臼杵山 真言宗 天光寺

〒190-0204 東京都西多摩郡檜原村小沢4040-1
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体験修行の感想文・体験談

  • 感想文

     

    埼玉県川口市より参りました。

    この度七月十四~十五日)は一泊二日の修行ということで大変お世話になりましてありがとうございました。当初は会社行事として私が企画し、従業員全員(約三十五名)でお邪魔させていただく予定でしたが、仕事(現場多数のため)にてほとんどの従業員が不参加となってしまい、泣く泣く仕事の軽めでした三名のみ先発隊ということで参加させていただくことになりました。

    ここから先は会社としてではなく、私個人の感想として書かせていただきます。

    今回体験させていただきました修行の内容としましては、お百度参り、滝行、写経、写仏、座禅、瞑想とそれほど多く体験できたわけではありませんが、普段どれだけ忍耐やがまんすることから避けた人生を送っているか?どれだけ集中することを怠っているのか?改めて感じざるを得ませんでした。

    一泊二日では、日常のだらしない生活から離れて、少し辛い思いをしただけで、その辛さ…忍耐や苦業の先にあるものまではもちろんながら身に付けたり、体験することができませんでしたので、次回時間が許す限り長く、可能であれば二週間~一ヶ月連泊でお邪魔させていただき、その先のある”何か“を体験、体得したいです。

    それを体得出来た時にこそ、人間として、自分自身が本当に変われるときなのかなと感じております。

    次回以降は、また別の従業員を連れてお邪魔致しますが、修行もそうなのですが、まずは何でも人にやってもらうような生活をしている人間たちに、何でも自分でやること、その中で相手を思いやり行動すること、自分がどれだけ恵まれた生活を送っているのかを宿泊、修行の中で学ばせたいです。

     

    この度は二日間という短い時間でしたが、誠にありがとうございました。また伺える日を楽しみにするとともに、明日からの生活にこの二日間で学んだ事を活かします。

    僕はママに誘われてついてきたのですが、お百度参りと(滝行・川行・水行)に行って心を入れ替えて励んだり、長文のお経を覚えたり、ある日は「南無大師遍照金剛」と滝行の時にいっぱい言いました。

    修行はとても厳しく辛くて、でも楽しいこともあって、たまたま泊まっていた中学一年生のお兄さんと遊んだり、寝る時に話したり、一日一日がこれを機にこれから楽しむときと、頑張るときを区別して、次の日、一ヶ月後もいっぱい頑張りたいです。

    修行をして大切なことや、やらなきゃいけないことなど色々なことを教えてもらって、神様への言葉や態度、物を戻すとかいろいろされて、神様はどんな人なのか、どんなことをしたのか、どんなことを考えていたのかを考えて、いろんなことを勉強しました。

    この気持ちを忘れず、これから生活に励んで、より楽しく、より大切にしていきたいです。

    法話を聞いて思ったことは、神様と神様が対とうしているというのが瞑想で見えた仏教の話や、人が生まれてからどうするのか、なぜ神様がいるのか、宇宙の話などいろいろな話のなかで言いたいことがはいっていてすごいと思いました。

    とても面白かったです。

    私は、今現在職についておらず親のすねをかじりながら生きています。

    家は比較的裕福な方で幼少のころから何不自由なく育ってきました。ですが親はとても厳しく、よい成績をとってこないと怒られていました。大学も親の望む大学には入れませんでした。そこで、親は私を見放したのか何も口を出さなくなりました。会社に入りましたが今まで親の望みをかなえようと自分のやりたいことなど考えずに生きてきたので入った会社も楽しくなくすぐにやめてしまいました。私は両親に甘えているんじゃない!と叱られました。私には姉がいます。姉は私と違って優秀でいい大学に入り自分のやりたい仕事をして毎日が楽しそうで本当に姉弟なのか不思議なぐらいです。そんな姉は、私に優しく両親に叱られ部屋で泣いていると慰めてくれました。勉強も教えてくれました。姉がいなかったら私はこの世にいないと思います。そして、その姉が結婚することが決まりました。私は、素直には喜べませんでした。姉はとても優秀なのにこんな駄目な弟がいるとわかったら姉が旦那さんに嫌われてしまうと思ったからです。

    そこで、私はまず自分の弱い精神を叩き直そうと思いインターネットで調べているとこちらのお寺にたどり着きました。

    修行はとても辛く厳しいものでした。ですが私は全力で行いました。きっとここで手を抜いたら今までと変わらないと思ったからです。

    修行が終わると私は生まれ変わったような感覚でした。

    修行をしたことで私の弱い精神は鍛えられました。ありがとうございました。

     

    三日間の修行を通して

     

    昨年の秋に今働いている会社で役職が上がりました。年内はうまく仕事を卒なくこなしていましたが、年末の多忙と労働時間が増えた事なども重なり、今年に入って、メンタル不調を起こし、会社に段々と行けない日が多くなりました。そのような生活が続いた為、会社の責任者と通院している医師から少し休んだ方が良いのではないか、ということで、自分もなるべく避けたかったのですが、話し合いの結果、1カ月の休職することになりました。

    1カ月という期間で本当に今の環境から1人になって考えたいという環境が欲しかったのと、自分の弱い部分を少しでも変えたいという思いが強くなり、何がしたい考えた時にお寺で修行しようという考えになりました。なるべくなら行くのに近い方が良いと思い、関東で探したところ、天光寺のホームページを見て、自分がしたいと思う修行内容と一致したことから、二泊三日での修行を申し込むことにしました。

    午前中に関しては、真言宗のお話と基本的なルール、作法についての教えを受け、昼食をはさんでお百度参りを行いました。早速、白い装束に着替えて説明を聞き始めました。その日は、台風の接近もあり天気は雨ですが、柱から像まで片道20メートルを裸足で往復するという修行でした。

    ほぼ全力で走る為、何往復したか記憶はありませんが終わったときは、汗をかきましたが大変すがすがしい気持ちになりました。その後すぐに車で滝に移動し、滝行を行いました。こちらでもまず同様に作法から学び、入ることになりました。滝行に関しては初の体験だったので不安でしたが入ったときは、これは見た目よりも水が強く体にあたり、きついなと思いましたが途中からうまく順応するようになりました。念仏を大きな声で出すように心の中で意識すると、水の冷たさと水の強さが気にならなくなり、何分ぐらい入っていたかは分かりませんでしたが、同じ滝行の方々に「頑張りましたねー」と声をかけられたのが印象的と思った以上に耐えられたので、少しだけでも自分に自信が持てました。その後一人になり写経、写仏を行いましたがかなり長時間の集中力をようするため、自分にとっては、長時間集中力を保つことが大変苦労しました。その後夕食をとり、DVDを見終わったときには、21時を過ぎていました。就寝は22時でしたが、疲れていたのですぐに寝ることが出来ました。

    次の日、朝6時に起床し、洗顔後清掃を行いました。1時間半程でしたが汗をかき、すがすがしい気持ちになりました。その後、朝食をとり、瞑想に入りました。そこでは、腹式呼吸を習い、自分でも驚くぐらいのでかい声をだし、読経に進みました。あっという間に昼になり前日同様お百度参り、滝行、写経、写仏をこなしましたが初日よりもこなせるようになり自分に少し自信が持てるようになりました。普段、時間と仕事に追われ生活を当たり前のように行って月日を過ぎていましたが、今回の二泊三日の修行は日数的には少ないかもしれませんが大変様々な事が学べ、自分にとって大変に勉強になり、見つめなおすいい機会を得ることができました。復職後は、こちらで学んだことを取り入れて自分をうまくコントロールできることに活用したいと思いました。

    私がこの体験修行に参加しようと思ったのは自分の人生に生きづらさを感じていたためです。私はアダルトチルドレンの傾向があり、自分の本当の感情がわからず、ありのままの自分を愛することができないと言う悩みを抱えていました。何とか自分を変えたいと思い、わらにもすがる思いで参加を決めました。まず驚いたのは思った以上に山奥にあったことです。そして体験修行ではスマートフォンなどを最初に寺に預けるのでせわしない日常から離れゆっくりと自分を見つめることができました。1日目の1番最初に挨拶、食前食後など作法を学びました。日頃当たり前のように食事をしていましたがここにきて食前にお経や感謝を述べることにより改めてそのありがたさを感じることができました。

    お百度参りでは1日目は正直余裕を持って走ることができました。しかし2日目からは前日の筋肉痛さらには足の裏の皮もはげており1日目の倍以上にきつかったです。まだ現在2日目が終わったところなので明日はもっときついと確信しています。ただ自分の限界まで走ることによって無心になれて大きな達成感を得ることができるのは間違いありません。

    そして滝行は想像以上にきつかったです。見ている方と実際に滝に打たれている側では全然違うのだと知りました。まず夏にもかかわらず水温が冷たくて滝に打たれる前、顔・肩・胸に水をかけた段階で心が折れそうになりました。それでも「自分を変えるんだ」と、自らを奮い立たせて、勢いのまま滝に入りました。容赦なく頭へ降り注ぐ、滝は「冷たい」という感覚が1番最初で、次に「痛い」という感覚になりました。そして同時に「苦しい」という感覚になりました。お経を唱えるのも、命がけというくらい息苦しく、水は遠慮なく口に入ってきました。それでも強い決意を持って臨んだので自分の限界を越えた限界まで入っていることができました。滝から出た直後は急激な寒さにおそわれましたが、同時に心は清々しく、大きな達成感を得ることができました。

    それから、この体験修行では食事は、肉魚がほぼ入っていない精進料理だったのですが、味は美味しくて、決して物足りなさを感じさせないものでした。朝はお粥なので胃腸にも優しく健康的でした。

    写経も初めて体験させていただきました。正直、筆の扱いが苦手で漢字の細かい部分がうまくいかず、イライラもしてしまいました。その後の写仏は非常に楽しく取り組めました。写経との違いは自由さだと思いました。人によってどこから書き始めるかなどそれぞれです。無心に取り組むことができました。瞑想は楽しみにしていたのですがほとんど何も説明のないまま始まりただ音楽を聴いているだけなので、正直、家でやってる方がリラックスできるし、ほとんど変わらなかったので少し残念です。読経ではそれぞれのお経にはそれぞれの意味があることを学べて良かったです。

    今現在、二日目が終わろうとしています。自分の中で何かが変わったかどうか分かりません。まだ心のどこかで「早く帰ってビールを飲みたい」などと言う気持ちがあるのが正直なところです。来る前よりは自分を受け入れることができるようになっただろうか。わかりません。

    今はっきりと変わったと分かるのは、全身の筋肉痛だけです。とは言えあと丸一日あります。体は限界に近いですが残りの時間を後悔ないように精一杯、行に取り組み、少しでも何かを得て、帰りたいと思います。

    私が体験修行、特に滝行を行おうと思った背景は、後に詳述するがそう心に決め、関東で私の行ける日程で滝行・写経・座禅等を行える寺院をインターネットで検索したところ、天光寺が最も条件に合致。インターネットでの予約を受け付けており、日程も修行に臨む者が自由に日程を決めることが可能。また開始日のみならず、修業期間も修行者が決めることができた。

    修行の内容についても相談可能。

    インターネットのフォームに入力後、1日後に返信があり返電にて予約を確定。仕事の関係上日程を迷っていたこともあり来院2日前に確定した。

     

    体験修行を行うに至った背景

    簡潔に申し上げると今年に入り離婚したことと、30歳と言う節目の年齢であったことから禊的な意味と生まれ変わり、また心新たにこの先の人生を送りたい、主体的になりたいという気持ちからでした。

    自己肯定感が低く承認欲求が強いためか誰からも好かれたいと言う気持ちがあり、強引な人やいわゆる押しが強い人に弱く、プライベートではきちんと自分で熟慮し、決断しなかったためか離婚してしまいました。自分では倫理的、真面目に過ごしているつもりでも既婚者に誘われたり、職場でセクハラに遭ったりと不本意なことが続きました。厄除け等にも行きましたが自分の心の有り様、姿勢が正しくないことが原因と思い誕生日に滝行・読経・写経・座禅ができるこちらの天光寺にお世話になることにいたしました。

     

    修行を終えて

    私は修行受けた背景はこの通りでしたが、真理とは授かる、外からもらおうとするものではなく、自分と向き合い、宇宙の真理を心得、体得するものであると感じました。その手伝いを先達の修行者や僧の方々にいただきながら行うのが修行と思いました。いかに主体的に、積極的に与えられた生を生きるか、これからより向き合っていきたいと思いました。

    まだ序の口と思うのでまた修行を経験したいと思います。ありがとうございました。

    このたびこのような体験をさせていただき誠にありがとうございます。今まで自分自身をしっかりと見つめ直すきっかけもなく、そのまま何も考えることなく人生を送ってきました。

    そんな時にふとしたきっかけで検索していて見つけたのが、天光寺さんのホームページでした。もしかしたらこういうのがきっかけとなり、今までの自分から脱皮し、新たな自分自身に気づき向き合えるのではないかと思い申し込みました。仕事でも今までずっと飲食業を行ってきましたが、色々とあり約2年ほど前から友人が経営しています。施工会社で働くことになりました。そのきっかけは以前自分の店を頼んだことがありその店がだめになり、バイトを掛け持ちしてるところを社長に声をかけていただきました。

    正直最初はたかをくくっていて多分自分なら少しの時間で仕事の内容を覚え、会社のためにてきぱき働いているつもりでしたが一向に仕事内容が覚えられずに、道具、段取り、その他色々と一度は説明していただいてるにもかかわらず次のときにはそのやり方を忘れてしまいました。そのやり方を再度聞くと言うことを数回もしてしまいました。

    そして気が付くと間違いを犯してしまい会社に迷惑をかけていたのです。今までやってきた飲食業では決してないことで、まさか自分がこんなに仕事ができなく、覚えが悪いと思いませんでした。それを自分の勉強不足、努力不足にも関わらずに、周りの人が直してくれないからと人のせいにしていたのです。コミニケーションも以前から初対面の人は苦手でしたがまさかここまでコミニケーションがとれなく仕事に影響しているのはと驚きました。

    その自分の気持ちがどんどんマイナス思考へと変化していきどうせ俺なんて何もできない。僕が何か言ってもどうせ聞いてくれないだろう。など数多くのマイナスな考えが頭から離れず、仕事が全くうまくいっていませんでした。そんな自分がこの仕事についてだめなところ、嫌なところが明確にわかってきていつも変えなきゃダメだと思ってはいて次の日から変わるぞと言う気持ちで仕事場に行ってもまた小さなミスをしてそこからすぐにマイナスな自分が出てきて悪循環な毎日でした。本当にこの会社に必要では無いのではないのかと考える始末です。

    そんな弱い自分自身を変えたく色々と考えたりインターネットで調べていくにつれ滝行などが良いのではないかと思っていたら天光寺のホームページを見て「これだ」と思いました。

     

    このようなこと、きっかけがない限り自分自身は根本から変わらないと思っていたのです。最初に滝行に行ったときは、すぐに出てきてしまい情けなかったです。それも、呼吸法など習った後に滝行に行ったら前日よりも少し長くできてとてもうれしく思いました。また、声をしっかり出さなければ伝わらないと言われ、腹から声を出していったときはなんだかスッキリとした気持ちになりました。この声出しは会社でも挨拶はするけど小さいためか周りに伝わっておらず気付かなかったなどと言われた時もあります。やはり、しっかりと周りの方々に感謝の言葉をしっかり伝えて気持ちを言葉に出すようにしたいと思いました。そして、住職の言葉にもあったように分からないことはわからないとはっきり言って、曖昧な返事はしないようにしたいと思いました。そして、できることは率先して行い、人が嫌がることを自分から率先して行える人間になりたいと思います。そして、頂いた資料の中にある「キーワードを参考にあなた自身が求める人間像」をみて1つでも多く自分自身ができるような人間になりたいと思います。そして、これからは必ずマイナスな言葉は絶対に出さないと決めました。それによって、自分が影響されてますます自分や他人の運勢を悪くしてしまうからです。今回の二日間の体験を経ていろいろなもの、考えを教えていただきました。

    この経験を生かして明日からの自分自身の人生をより良いものにしていこうと思います。頂いた資料を日々自分でも見て確認して実行して行きたいと思います。今回はこのようなすばらしい体験ありがとうございました。またなにかあったときには修行させて頂きたいと思います。皆様本当にありがとうございました。

    あいにくの雨となりましたが滝行というものに興味があったので友人に誘われて、こちらで体験させて頂きました。滝行に入るには、入る前のお百度参りやごあいさつの作法を学び般若心経を唱えたりと日常生活では体験できないものがたくさんありました。本番の滝行では6月ということもあり、緑鮮やかな山の中を登ること4分で滝行の場所に到着しそこでも滝に入る前のお清めなどたくさんのお約束事があり、それを見るだけでも身が引き締まる思いがしました。

    いざ滝に入ってみると初めは冷たい水と水の勢いで驚いてすぐに戻ってしまったのですが落ちついて入りなおしてみるととても神聖な気分になりました。初めは、立って背を岩につけ数分、そしてあぐらになり数分、一人ずつのために他の方のことも考えて早めに出てしまったのですが、滝行はとても気持ちのいいものでした。時間が許せばまたゆっくり、体験をしてみたいと思います。滝行までの案内をして下さったスタッフの方にも感謝です。

     

    以前に大学の先輩がこちらのお寺で体験修行に参加し素敵な経験をすることが出来たと言われていたので、今回友人とお寺での修行に参加することにしました。

    体育会系の部活に所属しているので体力や集中力には自信があり、とても軽い気持ちで参加しました。お寺に着くまでの間、ここは本当に東京なのかと考えてしまうほど自然豊かで日常からかけ離れた場所のように感じました。

    お百度参りでは、雨が降っていたせいでとても寒くて凍えてしまいそうでしたが、始まってしまうとすぐに集中することができました。それでも普段の試合の時のような集中力とは違い、上手く言葉には出来ませんが頭の中が無になり不思議な緊張感と共に集中できていたように感じます。

    その後の滝行は、一番楽しみにしていたものだったので、少しでも長い時間入ろうと考えていました。しかしいざ入ってみると水がとても冷たく、水の流れも強くて少し不安になりました。それでも自分の前にしている方が笑顔で出てこられたので自分も頑張ろうと思えました。実際に滝行をしてみると、水の冷たさや滝の強さ以上に達成感や爽快感を味わうことが出来ました。本当に体験してよかったです。

    写経では、気付けば夢中になり必死で書いていました。極限の集中状態になっていたと思います。

    一日体験修行は、振り返ってみるとあっという間の時間でした。日常では絶対にできないいろいろな経験をさせてもらえて、少し遠かったけれどもお寺まで来ることが出来て本当によかったです。

    ありがとうございました。

     

    この度は有難うございました。

    興味本位で修行の申し込みをしましたが、参加することができて本当に良かったです。

    この短期間で自分自身が大きくなにか変化したかは未だ分からないですが、修行をする中で無心になり集中することは日常生活で体験できることではないのでとても貴重な経験になりました。

    仏法に関する話は自分には難しかったですが、もっと理解したいと思いました。

    自分自身のこころの変化によって物事も変化していくこと、忘れずに過ごしたいと思います。

    滝行で苦しくなってしまい、すぐに滝から出てきてしまったのが唯一の後悔です。また参加させて頂きたいです。

    ありがとうございました。

    私は、この度天光寺で精神修業を体験してみて行う事全てが初めての事でした。

    初日では、お百度参り、滝行、写経、「般若心経」を五十回唱えたりしました。

    お百度参りでは、雨が降ってきて、非常に寒かったですが、お百度参りを行っているうちに気にならなくなって今までにないくらい集中できたと思います。

    お百度参りの後、すぐに滝行に行きました。滝行は、途中まで車で後は歩いて険しい道を登っていきました。滝に着いて、他の人が滝行をしているのを見て少々不安になってきているうちに自分の番になってお清めをしていただいてメガネを外し、滝に向かいましたが、水は冷たく滝に近づく度に顔色が悪くなっていたと思います。しかし、滝行が終わってみると、清々しい気持ちで、他の人の滝行を心の底から応えんできました。研修生全員の滝行が終わり、下に降りて、テントで着替えて天光寺に戻りました。

    その後は、般若心経を五十回唱えました。般若心経を五十回唱えるのは大変で一時間以上も時間を使いました。途中から「自分は般若心経を唱えるために生まれてきたんじゃないだろうか」とさっかくするほど大変でした。その後は、夕飯でした。全員で準備して、食べた後、全員で片づけました。その後、その昼に五十回唱えた般若心経を写経しました。その日はとても大変な一日だったので写経中つかれでとても眠くてつらかったですが、何とか終わらせる事ができ、就寝の準備をして、シャワーを浴びて、一階の電気の確認やドアの戸締りをして眠りました。その日は本当に初めての事ばかりで、とても貴重な経験をさせていただいたと思っています。

    天光寺での二日目は、六時起床でお寺の方が起こして下さいました。その時に二日目のスケジュールを説明され自分たちが使った布とんを片付け、シーツをせんたく機でせんたくし、一階から三階の清掃を行いました。

    その後、朝食を済ませ、めい想をしました。

    めい想が終わった後、三禮が一番きつかったです。

    三禮は、三セット百回わりました。三禮が終わった後、休けいで、階段を使いましたが満足に階段を上り下りできなかったです。その後、先日にも唱えていなかった十三信を唱えました。十三人の仏の事を意味しています。その後、昼食を終え、に集まり天光寺の方に、とてもありがたい話を聞きました。真言宗は空海様という方がお作りになられたそうです。

    天光寺での経験は必ず、今後自分の役に立つと思います。

    私は会社での派閥問題から精神のバランスを崩し、心療内科でうつ状態と診断されました。転職を考えながらも会社に通う日々を送っていましたが、年齢のこともあり、一歩が踏み出せないままでいました。悶々としながら機械的にただ仕事をこなす毎日でした。

    自分を客観的に見つめ直したいという思いから、天光寺での修行を決めました。日常生活から離れ、一度冷静な目で、転職を含め将来のことを考えたいと思ったのです。普段眠れないことがよくあるので、天光寺でも眠れずうつ状態が悪化したらという思いもありました。他の参加者の方に迷惑をかけてしまったらという心配もありました。高尾住職に事情を話して相談すると、どうしても体調が優れないときに修行を無理強いすることは、一切ないとのことでしたので、思い切って参加させていただくことにしました。

    体験修行は挨拶作法やお百度参り、滝行や瞑想、写経など、どれも精一杯やらせていただきました。日常では体験できない修行を通して、よい意味で自分を見つめるきっかけとなったと感じています。3日間の修行体験を終えて、心から晴れ晴れとした気持ちです。自宅では眠れない日々もありましたが、天光寺での修行中は、修行疲れもあってよく眠れました。食事も野菜中心のもので、こういう生活を続けると心の健康も取り戻せるのではないかと思います。住職にも都度体調のことをお気遣いいただき、頭が下がる思いです。

    住職のお話を伺い、また相談もさせていただいた中で、転職活動に真剣に取り組みたいという気持ちが強くなりました。我慢して今の会社に居続けることも可能です。転職活動は逃げなのかではないかと、ずっと悩んでおりました。しかし自分が本当にやりたいことや、将来設計のことを考えても、このままの状態でいることのほうが逃げなのだと感じました。

    今回は仕事の合間をぬって、短い期間での参加となりましたが、できれば次回はもう少し長く滞在したいと思っております。この度は、何から何までお世話になりました。本当にありがとうございました。

    一泊二日で参加しました。

    仕事はタクシーの運転手をしています。
    私の両親は早くに亡くなり、一人子の自分は親戚がいません。
    結婚をして、子供を2人授かりましたが、ギャンブルで借金を抱え
    それが原因で離婚しました。
    色々とヤケクソになって適当に生きてきましたが、最近これでは駄目だと
    思い過ごしていた所、タクシーに乗って頂いた方からこちらを教えて貰いました。
    大きく変ることは無いと思いながら修行に入りました。
    指導して頂いたご住職やスタッフの真剣さに心を改めました。
    腹式呼吸や発声法を習い、初めてお経の意味を知りました。
    食事は、住職の手料理で美味しかったです。
    午後からはお百度参りから始まりました。早くも、三回目から
    先が遠く感じました。途中で止めてしまおうかと何度も思いましたが
    他の参加者さん達のお陰もあり何とか成し遂げることが出来ました。
    次は滝行です。紅葉も進み美しくなった木々の中に滝が現れました。
    入水開始。刺さるような水の冷たさに1分も入れなかったのでは無いかと
    思うくらいに痛く感じ、目も身体も心も引き締められました。
    「南無大師遍照金剛」と唱える声も震えました。
    瞑想の後に自然と
    自分の都合で置いてきた子供たちを思い出していました。
    写経に入り自然と今までの自分の過ちや愚かさを悔い、
    自分の関わりのある人達の幸せを心に思いながらさせて貰いました。
    残り少ない人生を、悔いの無い様に。
    そして、大きな事は出来ませんが何か自分に出来ることがあれば
    していこうと素直に思えました。
    ご指導戴きました皆様方どうもありがとう御座いました。
    また、伺わせて頂きます。

     

    私はこの度、自分の欠点ウソをつく事。ごまかす事。汚い事。
    をしない人間になる為の一歩として修行をさせて頂いております。
    何度も同じ過ちを繰り返し、他人を不快にさせて恐れらても直らない直せないため
    直すために、これまでと違う事をしなければならないと考えました。
    行うべきことの最初として心からの反省をし申し訳ないと強く思い続けていく事だと
    考えております。その為にどうすれば良いのか、たった一日ですが考え続けておりますが
    まだ自分で分かりません。どうしたら良いか、どうしたらウソツキが直るのか
    もちろん自分で考えるべきですがご教示いただきたく存じます。
    私がこの度修行を通して考えた事は、まず感謝すべきである点です。
    健康で家族に病人もおらず、食事、仕事、その他生活において問題があるわけではない
    自分に注意してくれる人もいる。感謝し続けるべきありがたいことです。
    感謝していれば自分を正す事ができるのではないかということです。
    不平、不満を口に出さず自分自身のせいであると考えて行動することも
    大事だと思いました。
    夜のDVDと滝行を行い感じたことは「がまん」することが自分には必要だと感じました
    知らない事は話さない。話したくても知ったかぶりにならない。
    自分は普通以下の人間であることを自覚し、大きく見せる必要は無い。
    見栄を張ってはいけない。ましてやその為のウソはついてはいけないし
    つく必要もない事を改めて思いました。
    ただ、前記のことはまえにも思っていたことでもあります。
    今回「がまん」については今まであまり考えてこなかった点ではありますが
    毎日の中で、またウソをついてしまうのではないかと思ってしまっております。
    毎日、朝、夜、思い出して今度こそは同じ過ちをしない。
    過去を申し訳ないと思い、感謝をしDVDでもあった「負けるものか」と自分に負けないと
    思い出し取り組みたいと考えております。
    どうしたらウソをつかなくなるのか、性根を直すにはどうしたら良いのか
    何度も裏切ってきて、もう一度信用して頂くためにはどうすれば良いか
    ご教示頂けますようお願い申し上げます。

    私は、会社でのミスで滝行に来る事になったのですが終わってみて、滝以外にも色々と体験出来て本当に良かったと思っています。

    滝はとにかく冷たいからキツイと思っていましたが、それ以上に入ってから息をするのが大変で出てしまおうとすぐに思ったのですが

    何とかコツをつかんで長く入ることができました。

    入っている間は、仕事のミスの事はまったく考えず、昔の自分の犯した過ちを思い出し謝っていました。

    この、行で償いたいと思い滝に打たれていました。そういった感情で滝行をやって良いのかわかりませんが

    本日の川もそんな思いで入っていました。懺悔した感じです。

    写経や写仏などの墨で字を書いたり、えんぴつで絵を描いたり小学生の頃自分まだ自身があった頃を思い出しました。

    絵を描くのは好きでしたので無中になれた感じです。

    それから、スピリチュアルな体験をした事がなかったので大変に驚きました。とりつかれた事が無いのか、とりつかれたとしても気が付かないのかは

    わかりませんが、目の前で当事者の方の話やら状態を見て本当になるんだなと、実感し少し興味も出ました。

    食事も本当に美味しかったです。薄味の料理なんだろうと予想していたのですが、ピリ辛だったり好きな味だったのも驚きです。

    みなさん、本当にご指導ありがとうございました。また来たいと思います。

    私は36歳で今は派遣社員をしながら生計を立てております。

    天光寺には月に3回から4回ほど修行のため訪れております。天光寺に訪れたのは今から3年ほど前のことです。会社が倒産し、新たな就職先でいじめにあい、会社を辞めました。新たな就職先が見つからず、妻とも離婚することになり、おれはもうダメだ。自殺まで考えました。友人から天光寺の体験修行に誘われて2泊3日の体験修行に参加しました。朝10時30分に天光寺に到着し申込書に記入し、行衣に着替え、挨拶の所作と真言を教えて頂きました。その後食事でしたが、料理が本当に美味しくビックリしました。午後はお百度参りと、滝行です。初めての滝行なので、冷たく、痛く、すぐに出ようとしましたが、大きな声で「まだまだ」と言われ戻されました。3~4分位入りました。出た後、体中がスッキリとして、今までの自分が情けなく思いました。また、住職の法話を聞き自身の甘さを感じとれました。その後月に3回から4回ほど天光寺に体験修行に訪れるようになり、今回は日本テレビの滝行の取材があると聞きました。楽しみにしていましたが、日本テレビの記者の取材は天光寺を悪者に陥れる虚偽の取材でした。天光寺の中に日本テレビのスパイが入りこんでいました。子供たちが御本尊大日如来の上に乗り祭壇から落とすのを見て、ビックリしました。このような背景には日本テレビが少年たちに天光寺が悪者にするように仕組んだ結果だと思います。天光寺で食中毒を起したと保健所に通報した者がいたが、通報したのは日テレの関係者だと思います。天光寺の厨房がどれほど衛生的に管理されているか見ればわかります。3日前に天光寺の体験修行に訪れた際、住職と1時間ぐらいお話をさせていただきました。日本テレビの記者とカメラマンは警視庁に刑事事件として受理され、本格的な捜査を行っていると聞きビックリしました。

    住職は日テレの記者の名前を公開し、動画の顔の「ボカシ」を外し、日テレの記者、カメラマン、日テレ本体に民事訴訟の準備をしていると聞きました。日本テレビの虚偽報道は許してはいけないと思います。

    二泊三日させて頂き有難う御座いました。

    心のもやもやが全て解消したか、正直まだわかりませんが、ここに来て良かったと心から思いました。

    神頼みに来たつもりでしたが、一番力になったのは修行僧の方を始め、ここに修行に来ていた方々の頑張っている姿を見て、自分自身も力をもらい、また頑張ろうと思いました。

    自分が人の力になれたのか分かりませんが、頑張っている姿を見せること、見れたこと、ひとに分けられるような人間になりたいと心から思いました。

    二泊三日お世話になった住職、スタッフの皆様有難う御座いました。

    また滝に打たれに来ますね!

    私はこの天光寺でお祓いをしてもらい住職からまだ身体の調子も心の調子も良くないから体験修行をした方が良いと勧められ体験修行をすることになりました。

    体験とは言えお寺の修行。

    とても緊張していました。

    四泊五日という長い期間だったのも不安を感じさせる要因の一つでした。

    体験修行でまず行ったのが滝行。

    滝行に行く前に住職から心を清浄に洗い流してくれるものと聞いていたので不思議と緊張感は無く、寧ろやる気に満ちていた状態だったことを覚えています。

    しかし、いざ滝に入ってみると水は冷たく勢いは激しく入る前の想像を超える苦しさでした。

    私は四泊五日の間で四回滝行をしました。

    毎日少しずつ長く入れるように挑戦する時間はとても充実していました。

    滝から出た後は必ずすっきりとした気持ちになれ良い経験でした。

    また入りたいです。

    その後体験したのが写経、写仏。

    ただひたすら文字や絵を写すことはとても心が落ちつきました。

    瞑想や読経もやりましたが正直とても大変でした。

    でも修行をしている充実感があってよかったです。

    修行のメニューは全体的に大変なものが多かったですがその分頑張り甲斐がありました。

    体験修行に来る前の心配事だったのですがお寺なので食事は白米と漬物のみとかを想像していました。

    しかし、実際は本格的な精進料理で味は最高においしく、衛生管理も

    しっかりしていて安心でした。

    日本テレビの報道であったようなことは一切無く安心して生活を送れる環境でした。

    住職が暴力を振るうようなことも無く、寧ろお忙しい中で空いてる時間にお経を教えてくれたりとても親切な対応でした。

    私にとって修行より貴重な経験になったのが人との出会いです。

    私のようにお祓いをきっかけに来る人もいれば自分を変えたいと思い来る人などいろんな人がいました。

    その人達と関わりあって話した時間はとても素敵でした。

    本当にいろんな経験が出来ました。

    ありがとうございました。

     

    一泊二日という大変短い間でしたが、高尾聖賢先生、直接指導頂きました、新井様、そして、皆様には、大変お世話になりました。ありがとうございました。

    日々の仕事や、家庭で生活の中で、何か満足できないもやもやした感じがありました。仕事では、精一杯やっているようで、結果につながっていないことが多く、達成感が、感じられません。家庭では、日々の忙しさを引きずって、イライラしています。そんな、日常を、気持ちを、変えるきっかけをつかみたいと思い参加致しました。その後、参加されている方々からお話を聞くと、きちんと考えを持たれて参加されていて、私の動機は、まだ、甘いと感じました。

    この二日間は、初めての体験の連続でした。水行で冷たさに耐えている時、滝に打たれて、息ができないながら、「南無大師遍照金剛」と声を出している時、お百度参りで暑さと流れ落ちる汗に耐えている時、私は、「まだ、終わらない。もうすぐ終わる。」と自分で思いながら、ただ、頑張っているだけでした。この時間を、やり過ごしてしまえばよいと考えていました。

    修行というものが、どのような気持ちで臨むものなのかわかりませんが、私は、やっぱり「体験」でした。これだけで、きっかけがつかめるようでしたら、真摯に修行されている方々に申し訳ないと思います。では、これが、無駄だったというとそうではありません。何事もやって見なければわかりません。やってみたからこそ、自分は、少し甘くないかと感じたのですから。それから、川や滝と一緒に自然の美しさは素晴らしかったです。滝行の時、虹がかかって、これも感動しました。

    また、修行を続けられる秘密をもう一つ知りました。食事がとても美味しいことです。

    正直、びっくりしました。有り難かったです。

    先生から、日本テレビの件をお聞きしました。彼らは、はじめから、悪者を作るつもりで来たのですから偏ったでっち上げた内容になったのでしょう。修行で来られている方々、体験で来られている方々から少しでもきちんと話を聞いてみれば、真摯に取り組んでいることに気付き、自分たちを恥じたに違いありません。

    それから、いろいろとアドバイスしてくださった、石井さん、共に頑張った、小山さんには、大変感謝しています。人数が少なかったので、絆ができたように思います。ありがとうございました。

    最後に、皆様のご多幸をお祈りしております。

     

    体験修行に申し込んだのが興味本位だったため、最初は浮ついた気持ちで本堂に座りました。しかし、発声や作法の修行をこなすうちに気持ちが切り替わりました。お百度参りや滝行も体験させて頂きましたが、初めての経験だったので、見よう見まねで何とか修了しました。お百度参りはは想像以上に過酷でした。体力には自信があったのですが、後半は上手く口が回らなくなるほど、疲労が溜まりました。滝行では、先ず滝が放つ圧力に驚きました。実際に、滝に入ってみると、最初は衝撃に心が折れかけますが、それはほんの一瞬で、慣れると自然と一体になったような感覚を得ることが出来ました。衝撃に耐えようとするのではなく、一体となって受け流すという考え方は、滝行だけでなく、社会の中でも大切な生き方になるのではないかと思います。様々な修行をこなす中で疲労も溜まりましたが、その分、夕食がとても美味しく感じられたのが印象に残っています。食事自体は質素で、素材の良さを生かす程度の味付けしかされていませんでしたが、充分満足することが出来ました。普段、食事の際には、味や見た目にばかりき気を取られ、食材そのものに感謝することを忘れがちです。今回の修行では、食材を育ててくださった方、また、食事を作ってくださった方、そして、栄養となる食材そのものへの感謝の必要性を再認識することができました。貴重な経験をさせて頂き、本当に有り難うございました。

     

     

    お母さん、お父さん、桃音、いたずらとか、反発してごめんなさい。自分が悪いのにも関わらず、親のせいとか、自分は悪くないとか言ってごめんなさい。自分がすべて悪いです。すべて自分のせいです。でも、わざわざ高いお金を出して、お寺に行かせてくれて有り難うございます。一人暮らしの大変さも良くわかりました。とても良い経験になりました。親は厳しいとか言ってたけど、本当は、自分を良くする為に注意してることが良くわかりました。親より寺の方がとても厳しかったです。家の方が甘いことが良くわかりました。これからは、もっとお手伝いもします。勉強もしっかり決まった時間分やります。ちゃんと学校も休まずに行きます。部活であったことも自分がもっとしっかりしていないとダメだなということも分かりました。自分だけが苦労してると言ってたけど、親の方が自分のもっと数倍ほども苦労しているというのがよく分かりました。このお寺を通して、様々な経験が出来ました。まず一つ目は一人暮らしと同じような作れたこと。二つ目は滝行です。滝行は初めてやったけど、けっこう痛く、でも心が洗われている感覚になり、心が無になりました。三つ目は、仏教に触れるという事です。仏教と言っても、様々なルールや決まりがあるということも初めて知りました。例えば、食事の前に言う言葉とか、滝行とお百度参りに行くときの挨拶や儀式がありました。すると、今まで考えてたことは、すべて違うんだなと思いました。自分は親が嫌いで離れたいと思ってたことが、親は良い人で、助けてあげようという気持ちがあることが良く分かりました。一日目の夜から、親は本当に行きたかったのか思ってから、だんだん自然と寂しくなりました。一日目の夜は、一人で広いところで寝ました。なかなか眠れなくて、何度も起きては朝か?とか思い、本当に寝れませんでした。今では自分のベッドが恋しくなり、早く家に帰りたいなと思います。今でも悲しく早く帰りたいという思いで、涙が自然と出ます。早く帰りたいです。自分の家に帰りたいです。自分の親は優しいと、みんなに自慢したい位です。早く家に帰って、玄関で、ただいまと言いたいです。お母さん、お父さん、桃吉、本当にごめんざなさい。すべて自分が悪いです。反省しています。自分は馬鹿でアホで何よりも大切な親と妹という大事な存在の人を傷つけていました。本当に申し訳ないです。これまでにあったことをすべて謝ります。すべて何もかも自分が悪いです。お寺はとても大変だったけれど、協力や結団力などを学びました。そして何よりも家族の愛情は大切だということを学びました。もう親も妹も困らせたくありません。みんなで楽しく、仲良く、生きていきたいです。汚い字ですみません。でも本当に、この事は反省しました。また、もとの家に帰りたいです。今すぐにでも帰りたいです。よろしくお願いします。

     

    私は今回、勤務する企業の教育訓練として体験修行に参加しました。

    まず始めに作法について学びました。修行の時も、食事の時も、神様に感謝の気持ちを忘れてはいけないことを改めて学びました。お百度参りと滝行では、後半で全力で走ることが出来ず、滝行では滝につかるまで時間がかかりました。今後は、日常生活においても、全力で取り組めば、願いは叶うのもと、一日一日を大切にしていきたいと思います。今回、私は、企業教育の一環で、体験修行に参加しておりましたが、個人として考えなければならないことが多くあったことを痛感しました。残りの人生は、何事にも全力で取り組み、生まれてきたことを感謝できるようにしていきたいと考えました。

    一泊二日、体験修行、有り難うございました。

     

    大学2年になり、学業もなれていい加減になっていた僕にある時お母さんから「小・中・高真面だったのに国立大入学してからいい加減になったわね」と言われ、父親に修行をしてこいと言われいやいや参加することにしました。入寺してからスマホを回収され、いろいろ制約が多い中自分とみつめ合うことが出来ました。また高校までは県選抜に入ってたのですが、大学に入学してからスポーツをしなくなり、走れなくなりました。その状態の中、お百度参りは最初はやるのが嫌でしたが、やる内に力が出てきてやりどけることが出来ました。

    また滝行では入る前冷たく嫌でしたが、入ってる時に体内から熱が出てきて寒いという気持ちがなくなり、そして全てがリセットされ、

    体も軽くなり、有耶無耶が消えました。

    1泊2の修行で嫌なこともありましたが、僕より前から修行された高校生とも仲良くなり年齢を問わず、交流できて楽しかったです。

    次は友達と一緒来たいと思います。

     

    1泊2日の体験を通じて感じたことは、この道はとても厳しいものだったと言うことです。覚えなくはならないことも多いし、

    何より滝行は本当につらかったです。

    水圧が強いことも勿論ですが、水の冷たさがきつかったです。サイトの画像でこれを冬に行っているのを見て改めて

    仏道は厳しいものだと感じました。お百度参りも体力が必要だし、精神と身体両方が成長できる場所だと思いました。

    1泊2日と短い時間でしたが、そんな修行の一部が体験できたのは光栄なことだと思います。

    今後の人生のプラスに出来るよう努めたいとおもいます。

    僕は今までめんどうくさいことはやらない、辛いことはやらないなどという風な考えをしていて,楽な方へと流されていました。その結果自分をコントロールできず、楽なことだけやるなどというような状況にになっていました。ですがこの寺にきて、嫌なことでも我慢してやることの大切さが完全ではなくても、自分なりに分かった気がします。

    朝のそうじ、服のアイロンがけやたたむ作業、お百度参り、滝行、風呂そうじや食事の準備など、辛いことやめんどうくさいことはいくつもありました。ですが、終わった後の達成感はとてもすばらしいものでした。

    滝行も始めの方はただ辛くて出たいと思い、それこそ10~15秒しか入れませんでした。しかし、やっていく内に「どうせやるならできるだけ長く入ってみよう」そんな考えができました。

    他のことも「どうせやるならがんばってはやく終わらせよう」という考えができるようになり、一時の我慢の大切さを感じました。滝行の場合は最初の方は冷たい、でも次第に身体がなれていって滝の水も気持ちよく感じられるようになる、さらに毎回入る時間が増えていくことで自分も嬉しくなる。そんないいことがありました。

    他のことでも、やっているときは辛いでも、終わった後に達成感を味わえるし、はやくちゃんとやれば、その分自分が休んだりすることのできる時間が増える。こちらもいいことがありました。

    今まで僕は勉強や生活において、しっかりと我慢をしてやったことがありませんでした。

    しかし今回、我慢の大切さを知ったので、それを実践してみようと思います。

    勉強も良く考えれれば、我慢して短時間でやればテストでいい点がとれ、さらには終わらせた後、自分が好きなことをすることができる時間を作ることができます。

    このことに気がつかせてくれたこの寺、そしてこの寺の方々に感謝しています。僕はこれからしっかり我慢をして、自分をコントロールできるようになろうと思っています。

    本当にありがとうございました。

    僕は天光寺が、すごくよい場所だと思いました。ネットでは、来てもいない人が悪いことを言ったり、ニュースでも悪いことばかりで、ふしぎに思いました。

    食事はみんなで、机をふいたり食べたものを運んだりしていて、食事の前には食べ物に感謝をこめていたので、すごく良い事だとだと思いました。

    そうじもろうかやトイレ、本どうなどもすみずみまできれいにしていて、すごくよいと思いました。

    なのに、ネットなどでは行ってもいない人が、悪いことを書いたりしていてそういう人たちは、なぜ天光寺を悪く言うのかふしぎに思いました。正直むかついてしまいました。

    住職さんにはいろいろな事をおしえていただき、この五日間ですごくよい意味で変れたのではないかなと思いました。

    滝行は、できなかったのですが、写経・写仏がすごくできて、本来の目的でもある集中力アップが自分の中ではすごくできたと思うので、良かったです。

    般若心経がどうしても覚えられなかったので、覚えられるようにしたいです。光明真言は覚えられたので良かったです。

     

    天光寺に来てから、16日が過ぎました。勉強道具をドリルを添えて送ってくれて、本当にありがとうございます。勉強の方は送ってもらってから、4~5ページずつやっていたのですが、最近は写仏・写経などしていて、あまり勉強していませんでした。

    時間を作って、復習をしっかりします。1日1日を大切に言われたことなど意識を確り持つことで、よい意味で自分の考え思い方などをあらためようと、毎日思っています。前まで信じていなかった見えないものの存在も、自分の中で本当にいるんだと変りました。

    その理由やキッカケは、何と表していいのか分からないのですが、天光寺での除霊やお祓いを見て聞いて、改められました。そういった見えない者にねらわれたり、とりつかれたりされないために、良い意味で自分の心や考え方を持ち、積極的に取り組み天光寺で過ごす一日一日を大切に、良く考え自分の中にいる悪い者や悪い考えなど、滝行や川行など様々な行を通じてその行に何の意味があり、どういう風な気持ち考えで取り組まなければならないのか、よく考えて行に励んでいます。

    他にも真言などに、どんな意味が込められているのかなど考えて、取り組んでいます。瞑想では自身の心、体もそうですがゆっくりと落ちつかせ、感謝・反省・懺悔することで、まず何が悪いのかったか、何にどんなことに感謝しなければいけなかったか、落ちついた身心で考えることによって、前には至らなかった考えや感謝や思いなど、反省することがたくさん思い出され悔やんでいます。

    そして、一番大切だと改めて思ったことや、同じ過ちや同じ失敗を繰り返さない。失敗してから学ぶこともたくさんあるが、その後にどういった行動をするのかなど、とても大切だと思います。自分が今感じたことや思っていることや自分は少しでも変化しつつあるのか、自分は本当に家族として認められるのか、お母さんは本当にやさしいでも今まで自分がしてきたことは、一番してはいけないことだった。だから自分に出来ることは何だったか、ふり返って考えている所です。

    自分がこの天光寺に居られるのも、家族のおかげでもあり周りの人達のおかげで、過ごせる一日一日を悔いのない生活にし、常に正直な気持ち思いやりの気持ち、自分がやりますという奉仕の心や素直にごめんなさいと言う心など、今まで欠如していた考え方をしっかりと学び考え気づきを大切にして、過ごします。いつも本当にごめんなさい。毎日とても、感謝しています。そして、体調や体に気を付けてください。本当に、いつもありがとう。

     

     

    三泊四日の体験修行は、初日の挨拶作法では普段知っていながら実生活では行動できていない自分に思い当たり、大切だと考えたことを行動していくことがいかに大切か、しかもそれが基本的なことだと思い、いつの間にか基本も忘れていたのだと気付きました。

    写仏は集中力を高めることと、一つのことしか行わないということが、普段仕事や家庭や将来のことをあれこれ考えてしまう思考を止めて、脳の別の部分を使っている感覚が心地よかった。

    いつもの生活の中に写仏を取り入れても、同じ効果が得られるであろうか、法話は仏教がインドから来ていると知った。私はヨガなど遣っていることもあり、今回天光寺様にお世話になっているのも偶然ではなく、引き寄せられたのではないかと思いました。

    住職の話は一時間半有りまたがとても分かり易く、エピソードも交えて面白かったです。特に自分に残ったエピソードでは、「己を知ることが大切」と言うことでした。

    信念・気迫・根気~自分を知った上に構築していく瞑想は、無になる時間は一分も持たない。考え過ぎる、無とは何かと言うテーマになってしまっている。1-1=0、確かに0に成れば何でも受け入れられる。

    十三仏真言・般若心経は、私がカラオケに行くと寝たふりをするほど、音痴だということを思い出させてくれたりもしました。

    滝行・川行では、意識の使い方を他に向ける。意識と、身体を分ける。身体を、意識で使う。自分の意識を体現してくれているのは、自分の体だけだから身体は大切にする。本当に身体には感謝し、意識は身体と別に成長させる。

    全体を通して感じたのは自分は複雑に考えすぎだと言うこと、あれこれ有り過ぎて力が分散している。生きる目的をシンプルにとらえて行動したほうが良い。シンプルに考えれば私の体が全身全力で応援してくれる。五感を使うことで体を知ることが出来た。まだ未熟ではあるが、体内スイッチを押せば目的に近づくと確信をしている。等々でした。

    みなさん、ありがとうございました。

     

    平成二十九年五月四日より三日間、大変お世話になりました。滞在中は、お百度参りや滝行や川行や、写経・写仏を書き込み光明真言の復唱を体験させて頂きました。

    体験修行の参加目的は、「自分の内面を見つめ生きる目的と向き合う」ことでした。自分の人生において、何度目の修行か失念してしまったが、今回の修行は希望していた自分の内面と向き合うものでなく、外部の刺激などで肉体を行使する精神修行に、多くの時間を使いました。

    三日間の滞在で気付き得たことは、繰り返し行う力である。行う対象が、写経・写仏・お百度参りであろうと繰返すことで、前回の自分よりも微々たることながら自己成長を体感でき、無意識に自分のエネルギーに成っている感じを感じました。

    対象物が何であれ、極めた方が発するオーラや気概などは、繰り返し行われた修行の成果が生むエネルギーなのであろうか、そう強く感じることが出来る三日間の滞在でした。また、意味を理解できず繰り返して何かを行うことで、自分で意味や目的を見出し納得させることが出来ました。本当に体験をする炉いうことは、自分で意味を見い出すことなのかも知れないです。

    自分は東京を拠点にビジネスを行っており、日々の生活で修行を行うことは難しいが、日々の生活でも真摯に毎日を繰り返し、エネルギーの有る人間になって生きたいと、今以上に強く願えるようになった三日間でした。

    お世話になった皆様方、本当に有難うございました。

     

     

    大学に進学はしましたが大学の講義にもついて行けず、学内サークルにも誘いは有っても入会もせず、立ち寄るところもなく大学と自宅を往復するだけの毎日でした。顔見知りはいるのですが、友達と言えるまでの同級生もいないままに、大学生活を過ごしていました。

    天光寺の体験修行は、学内食堂の掲示板に張ってあった広報誌に、「滝行を受けて、向学心を持とう!」と言う表題に目を奪われました。

    滝行とは何か、向学心は分かるが滝行とどのような関係が有るのか、分からないが気に成るものでした。受け付けは、学内同好会館の一部屋で、覗くと何人かの部屋の中にいて懇談していました。

    入り尋ねると、一回目の体験修行は終わっていましたが、2回目の体験修行に空きがあり申し込むことが出来ました。

    申し込むに際して、いくつか質問したり質問を受けたりしましたが、何か受け入れられるような雰囲気があり、申し込みました。今回の体験修行はクラブや同好会ではなく、個人の企画した提案で、精神修行を体験し修行できる企画でした。申し込んでは、同級生や先輩もまじえ初めて学内で話しできる方が出来、嬉しい思いをしました。

    学部や学年や趣味思考が違えども、体験修行をすることは一致した私たちは、予約した日時に電車に乗りバスに乗り換え天光寺に着きました。

    これから始まる修行では、大学生活中に困難や悩みや様々なことに負けないためにも、体験修行をして心身を清め充実した日々を過ごすための、修業をすると説明を受けました。期日は三泊四日で、外界から離れ修行体験するものでした。体験内容の説明では、言葉挨拶から始まりお経写経や仏様写仏や、お百度参り滝行川行や、瞑想や法話と盛り沢山でした。

    修行は滝行ばかりでなく、付属する様々な行を行いあっという間の体験修行でした。今までは知りえなかった体験であり、清々しく爽快な体験でもあり、私達以外に参加して来ていた方との懇談もあり、外界とは閉ざされていたにもかかわらず寺院内での修行体験者交流で、厳しくも温かみのあるものでした。

    私個人としてはリピーターとして、年に何度か参加して我が身を充実整えるためにも、天光寺に訪問したいです。

     

    ぼくは小学生ですが、朝はねむたいし朝飯はあまり食べたくありません。お父さんお母さんは、ぼくがふとんに入ってからもゲームばかりしているので、朝も起きないし朝飯も食べないといっていつもおこります。ゲームばかりと言っても、ゲームで勉強することもできると言うのですが、分かってもらえません。漢字や算数や歴史など、いろいろ今ではたくさん勉強できました。

    親はゲームをしないので、ゲームでの勉強をしんようしていませんが、遊びだけのゲームだけでなく勉強できるゲームがあることを、知ってほしいです。学校には仲良しの友だちもいるので、きらいではないけど眠くなることがおおいです。先生からは勉強じかんで寝ることが多いと注意されますが、そのことを親に言われるとおこられるのできらいです。天光寺では大人や子供が何人もいて、みんなでお寺の勉強をしています。眠くなることもありますが、がんばりました。

    習字では、なんども知らないむずかしい字を書きましたが、自分が書いたものは自宅にもって帰って大切にするように、お寺の住職さんからいわれました。三日四日のお寺での勉強でしたが、大きな声を出したり同じお経をなんども勉強したので、むずかしいお経のことばをいくつかおぼえました。

    テレビやゲームやマンガの本が、お寺ではなかったですが、お寺での勉強やお兄さんやお姉さんや、おじさんおばさんと話ができたことは良かったです。お父さんやお母さんと話をすることが少ないので、うれしかったです。

     

    去年まで自衛隊で勤務していて、就職紹介で就職しましたが、高校を卒業して直ぐに自衛隊に入り、今では紹介された企業で勤務しています。自衛隊と違い民間の企業は、利益優先なので中々馴染めず、悩んだりすることもありますが緊張しながら頑張っています。

    天光寺での体験修行は、勤め先から新入社員のための企業外研修との意味合いもあり、参加しました。総勢6名での体験修行でしたが、初めは寺院での研修と聞いていたので、何をするのかが分かりませんでしたが、修行をしていく過程で社会人としての基本を教え込まれました。自衛隊との違いは、民間なので大らかな修行体験ですが、節度ある体験修行でした。

    内容は、挨拶に始まり所作に続き、お経の朗読や写経による心身の落ち着きを養うことや、瞑想による感情の落ち着きをも養い、お百度周りで足腰を使った走りこみの後の滝行で、全身を清める修行で体験した。

    今回は体験修行と言われましたが、奥が深い修行であり中身は広い修行でもあると感じ、何か引き込まれる体験修行に、参加して良かったと思うばかりでした。出された食事も美味しくいただき、想像していた食事と違い微笑ました。

     

     

    都会に行くと人が変ると言われましたが、都会に夢を見たわたしは学校を卒業すると、実家を後に都会に出てきました。都会で過ごす楽しさや、都会で知り合える人々とは多くの刺激や交流で、あっと言う間の経年が過ぎていきました。

    私は今、三十路半ばになり振り返ることを知り、都会に出てきたころを振り返り当時の写真などを、アルバムの中から多くの思いを感じて感じ取っています。職場をいくつか変えたことも有るのですが、都会には都会人でなく地方の方の集まるところが都会という事を知り、真の都会人は少なく多くの地方出身者が蠢いている所が都会と言うのだと言う現実も分かりました。

    心境の変化なのでしょうか、ふと田舎を思い出したり珍しく電話したり、今までのはないことをし始めました。三十路で独りからなのか以前違い、交流できる友人や知人も少なくなって来ていることや、鏡に映る自分の素顔を見るたび想う微妙な老いが出てきていることに、驚かされました。

    ある著書で、人は外見でなく中身であると言うことを読んだ記憶から、以前であれば何も感じない心の中に芽生えた言葉を思い出したのも、体験修行を申し込む理由になりました。中身となれば、人間としての勝負と言われます。自分では果たしてどれだけの者なのかを知りためにも、体験を果たしました。体験は三泊四日でしたが、天光寺での体験では充実した教えや体験を通して、実のあるものでした。

    今まで感じたこともなかった、決断力を積極性を五感を活用することなど、目から鱗でした。自分を信じることや、相手への思いでは見返りのない愛情から自分自身を癒すことなど、得るものがありました。またの参加を思いつつ、感じ入った体験修行でした。

     

    今回私はこの体験修行を、夫婦で体験参加させて頂きました。結婚して6年経ちますが、今以上の結婚生活を維持するためには、何が足りないかを学んだり体験したりすることで、夫婦関係を見直す機会にしたく参加しました。

    修行では声の出し方から始まり、挨拶の仕方と基本の所作をお教え頂きました。教え頂いたことで、今まで知り得なかった夫婦でも相手に感謝することや、明確な言葉の伝達でお互いを認め合うことなどを知りました。

    私たちはお互いに仕事を持つ、共稼ぎ夫婦のため時差や行き違いがどうしても多くなる家庭でした。実のところ、住居のローンや今しか出来ない貯金等を考えた結婚生活なのですが、このままでは煮え切らないものがありましたので、天光寺の体験修行に参加した経緯があったのです。

    妻とは友人の紹介で知り合い一年後の結婚しましたが、どうしてもまだまだ遠慮がある生活をしています。よく言えば新婚生活みたいですが、子供も居ない夫婦二人の生活で潤滑油ではありませんが、実質的に他人から夫婦としての在り方を考える時期と判断しての参加でした。

    週末を利用した、わずか二泊三日の体験修行でしたが、初めて知るお互いの所作や行動に関心しました。妻も私の所作や行動や行いに興味を持ったのか、自然な笑顔を見せてくれました。他人同士が夫婦になるという事は、紆余曲折がありますが今にしてみれば体験修行で、分かり合えた様々から夫婦生活や家族生活に、頑張れるようなものになりました。

     

     

     

    今回体験修行を体験させて頂きましたが、挨拶の作法で朝の挨拶や行の挨拶や食事の挨拶や就寝の挨拶と、声だし発声法や瞑想からお百度参りや滝行を体験して、更には写経や写仏や法話と盛り沢山の内容を消化してみて、今では誇らしく想っています。

    初めは自信も無ければ、どのような修行であるのかも知らないままに、天光寺の体験修行に興味本位で申し込み参加しましたが、今は反省しています。住職からは、ありがたい法話を聞いては涙が流れましたし、挨拶にも様々なものがあり、一つ一つに意味があるという大切な挨拶でした。

    体験での詳細は、人によって感じ方や考え方や一念が違うと思いますが、私の感じ入った修行体験では、お寺から一般社会に戻っても通用するものばかりだったので、リピーターになる覚悟もできましたし、今では天光寺は真言宗のお寺とのことですので、今までは無かった宗教的なことを含めた教学等も考えています。

    腹から出す発声法も、相手に通じいる言葉も、食事も就寝も修行であり、お経を朗読するだけと想っていた宗教体験と違った、本物の修行を味わったことには感謝でした。話はそれますが、体験修行期間ですが、多くの方は一週間以内の方々が多いと聞きましたが、中には何らかの事情からか天光寺に数ヶ月から数年滞在しながら、行を行い外界から離れ体験でない本物の修行に入り、精進の志願をされる方も居て自身を磨き上げる方の存在に、感心しました。

     

    俺は家族や子供達と別れ故郷も離れて、都会に独り上京して来た者です。都会では知り合いもいないので、できる仕事を何ヶ所か探し回り今の仕事に転職生活しています。都会に出てきた理由は、私個人のこともありますが、大きな原因としては災害(地震)に見舞われた田舎での生活を諦めたことで、家族内で言い争いになってしまったからです。

    震災の復旧のめども立たず、呆然とした毎日に絶望感もあり、新天地を思いあまっての言葉から言い争いになり、むしゃくしゃした私は独りの決断で都会に出てきたのです。なれない土地と水で体調を壊したりもしましたが、今は生活に慣れるための頑張っています。

    上京して既に約三年経つも、心の中に開いた風穴ではありませんが、無性に寂しさも感じたりしもたので、強い精神力を付けたいためにも体験修行に身を置きました。修行では、宗教的なお経の朗読だけと考えていましたが、実際には滝行や写経や法話や瞑想で、心身を修行で洗われました。

    行では今までに知らないことばかりでしたが、こんなに素晴らしい教えがあったのかと感心し、今では何冊かの著書も読み、人としての歩みを考えたりもしています。家族や子供達との再会も、今では心なしか考えたりもしています。どのような結果になるかわかりませんが、私の人生内の出来事として、修行での教えを守り学んで行きたいです。

    天光寺での体験修行は、頭(頭脳)だけでなく身体に教え込むような教えがあり、新鮮さもあり感動もしました。今後は心眼を開かせる、修行にも参加したいと想っています。

     

     

    自分の不始末から、家庭崩壊し嫁や子供達と別れ数年立ちます。初めのうちは勢いがありましたが、10年近く日にちが経ち社会環境が変ってきていると感じたとき、ふと過去のことなど思いだりして殺風景な変化のない部屋の中を眺めていました。

    仕事先も何社かかわり、身に付いた仕事先でのこともなく、人生流され組の一人といえました。

    どうにもならないし勢いもない、孤独ではないと想っても話し相手がいない現実に、ため息ばかりが耳に吐きます。

    今の仕事先は何かと面倒を見ていただける上司にめぐり合えたのか、業務環境も穏やかに過ごしていましたが、社内の打ち合わせで意識開拓する人材育成に、他社からもたらされた企画ですが誰か寺院で体験修行をしてはと、私に白羽の矢が立ちました。

    今の職場も五年目になり、新人達に何かと先輩風を吹かして話をする機会があったせいか、指名されました。自分自身も仕事と言うより、自身を鍛えらるのかと言う気持ちがあり臨みました。ここは多摩の奥深い村にある、天光寺と言う寺院です。体験修行に毎年数千人が訪れる寺院で、厳格な体験修行では定評があり、有名な寺院でもあると聞きました。

    どのような修行がなされるのかは、申し込み時に電話で幾つか聞き入れましたが、実際参加して体験した経験では、説明以上の感動がありました。挨拶に始まりお経の読経へ進み、初日から翌日に入るとお百度参りしてから滝行で冷水に打たれ、心機一転すべく静粛な本堂での写経で心の乱れを押し込みました。脈打つ自身の血液が分かるほど、写経では集中して文字を一字一字書き進めました。人生では初めての経験でしたが、これもまた派遣されたと想っていた自身の考えと違い、勤め先への感謝に変っていました。

    修行先で知り合いになった方からも、新鮮な意見を拝聴できて、今までには感じたことない感動がありました。色々な方々が体験修行には参加されており、様々な一念を持っていることも知りえた体験修行でした。

     

    なかなか思い込みばかりで、仕事にも家庭内でも行き詰まりを感じていた私ですが、体験修行を経験して、目先に明るさを感じることが出来ました。はじめはどちらかと言うと懐疑的でしたが、体験修行で得られた人としての基本である挨拶からも、お経を長時間朗読する修行でも過去に感じたことの無い、自分を目覚めさす効果に驚きました。

    初めは只の発声法とだけ想っていましたが、対人や身の処し方など社会一般で通用する所作に、今更感じ入りました。俗に言う、学校では教えてもらえないことと言えばそれまでですが、その教えられたことを行うことで、社会生活が丸くなるといった功能があると聞き体験しています。

    体験修行では、脱皮したと言えば分かり易いですが、社会の一員として過ごす中において、当たり前が出来ないもどかしさがあるという現実を感じていた私には、もどかしさが解消できるものでした。

    人はどうしても、目先のことに左右されがちですが、左右されがちの中でも積極性があり向学心のあることに目覚めた者への見方が変ると言う、社会風潮があるということなどを初めて知りました。行き詰まりを感じていた私ですが、体験修行で指導されたことは単なる我慢ばかりではなく、奥深い信頼と癒される心のもち方にある、感謝する心でした。

    簡単に言えば思いやりのことなのでしょうが、思いやりが今まで無かったとは感じていませんでしたが、甘えがあったのかも分かりませんでした。目覚めさせて、頂きました。自分の足元は見えづらいと言うことを、教えてもらった修行でした。

    修行での所作には触れませんが、背筋がすっきり出来た修行の体験でした。

     

     

    企業に入り中堅社員になるも、部下からの意見調整と上司からの圧力で、ここの所サービス残業も多く帰宅が深夜になることもあります。時には出張などもあり、気の休まる日にちが少ない毎日でもありました。

    惰性に流される仕事先で、いまひとつ気持ちの整理を思い、今回体験修行を思い立ち予約することにしました。上司には精神修行充実で、今後の部下教育になりうると業務参加を打診して、了解を得ました。

    業務参加であるため、体験修行の日程や修行内容の項目を体験後に提出しなければなりませんが、今回の参加では私費でなく業務参加なので、費用の面では助かりました。ただ、提出があり事後報告と今後の社内教育に使用できるかの、判断基準になるのかまで求められそうなので、無意識に仕事であることが露見してしまいました。

    スケジュール的には、三泊四日であり項目的には所作や写経・写仏や瞑想と法話からなり、屋外での修行体験では、お百度参りからの滝行や川行が用意されておりました。さらに規則正しい時間の進み方から、積極性のある修行体験で観光ではありませんでした。

    何のために修行体験するかなど、住職からの法話では気持ちの整理や平常心の自己改革もありましたが、主要なものは精神力の思考が重要であることなどが述べられました。

    職場の人生も、戦う相手を求めるのではなく、挑む相手を自分の中に見つけたときに成長するといった価値判断なども挙げられました。仕事先では、体験修行で感じた意見した報告書で、企業研修も受けられことを発表し、社内研修にも有益ということを付け加えました。

    今後お世話になる機会も考えて、私の体験修行は充実したものとして天光寺さんには、ご報告いたします。ありがとうございました。

     

     

    私は集団での仕事に違和感を感じて、一人での仕事と決めタクシードライバーをして数年経ちます。お客様を乗車から降車までの、ひと時だけの業務の繰り返しだけで、それ以外の業務は存在しないことから転職組みですが、現在の私の仕事なのです。

    お客様は、午前や午後や夜間や深夜では様変わりしますが、なるほどと感心しながら対処しています。中には、お客様らしからぬ方もいますが、短時間の我慢で済みますのでしこりも無く受け流しています。

    そんな私ですが、将来は法人タクシーでなく個人タクシーを希望していて、諸先輩からもお客様あしらいを学ばなくてはならないと、助言されました。助言の内容の中には、個人としてお客様に合わさねばならない注意点や対処が多くあり、今の自分には出来かねるのではないかと思い悩むような助言もありました。

    このまま法人タクシーのドライバーとして、生きて行くことも出来ますが、夢は夢として個人タクシーのオーナーとしての夢もあることから、今は夢追い人の一人としてハンドルを握っています。

    タクシードライバーには個人主義の方が多いですが、個人タクシーになると責任や営業に対して、決断力や不満なども抑えねばなりません。ここ一番と言うときに、個人事業主としての遣り甲斐だけでない判断が要求されます。

    学校では教えてもらえない、人としての社会で生きていく手法を天光寺で、絶対的な価値がある自分を仕事に反映出来るように、体験を通して知りえたこと体感できたことに感謝します。

    写経や写仏では何度も助言を頂き、冷水の川行ではしった激励をもらい、今では体験できた喜びに嬉しさを感じています。

     

    滝修行をさせていただきました。その節は大変お世話になりました。

    あの時お話したように、「日々の喧騒を忘れたくて、非日常的なことを…」と思い体験させていただいたわけですが、「ただ単に滝にうたれる」ことを想像していた私は「入滝、出滝」の儀式に痛く感動いたしました。
    挨拶、お清め、感謝などなど、日常軽んじていたことが荘厳に感じられ、本当に心の垢まで落ちた気分です。

    滝行後の精進料理、大変美味しく頂きました。ありがとうございました。

    ぼくは、学校の先生からも、家庭でも「落ちつきがない、あきっぽい」と言われていました。 「4月からは中学生なのだから、この冬休みはお寺に行ってこい」と父に言われたときには、どう言う意味なのか、解りませんでした。父にしかられたあとだったので、「はい」と返事をしてしまいましたが、クリスマスの日に母から「修行に行くんだ」と聞かされた時には、とてもいやでした。

    父の車に乗せられてお寺につくと、大学生の人と、父の年齢くらいの人が2人いました。 ぼくが荷物を片づけていると、お百度参りがはじまりました。お寺の人に言われてそばで見ることになりました。おしょうさんから明日は君もやるからよく見ておいてと言われたので、きんちょうして見ていました。

    次の日、予定通りお百度参りをしました、冬なのに汗がでる位あたたかさを感じ、はじめ氷のように冷たかった足もいつのまにか、あたたかくなっていました。終わったあと、45分間もはしったり南無大師へんじょうこんごうも600回も言っていたんだと思ったとき、ぼくにもできるんだと自分が大きくなった感じがしました。

    ぼくが修行のなかで一番うれしかったのは声を出すことです。長いときには2時間以上もあぐらをして背中をまっすぐ伸ばしたまま集中することができました。同じことを2時間以上も続けてできたなんて本当にうれしかったです。

    4月からは中学校で部活に入って、勉強もがんばれると思います。おしょうさん、そしてお寺の人たちには、ありがとうございました。
    夏休みにはまたお寺にきたいと思います。その時には滝行をしてみたいです。今回は滝行は見るだけでしたが、夏になればぼくにもできそうです。その時はまたよろしくお願します。

    自分が天光寺を初めて知ったのは、知人の紹介です。
    今は普通ですが、会社で仕事をしていると、震えや自分が今何をしているのか分からなくなる事が頻繁にありました。このままでは不味いと思い、体験修行に参加させていただきました。天光寺に来て、何か切っ掛けがあればと思いました。

    初日は写経の練習をしましたが、習字を書いたのは小学校以来なので、懐かしさをかんじました。次に滝行の見学をさせてもらい、寒い中体験修行の方々が滝に打たれている様子見た時、最初は皆ガチガチに震えていました。次第に震えが収まっておりました。皆さんの身体の中で何かが起きたと思います。私も滝行を体験したいと思います。ただ出来るか心配です。

    滝行からお寺に戻り、住職のお経が始まり、だんだん自分の身体が軽くなり、今にでもどこかに飛んでいきそうな不思議な体験をしました。お経が終わり住職のお話を聞かせていただきました。
    一番印象に残っていることは人の縁です。人の縁がなければ自分は天光寺を知らずに落ち込んでいたと思います。これからは縁を大切にして、感謝を忘れないようにしていきます。明日もよろしくお願いします。

    この度は、滝行のご指導ありがとうございました。 以前除霊・浄霊をして頂いた際に、滝行・お百度参りの話をお聞ききしていましたが、まさか自分が行うとは夢にも思っていませんでした。

    きっかけは、妻の一言、「IT企業に勤めていると色々な邪念や霊が憑きやすいから、一緒に滝に打たれて悪いものをとってみては?」、1人で行ってくればとと思った反面、ちょうとインターネットTVGyaoで放映されていた丁半コロコロさんの体験修行を見て、お笑い芸人でさえ、こんなに変わるんだと不思議に思っていました。

    修行の日、まずは、腹式呼吸の練習からはじまり、御法号を唱えながらの練習をしている中、体の中の悪いものは痰等になって口から出てきますとの説明をうけ、弘法大師様の御法号である南無大師遍照金剛(ナムダイシヘンジョウコンゴウ)を数え切れないくらい唱えたころ、本当に痰のようなものが沢山でてきました。これは、体の中にある悪いものがでてきているから、決して飲み込まないようにとの説明。やはり、妻の指摘通り、悪いものがたまっていたのかと思ったのと同時に、この腹式呼吸+御法号は、滝行の前に必ず行わなければならない行為だと感じました。

    昼食をご馳走になり、行衣に着替えました。(本格的な行衣を着ると神聖な感じがします。)先生の運転する車に乗り、15分ほどすぎたころに、滝行の場所”龍神の滝”に着きました。TVでみる風景と同じです。 滝の前についた後、儀式がありました。これは、滝そのものに対して行われるもの(水の神、山の神様に対してのご挨拶)、滝行を行う者それぞれに対して行われるもの。このとき、インターネットで滝行を宣伝している様々なサイトのことを思い出しました。おそらく企業秘密のようなものだと思いますが、滝に入る前に儀式というものを行わないと効果がないのだろうと直感しました。天光寺さんではきちんとしたものを入念に行っていたので、非常に安心感を覚えました。(何も行わず入ると土地の神に祟られたり、ひどいときには、木々の枝や石のようなものが降ってきて大変危険だという記事を読んでいたので)

    この日は、全部で5人。自分は最後です。妻は最初の方に終わってます。私の方に来て、小声で滝に打たれる前が本当につらかったと耳打ちしてきます。私の番になり、先生が気を合わせてくれます。恥ずかしながら、私は、妻にもできて、あのお笑い芸人にもできたものだから、簡単にできるだろうという気持ちがこころの隅にありました。いざ、滝に入ったあと(はじめの滝の手前で気の調節して頂いた箇所)、すぐに丁半コロコロさんのことが頭をよぎりました。「もう、無理」何が何だか分からないけど、「つらい」「すぐに出たい・出よう」と思った直後、「南無大師遍照金剛(ナムダイジヘンジョウコンゴウ)」と、先生からの御法号が聞こえました。そのときに、高尾住職がおっしゃっていた「滝と同調しなければ、滝にはいれない」という言葉を思い出しました。必死に呼吸を整え、滝と一心同体になるように呼吸をしていると、足下から体が温かくなってき、ついには(5分くらい経過したころ)、滝と同化してるような感覚になりました。とにかくとても不思議な感覚でした。

    先生の「はい、もういいです」という言葉を聞いたとき、”もう少し、入っていたいな”という気持ちで、滝に入る前の”場違いなところにきてしまったな”という気持ちは一切なくなっていました。実は、滝に打たれている最中(後半)、2回くらい背中から”ボコっ”と何かが出て行くような感触があり、(実際、終わったあとも背中の中心がその日のうちは痛いくらいでした。)、後で理由をお聞きすると、滝のエネルギーにより、自分自身の不必要なエネルギー体が浄化したとの説明をうけました。

    滝行体験直後には、もう2度と滝に打たれることはないだろうと思っていましたが、一晩たってからは、この仕事を行っていると定期的に龍神様(水、滝の神様)のお力をお借りして不要なものを浄化しなければと思うようになりました。また、季節が変わったらお邪魔したいと思いますので、そのときはご指導よろしくお願いいたします。

    この度三日間の行では、大変お世話になり、深く感謝しております。多くの事を学び感じとることができました。忘れないうちにノートに書きだしております。特に「感謝すること」を身体で感じ取る事が出来ました。帰宅後の翌日、家の掃除をいたしました。 恥ずかしながら、今までに感じたことのない気持よさでした。結果をすぐ求めなくても、心の持ち方を実践していれば、とても楽になります。

    家族、まわりの人を大切にし、いずれは社会に貢献できることを見っけていきたいと思います。本当にありがとうございます。
    皆様方のご健康のほど、お祈りいたしております。また、多くの修業生の方々が多くのことを感じとられることもお祈りいたしております。

    天光寺様で行をさせて頂いたことは、私にとって大変意味のあるものとなりました。自分でも自覚していなかったストレスの原因をみごとに言い当てられ、現実に直面させられました。私自身、今まで現実とはっきり向き合うことを避けていたのだと感じました。

    しかし「逃げていては問題は少しも解決しない」住職の厳しくも温かい教え、メッセージを受け「変わりたい」と強く思い修行に取り組むことができたと思っています。

    川行を行い、少しではありますが自分が自然に生かされているということを感じることができました。
    教えて頂いた「心の持ち方」まだまだ十分とは言えませんが、自然と心がそう動けるよう、日常の生活でも自分なりの「修行」の日々の送りたいと思っております。

    天光寺様にお世話になり、前向きに心穏やかに生きて生きたいと思えるようになりました。
    一つ一つ、その時その時を一生懸命過ごし、周りに感謝して生きていきます。天光寺様で行をさせて頂いたことを、決して忘れません。本当にありがとうございます。

    皆様の益々のご健勝を心よりお祈りいたしております。

    私は今回自分がかかえる心の病を直すべき天光寺の体験修行に参加させていただきました。 自分が考え、行動をおこしての参加ではなく、友人の勧めで半強制的な感じでの参加でしたので、行が始まるまでは不安と不満を感じながら、でも友人が私を思ってくれたうえでの行動である事を感謝しながら複雑の気持ちでいっぱいでした。友人と天光寺へ二人で訪れて、住職先生のお話を伺い私の抱える心の病「ギャンブル症候群」が単なる精神的な病気とばかり言えず、何か、目に見えない力に影響しこのような病気になる場合もあると聞きました。私にはそんな事があるのだろうかと思う反面、どうしてもこの病気を克服したい。しなければいけないので、この修行で精神的に強い自分になりたいと思いますし、前世、霊等の影響を受けてやっている行動ならば、自分の中からはきだしてこの先を進んでいきたいと思いました。先生のお話の中に今の時期では大変厳しい滝行があると伺いましたが、その行を受ける事で、私の中に溜まっている悪いものを洗い流しくれるのであれば、進んで行を受けたいと思いました。

    十二月十六日から始まった、私の修行ですが、今日まで様々な体験をさせて頂きました。川行、滝行は大変厳しくつらいと感じることも正直ありましたが、この季節ですから寒いということを除けば、川に入った後、滝に打たれた後は、意外に何かがスッキリするという気持ちになったのが大変不思議でした。

    それも川行を二回、滝行を二回受けさせて頂いたのですが、一回目よりも二回目が、一回目のつらさを覚えている分倍のつらさを感じるのかと思っていましたが、こういうのも慣れというものができるのか、案外受けた後の寒さつらさが少なかったのにも驚きました。何かの機会があれば、他の人へどんどんすすめてみたいと思った位です。また、私が今回の修行で一番感じたことは、お寺の修行という事で、厳しい修行が待っているのだろうなあと参加していたのですが(友人は、私が逃げ出す事を心配していたくらいです。)自分自身と向き合う時間が大変多いという事で特に就寝前の瞑想の時間が、私にとって大変お気に入りの時間となっています。

    また、腹式呼吸と声出しの練習として設けられる午前中の時間が、太陽の光を浴びながら瞑想状態で腹式呼吸の練習をし、声出しの練習もする、この時間がまたお気に入りです。なぜお気に入りかと言いますと、瞑想の時間は、CDに収録されていた曲を聞きながら過ごす単純な時間のようなのですが、それこそ、学校の音楽の時間等は寝て過ごしていたような私ですが、眠ることなく、曲を聞きながら今まで過ごしてきた事、あった事、自分の子供の頃、学生の頃、結婚した頃、子供が生まれてきてからの事など、様々な昔の事が頭の中に浮かんできて、子供たちの顔が出てきた時は思わず涙が流れてきてしまった程、入り込んでしまった自分がいる事にびっくりしてしまった位でした。そして改めて、自分のしてきた事の過ちを反省し、これからの生活に生かしていきたいと思います。

    また、午前中の腹式呼吸の練習が好きなのは、太陽の光を浴びながらやるこの練習は、十二月で寒いはずの外での練習なのに、太陽のエネルギーを受けてポカポカと暖かく、瞑想状態と同じようになれる事が最高に気持ちが良かった。

    私は、この修行に参加できて、本当に良い経験をさせて頂いたと思います。厳しいだけの修行であれば、こうは思わなかったと思います。自分自身と向き合う時間が、自分を反省させ、次への糧となり、自分の中にできたモヤモヤを滝行、川行によってスッキリさせる。この二つがあったからこそ、私は参加させて頂いて本当に良かったと思います。

    そして私は、こちらで学ばせて頂いたことをこれからの生活に生かし、償うべきものは償い、一日でも早く失った家族を取り戻せるよう頑張りたいと思います。

    天光寺は、インターネットで調べて母の奨めもありますが、私も修行体験したいと思い、行きました。
    住職さんの御教えを聞いたら、自分はマイナス思考なので、プラス思考になると思いました。修行体験に来られている方に話を聞いたら、色々様々な方がいらっしゃるんだと思いました。

    2日目の修行は、辛かったですが、耐えた事により、後が楽になりました。
    自然の中での腹式呼吸は、良い空気が体を浄化されて生き返った感じがしましたし、喉は枯れましたが声が大きく出るようになりお腹の気が感じられました。お百度参りは、走りながらの南無大師遍照金剛は辛かったです。滝修行と川修行は、夏時でも水温の冷たさや水圧で、冬時の寒さに耐えられる感じがしましたし、水音に負けないくらい声を出しますので、良い発声練習になりました。

    写経は、集中力精神を鍛えて字の練習になりました。写経は書く事により、その人の精神が見えてくると言いますので良い機会になりました。瞑想は、過去を見つめ直したりストレスも無くなり心がスッキリしました。 ここに来てから、体内時計が規則正しい日常になり、自然の中での修行は、体内が浄化して精神的にも肉体的にも健康になりました。帰宅したら、親孝行をしたいと思いましたし、色々な事に挑戦したいと思いました。

    私は8月4日(火)から修行に来て早々3週間が過ぎました。不安を持ちながら修行に来たのを今でも覚えております。家族に勧めれれて、自分自身が真人間になって欲しいという事で、自分も真人間になりたい思い、決意しました。

    その間にいろいろな人間との出会いがありました。他の人は一泊や二泊で帰ってしまうため、寂しさも感じました。
    一日一日が早く終わったり、短く終わったり感じました。初めての体験となった滝行、川行。滝に初めて入った時は、初めての事もあり、声がつまり、息ができませんでした。滝や川は初めて入った時は冷たく感じましたが、慣れてくる内にあたたかくなり、気持ち良くなりました。

    新聞やテレビが無い為、今、世間がどうなっているか分からず、断っていました。一緒に修行している仲間に話の種として「世間がどうなっている?」などと聞いていたりしていました。食事は、肉や魚が出ないのが寂しいですが、これも修行の一つとして、おいしく頂いております。

    一日のスケジュールは朝六時に起床して六時半から約2時間掃除をします。掃除をしていると、気持ちも良くなるし、自分の中の悪い部分を掃除した気持ちになり、いいと思います。

    その後、朝食。後は声出しの練習、滝、川行。
    この3週間で自分自身が落ち着いてきたかなって思います。今までの自分は、何も出来ずに、なまっていました。時には帰ってしまいたいという気持ちもありましたが、そんな事を思っているようでは、人間にはなれないと言い聞かせて今も頑張っています。毎日、声出しをしているせいか、声が枯れて出ない時があります。喉から出すのではなく、腹から出すみたいです。修行中も、時々家族の事を考える時があります。皆、今どうしてるかなとか、頑張ってるかな等、時々さびしくなる時があります。

    修行初日に、先生に合掌してもらいました。約2時間くらい話を聞いて修行しました。3日に一回位、先生の法話があります。約1時間位ですが、話を聞いていると自分の為になる事ばかりです。時々、眠くなる時がありますが、修行の一つとして頑張っています。この文章を書いている今も、自分自身が何が足りないか、どうすれば真人間になるかを考えています。自分で言うのも何だが、この3週間で、少しずつ集中力がついてきたと思います。

    残り約2週間残っています。トータルすると一カ月少々です。他の修行に来ている人からも「一か月以上もいるなんて素晴らしいですね」と励ましの言葉を頂きます。嬉しくなり、良かったなと思う時があります。一日でも早く真面目になり、帰ってから家族などに自分自身が成長した姿を見せてあげたいです。初めて東京に来たという事もあり、別の意味でいい経験になったと思います。

    あと、約二週間、もう少し、精一杯頑張っていきたいと思います。

    先日は体験修行をさせていただき、有難うございます。わずか二泊三日の体験修行でしたが、私はたくさんのことを得られました。
    元々私自身、とても頭で考えてしまう人で、他人の顔色を見ながら自分の本能を押し殺して生きてきました。両親はやりたいことをやらせて下さるのですが、それが逆に拘束になっていたりして、夢もなく、ただ先の見えない未来へ迷走を繰り返していました。

    それでも中学時代はそれなりに勉強ができたため困らなかったのですが、高校時代は進学校ということもあり成績は中の下か下の上に加え、部活動では故障やスランプとそれによって躁鬱病気味になっていました。個人的にはスポーメンタルを学んでいたものの、故障時に最後まで自分を信じることができず、懸けていた部活では最終的には満足のいく結果を出せませんでした。そんな中で今回体験修行に参加させていただいたのですが、非常にたくさんのことを学びました。もっとも感じたことが、あるつもりでなっかたもの、たとえば根性や行動力などは自分ではあるつもりでも実は全然ありませんでしたし、自信過剰だなと思うこともたくさんありました。

    スポーツメンタルで「すべてを認めろ」と言われて、その意味を自分でも理解していたつもりでしたが、自分の弱いところや非があるところは認めない節もあって、結局そういうところが部活動での負けにつながったのかなと今となっては思います。でも、こちらに戻ってきて忘れかけていたものも思い出しました。夢や自分の原動力、好きなことを思い出せることができました。

    本当に感謝しています。また時間があればお伺いさせて頂きたいと思います。本当に有難うございました。

    初めにここに来ようと思った時は8月の初め頃でした。その頃6年付き合っていた彼女と別れて、生まれて初めて心の苦しさを感じました。
    ご飯も食べれず、寝る事もほとんどできない状態が2ヶ月ほど続いて、体重も10kgほど落ちてしまいました。その時、心の苦しさからここの寺修行を探したのですが、もう少し自分の力で乗り越えてみようと思った事と、夏より真冬、そして年末年始で来ようと思い、今日に至ります。

    ここに来た目的は、今まで生きてきた中で苦しめてしまったり、悲しませてしまった人達への懺悔です。ここに来る前に過去を振り返って考えていたら本当にどれだけの人達を苦しませて悲しませてきたか、生きる資格ないんじゃないかとさえ思ってしまいました。その事で親や友人、知人にまた迷惑や心配をかけて自分がどんどん嫌いになっていきました。なので全てを仕切り直し、前に進むために修行をしに来ました。

    修行を終えて今思う事は、まずこのタイミングでここに来れた事への感謝の気持ちです。そして今でなければ出逢えなかった人達への感謝です。本当にいろんな方がいて、いろんなパワーを頂きました。中でも一番印象に残ったのは1月1日に行った滝行でした。まだ一日しか経っていませんが、今まで生きてきた人生を大きく変える程の出来事になりました。自分が悩んでる事がどれだけちっぽけな事で、自分がどれだけちっぽけな人間だったか、思い知らされました。想像も付かない心の苦しみを持っておられる方を目の前に心からそう思いました。必死でお経を唱えている二人を見てお経を唱えながら涙が止まりませんでした。二人が命をかけて戦っている様に見え、自分がどれだけ無力な人間か、悔しくて涙が止まりませんでした。自分がお経を唱えている時、少しでも、ほんの少しでもいいから二人の力になりたいと心の底から思い、寒さも痛みも忘れてただただお経を唱えていました。真剣に命懸けでやる事で、人の気持ちをこうも動かせるのかと感じる事が出来ました。見栄や格好、口先の言葉では人は動かないと確信しました。本当にありがとうございました。

    今回3泊4日の修行を終えて、これからの心の持ち方、行動は、自分のことより相手のこと、人を思いやる気持ち、苦しんでいる人の手助け、嫌な事、めんどくさい事を率先してやる。言葉遣い、座る姿勢、常に全てに置いて感謝の気持ちを忘れない、日々修行。以上です。 最後にここに導いてくれた神様に感謝します。住職、スタッフの方、ここで出会った方々に感謝します。ありがとうございました。

    今回この修行に来た目的は、己の弱い気持ちや、会社の役員としての自覚の無さを正す事を目的と致しました。
    冬の寒さの中、滝に打たれることや、自然の中、規則正しい生活をする環境におかれる事により、自分自身が変われるのではないかと思いました。普段ならお酒を飲んで、子供と遊んでいるはずが、一日一日に修行に行く事の意味を深く考え、自分が変わり、良い方向に事が進めば、会社も家族も良くなると思いました。

    天光寺に来られる方々は、それぞれの考え、目的や目標、苦しみなどを持っており、自分の苦しみや悩みが、いかにちっぽけな事かと思いました。
    また、自分の気持ち次第で、良くも悪くも考えられ、人それぞれの計り方の違いを感じることが出来たと思います。毎日毎日、仕事のことや、明日の予定、一週間、一ヶ月後、三ヶ月ごと、先先の事を考え、売り上げや経理、社員の事、家族と、頭がパンクするのではと思いました。電話も使えない、お客様の事も考えない、何も考えないで、今の自分だけを見ている様で、無の世界にいる感じも致しました。
    この体験は、自分でしか解らないことで、人に伝えようとしても伝えられない様な気がします。次回は興味のある社員と一緒に来たいと思います。

    一泊二日の修行でしたが、滝に打たれている時、フワっとした感じがして、水しぶき一滴一滴が体に当たっているのが解りました。その時は、体の感覚もなく、「あれは何?」と変な気持ちになりました。また、女性の方が先に滝に打たれている時の苦しみが凄く印象に残っており、カルチャーショックを感じました。この経験を生かし、自分に厳しく、他人にやさしくなれる様努力していきたいです。一人では生きられない、助け合っていきます。 有り難うございました。

    まずはこういう機会を天から与えられたことに心から感謝致します。日ごろ中々経験できないことを出来た喜びもさることながら、行のみに精進出来る環境の中、己を見つめ直す時間を持てたことが大変有意義でした。 息子の正確改善、前に出ようとせず、埋もれることで満足している為、自分を律して前進することが出来ない点を何とかしたく、HPで天光寺を知りました。当初は息子を入れることしか考えていませんでしたが、妻に「あなたも入って来たら?」と言われ、「正月をひとりぼっちで迎えるのも寂しいだろうから」という建前で入山することにしましたが、内心では自分を変える一つのきっかけになれば、と考えていた事も事実です。

    昨年、人事異動があり、慣れない職場に転属、しかも時期リーダーにならなければならない状況は、自分の中では大きなプレッシャーでした。
    元々一つのことを極めなければ人の上に立つことは出来ないと考え、以前の職場で自己修練に励んできたのですが、今回は年齢と立場で上に立つことになった訳です。下にはより有能で、人脈の広い部下がいる現実、元来、人に言われた事を気にしがちの自分にとっては、自分をどう演じ、どう振る舞うべきなのか、少々迷いがちでした。

    そんな中での今回の修行は改めて、自分にとって価値あるものとなりました。住職のおっしゃる「自分の人生の主人公は自分である」という言霊は、まさに自分の信じるところを遠慮することなく突き進めと言われている様に感じました。

    今から二十年も前のことになりますが、テレビのディレクターとして、お昼のワイドショーの「人生相談」のコーナーを担当していたことがあります。
    離婚、暴力夫等、悩みを抱えている視聴者からの依頼に、弁護士と共に解決法を探るものでしたが、この時に色々な例に触れさせて頂き、「人との関係を修復、改善するには、まず自分が変わらなければいけない」ことを学びました。相手を変えようとすることが甘えに過ぎない、自分が変わる事は自体を好転させたいからであって「敗北」ではない…十分理解していたつもりでしたが、自分の人生を振り返ると、自分を律することをおざなりにし、相手に対する不安や愚痴を重ねてきたような気がします。

    昨日の滝行で御宝号を唱えて水をかぶった時の爽快感、そして、今朝大日如来の前で手を合わせている時に感じた目の前が開けていくような感覚、いずれも今後人生を生きていく上で生き方を変えられるひとつの「期待感」を掴めたように思います。
    その「期待感」はまだ曖昧な物で、こうすればたちどころに解決すると行った明確な輪郭を伴ったものではありません。 しかし迷った際に、仏前勤行集を開けばいつでもそこに戻れる「スタート地点」を確保することはできました。

    今まで十数年テレビドラマの仕事に関わり、数々の「舞台」と数々の「主人公」を構築してきました。しかし未だ自分の「舞台」と自分が「主人公」である物語の起承転結を考えたことはありませんでした。今回の修行はある意味で「転」となるものですし、またそうするべく日々前進していきたいと存じます。
    改めて皆様との出会いを感謝いたします。

    貴重な体験、充実した時間をいただき、本当にありがとうございました。
    申し込み当初は、昨年末から身近における諸事情によって、色々と考える事が多かったこと、自分自身と向き合う時間が無かったこと、自分の今後について具体的に考える時間を設けなかったことなどから、以前より興味のあった冬の滝行やその他の行を通して、何か変わるきっかけを見付けられたら…という思いでした。

    ただ、一日目の瞑想・お百度参り・川行。二日目の写経・お百度参り・滝行と通じて「あっ、自分ってこういうところがあるな」「今までの自分はこうだったな」と気づけた瞬間があって、行を進めていくうちに、何となく穏やかに温かい気持ちになっていきました。この感情は「嬉しい」に近い感覚でした。

    そういう漠然とした気持ちが確信に変わったのは、住職さんの「法話」を聞かせて頂いた時でした。自分はこういう話に出会いたかったんだ、聞きたかったんだと分かった時、本当に幸せ(という感覚に近い)な気持ちになりました。 自分の『今後』を探しに行った時間だったのに、自分の中の自分と向き合って、自分の弱い部分を見付けたり、自分でも気付かなかった自分と出会えた時間になり、充実したものとなったと思っています。

    ただ残念だったのは、住職先生とあまりお話ができなかったことです。というのも、先生にオーラというか、威厳を感じてしまって萎縮してしまったのです。今思うと、もっと積極的にぶつかって行けば良かったと思っています。
    「積極的に生きるか、消極的に生きるかで、運や人生が変わる」のですから…。

    スタッフの方々、行生の仲間達にはとても親切にしていただきました。正直2泊3日という期間が不安だったのですが、楽しくあっという間で足りないくらいでした。(川行・滝行・正座は辛かったですが…)

    長々と書きましたが、この2泊3日は、自分を高めていく為の第一歩として、大切な時間になったと思っております。
    幸い、自分の周りにも、自分を戒めて下さる方もいらっしゃいますし、ハッと気付かされる瞬間が多く転がっています。少なくとも、その瞬間を見逃すことなく自分を高めていけるようにアンテナを広げて感受性の高い人間でいたいと思います。

    そしてそれでも何かに行き詰まり、滝に打たれたくなりましたら、また、住職の法話を聞きたくなりましたら、すぐにでも連絡させてください。宜しくお願い致します。

    私は滝行、川行、その他にお百度参り、写経、写仏、先生の法話を聞かせて頂きました。明日にて終わりますが、大変短い間でしたが貴重な経験をさせて頂きました。帰りましても、ここでの経験を基に家族を大切に、実直な生活をして、妻を安心させたいと思います。

    私は躁鬱病を患い、9年という年月が経ちますが、その間に双子(男女)の子が生まれました。
    今回の修行で「今までで一番嬉しかったことを思い出して下さい」と問われた時に、仕事中何度も病院に行き、出産に立ち会い、10時間近くかかって、女児と男児が生まれたときの事を思い出しました。
    明日7才の誕生日を迎えますが、あの時の喜びを忘れず、妻に感謝の心を忘れずに、残された子供への義務を第一の喜びにしようと思います。今回の川行と滝行でなにか今までと違い、シャキッとした感覚が持てました。9年間苦しんできたなにかがなくなった感覚です。本当に有り難うございます。

    話は飛びますが、そもそも病気のきっかけは仕事だと感じていましたが、今はそれはどうでも良くなりました。過去は変えられないが、未来は変えられる。自分ももっと強くなれば、病気は克服できると思いました。

    今回の体験は、大変貴重で、だれでも出来るわけではないし自分でやろうとしても無理なものばかりでした。
    特に川行と滝行は非常にエキサイティングなものでした。
    川は非常に冷たく流れに打たれて自分自身の感覚が麻痺し、一種の解脱状態になります。滝行は滝に行くまでの登り道で息が切れてしまい不安でしたが、川とは違った自然の力を貰った様な気がしました。どちらが良かったかというと、私は川の流れでの感覚が一番残っています。又機会があればぜひ伺いたいと思います。

    最後になりますが、指導して下さった先生の皆様、ご住職に御礼申し上げます。本当にありがとうございました。 明日と言わず今から前に向かって前進していこうと思います。

    ぼくは、いじめにあってから不登校になり、一年間家にいました。あるときお母さんが、天光寺のホームページを見付けて、ぼくはいくことにしました。それで天光寺に来ました。

    最初は、大きな声を出したり、しゃべったりできませんでした。
    でも、川行や水行などいろいろしていくうちに自分が変わってきたようなかんじになりました。
    スタッフさんと話したり、同じ行をしている人たちと話したりすることができるようになりました。
    大声出したりできるようになりました。
    がんばるといろんなことができてうれしかったです。

    川行や水行はつめたくてがまんできなかったけれど何度もやっていくうちにすこしずつがまんできるようになりました。
    天光寺で学んだことは、今年中学生になるので、いじめにあったり不登校にならないように学んだことを忘れずこれからいかしていきたいです。天光寺にきてほんとうによかったです。ありがとうございます。

    今回、私がこの体験道場(修行)に参加させて頂いた目的は、自分自身の心の弱さの克服であります。デフレ進行下、価格破壊が進み、価値観のズレを中々埋め合わすことができない世の中になって参りました。そんな中、商売上、中々上手く行かないことが多く、ストレスが溜まり、家族には相当の迷惑をかけていたかと思います。ふと我に返ると自分自身のことしか考えていない自分がそこには居りました。

    長い間、家族旅行にも行っておらず、夕食も暗い感じになっておりました。このままでは、家の家族はダメになってしまうのではないかと思い、まず自分自身をもう一度再確認する為、そして自分が家族に対して何が出来るかを考える為、自分が大黒柱として、立派にみんなを明るく出来る様に、自分自身が変わらなければならないと思い、自分を磨く意味合いを込めて、やって参りました。

    修行一日目、二日目と進むに連れて、普通に生活出来ている「尊さ」「ありがたさ」を痛感致しました。家では全て、女房まかせにしている自分を腹立たしく思うと共に、感謝の気持ちでいっぱいになってきました。そう私には人を気遣い、思う気持ち、そしてやさしさが足りなかったのです。天光寺のご住職、そしてスタッフの方々と接してみて、特にそう感じました。

    人間はひとりでは生きていけない。皆さん、そして家族、友人、知人、恩人、ありとあらゆる方々の御力をお借りしなければ生きていけないのです。
    今後とも難しい局面は多々あると思います。
    そんな時には、ご住職の仰った不撓不屈の精神で無理難題に、情熱的に取り組んで参りたいと思います。決して後々を振り向かず、前を見て、陽転思考で、積極的に、明るく取り組んでいきたいと思います。と、同時にやさしい慈悲の心を常に持ち合わせていたいと思います。

    今回天光寺さんを訪れた目的は、日ごろついダメと分かっていても楽な方を選択してしまう自分の甘さ、弱さを正すために、転職によってもらった長期休暇を利用して渇を入れることです。
    気合いを入れて、次の仕事はもちろん、私生活もより充実して過ごせる様にしたいと思いました。

    自分で言うのもなんですが、私はとても幸せな環境で生きていると思っています。両親、妻、友達、同僚、上司、出会う人皆、素晴らしい人ばかりで、みんな自分に優しくしてくれて、想ってくれて、何不自由なく生きてきたと思っています。

    でも普段、その幸せになれてしまって、幸せを幸せと感じなくなっている時がある事に気付きました。こんなにも幸せにもかかわらず、だらだらとゲームをして過ごしてしまうことがよくありました。生活を充実して過ごすことで改めて幸せを感じる事ができるようにと思いました。

    初日、お百度参りと川行をして、生きていることがどんなに素晴らしいことか、切に感じることができました。お経を唱えている間も、ほぼ無のような感覚になり、とても安らぎを感じました。
    初日に行を行ったことによるものなのか分からないのですが、2日目の午前に瞑想をした時に今まで出会ってきた人達を思い浮かべて、みんなに感謝した時にあふれるほどの涙が止まらなくなってしまいました。今まで、どれだけ自分が幸せだったのか、心からみんなに感謝の気持ちが湧いてきて感じる事ができました。
    今までは感謝はしていてもこんな気持ちになることはなかったのでとても不思議でした。

    2日目の滝行で身を清め、心がとてもきれいな落ち着いた状態になっているのが分かります。
    瞑想をしている時に浮かんだ感謝の気持ちを忘れずに、明日からお世話になったみんなにちょっとずつ恩返しをしていこうかと思います。ちょっとした事で精神を乱されずに、人の事を考えながら充実した日々を送りたいと思います。

    僕は天光寺の体験修行をやって思った事がいくつかありました。

    一つ目は集中力です。写経やお経を唱えたりとかして、けっこう集中力とかがついたんじゃないかと思いました。

    二つ目は滝行や水行はすごく大変な事が分かりました。0度の水の時もあるので、すごくさむかったです。それに滝行や水行の前にやるお百度参りも百往復したりするのもいやになってくるけれど、それのおかげで結構我慢強くなれたなと思いました。

    そして三つ目は天光寺の人達に礼儀が悪かったら悪かったと注意したりしてくれて、礼儀とか寺での作法などがすごく分かったので良かったです。お寺では祭壇に足を向けて寝たり、祭壇に向けて足を伸ばして座ってはいけないというのも天光寺に来て初めて知りました。

    そして僕がここに来て思った事は、色々便利なものがなくて、いろいろな事に困ったりしました。だけれどここで暮らしていたらそういうのが昔だったら当たり前なんだろうなと思って感謝する事とかを出来たので来て良かったと思いました。

    体験修行に行こうと思ったのは、転職の合間に何か自分を成長出来る事ができれば良いなと安易な気持ちでした。しかしながら本当は来るべきして来たのだと感じました。自分の事、自分が考えている事、自分自身を見失っていたのだと分かりました。

    体験修行を通して何が変わったか、また何が成長できたのかは言葉に表現できません。一つ言えるとすれば、少しだけ自身が大きくなったと感じています。厳しい修行の一つ一つを乗り越える度に大変大きな満足感と達成感を感じました。修行中、何度も諦めそうになりました。『ここで諦めたら今までの自分と何も変わらない』の一心でふんばりました。ここぞという時の良い意味での開き直りと『俺は死んでも鯛だ!』と言う根性が自分にも有るのだと言う事に気付き、本当に嬉しく思いました。

    これからもまた、生活していく上で様々な壁や問題にぶつかると思います。その時はこの体験修行を思い出し、集中すれば必ず乗り越える事が出来ると思っております。
    最後にこれからも自分に正直に厳しくまっすぐに、そして真っ当に生きて行きたいと思います。

    現在大学三年生で、体育会の部活動に所属しております。自分が天光寺に体験修行に来た理由は、部活動で壁にぶつかり、その壁に負けかけている弱い自分を心の面で変わりたいと思ったからです。また、自分は精神面で弱く、些細なことを引きずったりとてもネガティブで、色々と嫌な事を溜め込んでいたので少しでもそれが張れればいいなと思っていました。

    いざ、体験修行に来て初日、挨拶の面で自分はまだまだだと実感しました。声があまり出なく辛かったですが、何回も練習していく内にだんだん出るようになって来ました。その後、お経を読み、お昼御飯を頂き、初めてのお百度参りと川行を行いました。
    お百度参りは裸足で行い、疲れたと同時に足の裏にマメがたくさん出来て、とても辛かったです。そして川行ですが、とても冷たくきつかったです。でも、だんだん気持ち良くなり、日頃の生活で溜まっていたストレスや嫌な事が全て洗い流されていく感じがしました。
    夕食の後、法話を聞きました。その中で、先生がおっしゃっていた、思考が自分を作ると言う言葉には深く考えさせられました。自分はマイナスのことばかり考えたり溜め込んでいたので、これからは前向きに物事を考え、えっ曲的に生きて行こうと思いました。

    二日目、朝六時に起き、朝食まで掃除をしました。家の中が終わると外の道を竹ぼうきで掃きます。長時間ほうきで掃くのは辛かったですが、周りには自然がいっぱいで気持ち良く、掃除が終わった後の道を見ると、こんなにきれいになったんだと感動しました。朝食の後、二時間光明真言を唱えました。酸欠になり、おしりも痛くとてもつらかったですが、終わった後の達成感は凄かったです。
    その後、三禮を百回やりました。物凄く辛かったです。でもこれをやりきった事は凄く自信になりました。その後、お百度参りと滝行を行いました。滝行は想像よりも遙かに過酷でした。痛い、冷たい、息ができない、本当にきつかったです。でも滝行が終わった後、凄くすっきりしましたし、滝からエネルギーを貰いました。

    三日目、朝起きると体中が筋肉痛におかされていました。特に腿、お尻は酷く、座るのが痛かったです。それでも、掃除と朝食のあと、また光明真言を二時間唱えました。凄い辛かったです。考えてみると普段なら絶対に出来ない事だなと思いましたが、それを二回やりきった事、それは本当に自信になったし、集中力がついたのかなと思いました。
    午後には写経とヒーリングを行いました。写経では久しぶりに筆を使ったので、あまり上手に書けませんでしたが、自然と凄く集中しました。またヒーリングでは途中からぼーっとしてきて、眩しい光のような物が見えました。何か見えない力を感じました。終わった後はとてもすっきりして、肩が軽くなった感じがしました。

    そして最終日、掃除をして、朝食を済ませ、お経を唱え、今この文章を書いています。
    振り返ると三泊四日はとても短い物でしたが、とても辛く、とても考えさせられ、また、とてもすっきりした充実した時間でした。色々な辛い事をやり遂げたからこそ、自分がこれから頑張っていく自信にも繋がりましたし、これからは前向きに積極的に毎日を少し、自分の壁を乗り越えたいと思います。
    『思考が人生を作る』これを忘れずにこれからも人間的に成長していきたいと思います。ありがとうございました。

    私はこれまでの会社生活の中で、自分でも知らず知らずのうちに自分の中に蓄えてしまった垢(ストレスや凝り固まった考え方等)を洗い落とし、自分自身を一度リセットしたいと考え、今回体験修行に参加致しました。また、そうする事で、今後の仕事だけでなく人生全体にプラスになると考えました。

    実際に体験修行に参加してみると、自分が考えていたよりもハードなものでした。川行・滝行では、水温は低く、特に初めての滝行では、これまでに経験した事のない寒さ・冷たさを前進に感じ、心から修行の厳しさを実感しました。しかしそれと同時に厳しいからこそ、自分の垢が取れる、新しい一歩を踏み出す力になる!と信じ一生懸命に修行に取り組みました。不思議な物で、二回目の川行・滝行では水の流れや岩との一体感を感じ、寒さ、冷たさを感じながらも平常心を保つことが出来、また徐々に自分の中の垢が水の流れと共に洗い流されていくような気持ちになることができました。

    また川行・滝行だけでなく、毎日の掃除、食事の準備や後片付けなど全ての事が非常に尊い修行であったように思えてなりません。汚れ一つ、落ち葉一枚が全て自分の中の垢であるように感じ、一つ一つの作業にも手を抜くことなく取り組むことができたと思っています。

    更に今回の体験修行では、自分でも思いがけない『気付き』を得る事が出来ました。座禅を組み、瞑想して、過去の自分の行い、出会った人達の事を思い返す時間を頂いた際に、過去の失敗や後悔が、全て自分の中の消極的な部分が引き起こしていた事を本当によく理解出来ました。それはまさに天光寺で教わった通りだったのです。またこれまで自分がいかに周りの方々に支えられてきたか、いかに恵まれていたかという事もよく分かりました。家族のことを思った時、自分でも驚いた事に自然と涙が出て来て止まりませんでした。

    天光寺での体験修行を通じて、当初の目的である『自分のリセット』だけでなく、本当に多くのことを得る事が出来ました。厳しい修行を乗り越える事で、自分にも自信が付いたと思っています。今後はここで得た気付き、感謝の気持ち、自信をわすれることなく、更に一生を通じて自分を高める努力を続けて行きたいと考えています。そうすることが、自分の人生を豊かにし、これまで支えて下さった全ての方々の恩に報いることだと信じています。仕事に関しても、私の仕事は世界的に非常に競争の厳しい業界ですが、ここで学んだ事を活かし、一生懸命に精進することで、必ず世界中の人に慶んで頂ける商品を作りたいと思います。

    最後になりますが、沢山ご指導頂いた天光寺の皆様、一緒に修行した皆様、六日間の短い期間でしたが、本当に貴重な経験と楽しい時間をありがとうございました。

    私が今回天光寺の体験修行に参加した目的は「動じない強い精神力を身につける事」でした。昔から心配性で非常に細かいことで悩んだり、自分を追い込むことが良くあり、特にここ数ヶ月間は自分自身の知性、能力に自信が持てず、将来について本当にくよくよと悩んでいました。また、他人と衝突した場合などにおいても、その人からどう思われているか、今後どう接していったら良いかなど、長期にわたって悩み引きずり、精神的に疲れることが多々有ります。そんな気にしすぎ、心配性な性格を少しでも改善し、強く明るく前向きな心に少しでも近付けたらとの思いで体験修行に参加させて頂きました。

    体験修行を通じて、自分なりに学び、感じた事を綴ります。

    修行初日、まずはあいさつの仕方から始まりました。はじめに先生のお手本を見せて頂いた際、普段と変わらないあいさつ言葉ですが、いかにこれまで自分が挨拶に気持ちと力を入れていなかったかに気付かされました。「おはようございます」「ありがとうございました」これまでは、ただ何となくそれらの言葉を発するだけでしたが、今後は、腹の底から言葉を発声し、気持ちと力を込めて挨拶出来る様、少しずつ改善をしていきたいと思います。

    三禮を百連続で続けた時の事、五十回を過ぎた頃から、膝も腕も赤く腫れ上がり、精神的にも相当キツくなった時「足の痛みも限界だし、ここで諦めてしまおうか」と何度も思ってしまいました。しかし、せっかくの修行の機会ですし、形が崩れても、途中腰を上げられなくなっても最後まで続けようと思い、結果最後まで続ける事が出来ました。通常の生活でもこの様な苦しい場面はたくさんあります。常に人生における修行なのだと心に留め、最後までやり抜く癖を付けたいと思います。

    修行中は、他の方との共同生活ですし、一日の流れ、食事、就寝時間も決められたものだった為、いかに普段の生活が自由でありがたいものなのか改めて考えさせられました。今後は一日一日の有り難みを感じ、時間を有効的に使っていきたいと思います。

    リーマン・ショック以後の就職氷河期と言われる中、就職活動を経て、私は社会人一年目を迎えました。これだけ辛い思いをして会社に入ったのだから、きっと充実し希望に満ちた日が過ごせるのだろうと思っておりました。しかしながら今感じるのは、日々の業務に追われる忙しさと、仕事しかしていない毎日に対する虚無感でした。つらいことしか無いという訳ではありませんが、自分の心持ちや言動に「余裕の無さ」が現れる様になっていることに気付きました。そこで夏期休暇のこの機会に心をフラットにし、余裕ある心持ちを取り戻そうと思い立ち、天光寺の体験修行を申し込みました。

    私が行を通じて学んだことは「無心で物事に取り組むこと」「心の拠り所を持つこと」の大切さです。
    読経、写経、写仏などの行においてはただ無心で一点集中し、取り組む訓練をさせて頂きました。それらの行は単純なものであるが故に手を抜こうと思えばいくらでも楽をすることができるものでありました。しかしそれを手を抜かず真剣にやり遂げることが精神力を鍛えるのだと感じました。これは人生そのものと同じで、いくらでも手を抜けるが真剣にやるからこそ意義があるのだと思います。仕事に置いてもあれこれ考えて妥協しないよう、まず目前の物事に無心で全力であたる精神力を持とうと思います。

    来週から仕事に戻りますが、今の自分の環境を悲観するのではなく、まず目前のことに妥協せず、全力であたり、何事にも真剣であることを心懸けようと思います。この二泊三日で学ばせて頂いた事を大切にして参ります。ありがとうございました。

    僕はお父さんに対する態度が悪かったり、嘘をついたり、話を聞かなかったり、お父さんの財布からお金をとったり、お父さんの部屋に入ってパソコンを勝手にやったり、没収されたゲームを探してみつけて夜中にやってみつかって怒られたり、怒られて「どうして」と聞かれると、黙ってしまってまた怒られてしまいます。それで「お寺に入って反省してこい」と言われてこのお寺に来る事になりました。最初はどんな人がいてどんな修行をするのかと思って、とにかく泣きじゃくりました。その時やっと、やってしまったことの重大さが分かりました。そして、行くと決まってからやっと反省しました。もうさすがに懲りました。

    僕はお寺に来た時とても不安でしたが、ここならちゃんと反省ができそうだと思いました。周りの皆さんが優しくしてくれて、「どこから来たの?」とか「今何年生ですが?」とか聞いてくれて、大人の方たちとも仲よく過ごせました。

    でも修行の時はみんな集中して取り組む事が出来ました。ごはんのときは肉とか魚とかが無いと聞いて、本当に食べないと知りました。でも味噌汁とか朝はおかゆとかがおいしかったので全然平気でした。 僕はこれから何をすべきか、どうしたらいいか分かったような気がします。

    このお寺に来て良かったことは、人との交流が多くにぎやかで、修行に行くときはピシッと切り替わるのでメリハリのつくいい生活ができました。早起きもできうようになったのでとてもうれしかったです。 僕はこの感想文を書くと言われていやだと思ってました。が、書いてるうちになぜかちょっとだけまじめに取り組めた気がします。文を書くのは得意じゃないけれど、書いてるうちにもうちょっと書こうという気持ちになれました。もしかしたらこのお寺でちょっと変わる事ができたかもしれません。
    このお寺にこなかったらいつまでも変わらずぐーたら過ごして悪いことして怒られてまた悪いことして怒られての繰り返しだったかもしれません。このお寺に入れてくれたお父さんに逆に感謝しきれないほど感謝じゃあらわせないほど感謝しています。

    これからの生活、いつもいつも感謝して怒られたり、悪いことしたり、困らせたり、めいわくかけたりしないように、人として、一人の人間として生きていきたいです。

    私が天光寺に来た理由はこの先の人生を考えた上で、今の自分には、自信を見つめなおす時間が必要である、自分を変えたいと思ったことがきっかけです。修行をして、自分を変えたいと、単純な気持ちで来ました。話が聞いても、考えるだけで変られるとは思いません。私自身も、どうしたら変わることができるのか分かりませんでした。今は自分が私の生活に戻り、変われる事に気付くことができました。気付くことできたのは、住職先生の教えであります。先生が何度もいわれている“反省”“感謝”“ざんげ”をしなさいと言われて、今まで一度も考えたり思ったりすることがなかったので深く考えました。

    想ったりすることがなかったので深く考えました。この普通の事、考えればわかることを考えてこれなかったことによって人の想いを気付くことができなかった想い返すこともなかっただから人を傷つけて裏切ってうまく付き合っていくことができなかったのだと思う。

    「愛にひそむ独占欲」の言葉は、先生とお会いした時に始めて言われた言葉であり、自分に一番気付かなくてはいけない所だと思います。彼女に対する言葉態度を改めて考え思い出さされました。これからは自分が認めて支えてあげようと思います。

    今まで忙しさを理由に自分の身の周りの事ができなくなってしまっていたのも、変えなくてはいけない事であってここに来てゆとりの時間が必要だったことも気付かされました。
    考える時間、何にも考えずにここを休める時間がないと人はすべてにうまくいかなくなってしまう。行をしたことによって、お経一つにも気持ちを入れてすることによって忍耐力をつけることができ、終わった後の達成感を味わえる例えば次に写経をして集中力を高めて達成感を感じる、一つひとつのメリハリも大事だけれど、仕事に置き換えても自分の気持ち一つで自分はいくらでも変わることができる。辛い時の自分に意識で勝つことができればその気持をこの先の自分にしっかり付けていきたい。「挑む相手を自分の中に見つけた時」道が開ける。

    天光寺で教わった事“教育”大人じゃなくて子供に対する教育大人には仕事での教育は完璧ではないがすることができるこれから自分が人の親になることになればしていかなきゃいけないこと、子供は素直だからダメなとこをすぐ出してくれるでも常に言ってあげないとすぐ忘れるなんで言われるのかをしっかりと伝えて理解した上でしてあげないと、甘えて泣くだけ、ここに来る子供たちの多くは親の甘えだと思う。かわいいからとはいえ甘えは人をダメにする。甘えさせれば、それは許されることだと認識していつしか甘えさせられることになれてしまって感謝の気持ちも分からない大人になってしまう、まさに自分の事を言っているようだ。子供に叱っている言葉が自分に返って来る時が何度もあった。子供の教育にも甘えさせるのではなく、良し悪しの区別をしっかりさせてあげて、最後はしっかりとほめてあげることが必要だと教育に対して考えさせられ勉強になった。

    相手を想う気持ちが強い程、感情が高くなり、泣いたり怒ったりするそれがいつしか心に残って何かに気付かさせるきっかけになったりする、想える、想ってくれる最後は話し会える相手だから情が生まれる。互いに認め合えば、切っても切れない関係になる。

    この先、そうなれる相手を探していきながらいろいろな人とのコミニュケーションとネットワークを取っていきたいと思う。人と人は支えあい情でつながる。人と人とのつながりを大切にして人生を歩んでいきたい。 天光寺のスタッフのみなさん一ヶ月という短い間でしたが親切にして頂き、本当にありがとうございました。住職先生、毎日ご多忙の中、親兄弟身内の相談まで聞いて下さり大変お世話になりました。ここで教わったことを何度も読み返し意識的に自分自身が成功できるよう毎日、懸命に努めていく所存でございます。

    ほんとうにありがとうございました。

    ぼくがこの天光寺に来た当初は、頭が混乱していました。母に連れてこられて、いきなり「修行をする」と言われたからです。それで、ぼくはここで修行をすることになりました。
    最初は、「なんで俺が修行なんてしなきゃ」と思っていました。けれどもすぐに「ここに来た以上は修行をしなきゃな」と頭を切り替えました。もう十六歳になる男が嫌だ嫌だだなんて言ってられないので、とりあえずがんばってみることにしました。

    朝起きてから、掃除と言われて、掃除をしていましたら、いろいろと教えてくださるお兄さんに怒られました。「なんで怒られなきゃいけないんだよ」と思いましたが、聞いてみると自分ができていなかったことへの注意でした。他にも多々怒られましたが、全部自分が至らなかった点ばかりでした。

    例えば、外を掃除する際にゴミを残さないようにしろと言われました。他の人が見逃したゴミでも、自分は見逃さないように、自分が見えたゴミはひとつ残らずはく、隙間に挟まっているゴミも見逃すな、などのことも言われました。ぼくは「何の意味があるんだよ」と思いましたが、こういう風なことを言われました。
    「落ちているゴミを全部ひとつ残らずはくことは自分に負けない心を作る。」

    そこで、ぼくは今までの自分のことを考えました。自分は今まで自分に勝ったことがあるかということを考えました。最近は、自分の欲望ばから優先させて、本当にすべきことをしていませんでした、ぼくは今、高校1年生です。つまり、学生ということです、学生とは、学ぶじかんが 与えられている人と住職さんが言っていましたが、高校に入ってからのぼくは全く勉強をしていませんでした、勉強をしないで、スマフォをいじったりパソコンで遊んでたり、テレビを寝ながら見ていたりしてました。それら全ては自分の勉強をしたくないというただのわがままでした、ただ単に学業から逃避をしていただけでした。勉強をしたくないという自分に負けた結果、学校の成績はよろしくない結果に終わりました。
    だから、自分に負けない自分を作ることがここに来た目的の一つであるとぼくは考えます。

    自分に負けない自分を作ることができたかと思うと、ぼくはできたのではないかと思います。今、本当にやるべきことをきちんと考えて、自分がしたいことは抑えていきます。それが自分に負けないことだと考えます。 そのお兄さんの話を聞いてて考えたことですが、ぼくは両親のいうことを全て聞いていませんでした。「勉強しろ」とよく言われていましたが、先に述べたとおり、全く勉強をしていませんでした。ウォークマンを聞いていて、母の言うことを無視するということもよくありました。ここに来てから頂いた紙に書いてありましたが、「親のいうことは絶対である」そうです。
    「なんで聞かないといけないだ」と思っていましたが、ここにいる人たちの話を聞いていく中で理由がわかりました、親が言ってくれることの全てが自分を思ってくれて、言ってくれているからです。

    今まで自分が親から与えられていたものは自分を喜ばせるためのものであったと感じています、それを当然と思っていた時のぼくはとても恥ずかしいです、友だちが持っているからと言って、自分も持つのが当然と思っていた自分も恥ずかしいです、与えてくれたことに、感謝をしなければならないということもここで学びました、食事もそうですし、衣服や娯楽なども与えられていました。
    しかし、ここでは食事はメニューが決まっていますし、衣服も今持っているものしかありませんし、娯楽はないですのでよく分かりました。親もそうですしいなくなってから気付くそのものの重要さですね。
    食べたいものを言えば、作ってくれますし、着ているもの全て買ってくれたものでした。両親への感謝の気持ちを少しは分かったと思います。今生きていけるのは全て両親のおかげでした。ぼく一人では、何もできません、父、母がいてこそ、ぼくが生きられますから、両親に感謝の気持ちを持っていないといけません、ぼくは持ち続けられるようにします。感謝の気持ちが重要ということを考えさせられました。

    自分がここに来て、ここで修行をして、学んだことが多いですが、大きな二つが、今述べた、〈自分に負けない心〉と〈感謝の気持ち〉です。自分に足りないものが少しでも、学べたと思います。

    思えば、ここ天光寺に来てからの修業は、正直とてもつらかったです。
    まず、声出しです。思いっきり声を出すのですが、ぼくは声をあまり出さないので、最初はほとんど出ませんでした。今は昔よりも出せますが、それでも小さいです。

    瞑想は、ゆっくりと〈反省〉〈感謝〉〈ざんげ〉について考えることができました。第三の目は、うまく開くことができませんでした。

    読経は、とてもしんどかったです。スタッフの方もおっしゃっていましたが、いくらでも楽できるので、弱い自分に負けないようにがんばれました。声が小さくなったりする時もありましたが、気合を入れてがんばりました、呼吸の仕方も腹式呼吸を使うので、慣れてなかったぼくはとまどいました。弱かったぼくは楽な呼吸法で途中までしていましたが、注意されて気付きました。楽なことばかりやってても、自分は強くなれないと分かってからは、つらくてもがんばりました、高校生なのに、あまり声が出ないと、よく言われました。それでも僕は大きな声をだせたと思っています。
    お今日も大体は覚えることができました、最初、〈般若心経〉なんて覚えられないと思っていましたが、今では教本なしに唱えることができるようになりました。覚えられた時には達成感がありました。暗記できても、声が小さいと怒られたりもしました。声を出せる限り出すことは、疲れましたが良い修行になったと思っています。

    滝行は、初回は正直とても恐怖を感じました。一回滝に入った後に、あまりのきつさに出てきてしまいました。けれども、自分に負けてはいけないと自分を引き締めて滝に戻りました。
    痛かったけれども、耐えきれました、終わった後は、頭がフラフラしていましたが、大丈夫でした。耐え切れたという達成感もありました。二回目も少し恐怖がありましたが、普通に入れました。慣れというものなのか分かりませんが、案外落ち着くことができました。
    ただ、もっと昔から修行をしていた人に言われましたが、冬は滝が凍っていたり、春はもっと勢いが強く、冷たいそうです。今の時期は一番楽な時期と言われました。それでも、ぼくにとっては今の時期もきつかったです。

    川行も今の時期は楽だそうです。川は滝よりもきつくはなかったですが、それでは駄目とお兄さんに注意されました。ですので、二回目の川行は自分を追い込むために頭から水には入っていきました。
    頭から水を浴びると、呼吸が全くできずにとても苦しかったです。呼吸ができなかったんですけど、お経を唱えて気合を入れました。終わったあとは清々しい気持ちになれました。

    滝行・川行の前に行うお百度参りは、体力に自信のないぼくでしたが、走り切ることができました。けがをしたりしました。声も大きく出せませんでした。でも、良い汗が流せました。

    写経・写仏は、先が細かったので神経を使いましたが、ゆっくりじっくりと書けました。書道は得意ではないのですが、好きですので楽しんで写すことができました。書き終えると、やはり達成感がありました。正座をするのは足が痺れて少し痛かったです。

    そして、一番つらかったのが三禮です。初回はとても苦しく挫折しそうになりましたが、ここで負けてはいけないと気合を入れ、がんばりました。汗も半端ないほど出ていました。それでも、自分に負けないように最後までやり遂げました。終了した後は、頭がくらくらしていて、ひざの皮が剥けていました。
    終了した後は、頭が今にも倒れそうでしたが、何とか保ちました。二回目にやったときは、二回目というだけあって一回目よりも声が出せたと思います。正座して、立ち上がって、正座してを繰り返している動作ですが、けっこうきつく、つらかったです。けれども、がんばれました。修行はどれ一つ楽なものはありませんですが、我ながらよくがんばれたと思っています。厳しい修行の中で得られるものもありました。特に重要なのが、感謝であるとぼくは思います。

    正直、〈感謝〉という気持ちについてはよく理解はできませんでした。
    けれども、ここで修行をし、修行しに来ている人たちの話を聞いているうちに理解ができたと思います。ぼくは親に感謝をしてないと言われましたが、今はそのことが恥だとわかっています。今、着ている服は親がぼくに買ってくれたものです。それに対して、ありがたいという気持ちを持たなくてはいけません。服を買ってもらえない人だっているかもしれないのに、僕は買ってもらえる、そんなことを当たり前と考えた自分が本当に何様だったのかと感じています。
    でも、今の自分にはそれがどれだけ幸せなことなのか分かります。両親が仕事をして、お金を稼いでいるからこそ、こんな生活ができているので、ぼくが恵まれているということを深く感じました。それなのにぼくは、仕事をして帰って来て疲れている母に、何も思っていませんでした。それでも、食事を作ったり、家事をしている母を少しでもいいから手伝いをしたり、声をかけたりするべきでした。今手がそうできなかったのでこれからそうします。

    これからのぼくは、感謝の気持ちを忘れず、親のいうことをきちんと聞き、自分に甘えず、自分に負けないように来ていきます。ここでいろいろな方とお話をして気付いたことも大事に胸にしまっておき、すぐに引き出して思い返せるようにします。今までの弱い自分とは決別をして、少しでも自分に強い人間になれるようにします。努力をしてもっとより良い人間になれるようにしていきます。ここで教わったことを忘れず、ここに連れて来てくれた母、ここお世話になった方々に感謝をしてこれからもがんばっていきます。

    私が一ヶ月天光寺に修行に来た目的は、今までの人生で、私に携わって頂いた人達、私の暇までの行動、人に対する態度、接し方など、大変迷惑をかけ、私は就職が決まっていた前夜に人間としてしてはいけない行動をしてしまい、妻、子供達には本当に夢や希望を一瞬のうちになくしてしまい、子供達が楽しみにしていた事まで、自分の行動で悲しませ、失望、傷付けてしまった事に罪を償う為の反省修行と自分自身、年々経ってもやる気なし、自信なし、消極的で我慢、辛抱なしの性格を変える、考え方、一青の関わり、心を強く前向きな人生になる為の人生向上の修行に来ました。

    修行は毎日朝6時に起きて、掃除からはじまりです。他の修行者と協力して掃除の分担です。掃除機、風呂掃除、トイレ掃除、玄関の掃除など行います。修行を通して今まで家庭でいかに何もせずに協力出来無かった事が、情けなく痛感されました。外に出て、竹ぼうきで寺から1km先にあるバス停までの掃除では、落ち葉が道いっぱいにある時は、竹ぼうきでひたすら集めて、何十分経ち、道がきれいになった時は、今でも心がスーっとなった気分を覚えています。

    お寺での食事では、本当に今までいただきます、ごちそうさま、と感謝の挨拶をする事がなく、ただ好き嫌い、贅沢をしてきて、作ってもらった人の思いも感謝、真心の挨拶も何もなくしてきた事を思うと、本当にありがとうの言葉でいっぱいになりました。食事のときの食器は、他の修行者と協力して洗う事をここでは勉強になりました。

    私が天光寺に修行に来て、もしこの天光寺を知らないまま、もし先生に相談に来て居なければ、決して、この様な考える力がないと思いました。この修行で学んだ挨拶の作法、お客様への挨拶、朝の挨拶、お客様への挨拶、行の挨拶、食事の挨拶などでした。また心の持ち方。感謝のこころを持って、毎日積極的に生きていく、人生、社会にとって、色々な人生の道の正しい生き方を考えさせてくれました。本当にありがとうございました。

    これから下山してからは、一日も早く就職先を見付けて、妻には本当に12年間、苦労のかけっぱなしで、生活の面でも、食事の片付けや、洗濯、何もしなかったです。本当に協力できず、すみませんでした。12年間、妻が私に仕事の時、朝弁当を作ってくれたり、いつの日か、スーパーの駐車場まで弁当を持ってきてくれた事がありましたね。本当だったらありがとう、いつも忙しい中、お弁当を作ってくれて本当にありがとうの言葉もなく、今思うと、妻に対する想いがなく情けなく反省しています。

    私は一日も早く仕事を見付けて社会復帰をして、妻が12年間苦労・負担をかけた分、これから妻の分まで働いて、家野事でも協力してあげたいです。本当に妻には安定した生活をさせ安心させてあげたいです。
    あと何年、何十年経つか分からないけど、早く妻と子供と一緒に生活がしたい、妻と子供達のにぎやかな生活がしたいです。そして妻の手料理が食べたいです。本当に先生、スタッフの人には大変お世話になりました。一ヶ月間お世話になりました。ありがとうございました。

    長い間うつに悩み、仕事を失い、家族に対しても、自分自身の中でも、自身の存在価値が分からなくなり、生きて行く道を失いかけていた。そんな時、天光寺との出逢いのきっかけを与えてくれたのは、友人だった。

    「寺に修行でも行ってみたら」

    その一言を受けて、修行が出来る場所を探し、自らの目的と合うと想えたのが、この天光寺だ。この選択は間違っていなかった、と今は自信を持って言える。
    何気なく過ごしていた日常の中で、恵まれている自分の環境や、支えてくれる人がいる幸せに感謝することを忘れている、と最初に気付かせて頂いた。食前にもお経を唱え、感謝の言葉を口にする。一つ一つの作法に大きな意味があり、言葉を口にすることで、心の奥の方まで感謝の気持ちが広がっていくようになった。今まで、本来の「食べる歓び」や「食べられる幸せ」を噛み締めて食事をしたことはなかったように思うが、これからは自分自身だけでなく、子供達にもこのような感謝の気持ちを大切にするよう改めて教えていきたい。
    食だけではなく、今がある。この今を与えて貰っていることに感謝する気持ちを忘れることなく、そして常に自然に「ありがとうと思えるように成長していきたい。

    私は、ついつい自分だけの事で精一杯になってしまい、周囲への気遣いや心配りを忘れてしまいがちである。また、力の入れ加減の調整が下手くそで、思い切りアクセルを踏み込んでしまうか、完全にアクセルから足を離してしまうかのどちらかしかできない。姿勢はしっかり保ちながら両肩をリラックスさせる、こういう身体への力の入れ方も上手くコントロールできず、力みすぎたり、ゆるめすぎたりしてしまう。「良い加減」で物事に臨み、余力を持ち、心にも余裕を持って視野を広げて生活することで、自分の限界を無限に伸ばしていくことができる可能性が生まれることを学んだ。

    思い返せば、仕事がうまくいかなくなっていたのは、いつも全力で飛ばした後、息切れをおこし、張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れたようになってしまった時だ。次に仕事を得られたら、この学びを活かし、余力を持って職務を全うしたい。

    また、私は人に弱い所を見せるのが苦手で、悩みを相談したり、しんどい状態をさとられたりすることに抵抗を感じてしまうところがある。でも、それは結局ストレスを引き起こし「病気」につながってしまいかねない。また、自分の弱みを人に見せることで上手くいく人間関係があるということも学べた。相手と心からのコミュニケーションが取れる、たくさんの人と心を開いて友人になれる人間になるためにも、自分で張り巡らせてしまっている壁を少しずつでも打ち砕いていきたい。世の中はまだまだ広く、様々な人がいる。そんな中では私の悩みなど、ちっぽけなものに過ぎない。しかし、そんなちっぽけな事で悩んでしまう自分の情けなさを勇気を持ってさらけ出して、他人にも伝える事ができるようになりたい。当然、そこから悩みを乗り越え、自分に負けないようにしたい。

    私の人生の主人公は私自身であり、舞台と役を演じなければならず、そのためには「自分に負けない」強さ、強い気を持っていなければならない。折れない、負けない、強くなりたい。今までの日常生活の中でもそういう思いを抱くことはあったが、今回の修行を通じて「強い」の意味や「負けない」意味や相手について、改めて思い直すことができたと思う。その意味は、まだまだ広く、今の時点で理解出来ているのは氷山の一角に過ぎないし、弱い私には、身に付けるべき「強さ」はたくさんあるが。

    十日間だけで自分を大きく変えることはできないが、しかし、十日間で学べたことは数多く、書ききることができないくらいある。
    日常に戻って、今回の修行で得たものを活かして、自分自身の中でしっかりと育てていきたい。そして一回り強くなって、また初心に戻るべく、ここに来たいと思う。

    自分は今までは嫌なことや苦手なことから、楽な方に逃げて、自分の好きなことや楽しいことばかりしていました。そのせいで、学校にも行かずにほとんど家にこもりがちな生活を毎日していました。
    でも天光寺に来て、規則正しい生活をして、辛い行をするうちに、いくつか大切なことを教えてもらったり、知ることが出来ました。

    一つは親への感謝です。
    天光寺に来て、一番つらかったのは、お父さんとお母さんに会えないことでした。毎日不安でさびしくて、会いたくて仕方ありませんでした。そこで、親には育ててもらっているだけでなく、心の支えにもなって貰っているんだと気付きました。 次に教えて貰ったのが、嫌な事や苦手なことに一歩踏み出して挑戦することです。

    自分は滝行の水が冷たくて苦手でした。毎回自分でブレーキをかけてしまって、滝のかなり手前で終わっていました。けれど、最後の滝行の日に座ってからだけど、気合いを入れて後ろに下がって、少し耐えることができました。それが終わった時の達成感はものすごく大きかったです。

    他にも、自分から積極的に動くことも学びました。
    自分は天光寺に来たはじめのころは、食事の後片付けの皿洗いなども他の人にまかせて、部屋のすみの方で、ただ立って終わるのを待っていました。でもしばらく過ぎたころから、自分から皿洗いなどの後片付けをやるようになりました。自分からやると、とてもすがすがしい気分になりました。それから、食事のありがたさも知ることができました。
    たけのこ狩りに行った時も、はじめての経験だったので、たけのこを見付けるのでさえ一苦労でした。更にまわりの土を掘って、切り取るのも大変で、とったたけのこを持ち帰るのも重くて苦労しました。

    そのようなことをしていくうちに、普段食べているごはんの食材の一つ一つに人々の苦労がかかっているんだと思いました。
    その他にも人とのコミュニケーションの大切さなど、さまざまなことを学ぶ事ができました。
    だからこれからは、天光寺で学んだことを活かして、性格が明るく、自分から積極的に動く、人をひきつけるような人になりたいです。

    また、親に心配をかけさせたり、悲しませたりするのではなく、逆に喜ばせられるようになりたいです。 天光寺から家に帰って、学校に行けるかどうかは自分でもまだわかりません。でも行ける勇気を持った時は、滝行でやったように、一歩ふみだして行きたいと思います。

    ここに来た理由は、親に迷惑をかけたからで、具体的には、友達関係、法に触れること、家に帰らなかったりもした。だからつれてこられた。
    でも、親は自分によくなってほしいからつれてきたっていうのに気づいた。こんなに迷惑をかけたのに、大事に思ってくれていたんだと思う。

    ここに来て、行をやって、親に迷惑をかけたってこともようやく気づいた。本当に気づいていたら、こんな事できなかったと思う。そして、こんな自分を育ててくれた親、大事にしてくれる親に感謝しなくてはならないと思った。ここに来て電話があった。寒くなったけどいるものある?家にいても、自分のことを心配、気づかってくれていた。そんな親に迷惑をかけて自分は、バカだった。
    だから、親に感謝の気持ちと、反省の気持ちを態度と行動で表したいと思う。

    そして、もう一つの問題は、高校に進学するかどうか。ここに来て住職さんやお坊さんと話をして、進学することに決めた。どんなに勉強が遅れていても本気になればすぐとりもどせるっていうのを聞いた。だから、とりあえず高校はどこの高校でもいいから行きたい。そして高校で勉強に集中して、悪い方方向に流れない。今、頑張って大人になってから、良い人生を送るようにしたい。

    やっぱりこの年は未成年ということもあって、家族の支え、周りの人の支えがないと生きていけない。だからこれからは反省と感謝を忘れずに、今までとは違う人生をおくってく。

    自分自身の弱さ、甘さが原因で十四年間勤めた仕事を辞職するに至りました。次のステップのスタートを切るためには精紳面を鍛えること、自分自身と向き合い、生活面から全て変わる必要があると思い、天光寺にて精紳修行することを決断しました。

    相当厳しい修行になると覚悟して臨んで初日は川行からスタートしました。
    十二月も半ばが過ぎ、気温も低い中、行着に下着一枚、素足の格好でお百度参りからスタートし、全速力でダッシュし、ひたすら無心「御宝号」を唱え、無我夢中で終えた時には、疲れよりもすがすがしさを感じました。川へ移動し、行った川行は、スタッフの方の教えである「水とケンカせず、一体となる」を意識しながら、入水しました。水も冷たくとても辛かったけれど、雑念を冷水に流される様で、終えた時には自然の強さ、偉大さを感じさせられました。初日の緊張と肉体的な疲れから、初日の夜は、午後七時半に就寝しました。

    天光寺での修行の一日のサイクルは、起床六時、声出し、瞑想、読経千回、昼食後、荒行を行い、写仏または写経を行い、夕食後、入浴し十時の就寝消灯まで自由時間となります。どの行を行っても当然楽ではありませんが、集中して行うことにより、自分自身と向き合い、過去の反省、自分が今後行うべきこと、進むべき道が少しずつ見えて来るようになりました。

    荒行の中でも、滝行はとても厳しい行でありましたが、これほど体と心を清めてくれるものは他に無いのではないかというくらい素晴らしい行でした。明らかに入水前と入水後では表情も変わり、スタッフの方の「体の悪いものを流してくれる」という言葉には、いつわりはありませんでした。

    私は二週間という短い体験修行ではありましたが、日常生活に帰ってからが、本当の修行だと感じています。結局のところ体験修行を一ヶ月行おうが、一年行おうが、自分で気付かなければ全く意味がないと思います。体験修行にて感じたこと、反省したこと、見えた事を常に念頭において生活していくことで、今までの自分を変えて行けると強く感じています。

    最後に住職をはじめスタッフの皆様、修行を行う上で最高のサポートをしていただき、本当にありがとうございました。メリハリのきいた対応、安心して修行を行うことができました。次回、天光寺に伺う時には、以前の自分としてではなくパワーをもらいに短期で伺います。本当にお世話になりました。水(人生)の流れに逆らわず、自分が主役であるにはどうすべきかを常に自問自答し、生活していきます。

    僕は不登校を半年ぐらい続けて、親がここへ連れてきました。正直、最初に住職の話を聞いた時は、この人何言ってる人だろうと思ってました。ここで、どれだけ過ごしにどころで学校なんて行きたくないと思ってました。最初の方はやる気はなかったです。でも行をしていくうちに、だんだんやる気が出てきました。

    四日目で初めて川行をやりました。このときは、まだお百度参りを超めんどくさい茶番程度にしか思っていませんでした。そして、川行も正直余裕でしょ!くらいに思っていました。でも、いざ川に入ると想像を絶する冷たさにびっくりしました。本当「死んちゃうんじゃないの」というくらい冷たかったです。僕はすぐに出ました。出たら、さっきまで冷たかったはずの外がすごく暖かくて、ビックリしました。僕はこのとき「生きているんだな」と感じました。それでなぜか、すっきりした気分でとても不思議な感覚でした。

    五日目は滝行でした。滝を初めて見た時予想よりはるかに少ない水量で「何だチョロイじゃん」と思いました。しかし、入ると昨日のような冷たさに加え、滝のしぶきが体全体に当たり、すごく痛かったです。何が何だか分かりませんでした。でもまた滝から出るとすごく暖かくて「生きてる」とまだ、感じました。
    それとやはり数秒までは痛くてつらかったはずなのにすごく心がスッキリしている自分がいてビックリしました。

    学校へ行こうとしっかり考えたのは七日目の土曜日です。それまで、色々な行やって色んな人と話して、今僕がおかれているこの時代がどれだけ大切なのかが分かってきました。僕はここに来る前学校というものの価値観、そして僕がしている事への危機感が全くに等しいほどありませんでした。でも今は、前に比べれば、分かってきた気がします。今は学校で勉強することよりも、学校に行こうという行為そのものが一番重要な気がします。それは同世代の人と話ができるからです。ここに来た大人の人達によく言われたのが、「大人になってあんな上下関係なしに話ができるところはない」です。そう言われると学校に行って友達としゃべってるだけでも人生においては相当な財産かなと思えるようになってきました。それで、どのような人も「中学の勉強はそれから先の基礎だから、しっかりやっておいた方が絶対にいい」と言われて、勉強が遅れている事に関しての危機感も覚えました。なので今は学校に行きたいです。

    そして、学校の事以外にも色々な事を学びました。まず、仲間や友達など、周りにいる人の存在です。
    今まで意識した事はありませんでしたが、どんな時も常に周りに同じ事をしている人がいました。ここでも、最初の一週間はそうでした。いつもAさんがいてくれました。しかし、いざAさんや短期の人がいなくなり、自分一人になると、すごくさびしいです。今までは行が終わって言われた「おつかれ」や「キツかった」などの一言がないからです。何かを共有する仲間がいないのはこんなに寂しいかと思いました。ここに来て、あたりまえが、あたりまえじゃないことに気付き、周りの人への感謝も覚えました。その周りの人の中でもやはり、家族への感謝が特に強いです。ここに来て自分が変われたのも家族がここを見つけてくれて連れて来てくれたからだし、家族が働いてお金を出してくれているからこそ、僕はここにいます。それに正直いつでも会えた家族にこんな長い間会えないのは寂しいです。だから、僕は家族がいる事への感謝、その存在の大切さがよく分かりました。それと、生きていることへの感謝も分かりました。今までに「生きていることに感謝しろ」と言われても訳が分かりませんでした。でも今なら分かる気がします。川や滝から出た後のスッキリ感や、暖かさや、中に入ったいるときの冷たさ、痛さ、も生きているからこそ分かることです。

    それに、生きているからこそ、僕は今こうやって人生をやり直そうとしています。生きているというのは普通に考えたらあくまで大前提しかないですが、今こういう経験をすると、すごく大切なことなんだと思います。それに自分が自分を超える嬉しさも分かりました。今まで「自分を超えろ」と言われてもサッパリでした。しかし、今ではよく分かります。なぜなら、川行や滝行での目標が高くなっている自分がいるからです。最初はずっと最低ノルマでいいやとか思っていましたが、今ではタイムを伸ばすことを楽しみにしている自分がいます。チャレンジ精神ってこういうことかと思います。これから学校でも前に進み続けていきたいです。

    僕は、天光寺にこれで本当によかったです。これからは周りへの感謝を忘れずに学校に少しずつでも行きたいです。ありがとうございました。

    僕がこの天光寺に来た理由は自分自身を変える為に修行をしに来ました。最初、寺に行って修行をして来いと、家を出したのがじいちゃんでした。ここに来る前の僕は本当にどうしようもなく、ただただ自由に生きているだけの毎日でした。「面倒見切れない」という言葉をさんざん言われ続けて来て、正直どうでもいい生活をおくってきました。姉もその僕を見て「もう家にいないで」など色々言われて来ました。そんな中じいちゃんが「お前は変わらないとだめだ」と言い、親にむりやり連れて来られたのがこの天光寺でした。一番最初は不安でいっぱいで修行なんていやだって思っていました。

    まず、修行と言われ感じた事は「18で修行ってあり得ない」「何で俺がそんなお坊さんみたいな事をしなきゃいけない」と色々思いながらここに来ました。
    いやいやでこの場所に来たはずの僕が一ヶ月の修行をほぼ経えて今だからこそ言える言葉があります。
    「この天光寺に来て本当に良かった」そう思えるでき事がこの一ヶ月間に沢山ありました。一日目はやっぱり不安だけでいっぱいだったので、何をすればいいのか分からないままでした。最初、受付を済まし、いきなり訳の分からない所に連れられ気付いたら、目の前でお経を唱えていたり、何だこれという事がありました。不安な気持ちから修行に入るというのは、ちょっと僕にとっては厳しい事で、いやになった時もありました。友達とも離れて生活するわけだし、どことなく寂しかった時もありました。中に入ったら、知り合いはもちろん一人もいないし、僕は親から一ヶ月間修行いってこいと言われ最初、だらだらやってたけど、ここでやっていく内に思ったことがあります。「一ヶ月やるなら、逃げずにきちんとやり切ろう」そう思う気持ちが徐々に出て来て修行に励む形になりました。

    まず、ここに来たら、一人でやっていこうと思った事、だれとも仲良くせずに修行一日終える事、この目標を立てて僕は修行に励むつもりでした。でも、この天光寺に修行しに来ている人達は僕の思う想像以上に優しい人達ばかりでした。ここに初めて来たのが1月26日、その日の人数は僕も合わせて7人いて自分はずっと一人行動でした。でも一緒に修行を行う事によって人と絶対しゃべらないというのは難しい事で、昼飯の時に向こうの方から話しかけてくれた事がちょっとうれしかったです。自分には一緒に行をしている仲間がいる。この場所に自分一人で立っているわけではない、という事を、行をしているときにあらためて感じました。

    この一ヶ月で学んだ事はいくつかあります。色々なありがたみとか、色々な感謝とか、今まで出来てなかった事が天光寺に来てようやく出来るようになった気がします。僕はこの場所に来て感謝と礼儀正しさを覚えました。今までそういう事をしてこなかった時もありました。今までも俺の為にしてくれた人にも、あまり深くは感謝した事はあまりなかったし、これといった良い人生もあまりおくれてない時もありました。でも、ここに来てただ覚えるだけではなく、生活も大幅に変わりました。朝起きる時間6時、寝るのは10時いった規則正しい生活を続けていく上で見に付いてくるもの、こういったことも普段の生活とは違うので最初は全く慣れなかったです。天光寺では決まり事もきちんとあるし予定もきちんと立てているし、ここに来ると今までおくってきた生活もきちんと直していこうという気持ちにもなりました。人生をもう一度見直すところまではいかないけどある程度自分の中では、少しは見直せたと思います。自分が変わったか、どうかは自分ではあまり分らないが、他人から「お前変わったよ」と言われたら、すごくすっきりした気持ちになります。仲間がいれば修行もすごく楽しくなるし、コミュニケーションも取れやすくなって確実にいい方向に進んでいると今はおもっています。前まで、だらだらした人生が一気で変わったのがすぐに分かって水行が終わった後は生きている事が素晴らしく感じました。毎日生きて来て一日一日普通にだらだら過ごして来た天光寺に来る前の自分とこの一ヶ月間修行を終えた後の自分を思い出し見比べてみると自分でさえも変わったというのが分かります。この寺で過ごした時間は最初は遅い遅い思っていたけど、今思うと何だかんだ言って早く感じました。

    僕はこの修行を終え、家に帰ったら、まず、やることが沢山あります。その中の一つに仕事が含まれていて、今やっている仕事をやめて、新しい仕事先を探そうと思っています。その時でもいいし、仕事している最中でもいいから、この天光寺で修行した事を全部思い出して、一からやり直し、生活態度も変えようと思っています。これでもまだ生きていく上で道を路み外してしまったら、また、あの時、あの時を、思い出し、やっていければいいと思っています。そして、それでもだめだったら、この天光寺に足を入れて修行を行えたら、もう一度してみたいです。ここで出会った行の仲間との思い出、辛かった修行、僕が変われたのも天光寺の皆のおかげだと思っています。

    もう一度、出来る所からやり直してきちんとした生活もおくれたら良いと思っていますし、感謝の気持ちも忘れたくないのでこれからも、修行を終えてからも親にあまり迷惑かけずに頑張っていきたいです。

    僕は、お寺に来て家族へ今までしてきたことがどれだけ情けないことなのかを理解しました。

    また、何故自分がお寺に連れてこられたのか分かっていませんでした。僕は理由があるから連れて来られました。例えば、親に暴力や暴言を発することや、妹と仲良くしなかった事、お母さんのしている家事や仕事をバカにしていました。
    本当に今では情けないです。何の理由があろうとも暴力や暴言は決して良くないですし、家族とは仲良くするもので、しかも、育ててくれているお母さんをバカにするなど本当にあり得ないことだという事にお寺の辛い修行を行ってきて深く感じました。そして、僕は家族を大切にしなかったから連れて来られたのだとしみじみ理解しました。それから、家族はいつでも仲良く大切にし合うものだという事も理解できました。

    最近では、家に帰ってから、家族と幸せに暮らすにはどうしたら良いのかを考えながら生活しています。例えば、家に帰ったらお母さんの洗濯物の手伝いをしたり、食事の準備の手伝いをしたり、挨拶を毎日したり、妹の勉強を教えたりしようといろいろと考えながら、生活しています。そして、早く家に帰るにはめそめそするのではなく、今を頑張ることが一番だと言う事も理解できました。

    お寺に来て何よりも人は変われるものだという事を学びました。だらしなかった僕が今ではきちんとした生活を出来るようになったことなど。このことがお寺で一番の収穫だと僕は思います。

    本日はお世話になりました。短い時間ではありましたが、行に触れる事ができて良かったと思っています。

    今回の目的としては十分には目的を果たせていません。そもそも、日帰りでは、滝行体験でおわってしまうのかもしれません。最初に作法を教えて頂いたことは、良かったと思っています。普段から自分は出来ているつもりになっていたのですが、きちってした型、作法を持って行う事で、心すっきりとした気になれました。

    食事に関しては、精進料理なのでしょうか?私は図体の割には、和食が好きで今回のメニューはとても美味しく頂きました。

    お百度参り。人生初です。私はそもそもお寺、法事、お葬式などに参加しない、そういう環境で育っていましたので、経験がございませんがテレビでみたことはあります。走る事を、今日知りました。本日の時間の関係で100周は無理でしたが、良い経験になりました。

    滝行につきましては、呼吸ができませんが、背中が強い圧力を感じ、体の中の邪念が外に出ているような気持ちになれました。

    最初に目的は果たせなかったと書きましたが、日帰りでも体験する、まずは行動する事はとても重要だとおもいました。参加者方からも様々な話、考え方があり、それを聞くこと、スタッフの皆様の考え方はとても新鮮でした。自分にはない考え方を、聞き、それを素直に受け止める器を手に入れなければと思います。

    文末となりますが本日はご指導頂きまして誠にありがとうございました。

    ここ天光寺において、2泊3日の研修の中、とても貴重な体験をさせていただくことができました。この3日間の中で、仏教については、まだ正直ピンと来るものがありません、けれど、あいさつの仕方、声の出し方など、一般でも有用していけることも教わり、再確認することが出来ました。更に三禮、滝行、お百度参りなど、なかなか体験出来ないことをさせていただくことが出来ました。

    特に滝行は、自分が想像していた以上に過酷で、そして素晴らしいものでした。入る前は、冷たさへの恐怖がありましたが入ってみると冷たさ以上に、痛みの方が大きいことに気付きます。首、頭、背中、両肩、耳の裏等に、まるで砂袋で叩き付けられるように水が襲い掛かってくるのです。これはかなりこたえました。正直滝から逃げ出そうとも考えました。けれどここで逃げ出すのもくやしいので、耐えることを選びました。そしてあぐらをかくころ、不思議なことに、叩き付けてくる滝の痛みが、体にまとわりついて、一体化するような感覚になりました。むしろ心地良いものに変わっていました。正直ずっとあたっていられると思ったくらいです。住職の弟子の方に出るように言われたので出てみれば、体の芯から熱を発し、頭の中がスッキリしている自分がいました。底知れぬ解放感が自分にありました。自分はあまり精神論のようなものは信じていませんが、この滝行には、何かあると思いました。

    自分は、今の会社に入社して3ヶ月、まだまだ新参者で、先輩や上司には怒られながら、呆れられながらの毎日です。新人ですので仕方がないこととはいえ、やはり逃げ出したくなる時や、辞めたいなと思う時があります。これからもそういったことがくることだろうと思いますが、これからは、そのような辛いこと悲しいこと腹立たしいことがあった時、ここでやって来た修行、そして住職から頂いた誓いの言葉を胸に刻み、思い出しながら、これからの仕事、私生活,対人関係に一層励んでいきます。この3日間ありがとうございました。

    私はここに来てから今までの自分自身を見つめ直す事ができました。
    まず、今まで人と助け合うということを知りませんでした。しかし、ここに来てからいろんな人と接するうちに助け合う大切さを知りました。

    もう一つは、家族の大切さを改めて知ることができました。
    以前までの私は、親が身の回りの事は何でもやってくれると考えていました。ここに来てから、食事の配膳や洗濯物の整頓など、自分でやってみて今までこんなに大変な事を毎日親がやってくれていたんだと、初めて親の苦労を知ることができました。
    しかし、まだ自分には改善すべき点がたくさんあると思いました。

    まず、分け隔てなくたくさんの人と会話できる様に努力しないといけないと思いました。それに、挨拶も人と接する上で今の自分に必要だと感じました。
    反省すべき点が多い自分ですが、ここに来てからいろいろと人として大切なことを教わりました。

    今まで自分は、困難に直面するとすぐにそこから逃げる癖がありましたが、ここに来て住職さんの法話を聞いて、『困難とは、神様が一人一人の人間に与えた試練であり、神様はその人に乗り越えられるよう一人一人の人間に困難を与えている』ということを知ることができました。この話は自分にとってかなりプラスになりました。
    それと、正座でお経を読むのはかなり苦しいですが、今までよりも忍耐強くなれると自分自身感じております。

    今回ここに来て、自分にとって以前の自分よりもかなり成長できたんじゃないかと感じております。つらい毎日ですが、頑張っていきたいと思います。

    自分がここに来た理由は、勉強もせず親に迷惑を掛けて悲しませていたからです。
    まず、自分は野球部に居て朝練がだるく学校にも行かなくなって親の仕事にも迷惑を掛けて引っ越すことになりました。
    その先でも上手くいかず、また同じ事をしてまた親を悲しませていました。
    毎日を同じように過ごして外にも出ず、学校からの電話が前の学校の時と同じように親の仕事に迷惑をかけていました。また仕事が出来なくなったら自分は食べていけなくなるのに危機感を持たず怠けて過ごしていて、そんな自分を生活させてくれる親を傷つけていました。
    塾にも通っていて個人指導なのでそこまで難しくもないのに行かなくなり、塾のお金もムダにしてしまいました。
    家でも勉強をしていないのでどんどんついていけなくなります。
    親も困り同僚の方から紹介された天光寺に行く事になりました。その時はそんな所もあるんだなと思いました。
    その後、その話も忘れてまた、同じように毎日を過ごしていました。
    天光寺に来る前日になって急に嫌になって暴れて、親を悲しませました。
    ここに来るまで、正座を全くしていなかったので痛くて動いてしまいます。
    一緒に来た親も帰ってしまい自分一人だけで集団の中に居ることに驚きました。
    正座であいさつの練習をした時に泣いてしまってとても情けなかったです。
    自分は掃除を親に任せっきりだったので自分でするのは疲れました。
    トイレの掃除は汚いと感じてすみずみまでまでやる気がなかなか起きませんでした。
    親にどれだけ迷惑をかけていたか分かってきました。もっと早く気付くべきでした。
    今までの生活がどれだけ怠けていたのかを考ええると何をしていたんだという気持ちです。
    自分はここでの生活が終った時にしっかりとした自分を見せたいです。早く帰りたいと思ってしまう自分に負けないよう頑張りたいです。
    正座も出来るだけ我慢して長時間じっとしていられるようになりたいです。
    猫背は親によく指摘されていたので体がしっかり一本の線のようになった自分を見せたいです。
    ここでの生活が終わるまでに自分のよくなかったところを直して親に良かったと思われたいです。
    汗をかいて、あんな家にずっと居る生活よりずっといいと思い、運動もできるようになればいいなと思います。
    自分は、なぜここに来たのか考えてみて自分のよくないことがどんどん分かっていきます。
    前の生活に戻りたくないです。ここでの生活が終わった時にまた前の生活の戻るかは自分がどんな風のするかなのでその時にしっかりとした事ができればいいと思います。

    ここに来てもう1週間たちました。長いようでみじかかったこの一週間。この1週間を改めてふりかえるとあんがい楽しかったようなきがします。
    ぶっちゃけ、本当は四泊五日で土曜日に帰る予定だったけど、母親が迎えに来て車に向かう途中、母親が「やっぱり、あと三日、ここでがんばれば?」と言われ、最初は「はぁ? ふざけんな」などと反対しました。しかし結局、また三日ここでがんばることになりました。
    本音を言うと、嫌でした。ご飯は美味しいけど、大好きな肉や魚が出ないし、食器洗いや洗濯は自分達でやらなくてはいけませんでした。それに、ほぼ毎日お経をとなえなければいけませんでした。
    生まれて初めて見る滝はやっぱり迫力がありました。滝に入る前に体を清めるために塩と日本酒をなめさせられ、そのあとにしたのが滝の水をバケツに入れて自分にかけることでした。めちゃくちゃに冷たくて凍るかと思いました。いざ滝の中に入ると凍るどころか滝の水になるぐらい冷たかったです。しかも、滝に入って約二分後に座れと言われました。頭のすぐ上が滝の水で、回りの音が全然聞こえませんでした。
    滝に打たれていると死ねるぐらい冷たくて、滝から出た時は体がキンキンでした。
    滝行が終った後は自分の邪念がなくなったように思います。
    体験修行に来ていた、色々な人達と話せたことはとても勉強になりました。

    僕が天光寺に来て、三週間と一日になりました。
    僕は天光寺で変えていきたい事があります。
    一つ目は、すぐに逃げるという事です。
    今までは、嫌なことがあると、すぐに逃げてしまいました。天光寺に来てから、三週間で、その気持ちも変わってきました。お百度参りや三禮など、つらいことは沢山ありますが、逃げずにしっかりとやることが出来ています。あと何日居るかは分かりませんが、もっと変えていけるようにしていきます。
    二つ目は、すぐにサボるという事です。誰かに何か頼みごとをされても、行わずにサボったりしていました。天光寺に来てからは、周りの人たちに頼みごとをされたら、すぐに行動してサボらないように心掛けることが出来るようになりました。今までは、面倒くさいとか、色々と思って、サボったりしてきました。でも、天光寺では面倒くさいと思わずにすぐに行動することが出来ました。これからはもっともっと出来るように心掛けていきたいです。
    三つ目は、自分で考えて行動できるようになりました。いつもは、分からないことがあればすぐに周りの人に聞いて、一度行ったことのあることでも面倒くさがって、すぐ周りの人に聞いたりしていました。でも、天光寺では、一度教えてもらった事は、しっかりと覚えて、次からは自分で考えて行動が出来るようになりました。あと、以前は一つの事が終われば、次の事を頼まれるまでぼーっとしていましたが、一つの事が終われば、次の指示を待つのではなく、自分から聞くことが出来るようになりました。
    これからは、もっと自分で考えて行動出来るようにしていきたいです。
    四つ目は、積極的に行動するという事です。以前は誰か他の人やってくれるから大丈夫、とか、別に僕がやらなくても誰かがやるから大丈夫だと思っていました。ですが、天光寺に来て自分から積極的に行動できるようになりました。誰かがやるからいいやではなく、自分から進んで行うことが出来るようになりました。
    これからは、もっと周りを見て積極的に行動出来るように心掛けていきたいです。
    五つ目は、根性です。天光寺に来る前は、すぐに諦めたり、やめたりしていました。天光寺に来た初めに行った滝行でも、途中で諦めてすぐに出てきていました。でも、三週間で滝も以前よりはものすごく入れるようになりました。だからもっと、根性をつけて自分の弱い心に負けないようにしていきます。

    僕が学校に行けなくなったのは、小学校6年生の頃にいじめに遭っていましたので、学校に行くのが怖くなってしまい行けなくなってしまいました。いじめられた理由は、一人の友達だと思っていた人と喧嘩をしたら、周りの友達だと思っていた人が全員喧嘩した相手側について、集団で無視されたり体操着の袋で後ろから殴られたりして、突然みんなに裏切られて、人を信じるのが怖くなってしまい、誰を信じていいのか、よく分からなくなり誰にも相談せずに一人で色々と悩んで、何もかも嫌になり家に引き籠ってしまい、なかなか学校に行けませんでした。  学校なんて行かなくてもいいやとか、どうなってしまってもいいやとかなどマイナスなことしか考えなくなってしまいました。お父さんや友達に将来の為、とか言われてもよく分からず楽な方、楽な方という考えでした。嫌なことからすぐに逃げればいいという考えでした。今までは、先生が家まで来てくれたり、友達が家に様子を見に来てくれたり、お父さんが学校に行けるように色々してくれていたことに感謝の気持ちなど持たずに煩わしいというような気持ちしか持っていませんでした。
    でも天光寺に来て、一か月居て考え方がガラリと変わりました。一番変わったのは、色々なことに感謝の気持ちを持つことが出来るようになった所です。
    今までは当たり前だと思っていたことも天光寺に来て当たり前ではないという事に気付けるようになりました。お父さんには、特に迷惑を掛けてきたので、申し訳なさと、感謝の気持ちを持つことが出来ました。あとは、大変な事を避けても最後にはもっと大変な事があるという事に気付くことも出来ました。あと、一歩を踏み出す勇気を持つことが出来るようになりました。天光寺を出てからもこのことを忘れずに、学校に行き、今までもらった恩を一つでも多く返せるようにしていきます。