臼杵山 真言宗 天光寺

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体験修行の感想文・体験談

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    都会に行くと人が変ると言われましたが、都会に夢を見たわたしは学校を卒業すると、実家を後に都会に出てきました。都会で過ごす楽しさや、都会で知り合える人々とは多くの刺激や交流で、あっと言う間の経年が過ぎていきました。

    私は今、三十路半ばになり振り返ることを知り、都会に出てきたころを振り返り当時の写真などを、アルバムの中から多くの思いを感じて感じ取っています。職場をいくつか変えたことも有るのですが、都会には都会人でなく地方の方の集まるところが都会という事を知り、真の都会人は少なく多くの地方出身者が蠢いている所が都会と言うのだと言う現実も分かりました。

    心境の変化なのでしょうか、ふと田舎を思い出したり珍しく電話したり、今までのはないことをし始めました。三十路で独りからなのか以前違い、交流できる友人や知人も少なくなって来ていることや、鏡に映る自分の素顔を見るたび想う微妙な老いが出てきていることに、驚かされました。

    ある著書で、人は外見でなく中身であると言うことを読んだ記憶から、以前であれば何も感じない心の中に芽生えた言葉を思い出したのも、体験修行を申し込む理由になりました。中身となれば、人間としての勝負と言われます。自分では果たしてどれだけの者なのかを知りためにも、体験を果たしました。体験は三泊四日でしたが、天光寺での体験では充実した教えや体験を通して、実のあるものでした。

    今まで感じたこともなかった、決断力を積極性を五感を活用することなど、目から鱗でした。自分を信じることや、相手への思いでは見返りのない愛情から自分自身を癒すことなど、得るものがありました。またの参加を思いつつ、感じ入った体験修行でした。

     

    今回私はこの体験修行を、夫婦で体験参加させて頂きました。結婚して6年経ちますが、今以上の結婚生活を維持するためには、何が足りないかを学んだり体験したりすることで、夫婦関係を見直す機会にしたく参加しました。

    修行では声の出し方から始まり、挨拶の仕方と基本の所作をお教え頂きました。教え頂いたことで、今まで知り得なかった夫婦でも相手に感謝することや、明確な言葉の伝達でお互いを認め合うことなどを知りました。

    私たちはお互いに仕事を持つ、共稼ぎ夫婦のため時差や行き違いがどうしても多くなる家庭でした。実のところ、住居のローンや今しか出来ない貯金等を考えた結婚生活なのですが、このままでは煮え切らないものがありましたので、天光寺の体験修行に参加した経緯があったのです。

    妻とは友人の紹介で知り合い一年後の結婚しましたが、どうしてもまだまだ遠慮がある生活をしています。よく言えば新婚生活みたいですが、子供も居ない夫婦二人の生活で潤滑油ではありませんが、実質的に他人から夫婦としての在り方を考える時期と判断しての参加でした。

    週末を利用した、わずか二泊三日の体験修行でしたが、初めて知るお互いの所作や行動に関心しました。妻も私の所作や行動や行いに興味を持ったのか、自然な笑顔を見せてくれました。他人同士が夫婦になるという事は、紆余曲折がありますが今にしてみれば体験修行で、分かり合えた様々から夫婦生活や家族生活に、頑張れるようなものになりました。

     

    天光寺さんの体験修行に申し込んだのは、誰かからの誘いや序ではありません。少しばかりの著書なども読みましたが、伝わってくるものがなくヤキモキした結果、行き着いたところが天光寺さんでした。

    何も知らない私ですが、数日間の体験ではなく一週間の休暇を貰い、体験修行に参加しました。案の定、初めは何も分からない異次元の話ばかり聞かされて、右往左往しました。当然なのでしょう、今まで信心も宗教心もない私には別世界の言語ばかりで、住職さんより易しく説明されなければ、外国語でしかありませんでした。

    多くの意味が有り教えがあるお経に驚き、お経の朗読には息が続かず、写経ではどうしても毛筆の動きが叶わなくなり、冷や汗ばかりの毎日でした。少しづつすこしづつ修行を進めるに、数日間過ぎて分かる安堵が出てきたことに、感動を感じたことを覚えています。

    けして優秀な体験修行者ではありませんが、自分では自分なりにささやかな喜びとして感じ取りました。体験修行では、さまざまな修行が項目されていますが、私の性格からは写経や写仏や瞑想で、心が洗われる思いでした。写経では心が表れるとされ、写仏では心の乱れが分かるとされ、瞑想では心情追求がなされるとお聞きました。

    修行では個々人の様々な心理作用が浄化され、還元され落ち着きをより戻すとされるなど、今回の体験修行では、感謝に耐えません。ありがとうございます。

     

     

    四十路の女が体験修行するきっかけは、過去の離別とか現在の運気向上とか、これからのささやかな幸せをつかむための、お清めが多いらしい。私が体験修行に参加して、これ見よがしに言えることは年増の女と言われ中年の女と言われても、自分の内なる信念を見返りのない愛情と言われても、現世において楽しめれる生活ができれば感謝し喜べると想うのです。

    人は死んでしまえば、何も残さず消え去るだけと聞きました。寂しさも、有ったものではありません。世知がない人生であっても、今を楽しく生きることとして、体験修行して自分を見つめ直すことができればと、参加しました。

    私の10代は何も変化なくすごし、20代は仕事に流されてばかりで、30代は結婚しないキャリアウーマンと陰口を言われ、気が付けば40代半ばでした。同じマンションに住んで約20年経とうとしています。小奇麗なマンションですが、訪問者も居なく只帰宅して寝入るだけの箱部屋でしかなくなりました。

    都会には私のような女が多いと聞きますが、通勤で見る多くの同年代と思しき女性を観ても、何ら代わりがない様子ばかりでした。人生一歩先を歩きたい、そんな乙女チックも有ってか体験修行で、気持ち気分を高揚できるのであればと風変わりな申し込みでした。

    体験先には様々な方が居て、様々な思いで修行をされていましたが、私のような者は居ませんでした。しかしながら、体験修行を消化していくうちに、今ここに居る方々には一念があり一心不乱に取り組む姿勢に感動し、我を失くしました。

    写経であり写仏でありお経朗読で、わき目も振らず直視された経本に入魂していたのです。美しくも有り、感動さえ伝わってきた空間でした。修行では、お百度参りや滝行なども用意されており、精神統一には持って来いの経験になると確信しました。今私が、この実益感動を多くの方に知らしめて、精神修養できる天光寺での「所作」や「行」を体験して欲しいです。数日間でしたが、感謝に耐えません。

     

     

    自分の不始末から、家庭崩壊し嫁や子供達と別れ数年立ちます。初めのうちは勢いがありましたが、10年近く日にちが経ち社会環境が変ってきていると感じたとき、ふと過去のことなど思いだりして殺風景な変化のない部屋の中を眺めていました。

    仕事先も何社かかわり、身に付いた仕事先でのこともなく、人生流され組の一人といえました。

    どうにもならないし勢いもない、孤独ではないと想っても話し相手がいない現実に、ため息ばかりが耳に吐きます。

    今の仕事先は何かと面倒を見ていただける上司にめぐり合えたのか、業務環境も穏やかに過ごしていましたが、社内の打ち合わせで意識開拓する人材育成に、他社からもたらされた企画ですが誰か寺院で体験修行をしてはと、私に白羽の矢が立ちました。

    今の職場も五年目になり、新人達に何かと先輩風を吹かして話をする機会があったせいか、指名されました。自分自身も仕事と言うより、自身を鍛えらるのかと言う気持ちがあり臨みました。ここは多摩の奥深い村にある、天光寺と言う寺院です。体験修行に毎年数千人が訪れる寺院で、厳格な体験修行では定評があり、有名な寺院でもあると聞きました。

    どのような修行がなされるのかは、申し込み時に電話で幾つか聞き入れましたが、実際参加して体験した経験では、説明以上の感動がありました。挨拶に始まりお経の読経へ進み、初日から翌日に入るとお百度参りしてから滝行で冷水に打たれ、心機一転すべく静粛な本堂での写経で心の乱れを押し込みました。脈打つ自身の血液が分かるほど、写経では集中して文字を一字一字書き進めました。人生では初めての経験でしたが、これもまた派遣されたと想っていた自身の考えと違い、勤め先への感謝に変っていました。

    修行先で知り合いになった方からも、新鮮な意見を拝聴できて、今までには感じたことない感動がありました。色々な方々が体験修行には参加されており、様々な一念を持っていることも知りえた体験修行でした。

     

    女ばかりの職場では、どうしてもいがみ合いが起こり、仲間はずれになった者は退職していく流れが多い現実です。私は高卒と共に看護学校に入り卒業して、地元では有名な大きな病院に就職することができ、将来を嘱望されて曜日も忘れる毎日を過ごしていました。勤務して9年経ったときには、看護班長にもなり新人教育も任される職責勤務になりました。そのような時、今のところは順風漫歩と想っていた矢先に、私の班長としての職責に何処からとなく陰口が入り始めました。

    時の総婦長に相談しましたが、これと言った解決策もなく提案もなく、同僚にも話を聞いてもらい解決策がないかと右往左往しました。私への陰口の発信元はわかりませんでしたが、初めての事でもあり体調が優れず寝込んでしまいました。数日間の休養を頂き、職場に復帰したのですがまだまだ体調が優れず、夜勤勤務では倒れてしまい他の職員を困らせてしまいました。

    総婦長から呼び出しが会ったのも、そんな時でした。多くを心配してか、私に向上心だけでなく人生の主人公になって欲しいことや、いい意味で開き直る勇気を持つことなどアドバイスを頂きました。いくつか話を頂いたアドバイスの中で、親戚で体験された修行があることをを促されました。

    東京は多摩の山村に、心身修行が受けられる寺院があり体験修行を受けることで、親戚がしっかりしたと言うのです。修行先では、さまざまな修行があるが「自己コントロール」「人との調和」「自身を癒す方法」など、体験できるとのことでした。

    わたしは数日間の休暇申請をして、体験修行の予約をいれ参加する運びになりました。四泊五日で、何か得られるものがあればいいと言う期待ではなく実益を考えました。寺院修行先には、数人の方が先に修行していたり、私の修行中にも新しく修行をする方が見えられ、年齢も性別も様々でしたが、一緒になって体験修行を学び教えられ体験できました。

    項目的には、お経朗読や御宝号の意味と発声、光明真言での有難さや仏様への感謝や写経や写仏や瞑想を寺院内で修行し、屋外ではお百度参りから滝行や川行を体験しました。仏門の体験だけに会得したものは少ないですが、少なからず体感して脳裏に納めたことがあり、喜びでした。

    住職からは「私には、絶対的な価値が自分の中にある」と積極的な自身の生命を大切にすることを教えられ、胸が熱くなりました。ありがとうございます。

     

    転職して数年が立ちますが、いまひとつ先の職場と現在の職場での格差に、身勝手であるのですが悩んでいます。気持ちが一つにまとまらないと言えばよいのでしょうか、過去の執着なのでしょうか今の仕事に集中できませんでした。

    体験修行は、帰宅時に入った居酒屋で隣で飲食をしていた方の話が、小耳に入ったのがきっかけです。気分と言うか日々の仕事にメリハリを就ける為にも、何かしたいと前々から考えていただけに、「奥多摩にある天光寺」と話されていた寺を頼りに探しました。検索したらすぐに場所や連絡先が分かり、早々に相談と申し込みが出きるのかを聞き、今の職場でのスケジュールを照らし合わせてから再度連絡する旨を伝えました。

    体験修行は、運よくすんなり決まり三泊四日の日程で参加できることになり、修行の内容も知らないまま期待一杯でした。当日が来て、心浮き浮きして参加しましたが自分が想っていた研修様子とは違うし、自分の甘さに恥ずかしさを覚えました。

    修行は挨拶の所作から始まり、次々に研修内容がはじまりすぐに午後になりました。めまぐるしく行われる修行に、ついて行くのがやっとで外界とも離れた寺での修行では時刻もはっきりしないままに1日目が終わりました。体験修行をされている方は私を含め7名でしたが、皆さん真剣に住職の話を聞き指導にも従順に従っていました。

    私の知りうる学校でも体験したことない環境と雰囲気に吞まれ、般若心経や御宝号や光明真言と、続けざまに声を大きくはっきりと発音するよう注意を受けながら、何回となく読経しました。二日目には、お百度参りから滝行入水と修行の醍醐味を味わい、共に参加している方と気持ちを一つにして修行できました。修行は続き、写経・写仏・瞑想・法話と進み、自分の意識の中に何か積極的に行わなくてはならないと言う、意識変化が出てきました。鍛え精進するまでには、まだまだですが入り口に立ったことは体感できました。体験修行で得られたことは、次回の参加を心に決め感謝で終わりました。

    思い余って体験修行に参加したわけではありませんが、何かしらを得られる機会ができる体感になればと思い参加申し込みをしました。

    地方から都会に出てきて数年ではなく数十年経つ私は、いつの間にか故郷も忘れ帰省もせずに都会の片隅で過ごしていました。風化された日常で、職場以外では誰からも話しかけられず、帰宅した部屋では勝手にテレビだけが放送報道とかドラマの音声を流していて、孤独を紛らわしてくれると言う歪な毎日でした。

    偶の休みでも声をかけてくれていた知人は既に家庭を持って忙しく暮らしているし、私の入り込み余地の無い単位になっていました。さりとて、仕事以外では只都会に住んでいると言う地方出身の四十路の婦人になってしまいました。都会なら生きていけますが、田舎では生きていけない年齢になってしまっていたのです。

    仕事が面白くなり、キャリア・アップして過ごしていた毎日がこんなにも部屋に帰宅すると、隙間風が心に吹き込むような部屋になっていたかと思うと、言い訳ばかりが優先してしまいました。会社の組織では生きていけるが、日常生活での自分はお隣さんがどのような方かも分からない、孤立無援の女でしかないと言われても反論できないものでした。

    そんな中行きつけの喫茶店で、女性誌を読み漁っていると記事で、現代女性の生き方に関する特集が在り、目を奪われました。その中にあったのが、精神修行をすることで女性度をアップすると言うものでした。様々ありましたが、写経や写仏や般若心経の朗読で、身を清める特集でした。

    普段の情報に飢えていたのか、記事に夢中になり入り込んでしまいました。体験修行はその中では、オーソドックスでありポピラーな修行として紹介されていて、参加しやすいものでした。参加する日を指折り数えて参加して驚いたのは、現実とのギャッでした。

    寺院には数人の参加者が既に研修を開始しており、所作等々でお世話になりましたが、振り返ると全てにおいて我が身を奮い立たせなければならないといけないものばかりでした。感謝があり感激があり、時には落ち込みましたが、参加した者だけに与えられる有益な体験でした。

    体験修行では外界との別離があり、社会の情報に振り回されずに心安らかに修行できると聞き、申し込み参加しました。都会の中で日々生活している私は、どうしても多くの情報(要らない物が多い)に左右され、落ち着くことも許されず流されていました。

    そんな私が、体験修行して何か変われることができようとは思いませんでしたが、初めは話の種と軽はずみな考えから体験することになりました。日時は、有給休暇もあり行く宛てもないのですが、四泊五日を申し込んでの体験でした。交際相手もいなく、独り部屋で過ごすことが多い私は、ささやかな希望を胸に秘めての修行でした。

    修行先では、一泊二日や二泊三日や一週間と様々ですが、多くの方々体験修行に参加されていました。年齢的には、中高学生もいれば大学生もいれば、主婦や成人の若者や同年代の方々や、先輩の方々を千差万別でした。みなさん、体験修行で何かしらを得ようとしている方々ばかりでした。

    私のような不埒な思いで、体験修行に参加されている方はいないような雰囲気に、私は恥ずかしくなりました。旅先で受け入れられる体験修行などがあるとは聞いていましたが、多摩にある天光寺での体験修行は、厳粛な中にも荘厳な格調あふれるものであり、生唾を飲み込んだのを覚えています。起床から就寝の間に繰り広がれる、精神修行と肉体修行にただただ驚きの連続でした。

    お経を教えられ読めば良いと言うものではなく、写経に至っては心の現われが露見してしまい、滝行や三禮では身体の冷却に凍えたり筋肉痛との葛藤に苛まれました。観光気分もすっかり消え伏せ、寺院内外での修行では軽はずみなことは出来ないと言う、修行本来の環境でした。

    御宝号や般若心経や光明真言を初め、その他お経の腹から出す声を震わして体験を過ごしました。されど、修行ばかりでなく、寺院で出される食事には精進料理ですが、日々の楽しみなりましたし、同じ修行を体験している方とは交流できたことでの、楽しさと嬉しさが出来た副産物がありました。

    瞑想や法話では、意味深い感じ入ることばかりで、お香が芳しい中での一時であり自分見直しでした。ありがとうございました。

    滝修行をさせていただきました。その節は大変お世話になりました。

    あの時お話したように、「日々の喧騒を忘れたくて、非日常的なことを…」と思い体験させていただいたわけですが、「ただ単に滝にうたれる」ことを想像していた私は「入滝、出滝」の儀式に痛く感動いたしました。
    挨拶、お清め、感謝などなど、日常軽んじていたことが荘厳に感じられ、本当に心の垢まで落ちた気分です。

    滝行後の精進料理、大変美味しく頂きました。ありがとうございました。

    会社を通じて天光寺を紹介されました。 ある日突然社長から修行でもして「気持ちを入れ替えてこい」と言われ、天光寺に来ることになりました。

    初日は、水行・川行・滝行を見学し、夜はヒーリングを受けました。
    水行を見学中、ある方が川に入ったとたん何かにとり憑かれたかのように動き、ビックリしました。そのときは、何が起きたのかわかりません。後で、高尾住職の話を聞いてなんとなく理解ができました。

    初めてヒーリングを受けたときは、何にも感じなかったのですが、二回目の日、ヒーリングを受けたときは、赤、緑、青、黄、紫などのいろいろな光を見ました。

    また、以前より腰痛のために、通院をしていましたが、ヒーリングの後、痛みが軽くなり、心と体が癒されました。天光寺には、多くの悩みを抱えた方が尋ねてきます。気持ちが落ち込んでいる方、病気の方、霊障の方、いろいろな方が来ます。

    高尾先生の力で皆、元気になり笑顔で帰って行く姿を見て、自分自身もやる気が出て、日々元気になっていくのが実感できます。これからは何があっても負けない強い心を持つことが出来ました。本当に感謝しております。

    天光寺さんに来るまでは、かなり不安があり、自分で本当に寺の修行など無理だと決めつけており、落ちつかない気分が大半でした。 自分のこの不安な気持ちを和らげるのと最初から何事もやる前から自分の心の決め付けを直していく。そして自分を強くしていくと言うのが今回の修行に参加することになった根本でもあります。

    まだ一日過ぎたばかりなので、まだわからない点が多いですが、一日目に行ったあいさつの作法から基本を学び、お百度参りは最初とても足が冷たく、体も寒かったのですが、行を実際にしている時は、足の冷たかったことも忘れ、体がかなり温まっていることを終了した際に実感しました。

    滝行ですが、これを実体験するまで、自分にはこの寒い季節に水の中に入ることはとてもできないんじゃないかと思っていましたが、他の行生の方を見ていく中で、自分もがんばらねばという思いが出て来て、何とか滝の中に入ることが出来ました。これも他の行生や先生方の力を借りて滝に入ることができたと思いました。
    実際に生きていく中で、一人では生きていけないということはわかっていましたが、改めて仲間意識とか家族の大切さを認識しました。

    まだ期間も残されていますので、残された期間自分の中にない部分を十分吸収し、自分を見つめ直し、自分の目的達成に向け着実に力を他の行生、先生方からも吸収し確実に自分のものにしていきたいと思います。 これから生活をしていく上でも、つらい時や楽しい時もあると思います。つらい時ほど、その事実から逃げたくなるのが本音ですが、つらい時には、天光寺さんで体験修行をさせて頂いたことを思い出し、実体験を乗り切りたいと思います。こういうことも全部含めて、自分の気持ちの切り替え、成長を確実にしたいと思います。

    まずはこういう機会を天から与えられたことに心から感謝致します。日ごろ中々経験できないことを出来た喜びもさることながら、行のみに精進出来る環境の中、己を見つめ直す時間を持てたことが大変有意義でした。 息子の正確改善、前に出ようとせず、埋もれることで満足している為、自分を律して前進することが出来ない点を何とかしたく、HPで天光寺を知りました。当初は息子を入れることしか考えていませんでしたが、妻に「あなたも入って来たら?」と言われ、「正月をひとりぼっちで迎えるのも寂しいだろうから」という建前で入山することにしましたが、内心では自分を変える一つのきっかけになれば、と考えていた事も事実です。

    昨年、人事異動があり、慣れない職場に転属、しかも時期リーダーにならなければならない状況は、自分の中では大きなプレッシャーでした。
    元々一つのことを極めなければ人の上に立つことは出来ないと考え、以前の職場で自己修練に励んできたのですが、今回は年齢と立場で上に立つことになった訳です。下にはより有能で、人脈の広い部下がいる現実、元来、人に言われた事を気にしがちの自分にとっては、自分をどう演じ、どう振る舞うべきなのか、少々迷いがちでした。

    そんな中での今回の修行は改めて、自分にとって価値あるものとなりました。住職のおっしゃる「自分の人生の主人公は自分である」という言霊は、まさに自分の信じるところを遠慮することなく突き進めと言われている様に感じました。

    今から二十年も前のことになりますが、テレビのディレクターとして、お昼のワイドショーの「人生相談」のコーナーを担当していたことがあります。
    離婚、暴力夫等、悩みを抱えている視聴者からの依頼に、弁護士と共に解決法を探るものでしたが、この時に色々な例に触れさせて頂き、「人との関係を修復、改善するには、まず自分が変わらなければいけない」ことを学びました。相手を変えようとすることが甘えに過ぎない、自分が変わる事は自体を好転させたいからであって「敗北」ではない…十分理解していたつもりでしたが、自分の人生を振り返ると、自分を律することをおざなりにし、相手に対する不安や愚痴を重ねてきたような気がします。

    昨日の滝行で御宝号を唱えて水をかぶった時の爽快感、そして、今朝大日如来の前で手を合わせている時に感じた目の前が開けていくような感覚、いずれも今後人生を生きていく上で生き方を変えられるひとつの「期待感」を掴めたように思います。
    その「期待感」はまだ曖昧な物で、こうすればたちどころに解決すると行った明確な輪郭を伴ったものではありません。 しかし迷った際に、仏前勤行集を開けばいつでもそこに戻れる「スタート地点」を確保することはできました。

    今まで十数年テレビドラマの仕事に関わり、数々の「舞台」と数々の「主人公」を構築してきました。しかし未だ自分の「舞台」と自分が「主人公」である物語の起承転結を考えたことはありませんでした。今回の修行はある意味で「転」となるものですし、またそうするべく日々前進していきたいと存じます。
    改めて皆様との出会いを感謝いたします。

    私が今回、修行体験をしようと思ったのは、日常に流されている中で、一度自分を見つめ直すと共に、違う環境・空間に身を置いてみたいと思ったからです。
    よく座禅をするとか瞑想をするとかを耳にするけれども、どうしたら心がすっきりするのだろうと思っていました。

    ここへ来て、作業の間に必ず休憩があることで、日々時間に追われ、常に頭を回転させ、体を動かしているリズムになれていた事に気付かされましたが、一息つく事は大切なんだなと改めて実感しています。
    忙しい中にも、ほっと一息つくことで、余裕が生まれることは、心と体を楽にしてくれるなと思いました。

    また、普段何も意識していない呼吸ですが、腹式呼吸や声出しをした時に、喉だけで出していると(表面的なもの)お経を唱えるのにもとても苦しくなってしまいますが、お腹から声を出す様にすると、肩などに力も入りにくく、体もあたたかくなってくる感じがあり、呼吸も大切なんだなと感じました。
    同じ動作で動かずにずっと同じ事を繰り返すのは、とてもエネルギーがいることだと感じましたが、繰り返すことで、知らず知らずに体が慣れ、集中できる事も感じられました。
    日常を流されているととらえるのか、日々繰り返していくことが大切であると捉えるのか、自分自身の捉え方で変わるのだと感じました。

    この修行体験で何も音のない、情報が入らない時間と環境を作ることは大切であるという事を学べました。