臼杵山 真言宗 天光寺

東京都西多摩郡檜原村にある天光寺では「企業研修」「社員研修」を行っております。「除霊」「お祓い」や「水子供養」「先祖供養」「護摩焚き(供養)」のご相談はもちろん、「ヒーリング」「体験修行」「滝行」「写経」「瞑想」といった半日体験修行ができます。

感想文・体験談

  • 1泊2日天光寺でしゅぎょうをして楽しかったです。わたしがここに来た理由は、うそをついたことやお母さんのお金を取ってしまったことややるべきことをやらなかったことで天光寺にしゅぎょうに行くことになりました。しゅぎょうをしているうちに私が今までやってしまったことが意味の無いことだとちゃんとわかりました。今までやったことをやらないようにするには意味のあることを考えて、行動すれば今までの考え方や行動を正しくすることができると思います。

    天光寺では、あらいものやせんたくやごはんのじゅんびは一人でやったり、みんなでやったりしているので家でも同じようなことをやりたいと思いました。天光寺でのしゅぎょうは自分の努力と勇気とがんばりをさらに引き出す、自分にとってとてもいいしゅぎょうでした。

    みじかいしゅぎょうきかんでしたが、心や体がスッキリしてしゅぎょうもがんばれた気がします。スッキリした気持ちを持ってお母さんに会いにいきたいと思いました。お母さんと1日はなれてとてもさみしかったので、お母さんと会えなくなるようなことはもうやりたくないです。

    おきょうは少しむずかしかったけど何回もとなえると少し覚えることができました。天光寺でしゅぎょうしている人や日帰りの人が仲良くしてくれてとても楽しかったです。ごはんもとてもおいしかったです。しゃきょうはむずかしくてうまくはできませんでした。たきのしゅぎょうは体がスッキリしたけどとてもこわかったです。お百度まいりは走るのがすこしつかれましたが楽しかったです。

    天光寺の人もいろいろおしえてくれてとてもやさしかったです。

     

    今回の修行体験からたくさんのことを学びました。

    まずは挨拶の大切さです。ただの挨拶ではなく、心を込めて言葉に出すこと。それによって自分自身にも相手にも誠実でいることが出来、気持ち良くすごせると思いました。

    次にお百度参りと滝行に行きました。滝行は想像していたよりもずっと怖かったです。水の冷たさ、勢い、音、すべてに体がびっくりしてしまって、呼吸が荒くなり、自分をうまくコントロールできない状態になりました。ですが水から出た後は、スッキリとして達成感がありました。頭の中のモヤモヤしたものもなくなって(浄化された)視界もクリアになりました。

    法話を聞いて思ったことはとにかく言葉の大切さです。思考が人生を作るのだから、消極的な言葉を使わず、前向きな言葉を心がけて自分の人生の主人公になりたいと思いました。

    今までの自分の人生を振り返ると、ネガティブな言葉にフォーカスを置いていたと思います。昔の記憶も悲しいこと、苦しかったことが多いです。それがトラウマとなり無意識に自分はこういう人間だとマイナスな方向に受け入れ自分自身に呪いをかけていたと思います。

    これから本当の意味で変わるために、この1泊2日教えて頂いたことを実行していきます。この1泊2日の中で一番楽しかったことは、朝早起きしてからのおそうじです。1階と2階をワイパーして階段のそうじ機がけ、ふとんにカバーをしました。感謝の気持ちを伝えられているみたいで気持ち良かったです。

     

    ここでのせいかつはつらかった。一ばんつらかったのはたきぎょうです。なぜかと言うとたきぎょうはさいしょ足がいたくて、たきにはいるといきが2,3びょうできなくなりました。そしてたきをあびつづけたらあたまがいたくなりました。つぎはおてらの中です。中では朝にはみがきをするときにチョッキをわすれたり、せんたくものを夜ほさなかったりしました。かごをもっていかないでじめんにおいたりしました。なんかいも。おてらのひとに声がちいさいといわれました。夜ねるまえにどんどんあるいていたらおこられました。あと、かいだんもどんどんあるいていたらおこられました。ほかはおぼんをきれいにふかなかったりしました。ふとんをかたづけなかったりしました。トイレのドアをちゃんとしめなかったりかってにまどをあけたりしておこられました。おこられないようにきをつけようとおもいました。かってにやらないようにしようとおもいました。ママ、パパ、妹、いつもめいわくかけてごめんなさい。あとはないたりしてごめんなさい。せなかをぶってごめんなさい。つぎからはママ、パパ、妹にめいわくをかけないようにします。いつもこまらせてごめんなさい。

     

    法話の感想は困難に立ち向かう力、がまんする力などが大切と言っていた。今現状そういうのをさけてしまっているから家に帰っても困難に立ち向かったりがまんする力をきたえようと思います。そして将来の夢が広がるように勉強したり努力がとても大事という所は家に帰ってもおおちゃくを絶対せずに一生けんめい勉強にとりくもうと思いました。それからこの建物を建てた理由などこのお寺についてよくわかりました。おしゃかさまの話からどんどん話を広げていっていておもしろかったです。マンダラとは何なのか最初何もわからなかったけれどそれがわかって、仏教のはっしょう地がどこかあいまいで知らなかったけれどインドと教わりました。日本人の祖先は猿だと決めつけていたのに本当はアイヌ人だと知りました。ここで過ごして思ったことは、ぼくは家でもねっころがったりしてぐーたらしていました。しっかりキチキチした生活をすると体が思うように動かなくつらかったです。しかし先生が少しずつ教えてくれて、来る前よりはだらけるクセがなくなったと思います。それでも少し大変な時薬を飲みわすれたり勉強がやれなかった時もあるので、薬は飲める時や覚えているうちに飲んでしまい、勉強はやれる時にやり終わらせるようにしようと思いました。それから先生や年上のお兄さんを呼び捨てで呼んだり、そうじの時はしゃべり言葉で話してしまいました。それを来ていた大人にそうだんしたら、大人になったときけい語をつかえないとはずかしいから少しずつみにつけたほうがいいと言っていました。だから家でも少しづつけい語を覚えてしつれいのないようにしようと思いました。
    家に帰って気を付けることは、勉強に集中すること。薬を飲める時に飲むということ。これをきをつけます。そして大人になったらけい語などいろいろつかえる大人になりたいです。

    たき行は寒いよりも痛かったです。どんなかんじだったかは、かたいボールがぶつかってくるかんじでした。たきに入る前は足がかたくて動かなかったり寒かったです。たきに入ったらすわったりしなきゃいけなかったからじごくでした。おひゃくどまいりでは、足が動かなくなるまで走りました。みんなにあわせて走らなくちゃいけなかったのがいがいとむずかしかったです。でもそのおかげで「南無大師遍照金剛」は覚えられました。そして夕方ぐらいに3人で般若心経を1時間読みました。そしてれんしゅうしたから般若心経を半分覚えられました。リズムもけっこう覚えられました。早起きもできなかったけれど早起きが出来るようになったし、せんたくきもつかえるようになりました。あとしょっきあらいもできるようになったし、文をよむこともできるようになったし、そうじもできるようになったしいろいろできるようになりました。

     

    天光寺の体験修行へ来てまず感じたのは日頃の両親への感謝でした。いつも両親がやってくれている洗たく、洗い物、掃除などの家事の大変さを知りました。この中でも特にトイレ掃除と洗い物が大変でした。トイレ掃除は寒い中かがんで便器を拭くのが一番大変でした。洗い物は油汚れを落とすのが大変でした。またなべなどの大きな物を洗うことがあるうえ、かがまなければいけないので腰も肩も痛くなりました。いつも両親は仕事もやりながらこんなに大変なこともやってくれていることを知って深く驚くと共にとても感謝しました。
    また滝行に行ってとてもスッキリしました。行く前まではとても怖かったし、お百度参りも山登りも大変でした。しかし滝にはいると、よこしまな暗い気持ちが消えていきとてもスッキリしました。息がしづらくとても大変でしたが周りの人の力強い応援のおかげでなんとか耐えることができました。滝行はとても貴重な良い体験になったと思います。
    滝行から帰った後、めいそうと読経と写経をやりました。めいそうはとてもリラックスできてさらにスッキリしました。読経は途中までとても大変だったけど一度波を超えると心地よくなってきて一時間でしたがとても短く感じました。写経はとても大変でした。普段から習字は習っているのですが、習字とはまた違い一文字一文字集中して写していくと般若心経がみについていく感じがしてとても有難い経験をできたと思います。
    料理は先生の手作りでした。いつも肉や魚を食べているので三食とも精進料理を食べるのは少し辛かったですがどれも工夫されていておいしかったです。夜にはフルーツも食べることができてとても嬉しかったです。
    次に法話を見ました。はじめて聞く話ばかりでとても為になりました。私が一番心に響いたのは「マイナスな言葉は口に出すと残ってしまう」ということです。私は思ったことをすぐ口に出してしまうので、マイナスなこともよく言ってしまいます。また、心が体に影響を及ぼすということも知ったので、これからは心をできるだけポジティブにするように心がけたいと思いました。他にも私は生きる上で大切なことを五つ学びました。心を強く持つこと、チャンスを活かすこと、積極的に行動すること、がまんすること、努力することです。当たり前だと思うことも一つ一つ気を付けて意識してやることが重要だと思うので、法話で学んだことも日常的にできるように心がけていきたいと思います。
    最後に、私は天光寺へ来る前に校則を破ってスマホを出したり、補導されたり、ルールをたくさん破ってしまいました。しかし天光寺へ来て体験修行や家事、法話のビデオを通してここまで育てて、家事や仕事をやって来てくれた親への感謝と申し訳なさをとても感じました。
    三泊四日という短い期間ではありましたがたくさんの学びと気づきを得ることができました。冬休みになって生活習慣が乱れがちだったので帰ったら六時起床、十時就寝を続けていきたいと思います。また、勉強や宿題を頑張り、手が空いたらすこしでも親を手伝おうと思います。いきなり全部始めるのは難しいかもしれませんが少しずつでも行動や態度を改善できるようにがんばりたいです。

    大切なこと4つの「困難に立ち向かう」「がまんする」「本来あるべき姿」「人間力」の中で「人間力」が一番大切だと思いました。人と接する時にコミュニケーション能力が一番大事だと思ったからです。二つ目は「生老病死」の中に「生」と「死」という真逆の漢字が入っていて人生は奥が深いなと思いました。
    三つめは、人間は無意識にやっていることが多いと知り驚きました。四つ目はチョッキは空海と一緒に修行をしていると知って驚きました。五つ目は仏様は連携プレイであると知り驚きました。先生の説明がとても分かりやすかったです。六つ目は日本には日本の文化がありその内の一つである仏教は様々な種類があり、発祥の地がインドだということです。七つ目は昔のお寺は相談や修行だったのに今ではおそう式などが多いところです。なぜそうなったのか不思議です。八つ目は真言宗というのは言霊という意味だったことです。九つ目は今インドには仏教があまりないことです。
    先生の話を聞いて、四つの大切なことを守り積極的に生きていこうと思いました。天光寺で学んだことはメリハリ(けじめ)をつけることと協力しあうことです。メリハリをつけることはやるべきことを特に集中して出来ると思ったからです。協力し合うことは人とのコミュニケーション能力があがるし、早く色々進めることができると思ったからです。これからはできるだけ人に優しく接して行きたいと思いました。ありがとうございました。

    私は一昨日、不登校改善のためお寺に訪れました。
    不登校の経緯を説明します。中学二年生の十月頃、コロナに感染しその一カ月後の十一月頃にコロナ後遺症となりました。二カ月ほど症状のため学校を休み、一月の新年から通うはずだったのですが、精神的な病気(うつ病、社交性不安障害)となり、また学校を休みました。
    振り返ってみると学校で特別嫌なことがあったわけでもなく、正直何故自分はここまで学校に行かなかったのか不思議でした。
    ここにきてなんとなく自分のことが分かってきたような気がします。
    中学二年で休むまで、勉強や部活を妙なやる気で頑張っていました。中学でとれたテストの点も大したことないのにほこりに思っていて、部活も下手くそでしたが仲が良い友達が沢山いて、先生にも朝練の積み重ねが認められていたことがうれしく、それもまたほこらしかったのだと思います。そういう小さい事の積み重ねの自信のようなものが崩れるのが嫌だったのだと気づくことが出来ました。プライドが高かったのだと気づき、自分自身をもう一度振り返る事が出来たと思います。
    高校は通信制ですが試験に受かることが出来たので、また週に5回学校に通い始める事になります。不安もありますが、また不登校になることがないようしっかりとどうするべきか考えていかなければなりません。
    直すべきだと思うことは見たり聞いたりしたことを悪い方に解決したり、嫌なことばかり考えたり、思い込み(自分で考えたこと)を客観視せずに本当のことだと思い込んだりしてしまうところだと思います。もっとあるのかもしれないですが3つは考え方の悪い所なので、どうにかここで改善していくことができれば良いなと思っています。
    家でダラダラと過ごしていたら気付くことが出来なかったと思うので、ここに来て良かったです。
    二日と半日しか過ごせていませんが、滝にあたったり、めいそうや写仏など色々な事が出来て新鮮で一日一日がとても長く感じます。朝のそうじやご飯の準備など忙しいですが辛いとか帰りたいとは思うことはなく、楽しく生活することが出来ています。そうじの大変さや早朝にそうじする気持ち良さも感じる事が出来て良かったです。これからも頑張っていきたいと思います。

    私は、私生活の乱れや将来の自分の為になるようにと思いこのお寺に修行に来ました。去年もこの時期に修行に来て自分が変わったので行くと決めたのも1つの理由です。私生活の乱れとして朝起きれなかったり、計画通りに行えなかったりと様々なことが挙げられます。
    お寺に来た時は次にやることが分かっているから辛いという思いで沢山でしたが、お百度参りや滝行をした時にこんなに辛かったんだなと思い返す機会にもなりました。滝行のときは正直もうやめてしまいたいとずっと思っていましたが、これをたえれば自分は変われる!と思ってやり切りました。その結果心が強くなって身体がスッキリして辛いからやって良かったという気持ちになりました。
    滝行が終わり洗濯ものや洗い物、普段自分でやらないことがとても大変だということが分かり、特に朝のそうじは身にもって感じました。そうじ機やトイレそうじなどこれを全て母が行ってくれているのでありがたみと手伝ってあげようという気持ちがわいてきました。また親元を離れての修行なのでとてもつらかったです。
    この2泊3日の修行を無事に終えることができたら、私は自分のために動ける人になりたいです。このお寺で学んだことを生かし普段の生活に役立てていこうと思います。そして私が最も大切だと思うことはこの気持ちを絶対に忘れないことです。人間だから忘れることはあると思うけれどお寺でもらったクリアファイルの紙を読み返して必ず思い出したいです。去年は半年程この気持ちを忘れなかったから、何事にもチャレンジし成功することが多かったのを覚えています。なので今回も失敗を恐れず何事にもチャレンジして結果を残していきたいです。特に学校の成績表はやってきたことが現れるものなので頑張っていきたいです。学校だけではなく家でも何か手伝えることがあるのなら手伝い、家族の役にも立っていきたいです。また家族とのコミュニケーションを大切にその日学校で起こったことなどを話し、家族との仲も深めていきたいと思います。
    まだお寺での修行は終わっていませんが気をゆるめず明日には滝行がひかえていると思うので、自分をもっと変えていくために一生懸命頑張っていこうと思います。

    私はこの法話を通しての会話で沢山の事を学ぶ事が出来ました。
    まず最初に話していたことについてですが、このお寺に来て基本の所作を教えて頂きましたが、ただ行うだけじゃなくて一つ一つの行動に意味があることが分かりました。例えばめいそうなどをするときに行う左手が下で右手が上で円を描くようにするという動作には、お母さんのお腹の中にいる赤ちゃんを示していることが分かったし、他にも意味があることを知りました。そして空海のお話のときは南無大師遍照金剛の部分が名前だと知ることができた。そして空海はとてもすごい方というのを知ることができました。また人間の四つの苦しみは逃げられずとてもつらいということも分かりました。死や老い、病気などは必ず誰しもが経験することなので、今安心して生きていることがすごいんだなと考えるきっかけにもなりました。そして我々は何人なのか。自分では日本人と思っていたけれど本当にそうなのか。考えれば考えるほど知りたいことが出てきました。
    私が一番心に残ったことは「無意識」という言葉です。普段自分で呼吸をしているのも酸素をすったり全て無意識に行っていて、無意識って本当に正しいんだなと思いました。私も無意識(当たり前)のように思って勉強などをしたいなと感じました。
    また「努力」と「知恵」を使うということです。この二つが積み重なって色々な事ができているんだなと感じました。
    そして最後の誓いの言葉です。心に残ったものは「ピンチの時にこそ強くなれる人」という言葉と「自分を信頼できる人」という二つの言葉です。まず「ピンチの時にこそ強くなれる人」というのはまさに今自分ができてないことで、これは毎日の積み重ねだなと思いました。普段から一生懸命行動してればいざという時に力をはっきすることができると思います。なので部活や勉強を日々コツコツと頑張ろうと思います。そして「自分を信頼できる人」という言葉は自分を信頼しないと何事もやっていけないと思ったからです。最初からあきらめていたら何もできないからものすごく大切なことというのが分かりました。
    この法和を通して、私は最後の誓いの言葉を守り自分からも周りの人からも信頼されるような人間になりたいと思いました。

    私はこの法話を見て良い生き方をする事の大切さを学びました。
    私が興味を持った所は四つあります。
    一つ目は、仏様が来てくれるという話がとても興味を持ちました。私は今まで仏様は一人だと思っていたのですが、写仏などをしてたくさんの仏様がいらっしゃる事を知り、その仏様方がしっかり私達を見てくださっていると思うと、良い行いをして得を積むべきだなと感じました。そしてそれぞれの仏様がどんな役職を持っているのかなど、仏様への興味もわきました。
    二つ目は、最後の誓いの言葉です。誓いの言葉の量がすごく多くておどろきましたが、すべての誓いの言葉がとても意味がこもっていて自分の心にひびきました。その中でも私の心に残ったのは「これが私だと思える何か」を持つという言葉です。その何かは何かでしかないけれど、きっと自分を元気づけてくれるすばらしい物だと思うし、ポジティブに生きるための物でもある気がしていて、私もその何かを見つけてみたいと思いました。
    三つめは無意識の重要さの話です。私も実際に無意識にネガティブな思考を自分の中にため込んでしまった事がありました。この話を聞いて、無意識に入れてしまった物はその時には気づけなくて辛いけれど、今の様にのちに気づいて取り除き、自分を救う事が大切だなと実感しました。
    四つ目はこの場面見た事あるななどの感覚は前世の記憶だという話です。私は見た事あるなと感じる事が多く、前世の記憶と聞いてとてもおどろきました。人に前世がある事が不思議ですごく興味がわく話でした。
    この法話を通して自分の思いと話をかさねて、これからやってみようとか調べてみたいなと思う事がたくさんあってとても良い機会だなと思いました。

    2週間ありがとうございました。自分はいままで悪いことを沢山してきました。「うそをつく」「人にやらせる」「人に甘える」「約束を守らない」「人を手伝わない」といろいろやってきました。ここで学んだことは「甘えない」「人を手伝う」「時間内に終わらせる」「使ったものはもとの所へ戻す」とあたりまえのことです。ですが自分はあたりまえのことができていませんでした。何事にもせっきょく的に取り組まずに、さぼっていたり、やりたくないから言い訳を付けてやらなかったりと仕事をまじめに取り組みませんでした。ですがこの2週間修行を受けて感じたことはいままでの自分の行動はいけないことだったんだと思えるようになりました。いままでの自分はうそをつくことや人にやらせることがあたりまえで「これぐらいは大丈夫」と考える人でした。でもいまの自分は自分からせっきょくてきに行動してみようと思えるようになりました。「わからない」ことは「わからない」と聞くことの大事さをここで学びました。ぼーっと立っていて指示を待つより「わからない」と声を出して指示を自分から聞くほうがいろんな人のいけんを聞くということをここで学び行いました。
    自分からすすんで行動をして、少ししかられることもありましたが、反省をして次やるときはしかられるのではなくてほめられえるようにすることを常に考えるようにしました。いままではしかられて、いじをはって「ごめんなさい」が言えずに最初に言い訳が入っていました。言い訳ではなくやったことは反省をしてまず最初は「ごめんなさい」といえるようにすることが大切でした。いままでのたいどを見直していきます。

    天光寺に来てから行ったことや感じたこと、法話を聞いての感想を書いていこうと思います。
    法話をお聞きして、最初の「負けてたまるか。腐ってもタイ」というお言葉が非常に心に残っています。滝行やお百度参りをしてみて、最初はきつくてくじけそうになりました。しかし頑張って我慢してこれだけ出来たのだからもうちょっと頑張ろう。そうしてどんどん自分の心も身体も鍛えることが出来ました。これは修行にかかわらず日常生活でもいえることだと思います。自分の限界を決めてしまっているのは自分で「もうちょっと、もう少し頑張ろう」と一歩ずつ進んでいけば必ず目標を達成することができるしどんな自分にもなることができるんだということを気づかせてくださいました。
    他にも仏教の成り立ちや民族とは空海がどのように伝えたのかなど学校では学ぶことができない詳しい歴史の話をわかりやすいお言葉で教えてもらうことが出来て、非常に勉強になりました。
    途中にあった積極的に生きるか消極的に生きるかで運も人生も大きく変わってくるということは本当にそうで、マイナス思考で生きている間はマイナスな事ばかり起こるし、逆にポジティブなマインドで目の前に現れたチャンスを逃さないように生きていきたいと感じました。
    寺での経験は自分にとってとても有意義なものとなりました。お百度参りや滝行で寒さなど自然の厳しい一面を知りながらも自然と一体になる楽しさ、気持ち良さを実感することが出来ました。また、日頃から健康的な一日三食の食事や早寝早起きなどの整った生活習慣を送ることで心身共に健康的になることが出来、この二週間は全く体調不良になることがありませんでした。そして自分を見つめ直す時間も作ることが出来、自分の良い部分も悪い部分も改めて思い起こすことが出来たので自分にとって良い経験になったし、人生においてこれほどの期間お寺で修行するということは中々できることではないし、今後もそうあることでは無いと思うので、貴重な体験をしたなと心に刻みたいと思います。そしてご住職をはじめ、他のお寺の皆様のお言葉を思い出しながら今後の人生を再び歩み始めようと思います。改めまして貴重な二週間をありがとうございました。自然に触れ、自分を省みる大切な時間を過ごすことができました。

    2週間ありがとうございました。自分はいままで悪いことを沢山してきました。「うそをつく」「人にやらせる」「人に甘える」「約束を守らない」「人を手伝わない」といろいろやってきました。ここで学んだことは「甘えない」「人を手伝う」「時間内に終わらせる」「使ったものはもとの所へ戻す」とあたりまえのことです。ですが自分はあたりまえのことができていませんでした。何事にもせっきょく的に取り組まずに、さぼっていたり、やりたくないから言い訳を付けてやらなかったりと仕事をまじめに取り組みませんでした。ですがこの2週間修行を受けて感じたことはいままでの自分の行動はいけないことだったんだと思えるようになりました。いままでの自分はうそをつくことや人にやらせることがあたりまえで「これぐらいは大丈夫」と考える人でした。でもいまの自分は自分からせっきょくてきに行動してみようと思えるようになりました。「わからない」ことは「わからない」と聞くことの大事さをここで学びました。ぼーっと立っていて指示を待つより「わからない」と声を出して指示を自分から聞くほうがいろんな人のいけんを聞くということをここで学び行いました。

    自分からすすんで行動をして、少ししかられることもありましたが、反省をして次やるときはしかられるのではなくてほめられえるようにすることを常に考えるようにしました。いままではしかられて、いじをはって「ごめんなさい」が言えずに最初に言い訳が入っていました。言い訳ではなくやったことは反省をしてまず最初は「ごめんなさい」といえるようにすることが大切でした。いままでのたいどを見直していきます。

     

    私が法話で一番心にきたのは「くさっても逃げない」という先生の言葉です。私は今までの人生でたくさん逃げてきました。逃げてることは分かってたし、逃げてしまった事実が嫌で更に逃げてました。反省文でも書いた通り弱かったからだと思います。私の中で逃げないということはすごくハ―ドルが高いです。でも自分は絶対に逃げない!と思っていれば逃げずに立ち向かえるのかなと思いました。なぜなら法話で先生が「口に出したことが真実となる」と言っていたからです。きのうも先生が同じ事を話してくれました。言われてみたらここに来た直後の日記はポジティブなこともあったけどネガティブな言葉が多かったです。でも日にちがたつにつれてポジティブな言葉がつまっていました。言われてみるまでぜんぜん気がつかなかっただけでここにいる間に変わっていったんだと思います。それもあって心が落ち着いた気もします。ここを出てふだんの生活に戻ったら今まで逃げてきたことがたくさんあるので帰りたくないなとも思っています。だからこそ逆に帰ることが逃げないことなのかと思いました。帰ったら、ここでできるようになったきちんとした生活リズムをくずさないようにしながら自分ともっと向き合って、親とも向き合って今後のことを決めます。そして学校にも行けたらうれしいです。私にとって学校は個性をつぶされて自分だけ疎外感がある場所でした。でも思いこみしだいで見え方は変わってくることに気がつきました。自分がここは怖い、仲間はずれと思ってるだけで考えてみたら友達もいるしいい場所です。だから一から学校の見方を変えてみてみようと思います。それでも多分こどく感は消えません。それに関しては強くなるしかないと思います。「だれかにすがってみじめになるよりこどくの方がいい」と仏教ではいいます。これはすごく強くてむずかしいことだけど、そう思い込みを作れるように努力します。あと、ここで味わった家族がいないことのさみしさを忘れず、自分が辛い時でも家族にはあたらないように心がけます。そして今までよりもっといつもお世話になっているお母さんの手伝いをして助けようと思います。ここで学んだこと、強くなれたことを忘れず、元の生活に戻っても今までとはちがう心で生活します。

    僕は天光寺に来て、たくさんのことを行い、学びました。天光寺では朝6時に起きて夜は8~10時の間に寝ました。寝る時間は家だと大体一緒だけど起きる時間が早かったです。いつもより早く起きるとその日が気持ちよく感じました。なので、家でもなるべく早起きしていきたいです。そして、6時くらいに起きると布団の片付けをして掃除をしました。僕は1階の床とトイレを掃除しました。掃除をすると部屋がきれいになり少し、気持ちもすっきりしました。毎日の掃除もすごく大切だと思いました。

    滝行は、お寺と来た人達と一緒にやりました。きつかったけど他の人も声を出してくれて少し楽になり、助け合いもすごく大切だと思いました。終わった後はすごくすっきりしました。お百度参りは全部で3回やり、1,2回目は5人くらいでやり、最終日は1人でやりました。個人でやる行ですが、やはり1人でやるのはとても違うと感じました。食前の言葉は言わないと思いますが「いただきます」を言うときには食前の言葉の意味も込めて言おうと思いました。ごはんの準備や洗濯はいつもお母さんがしてくれているので、あまりしていませんでした。家族は7人なので毎日朝、昼、夜のご飯の準備や7人分の服や布団、タオルなどを洗濯しているのでとても大変だろうなと改めて思いました。天光寺ではたくさんの人に出会いました。来た人の話をお寺にいたたくさんの人に聞きました。聞いた話では、小学4年生くらいで仲がとてもよかった友達が急に話を聞いてくれなくなり、中学生位までずっと家にいて、リボン結びやクイックルワイパーを使った掃除、食器洗いなどもできなかった人がいることなどを聞きました。その他にも、様々な人の話を聞き、いろんな人がいるなと心から思いました。毎日やった瞑想では、これからの新しい自分を吸って、今まで自分の中にあった良くないことや悪い考え方などを吐くという意味があると言っていました。それを意識して瞑想をすると終わった後にとてもすっきりしました。瞑想はどこでもできるので家で空いた時間や寝る前などにやってみても良いなと思いました。天光寺では、心の持ち方を学びました。何事にも悪いほうばかりにとらえないということです。例えば治る病気も、この病気はずっと治らないと思っていると治らなかったり、何かの試合などでも勝てないだろうと最初から思っていると本当に負けてしまうことです。なので今後何かの壁にぶつかってもプラス思考で考えていきたいです。天光寺では挨拶や返事、姿勢の大切さも学びました。毎日気持ちの良い挨拶をするだけで気持ちよくなれると思いました。返事はする場面がたくさんあるのでそれをきちんとするだけでしっかりとしている人に見えたり、した人もされた人も気持ちが良くなると思いました。姿勢だけでその人がどのような人かが分かるので姿勢もとても大切だと思いました。天光寺で学んだことを生かし、今後は挨拶や返事、姿勢や声の大きさ、心の持ち方に気を付けて、起こることに向かっていきたいです。

    今回の体験修行を通して人間として成長した気がした。
    食事の前に「食前の言葉」、後に「食後の言葉」を唱えることで当たり前であった食事のありがたさを感じることが出来た。片付けが終わった後にも終了したことを伝える言葉を言ったことで、行動のメリハリがついて良かった。
    滝行では精神力を高めることが出来た。滝のそばまで歩いて行き、滝を目の前にした時は
    簡単に耐えられるのではないかと感じた。しかし実際に滝に入ってみると、水の勢いが強く押しつぶれそうだった。水に負けないようにと最初は戦っていたが、心を落ち着かせることを意識したら少しだけ苦しさがなくなった。滝から出てみると、心がすっきりしたような感覚だった。これは普段の生活の中では味わったことのない感覚でもあった。
    写経は筆の扱いの難しさと感情の調節を学んだ。筆を持つのは中学生ぶりということもあり、基本的な「とめ、はね、はらい」でさえ苦戦した。感情が乱れると字も乱れ始めた。できる限り平常心で集中して写経するようにした。写しているにもかかわらず、見本とは異なる作品になってしまったため練習が必要だと感じた。
    今回の体験修行で一番好きだったものが瞑想だった。目をつむり呼吸に意識を向けることで心が落ち着き、リラックスすることが出来た。これからは朝に一度やり、心を落ち着かせてから学校に行きたいと思う。

    法話のビデオを聞いて、「人が自分を認めないより、自分が人を認めない方が心配」という言葉に強く惹かれました。実際学校でもそのようなことがたまにあるからです。
    だけど自分に自信がなくなるから、いかに自信が持てるかが大事なってくると思いました。そして何かあったらすぐに報連相をすることが大事で、それが出来ていないと人生の負け組なることもあるからです。つまり人生の負け組、勝ち組、主人公のどれになるかは自分で決めることになるから、今のうちにがんばることが大事だということを学びました。
    次に修行です。まず滝行は最初は呼吸の仕方がわからなかったけど、二回目三回目は慣れて呼吸がしやすくなりました。
    もう一つがお百度参りです。はじめてでとても疲れました。
    ほかにも寺院内で一時間お経を読んだり、洗濯したり、ごはんをつくったり、お経を写したり、とても大変だったけどいつもやり終わるとスッキリしました。
    このような経験を生かして家では積極的にあいさつしたり、洗濯ものをほしたり、食器を片づけて洗ったりと自分でできることはできるだけ自分でやる事によって少しでも負けた日をなくそうと思います。あと、何事をするにも時間を決めることが大切だと思いました。今までだらだらゲームやテレビ、遊びを自由にやってしまっていたところもあるからそこは直していきたいと思いました。
    最後に感謝です。野球や学校に行くのにもお金をはらっているので親に感謝しないといけないと改めて思いました。

    天光寺での修行を終えて・・・
    まず私が何故ここに来たか?この先どう生きていこうか?など、自分の人生、過去現在未来と自分自身と向き合う為に、今回修行を受けさせて頂きました。二泊三日ではたりないけども、二日目にして特に滝行が一番私の精神や病をいやしてくれた気がします。山にのぼって自然を感じ、仲間の応援のおかげで滝行も二回クリアできました。お百度参りも初めての体験で、ハダシでコンクリートの上を走り、誰かを想い願い走り続ける。弱い自分や甘え、病いなど自分自身の身を持って体感する事が出来、これまで聞こえずらくなっていた耳や出ずらくなっていた心までもが、しだいに良くなっていった事がおどろきでした。普段の生活では体験できない事や、集団生活、教えなどを体感していくうちに、色々なものが消化されていき、すべて浄化せれていくのが分かりました。お経や書道などもして精神とういつされて、ことだまや言葉の大切さも教えて頂きました。思考のイメージやめいそうの大切さ、心の持ち方など自分自身と向き合う為に必要な自分の中心と向き合い整える事の重要さを実感しました。一日目二日目と次第に目に見えるものや感じ方など視野がすごく広がっていってたくさんの気づきと学びを得た修行体験でした。
    私はまた強く前を向いて生きていこうと思えましたし、ここで出会った仲間や修行の教えを頂いたおかげで、また新しい自分にも出会えそうです。これからは前向きに物事を考え自分の道を進んでいきます。また壁にぶち当たった時や教えを頂きたいとき、天光寺に戻ってきます。救って頂き有難うございました。ここでの修行や教えを心にきざんでこれからの人生に役立てていこうと思います。皆様もどうかお元気で。有難うございました。

    ぼくはこの天光寺に来て学んだことが何個もあります。まず僧侶のかたに「この天光寺につれて来たお母さんやお父さんをうらんじゃだめだよ。なぜかというと、ぜったいいい経験になるから。」と聞いてうらんでいた気持ちが消えました。自分でもかならずいい経験になるよな。と思ったからです。また「友達をきずつけたり苦しませないようにするウソはいいけど、正直に言わないウソはやめよう。」と言われました。「人がいない所でウソやずるをするのはやめなさい。せっかく来ているんだからちゃんと修行しなきゃ。親をうらぎりたくないでしょ。」とも言われ、そうだな、うらぎりたくないな。と思いました。なので➀ウソをつかない➁メリハリをつける➂ウソをつくような悪いことをしない。ということを心がけようと思いました。ぼくは人がいない所でもウソをついてしまいます。2日目の朝のそうじがまだ少し終わってないのに終わりましたとウソをついてしまいました。3日目は大変だな、つらいな。と思いましたががまんしてそうじをしました。終わると終わったぁ。と心がスッキリとしました。あとは滝行です。ぼくは2回いきました。2回目できがついたことははっきり「南無大師遍金剛」と何回か言うと体がスッキリしました。自分では悪しきものが滝に流されてでていったのかなと思いました。なのでウソはつかないようにします。
    自分で思ったことはウソをつかないでまじめにやったら1時間くらいで終わるのに、ウソをつきもう1回やり直しになったら2時間ぐらいプラスになるのになんでぼくは時間がかかる方をわざわざやっているんだろう。と思いました。それにウソをつけば自分にもウソをつくしウソをつかれた方も傷つくのに。と思いました。でもウソをつかず正直に言えば絶対心のモヤモヤも消えるし、相手はこの人は正直に言うんだな。信用できるな。と思ってもらえるなと思いました。ウソをつくほど人が自分に信用できる気持ちがなくなるなと思いました。自分が信用されないのはいやです。たとえば、自分じゃないのに「何をこわした。」と言われるのはすごくいやなので、これから直せばきっとよくなると思います。僧侶のかたに「子どものうちに気づけばいいんだよ。だから直しな。」と言われました。自分は今この修行に行けていてありがたいなと思いました。ビデオを見た時住職さんが「つらくても負けないぞという気持ちがあったら負けないから。」と言っていました。ぼくはウソ以外でもきちんとしようと思います。たとえば物をとったりいじめたり不登校だったり。これからつらいつらいということがあっても、住職さんが言っていた「負けないぞ」という気持ちを持ちながら生活しようと思います。
    お母さんやお父さんは「チャンスをムダにしないで。」と言ってくれました。上にあがれるチャンスなのでムダにしないで生活しようと思います。いろんな人に注意され助けてもらったのでそれをムダにしないようにうらぎらないようにがんばります。家に帰ったからと気をゆるめずにがんばります。
    お母さんお父さんをうらぎらないよう、天光寺の人たちをうらぎらないように正直に悪いことをせずに生活します。

    自分はこの天光寺に来て色々な事をみにつけました。その色々とは、どのような事があったのかというのをせつめいします。自分は天光寺に来てまずした事はゆうごはんのじゅんびのてつだいです。ふだんあまり自分の家のごはんのじゅんびをする事はないんですけど、天光寺でそのごはんのじゅんびのてつだいをしていると自分の家でもちゃんとそういうてつだいをしなきゃなって思いました。そしてふとんをしいてねました。この時に自分は早く家でもねなきゃなと思いながらねました。その次の日には朝早くおきて寺のそうじをしました。自分はげたばこのぞうきんがけをしました。そうじをおえて片づけると気もちがよくなるなと感じました。そのあと昼ごはんのよういをして食べて自分でお皿をあらいました。自分の家ではあまりお皿をあらった事がなかったんで自分の中でこれからはこまめに家でもあらうようにしたいと思います。そしてめいそうの時間を三十分あたりの時間やりました。心も体もすごくやすらぐような感じでした。おきょうは一時間あたりの時間唱えました。般若心経というおきょうをれんぞくでとなえました。唱えれば唱えるほどなんだか心がおちつくようになってきました。一番つらかった滝行では、おひゃくどまいりというのを長くやりました。走ったあと止まって南無大師遍照金剛と3回唱えてれいをするのをやりました。そのあとへやにはいり少しきゅうけいをして車で滝まで行きました。山を高く登り滝に着きました。滝に入る前になむさんおうだいしん、なむりゅうおうだいしんと3回唱えてあたまとかたと顔に水をかけてさいごにあたまから水をかぶせたら南無大師遍照金剛と唱え続けてせなかをつけたり座ったりして終えました。その滝行では自分のいままでの悪行をはんせいしながら入りました。例えばウソをついたり学校に行かなかった事について深くはんせいしながら入りました。出たあとはなむさんおうだいしんありがとうございます、なむりゅうおうだいしんありがとうございます、みなさんおうえんありがとうございます。を言いました。そのあと今までのあやまりとこの天光寺で何をやったのか何をふまえてはんせいしたのかをかきました。その時に自分はなんでこんな事をしてしまったのかというのを考えたりお母さんにどういう気持ちではんせいすればいいのかを考えながら書きました。
    そして天光寺の人たちにはとてもおせわになりました。とてもやさしく色んな事を教えてくれました。若い僧侶のかたは初めて天光寺に来たときにすごくていねいにせっしてくれた人です。他の人もすごくていねいにせっしてくれたり、やさしく分からない事を教えてくれてとてもいい人たちでした。この天光寺に来てさまざまな体験をしました。滝行やめいそう、お経や色んな事のてつだいをしましました。とくに心に残っていることは滝行です。滝行では色んな願い事や悪い事をした事をはんせいしました。自分は天光寺に来て一番こわかったのは滝行でした。自分の中で滝行はとてもきつくて苦しい物だとそうぞうしていたのでとてもドキドキしていました。だけど入って出た時はとてもスッキリしました。この五日間おこられたり色んなことがあったけどとても楽しかったしいい経験になりました。ありがとうございました。

    私は、すこし難しい事を言っていて分からない事もあったけど、先生と皆で読んだ心の持ち方に似た物を聞いて、でも全部はできないけど、すこしはいしきして出きそうと思ったから、いしきして普段の生活にいかしたいです。先生が、あきらめちゃいけないって言っていたので、自分もあきらめずに学校に週四行けるようになります。そしてここで、一週間つらい事もあったけど、すこしは人間的にしょうじんできたと思ったので、ここでの修行した事は忘れずに生活でもいかしていけたらいいと思いました。そしてここでの生活で、家ぞくのありがたみ、あたたかみが良く分かり、お母さんたちに感謝の言葉を言いたいです。そしてここでおせわになったお寺の人もにも感謝の言葉を言いたいです。ここでたき行やおきょうなどもできてよかったとも思います。ここは色々な人がくるのですこし自分はひとみしりしちゃったけどすこしはこくふくできてよかったです。

    私は、今回体験しゅ業をして自分の考え方が変わりました。以前の私は「滝行なんて寒いだけ。」という考えで簡単なものだと思っていたけれど実際やってみると息ができなくなったり頭がいたくなったりなどとてもきびしいしゅ業でした。滝行をおこなうまでの道のりもつらくとくに下りが大変でした。お百度参りでは、はだしでコンクリートの上を走り、冬ということもあり足の感覚がなくなりかけました。終わったときには達成感がありとても気持ちよかったです。
    お寺での生活では夜22時しゅうしんで朝6時きしょうで自分の生活と一緒でしたが、朝からそうじをやったりこれだけ自分の生活とちがってしんせんな体験をすることができました。

    2週間ここに居て感じたことは、当たり前にあることに対して感謝することです。一番感謝をできていなかったのが一番支えてくれている家族に対してです。生まれてからずっと側にいるからいて当たり前のそんざいになっていて支えられていることにも気づかず自分の為に言ってくれたことに対しても反抗ばかりしちゃってたし、今思えばすごくひねくれた考えをしていて家族も他人も変わらないしみんないなくなってもいいと思ったことまでありました。だけど実際にはなれると、すごくさみしかったし毎日家族は何してるかなと考えてしまうくらいでした。
    普段ストレスになっていた兄弟の声も何回も呼ぶ両親の声も何も聞こえなくて逆にしんどくて両親が普段言っていた日常に感謝しなさいの意味がすごくよく分かりました。
    あんなに何回も言ってくれたのに受け入れることなく自分勝手な考え方をしていた自分や悪いところをみとめずひねくれた発言ばかりしていた自分と向き合って日常が当たり前じゃないことをしっかり認識することができた2週間になりました。家にかえってもここで感じたことや学んだことを忘れずに生活していきます。

    天光寺で生活した三日間は学んだことがたくさんあり、とても刺激的な日々でした。
    最初、天光寺に行く前に厳しそうであまり良い気持ちではありませんでした。お寺ということもあり、かたく、暗そうで怖いイメージがあったので不安だらけでした。一日目はお経を唱えたり、滝行をしました。人生初の滝行はこの三日間の中で一番印象が強かったです。自分が想像してたよりとても大変でした。いきなり滝に入るのではなく、体に塩と酒を付けたり、お百度参りをしたりなど時間をかけて行うものだと知りました。とくにお百度参りは、自分は10分間走ったけど昔の人達はその何倍も走ったと聞き、とても過酷なことなんだと感じました。色々な準備を終えて滝行をしたのですが、水に足をつけただけで凍りそうなくらい冷たく、想像以上に滝の強さが強くて物凄く辛かったです。半分くらい奥に入った時に頭が痛くなってしまい、そこで終わりになってしまったのですが、体がスッキリしてやってよかったなと達成感がありました。いつも自分は怖かったり、少しでも出来ないと思ったらびびって諦めてしまっていたのですが、滝行をしたことで自分の考え方が変わり、どんなことも諦めず挑戦することが大切だと学びました。
    二日目、三日目は朝お寺の掃除をして写仏をしました。天光寺はとても広く、たくさんの仏様がいて家や学校でやる掃除とは違ってものすごく大変でした。自分は主に仏様の水替えをしました。三階全ての水を変えるので大変でしたが普段生活しててもすることないとても貴重な体験をさせていただいて良かったです。自分が想像していたお寺より天光寺はびっくりするくらいキレイで、毎日朝早くに起きて、細かく丁寧に掃除をしているお寺の人達の努力が今のきれいな天光寺が出来ているんだなと思いました。部屋を毎日掃除してきれいに保つことは大切だと知ったので、これから私は毎日少しでもそうじをしたいと思います。写仏では、仏様を遠くからしか見た事なく、細かい部分を知らなかったのですが書いているとこんな模様してるんだとか近くで見ると全然別のようなものに見えたりと色々な発見があって楽しかったです。
    こうして天光寺で過ごした三日間は、とても濃く、あっという間で刺激的な三日間になりました。毎日やった瞑想も、やったらとてもスッキリするのでこれからも続けていきたいなと思います。
    また野菜中心の健康的な食事もとてもおいしく、自分の食生活を見直そうと思いました。そしてお寺の方達とお話していた時間はとても楽しかったです。普段聞けないことを聞けたり、明るく優しい方だったので自分も緊張しないで楽しく過ごすことが出来ました。すごく貴重な体験が出来、来て良かったなと心の底から思いました。天光寺で学んだことをこれからの生活にも活かしていきたいと思います。

    私はなぜここに来たのか、よくぼうげん言ったりするからと思いました。家でも学校でも友達の前でも「しね」「キモイ」など色んなことを言っていて自分でもダメと思っていたのに、一日に何回も言っていました。学校でも問題児で、先生の前ではっきょうしたり、たくさんの問題をおこしてしまいました。友達にウザイ態度とったり、けんか売るようにしゃべったり、かげ口、ぐちなど言っていました。学校で先生の話を聞かないでやる事がわからなかったり、勉強も理解していなかったです。宿題などてい出ぶつを出していなかったりしていました。今考えるととてもダメダメなせいかくでした。そしてお寺にきました。他人、初めて会った方の前では、声が小さくて、とてもひとみしりです。声が小さすぎておこられました。しゃべることも少なく、うなずくことくらいしかしていません。わからない事などを年上の人にぜんぜん聞いていなくて間違えだらけでした。お寺で、そうじ少しサボリぎみな時もありました。これらのことをお寺で全て直したいです。5年生、3年生、1年生、とてもやさしかったです。私も変われたならなって思ってます。今日は3日目でした。次からめいわくかけず、一週間しゅぎょうが終わったら親にがんばったねなどすごいねなど言われるように、感謝とはんせいの気持ちを持ってすごしていきたいです。注意されることも一回でもへらしていけるようにがんばります。

    ぼくはここ五日間反省しにきていました。毎日、朝はやくおきてそうじをしてご飯の準備をして、さんらいをして、お昼ごはんの準備をして、ぎょうぎにきがえてお百度参りをして、たき行にいって、はん若心ぎょうのれんしゅうをして、晩ごはんの準備をして、ふとんをしいておふろにいってと、はじめてきたひとかは「めんどくさいしたいへんだな」とおもっていたけど、五日目(かえる日)になってからはちゃんとやったことについて反省してきたかいがあったな、これから、お金をとったりせずわからないことはちゃんときかなきゃな」と思い心がすっきりしました。これからは、やっていいこと、わるいことをちゃんと覚えていきたいとおもいます。

    たき行では、はじめてはいったときはすごく水がつめたくかんじ泣きながらはいっていたけど四日目、五日目はみんなのおうえんで水があまりつめたくかんじなく、さいしょからさいごまではいることができました。

    お百度参りでは、はじめての日は、よゆうとおもっていたけれど昼ごはんをたべたあとだからおなかのあたりが痛くなっていました。五日目は食後でもあまりおなかが痛くならずにさいごまでできました。

    朝ごはん、昼ごはん、晩ごはんの準備ではサラダづくりをたんとうして、さいしょはうまく作れず、おしえてもらったことをいしきしてうまく作れるようになりました。

    般若心経の練習では、さいしょのほうは、あまりできなかったけど、絶対におぼえるというきもちでやったらはんぶんおぼえていることができた。

    ぼくは、お母さんがはたらいてためた五十万円をとりゲームセンターにいたりたくさんおかしをかったり友達にわたしてお母さんががんばってはたらいてためたおかねをたくさんつかって、おやくそくも守らずお母さんにかなしい思いをさせてしまいました。

    お母さんががんばっていもうとと自分のおせわをしていておしごともがんばっていたけど、ぼくはかいたいものがあったからそのお金をみつけてとってしまいました。そして今ここにきてお金をとってしまったことについて反省をしています。

    ここでは、たき行をしたり、はんにゃしんぎょうの練習、お百度参りなど色々なことをして反省しています。そして、しばらく反省してかえるというときには、心をいれかえます。そして、ここを出てもこうゆうことがあったことを忘れずにして、もう二度とこうゆうことをしないで、お母さんにかなしい思いをさせず、たのしく暮らしていきたいです。

    天光寺にきて二週間がたち寺の生活が今日で終わります。最初に寺に来た時、朝は早い、滝はつらい、さんらいをやって足がいたくなったりして最初はもう帰りたいとずっと思っていました。「母はどうしてこんなところにつれてきたの」と毎日言って、すごくつらかったです。ですが、寺の人と話しているうちに「どうしてここにつれてこられたの?」と考えました。よく考えてみると自分が学校に行っていれば寺には来なかったのではと考えました。今まで母はいろんな方法でぼくを学校に行かせようとしていました。ですが、どれをやってもぼくは学校には行きませんでした。それでさいしゅうしゅだんとして寺にいれたのではと考えました。そして3日目くらいから声をどんどんだせるようになってきました。声をだすとすごくスッキリして気持ちがいいです。たきはくびがいたくなったり水は冷たいですがすごく終わったあとは達成感がすごくものすごいいいけいけんになったと思います。さんらいはすごく足がいたくなりますが、たきのうようにすごく達成感があり自分の成長を感じました。ほかにもあさのげたばこそうじ、山に行ってそうじをしたりしました。山は通路にじゃまな石をなげたりどろをかきあつめたり、通路ふさぐ草をとったりしてました。草のトゲが手にささったり服に虫がついてたりしてすごくたいへんでしたが、周りの人がけいけんしていないことができて、ぼくはすごくとくした気分でした。そのうち寺の生活にもなれていき1日1日が大変でしたがすごく楽しかったです。寺の生活をしていると学校に行っていなかった自分がすごくはずかしいとおもいました。寺の生活より学校のほうがらく、学校よゆうなのでは?と思ったのです。学校に行って友達におきょうなど聞かせてビックリさせたいとか思い、はやく学校に行きたい!という考えにかわっていったのです。こんなに学校に行きたくないと思っていたのに行きたいと思わせてくれたりさまざまなけいけんをさせてくれた寺の人とこの天光寺にいれてくれた母にかんしゃしたいです。ありがとうございます。そして天光寺のみなさん本当に2週間おせわになりました。ありがとうございました。

    きのうおかあさんときました。さいしょは作法をしました。長い時間正ざをしてたので足がいたくなりました。つぎには、お百どまいりを外でしました。走る前は、足がいたいかもしれないから走りたくなかったけど走ってみました。走るところがあたたかくて走ってみるといがいと楽しかったです。いたくもありませんでした。その次は、たき行です。さいしょは車で少し山を登りました。と中で止まってたきまであるきました。ついたらすごいいきおいでながれていました。自分のばんになってすごくこわくなって、でも入ってみたらといわれてたきにちかづきました。おくにはいけなくて前でふるえながらあびてました。いきなり頭がいたくなりました。すぐひきあげられました。頭がどんどんいたくなってテントの中できがえました。きがえおわってもまだいたかったです。もう入りたくないと思いました。

    二日間、母子共にお世話になりありがとうございました。今回は、娘の不登校に悩み、私自身も精神的に落ちてしまっているとき「とにかく何か動かなければおかしくなりそう」と感じ、気が付いたら天光寺さんのホームページに辿り着いていました。娘だけを行かせたい気持ちが大きかったのですが、自身もマイナスな気持ちをスッキリさせたく一緒に来ました。お寺の担当の方が「お母さんとお子さんは別で考えます。」という最初の何気ない一言が印象に残っていて(うまく言葉にできないのですが…)娘を客観的に見ることができたような気がします。家では甘ったれて手伝いもせず、勉強もせず、学校も行かず・・・でもこの二日間、こちらでのルールを守りながら、滝行、写経など取り組んでいた娘を見て、奥に秘めてる力あるんだなと嬉しくなりました。(もう諦めていたので)もっと厳しくしてもらったらどうなるんだろう・・・と知りたい気持ちもありましたのでまたお世話になるかもしれません。宜しくお願い致します。

    私自身も、お百度参り、滝行、瞑想などの修行はもちろんですが、職員の方の話や一緒に体験をした方との話から沢山得られたものがありました。「プラス思考」「積極的に」「ポジティブ」「楽観的に」とにかくこれからはこれを意識して生きていきたいです。

    ここで二日間過ごすことができて良かったです。本当にありがとうございました。

    ぼくは、この一週間をえて色々なこと気づきました。その中でも心のもち方の大切さに気づきました。当たり前かもしれませんがネガティブよりポジティブの方がいいです。人はネガティブになるのはふつうだと思います。ですがぼくはポジティブなことしか考えないように心がけようと思います。なぜかというと、ネガティブはいいことをひとつも起こさないからです。頭の中がネガティブばっかだと、うつとか心をだめにしちゃうからです。だからぼくはポジティブでいられるようにしようと思います。あとぼくは、だれにも負けない心を持つようにします。この先ずっとある壁を乗りこえるためです。生活習慣もこれからはしっかりしていこうと思います。理由は心ももみだれて結局ネガティブ思考になると思ったからです。これからはポジティブをいじできるように生活をしっかりしていこうと思います。

    私がこの修行で学んだことは素直になることです。滝行や三礼をやったことで大きな声を出すことや水に打たれて限界まで我まんすることを学びました。滝行や写仏では我まんすることや書いている時は休けいするとき以外はしゃべらないことを学びました。私は脇見恐怖しょう、対人恐怖しょうになったのでここに来ました。辛くて家族に会いたいと思った時もありました。写仏をやっている時も手元より他人のことが気になってしまい、イライラしてて辛かったです。でも先生に少しは我まんしなさいと言われ、その気になりました。やっぱり辛くて先生に悩みを打ち明けたり、写仏の時に他の人が前の机で勉強してもらい、自分は後の机で勉強したりしました。色んな先生にアドバイスをもらいました。人がイライラしたりしていても何も悪いことなんてしてないだから気にせずにいなさい、強くなりなさいと言われました。両親や誰にも言えないことが多くて、ここに来る前も人の目ばっかり気になって嫌われちゃわないかなってことばっか気にして、写仏の時もずっと他人のことを意識しちゃって治るのかなって思っちゃってしまったこともありました。やっぱ他人がイライラしているのを見ると嫌われたのかなって思っちゃって自分はどこに行っても嫌われちゃうのかなって一時期は誰も住んでない山奥で一人ひっそりと暮らそうかな自分にとってもいいし相手にとっても私がいない方がいいのかなって思った事もあります。やっぱり人の気持ちが分からないからどうしたらいいんだろうって考えて行動に表してもイラつかせちゃって、この人に好かれたい嫌われたくないって気持ちが大きいから、どう頑張ったらいいのか分からないこともあったけど、そういう人とは相性が合わないから相性が合う人だけと仲良くすればいいって言われて合わせようとする方が間違ってるんだって気付くことができました。最初はこの苦しみなんて誰も分かってくれないって思ってたけど色んな人の話を聞くと分かってくれる人もいるんだなって思いました。他の人と一緒にいると違うことを考えちゃったり自傷行為に走ってしまったりすることがあるので自分が我まんしちゃったり素直に辛いって言えなかったりするので、そういう所も含めて素直になりたいし、やっぱ誰かに嫌われるより愛されたいから愛されるようになりたいです。

    僕は、天光寺に生活習慣が悪いことや自分の感情をコントロールできないことなど来ました。僕は天光寺に来たくないと思っていたけれど、来てみて気付いたことがあります。それは、感謝をする事です。僕は天光寺で掃除や洗濯、皿洗い・片付けなどをしてきました。どれも親がやるのが普通だと思っていたけれど、親がいない今、自分がやらなければいけなくなった今、親がやっている大変さに気付かされたと思います。親がやるからいいではなく、自分がやらなくてはいけない、親がやってくれたら感謝をしなければいけないことが分かりました。僕はこれから自分のことは自分でするようにしようと思います。

    僕は天光寺に来て、生活習慣は良くなったと思います。でもまだ自分の感情をコントロールすることはできていません。僕は自分の思い通りにならなければ物にあたってしまいます。自分の感情をコントロールできないことが僕の弱点であり、僕はそこを直さなくてはなりません。僕はまだ自分の感情のコントロールの仕方を見つけれていません。僕は残りの二日で自分の感情のコントロール仕方を見つけようと思っています。

     

    自分は天光寺で思った事は、色々な想いを持った人が入ってきたり、出たりと繰り返していると思いました。そこで自分が直さないといけないと思ったのは、言葉遣いや、行動を気を付けようと思いました。それと、空気とかもちゃんと読もうと思いました。次に滝行について書こうと思います。自分は滝行に3回行きました。1回目の時は初めてやったしわくわくと暑いし余裕やろーと思ってたけど、いざ滝に入ってみたら、気温とか全然関係なくて普通に冷たくて、痛い思いをしました。2回目は、1回目の時よりも気合を入れて挑戦しました。1回目よりも頑張れました。3回目は、自分の中では一番いいと思いました。なぜなら、分からんけどすっきりした気持ちになれたし、虹も見れて最高な気持ちでした。次にめい想です。今の自分はきれいな場所をイメージしても、すぐにカラオケの中に行ってしまうので、もっともっと頑張ろうと思いました。次にお経です。最初に比べたら今はめっちゃ覚えて読めてるし、今は一回も間違わないで般若心経を読みたいです。後、観音経偈とかも覚えたいです。次に外で手伝った事について書きます。自分は外で手伝いに行きました。最初にした事は、川の向こう側にある丸太を上まで運ぶ事でした。めっちゃ重かったけど自分はめっちゃ楽しかったし、久しぶりに運動を出来てうれしかったです。次にやったのは、草刈り機で草を刈った事です。自分は草刈り機を使うのが初めてでめっちゃどきどきしました。自分が使ったのは鉄のやつで、もう一人の修行の子はワイヤーのやつを使いました。鉄のやつはあまり石などはとんできたりしなかったけど、もう一人の子が使っていたワイヤーのほうはめっちゃ石が飛んでいて足が痛そうでした。次にしたのは固まる砂というやつです。植木のところで空いている穴を埋めるようにと指示をされたから、初めてやったけど頑張ってやりました。

    修行に来て二日がたちました。一日目はなぜこんなところに連れてこられたのかも分からずサインしました。初めは六日くらいならすぐに終わると思っていました。一日なんてすぐに終わると思っていました。

    ご飯を食べ終わって滝行に行きました。滝行はマンガで見たことあるし、どちらかというとわくわくしていました。注意のときに「頭が痛くなったり、気持ち悪くなったりしたらすぐに引き上げます」と言われたときも大丈夫だろうと思っていました。入ったときに思ったのは「冷たい」でした。足が冷たさに負けて痛みに変わったときに、もう無理だと思いました。そこで引き上げました。とても痛くて滝まで行っていたら、たぶん気絶するんじゃないかと思うくらい痛かったです。その後、男の子と男性が最後までやっていてこわかったです。なんでできるのか意味がわからないし、そもそも滝にうたれて平気そうに見えるのが一番こわかったです。私に「もう一度やる?」と聞かれたので勇気を出してもう一度チャレンジする事にしました。足の痛みは一度やったので平気でしたが、滝に入ってから声を出すのがつらかったです。さらに、だんだん頭が痛み始めてつらかったです。外に出て、着替えて下山する途中で、一緒にやっていた人が「よくがんばったね」と言われてうれしかったです。たぶんやっていない人に言われても、なぐさめ程度にしかならないけど、一緒にやっていたからこそうれしかったと思いました。泣きたかったですが泣くと余計に頭が痛くなるのでがまんしました。降りていく車の中でお母さんをうらみました。なぜこんな場所にしたのかふざけないでほしいと心から思いました。帰ってきて住職さんに「頭が痛くなってしまったみたいで」と先生が言うとみてくれました。見てもらった時はとても楽になりましたが、一時的なものだったのかすぐに元通りになってしまいました。滝行をした人にはあたたかい汁物が出るのですが、熱くてしばらくほったらかしにしてました。その後飲むととてもおいしくてびっくりしてしまいました。

    頭が痛くてうずくまっていました。その時にもお母さんに対してとても怒っていましたが、同時に寺に入ってしまったなら仕方がない。明日が最終日だったらどんなにいいだろうかと思い、何度も考えながら痛みが引くのを待っていましたがやはり無理でした。地道に最終日を待つしかないんだなと思うとため息がでてきました。先生に聞いて電話して帰ろうとも思いましたが住職に「だめだ。」と言われて終わりでした。

    先生方が帰られてから私はとても寒かったので先にお風呂に入らせてもらうことにしました。シャワーしかなかったですが、十分温まることができました。洗濯をかけて、ご飯を食べて、寝床につきました。そして一日の反省をしました。なぜサインをしてしまったのか、滝行をなぜ軽いものだと思ったかなどたくさんありました。ふと明日は親せきの家にとまる事を思い出すと、いつも泊まったときに寝ている部屋と似ているなと思いました。笑い声や車の走る音、エアコンの位置などがよく似ていました。泣きそうになってしまいました。

    朝になってすっきり目を開けることができて、自分でもびっくりしました。朝の掃除でくつ箱をふいていましたが量が多くてなかなか終わることができませんでした。くつ箱をきれいにふきながら、自分の悪いところもこんなふうにふけば落ちるのだろうかと思いながら終わらせました。その後にめいそうをしました。腹式呼吸をしながら静かにしているととても落ち着くことができて日常にこういう時間を作ったほうがいいよなと思いました。次に声をつけてやりましたが、こっちもとてもすっきりしたので声を出すのはいいよなと思いました。先生方が来たのであいさつをしに行って、最後に十三仏真言をとなえました。途中で住職さんに「背すじが悪いよ」と背をなおされてしまいました。次は注意されないように背を伸ばしていようと思い、心がけながらやりました。ご飯を食べ終わった後に写仏をやりました。筆でやるのは初めてなのでドキドキしましたが、やってみると意外と簡単ですらすら書くことができました。乾くと紙がちぢんでしまうので早めに書いていましたが、乾くのが早くてずれてしまったり、下にしいた絵よりも下手になってしまったりしましたが、自分でうまくかけたのではないかと思いました。

    こうしてふり返ってみると色々なんでこんなことを考えたのか意味の分からないこともありましたが自分はやはりバカだなと思いました。早くなおしていればここで反省文を書く必要もなかったんだろうなと思いました。家に帰ったらなおそうと思いました。

    今回、私は、自分の犯した罪を償いたいと思い、天光寺の修行を体験させて頂きました。私が犯した罪は親族を騙して大金を盗んだこと、友人のパソコンを借りて壊してしまったこと、友人が探してた財布を黙って所持したこと、親族や学校の先生方との約束を破ったこと、家族に多大な迷惑をかけてしまったことです。学校の先生方には、学校で私は多数の問題行動を起こしてきましたが毎回チャンスを頂いたのにもかかわらず、私は罪を犯し続けてきました。大人の言う事を軽く捕らえて生活を送ってきた結果、学校を退学になってしまいました。バレーボールの特待生で入ったのにもかかわらず、バレーボールをやる以前に日常生活の悪さで退学になりました。最後、学校に挨拶に行った際に、私の担任や部活の顧問に「大人の言う事を素直に聞く謙虚さが足りない」と言われました。

    三泊四日、短いようで長い日でした。瞑想は腹式呼吸を習い、清らかな空気を吸い、自分がやってきた事と一緒に空気を吐いて悪い思い出を吐きました。お経では、姿勢を維持しながら唱えるのは忍耐力との戦いでした。私は忍耐力がないので普段生活でもすぐ諦めてしまいます。ですが、そんな自分から変わりたかったので、お経の時間は、姿勢の事で注意されましたがやりきるという強い気持ちをもって取り組みました。お百度参りは、自分がやってきた事を仏様に対して何度も謝りました。滝行では、滝に打たれながら自分の頭の中や中心にある欲求を吐いて欲を消しました。修行はとても辛いです。ですが、全部の修行が終わった後はとてもスッキリしますし、もう二度と同じ過ちは辿りたくないと本気で思います。

    このような体験をするチャンスくれた両親や天光寺に今はとても感謝しています。天光寺の先生方は皆さん同じ事を言って下さいました。「やってしまった事は本当だけど、ここに来て償い、今後の未来も同じ過ちはしないように変われ、自分を変える事が出来るのは、先生達じゃない、自分自身だけだぞ」これを聞いてその言葉の重みを感じました。両親や学校の先生方にも何度も言って頂いた言葉でした。天光寺の修行を通して今まで私が言われていた言葉、言った言葉をどれだけ軽く捕らえ、言っていたのかがよく分かりました。二度と同じ過ちを辿りたくありません。今後は学校で校則を守り、提出物の期限を守り、新しい学校生活を送りたいです。日常生活では、時間を守り行動しだらしのない生活をやめようと思います。そして、嘘を付かず、大人の言った言葉を素直に聞く謙虚さを持ちつつ、自分の考えを持って生活を送っていこうと思いました。天光寺の皆さんには大変お世話になりました。ありがとうございました。そして両親には私の為に何度も頭を下げたり、泣いたりして下さいました。本当に申し訳ございませんでした。

    今日で天光寺に来て10日がたちました。今の自分は正直めちゃくちゃしんどいです。自分は4月1日に来ました。初日は覚える事とか色々あってしんどかったです。しかも、けっこういろんな人たちが来ていてびっくりしました。とくに驚いたのは、幽霊につかれている人や、なにかしら悩みをかかえている人たちがたくさんやってくる事です。しかも住職さんが元々企業をしていて、とても顔が広いし、店とかもたくさんもっている事にとても驚きました。それと、写経をするのにたくさん時間つかったし、めっちゃへたくそやなーと思いました。次に2日目について書いていきたいと思います。2日目は、朝6時に起きたけど、1日目の疲れがとれなくて、とてもしんどかったし、とても眠かったです。掃除のやり方を覚えないといけなくて、苦労しました。けど、トイレ掃除が終わった時は、とてもすっきりした気分でした。その後にお百度参りに行って、久しぶりに運動をしたなーと思いました。けど、昼ごはんを食べ終わったあとの写経の時間の時に足をずっと曲げているので、膝がめっちゃ痛かったです。3日目は、作業でいえばほとんど変わらなかったけど、疲れはまったくとれていなくて、さらに疲れました。これは、今も変わらないけど、修行やと思って日々頑張っています。次に滝行について書こうと思います。正直最初の自分は滝行なんか楽勝やーと思っていたけど、いざ滝行をしてみて分かった事は、全然楽勝じゃないし、息もしずらいし、寒いから、自分の考えは甘かったと思いました。けれど2回目をした時は、しっかり息も出来たし、最初の時とは違う考えで行ったので、最初よりは良かったと思いました。次に般若心経について書こうと思います。自分は般若心経の事は、知っていました。けれど、覚えるのはとても大変でした。今も間違う事もあるけれど、最初の時に比べてみれば、すごく覚えているし、よくなったんじゃないかと思いました。今は観音経偈を覚えようと思っているんですが、とても長いから覚えれるか不安です。次にごはんのことについて書こうと思います。天光寺に来てから、時間や食事はとても良い生活リズムを送っていると思います。今までやったら、好きな時間に好きな物を食べていたけど、ここは決まっています。そして、主に野菜が多いです。自分は肉よりも野菜が好きなので、とてもうれしかったです。でも、たまに肉も食べたいとも思いました。けど食生活をしっかりしていてて、健康的な毎日なので、自分はこういう生活もありだと思いました。それと驚いたのは、住職さんが気を皆にぶつけた時に倒れこんだ人がいてて、とてもすごいと思いました。それと、今の自分と前の自分とで比べてみた時、やっぱり大阪には帰りたいけれど、一回大阪から離れてこういう規則正しい生活もいいと思いました。

    ぼくは不登校でいつも学校をさぼって毎日自分の寝たいときに寝て起きたいときに起きてやりたいことだけやって親に暴言はいての生活をくり返して、親から天光寺に修行に行けと言われました。最初は寺の修行なんて一、二週間たえたら帰れるんだからよゆうだととか思っていたけど、自分でそうじをやって、自分で皿洗って、せんたくやって、ふとんもしいて、自分で直してとやっていくうちに親は毎日自分のだけじゃなく家族の分までやってくれてたってことを考えると、そんなの親がやってあたりまえと思っていた自分が本当になさけないなと思いました。ぼくはあまりあいさつや返事をするのが得意ではなかったから、あいさつをされても小さい声で言ったり、あいさつをされても返さなかったりすることが多かったけど、あいさつの練習や発生をやっていくうちにしっかりあいさつや返事ができるようになりました。そこで自分はどうせできないからとか思ってやろうともしてないのにできないとか決めつけてたんだなと気づきました。お百度参りや滝行は本当にきつかったけど、やったあとはさっぱりしてきついことをのりこえれたたっせい感みたいなものがありました。お経は一時間くらいやってお客様へのあいさつも一時間くらいやって、写仏もやって、集中力が全然なくて学校では授業がはじまって10分後くらいには寝てたりしてたけど本当に集中も上がって写仏なども集中して止まらずできるようになりました。ぼくは、ふってんがわからないと周りに言われていて、そういうのも最初はやっぱりちょっとしたことで、きれそうになったりしていたけど、いまそういうのでもしっかり流せるようになってきてやっぱりまず自分で変えようという気持ちが大事なんだなと思いました。そして天光寺にきて時間の大切さを知ることができました。自分は周りと比べてけっこうルーズということにここにきて気付くことができました。修行はよていが朝や昼はとくに多いので何事もてきぱきすばやくやることが大事だと思いました。ぼくはここで人を頼る大切さも知ることができました。ふだんぼくは自分で何でも解決しようとしてて人に全然頼ってなかったけどここで話を聞いて人に頼ることをできるようになりました。

    ここでぼくは自分の悪いところを見つけてそれを直すという力をつけることができました。この先ぼくは、しっかりここで学んだことをいかして自分のこととプラスで周りの人を手伝ってしっかり学校に行って、親には感謝しようと思います。

    天光寺に来て七日目になりました。

    僕は天光寺で色々思うことがありました。

    一日目は「いやだ」「きつい」「帰りたい」と思っていました。二日目も同じように思っていました。でも三日目には僕は「自分を変えに来たんだ」と思うようになっていました。僕は生活習慣が悪いことや、自分の感情をコントロールできないことで来ました。僕はここに来て学んだ事がありました。それは、感謝をすることが大切だということです。僕はここに来る前は洗濯や掃除、皿洗い、片付けなど親がやることだと思っていたけれど、ここに来てからは自分で全部やらないといけないことに気付きました。自分でやりだしてから、大変だなと思うことがよくあり、親はいつも大変だなと思っているんだなと思うと感謝をしないといけないなと思いました。

    僕はここに来てから五日目で帰れる予定だったけれど、二日延長されて泣いたけれど気持ちが落ち着いてからなぜ延長されたのか考えた時に、まだ自分は自分の感情をコントロールできないでいることに気付きました。二日間自分の感情をコントロールする方法を探していたら、深呼吸することが自分にとって一番合っていると思いました。

    僕はここに来て変われたと思います。生活習慣も良くなったし、自分の感情もコントロールする方法も見つけることができました。僕にはまだ弱い所もあるかもしれないけどここで修行したことを忘れずに過ごしていきたいと思いました。

    僕は天光寺で色々なことをしました。

    まずは滝行です。最初の日は雨で水量が増えてとても痛かったけれど終わった後はすっきりしました。二回目の日は雨は降っていなかったけれど気温が低くくて寒かったです。三回目は青空で外も暖かくて一回目や二回目よりは気持ち良かったです。

    次に写経です。長い般若心経を筆で書くのは大変でした。

    次に写仏です。写して絵をかくのが好きだったので楽しかったです。

    次に掃除です。朝起きてから身支度をして始めるので疲れるけれど親がいつも思っていることを感じることができたので良かったです。

    次に皿洗いとか片付けです。めんどくさいと思っていたけれど、だんだん自分が使ったものだから最後までやろうと思えてきて、慣れたのでできる事が増えて良かったです。

    僕はここで修行をして自分の弱さを見つけて改善する力をつけることができました。いつも掃除とか洗濯は自分でやっていなかったから一日目や二日目は慣れなかったけどだんだんやっていくうちに普通にできるようになりました。

    滝行は一回目はきつかったけど、二回目三回目は慣れてきてさっぱりした感じがするようになりました。一日二日目は「きつかったなぁ」ぐらいだったけど、だんだん日がたっていくうちに自分のダメだった事とか考えてしっかり改善できるようになりました。あいさつの練習をやってしっかりあいさつもできるようになりました。最初は全然声も出せてなかったけど、しっかり大きい声が出せるようになりました。自分は集中力がなかったから、お経とかあいさつの練習とかが苦手だったけど、しっかり集中力もあがって今はできるようになりました。ずっとここで、掃除、洗濯、布団畳み、食器洗いなどやっていくうちに、親はいつもこれを家族分やってくれてたと考えると、親に感謝しないどころか暴言を吐いていた自分が情けなく感じました。だから今度からはしっかり感謝して手伝えるようになろうと思いました。

    ここで僕は我慢する事と、きつくても頑張って乗りこえる事と、時間の大切さを知ることができました。ここに来て、この先僕はしっかり学校に行って、自分に甘えずしっかり親に感謝して、困っていたりしたら助けようと思いました。

    私は今回、法話で学んだこと、行を通して感じたことについて今の私がどう思っているか書きます。

    法話で感じたこと、学んだことは、六つあります。

    一つ目は、行着を着て行をやる意味です。今までは何も考えずに行着を着て行をやってきました。法話で住職さんのお話を聞いた時、「行着を着る事で、空海様のもとで修行をしている意味になる」という事を学びました。今後は、その事を意識して行を取り組みたいと思います。

    二つ目は、瞑想をする際にする手の型の意味です。この五泊六日間、意識せずにただ手を組んで瞑想してきました。お話を聞いて「母親のお腹の中をイメージしている」と言われました。何も知らずにただ行をやるのではなく意味などを理解して取り組みたいと思いました。

    三つ目は、空海様についてです。空海様がどんなふうに生まれてどのように育ったのかを知る事ができました。空海様が一番最初に建てた寺である東寺は小学校一年生の旅行で行ったことがあります。小さいころなので、全部覚えているわけではありませんが、行ったことは覚えています。今後機会があったら行ってみたいと思いました。理由は、小さい頃に行った時と、今の年齢で行った時の見方がかなり変わると思ったからです。住職さんのお話も聞いてかなり興味は湧きました。今後、アルバイトをしてお金を貯めて、京都と奈良で寺巡りをしたいです。

    四つ目は、仏教の歴史についてです。私は、幼稚園と高校が仏教に関係ある場所でした。幼稚園では朝、開経偈を唱えました。高校では、月曜日の一時間目に瞑想という時間があり、そこで紫部声願を歌っていました。それぐらい仏教には関わる学校だったのに仏教の歴史や仏様の生涯については何も教えてくれませんでした。住職さんのお話で、仏教の深さ、日本人の歴史について感銘を受けましたし、ずっと気になっていた仏教についても知る事ができてスッキリしました。

    五つ目は、住職さんの経験話についてです。法話のお話の時に言っていた「人脈」について私は興味を持ちました。私は人と関わり協力して、物事を達成する事が大好きです。理由は、私の小学校は寮生活で、クラスはたった二つでした。そこに一~六年生の子供達で色々な事について学んでいました。一年生の時に色々な寺をクラスで見に行った際に東寺に行きました。この学校には上下関係というものはありませんでした。なので学年関係なく親しかったので、クラスで目標を決めてクラス全員で楽しく達成する事ができました。一~六年生の間に知り合った人達ちは今でも連絡を取るくらい仲が良いです。「人脈」の大切さを住職さんがお話になられていてとても共感しました。

    六つ目は、積極的な姿勢についてです。住職さんのお話では、何度も何度もその言葉が出てきました。なので私は住職さんが一番伝えたい事なんだと解釈をしてお話を聞いていました。私は私生活でもそうですが、好きな事には積極的に参加しますが、苦手な事からは逃げる癖があります。苦手な事にも積極的に取り組もうとする勇気が欲しいです。住職さんの法話を聞いてせっかく天光寺で学ぶチャンスを頂けたのでこのチャンスを活かしたいと思いました。

    次は行を通して感じたり、学んだ事です。色々な行を体験しましたし、天光寺でお掃除や布団の畳み方、洋服の洗濯、ゴミ出し、他にも色々とやり方を学びました。

    まずは滝行です。私はこの五泊六日間の間に滝行を2回経験しています。最初に経験したのは、天光寺に来て二日目の日に行きました。その時は今まで経験もした事がなかったので、とても軽い気持ちで行ったのですが、体が水に当たり始めると「南無大師遍照金剛」と言ううので精一杯でした。滝行が終わった後は、とても気持ちが良かったです。二回目は、自分の中で「水に負けないようにする」と考えてとにかく大きな声で「南無大師遍照金剛」と叫びました。二回目は水に負けず意識を保ってやりきることが出来ました。ですが、私は一つ勘違いしていることがありました。その事に気付いたのは、住職さんが法話で言ってたお言葉でした。「滝行は水と一体になる」この言葉を聞いて滝行のイメージが変わりました。今後は自然と一体になることを意識して取り組もうと思います。

    次にお百度参りです。お百度参りは、滝行の前にやる短いやつを二回と百八回やるやつを二回やってきました。法話を見ていてあのコンクリートの床を作るだけでセメントをものすごい量を使ったと住職さんがいおっしゃっていました。私は、小学校一年生の時に学校の校舎よりも十二センチ高い塔を作る際に柱を固定するために下にセメントを流して固めました。その時クラスの皆でやって丸二日以上かかってしまいました。なのにあのセメントの量を「人が運んでひいた」とおっしゃっていました。私は凄く驚きました。多くの人数の人が汗水を流して作った所で修行をさせていただいているんだなと思いました。お百度参りは、とてもきつくて大変です。何が大変なのか、私がやってしまった問題行動を「南大師遍照金剛」と唱えながら吐き捨てようと意識しながら、百八回数えて走ることがとても大変できついです。

    次に天光寺での生活習慣についてです。天光寺の生活と家での生活を比べると、朝起きる時間は一緒ですが、それ以外例えば、掃除、洗濯、洗濯畳み、食事の準備、食器の片づけなど、今思えば全部できるようになったと思っています。ここを出たら学校に通いつつ、家で母の手伝いを積極的にして今までの私のせいで迷惑をかけた分、楽させてあげたいなと思いましたし、今までやってもらていたことが当たり前じゃないんだなと思い、両親に感謝をするようになりました。ここで学んでいると、色々な事で歳が近い子供たちが来ます。中には、反省をしなければならないのに反省している風貌がない人もいます。ここにいる期間が延長になったおかげで私も私自身、最初の三泊四日はただ過ごしていただけだと思いました。延長になって改めて自分を見つめなおしています。今思えば反省していなかったんだと思います。この期間で学んだ事を、ここを出ても続けてもう二度と同じ過ちをしないためにも両親に感謝して今後の生活を送って行こうと思いました。

    私は、七泊八日間で、普段やってもらって当たり前と思う事が、ここでは私がやらないと誰もやってくれません。家族が注意してくれているのに聞かず自分自身が思うように動いていたらこのような結果になってしまいました。両親にはとても感謝しています。もし延長がなかったら私は気付く事が出来ませんでした。天光寺に行かせてくださりありがとうございました。今後は、私が出来る範囲は自分でこなし、もう二度と同じ過ちはしません。ありがとうございました。そして迷惑かけてしまい、申し訳ございませんでした。

    僕が反省している点は、学校に行くべきなのに、学校に行かず家にいることです。

    家ではリビングに顔を出すべきなのに、自分の部屋で布団に寝そべりながら遊び、親に「体調は大丈夫か」と言われても何も言わず部屋で横たわって心配させて、「洗濯物畳んで」と言われても、「嫌だ」と言い迷惑をかけ、親に心配と迷惑をかけていることです。

    僕が感謝している点は、皿を洗えと言われても洗わず、洗濯を畳んでと言われても何もせず、リビングにすら顔を出さない自分の面倒を見てくれる親です。夜は帰って疲れているのにご飯を作ってくれて、食べ終わったら洗濯を畳んでくれて何かあったら対応してくれることをもの凄く感謝しています。

    僕が懺悔する点は、まず親の言うことをしっかりと聞くことです。自主的に洗濯や皿は洗わないので言われたら必ずやります。次にリビングにはしっかり顔を出すことです。部屋にいる時間よりもリビングにいる時間の方が長くなるようにします。

    最後に学校は毎日通うようにすることです。親の心配や迷惑になるような事を辞めて、自分の為にも学校に行くようにします。

    僕が決意することは、親に言われたことはしっかりやり、勉強もしっかりやり、最終的には学校に行くようになります。

    今日で五日目の体験修行ですが本当につらい五日間でした。最初は軽い気持ちで少し頑張れば今までの自分から何か変わるんじゃないかと思ってこのお寺に来ました。しかし実際に来て一日目からもう何も変わらなくていいから逃げたい、帰りたいと思いました。辛いです。私は今まで怒られないようにうまくかわして生きてきたため注意されることもあまりなかったです。そんな自分を変えたいとも少しだけ思っていました。

    新しい環境では、今までの自分の生活とは違うため注意されることも多いです。私はそれがかなり辛かったです。普通の人よりも何倍もメンタルが弱いので少しの注意でも、その人と話せなくなるし恐怖と不安で涙が出てしまいます。ここに来てからも人と話すたびにしんどくなって何回もトイレや更衣室で泣きました。今まで人目が怖くてすごく濃いメイクをしていたし洋服にも力を入れていたので常にすっぴん、ダサいジャージの恰好なところも自分の自信を無くします。大人の人たちに「暗い」とか初対面で「いじめられたの?」と言われると私ってそんな風に見られているんだと悲しくなりました。誰よりも自分の容姿が嫌いだし下に見られないようにメイクもたくさん研究したので辛いです。もちろん滝も辛いし怖いけど人と関わるのよりも我慢してれば必ず終わるのでましです。よく人から言われたことを重く受け止めるなと言われたりしますが私にはそんなことできないのでうらやましいです。でも私もそんな風になりたいです。考えそうになった時、他のことを考えようとしても全然できません。ですが心の弱さも今となっては大切なことだと思います。変わりたいけど変わらなくてもそれが私で良いと思っています。

    泣かずに寝れた日はないくらい辛い日々ですが、うれしいこともあります。それはお寺の方が一生懸命向き合って話してくださることです。昨日も私が泣いていた時、お寺の方が励ましてくださったし気分転換に焚火にも連れて行っていただきました。また、私が調理場の靴をそろえた時に凄く褒めてくださってちゃんと見ててくれる人はいるんだなと思いました。お寺の方がいなかったら私は絶対にどうにかしてこのお寺から、自分から逃げていたと思います。ありがとうございます。辛い辛いと言っていますが自分の直さなければならないこともたくさんあって、辛いときに人のせいにしてしまったり、自分に甘かったり、いつも一歩引いてしまったり、考え過ぎてなかなか行動に移せなかったり、すぐ泣いたり、、、本当にたくさんあります。

    至らないところばかりでたくさん迷惑をかけてしまっていると思いますが最終日まで頑張ります。

    僕は天光寺に来て、たくさんのことを行い、学びました。天光寺では朝6時に起きて夜は8~10時の間に寝ました。寝る時間は家だと大体一緒だけど起きる時間が早かったです。いつもより早く起きるとその日が気持ちよく感じました。なので、家でもなるべく早起きしていきたいです。そして、6時くらいに起きると布団の片付けをして掃除をしました。僕は1階の床とトイレを掃除しました。掃除をすると部屋がきれいになり少し、気持ちもすっきりしました。毎日の掃除もすごく大切だと思いました。

    滝行は、お寺に来た人達と一緒にやりました。きつかったけど他の人も声を出してくれて少し楽になり、助け合いもすごく大切だと思いました。終わった後はすごくすっきりしました。お百度参りは全部で3回やり、1,2回目は5人くらいでやり、最終日は1人でやりました。個人でやる行ですが、やはり1人でやるのはとても違うと感じました。食前の言葉は言わないと思いますが「いただきます」を言うときには食前の言葉の意味も込めて言おうと思いました。ごはんの準備や洗濯はいつもお母さんがしてくれているので、あまりしていませんでした。家族は7人なので毎日朝、昼、夜のご飯の準備や7人分の服や布団、タオルなどを洗濯しているのでとても大変だろうなと改めて思いました。

    天光寺ではたくさんの人に出会いました。来た人の話をお寺にいたたくさんの人に聞きました。聞いた話では、小学4年生くらいで仲がとてもよかった友達が急に話を聞いてくれなくなり、中学生位までずっと家にいて、リボン結びやクイックルワイパーを使った掃除、食器洗いなどもできなかった人がいることなどを聞きました。その他にも、様々な人の話を聞き、いろんな人がいるなと心から思いました。

    毎日やった瞑想では、これからの新しい自分を吸って、今まで自分の中にあった良くないことや悪い考え方などを吐くという意味があると言っていました。それを意識して瞑想をすると終わった後にとてもすっきりしました。瞑想はどこでもできるので家で空いた時間や寝る前などにやってみても良いなと思いました。

    天光寺では、心の持ち方を学びました。何事にも悪いほうばかりにとらえないということです。例えば治る病気も、この病気はずっと治らないと思っていると治らなかったり、何かの試合などでも勝てないだろうと最初から思っていると本当に負けてしまうことです。なので今後何かの壁にぶつかってもプラス思考で考えていきたいです。天光寺では挨拶や返事、姿勢の大切さも学びました。毎日気持ちの良い挨拶をするだけで気持ちよくなれると思いました。返事はする場面がたくさんあるのでそれをきちんとするだけでしっかりとしている人に見えたり、した人もされた人も気持ちが良くなると思いました。姿勢だけでその人がどのような人かが分かるので姿勢もとても大切だと思いました。天光寺で学んだことを生かし、今後は挨拶や返事、姿勢や声の大きさ、心の持ち方に気を付けて、起こることに向かっていきたいです。

    僕がここに来た理由は、学校に行かなくて家でも何もしない自分を、学校に行き、家に手伝いなどをしっかりするような人に変わる為に来ました。

    一日目は、お百度参りをしました。床は冷たいし外は寒いのでとても苦しかったです。お百度参りのあとは滝行に行きました。水は冷たく、滝に当たると痛く、外の声はほとんど聞こえませんでした。でもほかに来ていた人たちが大きな声で応援してくれて、滝行を終わらせてくれました。滝行の後に親に会いたくて泣きました。親に感謝をあまりしてなかった自分が感謝して、少し成長できたかなと思いました。

    二日目は、滝場の落ち葉拾いをしました。「サンダルで石を踏むと痛いので端に寄せましょう。」と言われ、帰るときに石を端に寄せました。他人への気遣いも大切だと思いました。お寺の周りの落ち葉も拾いました。久々にかがんで腰が痛かったですが、毎日仕事をしている親の方が大変だとわかり、また親に感謝することができました。

    最初の二日間でしたが、自分よりも頑張ってくれている親がいるので、もっと感謝しなきゃいけないと気付くことができました。親にずっと頼らず、「何かしたほうがいいですか。」と自分で考えてやれるようなことはしっかり自分で決断できるような決断力のある人になれるように努力します。そして自分の悪い面を素直に反省し、謝ることができないので、できるようになります。

    心の持ちようが大切だと思うことが身に染みてわかる二週間でした。

    また、SNSやテレビがないからこそ自分や他の人と向き合うことができました。

    自分と向き合うのはすごく難しく辛かったけど、そのおかげで直さなくてはいけないところや改善するための方法、分析がたくさんできました。これからもこれらを続けなければならないと思いました。

    私は、自分を変えることが目標でした。「変える」というのは私の弱みであるメンタルが弱いところを直すということです。この二週間で他の人が気付くほどに変われたとは思いませんでしたが、自分の中では少しずつ頑張れています。これからたくさんの人と出会うと思うけれど自分なりに頑張っていきたいです。

     

    修行を通して、自分は人生というものを、色々学びました。感謝の気持ちを知ることができました。

    夏休みに、良い修行となり根性が強くなりました。一日だけでしたが自分に自信を持つことができました。

    これからは、この経験を生かして困難に立ち向かっていきたいです。

    最後に、人生とはこういうものなのだな、、、と、教えてくださったこの天光寺に、感謝を伝えたいと思います。

    人生で、とても大事な事を、教えてくださり本当にありがとうございました。

    この経験を、使ってどのように生活していくか、どのように生きていくかを、教えてくれてありがとうございます。

    滝行は、辛くても最後まであきらめずにやり抜く事が出来ました。天光寺はいい思い出になりました。

    自分は、人生の負け犬にはなるわけにはいきません。人生の主人公になって見せます。

    お母さんの言うこともちゃんと聞いて、宿題もちゃんとやります。明日から、このような事を全うしていきたいと思っております。

    積極的にお手伝いをしたり、ごみ捨てや、色んなことをやっていきます。今回は、一日だけでしたがとっても良い経験になりました。

    これからは、こうしたらこうなってしまう、、、と、考えて生きます。

    僕はこのお寺に来て色々なことに気づけました。それは忘れかけていた大切な気持ちでした。家ではどんなにウザイと思った口うるさい言葉でも、今では早く聞きたいと思うほどお父さんとお母さんが大好きだったか。ふとした時に、お父さんやお母さんの顔が頭にうかんで、家に帰りたいと泣いてしまいます。この手紙を書いている時も泣きそうになってしまいました。

    僕はお父さんやお母さん、家族みんなに迷惑をかけてしまっているのに、自分は何もしてあげられていません。喧嘩をしても、くだらない意地をはって、謝りたいのに謝ることもできず、何か気に入らない事があるとすぐに誰かのせいにしてしまう僕ですが、お父さんやお母さんを想う気持ちは世界一です。ずっと健康でいてほしいし、ずっと一緒にいたいと思っています。でも、さすがに20日は長くないですか?僕の心がもちません。

    最後になりますが、僕を生んでくれてありがとうございます。僕はお父さんとお母さんの子供で幸せです。いつもごめんなさい。そしてありがとう。短いですが、僕が思っていることを全部書きました。この手紙を読んで泣いてくれるとうれしいです。お父さん、お母さん、大好きです。愛しています。

    もう完全に見放してしまえばいいのですが、更にひどくなってしまい、天光寺さんにお世話になることにしました。

    本人に寺に行こうと誘えば猛反発するので、だましだまし、父、祖父、祖母を巻き込んでまいりました。

    お祓いをしていただきましたが、様々な要因が重なっていました。未浄化の先祖霊を供養していただきました。また、一因として、私たち親にあることを指摘されました。分かってはいましたが、息子可愛さゆえに甘やかしてしまっていました。主人は何かにつけて忙しいと、正直申し上げますと夫婦間もうまくいっていませんでした。私も主人も息子も喝を入れていただきました。そして、深く深く反省しました。

    お祓いを命がけでしていただき、また気づきの時間をいただき、本当に感謝しかありません。

    娘は中学1年生の途中から徐々に学校を休むようになりました。部活内で何かを言われた様子でしたから、話を聞くと、もう大丈夫といいます。しかし、朝学校に行こうとすると体が反応してしまうようで、頭が痛くなったりしていけなくなります。カウンセラーに話を聞いてもらったりしても、娘は大丈夫といつも言うのです。本当の事が言えないのです。

    困っておりましたら、知り合いの方に天光寺様を紹介していただき、女の子なので難しいかなと思ったのですが、本人も興味を示し、お世話になってみることにしました。

    日常をたちきって、親のいないところでの環境はとても大きな変化になるのではないか、そう考えました。思ったととおり、娘は自分の中で何か大きな変化を感じ、前向きになりました。強くなったとでもいいましょうか。

    このような体験の場を下さったことに、本当に本当に感謝で一杯で御座います。ありがとうございました。

     

    娘の対人関係に悩み、天光寺さんの修行に申し込みました。

    娘は、親の私の口から申し上げるのもなんですが、賢い子で勉強もできるほうです。

    しかしながら、お友達や社会との関わりが方が困難で不登校になりました。

    このままではいけない、親離れもさせないといけないと葛藤の日々でした。

    体験修行に参加した娘。まだ家におりますが、表情は明るく、学校に行ってみようかなと口にするようになりました。少し前向きになってきたように感じます。

    この変化がどれだけ嬉しかったことか。精神が研ぎ澄まされたのか、他の修行参加者との交わりを通して気持ちに変化が生まれたのか分かりませんが大きな一歩を踏み出しそうです。

    また機会をみて、私も娘といっしょに参加したいと思います。ありがとうございました。

    僕は家では弟と喧嘩をしたり親の言う事を聞かなかったり、学校では先生の言うことに反発したりとたくさんの迷惑を掛けていました。そんなこともあって親に天光寺に連れてこられました。最初は嫌だったけれどだんだんと自分の中の何かが変わってきたように感じました。住職さんには色々な事を教えていただき、滝行や写経で自分を見直す機会を与えられました。今回のお寺での経験は僕を変えてくれたと思います。今後は弟とも喧嘩をせず、親や先生のいう事を聞いていきたいと思います。

    僕は学校には行っていません。

    学校に行くと一人になるから。でも、お母さんは学校に行かないとだめと言います。

    何で?と聞くと学校で大事なことを教えてくれると言います。僕はそんなことは無いと思います。

    僕は、お寺に来て1ヶ月が経ちました。お寺の方が学校よりも学ぶことが多いです。

    学校では、勉強を教えて貰えるけどお寺では生き方を教えて貰えます。

    僕は、こっちの方が好きです。

    仏様のお話はとても面白いです。でも、最近色々な事を学べば学ぶほど勉強の大切さ、学校に行くことの大切さが分かるようになりました。

    一人でも勉強をすることは出来ると思っていましたが、やっぱり学校に行った方が詳しい話を聞くことができると思いました。お寺での修行も楽しいけれど、学校も楽しそうな気がしました。でも、僕は学校に友達が居ません。それを何とかしたいです。

    試しに、1日だけ学校に行ってみることにしました。学校に行くとみんな話しかけてくれました。僕が長い間学校に行っていなかったからです。すぐに友だちが出来ました。修行のことを話すとみんな興味津々で聞いてくれました。お寺での日々はとても楽しかったです。ありがとうございました。

    娘の素行不良に頭を悩ませ天光寺さんに相談しました。

     

    昔は学校でも家庭でもよく笑う子だったのですが、反抗期でしょうか、段々笑顔が少なくなり、こちらから話しかけると無視かぶっきらぼうな返事が多くなり、学校も遅刻や欠席が当たり前になり、しまいには無断外泊などするようになって、女の子ですし色々心配していたところに主人がこういう所があると天光寺さんを見つけてくれました。

    嫌がる娘を無理矢理連れて行く形となりましたが、一週間の修行を終え帰ってきた娘は、まだ以前のようにとは言い難いですが、今まで言わなかった「ただいま」「いってきます」「いただきます」など、当たり前ですが挨拶をするようになってくれました。

     

    私たち親の力だけではどうしようも無かった問題を、天光寺さんは良い方に向かうように手伝っていただけて、感謝の気持ちでいっぱいです。

    現在、不登校の息子がいます。

    中学に上がってからどうやら学校に行っていないようです。

    私と旦那は仕事で忙しいので学校に行っている物だと思っていたのですが先生から連絡があり学校に来てないとのことでした。

    確かに最近見た目が派手になってきており、夜も家に居ないことが多いようでした。

    学校に行っていないと連絡があった日に息子に話したところ関係ないと言われました。

    私たちは、とてもショックでした。なんとか学校には行って欲しいと説得しましたが無理でした。

    途方に暮れていると親戚から不登校の生徒を預かっているお寺があると知りました。

    私たちは、そのお寺に預けてみることにしました。

    息子には、行き先を伝えずに車に乗せてお寺に着きました。

    ここで2週間ほど過ごすと知ったら怒るかなと思っていました。案の定着いたらとても期限が悪かったです。ですが、住職さんがなだめてくれました。預けている間はとても心配でした。迷惑を掛けていないかなど心配していました。1週間ほどしたら手紙が届きました。

    そこには、お寺での生活はなんだかんだ楽しいと書いてありました。それを読んだ時私はとても安心しました。家に帰ってきて、数日もすると学校に行くようになりました。どうやらお寺で仏教の事などに興味をもち学んでいたようです。

    この度は、本当に有難うございました。

    今回こちらのお寺には大変お世話になりました。

    息子は、中学を卒業して高校に進学ししばらくしたら学校に行かなくなり始めました。

    理由は、勉強について行けないそうです。

    元々、自分のレベルよりも大分上の高校に行くことになり勉強について行けるか不安でした。ですが、私としてはその高校に行ってほしかったので進学させましたが無理をさせていたようです。

    息子は昔から、インドアなタイプであまり外で遊ぶことがありませんでした。なので、読書をしたりして過ごしていました。

    そんなこともあり、しばらく自然と触れ合ったら息子の悩みが少しでも減ったらいいと思いインターネットで探してみました。

    そうしたら、こちらのお寺が出てきました。

    見てみると、不登校の子を預かって修行のようなものをさせてくれるそうなので預けることにしてみました。

    2週間ほど経ってから息子の様子を見に行ってみました。そこには、修行に一生懸命に取り組む姿が在りました。話を聞いてみると、とても熱心に修行に取り組んでいるそうで安心しました。

    それから、また2週間後修行が終わり息子と話してみると学校に行ってみるとのこと。

    お寺で仏教の事などを勉強してまた学校に行く気になったみたいで嬉しかったです。

    ありがとうございました。

     

    中学2年生になった頃からだんだんと無気力になり、家ではゲームをやったり漫画を読んだり元気に過ごせていますが、いじめられている訳でもないのになんとなく学校に通うのが嫌になり、親が仕事に行った後こっそり家に戻り休んでいました。

    それが親にバレて凄く叱られました。なんで行きたくないの?と聞かれても

    自分でも理由が分からないので解決しようがなく、行ったり行かなかったりの日がまだ続いていました。

    ある日仲良くしている従姉のお姉ちゃんに「滝行に行きたいから一緒に行ってくれない?」と誘われて天光寺にきました。

    最初は疲れるし、寒いし、嫌だな…と思っていたけど、滝から出た時に物凄くスッキリして頭の中がパーッと明るくなる感じがしました。

    お寺に来ていた人は色んな年齢や事情の人がいて、住職さんの話も勉強になりました。

    これで学校に行く気力が湧くかは分からないけど、きっかけになるといいなと思います。

    五年生の途中から学校に行けなくなりました。

    原因はいじめです。最初はお母さんに言えず学校に行くふりをしてました。

    でも先生から「来てない。」と連絡がありお母さんにバレました。

    私は自分がいじめられてるなんて言うとみじめに思えて中々言えませんでした。

    お母さんは、どうしたらまた学校に行けるか一緒に悩んでくれました。

    そこでここのお寺を見つけて「修業に行ってみよう。」と言われました。

     

    修行は同じ年ぐらいの子もいて少しホッとしました。

    掃除や洗濯など、普段お母さんがしてくれることも自分達でしました。

    毎日同じ時間に起きて決められたことをするのは、なんだか学校生活と似てるなぁと思いました。

    でも修行の方が全然厳しかったです。滝行は寒くて辛いし、お百度参りは足がパンパンになってすごく疲れました。

     

    先生に「諸行無常」、変わらないものは無いんだよ。

    人生には苦しい時や悩む時が必ずあるけど、ずっとは続かないから諦めずにそんな時こそ努力する勇気を持つんだよ。と言ってもらいました。

    その言葉を聞いたときに、いじめもずっとは続かないのかな。私も負けずに立ち向かえるかな。と少し勇気が出ました。

    僕は、病気で入学してから学校に行っていませんでした。

    病気が治った後に学校に行ったら勉強にまったくついていけませんでした。

    それどころか、クラスにもなじめずに前に仲良かった友達は別なクラスになったので友達もいませんでした。

    それから僕は学校にだんだん行かなくなっていきました。

    学年が上がったら友達もでき少し学校が楽しくなってきました。

    ですが、勉強について行けず学校に行ってもほとんどの時間を保健室で過ごしていました。

    そしたら両親に、修行に行って来いと言われました。僕は、修行のイメージはとても辛いものなのでとても嫌でした。

    ですが、お父さんとお母さんが言うにはそんなに辛いものじゃないし楽しいよと言っていました。

    僕は、この機にすぐ諦めてしまう性格を直してみようと思い修行に行くことを決意しました。

    初めは、朝早く起きたりご飯の用意をしたり初めてやることばかりだったのでとても辛かったのですが1週間たってからだんだんと慣れていきました。

    そして、3週間が経って修行が終わりました。修行中は、滝行や写経と言った修行らしいこともしました。そこで、忍耐力や挑戦する力を身に付けました。

    休みが終わり学校に行く日が来ました。修業のおかげか学校生活で感じる苦痛は何でもありませんでした。今では、友達もたくさんでき勉強もついていけるようになりました。

    有難うございました。

    私は、3カ月ほど学校に行っていません。理由は、学校が嫌いだからです。

    特にいじめられているとかではないのですが友人と喧嘩をしてしまってそこからだんだん会うのが気まずくなってきて遂には学校に行くのが憂鬱になってしまいました。

    向こうは別になんにも思っていないようなので自分の考え過ぎだと言うのは分かるのですがどうしても行くことが出来ません。

    ある日、親がちょっとの間お寺で過ごさないか?と言ってきたので正直学校にも行ってなく暇だった私は面白そうだなと思っていく事にしました。

    お寺では、朝早く起き掃除をして朝食の準備をします。今まで、規則的な生活を送ってきていなかったので非常に辛かったです。でも、だんだんと慣れてきて体が勝手に起きてしまうようになりました。

    修行があることは知らなかったので最初はとても嫌でしたが慣れれば楽しいものでした。

    1ヶ月もお寺で過ごしていると、だんだんと学校に行きたくなってきました。

    そして、学校に行くことにしました。

    思っていたよりもみんな歓迎してくれました。

    気まずくなっていた人ともなにもありませんでした。今では、毎日楽しく学校生活を送っています。

    ありがとうございました。

    僕は、今学校に行っていません。現在高校2年生なのですが、2年生なったはじめから学校に行っていません。2年生になってクラスが変わり、今まで仲の良かった友達とも離れ知らない人ばかりのクラスになってしまいました。僕は、人見知りなので全然友達は出来ませんでした。人見知りなのに寂しがり屋なので一人でいる事がとても苦手です。何をしていても楽しくなくなっていきました。そんな、僕が居場所を見つけたのは、ゲームの中でした。

    ゲームの中ではたくさんの仲間がいてとても楽しかったです。

    生活習慣はどんどんおかしくなっていき身も心もぼろぼろでした。

    両親との会話も少なくなり自分の部屋にいる時間が増えていきました。

    ある日、栄養失調で病院に入院にすることになりました。

    その時に両親と話し、お寺に行くことにしました。

    お寺では、自分以外にも数人子供が居てみんな何か問題を抱えていました。

    ここで、僕は集団生活において大事なことを学びました。

    それから、1週間して僕は学校に行きたいと思うようになりました。

    そして、学校に行くとはじめは友達が出来なかったけれど住職先生やお寺の人達に教えて貰ったことを思い出して無事友達が出来ました。

    今では、毎日とても楽しいです。

    僕が学校に行かなくなったのはクラスに馴染めなくなったからです。4年生になった時のクラス替えで新しいクラスになり担任の先生も苦手で授業もつまらないし、学校も面白くないし、学校に行く振りをして外をぶらぶらしていました。しかし学校から電話が来て先生にも親にも怒られました。そのまま何ヶ月か学校に行ったり行かなかったりしていたら親にお寺に修業に行かないかと言われました。

    行く必要は無いと思ったのですが学校に行くよりかはましだと思い行くことにしました。

    お寺での修行は正直とても辛かったです。自分の身の周りの事はほとんど自分でしなくては行けなくてお母さんが毎日頑張っていてくれていたことを知りました。

    お寺では早く帰りたいと思っていたけど最終日は帰るのが少し寂しくなりました。お寺で修行をして僕には根性が付いたと思います。家に帰ったら根性を出して学校に行ってみようと思います。

    最初は朝起きれなくて休んだことがきっかけだったと思います。

    一度休むと次の日なんとなく学校に行きづらくなって気付けば登校した日より休んだり遅刻した日の方が多くなっていました。

    親も仕事でいない事が多く、口うるさく言われなかったこともズル休みを助長させていきました。

     

    本を読むこととお婆ちゃんの事は好きだったので、夏休みに入ると何冊か持ってお婆ちゃんの家に行くのが恒例になってました。お婆ちゃんの家は天光寺さんの近くにあって、

    「体験修行をやってみたいからお婆ちゃんに付き合ってくれない?」と言われました。

    けれど本当は高校に行ってない私を心配して、何かきっかけが見つければと私のことを考えて言ってくれているんだな、と思ったので今回参加しました。

     

    参加している人の中には同じ年頃の子や、小学生や、一人で何泊もしてる人もいて、驚きました。

    中学生の頃は体育会系で運動が好きだった私は修行時代はそんなに辛いものではありませんでした。

    目の前の課題をこなすことよりも、これを何故するのか、という意味を自分で考えるのが大事なんだと気付きました。

     

    なんとなく良い、なんとなく嫌だ、で生きてきた私には新しい「気づき」でした。

     

    なんとなく行きたくない、と思っていた学校を何で行きたくないのか考え、どうしたら行きたくなるのか、なんで大人は高校はちゃんと卒業した方がいい、と言うのか自分で考えこれからのことに向き合おうと思います。

    僕は、病気で入学してから学校に行っていませんでした。
    病気が治った後に学校に行ったら勉強にまったくついていけませんでした。
    それどころか、クラスにもなじめずに前に仲良かった友達は別なクラスになったので友達もいませんでした。
    それから僕は学校にだんだん行かなくなっていきました。
    学年が上がったら友達もでき少し学校が楽しくなってきました。
    ですが、勉強について行けず学校に行ってもほとんどの時間を保健室で過ごしていました。
    そしたら両親に、修行に行って来いと言われました。僕は、修行のイメージはとても辛いものなのでとても嫌でした。
    ですが、お父さんとお母さんが言うにはそんなに辛いものじゃないし楽しいよと言っていました。
    僕は、この機にすぐ諦めてしまう性格を直してみようと思い修行に行くことを決意しました。
    初めは、朝早く起きたりご飯の用意をしたり初めてやることばかりだったのでとても辛かったのですが1週間たってからだんだんと慣れていきました。
    そして、3週間が経って修行が終わりました。修行中は、滝行や写経と言った修行らしいこともしました。そこで、忍耐力や挑戦する力を身に付けました。
    休みが終わり学校に行く日が来ました。修行のおかげか学校生活で感じる苦痛は何でもありませんでした。今では、友達もたくさんでき勉強もついていけるようになりました。
    有難うございました。

    一人娘の彼女には口うるさく色々言ってきてしまいました。

    中学になって、娘は学校に行けなくなりました。

    はじめ、部活を辞めたいといい、その頃から、頭が痛い、お腹が痛いと学校を休みたいと言うようになりました。

    いまや、私の言うことは聞かなくなってしまいました。

    私の声がききたくないと、暴れることもありました。

     

    夫とは仲がいいわけでもなく、悪いわけでもなく、夫は娘に強く言う事はありませんでした。

    私も娘も精神的に疲れ果て。どうしたらいいのか、暗やみのトンネルの中におりました。

    月日は流れていくばかりだし、小学校で一緒だった子たちは元気に学校に通っている、

    本当に焦る気持ちと、なぜうちの子だけが学校に行かれないのであろうか、、、と孤独な日々でした。

    あんなに元気で活発だった娘は見る影もなく、目つきも暗く、どうしたらいいのか、途方に暮れるばかりでした。

     

    娘の生活を変化させてあげられるのは、今は私の力では無理、そう感じていました。

    ならば、と調べた天光寺様に娘を預けてみたいと思い、娘にも夫にも話しました。

    私から離れて、この家から離れる事、それが一番今はいいのかと思うと素直に話しました。

     

    娘はいく事を選択し、ひと月後迎えに参りました。

    娘の目の光が戻り、強いものになっておりました。私も夫も一目娘を見ただけで、

    ああ娘は自分を取り戻したのだな、と実感いたしました。

     

    天光寺様での修行は決して楽なものでは無かったと聞いています。それが娘の自信につながっているのでしょう。

    私は今まで娘の為と良かれと思って本当に口うるさく言ってきました。

    それが、娘の考える力、失敗しても自分で乗り越えるチャンスをうばっていたことにきが付きました。

     

    再生のチャンスをくださって、住職様天光寺様ほんとうにありがとうございました。

     

    娘はすこしづつ、学校に行くことにチャレンジしております。

    焦らず、一歩ずつ出来ることに目を向けて、親子ともども成長していきます。

    ありがとうございました。

    僕はこの体験修行に、心を入れ替え、言いたいことを言えるようになるために来ました。

    この体験修行に入る前は、自分が間違っていたことに気付かないで、口答えをしたり、言いたいことも言えず「分かった」と言ってもそれが口だけで、行動に出ないでいました。

    この体験修行でよく、自分のやっていたことに気付かなかったことに後悔をしました。

    瞑想の時間などで、心を落ち着かせて、考えることができました。

    この体験修行の残りを有効に使って、完璧に改善していきます。

    滝行でも辛さがよくわかりました。食前の言葉、食前のお経なども、食べ物を食べられていることに感謝しようと思います。

    寺内の掃除、道場の掃除でも普段やってくれている人に感謝するということが分かりました。

    他にも食べ物の準備だったりを、自分自身で経験して、毎日やるのは本当に大変なことだと思いました。

    これからの目標は、この寺で自分で体験した事を生かして、家でもやってもらってることには感謝をして、自分で出来ることは一生懸命やっていきたいと思います。

    道場掃除はすごく大変だったので、毎日家の掃除をやっているお母さんと、毎日仕事で生活させてくれるお父さんに感謝したいと思います。

     

    その他

     

    住職先生の作ってくださった料理がとても美味しかったです。

    特に美味しかったのが、ポテトサラダです。

    時間があったらまた作って下さるとうれしいです。

    手のツボを押されたのは、相当痛かったです。

    親子でお世話になりました。

    中学3年に入ったころから、だんだん帰りが遅くなり、おかしいなと思い始めていました。日中も学校に行っているはずなのに、先生から来てないと連絡がきたり・・・

    でも最初の方は、こちらが注意したら生意気ながらもちゃんと聞いていたので大丈夫だと思っていたのですが・・・。

    しかし、だんだん娘の暴走は止まらなくなり、こちらから何度も連絡しても電源を切るし、無断外泊に、いつの間にか髪の毛は金髪・・・

    ママ友に、うちの娘が若い男の子の車に乗っていたのを見たと言われ、これはまずいと思いそのことを問いただし激しく怒ってしまいました。

    娘が言うには、学校の友達は受験でみんな塾ばかりだからだれも遊んでくれなくなったそうで、声をかけてきた男の人と遊んでいたと・・・

    もうびっくりというか、まさかうちの子がとショックな気持ちでいっぱいでした。

    結局学校は完全に行かなくなり、お金も持っていないはずなのにフラフラする毎日でした。

    親としては、声をかけてくる男の子についていってしまうことが何よりも心配で、何度も辞めるように言いましたが全く危機感がないようで・・・

    不登校になった原因を、いじめかと疑いましたが、そんなことはなく、ただ娘は勉強が苦手でみんなの受験モードについていけず、学校がつまらなくなったようで、受験しないからもう学校行かないと・・・そんな理由でした。娘はさんざん悩んでいたのだろうに、私はそんなこと何も知らなくて情けなくなりました。

    本当はもっと前から、娘がSOSのサインを出していたかもしれないのに、気付いてあげられなかった私にも責任があります。

    きっと娘は寂しかったのかもしれません。もっと親としてかまってあげたらよかった。だから、優しく声をかけられた男の人について行ったりしてしまったのかもしれないと思いたいです。

    勉強出来ないなりにも、仲の良いお友達と塾に通ったりする環境をつくってあげたらよかった・・・など、後悔ばかりです。

    今回の修行が、親子二人一緒の久しぶりのお出かけになりました。

    私の白装束姿を見て娘が笑いましたが、改めて娘が笑った顔久しぶりだなーと思いました。

    一緒に修行体験をして良かったと思います。いつか厳しかった滝行が二人の笑い話になったらいいなと思います。

    これからは女同士色んなところに出かけたり、何でも話せるような友達親子に近づけるように、少しの娘の異変にも気付けるように母として努力していきたいと思います。

     

    ありがとうございました。

    僕はこの体験修行に、心を入れ替え、言いたいことを言えるようになるために来ました。

    この体験修行に入る前は、自分が間違っていたことに気付かないで、口答えをしたり、言いたいことも言えず「分かった」と言ってもそれが口だけで、行動に出ないでいました。

    この体験修行でよく、自分のやっていたことに気付かなかったことに後悔をしました。

    瞑想の時間などで、心を落ち着かせて、考えることができました。

    この体験修行の残りを有効に使って、完璧に改善していきます。

    滝行でも辛さがよくわかりました。食前の言葉、食前のお経なども、食べ物を食べられていることに感謝しようと思います。

    寺内の掃除、道場の掃除でも普段やってくれている人に感謝するということが分かりました。

    他にも食べ物の準備だったりを、自分自身で経験して、毎日やるのは本当に大変なことだと思いました。

    これからの目標は、この寺で自分で体験した事を生かして、家でもやってもらってることには感謝をして、自分で出来ることは一生懸命やっていきたいと思います。

    道場掃除はすごく大変だったので、毎日家の掃除をやっているお母さんと、毎日仕事で生活させてくれるお父さんに感謝したいと思います。

     

    その他

     

    住職先生の作ってくださった料理がとても美味しかったです。

    特に美味しかったのが、ポテトサラダです。

    時間があったらまた作って下さるとうれしいです。

     

    僕が、お寺に預けられたのは学校に行かなかったからです。学校にいかずにゲームばかりして過ごしていました。僕が、学校にいかなくなったきっかけはいじめです。理由は、僕に協調性がなかったからです。毎日いじめられとても辛かったです。お母さんにも相談しましたが、忙しいからといって流されてきました。ある日、祖母が亡くなったのでお葬式に行きました。僕はいままでおばあちゃんに会ったことがありませんでした。お母さんと仲が悪かったそうです。なので、お父さんと行きました。平日だったのに僕がいておじいちゃんは驚いていました。そこで、学校に行っていないと話すと1週間後ぐらいにおじいちゃんが僕に家に来てお寺に連れてってくれました。そこで、僕の修行の日々が始まりました。僕の家のことは全部家政婦さんがやってくれていたので僕は何一つできませんでした。初日は、わからないのだから仕方ないと思っていました。ですが、毎日みているとみんな一生懸命やっているのに自分だけなにもしていないのは心が痛かったので簡単なことを手伝っていました。ある日、一人の子に声をかけられました。僕は、怒られると思っていました。でも、その子は手伝ってくれてありがとうと感謝されました。僕は、誰にも褒められたことがなかったのでとても嬉しかったです。それから、色々なことを教えてもらい自分でできることが増えてきました。1カ月もすると、お母さんが迎えに来てくれました。お母さんは謝りながら泣いていました。僕も、泣きました。お母さんは、今まで僕にかまってあげられなかったことを謝っていました。僕は、嬉しかったです。家に帰った次の日から僕は学校に行く決意をしました。久しぶりに行った学校は楽しかったです。僕をいじめていた子とも仲直りしました。中学校生活が楽しみです。ありがとうございました。

     

    私が研修を通じて、学んだ事は社会人としての心得です。

    この、研修でまず初めに行ったのは挨拶です。

    挨拶といっても通常の挨拶とは異なり腹の底から声を出し礼儀正しい挨拶のことです。

    続いて、三禮を行いました。これは、精神的にも肉体的にも限界まで追い詰められました。

    体力には自信があったのですがこれは本当に辛かったです。

    滝行は、想像していたよりも辛く入った瞬間に出てしまいました。ですが、修行は限界まで行ってこそ本領を発揮すると思いもう一度入りました。とてつもない勢いの水で呼吸が困難になるほどでした。時間にしたらとても短い時間でしたが私の中ではとても充実していました。自分が限界まで達した時に自分自身を見つめ直せたような気がしました。

    写経では、心を静められました。筆を持ったのは本当に久しぶりのことで墨の匂いが懐かしく感じられました。初めは、うまくかけずもどかしかったけれどだんだんと精神統一できたような気がしました。

    私は、こうした修行の中で感じたのは忍耐力の大切さです。自分の限界に挑戦することで様々なことが分かりました。あと、社会人と学生の違いを思い知らされました。社会は信頼でできているのだなと痛感しました。これから、学生気分を抜いて社会人としての心構えで仕事をしていきたと思いました。

    普段と異なる生活は非常に骨が折れる。座り方まで決められた生活、区切るところを区切られた生活。それでも三日過ぎてしまえばあっという間で、その時に苦に思った様々も思い返せばどうということはない。

    これを通して思った一つ目のことは、過程がどうであろうと現在の自分がどう感じているかで大きく物事か変わるということだ。逆に言えば現在の私が過程である未来の自分にとっては、今はなんでもない。一時の苦労で後に大きな幸を手に入れることができるなら、それを後の私のためにやろうと思った。具体例を失敗から挙げるなら、遅刻とかであろう。欠席が溜まり、後に残るのは無だ。行っておけば未来の自分がどれだけ楽になるだろう、と。成功例を挙げるなら、受かった受験だ。勉強した分が全て自分に良い学校として返ってくる。したがって多少の代償を払ってでも、良い見返りのためには何かしようと思った。

    二つ目のことは、それでも苦を受け止める、ということだ。流せば楽になるというのは間違いないだろが、流すだけのものに何の価値もない。受け止めて、次のことへつなげるというのが重要だと感じた。しかし、苦をただただ苦と受け入れるのは苦でしかないため、次に起こる幸に期待しながら、苦を実行していこうと思った。

    また、この決められた生活から、課題が見えてきた。器用な人間はすべき事をリストアップして頭の中ですべて整理し、しらみつぶしにすべき事をすることによって全体を完璧にこなすことができる。必要なのは計画力と実行力だ。特に自分に欠けているのは実行力の方だと感じた。もちろん計画力も足りていない。細かいところでミスをするのは計画力を欠いているからだと思う。実行力を徐々に取り戻してはいるが、欠けているのは間違いない。そこで感じたのは、どう実行力を付けていくかということだ。欠いているものの身に付け方なんてそうそうわかるものではないが、普段から実行力を付けていく、というのが一番の近道だと思った。まず嫌なことに積極的に手を出すこと。そして、すべきことをすること。この二つを日常生活で意識していこうと思った。

    前からずっと思ってきた、考えてきたことを、今回の滝行川行でより一層実感したことがある。少し嫌に感じることなんて、世の中には五万と存在する。苦痛に感じることも同様だ。そんなことに直面したときに、逃げそうになるが、逃げないための言葉を手に入れた。「人間、死ななければ大抵のことはやれる。」ということだ。人が行をしているときに思ったことだから、自分に置き換えた時に、これを適応できるかは分からなかった。しかし、実際に身を投じてみると、意外となんとかなった。

     

    これらの体験から、苦に直面したら、「のちの自分を考える」「死ななければ大抵のことはできる」ということを大切にし、実行力をつけていこうと学んだ。

     

    加えて、ここに来た理由を考えた時に、「適地適存」のようなことが足りなかったように思えた。謝るときに謝る、遊ぶときは遊ぶ、やるときにやる。メリハリとは違う何かが欠けていたのが全ての原因だと感じた。結局、すべしとしたいを区別して行動に移すことが大切だと思った。これを解決するために必要なことは、やりたくない方を選ぶこと、であろう。すべきことはだいたいやりたくないことなのだから、それを片付けておけば大方間違いはない。それをするためには、先に書いたような事柄が大切であるから、何を考えても「後の自分の事を考えて行動する」というところに帰着する。やはり足りていないのはそこであるため、今後はそこを意識するべきだと感じた。

     

    これらだけで片付かないことがある。それは他人への気配りだ。自分のことなら「自分の後のこと」を考えれば良いのだが、他人への配慮というのはそうもいかない。これに関してはそこまでかけているとは思わないが、より充実させるには相手の視点で物事を常に考えること。そうすれば、おのずと道、つまりはすべき配慮が見えてくると思った。

     

    これらの事から、他人には配慮できているが、自分自身に対しては甘い、良い言い方をすれば優しく、悪い言い方をすれば全てに対して楽観的であった。他人に優しく、自分に厳しくが、他人に優しく、自分に優しくになってしまっていたのだ。課題は見えた。自分の目標を目指し、課題をクリアしながらやっていこうと思う。他人に指摘されながらクリアしていくというのも自分に対する甘えであると思うから、頼るところと頼るべきでないところを判断し、最低限自分でこなせるようにしていきたいと思う。

    わたしは中学2年生です。学校は友達も少ないし、だんだん行けなくなりました。授業もおもしろくなくて、小学校とちがって一気に難しくなりました。数学とかさっぱりわかりません。毎日ひまなのでテレビを見たり、公園に行ったりしていました。学校に行かずに早く働きたいと思いましたが、中学生だとバイト先も見つかりません。

    ある日、お母さんに話があると言われて、どうせ学校に行ってないことで説教されるんだろうと思いました。お母さんは寺修行の話をして、毎日家にいてもひまだろうから、行ってみなさいと言いました。

    不安もありましたが、寺修行はちょっとおもしろそうだったので、行くことにしました。寺に行って、すぐに後悔しました。寺修行はものすごく大変で、こんなにまで疲れるなんて思っていなかったです。ふだん全然運動しないので、修行で毎日へとへとになりました。修行は運動部に入るよりも大変だと思います。あとお菓子が食べられないのが、わたしにとっては辛かったです。家にはいつもお菓子がありました。ご飯はおいしかったので、ご飯の時間だけが楽しみでした。修行は挨拶や作法も厳しくて、軍隊に入ったみたいだと思いました。

    寺で生活するうち、家が恋しくなりました。お父さんやお母さんや飼っている犬に会いたくなって、少し泣いてしまったこともあります。修行生活が終わって家に帰れる日が来て、本当にうれしいです。

    これからはもうちょっと積極的にみんなに話しかけて、友達を増やしていけたらと思っています。住職さんにアドバイスをもらったようにがんばりたいです。あと少しは家の手伝いもしたいなと思います。この2週間ありがとうございました。

    5年生になったときにクラス替えがあって、新しいクラスになじめなくて学校に行きづらくなりました。担任の男の先生も苦手で、前の女の先生のクラスになりたかったです。授業もつまらないし、学校もおもしろくないし、学校に行くふりをして外をぶらぶらしていました。

    でも学校から家に電話がかかってきて、学校に行かなかったことがばれて、親にすごく怒られました。それから1ヶ月くらい学校に行ったり行かなかったりしていたら、ある日親に寺で修業してみるかと言われました。

    お寺とか修行とか、正直必要がないと思いました。将来お坊さんになるわけでもありません。最初は行きたくなかったけど、学校に行くよりいいかと思い直して行くことにしました。お寺は山奥にあって、空気がひんやりとしていて新鮮でした。ぼくの家はまわりはマンションばかりなので、たまにはこういうところで生活するのもいいかなと思いました。

    修行は大変で、すごくしんどかったです。1日目から早く帰りたくなりました。修行だけじゃなく、掃除や食事の片づけもみんなで協力してやりました。ぼくは掃除や食事の準備、片づけはほとんどやったことがありません。お母さんが毎日家族のためにがんばってくれていたんだなと思いました。

    高校生のお兄さんもいて、掃除の仕方や寺のルールについて教えてくれました。親切にしてくれてうれしかったですが、ぼくより早く帰っていったので寂しかったです。お寺では早く帰りたいと思いながら過ごしていましたが、最終日は帰るのが少し寂しくなりました。ぼくは寺の修行で、根性がついたと思います。これだけ根性が身についたのだから、学校も少し嫌でも行けるかな?と思いました。

    初めのうちは学校に行っていたのですが、途中から事業が面白くなくなり学校に行きたくなくなりました。母親には学校にいくと言って家を出ます。いつも図書館に行って勉強しているふりをして、昼になるとお弁当を食べる毎日でした。図書館の職員の方にいろいろ聞かれ不登校の事がばれて、学校に連絡をされ、両親にばれてしまいました。僕は友達がいない生活を長く続けています。父親からと、母親からものすごく怒られ、学校の先生からも怒られました。天光寺に来たのは学校の先生からのアドバイスです。お寺はテレビ、やパソコンはなく、お菓子もありません。山の奥に天光寺があるので、最初のうちはなかなか眠れません。食事も野菜が中心で、いつもお腹がすいていました。たまに住職先生がバナナジュースを作ってくれました。体験修行の中には大人もいて、僕と同じような生徒何人かいました。

    1か月の修行の中で毎日の挨拶、写経、食事の挨拶、また、ほぼ毎日の滝行、本当に辛くて早く家に帰りたいと思いました。いろいろなことを学びました。また、家のありがたさがわかりました。これからは学校に毎日通います。本当にありがとうございます。

    僕はお母さんの言うことを聞かず、いつもお母さんに怒られてばかりで、うるさくて、めんどうくさくて、夜はゲームばかりやるようになり、朝は起きることが出来ず、学校を休むようになりました。勉強もついていけず不登校になりました。お母さんに昼間、お寺に相談に行くから起きなさい。うるさいと怒鳴ると、知らないおじさんがいて、早くおきろと、怒鳴られました。怖いので起きました。お母さんに、あのおじさん、誰と聞くと、あなたが騒ぐと困るので知り合いのおじさんに頼んだの。いやいや車にのり天光寺というお寺につきました。大きな建物なのでおどろきました。いやいや座っていると、住職がきて、きちんと座れと大きな声で怒られました。ここで修行をすると聞いて、家に帰るから、連れて帰ってと言っても聞いてくれません。朝は6時に起こされて夜は10時まで、毎日修行、朝起きると挨拶、ご飯を食べる時も挨拶、だんだんと慣れてきました。2日目今日は滝に入るから、滝衣に着替えなさいと言われ、いやいや着替えました。滝の中は冷たくて驚きました。ほんとに死ぬかと思った。5日か後に他の不登校の子がきて、僕がこの子にいろいろと教えました。

    洗濯の仕方、雑巾のただみかた、教えてもらったことを僕がこの子に教えます。般若心を毎日読み、お経を毎日読みます。いつ帰えることが出来るかわからずにいたら、住職から今日お母さんが迎えに来るから着替えて待っていなさいと言われて、本当にうれしかった。30日間の修行でした。これからは絶対にお母さんの言うことを聞き、ゲームはしません。学校は明日から絶対に行きます。天光寺で習った事絶対に守ります。住職先生有難うございます。

     

    小学校のころは楽しく学校へ通っていた息子ですが、中学へ入学して新しいクラスになじめず、次第に学校を休みがちになりました。学校に行かない日は勉強するわけでもなく、部屋で1日中ゲームやスマホをしている有様です。

     

    最初は無理やりにでも学校へ行かせようとしていたのですが、次第に諦めるようになりました。この先息子の人生はどうなるのだろうと、悲嘆する日々でした。せめて高校・大学は出てほしいと思うものの、このままの状態では学力不足で入学できる高校さえなくなるのではと、思い悩んでおりました。

     

    そんな折に、母から天光寺の修行体験のことを聞いたのです。なんでも母の友人が修行に参加したときに、不登校のお子さんが参加されていて驚いたとのこと。不登校児や引きこもりの方に、社会参加のチャンスを与えられているお寺様ということで、悩んだ末に息子を預けることにしました。

     

    息子の性格では無理やり連れていっても逆効果だと思い、事前に話をしていました。こういうところがあるけど行ってみる?とあくまでも息子の意思を尊重する姿勢で尋ねました。息子は意外にも、何か思うところがあったのか興味を示してくれました。

     

    学校の長期休暇中の修行体験でしたが、1ヶ月という期間は長く、今頃ちゃんとやっているだろうか、お寺の人たちに迷惑をかけていないだろうか、と途中で心配にもなりましたが、天光寺から息子が書いた感想文をメールで送って頂いたり、お電話でも息子の様子を伺ったどころ、私の心配が杞憂だったことがすぐにわかりました。今まで当たり前だと思っていた事に感謝する気持ちを持って息子は、甘えることなく親に感謝する気持ちで積極的に修行をされていました。

     

    修行を終えて帰ってきた息子に天光寺での修行のことを聞いても、決して辛いだけではなかったようです。家から離れ、自然に囲まれて様々な人々と出会えた修行体験は、本人にとっても客観的に自分の心を見つめ直す良い機会となったのでしょう。

     

    何より嬉しい変化は、息子が進学先を考えるようになったことです。今では自分から通信制高校の資料を取り寄せたり、見学に行ったりしているほどです。今まで不登校で悩んでいたのが本当に嘘のようです。天光寺の住職様、お坊様方、本当にありがとうございました。

    僕は天光寺にきて、食事はみんなで、机をふいたり食べたものを運んだりしていて、食事の前には食べ物に感謝をこめていたので、すごく良い事だったと思いました。

    掃除も廊下やトイレ、本堂なども隅々まで綺麗にしていて、すごくよいと思いました。

    天光寺は、すごく良い場所だと思いました。ネットでは、来てもいない人が悪いことを書いたり、ニュースでも悪いことばかりで、ふしぎに思いました。ネットなどでは行ってもいない人が、悪いことを書いたりしていて、そういう人たちは、なぜ天光寺を悪く言うのかふしぎに思いました。正直むかついてしまいました。

    住職さんにはいろいろな事をおしえていただき、この6日間ですごくよい意味で変れたのではないかなと思いました。

    滝行は、写経・写仏がすごくできて、本来の目的でもある集中力アップが自分の中ではすごくできたと思うので、良かったです。

    般若心経がどうしても覚えられなかったので、覚えられるようにしたいです。光明真言は覚えられたので良かったです。

    寺では、お世話になったことがあります。まず、自分は挨拶が出来なかったり、勉強に集中できなかったり、と様々な駄目なところが、ありました。寺では、光明真言など南無大師遍照金剛などで挨拶などが鍛えられました。集中力などは写経などをして、長く集中できるようになりました。滝行などもツラかったけど努力して我慢できるようになりました。はじめは、親に、無理やり連れて来られましたが、出来ないところを、しっかり学べて良かったです。素直に帰りたいという気持ちもありますが、これて良かったです。滝行では、毎回、山を走ったりで、足が痛くなったりもしましたが、ある程度、その所にも強くなりました。家に帰る時は、勉強中でも、普段の生活でも、寺で習った事を生活に活かしていきたいとです。また、今までも自分はひどかったので、改めて生活していきたいです。

    先日は息子が、二泊三日でこちらに大変お世話になりました。家庭だけでの子育てに限界を感じ、
    色々調べたところ、こちらを知ることになりました。
    ネットやニュースで色々出ていましたが、私はその内容を見て天光寺さんは大変な思いをされたのだと悲しく思いました。
    私のような悩める母からすれば手に負えない子を親にかわり、不動明王様のように愛情を持って接したことは大変有り難い
    ことだと思います。また、その後の対応については大変悩まれ悲しく苦しい決断だったと思うのですが、しかるべき対応を
    取ることはとても立派だと思いますし、その辺も踏まえて私は今回息子を天光寺さんに体験修行させることに決めました。
    
    体験修行から帰った息子は、数日経ちますがお寺で経験したことを朝晩話してています。
    決しておしゃべりではない息子ですが、おしゃべりが止まりません。また、挨拶がまともにできなかった息子ですが、
    帰宅してから大きな声で笑って挨拶をするようになり、これが一番嬉しかったです。
    お寺の方には温かく接していただき、大変感謝しています。体験修行を終え、すっきりした顔の我が子の顔を見たとき、
    母はこれだけで色々なことを感じとることができました。
    
    天光寺さんの体験修行がとても良かったので、またしばらくしたら、娘も連れて天光寺さんに体験修行に行きたいと思います。
    
    宜しくお願い致します。

    僕は、天光寺に来て、ちょっと楽しいなと思いました。お経を読んだり、走ったり、滝の水にあたったり、仏の絵を写したり、般若心経を写したりしました。その中で、滝の水にあたったのが、一番楽しかったです。最初は、寒いし、痛いし、冷たかったけど、2回目からは、寒くないし、痛くないし、そんなに冷たく感じませんでした。一番苦しかったのは、お百度参りで走ったことです。百往復も走って疲れましたし、苦しかったです。でも、それは修行だから、頑張りました。修行は1回して、写仏は4回しました。鉛筆で書いたから、隅から隅まで、書けました。結構、写仏は楽しかったです。でも、一日が終わって、寝る時に、布団が気持ちよかったです。ご飯も美味しかったし、天光寺に来てよかったと思いました。少しは苦しかったけれど、楽しかったです。

     

    天光寺に来て学べたことがあります。家のありがたさを学べました。帰ったら「おかえり」と言ってくれる家族がいるし、おいしくて温かいお母さんのご飯が食べさせてもらえることがどんなにありがたかった事なのかを実感し、学べました。

    自分は親に反抗してばかりでしたが、天光寺に来て親のありがたさを知った今、反抗していた事を後悔しています。

    天光寺に来てなかったら、親のありがたさを実感することはできなかったし、自分を知ることも出来なかったと思うので、天光寺に連れて来てくれた親には感謝しています。

    今後、天光寺で学んだ事を忘れないようにして日々の生活を送っていきたいです。また、感謝の言葉を伝えるのは恥ずかしいので手伝いをしたりするようにします。

    僕は今までめんどうくさいことはやらない、辛いことはやらないなどという風な考えをしていて,楽な方へと流されていました。その結果自分をコントロールできず、楽なことだけやるなどというような状況にになっていました。ですがこの寺にきて、嫌なことでも我慢してやることの大切さが完全ではなくても、自分なりに分かった気がします。

    朝のそうじ、服のアイロンがけやたたむ作業、お百度参り、滝行、風呂そうじや食事の準備など、辛いことやめんどうくさいことはいくつもありました。ですが、終わった後の達成感はとてもすばらしいものでした。

    滝行も始めの方はただ辛くて出たいと思い、それこそ10~15秒しか入れませんでした。しかし、やっていく内に「どうせやるならできるだけ長く入ってみよう」そんな考えができました。

    他のことも「どうせやるならがんばってはやく終わらせよう」という考えができるようになり、一時の我慢の大切さを感じました。滝行の場合は最初の方は冷たい、でも次第に身体がなれていって滝の水も気持ちよく感じられるようになる、さらに毎回入る時間が増えていくことで自分も嬉しくなる。そんないいことがありました。

    他のことでも、やっているときは辛いでも、終わった後に達成感を味わえるし、はやくちゃんとやれば、その分自分が休んだりすることのできる時間が増える。こちらもいいことがありました。

    今まで僕は勉強や生活において、しっかりと我慢をしてやったことがありませんでした。

    しかし今回、我慢の大切さを知ったので、それを実践してみようと思います。

    勉強も良く考えれれば、我慢して短時間でやればテストでいい点がとれ、さらには終わらせた後、自分が好きなことをすることができる時間を作ることができます。

    このことに気がつかせてくれたこの寺、そしてこの寺の方々に感謝しています。僕はこれからしっかり我慢をして、自分をコントロールできるようになろうと思っています。

    本当にありがとうございました。

    僕は天光寺が、すごくよい場所だと思いました。ネットでは、来てもいない人が悪いことを言ったり、ニュースでも悪いことばかりで、ふしぎに思いました。

    食事はみんなで、机をふいたり食べたものを運んだりしていて、食事の前には食べ物に感謝をこめていたので、すごく良い事だとだと思いました。

    そうじもろうかやトイレ、本どうなどもすみずみまできれいにしていて、すごくよいと思いました。

    なのに、ネットなどでは行ってもいない人が、悪いことを書いたりしていてそういう人たちは、なぜ天光寺を悪く言うのかふしぎに思いました。正直むかついてしまいました。

    住職さんにはいろいろな事をおしえていただき、この五日間ですごくよい意味で変れたのではないかなと思いました。

    滝行は、できなかったのですが、写経・写仏がすごくできて、本来の目的でもある集中力アップが自分の中ではすごくできたと思うので、良かったです。

    般若心経がどうしても覚えられなかったので、覚えられるようにしたいです。光明真言は覚えられたので良かったです。

     

     

    短大を卒業して一度就職しましたが、数年で退社して親元で家事手伝いと言い訳言いながら、毎日を過ごしています。朝は起きないで昼近くに起きて、昼食が朝食でその後にシャワーを浴びてから動き出すという生活をしていました。反対に夜は深夜まで起きていて、テレビを観たり本を読んだり、何もしないでベットに横たわって過ごしていました。

    いままで将来の夢はありましたが、今は無いといったほうが正直なところです。自分には何ができるのかできないのかも分からず、仕事をしない事への危機感も感じず過ごしていました。父親からは早く嫁にに行ってしまえと言われ、母親からは私のよな女は嫁にもらってくれる人は居ないと言われ、兄弟姉妹からはお荷物といわれる毎日でした。

    天光寺に来ることになったのは、気分を変えるのには寺院での体験修行をして、引き篭もりなどで社会に受け入れられていない人は、修行することで人格の変化が得られるといった週刊誌の記事を読み、どこかで体験修行して引き篭もりを改善してくれそうな寺があるのかなと、興味本位で探していて見つけた所が天光寺でした。

    初めは観光体験的な考えでしたが、聞くと観ると来ると修行開始では内容が違い過ぎていて、すぐにでも帰宅したくなったという情けなさでした。朝は早いし夜も早いし、テレビもラジオも携帯電話も通じない山奥なので、世間の事情と情報が分からない先での修行になりました。

    父親や母親からは、帰ってこなくても良いと送り出され、兄弟姉妹からは尼僧にでもなってしまえと捨て台詞を言われました。行くところが無くなってしまったような私は、半分諦めで天光寺に入山しました。私以外に数人の修行をされている方がいましたが、みなさん真面目で瞳が輝いていました。年齢も中年女になり、異性もいないし仕事も無いし住む家も無いでは、最悪でした。

    天光寺には色々な悩みや何かをやり遂げたいとか、中には不登校やイジメや私のような引き篭りがいて、スタッフに助けられながら日々過ごしていました。修行では参加した者でなければ分からない、上手く言えませんが多くの修行があり慣れ知るまでには数日かかりました。

    天光寺には一ヶ月も居ればおおよその日々の過ごし方や、修行の進め方はわかりますが内容が深いので、中には数年滞在している方もいるほどでした。今帰宅して、家の荷物と言われたくないので、いままでの私はやめて新しい私になります。危ないときは、また天光寺で修行したいと思っています。

     

     

    僕はいつも一人で、友達がいない生活を続けていました。でも、天光寺で聞いた話しでは、待つのではなく自分から入っていく積極性を持つことで、友達もでき楽しい生活が感じられると聞きました。

    初めのうちは登校していた学校ですが、中ほどから授業も面白くなくなり、何を話しているのか分からないとこなどもあって、一段と学校に行きたくなくなりました。

    親には、学校に行くと言って家から離れた公園や河原で時間を過ごしたり、腹がすけば弁当を食べて家に帰るといった生活をしていましたが、すぐに学校から自宅に先生が来て学校に行ってないことが、両親に分かってしまいました。父親からも母親からも怒られ、学校の先生からも怒られました。怒られると学校に行きたくなくなり、おばあさんの家に逃げ込んだこともありました。

    天光寺に入れられたのは、学校の先生からの両親へのアドバイスから、両親が決めた不登校児の僕を家庭でない寺で修行することで、立ち直られると言ったことからと住職から聞きました。お寺には、テレビもラジオも新聞もマンガもゲームも無く、携帯電話やゲームは取り上げられ、甘いお菓子やチョコレートも食べれない所でした。

    街中でなく、人が住んでいない山奥のお寺なので、夜は真っ暗でけものの声しか聞こえてこないところだったので、初めのころはなかなか寝れませんでした。食事も葉っぱばかりのおかずにご飯とスープだけで、肉や魚などは食べられない料理ばかりで、お腹が毎日空きました。学校に行かないだけで、山奥の寺で修行という泊り込みを4週間続けました。

    修行先では、僕と同じような生徒や児童もいて、大人でも何人もの年長の人がいました。みんなそれぞれに修行していましたが、同じことを一緒にしたりもしました。お経や写経や瞑想や法話では、難しいことがいっぱいあり大変でした。滝行では、初めのお百度参りで疲れ、滝の冷水では死んでしまうのかと初めての経験をしました。

    僕は学校より何かの仕事をしたいので、住職からは仕事をする前に勉強しないと仕事ができませんと言われ、少し悩みましたが住職の話を聞いていると、そうなのかと分かりました。

    早く仕事をしたいので、学校に行ってがんばりたいです。

     

     

    コンプレックスを持っていた私が、天光寺での修行をしているうちに、コンプレックスという小さなことに慄いていたと分かり、今では信じられない自分になったと自覚しています。私のコンプレックスとは、人前で話せないとか何事にも自信が持てないとか、誰にも在りがちなことと言われていましたが、それが私にとっては大きな問題だったのでした。表現も下手であるし、まとまったことも言えない自分に、自分の性格なのだと諦めていたのです。

    天光寺での修行では住職からの法話を聞き、瞑想で自分の内面を心静かに思い、冷水の滝行で身を清め邪念を捨て去り、生活環境の一変した施設で、自分を試して見ました。

    何事にも臆病な私でしたが、他人への思いやりのないことを知らされたり、嫌なことでは逃げさるといった消極的なことを克服するために、お経の朗読だけでない自分の身体の筋肉を使った、活動的な作業や所作を行ったことで目から鱗でした。今ままでの私の短い人生で、これから先の長い人生を考えさせられた、厳しくも温かい指導で修行最終日まで、導いて頂きました。

    今回の修行では、私以外にも多くの修行者が、天光寺で日夜与えられた修行を黙々とこなしていました。修行は全て修行者個々人のためになるものなので、全員は真剣に修行を進め片時も時間のあるがままに、写経や写仏や瞑想を続けながら日々を過ごしていました。

    今回の私の体験できた修行では、コンプレックスと言う些細なことから脱皮した自分を発見できたという、ありがたい修行でした。他の修行者では短期も長期もいますが、皆さん心して自己スケジュールを全うされていて素晴らしかったです。

     

     

    私は体型的に子供の時から、背が低く肥っていて美人でもないので、学校でも職場でもイジメに遭ってきました。人前に出るのも好きなほうでなく、好きな男性がいても遠くから覘いているだけの臆病な女です。ただ、いつかは自分を変えたいと思う気持ちがありましたが、どうすれば良いかも分からずに悩んでいることの多い、女でもありました。これと言って特技もなく、人からも羨ましがられることもなく、このまま死んで行くのかと思ったこともありました。

    姉妹で姉はいるのですが、姉は家族の旦那さんと子供のことで、私の相談も聞き入れて貰えませんでした。両親とは一緒に生活しているのですが、何気なくいつものように結婚しないのかとか、付き合っている男はいないのかと聞いてきたり、頭の痛いことばかりでした。

    天光寺を知ったのは、一人寂しく部屋に閉じこもって、パソコンで検索をしていたときに偶々知りえたことからです。ホームページの中には宗教的な修行もありましたが、イジメを克服する修行も有りそうなことから、積極的な人格形成を導く教えもあるとのことで、申し込み参加しました。

    私の身体的なことは別にして、自分を精神に強くする為のきっかけを、天光寺は明確に指導してくれました。私の仕事は契約社員なので、中長期の休暇はとり易いので修行に参加しました。

    期間は一ヶ月の休暇をとり、人生を変えるための修行として、外界とはなれた修行を女一人でできる限界として、天光寺での精神修行に参加しました。初日は挨拶に始まり、お経の朗読と言ったことや修行生活の案内で終わりましたが、翌日には早朝6時に起きて夜は10時には消灯で、朝は洗顔掃除に始まり朝食後は瞑想と、限りなく修行が始まり動と静で曜日も分からなくなるほど、厳格な修行を修行参加者数人で連日行いました。

    修行も一週間も過ぎてくると、後から参加してくる修行者を手助けすしたり、時には簡単な指導をするようになり、充実感が感じられてきました。誰かのために、作業や案内することの喜びなども体感し、今ままでのイジメられていた自分からイジメに対する、積極的なイジメに対処できる自分の変化が感じられたりもしました。

    またの機会に天光寺の修行に参加して、未来をつかむ成長できる自分を見つけに来たいです。

     

     

    私は学校に行こうとすると、どういう訳か頭が痛くなります。時にはお腹が痛くなり、布団の中に入ってしまっていました。お父さんやお母さんから何度も学校に行くように言われも、最後にはお父さんやお母さんをののしって、自分の部屋の布団に入り込んでいました。

    天光寺に来たのは、おばあちゃんからの東京にあるお寺で勉強しないかという誘いでした。学校に行かないでも、勉強ができるならと天光寺に来ました。天光寺には、3週間お世話になりました。

    天光寺では、朝早く起きて掃除をしたり静かな部屋で音楽を聴きながら、自分のことを考えたりしました。今までの生活と違い、何人かの方との共同生活を始め、お寺の修行でお経を読んだりしました。

    お寺の外では、お百度参りをしてから滝行や川行をして、自分の気持ちを精神統一し気合を入れて、滝の冷水を全身に受けました。冷たかったけど、今思うと気持ちよかったです。滝行は、合計5回入りました。一緒に修行していた人の中には、7回も滝行に入った人がいて驚きました。

    天光寺では、1ヵ月とか2箇月とか長期で修行している人も居て,みなさんまじめに修行しているのを見て、わたしもこれからは家でも学校でも、がんばる気持ちになりました。はじめてのことが多かったですが、学校で習うよりも頭に入ってくる勉強がたくさんあって、大変でしたが大切なことばかりだったので、がんばっておぼえました。

    来週からは、学校に行くために早起きして、お父さんお母さんにほめられるようになりたいです。3週間はきびしかったけど、良い体験になりました。

     

     

    僕は1ヵ月前までは、仕事もせずに家の隣にある親父が作った小屋で、寝泊りしながらゲームばかりしていました。学校を卒業しましたが、就職で失敗して家でゴロゴロしていたら、自分でも驚きましたが30歳になっていました。風呂も時々しか入らなかったせいか、母親からは臭い臭いと言われていました。昼間は寝ていて、夕方から起きて深夜までゲームをしていました。

    友達も尋ねてこないので、外出もせず薄暗い小屋の中で音楽を聞き名から、一日が過ぎていました。天光寺に来るきっかけは、親父が市役所の民生委員に相談したところ、その人の友人が天光寺を知っていて、僕が天光寺に来ることになりました。

    初めは、一週間という話でしたが、実際は4ヵ月間天光寺で修行を継続しました。修行では、挨拶に始まり挨拶に終わる生活や、お経を覚えるための朗読を100回200回と・・・毎日声を出して頑張りました。お経以外には、お経を書きとめる写経を書いたり仏様を書く写仏を書いたり、お寺の外ではお百度参りをした後に滝行で、精神統一を行いました。滝行は、10回以上入りました。食事は全て精進料理でしたが、美味しく食べました。只、好き嫌いとか食べ残しは許されず、感謝して食べることを住職から指導されました。

    布団も自分で出して自分で片付けたり、朝は6時に起きて夜は10時に寝る規則正しい生活をすると、今までの生活と違うので初めは驚きましたが、今ではお寺さんの生活に慣れて当たり前になりました。来月には仕事探しをしたり、ゲームをしないようにゲームを処分することを、両親に誓いました。お母さんは、涙を流して喜んでくれました。

    僕は、いつも家で弟と喧嘩をしたり物事にもチャレンジせずに、だらけた生活をしていました。

    天光寺に来て何かが変わってきた様に感じました。

    同じ年くらいの子供達が多く、初めは馴染めなかったけど、勇気を出して食器の後片付けを率先してやってみたら、周りから『良く手伝ってくれるから助かるよ』と言われて、その日から手伝う事が楽しくなった。

    滝修行は辛かったけど、必死に頑張りました。終わった時には、すごくさっぱりして気持ちよかったです。

    僕は天光寺に来て物事にチャレンジする力と、辛い事に耐える力を身につけました。

    家族の大切さもです。帰ったら弟にも優しく接し、お母さんが疲れていたら食器洗いも手伝おうと思います。

    私はどうして天光寺に連れてこられたかと言うと、自分が悪い事をしたのに家族に八つ当たりしたり、学校の先生に注意されても反抗して迷惑をかけていたからです。

    学校では停学になり、お寺に来ても皆に迷惑をかけてやろうと、廊下を走り回ったり、洗濯機にいたずらしたり、周りの人に嫌な思いをさせてしまいました。

    そんな私だったけど、2週間が過ぎて我慢出来ることに気付きました。

    今まで自分勝手だったけど、お寺でいろんな人とお話したりして、自分が嫌な人間だと解ったからです。毎日滝に行ったり、洗濯のお手伝いをしたり、すごく疲れるけど、お母さんの気持ちが解りました。

    家に帰ったら、友達と楽しく遊びたいです。家族や、学校の先生の言う事も聞いて、少しずつ我慢できる様になれたらいいと思います。

    滝修行も大人の人に負けない様に、何回も入りました。褒められて嬉しかったです。

    少しはお姉さんになって帰りたいと思います。

    僕は今寺に来て最悪です。毎朝6時に起きて掃除とか色々手伝わされて、こんな所に来て何が変わるんだ?と思っていました。

    2週間経って、嫌な思いをしているのは僕だけじゃないと解ってきました。

    前にお母さんが調子悪いときに怒らせてしまった時に言われた言葉がすごく残ってって、その日からお母さんが嫌いになりました。だから言われた事も聞きたくなかったし、家にも居たくなかったです。

    今は自分のしてきた事が家族全員に嫌な思いをさせていたと思ってます。

    家に帰ってもお母さんとの距離を近くしていきたいと思ってます。

    僕はお母さんが好きです。今まで、ごめんなさい。

    初日は最悪な気分でした。親に突然『東京の寺に行くぞ』と言われ、更に寺に着くなり、ここで暫く生活する様に言われ、『ふざけるな!』と思いました。

    毎朝6時起床だったので慣れるまできつかったです。
    毎日起きたら掃除や洗濯をしながら、滝に打たれました。同じ事の繰り返しが、すごく辛かったです。

    でも、毎日当然の様に炊事、洗濯をしている母親の気持ちが解る気がしました。
    家に帰ったら、たまには手伝いをしてあげようと思いました。

    学校にも行かなくなり親に迷惑かけたけど、親の居ない生活がこんなにキツイとは思わなかったです。
    天光寺に来て3週間経ちますが、家で甘えていた自分を知る良い時間になりました。

    帰ったら、親にも心配かけないように学校に行こうと思います。