臼杵山 真言宗 天光寺

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企業研修の感想文・体験談

  • 「あなたは自分の人生において主人公になれていますか?」という住職の言葉が非常に印象に残った。
    自分の人生なのだから、自分が主役なのは当然のことではないだろうか、山あり谷ありの人生ではあるが、それなりに自分らしく生きてきたのではないか、と思っていた。だがそこに常に「積極的な心」があったかというと、自信を持ってそうだと言い切れないことに気が付いた。
    一度きりの人生だから自分の好きなように生きたい。しかし、多くの人と関わる中でいつも自分の思い通りにはならない。時には他人からの指示でやりたくもないことをやらなければならないこともある。それが社会の中で生きるということであり、仕方のないことだと考えていた。
    今回の合宿もまさに学校からの指示で参加したのであり、そこに自分の意思は欠けていた。そんな中で聞いた住職の法話には思わずハッとするものがあった。「積極的な心」で自分の人生の主人公となる。当たり前のようで、日頃からできていないことがある。そのことに合宿一日目に気が付くことができてよかった。
    ここで臨んだ各修行で、積極的に向かい、強く達成感が得られたのがお百度参りと滝行である。
    お百度参りではお参りをしている他の人に対する応援の掛け声が始めはなかなか上手く出せずにいたが、懸命に行を行う姿を見て、徐々に大きく声が出せるようになったと感じた。
    また、お参りを終えてこちらへ戻ってくる人の表情は大変清々しく、寒さや疲れなどが見受けられなかった。それを見て、より一層、行への期待が膨らんだのを覚えている。実際、行を終えると気持ちもスッキリとし、気乗りしなかった滝行にも臨めそうな気がしてきた。
    続く滝行では険しい山道を登る中で、緊張しつつも妙に興奮していた。順に滝に打たれる人を見て少しひるんだが無事にやり切ることができた。
    これらの行で気付いたのが、積極的に行動したときに得られる達成感はとても大きく「そうか、これが人生の主人公になるということか」と身を持って実感することができた。
    今後、日々の生活でも学業においても、なりたい自分を思い描き、それに向かい積極的に取り組むように心がけたい。

    今回のお寺での修行をすると聞いていて、正直つらいのだろうなとマイナス的な思考から入っていました。日が近付くにつれて、内容はやったこともないことばかりだと思ったので、体験することで何か気付いたりすることもあるのかなと、興味や好奇心も沸いてきました。
    学生時代の部活以来、体を酷使したり精神を鍛えるようなことは何もしてこなかったので、いい機会であると思えました。
    修行当日、実際に寺に向かうにつれ、どんどん山奥に入っていく道中に不安の方が大きくなりました。自分の日程として初日に滝行があったのですがあんなにつらいものであるとは思いませんでした。

    見た目から厳しそうではありましたが、やってみたらたいしたことはないのではとタカをくくっていました。自分の番で入った瞬間に、全く間違っていたと気付きました。入ったと同時にやめたかったのですが何とか少しは体験し、忍耐をためそうと数分間ですがやることができました。やっている間はまさに自問自答のくり返し、自分との闘いであったように思います。数分ではありましたが、思い出深い行の一つです。
    他に「三禮」は、聞いてはいましたが、想像を絶する肉体酷使で、数日間に渡り筋肉痛になやまされる内容でした。
    この時もやっている間、常に自問自答、やめて止まるべきか、ひたすら続けるべきかの連続。正直まともにはついて行けなかったものの、やり終えることができました。久々に達成感のような気分を味わった気がします。ただできれば二度味わいたくないつらさがありました。汗だくになり、床に水たまりを作りながらやったこの三禮も思い出深いものの一つです。

    また修行の間、基本的に自分のことは自分でやるという根本的なものがあり、ご飯を自分で用意し、自分で片付け、自分で布団を敷き、自分でしまい、自分で用具を出し、しまいということを繰り返してきて、忘れてしまっていた色々な事に気付かされた感じがします。
    自分で気付くことで、この先自分の糧や職場での人の接し方も少し変わるのかなという気もします。特に自分の子供への教育という部分でたくさんの知恵やヒントを与えてもらったように思います。

    最後の住職からのお話もそうでした。自身のこれからの人生やこれからの人と接し方、また自分の子供たち未来へつないでいくということの役割、重要さを再認識させられました。

    仏教というのは日本に深く根ざしていますが、宗教心を持った日本人は少ないように思います。自分もその一人です。
    あまり宗教的な事は嫌だなという気持ちが最初はあったのですが、堅苦しさや、押し付け的なことはあまり感じられず、恐らく無意識な部分も相まって、すんなりと自分の中に受け入れられた気がします。様々な場面での読経など、さもあたり前であるかのように終盤では特に感じられました。
    短い間ではありましたが、この修行では日頃しないことが多くあり、肉体的にも精神的にも辛いところがありましたが、得るものが多々あったように思います。「ひと回り成長しました」とまでは言えないものの、今後の日常での何気ない一言、言葉のちょっとした語尾などを気をつけることで、大きな変化に繋げられればと思います。

    住職、天光寺の皆様には大変お世話になりました。本当にありがとうございました。

    この度、天光寺で人生初の寺修行を体験しました。二泊三日の日程で甘くみていた分、精神的、肉体的に厳しい結果になりました。
    只とてもつらい三日間でしたが、私の人生はまだ長くこれから色々なカベにぶち当たると思います。
    又、この度の体験で色々な事を考え、見つめ直せたと思います。
    私はグループの一法人の代表取締役を任されております。
    その中での私の役割、司令責任を考えました。住職のお言葉でもありましたが主役と舞台の差を再度、見つめ直したいと思います。
    更に外でも内でも人と人とのコミュニケーションを大事にしたいと思いました。仕事とスキル、自分に負けない気持ちなども強めていきたいと思います。
    この度は3日間の辛い時間でしたが、これからの長い人生を悔いなく有意義な人生を送るよう頑張りたいと思います。
    ご指導ありがとうございました。

    私は、この研修に来る前までは人との接し方を表面的にとらえて考えていました。住職のお話を聞き、あいさつの大切さや、人との触れ合いの重要さを改めて学びました。
    自分自身の今まで行っていたあいさつの作法では、人との表面的なコミニュケーションはとれていても、より親密な関係までは発展していなかったと思います。
    住職より教わったあいさつの方法は人の目を見て自分が考えていたよりもかなりゆっくりとお辞儀をし、そのお辞儀を倒した時と同じスピードでゆっくりと戻す方法です。
    その際、親しい関係の人の場合は肩に手をそえる等、軽いスキンシップを入れるとより良い習い、自分の場合はどの様にしていたかを思い出してみるとスキンシップが足りなかったと思います。
    また「いらっしゃいませ」や、「ありがとうございました」なども同じ言葉の意味であっても言いまわし方法を変えるだけで相手に伝わる気持ちが大きく変わることを学びました。「いらっしゃいませ」も「ようこそお越し下さいました」「ありがとうございました」も「また、お越し下さいませ」に変えると確かに「多くのお客様」というイメージから「一人のお客様」に変わり、心が伝わりやすくなったかと思います。
    また、連帯感が生まれたと思います。今までは個人的な考えが多くみうけられ「自分が出来れば良い」と思っていましたが、会社という関係上、自分だけが出来ていても仲間ができなくてはいけないと考えを改められたと思います。あいさつの作法では全員がキチッとしたあいさつが出来ない限り、他の人達は全員正座で待っている為一人ひとりが気を抜かず、集中して本気で取り組んでいるのが伝わりました。
    自分の番の際は緊張してしまい、言うべき内容の出身地を言い忘れてしまい「他の皆に迷惑がかかってしまう」と思い「次で絶対に終わらせるぞ」と知らず知らずの内に自分の中にも連帯感が生まれたのを実感出来ました。
    その他の修行でも「自分だけがギブアップするわけにはいかない」と思い日常ではギブアップするだろう場面でも更に頑張れたと思います。
    正直な所「今回の修行は二度とやりたくは無い」と思いましたが、自分で考えていた限界は実は甘えであって本当の限界では無かった事がわかったので少なからず成果があったと思います。
    最後に行った誓いの言葉も共感出来る内容も多々あったので、自分になりに見直し自身に役立てるところは使っていこうと思いました。
    二泊三日と長い期間ではなかったのですが、この研修で学んだことを無駄にはしたくないので「あいさつ」と「連帯感」を忘れずに今後に生かしていきたいと思います。

    修行の目標、目的は普段より落ち着きのない自身の心にゆとりを持つ事、持てる事になる様になる事でした。厳しい修行を通じて自分なりの言葉の大事さ、物のありがたさ、人とのふれあいの大切さを、身をもって実感した次第でした。
    常に気持ちを前向きに保つ為、発する言葉から前向きにし、自分自身を後退させない様に後ろ向きの類の言葉を発しない、一度発した言葉は言霊として力を持ち作用するというお話や、修行を共にする仲間達とする食事のありがたさ、三度の食事を用意して頂いていた方々への感謝とふれあい等、自分一人では決して乗り越えられなかったであろう事を再認識し、改めて人とのふれあいの大切さを感じました。
    数々の修行を経て、少なからず乗り越えた事による生まれた自信が、これからの自身の生活に仕事に家族とそれに関わる全ての人達に、ゆとりの気持ちを持ち感謝の気持ちを持って接する事が出来る様な気がします。

    今後どの様な形で自分の変化が現れるのか、見ることが出来るのか、自分自身でも楽しみな面でもあります。
    修行を通じての再発見として、どの様な悩みや問題も自分自身を見直し、再認識することより始まり、人々との協力を借り解決していくという事です。
    少しばかりではありますが、私自身に生まれたゆとりを持って、これから出会う人達に少しでも手を差し伸べる事が出来たらと思います。

    またそうする事によって自身の成長を助け、人との縁を作り自分自身の土台、舞台を大きくしっかりとしたものにしていきたいと思います。改めてこの機会を与えてもらった会社と、この修行の場で出会った人たちと共に乗り越えた仲間たちに感謝すると共に、感じ得た気持ちを持ち帰り、明日より生活に生かしていきたいと思います。
    3日間という短い時間ではありましたが、大変にお世話になりました。有難うございました。

    2日間、様々な行を通して普段の生活では感じられない事や、新たな経験をさせて頂きました。自分が普段何気なく行っている行動も、少し気持ちを入れたり、意識を強く持つ事により、自分自身にも、また相手にも与える印象も大きく変わるのだと強く認識しました。挨拶ひとつもしっかり意識してこなかった自分を反省し、これからは気持ちをしっかり入れた挨拶を行うように心懸けます。

    行は全体的に想像を大きく上回るキツさでした。ある程度キツいのは覚悟していましたが、残念ながら部分的に身体がついていけませんでした。特に三禮では途中で自分が何をやっているのかも解らなくなり、足も言う事をきかず、いっそ座って声だけにしようかと、何十回考えたか分かりません。しかし一度休んでしまったら、起き上がれなくなってしまう気がしたので、一緒に取り組んでいる仲間の姿が目に入ると、休むことは出来ませんでした。一人で来ていたら、途中で休んでいたと思います。

    滝行も想像以上の水の冷たさにパニック状態となり、目を開けたり口で息をしたり、最初の数十秒は逃げ出したかったです。しかし、この様な状態になる可能性があることを、事前に教えて下さっていたので、だんだんと冷静さを取り戻し、最後までやり遂げられました。滝に打たれている最中は、何も考えられませんでした。不思議な空間を漂っている様でした。先生が滝から引っ張り上げて下さったときに、何故か分からないのですが、笑ってしまいました。無性に気分が良かったです。

    二日目の光明真言千回も、日常では決して出来ないであろう経験でした。同じ言葉を2時間かけてひたすらに千回も唱える。途中で先生の数珠を何度も気にしながら『本当に終わるのか』と苦悩していました。足・首・背中・腕・身体のいたるところが痛くて、ただひたすらに苦しかったです。でも時間は流れ、どんな事も必ず終わりが来る。良い事も悪い事も、楽しい事も苦しい事も、必ず終わりはあるのだなと感じました。

    様々な行から学んだ事を今後の人生に活かしていけるのか、それはまだ分かりませんが、諦めずに頑張る気力は高められたと思うので、人生にとって貴重な時間を過ごさせて頂きました。

    スタッフの皆様、同じ時間を過ごした皆様に感謝です。ありがとうございました。