臼杵山 真言宗 天光寺

東京都西多摩郡檜原村にある天光寺では「企業研修」「社員研修」を行っております。「除霊」「お祓い」や「水子供養」「先祖供養」「護摩焚き(供養)」のご相談はもちろん、「ヒーリング」「体験修行」「滝行」「写経」「瞑想」といった半日体験修行ができます。

感想文・体験談

体験修行の感想文・体験談

  • 私が天光寺にお世話になろうと考えた理由は一年前の理不尽な左遷について未だに気持ちを整理しきれていないからというものである。
    全く予期しないまま、明確な理由も告げられず、突然の内示となった際の衝撃や絶望、屈辱、困惑は今でも消え去っていない。また、当時の職場に対する不信感も引きずっている。
    そのような状態で一年間過ごし、何かにつけて「こんなはずではなかった。なぜ自分はこんなことをしているんだろう。」と考えていたが、十月に転機が訪れるはずと信じていた。にもかかわらず、現状が変わらないことが分かり、これからは日々、無駄に過ごすことなく毎日「今日は充実していた」と思えるようになろうと考えて前途の通りこちらにお邪魔した次第である。
    今の職場の同僚は皆実直に仕事に取り組んでおり、活気もあって全く不満はないし忙しく働けている。また、要は常に前向きの思考であり一年前の時点でも「今のままの職場だったら鬱になっていただろうから、転勤出来てよかった。悪い上司に当たっただろうし、どの職場でどの仕事をしていてもあなたの価値は変わらない。今の職場が充実しているのなら最高ではないか。」などと励ましてくれている。
    私自身としても少しずつ執着が少なくなってきているように感じるが、本当にそれでいいのかと自問する自分もいる。法話のDVDを拝聴して自念障害というお話が出てきたが、正に自分に当てはまる内容ではないかと思った。
    せっかく少しずつ時間や環境のおかげで心が中和されてきているのに、無理矢理元に戻そうとしているのではないか。多分性格的なものだと思っていたし、妻からも呆れられて「早く寺に行ってこい。」と言われていたが…
    そのような中、滝行に参加させて頂き前日の雨の影響で水量が増しているという小天狗の滝へ入っていった。想像以上の冷たさと衝撃で途中離脱したくなったが、お寺の方の「せっかくここまで来たのだから、止めるのはもったいない。」との言葉を思い出し、何とか最後まで入りきった。御宝号を唱えながらも心の中では「やってやる。やってやる。」と自分に言い聞かせていたが、これも法話の中の「負けてたまるか。」「やってやる。」と付合しており、こちらでお世話になった甲斐があったのではないかと得心している。
    また「人が自分を認めない心配よりも、自分が人を認めない心配をしろ。」というのもまさにその通りである。
    自分でも心の持ち方次第であるということは十分理解しているし、そうすべきであるとも分かっているが、足を引っ張ろうとする自分もいる。どなたかにはっきりとさとして頂きたかったのかもしれない。
    法話で教えて頂いた「積極的になれ。」「舞台を演じる役者になれ。」「光り輝く存在で生まれたのだから、光り輝く存在で戻らなければならない。」という言葉を指針に少しずつ気の持ちようを変えていきたい。

     

    空海様のお話を聞いて改めてすごい人であることが分かりました。どの場に行っても学問でも一位、中国のお寺でもその寺を継ぐ人と一目で人に認めてもらう事が出来る人、そのようなオーラがある人なのかと思いました。
    また、人は生まれて一番に守護してくれるのは「ビッグバン」とのこと。宇宙の誕生から、今の人間、自然全てが繋がっている事、それが曼荼羅である事、全てが繋がっているので安心にもなり、何かの良い悪い自分がした作用が回りまわって自分にも影響してくると思うと全てをなるべく丁寧にしていくことが大切なのかと改めて感じました。
    あとは意思強くポジティブに考えることで今も将来も現実になることで、日々良い思考で自分を満たしていたいと思いました。
    他にも「朝」というので、人が生まれる「十月十日」が字の中に含まれているなど漢字の意味にも宇宙の本質が入り全ては宇宙の法則の中で日本の文化も生まれてきたのだと思いました。
    宇宙の本質の理解、感じる事・・・
    自然と一体になる時間を増やしつつ、その中で安心を増やして強い意志を持ち、何か徳を一日一つでも得ていけると良いなとしみじみ思うことが出来た時間でした。このVTRの後に、直接住職からもお話を聞いて「徳」は家族とかの血筋により元々の生まれた環境により量は違うのかもしれませんが、普通の家族に生まれた私ですが、少しでも家族全体の徳が上がり、増すように行動と言動に気を付けて日々過ごしていきたいと思います。
    三日間の寺での生活、学び、寺の方々に感謝含めて有難うございました。

     

    修行体験、法話を通じ多くの気付きや学びを頂きました。法話の中で一番心に残っているのが「無意識はごみ箱である」のお話でした。我々が生きていくのに必要となる行動、活動の多くは無意識にて行っているものの、この無意識の中に悪い感情などを溜め込んでしまう。これが結果として体に悪い影響を及ぼす事を改めて認識させられた次第です。日々の社会人の生活の中、仕事をしているとプレッシャーやストレスを多く受け、それを溜め込んでいます。時間や仕事の成功に対するプレッシャー、日々の業務が想定通りに進まない事に対するイライラから来るストレス。これらを溜め込む事が身体に悪い影響を与えつつ、何もせず心をすり減らしていた事を感じています。だからこそ重要であるのが「人間力」であり「積極的な心」である事を理解致しました。「人間力」はやり遂げる力、成し遂げる力であると理解しました。困難に向き合った際、苦しいと感じた際、これくらいで良いかと妥協点を探そうとする。自分の生活の中での思考を思い返すと、そのような考え方がクセになっていると思います。「積極的な心」に対しては自らチャレンジする意識を極力持ち行動する事を心がけているものの、「人間力」が足りていない事を実感致しました。また「悟りとは如実に自分を知る事」とのお話を頂き、先ずは今の自分を知ることが一歩目となると考えております。我々は過去、現在、未来をつなぐ中で生きており、前世などを考えると「自分を知る」事はたやすいことではないと思っています。また、顕在意識や潜在意識、その先に続く大いなる意識体と理解することで悟りが見えてくるのだと思いますが、顕在意識のなかで見えている「自分」を認識する事、その後潜在意識の自分を知っていくことが次につながる事であると思います。
    また体験修行においては所作から学ばせて頂き、日々の所作をいかに意識せず動作としてしか行っていなかったかを改めて気づかされました。日々の所作を意識していくことを心がけます。滝行においては自分の思考であるマイナスのイメージから入る事に気づかされました。水が冷たかったらどうしよう。上手くできなかったらどうしようなど。その後自然に対して反抗しようと体を強張らせるなど身を任せられていない事も実感しています。体験、勉強させて頂いた事を今後日々の生活の中で活かしてまいります。

    以前より寺泊、宿坊体験には今日意味があったが、この度は天光寺さんにて体験できたことに感謝致します。
    基本的な所作・作法から始まり、お百度参り、般若心経の経読、滝行、写経と修行致しました。今年私は30になりますが経読を除いては初めてであり、また一つ新しい世界を見ることが出来たと感じております。
    私自身は“一応”仏教徒ではありますが、それを意識するのは定期法事や葬式、仏壇の前で手を合わせる瞬間くらいで限定的なのが正直なところです。今回の修行では自分が仏教徒であることを再認識できたように思います。
    「百八の悩みが人間にはある」とよく言いますし今回もその話を聞きましたが、私も私生活では人間関係、仕事でも悩みを多くかかえております。20代では気にならなかったことが、30代になって一度露呈したように思いますが、人生行き詰ったときや上手くいかない時こそ今回のように静かに自分と対峙する
    時間を持つことが大事だと学びましたし、これからはそのような時間を持つことを心がけたいと思いました。

    以前より寺泊、宿坊体験には今日意味があったが、この度は天光寺さんにて体験できたことに感謝致します。

    基本的な所作・作法から始まり、お百度参り、般若心経の経読、滝行、写経と修行致しました。今年私は30になりますが経読を除いては初めてであり、また一つ新しい世界を見ることが出来たと感じております。

    私自身は“一応”仏教徒ではありますが、それを意識するのは定期法事や葬式、仏壇の前で手を合わせる瞬間くらいで限定的なのが正直なところです。今回の修行では自分が仏教徒であることを再認識できたように思います。

    「百八の悩みが人間にはある」とよく言いますし今回もその話を聞きましたが、私も私生活では人間関係、仕事でも悩みを多くかかえております。20代では気にならなかったことが、30代になって一度露呈したように思いますが、人生行き詰ったときや上手くいかない時こそ今回のように静かに自分と対峙する

    時間を持つことが大事だと学びましたし、これからはそのような時間を持つことを心がけたいと思いました。

     

    この度天光寺の一泊二日の修行体験を受けさせて頂いて普段の生活では経験できないことが体験できないことが体験できたように思います。
    お百度参り・滝行・お経と実際に体験して本当に厳しいものだと、修行とはこういうものなんだと、ほんの一部かもしれませんが感じることができました。
    様々な情報が溢れる現代の世の中で普通に生きていると思い生活してきましたが、自分が生きる事についてどれだけ無関心に、どうでも良いような事を気にして生きてきたのか気付かされたように思います。
    日々の生活や仕事の中で人間関係によるストレスを感じる事もあり、はらを立てたりにくんだり余計な感情を長い間持ち続け、人と比べて自分には何もない劣った人間だと自信を無くして投げ出したり諦めてしまう事が多くあり負の感情が常に存在している状態になりますが、これから先どのような生き方をしていくのか自分を信じてなりたい自分に近づける様に強い信念を持って日々の生活を送って行きたいと思います。
    一泊二日の修行体験の間に思いがけず様々な理由で中長期に渡り修行を行っている若い方々とご一緒させて頂きました。
    若い方と接する機会も中々無いことなのですが、年齢差に関係なく接して頂いた事で若い方々の素直さに触れる事ができ、とても素直な気持ちにさせて頂いたと実感しております。
    この機会を頂いた天光寺の皆様ならびに修行をご一緒させて頂いた皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。
    天光寺様の益々のご発展をお祈り申し上げます。

    ご法話拝聴させて頂きありがとうございました。身体が疲弊しすぎていて掃除をしていても、立てない、立っていられないくらいへにゃへにゃで、この疲労の根本をずっと考え悩んでいるのですが、分からなくて困っていました。この三日間の内も、疲労・疲弊は止まらなく、修行する体力・気力さえないんだと、病院のベッドが自分には似合っているな。。。というのが今の心境です。朝が一番だるく、床から起き上がれない程の気だるさと共に一日が始まっています。自分でも気合を入れ、手を合わせてから起床するのですが、気持ち良く起きることが出来ません。ですが、あきらめない、ちょっとやそっとのことでくじけない、負けない、どんなだるさも慢性的な疲弊も、くじけず、あきらめず、立ち向かい、勝つことが出来たら良いなと思いました。私は勝ち負けというのが嫌いだったのですが、自分に負けることをいとわなかった結果が今だなと思うので、「勝つ」という「気合い」のそのまた上にある結果、visionを大切にしたいと思います。私にはもう仏心は残っていない、生きているうちに成仏はできない、汚れた心、もうあの当時の純粋な愛をもった自分には戻れない、自分は愛の表現ができない、とやさぐれてはいけない。愛がある!!愛を表現できる、体から愛がにじみでている人間になりたいから、やっぱり打ち勝っていきたいなと思います。今回ここに来た理由として小さい時に不登校・対人恐怖がありさらに幼少期は、自家中毒という、この世間のプレッシャーに、機能停止の自分がいました。その時の自分にできることとして自分が神の子であるというあたたかな気合いと、寺での時間が必要だったであろう。と思い体験修行に来ました。規律正しい生活ですが、言霊と、愛にあふれた時間でした。一人一人が、自分の仏心・仏性をみがく為にいるという高い目標を持っているというその場の一人でいられることにとても安全で、ありがたい場所どと思いました。普段の生活ではなかなかそこまで高い目標をもって生きている人にはあえませんが、率先して、高い目標をもって生きていきたいです。自分の気合いは、文章の中だけで、実際問題そううまくいかないと思います。ですが、今回の宿泊を通して、得られたことがあると思うので、生かしていきたいです。元気な姿で戻ってこれたらいいなと思っています。天光寺を造られました先生、ありがとうございました。一月の寒空の下の修行のお話びっくりしました。先生は強すぎます。数々の事業のお話も尊敬です。頭が良いのも。私も自分ができる努力をします。皆様ありがとうございました。

    今回こちらに修行をお願いした理由が、ここ数か月何をしても身に入らず、常にマイナスな事を考えてしまう、自身の気持ちをコントロールできずイライラし人にあたりちらしてしまう、などがありました。自分でわかっているのに自分自身が分からない、一度心の中をリセットしたい、という気持ちで参りました。

    最初の呼吸や瞑想をした時に頭の中が無になり、イライラが消えたのを感じました。イライラやマイナスな気持ちは私自身がよびこみ、そしてさらに増ふくさせていたのだと思います。

    その後の滝行・般若心経の読経は本当につらい時間でした。やりきった後の達成感と意志が弱い自分に打ち勝てた事が本当にうれしかったです。

    法話の中で先生が「自分の発言が体や人生に影響する」とおっしゃられていました。

    ここ最近の私はマイナスな発言、自分を強く見せようという欲にとりつかれていた気がします。

    本当に強く大きい人間とは、人と比べず、戦わず、自分と向き合い、自分自身の体と心に耳を傾け、目を向け、自分自身に負けない、それが人間力だと思いました。

    これからは、逃げずに明確な目標、素直に物事を受け入れ、すべてが自分の人生に必要であると考え、困難や問題に立ち向かっていきたいと思っています。

    『天光寺に二日滞在して得られた事』

    0.「行」の過程で変化する心の在り様について

    初日、到着して間もなく所作の指導を受ける。なじみの薄い数珠や、頭の下げ方を主とする礼儀を学ぶ。昼食後はお百度参りから始まった。「南大師遍照金剛」を唱えながらの運動の行。その後は体験したことのない水温下での滝行。寺に戻ってからは呼吸と写経。これらすべての「行」が自分とっては初めての経験であり、すべてにおいてこれらの「行」を通じて何が得られるのか全くわからない中で、おもむろに「行」を始める必要があった。そこで自分の中に生じた心の変容は四つのステップに因数分解することができた。

    1.「言われた通り」にやる

    正座は痛い。言葉もわからない。コンクリートの上を走るのはしんどい。滝は冷たく、激しい痛みを伴い命の危機すらも感じる。一時間の般若心経の声出しでは意識が幾度となく遠のき、写経では手が動かなくなった。すべての「目的のわからない」行の第一印象は苦痛以外の何物でもなく、故に淡々と言われたことをこなすしかない。せめてもの救いは、すべては「唱える」という反復作業を主軸に成り立っていることだった。今何回やったのか、あとこれぐらいやれば〇〇回を達成できる。こういった小さな目標を立てやすいのは気を大いに紛らわせることができた。

    2.「長く続けられるように」自分なりに適応する

    小さなゴールだけでは気持ちを維持できない事に気付きはじめる。そこで今度は、辞めることができないことを受け入れ、長く続けられるように「行」の所作、心の持ち用で変えることにした。例えば滝行は、水の冷たさに耐えようとするのではなく、一度自分の体温が水温と同化するイメージにした。すると不思議と冷たさと痛みがスッと和らぎ「もう少し」長く居られるかもしれないという希望が見えてきた。般若心経では「発声」、写経では「筆の持ち方」、すべてに適応する呼吸法、すべてを自分なりに改善した。

    3.心に余裕が生じ、自分と向き合う

    行の反復に良い意味で意識を使わなくなると、自分の身体が拡張された感覚になり、自分の姿を第三者の目でフカンすることができるようになった。すると自分の中で溜まっているストレスや将来やるべき事への優先順位がついてくるような気がしてくる。圧倒されるような自然や、苦痛を前にした時、自分がこれまで抱えてきた困難が大したことのないものに思えてくる。この「行」の経験は天光寺でしか得られないものであったが、今後も日常的に意識して行ってみたいと思う。

    誠にありがとうございました。

    1月8日から1月9日の修行を通しての感想は体力的につらい部分もありましたが、とても良い経験になったと思いました。

    まず、最初に基本的な腹式呼吸と座禅を学びました。鼻で深く息を吸いこみ、口から大きく出す単純な作業かと思っていましたが、全く違いました。

    呼吸の秒数を合わせるために集中して数えるだけでとてもリラックスできましたし、それまでふるえていた体も温かくなりました。これは日常生活にも使えると思うのでこれからの人生で役に立てていこうと思いました。

    一泊二日の体験修行をおこなってみて感じたことは、目的として「スッキリ」したいという気持ちと、今の自分と向き合いたいと思って申し込みをしたのですが、スッキリを超え、新たな自分に出会えました。

    一日目は、あいさつやお百度参り、滝や般若心経などびっちりでした。どの行も初めてでした。発声練習では、なかなか声が続かず苦労しました。何度おこなっても長くできず。暑い中のお百度参りは久しぶりに走りました。心を込めながら10分。あっという間でした。

    みんなで車に乗り、30分間かけて行った滝行。初めて会った方々でしたが、みなさんとても良い方ばかりに恵まれ、みんなで助け合い支え合いながら滝に打たれました。スタッフの方が近くにいてくれ、細かく指導してくれたので安心できました。2分間だったそうですが、長く感じました。8月下旬でしたが、打たれた後は涼しいを通り越し寒いくらいでした。

    その後の夕飯。とっても身体に染み渡りました。全てが先生の手作りだと聞き、主婦の私は少し反省しました。

    お腹いっぱいの後の般若心経、疲れもマックスだったので辛かったです。全てが終わりゆっくり寝られるかと思いきや、良く眠れず朝を迎えました。疲れが抜けないと思っていましたが、朝の声出しや瞑想をしたらスッキリしました。

    日常から離れ、仕事のことも今まで考えていたことも考えなくてもよいという事がどれだけ楽で、逆にそれらがどれだけストレスなのか改めて分かりました。正直、一日では何もかも足りず、また帰って日常に戻りたくないのが本音ですが。ポジティブな言葉を発して積極的に行動し、自分を愛しながら過ごしていけるように少しずつ変われたらと思います。

    先生をはじめ、みなさん本当に優しく温かい方ばかりで本当に来て良かったなと思っています。ありがとうございました。次回は、体験修行も良いですが、ヒーリングの勉強などもできたらなと考えています。その際はまたどうぞよろしくお願いします。

    体験修行に子供もきており、大人として立派にふるまわなければならないと思いました。これまでの自分を反省しました。食事の準備や片付け、朝の清掃など積極的に取り組みました。世界は自分一人ではなく、他人との生活を意識しながら生きていかなければなりません。
    そのため、とても為になりました。滝行は自分の心を新鮮な気持ちにさせてくれました。滝行は、滝に登るまでの突起のある山肌や傾斜のある山を登ることにより、困難さを味わうことができ、滝を見た時の壮大さを味わうことができました。 これまで自分は人を裏切ってきました。まだ心の中の闇は晴れていませんが、いつか心が晴れたらまたここに来ようと思います。人の背負ってる因縁を理解し、人のために何かできる人を目指し、今後の人生を歩んでいきたいと思います。

    企業に勤めています。人間関係と言いますか上司とそりが合わず悩んでいました。何かの本で読みましたが、自分の目の前で起きていることには原因があり、全て自分の責任と書いてありました。それは分かってはいますが、気持ちを何とかしたいと思い、滝行に参加しました。かっこいいことを並べましたが、同僚が滝行を体験してとても良かったと勧められたことが天光寺を知るきっかけです。結果、参加してとても有意義な時間を過ごせました。初めて唱えたお経、無宗教ではありますが、なんだか守られている気がしたのは気のせいではないと思います。腹式呼吸、今まで口呼吸だったことにも気づかされました。お百度参り、弘法大使様の前で感謝と心願ができました。そして、滝行。人生の荒波の渦中におりますが、こんな沢山の水に滝に打たれるなんてなかったです。ご利益を身体で感じました。自分の大きな悩みがふっきれて、小さくしぼみました。明日からまた違った自分で出勤できるような気がします。どうしてもそりが合わない人がいたとしても、自分の軸をしっかり持ち、色々なタイプの人がいるなぁ、この人はこういう人なのねぇと違いを受け入れれば、自分の気持ちが楽になるような気がした、そんな自分自身の攻略法が生まれた日でした。

     

     

     

    私は、俗にいうニートでした。会社で侮辱された事がきっかけで、辞めてしまってからはずっと家にいます。パソコンに向かって1日が終わってしまいます。両親は高齢で特に私には何もいませんでした。

    あるとき、珈琲が飲みたくて喫茶店に入りました、そこで隣のグループの話を聞いて私は、天光寺に行くきっかけになったのです。隣のグループはだいたい、30代後半の男性でしたが、同級生のようでした。

    内容は、子供が11歳と3歳の子供がいて、がんでその友達が亡くなったそうなのです、亡くなる何日か前に会いに行った時には、やせ細ってしまい、泣きながら、まだ死にたくないよ!!!と言っていたそうです。もう一人の方の話もしていて、その方はどうやら、仕事もせずに親にお金をもらい遊んでいるそうです、どうして不公平なんだろうと話していました、まだ死にたくない、頑張って仕事がしたい、子供と遊びたい、これもあれもしたい!と思っている人が病気になって亡くなってしまったのに、仕事もしないで親に迷惑をかけて、遊んでいる奴は時間の無駄遣いをしている、いつか罰が当たるよなどの内容でした。

    話を聞きながら、私自身もそうだ!!と思いながら聞いていましたが、ふと、自分のことを思い、なんだか恥ずかしくなり、店を出ました。帰ってから、私ももしかしたら、明日死んでしまうかもしれないと、考えた時、何かをやらなければいけないかもと思い始めました。仕事探しよりも、まずは、自分を変えたいと思いました。

    天光寺の修行はきつかったです、今まで何もしないで、家にいたので歩いているだけで、息切れはするし、足は痛くなるしで、もう帰りたかったです。ただ、明日死んでしまうなら、このくらいは、という変な力が湧いてきて乗り切ることが出来ました。住職の話にも心が震えてここで人生やり直そう!!!と決意が出来ました。

    仕事を初めて今は両親も大事にして、今日この日を大切に生きています。母は私が仕事をはじめてから、しばらく朝ごはんの時に泣いていました。うれし泣きです。今まですごく心配かけていたのだと思いました。

    これも天光寺に行って、自分が変わることが出来たからだと感謝しています。また、時間を作って行きたいと思います。初心の心を忘れたくないので、宜しくお願いします。

    今まで特に大きな壁にぶつかったわけでもなく、のほほんと生きてきました。ありがたいことに身体も健康体です。不満もなく過ごしてはいましたが、檜原村で滝行ができる天光寺を見つけて参加してみました。爽快、刺激的、精神統一ができたと言うのが感想です。来て良かったです。友人を誘おうかと思いましたが、自分が良いと感じたら誘うつもりで単独で申し込みました。無論、次回は友人と来ます。

    テレビでたまたま見た天光寺さんの体験修行に興味が沸き、友人と1日体験修行に申し込みました。基本的な作法、腹式呼吸など教えてもらいました。普段大きな声を出すことはほとんどなかったので爽快でした。昼食は住職の精進料理をごちそうになり、後片付けまでやるといった徹底したスタイル。普段は上げ膳据え膳の生活でしたので家族に感謝の気持ちが芽生えました。午後はお百度参り、滝行を体験しました。春と言えど檜原村の滝水は容赦なく冷たかったです。また必ず修行に来ます。ありがとうございました。

    雑誌でこちらの滝行が紹介されていたのを見て、プライベートで色々あり鬱々としていた気分を新年度までにどうにか発散したかったので、思い切って申し込んでみました。

    一人で行く勇気はなかったので会社の同僚と供に挑戦しました。

    2月の檜原村は都心に比べてとっても寒くチラホラと雪が残っている中での滝行はとても辛く、水温も凍てつくようで痛かったです。終わった後は震えが止まらなかったです…(笑)

    しかし頭の中も体もスッキリしており、大げさですが自分が生まれ変わったような気持ちになりました。

    また東京とは思えない自然豊かな環境に身を置くことでリフレッシュでき、自分の悩みは長い人生の中でほんのちっぽけな事なのではないか?と考える事が出来ました。

    自分の凝り固まった固定観念をほぐすいいきっかけになりました。

    適応障害で休職し、二週間後に復職します。

    復職に際し、不安はあります。

    ただ、このお寺にて、体験をさせていただいた今、不安はやわらいでいます。

    心身とも健康になった後、滝行に再度、訪れたいと思います。

    ありがとうございました。

    今回12月31日~1月1日にかけて、滝行をはじめ修行体験をさせていただきました。年越しということもありましたが、何かといろんなことをしていると時間もあっという間に過ぎ、気付けば年も変わってしまいました。はっきりとした目的で今回は修行体験を申し込んだ訳ではありませんでしたが、充実した年越しを過ごせました。

    滝行では、一度秋の終わりに体験していましたが、水のつめたさが全然違い、打たれている間、「どのくらい経ったのか」「後どのくらい?」と思ってしまいました。終わってみて、「よくあのつめたい水に入れた」と思い、自分の中には何か踏み切れるものがあるんだと感じました。ただ、その踏み切る思い切りの部分がうまく普段の日常で活かせないのが新たな迷いであり、自分と向き合いたいところです。

    そして、今回自分なりの予想外に感じたことは、護守木でした。護守木に願いを書く際に、何にするか考えましたが、自分の中に明確な願望がないように感じました。周りを見て、うらやんだりしても『自分はこうなりたい、こうしたい』がはっきりしていないので、そういうところはもう少し欲をもって明確にするよう意識していきたいと思いました。

    今回は従来の修行体験だけではなく、貴重な年越し行事も体験(同席?)させていただき、一泊二日で大変お世話になり、ありがとうございました。

    半日という短い時間でしたが普段疎かにしがちなことを改めて認識させられました。

    今回私が申し込んだのは、半日体験修行で流れとしては写経または写沸をして、次に写経プラス4つぐらいの中から選べる内容でした。

    12時30分に集合して13時には修行開始です。私は、写仏を選びました。

    写仏とは、仏様の姿を書き写すものです。心静かに筆を運び、自分自身と向き合うことで心を浄化できるものだそうです。

    一見難しそうに見えましたがなぞるだけだったので思っていたよりも簡単でした。ですが、やはり普段慣れていない筆で書くのでとても集中力を使いました。終わった後の疲労感は凄かったです。

    次に4つほどのコースから選べるのですが、私は瞑想を選びました。

    瞑想は、ゆったりと座り、深呼吸し、頭を下げながら息を吐くことを5回以上繰り返したあとに軽く目を閉じて姿勢を正し、10分程同じ姿勢でいると鼓動の音が聞こえてくるのでそれに、耳を澄まし意識を研ぎ澄ますと全身がリラックスし気のエネルギーが広がっていくのを感じるものだそうです。私は、瞑想というものを初めて体験するのでよくわからなかったのですがなんだかリラックスできているような感じがしました。

    これなら家でもできそうなのでとてもいい体験だったと思いました。

    半日なのであっという間に時間が過ぎていきとても充実した時間が過ごせましたが少し名残惜しい気持ちにもなりました。また、滝行などもやっているそうなのでまた機会があれば滝行を受けに来たいと思います。

    今回の修業で心がとても休まりました。最近は少ない休みで働いていたので身心共に疲れ切っていたので良いリフレッシュになりました。

    短い時間でしたがありがとうございました。

    平成のうちに結婚するぞ!と意気込み20代後半は婚活に精を出していましたが、いいところまでいくも中々成婚には結びつかず平成も終わり令和に入ると共に三十代に突入し、一度婚活を中止しこれまでの自分と向き合い振り返る為に写経をしてみようと思い、色々探し天光寺さんのHPを見つけ、応募してみました。

    当日は電車とバスを乗り継ぎ緑が沢山ある綺麗な場所に天光寺さんがありました。必要なものは全て天光寺さんで用意してくれているので身軽に行くことが出来ました。

    まずは道場内を綺麗に掃除をし、お線香、灯明を灯し、手を洗い、口をすすぎ、着衣を整えます。

    写経の為に使う墨も自分で磨るのですが、墨を磨っていると自然と心が落ち着いていきました。学生時代の習字では自分で墨を磨ることなんて無かったので、新鮮な気持ちでした。

    手を合わせ「般若心経」を唱えてからいよいよ写経の始まりです。

    最初は使い慣れていない筆や墨の量が思うように調節できず字が太くなったりかすれたりしてしまいました。

    また、正座を同じ姿勢を長時間続けるのは最初はきついと感じましたが、お経を一文字、一文字丁寧に書いているうちに無の境地に達し、落ち着いた心で自分と向き合う事が出来ました。

    鉛筆と違い筆と墨で書くものは間違えても消すことが出来ず、まるで人生のようだなぁと書きながら考えていました。

    写経をしているとすごく冷静になれ、今まで違った視点で物事を考えることが出来るので、悩んでいる事の解決策が見つかる気がしました。

    一泊二日の修行をさせていただきありがとうございました。滝行にて自らの心の汚れを流したいというのが主な目的ではありましたが、宿坊をさせていただいたことにより思わぬところで沢山の学びがあり、大変有り難い時間をすごさせて頂きました。体験させて頂いた一つ一つの事を振り返ってみたいと思います。
    まずは滝行に行く前の真言のとなえ方やさまざまな作法。全く知らないことばかりでしたが一からゆっくりお教えいただいたおかげで教本を見ながらですが口にすることができるようになりました。そしてそのご真言などを用いたお百度参りや滝行。心と体は一つなのだと実感いたしました。素足で外を歩き大地の感触を感じるというのは何年ぶりだったでしょう。ぬくぬくとした生活をしているせいか体のセンサーが弱くなり、弱くなっているなと感じました。やはり人間の体は使わないと段々おとろえていくと感じました。また、逆に普段何気なく使用している服やクツなどの有り難さを知りました。滝行でも感じましたが心のもち方で身体がある程度コントロールできるのだと思いました。これは病や普段の気の持ち方の参考になりました。更に、もし一人であの滝行をやりなさいと言われたら・・・?今回は多くの参加者の方、お導き下さったお寺の方がおられたので完了することができました。冷たい水の中での皆の声がどれほど力になったことか。仕事においても、自分一人の力で行うことは限りがありますが、皆のサポートや皆の力でなしとげる方がより大きなことが出来るのだ・・・と思いました。自分は、一人の方が早い、他の人にまかせるなら自分がやった方が早いと思いがちですが気を付けたいと思います。また、山の神様、滝の神様に今回の滝行を見守っていただき、出来たことも大きなことでした。目には見えませんが、お守りいただいていることを感じることができました。
    今回は年末年始の護摩焚きにも参加させていただきました。正直な所、日中の疲労が体に出ており、一分でも早く寝たかったのですが、その待ち時間で、本当はいつも時間はあるのに、スマホやパソコンなどで無駄な時間をすごしてしまっているのではないかと思いました。
    今回修行中は電子機器はあずけさせて頂いていたことがこの気付きにつながっています。いつも無意識に電子機器を手にとってしまうため、今後は手にする前に「今本当に必要なのか」を一瞬でも考えてから手にとりたいと思いました。そして、この待ち時間も、実はお寺の方々は忙しく動いておられました。何か出来ること、お手伝いをさせていただきたいとお声がけすれば良かったと後悔しています。自分が「お客さん」になってしまっていました。このような所が普段の生活でも出ていると気付きました。自分が良いと思ったらまず動いてみればよいのにそれをしない、他人がどう思うか?とか断られたら嫌だな・・・と思ってしまう。もったいないことを今回はしたと思いました。
    大人になると本当のことを言ってくれる人がとても少なくなり、段々と自分が傲慢になってしまうような気がします。しかしお寺では、良いことは良い、悪いことは悪い、としっかり口に出し相手を軌道修正して下さっていました。とても有り難い場であると思いました。
    お写経、お写仏は心の平安を取りもどす時間をいただけたと同時に、自分のクセのようなものを発見しました。「めんどうくさい」と思うと、適当になってしまう・・・ということです。集中力がないためあちこちに目移りしてしまうので直したい部分です。しかし今回気が付いたのは「めんどうくさい」と思ったら一度休憩を入れて気分をリフレッシュすれば良いのだ、長距離も一歩一歩なのだと思いました。更には、一日一日を一瞬一瞬を大切にすごして行こうと思いました。時々顔を出してお話をいただいた住職様のお話からも多くの学びをいただきました。一泊二日という大変短い期間ではありましたが本当にありがとうございました。

    ここ数年は仕事に夢中で心も体もガチガチになっていると感じ、大きな仕事がひと段落したタイミングで、何か心身共にリフレッシュできることをしようと思い天光寺さんのヨガと体験修行が目にとまり、参加することを決めました。

     

    仕事人間だった私は自分のケアに今まで無頓着で、ヨガレッスンが始まり随分呼吸が浅くなっていたことに気付きました。こんなにゆっくり呼吸をし、自分を見つめる時間を持つのは一体いつぶりだろう…と考えながら、これまで酷使してきた自分自身をもっと労わらないといけないな、と思いました。体をのばす痛みも心地よく、非常にリラックス効果が得られました。

     

    午後は滝行に向かいました。曇りの天気と相まって水温が非常に冷たく、入水の瞬間は「ヒッ」と息をのむほどでした。想像していなかった水量から怖気づきすぐ出ようと考えましたが、心を落ち着かせ耐える事ができました。

    終わった時は心も頭もスッキリし、体が軽くなった気がしました。

     

    また時間があいた際にはリフレッシュも兼ねてこちらにお邪魔したいと思います。本日は有難うございました。

    今回初めて、仏教について初めて深く学ぶ機会となりました。これまでは、仏教を信じてる人たちが行っている事の意味を知りませんでした。でも、様々な修行などを通してどんなことを大切にされているのか、少しですが理解する事が出来たように感じます。

    例えば、お百度参りは、何も知らない人から見れば、ただランニングして、お願いをしているように見えます。しかし、「何度も何度もお願いをする事が大切」という考え方があり行っている事を知るととても意味のある行為になります。行為はとても大切ですが、行為はあくまでも象徴であり、大切なことを忘れないためのものなのではないかと思います。

    他にも修行前後に行うあいさつや食事のあいさつは、言葉を言う事が大切というよりも、安全であることや食べられる事など当たり前に思えてしまうことがとても恵まれていることであったり、いつも見守られている感謝を忘れない為の行為の様に私には思えました。

    多くの事を学んだ二日間でありましたが、同時に楽しい時間でもありました。特に、神様が作られた本当に美しい自然の中で滝に打たれたり、冷たい水に触れたり、緑の木々を見たりするのは、本当に心地よいものでした。また様々な方と何気ない話から人生のちょっと深い話まで色々な事を聞くことも楽しみであり幸せな時間となりました。やっぱり人と人は温かい食事を頂いたのも私にとってとても幸せな時間となりました。やっぱり人と人は温かいですね。

    一泊二日という限られた期間ではありましたが、優しく接して頂き有難うございました。

    また、多くの事を教えていただきました。当初の目的は、規則正しい生活を送れるようにするという目的だったのですが、それ以上に成果がありました。まず、挨拶の大切さ。普段、意識が足りていない挨拶等の礼儀作法を改めて学ぶことでいつもより自信が付いたような気がします。

    もう一つ目的がありそれは、滝行です。

    なぜかというと以前に知り合いがこちらのお寺で滝行を受けてとても良かったと言っていたのでそれは、どのようなものなのか気になっていました。その、知り合いは中々褒める事がなくここまで褒めていたのは初めてみたので驚きました。

    修行は、滝行だけではなく他にも、挨拶の礼儀作法・写経がありました。

    滝行だけだと思っていたので驚きましたが、どれもとてもいい修行でした。

    最初に言ったように挨拶では礼儀作法を改めて学ぶことができたし、写経では心を落ち着かせて取り組むことが出来集中力が上がったような気がしたのでとても良かったです。

    さて、お目当ての滝行ですが結論から言うと最高でした。

    入る前は、温泉にある打たせ湯ぐらいの勢いかなと思っていたのですが、そんなことはありませんでした。息をするので精一杯なほどの勢い。まさに、滝という感じでした。

    終わった後は、耳が聞こえにくく体も冷えて感覚が鈍くなっていましたが、なんだか清々しい気持ちでした。

    修行が終わって、生活リズムは戻っていませんが前よりも気持ちよく毎日を過ごせるようになりました。ありがとうございました。

    ある日テレビで天光寺さんを見て、滝行面白そうだなー。と思いずっとやってみたかったんすが、中々仕事が休めず忘れかけてた頃に今回長期休暇が取れたので小旅行がてら東京まで足を運び、滝行の予約をとりました。

    天光寺は東京にもこんなところがあったんだと思うほど山々に囲まれた緑あふれる場所にありました。田舎のおばあちゃんの家を思い出しました。

     

    前日に雨が降ったのもあって滝は水量が増えてて最初は入るのにとまどいました。

    入ると見た目通りの勢いと轟音で潰されそうな感覚になりましたが、必死で真言を唱えました。

    唱え続けてると終了の声をかけられて時間の経つ早さに驚きました。

     

    終わると仕事のストレスが軽くなったみたいに清々しい気分になりました。

    滝の周りはマイナスイオンをたっぷり感じられるし、心身共にリフレッシュになりました。

     

    遠くて中々来れないのが残念ですが、機会があればまた挑戦したいと思います。

    有難うございました

    もうかれこれ10年間引きこもっていました。新卒で入った会社で上司とうまくいかず経った三カ月でせっかく入った会社を辞めてしまいました。無駄に自信のあった私はすぐ仕事なんて見つかると高を括っており、そんな自信はすぐにへし折られました。

    数社受けても書類選考で落とされる連続で、当時の私はなんで?と疑問でしたがたった三カ月で会社を辞めた根性無しを採用する会社なんて早々無いと今は思いますが、当時の私は性懲りもなく選り好みし、いつしかこんな自分を認めてくれない社会が悪いと思い現実逃避をするようになり、就職活動も半年でやめてゲーム三昧の毎日を送るようになりました。

    最初のうちは外に出る事もありましたが、田舎のため昼間外に出歩くと近所の目が気になり、だんだん外に出ることも無く用事があれば母を使うようになりました。(その用事もたいした用事でも無いと今では思うのですが…)

    定年を迎えた両親からお寺に修業に行かないか、と打診され三十代後半になりもうこれを逃したら立ち直るチャンスはないと決心をしました。

    修行に来て最初は、引きこもって体を使ってこなかったので体力もなく辛いことばかりで毎日「帰りたい。来るんじゃなかった。」と思っていました。人とコミュニケーションを取ることもしてこなかったので、天光寺のスタッフの方や一緒に修業をする仲間の目を見て話すことが出来ませんでしたが、一ヶ月もするとここでの生活にも慣れ、毎朝鏡で見る自分の顔もはつらつとしてきた実感がありました。

    一ヶ月天光寺で過ごし、挨拶の大切さ、健康的な食事、身の周りの生活には誰かの手がかかっていること、それらに感謝を忘れないことを学び、積極的に生きることへのエネルギーをいただきました。

    迷い、燻ぶった時にはここで過ごした生活を思い出し、自分の自信とし、無駄にした時間を取り戻すように積極的に生きていこうと思います。有難うございました。

     

    こちらで一泊の体験をさせていただいて、正直、他の方達とうまくやっていけるのか不安でした。でも色々話していくうちに修行の目的など話して頂いたり、様々な事を教えて頂きました。本当に色々な背景があって修行来られているのだと感じました。

    そして、東京とは思えないほどの森の中で、天気が良く、とても気持ちの良い空気でした。

    まず大きく分けて一つ目のスケジュールにて、滝行を行いました。冷たすぎて入れなかったらどうしようと思ったり、最後までやりきれるか不安でした。でも、他にも滝行に来ていた方もいて、気持ちの面などで助け合い、なんとか最後までできました。

    滝に打たれている途中、精神的に強くなった気がして何か良い「気」をもらった感覚がありました。あと、滝行の前に御百度参りをさせて頂きました。決められた距離を往復して空海様にお願い事をさせて頂きました。

    良い空気の中、お腹からしっかり声を出すのはとても気持ち良かったです。

    その後に、瞑想をさせて頂きました。思ったより上手くできず、足が痛かったり眠ってしまいそうになり、何度も訓練が必要だと、感じました。今後は日常生活で取り入れて習慣にしたいと思います。

    物事に対して色々な作法があり、全てに意味があるのだと身を持って体験させて頂きました。「見えない物」の力の強さは計り知れないと思いました。先生や修行に来られている方々には本当にお世話になりました。

    今後は、この経験を活かし、メンタル強化のきっかけになればと思います。また機会があれば連泊もしたいと思います。

    以前から修行に興味がありました、興味があるといってもどのようなことをするのかが修行なのかというのはわからず漠然と、制限のある生活といったイメージを持っているだけでしたが・・・。その一環として滝行も併せて経験しようと思い今回、一泊二日で参加することにしました。

    お寺に入るとすぐにお線香のにおいがしました。これは結構好きです。それから、一緒に一泊する人たちとの対面。気さくな人たちでしたので、ご飯や入浴等の時間も楽しめました(笑)

    滝行は想像より辛くなく、安心しました。大きい声が出せないのは残念でしたが、冷たさと滝にうたれるのに我慢するのは意外といけました。でもやっぱり一人では無理だったかも。まわりの人の応援が励みになります。

    お経を読むのもやりました。一時間も二時間も読み続けるなんてびっくりです。時計もないので、今どれくらい経っているのかわからず、唱え続けるしかなかったです。

    二日間、淡々とやることをこなしていく感じでした。

     

    ケータイもなく、食べたいものも食べられず確実につらさはありましたが、でも、これもいいなと思いました。今後はもっと長めにやってみたいです。

    ありがとうございました。

    今回は滝行を経験したく応募しました。宿泊するプランもあり、せっかくなら色々な修行を体験したいと、1泊応募することにしました。

    滝行に向かうときは、様々なエピソードを聞き、少し緊張していました。滝のところについた時には、山をのぼったのと、少し緊張と、かけ声を出していたので滝に入る直前は少し息が苦しかったと思います。少しびびっていたのもあり、あまり奥まで入れませんでしたが、みんなの声とお坊さんの声が聞こえたので頑張れました。最初の数秒は息ができないと思いましたが、だんだん慣れてきて冷たさもすぐになくなりました。本格的な滝で滝行ができ良い経験ができました。

    お寺での修行や、お食事前のあいさつなど、普段はあまり意識できていなかった事を改めて強く印象づけできたと思います。同じ体勢でずっと般若心経をとなえたり、発声をしたり、習字の筆で文字をずっと書いていくのは正直辛く、すぐに体勢をくずしてしまったりしたので、忍耐力が全然ないんだと気づくことができました。

    お坊さんはお食事の時も様々な話をしてくださり、1泊2日楽しく過ごすことができました。

    まだファイルの中の紙を全て読めていないので、家でゆっくり読みたいと思います。

    ありがとうございました。

     

     

    こちらで一泊の体験をさせていただいて、正直、他の方達とうまくやっていけるのか不安でした。でも色々話していくうちに修行の目的など話して頂いたり、様々な事を教えて頂きました。本当に色々な背景があって修行来られているのだと感じました。

    そして、東京とは思えないほどの森の中で、天気が良く、とても気持ちの良い空気でした。

    まず大きく分けて一つ目のスケジュールにて、滝行を行いました。冷たすぎて入れなかったらどうしようと思ったり、最後までやりきれるか不安でした。でも、他にも滝行に来ていた方もいて、気持ちの面などで助け合い、なんとか最後までできました。

    滝に打たれている途中、精神的に強くなった気がして何か良い「気」をもらった感覚がありました。あと、滝行の前に御百度参りをさせて頂きました。決められた距離を往復して空海様にお願い事をさせて頂きました。

    良い空気の中、お腹からしっかり声を出すのはとても気持ち良かったです。

    その後に、瞑想をさせて頂きました。思ったより上手くできず、足が痛かったり眠ってしまいそうになり、何度も訓練が必要だと、感じました。今後は日常生活で取り入れて習慣にしたいと思います。

    物事に対して色々な作法があり、全てに意味があるのだと身を持って体験させて頂きました。「見えない物」の力の強さは計り知れないと思いました。先生や修行に来られている方々には本当にお世話になりました。

    今後は、この経験を活かし、メンタル強化のきっかけになればと思います。また機会があれば連泊もしたいと思います。

     

    今回は、会社の社内報に滝行の体験談を掲載する目的で伺った。

    滝行を経験するだけとの想像とは異なり数珠の持ち方や、空海上人のお話、合掌方法からお百度参りなど、多くの事を学び体験できたのは非常に有意義だった。特にお百度参りは日々の足腰の鍛錬なくしては絶対に出来ないものと感じ、毎日の積み重ねの重要性を改めて痛感した。

    滝行は最初あまり水量も多くなく、水温も左程低くは感じられなかったので「楽勝かな?」と思いきや、打たれ始めた直後は非常に水温が低く、水勢もあり耐えられるか不安を覚えた。ただ「南無遍照金剛」と唱える自身の声で徐々に余裕が出てきてあぐらをかいた辺りからは滝の“気”が体内に浸透してきて心地よさすら感じ始めた。周囲の音が聴こえると同時に気持ちはどんどん落ち着いた。一方、丹田の周囲は暖かさすら覚えてきたのは不思議な感覚であった。終わる時にはもっと滝行を続けていたいと切に想った。着替えの際には清々しい気持ちと肌がピカピカになった感覚が非常に印象的であった。

    機会があればまた天光寺に来て、もう少し長い時間お百度参りと滝行をしたい。有難うございました。

    振り返ってみると、あっという間の一泊二日だった気がする。修行とは何か、どのような事をするのか、よくわからないまま始まった。

    合掌や挨拶などから教わり、一つ一つにちゃんと意味があることを学ぶことが出来たと思う。単語だけ知っていた言葉や聞いたことあった言葉についてちゃんと知ることが出来たものあった。だがまだまだよく分からない部分も多く、もっと知ってみたい、学んでみたい、という気持ちが大きくなった。

    昨日言った滝行は、自分の中で悔しさが残る。滝の水、勢いに思わずやられ、滝から少し離れた位置での修行になってしまった。次回、リベンジを果たしたい。そして、これはあくまで五感が感じているだけである。という認識、考えをしることが出来た。これは私にとっては大きな発見だ。肉体が感じているだけであり、魂とは別のものだ。肉体からの情報はもちろん大切だが、それに左右されないようにすること、あくまで肉体が感じてるだけだ、という認識を持つことで忍耐力や強さ、精神力を高め、大きく発揮できる可能性があることを学ぶことができた。自分の気持ち、感情について再確認し、その感情をもたらすこだわりは何か原因はなにか、という思考の過程を踏むことは、現在の自分が行う思考の方法と似ている部分もあると思った。自分の中でこういう考え、価値観があるから、このような感情になっているんだといったものだ。

    今回、色々な事を体験させていただき、非常に良い経験ができた。この学び、経験をこれからの生活、思考に反映してみるなど活かして行きたい。ありがとうございます。

    三泊四日させて頂きました。

    仕事で疲れており、今までの日常生活は甘ったれた人生を送ってきた為、精神鍛錬が必要だと思い修行体験が出来るお寺を探しました。

    天光寺さんでは滝行も行う事が出来るということで、HPを見てすぐに体験を申し込みました。

    都心を離れ自然の多い山の中にある天光寺さんでの修行体験は自分が求めていた以上のものでした。

    天光寺さんに到着してすぐに発声練習が始まり、担当してくださった方のエネルギーのこもった声の大きさに圧倒され、三泊四日に修行に耐えることが出来るか心配になりました。

    しかし発声の仕方を習いお腹から声を出すようにすると、人見知りの自分とは思えないような大きな力のこもった声が出るようになり、お腹から全身にかけて熱くなり運動をした時のような汗が出てきました。それと同時にそれまで個々の中で考え込んでいた様々な事が薄れていくのを感じ、多くのストレスから解放された気がしました。

    発声練習は四日間とも行い、回数を重ねるごとに力強い声が出せるようになり、また活きた声はこのようにして出すのかという事を学びました。その声の出し方を基に読経に取り組み四日間で昼夜共に多くの時間を作って頂きました。お経を読んだ事の無い私は、お経のテンポやどのように読めば上手く読めるのか中々掴む事が出来ませんでしたが、姿勢と読み方のコツを習い、光明真言を覚える事が出来ました。読経を続けていると段々と余計な事を考える事が出来なくなっていき、読経後は頭がクリアになる為自宅でも時間を作り読経を続けていこうと思います。

    天光寺で何より驚いたのは先生の存在です。初めてお会いした際にお話を伺っていると、室内のロウソクが強くなったり大きくなったりしているのを感じました。その後ヒーリングの見学をさせて頂いた際にはどんどん部屋の温度というより空気が熱くなっていくのを感じ、終了した後からは段々と涼しい空気が流れていくのを体感しました。

    普段霊感などは全く感じませんが、その空気変化ははっきりと感じる事が出来ました。

    先生が何度かお話しくださった手当の話にとても感銘を受け、看護師という職業柄手当という言葉をもっと考えなければならないと思いました。自分が治りたいという意志を持つ事と、相手を本当に治してあげたいと思う心を持って気を送る事が手当てをする上で最も重要である事を改めて学びました。その手当についても実際に私に向けて行ってくださり、腓腹の一部に気を込めながら一押しされると左足から脳、そして右足へと急に温かくなり、そこから半日ほど背中全体から熱を放出している感じがしました。その日は右腰に痛みを感じていましたが、一押しされてから少し経つと腰痛が無くなっていました。

    また夜もいつもより寝つきがよく、深い眠りについている事を感じ、朝は起床時間よりも一時間以上前に鳥のさえずりで目を覚ます事ができ、天光寺の外の川辺に座り、新鮮な空気を朝から堪能する事が出来ました。

    楽しみと不安が入り混じった滝行も滝行も水に初めて浸かった時は全身の血液が冷たくなっていくのを感じ、最後まで行う事は無理かもしれないと思いましたが、「自分は今修行しているのだ」と言い聞かせ、少し経つとお腹から身体全体にかけて暖かくなっていくのを感ました。滝行の仲間が外から応援してくれていた事もあり、最後までやり抜く事が出来ました。

    水から出るといつもより空が広く感じ、自分の視界が広くなったような感覚になりました。きっと心の疲れも滝行で流されたのだと思います。

    三泊四日の業を続ける事が出来た一番の要因は、とにかくご飯が美味しかった事でした。精進料理というと味が薄く、決して美味しい物ではないという思いでした。しかし、天光寺では先生自ら調理場に立ち料理を作ってくださり、その味は本当に全部買って帰りたいと思えるばかりのものでした。それもそのはず、先生自ら厳選した材料を使い、出汁やドレッシングに至るまで全て手作りだからです。本当に出汁だけでうどんを食べたいと思えるものでした。これからも先生の言う病気には美味しいご飯が一番といった事を体験していると思います。都会に住み普段はジャンクフード等で過ごしている人達にも是非食べてもらいたいと思いました。

    四日間を通じて心身共に回復する事が出来ました。定期的に心と身体のメンテナンスの為に天光寺さんを訪ねたいと思います。

    最後に先生をはじめ、職員の皆様方、四日間のご指導本当に有難うございました。

    この貴重な経験を今後の人生に活かしていきたいと思います。

    僕が沖縄から体験修行に来て、約1週間が経過しました。6月に天光寺にやって来たのですが、まず初めに感じたことは環境の違いに大きなカルチャーショックを受けました。お寺ではなくても都心の街並みなど人の多さに圧倒されました。東京には来たことはありますが約15年ぶりでしたので、戸惑いと新鮮な気持ちでした。

    初日は午後3時頃に天光寺に到着し、すぐに修行が始まりましたが、スタッフの方が親切に施設を案内してくれて助かりました。しかし、やはり、施設の中の仏様の仏像や絵画など展示されているのを見ると、普段の生活とは全く違う光景で正直、この先2ヶ月間やっていけるんだろうかという気持ちになりました。

    そんな中、1番最初の修行が写経でした。写経自体は、経験ありましたが、お寺の中で習字で書く本格的な写経は初めてでした。予想以上に、かなりの集中力と神経が必要だと分かりました。

    そして、2日目、ついに初めての滝行をすることになりました。沖縄を出発する前、天光寺のホームページなどで滝行の情報や体験談を見て来たのですが、「冷たい」や「痛い」、「息苦しい」などが書かれており、正直、僕には無理だろうと不安だらけでした。しかし、ここで逃げては修行の意味がないと思い、僕を合わせて約7人で滝行に行きました。それでも、やはり、現場で滝の流れを見ると「本当に大丈夫なのだろうか」と思いましたが、順番的に僕は最後で前メンバー6人が3分を成功したので、僕も失敗するわけにはいかないと思い、何とか3分を成功することができました。僕の場合、「冷たい」というより「痛い」という思いが先行するのですが、終わった後は、とてもすっきりした気分になりました。初めての滝行が成功できたのも修行僧の方の親切な指導とメンバーの応援があったおかげだと思っています。ありがとうございます。滝行については、5日目に2回目も挑戦しました。1回目に成功しているとはいえ、天候や水量、勢いなどで変わってくることがあるので、やはり、実際に入ってみないと分からないという不安がありました。2回目は、3人での挑戦で、僕がトップバッターでした。滝行に限らず色んな場面でトップバッターというのは慣れていないのですが、ここは気合いで入りました。結果は約5分で前回より更新できたので良かったです。これも、やはり、修行僧の方の指導とメンバーの応援のおかげだと思っています。ありがとうございました。

    しかし、滝行というのは苦行と言われていると聞きます。何回やっても入る前の不安や入っている時の痛みなどは取り除くことができそうにない本当に大変な修行だと実感しています。

    話は変わり、他の修行として「発声練習」や「瞑想」、「読経」

    滝行の前にやる「お百度参り」などがあります。

    発声練習では、腹式呼吸の練習ですが、声が長く続かないことを痛感しています。僕自身、発音などあまり良くないと思っているので少しでも上達させていきたいです。

    瞑想や読経では、座っている時間が長く、きついですがこれも修行のうちだと思っています。

     

    二日間の短い時間でしたが、ありがとうございました。ここにいると、不思議と他人に感謝したり、喜んだり、仲良くしたりと、天光寺様からいただいた心の持ち方で示してくれたとおりの感情が自然と湧いて素直であった小さな頃を取り戻した感じがしました。

    普段慣れ親んだ家族、友人、恋人、会社の同僚など気の許せる近しい人に対してこそ腹を立てたり、不平を言ったりすべきではないのに、慣れすぎていつもの対応があたり前すぎてその逆の結果になっていたような気がします。

    この度、初めて経験した滝行でしたが、勢いのよい滝に打たれることで何も聞こえないばかりか何も考えずただひたすら無になって打ち込むことができ、「南無大師遍照金剛」を唱え、周囲の方々と一体となって自分をふるいたたせることができたのです。

    体を清めた後は、心安かに写経をしました。

    せわしない世の中、明日からはまた仕事に通う日常が始まりますが、写経のひときは静かに落ち着いた時間を大切にし自分の願いを生活の中に生かすのに役立たせるものと感じました。

    私たちは、自分自身で作り上げてしまった良くない習慣に気づかないばかりか、気づいてもこれを変えることはなかなかできないものです。それに気づかせ変えていくためのヒントをここでの修行が与えてくれたものと感謝しております。

    行を通じて自分の潜在意識に働きかけ、自分の人生のために積極的な言葉を使い、消極的な言葉を使わないようにしたいと考えるようになりました。

    自分が変わるため、この経験をもとに頑張って自分の魂を向上させ、幸福を作りたいと思います。

     

    二日間の短い間でしたが、本当に有難うございました。

    正直に申しますと、滝行が終わった直後は、一泊二日コースを選んだことを心から後悔しておりました。

    「滝行」一泊二日コースでしたので、滝行を終えたら、部屋や河原でのんびりとすごすのかと思いきや、写経からの先生の法話という中々ハードな体験をさせていただきました。

    ただ、夕食を頂いているときに、なんとなく自分の感覚がとぎすまされているような気がしました。この体験を境に、自分の中で一泊二日で良かったのかもしれないという思いが強まっていき、より積極的に修行に励めたと思います。

    二日目の朝に、般若心経を読ませて頂いたのですが、想像を絶する苦しさで、ヒザは痛く、足首は痛く、ノドも痛くという三重痛で、人生の中でも五本の指に入る厳しい三十分間でありました。

    そのことを、朝食の際に子供たちに話したら、「前に五時間般若心経を唱えました。」とケロッとした顔で言っており、自分の弱さと子供達の強さを痛感しました。

    滝行をしたいだけの軽い気持ちで来てしまったわけでしたが、苦しい思いもしましたが、皆様と生活を供にし、自分と向きあうことでしか得られないものも確かにあったと思います。

    今はまだ、自分が何を吸収できたのかは、未熟さ故に分かりませんが、今後の人生を生きていく上で、間違いなく糧になると思っています。

    いつかまた、自分が少しでも成長できましたら、また一泊二日で滝行をしたいと思いますので、その時もよろしくお願いします。

    今回は、一泊修行を体験させて頂き、ありがとうございました。

    最初は半日滝修行だけを予定していたのですが、ホームページや動画等を見ているうちに、一泊修行を体験してみたいと思い申し込みました。

     

    申し込んだ理由として、現在うつ病を患い、休職中なのですが、うつ病になる前は好奇心の塊のように何にでも興味があり楽しく過ごせていたのにうつ病を患ってからは仕事も趣味も、とにかくあらゆる事に興味が持てなくなり、一日でも早く以前の自分を取り戻したいという思いからです。

     

    とは言え、修行はとにかく初めてで何も分からないので、この日が来るのがとても不安だったのですが、終わってみたらやはり来て良かったと思いました。

     

    まず、一番心に残ったのはやはり滝行で、梅雨のこの時期は水量が多いのだろうなとは思ってはいたのですが、私が滝行を行った日が最も水量が多いと聞かされ、先生からも「あの水量じゃ死ぬよ」と脅され、ビクビクしながら行きましたが、本当に半端ない水量でした。

    しかし、ここまできて滝行をやらずに帰っては来た意味がないと思い、思い切って滝に飛び込みました。

    入ってすぐはあまりの水圧で声も出ず、本当に死ぬなと思いましたが、何回か唱えてるうちに声も出るようになり、座ってからは更にたたきつける様な滝に襲われましたが、時間がたつほどに心地よくなってきて、出てからは、もう少し打たれていたかったと、物足りなささえ感じました。

    山から降りる時はとても清々しく、機会があれば又滝に打たれたいと思いました。

     

    声出しも、普段大きな声を出すという事がないので、最初は少し恥ずかしかったのですが、腹の底から声を出すという事がとても気持ち良くて、自分の中にある悪い物も吐き出せた気がします。

     

    写経と写仏は、まず墨をする事が本当に久し振りで、何も考えずひたすら墨をすっている時間や、夢中になって経や仏様を書き写している時間が、とても贅沢に感じました。

     

    あとは何と言っても食事は美味しかった事。

    野菜だけなのに物足りなさを全然感じず、どれもこれもがとても美味しくて、特にドレッシングが毎回味付けを変えてあって作り方を教えて頂きたい位です。

    私は調理の仕事をしているのですが、調理場があまりに本格的なので、それもびっくりしました。話を聞けば、先生が料理の仕事をされていたとの事。やっぱりなー、と妙に納得してしまいました。

     

    今回の修行で学んだ事、人としてどんな生き方をすれば良いのかや、プリントや法話をきいて、色々教えて頂いた事を、早速実践しようと思います。

     

    又、機会がありましたら是非修行したいと思います。その時は又よろしくお願い致します。

     

    色々とお世話になりました。どうもありがとうございました。

    平成から令和へと時は流れ、10連休をどう過ごすか…

    仕事が休みなだけで、いつもとたいして変わらぬ日々を過ごし無駄に時間だけが過ぎてゆくというのが今までの私。

    なので、今年は何か一つでもこれをやったという充実感のある休日にしようと思い一泊二日体験修業を行うことにしました。

    予報に反し初日の天候は小雨の降る中、お百度参り、滝行など行いましたが、暖かい日よりも少し寒い日に行う事で更に修行となるのではという気持ちでした。とは思いつつ、息も白くなるし、どのくらいの間滝に入っていられるのか、30秒くらいしかもたないのではないかという不安もありました。

    でも、誰に言われた訳でなく自分の意志でここまでやって来たのだから出来る限り、やれるだけやるしかない。

    普段あまり大きな声を出すこともないのですが、必死の思いで「南無大師遍照金剛」を唱え5分程は滝に入っていられました。一緒に参加した方々の応援がとても有難かったです。本当に一人では5分もいられなかったかもしれません。

    かなりの勢いで滝が頭に当たり、血管がぎゅーっと縮むような感覚、あと一回お経を唱えたら手を挙げて辞めよう…と何度も思いました。が、あと一回あと一回と続けるうちに「ラスト」の声がかかり、なんとか一つやりきったと満足しています。

    滝から出ても手のしびれ、震えがしばらく止まりませんでした。

    私の中の悪いものが少しでも洗い流されたと同時に、何か一つ、どんな小さな事でも成し遂げられたという喜びが自信にも繋がるのだと思いました。

    朝や食事、1日の終わりの挨拶も大きな声ではっきりと。当たり前のようでいて、出来ていないことが多いので、これからは「積極的」に取り組んでいきたいと思います。

    人として人間力を高める努力が必要だと思いました。普段の生活の中でちょっとした事に気づきさっと行動する気配りだとか、自分の目の前しか見えていなかったり、人に迷惑をかけてしまうことも多々ありますが、意識して今までの習慣や考え方を変えていかなければと思いました。

    非日常体験をして色々考えさせられました。楽しいお話、お経のお話も沢山聞けて良かったです。本当にいい経験になりました。

    色々お世話して下さった聖覚さん、天光寺の皆様、一緒に体験した皆様、有難うございました。

    一泊二日という限られた短い期間ではありましたが、優しさをもって接して頂き、また多くのことを教えて頂き本当にありがとうございました。また普段おろそかにしてしまいがちな礼儀、作法の重要さを再確認できました。

    今回、修行に参加させて頂いた理由は、自分自身が家庭、職場などの人間関係に悩みを持っていたからです。自分は怒りによって自分の感情をコントロールできなくなってしまったり、そうならなかったとしても、怒りによって他人のことを悪く思ってしまいます。そんな自分に対して自己嫌悪してしまい負のスパイラルに入りこんでしまっていると感じました。なんとか嫌なこと、自分にとって理不尽だと思うことも素直に受け入れられるようになりたい、怒りの感情が先に出てくるような人になりたいと思っていた所に、友人から今回の修行の誘いを受け、自分の悩みの答え、ヒントでも見つければいいなと思い参加させて頂きました。今回参加させて頂き、正直これが答え、これでもう大丈夫というものは見つかりませんでしたが、たくさんのヒントを得ることができました。まだ自分の中で消化、飲みこみきれていないものも多く、今の段階で心に残っているものをいくつか書かせて頂きます。

    まず、今回の経験で自分に一番必要なものは「積極性」だと思いました。自分の中で問題点はわかっているが、解決法がわからず、解決法がわからないのであれば自分にはどうしようもないと悪い開き直りをしてしまっていたと思います。今回の修行体験も友人の誘いですが、今後は受動的にいるのではなく、能動的に動くよう変わらないといけないと思っています。

    問題点がわかっているが解決できないなら、その問題から逃げずに、乗り越えられるまで努力を続けることが大事だと思い、今後行動に移す勇気をもらえました。長時間の読経や滝行も辛いと感じる瞬間はありました。しかしそこで諦めずに自分なりではあるけれども歯をくいしばって耐え続けることで達成感がありました。今後も辛くて嫌だと思う事があると思いますが、やり切ることで得られるものが絶対にあるとわかったことで勇気をもらえました。

    どうしてもここに書いておきたいことがもう一点あります。

    それはお坊さんがして下さった「成仏」の話です。仏を敬うことは誰しもがすることだけれども、人間もどんな人でも敬うべきなんだというお話です。

    死を迎えると人間は成仏する、つまり仏に成る、だから現世の生きている人間は必ず仏になる存在なのだから敬うべきだと言われ、感動しました。正直、自分の中でどうしても敬うことができない人や嫌いな人がいます。今まではその人たちと接していると負の感情を抱いてしまいそんな自分に自己嫌悪してしまっていましたが、今後過ごしていく上で素晴らしいヒントになりました。

    教えて頂いたことに対して感想文の内容がともなっていなければ申し訳ありませんでした。それでも今回のことは自分にとってとても重要なことでした。

    短い間ではありましたが、本当にありがとうございました。

    今回、一泊二日の修行体験を経験して、当初の目的は日ごろの代わり映えしない毎日に刺激を、今一度心を見つめ直し一つの区切りをつける為に参加させて頂きました。

    まず、滝行を経験して気持ちの面で余裕が持てる様、積極的対応・行動をとる事が出来ずにいましたが、滝行を終えた後には一皮剥けた自分になっている様な心持ちになりました。

    例えば写経を行った時も墨のにじみ具合が気になり失敗してしまうかもしれないと、今までの自分は考えたと思います。でも今回は自分を信じきれた(?)のかはわかりませんが、

    自信を持って写経を最後までやりきりました。最近、こんなにも長い時間集中して何かに取り込むこともありませんでした。写経に限らず、写仏、お百度参り、般若心経と無心になって自信を持って行動、体験出来た事は、今後の人生にとっても宝になると思います。

    また、私にとって法話の時間も心に響いた一つです。私が新入職員として就職した際に似た様な話を私の教育係から指導された事を思い出しました。当時は若かった事もあり、指導者からの言葉は私にあまり届いていなかった事を思い出しました。指導者と私の間にはかなりの温度差がありました。その方とは七年間共に仕事を行いましたが、表面上の関係で終わってしまいました。数年後、飲み会の席でその指導者と再会して思った事があります。相手の気持ち、考えなどなど、自分は若かったな、足りなかったなと、思い当時をふり返って話をしました。最近、仕事をしている内で当時の自分と同じ様な事をしてしまう時があり、気を付けないと、と思うも心のコントロールがつかずに、相手を不快にさせてしまっている事があります。法話の中で心のもち方、再度、自分に落とし込む事ができたと思います。自然に身体をまかせ、力まず、人を愛し、感謝の気持ちを忘れずに、今後も今の仕事を行っていこうと思います。

    今後の人生においても「心のもち方」を心底に置き、人生に迷いそうになった時には初心に戻り、今回の体験修行を思い出したいと思います。

    本日は皆様ありがとうございました。

    私は今回天光寺さんで体験修行をしました。

    私が体験修行を受けようと思った理由は、元号も変わり新しい元号がスタートするのでそれに伴い自分自身の気を引き締め直したいと思ったからです。

    今勤めている会社では、学校を卒業してからずっと働いているので少し気の緩みがあるのか最近ミスが目立ち始めました。また、私生活では去年に結婚しこれからなにかとお金がかかってくるのも理由の一つです。

    まず最初は、挨拶の作法から始まりました。

    いかに自分が普段だらけた挨拶をしているのかが身に染みて伝わってきました。

    次に行ったのは、お百度参りです。こちらでは、久しぶりに運動をしたからか全然走れませんでした。昔は、このくらいの距離で疲れる事はなかったのにと思いました。

    次は、滝行です。私が、今回の体験修行で一番楽しみにしていた修行です。

    入水してみるとビックリしました。見た目からは、想像できない迫力から一瞬で出てきてしまいました。そして、心を落ち着けてもう一度入りました。その時は、今までにないぐらいに集中しておりまさに自分自身と対話できたような感覚でした。

    その後、写経をしました。筆を持つのは久しぶりでした。私が、あまり手先が器用ではないのと短気な性格なので写経はとても苦労しました。今回の中で一番修行感が強かったです。

    今回の修行で得られた事は、本来の自分自身を取り戻せたような気がします。

    本当の自分自身の成長や精神力強化にもつながったと思っています。

    本当にありがとうございました。

    久しぶりに大切なものを思い出させて頂いた2日間となりました。私が感じた大切なものは、以下6点です。

    • 人に感謝を伝える
    • 礼に始まり礼に終わる
    • 鍛錬する事、あきらめないことの大切さ
    • 手をかけて作られたお料理はとてもおいしい
    • 一つ一つの動作に手間をかける
    • 鉛筆は文字を消すことが出来る。パソコンなどの電子文字で伝えられないことが伝わる

    私には息子がおります。2歳9ヶ月です。子を妊娠してから今日まで、4年1ヶ月自分自身を顧みる余裕もなく、バタバタと毎日を過ごしていました。ちょうど1年前の1月に2回目の起業をし、お店をオープンさせてから4月14日で1年になりますが本当毎日バタバタしていたと思います。日々の雑踏の中で家族や友人、仕事仲間いらしてくださるお客様に向き合う自分自身の立ち振る舞いを考えるきっかけそして時間となり本当に良かったです。

    • 人に感謝を伝える。これは滝行の時に強く感じました。正直想像以上に冷たく自分は一人では何もできない、ちっぽけな存在で、皆様の応援があったから越えられたと感じました。滝から出た後は心の底から皆様への感謝の声がでたのですが、次の日たくさんの人に支えて頂きお世話になっているこのことを滝から出たあの時間のようにもっと伝えるべきだし、伝えきれていないひとがたくさんいるなと感じました。
    • 礼に始まり礼に終わる。中学生の頃から武道の精神が好きで剣道をしていました。人に挨拶する、あいさつだけでなく気持ちで届ける意味が言霊にはこもっていると感じています。一挙動一挙動自分の立ち振る舞い所作を心のこもったものである自分でありたいです。
    • 鍛錬すること、諦めない事の大切さ。全ての行を通じて感じました。一つのことをやり遂げる事集中して取り組むことが最近まったくできていなかったので、人の手をお借りせずとも、集中してものごとに取り組む時間と意識ができると単発の集中力も上がると思いました。
    • 手を掛けられて作られたお料理はとてもおいしい。文字通りですが、とてもご飯が美味しく幸せな時間でした。ついつい時間がない事を理由に出来合いのものばかり取り入れてしまう。食事に対する感謝も栄養素もかけていたと思うので、お家に帰り季節のお野菜や彩、味付け鮮やかな食卓にしたいです。
    • 一つ一つの動作に手間をかける。当たり前の事かもしれませんが、靴を脱いだら整える。扉を閉める。当たり前のようで辺り目に出来ていなかったように感じます。「礼に始まり礼に終わる」に通ずるものだと思いますが、一つ一つ丁寧に手間をかけることの大切さを学びました。
    • えんぴつは文字を消すことが出来る、パソコンなどの電子文字では伝えられないことが伝わる。ボールペンばかり使ってました。日々に鉛筆を手にしましたが、消しゴムで文字が消えることに感動しました。何度でも書き直すことの出来る素晴らしいお道具ですね。また写経している時に一つ一つの文字の意味が頭に思い浮かびました。パソコン文字も便利ですがゆっくり写経する時間を1文字1文字大切にする大切さを学びました。

    初めは、滝行半日体験のみを申込差し上げましたが色々なお話を負うかが出来、先生、天光寺の皆様たまたま一緒になりました、男性お二人にたくさんのお気づかいや気づきを頂き、良き2日間となりました。本当にありがとうございました。また今度は仲間も連れてお伺いします。

    今回の体験修業では、滝行やお百度参り、写経などの行、掃除や食事の準備など寺での生活の体験、先生や職員の方のお話を聞くことなどができそれぞれ多くのことを学び今後の生活に活かせる気づきを得ることができました。

    行を行って得た物は自信と達成感です。体験修行中に行ったものは、どれも簡単にできる物ではありませんでしたが、特に辛いと感じたのは滝行です。体験修業中2回滝行に挑戦し、結果として2回とも制限時間以上行えましたが、何回やっても順番を待っている間の不安や行の最中の辛さはなくなりませんでした。その様な精神的に追い込まれた状況での挑戦で、しっかりと結果を残せたことはプレッシャーに弱い私にとって大きな意味があったと感じました。

    寺での生活の体験で得た物は効率性と連携の大切さの再理解です。建物の構造が複雑だったり、スケジュールが過密だったりする寺の生活においては時間をいかに有効に使うかが大切でした。物一つ取りに行くだけでも動線が長くなってしまうのでどの様に動けば最も効率的なのか考えながら動くことが必然的に求められたため、自然と何か行動を起こす前に一度考えるという行動を取ることができました。掃除や食器の片づけの場面では、行う内容や人数によってどの様に役割分担をすれば効率的に無駄なく動けるようになるか様子を見たり、声かけをしたりすることが重要でした。大切ですが忘れがちな基本的なことを改めて学ぶことができました。

    先生のお話で学べたことは色々ありましたが、特に強かったのは、「積極性を持つ」というキーワードです。色々な話を聞く中で私はこの言葉の意味を「自分の力を信じて問題に恐れず立ち向かっていくこと」と捉えました。自信がなく問題が起こる度に不安が強くなり行動が起こせなくなったり、非効率的な動きをしてしまうことが多い私にとってこの言葉は大きな力になってくれるキーワードになりました。

    二泊三日の体験修行で今後の生活に活かせる色々な学びや気付きを得ることができ意識も変えることができたと思います。3日間お世話になりました。本当にありがとうございました。

    今回は知人の誘いで、一泊二日の修行体験に参加させていただきました。滝行は聞くよりも見るよりもつらく、滝に入ったとたんに、「出たい!」と強く思うほどでした。一日目の夜も深まるにつれ何かしらの気配を感じ始めました。これほど近くに感じることは初めてで戸惑いましたが、担当の方が常に近くで気にかけて下さり心強かったです。二日目の瞑想では空間がゆがみその後、「地獄」、「畜生獄」、「曼荼羅金剛界」、「青白い世界」を見ました。

    その後は姿勢を保てなくなり、辛かったです。今まで見て来なかった世界に触れることが出来た気がします。ご飯は毎食とても美味しかったです。教えていただいたレシピを元に家でも作ってみたいと思います。

    一泊二日の体験修行を終えて、今まで素通りで立ちどまって深く考える事のなかった事を改めて考える、興味を持ってみる事の大切さを再認識できた事が今回の一番の学びだった様に思います。

    予想外の天候から始まった修行ですが、お百度参り、滝行はむしろ過酷な天候下だったからこそ修行の辛さ、また、自分の心の弱さを感じる事が出来ました。感謝です。

    修行以外の部分においてはお話しの中にもあった寺の敷居が高くなっていて普段近付きづらいというのは大方当たっていて当方もどこまでフランクに修行が出来るのか案じていた部分が多少ありましたが先生、従業員さんを始めとした皆様に非常に近い距離感で接していただいた事もあり、寺院の存在が今後身近に感じられる様になりました。

    初心忘るべからずとは良く言いますが今回の学び、感じた事を今後の私生活に活かしながら精進したいと思います。

    とは言え人間ですので忘れそうになってしまった際にはまた改めて門を叩かせていただく所存ですのでその折にはよろしくお願いいたします。

    昨日、本日とありがとうございました。

    今回、初めての滝行をしたく、1人で来させていただきました。

    滝行やお寺での体験修業を考えたのは、日頃の仕事での人に対する自分の対応のやり方や、大切な家族の妻や2人の子供達に対する、接し方や、しゃべり方、動き方、全てに対して考え直したく、何か考えていた所、天光寺さんを見つけて、1泊2日という短い期間でしたがお願いしました。

    今回は、1人の予定でしたがテレビ局の撮影があり2人で初日を体験させていただきましたが、一緒にやってくれた方がすごく頑張っており、自分よりも年上の方が出来ているのに自分が出来ない事はないとふるい立たせる事が出来ました。それだけでなく、2人でやる事で遅れないようにと頑張って行う事が出来、もし、1人だったらお百度参りが最後まで出来ていたかわからず、相手がいる事の大切さを学びました。

    それ以外にも1つ1つの行動や物事に対して感謝する事の意味や、水や土、草、花、食べ物全て自然の大きさをまのあたりにしました。

    滝行で水に反しないように入るように言われたのに上手に出来ずすぐ頭痛がしてしまい、情けなく思いました。しかし、体験して、すごくスッキリしました。

    何が?と聞かれても正直「コレ!」という答えは言えず、体験してみて初めて理解出来る事かもしれません。

    修行中だけでなく、食事中のお話しや、あい間あい間のお話しもとても参考になり、今後の自分に対して、見つめ直す事が出来たかなと思います。

    マイナスに考えず、プラスに考え、相手が本来伝えたい事を理解する事や、相手に伝える時の言い方や想いやる気持ちをもってやっていこうと思います。

    短い期間でしたがありがとうございました。

    私が、こちらのお寺に修行しに来た理由は2つあります。

    一つ目は、最近生活リズムが崩れ体調が優れないのでそれを改善できたらというのが一つ目の理由です。

    二つ目は、これから仕事で大きな取引があるので気を引き締めるためにも参加させて頂きました。

    修行の内容としては、お百度参りと滝行そして、写経です。

    まず、お百度参りですが想像以上に辛かったです。お経を唱えながら走ると通常よりも疲れました。

    ですが、終わった時の爽快感は他では味わえない物でした。普段あまり運動をしないので運動をしてかいた汗は久しぶりで心が洗われました。

    次は、滝行です。滝行をする為にくる方もいるみたいなので少し楽しみにしていました。

    私は生まれて初めて滝を間近で見ました。改めて自然というものについて思い知らされました。

    滝の中に入るとすごい勢いの水で呼吸もままなりませんでした。

    入っていたのは短い時間でしたがとても長い時間いたように感じました。それだけ、自分自身と向き合えたのだと思います。滝行を終えて身が引き締まる思いでした。

    最後は、写経です。筆を持つのは学生の時以来です。墨の匂いが懐かしく感じられました。そんな事を思っていたのもつかの間集中力はある方だと思っていたのですがお百度参りや滝行の疲れからか眠くなってきてしまいました。

    今回修行にきて、目的だった生活リズムの崩れはお百度参りで走って以来走ることが楽しくなってきて毎朝少しずつ走るようにしたため、改善されました。

    ありがとうございました。

    今回の一泊二日の修行体験で学んだ事はたくさんありました。

    まず、あいさつの作法から教わって一般的な企業的なあいさつでは無くその中でも丁寧な言葉使いで仏教的な世界での言葉使いというものを学べて良かったです。

    また、修行の中での基本の合掌や礼の形をしっかり学べたのでとても良かったです。

    お寺の独特な礼儀や宗派など色々な知識を学ぶことが出来ました。

    次に食事に関して、先生の手作りのご飯はとてもおいしかったです。肉と魚を使用しない料理であれほどまでにご飯が進むことは今まで無かったと思います。

    最終日のお昼のパスタは最高でした。ありがとうございました。ごちそうさまでした。

    修行についても沢山学びました。

    三禮は今回の体験修業ではサクッとしかやりませんでしたが、機会があれば是非もっとハードな修行をしたいなと思いました。

    お百度参りについても後半は少しばてましたが、将来の自分をイメージしながら取り組みました。

    正直こちらも次回タイミングがあえば、企業研修のようにフルのヴァージョンで体験してみたいと思います。

    滝行については先生から、「今日は天気がいいから水もあたたかいよ」と聞いていましたが、現地について水を触った所、心の中で「終わった」と思っていました。

    自分は後半の順番だった為、他の人達をみていて「南無大師遍照金剛」のかけ声がみんな変になっているなと思ってみていましたが、よくよく自分で考えてみたら、あまりの寒さで声がおかしくなっているんだと思い、自分の番が周ってくるのが怖かったです。

    実際やってみて、滝に入る前の頭に水をかけた時点で、アッ無理かも、と思いましたが、実際やってみて本当に冷たい!心が折れそうになりましたが、しっかりかけ声をだし、やがてなにも感じない不思議なゾーンに入った気がします。

    今回一人三分という幅が設けられていたため、こちらも次回良きタイミングで行けたら、同じくらいの時期にまた来て、更なる記録更新ができたらな、と思います。

    その後に行った写経について久々に書道の道具を使用するのに戸惑いました。

    すずりを使用して、墨汁を作るというのも初めてでしたが、無心になって溶かしてました。

    筆の使い方と、元々字が汚い方なので、時間がかかってしまってクオリティーもあまり良くない出来映えでしたが、後半につれて、コツをつかむことが出来て、字一つでも一つ一つこなしていくことで、スピードや精度というものが養われていくものなんだと、改めて気付かされました。

    また夜の先生のお話も色々聞けて良かったです。

    仏教の始まりについてのお話など大変おもしろかったです。

    朝早く起きて、一泊の体験の方達と、まずはお寺の中のお掃除でした。こんなに広い中を掃除機をかけるので大変でしたが、効率よく動く為には、どのコンセントにさすかなど、色々考えながら立ち回れた気がします。

    朝食が終わり、腹式呼吸や声出し、そして瞑想の時間に入りました。

    瞑想の時間は、無心になることが目的ですが、座っている間の足や腰の痛さに耐えられずいつまで経っても無心になる事は出来ませんでした。

    しかしこれは自分でも出来ることなのでやってみたいと思っています。

    その後の写仏についても昨日同様墨から作成して業務に取り掛かりましたが、やはり一番仕上がりが汚いし遅かったのでそれが残念です。

    写仏は細々としたところはムズかしかったですが、おもしろかったです。

    最後にヒーリングを見させて頂きましたが、先生の気の力で楽になっていく人を見て、ものすごく神秘的だなと思いました。

    私は今回体験修業を通して自分についてわかった事はまだ精神的肉体的にも自分に弱さがあると思いました。基本の姿勢もまともにでるし修行の後半眠くなったり飽きてしまう場合が自分の中で少しあったのかなと思いました。

    しかし、いやだと思う事もいやがらずに取りかかって達成あることを今後意識して行っていき、今までの自分の考え方を変えて良い習慣を作り、今後のビジネスに活かしていければと思います。

    先ずは、今回体験修行を受けさせて頂いた天光寺さんに感謝したいと思います。有難うございました。

    ほとんどの人が同じだと思うのですが、人生壁にぶつかり、心の問題を改善し、何事にも屈しない精神力を鍛えようとして参加する方だと思います。

    私も同様で、弱い自分を変え、どんな困難に直面しても負けない強い精神力を手に入れる為でした。

    社会という厳しい環境の中では、人を傷つけたり、不平不満を口にしたり、時には犯してはいけない過ちをするなどしてしまっていた自分を変える為でした。

    恨んだり、嫉妬したり、思い通りにならなかったからといって、相手を誹謗中傷してしまっているのは、自分自身であるのに、今までの思考を改めて、積極的な行動がとれるようになりたかった為です。

    修行のメインであった滝行では、厳しい寒さの中でも、忍耐力、我慢強さ、そしてどんな試練にも負けない精神力を養われた気がします。

    水の冷たさは、身体がこごえるほどで、滝の勢いも相当なものでした。

    初めは慣れるまでに時間がかかりましたが、しばらくすると、体が水と一体化してきてずっと滝に入っていられるような感覚になってきました。

    結果は、初めてでしたが、12分ということで、平均より長かったそうです。

    雨も降っていて、冬の時期の滝行ということもあって、かなり過酷な状況でしたが、厳しい面、精神は鍛えられたのかなと思います。

    その他、挨拶の作法、腹式呼吸、瞑想、写経といった、主に声を出したり、精神を統一する修行では、今までの人生を振り返り、人との接し方、当たり前と感じていた考え方、生き方を強く考えさせられる体験でした。

    初めは普段慣れていないせいか、正座や・座禅をするだけで足が痛くなったり、疲れてしまっていたのですが、次第にその意識もなくなり、集中できるようになっていました。

    日常生活ではあまり意識した事がないですが、挨拶、掃除、礼儀など無意識の中で行っている良い習慣が、人生を良い方向へ導いてくれるのだと実感することができました。

    自分の人生は、自分で切り開らいていくものだし、自分を知るのも自分、自分を愛するのも自分。

    人は、一人では歩んでいけませんが、最終的には、自分が決断し、解決し、道を進んでいくものです。

    人によって価値観は様々ですが、社会の荒波に負けないよう精進して参りたいと思います。

    貴重な体験修行ありがとうございました。

     

    僕は、お寺というところへ一度も行ったことがなかったので、一度行ってみたかったと思っておりましたので夢が叶いました。

    今までの人生中途半端だったのでどこかで自分のだらけきった心を清めてくれる場所はないかと探していたところ、天光寺さんという素敵な場所を見つけることができました。

    僕の人生の中で寺で修行を受ける機会がなかったので、その機会を与えてくださった小籔さん、村田さんそしてスタッフの皆さんに感謝しても感謝しきれません。

    天光寺さんの外観はとても立派で素敵なオーラを感じとれるぐらいでした。

    いざ中に入ってみるとお師匠さんとその修行僧の方々が出迎えてくれました。

    お師匠さんはとても気さくで素敵な笑顔を振りまいてくれました。

    そしてそのお師匠さんの元で修行をされていらっしゃる方々もやはり素敵な笑顔でした。

    1日目は修行着を着させていただき、身も心も「さ~、やるぞ!」という気持ちになりました。そして着替え終わっていよいよスタートです。

    まずは基本であるあいさつ作法からです。正座を組み、腹から声を出す作法を習いました。

    とにかく人に感謝される人間になりなさいとのことで、人に感謝される人間になるには礼儀作法が重要とのことでした。

    あいさつのひとつをやるにしても熱心に教えてくださる天光寺の人たち。

    そして昼食へ。配膳の準備からひとつひとつ丁寧に教えてくれ、なかなか覚えが悪い人もちらほら出てきました。

    昼食後は三禮という修行を行いました。三禮というのはお経を唱えながら正座の状態から屈伸のような動作をする修行で、とにかくこれがキツくて何度くじけそうになったか...。汗だくになりながらも、何とか練習についてくのは危機迫る感じでした。

    その後、夕食が始まり、昼食の様子とうって変わったような雰囲気に圧倒されました。修行僧の見る目が変わった気がしました。

    翌日の朝はそうじから始まり、修行僧の方の目がキラリと光りはじめました。

    その期待に応えるようにテキパキ行動する仲間の成長に目を疑いました。

    その後、一大イベントの滝行がついに始まりました。他の3人がすぐギブアップする中、僕は15分間、滝の中で己を磨きました。

    一大イベントが終わり、お師匠さんのお経が始まり、お線香を仏様に差し上げ体験修行は終了しました。いい体験させてもらいました。ありがとう。天光寺さん。

    天光寺の皆さま、この度は一泊二日ではございましたがお世話になりました。ありがとうございました。今回、転職を機に新たな気持ちで臨もうということで、独りではやらないことに何らかチャレンジしようということで、滝行にトライしようと思い立ち、会社の同期と共にこちらに伺いました。最初は滝行をということでの話ではございましたが、護摩行にも参加をさせて頂き、精進料理などもいただき大変貴重な経験をさせて頂きました。
    とはいえ今日の訪問の重たる目的としての滝行は、お百度参り始まり、足裏の感覚を忘れるように往復し「無」をそこはかとなく感じたうえで滝に入りました。想像をはるかに越えて冷たく、痛く、そして辛いものではございましたが、最終的には何か自然と一体になったような感覚を得ました。この凛々しい感覚をもって新たな職にトライをしていこうと思います。重ねてにはなりますが、この度はありがとうございました。

    変化の多い2019年の始めに心身共に一新したいという思いで参加しましたが、滝行やお百度参りを通じて心を一旦「無」にすることができ、スッキリした思いです。この体験をきっかけに気持ちを新たにまた歩んでいきたいと思います。
    また、様々な教えの中で、多少のことには動じずにポジティブにかつ積極的に生きるというのが身に沁みました。新しい職場で特につらいこともあるとは思いますが、この教えを忘れずにチャレンジをしていきたいと思います。
    2日間ではありましたが、ありがとうございました。

    今回の仕事の部署の異動などの関係もあって連休が取りやすい環境になった事もあり、2泊3日の体験修行に申し込みました。
    瞑想など自分で出来ることは以前から自宅や仕事中などでも行っていたのですが、滝行などはなかなか日常生活の中では機会に恵まれなかったのでとても貴重な体験となりました。十月という時期はまだそれほど気温も低くないのですが、滝つぼの水はとても冷たく感じ、頭から滝を浴びると一瞬で出たくなるほどとても冷たかったです。
    しかし十秒ほど耐えると冷たさもマヒしてむしろ気持ちよく数分間入っていることが出来ました。とても貴重な体験をありがとうございました。
    滝行の他にも、読経や写経、写仏などなかなか普段は持続できない長い時間集中力を要するもので、正直疲れもしましたが、心地いい疲れで達成感も得られました。
    私がこういった精神世界などに興味を持ったきっかけは若いころに体験した幽体離脱です。あまり人に言っても信じてもらえる内容ではなかったので今までも語ってはこなかったのですが、とても神秘的な体験で何度か再現させて楽しんでいました。
    私のやり方では、寝ているときに瞑想してトランス状態に持って行くのですが、年を重ねる中で仕事や家庭など忙しくもなりなかなか成功しなくなってきていました。
    瞑想のコツなどを取り戻すいいきっかけになればと思って今回参加させて頂き、今後に生かせる良い体験が出来たと思ってます。
    今回途中で体調を崩して二日で帰ることになってしまいましたが、また機会があったら今度は妻でも連れてもう一度参加させて頂きたいと思います。ありがとうございました。

    私が体験修行を受けた理由は、自分を見つめ直そうと思ったからです。

    自分を見つめ直そうと思ったきかっけは、今まで勤めていた会社を辞めたことです。

    毎日仕事に明け暮れていて心の休まる暇のなかったせいか少しずつ自分自身を見失っていきました。日に日に自分が自分じゃなくなっていく感覚とても怖かったです。ある日、会社を辞めることを決意しました。そこから1週間ほど自分の好きなことをやっていましたがそれでも心が休まることはありませんでした。そこで、学生の頃からよくしていただいている先輩に相談したところ天光寺さんを紹介していただきました。

    その話を聞いてからすぐに申込ました。そして、当日私はお寺について周りの景色をみてこんなにも自然豊かな場所にあるんだと思うと同時にこういうところにきたのは社会人になってから初めてだったので感動しました。受付をして、早速修行開始です。

    私が、申し込んだ内容は滝行を受けられるものでした。まず初めに、挨拶等の礼儀作法を習いました。次に、行ったのは写経です。筆をもつのは久しぶりでした。墨の匂いが心を落ち着けてくれました。その次は、お百度参りです。お百度参りでは、とても疲れたけれどもこんなに気持ちの良い汗をかけた喜びをかみしめていました。

    いよいよ滝行です。滝を目の前で見てもそれほど勢いがあるように見えなかったので温泉やプールなどにあるものと同じ感じなのかと思っていましたが、いざ滝を受けてみるとビックリしました。修行に来る前に天光寺さんのホームページにある感想文を読んだ時にこんな風に感じるなんて大げさだなと思っていたのですが見るのと感じるのではこんなに違うのかと感じ改めて自然の偉大さを思い知らされました。滝行で、心だけでなく体の疲れそして、先入観というものを失くしてくれました。

    今回体験修行を受けてみて、心が癒されるのを感じました。こうして、パソコンやビルなどの人間が作り出したものに囲まれていると自然というものを目の当たりにしたときにいかに自分がちっぽけな存在か思い知らされます。自然に囲まれているだけでなんだかパワーをもらったかのようにいつも以上に体が動かせるような気になりました。

    これから、新しい就職先を見つけるなど色々やることがあるのですが、頑張れそうです。

    ありがとうございました。

    今回、仕事の部署移動などの関係もあって連休が取りやすい環境になった事もあり二泊三日の体験修行に申し込みました。

    瞑想などの自分で出来ることは以前から自宅や仕事中などでも行っていたのですが、滝行などはなかなか日常生活の中では機会にめぐまれなかったので、とても貴重な体験となりました。十月という時期は、まだそれほど気温も低くないのですが、滝つぼの水はとても冷たく感じ、頭から滝を浴びると一瞬で出たくなるほど、とても冷たかったです。

    しかし十秒ほど耐えると冷たさもマヒして、むしろ気持ちよく数分間入っていることができました。とても貴重な体験をありがとうございました。滝行の他にも、読経や写経、写仏などなかなか普段は持続できない長い時間集中力を要するもので、正直疲れもしましたが心地よい疲れで達成感も得られました。

    私がこういった精神世界などに興味を持ったきっかけは若いころに体験した幽体離脱です。

    あまり人に言っても信じてもらえる内容ではなかったので今までも語ってはこなかったのですが、とても神秘的な体験で何度か再現させて楽しんでいました。

    私のやり方では寝ているときに瞑想してトランス状態に持って行くのですが、年を重ねる中で、仕事や家庭など忙しくもなりなかなか成功しなくなってきました。

    瞑想のこつなどを取り戻す、いいきっかけになればと思って今回参加させていただき、今後に生かせる良い体験ができたと思っています。

    今回途中で体調を崩して二日で帰ることになってしまいましたが、また機会があったら今度は妻でも連れてもう一度参加させていただきたいと思います。ありがとうございました。

    今回初めて寺で修行体験で、緊張しましたが、普段生活していく中で、携帯を扱うことが多い中、預けたおかげで参加者との交流が出来ることがとてもうれしく思いました。

    写経をすることで集中力を得ることが確立できました。

    小さな文字を小筆で書くことで、ゆっくりと時間を費やして書くことができました。帰宅後も新聞や書道をすることで、「無」の時間を増やしていきたいと思いました。

    「病気平癒」という四字熟語を選んだのは、今年は、身近にいる人が素直になっていない人が多くストレスを感じていました。

    家で、食欲を失い、ペットに慰めてもらい、家族に感謝する年でした。

    お百度参りでは、体力がないことに気付き、大声を出すことがないので自宅ではご近所迷惑になるので、カラオケで出していくことを誓います。

    滝行をした際に、「日本語分からないの?」と言われたことにより、漢字検定と読書をすることに決めたいと思います。

    自分だけで生きていけないということが分かりました。皆と協力して生活することで楽しむことが出来ました。

    正座は修行を行う上で欠かせない座り方であるが、なぜあの座り方なのか。

    空海様は、幼少のころから神童と呼ばれていたと教えていただいたが、どの分野(漢文、数学、理科)において優秀だったのか。

    修行を続けるとどうなるのか?など、疑問に思うことが多々あり、今後本を読むなどして勉強しようと思った。

    東京にもこんなにも自然豊かで、川や緑がキレイな場所があることを知れた点、お百度参りを体験できた点、滝行を体験できた点、写経を体験できた点、里芋の根っこを使用したおかずとスープが美味しかった点、友達の良いところ、尊敬できるところを再確認できた点、以上六つの点が今回、この二日間の体験に参加して良かった点である。

    今回二日間の体験を通して、何事も体験、経験してどのようなものなのか知ることが大切だと改めて実感した。

    これからも多くのことに挑戦して、自分が好きなことやモノをたくさん見つけたいと思った。

    私は、自分を見つめなおし、迷いを振り払うために天光寺に来ました。一泊で様々な修行を通して自分をゆっくり見つめ直すことが出来ました。

    普段の日常生活では、時間に追われる毎日で自宅に帰っても、やることを終えたころには夜も遅く疲れて寝てしまうという毎日でしたが、静かな森に囲まれた自然あふれる環境の中で時を気にすることなく、ゆっくりと写経や瞑想をしたりすることで冷静に物事を考えられる時間が取れてとても良かったと思いました。

    自分のことで精一杯になると親や周りにいる人々への感謝の気持ちを忘れがちになってしまっていたので、改めて感謝の気持ちがあふれてきました。

    また、滝行もとても気持ち良かったです。滝行前のお百度参りでは、灼熱のコンクリートに素足で立っていると、足が火傷しそうで痛かったですが、全速力で無心で走ることで痛みが和らぎ、なんとか成し遂げることが出来ました。

    その後に行った滝行は、素足で歩くのがとても辛かったですが、冷たい水に入り無心でお経を唱えて滝に打たれてみると、最初は冷たくてダメかもしれないと思いましたが、すぐに慣れあっという間に時間が過ぎてしまいました。

    滝行の後は、心も身体もすっきりして気持ちよく過ごす事が出来ました。

    悪いものが流されような気持ちになり、終わった後には「またやってみたいな」という気持ちにすらなりました。

    寝る前に聞いたご住職のお話もとても勉強になりました。

    人は何のために生まれてきたのかや、人への感謝の気持ち、チャンスをものにするための心構えや、色々な苦についての話や仏教についての話など、沢山学ばせていただきました。

    お食事も思っていたよりもたくさんの品数で味付けもよく美味しく頂きました。

    朝食のおかゆは塩が丁度良くきいていてとても美味しかったです。

    今回は十歳の子供とお世話になりましたが、機会があったらまた利用したいと思います。

    今回はどうも有難うございました。

    私は30代後半の女性です。滝行に参加しようと思ったきっかけは、職場の人間関係に悩んだからです。人と接するのが怖くなり、人の顔もまともに見ることが出来なくなったことで、このままではマズい、もっと強くならなければと思い、己と向き合い強靭な精神を養うために天光寺さんでの滝行に参加させてもらいました。

    今は若い子たちの中でも人気なようですが、私にとっては藁にも縋る思いで臨みました。

    滝を目の当たりにしたときは、思っていたよりも迫力がすごく、周りの空気も一気にひんやりとし、とても神秘的で後光がさしているように見えました。

    その時点で私には何の迷いもなく、自ら滝に進んで入ることが出来ました。

    きっとこの滝が私を変えてくれる!と思い、冷たい、痛いなどと感じることは不思議となかったです。無心になり、滝に打たれながら「南無太師遍照金剛」と唱えていたら、この滝が今までの私の悩みをすべて流してくれたのではないかと思うぐらい、気持ちが軽くなりました。

    終わった後のすっきりさ、まっさらな晴れ晴れとした気持ちは本当に生まれて初めてでした。

    悪霊を取っていただいたわけでもないのに、滝行だけで人ってこんなに変われるんだなと思いました。私のように人間関係で悩んでる人とか、なにかうまくいかないとか、気持ちを切り替えたい人は是非体験してほしいと思います。これ体験した人しかわからない素晴らしさがあると思うし、絶対にやってよかったと思うと思います。

    私をもう一度やり直すきっかけをくれてありがとうございました。

    私が今回体験修行に参加した理由は、友人からの誘いでした。

    この頃、疲れが溜まってきて些細なミスが増えてきていたのでリフレッシュにちょうどいいと思い申し込みました。

    お百度参りという走りながらお経を唱えるということを108回行う修行では、私はもともと運動が出来る方ではなく普段もどちらかというとインドア派なのでとても疲れました。

    終わった後はすごい汗をかいていました。なんだか汗で身体の悪い成分が抜けていくような感じがしました。

    その後の滝行は、想像を超える辛さでした。漫画などで描写されているそのままでした。

    入ると、火照っていた身体が一気に冷やされビックリしました。

    体感時間では30秒ほど入っていたつもりでしたが、5秒も入っていなかったそうです。

    死ぬかと思いましたが、爽快感を味わうことが出来ました。

    写経は、文字を書くというより絵を描くという感覚でやっていました。絵は昔から好きだったのでとても楽しかったです。あっという間に終わりました。自分でも驚くほど集中していました。周りが静かなのもあるけど、些細な音も一切聞こえないほど集中していました。

    1日体験修行は、とても充実していました。とても濃い一日であっという間でした。

    家に帰るとぐっすり眠れました。

    仕事もミスが減りうまくいくようになってきました。やはり、人間こうしてリフレッシュすべきだなと思いました。

    住職さん、スタッフの皆さん

     

    ありがとうございました。

    私がこの体験修行に参加しようと思ったのは自分の人生に生きづらさを感じていたためです。私はアダルトチルドレンの傾向があり、自分の本当の感情がわからず、ありのままの自分を愛することができないと言う悩みを抱えていました。何とか自分を変えたいと思い、わらにもすがる思いで参加を決めました。まず驚いたのは思った以上に山奥にあったことです。そして体験修行ではスマートフォンなどを最初に寺に預けるのでせわしない日常から離れゆっくりと自分を見つめることができました。1日目の1番最初に挨拶、食前食後など作法を学びました。日頃当たり前のように食事をしていましたがここにきて食前にお経や感謝を述べることにより改めてそのありがたさを感じることができました。

    お百度参りでは1日目は正直余裕を持って走ることができました。しかし2日目からは前日の筋肉痛さらには足の裏の皮もはげており1日目の倍以上にきつかったです。まだ現在2日目が終わったところなので明日はもっときついと確信しています。ただ自分の限界まで走ることによって無心になれて大きな達成感を得ることができるのは間違いありません。

    そして滝行は想像以上にきつかったです。見ている方と実際に滝に打たれている側では全然違うのだと知りました。まず夏にもかかわらず水温が冷たくて滝に打たれる前、顔・肩・胸に水をかけた段階で心が折れそうになりました。それでも「自分を変えるんだ」と、自らを奮い立たせて、勢いのまま滝に入りました。容赦なく頭へ降り注ぐ、滝は「冷たい」という感覚が1番最初で、次に「痛い」という感覚になりました。そして同時に「苦しい」という感覚になりました。お経を唱えるのも、命がけというくらい息苦しく、水は遠慮なく口に入ってきました。それでも強い決意を持って臨んだので自分の限界を越えた限界まで入っていることができました。滝から出た直後は急激な寒さにおそわれましたが、同時に心は清々しく、大きな達成感を得ることができました。

    それから、この体験修行では食事は、肉魚がほぼ入っていない精進料理だったのですが、味は美味しくて、決して物足りなさを感じさせないものでした。朝はお粥なので胃腸にも優しく健康的でした。

    写経も初めて体験させていただきました。正直、筆の扱いが苦手で漢字の細かい部分がうまくいかず、イライラもしてしまいました。その後の写仏は非常に楽しく取り組めました。写経との違いは自由さだと思いました。人によってどこから書き始めるかなどそれぞれです。無心に取り組むことができました。瞑想は楽しみにしていたのですがほとんど何も説明のないまま始まりただ音楽を聴いているだけなので、正直、家でやってる方がリラックスできるし、ほとんど変わらなかったので少し残念です。読経ではそれぞれのお経にはそれぞれの意味があることを学べて良かったです。

    今現在、二日目が終わろうとしています。自分の中で何かが変わったかどうか分かりません。まだ心のどこかで「早く帰ってビールを飲みたい」などと言う気持ちがあるのが正直なところです。来る前よりは自分を受け入れることができるようになっただろうか。わかりません。

    今はっきりと変わったと分かるのは、全身の筋肉痛だけです。とは言えあと丸一日あります。体は限界に近いですが残りの時間を後悔ないように精一杯、行に取り組み、少しでも何かを得て、帰りたいと思います。

    私が体験修行、特に滝行を行おうと思った背景は、後に詳述するがそう心に決め、関東で私の行ける日程で滝行・写経・座禅等を行える寺院をインターネットで検索したところ、天光寺が最も条件に合致。インターネットでの予約を受け付けており、日程も修行に臨む者が自由に日程を決めることが可能。また開始日のみならず、修業期間も修行者が決めることができた。

    修行の内容についても相談可能。

    インターネットのフォームに入力後、1日後に返信があり返電にて予約を確定。仕事の関係上日程を迷っていたこともあり来院2日前に確定した。

     

    体験修行を行うに至った背景

    簡潔に申し上げると今年に入り離婚したことと、30歳と言う節目の年齢であったことから禊的な意味と生まれ変わり、また心新たにこの先の人生を送りたい、主体的になりたいという気持ちからでした。

    自己肯定感が低く承認欲求が強いためか誰からも好かれたいと言う気持ちがあり、強引な人やいわゆる押しが強い人に弱く、プライベートではきちんと自分で熟慮し、決断しなかったためか離婚してしまいました。自分では倫理的、真面目に過ごしているつもりでも既婚者に誘われたり、職場でセクハラに遭ったりと不本意なことが続きました。厄除け等にも行きましたが自分の心の有り様、姿勢が正しくないことが原因と思い誕生日に滝行・読経・写経・座禅ができるこちらの天光寺にお世話になることにいたしました。

     

    修行を終えて

    私は修行受けた背景はこの通りでしたが、真理とは授かる、外からもらおうとするものではなく、自分と向き合い、宇宙の真理を心得、体得するものであると感じました。その手伝いを先達の修行者や僧の方々にいただきながら行うのが修行と思いました。いかに主体的に、積極的に与えられた生を生きるか、これからより向き合っていきたいと思いました。

    まだ序の口と思うのでまた修行を経験したいと思います。ありがとうございました。

    このたびこのような体験をさせていただき誠にありがとうございます。今まで自分自身をしっかりと見つめ直すきっかけもなく、そのまま何も考えることなく人生を送ってきました。

    そんな時にふとしたきっかけで検索していて見つけたのが、天光寺さんのホームページでした。もしかしたらこういうのがきっかけとなり、今までの自分から脱皮し、新たな自分自身に気づき向き合えるのではないかと思い申し込みました。仕事でも今までずっと飲食業を行ってきましたが、色々とあり約2年ほど前から友人が経営しています。施工会社で働くことになりました。そのきっかけは以前自分の店を頼んだことがありその店がだめになり、バイトを掛け持ちしてるところを社長に声をかけていただきました。

    正直最初はたかをくくっていて多分自分なら少しの時間で仕事の内容を覚え、会社のためにてきぱき働いているつもりでしたが一向に仕事内容が覚えられずに、道具、段取り、その他色々と一度は説明していただいてるにもかかわらず次のときにはそのやり方を忘れてしまいました。そのやり方を再度聞くと言うことを数回もしてしまいました。

    そして気が付くと間違いを犯してしまい会社に迷惑をかけていたのです。今までやってきた飲食業では決してないことで、まさか自分がこんなに仕事ができなく、覚えが悪いと思いませんでした。それを自分の勉強不足、努力不足にも関わらずに、周りの人が直してくれないからと人のせいにしていたのです。コミニケーションも以前から初対面の人は苦手でしたがまさかここまでコミニケーションがとれなく仕事に影響しているのはと驚きました。

    その自分の気持ちがどんどんマイナス思考へと変化していきどうせ俺なんて何もできない。僕が何か言ってもどうせ聞いてくれないだろう。など数多くのマイナスな考えが頭から離れず、仕事が全くうまくいっていませんでした。そんな自分がこの仕事についてだめなところ、嫌なところが明確にわかってきていつも変えなきゃダメだと思ってはいて次の日から変わるぞと言う気持ちで仕事場に行ってもまた小さなミスをしてそこからすぐにマイナスな自分が出てきて悪循環な毎日でした。本当にこの会社に必要では無いのではないのかと考える始末です。

    そんな弱い自分自身を変えたく色々と考えたりインターネットで調べていくにつれ滝行などが良いのではないかと思っていたら天光寺のホームページを見て「これだ」と思いました。

     

    このようなこと、きっかけがない限り自分自身は根本から変わらないと思っていたのです。最初に滝行に行ったときは、すぐに出てきてしまい情けなかったです。それも、呼吸法など習った後に滝行に行ったら前日よりも少し長くできてとてもうれしく思いました。また、声をしっかり出さなければ伝わらないと言われ、腹から声を出していったときはなんだかスッキリとした気持ちになりました。この声出しは会社でも挨拶はするけど小さいためか周りに伝わっておらず気付かなかったなどと言われた時もあります。やはり、しっかりと周りの方々に感謝の言葉をしっかり伝えて気持ちを言葉に出すようにしたいと思いました。そして、住職の言葉にもあったように分からないことはわからないとはっきり言って、曖昧な返事はしないようにしたいと思いました。そして、できることは率先して行い、人が嫌がることを自分から率先して行える人間になりたいと思います。そして、頂いた資料の中にある「キーワードを参考にあなた自身が求める人間像」をみて1つでも多く自分自身ができるような人間になりたいと思います。そして、これからは必ずマイナスな言葉は絶対に出さないと決めました。それによって、自分が影響されてますます自分や他人の運勢を悪くしてしまうからです。今回の二日間の体験を経ていろいろなもの、考えを教えていただきました。

    この経験を生かして明日からの自分自身の人生をより良いものにしていこうと思います。頂いた資料を日々自分でも見て確認して実行して行きたいと思います。今回はこのようなすばらしい体験ありがとうございました。またなにかあったときには修行させて頂きたいと思います。皆様本当にありがとうございました。

     

    今回、一泊二日の体験修行に参加させていただきました。住職、お寺のスタッフの皆様、ありがとうございました。

    テレビで芸能人の方が滝行を体験されているところを拝見して、興味を持ち天光寺についてインターネットで検索しました。その際に滝行だけではなく体験修行が出来ると知り、せっかくの機会なので参加してみようと思い申し込みました。

    泊まり込みの体験修行に女一人で参加するのはとても緊張しましたが、他にも女性の方がいらしてお寺に着いてからは無駄な心配をすることなく修行に専念することができました。

    最初、様々な仏法関連のお話を聞きました。興味はあるものの知識がなかった私には難しい言葉が多く、一つ一つの単語をすべて理解することはできませんでした。もっと知識を増やしていきたいです。

    その後の精進料理は、肉や魚の無い料理を食べることが日常でないので、味気なくないのかと不安でしたが、野菜のうまみを堪能でき、とても美味しく全て戴きました。

    お百度参りは普段事務作業しかしていない私にとって、最もキツイ修行でした。他の方に付いていかなきゃと考えれば考えるほど足が重たく感じました。しかし他の方の必死な姿を見て、辛いのは自分だけじゃないと感じそこからは集中してひたすらに修行に打ち込むことが出来ました。

    その後の滝行は、お百度参りをやりきれた気持ちから強気で挑むことが出来ました。滝に打たれた瞬間はグッと体にかかる水の勢いの強さから体の力が抜けそうになりましたが、必死で立ち続けました。本当に気持ちがよく、リフレッシュできました。

    写経は、普段パソコンばかり使っていてペンを持たないことも相まって、思った以上に筆で書くことが難しかったです。それでも、一日の疲労もある中、想像以上に集中することができました。

    二日間はとても短く感じました。いつもの生活の中では体験することができないたくさん貴重なことばかりでした。今回修行を体験できたことをとても感謝しています。

    次は、友人を誘ってぜひ参加したいです。

    本当にありがとうございました。

     

    この度は有難うございました。

    興味本位で修行の申し込みをしましたが、参加することができて本当に良かったです。

    この短期間で自分自身が大きくなにか変化したかは未だ分からないですが、修行をする中で無心になり集中することは日常生活で体験できることではないのでとても貴重な経験になりました。

    仏法に関する話は自分には難しかったですが、もっと理解したいと思いました。

    自分自身のこころの変化によって物事も変化していくこと、忘れずに過ごしたいと思います。

    滝行で苦しくなってしまい、すぐに滝から出てきてしまったのが唯一の後悔です。また参加させて頂きたいです。

    ありがとうございました。

    私は会社での派閥問題から精神のバランスを崩し、心療内科でうつ状態と診断されました。転職を考えながらも会社に通う日々を送っていましたが、年齢のこともあり、一歩が踏み出せないままでいました。悶々としながら機械的にただ仕事をこなす毎日でした。

    自分を客観的に見つめ直したいという思いから、天光寺での修行を決めました。日常生活から離れ、一度冷静な目で、転職を含め将来のことを考えたいと思ったのです。普段眠れないことがよくあるので、天光寺でも眠れずうつ状態が悪化したらという思いもありました。他の参加者の方に迷惑をかけてしまったらという心配もありました。高尾住職に事情を話して相談すると、どうしても体調が優れないときに修行を無理強いすることは、一切ないとのことでしたので、思い切って参加させていただくことにしました。

    体験修行は挨拶作法やお百度参り、滝行や瞑想、写経など、どれも精一杯やらせていただきました。日常では体験できない修行を通して、よい意味で自分を見つめるきっかけとなったと感じています。3日間の修行体験を終えて、心から晴れ晴れとした気持ちです。自宅では眠れない日々もありましたが、天光寺での修行中は、修行疲れもあってよく眠れました。食事も野菜中心のもので、こういう生活を続けると心の健康も取り戻せるのではないかと思います。住職にも都度体調のことをお気遣いいただき、頭が下がる思いです。

    住職のお話を伺い、また相談もさせていただいた中で、転職活動に真剣に取り組みたいという気持ちが強くなりました。我慢して今の会社に居続けることも可能です。転職活動は逃げなのかではないかと、ずっと悩んでおりました。しかし自分が本当にやりたいことや、将来設計のことを考えても、このままの状態でいることのほうが逃げなのだと感じました。

    今回は仕事の合間をぬって、短い期間での参加となりましたが、できれば次回はもう少し長く滞在したいと思っております。この度は、何から何までお世話になりました。本当にありがとうございました。

     

    私はこの度、自分の欠点ウソをつく事。ごまかす事。汚い事。
    をしない人間になる為の一歩として修行をさせて頂いております。
    何度も同じ過ちを繰り返し、他人を不快にさせて恐れらても直らない直せないため
    直すために、これまでと違う事をしなければならないと考えました。
    行うべきことの最初として心からの反省をし申し訳ないと強く思い続けていく事だと
    考えております。その為にどうすれば良いのか、たった一日ですが考え続けておりますが
    まだ自分で分かりません。どうしたら良いか、どうしたらウソツキが直るのか
    もちろん自分で考えるべきですがご教示いただきたく存じます。
    私がこの度修行を通して考えた事は、まず感謝すべきである点です。
    健康で家族に病人もおらず、食事、仕事、その他生活において問題があるわけではない
    自分に注意してくれる人もいる。感謝し続けるべきありがたいことです。
    感謝していれば自分を正す事ができるのではないかということです。
    不平、不満を口に出さず自分自身のせいであると考えて行動することも
    大事だと思いました。
    夜のDVDと滝行を行い感じたことは「がまん」することが自分には必要だと感じました
    知らない事は話さない。話したくても知ったかぶりにならない。
    自分は普通以下の人間であることを自覚し、大きく見せる必要は無い。
    見栄を張ってはいけない。ましてやその為のウソはついてはいけないし
    つく必要もない事を改めて思いました。
    ただ、前記のことはまえにも思っていたことでもあります。
    今回「がまん」については今まであまり考えてこなかった点ではありますが
    毎日の中で、またウソをついてしまうのではないかと思ってしまっております。
    毎日、朝、夜、思い出して今度こそは同じ過ちをしない。
    過去を申し訳ないと思い、感謝をしDVDでもあった「負けるものか」と自分に負けないと
    思い出し取り組みたいと考えております。
    どうしたらウソをつかなくなるのか、性根を直すにはどうしたら良いのか
    何度も裏切ってきて、もう一度信用して頂くためにはどうすれば良いか
    ご教示頂けますようお願い申し上げます。

    私は36歳で今は派遣社員をしながら生計を立てております。

    天光寺には月に3回から4回ほど修行のため訪れております。天光寺に訪れたのは今から3年ほど前のことです。会社が倒産し、新たな就職先でいじめにあい、会社を辞めました。新たな就職先が見つからず、妻とも離婚することになり、おれはもうダメだ。自殺まで考えました。友人から天光寺の体験修行に誘われて2泊3日の体験修行に参加しました。朝10時30分に天光寺に到着し申込書に記入し、行衣に着替え、挨拶の所作と真言を教えて頂きました。その後食事でしたが、料理が本当に美味しくビックリしました。午後はお百度参りと、滝行です。初めての滝行なので、冷たく、痛く、すぐに出ようとしましたが、大きな声で「まだまだ」と言われ戻されました。3~4分位入りました。出た後、体中がスッキリとして、今までの自分が情けなく思いました。また、住職の法話を聞き自身の甘さを感じとれました。その後月に3回から4回ほど天光寺に体験修行に訪れるようになり、今回は日本テレビの滝行の取材があると聞きました。楽しみにしていましたが、日本テレビの記者の取材は天光寺を悪者に陥れる虚偽の取材でした。天光寺の中に日本テレビのスパイが入りこんでいました。子供たちが御本尊大日如来の上に乗り祭壇から落とすのを見て、ビックリしました。このような背景には日本テレビが少年たちに天光寺が悪者にするように仕組んだ結果だと思います。天光寺で食中毒を起したと保健所に通報した者がいたが、通報したのは日テレの関係者だと思います。天光寺の厨房がどれほど衛生的に管理されているか見ればわかります。3日前に天光寺の体験修行に訪れた際、住職と1時間ぐらいお話をさせていただきました。日本テレビの記者とカメラマンは警視庁に刑事事件として受理され、本格的な捜査を行っていると聞きビックリしました。

    住職は日テレの記者の名前を公開し、動画の顔の「ボカシ」を外し、日テレの記者、カメラマン、日テレ本体に民事訴訟の準備をしていると聞きました。日本テレビの虚偽報道は許してはいけないと思います。

    二泊三日させて頂き有難う御座いました。

    心のもやもやが全て解消したか、正直まだわかりませんが、ここに来て良かったと心から思いました。

    神頼みに来たつもりでしたが、一番力になったのは修行僧の方を始め、ここに修行に来ていた方々の頑張っている姿を見て、自分自身も力をもらい、また頑張ろうと思いました。

    自分が人の力になれたのか分かりませんが、頑張っている姿を見せること、見れたこと、ひとに分けられるような人間になりたいと心から思いました。

    二泊三日お世話になった住職、スタッフの皆様有難う御座いました。

    また滝に打たれに来ますね!

     

     

    お母さん、お父さん、桃音、いたずらとか、反発してごめんなさい。自分が悪いのにも関わらず、親のせいとか、自分は悪くないとか言ってごめんなさい。自分がすべて悪いです。すべて自分のせいです。でも、わざわざ高いお金を出して、お寺に行かせてくれて有り難うございます。一人暮らしの大変さも良くわかりました。とても良い経験になりました。親は厳しいとか言ってたけど、本当は、自分を良くする為に注意してることが良くわかりました。親より寺の方がとても厳しかったです。家の方が甘いことが良くわかりました。これからは、もっとお手伝いもします。勉強もしっかり決まった時間分やります。ちゃんと学校も休まずに行きます。部活であったことも自分がもっとしっかりしていないとダメだなということも分かりました。自分だけが苦労してると言ってたけど、親の方が自分のもっと数倍ほども苦労しているというのがよく分かりました。このお寺を通して、様々な経験が出来ました。まず一つ目は一人暮らしと同じような作れたこと。二つ目は滝行です。滝行は初めてやったけど、けっこう痛く、でも心が洗われている感覚になり、心が無になりました。三つ目は、仏教に触れるという事です。仏教と言っても、様々なルールや決まりがあるということも初めて知りました。例えば、食事の前に言う言葉とか、滝行とお百度参りに行くときの挨拶や儀式がありました。すると、今まで考えてたことは、すべて違うんだなと思いました。自分は親が嫌いで離れたいと思ってたことが、親は良い人で、助けてあげようという気持ちがあることが良く分かりました。一日目の夜から、親は本当に行きたかったのか思ってから、だんだん自然と寂しくなりました。一日目の夜は、一人で広いところで寝ました。なかなか眠れなくて、何度も起きては朝か?とか思い、本当に寝れませんでした。今では自分のベッドが恋しくなり、早く家に帰りたいなと思います。今でも悲しく早く帰りたいという思いで、涙が自然と出ます。早く帰りたいです。自分の家に帰りたいです。自分の親は優しいと、みんなに自慢したい位です。早く家に帰って、玄関で、ただいまと言いたいです。お母さん、お父さん、桃吉、本当にごめんざなさい。すべて自分が悪いです。反省しています。自分は馬鹿でアホで何よりも大切な親と妹という大事な存在の人を傷つけていました。本当に申し訳ないです。これまでにあったことをすべて謝ります。すべて何もかも自分が悪いです。お寺はとても大変だったけれど、協力や結団力などを学びました。そして何よりも家族の愛情は大切だということを学びました。もう親も妹も困らせたくありません。みんなで楽しく、仲良く、生きていきたいです。汚い字ですみません。でも本当に、この事は反省しました。また、もとの家に帰りたいです。今すぐにでも帰りたいです。よろしくお願いします。

    最初は興味本位で滝行をしたら、今までの自分が生まれ変われるかなという軽い気持ちでした。お百度参り、滝行、瞑想に参加し、日々の時間を忘れて、何かに集中することで雑念が消えた気がします。日頃、仕事などで、上手くいかず落ち込んでしまったり、何かのせいにしてしまったり、誰かにこう思われているかもしれないと疑ってしまったりすることがあります。自分では良くないと思っていても思考を変えられず苦しいです。ですが心の持ち方で変えられる。自分もまず知ることが大切だと思いました。貴重な体験、お時間有難うございました。

     

    今回1泊2日で天光寺で体験修行をさせて頂き、普段は体験できないようなことを体験できて良かったです。学生の頃から滝行に興味があり、滝行すれば何が変わるかなと思っていました。実際に行ってみて正直なにかがすぐに変わったと感じられませんでしたが、とでもきちょうな体験ができて良かったです。仕事で上手くいかないなどですぐに悩んでネガティブになってしまうので、『心の持ち方』

    の言葉はとてもいいなと思いました。住職さんの法話でも「積極的に行く。自分を信じる」という言葉が心に響きました。自信がなくてくよくよしてしまうことが多いのでもう少し自身がもてるようになればいいなと思いました。もっと色々な感謝に気付けるようにしたいと思いました。今回の体験を忘れずに過ごしていきたいと思います。ありがとうございました。

    お百度参りはとても苦しかったので体力をつけようと頑張ります。

     

    意味も無く彷徨っている者は居ないことは分かっていても、もしかしたら自分がその彷徨っている者ではないかという、社会から突きつけられた課題なのではないかと想うようになっていた私に、天光寺の体験修行で学んだ所作等々で、「人は何故に修行をするのか」を教え込まれました。

    生育段階で学ぶ学校と違い、天光寺で行われる修行では、人間が生きる目的とか自身の浄化とか自分で作る因果力などを、法話やお経朗読の合間に住職より拝聴できたのは、ありがったです。

    糸が切れた蛸ではありませんが、行き先不明になりがちの昨今でしたが、体験修行を通して感じえた価値あるものでした。

    また、様々な老若男女の参加がおり、自分一人ではない環境での体験では協力し合う喜びも感じ、あっと言う間に短期の修行が終わってしまいました。体験者同士の懇談では、自分の知らない現実を聞いたり、なるほどと言う価値観のあり方を知り、自分には不平不満があり真の大人に成らなくてはいけないと反省することもありました。

    さらには、私から人々への発信力とでも言いましょうか、今までの自分には無かった勇気や喜びや失望させない、対人間での言動に責任を持つことなども知りえなました。

    女性はどうしても受け手になりがちですが、女性や異性に対してもはっきりした物事への勇気を持つことや、自分自身を愛し自分自身が変ることの重要性をも大切にしなければならないと、お互いに話し合えたことは有益でした。

    自分自身を救うのは、自分自身であると教えられたときは、大きなショックでした。

     

    私の存在を私自身が分からなくなったといえば、何かに疲れた者として簡単に流されてしまう次代ですが、勢い錦を飾って故郷に帰る気持ちを持って出てきた私としては、今のままでは錦のことなど口に出せない現状に、頭を抱えていました。職場やサークルでの人との交流や遣り取りで、時として放り投げてしまいたいと言う感情に責めつけられ、ため息を付くことも多々ありました。

    天光寺での体験修行は、もっと自分を成長させたり体験の中で、感じ取れるものがあればと思い申し込みました。数日間の期間ですが、自分をさらけ出して無心になれるような体験ができればと、参加する前は少し甘えた心持でした。

    しかし、天光寺のインターホーンを押して中に入り、修行が進むにつれて私の甘い考えが消えうせ、規律と他の方との共同作業や基本所作で、初日が終わりました。起床は朝6時で、普段の私の時間と違いオロオロしましたが、その後の寺院内の掃除や自分が就寝に使用した布団の片付けなどもあり、緊張する早朝からのスタートでした。

    朝食後は瞑想の時間があり、個々人が瞑想して自分を見直す自分の存在を見詰める行を行い、異空間での真剣な思考でした。それから次々に決められた行が進み、書き読み写しを繰り返しました。体験修行は只の作業ではなく、自分の絶対的価値判断を浮かび上がらせることを知りました。今回の参加では、自分の可能性や多くの克服などを自分から積極的に向かわなくては、物事が開かない教えを頂戴することができて感動もありました。

     

     

     

    今回体験修行を体験させて頂きましたが、挨拶の作法で朝の挨拶や行の挨拶や食事の挨拶や就寝の挨拶と、声だし発声法や瞑想からお百度参りや滝行を体験して、更には写経や写仏や法話と盛り沢山の内容を消化してみて、今では誇らしく想っています。

    初めは自信も無ければ、どのような修行であるのかも知らないままに、天光寺の体験修行に興味本位で申し込み参加しましたが、今は反省しています。住職からは、ありがたい法話を聞いては涙が流れましたし、挨拶にも様々なものがあり、一つ一つに意味があるという大切な挨拶でした。

    体験での詳細は、人によって感じ方や考え方や一念が違うと思いますが、私の感じ入った修行体験では、お寺から一般社会に戻っても通用するものばかりだったので、リピーターになる覚悟もできましたし、今では天光寺は真言宗のお寺とのことですので、今までは無かった宗教的なことを含めた教学等も考えています。

    腹から出す発声法も、相手に通じいる言葉も、食事も就寝も修行であり、お経を朗読するだけと想っていた宗教体験と違った、本物の修行を味わったことには感謝でした。話はそれますが、体験修行期間ですが、多くの方は一週間以内の方々が多いと聞きましたが、中には何らかの事情からか天光寺に数ヶ月から数年滞在しながら、行を行い外界から離れ体験でない本物の修行に入り、精進の志願をされる方も居て自身を磨き上げる方の存在に、感心しました。

     

    なかなか思い込みばかりで、仕事にも家庭内でも行き詰まりを感じていた私ですが、体験修行を経験して、目先に明るさを感じることが出来ました。はじめはどちらかと言うと懐疑的でしたが、体験修行で得られた人としての基本である挨拶からも、お経を長時間朗読する修行でも過去に感じたことの無い、自分を目覚めさす効果に驚きました。

    初めは只の発声法とだけ想っていましたが、対人や身の処し方など社会一般で通用する所作に、今更感じ入りました。俗に言う、学校では教えてもらえないことと言えばそれまでですが、その教えられたことを行うことで、社会生活が丸くなるといった功能があると聞き体験しています。

    体験修行では、脱皮したと言えば分かり易いですが、社会の一員として過ごす中において、当たり前が出来ないもどかしさがあるという現実を感じていた私には、もどかしさが解消できるものでした。

    人はどうしても、目先のことに左右されがちですが、左右されがちの中でも積極性があり向学心のあることに目覚めた者への見方が変ると言う、社会風潮があるということなどを初めて知りました。行き詰まりを感じていた私ですが、体験修行で指導されたことは単なる我慢ばかりではなく、奥深い信頼と癒される心のもち方にある、感謝する心でした。

    簡単に言えば思いやりのことなのでしょうが、思いやりが今まで無かったとは感じていませんでしたが、甘えがあったのかも分かりませんでした。目覚めさせて、頂きました。自分の足元は見えづらいと言うことを、教えてもらった修行でした。

    修行での所作には触れませんが、背筋がすっきり出来た修行の体験でした。

     

    職場でいい人と言われますが、頼られる人ではありません。そんな他人からの評価の言葉とは違った自分になるために、天光寺の体験修行に入門しました。体験でも修行には変わりなく、入門している日々も数日でしたが、体験で得られた自分の内面に響く所作を受けたことに感謝です。

    一つには、向上心を持ち積極性のある決断でき、頼られるものとして人格形成変化した私を、職場でも友人との交際するときにも発揮できるよう、道しるべを下さりありがとう御座いました。

    では具体的な体験修行の、写経や写仏や瞑想では見るのと遣るのでは感じられない知りえない、神秘の世界に入る導きがあり、お経の朗読だけではない真言なのでしょうか感じられました。

    一文字一文字書き進む写経では、般若心経への陶酔もあり心が表れましたし、写仏では指先に感じる微妙な感覚の違いに集中する体験者にしか分からない、功徳が入り込む錯覚もありました。

    瞑想では薄ら明るい講堂のなかで神妙な時間を過ごし、眼前の世界を離れてひたすら思いに集中する自己陶酔に近い、高度な修行と聞き感受性を高める最も素晴らしい行でもあると導かれました。

    以上のような体験型修行に数日間でしたが、天光寺で過ごすことは入門以前には考えたり感じられませんでしたが、有意義な体験になりました。

    私は多くを克服して、今後はいい人と言われるだけでない、一人の人格ある存在で伝わり感じられる、独りでない一人として今回の体験修行を感じ取れたものとして感謝します。

     

    天光寺を知るきっかけは、知人の企業で天光寺での企業研修をしたことを聞かされ、その中で団体で無い個人での参加ができっる体験修行を聞き入れたことです。体験修行は三泊四日行われ、早朝6時から夜半は10時には就寝する、かなりハードな体験修行とのことでしたが、個人の参加では企業研修とは違い個々人に体験を通して、メリハリのある体験修行から行のあり方を、体験して貰うものと聞き予約を入れ、申し込みました。

    期間は三泊四日を希望して、週末と有給休暇で確保できました。都心から3時間はかかりましたが、奥多摩にある山里深い天光寺に到着して、受付を済ませ修行申し込みを済ませ、外界と離れ参加しました。参加に当たって、先に来ていた方や申し込みをした後に来られた方と挨拶して、早々に修行衣に着替え修行が開始されました。

    はじめは自己紹介や挨拶の仕方や発声法に始まり、午後には写経による心の表れ方を含んだ経文を行い、一枚二枚と般若心経を書き記し精神統一等も推し量るものでした。写経では体験者数人でありますが、私語を慎み書を進ませる体験をしました。

    体感では、お百度参りを行い無心になり滝行を行い、身を清め冷水で肢体も清め気合を入れ、真言や経、祝詞を唱えました。心なしか感じ入ることが湧き出してきて、神妙になりました。就寝では暗闇に広がる無音でしたが、自分を見直す時となりその後は朝まで何も分からず、熟睡してしまいました。

    修行は今まで経験の無いものでしたが、今後はリピーターとしても参加して、住職から発せられる人としての有り方など心の持ち方を、積極性あるものとして生甲斐にさえしたいと思いました。

     

     

    自分以外の方は幸せに見えて、自分は不幸のシンデレラと想ったりする、情緒不安定から天光寺の体験修行を教えられ、数日間ですが参加いたしました。

    数日間の体験修行には疑問もありましたが、これも縁と思い参加しました。参加するに、何人かの参加者が居ましたが、全て初めてお会いする方々ばかりで、初めは面識もなく会話もなく不安ばかりの参加でした。

    住職からは、人には多くの因縁があることや、生まれ持った因果が有ることなどを聞かされ、驚いてばかりいました。体験修行では、普段は出来ない声の出し方や初めて朗読するお経に、右往左往しながら挑みました。自分の口がこんなにも動かないのか、お経は外国語だから仕方がないのかと思いつつ、何とか声に出すお経の経文に汗を流しました。

    別の日々には、写経や瞑想や写仏といわれる精神修行の基本を行い、外からは分からない自分の集中度の無さに赤面しました。朝も早く就寝も早かった体験修行ですが、素直な気持ちで起き無理せずに寝入ることが出来ました。

    滝行では、お百度参りを初めに行い気持ちを集中してから、入水を気合と集中力で諸共受けました。身体に感じ入る冷水に、ただただ朦朧となりましたが、行が済んだ後には爽快になりました。滝行はたんに冷水に入るだけではない、行としての積極的で精神統一を突き詰めた行であり、簡単なものではない教えがあることを学んだ。

     

     

    職場環境になれないこともあってか、上司に相談したことで若いうちの悩みは、自己確立ではないかと意見され、天光寺での体験就業に入りました。こちらの寺は、人里離れたところにあり生活環境はお世辞にもいいところではありませんが、それだけに外界から離れたところでしか感じ得ない感動と刺激がありました。

    自分は決して強い人間ではないことは知っていましたが、弱い人間でも何らかの才能か知恵で、生きて行かねばならない現実は知っていましたが、どうすれば好いのかは分かりませんでした。

    天光寺での体験では、私のような者でも分かるように丁寧に何度も何度も、手を差し伸べて頂けたことで嬉しくも目が覚めました。

    余計な力を入れず、嫌味や嫉妬を持たず、自分を愛することを公言できる人生の主人公に成ることを、知らされました。

    自分一人ではない会社で、独りではない団体行動をする喜びを感じ業務に勤しみを見いだす、基本の考え方を知らしめて頂いたことに、感動ものでした。修行では、自分を見つめ直すことから始まり、発声や朗読での向上心ある積極性を養うなど、有益でした。

    数日間の中には、お百度参りをした後の滝行で精神を統一する精神修行もあり、私の今まででの人生では体験し得なかった、感動と衝撃までありました。そして、一皮向けたような自分に、誇らしくも思えました。人生半ばの私ですが、これからのこともあり天光寺での体験修行は、素晴らしい経験になりました。ありがとうございました。

    暦の上では秋といえ、日中の暑さはまだまだ厳しい日々が続いております。いかがお過ごしでしょうか。
    先日のお便り有難うございました。さてこのたび、健康判定診断の第一段階である主治医の復職承諾が得られたことをご報告いたします。

    主治医の先生からは「それだけしっかりと話すことができれば大丈夫でしょう。」とのお言葉をいだきました。
    修行体験を受けさせていだいてから、顔つきや雰囲気が変わったのか、今まで避けられていた低中学年子どもたちから「一緒に遊ぼう」と誘われることが多くなりました。大きな声を出したり、感情にまかせて怒ることや威圧することもありません。

    そして、周りの目ばかり気にして、自己中心的な自分と向き合うこともでき、反省し懺悔することもできました。今回第一段階を通過できたことは、校長をはじめとする多くの方々のご協力のおかげで成り立ったものであると感謝しております。

    高尾住職の仰るとおり、顔つきが変わっていたようです。その中でも今回の修業体験という貴重な場を提供してくださった高尾先生に感謝申し上げます。
    水行、お百度参りなどで弱い自分自身と向き合うだけでなく、自分自身にとってずっと重荷になっていた「父親に対する復讐心」を捨て去ることができ、とても感謝しております。今「許す」ことの大切さひしひしと感じております。

    そして、前向きに自分の人生を生きていくことの大切さ、ありがたさ、楽しさを、かみしめながら毎日を過ごしております。以前までの私は「生きていてもしかたない」、「生きていて申し訳ない」、「はやく死にたい」と考えていました。

    今は「生きているのではなく、生かされているのだ」、「今日も生かされていることがありがたい」と思えます。今まで面倒なことや苦しいと思ったことも、自分を育てくれる機会だと受け入れることが、できるようになりました。

    現在は、体験修行で習った般若心経を唱えたり、呼吸法や声を出し、瞑想など自分自身できることを行ないながら、自分を見つめ、一日の始まりには、活を入れ、終わりにはリラックスする時間を設けています。私の一日の中で、もっとも貴重な時間となっています。
    焦らずしっかりと訓練を実行し、適度な自身を持って精進して参りたいと思います。

    毎日お忙しいことと思いますが、どうぞご自愛くださいますようお祈り申し上げます。

    初めにここに来ようと思った時は8月の初め頃でした。その頃6年付き合っていた彼女と別れて、生まれて初めて心の苦しさを感じました。
    ご飯も食べれず、寝る事もほとんどできない状態が2ヶ月ほど続いて、体重も10kgほど落ちてしまいました。その時、心の苦しさからここの寺修行を探したのですが、もう少し自分の力で乗り越えてみようと思った事と、夏より真冬、そして年末年始で来ようと思い、今日に至ります。

    ここに来た目的は、今まで生きてきた中で苦しめてしまったり、悲しませてしまった人達への懺悔です。ここに来る前に過去を振り返って考えていたら本当にどれだけの人達を苦しませて悲しませてきたか、生きる資格ないんじゃないかとさえ思ってしまいました。その事で親や友人、知人にまた迷惑や心配をかけて自分がどんどん嫌いになっていきました。なので全てを仕切り直し、前に進むために修行をしに来ました。

    修行を終えて今思う事は、まずこのタイミングでここに来れた事への感謝の気持ちです。そして今でなければ出逢えなかった人達への感謝です。本当にいろんな方がいて、いろんなパワーを頂きました。中でも一番印象に残ったのは1月1日に行った滝行でした。まだ一日しか経っていませんが、今まで生きてきた人生を大きく変える程の出来事になりました。自分が悩んでる事がどれだけちっぽけな事で、自分がどれだけちっぽけな人間だったか、思い知らされました。想像も付かない心の苦しみを持っておられる方を目の前に心からそう思いました。必死でお経を唱えている二人を見てお経を唱えながら涙が止まりませんでした。二人が命をかけて戦っている様に見え、自分がどれだけ無力な人間か、悔しくて涙が止まりませんでした。自分がお経を唱えている時、少しでも、ほんの少しでもいいから二人の力になりたいと心の底から思い、寒さも痛みも忘れてただただお経を唱えていました。真剣に命懸けでやる事で、人の気持ちをこうも動かせるのかと感じる事が出来ました。見栄や格好、口先の言葉では人は動かないと確信しました。本当にありがとうございました。

    今回3泊4日の修行を終えて、これからの心の持ち方、行動は、自分のことより相手のこと、人を思いやる気持ち、苦しんでいる人の手助け、嫌な事、めんどくさい事を率先してやる。言葉遣い、座る姿勢、常に全てに置いて感謝の気持ちを忘れない、日々修行。以上です。 最後にここに導いてくれた神様に感謝します。住職、スタッフの方、ここで出会った方々に感謝します。ありがとうございました。

    今回この修行に来た目的は、己の弱い気持ちや、会社の役員としての自覚の無さを正す事を目的と致しました。
    冬の寒さの中、滝に打たれることや、自然の中、規則正しい生活をする環境におかれる事により、自分自身が変われるのではないかと思いました。普段ならお酒を飲んで、子供と遊んでいるはずが、一日一日に修行に行く事の意味を深く考え、自分が変わり、良い方向に事が進めば、会社も家族も良くなると思いました。

    天光寺に来られる方々は、それぞれの考え、目的や目標、苦しみなどを持っており、自分の苦しみや悩みが、いかにちっぽけな事かと思いました。
    また、自分の気持ち次第で、良くも悪くも考えられ、人それぞれの計り方の違いを感じることが出来たと思います。毎日毎日、仕事のことや、明日の予定、一週間、一ヶ月後、三ヶ月ごと、先先の事を考え、売り上げや経理、社員の事、家族と、頭がパンクするのではと思いました。電話も使えない、お客様の事も考えない、何も考えないで、今の自分だけを見ている様で、無の世界にいる感じも致しました。
    この体験は、自分でしか解らないことで、人に伝えようとしても伝えられない様な気がします。次回は興味のある社員と一緒に来たいと思います。

    一泊二日の修行でしたが、滝に打たれている時、フワっとした感じがして、水しぶき一滴一滴が体に当たっているのが解りました。その時は、体の感覚もなく、「あれは何?」と変な気持ちになりました。また、女性の方が先に滝に打たれている時の苦しみが凄く印象に残っており、カルチャーショックを感じました。この経験を生かし、自分に厳しく、他人にやさしくなれる様努力していきたいです。一人では生きられない、助け合っていきます。 有り難うございました。

    貴重な体験、充実した時間をいただき、本当にありがとうございました。
    申し込み当初は、昨年末から身近における諸事情によって、色々と考える事が多かったこと、自分自身と向き合う時間が無かったこと、自分の今後について具体的に考える時間を設けなかったことなどから、以前より興味のあった冬の滝行やその他の行を通して、何か変わるきっかけを見付けられたら…という思いでした。

    ただ、一日目の瞑想・お百度参り・川行。二日目の写経・お百度参り・滝行と通じて「あっ、自分ってこういうところがあるな」「今までの自分はこうだったな」と気づけた瞬間があって、行を進めていくうちに、何となく穏やかに温かい気持ちになっていきました。この感情は「嬉しい」に近い感覚でした。

    そういう漠然とした気持ちが確信に変わったのは、住職さんの「法話」を聞かせて頂いた時でした。自分はこういう話に出会いたかったんだ、聞きたかったんだと分かった時、本当に幸せ(という感覚に近い)な気持ちになりました。 自分の『今後』を探しに行った時間だったのに、自分の中の自分と向き合って、自分の弱い部分を見付けたり、自分でも気付かなかった自分と出会えた時間になり、充実したものとなったと思っています。

    ただ残念だったのは、住職先生とあまりお話ができなかったことです。というのも、先生にオーラというか、威厳を感じてしまって萎縮してしまったのです。今思うと、もっと積極的にぶつかって行けば良かったと思っています。
    「積極的に生きるか、消極的に生きるかで、運や人生が変わる」のですから…。

    スタッフの方々、行生の仲間達にはとても親切にしていただきました。正直2泊3日という期間が不安だったのですが、楽しくあっという間で足りないくらいでした。(川行・滝行・正座は辛かったですが…)

    長々と書きましたが、この2泊3日は、自分を高めていく為の第一歩として、大切な時間になったと思っております。
    幸い、自分の周りにも、自分を戒めて下さる方もいらっしゃいますし、ハッと気付かされる瞬間が多く転がっています。少なくとも、その瞬間を見逃すことなく自分を高めていけるようにアンテナを広げて感受性の高い人間でいたいと思います。

    そしてそれでも何かに行き詰まり、滝に打たれたくなりましたら、また、住職の法話を聞きたくなりましたら、すぐにでも連絡させてください。宜しくお願い致します。

    私はこれまでの会社生活の中で、自分でも知らず知らずのうちに自分の中に蓄えてしまった垢(ストレスや凝り固まった考え方等)を洗い落とし、自分自身を一度リセットしたいと考え、今回体験修行に参加致しました。また、そうする事で、今後の仕事だけでなく人生全体にプラスになると考えました。

    実際に体験修行に参加してみると、自分が考えていたよりもハードなものでした。川行・滝行では、水温は低く、特に初めての滝行では、これまでに経験した事のない寒さ・冷たさを前進に感じ、心から修行の厳しさを実感しました。しかしそれと同時に厳しいからこそ、自分の垢が取れる、新しい一歩を踏み出す力になる!と信じ一生懸命に修行に取り組みました。不思議な物で、二回目の川行・滝行では水の流れや岩との一体感を感じ、寒さ、冷たさを感じながらも平常心を保つことが出来、また徐々に自分の中の垢が水の流れと共に洗い流されていくような気持ちになることができました。

    また川行・滝行だけでなく、毎日の掃除、食事の準備や後片付けなど全ての事が非常に尊い修行であったように思えてなりません。汚れ一つ、落ち葉一枚が全て自分の中の垢であるように感じ、一つ一つの作業にも手を抜くことなく取り組むことができたと思っています。

    更に今回の体験修行では、自分でも思いがけない『気付き』を得る事が出来ました。座禅を組み、瞑想して、過去の自分の行い、出会った人達の事を思い返す時間を頂いた際に、過去の失敗や後悔が、全て自分の中の消極的な部分が引き起こしていた事を本当によく理解出来ました。それはまさに天光寺で教わった通りだったのです。またこれまで自分がいかに周りの方々に支えられてきたか、いかに恵まれていたかという事もよく分かりました。家族のことを思った時、自分でも驚いた事に自然と涙が出て来て止まりませんでした。

    天光寺での体験修行を通じて、当初の目的である『自分のリセット』だけでなく、本当に多くのことを得る事が出来ました。厳しい修行を乗り越える事で、自分にも自信が付いたと思っています。今後はここで得た気付き、感謝の気持ち、自信をわすれることなく、更に一生を通じて自分を高める努力を続けて行きたいと考えています。そうすることが、自分の人生を豊かにし、これまで支えて下さった全ての方々の恩に報いることだと信じています。仕事に関しても、私の仕事は世界的に非常に競争の厳しい業界ですが、ここで学んだ事を活かし、一生懸命に精進することで、必ず世界中の人に慶んで頂ける商品を作りたいと思います。

    最後になりますが、沢山ご指導頂いた天光寺の皆様、一緒に修行した皆様、六日間の短い期間でしたが、本当に貴重な経験と楽しい時間をありがとうございました。

    結婚して私自身の自分への甘さや考え方の違いなどから喧嘩が絶えず、お寺で修行することを勧めて貰いました。私も数年前から自分が弱くなり何に対しても逃げ腰になっているのを感じていたので、自分でも一度修行してみようと思ったこともあり、こちらで一週間修行させて頂きました。

    バス停から歩いて寺の入り口の坂の所まで来た時、ちょうど通りがかったこちらの肩に大きな声で丁寧に挨拶して頂き、背筋を正される気持ちになりましたそれをはじめに、声の出し方、挨拶の仕方、心の持ち方などを指導頂きました。滝行などの修行ももちろんですが、私にとってその挨拶や心の持ち方のお話はとてもためになりました。お陰で体力的や精神的に辛い数々の修行において、自分の弱さをまず認識し、そこから全力で精一杯、行を行い、やり遂げることで段々自分に自信を取り戻せる様に成り、自分が強くなっていくのを感じました。また、初日などは子供達がさぼっていたりすると、自分が一生懸命やっているのに…などと腹を立てていたのですが、私は自分自身の為に修行しているのだ、と思ったり、誰にでも自身に甘えたい時や疲れている時、辛い時があるんだと思いやれる余裕と優しさを段々と持てる様になったことで、人に優しくなれ、自分の修行にも集中出来る様になりました。

    また、毎日の掃除、食事の準備や後片付け、洗濯も家ではどこか、心の中でやらされているような気持ちでやっていたのも否定できませんでしたが、こちらでは、修行させて頂いていると思えば本当に心から自ら動いて、進んで出来、そこでも甘えていた自分と、出来る自分に気付くことが出来ました。掃除などをしているといっても私達がしていた事はほんの一部で、毎日毎日食事の準備や身の回りの世話を頂いた先生方、本当にありがとうございました。人に食事を作って頂くありがたさ、食べる物があるありがたさを「食前の言葉」を唱える事によってもとても痛感しました。 また夕食が終わった後にリビングで先生方や他の修行されている方にいろんな話を聞かせて頂いたり、相談を聞いてご意見を頂いた事も私にとってとても大きな財産となりました。

    こちらでの修行は一週間という限られた時間でしたが、人生は一生、毎日毎日一瞬一瞬が自分の為の楽しい修行だと思います。自分を磨くことでかけがえのない物を得る事が出来るのです。私はその事をいつの間にか忘れかけていました。また、自分がいい加減な生き方をして自分に自信がなくなっていたことで、自分の大切な笑顔を忘れかけていました。こちらで精一杯修行を行う事で自分に自信をもって笑顔でいることが出来ました。先生方に、いつもにこにこ笑顔だねって褒めて頂けた事も嬉しかったし自信になりました。私の、私はこれだ!と言える物は「笑顔」だと言えるようになりました。笑顔は周囲の人を幸せにします。元気にさせます。これからも私はまず自分自身が強く優しくあって間笑いの人々に元気を与えられる人を目指します。

    皆様本当にお世話になりました。ありがとうございました。

    私が天光寺に来た理由はこの先の人生を考えた上で、今の自分には、自信を見つめなおす時間が必要である、自分を変えたいと思ったことがきっかけです。修行をして、自分を変えたいと、単純な気持ちで来ました。話が聞いても、考えるだけで変られるとは思いません。私自身も、どうしたら変わることができるのか分かりませんでした。今は自分が私の生活に戻り、変われる事に気付くことができました。気付くことできたのは、住職先生の教えであります。先生が何度もいわれている“反省”“感謝”“ざんげ”をしなさいと言われて、今まで一度も考えたり思ったりすることがなかったので深く考えました。

    想ったりすることがなかったので深く考えました。この普通の事、考えればわかることを考えてこれなかったことによって人の想いを気付くことができなかった想い返すこともなかっただから人を傷つけて裏切ってうまく付き合っていくことができなかったのだと思う。

    「愛にひそむ独占欲」の言葉は、先生とお会いした時に始めて言われた言葉であり、自分に一番気付かなくてはいけない所だと思います。彼女に対する言葉態度を改めて考え思い出さされました。これからは自分が認めて支えてあげようと思います。

    今まで忙しさを理由に自分の身の周りの事ができなくなってしまっていたのも、変えなくてはいけない事であってここに来てゆとりの時間が必要だったことも気付かされました。
    考える時間、何にも考えずにここを休める時間がないと人はすべてにうまくいかなくなってしまう。行をしたことによって、お経一つにも気持ちを入れてすることによって忍耐力をつけることができ、終わった後の達成感を味わえる例えば次に写経をして集中力を高めて達成感を感じる、一つひとつのメリハリも大事だけれど、仕事に置き換えても自分の気持ち一つで自分はいくらでも変わることができる。辛い時の自分に意識で勝つことができればその気持をこの先の自分にしっかり付けていきたい。「挑む相手を自分の中に見つけた時」道が開ける。

    天光寺で教わった事“教育”大人じゃなくて子供に対する教育大人には仕事での教育は完璧ではないがすることができるこれから自分が人の親になることになればしていかなきゃいけないこと、子供は素直だからダメなとこをすぐ出してくれるでも常に言ってあげないとすぐ忘れるなんで言われるのかをしっかりと伝えて理解した上でしてあげないと、甘えて泣くだけ、ここに来る子供たちの多くは親の甘えだと思う。かわいいからとはいえ甘えは人をダメにする。甘えさせれば、それは許されることだと認識していつしか甘えさせられることになれてしまって感謝の気持ちも分からない大人になってしまう、まさに自分の事を言っているようだ。子供に叱っている言葉が自分に返って来る時が何度もあった。子供の教育にも甘えさせるのではなく、良し悪しの区別をしっかりさせてあげて、最後はしっかりとほめてあげることが必要だと教育に対して考えさせられ勉強になった。

    相手を想う気持ちが強い程、感情が高くなり、泣いたり怒ったりするそれがいつしか心に残って何かに気付かさせるきっかけになったりする、想える、想ってくれる最後は話し会える相手だから情が生まれる。互いに認め合えば、切っても切れない関係になる。

    この先、そうなれる相手を探していきながらいろいろな人とのコミニュケーションとネットワークを取っていきたいと思う。人と人は支えあい情でつながる。人と人とのつながりを大切にして人生を歩んでいきたい。 天光寺のスタッフのみなさん一ヶ月という短い間でしたが親切にして頂き、本当にありがとうございました。住職先生、毎日ご多忙の中、親兄弟身内の相談まで聞いて下さり大変お世話になりました。ここで教わったことを何度も読み返し意識的に自分自身が成功できるよう毎日、懸命に努めていく所存でございます。

    ほんとうにありがとうございました。

    私が一ヶ月天光寺に修行に来た目的は、今までの人生で、私に携わって頂いた人達、私の暇までの行動、人に対する態度、接し方など、大変迷惑をかけ、私は就職が決まっていた前夜に人間としてしてはいけない行動をしてしまい、妻、子供達には本当に夢や希望を一瞬のうちになくしてしまい、子供達が楽しみにしていた事まで、自分の行動で悲しませ、失望、傷付けてしまった事に罪を償う為の反省修行と自分自身、年々経ってもやる気なし、自信なし、消極的で我慢、辛抱なしの性格を変える、考え方、一青の関わり、心を強く前向きな人生になる為の人生向上の修行に来ました。

    修行は毎日朝6時に起きて、掃除からはじまりです。他の修行者と協力して掃除の分担です。掃除機、風呂掃除、トイレ掃除、玄関の掃除など行います。修行を通して今まで家庭でいかに何もせずに協力出来無かった事が、情けなく痛感されました。外に出て、竹ぼうきで寺から1km先にあるバス停までの掃除では、落ち葉が道いっぱいにある時は、竹ぼうきでひたすら集めて、何十分経ち、道がきれいになった時は、今でも心がスーっとなった気分を覚えています。

    お寺での食事では、本当に今までいただきます、ごちそうさま、と感謝の挨拶をする事がなく、ただ好き嫌い、贅沢をしてきて、作ってもらった人の思いも感謝、真心の挨拶も何もなくしてきた事を思うと、本当にありがとうの言葉でいっぱいになりました。食事のときの食器は、他の修行者と協力して洗う事をここでは勉強になりました。

    私が天光寺に修行に来て、もしこの天光寺を知らないまま、もし先生に相談に来て居なければ、決して、この様な考える力がないと思いました。この修行で学んだ挨拶の作法、お客様への挨拶、朝の挨拶、お客様への挨拶、行の挨拶、食事の挨拶などでした。また心の持ち方。感謝のこころを持って、毎日積極的に生きていく、人生、社会にとって、色々な人生の道の正しい生き方を考えさせてくれました。本当にありがとうございました。

    これから下山してからは、一日も早く就職先を見付けて、妻には本当に12年間、苦労のかけっぱなしで、生活の面でも、食事の片付けや、洗濯、何もしなかったです。本当に協力できず、すみませんでした。12年間、妻が私に仕事の時、朝弁当を作ってくれたり、いつの日か、スーパーの駐車場まで弁当を持ってきてくれた事がありましたね。本当だったらありがとう、いつも忙しい中、お弁当を作ってくれて本当にありがとうの言葉もなく、今思うと、妻に対する想いがなく情けなく反省しています。

    私は一日も早く仕事を見付けて社会復帰をして、妻が12年間苦労・負担をかけた分、これから妻の分まで働いて、家野事でも協力してあげたいです。本当に妻には安定した生活をさせ安心させてあげたいです。
    あと何年、何十年経つか分からないけど、早く妻と子供と一緒に生活がしたい、妻と子供達のにぎやかな生活がしたいです。そして妻の手料理が食べたいです。本当に先生、スタッフの人には大変お世話になりました。一ヶ月間お世話になりました。ありがとうございました。

    長い間うつに悩み、仕事を失い、家族に対しても、自分自身の中でも、自身の存在価値が分からなくなり、生きて行く道を失いかけていた。そんな時、天光寺との出逢いのきっかけを与えてくれたのは、友人だった。

    「寺に修行でも行ってみたら」

    その一言を受けて、修行が出来る場所を探し、自らの目的と合うと想えたのが、この天光寺だ。この選択は間違っていなかった、と今は自信を持って言える。
    何気なく過ごしていた日常の中で、恵まれている自分の環境や、支えてくれる人がいる幸せに感謝することを忘れている、と最初に気付かせて頂いた。食前にもお経を唱え、感謝の言葉を口にする。一つ一つの作法に大きな意味があり、言葉を口にすることで、心の奥の方まで感謝の気持ちが広がっていくようになった。今まで、本来の「食べる歓び」や「食べられる幸せ」を噛み締めて食事をしたことはなかったように思うが、これからは自分自身だけでなく、子供達にもこのような感謝の気持ちを大切にするよう改めて教えていきたい。
    食だけではなく、今がある。この今を与えて貰っていることに感謝する気持ちを忘れることなく、そして常に自然に「ありがとうと思えるように成長していきたい。

    私は、ついつい自分だけの事で精一杯になってしまい、周囲への気遣いや心配りを忘れてしまいがちである。また、力の入れ加減の調整が下手くそで、思い切りアクセルを踏み込んでしまうか、完全にアクセルから足を離してしまうかのどちらかしかできない。姿勢はしっかり保ちながら両肩をリラックスさせる、こういう身体への力の入れ方も上手くコントロールできず、力みすぎたり、ゆるめすぎたりしてしまう。「良い加減」で物事に臨み、余力を持ち、心にも余裕を持って視野を広げて生活することで、自分の限界を無限に伸ばしていくことができる可能性が生まれることを学んだ。

    思い返せば、仕事がうまくいかなくなっていたのは、いつも全力で飛ばした後、息切れをおこし、張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れたようになってしまった時だ。次に仕事を得られたら、この学びを活かし、余力を持って職務を全うしたい。

    また、私は人に弱い所を見せるのが苦手で、悩みを相談したり、しんどい状態をさとられたりすることに抵抗を感じてしまうところがある。でも、それは結局ストレスを引き起こし「病気」につながってしまいかねない。また、自分の弱みを人に見せることで上手くいく人間関係があるということも学べた。相手と心からのコミュニケーションが取れる、たくさんの人と心を開いて友人になれる人間になるためにも、自分で張り巡らせてしまっている壁を少しずつでも打ち砕いていきたい。世の中はまだまだ広く、様々な人がいる。そんな中では私の悩みなど、ちっぽけなものに過ぎない。しかし、そんなちっぽけな事で悩んでしまう自分の情けなさを勇気を持ってさらけ出して、他人にも伝える事ができるようになりたい。当然、そこから悩みを乗り越え、自分に負けないようにしたい。

    私の人生の主人公は私自身であり、舞台と役を演じなければならず、そのためには「自分に負けない」強さ、強い気を持っていなければならない。折れない、負けない、強くなりたい。今までの日常生活の中でもそういう思いを抱くことはあったが、今回の修行を通じて「強い」の意味や「負けない」意味や相手について、改めて思い直すことができたと思う。その意味は、まだまだ広く、今の時点で理解出来ているのは氷山の一角に過ぎないし、弱い私には、身に付けるべき「強さ」はたくさんあるが。

    十日間だけで自分を大きく変えることはできないが、しかし、十日間で学べたことは数多く、書ききることができないくらいある。
    日常に戻って、今回の修行で得たものを活かして、自分自身の中でしっかりと育てていきたい。そして一回り強くなって、また初心に戻るべく、ここに来たいと思う。

    自分自身の弱さ、甘さが原因で十四年間勤めた仕事を辞職するに至りました。次のステップのスタートを切るためには精紳面を鍛えること、自分自身と向き合い、生活面から全て変わる必要があると思い、天光寺にて精紳修行することを決断しました。

    相当厳しい修行になると覚悟して臨んで初日は川行からスタートしました。
    十二月も半ばが過ぎ、気温も低い中、行着に下着一枚、素足の格好でお百度参りからスタートし、全速力でダッシュし、ひたすら無心「御宝号」を唱え、無我夢中で終えた時には、疲れよりもすがすがしさを感じました。川へ移動し、行った川行は、スタッフの方の教えである「水とケンカせず、一体となる」を意識しながら、入水しました。水も冷たくとても辛かったけれど、雑念を冷水に流される様で、終えた時には自然の強さ、偉大さを感じさせられました。初日の緊張と肉体的な疲れから、初日の夜は、午後七時半に就寝しました。

    天光寺での修行の一日のサイクルは、起床六時、声出し、瞑想、読経千回、昼食後、荒行を行い、写仏または写経を行い、夕食後、入浴し十時の就寝消灯まで自由時間となります。どの行を行っても当然楽ではありませんが、集中して行うことにより、自分自身と向き合い、過去の反省、自分が今後行うべきこと、進むべき道が少しずつ見えて来るようになりました。

    荒行の中でも、滝行はとても厳しい行でありましたが、これほど体と心を清めてくれるものは他に無いのではないかというくらい素晴らしい行でした。明らかに入水前と入水後では表情も変わり、スタッフの方の「体の悪いものを流してくれる」という言葉には、いつわりはありませんでした。

    私は二週間という短い体験修行ではありましたが、日常生活に帰ってからが、本当の修行だと感じています。結局のところ体験修行を一ヶ月行おうが、一年行おうが、自分で気付かなければ全く意味がないと思います。体験修行にて感じたこと、反省したこと、見えた事を常に念頭において生活していくことで、今までの自分を変えて行けると強く感じています。

    最後に住職をはじめスタッフの皆様、修行を行う上で最高のサポートをしていただき、本当にありがとうございました。メリハリのきいた対応、安心して修行を行うことができました。次回、天光寺に伺う時には、以前の自分としてではなくパワーをもらいに短期で伺います。本当にお世話になりました。水(人生)の流れに逆らわず、自分が主役であるにはどうすべきかを常に自問自答し、生活していきます。

    本日はお世話になりました。短い時間ではありましたが、行に触れる事ができて良かったと思っています。

    今回の目的としては十分には目的を果たせていません。そもそも、日帰りでは、滝行体験でおわってしまうのかもしれません。最初に作法を教えて頂いたことは、良かったと思っています。普段から自分は出来ているつもりになっていたのですが、きちってした型、作法を持って行う事で、心すっきりとした気になれました。

    食事に関しては、精進料理なのでしょうか?私は図体の割には、和食が好きで今回のメニューはとても美味しく頂きました。

    お百度参り。人生初です。私はそもそもお寺、法事、お葬式などに参加しない、そういう環境で育っていましたので、経験がございませんがテレビでみたことはあります。走る事を、今日知りました。本日の時間の関係で100周は無理でしたが、良い経験になりました。

    滝行につきましては、呼吸ができませんが、背中が強い圧力を感じ、体の中の邪念が外に出ているような気持ちになれました。

    最初に目的は果たせなかったと書きましたが、日帰りでも体験する、まずは行動する事はとても重要だとおもいました。参加者方からも様々な話、考え方があり、それを聞くこと、スタッフの皆様の考え方はとても新鮮でした。自分にはない考え方を、聞き、それを素直に受け止める器を手に入れなければと思います。

    文末となりますが本日はご指導頂きまして誠にありがとうございました。