臼杵山 真言宗 天光寺

東京都西多摩郡檜原村にある天光寺では「企業研修」「社員研修」を行っております。「除霊」「お祓い」や「水子供養」「先祖供養」「護摩焚き(供養)」のご相談はもちろん、「ヒーリング」「体験修行」「滝行」「写経」「瞑想」といった半日体験修行ができます。

感想文・体験談

小学生・中学生 不登校修行体験の感想文

普段と異なる生活は非常に骨が折れる。座り方まで決められた生活、区切るところを区切られた生活。それでも三日過ぎてしまえばあっという間で、その時に苦に思った様々も思い返せばどうということはない。

これを通して思った一つ目のことは、過程がどうであろうと現在の自分がどう感じているかで大きく物事か変わるということだ。逆に言えば現在の私が過程である未来の自分にとっては、今はなんでもない。一時の苦労で後に大きな幸を手に入れることができるなら、それを後の私のためにやろうと思った。具体例を失敗から挙げるなら、遅刻とかであろう。欠席が溜まり、後に残るのは無だ。行っておけば未来の自分がどれだけ楽になるだろう、と。成功例を挙げるなら、受かった受験だ。勉強した分が全て自分に良い学校として返ってくる。したがって多少の代償を払ってでも、良い見返りのためには何かしようと思った。

二つ目のことは、それでも苦を受け止める、ということだ。流せば楽になるというのは間違いないだろが、流すだけのものに何の価値もない。受け止めて、次のことへつなげるというのが重要だと感じた。しかし、苦をただただ苦と受け入れるのは苦でしかないため、次に起こる幸に期待しながら、苦を実行していこうと思った。

また、この決められた生活から、課題が見えてきた。器用な人間はすべき事をリストアップして頭の中ですべて整理し、しらみつぶしにすべき事をすることによって全体を完璧にこなすことができる。必要なのは計画力と実行力だ。特に自分に欠けているのは実行力の方だと感じた。もちろん計画力も足りていない。細かいところでミスをするのは計画力を欠いているからだと思う。実行力を徐々に取り戻してはいるが、欠けているのは間違いない。そこで感じたのは、どう実行力を付けていくかということだ。欠いているものの身に付け方なんてそうそうわかるものではないが、普段から実行力を付けていく、というのが一番の近道だと思った。まず嫌なことに積極的に手を出すこと。そして、すべきことをすること。この二つを日常生活で意識していこうと思った。

前からずっと思ってきた、考えてきたことを、今回の滝行川行でより一層実感したことがある。少し嫌に感じることなんて、世の中には五万と存在する。苦痛に感じることも同様だ。そんなことに直面したときに、逃げそうになるが、逃げないための言葉を手に入れた。「人間、死ななければ大抵のことはやれる。」ということだ。人が行をしているときに思ったことだから、自分に置き換えた時に、これを適応できるかは分からなかった。しかし、実際に身を投じてみると、意外となんとかなった。

 

これらの体験から、苦に直面したら、「のちの自分を考える」「死ななければ大抵のことはできる」ということを大切にし、実行力をつけていこうと学んだ。

 

加えて、ここに来た理由を考えた時に、「適地適存」のようなことが足りなかったように思えた。謝るときに謝る、遊ぶときは遊ぶ、やるときにやる。メリハリとは違う何かが欠けていたのが全ての原因だと感じた。結局、すべしとしたいを区別して行動に移すことが大切だと思った。これを解決するために必要なことは、やりたくない方を選ぶこと、であろう。すべきことはだいたいやりたくないことなのだから、それを片付けておけば大方間違いはない。それをするためには、先に書いたような事柄が大切であるから、何を考えても「後の自分の事を考えて行動する」というところに帰着する。やはり足りていないのはそこであるため、今後はそこを意識するべきだと感じた。

 

これらだけで片付かないことがある。それは他人への気配りだ。自分のことなら「自分の後のこと」を考えれば良いのだが、他人への配慮というのはそうもいかない。これに関してはそこまでかけているとは思わないが、より充実させるには相手の視点で物事を常に考えること。そうすれば、おのずと道、つまりはすべき配慮が見えてくると思った。

 

これらの事から、他人には配慮できているが、自分自身に対しては甘い、良い言い方をすれば優しく、悪い言い方をすれば全てに対して楽観的であった。他人に優しく、自分に厳しくが、他人に優しく、自分に優しくになってしまっていたのだ。課題は見えた。自分の目標を目指し、課題をクリアしながらやっていこうと思う。他人に指摘されながらクリアしていくというのも自分に対する甘えであると思うから、頼るところと頼るべきでないところを判断し、最低限自分でこなせるようにしていきたいと思う。