体験修行の感想文・体験談
10代 体験修行 女性
これだけいても時間が足りない。まだここにいたい。そう思えた9日間でした。中学の途中から不登校気味になり、何とか高校を卒業し、浪人を経て大学に入るも、殆ど通うことができず休学も1年に延びてしまったある日、天光寺の話を聞き、またそのしばらく後に未来のことどころか自分の今の感情さえ分からなくなっていることに気付き、自分を見つめ直したいと思ったのがここに来るきっかけでした。
初めの5日程は慣れない生活とタスクに加え、周りは年下の子だらけという状況に手一杯になってしまい、自分を見つめ直すことが出来ず、5日目の途中には泣きながら「この状態ではここでやりたかった事が出来ない、出来る気がしない」という感想文を書くまでになってしまいました。もちろん、その5日間や他の修行者との触れ合いの中で学ぶことが出来たこともあります。他人のふりを見て我がふりを直すという事、目の前のことはやれば終わるということ、他人を思いやるということは、自らの感情と相手の行動について考える事ではなく、自分の行動と相手の感情について考える事であるということ、これらのことは、これからの人生の糧になってくれると思います。それでも、本当に自分がこの場所でしたかったことが出来ていない、という苦しさはどうしても募り、精神的に弱ってしまいました。
状況が動いたのは5日目の午後からでした。写仏中に他の修行者が寺の方に心情を吐露しているのを横で聞いていたのをきっかけに、「私だって言いたいことがあるのに」という気持ちを抑えきれなくなり泣き出してしまい、話を聞いていただくことになりました。その夜に修行僧の方にも話をさせて頂き、「苦しんでいるのは心の成長痛かもしれない」というような言葉を頂きました。今後辛い時もその言葉を思い出そうと思っています。その夜は単純に自分が疲れすぎてしまっていたのだと思っていましたが、今思えばそう簡単な話でもなかったのかもしれません。
6日目の夜、少々事情があり母に重大な告白をしたこと、その後寺の女性の方と話をしたことは、辛く、苦しく、でもとても大切なことでした。ずっと自分の中で抱えていた大きなことを、母を悲しませたとはいえとうとう言えたことは、その時はそれどころではありませんでしたが、1つ大きな「自分と向き合う」という事だったと思います。また、その後も話している中で出てきた「自分だけが自分の気持ちを分かってあげられる」ということ、「やってみて、それでも分からないと感じるなら、それは自分のやりたいことではない」ということは、自分の気持ちが分からなくなってしまっている自分にとって、1つの指針になりました。
7日目前半に6日目の夜が原因で精神状態を大幅に崩してからは、とにかく様々な人の優しさに触れました。先生、奥様、従業員の方、他の修行者の方、皆様とにもかくにも温かく、非常にありがたかったです。思えば初日から自分でも自分だと信じられないほどかなり長くの間動いて、頑張っていたので、抱え込みすぎないように、といろんな方が言ってくださったのが印象に残っています。
8日目に奥様にヒーリングをして頂いた後、驚くほど肩が軽くなり、また奥様に「自分の心を安らかに、そして周りの人の心も安らかにするヒーラーになりなさい」と言って頂いたことは、人生の転機になるかもしれません。自分自身と向き合うこと、人を助ける事、その両方を望んでいるからです。
9日目、私が何時まで滞在するか分かりませんが、名残惜しくなるであろうことは想像に難くありません。お祓いの件も含め、また色々と考え、家族と相談し、おそらくまた、ここに戻ってくると思います。
結びに、この修行中関わって下さったすべての方と仏様に、感謝いたします。本当にありがとうございました。

