳しい行があり、体力的にとても疲れてしまい、二日目以降は更にからだがボロボロになるような思いでした。しかし、行を重ねるごとに気分がよくなっていき、心がスッキリしていくのが分かりました。長く厳しい行を一つ終えるごとに、とても達成感を持てました。

    特に川行の前のお百度参りは二回とも気が遠くなる程長い行でしたが、お百度参りの後の川行、滝行は自分でもビックリする程に思い切りがついて挑めたと思い、とてもスッキリしました。
    長時間お経を唱えている際は、読みながら気持ちのどこかでいつまで続くのか考えている部分もありましたが、教えて頂いた、自分を浄化するということから、気合いを入れて一生懸命に取り組めました。また、行の中で今までの人生で自分で作ってきた壁を壊していくという事を教えて頂き、厳しい行を終えたことで幾つもの壁を壊すことが出来たと思います。

    一日の行を終え、夕食の時などにスタッフの方の話がとても面白かったのも心に残ります。行の間なども含め、本当に色々とありがとうございました。

    三日間の行を終え、明日からまた日常が始まります。今まで持っていた仕事への取り組み方をもっと良い方へ替えていけると思います。今まで自分ではクリア出来ないと思い込んでいた事なども、もう一度よく考え、仕事仲間や上司に相談し、色々な事を乗り越え、また、新しく何か会社の為になる事はないか常に考えていきたいです。

    日頃お付き合いして頂いているお客様や、これから新しく付き合いを頂くお客様にも、いつも感謝の気持ちを持ち、また、製造業の営業の人間として、色々な知識をもっと身に付けていき、多くの仕事を取れる様に活動していきたいと思います。社内でも現場の人などとも、日ごとコミュニケーションを持ち、時には無理を聞いて頂いたり、加工についての相談や、自分の担当している材料についての意見なども、もっと聞きたいと思います。 これからも会社が成長していく為に、貢献出来る人材になる為に、日々人との付き合いや人から教えて頂く事、話の中から得る事に気を付け、自分自身が会社の他の人の為になりたいと思います。

    この先、まだまだこの会社で働かせて頂く為に、もっと自分自身を高め、社内の人やお客様から愛され、頼りにされる人間にならなければ、ならないと思います。今回の修行で手に入れた自信と、達成する気持ちを活かし、自分で思う以上の人間へと成長していきたいと思います。

    また日頃、心の支えになってくれている家族に改めて感謝し、子供達には、立派な大人になって貰う様、色々な事を教え、体験させてあげたいと思います。

    いつも苦労をかけている妻にも、なかなか幸せとは言って貰えませんが、お互いが幸せと思える様に過ごして行きたいと思います。また、親、兄弟、親戚にも色々助けて頂いておりますので、これからも少しずつ恩返しをしていきたいと思います。

    日ごと楽しい時間を過ごせる、古い付き合いの友達と今後も楽しくやっていける様に、自分自身に言い聞かせます。

    私は今回の天光寺での修行を通じて、いくつか感じたことがありました。

    一つ目に、どんなことにも真面目に真摯に取り組まなければならないと言うことです。私は正直に言うと、今回天光寺に着くまで少し舐めていました。私は十年以上運動を続けており、体力には自信があったからです。しかし、その様な考えは一番最初の挨拶の作法から間違っていると分かりました。私が今までしていた挨拶では、相手に誠意が伝わっていないと感じました。しっかりと相手の目を見て、一言一言丁寧に言葉を発することが大切だと感じました。

    二つ目に、一つのことに集中する大切さを学びました。写経や写仏で二時間以上も正座で細かい作業をするというのはとても大変な事でした。何度も集中力が切れることがありましたが、その度に集中し直して、書き終えた後の達成感はとても気持ち良いものでした。これから現場に出て、仕事をする時は、常に集中していなければいけないので、今回の修行を思い出したいと思います。

    三つ目に、仲間と共に最後までやり抜くことの大切さです。今回の修行で私が精神的にも肉体的にも一番厳しかったのは、初日の光明真言を千回唱え、すぐに三禮を100セット行った時でした。光明真言を唱え始めて一時間程経った頃、酸欠状態になってしまい、倒れる直前でした。しかし、そこで私を突き動かせたのは仲間達の声でした。みんなが辛い、苦しい、頑張っているんだと考えたら、力が湧いてきて、最後まで行うことが出来ました。しかし次の三禮がそれ以上の厳しい物で、今回は周りの仲間達も声が出ず、体も動かずピンチでした。なので、今回は光明真言の時に助けてくれた仲間達を自分が救う番だと思い、人一倍身体を動かし、声を出しました。実際それによって救われた人がいるかどうかはわかりませんが、仲間と支え合い、向上していくことの大切さに改めて気付けて良かったです。この事は、これから働いていく上でもとても大切な事だと思うので、常に心の内に留めておきたいです。

    四つ目に、どの様な事にも積極的に取り組み、失敗を恐れない事の大切さを学びました。法話を話して頂いた中でも、その様な事を仰っており、それは今回の修行中、常に意識するべき事でした。積極的に声を出し、挨拶をし、集中し、体を動かすことを意識していました。積極的に取り組むことで、失敗するリスクも高くなりますが、そこで失敗を恐れていたら、またその不安で失敗に失敗を繰り返してしまうと言う様なお話を聞きました。現場に出たらまさにその通りになってしまうと思うので、現場でも積極的にどの様な事にも挑戦していきたいと思います。

    今回の修行で沢山のことを学びました。今回学んだことは現場に出ても必ず役に立つことだと思うので大切にしていきたいと思います。

    社員研修が終わった今、私が思うのは天光寺に来て良かったと言うことです。来る前から厳しく、きついんだろうなと考えて居ましたが、予想以上でした。

    一番初めの挨拶の作法からやられました。元々正座が苦手だった私は足が痺れないコツなどをネットで調べて研修に挑んだのですが、両足とも見事に痺れました。しかしこれは本当に始まりに過ぎませんでした。

    光明真言千回、二時間半以上にも及ぶ読経は気が遠くなるものでした。初めのうちは一生懸命唱えて居たのですが、眠気が襲って来て、何を言っているのか分からなくなりました。途中から目が覚めて来たので光明真言を覚えようと思い、経本を見ずに言う様にしました。そこから心が無というか、唱えることが気持ち良くなってきました。最後は喉がからからで声を出すのが苦しかったけれど、気が向いたらまた家で唱えてみるのも良いかもしれないなと感じました。

    次がメインイベント、三禮でした。光明真言からの三禮は本当に辛かったです。もう最初の方からしんどくなり、100回も出来るのか不安を感じました。太ももが悲鳴をあげ、床に手を突かないと立てませんでした。伏せる度に膝と手首が床に勢いよく当たり、痛くてたまりませんでした。ギブアップしたいと思いながらも横を見ると頑張っている仲間がいる。皆の頑張りが私の弱い、負けそうな心を支えてくれました。やり終えた時の達成感はたまらなかったです。赤くなった膝、手首、額は頑張った証だと思うと、ちょっと愛おしく感じました。

    一日目の最後と、二日目の最初のプログラムは写経と写仏でしたが、これは個人的にとても楽しかったです。昔習字を習っていたので、久しぶりに筆を使えることが嬉しかったです。ただ、今までのプログラムでヘトヘトになった身体でずっと正座をして書くのはきつかったです。出来上がった物をみて、本当に自分の心が筆を通して現れているように感じました。

    研修の最後は、お百度参りだったのですが、これも少し楽しかったです。それはきっと天気が曇りで、熱くも無く寒くも無く、涼しくて気持ちが良かったからだと思います。心が無になり、やり終えた後はさわやかな気持ちになりました。

    研修を通して、自分の甘えた心に渇を入れて貰えました。今、私の心はとても穏やかです。精神的にも肉体的にも鍛え上げられ、自分自身が少し成長出来た様な気がします。また一人では無く五人だからこそ最後までやり通せたのだと思います。仲間の大切さを改めて感じる事が出来ました。貴重な体験をありがとうございました。

    今回の社員研修は正直なめてました。行く前は楽しみにしていた位でした。

    一日目の始まりから辛い修行でした。こんなにも長く正座をしたことがなく、我慢の限界を超えていましたが、先輩方の方が自分なんかより大きな苦痛を受けており、その姿を見る度に、まだまだ我慢できると思えました。

    本当にどの修行も挫折しそうになりましたが、辛いのは自分だけではない、と思い、みんなと苦しみながら頑張って、乗り越えていけました。一人では成し遂げることは出来ませんでした。
    継続させる事が出来ないと社長から言われ続けていましたが、今回のこの修行を行った事により、何よりも忍耐強くなりました。

    本当に何度も何度も、辛い、苦しい、早く楽になりたいと思っていました。しかし、何度も繰り返すうちに、達成感に変える事が出来ました。

    一番きつかったのは三禮です。終えた後は膝の皮も剥け、立つことさえ不自由でした。しかし一番の思い出になりました。

    この修行を終え、何か心の中にあるモヤモヤとした何かが取れ、すっきりとした心境です。
    何かを皆でやり遂げること、諦めないこと、そんな大切な何かをこの三禮で感じました。今後の人生を生きて行く中での今回の経験は必ず身になると思いますし、必ず身にしてみせます。

    本当に今回は辛い修行ではありましたが、感謝の気持ちしかありません。この修行に行かせて頂いた社長にも感謝ですし、叱咤激励して頂いたお寺の方々にも感謝しております。

    そして一番感謝したいのは、今回一緒に頑張った皆さんです。この気持ちを忘れず、明日より更なる向上が出来るように致します。今後何かに躓き、挫折しそうになった時は、必ず天光寺での修行を思い出し、乗り越えます。

    初めの挨拶の練習の時、かなり厳しい感じで帰りたくなった。あんなに大きな声を出したのは高校の部活以来だった。社会人になっていなければ、学生の気持ちのままなら、帰っていたと思う。そんな気持ちになりながらも帰らなかったのは、皆が一生懸命やっていたからだと思う。どこかで皆に迷惑かけたらいけないという事で常に声を出したり、行動したりしていたと思う。それを意識し、修行を一つ一つこなしていくうちに達成感とかも現れてきました。久しく味わっていない感情でした。何かわからないけれど、すがすがしい気持ちでいっぱいでした。

    正座で足がちぎれるほど痛くなったりしましたが、皆がいたから頑張れたと思います、この合宿生活から普段の生活に戻った時、絶対に変わっているはずだ。変わってないとおかしい。自分なりに努力して、この二日間変われるように努力してきました。この合宿での経験は凄いです。とりあえず凄いですとしか言い表せないです。とても精神面で成長出来たと思います。最後のお百度参りは苦しいけど、頑張れました。膝とか腰が痛くても、最後まで頑張っている皆の姿に励まされていました。チームって大切なんだと改めて感じました。また現場に出て、辛い事も多々あると思うけれど、乗り越えていける気がする。

    最後に、自分の力を出し切っていたと思う。そして何か変化が起こっているのかもしれません。そのように僕に変化を与えてくれた同期の皆、そして寺の人々に感謝したいです。ありがとうございました。自分を見つめ直す時間を大切に過ごしていきたいと思います。

    入社して寺修行があると聞きましたが、修行と言っても、どの様なことをするのか、あまりイメージのつかないまま天光寺に参りました。天光寺に来て最初のお坊さんの方の挨拶に驚きました。研修でさんざん挨拶が一番大事、挨拶が第一印象を決めると聞いていましたが、その時改めてそう感じました。お坊さん方の挨拶は本当にご丁寧で心がこもっていました。これからは私も修行でやったあいさつを忘れず継続していきたいと思います。

    修行で一番心に残っているのは法話です。本当に心が洗われた気がしました。今までの自分がとても醜く感じました。「何事にも積極的に」その精神で生きて行こうと決めました。法話の中で一つ嬉しかった事がありました。私は大学の四年間部活をしていました。その中でいつもみんなで言っていた言葉は「思考は現実化する」という言葉でした。この言葉は間違っていなかったのだと思いました。

    修行をやってみて、改めて仲間が居れば頑張ることが出来ると実感しました。逆に自分が頑張る事で周りの人に力を与えることが出来るという事も分かりました。社会人として生きていく中で、自分の頑張る姿で周りの人に元気や勇気を与えられる人になろうと決めました。

    この修行をしたことで自身がついたと同時に、まだまだ自分に出来る事は沢山あると思いました。社会人として本当に未熟物ですが、自分に限界を作らず、この修行のことを忘れず頑張りたいです。本当にありがとうございました。

    私は社会人になって一週間が経ちました。
    自分自身では、学生から社会人になり、気分だけは社会人になっているつもりでした。ですが、実際の所は何も学生の頃と変わっていませんでした。そんな中、この寺に合宿させて貰い、何もかもが自分は未熟だなと感じる事になりました。これでは社会でやっていく事が出来ないのではないかとまで思いました。

    寺での一日はとても長く感じ、本当にきつい一日でした。何回も、何回もやめたいと思いましたが、周りを見れば必死に頑張っている同期達が居ました。みんなが頑張っているのに自分だけやめる訳にはいかないと思い、乗り切りました。以前の私なら自分の事しか考えなく、周りの人の足を引っ張ることも何度かありました。だからもうそんなことはしたくはないと思い、必死に頑張りました。私はこの寺合宿でもっと強い人間になりたいと思い取り組みました。その目標が達成されたとは思っていませんが、少しはその目標に近付いたのではないかと思いました。

    また住職のお話で挨拶をしっかりしろ、人脈を大切になど様々な言葉を聞かせて貰いました。これはとても大切な事なんだなと思いました。なのでこれを自分に言い聞かせて取り組んでいきたいと思いました。たった一日ではありましたが、この寺で合宿を出来た事は自分にとって絶対にプラスであり、この先の人生で絶対に役に立つことだと感じました。

    自分は社会人になって気分だけ成長していないことを肌で実感し、その気持ちに気付かせてくれたこの寺に心から感謝したいです。

    これから社会に出て辛い事がたくさん待っていると思いますが、この経験を思い出し、一つ一つ乗り越えていき、日々一生懸命に感謝の気持ちを忘れずに生活していきたいです。短い時間でしたが、ありがとうございました。

    今回の修行、正直想像以上に厳しいものでした。何よりも辛かったのは光明真言を千回唱えるというのが辛かったです。二時間唱え続ける等精神的に参りました。

    それ以外の修行についても、決して楽な事は一切ありませんが、体力と根性があれば乗り越えられる事でしたので、 学生時代の部活を思い出しました。

    正直、最近仕事に置いて、根性を出し切っての仕事内容では決してなかったと思います。今回の修行は、他の何よりも、根性、我慢、達成感という気持ちや思いを、再確認できたこと、常日頃からこのような熱い思いを持って、立ち向かっていくと決心しました。

    滝行においては、本当に初めての経験でしたし、確かに辛いものではありましたが、皆で同じ経験をし、達成出来たことがとても満足でした。それは滝行だけではなく、全ての修行において苦しみながらも、皆で共に達成出来た事は、本当に嬉しかったです。達成する事に意味があり、この喜びは忘れず、明日からの仕事、勿論私生活においても活かしていきたいと思います。

    今回の修行に関してはまず、この様な機会を設けて下さった社長に感謝致します。また、同時に天光寺の皆さん、ありがとうございました。 必ず、今回の修行が今後無駄になる事のない様、明日からやっていこうと思います。

    今回天光寺の方から、この様な事を聞き、感銘しました。一番辛かった光明真言を千回唱えた際、終わった直後にこう言われました。正直唱えるだけなのでどこかで手を抜こうと思えばいつでも手は抜ける。しかし、それを最後までやりぬく強い気持ちが大事な事であると。その通りだと思いました。 まだまだ自分自身至らない点も多く、未熟ではありますが、やはり弱い点としては精神面です。今回の修行で一回り強くなれたと思います。

    今回、社員研修に参加させて頂くにあたって、私は自分自身に甘く、どちらかと言うと、マイナス思考の性格を直したいという思いでした。

    実際修行がスタートすると、まず正座を約2時間しているだけで、かなりの足の痛みがあり、苦痛で、日頃どれだけ正座をしていないのかが分かりました。
    今回の修行は、行く前に思っていた予想を遙かに超える厳しさで、行の全てが私自身にかなりの試練となりましたが、最後まで自分なりに精一杯頑張れた事によって、住職も言っておられましたが、あきらめたらそこで終わりだけど、諦めなければ最後まで成し遂げられると言う事も教わりました。

    行の中で体力的に一番苦しかったのは、三禮を百五十回行った事でした。途中で本当に倒れそうになりましたが、苦しかった時に背中を叩かれ激励を受けて、自分の為に、みんなの為に頑張る事が出来、三禮が終わった時には、自然とみんなが一体となっていた様に感じました。

    滝行は実際想像していた以上に水が冷たく感じ、滝に打たれている時は、呼吸が思うように出来なく辛かったですが、終わった後は、何かが吹っ切れたような、自分自身で今までの人生の垢を洗い落とし、強いパワーを感じる事が出来ました。

    今回の修行では、住職から、自分自身を今より更に向上させるお話をたくさん聞かせて頂きまして、何事もプラス思考に思えば、そこから更に大きな未来が切り開けて、有意義な人生を送ることが出来ると感じました。
    今後は会社でも、人生でも、自分が主人公になる気持ちで臨んでいきます。

    住職が仰ってました、お客様への感謝の気持ちを常に忘れず、お客様への挨拶、相手の立場になって物事を考え、自分を更に成長させていきます。

    最後に、今回この様な大切な事を経験させて頂きました社長には感謝の気持ちでいっぱいです。その気持ちを社長の望む形で発揮していきます。

    回の社員研修は正直なめてました。行く前は楽しみにしていた位でした。

    一日目の始まりから辛い修行でした。こんなにも長く正座をしたことがなく、我慢の限界を超えていましたが、先輩方の方が自分なんかより大きな苦痛を受けており、その姿を見る度に、まだまだ我慢できると思えました。

    本当にどの修行も挫折しそうになりましたが、辛いのは自分だけではない、と思い、みんなと苦しみながら頑張って、乗り越えていけました。一人では成し遂げることは出来ませんでした。
    継続させる事が出来ないと社長から言われ続けていましたが、今回のこの修行を行った事により、何よりも忍耐強くなりました。

    本当に何度も何度も、辛い、苦しい、早く楽になりたいと思っていました。しかし、何度も繰り返すうちに、達成感に変える事が出来ました。

    一番きつかったのは三禮です。終えた後は膝の皮も剥け、立つことさえ不自由でした。しかし一番の思い出になりました。

    この修行を終え、何か心の中にあるモヤモヤとした何かが取れ、すっきりとした心境です。
    何かを皆でやり遂げること、諦めないこと、そんな大切な何かをこの三禮で感じました。今後の人生を生きて行く中での今回の経験は必ず身になると思いますし、必ず身にしてみせます。

    本当に今回は辛い修行ではありましたが、感謝の気持ちしかありません。この修行に行かせて頂いた社長にも感謝ですし、叱咤激励して頂いたお寺の方々にも感謝しております。

    そして一番感謝したいのは、今回一緒に頑張った皆さんです。この気持ちを忘れず、明日より更なる向上が出来るように致します。今後何かに躓き、挫折しそうになった時は、必ず天光寺での修行を思い出し、乗り越えます。

    今回の一泊二日の企業研修を行う前に思っていたイメージとして、もっと精神統一など、自分と会話する行が多いと思っていましたが、実際は、あいさつの練習や写経、滝行といった苦しい行を行い、それに耐えながら自分を見付け直す行が多かったので多少驚きました。正直、私は小さい事からサッカーをやっており、体力には自信がありました。

    しかし、初日の挨拶の練習の正座で気持ちがくじけそうになり、自分のメンタルの弱さに気付くことができました。恐らく、一人でこの行をやっていたらくじけて途中でリタイヤしていたかもしれません。しかし一緒に参加した同期のメンバーの頑張っている姿を見て、自分も頑張ろうという気持ちになり、これがチームワークというものだと分かることが出来ました。なので、他のメンバーが苦しそうにしていて、自分にまだ余裕があった時は、自分が他のメンバーを助けようと思い、より大きな声を出すようにしました。つらそうにしている仲間がいる時は、自分がその仲間を助け、逆に自分がつらく助けて欲しい時には仲間に助けて貰うチームワークこそが会社という組織にもっとも大切なことではないかと思いました。

    学生の時は、友達を選ぶ際に、自分の趣味や好きな物、性格が合う人を選ぶことが出来ますが、会社の同僚は選ぶことはできず、特に仲良くしなくても仕事は出来るかもしれません。しかし、それでは、いい会社に緒はなれないと思います。やはり、いざという時に助け合える仲間を持つ事で、自分の為にもなりますし、ゆくゆくは会社の業績にも繋がっていくと思います。

    今回の寺修行を通して、一泊二日と短い間でしたが、仲間の思いやりや大切さに気付くことが出来ました。二十年後や三十年後に今回の寺修行の思い出をみんなで語り合うことが出来る日を楽しみにしていようと思います。

    この修行が始まる前の自分の目標として、自分を見付け直すという事と、集中力を高めるという目標を掲げました。集中力を高めるという点に関しては、一つの事だけに集中すればいい時は、集中する事が出来ると思います。しかし、正座をしていて足が痺れて来た時や、滝に打たれて苦しくなっている時などといった他の雑念がある時に、その雑念を消して他のことに集中することの難しさを改めて感じる事ができました。また、それが出来る様になって初めて集中していることだと思いました。しかし、滝行の最後の方は息苦しさも消えて、頭の中を無にする事が出来た様な気がしました。

    自分を見つめ直すという点に関しては、写経の時に言われた積極性がないと言う自分の欠点を再認識することができました。仕事において積極性がないと、上司や同僚に言いたい事が言えず、時にはそれが悪い結果に繋がってしまう可能性もあると思います。今すぐに積極的になれと言われても無理かも知れませんが、これも写経の時に言われた「男らしい」と言う言葉を自信にしながら積極的になっていこうと思いました。

    この研修で学んだ事を忘れずに今後の社会生活を頑張っていきたいと思います。

    企業研修としてこちらで修行させていただく前は、集中力が続かなく、会社で働いている時も連続した単調作業ではミスをたまにしてしまう事がありました。しかし本を読む時などは、集中出来るので、その作業に集中できていないだけだと思っていました。なのでこの研修では、どのようなことでも集中する事を目的としていました。またどのような事も我慢出来る忍耐力を鍛える事も目的としていました。

    企業研修、一泊二日を終えて、様々な考えが変わりました。まず始めに行った挨拶では、今までの人生で一番長い正座をしました。最初は声が小さいなどと言われましたが、後半では足の痛さにいつ悲鳴を上げようかとも思いましたが、誰一人文句も言わずに頑張っているのだから頑張ろうという仲間意識が生まれました。次に行った三禮では、途中、腰が悲鳴をあげながらですが、やれるだけのことをやりました。最近の自分の生活では、何かをやれるだけのやる前に諦めてしまう事が多く、やれるだけのことをやる、ということを今回久々に行い、思い直すことが出来ました。次に行った光明真言では、千回やると言われ、いつ終わるのだろうと思いましたが頑張りました。途中で自分が何を言っているのかも分からなくなっていました。しかし最後までやりきることができ、やりきると言う事を学びました。写経では、人より書く事が遅く、人並みになることの大事さも学びました。

    二日目、お百度参りでは、全力で走り、礼をしていき、全力を出すということも学びました。最後の滝行では、冷たい水の中、滝に入りあぐらで座るなど、信じられないと思いました。入る前に思っていたより冷たく、滝の勢いは強く、10分程入ると言われ、出来るわけがないと思いましたが、これは今回一番身に付けたかった集中力を鍛える機会だと思い、頑張りました。そうして今回の研修を終えてみると、様々なものを思い出し、身につける事が出来ました。

    仲間意識、やれることだけのことをやる、やりきる、人並みになる、全力を出す、集中力を出す、今思えばどれも初めから持っているはずのものでしたが、二十歳にもなるとできなくなっている事が多く、どれも出来なきゃ今後は辛いと言う事が改めて身に浸みました。今後、会社に戻り、ここで学んだことをぞんぶんに発揮していきたいと思います。

    また、今回法話を聞かせて頂いて、人脈の大事さ、お金では買えない幸せ、人との出会いなど、大変心に残る言葉を頂きました。自分の考えとは違う考え、人生論を聞くことで、新しく自分に取り込むことが出来る物が多く、自分も他社に自分の考えを話せるだけ、明確な形を持って行動していきたいと思いました。

    私の今までの人生は、すぐに弱音を吐いてしまい、諦めてしまう事が多かったです。なので今回の修行で「負けることのない強い精神を持つ」と目標を立てました。

    正直本音を言ってしまえば、今回の修行を甘く見ていました。遠足気分に近いと言っても過言ではないです。この甘ったれた気持ちを吹き飛ばしてくれたのは「挨拶」です。社会人になって一週間も経つのに、社会人として一番に出来なくてはならない挨拶が、なっていませんでした。挨拶の重要性は、研修などで教わりましたが、知っているだけで、実行に移せていなかったのだと、改めてこの修行で実感できました。何事も丁寧な挨拶を、これからもやめることなく実行していきたいです。

    この修行で一番自分自身の弱さに気付いたのは「三禮」です。三禮は全員がやらなければならないという団結力と、自分自身が止まることなくやり遂げられるかの、自分自身との戦いだと感じました。

    この三禮で、一番にダウンしてしまったのは私でした。体調があまり良くないから、と自分のハードルを下げ、徐々にスローペースになっていき、最後には皆に負担をかけてしまいました。私はこの三禮をしている途中で、自分の不甲斐なさに、情けなさと悔しさが入り混じり、涙を流していました。三禮では、自分の弱さを改めて実感でき、本当にやって良かったと思うことができました。また、8人全員のチームワークがより強くなった事を感じました。この8人は、出会ってまだ一週間も経っておらず、チームワークは無いくらいでした。しかし三禮を通して、互いに声をかけて励まし合い、時間が多少かかりましたが、達成することができました。私は、出会ってまだ一週間ない8人がここまで絆を深めることが出来た事が、とても嬉しかったです。さらにチームワークが強くなったと感じたのは「光明真言1,000回」です。誰一人やめることなく集中し、最後には部屋の空気まで変えてしまったと言う事に、とても達成感を感じることができたし、この8人だから出来たんだなと改めて思いました。

    修行一つ一つでは、とても厳しく体力的にも辛い事ばかりでしたが、それぞれの修行で得る事が多く、修行を行う事が出来たことにとても感謝したいです。まず自分の弱さを知ることが出来、更に少しばかりかも知れないが、克服できたと自分で感じることができただけでも、自分が成長したんだと思います。これから多くの苦難が起きたとしても、立ち向かうことが出来る自身を持つことができました。更に最高の仲間を持つ事ができました。この8人となら、何事も一緒に頑張っていけるという確信が持てました。

    社会人として、この修行で得たこと身に付けたを忘れず実行していきたいです。まず挨拶をきちんとする。これは絶対に忘れることなくやり続けていきます。何事も目標を持って取り組みたいです。この修行で出来ない事はないと分かったからです。前向きに上を目指して頑張っていきたいです。

    最後に修行を行う事ができて、本当に良かったです。ありがとうございました。

    新入社員研修が始まる前、私が始めに立てた目標は、社会人らしくなるということです。目標を立てた当時は、社会人らしさとして生活リズムをきちんと整えること、礼儀やマナーを身につける事を特に考えておりました。学生時代、特に生活リズムが酷く、夜遅くまで研究を行って真夜中を過ぎて家に帰り、その後にご飯を食べて寝る、という生活をしておりました。また忙しい時は徹夜で研究を続け、昼夜逆転の生活になることが度々ありました。

    長い間、体に染みついた悪習慣を正さなければと思い、目標にしました。また、アルバイトの経験もあまりなかったので、目上の人と会話するときに必要な正しい敬語や、礼儀作法も分かりませんでした。その為、教授と会話する時も「この話し方で大丈夫か」とぎこちない会話しか出来ませんでした。

    研修が始まってから、他にも多くのことが必要だと言う事を思い知らされましたが、今回の修行体験では、もっと大枠な生きることについてや、内面の強さについて多くの気付きを得る事が出来ました。まず初日の挨拶の練習では、動作を焦らずきちんとゆっくり行う事で、印象が大変良くなる、ということを実感致しました。三禮の修行ではきつくてもう無理だと言う所まで頑張っても、仲間の為にもっと頑張らなければという気持ちが起こりました。厳しい時程、他の人より力を出して、仲間を楽にさせてやらなければならないと言う事と、自分の限界というのは本当に気の持ち方次第であるとあると分かりました。

    この体験修行を終えて、今思えば学生時代は自分に対して随分甘かったのではないかと思います。今後、色々な事を身に付けていく際、強烈にそれを身に付けたいと心から思う事で、表面だけでなく内面からまず自分を高めていこうと思います。その時には、今回散々言われてきた、積極性をもっと表に出していき、仲間の為にも、と考えるようにしたいと思います。

    私は、この社員研修を受けるにあたり、目標とした事が二つあります。

    まず一つ目は「苦しいこと、辛い事にぶつかっても折れない心を身に付ける」です。今までの人生では、受験や人間関係などの思い通りにならない事は出来るだけ避けて楽な方法を探していました。学生までの内はそれでも許される面も多く、その環境に甘えてしまっていました。しかしこれから社会人になるにあたり、そういった自身を甘やかしてしまう心を変えたいと考えました。

    二つ目は「積極的な心構えを身に付ける」です。自ら何かに取りかかる事もあまりなく、周りの様子をうかがっていたり、人に言われてから行動をしていました。入社時に抱いていた「世界の人々の生活を豊かにする」目標を達成する為には、今のままでは何も変えられないと考えた為です。

    この体験修行の中で私は始めに目標とした事に加えて更に多くのことを身に付けられたと思います。一番大きく変わった事は「自分に対する自信」です。三禮を百回連続で行う修行で、最後まで出来た事に自分でも大変驚きました。足や腰など体中が痛く、何度もやめてしまいたいと思いましたが、同期達の頑張る姿を見て、自分ももっと頑張らなければという思いが自然と湧き出てきました。そのお陰で、やり遂げられたのだと思います。そして、やり遂げた後では、大きな達成感と共に、自分もやれば出来るのだ、限界を作っていたのは自分なのだと感じました。

    また、同期を信頼する気持ちと連帯感を得られました。同じように厳しい修行を行う中で頑張る姿を見て「この中には辛い事があっても投げ出す人はいないのだ」と思い、背中を預けられる安心感と今後も共に会社を支えていける喜びを得ることができました。さらに体験修行を受ける前に変えたいと思っていた自身の弱い面も唱えている中で、少しずつ変化が起きたと思います。最後の御宝号では、汗をかくほど積極的に唱えるようにまで変化しました。

    私はこの体験修行で得た「折れない心」「積極性」「自分に対する自信」「仲間への信頼と連帯感」を今後会社で働くに辺り、会社の一員として生活するにあたり、以下のように活かしたいと思います。会社や社会では思った通りにならず、苦しく辛い事も多くあるかも知れませんが、信念を曲げず夢の実現に向かっていきます。その実現には多くを実行しなければなりませんが、自分なら出来ると自信をもって行動します。会社や社会は私一人ではなく、多くの人と協力し、特にモノ作りをする当社ではなお強い協力が必要となります。私は仲間を信じ、全員で力を合わせていきます。そして、会社に戻ったら私が職場を盛り上げ、この気持ちを共有したいと思います。

    回のこの社員研修でお寺で合宿ということで、正直来る前は楽しい事が多いだろうと思っていました。でも、どういうお話が聞けて、自分に足りない物はなにか分かるかなと思って来ました。

    合宿一日目では、挨拶の練習で正座をする事が辛いと思いました。三禮を百回した時も「これも必要な事なのか?」と感じたけど終わって見ると、やり遂げたという達成感を実感することができました。

    二日目はお百度参りをして、滝に入りました。雨が降って、寒くて、痛いし、きついし、辛いと思い、もう何度も帰りたいと思いました。耐える事って凄くきついと思いました。でも、耐えた分だけ人の痛みも分かってくるし、何か目標を持たないと耐える力はつかないと思いました。でも、痛みが分かる分、人にも優しくなれるんだと思いました。

    住職さんが話してくれてる時に、どれも全部無駄な話じゃなく、大切なことだと素直に少し聞けるようになりました。礼をする事は人と人との関わりを大事にしてくれるものだし、何に対しても、感謝の気持ちを忘れちゃ行けないと思いました。人間その場その時でやるんじゃなくて、続ける事も大事だし、ここで学んだ事を忘れずに、絶対にどれか一つでも自分の物にしなくちゃいけないと思いました。自ら辛い事から逃げずにそれに向かっていける勇気をつけたいと思いました。住職のお話を聞いて、ふと感じた事は、すごく苦労してきたんだなぁと。最初来た時は凄く厳しい人だなと思ったけれど、よく考えて、よく聞いたら凄く優しい人だなと思いました。甘くしたり優しいだけが本当の優しさじゃなく、厳しさの中にも優しさがあるし、自分たちの事を思ってしてくれてるんだと思える事ができました。

    ここでした事は全部一つ一つ大切だし、これから生きて行くときに必要なことと思えました。そして最後の法話の時にすごく感動しました。自分を大切にする。自分を信じる。自分をコントロールできる。などありましたが、自分に当てはまる物がとても少なかったです。人に変わって欲しいなら、自分がまず変わらなきゃ駄目。本当にその通りだと思いました。まず自分が示せる人間にならないといけないし、将来自分は大きな人間になりたいと目標が出来ました。
    長いと感じたのが短く思えたこの三日間はすごく学ぶことができました。本当にありがとうございました。

    私はこの研修に来る前は、どんな事をやるのかどんな所なのか等、想像も出来ませんでした。しかし、参加してたくさんのことを学ぶ事ができました。

    普段あまりしない正座も長時間やっていると痺れや痛くなったりと最初は凄くきつく、辛いなと思っていました。しかし、その痺れや痛みに耐え、休憩や終了するまで頑張ると、達成感が出てきて凄く良い気持ちになりました。どんなにきつくて辛い時も、きちんと最後までやり通す事で自分にとってプラスになることが生まれるんだなと思いました。また、写仏や写経では、どんな事でも根気強く、真剣にやることの大切さをを学ぶことができ、これからの社会人生活では常に心懸け、活かしていけると思っています。また、焦らずにやることも改めて自分にプラスになりました。焦ってやっても何もいい事はおきない。いつも落ち着いて冷静にやり通す。この二つをいつも心懸けて社会人生活を頑張ります。

    朝の掃除では、積極的に自分から進んでやる事を学び、掃除するのは大変だけど、掃除した後きれいになったところや、自分から進んで掃除し、終わった後の達成感などの気持ちよさや、人から見られてもきれいだなと思われるような掃除をやりたいと思います。

    また、こういう集団や会社では、個人ではなく組織全員のことを考えて動かないといけないことの大切さを改めて実感しました。何をするにも個人ではなく集団、一人一人が会社の看板を常に背負っていることを考えて行動しなければなりません。その為には、今自分が何をすればいいのか、何をしたらいいのかなど、社会人として常に心懸けておかなければならないと思います。学生ではなく、社会人。社会人は自分の言動一つ一つに責任をもって行動していかなければなりません。その為には前にも言った通り、今自分が何をすればいいのか、何をしたらいいのかを考えて行動していかなければなりません。

    最後の法話で言われた通り、負けない気持ちを持って生きていきます。自分にとってマイナスなことばかり考えても良いことはおきないし、できないのはその通りだから、いつも「負けない」気持ちをもって仕事を頑張り、夢を叶えたいと思っています。自分がどう在りたいのか、どんな事をしたいのかなどをいつも考え、そのことを目指して頑張っていきます。「初志貫徹」は自分が常に心懸けている言葉で、最初に思い描いた事がどんなに厳しいことでも、その前に事の一つ一つを目標にして頑張ります。

    どんな困難につまづいたとしても「負けない」気持ちを持って前に進んで行くことを社会人として心に持ち、まだまだ社会人になったばかりだけれども立派な社会人になれるように、毎日を頑張っていきます。また、最高の親孝行を出来る様な社会人にもなりたいと思っています。

    この二泊三日の研修で学んだそれぞれのことを、これからの社会人生活に活かしていきます。

    私はこの社員研修に行く前は、とても楽しみでした。感じ的には修学旅行みたいなテンションで、修行等を甘く見ていてとても軽く乗り切れると思っていました。

    しかし、一日目の正座からお経を唱えるまでで、自分の甘さに気が付きました。正座は普段全くやっていないので、足は痺れ、感覚もなくなるぐらいの辛さでした。また、挨拶をやってみると声は小さいわ、きちんと言えないわで私達がどれほど毎日の挨拶を適当に行っていたのか分かりました。これらの作法は社会人、いや、一般人として常識的であり、出来なければいけないものです。それが出来ていないという事はまだまだ気持ちが入っていないと言う事です。時間が経っていく内に私は「もうやめたい」「何でこんな事やらなくちゃいけないんだろう」などと思い始める様になってしまいました。私は普段からすぐに弱音を吐いたり、消極的になったりと意欲が無いと自分でも気付くぐらいで、いつか直さないといけないと思っていました。

    一日目の修行が終わり、一段落出来たところで今日の自分はどうだったのか、積極的に取り組めたかを反省してみることにしました。するとやはり、反省する部分がいつもと同じ事ばかりでした。私は、もうこんな自分は嫌だし、今の修行で変えていくしかないなと思える事が出来ました。一日目の修行は最初だけしか集中力が続かず、三禮も最後は適当になっていたので、二日目は集中力を持続させ、目標を持って行おうと決めました。

    すると、二日目からは意欲が増し、自分に出来ない物は無いなどと、修行をする前から自信を持てる様になっていました。そこでは、お百度参りと滝行をしました。お百度参りは、やってる最中は雨が降っていて寒い中行いました。寒い中やったので集中力が切れそうでしたが、昨夜決めた事を自分で果たすと決めていたので、寒さとの戦いであり、自分との戦いでもありました。滝行でも自分の垢を落として貰おうと精神を集中させ、終わった後には自分は変われたと思えるようになりました。
    先生が言われた事は間違っていませんでした。そして、自分を信じて、積極的に行えばきっと自分を変える事が出来ると思いました。

    最後に先生の法話を聞いて、私は以前の自分を捨て、どんな困難にも逃げず取り組み、成功した時の事を考える事が出来る様な人間になりたいと思いました。また、この修行で学んだ事は社会人には必要不可欠な物なので、経験を活かして頑張っていきたいです。そして、人柄の良い人間になっていきます。私達を修行させていただいてありがとうございました。

    この度は企業研修として一泊二日お世話になりました。昨日こちらに到着した時の私と、研修が終わって感想文を書いている今の私は別人のように違います。

    到着した時の私は、まだどこか遠足気分でした。挨拶も「こんにちは~、○○○の8人です。」と行って、ニコニコしていたのを覚えています。今思うと社会人としてありえない挨拶と態度でした。その時に、天光寺のみなさんは深々と頭を下げて「ようこそお越し下さいました」と丁寧に言って下さいました。丁寧さと暖かさと厳しさを感じました。とても印象の良い挨拶を見せて頂きました。

    しかし、今思うと、その時から修行は始まっていたのだと分かります。最初の修行は挨拶の作法からでした。その時、つい数分前に天光寺の皆さんがして下さった挨拶を、完璧に身に付けなさいと言われました。大きい声を何回も出して酸欠になりました。ずっと正座だったので、足全体が痛くなりました。でも私だけではなく他のみんなも全員、大きな声を出して、声を揃えようとしているのが分かった時、一体感を感じる事が出来て、全員で一歩ずつ成長しているのを実感しました。今まで生きてきた二十二年間、挨拶の練習は何度かありましたが、過去最大に声を出している自分に気付きました。その時に「この修行が終わったときに、真の社会人になれる。」と頭で考えていたのを覚えています。これまでの二十二年間、甘えて生きてきたことが身に浸みて分かりました。「挨拶するだけでもこんなに心を込めなくてはならないんだ」と当たり前の事を意識していませんでした。

    挨拶の練習の後は、三禮百回や、お百度参り、光明真言千回…と厳しい修行が続き、体全体がボロボロになりましたが、ずっと「この修行に耐えられない人は真社会人になれないぞ!」と自分の体に鞭打って限界を超えました。きっと「真社会人(真の社会人)になる」という強い思いが私の体に届いていたんだと思います。それまでは、「自分に甘い」が私の特徴で、いつも辛すぎる事は後回しにしたり、逃げたりしていました。面接の時に「今まで自分を甘やかして生きてきたので、これからはADとして修行して強くなりたいです!」と言いました。正直その時はまさかお寺に修行しに行くなんて思っていませんでした。でもADとして現場に出て修行する前に、こうしてお寺で修行することが出来て自信が付きました。現場では教えて貰えないことを沢山学びました。皆さんに感謝しております。自分に甘い私のまま、現場に出ていたらと思うと…恐ろしいです。 今までなった事のないくらいの高レベルな筋肉痛になって、酸欠になって、頭痛がして、涙が出たくらい辛かったけれど、厳しい修行をして、朝早く起きて、野菜や山菜メインのお食事を頂いて、写経をしたり清掃をしたりしていると、心が落ち着いて、体の中がスッキリしたのを感じる事が出来ました。仲間とももっと仲良くなれた気がします。

    最後の法話で素敵なお話を沢山頂戴しました。「自分の人生の主人公を自分にする。」「良い舞台に立たせて頂いているのだから、良い役者になる。」「自分に出来ない事はないと自分で信じる。」特にこの三つが心に響きました。前向きな気持ちと言葉で自分を高めて、立たせて頂いている舞台に釣り合う役者に必ずなってみせます。

    二日間、誠にありがとうございました。お陰様でやっと真の社会人になれた気がします。これから更に沢山のことを経験して、立派な社会人になります。ありがとうございました。

    三日間の寺修行を終えて、社会人として、自分はまだまだ未熟なのだと、痛感しました。
    私の祖父は寺に通っていて、私も一緒にお参りしたりしていて、正座する事にもなれていました。
    なので正直ここに来るまでは、大したこともないんだろうと思っていましたが、実際に始まると、そんな余裕もなくなりました。

    一日目から正座しっぱなしで、あんなに正座したのも生まれて初めての経験で、こんなのがあと二日も続くのかと辛い思いでいっぱいでした。

    二日目はお寺に移動して、まずお百度参りをして、この時みんなでお互い声を出し合って、自分がやっている時もみんなの応援で頑張る事が出来たと思います。こにお時に、仲間が居る事の大切さを改めて感じることができました。

    この後は、人生で初めて滝に打たれましたが、息がろくに出来なくて辛かった記憶しかありません。滝には二度と打たれたくありませんが、その後の温泉は最高でした。

    この二日間を通して、自分はまだ学生気分で、社会人になってまだまだ未熟なのだと感じました。この先、自分が社会人として生きて行く為には、自分を成長させ、自分を変えなければいけないと感じる事が出来ました。

    では、自分を成長させ、自分を変えるためには、どうすればいいのかと考えていて、今振り返って分かりました。私がこの三日間逃げ出さず頑張る事が出来たのは、やはり仲間が居たからだと思います。

    私は小学校三年生から高校三年生までバスケットボール部に所属していて、辛い事もたくさんありましたが、今思うとチームメイトがいたから頑張ることができたのだと思います。 なのでこれから自分は、同じ職場の人達と、お互い助け合って仕事を楽しくする事ができればいいと思います。

    そして、それが自分を成長させる事にも繋がって立派な社会人になることが出来るのではないかと思います。なのでこのことに気付けた、この三日間は自分にとって貴重な体験であり、今後の自信になりました。

    私は二泊三日の研修でたくさんの事を学びました。
    まず初日では自己紹介や念珠の作法、挨拶の作法などを行いました。大きな声を出す事や、ゆっくり礼をする事など、今までの自分ではあまりやっていなかったけれど、挨拶ではされる相手の気持ちを考え、挨拶をするという大切さを学びました。三禮では今までやった事のない動作を三百回行い、途中から動作が上手く出来なくなってしまい、自分の集中力の無さに気付きました。その後、光明真言を千回唱え、最初から最後まで集中して唱える事ができました。初日では正座など、とても辛かったのですが、とても集中力を身につける事が出来たと思いました。

    二日目では、まず掃除からはじまり、掃除の時は行動が遅く、とても時間がかかってしまいました。自分たちが使った場所を掃除する事は当たり前の事なので、これから色々な場所を掃除する事になるので、研修での掃除を思い出して丁寧に素早く掃除をすることを心懸けていきたいと思っています。

    写経では最初の方で文字を書くのが乱れてしまったけど、途中から文字が安定してきて上手に書く事ができたので良かったです。お百度参りでは大きな声で唱え、走るという事を繰り返す事で途中からとても辛くなってきたけれど、強い気持ちを持って乗り切る事が出来ました。滝行では今までに感じた事がないくらいの冷たさですぐに出てしまいそうになったけれど、自分自身に厳しくする為にも、長い時間滝に打たれ耐える事が出来ました。

    二日目は修行を通して、特に精神力を身につける事が出来たと思います。今後、つらい作業などがあった時には、お百度参りや滝行の事を思い出し、辛い事やきつい事も乗り越えていきたいと思います。

    三日目の法話では、たくさんの事を学びました。生まれてきた意味や積極的に生きる事の大切さなどを聞く事ができて本当に良かったです。特に自分は物事をマイナスに考えたり、積極性がなかったりするので、三日目に聞いた法話をきっかけに、物事をプラスに考える事や積極的に生きる事などをやっていきたいと思います。

    三日間、色々な修行を通してこれから生きて行く上で大切な事を学ぶ事が出来たり、これから自分自身がやらなくてはいけない事を教えて貰う事が出来ました。また、自分は今までの人生の中でたくさんの事を経験してきましたが、これ程きつい事をしたのは初めてだと思います。この研修を経験して、忍耐力や精神力、集中力などたくさんの事を身につける事が出来ました。この研修でやった事を今後、色々な場面で活かしていきたいと思います。

    三日間の研修が終わって、初日に来たときと研修が終わった今では、とても大きな変化があります。

    まず、初日に来た時には、声の大きさがとても小さかったです。自己紹介の時や般若心経などを行った時は、まだ研修が始まったばかりで、少し恥ずかしかったのと、そこまで大きな声を出さなくても良いという考えがありました。でも研修をしていく中でそのような考えが、とても自分に甘かったと思います。しかし、研修で行を行っていく中で、恥ずかしさなどが無くなっていき、自然に大きな声が出せる様になっていきますた。
    研修の中には様々な行がありました。

    まず初日は、三禮を三百回しました。座ったり立ったりを三百回したので、終わったときには汗を凄くかいて、膝が真っ赤になりました。三禮の後には光明真言を千回全員で唱えました。最後の方は喉が枯れて、とても痛かったです。

    二日目はお百度参りと滝行に行きました。滝に入る時はとても寒くて、声が出せなくなりました。でも滝で頑張った後で温泉に入れてとても気持ち良かったです。夜は瞑想をして、今まで自分を育ててくれた親や友達などのことを考えていると、感謝の気持ちでいっぱいになり、自分はとても恵まれていた事に気付きました。
    三日目は法話を聞かせて貰って、自分は何の為に生まれて来たのか、何をするべきなのかなど、人生について、とても考えさせられました。

    三日間の研修を通して、初めは集中力や考え方などがとても甘かったけれど、研修が終わった今では、集中力などが鍛えられて、考え方なども変わりました。これからは、今まで自分を育ててくれた親や友達などに感謝し、それをこれからの人生で少しでも返せる様に生きていきたいです。

     

    この三日間、とてもきつかったけれど、様々な事に気付けて、とても良い経験になりました。

    私は研修で天光寺に来る時、どうせそんなには厳しくないだろうと言う軽い気持ちでここまで来ました。しかし来てすぐに考えが甘かったなと実感しました。一番始めに自己紹介を行いましたが、声が小さかったり、頭の下げる深さなど、気を付ける事がたくさんあってとても苦労しました。そのお陰で、挨拶の大事さを今まで以上に理解出来たし、動作の一つ一つにも気を配れる様になりました。次に挨拶の作法を行いました。全て正座で、礼は手の指先を揃えて三角を作り、頭は額を床につけて肘も床につけて礼をすると言う事でした。初めての経験で足が痺れたり、声の出し過ぎで喉が少し痛くなったりしましたが、こんな風に挨拶されると嬉しいだろうなと思います。

     

    三禮は最初二回と最後の一回の動きが少しだけ違ってて、動きになれるのに時間がかかってしまいました。みんなで行っていて、始めたばかりの時は、あまり声が出て無くてグダグダしていたけれど、途中から声と動きが揃ってきて、一体感がありました。やり終わった時、汗びっしょりでとても疲れていたのですが、とてつもない達成感を得られる事が出来ました。

    食事の時、いつもは特に何も考えずに食べて、嫌な物は残してゴミ箱に捨てたりしていたのですが、「食前の言葉」を聞いてから、感謝の気持ちを持って食事しました。嫌いな食べ物でも、しっかり食べる様努力していきます。

    光明真言を2時間程唱えました。正座ではなく、あぐらでも良かったので少しは足が痺れにくいかなと思っていたけれど、あぐらでも足が痺れてとても大変でした。ずっと光明真言を唱えていると「あとどれくらいで終わるのだろう」とか「自分は今一体何をしているのだろう」という考えが浮かんできて、心身共にとても辛かったです。一人で行っていたら絶対にやりきれてなかったし、辛さとかも倍くらい辛いだろうと感じました。仲間が居て、みんなで同じ辛さを味わったお陰で、仲間が居る事のありがたみがわかりました。また、光明真言を約二時間行った事は、今までの人生で一番辛くて、その辛さを乗り越える事が出来たので、自分に自信が付きました。

     

    初日の最後、写仏を行いました。大日如来の写仏で肩の近くの衣を止めている所が私にはハートの形に見えて、ハートを書いて提出したら、ハートを書いた人は今までいないと言われて、一人一人の感覚というのは、本当に違うんだなと感じました。

    二日目は掃除から始まりました。外をほうきで掃くように言われて、誰も返事せずに怒られてしまいました。そのことで改めて返事の大事さと声の大きさについて実感しました。 お百度参りはお寺に行って裸足で行いました。短い距離ですが、全力疾走して、大きな声で3回真言を唱えるのは大変でした。周りの仲間が応援してくれて、また一体感を感じる事が出来ました。

    滝行では水に浸かったとき、もう無理だ、諦めよう。と思ってしまいました。しかし、限界を超えると考え方が変わって、まだいける、頑張るぞ。と思えるようになりました。この時に、無理とか言ってすぐに諦めたら駄目、というのを実感出来ました。

     

    この二泊三日の研修を終えて、私はいち社会人として、オンリーワンの存在になりたいです。会社にとって居なくてはならない存在になれるように、日々努力して、積極的に行動して行きます。

    寺修行研修を終えて初めに思ったことが、今までの自分は精神的にまだまだ未熟だったことです。正直、寺修行に行く前は寺に行っても自己の成長に変化はないと思っていました。
    しかし苦行を乗り越える事で全く今までにない様々なことを学びました。寺に到着後、直ぐに行われた正座をした状態で1時間前後お経を唱え続ける修行や、滝修行、声出し、など書ききれない程修行を重ねました。この経験が私の考え方を変える事が出来ました。

    修行をうけている途中は、心の中に雑念、苦しみ、怒り、妥協といったものがありました。しかし苦しいからこそ全力でやる。文句を言う前に行動、積極的な考え方といった考え方で変える事が出来ました。
    寺修行での経験は、これから生きていく上で必要なものであり、自己成長させるものだと確信しました。この経験を生かし、会社でも全力で努力し、積極的に前向きに行動していきます。

    最後に、一般社会では体験が出来ない行、思想、意志を伝えて頂きありがとうございました。滝修行は本当に厳しかったです。ですが、一生記憶に残ると思います。苦しい時、落ち込んだ時は天光寺で学んだ事を生かしたいと思います。

    今回の目標は、修行を通して、たくさんの事を学び、成長につなげるということでした。実際に修行を体験してみて、感じる事、改めて考えた事がたくさんありました。以下、まとめて述べます。

     

    1.我慢の辛さと大切さ

    人生で初めて修行というものを体験し、一番感じたのは辛さでした。正座をして、足の痺れに耐え、何往復も同じ動きをする。普段ならば、足が痺れたら正座をやめるでしょう。動いて疲れたならば休むでしょう。その選択ができないという状況は、とても辛かったです。しかし、よく考えると、人生には我慢しなければならない事がたくさんあり、それをうまく乗り越えていかなければならないのです。最近の私の生活は、春休みということもあり、束縛の全く無い日々だったので、良い薬になったと思います。

    2.協力して生きていくということ

    二日間の生活で、清掃、配膳など、様々なことを全員で協力しました。食事一つにしても、作って下さる方がいて、器を並べ、お茶を注ぐ。そうしないと当然食事はとれないし、一人だととても時間がかかってしまう。やはり、一人一人の協力が一つになって、早い時間で準備が出来るというのは、素晴らしいと思いました。

    3.仲間の存在の深さ

    出会って間もない同期と一泊二日を過ごし、今まで以上に仲間意識が生まれました。辛い事を共に経験し、心細くなった時も、仲間の存在があることによって、大きな支えができました。

    4.自分を見つめ直す大切さ

    今回、自分自身を見直す事ができたと思います。お話を伺った時、心に残ったのが「自分を大切にする」ということでした。他人への嫉妬は、他人と比べていて、自分をきちんと愛せていないのかな、と思いました。人と比べるのではなく、自分の良いところを認めて、もっと自身を持ちたいと思いました。

    以上の4つの事を、今回学びました。これからは今後会社で勤める上で、とても大切なことだと思います。それぞれを生かす方法を述べます。

    1.辛い事や理不尽なことがあっても、自分の感情を落ち着かせればより良い判断をする。
    2.一人だけではない、集団なので、いかにスピーディーにこなせるか、相手を思いやるか、と考える。
    3.時にライバル、時に励まして、これからずっと支え合う。
    4.時々、自分の子とを見つめ直し、自分を愛し、自身を持って仕事に取り組む。
    このことを今後生かしていきたいと思います。とても良い経験になりました。

    私は、この研修合宿に参加するまで、正直甘く見ていました。しかし本当に参加してみると一時間あぐらでお経を唱えたり、お百度参りをしたり、男性は滝行をしたりと、私が考えていたよりも、遙かに過酷でした。最初は「研修なのに、なぜ修行をしているのだろう。」と考えていましたが、住職さんの話を聞いたりしているうちに、ここでは入社してから必要なことを学んでいるのではなくて、生きていく上で大事なことを学んでいるんだと気付きました。

    特に私が心に残った事は住職の法話です。最初はつまらなくて眠ってしまうのではないかと心配でしたが、そんなことは無用でした。「努力と知恵を使って生きる」という言葉に、私もそうやって生きれたら良いなと思いました。今まで死ぬほど努力をしたこともないし、知恵を使おうとも思ったことはありませんでした。何も考えないで生きるよりも、努力と知恵を使って生きる方がたいへんだし、エネルギーも必要になると思います。しかし、努力や知恵を使ったからこそ出せる結果もあるし、その時初めて人間として成長できるのかなと思いました。宗教のお話も、学校の授業より楽しかったので、素敵な知識が身に付きました。

    二日間を終えて今感じることは、辛いこともたくさんあったし、我慢もたくさんしましたが、それを乗り越えた自分がいることに驚いています。途中で何度も帰りたいと思いましたが、それを乗り越えたからこそ今の達成感を味わうことができました。これから社会人になったら。辛いこともたくさんあると思います。そんな時はこの二日間を思い出して、励みにしたいです。

    更に今回は研修合宿ということで、みんなと仲良くなる事も目的の一つでした。みんなで辛い事を乗り越えたからか、来たときよりも仲が深まった気がします。特に男性が滝行の時、女性は水に入らなくても、男性が滝行をしているとき、泣いて応援していました。男性もその声援に応えるように頑張っていたし、私はそのとき、このメンバーで入社できることをとても誇りに思いました。
    私は今、社会に出たばかりで、右も左も分かりません。これから少しずつ本物の社会人になれるものだと思っています。しかし、社会人になったからと言って、全てが自分の力でどうにかなる訳ではありません。常に感謝の気持ちを持って生活していきたいと思いました。

    二日間の企業研修がお寺での体験修行と言う事を聞き、私は自分に耐える事ができるのか不安でした。私の通っていた大学は仏教大学なので、友達に修行経験のある子もいて、話を聞いていましたし、私自身座禅の授業を受けた事があった為です。座禅の授業での私はというと、苦しくなるとすぐに姿勢を緩め、どんどん楽な体制にしてしまっていました。昔から、自分の好きな事のためなら、どんなに辛い事も耐える事ができましたが、苦手な事、少しでも嫌な事になると、すぐに手を抜く所があります。なので、今回の研修ではその自分の甘い部分を少しでも改善すること、そのために集中力を高める事を目標としていました。

    研修の初めは、声を大きく出す、など、あまり苦しいと感じる事もありませんでした。しかし、一日目の午後になると、足もだんだん痛くなり、同じ事を言い続けるという慣れない事もあり、少しずつ集中力が切れ始めました。私の中で、話している方の目を必ず見ようと決めていたはずなのに、できていない自分もいました。しかし、それに気付いても、今までは辛いという理由で直そうとしませんでしたが、今回はしっかり、自分に厳しく直そうと努力をする事が、少しはできたと思っています。

    ずっと座っていた中で、立ったり座ったりの動きの繰り返し、三禮は、久しぶりに泣きそうになる程辛くて、何度もやめたいと思いました。しかし、企業研修で、そんなことをしたら、この先の仕事に耐えていけないという思いもあり、形は崩れてしまい、正しくはなかったかもしれないですが、最後まで続ける事ができました。
    まだまだ未熟で、これから努力を続けないと、この自分への甘さが直ることはない事はよくわかっています。しかし今回の研修で、学生だった自分からは、少し成長できたのではないかと思います。これから社会人になり、組織の中で生きていく人として、もっと素早く行動していく事は課題だと思いました。時間に余裕を持つことも、場をわきまえて行動する事も、今回反省すべき点だと思うので、明日から意識して行動し、自分へ厳しく、社会人として自覚を持っていきたいと思います。

    2日間に及ぶ研修を終えて、まず第一に感謝の大切さを改めて知る事が出来ました。ご飯を食べるという日常的に行っている事にも、毎回必ず感謝の気持ちを述べる事によって、食べ物の有り難みを再認識する事が出来ました。
    もう一つ、この研修を行う前の目標として、社会人としての自覚を持ち、学生の頃の甘えた気持ちを捨てると考えていました。実際に研修を受け、今までに経験した事のない様々な事を行わせていただきました。精神的にも体力的にも想像以上にきついものでした。また何度かお叱りも受けました。しかし今現在の生活で、保護者以外の人に注意をして頂けるという事は、本当に貴重な事だと思いました。社会人への仲間入りをした今、私は今までの甘さを持つ事は許されません。その事に関しては本当にこの修行の厳しさが大変勉強になり、またこの2日間で学んだ感謝の大切さ、社会の厳しさや苦労など様々な事を得る事が出来ました。
    また、この2日間の中で行った内容によって、集中力が研修前と比べ、格段に高まりました。この集中力というものは、社会人としてかけがえのない能力だと思います。この高まった集中力を生かしていきます。

    2日間の研修は、本当に大変でした。しかし、その反面同期の方々と共に頑張る事で、一気に距離を縮める事が出来ました。
    この研修が始まるまでは甘い考えを持ち社会人としての自覚が欠けていると思いました。この研修で学んだ・感じた・体感した事を最大限に生かし、甘い考えを捨て、早く一人前に仕事が出来るように努力します。
    最後に「もっと積極的な性格なのだから、もっと前に出なければ」という言葉がとてもしっくり来ました。以前まで自覚していたはずの、自分の事を改めて気付かされました。この頂いた言葉通り、自らが率先として動き、常に成長していきます。この2日間の研修での事は一生忘れません。そして学んだ事を仕事に必ず生かしていきます。</p>

    私はこのような体験の出来る施設へ来たのは初めてで、最初は少しとまどいましたが、普段の日常生活ではとても経験できない貴重な体験でした。
    入社するにあたっての研修ということもあり、私自身気持ちを引き締めて挑んだつもりでしたが、社会人の基本である、大きな声であいさつをすることや、社会人になるにあたっての心構えなど、ごく当たり前の事でも自分自身が出来ていないと気付かされ、痛感しました。これから仕事をするにあたり、まだ私は何も分からない状態ですので、あいさつだけは誰にも負けない様なあいさつを心懸けていきたいと思います。
    また、お経を読んで集中力を高めたり、お百度参りや滝行をしたりと、とても辛かったが、今回の経験は、これからの自分の人生に大きく影響すると思います。仕事で何かあってもここでの経験を生かせたらと思います。また、今回のこの仲間とやり遂げた事は、一生心に残ると思います。
    この二日間で学んで、身につけた事をこれからの生活に生かし、日々前進していきたいと思います。

    五日間が何気なく過ぎ去ろうとした時、ふと頭をよぎる言葉と出会った。

    「毎日が勝負である」

    法話を聞く際、良くも悪くも、足が痺れるのが常である。ここで必要なのは、いかに耐えるかが「鍵」となる。もしあきらめてしまえば終わりとなる。やはり、耐えることは、勝負に勝つ事なのかもしれない。
    次の日になれば、勝負が始まる。この日は、天候に恵まれ晴れた。お百度参りと、滝のところへ向かう。何ごとも集中力が欠けると、せっかく築きあげたものが一気に崩れる。 一人の勝負も大切であるが、チームの勝負も大切なことだと、今一度気付かされた場面があった。

    滝は順番に一人ずつ入るが、私は最後になった。普通、自分の番が済めば遠くの方で見ている人が多いが、この時ばかりは感動した。
    皆が声援してくれたのである。当たり前のようでなかなか出来ない。過去を振り返ると恥ずかしい場面を思い出す。滝に打たれながら寒さに耐え、息をするのもやっとの中、心が現れて気持ちが良かった。

    又、人間一人ひとりの「気」について、野球の話と重なる部分があった。野球選手は、自分の為でもありながら、ファンを魅了させるために日々精進し、勝負しているのだと改めて感じた。 チームワークも大切であるのと同時に、個々の体調を整えるのも、明日会う人への心配りであり、チームワークで必要不可欠なものでもある。努力をすることも、勝負をするための活力となると感じた。ここぞという時に、安全を重視した心配りと健康でなければ、チームが良い方向へいくとは思えない。

    そして、人とコミュニケーションを取ることも、勝負をすることの準備であると思った。
    いくら親しくなったとはいえ、礼儀を忘れてはならない。慣れてくると気が緩んでしまい、相手を敬う事を忘れてしまう。簡単にできそうで、出来ないことの一つである。 しかし、両方の意見を述べることで、納得し、解決することも少なくない。これこそがチームワークの「力」を向上させる事でもあると感じた。

    「毎日」というのは、ただ単に勝負しているだけではなく、反省と、それに対する解決策を模索し、次の「勝負」に供えることであると実感した。一度「間」をあけて考える事も気持ちの整理をつける事であり、次に繋がると思う。

    さらに、バンガローの生活の中で、高校生と接した際、しっかりと礼儀正しくしていただいた事に感謝したい。私も見習う所があり、気持ちよかった。私の未熟さが恥ずかしい位である。

    写経、写仏、瞑想も、過去の出来事を細かく感じる事が出来て、これからも、この時の気持ちを持って何事にも挑戦したいと感じた。何事にも勝負する気を持って、練習していきたいと感じた。未熟なので、チームワークを大切にしたい。

    ゆとり世代と言われる私たちは、それ以前の年代・世代に比べ学校で学ぶ授業時間が短縮され、また世間では教師が生徒に対して甘いと考えられている。それ故、生徒の忍耐力の欠如が問題とされてきた。
    その様な中で、人生において約二十年という期間、様々な事を感じ学んできたが、やはり根気強さや忍耐力というものに欠けると、私達の世代の大半は苦言を呈されてきたであろう。そのため、今回のこの「行」は私達が社会という厳しい場に踏み出すためには非常に良い経験である。

    「行」を行う前に、社会人としてのマナーやモラル、忍耐力を養う事を目標に掲げ「行」へ取り組んだ。社会も企業もある一定の規則に則り動いている。
    挨拶や礼儀、相手を尊重する心、これらを法話を通して一層強く感じ取れた。私は、これから社会と言う場に踏み出すが、そこでは、今までの学生生活とは異なり、責任というものがより大きくなる。

    また、様々な経験を積んでいく中で、時には厳しい局面にも出会うであろう。これらには、自分自身に勝ち得る忍耐力を身につける事が不可欠であると感じる。
    厳しい環境に身を投じる滝修行経験は、正にそれであり、この良い経験を社会という場で活かしたいと思う。

    また、法話においては、夢を持ち続けるという大切さを改めて感じる事が出来た。常に信じる心を持ち、高く目標を持つことで、より豊かな人間性を養うことができると感じる。
    上昇志向であるということは、様々な試練にも勝る精神力を得ることができるであろう。

    今回のこの「行」は、社会人としての一歩を踏み出す私にとって必要な忍耐というものを少しでも得る事が出来たのではないかと感じている。
    やはり、ゆとり世代と呼ばれる私たちの世代が厳しい社会に身を置く為には、耐え得る事が必要である。社会は、一人の力で成立しているわけではなく、多くの人の力により築かれている。その中には、規則が存在する。正しく規律を守り、適切な忍耐を養う事が社会人であると、今回の「行」を通じて感じた。

    私はこの五日間の行を通じて思った事として多き鵜わけて3つの事を感じました。

    一つ目に感じたことは自分の未熟さでした。恥ずかしながら私は自分自身で大変我慢強い人間だと思っていました。なので、この五日間の行が始まる前までは行や、その行の間の正座は絶対に弱音を吐かずにこなす事ができると思っていました。
    しかし実際に行を行ってみると、慣れない正座に対してすぐ足を崩したいと思ったり、お経を読んでいる時に早く終わらないかと考えたりと、厳しい事に対して逃げの姿勢をすぐにとっていたのです。その自分自身の逃げの姿勢に気付いたのはほんの前日の事で、私が思っていた我慢強い自分はただの思い違いで、本当の自分は辛いことがあるとすぐに逃げ出したくなる情けない人間だという事に気がついてしまいました。

    しかし自分のふがいなさにがっかりする反面、この会社に入社したばかりのこの研修機関に気付けた事は非常にいい事だと思いました。
    なぜそのように思ったかと言うと、これから仕事をする上で、どうしても自分の思い通りに行かなかったり、辛くなったりすることがあると思います。でも今回の五日間の行で気付けた情けない自分の姿を今回戒める事で、もし逃げ出したくなるような事が起こった時に、今回感じた情けない自分を思い出す事で乗り越える事ができると思っているからです。

    二つ目に感じた事は、意味の無い事は無いという事です。
    今回の五日間の行を行っていく中で、正直に行の必要性を感じる事ができませんでした。私は無信仰なのでお経を読むことや、住職さんの話を聞くことは自分には関係無いと思っていました。その為、ただのノルマをこなすかの様に行を行っていました。

    しかし前日に地方から来られた住職の話を聞いて、この話は自分に関係ない話ではないと思い、思い返せば、今まで聞いていた話もとっても大切なものだったのではないかと思いました。お経にいたってはいまだに意味が全然わからないけど、それをやることで後々仕事をしていく上での大切な基盤になったりすると思います。なので、研修期間を終えて仕事をしていく上で前に述べたような時が来たり、今考えている事を思い出して頑張っていきたいと思いました。

    最後、三つ目に感じた事は、仲間の大切さです。
    これは今までも思っていた事なのですが、今回の行を行って、尚一層思ったので書きました。仕事をした時に出てくる喜びや悲しみ、不安や不満など色々あると思います。そしてこれを誰かと共感できるという事がとても大切だと思い、これからも大切にしていこうと思いました。

    私が、この五日間の行を通じて感じた事は、自分がいかに恵まれた環境で育ってきたかという事と、自分自身が社会人として生きるということをどれだけ甘く見ていたかという事です。
    私は北海道出身で、小中高大の学校をずっと実家から通える場所に進学してきました。なので一人暮らしをした事は一度もなく、今まで両親の元で育ってきました。

    入社して東京へ出てはきましたが、研修で宿泊する旅館では、掃除もご飯も全て旅館の方々がやってくれるし、何一つ不自由な事はありませんでした。それなのに私や同期の人達は、ご飯が冷めているとか、風呂が狭いとか文句ばかり言っており、なんだ全然親がいなくても頑張れるじゃないかと自身を過大評価していました。

    それが、天光寺の研修に来てみると、その考えは見事に打ち砕かれました。
    天光寺では朝早起きすると、すぐに隅々まで丁寧に掃除しなければいけないし、ご飯の時間にはみんなで協力しててきぱきと動かなければ、いつまでも食べられないという、生活していく上で当たり前のことがとても辛いものでした。
    滝や写経が辛いのはもちろんでしたが、修行以前の事で憑かれている自分にとても嫌気がさしました。その時に今まで自分がどれだけ周囲に支えられて生きてきたかを痛感しました。

    また、天光寺では色々なありがたいお話を聞かせて頂きました、その色々なお話を聞いているうちに、自分が社会人になるという事をどれだけ甘く見ていたかという事に気づかされました。

    私は元から競争心が強い性格で、社会人になったからには出世したいという意欲が人一倍ありました。しかし、ただそれだけで、どのような将来が望みであるかなどの具体的な夢は何も持っておらず、仕事を人より上手にこなせば出世出来ると思っていました。そこで、こうなりたいという夢を持ち続ければ叶うと言う話

    やって良かった。これが五日間を通じて一番思う事です。
    なぜなら、自分が行の初日に設定した目標が完璧とはいわないものの、ある程度達成できたからです。自分の目標は同期と仲良くなる事でした。それは私は人見知りでなかなか話しかけられずに、上手く同期と馴染めずにいました。しかし、同期のみんなと同じ生活リズム、同じ行を体験することで波長が合うように感じました。そこから自然に挨拶や感謝の言葉が出るようになり、会話も徐々にですが出来るようになってきました。人と話す事が好きなので生活は全然苦にならなく、かえって楽しいものになっていきました。ただ、お経は苦ですけど。

    また、ここで改めて思ったことは、みんなで一つの目的を持って、それを目指す事はみんなの決断力を深めたり、強めたりすることが出来ると言う事です。みんなで行を乗り越える事が、みんなが思っていた目的だったと思います。

    印象深かった事は、滝での行です。滝に打たれる前にみんなガンバレとか一声かけたり、かけられたりすることで自分自身を奮い立たせ、行を乗り越えられたと思います。滝に打たれ終わった後も、みんなの拍手がどれだけ暖かく、嬉しく思った事か。

    今回体験した事が実際仕事にどう役立つかは正直分かりません。明日、来週、来年、はたまた何十年後役に立つのかもしかしてずっと仕事には役立たないかもしれない。しかしこの体験は、明日には経験となっていて、ここで生まれた関係や思いはそうそう崩れたり、忘れたりできないものなのです。ずっと大切にしていきたいです。

    最後に、こんな一個人では体験できない貴重な体験をさせてくれた会社の皆さま、また、一緒に苦行を乗り越えた同期や先輩方に深く感謝します。

    天光寺さんで行われた、2泊3日の研修が本来の私を目覚めさせてくれました。
    滝行、写経、お百度参りは精神論を超えた超常間隔とも言うべき、自分の不要な殻がその都度、剥がされていく感じがしました。

    滝行では、おそらく気温は氷点下だったと思いますが、私たちより先に入滝した女性の方が微動だにせずご法号を唱える姿に人間の神々しさを初めて感じました。
    いざ、私の番になった時、入滝前の儀式の水の冷たさにある種の恐怖感を感じ、また入滝直後の頭から首にかけての激痛にその場から逃げ出したくなりました。しかし滝の前で社の先輩達がそして天光寺の方々が唱えるご法号が耳に入った瞬間、痛みは消え私の口からもご法号がでてくる様になり、体の芯が熱くなるのを感じ、自分のなかにもまだこんなエネルギーがあるんだと言うことを実感しました。それと同時に「言霊」の力について語ってくれた住職様のお言葉が理解できました。単語、音声、そして音のエネルギー、すばらしいと思います。

    また、お手本を下に敷いて、その上から写し書きしてよいと言われた写経。私は子供の頃から習字を習っていたので、簡単だと高を括っていましたが、仏様の前で硯に墨を擦ることがこれだけ心が鎮まるとは思いませんでした。しかし今度は筆を手にすると、なかなか上手く書くことができません。「人より上手く書いてやろう」という意識がそうさせる事をその場で指摘されました。

    私が一番つらそうだと思ったのは、お百度参りでした。私は肥満体質のため、小走りで行うお百度参りは、息が続かないと思いこんでいました。しかし、45分間走り、途中ご法号を600回も唱えたのに、あっという間に終わったという感じで、天光寺さんで貸していただいた行衣の背中の「南無大師遍照金剛、同行二人」と言う事を、身をもって感じる事ができました。

    これからは天光寺さんの行の体験、住職さんのお話を生かして、日々仕事にがんばり、家族を守っていきたいと思います。