天光寺ブログ
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病気の原因のほとんどの場合に人間の念、想いの力が介在してします。
人間の念の力、想いの力は、非常に強い力で、物理作用をも引き起こします。
心の中で想うということは、現象界に現れます。
あなたの病気も、霊障または、人間の念(生霊)かも知れません。
目に見えない他人の念の力(恨み、嫉妬)で、健康が害されたり、自分自身の念の力によって自らの肉体を痛め苦しめることもあります。
あなたも悪い念をもたずに、善い念をもつように心がけて下さい「返り念障害(生霊返し)」とは、自分が相手に発した(悪い)念が、自分自身に戻ってくる現象をいいます。
あなたの心から発せられた相手に対する憎みや恨み、歪んだ愛の念は、相手の心に、はじき返されて、あなた自身に戻ります。自分自身の念の力で、様々な悪現象を誘い込みます。自分が発した念の力で病気になったり、事故に遭ったりすることもあります。
また、あなたが相手に対して発した(悪い)念が、相手に障害を起こし、逆に相手から念を送られ障害を受けるケースもあります。このことを「加念障害」といいます。
あなた自身が悪い念を持たないように心がけて下さい。あなたが念を送った相手が、あなたより念が強かったり、何らかの霊的エネルギーに関わっている場合は、「返り念現象」が生じます。
人間の悪い念が働けば霊障がおきます。霊障、念障害も病気の一種なのです。
人間に憑依した霊を取り除いても、症状が改善されないケースがあります。
いったん症状が解消されても、再び表れる場合や転移した形で現れることもあります。「自念障害」とは、心配性の人、内向的な人が陥ることが多く、自分が発した(悪い)念が、自身に作用し、自ら病気になったり、事故、災難などの障害に遭う現象をいいます。
自分で抱くさまざまな不安や悩み、心配事などが他者に向けられることなく、自分自身の心に向き、圧力を加える状態です。
自念障害は、極度の不平不満や心配、悲しみなどが、心から離れなくなってしまい、その結果、体のあちこちに不調が現れ、情緒不安となり(悪い)現象を起こします。
心が外に向かなくなった状態は、心が正常に機能しなくなっています。
本来の働きが機能せず、肉体、感情、精神のバランスが崩れるので、体のどこかに不調が現れます。
心の中が暗い想念で満たされると、その暗い想念が、外界の霊を呼び込むこともあります。
その結果、絶えずくよくよしているような人は、病気ばかりでなく、霊障にも遭い易くなり、うつ病やその他の心の病(精神障害)になったりします。
いつも心を積極的に持ち、何事にも負けない精神力を持つように心がけてください。我々の肉体は魂を宿し、この世に生をなし、人生を繰り返し、最後もこの世で、死を迎えます。
しかしながら魂は、その後、いわゆるあの世の世界で仏として、輪廻転生を向かえ、やがて再びこの世に現われることを繰り返します。
愛する方が亡くなった時の悲しみは、計り知れません。
命あるものは、必ず死を迎えるという無常の儚さが存在し、悲しみとは別に現実を受け入れなければなりません。我々は亡くなった方の魂が癒されるよう「供養する」事、そして、あの世で静かにお休みくださいと、念ずる心が「あの世」となるのです。輪廻転生から、再びこの世に人間として生まれた私達は、ただ単に再びこの世に生をなしたわけではありません。何の目的も無かったら、有は生まれません。
目的と使命を与えられたからこそ、再び生まれて来たということに気づくことが人間としての成長・進化となるのです。真(まこと)の自分「自分は何者か」を悟るためには、真我を見極める必要があります。自分自身の魂次元の意識を、高次元の波動に合わせ、自分自身の生まれてきた目的は何なのか、それを知るために真我を見極めてください。
菩提というのは、悟りということです。
「悟り」とは何かというと、自分自身の心を如実に知る事です。
簡単な言葉ですが、深い意味をもっています。
菩提を中心の観念として、「大日経」では菩提心ということを説いています。
菩提、悟りというのはどういう事なのか、それは簡単に表現すると、「如実の姿をはっきりとらえ自身を知る」、自分の心を知る、自分を反省することです。人間にはいろいろな姿があり、それを全体としてとらえられることが、自分自身をとらえられる由縁であります。自分自身をとらえられるといぅことは、いろいろなことを如実に知る事です。人間は生きていく上で「反省、感謝、懺悔」が大きな武器になります。「菩提心」
悪をなくして善にいきようといる心
正しい教えによって自己の向上をはかろうとする心
迷える人々に利益(りやく)を与え悟りに導こうとする心12月6日土曜日午後6時より天光寺・年末懇親会を行いました。
本年得度を受けられた方、ご供養をなさった方、従来よりの縁者様、当山住職とご家族、当山従事者などが参加いたしました。
日常の食膳作法に則り、参加者全員で読経を行い、その後、住職の挨拶、縁者様代表の乾杯の音頭により宴の会は始まりました。
日頃は仏道に精進する方々も、この日は大自然の恵みに感謝し、また、生きとし生けるものの生命に感謝をいたし、年に一度の贅を食させて頂きました。
中締めの終わる頃には、参加者全員が各々に交流親睦を深め、歌に会話にと楽しい時を過ごさせて頂きました。
終宴前には、地元の名店 「手打ちうどん はたの」さんの「山菜うどん」も振る舞われ、檜原の味を堪能させて頂きました。
今回は多くの信者縁者様方が日程の都合にてご参加を見送る形となってしまいましたが、次回以降はより多くの方がご参加いただけるよう、配慮してまいりたいと存じます。
去る、11月8日、9日、天光寺住職 髙尾聖賢を始め天光寺信者縁者一行22名は、伊勢神宮勾玉会 武本俊会長の御招きにより、「第10回伊勢神宮まがたま祭」の参列、伊勢神宮内宮、外宮の参拝をさせて頂くという誠に有難いご機縁を頂戴いたしました。
早朝、各家々を出立した私達を、凛とした趣で迎えて下さいました豊受大神宮(外宮)に参拝をさせて頂いたあと、神楽殿で執り行われました史上初となる外宮での献茶式にも参列させていただきました。
第10回伊勢神宮まがたま祭に先だって行われました前夜祭には、神宮司庁総務部長 慶光院利致様始め、森下隆生 伊勢市長様、三重県議会議員(中村進一氏、辻三千宣氏、中川正美氏)、伊勢市観光協会会長、伊勢音頭保存会会長など地元各界の著名な方々、仏教界からは、第1回まがたま祭奉納者でもある有馬賴底 猊下(京都仏教会理事長 金閣寺・銀閣寺住職)、西郊良光 師(天台宗前宗務総長 横浜圓満寺住職)、また韓国仏教界からも、田 雲徳 猊下(大韓仏教天台宗前総務院長)の方々がご列席され、さらには翌日のまがたま祭御奉納者の内藤敏子様(日本チター協会会長)、外宮にて史上初めてとなる献茶を奉納された 財団法人 煎茶道小笠原流瑞峰庵 小笠原秀道家元、小笠原秀玲副家元が一堂に会するという華やかな宴席となりました。
御宴席の膳もまた贅を極めた自然の恵みの食の数々が並び、伊勢伝統芸能を耳にまた目にと、至悦の時を過ごさせていただきました。
翌、第10回伊勢神宮まがたま祭当日、勾玉池奉納舞台にてのチター演奏の御奉納、奏者でありました内藤敏子日本チター協会会長は皇室妃殿下のチターの師でもあられ、奏でられる調べには正に自然そのものを感じさせていただきました。
そして、生命の源となる皇大神宮(内宮)の御垣内参拝。
悠久の変わらぬ息吹きが私ども一行を荘厳な中にも優しさをもって包んでくださいました。神仏、宗教、国境、政治、理念をも超えた伊勢神宮まがたま祭の2日間、天長地久、万邦共和を願わざるには居られない時を過ごさせていただきました。
合掌
伊勢神宮勾玉会 武本俊会長(右側)と高尾住職