臼杵山 真言宗 天光寺

〒190-0204 東京都西多摩郡檜原村小沢4040-1
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天光寺ブログ

  • 病気の原因のほとんどの場合に人間の念、想いの力が介在してします。
    人間の念の力、想いの力は、非常に強い力で、物理作用をも引き起こします。
    心の中で想うということは、現象界に現れます。
    あなたの病気も、霊障または、人間の念(生霊)かも知れません。
    目に見えない他人の念の力(恨み、嫉妬)で、健康が害されたり、自分自身の念の力によって自らの肉体を痛め苦しめることもあります。
    あなたも悪い念をもたずに、善い念をもつように心がけて下さい

    「返り念障害(生霊返し)」とは、自分が相手に発した(悪い)念が、自分自身に戻ってくる現象をいいます。

    あなたの心から発せられた相手に対する憎みや恨み、歪んだ愛の念は、相手の心に、はじき返されて、あなた自身に戻ります。自分自身の念の力で、様々な悪現象を誘い込みます。自分が発した念の力で病気になったり、事故に遭ったりすることもあります。

    また、あなたが相手に対して発した(悪い)念が、相手に障害を起こし、逆に相手から念を送られ障害を受けるケースもあります。このことを「加念障害」といいます。
    あなた自身が悪い念を持たないように心がけて下さい。

    あなたが念を送った相手が、あなたより念が強かったり、何らかの霊的エネルギーに関わっている場合は、「返り念現象」が生じます。
    人間の悪い念が働けば霊障がおきます。霊障、念障害も病気の一種なのです。
    人間に憑依した霊を取り除いても、症状が改善されないケースがあります。
    いったん症状が解消されても、再び表れる場合や転移した形で現れることもあります。

    「自念障害」とは、心配性の人、内向的な人が陥ることが多く、自分が発した(悪い)念が、自身に作用し、自ら病気になったり、事故、災難などの障害に遭う現象をいいます。

    自分で抱くさまざまな不安や悩み、心配事などが他者に向けられることなく、自分自身の心に向き、圧力を加える状態です。
    自念障害は、極度の不平不満や心配、悲しみなどが、心から離れなくなってしまい、その結果、体のあちこちに不調が現れ、情緒不安となり(悪い)現象を起こします。
    心が外に向かなくなった状態は、心が正常に機能しなくなっています。
    本来の働きが機能せず、肉体、感情、精神のバランスが崩れるので、体のどこかに不調が現れます。
    心の中が暗い想念で満たされると、その暗い想念が、外界の霊を呼び込むこともあります。
    その結果、絶えずくよくよしているような人は、病気ばかりでなく、霊障にも遭い易くなり、うつ病やその他の心の病(精神障害)になったりします。
    いつも心を積極的に持ち、何事にも負けない精神力を持つように心がけてください。

    我々の肉体は魂を宿し、この世に生をなし、人生を繰り返し、最後もこの世で、死を迎えます。

    しかしながら魂は、その後、いわゆるあの世の世界で仏として、輪廻転生を向かえ、やがて再びこの世に現われることを繰り返します。
    愛する方が亡くなった時の悲しみは、計り知れません。
    命あるものは、必ず死を迎えるという無常の儚さが存在し、悲しみとは別に現実を受け入れなければなりません。我々は亡くなった方の魂が癒されるよう「供養する」事、そして、あの世で静かにお休みくださいと、念ずる心が「あの世」となるのです。

    輪廻転生から、再びこの世に人間として生まれた私達は、ただ単に再びこの世に生をなしたわけではありません。何の目的も無かったら、有は生まれません。
    目的と使命を与えられたからこそ、再び生まれて来たということに気づくことが人間としての成長・進化となるのです。

    真(まこと)の自分「自分は何者か」を悟るためには、真我を見極める必要があります。自分自身の魂次元の意識を、高次元の波動に合わせ、自分自身の生まれてきた目的は何なのか、それを知るために真我を見極めてください。

    菩提というのは、悟りということです。

    「悟り」とは何かというと、自分自身の心を如実に知る事です。
    簡単な言葉ですが、深い意味をもっています。
    菩提を中心の観念として、「大日経」では菩提心ということを説いています。
    菩提、悟りというのはどういう事なのか、それは簡単に表現すると、「如実の姿をはっきりとらえ自身を知る」、自分の心を知る、自分を反省することです。人間にはいろいろな姿があり、それを全体としてとらえられることが、自分自身をとらえられる由縁であります。自分自身をとらえられるといぅことは、いろいろなことを如実に知る事です。人間は生きていく上で「反省、感謝、懺悔」が大きな武器になります。

    「菩提心」
    悪をなくして善にいきようといる心
    正しい教えによって自己の向上をはかろうとする心
    迷える人々に利益(りやく)を与え悟りに導こうとする心

    12月6日土曜日午後6時より天光寺・年末懇親会を行いました。

    本年得度を受けられた方、ご供養をなさった方、従来よりの縁者様、当山住職とご家族、当山従事者などが参加いたしました。

    日常の食膳作法に則り、参加者全員で読経を行い、その後、住職の挨拶、縁者様代表の乾杯の音頭により宴の会は始まりました。

    日頃は仏道に精進する方々も、この日は大自然の恵みに感謝し、また、生きとし生けるものの生命に感謝をいたし、年に一度の贅を食させて頂きました。

    中締めの終わる頃には、参加者全員が各々に交流親睦を深め、歌に会話にと楽しい時を過ごさせて頂きました。

    終宴前には、地元の名店 「手打ちうどん はたの」さんの「山菜うどん」も振る舞われ、檜原の味を堪能させて頂きました。

    今回は多くの信者縁者様方が日程の都合にてご参加を見送る形となってしまいましたが、次回以降はより多くの方がご参加いただけるよう、配慮してまいりたいと存じます。
    懇親会

    去る、11月8日、9日、天光寺住職 髙尾聖賢を始め天光寺信者縁者一行22名は、伊勢神宮勾玉会 武本俊会長の御招きにより、「第10回伊勢神宮まがたま祭」の参列、伊勢神宮内宮、外宮の参拝をさせて頂くという誠に有難いご機縁を頂戴いたしました。

     早朝、各家々を出立した私達を、凛とした趣で迎えて下さいました豊受大神宮(外宮)に参拝をさせて頂いたあと、神楽殿で執り行われました史上初となる外宮での献茶式にも参列させていただきました。

     第10回伊勢神宮まがたま祭に先だって行われました前夜祭には、神宮司庁総務部長 慶光院利致様始め、森下隆生 伊勢市長様、三重県議会議員(中村進一氏、辻三千宣氏、中川正美氏)、伊勢市観光協会会長、伊勢音頭保存会会長など地元各界の著名な方々、仏教界からは、第1回まがたま祭奉納者でもある有馬賴底 猊下(京都仏教会理事長 金閣寺・銀閣寺住職)、西郊良光 師(天台宗前宗務総長 横浜圓満寺住職)、また韓国仏教界からも、田 雲徳 猊下(大韓仏教天台宗前総務院長)の方々がご列席され、さらには翌日のまがたま祭御奉納者の内藤敏子様(日本チター協会会長)、外宮にて史上初めてとなる献茶を奉納された 財団法人 煎茶道小笠原流瑞峰庵 小笠原秀道家元、小笠原秀玲副家元が一堂に会するという華やかな宴席となりました。

     御宴席の膳もまた贅を極めた自然の恵みの食の数々が並び、伊勢伝統芸能を耳にまた目にと、至悦の時を過ごさせていただきました。

     翌、第10回伊勢神宮まがたま祭当日、勾玉池奉納舞台にてのチター演奏の御奉納、奏者でありました内藤敏子日本チター協会会長は皇室妃殿下のチターの師でもあられ、奏でられる調べには正に自然そのものを感じさせていただきました。

     そして、生命の源となる皇大神宮(内宮)の御垣内参拝。
    悠久の変わらぬ息吹きが私ども一行を荘厳な中にも優しさをもって包んでくださいました。

     神仏、宗教、国境、政治、理念をも超えた伊勢神宮まがたま祭の2日間、天長地久、万邦共和を願わざるには居られない時を過ごさせていただきました。

    合掌

    伊勢神宮勾玉会 武本俊会長(右側)と高尾住職

    先日ご案内しましたTBS「オビラジR」の「オビプレス」のコーナーの中で紹介頂いた「OLに大人気 身も心も癒される本格修行道場」の様子です

    MTVの取材で、キマグレンのお二人が体験修行にこられました。修行は、読経・瞑想・禅・水行と続き、最後に不動明王の護摩祈願によりお二人のご活躍をお祈りいたしました。

    ご報告が遅くなり、MTVの放送もすでに終了してしまっていますが、ご興味のある方は天光寺にて放送内容をご覧いただけます。

    また、MTVのホームページにて、修行内容の写真がご覧頂けます。
    天光寺では、お二人のさらなるご活躍と1stアルバム「ZUSHI」のヒット、海の家ライブハウス「音霊 OTODAMA SEA STUDIO」のご盛況を願っております。

    3月23日(日)、八王子学園都市センターに於いて密教セミナーを開催いたしました。当日は、各種教職に就く方々、会社経営者 、公務員、スピリチュアルヒーラー、接客業、会社員、ネイリスト、主婦、学生の方々と、多くのご参加を頂きました。
    ご参加頂いた方々、またセミナー開催にご協力頂いた方々に、改めて心より謝意を表します。誠に有難うございました。

    セミナーは高尾住職の「密教の歴史」からお話が始まり、真言や自我・真我、意識(こころ)に関する事、体験修行のVTR、読経(真言)の実演と進み、最後の「大日如来様のエネルギー(宇宙エネルギー)を体感していただくコーナーでは、体感を希望される方が多くいらっしゃり、予定時刻をオーバーする状況となってしまいましたが、希望者全員の方に「エネルギーを感じていただく事」ができました。

    また、セミナー終了後には、皆様ご多忙の折にもかかわらず、セミナーの感想等をアンケートを通じてお寄せいただき、有難うございました。

    また、今回、日時などが折り合わずご拝聴願えなかった方々には、同様のお話しや、体験を「体験修行」の中に組み込むことも可能となっております。ご希望の方は、メール、お電話にてお問合せ下さいませ。

    合掌

    人間は皆 光り輝く存在である

    「宇宙と生命体の関係」
    広大無辺なる宇宙、その中でも青く美しい地球の誕生は人類の永遠なる「謎」として多くの諸説を生んできました。今から約130~180億年前、ビックバン
    (大爆発)現象によって赤く燃え盛った星が衝突し、大きな火の玉が何百年もの間燃え、やがて冷えきり、地球の原形が出来上がりました。そのときの大爆発と共に大気中に浮遊していた目に見えない微粒子が地球内に入り込んだのです。やがて雨が降り水蒸気となり、雲が現れ長い間雨がふりそそぎ、多くの水分が溜まり「海」ができました。地球に飛び散った微粒子はその海に入り「生命」が芽生えたのです。これが地球上に存在する生物の期限となる生命体の始まりです。このように地球上の生物は、宇宙空間に浮遊していた微粒子から誕生したものであるといえます。つまり、このことが「私たち人類も宇宙で誕生した生命体である」といわれる所似なのです。私たち人間は生物誕生の起源から今日まで宇宙から賜ったエネルギーを体内に取り入れ、生誕と進化を繰り返しているのです。

    紀元四百六十三年、北インドとネパールの国境辺りの小国に誕生した太子が、やがて苦行の末、菩提樹の木の下で瞑想し「宇宙観」、壮大な宇宙の映像が頭の中に浮かび「悟り」に目覚めました。彼こそ世界の仏教尊「ブッタ」、お釈迦様です。ブッタは大日如来を中心として描かれている「曼荼羅図」によって大宇宙を表わし、極楽浄土を説きました。つまり宇宙は人類の原点であり、故郷であり、神が存在する浄土の世界なのです。私たちは誰もが皆、光り輝く存在として、この世に生をなします。そして光り輝く人生を送り、やがて「死」を迎え、光り輝く宇宙へと魂は帰っていきます。本来私達一人ひとりがそうなることが神の子としての道なのですが、残念ながら全ての人がその道を歩むちは限りません。不幸な人生を送る人、病気で苦しんで死を迎える人、心の病気で自らの命を絶ってしまう人、突然の事故により余儀なく死を迎えてしまう人…様々の理由で本来の道を全うできずに死を迎えてしまう人が沢山存在します。何故このように死の迎え方に違いがあるのでしょうか。お釈迦様にとっても、「生」「病」「老」「死」の四苦から人間はどうしら逃げる事が出来るのか、という事が最大のテーマであり、彼を修行の道に駆り立てた一因でもあると言われています。誰しもが逃げられない「死苦行」であるなら、いかにすれば幸せに、満足できる人生を送りあの世にあの世に旅立つことが出来るのか、そしてその答えはあるのか、これを『満願人生門答』言います。多くの聖人がこれをテーマに修行の道に旅立ち、悟り、説法してきました。仏教は長い年月を経て世界中に広がり、最初のブッタの教えから数多く枝は分かれし、現在のような形で定着しています。

    多くの高僧によって訳され、長い年月を経て受け継がれてきた経典には一字一句救いの願いがこめられ「魂」が宿っています。この経を口にし、声として表わす時、経文は「言霊」として生まれ変わります。人の心と魂に共鳴を起こし響きます。同時に自分の魂をもふるい立たせた心身ともに凛とした境地に入ります。これを経文と言霊の共鳴現象による心身浄化を生みます。又、腹から声を出すことによって腹式呼吸が活性化され生理的にも健康に良いことがわかっています。『臼杵山天光寺』の基本的「仏」一体の修行の第一がこの読経と瞑想です。大自然の凛とした静寂の中で行う読経は心と身体を研ぎ澄ませてくれます。「臼杵山天光寺」は、悩める方々の救済の場としてだけでなく、自分自身の精神を研磨し、自己改革を行う目的で立ち上げた「修業道場」です。

    潜在能力を開発し、独特の技法、施術、実技を会得し、他の人も癒す事が出来るような特技を身に付ける事ができるように開設された道場です。